「一日の命は三千界の
財にもすぎて候なり」
今日という一日を
最高に価値あるものに!
其の原動力が信心だ!
撰時抄 P257
『答えて云く人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや良医薬を病人にあたう病人嫌いて服せずして死せば良医の失となるか』
【通解】
答う。ある人が大衆の便利をはかって路を作った。その路に迷うものがあるからといって、路を作るものの罪だとえるだろうか。
良医があって、大良薬を病人にあたえた時に、病人は薬を嫌って服しないで死んだならば、それが良医の過失となるであろうか。
〈寸鉄〉 2018年5月17日
「友の喜び友の歎き一つなり」御書。共に挑み、共に勝つ。団結が創価の要
男女青年部の「部長」よ頑張れ!生涯の原点築く時は今。拡大の黄金史を
他人に尽くす事で自己の力を量れる—作家。広布の人生こそ人間向上の道
ベルト着用で死亡事故の8割が助かった可能性—調査。全席で徹底を厳守
世界高血圧デー。重篤な疾患引き起こす因。睡眠・食事の見直しで生活改善
☆御書と歩む� 第18回 婦人部に功徳と幸福あれ
『いまは法華経をしらせ給いて仏にならせ給うべき女人なり』(乙御前母御書、1222ページ)
◇通解
今、(あなたは)法華経を慕われているので、必ず仏におなりになる女人である。
◇同志への指針
妙法と共に生きる女性が、不幸になるわけがない——御本仏の大慈悲が胸に迫る。
創価の母たちは日々、行学に励み、同志を励まし、仏縁を結び、後継の友を育んでくれている。
一つ一つの労苦が「心の財」となり、一歩一歩の挑戦が「福徳の道」となる。
皆が仏の境涯を開きゆく、楽しき婦人部総会の大成功を、妻と真剣に祈ります。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 生死一大事血脈抄(下) 2018年5月14日
◇広布に生きる師弟の絆は永遠
◇難を越えて信心を貫く弟子に
今月は、「生死一大事血脈抄」の後半を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中で次のようにつづっています。
「師弟は『三世の宿縁』です。広宣流布に真剣に戦えば、その深いつながりを確かに感じとることができるのです。日蓮仏法の精髄である『戦う師弟の精神』を現代に蘇らせたのが創価の初代・二代・三代の会長です。創価学会が出現しなければ、法華経、そして日蓮仏法の師弟の魂は潰えていたと言っても決して過言ではありません」
いかなる苦難にも負けない真の弟子の生き方と師弟の宿縁を学び、尊い広布の使命を果たしていきましょう。(拝読範囲は、御書1337ページ14行目「日本国の一切衆生」〜1338ページ本抄末尾です)
◇本抄について
本抄は、文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人が流罪地の佐渡で認められ、門下である最蓮房へ与えられたとされています。
最蓮房は、もとは天台宗の学僧でしたが、大聖人と同時期に何らかの理由で佐渡へ流罪されており、大聖人の法門と人格に触れて、弟子となりました。本抄は最蓮房が、「生死一大事血脈」について、大聖人に質問したことに対する御返事です。
「生死一大事」とは、生死の苦悩を解決するための、根本の大事の法という意味です。また「血脈」とは、仏から衆生へ、師から弟子へと法門が伝えられるさまを表しています。
◇御文
『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か、経に云く「衆山の中に須弥山為第一・此の法華経も亦復是くの如し」又云く「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」云云、過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』(御書1337ページ16行目〜1338ページ2行目)
◇通解
金は大火にも焼けず、大水にも流されず、朽ちることがない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようである。あなたが、どうして真金でないことがあろうか。法華経の金を持つゆえであろう。
法華経に「あらゆる山の中で、須弥山が第一である。この法華経もまた、一切経の中で第一である」(薬王品第23)とある。また「火も焼くことができず、水も漂わすことができない」(同)と説かれている。
あなたは、過去の宿縁に運ばれて、今度、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそ、ご存じであると思われる。「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」(化城喩品第7)との経文は、決して、嘘ではあるまい。
◇解説
日蓮大聖人は、最蓮房が大聖人とともに信心を貫いて難を受けたことに対し、掲げた御文の冒頭で金と鉄の譬えを用いて、最蓮房を"真金の人"であるとたたえられています。
金は、火に焼かれても水に漬かっても変質することはありません。一方、鉄は水に漬かれば、さびてしまいます。
苦難に遭っても信念を貫く最蓮房の生き方は、まさに「真金」です。
さらに大聖人は、最蓮房が「真金」である理由として、法華経という偉大な法を持つゆえであると言われています。そして、二つの経文を引かれ、法華経の偉大さと、持つ人の尊さを明かされます。
"法華経を持つ"とは、私たちの実践でいえば、万人の幸福を実現する妙法を持ち、師匠の広宣流布の大願を自らの誓願として受け継ぎ、信心を貫いていくことといえるでしょう。この師弟不二の実践のなかに"真金の生き方"があるのです。
続いて大聖人は、最蓮房との"師弟の宿縁の深さ"について教えられます。すなわち、大聖人と最蓮房の不思議な巡り合わせは、過去世からの宿縁であり、それは釈迦・多宝という二仏しか分からないものであると仰せです。
さらに、法華経化城喩品に説かれる「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」との経文に照らし、法華経を持つ師弟の深き宿縁を確信していくよう教えられています。
私たちは一人一人が、世界広布新時代の今この時に、自ら誓い願って師と共に広布の使命を担い生まれ合わせた華陽姉妹です。この尊い師弟の宿縁を自覚すれば、無限の力を発揮することができます。池田先生は女子部に呼び掛けています。
「わが人生の総仕上げのこの時、『華陽の誓い』を抱いて躍り出てこられた女子部の皆さんに、不思議な縁を感じてならない。宝の中の宝である皆さんに、広宣流布の未来の一切を託していきたい」
6・4「世界池田華陽会の日」へ、師弟不二の行動を受け継ぎ、真心の対話で華陽のスクラムを広げていきましょう!
★池田先生の講義から
仏法は「師弟の宗教」です。「師弟不二」が実践の真髄です。「師弟」を忘れれば、成仏もありません。永遠の幸福もなければ、広宣流布もありません。
それは、師弟の絆によってこそ「法」を伝えることができるからです。仏法は「生命の法」です。「生命の法」は、言葉や観念だけでは伝わりません。「生死一大事の血脈」も、その本質は、師弟の実践があるところに流れ通います。師弟がなければ、血脈も断絶してしまうことを知らねばなりません。(『生死一大事血脈抄講義』)
◇ ◆ ◇
仏法の師弟は永遠不滅です。私は「月月・日日に」、恩師・戸田城聖先生と前進しています。師弟は一体です。同じ目的に向かって、同じ責任をもって、同じ戦いをしていくのです。
毎朝、私は胸中の先生にご挨拶し、「きょうも一日、弟子は戦います。勝ちます!」とお誓い申し上げて出発する。
不二の一念で、全国、全世界の広布の指揮を執り、夜には一日の勇戦の結果を先生にご報告申し上げる。その連戦が私の毎日であります。(『御書と師弟』第3巻)
研さんのために
○…『生死一大事血脈抄講義』(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第3巻、「三世の勝利劇」上下(同)