友の報告・相談に
電光石火で応えよう!
そのスピードに
誠実と責任感が表れる。
信頼光るリーダーたれ!
四条金吾殿御返事 P1143
『遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし』
【通解】
遊楽とは、われわれの色法と心法、依報と正報が、ともに一念三千の当体であり、自受用身(みずから広大な法の楽しみを受け用いる身)の仏であるということではなかろうか。(したがって)法華経を持つ以外に遊楽はない。
〈寸鉄〉 2018年5月25日
座談会から希望の波を!世代超えた励ましと対話の園。皆が主役の気概で
目的が明瞭でこそ実践への信念が起こる—牧口先生。祈りは強く、具体的に
「孤独」の健康リスクはアルコール依存症に匹敵—研究。地域の絆こそ宝
熱中症による搬送急増。通気性良い衣服、帽子の着用等、暮らしの工夫を
1件の重大事故の陰には300の"ヒヤリ、ハッと"が。声掛けで危険の芽を根絶
☆地域を歩く 長野県 岡谷市 2018年5月17日
◇"感謝の花"が咲く5月
全国でたけなわの婦人部総会。
「母の日」には、感謝の気持ちを花に託して伝えよう——一般的に、そう考える壮年や青年は少なくない。
長野県は、標高の高さや一日の気温差を生かした、花の栽培が盛んな都道府県の一つである。
今回の「地域を歩く」では、そんな長野の岡谷圏(牛澤源文圏長、増澤光代婦人部長)で"感謝の花"の話を聞いた。
毎年、身近な"創価の母"に花を贈る女子部の友や、「母の日」の定番でもあるカーネーションの栽培を営んできた壮年部の友。花に込めた、それぞれの思いとは——。
◇
「創価学会母の日」を迎えた5月上旬、岡谷圏を構成する岡谷市と下諏訪町では、この佳節を寿ぐように、赤やピンク、白などのツツジが咲いていた。
「婦人部の皆さんは、娘を育てるように、女子部のメンバーに接してくださいます」——北條香奈さん(圏女子部長)はこう語る。感謝の思いで毎年5月、お世話になっている婦人部の先輩にささやかな花を贈っているという。今年は"成長の姿で恩返しする"との決意を、花に託した。
どんな思いで始めたのか。北條さんに尋ねると、一緒に贈呈しているという前任の野沢洋子さん(総県女子部長)を紹介してくれた。
「2014年の『創価学会母の日』から始めたんです」と野沢さん。「広宣流布大誓堂が完成したのが、前年の13年秋でしたので、よく覚えています」
◇"創価の母"に贈る成長・実証の恩返し
広宣流布大誓堂の完成と、野沢さんが圏女子部長に就任したのは同じ時期だったという。
当時、野沢さんは仕事でも学会活動でも自身の使命を果たそうと誓いを立てたが、なかなか友人に思うような対話拡大ができないでいた。
そんな野沢さんに、婦人部の友は「題目をあげていけば絶対に大丈夫」「本物の友情が残るよ」と、信心の確信を込めて語ってくれた。
そして、半年が過ぎた2014年の「創価学会母の日」——。
この日、女子部のメンバーは、皆で題目をあげていた。
「そこに、多くの婦人部の方が、一緒に友人の幸せを祈るため、応援に駆け付けてくださいました。いつもそんなふうに支えていただいて、"何かで感謝を伝えたい"との思いが芽生えたんです」(野沢さん)
翌日、身近な婦人部の一人一人に、小さな花を手渡す野沢さんの姿があった。
以来、毎年の「創価学会母の日」に合わせ、野沢さんたちは感謝と広布拡大への誓いを込めて、花を贈っている。
野沢さんは14年、大叔母を入会に導いた。
さらに本年は、3月に仕事と両立してきた創価大学通信教育部を卒業。4月には会社の同僚に弘教を実らせ、先日行われた信越総会を晴れやかに迎えた。
そんな野沢さんを幼い頃から見守ってきた増澤光代さん(圏婦人部長)は「本当に立派になってうれしい気持ちでいっぱいです」とほほ笑む。
婦人部の励ましで心に希望の花を咲かせた青年部メンバーは、岡谷圏に数え切れないほどいる。
花岡梨沙さん(女子地区リーダー)は13年秋に入会した。きっかけは、その年のはじめ、脳腫瘍で母・京子さんを亡くしたことだった。
もともと両親は学会員だった。亡くなる1年前に京子さんが倒れ、花岡さんは完治を祈って看病を続けていた。
悲しみに沈む花岡さんを激励してくれたのが、小阪恵子さん(圏副婦人部長)をはじめとする婦人部の友だった。
花岡さんは、折に触れて自宅を訪ねてくる小阪さんから、「いつでも相談に乗るから」と何度も声を掛けてもらった。そのたびに、元気を取り戻していく気がした。
「母の死も、寿命を1年延ばすことができたという意味で、信心の実証と捉えられるようになりました。そして自他共の幸福を祈れるようになりました」と花岡さん。現在は、小説『新・人間革命』を学ぶ創価信濃大学校に入校。また、池田華陽会御書30編も学び、苦悩を抱える友人を励ませる自分になった。
「小阪さんをはじめ、婦人部の皆さんのおかげで、前向きな自分になれたと感謝しています。ありがとうございます」
それを聞いた小阪さんは「私の方が勇気をもらって感謝しているのよ」と目を潤ませた。
カーネーションは、長野県が作付面積・出荷量ともに日本一を誇る。岡谷圏周辺は、戦後早くから栽培が始まっている。
両親の代から栽培を続けるのは、花岡英和さん(副支部長)。
大学卒業後に選んだのは会社勤め。ただ、心の片隅には"いずれ家業の栽培を継ぐ"との思いは抱いていた。
会社を退職し、栽培に本格的に携わり始めたのは1995年。当時、両親のカーネーションは農協の品評会で優秀賞や組合長賞を受賞するなど、高い評価を受けていた。
しかし、カーネーション栽培をめぐる環境は、海外の安価な品種が流通するなど、大きく変化していく。
「両親は、苦労して品質の改良に努めてきました。大学に行かせてもらった私は、カーネーションに育てられたようなものです。だから、信心の実証としても、栽培をやめるわけにはいかないという思いでした」
農業は天候や土壌などの条件が毎年違うため、"毎年1年生"ともいわれる。携わるようになった当初は、生花店でアルバイトをして一から花のことを学んだ。新しい販路を開拓したり、野菜苗の育成も手掛けたりするなどの挑戦も重ねた。
現在、たくさんの種類が出回るカーネーション。その中で、花岡さんはソネットと呼ばれる特殊な品種を育てている。
「時代の変化の中、信心のおかげで、勇気を要するいくつもの決断をしながら、今日まで栽培を続けてくることができました」——こう語る花岡さんは、これからも、カーネーションを通して信心の確信を教えてくれた両親への感謝を胸に、人生を歩んでいく。
「右も左も分からない地区部長に、婦人部の皆さんは、地域広布とは何かを教えてくださいました」——こう語るのは、村松信幸さん(支部長)。
信心強盛な両親のもとで育ち、学生部の時代までは学会活動に奔走していた。しかし、社会人になって、13年ほど信心から離れてしまった。
その後、"学会の庭"に戻ってきた村松さん。2009年の年末に、地区部長に就いた。
「そんな村松さんの姿を見て、夫は安心して亡くなりました」。村松さんが「一番お世話になった」という田中悦子さん(支部副婦人部長)は思い出す。
夫の俊光さんは生前、村松さんと共に地域広布に歩いてきた。俊光さんは、村松さんの地区部長就任から程なく、心筋梗塞で亡くなった。
以来、田中さんは、俊光さんの分まで、地区部長として奮闘する村松さんを全力で支えた。
そうした中、翌10年、村松さんは本紙に掲載された"創価の母に幸福と平和の花を!"との池田先生の指針を目にする。
"そうだ。今度の「創価学会母の日」に、日頃の感謝を込めて、花をプレゼントしよう"——こう思い立ち、カーネーションの切り花を、真心込めてラッピング。地区の婦人部の友に贈った。
その後、村松さんは地区部長時代の5年間、毎年、花を贈り続けた。
本紙の購読推進や地区総会、未来部の育成。地区の皆で築いた数々の思い出を振り返りながら、村松さんは言った。「大変だったけど、婦人部の皆さんに励ましていただいたおかげで、明るく楽しく頑張れたかな」
◇
池田先生はかつて婦人部の友を花になぞらえ、「どんなに可憐な野の花も、決して、ひ弱ではない。弱いように見えて強い。風にも、雨にも負けない。同じように、『何があっても負けない!』というのが、私たちの合言葉だ」とつづって励ました。
共に泣き、笑ってきた同志に、自身の成長と実証で応える。岡谷圏には、そんな美しい"感謝の花"が咲いていた。