2018年5月14日月曜日

2018.05.14 わが友に贈る

◇今週のことば
妙法の実証は百発百中。
牧口先生の確信なり。
リーダーは最前線へ!
大誠実の励ましで
功徳の花を咲かせよう!
2018年5月14日

四条金吾殿御書 P1112
『定めて釈迦多宝仏十方の諸仏の御宝前にましまさん、是こそ四条金吾殿の母よ母よと同心に頭をなで悦びほめ給うらめ、あはれいみじき子を我はもちたりと釈迦仏とかたらせ給うらん』

【通解】
(亡くなられたあなたのお母さまは)きっと、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の御宝前にいらっしゃることでしょう。
そして、これらの仏は、「これこそ、四条金吾殿のお母さんですよ、お母さんですよ」と、皆、同じ心で、お母さまの頭をなで、喜び、ほめておられるでしょう。
お母さまは、「ああ、私は何と素晴らしい子どもを持ったことでしょう」と、釈迦仏と語っておられることでしょう。

〈寸鉄〉 2018年5月14日
「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」御書。悔いなき日々を師と共に
訓練なくして偉大な人生は歩めない—戸田先生。艱難に挑め。青年ならば
よく話を聞く—これ激励の要諦。納得と共感生む名将に。さあ励まし週間
自覚の声は必ず人の心を撃つ—魯迅。体験に勝るものなし。大確信で語れ
野菜の摂取不足は動脈硬化に拍車と。バランスの良い食生活を。健康の基

☆5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」記念特集(上) 創価の女性は世界の希望
婦人部「グループ」発足40周年
婦人部歌「母の曲」誕生40周年
婦人部愛唱歌「今日も元気で」発表50周年
一人ももれなく幸福に

きょう5月3日は「創価学会母の日」。本年は制定から30周年である。さらに婦人部の「グループ」発足40周年、婦人部歌「母の曲」誕生40周年、婦人部愛唱歌「今日も元気で」発表50周年など幾重にも佳節を刻む。「5・3」記念特集�では、「創価学会母の日」制定の淵源などを紹介。また、「5・3」を迎えた喜びを、永石婦人部長に聞いた。

「創価の女性のように、粘り強く平和活動に取り組み、地域社会で活躍する女性たちの存在がとても重要です。決意に輝く皆さんこそ、世界の希望の存在です」——平和学者のエリース・ボールディング博士は、創価の女性を最大にたたえる。
母は温かい。母は優しく、そして強い。世界広布も、太陽の母たちありて、前進の歩みを刻んできた。
その創価の母たちを誰よりもたたえてきたのが、池田先生ご夫妻である。
婦人部の「グループ」が発足した1978年(昭和53年)、第1次宗門事件の障魔の嵐が吹き荒れていた。その中で、友の心を鼓舞するため、先生は寸暇を割き、心を砕いて、次々と新しい学会歌を作った。
母の幸福を願い、この年に発表されたのが、「母の曲」である。同歌誕生の歴史は、小説『新・人間革命』第29巻「常楽」の章に詳しく描かれている。
婦人部が作成した「母の城」と題する歌詞の原案は、その年に完成した創価婦人会館(現・信濃文化会館)を「母の城」と詠っていた。
先生は、"家庭こそ「母の城」である"と強調。同年10月20日の夜、自ら歌詞の推敲を始めた。
悪侶や退転・反逆者らの学会批判に負けず、けなげに広布に走る婦人部を励まし、たたえたいと、次々と言葉が紡ぎ出されていった。先生が口述する「母の曲」の歌詞を、香峯子夫人がメモに書き留めた。
翌21日、東京・板橋文化会館(当時)で開催された本部幹部会で、先生が作詞した歌詞が発表された。
そして2日後の23日、婦人部代表幹部会で、「母の曲」が、白ゆり合唱団によって披露された。創価の母に寄せる師の深き思いを知り、婦人部は奮い立った。
「幼子抱きて 汗流し」——この歌を歌いながら、母たちは、自らの宿命と戦い、宗門事件の嵐を敢然と勝ち越えていった。
「誰か讃えむ この母を」——先生ご夫妻の慈愛を抱き締め、希望の輪を広げてきた。
同歌誕生から40周年となる本年。先月の本部幹部会で、白ゆり合唱団が「母の曲」を高らかに歌い上げた。
誉れの調べは、元初の使命に生きる母たちによって、歌い継がれていく。
◆◇◆ 
「グループ」発足、「母の曲」誕生から10年が経過した88年(同63年)。4月27日の第1回「全国婦人部幹部会」で、先生は二つの提案をした。
一つ目は、「5月3日」を「創価学会母の日」とすること。学会にとって重要な節目を、広布のために奮闘する母をたたえる日としたのである。
二つ目は、「赤・黄・青」の三色の婦人部旗の作製である。
「和楽(赤)・求道(黄)・福運(青)」の意義を込め、白ゆりを配した婦人部旗は、現在の創価学会の三色旗の原型となった。
先生は幹部会で語った。
「不自由に見える九界の現実の生活を離れて、どこか別世界に自由があるのではない」「妙法こそ事実の上に、真の『自由』を実現する無上の大法なのである」
宿命の鉄鎖に縛られ、"心の奴隷"になるのではなく、苦難の時こそ、師子王の信心を貫いていくことを訴えた。
師の呼び掛けに呼応し、新たな三色の旗を掲げて、婦人部は、幸と正義の行進を開始したのである。
◆◇◆ 
2000年(平成12年)9月8日、東京・信濃町に創価世界女性会館がオープン。翌9日、初訪問した先生は、香峯子夫人と共に視察した後、館内で勤行・唱題。万感の思いを語った。
「私は、婦人部・女子部の皆さまが、一人も残らず、幸福になられるよう、勝利されるよう、毎日、真剣に祈っています」 
あなたよ、何があっても負けないで、幸福の人生を! 勝利の人生を!——
先生ご夫妻の祈りに包まれ、今や世界各地に、家庭を、地域を、社会を"太陽の心"で照らす創価の母がいる。地球を包む、そのスクラムは、"幸の大光"と輝いている。

永石婦人部長に聞く
●師への誓い新たに前進

いつもいつも、婦人部に最大の励ましを送ってくださる池田先生、奥さま。「創価学会母の日」制定30周年となる「5・3」を、先生・奥さまと共に迎えることができ、これ以上の喜びはありません。
先月の本部幹部会のメッセージで、先生は第3代会長に就任した1960年(昭和35年)5月3日に、奥さまと共に誓われたことをつづられました。
「世間から、いわれのない悪口罵詈を耐え忍んでくれている。この母たちが、日本中いな世界中から敬愛され、讃嘆される時代を必ず創り開こう! これこそ広宣流布の栄光の実像であるからだ」
あまりにも深い慈愛。その祈りありて、婦人部は朗らかに勝利の人生を開いてくることができたと心から実感します。
私たち婦人部にとって、「5・3」は師匠との原点に立ち返り、「師と共に」との決意を新たにする日です。師匠への誓いを胸に、世界広布の新たな歴史を築く前進を、きょうから開始していきます。
うれしいことに、「大白蓮華」5月号に、先生は巻頭言「日々、『創価の母の日』であれ!」をつづってくださいました。
その中で、「戸田先生の御指導を踏まえて、妻が折々に同志と語り合ってきたことがある。断崖絶壁に立って"もう一歩も退かない"と決めて祈った時から、『宿命』は『使命』に変わり始めるということである」とあります。
日本中、世界中に、悩みや苦しみがあっても、"一歩も退かない"と祈り、宿命転換の逆転劇を勝ち飾られた母がいます。一切を幸福へ、勝利へと転じ、家庭や地域に、功徳と歓喜の花を爛漫と咲かせてきた母がいます。
全て、先生・奥さまの励ましのおかげです。
太陽は、闇を晴らし、すべてを照らします。私たち婦人部は、「『人間革命』の朗らかな逆転劇」をつづりながら、一人一人の心に、希望の灯をともしてまいりましょう。