「極楽百年の修行は穢土
の一日の功徳に及ばず」
決然と苦難に挑もう!
苦労が大きい分
無量の功徳が輝く!
法衣書 P1296
『抑食は命をつぎ衣は身をかくす、食を有情に施すものは長寿の報をまねぎ人の食を奪うものは短命の報をうく、衣を人にほどこさぬ者は世世存生に裸形の報をかんず』
【通解】
さて食物は命をつなぎ、衣は身をおおうものである。食物を有情に施す者は長寿の報を受け、人の食物を奪う者は短命の報いを受ける。衣を人に施さない者は世々存生に裸形の報いを受けるのである。
〈寸鉄〉 2018年5月31日
会長の対談集は社会変革の方途示す—識者。後継よ学べ。平和の未来の為
「ゆるがぬ草木やあるべき」御書。大確信の祈り。ここに一切の勝利開く源
善良な手本を与える友を持つことは幸せ—作家。創価家族は宝。団結固く
汝自身が力をつけよ!悔いなき信念を持て—戸田先生。幹部の姿で範示せ
国連、核不拡散へ各国の歩み寄り促すと。カギは対話。市民社会で後押し
☆教学TALK テーマ:悪口罵詈 2018年5月26日
Q 学会の悪口を言われました
A 活動における苦労は全て功徳に
信心の素朴な疑問に答える「教学TALK」。今回のテーマは「悪口罵詈」。男子部大学校の指導会の前に、高須ニュー・リーダーが、新井男子部本部長の姿を見つけて駆け寄ってきます。
【登場人物】
新井男子部本部長 学会3世の37歳。20代半ばまで未活動だったらしい。
高須ニュー・リーダー 不動産会社で働く24歳。今年、男子部大学校に入校した。
高須ニュー・リーダー 新井さん、実は先週、幼なじみの親友に初めて仏法対話したんです。そしたら、「俺を勧誘しないでくれ」って怒られちゃって。「創価学会は世間の評判が悪い」とも言われたのが、すごくショックだったんです。
新井男子部本部長 よくぞ勇気を出して対話したね。本当にすごいよ! 日蓮大聖人も「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(御書1448ページ)と、弘教に励む門下を最大にたたえられている。でも、批判されると落ち込んでしまうよなあ。
高須 なんで正しいことをしているのに、批判されるんだろうって思うんです。
新井 法華経には、末法の法華経の行者に「三類の強敵」が現れ、「悪口罵詈(悪口を言われ、ののしられる)」などの難が起こると説かれている。仏法を語って嫌な思いをしたのは、正しい信仰を実践している証しだよ。どんなことを言われたの?
高須 えっと、宗教はどれも一緒だとか、僕が洗脳されているだとか……。
新井 君は、そう思う?
高須 僕も昔はそう思っていました。でも、実際に学会活動するようになって、それは全て偏見だったって、よく分かります。
新井 ちまたには、偏見や悪意に満ちた学会批判があふれている。だからこそ、僕たちは、学会の真実の姿を語り切る必要があると思うんだ。
高須 うーん。でも、正しいことをしているのに批判されたり悪口を言われたりするのって、割に合わなくないですか?
新井 高須君、それは違うよ。御聖訓に「鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし」(同958ページ)とある。広宣流布のために苦労した分だけ、自分自身の生命が鍛えられ、境涯を変革していくことができる。困難に直面した時こそ、人間革命の最大のチャンスなんだ。
高須 悩むことで、実は成長させてもらっている、ということですか?
新井 そう捉えることができたなら、高須君は間違いなく大成長できるよ。池田先生は、こう言われている。「正法を語って悪口罵詈されることは、最高の名誉である。仏法のために、嫌な思いをした分だけ、すべて功徳に変わる」と。今時、面と向かって批判してくる人も珍しいよ。むしろ批判してくるということは、学会に興味があることの裏返しともいえないかな?
高須 新井さん、めっちゃポジティブ(笑い)。でも、そうですよね。僕も親友には幸せになってもらいたいですし、そのために、学会のことを正しく知ってもらって、一緒に信心していきたいです。
新井 相手を思うその言葉は、必ず相手の心に届くよ。信心の喜びを、もう一度、ありのまま語ってみよう!
2018年5月31日木曜日
2018年5月30日水曜日
2018.05.30 わが友に贈る
リーダーの使命は
率先垂範の行動だ!
広布の最前線に飛び込み
拡大の渦を起こそう!
確信と情熱の名指揮を!
祈祷抄 P1352
『法華経の行者を諸の菩薩人天八部等二聖二天十羅刹等千に一も来つてまほり給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り下は九界をたぼらかす失あり』
【通解】
法華経の行者を、もろもろの菩薩・人界天界の衆生・八部衆等・二聖・二天・十羅刹女等が、千に一つも来て守護しないことがあるならば、上は釈尊等の諸仏を侮り、下は九界の衆生をたぼらかす罪科を犯すことになる。
〈寸鉄〉 2018年5月30日
池田先生の初訪中の日。友誼の金の橋を万代へ。新しき青年の交流さらに
任用試験へ研鑽の波広がる。最高の幸福学学ぶ喜び!教える側も共に成長
「言わずんばある可からず」御書。まず自分が勇気のひと声を。心の扉開け
「ごみゼロ」の日。地球的に考え足元から行動。環境保全へ善の連鎖起こせ
防災に関して家族の話し合い「ない」が4割と。気付いた時にすぐ実践!
☆新時代を進む 第29回 学ぶ誇り! 生命の大歓喜を
先師・牧口常三郎先生が誕生した6月が巡り来る。先生が57歳の年(昭和3年)に、広布の戦いを開始されて、今年で90周年となる。
仏法対話の折に、先生がよく語られた一言がある。「信仰に入るのではない。信仰の世界へ出るんだよ」
すなわち、正しい信心とは、狭く堅苦しい形式に閉ざされることではない。苦しみの流転を断ち切って、心も広々と、歓喜と福徳の世界へ自由自在に羽ばたいていくことなのである。
この希望と幸福の価値創造の翼を、万人が広げてもらいたい——これが、牧口先生の願いであった。みずみずしい青葉の季節、教学部任用試験へ研鑽する友の姿を、先生も笑顔で見守られているに違いない。
— ◇ —
「生老病死」の苦悩は、誰人も免れない。どう向き合い、どう打開していくか。
この人類の最も本源的な探求から、仏法は生まれた。ゆえに全ての人に開かれた生命の哲理といってよい。
私が対話を重ねた世界の知性も、トインビー博士をはじめ皆、生死という根本課題を真摯に見つめ、解明の智慧を求めておられた。だからこそ、仏法の生命観に深い共鳴を寄せられたのだ。
今、「仏法入門」と銘打たれた任用試験には、新入会の友はもちろん、多くの会友の方々も、多忙な中、勇んで挑戦される。内外を問わず、「十界」「宿命転換」の法理や「日蓮大聖人の御生涯」などへの感銘の声を、うれしく頂く昨今である。
御義口伝には、「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761ページ)と仰せである。
共に学び、教えてくれる方々にも、感謝は尽きない。受験する方も応援する方も「生命尊厳」と「人間尊敬」の最極の哲学を学ぶ誇りに胸を張っていただきたい。智慧と慈悲のスクラムで、「常楽我浄」という生命の大歓喜を地域に社会に漲らせていくのだ。
— ◇ —
98年5月、念願の韓国SGI本部を訪問した私は、世界に先駆して「21世紀の仏法ルネサンス」を進め、社会に奉仕し、人間性を広げゆく韓国の宝友を讃えた。
満20年になる今月、韓国と日本の青年部が意義深い交流を刻んでくれた。妙法で結ばれた若き地涌の連帯こそ、平和の希望だ。
生涯、正義を貫かれた牧口先生の如く、我らは、太陽の仏法の光で世界を照らしゆこう!
率先垂範の行動だ!
広布の最前線に飛び込み
拡大の渦を起こそう!
確信と情熱の名指揮を!
祈祷抄 P1352
『法華経の行者を諸の菩薩人天八部等二聖二天十羅刹等千に一も来つてまほり給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り下は九界をたぼらかす失あり』
【通解】
法華経の行者を、もろもろの菩薩・人界天界の衆生・八部衆等・二聖・二天・十羅刹女等が、千に一つも来て守護しないことがあるならば、上は釈尊等の諸仏を侮り、下は九界の衆生をたぼらかす罪科を犯すことになる。
〈寸鉄〉 2018年5月30日
池田先生の初訪中の日。友誼の金の橋を万代へ。新しき青年の交流さらに
任用試験へ研鑽の波広がる。最高の幸福学学ぶ喜び!教える側も共に成長
「言わずんばある可からず」御書。まず自分が勇気のひと声を。心の扉開け
「ごみゼロ」の日。地球的に考え足元から行動。環境保全へ善の連鎖起こせ
防災に関して家族の話し合い「ない」が4割と。気付いた時にすぐ実践!
☆新時代を進む 第29回 学ぶ誇り! 生命の大歓喜を
先師・牧口常三郎先生が誕生した6月が巡り来る。先生が57歳の年(昭和3年)に、広布の戦いを開始されて、今年で90周年となる。
仏法対話の折に、先生がよく語られた一言がある。「信仰に入るのではない。信仰の世界へ出るんだよ」
すなわち、正しい信心とは、狭く堅苦しい形式に閉ざされることではない。苦しみの流転を断ち切って、心も広々と、歓喜と福徳の世界へ自由自在に羽ばたいていくことなのである。
この希望と幸福の価値創造の翼を、万人が広げてもらいたい——これが、牧口先生の願いであった。みずみずしい青葉の季節、教学部任用試験へ研鑽する友の姿を、先生も笑顔で見守られているに違いない。
— ◇ —
「生老病死」の苦悩は、誰人も免れない。どう向き合い、どう打開していくか。
この人類の最も本源的な探求から、仏法は生まれた。ゆえに全ての人に開かれた生命の哲理といってよい。
私が対話を重ねた世界の知性も、トインビー博士をはじめ皆、生死という根本課題を真摯に見つめ、解明の智慧を求めておられた。だからこそ、仏法の生命観に深い共鳴を寄せられたのだ。
今、「仏法入門」と銘打たれた任用試験には、新入会の友はもちろん、多くの会友の方々も、多忙な中、勇んで挑戦される。内外を問わず、「十界」「宿命転換」の法理や「日蓮大聖人の御生涯」などへの感銘の声を、うれしく頂く昨今である。
御義口伝には、「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761ページ)と仰せである。
共に学び、教えてくれる方々にも、感謝は尽きない。受験する方も応援する方も「生命尊厳」と「人間尊敬」の最極の哲学を学ぶ誇りに胸を張っていただきたい。智慧と慈悲のスクラムで、「常楽我浄」という生命の大歓喜を地域に社会に漲らせていくのだ。
— ◇ —
98年5月、念願の韓国SGI本部を訪問した私は、世界に先駆して「21世紀の仏法ルネサンス」を進め、社会に奉仕し、人間性を広げゆく韓国の宝友を讃えた。
満20年になる今月、韓国と日本の青年部が意義深い交流を刻んでくれた。妙法で結ばれた若き地涌の連帯こそ、平和の希望だ。
生涯、正義を貫かれた牧口先生の如く、我らは、太陽の仏法の光で世界を照らしゆこう!
2018年5月29日火曜日
2018.05.29 わが友に贈る
真剣な勤行・唱題こそ
希望と幸福の源泉だ。
白馬が天空を駆ける如く
朗々と妙法を唱えよう!
満々たる生命力で前進!
御義口伝巻下 P758
『日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』
【通解】
一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である。
〈寸鉄〉 2018年5月29日
学会は文化交流を通して平和を生み出す—大臣。人間精神を高める大運動
広宣流布は現実社会での格闘なのだ—戸田先生。今いる場所で勝利の劇を
誠実の心、祈りの深さは速度に表れる。悩める友に励ましを!電光石火で
真理の言葉は単純—詩人自身の喜びの体験と感動を語ろう!情熱は波及す
子どもの事故防止、父親の知識不足が顕著と。子育てへの意識変革を皆で
☆御書と歩む� 第20回 新しい人材を伸ばそう
『仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ・寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし』(上野殿御返事、1574ページ)
◇通解
(人がものを教えるということは、重い車に油を塗って回りやすくし、船を水に浮かべて進みやすくすることである。)仏にたやすく成る道は、別なことではない。旱魃の時に喉が渇いた者に水を与え、寒さに凍えている者に火を与えるようなものである。
◇同志への指針
学会は究極の「善知識」の世界だ。"これほどまでに"と祈り、心を砕き、励ましてくれる父母たちがいる。幾重にも良き先輩の触発がある。ゆえに、青年が輝き光るのだ。
今、男子部の大学校生も、女子部・学生部の地涌の人材群も躍動している。
後輩を自分以上に!——この大誠実が、自他共に「人間革命」しゆく推進力だ。
希望と幸福の源泉だ。
白馬が天空を駆ける如く
朗々と妙法を唱えよう!
満々たる生命力で前進!
御義口伝巻下 P758
『日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』
【通解】
一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である。
〈寸鉄〉 2018年5月29日
学会は文化交流を通して平和を生み出す—大臣。人間精神を高める大運動
広宣流布は現実社会での格闘なのだ—戸田先生。今いる場所で勝利の劇を
誠実の心、祈りの深さは速度に表れる。悩める友に励ましを!電光石火で
真理の言葉は単純—詩人自身の喜びの体験と感動を語ろう!情熱は波及す
子どもの事故防止、父親の知識不足が顕著と。子育てへの意識変革を皆で
☆御書と歩む� 第20回 新しい人材を伸ばそう
『仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ・寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし』(上野殿御返事、1574ページ)
◇通解
(人がものを教えるということは、重い車に油を塗って回りやすくし、船を水に浮かべて進みやすくすることである。)仏にたやすく成る道は、別なことではない。旱魃の時に喉が渇いた者に水を与え、寒さに凍えている者に火を与えるようなものである。
◇同志への指針
学会は究極の「善知識」の世界だ。"これほどまでに"と祈り、心を砕き、励ましてくれる父母たちがいる。幾重にも良き先輩の触発がある。ゆえに、青年が輝き光るのだ。
今、男子部の大学校生も、女子部・学生部の地涌の人材群も躍動している。
後輩を自分以上に!——この大誠実が、自他共に「人間革命」しゆく推進力だ。
2018年5月28日月曜日
2018.05.28 わが友に贈る
◇今週のことば
任用試験の友と共進!
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
最極の生命哲理を
楽しく学び語ろう!
2018年5月28日
船守弥三郎許御書 P1445
『かかる地頭万民日蓮をにくみねだむ事鎌倉よりもすぎたり、みるものは目をひききく人はあだむ』
【通解】
この地の地頭や万民が日蓮を憎みねたむ事は鎌倉よりも激しい。日蓮を見る者は目配せをし、日蓮の名を聞く人は怨んでいる。
〈寸鉄〉 2018年5月28日
アメリカ創価大学で希望の卒業式。創立者の心を胸に。生涯、平和の大道を
宮城県婦人部の日。わが地域に慈愛と励ましの光を!福光の太陽は燦たり
他人の幸福を促進する事は人間全ての義務—哲人利他の汗光る人生は誉れ
ストレスに強い人の共通点—何でも話せる相手がいる事と。同志の絆は宝
不審火相次ぐ。建物周辺に可燃物を置くな。整理整頓で犯罪の火種を消せ
☆誓いの天地 岐阜市 2018年5月21日
◇使命の舞台で地域を支える
金華山にそびえ立つ岐阜城、鵜飼で有名な長良川。岐阜市は、歴史と文化が輝く町である。
戦国武将・織田信長が、この地一帯を平定し、地名を「岐阜」と改めて昨年で450年。その名は、古代中国の名君・周の文王が決起した「岐山」、孔子が生まれた「曲阜」に由来するともいわれる。
名古屋から電車で約20分とアクセスがよく、岐阜駅周辺は開発が進む。病院数や医師数は全国平均を上回るなど、東海地方で屈指の医療環境が整い、子どもからお年寄りまで、誰もが住みよい街づくりが進められている。
荒木栄子さん(稲葉圏、女子部部長)は介護福祉士としてグループホームで働く。
仕事を始めたばかりの頃は、利用者と思うようにコミュニケーションが取れず、感情的になってしまうこともあった。
悩みながらも、女子部の活動に参加する中で、"自分に足りないのは、相手のことを第一に考えて接する姿勢"と気付いた。
以来、毎朝、利用者の顔を思い浮かべ、健康を祈ってから出勤。次第に、利用者の言葉の後ろにある心に思いを馳せるようになった。相手を受け入れ、寄り添っていく心の余裕が生まれた。
その中で考案した職場の改善方法が評価され、2014年(平成26年)には、全国のグループホーム事業所が参加する実践・研究報告会に、中部地区の代表として参加した。
不規則な勤務形態の中でも学会活動に率先し、婦人部の先輩と共に地道に訪問・激励に歩く荒木さん。
「未来部から創価家族の中で育ちました。恩返しの思いで、地域に華陽のスクラムを広げていきます」
◇
岐阜市で生まれ育った浦田一将さん(長良大勝圏、ニュー・リーダー)・拓馬さん(同)は、双子の兄弟。兄の一将さんは建築関係の会社に勤める傍ら、ボランティアで高校生を相手にバレーボールのコーチを。高校の講師として働く拓馬さんも、バレー部の監督を務める。
父の影響でバレーボールを始め、小中高と全国大会に出場。高校時代には兄弟そろって地元・岐阜で開かれた国体にも出場した。
一将さんは昨年、牙城会大学校に入校。友人の幸福を祈り、弘教に挑んだ。
そうした中、縁あって現在のコーチの話が舞い込んだ。"バレーボールで地域に貢献したい"との願いが形になり、題目の力を実感した。昨年からヤング男子部の本部責任者に。拓馬さんも今年、男子部大学校1期生となった。
2人には、大切にしている書籍がある。それは池田先生から贈られた『青春対話』。高校時代、部活動での決意を認めた手紙に対して届けられたものだ。
未来を担う子どもと接する立場となり、再び同書を繙くように。「自身が対話拡大の先頭に立つとともに、子どもたちに、負けじ魂や団結の大切さを伝えていきたい」。2人は声を弾ませた。
◇栄光の共戦譜
●天下にそびゆる広布の城を
1959年(昭和34年)3月26日、岐阜市を訪れた池田先生は、幹部への指導会で御書を拝しつつ、語った。
「信心することも折伏することも、全部が自分の幸福のためです」
「今、どんなに苦しい宿命と戦っていても、必ず転換できる。宿命を転換し、福運を積み切っていく信仰が、日蓮仏法なのです」
大確信の講義。友の心に広宣の炎が燃え上がる。
60年(同35年)5月3日、広布史に燦然と輝く池田先生の第3代会長就任のその日、岐阜支部が誕生。
青年会長の指揮のもと、一段と広布は拡大し、72年(同47年)3月11日、岐阜本部が落成する。
開館式には先生が出席し、集まった地元の会員に温かく語った。
「10年、20年、30年とまじめに信心に励んでいってください。幸せな功徳に満ちた家庭を築いていってください」
この日、役員として参加していた宇野松子さん(長良大勝圏、圏副婦人部長)。作業していた部屋の裏口の扉が突然開き、先生が入ってきた。
「陰で支えてくださる役員の皆さん、ご苦労さま!」
そして、裏庭で宇野さんら婦人の役員と記念のカメラに納まった。「陰の人を大切にされる先生の慈愛を感じました」と宇野さん。
夫の陞さん(同、副本部長)も、男子部の部隊長として整理役員を務めていた。
その日、開館式の途中から雨が降りだした。先生は式典終了後、雨の中で片付けをしている青年部員を見つけると、側にいた幹部に言った。
「大切な青年が雨に濡れているじゃないか。すぐ中に入れてあげなさい」
近くにいた陞さんは、青年を思う師匠の真心に、衝撃にも似た感動を覚えた。
以来、宇野さん夫妻は、師との原点を胸に広布拡大にまい進。松子さんがこれまでに実らせた弘教は、100世帯を超す。秘訣は、「よく話を聞くこと」、そして「日頃の心の交流」と。今年も弘教を成就した。
陞さんは保護司を12年。自治会長も長く務め、学会では現在、圏の地域部長として奮闘する。夫妻は「報恩の心で、広布のため、地域のために二人三脚で前進します」と朗らかに語る。
◇
「よし、行こう! 岐阜へ!」
第3代会長辞任から1年後の80年(同55年)5月10日、先生は、名古屋から岐阜へ向かった。岐阜文化会館(当時)の周辺に咲き誇る、レンゲ草の花々が先生夫妻を迎えた。
障魔の嵐を耐え、広布の道を真っすぐに進んできた岐阜の友。11日に行われた支部結成20周年記念の支部長会で、先生は呼び掛けた。
「師子は鎖を断ち切った!」「私は何も変わらない。恐れるな! さあ、私と共に戦おう!」
ドクター部の川瀬晴美さん(岐阜圏、副圏長)はこの日、救護役員として、先輩と2人で待機していた。先生は会合終了後、わざわざ2人のもとを訪れ、ねぎらってくれた。
「君は将来、どのような進路に進みたいのですか」と尋ねる先生に、川瀬さんは、大学で教員として働きたいと決意を述べた。
先生は「分かった」と頷き、渾身の励ましを。漠然と抱いていた大学教員という夢が、不動の誓願に変わった瞬間だった。
川瀬さんは当時、臨床検査技師として大学病院で働いていたが、誓いを果たすため、医学部の研究生に。男子部では副本部長、壮年部でも支部長、本部長など、広布の最前線を走りながら、時には深夜まで研究にいそしんだ。
2006年(平成18年)、念願の医学博士号を取得。県内の大学で教壇に立ちつつ、山間部の遠隔医療にも携わる。「先生との約束を果たそうと挑戦を続けてきたからこそ、今の私があります。生涯、師との誓いに生きる人生を貫きます」
◇
先生は同日、各務原文化会館へ。その帰路、会員宅を訪れ、居合わせた同志を激励している。
神谷千代子さん(長良圏、地区副婦人部長)は、長男・広志さん(同、副圏長)の妻・和美さん(同、婦人部副本部長)と、幼い孫の友子さん、清志さんを連れて、4人で駆け付けた。
「先生は私たちを包み込むように、両手をばっと広げられ、子どもたちの頭をなでてくださいました」
先生は「お孫さんだね」と優しく千代子さんに語り掛け、心からの期待の言葉を贈った。
千代子さんは貧乏のどん底の中、59年(昭和34年)に入会。みかん箱に御本尊を御安置して祈った。数年後、左官職人だった夫が独立し、経済的にも安定していった。50年以上前から自宅を広布の会場に提供している。
"皆が楽しく暮らせる地域に"と始めた、ちぎり絵の同好会には多くの友人が参加。92歳の今も、押し車を使いながら対話に歩く日々だ。
和美さんは大病を乗り越え、地域活動にも率先。孫の友子さんは地区婦人部長として広布に駆ける。清志さんは関西創価中学・高校、創価大学を卒業し、愛知県で教育関係の仕事に従事する。
今、4人の子ども、8人の孫、6人のひ孫に囲まれる千代子さん。
「先生のお陰で、"私ほど幸せな者はいない"と言える境涯になりました。その感謝を忘れず、"いよいよ、これから"との心で広布に走ります」
◇
先生は岐阜の友への万感の思いをつづっている。
「広宣流布の歴史を着実に進めてきた天下の岐阜よ! 天下にそびゆる、広宣流布の栄光城よ! いついつまでも勝ちゆけ! そして、日本一の楽しき同志の和楽の団結を示してくれ給え!」
本年12月の岐阜広布65周年へ、友は天下に輝く栄光の人材城を築きゆく。
任用試験の友と共進!
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
最極の生命哲理を
楽しく学び語ろう!
2018年5月28日
船守弥三郎許御書 P1445
『かかる地頭万民日蓮をにくみねだむ事鎌倉よりもすぎたり、みるものは目をひききく人はあだむ』
【通解】
この地の地頭や万民が日蓮を憎みねたむ事は鎌倉よりも激しい。日蓮を見る者は目配せをし、日蓮の名を聞く人は怨んでいる。
〈寸鉄〉 2018年5月28日
アメリカ創価大学で希望の卒業式。創立者の心を胸に。生涯、平和の大道を
宮城県婦人部の日。わが地域に慈愛と励ましの光を!福光の太陽は燦たり
他人の幸福を促進する事は人間全ての義務—哲人利他の汗光る人生は誉れ
ストレスに強い人の共通点—何でも話せる相手がいる事と。同志の絆は宝
不審火相次ぐ。建物周辺に可燃物を置くな。整理整頓で犯罪の火種を消せ
☆誓いの天地 岐阜市 2018年5月21日
◇使命の舞台で地域を支える
金華山にそびえ立つ岐阜城、鵜飼で有名な長良川。岐阜市は、歴史と文化が輝く町である。
戦国武将・織田信長が、この地一帯を平定し、地名を「岐阜」と改めて昨年で450年。その名は、古代中国の名君・周の文王が決起した「岐山」、孔子が生まれた「曲阜」に由来するともいわれる。
名古屋から電車で約20分とアクセスがよく、岐阜駅周辺は開発が進む。病院数や医師数は全国平均を上回るなど、東海地方で屈指の医療環境が整い、子どもからお年寄りまで、誰もが住みよい街づくりが進められている。
荒木栄子さん(稲葉圏、女子部部長)は介護福祉士としてグループホームで働く。
仕事を始めたばかりの頃は、利用者と思うようにコミュニケーションが取れず、感情的になってしまうこともあった。
悩みながらも、女子部の活動に参加する中で、"自分に足りないのは、相手のことを第一に考えて接する姿勢"と気付いた。
以来、毎朝、利用者の顔を思い浮かべ、健康を祈ってから出勤。次第に、利用者の言葉の後ろにある心に思いを馳せるようになった。相手を受け入れ、寄り添っていく心の余裕が生まれた。
その中で考案した職場の改善方法が評価され、2014年(平成26年)には、全国のグループホーム事業所が参加する実践・研究報告会に、中部地区の代表として参加した。
不規則な勤務形態の中でも学会活動に率先し、婦人部の先輩と共に地道に訪問・激励に歩く荒木さん。
「未来部から創価家族の中で育ちました。恩返しの思いで、地域に華陽のスクラムを広げていきます」
◇
岐阜市で生まれ育った浦田一将さん(長良大勝圏、ニュー・リーダー)・拓馬さん(同)は、双子の兄弟。兄の一将さんは建築関係の会社に勤める傍ら、ボランティアで高校生を相手にバレーボールのコーチを。高校の講師として働く拓馬さんも、バレー部の監督を務める。
父の影響でバレーボールを始め、小中高と全国大会に出場。高校時代には兄弟そろって地元・岐阜で開かれた国体にも出場した。
一将さんは昨年、牙城会大学校に入校。友人の幸福を祈り、弘教に挑んだ。
そうした中、縁あって現在のコーチの話が舞い込んだ。"バレーボールで地域に貢献したい"との願いが形になり、題目の力を実感した。昨年からヤング男子部の本部責任者に。拓馬さんも今年、男子部大学校1期生となった。
2人には、大切にしている書籍がある。それは池田先生から贈られた『青春対話』。高校時代、部活動での決意を認めた手紙に対して届けられたものだ。
未来を担う子どもと接する立場となり、再び同書を繙くように。「自身が対話拡大の先頭に立つとともに、子どもたちに、負けじ魂や団結の大切さを伝えていきたい」。2人は声を弾ませた。
◇栄光の共戦譜
●天下にそびゆる広布の城を
1959年(昭和34年)3月26日、岐阜市を訪れた池田先生は、幹部への指導会で御書を拝しつつ、語った。
「信心することも折伏することも、全部が自分の幸福のためです」
「今、どんなに苦しい宿命と戦っていても、必ず転換できる。宿命を転換し、福運を積み切っていく信仰が、日蓮仏法なのです」
大確信の講義。友の心に広宣の炎が燃え上がる。
60年(同35年)5月3日、広布史に燦然と輝く池田先生の第3代会長就任のその日、岐阜支部が誕生。
青年会長の指揮のもと、一段と広布は拡大し、72年(同47年)3月11日、岐阜本部が落成する。
開館式には先生が出席し、集まった地元の会員に温かく語った。
「10年、20年、30年とまじめに信心に励んでいってください。幸せな功徳に満ちた家庭を築いていってください」
この日、役員として参加していた宇野松子さん(長良大勝圏、圏副婦人部長)。作業していた部屋の裏口の扉が突然開き、先生が入ってきた。
「陰で支えてくださる役員の皆さん、ご苦労さま!」
そして、裏庭で宇野さんら婦人の役員と記念のカメラに納まった。「陰の人を大切にされる先生の慈愛を感じました」と宇野さん。
夫の陞さん(同、副本部長)も、男子部の部隊長として整理役員を務めていた。
その日、開館式の途中から雨が降りだした。先生は式典終了後、雨の中で片付けをしている青年部員を見つけると、側にいた幹部に言った。
「大切な青年が雨に濡れているじゃないか。すぐ中に入れてあげなさい」
近くにいた陞さんは、青年を思う師匠の真心に、衝撃にも似た感動を覚えた。
以来、宇野さん夫妻は、師との原点を胸に広布拡大にまい進。松子さんがこれまでに実らせた弘教は、100世帯を超す。秘訣は、「よく話を聞くこと」、そして「日頃の心の交流」と。今年も弘教を成就した。
陞さんは保護司を12年。自治会長も長く務め、学会では現在、圏の地域部長として奮闘する。夫妻は「報恩の心で、広布のため、地域のために二人三脚で前進します」と朗らかに語る。
◇
「よし、行こう! 岐阜へ!」
第3代会長辞任から1年後の80年(同55年)5月10日、先生は、名古屋から岐阜へ向かった。岐阜文化会館(当時)の周辺に咲き誇る、レンゲ草の花々が先生夫妻を迎えた。
障魔の嵐を耐え、広布の道を真っすぐに進んできた岐阜の友。11日に行われた支部結成20周年記念の支部長会で、先生は呼び掛けた。
「師子は鎖を断ち切った!」「私は何も変わらない。恐れるな! さあ、私と共に戦おう!」
ドクター部の川瀬晴美さん(岐阜圏、副圏長)はこの日、救護役員として、先輩と2人で待機していた。先生は会合終了後、わざわざ2人のもとを訪れ、ねぎらってくれた。
「君は将来、どのような進路に進みたいのですか」と尋ねる先生に、川瀬さんは、大学で教員として働きたいと決意を述べた。
先生は「分かった」と頷き、渾身の励ましを。漠然と抱いていた大学教員という夢が、不動の誓願に変わった瞬間だった。
川瀬さんは当時、臨床検査技師として大学病院で働いていたが、誓いを果たすため、医学部の研究生に。男子部では副本部長、壮年部でも支部長、本部長など、広布の最前線を走りながら、時には深夜まで研究にいそしんだ。
2006年(平成18年)、念願の医学博士号を取得。県内の大学で教壇に立ちつつ、山間部の遠隔医療にも携わる。「先生との約束を果たそうと挑戦を続けてきたからこそ、今の私があります。生涯、師との誓いに生きる人生を貫きます」
◇
先生は同日、各務原文化会館へ。その帰路、会員宅を訪れ、居合わせた同志を激励している。
神谷千代子さん(長良圏、地区副婦人部長)は、長男・広志さん(同、副圏長)の妻・和美さん(同、婦人部副本部長)と、幼い孫の友子さん、清志さんを連れて、4人で駆け付けた。
「先生は私たちを包み込むように、両手をばっと広げられ、子どもたちの頭をなでてくださいました」
先生は「お孫さんだね」と優しく千代子さんに語り掛け、心からの期待の言葉を贈った。
千代子さんは貧乏のどん底の中、59年(昭和34年)に入会。みかん箱に御本尊を御安置して祈った。数年後、左官職人だった夫が独立し、経済的にも安定していった。50年以上前から自宅を広布の会場に提供している。
"皆が楽しく暮らせる地域に"と始めた、ちぎり絵の同好会には多くの友人が参加。92歳の今も、押し車を使いながら対話に歩く日々だ。
和美さんは大病を乗り越え、地域活動にも率先。孫の友子さんは地区婦人部長として広布に駆ける。清志さんは関西創価中学・高校、創価大学を卒業し、愛知県で教育関係の仕事に従事する。
今、4人の子ども、8人の孫、6人のひ孫に囲まれる千代子さん。
「先生のお陰で、"私ほど幸せな者はいない"と言える境涯になりました。その感謝を忘れず、"いよいよ、これから"との心で広布に走ります」
◇
先生は岐阜の友への万感の思いをつづっている。
「広宣流布の歴史を着実に進めてきた天下の岐阜よ! 天下にそびゆる、広宣流布の栄光城よ! いついつまでも勝ちゆけ! そして、日本一の楽しき同志の和楽の団結を示してくれ給え!」
本年12月の岐阜広布65周年へ、友は天下に輝く栄光の人材城を築きゆく。
2018年5月27日日曜日
2018.05.27 わが友に贈る
「たすくる者
強ければらうれず」
仕事・育児・介護など
多忙を極める友にこそ
徹して理解と励ましを!
撰時抄 P289
『現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか』
【通解】
(仏法においては)事実、勝れていることを勝れているということは、慢に似ているようだが、じつは大功徳となるのである。
〈寸鉄〉 2018年5月27日
SGIの広がりは平和の推進を意味する—市議。誇り高く希望の連帯拡大
神奈川婦人部の日。地域にさわやかな対話の風!勝利を開く正義の太陽よ
友を仏の如く敬えば広布は進む—戸田先生。これ幹部の心得。感謝忘れず
情熱を持った人は人々の情熱の対象となる—詩人一人立て!闘魂は伝わる
10代の自転車事故多し。前輪に傘や鞄挟んで転倒と。使用法と規則守って
☆虹を懸ける 池田先生とパナマ� 2018年5月20日
◇福運の桜花に包まれた人生を
北南米を結ぶ地峡に位置する中米パナマ。太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河がある"世界の十字路"でも、SGIの友の活躍が目覚ましい。同国に妙法の種子がまかれて50年余り。メンバーは、池田先生の3度の訪問を原点に、共感と理解の輪を広げてきた。パナマでつづられた師弟のドラマを紹介する。
北海道よりやや小さい国土に、約400万人が暮らすパナマ。
同国で活動するSGIの陣容は現在、9本部26支部まで発展し、高層ビルが林立する都市部にも、コーヒー畑が広がる地方部にも、幸福の楽土建設に尽くす創価の友がいる。
パナマSGIでは、これまで環境展示や平和フォーラムなどを開催。草の根の対話で、平和・文化・教育運動を多角的に推進してきた。その地道な貢献に対し、教育省の最高栄誉が贈られるなど、各界から厚い信頼が寄せられている。
——パナマ広布の始まりは、今から53年前にさかのぼる。
当時、運河とその周辺地域には、米軍基地が置かれていた。そこに赴任してきた軍人の妻たちの中に、SGIメンバーがいた。
1965年10月に7人で「班」が結成されると、翌年に「地区」、68年に「支部」へと発展していった。
「いつか池田先生をパナマに!」——それが草創の母たちの願いだった。彼女らが夫の軍務の関係で別の地に移った後も、この熱願は現地の人々に受け継がれていた。
待ちに待った"その日"がやって来たのは74年3月。
この時、池田先生はアメリカ・ロサンゼルス近郊にいた。
13日にブラジル入りを控えていたが、軍事政権下でビザが発給されず、予定を変えざるを得ない状況にあったのである。
断腸の思いでブラジル行きの中止を決めた先生は、前日の12日に行程を変更し、メンバーや政府から強い訪問の要請を受けていたパナマへ向かうことを決断したのだった。
"池田先生来る"の報は、瞬く間にパナマ中を駆け巡った。
元々、この平和旅で先生が中米上空を通過することを聞いていたメンバーは、会館等で無事故と大成功を祈ってきた。
そこに、パナマ訪問決定の知らせを耳にした同志が次から次へとやって来る。師の来訪を祈る題目のうねりは、日に日に大きくなっていった。
それから1週間後の18日午後7時過ぎ。先生はパナマの空港に降り立った。
すでに日は暮れていたが、懐中電灯や国旗を振って出迎える友また友。歓迎ムードに染まる空港には、メンバーやその家族、政府高官に加え、報道陣など約1500人が詰め掛けていた。
「あの日の光景を忘れたことはありません」
こう振り返るのは、マルタ・リベラさん(白ゆり長)。その半年前に入会したばかりだった。
信心との出あいは、71年。消化器系の疾患がある息子を救いたいと、わらをもつかむ思いで唱題を始めた。すると、息子の体調は少しずつ改善。やがて、胃腸の不調がぴたりとやんだ。
感謝の心で役員やコーラスの一員として、先生を迎えたリベラさん。訪問中には、たびたび先生の振る舞いを間近で目にした。
「日本語は分かりませんでしたが、先生の一挙手一投足に、感動の連続でした。握手をしていただいた時には、力強いエネルギーを感じました」
当時は夫が働きながら大学で学んでいた頃で、経済苦に悩まされていた。師の激励を胸に、さらなる宿命転換を決意したリベラさんは、先生の訪問直後、歯科助手としての仕事を得る。後年には資格を取得して歯科専門の診療放射線技師に。経済革命を成し遂げた。
広布の最前線で訪問・激励に徹するリベラさん。師の真心を同志に語り伝える毎日だ。
◇師弟に生きる
滞在2日目となる19日、池田先生は同国最初の国立大学である名門・パナマ大学へ。ロムロ・エスコバール・ベタンクール総長と会談し、大学の在り方や民間外交について意見を交わした。
「私の全ての尊敬と感謝の念を込めて歓迎します」と言う総長。
先生が友情のしるしとして、英文の蔵書3000冊の寄贈を申し出ると、「これを教育交流の輝ける第一歩としていきたい」と謝意を述べた。
未来を見つめた対談は、終始、和やかな雰囲気の中で行われた。
エドウィン・モリーナさんは、こうしたやりとりを感動の面持ちで見つめながら、夢中でカメラのシャッターを切った。
同大学の視聴覚コミュニケーション研究所の担当教授だったモリーナさん。先生の歴史的な来訪の一部始終を残そうと、随行の記録係を買って出ていたのだ。
いくつもの機材を抱えながら奮闘するモリーナさんに、先生はパナマを旅立つ直前、書籍に「いついつまでも英知と福運が輝き光ることを祈りつつ」と揮毫して贈った。
「この時の激励が、いつも私を鼓舞し、最大の支えになってきました」
モリーナさんはその後、支部長、本部長、副理事長などを歴任。90年代、パナマに宗門事件の嵐が吹き荒れた際には、マルティネス前理事長らと共に同志を守り抜いた。
仕事では、大学総長や大統領からの要請で国家プロジェクトに携わり、外交団の一人としてアメリカ大陸の各国が集うサミットに参加したことも。
「どんな困難も、全て勇気の信心で乗り越えてくることができました。先生の弟子として歩んでこられたこと自体が、人生最大の喜びです」
◇20年を目標に
この19日の午後、池田先生はパナマ会館の開所式に出席。"幼児が20年もすれば立派な大人になるように、まずは一人一人が「信心20年」を目標にして、パナマの平和と繁栄を担う第一人者になってください"と訴えた。
夜には、パナマ市内で行われた最高指導会議へ。全参加者の総意で、パナマ支部を「本部」にすることが決定した。
翌20日には、再びパナマ大学を訪れ、大会議室を借りて行われたメンバーの集いでスピーチ。1000人を超す参加者の中には、大学関係者や学生たちの姿もあった。
「非常に有意義な価値ある日々を過ごすことができ、心から感謝の意を申し上げたい」
先生は、陰に陽に尽力してくれた友に御礼を述べると、パナマ国歌の斉唱を提案。その後、仏教の成り立ちや宿命転換の法理などを懇談的に指導した。
「どうかパナマの愛する皆さん! 福運の桜花に包まれた人生を築き、パナマの輝く"平和の主役"となってください」
そしてスピーチを終えると、最前列にいたメンバーの元に行き、一人一人の手を握り、抱きかかえるようにして励ました。
「あの頃は、分かりやすく仏法を説明できる人は誰もいませんでした。先生のスピーチは、それまでの"奇跡を願うような信仰の姿勢"から、"自身の人間革命を懸けて、努力と向上を重ねる生き方"へと、一変させてくれました」
こう述懐するのは、プロスコピオ・ロンドーニョさん(地区部長)。幼少期は、重度のぜんそくに悩まされ、3日に1回は病院に通い、注射を打っていた。
師との出会いを機に、地道に行学の二道を歩んだロンドーニョさんは、着実に健康を取り戻していく。やがて、ぜんそくは完治。入会20年目となった87年、先生の第3次訪問で創価班の一員として任務に就いたことが生涯の誉れだ。
◇ ◆ ◇
3泊4日の訪問最終日(21日)。空港は、別れを惜しむ人たちであふれていた。
「ムーチャス・グラシアス(スペイン語で「大変にありがとうございました」)!」と国旗を振るメンバー。
先生も手渡された国旗を両手に持ち、同志の真心に応える。
「"帰ります"ではありません。行ってまいります!」。そう言って、次の目的地であるペルーへと飛び立ったのである。
その言葉を聞いた友は「アディオス(さようなら)」ではなく、再会を誓い、こう言って先生を見送った。
「アスタ・ルエゴ(また会いましょう)」
この"約束"は、7年後の81年に果たされることになる。
強ければらうれず」
仕事・育児・介護など
多忙を極める友にこそ
徹して理解と励ましを!
撰時抄 P289
『現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか』
【通解】
(仏法においては)事実、勝れていることを勝れているということは、慢に似ているようだが、じつは大功徳となるのである。
〈寸鉄〉 2018年5月27日
SGIの広がりは平和の推進を意味する—市議。誇り高く希望の連帯拡大
神奈川婦人部の日。地域にさわやかな対話の風!勝利を開く正義の太陽よ
友を仏の如く敬えば広布は進む—戸田先生。これ幹部の心得。感謝忘れず
情熱を持った人は人々の情熱の対象となる—詩人一人立て!闘魂は伝わる
10代の自転車事故多し。前輪に傘や鞄挟んで転倒と。使用法と規則守って
☆虹を懸ける 池田先生とパナマ� 2018年5月20日
◇福運の桜花に包まれた人生を
北南米を結ぶ地峡に位置する中米パナマ。太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河がある"世界の十字路"でも、SGIの友の活躍が目覚ましい。同国に妙法の種子がまかれて50年余り。メンバーは、池田先生の3度の訪問を原点に、共感と理解の輪を広げてきた。パナマでつづられた師弟のドラマを紹介する。
北海道よりやや小さい国土に、約400万人が暮らすパナマ。
同国で活動するSGIの陣容は現在、9本部26支部まで発展し、高層ビルが林立する都市部にも、コーヒー畑が広がる地方部にも、幸福の楽土建設に尽くす創価の友がいる。
パナマSGIでは、これまで環境展示や平和フォーラムなどを開催。草の根の対話で、平和・文化・教育運動を多角的に推進してきた。その地道な貢献に対し、教育省の最高栄誉が贈られるなど、各界から厚い信頼が寄せられている。
——パナマ広布の始まりは、今から53年前にさかのぼる。
当時、運河とその周辺地域には、米軍基地が置かれていた。そこに赴任してきた軍人の妻たちの中に、SGIメンバーがいた。
1965年10月に7人で「班」が結成されると、翌年に「地区」、68年に「支部」へと発展していった。
「いつか池田先生をパナマに!」——それが草創の母たちの願いだった。彼女らが夫の軍務の関係で別の地に移った後も、この熱願は現地の人々に受け継がれていた。
待ちに待った"その日"がやって来たのは74年3月。
この時、池田先生はアメリカ・ロサンゼルス近郊にいた。
13日にブラジル入りを控えていたが、軍事政権下でビザが発給されず、予定を変えざるを得ない状況にあったのである。
断腸の思いでブラジル行きの中止を決めた先生は、前日の12日に行程を変更し、メンバーや政府から強い訪問の要請を受けていたパナマへ向かうことを決断したのだった。
"池田先生来る"の報は、瞬く間にパナマ中を駆け巡った。
元々、この平和旅で先生が中米上空を通過することを聞いていたメンバーは、会館等で無事故と大成功を祈ってきた。
そこに、パナマ訪問決定の知らせを耳にした同志が次から次へとやって来る。師の来訪を祈る題目のうねりは、日に日に大きくなっていった。
それから1週間後の18日午後7時過ぎ。先生はパナマの空港に降り立った。
すでに日は暮れていたが、懐中電灯や国旗を振って出迎える友また友。歓迎ムードに染まる空港には、メンバーやその家族、政府高官に加え、報道陣など約1500人が詰め掛けていた。
「あの日の光景を忘れたことはありません」
こう振り返るのは、マルタ・リベラさん(白ゆり長)。その半年前に入会したばかりだった。
信心との出あいは、71年。消化器系の疾患がある息子を救いたいと、わらをもつかむ思いで唱題を始めた。すると、息子の体調は少しずつ改善。やがて、胃腸の不調がぴたりとやんだ。
感謝の心で役員やコーラスの一員として、先生を迎えたリベラさん。訪問中には、たびたび先生の振る舞いを間近で目にした。
「日本語は分かりませんでしたが、先生の一挙手一投足に、感動の連続でした。握手をしていただいた時には、力強いエネルギーを感じました」
当時は夫が働きながら大学で学んでいた頃で、経済苦に悩まされていた。師の激励を胸に、さらなる宿命転換を決意したリベラさんは、先生の訪問直後、歯科助手としての仕事を得る。後年には資格を取得して歯科専門の診療放射線技師に。経済革命を成し遂げた。
広布の最前線で訪問・激励に徹するリベラさん。師の真心を同志に語り伝える毎日だ。
◇師弟に生きる
滞在2日目となる19日、池田先生は同国最初の国立大学である名門・パナマ大学へ。ロムロ・エスコバール・ベタンクール総長と会談し、大学の在り方や民間外交について意見を交わした。
「私の全ての尊敬と感謝の念を込めて歓迎します」と言う総長。
先生が友情のしるしとして、英文の蔵書3000冊の寄贈を申し出ると、「これを教育交流の輝ける第一歩としていきたい」と謝意を述べた。
未来を見つめた対談は、終始、和やかな雰囲気の中で行われた。
エドウィン・モリーナさんは、こうしたやりとりを感動の面持ちで見つめながら、夢中でカメラのシャッターを切った。
同大学の視聴覚コミュニケーション研究所の担当教授だったモリーナさん。先生の歴史的な来訪の一部始終を残そうと、随行の記録係を買って出ていたのだ。
いくつもの機材を抱えながら奮闘するモリーナさんに、先生はパナマを旅立つ直前、書籍に「いついつまでも英知と福運が輝き光ることを祈りつつ」と揮毫して贈った。
「この時の激励が、いつも私を鼓舞し、最大の支えになってきました」
モリーナさんはその後、支部長、本部長、副理事長などを歴任。90年代、パナマに宗門事件の嵐が吹き荒れた際には、マルティネス前理事長らと共に同志を守り抜いた。
仕事では、大学総長や大統領からの要請で国家プロジェクトに携わり、外交団の一人としてアメリカ大陸の各国が集うサミットに参加したことも。
「どんな困難も、全て勇気の信心で乗り越えてくることができました。先生の弟子として歩んでこられたこと自体が、人生最大の喜びです」
◇20年を目標に
この19日の午後、池田先生はパナマ会館の開所式に出席。"幼児が20年もすれば立派な大人になるように、まずは一人一人が「信心20年」を目標にして、パナマの平和と繁栄を担う第一人者になってください"と訴えた。
夜には、パナマ市内で行われた最高指導会議へ。全参加者の総意で、パナマ支部を「本部」にすることが決定した。
翌20日には、再びパナマ大学を訪れ、大会議室を借りて行われたメンバーの集いでスピーチ。1000人を超す参加者の中には、大学関係者や学生たちの姿もあった。
「非常に有意義な価値ある日々を過ごすことができ、心から感謝の意を申し上げたい」
先生は、陰に陽に尽力してくれた友に御礼を述べると、パナマ国歌の斉唱を提案。その後、仏教の成り立ちや宿命転換の法理などを懇談的に指導した。
「どうかパナマの愛する皆さん! 福運の桜花に包まれた人生を築き、パナマの輝く"平和の主役"となってください」
そしてスピーチを終えると、最前列にいたメンバーの元に行き、一人一人の手を握り、抱きかかえるようにして励ました。
「あの頃は、分かりやすく仏法を説明できる人は誰もいませんでした。先生のスピーチは、それまでの"奇跡を願うような信仰の姿勢"から、"自身の人間革命を懸けて、努力と向上を重ねる生き方"へと、一変させてくれました」
こう述懐するのは、プロスコピオ・ロンドーニョさん(地区部長)。幼少期は、重度のぜんそくに悩まされ、3日に1回は病院に通い、注射を打っていた。
師との出会いを機に、地道に行学の二道を歩んだロンドーニョさんは、着実に健康を取り戻していく。やがて、ぜんそくは完治。入会20年目となった87年、先生の第3次訪問で創価班の一員として任務に就いたことが生涯の誉れだ。
◇ ◆ ◇
3泊4日の訪問最終日(21日)。空港は、別れを惜しむ人たちであふれていた。
「ムーチャス・グラシアス(スペイン語で「大変にありがとうございました」)!」と国旗を振るメンバー。
先生も手渡された国旗を両手に持ち、同志の真心に応える。
「"帰ります"ではありません。行ってまいります!」。そう言って、次の目的地であるペルーへと飛び立ったのである。
その言葉を聞いた友は「アディオス(さようなら)」ではなく、再会を誓い、こう言って先生を見送った。
「アスタ・ルエゴ(また会いましょう)」
この"約束"は、7年後の81年に果たされることになる。
2018年5月26日土曜日
2018.05.26 わが友に贈る
「未来の果」は
「現在の因」にあり。
勇んで打って出よう!
「決意即行動」
「行動即歓喜」だ!
開目抄下 P232
『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』
【通解】
詮ずるところは諸天も私を捨て給え。難にいくら遭おうとも問題ではない。身命をなげうって正法弘通に邁進するのみである。
〈寸鉄〉 2018年5月26日
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩」御書。広布誓願が創価の魂。心新たに出発
広島県女性の日。我らの対話が最高の平和の道。朗らかに心通う語らいを
苦労しない人間に、いったい何ができるか—戸田先生。青春の労苦は財産
ひったくり、各地で頻発。鞄は建物側、自転車には防犯網を。警戒心持って
大卒就職率、過去最高の98%と。若者の活躍こそ未来。公明よ、後押し更に
☆友のもとへ 池田先生の激励行 第4回 音楽隊
◇平和と文化の大英雄たれ
♪誓いの青年よ 出発は今 広布の大願 いざや果たさん……
日本中、世界中で歌われている学会歌「誓いの青年よ」。発表されたのは、2014年(平成26年)4月、「5・3」を祝賀する本部幹部会の席上である。
作曲は音楽隊有志。音楽隊に作曲を提案したのは、「山本伸一」のペンネームで作詞した池田先生である。
音楽隊の友にとって、「誓いの青年よ」の作曲に携わったことは、永遠に忘れ得ぬ黄金の歴史となった。
◆◇◆
音楽隊が結成されたのは、1954年(昭和29年)5月6日。池田先生の発案である。
出発は11人。「音楽隊の日」の淵源となった同年5月9日の初出動では、戦時中に出征兵士を送るのに使われた中古品の楽器を借りた。先生は自ら資金を工面して、楽器を贈った。
当時、先生は音楽隊に一つの提案をした。タイケ作曲の行進曲「旧友」の演奏である。だが、結成時の人数では、演奏の編成を組むことができなかった。
音楽隊が初めて「旧友」を演奏したのは、56年(同31年)3月27日、東京都内で行われた練習会。じっと聞いていた先生は語った。
「うまくなった。もっともっと音楽隊を大きくしよう!」
57年(同32年)、北海道音楽隊、関西音楽隊が誕生。翌年には、九州音楽隊が結成された。
九州音楽隊の第2代隊長を務めた種田篤郎さん(総福岡・門司共戦区、副区長)。60年(同35年)に入会し、男子部部隊長としても奮闘した。
今から48年前、思わぬ苦境に直面する。
妻が多額の借金をつくり、家を出て行った。幼子2人を抱え、早朝からゴミ収集のトラックを走らせ、夜はトランペッターとして生計を立てた。そんな生活に限界を感じ、"人生を終わりにしよう"と思い詰めたのも一度や二度ではない。
転機となったのが、73年(同48年)3月21日、北九州市内で行われた第1回九州青年部総会。種田さんの苦境の報告を聞いていた池田先生は、登壇前に種田さんを控室に招いた。
「よく来たね」。先生は2人掛けのソファに種田さんと座り、左手で肩を抱きながら近況を尋ねた。
「世間の人はいろいろ言うかもしれない。しかし、君と私との間には関係ない。男がいったん踏み込んだ広布の道だ。老い枯れるまで頑張っていこう」
そして、「最後の学会歌の指揮は、君が執るんだろう?」。
指揮は既に九州音楽隊の後任に譲っていた。だが、その瞬間、種田さんは腹を決めた。「はい! 執らせていただきます!」
先生は深々とうなずき、「じゃあ、最後の学会歌は2人でやろう」と。
総会の会場に戻った種田さん。その表情を見た後任の指揮者は、タクトを種田さんに手渡した。
扇子を手に、舞うように指揮する池田先生。種田さんは一心不乱にタクトを振った。"生涯、先生と共に広布に生きる"との誓いがあふれた。
ある時、先生は種田さんにつづり贈っている。
「僕も辛いことが多い。君も辛いことがあるだろう。しかし、仏法は勝負だ。しかし、仏法は師子王だ。
故に、学会という広布の旅路を共に再び進もうよ。
——あの日、あの時の君の指揮を僕は決して忘れまい。君も僕の舞いを忘れないでくれたまえ」
毎年、この3月21日を目指し、種田さんは苦闘に挑んだ。原点の日を迎えるたび、この日に着た背広に袖を通し、決意を深めた。
7年をかけて全ての借金を返済し、新たな家庭を築くことができた。
種田さんは音楽の喜びを伝えたいと、民音主催の市民コンサートに約450回出演。北九州市から5度、感謝状が贈られた。その後もジャズバンドを結成し、定期的にライブ活動を続けている。
2013年(平成25年)、ステージ4の膀胱がんで余命4カ月の宣告を受けた。しかし、治療が功を奏し、病は影を潜めた。その中で心筋梗塞、脳梗塞も早期発見でき、適切な治療を受けることができた。
83歳の今も現役トランペッターとして舞台に立つ。いくつもの荒波を勝ち越えた"師子の響き"が、勇気の共鳴を広げている。
◆◇◆
1974年(昭和49年)11月17日、中部音楽隊・鼓笛隊の友は、名古屋市内でパレードを行う予定だった。だが、雨がやまず、中止になった。
待機場所の中学校体育館で悔しさを募らせるメンバー。この日、愛知県体育館で本部総会が開催されることになっていた。総会前の時間を割いて、その場に先生が激励に駆け付けた。
先生は、「きょうの雨ということも意味がある。偉大な力を発揮して仕事をする人は、段階を経ていく必要がある」と強調。
続けて、「この日を楽しみにしていた大勢の市民を代表して、私が皆さんの演奏を聞きたいと思います」と。さらに、本部総会への参加も提案。場内は大歓声に包まれた。
学会歌「新世紀の歌」の演奏が始まると、先生は音楽隊・鼓笛隊の隊列の中へ。メンバーと握手し、励ましを送った。
米澤富男さん(岐阜総県・中道圏、副圏長)は、この時の出会いが原点だ。
幼少の頃、父が事業に失敗し、福岡から岐阜に引っ越した。周囲から蔑まされ、劣等感に苛まれた。その中で励ましてくれた男子部の先輩が、音楽隊員だった。
寸暇を惜しんで励ましを送る師の姿に、米澤さんは"社会で実証を示す人材に"と決意。その誓いのままの人生を歩んできた。
中学卒業後からプラスチック加工の工場で働き始めた。30代の時に独立。経営は順調だったが、バブル経済の崩壊とともに、仕事が激減した。
妻・たつ子さん(同、圏婦人部総合長)と共に祈る中、長男が勤務していた焼き肉店から話があり、チェーン店をオープン。5年で負債を返済した。
その後、"次の道へ進もう"と海鮮の飲食店を始めた。連日、多くの客が訪れる繁盛ぶりだ。
岐阜音楽隊の副隊長として岐阜中を駆け回ってきた。音楽隊での薫陶が、人間としての基礎を築いてくれた——報恩を胸に、米澤さんは、さらなる勝利の実証を誓う。
◆◇◆
1997年(平成9年)5月19日、関西戸田記念講堂で開催された本部幹部会。席上、関西吹奏楽団がアメリカのマーチ「錨を上げて」、関西の歌「常勝の空」を演奏した。
スピーチを終えた池田先生は、指揮棒を振る仕草をしながら、「きょう、指揮を執ってくれたのは?」と同楽団に問い掛けた。
指揮者は、伊勢敏之さん(総大阪・大東池田圏、壮年部員)。前日のリハーサルでは演奏の呼吸が合わず、周囲から「そんな指揮では、『常勝の空』に魂が入らない」と檄が飛んだ。
もともとトロンボーン奏者。指揮者に就任後、この時が初めての指揮だった。不安な気持ちを先輩にぶつけると、「誠心誠意の演奏は、必ず人の心に届く。思い切りやろう」と。その言葉に勇気を奮い起こし、幹部会に臨んだ。
先生は、伊勢さんと前川洋一楽団長(当時)を壇上に招き、「文化褒章第1号、おめでとう」と、学会で制定されたばかりの同章を2人に授与した。
さらに、「もっと世界に舞台をたくさんつくってあげたいんだ。その時は必ずよろしく。くれぐれも頼んだよ」と語り、「日本一、いや世界一だ」と同楽団をたたえた。
翌年5月に同講堂で行われた本部幹部会では、同楽団の演奏で、先生が学会歌「威風堂々の歌」の指揮を。伊勢さんはタクトを振りながら、師と心を合わせることの大切さを命に刻んだ。
大学卒業後、トロンボーン奏者として活動していたが、97年の本部幹部会後からは、吹奏楽指導者、指揮者としての仕事の依頼が増えた。
今、関西大学応援団吹奏楽部の音楽監督、大阪音楽大学の特任准教授を務める。多忙な中、後輩から請われて、関西吹奏楽団で指揮を執り続けている。
同楽団は80年(昭和55年)、第1次宗門事件の嵐の中、音楽隊として初となる全国大会の金賞を受賞。これまで17回、金賞に輝いている。
創価の正義を宣揚する指揮者に——伊勢さんの心には、師への誓願が赤々と燃えている。
◆◇◆
音楽隊は今、世界の30カ国以上に誕生している。妙音の調べが、地球を包む時代を迎えた。
先生は音楽隊へ万感の期待を込め、呼び掛ける。
「誓いの青年よ! 最も信頼する創価の楽雄たちよ!」
「透徹した信心と広布への大情熱で、世界をリードし、世紀をリードし続ける、平和と文化の大英雄であれ!」
世界広布の力強い前進は、創価文化の旗手・音楽隊が奏でる師弟の凱歌と共に続いていく。
「現在の因」にあり。
勇んで打って出よう!
「決意即行動」
「行動即歓喜」だ!
開目抄下 P232
『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』
【通解】
詮ずるところは諸天も私を捨て給え。難にいくら遭おうとも問題ではない。身命をなげうって正法弘通に邁進するのみである。
〈寸鉄〉 2018年5月26日
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩」御書。広布誓願が創価の魂。心新たに出発
広島県女性の日。我らの対話が最高の平和の道。朗らかに心通う語らいを
苦労しない人間に、いったい何ができるか—戸田先生。青春の労苦は財産
ひったくり、各地で頻発。鞄は建物側、自転車には防犯網を。警戒心持って
大卒就職率、過去最高の98%と。若者の活躍こそ未来。公明よ、後押し更に
☆友のもとへ 池田先生の激励行 第4回 音楽隊
◇平和と文化の大英雄たれ
♪誓いの青年よ 出発は今 広布の大願 いざや果たさん……
日本中、世界中で歌われている学会歌「誓いの青年よ」。発表されたのは、2014年(平成26年)4月、「5・3」を祝賀する本部幹部会の席上である。
作曲は音楽隊有志。音楽隊に作曲を提案したのは、「山本伸一」のペンネームで作詞した池田先生である。
音楽隊の友にとって、「誓いの青年よ」の作曲に携わったことは、永遠に忘れ得ぬ黄金の歴史となった。
◆◇◆
音楽隊が結成されたのは、1954年(昭和29年)5月6日。池田先生の発案である。
出発は11人。「音楽隊の日」の淵源となった同年5月9日の初出動では、戦時中に出征兵士を送るのに使われた中古品の楽器を借りた。先生は自ら資金を工面して、楽器を贈った。
当時、先生は音楽隊に一つの提案をした。タイケ作曲の行進曲「旧友」の演奏である。だが、結成時の人数では、演奏の編成を組むことができなかった。
音楽隊が初めて「旧友」を演奏したのは、56年(同31年)3月27日、東京都内で行われた練習会。じっと聞いていた先生は語った。
「うまくなった。もっともっと音楽隊を大きくしよう!」
57年(同32年)、北海道音楽隊、関西音楽隊が誕生。翌年には、九州音楽隊が結成された。
九州音楽隊の第2代隊長を務めた種田篤郎さん(総福岡・門司共戦区、副区長)。60年(同35年)に入会し、男子部部隊長としても奮闘した。
今から48年前、思わぬ苦境に直面する。
妻が多額の借金をつくり、家を出て行った。幼子2人を抱え、早朝からゴミ収集のトラックを走らせ、夜はトランペッターとして生計を立てた。そんな生活に限界を感じ、"人生を終わりにしよう"と思い詰めたのも一度や二度ではない。
転機となったのが、73年(同48年)3月21日、北九州市内で行われた第1回九州青年部総会。種田さんの苦境の報告を聞いていた池田先生は、登壇前に種田さんを控室に招いた。
「よく来たね」。先生は2人掛けのソファに種田さんと座り、左手で肩を抱きながら近況を尋ねた。
「世間の人はいろいろ言うかもしれない。しかし、君と私との間には関係ない。男がいったん踏み込んだ広布の道だ。老い枯れるまで頑張っていこう」
そして、「最後の学会歌の指揮は、君が執るんだろう?」。
指揮は既に九州音楽隊の後任に譲っていた。だが、その瞬間、種田さんは腹を決めた。「はい! 執らせていただきます!」
先生は深々とうなずき、「じゃあ、最後の学会歌は2人でやろう」と。
総会の会場に戻った種田さん。その表情を見た後任の指揮者は、タクトを種田さんに手渡した。
扇子を手に、舞うように指揮する池田先生。種田さんは一心不乱にタクトを振った。"生涯、先生と共に広布に生きる"との誓いがあふれた。
ある時、先生は種田さんにつづり贈っている。
「僕も辛いことが多い。君も辛いことがあるだろう。しかし、仏法は勝負だ。しかし、仏法は師子王だ。
故に、学会という広布の旅路を共に再び進もうよ。
——あの日、あの時の君の指揮を僕は決して忘れまい。君も僕の舞いを忘れないでくれたまえ」
毎年、この3月21日を目指し、種田さんは苦闘に挑んだ。原点の日を迎えるたび、この日に着た背広に袖を通し、決意を深めた。
7年をかけて全ての借金を返済し、新たな家庭を築くことができた。
種田さんは音楽の喜びを伝えたいと、民音主催の市民コンサートに約450回出演。北九州市から5度、感謝状が贈られた。その後もジャズバンドを結成し、定期的にライブ活動を続けている。
2013年(平成25年)、ステージ4の膀胱がんで余命4カ月の宣告を受けた。しかし、治療が功を奏し、病は影を潜めた。その中で心筋梗塞、脳梗塞も早期発見でき、適切な治療を受けることができた。
83歳の今も現役トランペッターとして舞台に立つ。いくつもの荒波を勝ち越えた"師子の響き"が、勇気の共鳴を広げている。
◆◇◆
1974年(昭和49年)11月17日、中部音楽隊・鼓笛隊の友は、名古屋市内でパレードを行う予定だった。だが、雨がやまず、中止になった。
待機場所の中学校体育館で悔しさを募らせるメンバー。この日、愛知県体育館で本部総会が開催されることになっていた。総会前の時間を割いて、その場に先生が激励に駆け付けた。
先生は、「きょうの雨ということも意味がある。偉大な力を発揮して仕事をする人は、段階を経ていく必要がある」と強調。
続けて、「この日を楽しみにしていた大勢の市民を代表して、私が皆さんの演奏を聞きたいと思います」と。さらに、本部総会への参加も提案。場内は大歓声に包まれた。
学会歌「新世紀の歌」の演奏が始まると、先生は音楽隊・鼓笛隊の隊列の中へ。メンバーと握手し、励ましを送った。
米澤富男さん(岐阜総県・中道圏、副圏長)は、この時の出会いが原点だ。
幼少の頃、父が事業に失敗し、福岡から岐阜に引っ越した。周囲から蔑まされ、劣等感に苛まれた。その中で励ましてくれた男子部の先輩が、音楽隊員だった。
寸暇を惜しんで励ましを送る師の姿に、米澤さんは"社会で実証を示す人材に"と決意。その誓いのままの人生を歩んできた。
中学卒業後からプラスチック加工の工場で働き始めた。30代の時に独立。経営は順調だったが、バブル経済の崩壊とともに、仕事が激減した。
妻・たつ子さん(同、圏婦人部総合長)と共に祈る中、長男が勤務していた焼き肉店から話があり、チェーン店をオープン。5年で負債を返済した。
その後、"次の道へ進もう"と海鮮の飲食店を始めた。連日、多くの客が訪れる繁盛ぶりだ。
岐阜音楽隊の副隊長として岐阜中を駆け回ってきた。音楽隊での薫陶が、人間としての基礎を築いてくれた——報恩を胸に、米澤さんは、さらなる勝利の実証を誓う。
◆◇◆
1997年(平成9年)5月19日、関西戸田記念講堂で開催された本部幹部会。席上、関西吹奏楽団がアメリカのマーチ「錨を上げて」、関西の歌「常勝の空」を演奏した。
スピーチを終えた池田先生は、指揮棒を振る仕草をしながら、「きょう、指揮を執ってくれたのは?」と同楽団に問い掛けた。
指揮者は、伊勢敏之さん(総大阪・大東池田圏、壮年部員)。前日のリハーサルでは演奏の呼吸が合わず、周囲から「そんな指揮では、『常勝の空』に魂が入らない」と檄が飛んだ。
もともとトロンボーン奏者。指揮者に就任後、この時が初めての指揮だった。不安な気持ちを先輩にぶつけると、「誠心誠意の演奏は、必ず人の心に届く。思い切りやろう」と。その言葉に勇気を奮い起こし、幹部会に臨んだ。
先生は、伊勢さんと前川洋一楽団長(当時)を壇上に招き、「文化褒章第1号、おめでとう」と、学会で制定されたばかりの同章を2人に授与した。
さらに、「もっと世界に舞台をたくさんつくってあげたいんだ。その時は必ずよろしく。くれぐれも頼んだよ」と語り、「日本一、いや世界一だ」と同楽団をたたえた。
翌年5月に同講堂で行われた本部幹部会では、同楽団の演奏で、先生が学会歌「威風堂々の歌」の指揮を。伊勢さんはタクトを振りながら、師と心を合わせることの大切さを命に刻んだ。
大学卒業後、トロンボーン奏者として活動していたが、97年の本部幹部会後からは、吹奏楽指導者、指揮者としての仕事の依頼が増えた。
今、関西大学応援団吹奏楽部の音楽監督、大阪音楽大学の特任准教授を務める。多忙な中、後輩から請われて、関西吹奏楽団で指揮を執り続けている。
同楽団は80年(昭和55年)、第1次宗門事件の嵐の中、音楽隊として初となる全国大会の金賞を受賞。これまで17回、金賞に輝いている。
創価の正義を宣揚する指揮者に——伊勢さんの心には、師への誓願が赤々と燃えている。
◆◇◆
音楽隊は今、世界の30カ国以上に誕生している。妙音の調べが、地球を包む時代を迎えた。
先生は音楽隊へ万感の期待を込め、呼び掛ける。
「誓いの青年よ! 最も信頼する創価の楽雄たちよ!」
「透徹した信心と広布への大情熱で、世界をリードし、世紀をリードし続ける、平和と文化の大英雄であれ!」
世界広布の力強い前進は、創価文化の旗手・音楽隊が奏でる師弟の凱歌と共に続いていく。
2018年5月25日金曜日
2018.05.25 わが友に贈る
友の報告・相談に
電光石火で応えよう!
そのスピードに
誠実と責任感が表れる。
信頼光るリーダーたれ!
四条金吾殿御返事 P1143
『遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし』
【通解】
遊楽とは、われわれの色法と心法、依報と正報が、ともに一念三千の当体であり、自受用身(みずから広大な法の楽しみを受け用いる身)の仏であるということではなかろうか。(したがって)法華経を持つ以外に遊楽はない。
〈寸鉄〉 2018年5月25日
座談会から希望の波を!世代超えた励ましと対話の園。皆が主役の気概で
目的が明瞭でこそ実践への信念が起こる—牧口先生。祈りは強く、具体的に
「孤独」の健康リスクはアルコール依存症に匹敵—研究。地域の絆こそ宝
熱中症による搬送急増。通気性良い衣服、帽子の着用等、暮らしの工夫を
1件の重大事故の陰には300の"ヒヤリ、ハッと"が。声掛けで危険の芽を根絶
☆地域を歩く 長野県 岡谷市 2018年5月17日
◇"感謝の花"が咲く5月
全国でたけなわの婦人部総会。
「母の日」には、感謝の気持ちを花に託して伝えよう——一般的に、そう考える壮年や青年は少なくない。
長野県は、標高の高さや一日の気温差を生かした、花の栽培が盛んな都道府県の一つである。
今回の「地域を歩く」では、そんな長野の岡谷圏(牛澤源文圏長、増澤光代婦人部長)で"感謝の花"の話を聞いた。
毎年、身近な"創価の母"に花を贈る女子部の友や、「母の日」の定番でもあるカーネーションの栽培を営んできた壮年部の友。花に込めた、それぞれの思いとは——。
◇
「創価学会母の日」を迎えた5月上旬、岡谷圏を構成する岡谷市と下諏訪町では、この佳節を寿ぐように、赤やピンク、白などのツツジが咲いていた。
「婦人部の皆さんは、娘を育てるように、女子部のメンバーに接してくださいます」——北條香奈さん(圏女子部長)はこう語る。感謝の思いで毎年5月、お世話になっている婦人部の先輩にささやかな花を贈っているという。今年は"成長の姿で恩返しする"との決意を、花に託した。
どんな思いで始めたのか。北條さんに尋ねると、一緒に贈呈しているという前任の野沢洋子さん(総県女子部長)を紹介してくれた。
「2014年の『創価学会母の日』から始めたんです」と野沢さん。「広宣流布大誓堂が完成したのが、前年の13年秋でしたので、よく覚えています」
◇"創価の母"に贈る成長・実証の恩返し
広宣流布大誓堂の完成と、野沢さんが圏女子部長に就任したのは同じ時期だったという。
当時、野沢さんは仕事でも学会活動でも自身の使命を果たそうと誓いを立てたが、なかなか友人に思うような対話拡大ができないでいた。
そんな野沢さんに、婦人部の友は「題目をあげていけば絶対に大丈夫」「本物の友情が残るよ」と、信心の確信を込めて語ってくれた。
そして、半年が過ぎた2014年の「創価学会母の日」——。
この日、女子部のメンバーは、皆で題目をあげていた。
「そこに、多くの婦人部の方が、一緒に友人の幸せを祈るため、応援に駆け付けてくださいました。いつもそんなふうに支えていただいて、"何かで感謝を伝えたい"との思いが芽生えたんです」(野沢さん)
翌日、身近な婦人部の一人一人に、小さな花を手渡す野沢さんの姿があった。
以来、毎年の「創価学会母の日」に合わせ、野沢さんたちは感謝と広布拡大への誓いを込めて、花を贈っている。
野沢さんは14年、大叔母を入会に導いた。
さらに本年は、3月に仕事と両立してきた創価大学通信教育部を卒業。4月には会社の同僚に弘教を実らせ、先日行われた信越総会を晴れやかに迎えた。
そんな野沢さんを幼い頃から見守ってきた増澤光代さん(圏婦人部長)は「本当に立派になってうれしい気持ちでいっぱいです」とほほ笑む。
婦人部の励ましで心に希望の花を咲かせた青年部メンバーは、岡谷圏に数え切れないほどいる。
花岡梨沙さん(女子地区リーダー)は13年秋に入会した。きっかけは、その年のはじめ、脳腫瘍で母・京子さんを亡くしたことだった。
もともと両親は学会員だった。亡くなる1年前に京子さんが倒れ、花岡さんは完治を祈って看病を続けていた。
悲しみに沈む花岡さんを激励してくれたのが、小阪恵子さん(圏副婦人部長)をはじめとする婦人部の友だった。
花岡さんは、折に触れて自宅を訪ねてくる小阪さんから、「いつでも相談に乗るから」と何度も声を掛けてもらった。そのたびに、元気を取り戻していく気がした。
「母の死も、寿命を1年延ばすことができたという意味で、信心の実証と捉えられるようになりました。そして自他共の幸福を祈れるようになりました」と花岡さん。現在は、小説『新・人間革命』を学ぶ創価信濃大学校に入校。また、池田華陽会御書30編も学び、苦悩を抱える友人を励ませる自分になった。
「小阪さんをはじめ、婦人部の皆さんのおかげで、前向きな自分になれたと感謝しています。ありがとうございます」
それを聞いた小阪さんは「私の方が勇気をもらって感謝しているのよ」と目を潤ませた。
カーネーションは、長野県が作付面積・出荷量ともに日本一を誇る。岡谷圏周辺は、戦後早くから栽培が始まっている。
両親の代から栽培を続けるのは、花岡英和さん(副支部長)。
大学卒業後に選んだのは会社勤め。ただ、心の片隅には"いずれ家業の栽培を継ぐ"との思いは抱いていた。
会社を退職し、栽培に本格的に携わり始めたのは1995年。当時、両親のカーネーションは農協の品評会で優秀賞や組合長賞を受賞するなど、高い評価を受けていた。
しかし、カーネーション栽培をめぐる環境は、海外の安価な品種が流通するなど、大きく変化していく。
「両親は、苦労して品質の改良に努めてきました。大学に行かせてもらった私は、カーネーションに育てられたようなものです。だから、信心の実証としても、栽培をやめるわけにはいかないという思いでした」
農業は天候や土壌などの条件が毎年違うため、"毎年1年生"ともいわれる。携わるようになった当初は、生花店でアルバイトをして一から花のことを学んだ。新しい販路を開拓したり、野菜苗の育成も手掛けたりするなどの挑戦も重ねた。
現在、たくさんの種類が出回るカーネーション。その中で、花岡さんはソネットと呼ばれる特殊な品種を育てている。
「時代の変化の中、信心のおかげで、勇気を要するいくつもの決断をしながら、今日まで栽培を続けてくることができました」——こう語る花岡さんは、これからも、カーネーションを通して信心の確信を教えてくれた両親への感謝を胸に、人生を歩んでいく。
「右も左も分からない地区部長に、婦人部の皆さんは、地域広布とは何かを教えてくださいました」——こう語るのは、村松信幸さん(支部長)。
信心強盛な両親のもとで育ち、学生部の時代までは学会活動に奔走していた。しかし、社会人になって、13年ほど信心から離れてしまった。
その後、"学会の庭"に戻ってきた村松さん。2009年の年末に、地区部長に就いた。
「そんな村松さんの姿を見て、夫は安心して亡くなりました」。村松さんが「一番お世話になった」という田中悦子さん(支部副婦人部長)は思い出す。
夫の俊光さんは生前、村松さんと共に地域広布に歩いてきた。俊光さんは、村松さんの地区部長就任から程なく、心筋梗塞で亡くなった。
以来、田中さんは、俊光さんの分まで、地区部長として奮闘する村松さんを全力で支えた。
そうした中、翌10年、村松さんは本紙に掲載された"創価の母に幸福と平和の花を!"との池田先生の指針を目にする。
"そうだ。今度の「創価学会母の日」に、日頃の感謝を込めて、花をプレゼントしよう"——こう思い立ち、カーネーションの切り花を、真心込めてラッピング。地区の婦人部の友に贈った。
その後、村松さんは地区部長時代の5年間、毎年、花を贈り続けた。
本紙の購読推進や地区総会、未来部の育成。地区の皆で築いた数々の思い出を振り返りながら、村松さんは言った。「大変だったけど、婦人部の皆さんに励ましていただいたおかげで、明るく楽しく頑張れたかな」
◇
池田先生はかつて婦人部の友を花になぞらえ、「どんなに可憐な野の花も、決して、ひ弱ではない。弱いように見えて強い。風にも、雨にも負けない。同じように、『何があっても負けない!』というのが、私たちの合言葉だ」とつづって励ました。
共に泣き、笑ってきた同志に、自身の成長と実証で応える。岡谷圏には、そんな美しい"感謝の花"が咲いていた。
電光石火で応えよう!
そのスピードに
誠実と責任感が表れる。
信頼光るリーダーたれ!
四条金吾殿御返事 P1143
『遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし』
【通解】
遊楽とは、われわれの色法と心法、依報と正報が、ともに一念三千の当体であり、自受用身(みずから広大な法の楽しみを受け用いる身)の仏であるということではなかろうか。(したがって)法華経を持つ以外に遊楽はない。
〈寸鉄〉 2018年5月25日
座談会から希望の波を!世代超えた励ましと対話の園。皆が主役の気概で
目的が明瞭でこそ実践への信念が起こる—牧口先生。祈りは強く、具体的に
「孤独」の健康リスクはアルコール依存症に匹敵—研究。地域の絆こそ宝
熱中症による搬送急増。通気性良い衣服、帽子の着用等、暮らしの工夫を
1件の重大事故の陰には300の"ヒヤリ、ハッと"が。声掛けで危険の芽を根絶
☆地域を歩く 長野県 岡谷市 2018年5月17日
◇"感謝の花"が咲く5月
全国でたけなわの婦人部総会。
「母の日」には、感謝の気持ちを花に託して伝えよう——一般的に、そう考える壮年や青年は少なくない。
長野県は、標高の高さや一日の気温差を生かした、花の栽培が盛んな都道府県の一つである。
今回の「地域を歩く」では、そんな長野の岡谷圏(牛澤源文圏長、増澤光代婦人部長)で"感謝の花"の話を聞いた。
毎年、身近な"創価の母"に花を贈る女子部の友や、「母の日」の定番でもあるカーネーションの栽培を営んできた壮年部の友。花に込めた、それぞれの思いとは——。
◇
「創価学会母の日」を迎えた5月上旬、岡谷圏を構成する岡谷市と下諏訪町では、この佳節を寿ぐように、赤やピンク、白などのツツジが咲いていた。
「婦人部の皆さんは、娘を育てるように、女子部のメンバーに接してくださいます」——北條香奈さん(圏女子部長)はこう語る。感謝の思いで毎年5月、お世話になっている婦人部の先輩にささやかな花を贈っているという。今年は"成長の姿で恩返しする"との決意を、花に託した。
どんな思いで始めたのか。北條さんに尋ねると、一緒に贈呈しているという前任の野沢洋子さん(総県女子部長)を紹介してくれた。
「2014年の『創価学会母の日』から始めたんです」と野沢さん。「広宣流布大誓堂が完成したのが、前年の13年秋でしたので、よく覚えています」
◇"創価の母"に贈る成長・実証の恩返し
広宣流布大誓堂の完成と、野沢さんが圏女子部長に就任したのは同じ時期だったという。
当時、野沢さんは仕事でも学会活動でも自身の使命を果たそうと誓いを立てたが、なかなか友人に思うような対話拡大ができないでいた。
そんな野沢さんに、婦人部の友は「題目をあげていけば絶対に大丈夫」「本物の友情が残るよ」と、信心の確信を込めて語ってくれた。
そして、半年が過ぎた2014年の「創価学会母の日」——。
この日、女子部のメンバーは、皆で題目をあげていた。
「そこに、多くの婦人部の方が、一緒に友人の幸せを祈るため、応援に駆け付けてくださいました。いつもそんなふうに支えていただいて、"何かで感謝を伝えたい"との思いが芽生えたんです」(野沢さん)
翌日、身近な婦人部の一人一人に、小さな花を手渡す野沢さんの姿があった。
以来、毎年の「創価学会母の日」に合わせ、野沢さんたちは感謝と広布拡大への誓いを込めて、花を贈っている。
野沢さんは14年、大叔母を入会に導いた。
さらに本年は、3月に仕事と両立してきた創価大学通信教育部を卒業。4月には会社の同僚に弘教を実らせ、先日行われた信越総会を晴れやかに迎えた。
そんな野沢さんを幼い頃から見守ってきた増澤光代さん(圏婦人部長)は「本当に立派になってうれしい気持ちでいっぱいです」とほほ笑む。
婦人部の励ましで心に希望の花を咲かせた青年部メンバーは、岡谷圏に数え切れないほどいる。
花岡梨沙さん(女子地区リーダー)は13年秋に入会した。きっかけは、その年のはじめ、脳腫瘍で母・京子さんを亡くしたことだった。
もともと両親は学会員だった。亡くなる1年前に京子さんが倒れ、花岡さんは完治を祈って看病を続けていた。
悲しみに沈む花岡さんを激励してくれたのが、小阪恵子さん(圏副婦人部長)をはじめとする婦人部の友だった。
花岡さんは、折に触れて自宅を訪ねてくる小阪さんから、「いつでも相談に乗るから」と何度も声を掛けてもらった。そのたびに、元気を取り戻していく気がした。
「母の死も、寿命を1年延ばすことができたという意味で、信心の実証と捉えられるようになりました。そして自他共の幸福を祈れるようになりました」と花岡さん。現在は、小説『新・人間革命』を学ぶ創価信濃大学校に入校。また、池田華陽会御書30編も学び、苦悩を抱える友人を励ませる自分になった。
「小阪さんをはじめ、婦人部の皆さんのおかげで、前向きな自分になれたと感謝しています。ありがとうございます」
それを聞いた小阪さんは「私の方が勇気をもらって感謝しているのよ」と目を潤ませた。
カーネーションは、長野県が作付面積・出荷量ともに日本一を誇る。岡谷圏周辺は、戦後早くから栽培が始まっている。
両親の代から栽培を続けるのは、花岡英和さん(副支部長)。
大学卒業後に選んだのは会社勤め。ただ、心の片隅には"いずれ家業の栽培を継ぐ"との思いは抱いていた。
会社を退職し、栽培に本格的に携わり始めたのは1995年。当時、両親のカーネーションは農協の品評会で優秀賞や組合長賞を受賞するなど、高い評価を受けていた。
しかし、カーネーション栽培をめぐる環境は、海外の安価な品種が流通するなど、大きく変化していく。
「両親は、苦労して品質の改良に努めてきました。大学に行かせてもらった私は、カーネーションに育てられたようなものです。だから、信心の実証としても、栽培をやめるわけにはいかないという思いでした」
農業は天候や土壌などの条件が毎年違うため、"毎年1年生"ともいわれる。携わるようになった当初は、生花店でアルバイトをして一から花のことを学んだ。新しい販路を開拓したり、野菜苗の育成も手掛けたりするなどの挑戦も重ねた。
現在、たくさんの種類が出回るカーネーション。その中で、花岡さんはソネットと呼ばれる特殊な品種を育てている。
「時代の変化の中、信心のおかげで、勇気を要するいくつもの決断をしながら、今日まで栽培を続けてくることができました」——こう語る花岡さんは、これからも、カーネーションを通して信心の確信を教えてくれた両親への感謝を胸に、人生を歩んでいく。
「右も左も分からない地区部長に、婦人部の皆さんは、地域広布とは何かを教えてくださいました」——こう語るのは、村松信幸さん(支部長)。
信心強盛な両親のもとで育ち、学生部の時代までは学会活動に奔走していた。しかし、社会人になって、13年ほど信心から離れてしまった。
その後、"学会の庭"に戻ってきた村松さん。2009年の年末に、地区部長に就いた。
「そんな村松さんの姿を見て、夫は安心して亡くなりました」。村松さんが「一番お世話になった」という田中悦子さん(支部副婦人部長)は思い出す。
夫の俊光さんは生前、村松さんと共に地域広布に歩いてきた。俊光さんは、村松さんの地区部長就任から程なく、心筋梗塞で亡くなった。
以来、田中さんは、俊光さんの分まで、地区部長として奮闘する村松さんを全力で支えた。
そうした中、翌10年、村松さんは本紙に掲載された"創価の母に幸福と平和の花を!"との池田先生の指針を目にする。
"そうだ。今度の「創価学会母の日」に、日頃の感謝を込めて、花をプレゼントしよう"——こう思い立ち、カーネーションの切り花を、真心込めてラッピング。地区の婦人部の友に贈った。
その後、村松さんは地区部長時代の5年間、毎年、花を贈り続けた。
本紙の購読推進や地区総会、未来部の育成。地区の皆で築いた数々の思い出を振り返りながら、村松さんは言った。「大変だったけど、婦人部の皆さんに励ましていただいたおかげで、明るく楽しく頑張れたかな」
◇
池田先生はかつて婦人部の友を花になぞらえ、「どんなに可憐な野の花も、決して、ひ弱ではない。弱いように見えて強い。風にも、雨にも負けない。同じように、『何があっても負けない!』というのが、私たちの合言葉だ」とつづって励ました。
共に泣き、笑ってきた同志に、自身の成長と実証で応える。岡谷圏には、そんな美しい"感謝の花"が咲いていた。
2018年5月24日木曜日
2018.05.24 わが友に贈る
常に前を向こう!
常に一歩進もう!
仏法は「本因妙」だ。
「今」を生き抜く人が
最後に必ず勝利する。
御義口伝巻上 P725
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり』
【通解】
いま日蓮と弟子檀那が南無妙法蓮華経と信じ唱えるが故に、自ずから求めずして、これ以上ない大宝珠を得るのである。
〈寸鉄〉 2018年5月24日
人間革命こそ現代社会に必要な哲学―市議。自分が変わる。我らが模範に
愛知広布原点の日。堅塁の同志が元気なら学会は盤石。拡大の一番星輝け
「衆流あつまりて大海と」御書。笑顔一つ、声一つ。日々の振舞が信頼の土台
昨年の詐欺1万8千件で被害額も増加―警察庁。「私は大丈夫」と過信せず
7年後に介護職員34万人不足する恐れ。長寿時代の焦点だ。公明よ舵取れ
☆「抜苦与楽」の実践 2018年5月15日
◇生きる力を引き出す医師に
今回の「生老病死を見つめて」では、医師として、長年にわたりハンセン病医療に携わってきた壮年の体験を通して、「抜苦与楽」の実践について考えたい。
◇心に刻む御聖訓
『一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』(御義口伝、御書758ページ)
◇「絶対に治らない病」との偏見
仏法では「抜苦与楽」の実践が説かれている。抜苦与楽とは、"苦を取り除き、楽を与えること"であり、仏の崇高な慈悲の行為を指す。
御書に、「一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である」(758ページ、通解)と仰せのように、日蓮大聖人は苦しみにあえぐ全民衆を救うために一人立たれ、妙法を弘通された。あらゆる人々の苦悩に同苦し、力強い励ましを送るところに、日蓮仏法の魂はある。
池田先生は抜苦与楽について語っている。
「"同苦"とは、単なる"同情"ではありません。苦しみを乗り越えるには、その人自身が生命の底力を湧き起こして、自ら強く立ち上がる以外ない」「大聖人は、門下が仏の力を奮い起こして、断じて幸福を勝ち取るよう、厳愛をもって励まされたのです」
この指導のままに、40年以上にわたりハンセン病医療と啓発活動に取り組んできたのが長尾榮治さん(74)=香川池田正義県総合長、四国副ドクター部長=である。
◇ ◆ ◇
ハンセン病は、らい菌が体内に侵入して発病する慢性の感染症で、末梢神経や皮膚などが侵されていく。らい菌の感染力は弱いが、かつては遺伝するかのように誤解されてきた。さらに、有効な治療薬がなかったために、絶対に治らない病気と恐れられた。
「多くの患者さんが差別され、忌み嫌われて、不当な苦しみを味わわされてきたハンセン病の歴史があるのです」と、長尾さんは語る。
長尾さんの入会は1962年(昭和37年)、18歳の時。先に入会していた両親は、高松市内で班長・班担当員(当時)として広布に奔走していた。班にはハンセン病の国立療養所である「大島青松園」に暮らす人々がいて、両親は激励のため、頻繁に同園に足を運んでいたという。
長尾さんも入会後、両親と共に青松園の座談会に参加。次第に、ハンセン病に関心を持つようになる。
大学の医学部を卒業後、高知や愛媛での病院勤務を経て、75年、大島青松園に赴任した。
長尾さんは当時を振り返る。
「青松園に赴任した当時は、すでに『プロミン』などの有効な治療薬が使用されていて、世界的にハンセン病は治癒可能な病となっていました。日本では、『らい予防法』が施行され、福祉の増進にも力を注ぐことが定められました。しかし、依然として患者さんたちは隔離をされた状態が続けられていました。ハンセン病への偏見が根深く浸透していたのです」
◇自分に何ができるかを問う
青松園に赴任して入所者と向き合っていく中で、長尾さんはあることに気付いた。
それは、多くの人が、病状の治まった"元患者"であるということだ。
しかし、後遺症等によって視力が低下したり、手足が不自由になったりするなど、身体に障がいが残っていて、社会での自立が困難になっている人が多かった。
「入所者の多くは、"ハンセン病は感染力が強く、治らない""血筋が悪い"とされていた頃に発症しています。治療より隔離に重点が置かれていた時代に人生の大半を過ごし、結果的に治療薬の恩恵を受けた時期も遅く、後遺症や合併症に対する十分な治療も行われなかったのです」
加えて社会には、隔離政策によって、かえって強い恐怖感が広く植え付けられることになり、治癒した後でも、不信と排除は続いていた。
そうした現実とどのように向き合うべきか、長尾さんは悩み続けたという。
長尾さんは語る。
「入所者の多くは、家族や親族との関係を断たれたままで、療養所の中で人生を終えていくしかないという絶望感や諦めの心に覆われていました。当初、そうした方に対して私が言えたのは、『皆さんの死に水を取らせてください』ということだけでした。
医師として『同苦』はできても、どうすることが『与楽』になるのか分からずに悩みました。ハンセン病医療に取り組むことは、『自分に何ができるか』を、問い続ける戦いでもあったのです」
◇「精神的な束縛」を解き放つ
長尾さんは次第に、治療に必要なことは"病自体の治癒を図る"だけではないとの思いを強くしていった。
本当に大切なのは、"患者が精神的な束縛から解き放たれ、心身共に社会の中で生き抜く力を取り戻すこと"であり、これこそが"抜苦与楽による病の克服なのだ"と考えるようになっていったのだ。
また、そのためには社会的な接点とつながりを模索し、ハンセン病への正しい知識を普及させるとともに、元患者自身が生きがいある人生を確立していくことが重要だとも思うようになったという。
「実際、全国の療養所の学会員の元に、壮年部や婦人部の同志が足しげく激励に通っていました。座談会も活発に行われ、その励ましに奮い立って、親族との交流に何十年ぶりかに挑戦する人も出てきました」
長尾さんは、沖縄の療養所をはじめ、タイやミャンマーなどにも赴任。特に沖縄では、地域医療にも参加し、入所者の外部病院への受診を可能にしたり、療養所を一般医療に開放したりするなど、入所者と一緒に地域との交流を促進しながら、啓発活動や入所者の社会復帰に取り組んできた。
この間、日本では96年に「らい予防法」等が廃止され、隔離政策などがようやく改められた。その後、98年7月には、元患者らが「国のハンセン病政策は、基本的人権を侵害するもの」として、国家賠償を求めて、熊本地裁に提訴。2001年5月、地裁は国に対して賠償を命じ、原告側の勝訴となった。さらに政府が控訴を断念し、翌月からハンセン病の療養所入所者等への補償法が公布された。
長尾さんは、こうしたハンセン病患者の戦いにも関わってきた。その中で、仏法の「生命尊厳」「万人尊敬」の精神に照らして、あらためて感じたことがある。
それは、どんな状況にあっても、「人間として生きる希望を失ってはいけない」ということであり、「よりよく生きるためには、人生の苦難と戦わなければいけない」という点である。
日蓮仏法では、人間にはあらゆる苦難を乗り越える力が本来、具わっていると説く。だからこそ長尾さんは、「一番苦しんだ人が、必ず幸せになる」との信念で、医師として患者の生きる力を引き出すための励ましを送り続けてきた。
長尾さんは語る。
「かつて池田先生はドクター部に対して、医療の技術だけをもつ『病気の医師』でなく、人間の生命を最も輝かせる生き方を示す『人間の医師』であってほしいと語られました。『人間の医師』とは、相手に同苦するとともに、希望を送り、生きる力を引き出す医師だと思います。この『人間の医師』こそ『抜苦与楽』の実践者だと肝に銘じ、さらに成長していきます!」
◇取材メモ
長尾さんが、心に刻んできた御聖訓がある。
「若し爾らずんば五体を地に投げ徧身に汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め若し爾らずんば奴婢と為って持者に奉えよ」(御書537ページ)
――信心は観念ではなく、五体を大地にたたきつけるような思いで仏道修行に取り組み、汗を流しての実践に生きる中に、その真髄がある――。長尾さんはこの御文を身読しようと、33歳で庵治(現・高松市内)の総ブロック長(当時)に就任して以来、一貫して仕事と活動の両立に挑戦。一人の悩みに寄り添うことに徹し、真心の励ましを送り続けてきた。
この間、家族の病気や経済的な悩み、そして医療訴訟といった試練にも直面したが、妻・早苗さん(73)=県婦人部主事=の支えもあり、信心根本に全てを乗り越えてくることができた。
尽きせぬ感謝を胸に、長尾さんは11年前から精神科医師として高松市内の病院に勤務し、心の病に苦しむ人々の治療に取り組んでいる。
「心の病を持つ患者さんの中には、ハンセン病同様に、偏見と差別に苦しんでいる人もいます。その人たちのために少しでも力になりたいと思い、自身の専門とは全く畑違いの分野ですが、63歳から挑戦中です」
そう笑顔で語る長尾さんの姿からは、医師として、また、信仰者としての「慈悲」と「同苦」の心を強く感じた。(秀)
常に一歩進もう!
仏法は「本因妙」だ。
「今」を生き抜く人が
最後に必ず勝利する。
御義口伝巻上 P725
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり』
【通解】
いま日蓮と弟子檀那が南無妙法蓮華経と信じ唱えるが故に、自ずから求めずして、これ以上ない大宝珠を得るのである。
〈寸鉄〉 2018年5月24日
人間革命こそ現代社会に必要な哲学―市議。自分が変わる。我らが模範に
愛知広布原点の日。堅塁の同志が元気なら学会は盤石。拡大の一番星輝け
「衆流あつまりて大海と」御書。笑顔一つ、声一つ。日々の振舞が信頼の土台
昨年の詐欺1万8千件で被害額も増加―警察庁。「私は大丈夫」と過信せず
7年後に介護職員34万人不足する恐れ。長寿時代の焦点だ。公明よ舵取れ
☆「抜苦与楽」の実践 2018年5月15日
◇生きる力を引き出す医師に
今回の「生老病死を見つめて」では、医師として、長年にわたりハンセン病医療に携わってきた壮年の体験を通して、「抜苦与楽」の実践について考えたい。
◇心に刻む御聖訓
『一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』(御義口伝、御書758ページ)
◇「絶対に治らない病」との偏見
仏法では「抜苦与楽」の実践が説かれている。抜苦与楽とは、"苦を取り除き、楽を与えること"であり、仏の崇高な慈悲の行為を指す。
御書に、「一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である」(758ページ、通解)と仰せのように、日蓮大聖人は苦しみにあえぐ全民衆を救うために一人立たれ、妙法を弘通された。あらゆる人々の苦悩に同苦し、力強い励ましを送るところに、日蓮仏法の魂はある。
池田先生は抜苦与楽について語っている。
「"同苦"とは、単なる"同情"ではありません。苦しみを乗り越えるには、その人自身が生命の底力を湧き起こして、自ら強く立ち上がる以外ない」「大聖人は、門下が仏の力を奮い起こして、断じて幸福を勝ち取るよう、厳愛をもって励まされたのです」
この指導のままに、40年以上にわたりハンセン病医療と啓発活動に取り組んできたのが長尾榮治さん(74)=香川池田正義県総合長、四国副ドクター部長=である。
◇ ◆ ◇
ハンセン病は、らい菌が体内に侵入して発病する慢性の感染症で、末梢神経や皮膚などが侵されていく。らい菌の感染力は弱いが、かつては遺伝するかのように誤解されてきた。さらに、有効な治療薬がなかったために、絶対に治らない病気と恐れられた。
「多くの患者さんが差別され、忌み嫌われて、不当な苦しみを味わわされてきたハンセン病の歴史があるのです」と、長尾さんは語る。
長尾さんの入会は1962年(昭和37年)、18歳の時。先に入会していた両親は、高松市内で班長・班担当員(当時)として広布に奔走していた。班にはハンセン病の国立療養所である「大島青松園」に暮らす人々がいて、両親は激励のため、頻繁に同園に足を運んでいたという。
長尾さんも入会後、両親と共に青松園の座談会に参加。次第に、ハンセン病に関心を持つようになる。
大学の医学部を卒業後、高知や愛媛での病院勤務を経て、75年、大島青松園に赴任した。
長尾さんは当時を振り返る。
「青松園に赴任した当時は、すでに『プロミン』などの有効な治療薬が使用されていて、世界的にハンセン病は治癒可能な病となっていました。日本では、『らい予防法』が施行され、福祉の増進にも力を注ぐことが定められました。しかし、依然として患者さんたちは隔離をされた状態が続けられていました。ハンセン病への偏見が根深く浸透していたのです」
◇自分に何ができるかを問う
青松園に赴任して入所者と向き合っていく中で、長尾さんはあることに気付いた。
それは、多くの人が、病状の治まった"元患者"であるということだ。
しかし、後遺症等によって視力が低下したり、手足が不自由になったりするなど、身体に障がいが残っていて、社会での自立が困難になっている人が多かった。
「入所者の多くは、"ハンセン病は感染力が強く、治らない""血筋が悪い"とされていた頃に発症しています。治療より隔離に重点が置かれていた時代に人生の大半を過ごし、結果的に治療薬の恩恵を受けた時期も遅く、後遺症や合併症に対する十分な治療も行われなかったのです」
加えて社会には、隔離政策によって、かえって強い恐怖感が広く植え付けられることになり、治癒した後でも、不信と排除は続いていた。
そうした現実とどのように向き合うべきか、長尾さんは悩み続けたという。
長尾さんは語る。
「入所者の多くは、家族や親族との関係を断たれたままで、療養所の中で人生を終えていくしかないという絶望感や諦めの心に覆われていました。当初、そうした方に対して私が言えたのは、『皆さんの死に水を取らせてください』ということだけでした。
医師として『同苦』はできても、どうすることが『与楽』になるのか分からずに悩みました。ハンセン病医療に取り組むことは、『自分に何ができるか』を、問い続ける戦いでもあったのです」
◇「精神的な束縛」を解き放つ
長尾さんは次第に、治療に必要なことは"病自体の治癒を図る"だけではないとの思いを強くしていった。
本当に大切なのは、"患者が精神的な束縛から解き放たれ、心身共に社会の中で生き抜く力を取り戻すこと"であり、これこそが"抜苦与楽による病の克服なのだ"と考えるようになっていったのだ。
また、そのためには社会的な接点とつながりを模索し、ハンセン病への正しい知識を普及させるとともに、元患者自身が生きがいある人生を確立していくことが重要だとも思うようになったという。
「実際、全国の療養所の学会員の元に、壮年部や婦人部の同志が足しげく激励に通っていました。座談会も活発に行われ、その励ましに奮い立って、親族との交流に何十年ぶりかに挑戦する人も出てきました」
長尾さんは、沖縄の療養所をはじめ、タイやミャンマーなどにも赴任。特に沖縄では、地域医療にも参加し、入所者の外部病院への受診を可能にしたり、療養所を一般医療に開放したりするなど、入所者と一緒に地域との交流を促進しながら、啓発活動や入所者の社会復帰に取り組んできた。
この間、日本では96年に「らい予防法」等が廃止され、隔離政策などがようやく改められた。その後、98年7月には、元患者らが「国のハンセン病政策は、基本的人権を侵害するもの」として、国家賠償を求めて、熊本地裁に提訴。2001年5月、地裁は国に対して賠償を命じ、原告側の勝訴となった。さらに政府が控訴を断念し、翌月からハンセン病の療養所入所者等への補償法が公布された。
長尾さんは、こうしたハンセン病患者の戦いにも関わってきた。その中で、仏法の「生命尊厳」「万人尊敬」の精神に照らして、あらためて感じたことがある。
それは、どんな状況にあっても、「人間として生きる希望を失ってはいけない」ということであり、「よりよく生きるためには、人生の苦難と戦わなければいけない」という点である。
日蓮仏法では、人間にはあらゆる苦難を乗り越える力が本来、具わっていると説く。だからこそ長尾さんは、「一番苦しんだ人が、必ず幸せになる」との信念で、医師として患者の生きる力を引き出すための励ましを送り続けてきた。
長尾さんは語る。
「かつて池田先生はドクター部に対して、医療の技術だけをもつ『病気の医師』でなく、人間の生命を最も輝かせる生き方を示す『人間の医師』であってほしいと語られました。『人間の医師』とは、相手に同苦するとともに、希望を送り、生きる力を引き出す医師だと思います。この『人間の医師』こそ『抜苦与楽』の実践者だと肝に銘じ、さらに成長していきます!」
◇取材メモ
長尾さんが、心に刻んできた御聖訓がある。
「若し爾らずんば五体を地に投げ徧身に汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め若し爾らずんば奴婢と為って持者に奉えよ」(御書537ページ)
――信心は観念ではなく、五体を大地にたたきつけるような思いで仏道修行に取り組み、汗を流しての実践に生きる中に、その真髄がある――。長尾さんはこの御文を身読しようと、33歳で庵治(現・高松市内)の総ブロック長(当時)に就任して以来、一貫して仕事と活動の両立に挑戦。一人の悩みに寄り添うことに徹し、真心の励ましを送り続けてきた。
この間、家族の病気や経済的な悩み、そして医療訴訟といった試練にも直面したが、妻・早苗さん(73)=県婦人部主事=の支えもあり、信心根本に全てを乗り越えてくることができた。
尽きせぬ感謝を胸に、長尾さんは11年前から精神科医師として高松市内の病院に勤務し、心の病に苦しむ人々の治療に取り組んでいる。
「心の病を持つ患者さんの中には、ハンセン病同様に、偏見と差別に苦しんでいる人もいます。その人たちのために少しでも力になりたいと思い、自身の専門とは全く畑違いの分野ですが、63歳から挑戦中です」
そう笑顔で語る長尾さんの姿からは、医師として、また、信仰者としての「慈悲」と「同苦」の心を強く感じた。(秀)
2018年5月23日水曜日
2018.05.23 わが友に贈る
確信の一言は
百万言の理論に勝る。
さあ 和楽の座談会。
皆で体験を語り合い
仲良く愉快に前進を!
光日上人御返事 P934
『何に況や今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ、母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし、其の時御対面いかにうれしかるべきいかにうれしかるべき』
【通解】
今の光日上人は、わが子を思うあまり法華経の行者となられた。よって必ず母と子がともに霊山浄土へ参ることができよう。そのときのご対面は、どんなにかうれしいことであろう。どんなにかうれしいことであろう
〈寸鉄〉 2018年5月23日
どんな人とも真っ向から渡り合える人に—戸田先生。激戦の中で己を磨け
婦人部総会を推進する全国のG長に喝采。地域を照らす主役に福徳は燦然
「足は経なり」御書。広布の為に動いた分だけ信頼は広がる。勇み友の元へ
食べられるのに捨てられる食品ロス、約半数が家庭から。意識改革が急務
80、90代も運動で筋力増強、転倒予防にも。充実した心身で人生の輝き更に
☆御書と歩む� 第19回 今日も歓喜の題目を
『口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』(法華初心成仏抄、557ページ)
◇通解
口で妙法をお呼びすれば、私たち自身の仏性も呼ばれて必ず現れる。梵王や帝釈の仏性は呼ばれて、私たちを守ってくださる。仏や菩薩の仏性は呼ばれて喜んでくださるのである。
◇同志への指針
題目の音声は、全宇宙の仏性を呼び覚ます。ひたぶるに題目を唱える人を、仏天の働きが厳然と守りに護る。
勤行は、小宇宙である自分を、大宇宙の根本のリズムに合致させゆく崇高な儀式だ。「何があっても負けない」という、絶対的な幸福境涯を築く源泉である。
さあ今日も、すがすがしい勤行・唱題から出発しよう!
☆みんなで学ぶ教学 第15回 難を乗り越える信心 2018年5月5日
◇何があっても"負けない"境涯を
信心に励む途上で、さまざまな困難や悩みにぶつかることがあります。なぜ、そうした「難」にあうのでしょう。また、どういった意味があるのでしょう。今回の「みんなで学ぶ教学」では、「難を乗り越える信心」をテーマに学びます。
◇悩みがない=幸せ?
——創価学会に入る前は、「悩みがないことが幸せだ」と思っていました。
悩みや苦しみのない生活に憧れを抱く気持ちも分かりますが、人生の途上には、苦難や課題がつきものです。
また、周囲からは幸せそうに見える人でも、心の内面が満たされているとは限りません。
私たちは、一生成仏、すなわち、この一生のうちに何ものにも揺るがない幸福境涯を築くことを目指して信心に励んでいます。
一方で、信心を実践していけば、必ず苦難に直面します。そうした苦難を、仏法では「難」といいます。
——どうして難が起こるのですか?
仏の境涯を目指す修行は、自身の生命を根底から変革する挑戦です。ゆえに、その変革を阻止しようとする働きとして、難が起こるのです。
仏道修行の過程で起こる障害に「三障四魔」があります。
日蓮大聖人は、「三障四魔」について、競い起こってきても、随っても恐れてもならないと仰せです。「三障四魔」に翻弄されないためにも、それらの内容について学びましょう。
◇「三障四魔」の内容
——「三障」とは「三つの障り」という意味でしょうか。
その通りです。「障」とは、障り、妨げの意です。信心の支障となる働きに「煩悩障」「業障」「報障」があります。
煩悩障とは、貪り、瞋り、癡かなどの自身の煩悩(心身を煩わせ悩ませる心の働き)が修行の妨げとなることをいいます。
業障とは、悪業(心身に関わる過去の悪い行為)により生じ、私たちの信仰を妨げるものです。大聖人は、例として、妻子など身近な存在によって起こると仰せです。
報障とは、過去世の悪業の報いとして、現世に受けた悪い境涯が仏道修行の障害となることをいいます。大聖人は、自身に強い影響を与える権力者や父母などによって起こる妨げを配当されています。
——「魔」というと、「睡魔」「邪魔」といった言葉を連想しますが……。
「魔」とは、古代インドの言葉「マーラ」を漢字で表したもので、「奪命者」「奪功徳者」と訳されます。仏道修行者の心を悩まし、破壊しようとする働きのことで、「四魔」には、「陰魔」「煩悩魔」「死魔」「天子魔」があります。
陰魔とは、修行者の五陰(心身の働き)の不調和が妨げとなることです。
煩悩魔とは、煩悩によって信心が破壊されることです。
死魔とは、修行者の生命を絶つことで信仰を妨げようとする働きです。修行者の死をもって他の修行者に信心の疑いを起こさせることも、死魔の働きといえるでしょう。
天子魔とは、生命の根本的な迷いから起こる魔です。「第六天の魔王」ともいい、権力などありとあらゆる力を使って修行者に迫害を加えます。
池田先生は、「大事なのは、魔を魔と見破る眼を持つことである。そのために、教学があり、信心があるのだ」と教えられています。
◇困難を前進のバネに
——なんだか、怖くなってきました。
大丈夫ですよ。御聖訓には、「難が来たことをもって安楽と心得るべきである」(御書750ページ、通解)とあります。
信心に励む途上で直面する難は、たとえるならば、船が進む時に波の抵抗が起こるようなものです。その波浪を押し切ることによって境涯は開かれます。あたかもサーフィンをする際、サーファーが、向かってくる荒波を楽しむようなものです。
——困難を成長のエネルギーにすればいいのですね。
その通りです。その上で大切なことは、煩悩や家族の問題、心身の不調、死といっても、それら自体が障魔ではない、ということです。これに引きずられてしまう弱い生命、つまり、信心の迷いによって魔の働きとなってしまうのです。
大聖人は「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)と仰せです。
三障四魔が出現した時こそ、信心を深める好機と確信して、むしろ喜ぶ"賢者の信心"で挑戦を続けることが大切なのです。
◇放課後メモ
「難を乗り越える信心」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…『創価学会永遠の五指針』65ページ(聖教新聞社)
○…指導選集『幸福と平和を創る智慧』第2部[中]135ページ(同)
○…『教学入門』89ページ(同)
百万言の理論に勝る。
さあ 和楽の座談会。
皆で体験を語り合い
仲良く愉快に前進を!
光日上人御返事 P934
『何に況や今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ、母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし、其の時御対面いかにうれしかるべきいかにうれしかるべき』
【通解】
今の光日上人は、わが子を思うあまり法華経の行者となられた。よって必ず母と子がともに霊山浄土へ参ることができよう。そのときのご対面は、どんなにかうれしいことであろう。どんなにかうれしいことであろう
〈寸鉄〉 2018年5月23日
どんな人とも真っ向から渡り合える人に—戸田先生。激戦の中で己を磨け
婦人部総会を推進する全国のG長に喝采。地域を照らす主役に福徳は燦然
「足は経なり」御書。広布の為に動いた分だけ信頼は広がる。勇み友の元へ
食べられるのに捨てられる食品ロス、約半数が家庭から。意識改革が急務
80、90代も運動で筋力増強、転倒予防にも。充実した心身で人生の輝き更に
☆御書と歩む� 第19回 今日も歓喜の題目を
『口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』(法華初心成仏抄、557ページ)
◇通解
口で妙法をお呼びすれば、私たち自身の仏性も呼ばれて必ず現れる。梵王や帝釈の仏性は呼ばれて、私たちを守ってくださる。仏や菩薩の仏性は呼ばれて喜んでくださるのである。
◇同志への指針
題目の音声は、全宇宙の仏性を呼び覚ます。ひたぶるに題目を唱える人を、仏天の働きが厳然と守りに護る。
勤行は、小宇宙である自分を、大宇宙の根本のリズムに合致させゆく崇高な儀式だ。「何があっても負けない」という、絶対的な幸福境涯を築く源泉である。
さあ今日も、すがすがしい勤行・唱題から出発しよう!
☆みんなで学ぶ教学 第15回 難を乗り越える信心 2018年5月5日
◇何があっても"負けない"境涯を
信心に励む途上で、さまざまな困難や悩みにぶつかることがあります。なぜ、そうした「難」にあうのでしょう。また、どういった意味があるのでしょう。今回の「みんなで学ぶ教学」では、「難を乗り越える信心」をテーマに学びます。
◇悩みがない=幸せ?
——創価学会に入る前は、「悩みがないことが幸せだ」と思っていました。
悩みや苦しみのない生活に憧れを抱く気持ちも分かりますが、人生の途上には、苦難や課題がつきものです。
また、周囲からは幸せそうに見える人でも、心の内面が満たされているとは限りません。
私たちは、一生成仏、すなわち、この一生のうちに何ものにも揺るがない幸福境涯を築くことを目指して信心に励んでいます。
一方で、信心を実践していけば、必ず苦難に直面します。そうした苦難を、仏法では「難」といいます。
——どうして難が起こるのですか?
仏の境涯を目指す修行は、自身の生命を根底から変革する挑戦です。ゆえに、その変革を阻止しようとする働きとして、難が起こるのです。
仏道修行の過程で起こる障害に「三障四魔」があります。
日蓮大聖人は、「三障四魔」について、競い起こってきても、随っても恐れてもならないと仰せです。「三障四魔」に翻弄されないためにも、それらの内容について学びましょう。
◇「三障四魔」の内容
——「三障」とは「三つの障り」という意味でしょうか。
その通りです。「障」とは、障り、妨げの意です。信心の支障となる働きに「煩悩障」「業障」「報障」があります。
煩悩障とは、貪り、瞋り、癡かなどの自身の煩悩(心身を煩わせ悩ませる心の働き)が修行の妨げとなることをいいます。
業障とは、悪業(心身に関わる過去の悪い行為)により生じ、私たちの信仰を妨げるものです。大聖人は、例として、妻子など身近な存在によって起こると仰せです。
報障とは、過去世の悪業の報いとして、現世に受けた悪い境涯が仏道修行の障害となることをいいます。大聖人は、自身に強い影響を与える権力者や父母などによって起こる妨げを配当されています。
——「魔」というと、「睡魔」「邪魔」といった言葉を連想しますが……。
「魔」とは、古代インドの言葉「マーラ」を漢字で表したもので、「奪命者」「奪功徳者」と訳されます。仏道修行者の心を悩まし、破壊しようとする働きのことで、「四魔」には、「陰魔」「煩悩魔」「死魔」「天子魔」があります。
陰魔とは、修行者の五陰(心身の働き)の不調和が妨げとなることです。
煩悩魔とは、煩悩によって信心が破壊されることです。
死魔とは、修行者の生命を絶つことで信仰を妨げようとする働きです。修行者の死をもって他の修行者に信心の疑いを起こさせることも、死魔の働きといえるでしょう。
天子魔とは、生命の根本的な迷いから起こる魔です。「第六天の魔王」ともいい、権力などありとあらゆる力を使って修行者に迫害を加えます。
池田先生は、「大事なのは、魔を魔と見破る眼を持つことである。そのために、教学があり、信心があるのだ」と教えられています。
◇困難を前進のバネに
——なんだか、怖くなってきました。
大丈夫ですよ。御聖訓には、「難が来たことをもって安楽と心得るべきである」(御書750ページ、通解)とあります。
信心に励む途上で直面する難は、たとえるならば、船が進む時に波の抵抗が起こるようなものです。その波浪を押し切ることによって境涯は開かれます。あたかもサーフィンをする際、サーファーが、向かってくる荒波を楽しむようなものです。
——困難を成長のエネルギーにすればいいのですね。
その通りです。その上で大切なことは、煩悩や家族の問題、心身の不調、死といっても、それら自体が障魔ではない、ということです。これに引きずられてしまう弱い生命、つまり、信心の迷いによって魔の働きとなってしまうのです。
大聖人は「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)と仰せです。
三障四魔が出現した時こそ、信心を深める好機と確信して、むしろ喜ぶ"賢者の信心"で挑戦を続けることが大切なのです。
◇放課後メモ
「難を乗り越える信心」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…『創価学会永遠の五指針』65ページ(聖教新聞社)
○…指導選集『幸福と平和を創る智慧』第2部[中]135ページ(同)
○…『教学入門』89ページ(同)
2018年5月22日火曜日
2018.05.22 わが友に贈る
「陰徳あれば陽報あり」
仏法に無駄はない。
信心を根本とした
努力と持続は
必ず勝利の実を結ぶ。
法衣書 P1296
『日月は地に落つべしや須弥山はくづるべしや大海の潮は増減せざるべしや大地は飜覆すべしや、此の御衣の功徳は法華経にとかれて候、但心をもつてをもひやらせ給い候へ、言にはのべがたし』
【通解】
日月は地に落ちることがあろうか。須弥山が崩れることがあろうか。大海の潮は増減しないことがあろうか。大地が覆ることがあろうか。この御衣を御供養された功徳は法華経に説かれている。ただ信心によって推し測りなさい。言葉で述べることが難しいからである。
〈寸鉄〉 2018年5月22日
「文字は是れ三世諸仏の気命なり」御聖訓。御書根本。これが勝利の王道
奈良広布誓願の日。大関西の柱は厳然。万葉の都に理想の民衆城を築け!
一生の全ての体験が生きてくる—戸田先生。眼前の課題に真正面から挑戦
青年は青年によって人間形成を促す—詩人。良き同志と共に人格の錬磨を
「国際生物多様性の日」。皆が"地球号"の一員だ。環境守る取組の主体者と
☆世界広布新時代第34回本部幹部会 信越総会から 原田稔会長 2018年5月19日
◇「真実に勝る雄弁なし」の確信で——創価の正義を胸張り語ろう
一、「世界広布新時代第34回本部幹部会」ならびに「信越総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
本日は、12カ国・地域から、82人のSGIメンバーも参加されております。遠いところ、ようこそお越しくださいました。
一、さて、先日、日中平和友好条約締結40周年を記念する中国・李克強首相の歓迎レセプションに出席してまいりました。
池田先生から李首相に贈られた漢詩と共に、先生の歓迎の意をお伝えすると、李首相は「33年前の池田先生との出会いを、よく覚えております」と誠に懐かしそうに語っておりました。
33年前の1985年(昭和60年)3月、若き李首相は中国青年代表団の副団長として、当時の胡錦濤団長と共に来日されました。それは、前年に日本から青年3000人の大交流団が訪中した、その返礼としての来日でした。
この時、先生は"昨年、日本の青年がお世話になったことでもあり、大事な未来の指導者だから"と、地方指導の予定を変更して東京に戻り、代表団と会見されました。
青年を心から大切にされ、そして誠実には大誠実をもって報いる池田先生の行動こそ、時を経るごとに輝きを増す友情の根幹なのだと、今回、改めて学ぶことができました。
一、また、先月には、フランス、スペイン、イギリスを訪問してまいりました。
スペインについては、カプート理事長の報告にあった通りですが、フランスでは、フランス学士院を訪れ、アブラハム友愛協会のエドモンド・リール会長夫妻、経済等の分野で活躍するベルナール・エザンベール氏らと会見。フランス・仏教学研究所のドミニック・トロティニヨン所長とも、有意義な対話を交わすことができました。
さらに、「欧州会議」設立45周年を祝賀するフランスSGIの総会では、席上、大手出版社のアルマッタン社から、池田先生に「平和への対話特別賞」が贈られました。
また、6000人を超す青年結集の大勝利に沸くイギリスでは、ロンドン市庁舎でマシュー・ライダー副市長と会見。タプロー・コート総合文化センターでの環境展示"希望の種子展"の開幕式には、多くの来賓が集い、地域貢献の努力が結実した式典となりました。
多様な民族、言語、文化の人々がひしめき合うヨーロッパにあって、広宣流布を進めることが、どれほどの艱難辛苦を伴うか。
だからこそ、かつて池田先生は「日蓮仏法もこのヨーロッパで実験証明されてこそ、初めて世界宗教として飛翔することができる。私はそう決めて祈り、欧州広布の第一歩を踏み出しました」と、つづられました。
例えばフランスでは、「ライシテ」と呼ばれる原則があります。これは、私生活の信仰は自由だけれども、公共空間には宗教性は持ち込まないという考え方です。
ライシテは、フランス革命以来の長い歴史的経緯に根差しており、こうした独自の事情によって、フランスでは創価学会に対して厳しい偏見の目が向けられた時代がありました。
2001年12月のこと、ゴルバチョフ元ソ連大統領と、池田先生との対談集『20世紀の精神の教訓』のフランス語版が発刊され、ゴルバチョフ氏自身が出席しての出版記者会見が、パリ政治学院で行われました。
その後、ゴルバチョフ氏は、パリで人気のテレビ番組に出演しました。ところが、その番組で司会者から、先生とSGIに関する無認識からくる質問が飛び出したのです。学会を取り巻く当時の社会状況を象徴する、ひと幕でした。
しかし、質問が終わるや否や、ゴルバチョフ氏は毅然とした口調で語り始めました。
「いいですか。池田会長に対して、一部の根拠なき言説があるようですが、私がそのような質問を受けたのはフランスだけです。どこからそのような話が出てくるのか理解できません。全く根も葉もないことです。
この本は、すでにいくつかの国で出版され、各国の読者から多大な賛同と支持を得ています。まず、それが第一点。
次に、池田氏は私との対話を行う前に、全大陸のおよそ100人ほどの識者と対談し、その中の誰一人として、池田氏を非難した人はいませんでした!」——こう明快に切り返したのです。
慌てた司会者は、「それはその通りです。その通りです」と、ほうほうの体で退散してしまいました(笑い)。
池田先生の結ばれた友情が、いかに強い絆であるか。そしてフランスの同志は、こうしたゴルバチョフ氏に負けず劣らずの言論戦を展開してこられました。それはスペインしかり、イギリスしかり、であります。ゆえに今、日蓮仏法が世界宗教として飛翔しゆく実証を、見事に示しきっているのであります。
一、日蓮大聖人は「日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕す」(御書1589ページ)と仰せになられました。
広布が伸展すれば、三類の強敵が出来するのは必定です。ゆえに、こちらから斬り込み、根も葉もないデマの正体を暴き、責め抜く——。相手の心に深く入り込んだデマの"毒気"を抜き去らなければ、真に「心に刺さる対話」「心を変える対話」にはならないのです。
私どもは「真実に勝る雄弁なし」そして「勇気に勝る信心なし」の大確信で、胸を張って、創価の正義と真実を語り広げていきたい(拍手)。
一、ここ信越の地で書き起こされた小説『新・人間革命』は、以来、四半世紀を経て、いよいよ6月、その掉尾を飾る第30巻の上巻が発刊されます。
師弟の月・7月へ、池田先生が命を削るようにして紡ぎ出された、一言一句に全身全霊で向き合い、実践しながら、私どももまた、「わが人間革命」の新たな一ページをつづる、一日また一日にしていこうではありませんか(拍手)。
仏法に無駄はない。
信心を根本とした
努力と持続は
必ず勝利の実を結ぶ。
法衣書 P1296
『日月は地に落つべしや須弥山はくづるべしや大海の潮は増減せざるべしや大地は飜覆すべしや、此の御衣の功徳は法華経にとかれて候、但心をもつてをもひやらせ給い候へ、言にはのべがたし』
【通解】
日月は地に落ちることがあろうか。須弥山が崩れることがあろうか。大海の潮は増減しないことがあろうか。大地が覆ることがあろうか。この御衣を御供養された功徳は法華経に説かれている。ただ信心によって推し測りなさい。言葉で述べることが難しいからである。
〈寸鉄〉 2018年5月22日
「文字は是れ三世諸仏の気命なり」御聖訓。御書根本。これが勝利の王道
奈良広布誓願の日。大関西の柱は厳然。万葉の都に理想の民衆城を築け!
一生の全ての体験が生きてくる—戸田先生。眼前の課題に真正面から挑戦
青年は青年によって人間形成を促す—詩人。良き同志と共に人格の錬磨を
「国際生物多様性の日」。皆が"地球号"の一員だ。環境守る取組の主体者と
☆世界広布新時代第34回本部幹部会 信越総会から 原田稔会長 2018年5月19日
◇「真実に勝る雄弁なし」の確信で——創価の正義を胸張り語ろう
一、「世界広布新時代第34回本部幹部会」ならびに「信越総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
本日は、12カ国・地域から、82人のSGIメンバーも参加されております。遠いところ、ようこそお越しくださいました。
一、さて、先日、日中平和友好条約締結40周年を記念する中国・李克強首相の歓迎レセプションに出席してまいりました。
池田先生から李首相に贈られた漢詩と共に、先生の歓迎の意をお伝えすると、李首相は「33年前の池田先生との出会いを、よく覚えております」と誠に懐かしそうに語っておりました。
33年前の1985年(昭和60年)3月、若き李首相は中国青年代表団の副団長として、当時の胡錦濤団長と共に来日されました。それは、前年に日本から青年3000人の大交流団が訪中した、その返礼としての来日でした。
この時、先生は"昨年、日本の青年がお世話になったことでもあり、大事な未来の指導者だから"と、地方指導の予定を変更して東京に戻り、代表団と会見されました。
青年を心から大切にされ、そして誠実には大誠実をもって報いる池田先生の行動こそ、時を経るごとに輝きを増す友情の根幹なのだと、今回、改めて学ぶことができました。
一、また、先月には、フランス、スペイン、イギリスを訪問してまいりました。
スペインについては、カプート理事長の報告にあった通りですが、フランスでは、フランス学士院を訪れ、アブラハム友愛協会のエドモンド・リール会長夫妻、経済等の分野で活躍するベルナール・エザンベール氏らと会見。フランス・仏教学研究所のドミニック・トロティニヨン所長とも、有意義な対話を交わすことができました。
さらに、「欧州会議」設立45周年を祝賀するフランスSGIの総会では、席上、大手出版社のアルマッタン社から、池田先生に「平和への対話特別賞」が贈られました。
また、6000人を超す青年結集の大勝利に沸くイギリスでは、ロンドン市庁舎でマシュー・ライダー副市長と会見。タプロー・コート総合文化センターでの環境展示"希望の種子展"の開幕式には、多くの来賓が集い、地域貢献の努力が結実した式典となりました。
多様な民族、言語、文化の人々がひしめき合うヨーロッパにあって、広宣流布を進めることが、どれほどの艱難辛苦を伴うか。
だからこそ、かつて池田先生は「日蓮仏法もこのヨーロッパで実験証明されてこそ、初めて世界宗教として飛翔することができる。私はそう決めて祈り、欧州広布の第一歩を踏み出しました」と、つづられました。
例えばフランスでは、「ライシテ」と呼ばれる原則があります。これは、私生活の信仰は自由だけれども、公共空間には宗教性は持ち込まないという考え方です。
ライシテは、フランス革命以来の長い歴史的経緯に根差しており、こうした独自の事情によって、フランスでは創価学会に対して厳しい偏見の目が向けられた時代がありました。
2001年12月のこと、ゴルバチョフ元ソ連大統領と、池田先生との対談集『20世紀の精神の教訓』のフランス語版が発刊され、ゴルバチョフ氏自身が出席しての出版記者会見が、パリ政治学院で行われました。
その後、ゴルバチョフ氏は、パリで人気のテレビ番組に出演しました。ところが、その番組で司会者から、先生とSGIに関する無認識からくる質問が飛び出したのです。学会を取り巻く当時の社会状況を象徴する、ひと幕でした。
しかし、質問が終わるや否や、ゴルバチョフ氏は毅然とした口調で語り始めました。
「いいですか。池田会長に対して、一部の根拠なき言説があるようですが、私がそのような質問を受けたのはフランスだけです。どこからそのような話が出てくるのか理解できません。全く根も葉もないことです。
この本は、すでにいくつかの国で出版され、各国の読者から多大な賛同と支持を得ています。まず、それが第一点。
次に、池田氏は私との対話を行う前に、全大陸のおよそ100人ほどの識者と対談し、その中の誰一人として、池田氏を非難した人はいませんでした!」——こう明快に切り返したのです。
慌てた司会者は、「それはその通りです。その通りです」と、ほうほうの体で退散してしまいました(笑い)。
池田先生の結ばれた友情が、いかに強い絆であるか。そしてフランスの同志は、こうしたゴルバチョフ氏に負けず劣らずの言論戦を展開してこられました。それはスペインしかり、イギリスしかり、であります。ゆえに今、日蓮仏法が世界宗教として飛翔しゆく実証を、見事に示しきっているのであります。
一、日蓮大聖人は「日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕す」(御書1589ページ)と仰せになられました。
広布が伸展すれば、三類の強敵が出来するのは必定です。ゆえに、こちらから斬り込み、根も葉もないデマの正体を暴き、責め抜く——。相手の心に深く入り込んだデマの"毒気"を抜き去らなければ、真に「心に刺さる対話」「心を変える対話」にはならないのです。
私どもは「真実に勝る雄弁なし」そして「勇気に勝る信心なし」の大確信で、胸を張って、創価の正義と真実を語り広げていきたい(拍手)。
一、ここ信越の地で書き起こされた小説『新・人間革命』は、以来、四半世紀を経て、いよいよ6月、その掉尾を飾る第30巻の上巻が発刊されます。
師弟の月・7月へ、池田先生が命を削るようにして紡ぎ出された、一言一句に全身全霊で向き合い、実践しながら、私どももまた、「わが人間革命」の新たな一ページをつづる、一日また一日にしていこうではありませんか(拍手)。
2018年5月21日月曜日
2018.05.21 わが友に贈る
◇今週のことば
眼前の一人との語らいが
未来へ 世界へ広がる。
「弥よ申し聞かすべし」
友の幸せを祈って
希望の声を凛々と!
2018年5月21日
上野殿御返事 P1563
『父母の恩のおもき事は大海のごとし現世をやしなひ後生をたすけざれば一�のごとし』
【通解】
父母の恩の重く深いことは大海のようであり、現世だけを養い、後生を助けないのは、一しずくの水のように僅かなものである。
〈寸鉄〉 2018年5月21日
韓日両国の青年部が友情総会。師弟に生き抜く心は一つ。宝の橋を万代へ
池田先生の"山光提言"の日。地域に励ましの光を。鳥取・島根よ太陽と輝け
妙の一字の智剣を以て生死煩悩の繩を切るなり—御書。祈り強く。勝利の源
5月は自転車月間。イヤホンや携帯のながら運転は厳禁。呉々も無事故で
頻繁に怒る親の子どもは怒りっぽいと。家庭こそ人格育む教育環境と銘記
☆世界宗教の仏法を学ぶ 第4回 持続の信心——日々、新たな決意で出発
連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第4回のテーマは「持続の信心」です。
◇小説「新・人間革命」第26巻「奮迅」の章
【あらすじ】1978年(昭和53年)、学会では「広布第二章の『支部制』」がスタートし、山本伸一会長は年頭から激励を開始する。2月19日には、東京・立川文化会館で開催された「信越男子部幹部会」へ。会場には、山本伸一の闘魂に満ちあふれた力強い声が響いた。
「『さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて!
決められた決勝点は取り消すことができないのだ』
これは、ホイットマンの詩集『草の葉』にある、有名な一節であります」
集った青年たちは、伸一の指導の一切を吸収するのだとばかりに、眼を輝かせて、耳を澄ましていた。
このホイットマンの言葉は、伸一が若き日から深く心に刻み、暗唱してきた詩であり、これまでに何度となく、多くの青年たちに伝えもしてきた。
「さあ、出発しよう——とは、過去にとらわれるのではなく、晴れやかに、未来をめざして生きる青年の姿です。"いよいよ、これからだ"という日々前進の心意気です。間断なき挑戦の気概です。
信心は持続が大切ですが、持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは惰性です。"さあ、出発しよう"と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。
毎日、毎日が、新しい出発であり、勝利の日々であってこそ、人間革命も、人生の大勝利もあることを知ってください。
悪戦苦闘——これは、広宣流布のため、自身の人生の勝利を飾るために、必ず経なければならない道程なんです。偉業を成した人は、皆が、迫害、非難、中傷にさらされ、ありとあらゆる苦難と戦っています。
創価の大道を開いてくださった初代会長の牧口先生も、第二代会長の戸田先生も、軍部政府の弾圧と命を懸けて戦われています。私たちは、その師子の子どもです。勇んで悪戦苦闘のなかに身を置き、それを突き抜けていくなかに、自身の人間革命があるんです」
人生は波瀾万丈であり、悪戦苦闘しながら進んでいかなければならない日々もある。しかし、その試練に挑み立つ時、自らが磨かれ、鍛えられ、強く、大きく、成長していくのだ。
山本伸一は、一段と強い語調で語った。
「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない。
たとえば、ひとたび飛行機が飛び立ったならば、飛び続けなければ次の目的地に着くことはできません。その途中には、強風もある。雷雲も発生するかもしれない。ましてや、われわれは、地涌の菩薩の聖業であり、人生の最極の目的である広宣流布のための戦いを起こした。悪戦苦闘を覚悟するのは当然です。私は、皆さんが苦闘を誇りとして、信心の確信と歓喜を胸に、凜々しく進んでいかれることを、日々、真剣に祈っております」
※ホイットマンの言葉は、ウォルト・ホイットマン著『詩集 草の葉』(富田砕花訳、第三文明社)から
◇理解を深めるために
●「不退の心」こそ成仏の道
ここでは、信心の実践において重要な「受持」について解説します。
「受持」とは、正法を信じて心に受け入れ、忘れずに持つことです。日蓮大聖人は、末法の凡夫が成仏するための観心の修行は、南無妙法蓮華経の御本尊を受持することに尽きるとして、「受持即観心」の法門を示されました。
御書には、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(1136ページ)とあります。
御本尊を信受すること以上に、信仰を持ち続け、一生涯信心を貫くことは、非常に難しいことです。御書に、「法華経の信心を・とをし給へ」(1117ページ)とあるように、大聖人は弟子や門下に対し、御書のいたる所で、信心を貫き通していくことの重要性を強調されています。
また、「成仏は持つにあり」との仰せのように、「持つ」とは、競い起こる難と戦い、仏の教えを実践していくという能動的な姿勢にほかなりません。
「信心を貫き通す」「持ち続ける」というのは、いかなる障魔が現れようとも決して紛動されることなく、生涯、不退の信心を貫くことです。そこにこそ、一生成仏の道があるのです。
◇日蓮大聖人の御書から 「上野殿御返事(水火二信抄)」について
●水の流れるような実践を
日蓮大聖人は「上野殿御返事(水火二信抄)」で、信心に取り組む姿勢に「火の信心」と「水の信心」があるとして、次のように仰せです。
「聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544ページ)
具体的に「火の信心」というのは、火が一時的に激しく燃え上がるように、感激した時には真剣に唱題や弘教に励みますが、永続性のない信心です。
一方、「水の信心」は、派手で目立った行動はなくとも、心堅固に、常に水が流れるように、不退の決意と使命感をもって、生涯、信・行・学を持続し抜いていく人の信心です。
私たちが実践するべきは、「水の信心」です。
創価学会第2代会長の戸田城聖先生は語られました。
「たゆまず流れ出ずる水の信心であれ! 溜まり水は、動かないから腐ってしまう。人間も同じだ。進まざるは退転である」と。
私たちは、どこまでも水の流れるような信心を続けていきましょう。
眼前の一人との語らいが
未来へ 世界へ広がる。
「弥よ申し聞かすべし」
友の幸せを祈って
希望の声を凛々と!
2018年5月21日
上野殿御返事 P1563
『父母の恩のおもき事は大海のごとし現世をやしなひ後生をたすけざれば一�のごとし』
【通解】
父母の恩の重く深いことは大海のようであり、現世だけを養い、後生を助けないのは、一しずくの水のように僅かなものである。
〈寸鉄〉 2018年5月21日
韓日両国の青年部が友情総会。師弟に生き抜く心は一つ。宝の橋を万代へ
池田先生の"山光提言"の日。地域に励ましの光を。鳥取・島根よ太陽と輝け
妙の一字の智剣を以て生死煩悩の繩を切るなり—御書。祈り強く。勝利の源
5月は自転車月間。イヤホンや携帯のながら運転は厳禁。呉々も無事故で
頻繁に怒る親の子どもは怒りっぽいと。家庭こそ人格育む教育環境と銘記
☆世界宗教の仏法を学ぶ 第4回 持続の信心——日々、新たな決意で出発
連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第4回のテーマは「持続の信心」です。
◇小説「新・人間革命」第26巻「奮迅」の章
【あらすじ】1978年(昭和53年)、学会では「広布第二章の『支部制』」がスタートし、山本伸一会長は年頭から激励を開始する。2月19日には、東京・立川文化会館で開催された「信越男子部幹部会」へ。会場には、山本伸一の闘魂に満ちあふれた力強い声が響いた。
「『さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて!
決められた決勝点は取り消すことができないのだ』
これは、ホイットマンの詩集『草の葉』にある、有名な一節であります」
集った青年たちは、伸一の指導の一切を吸収するのだとばかりに、眼を輝かせて、耳を澄ましていた。
このホイットマンの言葉は、伸一が若き日から深く心に刻み、暗唱してきた詩であり、これまでに何度となく、多くの青年たちに伝えもしてきた。
「さあ、出発しよう——とは、過去にとらわれるのではなく、晴れやかに、未来をめざして生きる青年の姿です。"いよいよ、これからだ"という日々前進の心意気です。間断なき挑戦の気概です。
信心は持続が大切ですが、持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは惰性です。"さあ、出発しよう"と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。
毎日、毎日が、新しい出発であり、勝利の日々であってこそ、人間革命も、人生の大勝利もあることを知ってください。
悪戦苦闘——これは、広宣流布のため、自身の人生の勝利を飾るために、必ず経なければならない道程なんです。偉業を成した人は、皆が、迫害、非難、中傷にさらされ、ありとあらゆる苦難と戦っています。
創価の大道を開いてくださった初代会長の牧口先生も、第二代会長の戸田先生も、軍部政府の弾圧と命を懸けて戦われています。私たちは、その師子の子どもです。勇んで悪戦苦闘のなかに身を置き、それを突き抜けていくなかに、自身の人間革命があるんです」
人生は波瀾万丈であり、悪戦苦闘しながら進んでいかなければならない日々もある。しかし、その試練に挑み立つ時、自らが磨かれ、鍛えられ、強く、大きく、成長していくのだ。
山本伸一は、一段と強い語調で語った。
「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない。
たとえば、ひとたび飛行機が飛び立ったならば、飛び続けなければ次の目的地に着くことはできません。その途中には、強風もある。雷雲も発生するかもしれない。ましてや、われわれは、地涌の菩薩の聖業であり、人生の最極の目的である広宣流布のための戦いを起こした。悪戦苦闘を覚悟するのは当然です。私は、皆さんが苦闘を誇りとして、信心の確信と歓喜を胸に、凜々しく進んでいかれることを、日々、真剣に祈っております」
※ホイットマンの言葉は、ウォルト・ホイットマン著『詩集 草の葉』(富田砕花訳、第三文明社)から
◇理解を深めるために
●「不退の心」こそ成仏の道
ここでは、信心の実践において重要な「受持」について解説します。
「受持」とは、正法を信じて心に受け入れ、忘れずに持つことです。日蓮大聖人は、末法の凡夫が成仏するための観心の修行は、南無妙法蓮華経の御本尊を受持することに尽きるとして、「受持即観心」の法門を示されました。
御書には、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(1136ページ)とあります。
御本尊を信受すること以上に、信仰を持ち続け、一生涯信心を貫くことは、非常に難しいことです。御書に、「法華経の信心を・とをし給へ」(1117ページ)とあるように、大聖人は弟子や門下に対し、御書のいたる所で、信心を貫き通していくことの重要性を強調されています。
また、「成仏は持つにあり」との仰せのように、「持つ」とは、競い起こる難と戦い、仏の教えを実践していくという能動的な姿勢にほかなりません。
「信心を貫き通す」「持ち続ける」というのは、いかなる障魔が現れようとも決して紛動されることなく、生涯、不退の信心を貫くことです。そこにこそ、一生成仏の道があるのです。
◇日蓮大聖人の御書から 「上野殿御返事(水火二信抄)」について
●水の流れるような実践を
日蓮大聖人は「上野殿御返事(水火二信抄)」で、信心に取り組む姿勢に「火の信心」と「水の信心」があるとして、次のように仰せです。
「聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544ページ)
具体的に「火の信心」というのは、火が一時的に激しく燃え上がるように、感激した時には真剣に唱題や弘教に励みますが、永続性のない信心です。
一方、「水の信心」は、派手で目立った行動はなくとも、心堅固に、常に水が流れるように、不退の決意と使命感をもって、生涯、信・行・学を持続し抜いていく人の信心です。
私たちが実践するべきは、「水の信心」です。
創価学会第2代会長の戸田城聖先生は語られました。
「たゆまず流れ出ずる水の信心であれ! 溜まり水は、動かないから腐ってしまう。人間も同じだ。進まざるは退転である」と。
私たちは、どこまでも水の流れるような信心を続けていきましょう。
2018年5月20日日曜日
2018.05.20 わが友に贈る
対話の要諦は
話をよく聞くことだ。
相手から学ぶことだ。
誠実と尊敬の心で
朗らかに友情を結ぼう!
御義口伝巻下 P759
『御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさずつくろわずもとの侭と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり』
【通解】
久遠ということについて、御義口伝には次のように仰せである。
寿量品第十六の所詮は、久遠実成である。この久遠実成は、文底より見れば、五百塵点劫の成道ではなく、久遠元初の成道なのである。
久遠とは、その真実の意味は、働かさず、繕わず、本の儘であり、久遠元初の仏の姿、また生命の本質をあらわすのである。
〈寸鉄〉 2018年5月20日
自分が人と会って人脈を広げよ—戸田先生。一人立て。師弟の魂はそこに
岩手「女性の日」「青年部の日」。皆様の歩みが復興の光。幸の理想郷を皆で
行動によって未来全体に何が望めるかが問題だ—文豪。「何のため」忘れず
楽観的な人ほど健康にも好影響の可能性—研究。広布一筋の多宝会は模範
気温上昇に伴う食中毒に注意。手洗い・加熱調理の基本しっかり。油断なく
☆世界広布新時代第34回本部幹部会・信越総会への池田先生のメッセージ
◇御本仏は 流罪の佐渡も「常寂光の都」と
◇「さあ来い!」と試練に向かえ
一、今、私は改めて、創価の師弟の不思議なる宿縁に思いをはせております。
御本仏・日蓮大聖人が、佐渡流罪という大難を受けられ、ここ信越の天地に第一歩をしるされたのは、文永8年、西暦1271年のことでありました。
それから満600年の1871年(明治4年)、創価の父にして殉教の大師匠たる牧口常三郎先生は、大聖人の魂魄とどまる信越に誕生されたのであります。
牧口先生は、このふるさとを愛され、同郷の友や後輩に尽くされました。
学会を創立して真っ先に、若き30代の愛弟子・戸田城聖先生を伴って、生まれ故郷・新潟柏崎の荒浜へ足を運び、知人たちを折伏されてもおります。
それは、軍国主義の靴音が高まる時代にあって、妙法という幸福と平和の種を、愛する郷土の大地に蒔きゆく旅でありました。
とともに、信越において大聖人が「顕仏未来記」等を認め「仏法西還」「一閻浮提広宣流布」を宣言なされたことを偲びつつ、学会による未来の壮大な世界広布を展望しゆく旅でもあったのであります。
こうした師弟旅の思い出を、のちに戸田先生は、長野の軽井沢で過ごされた最後の夏、私にしみじみと語ってくださいました。私が小説『人間革命』の執筆を深く誓ったのも、この時であります。
幾重にも「師弟誓願」の歴史が刻まれた信越での本部幹部会、誠におめでとう! 新潟も、長野も、全地区、全ブロックが元気いっぱい、折伏弘教、人材拡大に邁進して本日を迎えられたことを、うれしく伺っております。
そして、信越の同志と共に、素晴らしい友好交流を広げてくれたアメリカ、南米、欧州、台湾、韓国の皆さん、本当にありがとう!
牧口先生も、戸田先生も、どれほどお喜びでしょうか。日本と世界の創価家族の勇気みなぎる大健闘を、大拍手で讃え合おうではありませんか!(大拍手)
国土世間を変革
一、御本仏が、発迹顕本からの3年に及ぶ歳月を、他のどこでもない、ここ信越で過ごされた意義は、計り知れません。
それは、「雪が降り積もって消えることがない」(御書916ページ、通解)という厳寒にさらされ、「今年、今月にも、万が一にも死を免れようのない身命である」(同509ページ、通解)と仰せの如く、極限の弾圧を耐え忍ばれた一日一日であられました。
その中にあって、大聖人は悠然と、阿仏房や千日尼をはじめ新しい地涌の菩薩を一人一人、呼び出され、題目を唱える男女は、ありのままの姿で、最極の生命の「宝塔」であると、示していかれたのであります。
こうした尊き無名の父母たちや、信仰を始めて間もない庶民を育みながら、大聖人は、こまやかに地域に仏縁を結ばれ、有力者や長老、ひいては敵対する人々までも味方とし、佐渡の島の国土世間を大きく変えていかれました。
さらに、後継の弟子たちを薫陶されるとともに、乱世のただ中にある鎌倉等の門下一同の無事安穏を、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く」(同1132ページ)祈り抜いてくださいました。そして、「開目抄」や「観心本尊抄」など、万年までの法門を書き残してくださったのであります。
不撓不屈の信心で
一、この御本仏の師子奮迅の御振る舞いを深く拝し、佐渡での御聖訓を、皆で心肝に染めたいと思います。
すなわち、「この世界の初め以来、父母の反対や主君などから迫害を受け、遠国の島に流罪された人で、私たちのように喜びが身にあふれている者は、よもや、いないであろう。それゆえ私たちが住んで法華経を修行する所は、いずれの地であっても常寂光の都となるであろう」(同1343ページ、通解)との御文であります。
この大聖人の直系として、いかなる難にあおうとも、いかなる宿命が襲いかかろうとも、妙法を唱え抜き、「さあ来い!」と喜び勇んで立ち向かい、使命の現場で断固と勝ち越えていく。これこそ、我ら創価の師弟であります。
広布と人生の師弟旅は、永遠に試練との大闘争です。それゆえに、いよいよ「不撓不屈」の信心で「人間革命」の舞を舞い、新たな地涌の連帯の裾野を広げ、わが誓願の天地に「常寂光の都」を輝きわたらせていきたいのであります。
世界広布が同時進行で展開する今こそ、それぞれの郷土に「人材拡大」「青年育成」の理想郷を築き上げ、地域蘇生の連鎖を創り起こして、大いなる友情と信頼と平和の光で、地球社会を照らしていこうではありませんか!
終わりに、きょう「母の日」(13日)の本部幹部会に当たり、偉大な創価の母たちのますますの健康と幸福を皆で祈りたい。
そして、全世界の躍動する若人と共々に、「共戦の勝利旅」へ出発しよう! 悪戦苦闘を突き抜けて! と申し上げ、私のメッセージといたします。
美しき信越、万歳!
美しき創価の母、万歳!
美しき世界の学会家族、万歳!(大拍手)
話をよく聞くことだ。
相手から学ぶことだ。
誠実と尊敬の心で
朗らかに友情を結ぼう!
御義口伝巻下 P759
『御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさずつくろわずもとの侭と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり』
【通解】
久遠ということについて、御義口伝には次のように仰せである。
寿量品第十六の所詮は、久遠実成である。この久遠実成は、文底より見れば、五百塵点劫の成道ではなく、久遠元初の成道なのである。
久遠とは、その真実の意味は、働かさず、繕わず、本の儘であり、久遠元初の仏の姿、また生命の本質をあらわすのである。
〈寸鉄〉 2018年5月20日
自分が人と会って人脈を広げよ—戸田先生。一人立て。師弟の魂はそこに
岩手「女性の日」「青年部の日」。皆様の歩みが復興の光。幸の理想郷を皆で
行動によって未来全体に何が望めるかが問題だ—文豪。「何のため」忘れず
楽観的な人ほど健康にも好影響の可能性—研究。広布一筋の多宝会は模範
気温上昇に伴う食中毒に注意。手洗い・加熱調理の基本しっかり。油断なく
☆世界広布新時代第34回本部幹部会・信越総会への池田先生のメッセージ
◇御本仏は 流罪の佐渡も「常寂光の都」と
◇「さあ来い!」と試練に向かえ
一、今、私は改めて、創価の師弟の不思議なる宿縁に思いをはせております。
御本仏・日蓮大聖人が、佐渡流罪という大難を受けられ、ここ信越の天地に第一歩をしるされたのは、文永8年、西暦1271年のことでありました。
それから満600年の1871年(明治4年)、創価の父にして殉教の大師匠たる牧口常三郎先生は、大聖人の魂魄とどまる信越に誕生されたのであります。
牧口先生は、このふるさとを愛され、同郷の友や後輩に尽くされました。
学会を創立して真っ先に、若き30代の愛弟子・戸田城聖先生を伴って、生まれ故郷・新潟柏崎の荒浜へ足を運び、知人たちを折伏されてもおります。
それは、軍国主義の靴音が高まる時代にあって、妙法という幸福と平和の種を、愛する郷土の大地に蒔きゆく旅でありました。
とともに、信越において大聖人が「顕仏未来記」等を認め「仏法西還」「一閻浮提広宣流布」を宣言なされたことを偲びつつ、学会による未来の壮大な世界広布を展望しゆく旅でもあったのであります。
こうした師弟旅の思い出を、のちに戸田先生は、長野の軽井沢で過ごされた最後の夏、私にしみじみと語ってくださいました。私が小説『人間革命』の執筆を深く誓ったのも、この時であります。
幾重にも「師弟誓願」の歴史が刻まれた信越での本部幹部会、誠におめでとう! 新潟も、長野も、全地区、全ブロックが元気いっぱい、折伏弘教、人材拡大に邁進して本日を迎えられたことを、うれしく伺っております。
そして、信越の同志と共に、素晴らしい友好交流を広げてくれたアメリカ、南米、欧州、台湾、韓国の皆さん、本当にありがとう!
牧口先生も、戸田先生も、どれほどお喜びでしょうか。日本と世界の創価家族の勇気みなぎる大健闘を、大拍手で讃え合おうではありませんか!(大拍手)
国土世間を変革
一、御本仏が、発迹顕本からの3年に及ぶ歳月を、他のどこでもない、ここ信越で過ごされた意義は、計り知れません。
それは、「雪が降り積もって消えることがない」(御書916ページ、通解)という厳寒にさらされ、「今年、今月にも、万が一にも死を免れようのない身命である」(同509ページ、通解)と仰せの如く、極限の弾圧を耐え忍ばれた一日一日であられました。
その中にあって、大聖人は悠然と、阿仏房や千日尼をはじめ新しい地涌の菩薩を一人一人、呼び出され、題目を唱える男女は、ありのままの姿で、最極の生命の「宝塔」であると、示していかれたのであります。
こうした尊き無名の父母たちや、信仰を始めて間もない庶民を育みながら、大聖人は、こまやかに地域に仏縁を結ばれ、有力者や長老、ひいては敵対する人々までも味方とし、佐渡の島の国土世間を大きく変えていかれました。
さらに、後継の弟子たちを薫陶されるとともに、乱世のただ中にある鎌倉等の門下一同の無事安穏を、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く」(同1132ページ)祈り抜いてくださいました。そして、「開目抄」や「観心本尊抄」など、万年までの法門を書き残してくださったのであります。
不撓不屈の信心で
一、この御本仏の師子奮迅の御振る舞いを深く拝し、佐渡での御聖訓を、皆で心肝に染めたいと思います。
すなわち、「この世界の初め以来、父母の反対や主君などから迫害を受け、遠国の島に流罪された人で、私たちのように喜びが身にあふれている者は、よもや、いないであろう。それゆえ私たちが住んで法華経を修行する所は、いずれの地であっても常寂光の都となるであろう」(同1343ページ、通解)との御文であります。
この大聖人の直系として、いかなる難にあおうとも、いかなる宿命が襲いかかろうとも、妙法を唱え抜き、「さあ来い!」と喜び勇んで立ち向かい、使命の現場で断固と勝ち越えていく。これこそ、我ら創価の師弟であります。
広布と人生の師弟旅は、永遠に試練との大闘争です。それゆえに、いよいよ「不撓不屈」の信心で「人間革命」の舞を舞い、新たな地涌の連帯の裾野を広げ、わが誓願の天地に「常寂光の都」を輝きわたらせていきたいのであります。
世界広布が同時進行で展開する今こそ、それぞれの郷土に「人材拡大」「青年育成」の理想郷を築き上げ、地域蘇生の連鎖を創り起こして、大いなる友情と信頼と平和の光で、地球社会を照らしていこうではありませんか!
終わりに、きょう「母の日」(13日)の本部幹部会に当たり、偉大な創価の母たちのますますの健康と幸福を皆で祈りたい。
そして、全世界の躍動する若人と共々に、「共戦の勝利旅」へ出発しよう! 悪戦苦闘を突き抜けて! と申し上げ、私のメッセージといたします。
美しき信越、万歳!
美しき創価の母、万歳!
美しき世界の学会家族、万歳!(大拍手)
2018年5月19日土曜日
2018.05.19 わが友に贈る
身近な人こそ大切に!
家族・友人・同志の
支えあっての自分だ。
「当たり前」と思わず
感謝の言葉を伝えよう!
下山御消息 P362
『魯人が孔子をあなづり善星が仏ををどせしにことならず』
【通解】
(わが国の人々が、日蓮より優れていると慢心をいだき、日蓮を誹謗するのは)祖国の魯の人々が孔子を侮り、善星比丘が釈尊をおどしたのと異ならぬ愚かなことである。
〈寸鉄〉 2018年5月19日
「創価学会常住御本尊」の記念日。慈折広宣流布へ師匠と世界の友と前進!
「熊本の日」50周年。愛する郷土に希望の花を満開に!不屈の友よ負けるな
御書「疑う心なくば自然に仏界にいたる」。唱題の人は無敵。確信の祈りで
人生の最大の失敗は失敗を恐れ続ける事—教育家若獅子よ大胆に踏みだせ
iPS細胞の心筋治療を承認。世界初の臨床研究開始へ。難病治療等に光
☆四季の励まし 友情こそ人生の最高の宝 2018年5月13日
友と会い、語る。
一緒に悩み、考える。
すると心中には、
限りない慈しみと知恵が湧く。
それが思いきった
実践となっていく。
いつしか生命は、
ダイナミックに回転を始める。
「友情」が、
生命にみずみずしい
触発を与えているのだ。
人格と人格、
魂と魂で結ばれた絆というものは、
どんな嵐にも、揺らぐことはない。
いかなる試練の峰、
苦難の坂にあっても、
互いを固く結び合い、
支え合いながら、
時とともに
強固なものとなっていく。
まさに、真実の友情こそ、
人生の最高の宝である。
目の前の一人を励ますため、
苦悩の一人を救うために、
動き、語り掛け、
一対一で粘り強く
対話を重ねていく。
この最も地道な対話こそが、
事実の上で
「仏の仕事」を行じている
何よりの証しである。
「人間革命」もまた、
一人との誠実な対話から始まる。
それは、対話によって、
自分自身も、縁する人も、
変えていく戦いである。
小さな殻を打ち破り、
無慈悲な
エゴの壁を乗り越えながら、
善縁を結び、広げていく行動だ。
勇気をもって人と会い、
誠意をもって
人と語ることこそが、
最も確実な
「人間革命」の第一歩なのである。
黄色い菜の花と、赤やピンクのツツジが、楽しく語り合うかのように咲いていた。1983年(昭和58年)4月、池田大作先生が新潟池田文化会館を初訪問し、カメラに収めた。
古代ローマの哲学者キケロは言った。「友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ」(中務哲郎訳『友情について』岩波書店)
今、「グループ」発足40周年を記念する婦人部総会がたけなわだ。あの地、この地にも友情の語らいが広がり、希望の花が咲き薫る。
菜の花の花言葉の一つに「快活」と。きょうも喜び勇んで、友のもとへ足を運ぼう。
家族・友人・同志の
支えあっての自分だ。
「当たり前」と思わず
感謝の言葉を伝えよう!
下山御消息 P362
『魯人が孔子をあなづり善星が仏ををどせしにことならず』
【通解】
(わが国の人々が、日蓮より優れていると慢心をいだき、日蓮を誹謗するのは)祖国の魯の人々が孔子を侮り、善星比丘が釈尊をおどしたのと異ならぬ愚かなことである。
〈寸鉄〉 2018年5月19日
「創価学会常住御本尊」の記念日。慈折広宣流布へ師匠と世界の友と前進!
「熊本の日」50周年。愛する郷土に希望の花を満開に!不屈の友よ負けるな
御書「疑う心なくば自然に仏界にいたる」。唱題の人は無敵。確信の祈りで
人生の最大の失敗は失敗を恐れ続ける事—教育家若獅子よ大胆に踏みだせ
iPS細胞の心筋治療を承認。世界初の臨床研究開始へ。難病治療等に光
☆四季の励まし 友情こそ人生の最高の宝 2018年5月13日
友と会い、語る。
一緒に悩み、考える。
すると心中には、
限りない慈しみと知恵が湧く。
それが思いきった
実践となっていく。
いつしか生命は、
ダイナミックに回転を始める。
「友情」が、
生命にみずみずしい
触発を与えているのだ。
人格と人格、
魂と魂で結ばれた絆というものは、
どんな嵐にも、揺らぐことはない。
いかなる試練の峰、
苦難の坂にあっても、
互いを固く結び合い、
支え合いながら、
時とともに
強固なものとなっていく。
まさに、真実の友情こそ、
人生の最高の宝である。
目の前の一人を励ますため、
苦悩の一人を救うために、
動き、語り掛け、
一対一で粘り強く
対話を重ねていく。
この最も地道な対話こそが、
事実の上で
「仏の仕事」を行じている
何よりの証しである。
「人間革命」もまた、
一人との誠実な対話から始まる。
それは、対話によって、
自分自身も、縁する人も、
変えていく戦いである。
小さな殻を打ち破り、
無慈悲な
エゴの壁を乗り越えながら、
善縁を結び、広げていく行動だ。
勇気をもって人と会い、
誠意をもって
人と語ることこそが、
最も確実な
「人間革命」の第一歩なのである。
黄色い菜の花と、赤やピンクのツツジが、楽しく語り合うかのように咲いていた。1983年(昭和58年)4月、池田大作先生が新潟池田文化会館を初訪問し、カメラに収めた。
古代ローマの哲学者キケロは言った。「友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ」(中務哲郎訳『友情について』岩波書店)
今、「グループ」発足40周年を記念する婦人部総会がたけなわだ。あの地、この地にも友情の語らいが広がり、希望の花が咲き薫る。
菜の花の花言葉の一つに「快活」と。きょうも喜び勇んで、友のもとへ足を運ぼう。
2018年5月18日金曜日
2018.05.18 わが友に贈る
人材育成の要諦は
育てる側の成長にある。
相手の長所を見つけ
伸ばしゆく力を磨こう!
共に人間革命の実証を!
御講聞書 P833
『法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し、但だ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり』
【通解】
法華経の行者は、蓮華が泥水に染まらず清らかな花を咲かせるように、ただ一大事の南無妙法蓮華経を弘通することを本としなさい。
〈寸鉄〉 2018年5月18日
法華経にそめられ奉れば必ず仏に—御書。故に学ぼう。剣豪の如く真剣に
「秋田の日」。安心と喜び多い郷土の建設へ前進!励まし対話の旋風起こせ
中継行事の役員の皆さまありがとう!陰で光る大功労者。福徳は無量無辺
打てば響く人間になれ—戸田先生。速度が道開く。幹部は友の声に即反応を
熱中症に注意。室内でも発症。暑さに慣れぬ季節、水分・塩分補給等で予防
☆随筆 永遠なれ創価の大城 第31回 五月の空に栄光の虹
◇世界に鳴り響け広布大願の鐘
◇皆で最高に楽しき婦人部総会を!
「創価学会の日」の五月三日、本年は「創価学会母の日」の制定から三十周年である。
この日は予報を覆して雨が上がり、清々しい天気となった。妻は「婦人部の皆さん方が祈ってくださっているおかげですね。総本部へいらっしゃる方々や役員の方々も、雨に濡れないで良かったです」と微笑んでいた。
祝賀の朝、妻と共に総本部の周辺を車で回りながら、広宣流布大誓堂へ向かった。
「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊に勤行・唱題し、世界の全同志の健康長寿と無事安穏、そして幸福勝利を強盛に御祈念した。
この三月、七十五万人を超える若人が集った世界青年部総会で"勝ち鬨"を上げた勢いのままに、随喜の連帯は大きく広がり続けている。日本中、いな世界中から、歓喜踊躍の勝利と功徳の体験がいやまして寄せられる。
日蓮大聖人は、苦難を勝ち越えゆく門下の報告を心から喜ばれた。
「なによりも承りて・すず(爽)しく候」(御書一一七五ページ)。何よりも爽快である、と。
この仰せは、今年も五月三日の「栄光」の山に登り立った創価家族一人ひとりへの御照覧と、私には拝されてならない。
五月三日の空には虹も出て祝ってくれた、との心弾む報告も、地元・信濃町をはじめ千葉や富山など各地からいただいた。
大聖人は、十方の諸仏が法華経を「真実なり」と讃えた光景を、「無量無辺の虹の虚空に立ちたらんが如し」(同三五九ページ)とも表現されている。
太陽の母たちの婦人部総会も始まった。あの地この地に、七彩に輝く「栄光の虹」「友情の虹」「希望の虹」「幸の虹」「福智の虹」「和楽の虹」「平和の虹」が楽しく立ちのぼりゆくよう、妻と題目を送り続けている。
◇七つの鐘を共に
法難の投獄を勝ち越えられた戸田城聖先生が、戦後、直ちに学会再建の城を構えられたのは千代田区の西神田であった。
この忘れ得ぬ旧・学会本部があった地域を、先日(四月三十日)、久方ぶりに訪れた。恩師が会長就任に先立ち創刊された聖教新聞を、「日本中の人に読ませたい!」との思いで、私が自ら配って歩いた縁の地でもある。
神田一帯をはじめ千代田の同志のはつらつたる様子も、嬉しく伺った。
恩師の師子吼が蘇る。
「私は自分のからだ全体を学会のなかに投げ出し、世の苦悩の民衆のなかに葬ると決意したのである。この決意の日が、昭和二十六年五月三日であったのである」
その日、第二代会長に就任した戸田先生が烈々と宣言されたのが、弘教七十五万世帯という広宣流布の誓願であった。
以来、不惜の大闘争の「七歳」を重ね、誓願を一切成就なされて、先生は霊山へ旅立たれた(昭和三十三年四月二日)。
その直後、すなわち六十年前の五月三日、墨田区・両国の東京スタジアム(後に日大講堂)での春季総会で、私は「七つの鐘」の構想を訴えた。
——学会は創立以来、七年を節として前進のリズムを刻み、恩師と共に、我らは第四の鐘を鳴らしてきた。そして今、第五の鐘となる新たな七年の幕が開いた。さらに第六、第七の鐘を打ち、広布を実現しよう——と。
私は、いかなる試練にも屈せず、師匠から永遠に広宣流布の「魂の炎のバトン」を受け継ぐ弟子の誓いを、「七つの鐘」に託したのである。
現在、我らは二〇〇一年にスタートした「第二の七つの鐘」を高らかに打ち鳴らしながら、世界広宣流布の大道を、威風も堂々と進んでいる。
この「第二の七つの鐘」が鳴り終わるのは、西暦二〇五〇年——二十一世紀の中間であり、学会の創立百二十周年だ。
その時、仏法の人間主義の哲学が、どれほど世界を照らす太陽と輝き、我ら創価の大連帯が、どれほど人類の平和の柱と仰がれていることか。私の胸は熱くなる。
◇少人数に力あり
今年は、婦人部の「グループ」の発足から四十周年である。少人数での学習や懇談を積み重ね、妙法の功徳を広げてきた。
小さな語らいの場が、いかに大切か——。
私が関西の不二の同志と新たな民衆運動の波を起こしていた同じ頃、アメリカでは、かのキング博士を中心に「公民権運動」が拡大していた。
その渦中、一人の高名な歌手が、キング博士をはじめ運動のリーダーを自宅に招き語り合った。
学会活動の輪に飛び込んで活躍する、わが芸術部の宝友と重なり合う、この女性、マヘリア・ジャクソンは、小さな語らいの場に加わった感動を語っている。
「私が今まで生きてきたのはアメリカ黒人のための新しい夜明を見るためだったということ、歴史がまさに作られようとしているのだということを実感した」と。
キング博士の盟友であった歴史学者のハーディング博士も、「一対一の対話」を重視され、私に強く語られていた。
「どんな小さな集まりも、互いを知り、理解し、意見を交換するなかで、思いもよらない、新たな変革の可能性への道を見いだしていくことができるものです」
日常的に顔を合わせて、語り、対話し、励まし合う絆。これこそ、何よりも豊かな「価値創造の場」ではないか。
戸田先生は、「座談会は大聖人の仏法の会座である。慈愛に満ちあふれた、この世でいちばん楽しい会合であるべきだ」と言われた。
「グループ」のモットーには、「皆で語り 皆で学び 皆が創価の幸福博士に!」とある。
喜びあふれる婦人部総会を、壮年部も青年部も真心から応援しよう!
◇"達者に"と祈る
今年は「地区婦人部長」制がスタートしてからも、二十周年となる。
職業も、年代も、生活環境も異なる多彩なメンバーが集い合う創価家族のお母さんであり、「地域の幸福責任者」である地区婦人部長の毎日が、なんと忙しいことか!
小さなお子さんがいる婦人部長もいる。働きながら賢明に時間をやりくりし、活動に励む方もいる。「無冠の友」として朝一番から地域広布に走る人も多くいらっしゃる。
気高く、尊き母よ、お体を大切に、達者に、と深く祈る日々である。
大聖人から「日蓮よりも強盛の御志どもあり」(御書一一二六ページ)と讃えられた日眼女への御聖訓を拝したい。
「頭をふればかみ(髪)ゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(同一一八七ページ)
経済苦や病気、介護、家庭の問題……現実には幾つも悩みがあろう。
だが、一念を定め、題目根本に課題に挑む時、苦しみも悲しみも越え、必ず充実と歓喜の人生が開ける。思ってもみなかった大福徳に包まれる。
これが「変毒為薬」の妙法であり、日蓮仏法の真髄である。
広布の前進を守る幾多の諸天善神は、我らの決定した一念で呼び起こしていくものなのだ。
◇夢をつなぐ物語
「女性輝く」と見出しが躍る「グラフSGI」(五月号)の表紙写真は、ニュージーランドの湖畔に咲き誇るルピナスの花園である。「いつも幸せ」という花言葉の如く、喜びの楽園のようだ。
「ルピナス」といえば、アメリカの作家による美しい物語がある。
一人の少女が、おじいさんから「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたい」と夢を託される。
彼女がその夢を遂に実現する時が来たのは、年配となってからであった。自らの移り住んだ村に「ルピナス」の種を蒔いて歩き始めたのである。
彼女をあざ笑う人もいた。だが翌年の春、村はルピナスの花に包まれ、皆が喜びに輝いた。
まさに、おじいさんとの約束通り、「世の中を、もっとうつくしく」したのである。
そして「ルピナスさん」と呼ばれて慕われる彼女は、その夢のバトンを、一人の幼い少女に託すのである。
わが同志の日々の奔走も、「世の中を、もっとうつくしくする」夢を、世代を超えてつないでいく物語といえまいか。
「今日も元気で」の歌の通り、薫風の如く、使命の天地を走りながら、対話を通して「仏の種」を蒔き、自他共の幸福と平和の園を広げていく。まさに、創価の母たちの慈折広宣流布の行動そのものではないか。
その姿は生死を超えて、後継の生命に躍動していくのである。
◇
「七つの鐘」の構想を発表した、六十年前の春季総会で、私は恩師の「学会は宗教界の王者なり!」との大宣言を胸に、千日尼への御聖訓を同志に贈った。
「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(御書一三一〇ページ)
わが友よ、地涌の青年たちよ、今再び、師子王の如く恐れなく、大鷲の如く自在に、新たな広布の旅に出発しよう!
そして、前進勝利の鐘を打ち鳴らし、創価の宝の母たちに最敬礼して、感謝の心を捧げようではないか!
育てる側の成長にある。
相手の長所を見つけ
伸ばしゆく力を磨こう!
共に人間革命の実証を!
御講聞書 P833
『法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し、但だ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり』
【通解】
法華経の行者は、蓮華が泥水に染まらず清らかな花を咲かせるように、ただ一大事の南無妙法蓮華経を弘通することを本としなさい。
〈寸鉄〉 2018年5月18日
法華経にそめられ奉れば必ず仏に—御書。故に学ぼう。剣豪の如く真剣に
「秋田の日」。安心と喜び多い郷土の建設へ前進!励まし対話の旋風起こせ
中継行事の役員の皆さまありがとう!陰で光る大功労者。福徳は無量無辺
打てば響く人間になれ—戸田先生。速度が道開く。幹部は友の声に即反応を
熱中症に注意。室内でも発症。暑さに慣れぬ季節、水分・塩分補給等で予防
☆随筆 永遠なれ創価の大城 第31回 五月の空に栄光の虹
◇世界に鳴り響け広布大願の鐘
◇皆で最高に楽しき婦人部総会を!
「創価学会の日」の五月三日、本年は「創価学会母の日」の制定から三十周年である。
この日は予報を覆して雨が上がり、清々しい天気となった。妻は「婦人部の皆さん方が祈ってくださっているおかげですね。総本部へいらっしゃる方々や役員の方々も、雨に濡れないで良かったです」と微笑んでいた。
祝賀の朝、妻と共に総本部の周辺を車で回りながら、広宣流布大誓堂へ向かった。
「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊に勤行・唱題し、世界の全同志の健康長寿と無事安穏、そして幸福勝利を強盛に御祈念した。
この三月、七十五万人を超える若人が集った世界青年部総会で"勝ち鬨"を上げた勢いのままに、随喜の連帯は大きく広がり続けている。日本中、いな世界中から、歓喜踊躍の勝利と功徳の体験がいやまして寄せられる。
日蓮大聖人は、苦難を勝ち越えゆく門下の報告を心から喜ばれた。
「なによりも承りて・すず(爽)しく候」(御書一一七五ページ)。何よりも爽快である、と。
この仰せは、今年も五月三日の「栄光」の山に登り立った創価家族一人ひとりへの御照覧と、私には拝されてならない。
五月三日の空には虹も出て祝ってくれた、との心弾む報告も、地元・信濃町をはじめ千葉や富山など各地からいただいた。
大聖人は、十方の諸仏が法華経を「真実なり」と讃えた光景を、「無量無辺の虹の虚空に立ちたらんが如し」(同三五九ページ)とも表現されている。
太陽の母たちの婦人部総会も始まった。あの地この地に、七彩に輝く「栄光の虹」「友情の虹」「希望の虹」「幸の虹」「福智の虹」「和楽の虹」「平和の虹」が楽しく立ちのぼりゆくよう、妻と題目を送り続けている。
◇七つの鐘を共に
法難の投獄を勝ち越えられた戸田城聖先生が、戦後、直ちに学会再建の城を構えられたのは千代田区の西神田であった。
この忘れ得ぬ旧・学会本部があった地域を、先日(四月三十日)、久方ぶりに訪れた。恩師が会長就任に先立ち創刊された聖教新聞を、「日本中の人に読ませたい!」との思いで、私が自ら配って歩いた縁の地でもある。
神田一帯をはじめ千代田の同志のはつらつたる様子も、嬉しく伺った。
恩師の師子吼が蘇る。
「私は自分のからだ全体を学会のなかに投げ出し、世の苦悩の民衆のなかに葬ると決意したのである。この決意の日が、昭和二十六年五月三日であったのである」
その日、第二代会長に就任した戸田先生が烈々と宣言されたのが、弘教七十五万世帯という広宣流布の誓願であった。
以来、不惜の大闘争の「七歳」を重ね、誓願を一切成就なされて、先生は霊山へ旅立たれた(昭和三十三年四月二日)。
その直後、すなわち六十年前の五月三日、墨田区・両国の東京スタジアム(後に日大講堂)での春季総会で、私は「七つの鐘」の構想を訴えた。
——学会は創立以来、七年を節として前進のリズムを刻み、恩師と共に、我らは第四の鐘を鳴らしてきた。そして今、第五の鐘となる新たな七年の幕が開いた。さらに第六、第七の鐘を打ち、広布を実現しよう——と。
私は、いかなる試練にも屈せず、師匠から永遠に広宣流布の「魂の炎のバトン」を受け継ぐ弟子の誓いを、「七つの鐘」に託したのである。
現在、我らは二〇〇一年にスタートした「第二の七つの鐘」を高らかに打ち鳴らしながら、世界広宣流布の大道を、威風も堂々と進んでいる。
この「第二の七つの鐘」が鳴り終わるのは、西暦二〇五〇年——二十一世紀の中間であり、学会の創立百二十周年だ。
その時、仏法の人間主義の哲学が、どれほど世界を照らす太陽と輝き、我ら創価の大連帯が、どれほど人類の平和の柱と仰がれていることか。私の胸は熱くなる。
◇少人数に力あり
今年は、婦人部の「グループ」の発足から四十周年である。少人数での学習や懇談を積み重ね、妙法の功徳を広げてきた。
小さな語らいの場が、いかに大切か——。
私が関西の不二の同志と新たな民衆運動の波を起こしていた同じ頃、アメリカでは、かのキング博士を中心に「公民権運動」が拡大していた。
その渦中、一人の高名な歌手が、キング博士をはじめ運動のリーダーを自宅に招き語り合った。
学会活動の輪に飛び込んで活躍する、わが芸術部の宝友と重なり合う、この女性、マヘリア・ジャクソンは、小さな語らいの場に加わった感動を語っている。
「私が今まで生きてきたのはアメリカ黒人のための新しい夜明を見るためだったということ、歴史がまさに作られようとしているのだということを実感した」と。
キング博士の盟友であった歴史学者のハーディング博士も、「一対一の対話」を重視され、私に強く語られていた。
「どんな小さな集まりも、互いを知り、理解し、意見を交換するなかで、思いもよらない、新たな変革の可能性への道を見いだしていくことができるものです」
日常的に顔を合わせて、語り、対話し、励まし合う絆。これこそ、何よりも豊かな「価値創造の場」ではないか。
戸田先生は、「座談会は大聖人の仏法の会座である。慈愛に満ちあふれた、この世でいちばん楽しい会合であるべきだ」と言われた。
「グループ」のモットーには、「皆で語り 皆で学び 皆が創価の幸福博士に!」とある。
喜びあふれる婦人部総会を、壮年部も青年部も真心から応援しよう!
◇"達者に"と祈る
今年は「地区婦人部長」制がスタートしてからも、二十周年となる。
職業も、年代も、生活環境も異なる多彩なメンバーが集い合う創価家族のお母さんであり、「地域の幸福責任者」である地区婦人部長の毎日が、なんと忙しいことか!
小さなお子さんがいる婦人部長もいる。働きながら賢明に時間をやりくりし、活動に励む方もいる。「無冠の友」として朝一番から地域広布に走る人も多くいらっしゃる。
気高く、尊き母よ、お体を大切に、達者に、と深く祈る日々である。
大聖人から「日蓮よりも強盛の御志どもあり」(御書一一二六ページ)と讃えられた日眼女への御聖訓を拝したい。
「頭をふればかみ(髪)ゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」(同一一八七ページ)
経済苦や病気、介護、家庭の問題……現実には幾つも悩みがあろう。
だが、一念を定め、題目根本に課題に挑む時、苦しみも悲しみも越え、必ず充実と歓喜の人生が開ける。思ってもみなかった大福徳に包まれる。
これが「変毒為薬」の妙法であり、日蓮仏法の真髄である。
広布の前進を守る幾多の諸天善神は、我らの決定した一念で呼び起こしていくものなのだ。
◇夢をつなぐ物語
「女性輝く」と見出しが躍る「グラフSGI」(五月号)の表紙写真は、ニュージーランドの湖畔に咲き誇るルピナスの花園である。「いつも幸せ」という花言葉の如く、喜びの楽園のようだ。
「ルピナス」といえば、アメリカの作家による美しい物語がある。
一人の少女が、おじいさんから「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたい」と夢を託される。
彼女がその夢を遂に実現する時が来たのは、年配となってからであった。自らの移り住んだ村に「ルピナス」の種を蒔いて歩き始めたのである。
彼女をあざ笑う人もいた。だが翌年の春、村はルピナスの花に包まれ、皆が喜びに輝いた。
まさに、おじいさんとの約束通り、「世の中を、もっとうつくしく」したのである。
そして「ルピナスさん」と呼ばれて慕われる彼女は、その夢のバトンを、一人の幼い少女に託すのである。
わが同志の日々の奔走も、「世の中を、もっとうつくしくする」夢を、世代を超えてつないでいく物語といえまいか。
「今日も元気で」の歌の通り、薫風の如く、使命の天地を走りながら、対話を通して「仏の種」を蒔き、自他共の幸福と平和の園を広げていく。まさに、創価の母たちの慈折広宣流布の行動そのものではないか。
その姿は生死を超えて、後継の生命に躍動していくのである。
◇
「七つの鐘」の構想を発表した、六十年前の春季総会で、私は恩師の「学会は宗教界の王者なり!」との大宣言を胸に、千日尼への御聖訓を同志に贈った。
「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(御書一三一〇ページ)
わが友よ、地涌の青年たちよ、今再び、師子王の如く恐れなく、大鷲の如く自在に、新たな広布の旅に出発しよう!
そして、前進勝利の鐘を打ち鳴らし、創価の宝の母たちに最敬礼して、感謝の心を捧げようではないか!
2018年5月17日木曜日
2018.05.17 わが友に贈る
「一日の命は三千界の
財にもすぎて候なり」
今日という一日を
最高に価値あるものに!
其の原動力が信心だ!
撰時抄 P257
『答えて云く人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや良医薬を病人にあたう病人嫌いて服せずして死せば良医の失となるか』
【通解】
答う。ある人が大衆の便利をはかって路を作った。その路に迷うものがあるからといって、路を作るものの罪だとえるだろうか。
良医があって、大良薬を病人にあたえた時に、病人は薬を嫌って服しないで死んだならば、それが良医の過失となるであろうか。
〈寸鉄〉 2018年5月17日
「友の喜び友の歎き一つなり」御書。共に挑み、共に勝つ。団結が創価の要
男女青年部の「部長」よ頑張れ!生涯の原点築く時は今。拡大の黄金史を
他人に尽くす事で自己の力を量れる—作家。広布の人生こそ人間向上の道
ベルト着用で死亡事故の8割が助かった可能性—調査。全席で徹底を厳守
世界高血圧デー。重篤な疾患引き起こす因。睡眠・食事の見直しで生活改善
☆御書と歩む� 第18回 婦人部に功徳と幸福あれ
『いまは法華経をしらせ給いて仏にならせ給うべき女人なり』(乙御前母御書、1222ページ)
◇通解
今、(あなたは)法華経を慕われているので、必ず仏におなりになる女人である。
◇同志への指針
妙法と共に生きる女性が、不幸になるわけがない——御本仏の大慈悲が胸に迫る。
創価の母たちは日々、行学に励み、同志を励まし、仏縁を結び、後継の友を育んでくれている。
一つ一つの労苦が「心の財」となり、一歩一歩の挑戦が「福徳の道」となる。
皆が仏の境涯を開きゆく、楽しき婦人部総会の大成功を、妻と真剣に祈ります。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 生死一大事血脈抄(下) 2018年5月14日
◇広布に生きる師弟の絆は永遠
◇難を越えて信心を貫く弟子に
今月は、「生死一大事血脈抄」の後半を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中で次のようにつづっています。
「師弟は『三世の宿縁』です。広宣流布に真剣に戦えば、その深いつながりを確かに感じとることができるのです。日蓮仏法の精髄である『戦う師弟の精神』を現代に蘇らせたのが創価の初代・二代・三代の会長です。創価学会が出現しなければ、法華経、そして日蓮仏法の師弟の魂は潰えていたと言っても決して過言ではありません」
いかなる苦難にも負けない真の弟子の生き方と師弟の宿縁を学び、尊い広布の使命を果たしていきましょう。(拝読範囲は、御書1337ページ14行目「日本国の一切衆生」〜1338ページ本抄末尾です)
◇本抄について
本抄は、文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人が流罪地の佐渡で認められ、門下である最蓮房へ与えられたとされています。
最蓮房は、もとは天台宗の学僧でしたが、大聖人と同時期に何らかの理由で佐渡へ流罪されており、大聖人の法門と人格に触れて、弟子となりました。本抄は最蓮房が、「生死一大事血脈」について、大聖人に質問したことに対する御返事です。
「生死一大事」とは、生死の苦悩を解決するための、根本の大事の法という意味です。また「血脈」とは、仏から衆生へ、師から弟子へと法門が伝えられるさまを表しています。
◇御文
『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か、経に云く「衆山の中に須弥山為第一・此の法華経も亦復是くの如し」又云く「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」云云、過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』(御書1337ページ16行目〜1338ページ2行目)
◇通解
金は大火にも焼けず、大水にも流されず、朽ちることがない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようである。あなたが、どうして真金でないことがあろうか。法華経の金を持つゆえであろう。
法華経に「あらゆる山の中で、須弥山が第一である。この法華経もまた、一切経の中で第一である」(薬王品第23)とある。また「火も焼くことができず、水も漂わすことができない」(同)と説かれている。
あなたは、過去の宿縁に運ばれて、今度、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそ、ご存じであると思われる。「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」(化城喩品第7)との経文は、決して、嘘ではあるまい。
◇解説
日蓮大聖人は、最蓮房が大聖人とともに信心を貫いて難を受けたことに対し、掲げた御文の冒頭で金と鉄の譬えを用いて、最蓮房を"真金の人"であるとたたえられています。
金は、火に焼かれても水に漬かっても変質することはありません。一方、鉄は水に漬かれば、さびてしまいます。
苦難に遭っても信念を貫く最蓮房の生き方は、まさに「真金」です。
さらに大聖人は、最蓮房が「真金」である理由として、法華経という偉大な法を持つゆえであると言われています。そして、二つの経文を引かれ、法華経の偉大さと、持つ人の尊さを明かされます。
"法華経を持つ"とは、私たちの実践でいえば、万人の幸福を実現する妙法を持ち、師匠の広宣流布の大願を自らの誓願として受け継ぎ、信心を貫いていくことといえるでしょう。この師弟不二の実践のなかに"真金の生き方"があるのです。
続いて大聖人は、最蓮房との"師弟の宿縁の深さ"について教えられます。すなわち、大聖人と最蓮房の不思議な巡り合わせは、過去世からの宿縁であり、それは釈迦・多宝という二仏しか分からないものであると仰せです。
さらに、法華経化城喩品に説かれる「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」との経文に照らし、法華経を持つ師弟の深き宿縁を確信していくよう教えられています。
私たちは一人一人が、世界広布新時代の今この時に、自ら誓い願って師と共に広布の使命を担い生まれ合わせた華陽姉妹です。この尊い師弟の宿縁を自覚すれば、無限の力を発揮することができます。池田先生は女子部に呼び掛けています。
「わが人生の総仕上げのこの時、『華陽の誓い』を抱いて躍り出てこられた女子部の皆さんに、不思議な縁を感じてならない。宝の中の宝である皆さんに、広宣流布の未来の一切を託していきたい」
6・4「世界池田華陽会の日」へ、師弟不二の行動を受け継ぎ、真心の対話で華陽のスクラムを広げていきましょう!
★池田先生の講義から
仏法は「師弟の宗教」です。「師弟不二」が実践の真髄です。「師弟」を忘れれば、成仏もありません。永遠の幸福もなければ、広宣流布もありません。
それは、師弟の絆によってこそ「法」を伝えることができるからです。仏法は「生命の法」です。「生命の法」は、言葉や観念だけでは伝わりません。「生死一大事の血脈」も、その本質は、師弟の実践があるところに流れ通います。師弟がなければ、血脈も断絶してしまうことを知らねばなりません。(『生死一大事血脈抄講義』)
◇ ◆ ◇
仏法の師弟は永遠不滅です。私は「月月・日日に」、恩師・戸田城聖先生と前進しています。師弟は一体です。同じ目的に向かって、同じ責任をもって、同じ戦いをしていくのです。
毎朝、私は胸中の先生にご挨拶し、「きょうも一日、弟子は戦います。勝ちます!」とお誓い申し上げて出発する。
不二の一念で、全国、全世界の広布の指揮を執り、夜には一日の勇戦の結果を先生にご報告申し上げる。その連戦が私の毎日であります。(『御書と師弟』第3巻)
研さんのために
○…『生死一大事血脈抄講義』(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第3巻、「三世の勝利劇」上下(同)
財にもすぎて候なり」
今日という一日を
最高に価値あるものに!
其の原動力が信心だ!
撰時抄 P257
『答えて云く人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや良医薬を病人にあたう病人嫌いて服せずして死せば良医の失となるか』
【通解】
答う。ある人が大衆の便利をはかって路を作った。その路に迷うものがあるからといって、路を作るものの罪だとえるだろうか。
良医があって、大良薬を病人にあたえた時に、病人は薬を嫌って服しないで死んだならば、それが良医の過失となるであろうか。
〈寸鉄〉 2018年5月17日
「友の喜び友の歎き一つなり」御書。共に挑み、共に勝つ。団結が創価の要
男女青年部の「部長」よ頑張れ!生涯の原点築く時は今。拡大の黄金史を
他人に尽くす事で自己の力を量れる—作家。広布の人生こそ人間向上の道
ベルト着用で死亡事故の8割が助かった可能性—調査。全席で徹底を厳守
世界高血圧デー。重篤な疾患引き起こす因。睡眠・食事の見直しで生活改善
☆御書と歩む� 第18回 婦人部に功徳と幸福あれ
『いまは法華経をしらせ給いて仏にならせ給うべき女人なり』(乙御前母御書、1222ページ)
◇通解
今、(あなたは)法華経を慕われているので、必ず仏におなりになる女人である。
◇同志への指針
妙法と共に生きる女性が、不幸になるわけがない——御本仏の大慈悲が胸に迫る。
創価の母たちは日々、行学に励み、同志を励まし、仏縁を結び、後継の友を育んでくれている。
一つ一つの労苦が「心の財」となり、一歩一歩の挑戦が「福徳の道」となる。
皆が仏の境涯を開きゆく、楽しき婦人部総会の大成功を、妻と真剣に祈ります。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 生死一大事血脈抄(下) 2018年5月14日
◇広布に生きる師弟の絆は永遠
◇難を越えて信心を貫く弟子に
今月は、「生死一大事血脈抄」の後半を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中で次のようにつづっています。
「師弟は『三世の宿縁』です。広宣流布に真剣に戦えば、その深いつながりを確かに感じとることができるのです。日蓮仏法の精髄である『戦う師弟の精神』を現代に蘇らせたのが創価の初代・二代・三代の会長です。創価学会が出現しなければ、法華経、そして日蓮仏法の師弟の魂は潰えていたと言っても決して過言ではありません」
いかなる苦難にも負けない真の弟子の生き方と師弟の宿縁を学び、尊い広布の使命を果たしていきましょう。(拝読範囲は、御書1337ページ14行目「日本国の一切衆生」〜1338ページ本抄末尾です)
◇本抄について
本抄は、文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人が流罪地の佐渡で認められ、門下である最蓮房へ与えられたとされています。
最蓮房は、もとは天台宗の学僧でしたが、大聖人と同時期に何らかの理由で佐渡へ流罪されており、大聖人の法門と人格に触れて、弟子となりました。本抄は最蓮房が、「生死一大事血脈」について、大聖人に質問したことに対する御返事です。
「生死一大事」とは、生死の苦悩を解決するための、根本の大事の法という意味です。また「血脈」とは、仏から衆生へ、師から弟子へと法門が伝えられるさまを表しています。
◇御文
『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か、経に云く「衆山の中に須弥山為第一・此の法華経も亦復是くの如し」又云く「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」云云、過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』(御書1337ページ16行目〜1338ページ2行目)
◇通解
金は大火にも焼けず、大水にも流されず、朽ちることがない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようである。あなたが、どうして真金でないことがあろうか。法華経の金を持つゆえであろう。
法華経に「あらゆる山の中で、須弥山が第一である。この法華経もまた、一切経の中で第一である」(薬王品第23)とある。また「火も焼くことができず、水も漂わすことができない」(同)と説かれている。
あなたは、過去の宿縁に運ばれて、今度、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそ、ご存じであると思われる。「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」(化城喩品第7)との経文は、決して、嘘ではあるまい。
◇解説
日蓮大聖人は、最蓮房が大聖人とともに信心を貫いて難を受けたことに対し、掲げた御文の冒頭で金と鉄の譬えを用いて、最蓮房を"真金の人"であるとたたえられています。
金は、火に焼かれても水に漬かっても変質することはありません。一方、鉄は水に漬かれば、さびてしまいます。
苦難に遭っても信念を貫く最蓮房の生き方は、まさに「真金」です。
さらに大聖人は、最蓮房が「真金」である理由として、法華経という偉大な法を持つゆえであると言われています。そして、二つの経文を引かれ、法華経の偉大さと、持つ人の尊さを明かされます。
"法華経を持つ"とは、私たちの実践でいえば、万人の幸福を実現する妙法を持ち、師匠の広宣流布の大願を自らの誓願として受け継ぎ、信心を貫いていくことといえるでしょう。この師弟不二の実践のなかに"真金の生き方"があるのです。
続いて大聖人は、最蓮房との"師弟の宿縁の深さ"について教えられます。すなわち、大聖人と最蓮房の不思議な巡り合わせは、過去世からの宿縁であり、それは釈迦・多宝という二仏しか分からないものであると仰せです。
さらに、法華経化城喩品に説かれる「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」との経文に照らし、法華経を持つ師弟の深き宿縁を確信していくよう教えられています。
私たちは一人一人が、世界広布新時代の今この時に、自ら誓い願って師と共に広布の使命を担い生まれ合わせた華陽姉妹です。この尊い師弟の宿縁を自覚すれば、無限の力を発揮することができます。池田先生は女子部に呼び掛けています。
「わが人生の総仕上げのこの時、『華陽の誓い』を抱いて躍り出てこられた女子部の皆さんに、不思議な縁を感じてならない。宝の中の宝である皆さんに、広宣流布の未来の一切を託していきたい」
6・4「世界池田華陽会の日」へ、師弟不二の行動を受け継ぎ、真心の対話で華陽のスクラムを広げていきましょう!
★池田先生の講義から
仏法は「師弟の宗教」です。「師弟不二」が実践の真髄です。「師弟」を忘れれば、成仏もありません。永遠の幸福もなければ、広宣流布もありません。
それは、師弟の絆によってこそ「法」を伝えることができるからです。仏法は「生命の法」です。「生命の法」は、言葉や観念だけでは伝わりません。「生死一大事の血脈」も、その本質は、師弟の実践があるところに流れ通います。師弟がなければ、血脈も断絶してしまうことを知らねばなりません。(『生死一大事血脈抄講義』)
◇ ◆ ◇
仏法の師弟は永遠不滅です。私は「月月・日日に」、恩師・戸田城聖先生と前進しています。師弟は一体です。同じ目的に向かって、同じ責任をもって、同じ戦いをしていくのです。
毎朝、私は胸中の先生にご挨拶し、「きょうも一日、弟子は戦います。勝ちます!」とお誓い申し上げて出発する。
不二の一念で、全国、全世界の広布の指揮を執り、夜には一日の勇戦の結果を先生にご報告申し上げる。その連戦が私の毎日であります。(『御書と師弟』第3巻)
研さんのために
○…『生死一大事血脈抄講義』(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第3巻、「三世の勝利劇」上下(同)
2018年5月16日水曜日
2018.05.16 わが友に贈る
広布拡大の歴史は
「学会歌」と共に!
栄光と希望の曲を
高らかに歌いながら
前進勝利の日々を!
法華証明抄 P1587
『上下万人にあるいはいさめ或はをどし候いつるについに捨つる心なくて候へばすでに仏になるべしと見へ候へば天魔外道が病をつけてをどさんと心み候か命はかぎりある事なりすこしもをどろく事なかれ』
【通解】
上下万人から諫められたり、脅されたりしながらも、ついに信仰を捨てる心がなく、もはや成仏しそうになったので、天魔・外道が病気にさせて脅そうとしているのであろう。命にはかぎりがあるものだから、少しも驚いてはならない。
〈寸鉄〉 2018年5月16日
一対一の折伏が広宣流布達成の鉄則だ—戸田先生勇気の声が希望の万波と
婦人部総会がたけなわ!自他共の人生を、豊かに彩る心の交流と触発の泉
「師匠は大地の如し」御書弟子の成長が師の偉大さの証し。今いる所で勝て
幼児用座席付の自転車、転倒事故相次ぐ。親の余裕ある行動が無事故の要
世界保健機関がゲーム依存症を病気に認定。治療機関の充実等、対策急げ
☆虹を懸ける 池田先生とニュージーランド�=完 2018年5月6日
◇誓いこそ人生勝利の力
世界で初めてエベレストの登頂を成し遂げた、ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリー。彼は自伝の最後に、こうつづった。「私はまだこれからなすべき仕事があることを何よりも感謝している」(吉沢一郎訳『ヒラリー自伝』草思社)
ニュージーランドSGIの友の心もまた、師の励ましを胸に、広宣流布という"未聞の山"を登攀する喜びと感謝に輝いていた。
◇率先垂範の行動
広布への情熱を燃やすジミー・ワラスさん(副オセアニア長)は「池田先生と同志の支えがあったからこそ、今の私がいます」と、ほほ笑む。
首都ウェリントンで生まれ育った。幼い頃に両親が離婚。寂しさから、10代は自暴自棄の生活を送った。転機は20歳の時。友人に誘われ、SGIの集いに参加した。題目を唱えると、充足感と安らぎを感じ、入会した。
1988年7月、SGI青年研修会で来日した折、池田先生との出会いが。ワラスさんと目が合うと、先生は笑顔で親指を立てた。
ワラスさんも同じポーズをすると、先生はもう一度、親指を立て、ワラスさんにエールを送った。
「先生の温かい表情やまなざし、振る舞いに胸が熱くなりました。先生との出会いが、私の人生を変えたのです」
投資会社のIT部門に勤めていたワラスさん。信心を根本に社会で実証を示そうと、懸命に働き、ITインフラのスペシャリストに。大きな仕事も任されるようになった。
学会活動にも一歩も引かずに取り組み、2000年8月、36歳でニュージーランドSGIの理事長に就いた。
「当初、若すぎて自分はふさわしくないと思いました。でも、先生が32歳で創価学会の会長になられたことを思い出し、師と同じ心で皆に尽くそうと誓いました」
同国では、これまでウェリントンにある国会議事堂で、"ガンジー・キング・イケダ展"(03年)や"核兵器廃絶への挑戦展"(07年)、環境展示"希望の種子展"(11年)などを開催。ワラスさんは「その陰には、先生の指導を学び、『良き市民』を目指して、社会貢献に尽力してきた同志の行動がありました」と。自身も率先垂範で、地域の発展と友の幸福を祈り、昨年8月、友人一家に弘教を実らせている。
「池田先生から"他者に尽くすことが自身の喜びとなる"という深い人生観を学びました。生涯、師と共に広布にまい進します」
◇夫婦二人三脚で
ワラスさんの後任として、14年11月に理事長に就任したイアン・ゴードンさん。「妻に折伏されて入会しました」と、流ちょうな日本語で話す。
北部のダーガビルの出身。大学を卒業後、仕事を求め、1981年に来日。塾の英語講師として働き始めた。
だが、人間関係や経済的な面で苦境に。そんな時、後に妻となるセツコさん(全国総合婦人部長)から「6週間、信心を真剣に頑張れば、絶対にいい方向に変わるよ」と言われた。半信半疑だったが、勤行・唱題に挑戦。「3週間で、前よりも良い条件の職に就くことができました」
初信の功徳に確信を深めたゴードンさんは、首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い「東京インタナショナル・グループ(TIG)」の一員に。その後、池田先生と記念撮影の機会があった。「本当にうれしかったです。もっと先生のことを求め、学んでいこうと思いました」
89年、一家でニュージーランドへ渡った。転居したタウランガには、まだSGIメンバーがいなかったため、車で1時間半ほどかけ、ロトルアやハミルトンへ。点在する同志のもとに足しげく通う中、座談会が毎月、開かれるようになった。
92年、先生は新春の歌を2首詠んだ。その一つには、こうあった。
願わくば
大法輪を
世界へと
平和と文化の
宮殿つくると
法輪とは釈尊の説いた教えのことで、教法が輪のごとく転じ伝わって、悪を砕き、人を救っていくことを意味している。この和歌に接し、夫妻は広布への誓いを新たにした。
地域活動にも積極的に挑戦。98年からはロトルアのグラハム・ホール市長(当時)へ、地元のメンバーと共に先生の平和行動を語ってきた。2000年9月、市議会の決定を経て、先生の名を冠した「池田・ホール平和庭園」がロトルア市内に開園。毎年、満開の桜が咲き薫り、市民の憩いの場となっている。
二人三脚で広布の道を歩んできたゴードンさん夫妻。「これからも友情の輪を大きく広げ、平和と文化の宮殿を築いていきます」
◇青年との質問会
割れんばかりの拍手が会場を包んだ。02年9月、東京・信濃町で行われた世界平和祈念の勤行会。世界50カ国・地域から200人の青年が集った。
池田先生は会場に入るや、皆の健闘をたたえ、両手でVサインを。青年たちもVサインで返す。こぶしを握り締める青年に応え、先生もこぶしを掲げた。
当時、ニュージーランド女子部長だったカミーラ・ブラウンさん。「先生の振る舞いから、私たちをどこまでも信頼し、期待してくださっていることが伝わってきました」と声を弾ませる。
先生はスピーチした後、「質問はありますか?」と。次々と手が挙がった。
——友人を折伏するために、懸命に対話に励んでいます。「君の言うことは分かる。でも自分は、やらない」という人には、どうすればよいでしょうか(コートジボワール、男子部)。
「『祈る』ことです。断固たる決意を込めて、御本尊に祈ることです。祈りに勝るものはありません。これは理屈ではない。祈りがなければ、何をやっても空転です。祈って、祈って、祈り通して、その上で語っていけば、必ず変わっていきます」
——同世代の若い友人たちに、仏法の素晴らしさを伝えていく上での、指針を教えてください(オーストラリア、女子部)。
「自分自身の確信と体験を堂々と語り抜いていくことです。それが相手の生命に、幸福と希望の種を植えることになるのです。その種は、いつか必ず根を張り、芽を出し、花を咲かせます。それまで祈り続けて、時を待てばよいのです」
先生の言葉を抱き締め、ブラウンさんは広布一筋に歩んだ。
現在は、全国副婦人部長として拡大に先駆。1年間で7人に弘教を実らせたことも。昨年11月には、28年越しの対話で父親を入会に導いた。
「広宣流布のために自身が本気になって挑戦している時、師弟の絆は、どんどん強くなっていくと感じます。大切なのは、師弟の誓願を果たすために、今日をどう行動するかなのです」
朗らかに語る瞳には、前進への誓いが光っていた。
◇活躍光る新会員
オークランドのニュージーランド文化会館では平日の毎朝、自由勤行会が行われている。そこに、新会員のパラムジート・コールさん(女子地区リーダー)の姿もあった。
インド出身。家族と離れて、ニュージーランドの大学に通っていた時、父親の病気をきっかけに入会した。15年11月のことだった。
その後、真剣に唱題を重ねる中、父親は最善の治療が受けられ、回復へ。コールさんも、念願だった大学院博士課程への入学を果たした。現在は、情報システムの研究をしながら、大学の助手として働く。
愛読書は、池田先生の『青春対話』。「自分の悩みに対する答えが全部、書かれていたのです。友人にも、信心の素晴らしさを伝えたいと思いました」
"信心を求めている人に会わせてください"と祈りつつ、果敢に仏法対話に挑んだ。
これまでインド人、スリランカ人、ネパール人など、6人の友人を入会に導いた。今、さらに7人目の友人が唱題に挑戦しているという。
「女子部の先輩が『先生は、あなたの心にいつもいるよ』と教えてくれました。その時から"日々の唱題の中で、先生と対話しよう"と決めました。先生に誇りに思ってもらえるような弟子に成長していきたい」
◇ ◆ ◇
ニュージーランドは支部結成から36年で、26支部体制に発展している。その原動力は、"師に応えたい"という真剣な一念にあった。
師弟は、物理的な距離ではない。信仰の年数でもない。師との誓いに生きる時、その絆は強まり、人生の勝利を開く力となる。
「学会歌」と共に!
栄光と希望の曲を
高らかに歌いながら
前進勝利の日々を!
法華証明抄 P1587
『上下万人にあるいはいさめ或はをどし候いつるについに捨つる心なくて候へばすでに仏になるべしと見へ候へば天魔外道が病をつけてをどさんと心み候か命はかぎりある事なりすこしもをどろく事なかれ』
【通解】
上下万人から諫められたり、脅されたりしながらも、ついに信仰を捨てる心がなく、もはや成仏しそうになったので、天魔・外道が病気にさせて脅そうとしているのであろう。命にはかぎりがあるものだから、少しも驚いてはならない。
〈寸鉄〉 2018年5月16日
一対一の折伏が広宣流布達成の鉄則だ—戸田先生勇気の声が希望の万波と
婦人部総会がたけなわ!自他共の人生を、豊かに彩る心の交流と触発の泉
「師匠は大地の如し」御書弟子の成長が師の偉大さの証し。今いる所で勝て
幼児用座席付の自転車、転倒事故相次ぐ。親の余裕ある行動が無事故の要
世界保健機関がゲーム依存症を病気に認定。治療機関の充実等、対策急げ
☆虹を懸ける 池田先生とニュージーランド�=完 2018年5月6日
◇誓いこそ人生勝利の力
世界で初めてエベレストの登頂を成し遂げた、ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリー。彼は自伝の最後に、こうつづった。「私はまだこれからなすべき仕事があることを何よりも感謝している」(吉沢一郎訳『ヒラリー自伝』草思社)
ニュージーランドSGIの友の心もまた、師の励ましを胸に、広宣流布という"未聞の山"を登攀する喜びと感謝に輝いていた。
◇率先垂範の行動
広布への情熱を燃やすジミー・ワラスさん(副オセアニア長)は「池田先生と同志の支えがあったからこそ、今の私がいます」と、ほほ笑む。
首都ウェリントンで生まれ育った。幼い頃に両親が離婚。寂しさから、10代は自暴自棄の生活を送った。転機は20歳の時。友人に誘われ、SGIの集いに参加した。題目を唱えると、充足感と安らぎを感じ、入会した。
1988年7月、SGI青年研修会で来日した折、池田先生との出会いが。ワラスさんと目が合うと、先生は笑顔で親指を立てた。
ワラスさんも同じポーズをすると、先生はもう一度、親指を立て、ワラスさんにエールを送った。
「先生の温かい表情やまなざし、振る舞いに胸が熱くなりました。先生との出会いが、私の人生を変えたのです」
投資会社のIT部門に勤めていたワラスさん。信心を根本に社会で実証を示そうと、懸命に働き、ITインフラのスペシャリストに。大きな仕事も任されるようになった。
学会活動にも一歩も引かずに取り組み、2000年8月、36歳でニュージーランドSGIの理事長に就いた。
「当初、若すぎて自分はふさわしくないと思いました。でも、先生が32歳で創価学会の会長になられたことを思い出し、師と同じ心で皆に尽くそうと誓いました」
同国では、これまでウェリントンにある国会議事堂で、"ガンジー・キング・イケダ展"(03年)や"核兵器廃絶への挑戦展"(07年)、環境展示"希望の種子展"(11年)などを開催。ワラスさんは「その陰には、先生の指導を学び、『良き市民』を目指して、社会貢献に尽力してきた同志の行動がありました」と。自身も率先垂範で、地域の発展と友の幸福を祈り、昨年8月、友人一家に弘教を実らせている。
「池田先生から"他者に尽くすことが自身の喜びとなる"という深い人生観を学びました。生涯、師と共に広布にまい進します」
◇夫婦二人三脚で
ワラスさんの後任として、14年11月に理事長に就任したイアン・ゴードンさん。「妻に折伏されて入会しました」と、流ちょうな日本語で話す。
北部のダーガビルの出身。大学を卒業後、仕事を求め、1981年に来日。塾の英語講師として働き始めた。
だが、人間関係や経済的な面で苦境に。そんな時、後に妻となるセツコさん(全国総合婦人部長)から「6週間、信心を真剣に頑張れば、絶対にいい方向に変わるよ」と言われた。半信半疑だったが、勤行・唱題に挑戦。「3週間で、前よりも良い条件の職に就くことができました」
初信の功徳に確信を深めたゴードンさんは、首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い「東京インタナショナル・グループ(TIG)」の一員に。その後、池田先生と記念撮影の機会があった。「本当にうれしかったです。もっと先生のことを求め、学んでいこうと思いました」
89年、一家でニュージーランドへ渡った。転居したタウランガには、まだSGIメンバーがいなかったため、車で1時間半ほどかけ、ロトルアやハミルトンへ。点在する同志のもとに足しげく通う中、座談会が毎月、開かれるようになった。
92年、先生は新春の歌を2首詠んだ。その一つには、こうあった。
願わくば
大法輪を
世界へと
平和と文化の
宮殿つくると
法輪とは釈尊の説いた教えのことで、教法が輪のごとく転じ伝わって、悪を砕き、人を救っていくことを意味している。この和歌に接し、夫妻は広布への誓いを新たにした。
地域活動にも積極的に挑戦。98年からはロトルアのグラハム・ホール市長(当時)へ、地元のメンバーと共に先生の平和行動を語ってきた。2000年9月、市議会の決定を経て、先生の名を冠した「池田・ホール平和庭園」がロトルア市内に開園。毎年、満開の桜が咲き薫り、市民の憩いの場となっている。
二人三脚で広布の道を歩んできたゴードンさん夫妻。「これからも友情の輪を大きく広げ、平和と文化の宮殿を築いていきます」
◇青年との質問会
割れんばかりの拍手が会場を包んだ。02年9月、東京・信濃町で行われた世界平和祈念の勤行会。世界50カ国・地域から200人の青年が集った。
池田先生は会場に入るや、皆の健闘をたたえ、両手でVサインを。青年たちもVサインで返す。こぶしを握り締める青年に応え、先生もこぶしを掲げた。
当時、ニュージーランド女子部長だったカミーラ・ブラウンさん。「先生の振る舞いから、私たちをどこまでも信頼し、期待してくださっていることが伝わってきました」と声を弾ませる。
先生はスピーチした後、「質問はありますか?」と。次々と手が挙がった。
——友人を折伏するために、懸命に対話に励んでいます。「君の言うことは分かる。でも自分は、やらない」という人には、どうすればよいでしょうか(コートジボワール、男子部)。
「『祈る』ことです。断固たる決意を込めて、御本尊に祈ることです。祈りに勝るものはありません。これは理屈ではない。祈りがなければ、何をやっても空転です。祈って、祈って、祈り通して、その上で語っていけば、必ず変わっていきます」
——同世代の若い友人たちに、仏法の素晴らしさを伝えていく上での、指針を教えてください(オーストラリア、女子部)。
「自分自身の確信と体験を堂々と語り抜いていくことです。それが相手の生命に、幸福と希望の種を植えることになるのです。その種は、いつか必ず根を張り、芽を出し、花を咲かせます。それまで祈り続けて、時を待てばよいのです」
先生の言葉を抱き締め、ブラウンさんは広布一筋に歩んだ。
現在は、全国副婦人部長として拡大に先駆。1年間で7人に弘教を実らせたことも。昨年11月には、28年越しの対話で父親を入会に導いた。
「広宣流布のために自身が本気になって挑戦している時、師弟の絆は、どんどん強くなっていくと感じます。大切なのは、師弟の誓願を果たすために、今日をどう行動するかなのです」
朗らかに語る瞳には、前進への誓いが光っていた。
◇活躍光る新会員
オークランドのニュージーランド文化会館では平日の毎朝、自由勤行会が行われている。そこに、新会員のパラムジート・コールさん(女子地区リーダー)の姿もあった。
インド出身。家族と離れて、ニュージーランドの大学に通っていた時、父親の病気をきっかけに入会した。15年11月のことだった。
その後、真剣に唱題を重ねる中、父親は最善の治療が受けられ、回復へ。コールさんも、念願だった大学院博士課程への入学を果たした。現在は、情報システムの研究をしながら、大学の助手として働く。
愛読書は、池田先生の『青春対話』。「自分の悩みに対する答えが全部、書かれていたのです。友人にも、信心の素晴らしさを伝えたいと思いました」
"信心を求めている人に会わせてください"と祈りつつ、果敢に仏法対話に挑んだ。
これまでインド人、スリランカ人、ネパール人など、6人の友人を入会に導いた。今、さらに7人目の友人が唱題に挑戦しているという。
「女子部の先輩が『先生は、あなたの心にいつもいるよ』と教えてくれました。その時から"日々の唱題の中で、先生と対話しよう"と決めました。先生に誇りに思ってもらえるような弟子に成長していきたい」
◇ ◆ ◇
ニュージーランドは支部結成から36年で、26支部体制に発展している。その原動力は、"師に応えたい"という真剣な一念にあった。
師弟は、物理的な距離ではない。信仰の年数でもない。師との誓いに生きる時、その絆は強まり、人生の勝利を開く力となる。
2018年5月15日火曜日
2018.05.15 わが友に贈る
何事も受け身では
真の喜びは得られない。
時を創り 道を開こう!
わが一念を定めた時
生命も環境も躍動する。
椎地四郎殿御書 P1448
『先日御物語の事について彼の人の方へ相尋ね候いし処仰せ候いしが如く少しもちがはず候いき、これにつけてもいよいよはげまして法華経の功徳を得給うべし、師曠が耳離婁が眼のやうに聞見させ給へ』
【通解】
先日話されていたことについて、彼の人の方に尋ねたところ、あなたが仰せになられたのと少しの違いもなかった。
これにつけてもいよいよ信心に励んで法華経の功徳を得られるがよい。師曠(しこう)の耳、離婁(りろう)の眼のように、聞き、見ていきなさい。
〈寸鉄〉 2018年5月15日
師子王は前三後一—御書青年よ眼前の戦いに全力を!今が大成長の好機と
福島県婦人部の日。うつくしまを照らす太陽の母よ!弾む心で対話を拡大
沖縄本土復帰46年。戦争は二度と起こさせぬ!誓いの友ありて楽土永久に
国連の「国際家族デー」。家庭こそ平和創出の礎。我らは和楽の信心で前進
母親の3分の2が子供と遊ぶ最中に携帯操作と。子は大人の鑑と意識持ち
☆5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」記念特集(下) インタビュー アメリカ・エマソン協会元会長 サーラ・ワイダー博士
対話とは「聞くこと」「分かち合うこと」
全ての人が尊重される社会へ 心結ぶ「草の根」の運動を共に
女性の力を引き出す池田SGI会長の励まし
5・3「創価学会母の日」制定30周年を記念して、アメリカ・エマソン協会元会長で、コルゲート大学教授のサーラ・ワイダー博士に、婦人部の草の根の運動への期待を聞いた。(聞き手=萩本秀樹)
「母は太陽」——池田先生は、創価学会の活動を支え、周囲を希望の光で照らす婦人部を、心からたたえています。ワイダー博士と先生の対談集『母への讃歌』(潮出版社)も、女性への敬愛と感謝に満ちた言葉にあふれています。
5・3「創価学会母の日」を、心から祝福申し上げます。これまで私が重ねてきた婦人部の皆さまとの交流は、どれも心に残るものばかりです。
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が女性に送る励ましの言葉には「現実」と「理想」の両方が力強く表現されています。
家庭内や教育環境で、仕事をする上で、また社会の態度という意味で、女性が軽視され続けてきた現実を、会長はよく理解されています。残念なことに、私たちは今なお、会長が長編詩「母」で表現したような、希望が見いだしにくい社会に生きています。
すなわち、「灰色に染まりぬく公害の社会/濁りの音に狂いゆく窒息の都会/光明の道のない閉じこめられた地球/もはやそこには出口がない」と。
この長編詩は1971年に書かれたものですが、現代にも語り掛ける内容です。学会歌「母」の歌詞となった部分は有名ですが、私は長編詩の全編を読むことをお勧めします。会長はその中で、慈愛・包容・洞察・忍耐・誠実という、女性が理想とすべき資質を強調されているのです。
また会長が、しばしば母を「春」のイメージと結び付けていることも印象的です。女性の尊厳を思う時、それはある意味で"冬"の歴史でした。しかし、いかに冬が永遠に見えようとも、必ず春は来るとのメッセージが、会長の言葉に込められています。
会長自身が、ただ春を待つのではなく、前進し、行動することを大切にする人でもあります。私たちは、共に「道」を歩んでいくのであり、決して一人ではないとの励ましは、心にぬくもりを与えてくれます。
2006年に池田会長ご夫妻とお会いし、私はそれを身にしみて感じました。教育者は時に孤独を感じやすい職業ですが、会長が私の研究を心からたたえてくださったからこそ、私は、自分も他者に劣らぬ重要な存在であると、自覚することができたのです。
ワイダー博士と池田先生の対談では、博士のお母さまから歴史上の女性に至るまで、さまざまな女性像が話題になりました。博士はアメリカ屈指の教養大学であるコルゲート大学で女性学などを教えておられますが、女性の役割は近年、どう変化していますか。
初めて女性学の講座を教えた時、ある学生が、古の哲学者から近現代の平和指導者まで、世界の"偉人"と呼ばれる人物の言葉を集めてきました。どの言葉にも、女性を軽視する表現が含まれていたのです。
いずれの時代、いずこの場所も、この蔑視の風潮と無縁ではありません。
現代にあっては、世界各地の女性が、ラディカル(radical)な抵抗と主張に立ち上がるべきであると、私は考えます。
ラディカルには「根本的」という意味があります。大地とつながる根(root)を、私たちは大切にしなくてはなりません。科学的にも根というのは、木々の全体について多くのことを教えてくれる存在です。
一方で、根を比喩的に捉えた時、歴史上、どれほど多くの人たちが、戦争や暴力によって"根を引き抜かれ"てきたことか。居場所を追われ、命を奪われてきたのです。
根に思いを馳せることは、「共に生きる意味」を問い掛けることでもあります。そして私たちには、還るべきルーツ(roots)があります。ルーツを学び、それが私たちにどう影響を与えているかを知れば、これから取るべき行動が見えてきます。
共に暴力と戦う。人類は共生できると信じて、立ち上がる。この世界は暴力に支配される必要も、非道に独裁される必要も、恐怖に根を張る必要もないことを知り、団結によって得られる創造的な力を認め合って生きていく。これら全てが、私たちのルーツです。
女性が果たすべき役割について考える時、アメリカの女性詩人アドリエンヌ・リッチは、男性優越主義の中で生まれた科学や学問を「アウトサイダーの目」で見る重要性を訴えました。それは「省略されていることを見てとり、語られなかったことを聴き」とる能力であり、それこそが、真の非暴力の力であると呼び掛けています(『血、パン、詩。 アドリエンヌ・リッチ女性論』大島かおり訳・晶文社)。
女性の権利の促進においては、大多数の犠牲の上に、少数の人が恩恵を受けてきたといえます。私たちは、一握りの女性だけではなく、全ての女性、そして全ての人々が尊重される社会を築いていかなくてはなりません。それが今日の、そしてこれからの私たちの課題です。
創価学会の日々の活動も、全ての人が輝く社会を築くための実践です。これまで日本やアメリカで婦人部との交流を重ねてこられた博士は、婦人部の活動が、現代社会でどのような価値を持っているとお考えでしょうか。
私は、戦争・被爆証言を集め、DVDや書籍に収めるなど、平和と文化のための運動を活発に広げている婦人部の皆さまを、心から尊敬しています。皆さまの活動は、人類を人間主義のもとに一つに結び、過去の惨劇を二度と繰り返してはいけないとの誓いに立ち返らせてくれるのです。
東京のほか、東日本大震災の被災地でも、婦人部の皆さまと交流する機会に恵まれました。震災後、すぐに行動を起こしたのは創価学会であり、婦人部の皆さまだったことも、存じ上げています。他者に真心の「ケア」を送る、強さと能力に感銘を深くします。
とりわけ素晴らしいのは、そうした行動が権力者や有名人でもない、庶民によるものであることです。特別な人が、特別な行為をするのではなく、それぞれが身近な場所で、自分にできる「何か」を見つける。その連続の中で生まれる力の大きさを、「草の根」の連帯は教えてくれるのです。
そして池田会長が、陰に隠れがちなそうした庶民を、最大にたたえておられることに、感動を禁じ得ません。
女性の権利について語る時、しばしば、女性に「力(パワー)」を「与える」という意味の「エンパワー」という表現が使われますが、会長の励ましから受ける印象は、それとはまた違うのです。
それは会長が、女性に力を「与える」というより、本来持つ力を「引き出す」との思いに立っているからではないでしょうか。
2012年、博士は仙台で「心を結びつける言葉の力」と題して講演されました。学会の活動の根幹も対話であり、「言葉の力」で悩める友を励ます実践です。対話が持つ力とは何か、また、その実践はどうあるべきか、博士の意見を聞かせてください。
仙台での講演は、比較的多人数が聴講していましたが、不思議にも私は、その一人一人と、心でつながっている感覚を覚えました。それは参加者が、私の全てを受け止めてくれているかのような思いに包まれたからです。
日本やアメリカで、もっと少人数の婦人部の方々と交流した時も、同じように感じました。皆が互いの意見や発言に興味を示し、何でも言い合える空間をつくり出している光景を、目の当たりにしたのです。
これは対話において不可欠なことです。しかし実際は、多くの場合で欠けている要素でもあります。
そうした「空間」をなぜ、婦人部の皆さまは上手につくり出せるのか。それは多くの人が、「共に行動する」ことの重要性を知っているからでしょう。家族や友人たちの話を聞き、自分自身が認められ、励まされた経験があるのではないでしょうか。
こうして皆さまの心には、他者の物語を真に気に掛ける、思いやりの「根」が張っているのです。
私は、対話とは「聞く力」だと考えます。池田会長との語らいも、婦人部の皆さまとの交流も、「聞く」行為に満ちていました。
相手は何を語るのか。それが自分に何をもたらすのか。そんな好奇心と興味にあふれた経験でした。相手を決めつけたり、自分が不安になる必要もない。そうした空間をつくることが、全ての女性に「声」を与えることになるのです。
また対話とは、「分かち合う力」ともいえます。自身が悩みを打ち明けるからこそ、周囲からアドバイスをもらうこともできます。真の人間関係を築く上で、これはとても重要です。
こうして対話は、「協働作業」となるのです。対話し、共に課題に向き合った時、すでに私たちは、協力して何かを生み出しているといえるでしょう。
そして最後に、対話とはそれ自体が目的であり、価値の創造であると訴えたいと思います。「教える側」と「教えられる側」に分かれるものではなく、形ある答えに到達する必要もないのです。
あなたの話を聞き、人生を分かち合いたい——現代に求められるのは、人生を豊かにする、そんな心と心の交流です。
そうした対話の先頭を行く、婦人部の皆さまに心からの敬意を表します。そして今後とも、「女性の世紀」を築きゆく活動を、共に続けていけることを念願しています。
Sarah Wider エマソン協会元会長。詩人。全米屈指の教養大学・コルゲート大学の教授として、女性学、英文学などの講座を担当している。池田先生との対談集『母への讃歌——詩心と女性の時代を語る』は日本語、英語のほかイタリア語でも発刊されている。
真の喜びは得られない。
時を創り 道を開こう!
わが一念を定めた時
生命も環境も躍動する。
椎地四郎殿御書 P1448
『先日御物語の事について彼の人の方へ相尋ね候いし処仰せ候いしが如く少しもちがはず候いき、これにつけてもいよいよはげまして法華経の功徳を得給うべし、師曠が耳離婁が眼のやうに聞見させ給へ』
【通解】
先日話されていたことについて、彼の人の方に尋ねたところ、あなたが仰せになられたのと少しの違いもなかった。
これにつけてもいよいよ信心に励んで法華経の功徳を得られるがよい。師曠(しこう)の耳、離婁(りろう)の眼のように、聞き、見ていきなさい。
〈寸鉄〉 2018年5月15日
師子王は前三後一—御書青年よ眼前の戦いに全力を!今が大成長の好機と
福島県婦人部の日。うつくしまを照らす太陽の母よ!弾む心で対話を拡大
沖縄本土復帰46年。戦争は二度と起こさせぬ!誓いの友ありて楽土永久に
国連の「国際家族デー」。家庭こそ平和創出の礎。我らは和楽の信心で前進
母親の3分の2が子供と遊ぶ最中に携帯操作と。子は大人の鑑と意識持ち
☆5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」記念特集(下) インタビュー アメリカ・エマソン協会元会長 サーラ・ワイダー博士
対話とは「聞くこと」「分かち合うこと」
全ての人が尊重される社会へ 心結ぶ「草の根」の運動を共に
女性の力を引き出す池田SGI会長の励まし
5・3「創価学会母の日」制定30周年を記念して、アメリカ・エマソン協会元会長で、コルゲート大学教授のサーラ・ワイダー博士に、婦人部の草の根の運動への期待を聞いた。(聞き手=萩本秀樹)
「母は太陽」——池田先生は、創価学会の活動を支え、周囲を希望の光で照らす婦人部を、心からたたえています。ワイダー博士と先生の対談集『母への讃歌』(潮出版社)も、女性への敬愛と感謝に満ちた言葉にあふれています。
5・3「創価学会母の日」を、心から祝福申し上げます。これまで私が重ねてきた婦人部の皆さまとの交流は、どれも心に残るものばかりです。
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が女性に送る励ましの言葉には「現実」と「理想」の両方が力強く表現されています。
家庭内や教育環境で、仕事をする上で、また社会の態度という意味で、女性が軽視され続けてきた現実を、会長はよく理解されています。残念なことに、私たちは今なお、会長が長編詩「母」で表現したような、希望が見いだしにくい社会に生きています。
すなわち、「灰色に染まりぬく公害の社会/濁りの音に狂いゆく窒息の都会/光明の道のない閉じこめられた地球/もはやそこには出口がない」と。
この長編詩は1971年に書かれたものですが、現代にも語り掛ける内容です。学会歌「母」の歌詞となった部分は有名ですが、私は長編詩の全編を読むことをお勧めします。会長はその中で、慈愛・包容・洞察・忍耐・誠実という、女性が理想とすべき資質を強調されているのです。
また会長が、しばしば母を「春」のイメージと結び付けていることも印象的です。女性の尊厳を思う時、それはある意味で"冬"の歴史でした。しかし、いかに冬が永遠に見えようとも、必ず春は来るとのメッセージが、会長の言葉に込められています。
会長自身が、ただ春を待つのではなく、前進し、行動することを大切にする人でもあります。私たちは、共に「道」を歩んでいくのであり、決して一人ではないとの励ましは、心にぬくもりを与えてくれます。
2006年に池田会長ご夫妻とお会いし、私はそれを身にしみて感じました。教育者は時に孤独を感じやすい職業ですが、会長が私の研究を心からたたえてくださったからこそ、私は、自分も他者に劣らぬ重要な存在であると、自覚することができたのです。
ワイダー博士と池田先生の対談では、博士のお母さまから歴史上の女性に至るまで、さまざまな女性像が話題になりました。博士はアメリカ屈指の教養大学であるコルゲート大学で女性学などを教えておられますが、女性の役割は近年、どう変化していますか。
初めて女性学の講座を教えた時、ある学生が、古の哲学者から近現代の平和指導者まで、世界の"偉人"と呼ばれる人物の言葉を集めてきました。どの言葉にも、女性を軽視する表現が含まれていたのです。
いずれの時代、いずこの場所も、この蔑視の風潮と無縁ではありません。
現代にあっては、世界各地の女性が、ラディカル(radical)な抵抗と主張に立ち上がるべきであると、私は考えます。
ラディカルには「根本的」という意味があります。大地とつながる根(root)を、私たちは大切にしなくてはなりません。科学的にも根というのは、木々の全体について多くのことを教えてくれる存在です。
一方で、根を比喩的に捉えた時、歴史上、どれほど多くの人たちが、戦争や暴力によって"根を引き抜かれ"てきたことか。居場所を追われ、命を奪われてきたのです。
根に思いを馳せることは、「共に生きる意味」を問い掛けることでもあります。そして私たちには、還るべきルーツ(roots)があります。ルーツを学び、それが私たちにどう影響を与えているかを知れば、これから取るべき行動が見えてきます。
共に暴力と戦う。人類は共生できると信じて、立ち上がる。この世界は暴力に支配される必要も、非道に独裁される必要も、恐怖に根を張る必要もないことを知り、団結によって得られる創造的な力を認め合って生きていく。これら全てが、私たちのルーツです。
女性が果たすべき役割について考える時、アメリカの女性詩人アドリエンヌ・リッチは、男性優越主義の中で生まれた科学や学問を「アウトサイダーの目」で見る重要性を訴えました。それは「省略されていることを見てとり、語られなかったことを聴き」とる能力であり、それこそが、真の非暴力の力であると呼び掛けています(『血、パン、詩。 アドリエンヌ・リッチ女性論』大島かおり訳・晶文社)。
女性の権利の促進においては、大多数の犠牲の上に、少数の人が恩恵を受けてきたといえます。私たちは、一握りの女性だけではなく、全ての女性、そして全ての人々が尊重される社会を築いていかなくてはなりません。それが今日の、そしてこれからの私たちの課題です。
創価学会の日々の活動も、全ての人が輝く社会を築くための実践です。これまで日本やアメリカで婦人部との交流を重ねてこられた博士は、婦人部の活動が、現代社会でどのような価値を持っているとお考えでしょうか。
私は、戦争・被爆証言を集め、DVDや書籍に収めるなど、平和と文化のための運動を活発に広げている婦人部の皆さまを、心から尊敬しています。皆さまの活動は、人類を人間主義のもとに一つに結び、過去の惨劇を二度と繰り返してはいけないとの誓いに立ち返らせてくれるのです。
東京のほか、東日本大震災の被災地でも、婦人部の皆さまと交流する機会に恵まれました。震災後、すぐに行動を起こしたのは創価学会であり、婦人部の皆さまだったことも、存じ上げています。他者に真心の「ケア」を送る、強さと能力に感銘を深くします。
とりわけ素晴らしいのは、そうした行動が権力者や有名人でもない、庶民によるものであることです。特別な人が、特別な行為をするのではなく、それぞれが身近な場所で、自分にできる「何か」を見つける。その連続の中で生まれる力の大きさを、「草の根」の連帯は教えてくれるのです。
そして池田会長が、陰に隠れがちなそうした庶民を、最大にたたえておられることに、感動を禁じ得ません。
女性の権利について語る時、しばしば、女性に「力(パワー)」を「与える」という意味の「エンパワー」という表現が使われますが、会長の励ましから受ける印象は、それとはまた違うのです。
それは会長が、女性に力を「与える」というより、本来持つ力を「引き出す」との思いに立っているからではないでしょうか。
2012年、博士は仙台で「心を結びつける言葉の力」と題して講演されました。学会の活動の根幹も対話であり、「言葉の力」で悩める友を励ます実践です。対話が持つ力とは何か、また、その実践はどうあるべきか、博士の意見を聞かせてください。
仙台での講演は、比較的多人数が聴講していましたが、不思議にも私は、その一人一人と、心でつながっている感覚を覚えました。それは参加者が、私の全てを受け止めてくれているかのような思いに包まれたからです。
日本やアメリカで、もっと少人数の婦人部の方々と交流した時も、同じように感じました。皆が互いの意見や発言に興味を示し、何でも言い合える空間をつくり出している光景を、目の当たりにしたのです。
これは対話において不可欠なことです。しかし実際は、多くの場合で欠けている要素でもあります。
そうした「空間」をなぜ、婦人部の皆さまは上手につくり出せるのか。それは多くの人が、「共に行動する」ことの重要性を知っているからでしょう。家族や友人たちの話を聞き、自分自身が認められ、励まされた経験があるのではないでしょうか。
こうして皆さまの心には、他者の物語を真に気に掛ける、思いやりの「根」が張っているのです。
私は、対話とは「聞く力」だと考えます。池田会長との語らいも、婦人部の皆さまとの交流も、「聞く」行為に満ちていました。
相手は何を語るのか。それが自分に何をもたらすのか。そんな好奇心と興味にあふれた経験でした。相手を決めつけたり、自分が不安になる必要もない。そうした空間をつくることが、全ての女性に「声」を与えることになるのです。
また対話とは、「分かち合う力」ともいえます。自身が悩みを打ち明けるからこそ、周囲からアドバイスをもらうこともできます。真の人間関係を築く上で、これはとても重要です。
こうして対話は、「協働作業」となるのです。対話し、共に課題に向き合った時、すでに私たちは、協力して何かを生み出しているといえるでしょう。
そして最後に、対話とはそれ自体が目的であり、価値の創造であると訴えたいと思います。「教える側」と「教えられる側」に分かれるものではなく、形ある答えに到達する必要もないのです。
あなたの話を聞き、人生を分かち合いたい——現代に求められるのは、人生を豊かにする、そんな心と心の交流です。
そうした対話の先頭を行く、婦人部の皆さまに心からの敬意を表します。そして今後とも、「女性の世紀」を築きゆく活動を、共に続けていけることを念願しています。
Sarah Wider エマソン協会元会長。詩人。全米屈指の教養大学・コルゲート大学の教授として、女性学、英文学などの講座を担当している。池田先生との対談集『母への讃歌——詩心と女性の時代を語る』は日本語、英語のほかイタリア語でも発刊されている。
2018年5月14日月曜日
2018.05.14 わが友に贈る
◇今週のことば
妙法の実証は百発百中。
牧口先生の確信なり。
リーダーは最前線へ!
大誠実の励ましで
功徳の花を咲かせよう!
2018年5月14日
四条金吾殿御書 P1112
『定めて釈迦多宝仏十方の諸仏の御宝前にましまさん、是こそ四条金吾殿の母よ母よと同心に頭をなで悦びほめ給うらめ、あはれいみじき子を我はもちたりと釈迦仏とかたらせ給うらん』
【通解】
(亡くなられたあなたのお母さまは)きっと、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の御宝前にいらっしゃることでしょう。
そして、これらの仏は、「これこそ、四条金吾殿のお母さんですよ、お母さんですよ」と、皆、同じ心で、お母さまの頭をなで、喜び、ほめておられるでしょう。
お母さまは、「ああ、私は何と素晴らしい子どもを持ったことでしょう」と、釈迦仏と語っておられることでしょう。
〈寸鉄〉 2018年5月14日
「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」御書。悔いなき日々を師と共に
訓練なくして偉大な人生は歩めない—戸田先生。艱難に挑め。青年ならば
よく話を聞く—これ激励の要諦。納得と共感生む名将に。さあ励まし週間
自覚の声は必ず人の心を撃つ—魯迅。体験に勝るものなし。大確信で語れ
野菜の摂取不足は動脈硬化に拍車と。バランスの良い食生活を。健康の基
☆5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」記念特集(上) 創価の女性は世界の希望
婦人部「グループ」発足40周年
婦人部歌「母の曲」誕生40周年
婦人部愛唱歌「今日も元気で」発表50周年
一人ももれなく幸福に
きょう5月3日は「創価学会母の日」。本年は制定から30周年である。さらに婦人部の「グループ」発足40周年、婦人部歌「母の曲」誕生40周年、婦人部愛唱歌「今日も元気で」発表50周年など幾重にも佳節を刻む。「5・3」記念特集�では、「創価学会母の日」制定の淵源などを紹介。また、「5・3」を迎えた喜びを、永石婦人部長に聞いた。
「創価の女性のように、粘り強く平和活動に取り組み、地域社会で活躍する女性たちの存在がとても重要です。決意に輝く皆さんこそ、世界の希望の存在です」——平和学者のエリース・ボールディング博士は、創価の女性を最大にたたえる。
母は温かい。母は優しく、そして強い。世界広布も、太陽の母たちありて、前進の歩みを刻んできた。
その創価の母たちを誰よりもたたえてきたのが、池田先生ご夫妻である。
婦人部の「グループ」が発足した1978年(昭和53年)、第1次宗門事件の障魔の嵐が吹き荒れていた。その中で、友の心を鼓舞するため、先生は寸暇を割き、心を砕いて、次々と新しい学会歌を作った。
母の幸福を願い、この年に発表されたのが、「母の曲」である。同歌誕生の歴史は、小説『新・人間革命』第29巻「常楽」の章に詳しく描かれている。
婦人部が作成した「母の城」と題する歌詞の原案は、その年に完成した創価婦人会館(現・信濃文化会館)を「母の城」と詠っていた。
先生は、"家庭こそ「母の城」である"と強調。同年10月20日の夜、自ら歌詞の推敲を始めた。
悪侶や退転・反逆者らの学会批判に負けず、けなげに広布に走る婦人部を励まし、たたえたいと、次々と言葉が紡ぎ出されていった。先生が口述する「母の曲」の歌詞を、香峯子夫人がメモに書き留めた。
翌21日、東京・板橋文化会館(当時)で開催された本部幹部会で、先生が作詞した歌詞が発表された。
そして2日後の23日、婦人部代表幹部会で、「母の曲」が、白ゆり合唱団によって披露された。創価の母に寄せる師の深き思いを知り、婦人部は奮い立った。
「幼子抱きて 汗流し」——この歌を歌いながら、母たちは、自らの宿命と戦い、宗門事件の嵐を敢然と勝ち越えていった。
「誰か讃えむ この母を」——先生ご夫妻の慈愛を抱き締め、希望の輪を広げてきた。
同歌誕生から40周年となる本年。先月の本部幹部会で、白ゆり合唱団が「母の曲」を高らかに歌い上げた。
誉れの調べは、元初の使命に生きる母たちによって、歌い継がれていく。
◆◇◆
「グループ」発足、「母の曲」誕生から10年が経過した88年(同63年)。4月27日の第1回「全国婦人部幹部会」で、先生は二つの提案をした。
一つ目は、「5月3日」を「創価学会母の日」とすること。学会にとって重要な節目を、広布のために奮闘する母をたたえる日としたのである。
二つ目は、「赤・黄・青」の三色の婦人部旗の作製である。
「和楽(赤)・求道(黄)・福運(青)」の意義を込め、白ゆりを配した婦人部旗は、現在の創価学会の三色旗の原型となった。
先生は幹部会で語った。
「不自由に見える九界の現実の生活を離れて、どこか別世界に自由があるのではない」「妙法こそ事実の上に、真の『自由』を実現する無上の大法なのである」
宿命の鉄鎖に縛られ、"心の奴隷"になるのではなく、苦難の時こそ、師子王の信心を貫いていくことを訴えた。
師の呼び掛けに呼応し、新たな三色の旗を掲げて、婦人部は、幸と正義の行進を開始したのである。
◆◇◆
2000年(平成12年)9月8日、東京・信濃町に創価世界女性会館がオープン。翌9日、初訪問した先生は、香峯子夫人と共に視察した後、館内で勤行・唱題。万感の思いを語った。
「私は、婦人部・女子部の皆さまが、一人も残らず、幸福になられるよう、勝利されるよう、毎日、真剣に祈っています」
あなたよ、何があっても負けないで、幸福の人生を! 勝利の人生を!——
先生ご夫妻の祈りに包まれ、今や世界各地に、家庭を、地域を、社会を"太陽の心"で照らす創価の母がいる。地球を包む、そのスクラムは、"幸の大光"と輝いている。
永石婦人部長に聞く
●師への誓い新たに前進
いつもいつも、婦人部に最大の励ましを送ってくださる池田先生、奥さま。「創価学会母の日」制定30周年となる「5・3」を、先生・奥さまと共に迎えることができ、これ以上の喜びはありません。
先月の本部幹部会のメッセージで、先生は第3代会長に就任した1960年(昭和35年)5月3日に、奥さまと共に誓われたことをつづられました。
「世間から、いわれのない悪口罵詈を耐え忍んでくれている。この母たちが、日本中いな世界中から敬愛され、讃嘆される時代を必ず創り開こう! これこそ広宣流布の栄光の実像であるからだ」
あまりにも深い慈愛。その祈りありて、婦人部は朗らかに勝利の人生を開いてくることができたと心から実感します。
私たち婦人部にとって、「5・3」は師匠との原点に立ち返り、「師と共に」との決意を新たにする日です。師匠への誓いを胸に、世界広布の新たな歴史を築く前進を、きょうから開始していきます。
うれしいことに、「大白蓮華」5月号に、先生は巻頭言「日々、『創価の母の日』であれ!」をつづってくださいました。
その中で、「戸田先生の御指導を踏まえて、妻が折々に同志と語り合ってきたことがある。断崖絶壁に立って"もう一歩も退かない"と決めて祈った時から、『宿命』は『使命』に変わり始めるということである」とあります。
日本中、世界中に、悩みや苦しみがあっても、"一歩も退かない"と祈り、宿命転換の逆転劇を勝ち飾られた母がいます。一切を幸福へ、勝利へと転じ、家庭や地域に、功徳と歓喜の花を爛漫と咲かせてきた母がいます。
全て、先生・奥さまの励ましのおかげです。
太陽は、闇を晴らし、すべてを照らします。私たち婦人部は、「『人間革命』の朗らかな逆転劇」をつづりながら、一人一人の心に、希望の灯をともしてまいりましょう。
妙法の実証は百発百中。
牧口先生の確信なり。
リーダーは最前線へ!
大誠実の励ましで
功徳の花を咲かせよう!
2018年5月14日
四条金吾殿御書 P1112
『定めて釈迦多宝仏十方の諸仏の御宝前にましまさん、是こそ四条金吾殿の母よ母よと同心に頭をなで悦びほめ給うらめ、あはれいみじき子を我はもちたりと釈迦仏とかたらせ給うらん』
【通解】
(亡くなられたあなたのお母さまは)きっと、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の御宝前にいらっしゃることでしょう。
そして、これらの仏は、「これこそ、四条金吾殿のお母さんですよ、お母さんですよ」と、皆、同じ心で、お母さまの頭をなで、喜び、ほめておられるでしょう。
お母さまは、「ああ、私は何と素晴らしい子どもを持ったことでしょう」と、釈迦仏と語っておられることでしょう。
〈寸鉄〉 2018年5月14日
「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」御書。悔いなき日々を師と共に
訓練なくして偉大な人生は歩めない—戸田先生。艱難に挑め。青年ならば
よく話を聞く—これ激励の要諦。納得と共感生む名将に。さあ励まし週間
自覚の声は必ず人の心を撃つ—魯迅。体験に勝るものなし。大確信で語れ
野菜の摂取不足は動脈硬化に拍車と。バランスの良い食生活を。健康の基
☆5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」記念特集(上) 創価の女性は世界の希望
婦人部「グループ」発足40周年
婦人部歌「母の曲」誕生40周年
婦人部愛唱歌「今日も元気で」発表50周年
一人ももれなく幸福に
きょう5月3日は「創価学会母の日」。本年は制定から30周年である。さらに婦人部の「グループ」発足40周年、婦人部歌「母の曲」誕生40周年、婦人部愛唱歌「今日も元気で」発表50周年など幾重にも佳節を刻む。「5・3」記念特集�では、「創価学会母の日」制定の淵源などを紹介。また、「5・3」を迎えた喜びを、永石婦人部長に聞いた。
「創価の女性のように、粘り強く平和活動に取り組み、地域社会で活躍する女性たちの存在がとても重要です。決意に輝く皆さんこそ、世界の希望の存在です」——平和学者のエリース・ボールディング博士は、創価の女性を最大にたたえる。
母は温かい。母は優しく、そして強い。世界広布も、太陽の母たちありて、前進の歩みを刻んできた。
その創価の母たちを誰よりもたたえてきたのが、池田先生ご夫妻である。
婦人部の「グループ」が発足した1978年(昭和53年)、第1次宗門事件の障魔の嵐が吹き荒れていた。その中で、友の心を鼓舞するため、先生は寸暇を割き、心を砕いて、次々と新しい学会歌を作った。
母の幸福を願い、この年に発表されたのが、「母の曲」である。同歌誕生の歴史は、小説『新・人間革命』第29巻「常楽」の章に詳しく描かれている。
婦人部が作成した「母の城」と題する歌詞の原案は、その年に完成した創価婦人会館(現・信濃文化会館)を「母の城」と詠っていた。
先生は、"家庭こそ「母の城」である"と強調。同年10月20日の夜、自ら歌詞の推敲を始めた。
悪侶や退転・反逆者らの学会批判に負けず、けなげに広布に走る婦人部を励まし、たたえたいと、次々と言葉が紡ぎ出されていった。先生が口述する「母の曲」の歌詞を、香峯子夫人がメモに書き留めた。
翌21日、東京・板橋文化会館(当時)で開催された本部幹部会で、先生が作詞した歌詞が発表された。
そして2日後の23日、婦人部代表幹部会で、「母の曲」が、白ゆり合唱団によって披露された。創価の母に寄せる師の深き思いを知り、婦人部は奮い立った。
「幼子抱きて 汗流し」——この歌を歌いながら、母たちは、自らの宿命と戦い、宗門事件の嵐を敢然と勝ち越えていった。
「誰か讃えむ この母を」——先生ご夫妻の慈愛を抱き締め、希望の輪を広げてきた。
同歌誕生から40周年となる本年。先月の本部幹部会で、白ゆり合唱団が「母の曲」を高らかに歌い上げた。
誉れの調べは、元初の使命に生きる母たちによって、歌い継がれていく。
◆◇◆
「グループ」発足、「母の曲」誕生から10年が経過した88年(同63年)。4月27日の第1回「全国婦人部幹部会」で、先生は二つの提案をした。
一つ目は、「5月3日」を「創価学会母の日」とすること。学会にとって重要な節目を、広布のために奮闘する母をたたえる日としたのである。
二つ目は、「赤・黄・青」の三色の婦人部旗の作製である。
「和楽(赤)・求道(黄)・福運(青)」の意義を込め、白ゆりを配した婦人部旗は、現在の創価学会の三色旗の原型となった。
先生は幹部会で語った。
「不自由に見える九界の現実の生活を離れて、どこか別世界に自由があるのではない」「妙法こそ事実の上に、真の『自由』を実現する無上の大法なのである」
宿命の鉄鎖に縛られ、"心の奴隷"になるのではなく、苦難の時こそ、師子王の信心を貫いていくことを訴えた。
師の呼び掛けに呼応し、新たな三色の旗を掲げて、婦人部は、幸と正義の行進を開始したのである。
◆◇◆
2000年(平成12年)9月8日、東京・信濃町に創価世界女性会館がオープン。翌9日、初訪問した先生は、香峯子夫人と共に視察した後、館内で勤行・唱題。万感の思いを語った。
「私は、婦人部・女子部の皆さまが、一人も残らず、幸福になられるよう、勝利されるよう、毎日、真剣に祈っています」
あなたよ、何があっても負けないで、幸福の人生を! 勝利の人生を!——
先生ご夫妻の祈りに包まれ、今や世界各地に、家庭を、地域を、社会を"太陽の心"で照らす創価の母がいる。地球を包む、そのスクラムは、"幸の大光"と輝いている。
永石婦人部長に聞く
●師への誓い新たに前進
いつもいつも、婦人部に最大の励ましを送ってくださる池田先生、奥さま。「創価学会母の日」制定30周年となる「5・3」を、先生・奥さまと共に迎えることができ、これ以上の喜びはありません。
先月の本部幹部会のメッセージで、先生は第3代会長に就任した1960年(昭和35年)5月3日に、奥さまと共に誓われたことをつづられました。
「世間から、いわれのない悪口罵詈を耐え忍んでくれている。この母たちが、日本中いな世界中から敬愛され、讃嘆される時代を必ず創り開こう! これこそ広宣流布の栄光の実像であるからだ」
あまりにも深い慈愛。その祈りありて、婦人部は朗らかに勝利の人生を開いてくることができたと心から実感します。
私たち婦人部にとって、「5・3」は師匠との原点に立ち返り、「師と共に」との決意を新たにする日です。師匠への誓いを胸に、世界広布の新たな歴史を築く前進を、きょうから開始していきます。
うれしいことに、「大白蓮華」5月号に、先生は巻頭言「日々、『創価の母の日』であれ!」をつづってくださいました。
その中で、「戸田先生の御指導を踏まえて、妻が折々に同志と語り合ってきたことがある。断崖絶壁に立って"もう一歩も退かない"と決めて祈った時から、『宿命』は『使命』に変わり始めるということである」とあります。
日本中、世界中に、悩みや苦しみがあっても、"一歩も退かない"と祈り、宿命転換の逆転劇を勝ち飾られた母がいます。一切を幸福へ、勝利へと転じ、家庭や地域に、功徳と歓喜の花を爛漫と咲かせてきた母がいます。
全て、先生・奥さまの励ましのおかげです。
太陽は、闇を晴らし、すべてを照らします。私たち婦人部は、「『人間革命』の朗らかな逆転劇」をつづりながら、一人一人の心に、希望の灯をともしてまいりましょう。
2018年5月13日日曜日
2018.05.13 わが友に贈る
万人を幸福にする仏法を
自信満々と語りぬこう!
広布の請願に燃え
勇気と希望あふれる声を
友の胸中に響かせよう!
太田左衛門尉御返事 P1015
『予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか』
【通解】
私の法門は四悉檀を心掛けて説くならば、成仏の理に大きく違わないのであれば、とりあえず、一般社会の道理を用いるべきである。
〈寸鉄〉 2018年5月13日
SGIは人類共和の構築に貢献した—元大統領。心結ぶ対話へ堂々前進!
ただ信仰の力に生きんと心掛けんのみ—戸田先生強き祈りで宿命を使命に
母の日に望むのは"物"より子や孫の元気な姿と。偉大な母に感謝の言葉を
御書「結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す」。師弟の誉れは三世に輝く
4月の倒産件数28年ぶり低水準。実感できる経済再生へ公明よ更に尽くせ
☆誓いの天地 京都・京田辺新世紀圏 2018年5月1日
◇報恩の心で地域に尽くす
滔々たる木津川の流れ。緩やかな丘陵地に広がる緑鮮やかな田園。京都南部の「山城」と呼ばれる一帯は、かつて山城国に位置し、古くから、大阪・奈良を結ぶ要衝として栄えた。
京田辺市は、豊かな自然と学術研究都市が融合して発展してきた。
日本の「六玉川」の一つ「井手の玉川」が流れる井手町は、万葉の時代から、数多の歌人が歌に詠んだ景勝の地。
緑茶発祥の地といわれる宇治田原町には、歴史薫る文化財や史跡が点在する。
この1市2町を広布の舞台とするのが、京田辺新世紀圏である。友は広大な地域で訪問・激励に徹し、人材の連帯を広げる。
先月、圏男子部書記長に就いた大西広和さん。地元・京田辺市で、少年野球チームのコーチを務めている。
幼い頃から野球に打ち込み、中学卒業後、関西創価高校へ。主将として、関西校初となる春の選抜甲子園に出場し、ベスト4に輝いた。創価大学でも野球部主将を務めた。
4年次のリーグ戦で優勝した直後、創立者の池田先生に優勝旗を手渡す機会があった。先生は旗を受け取ると、エールを送るように重い優勝旗を八の字に大きく振った。師の大激励を胸に、チーム一丸で大学全国ベスト4を成し遂げた。
卒業後、地方銀行に就職。創価の人間野球で培った精神を胸に、仕事にも全力投球で臨んだ。だが、職場の人間関係で行き詰まった。その時、"負けたらあかん!"と支えてくれたのが、男子部の先輩だった。
"環境を変えるために、まず自分が変わろう"——そう決意し、学会活動にも挑戦。友人に弘教を実らせた。その後、職場の環境は改善し、取引先にも地道に信頼を広げていった。
2年前、長男が野球チームに入ったことを機に、指導に携わるように。
「学園、創大で池田先生から学んだ"心で勝つ"ことの大切さを、地域の子どもや後輩たちに伝えていきたい」
◇
福祉施設で働く岩田翔子さん(圏女子部主任部長)は、井手町で育った。実家は昨年から広布の会場として提供している。
かつては学会活動に積極的ではなかった。何度も通ってくれる女子部の先輩の励ましに発心。真剣に信心に励むようになった。
岩田さんは数年前、将来のことで深く悩んだ時期があった。目の前の仕事などで心が揺らぎ、悶々とした日々を過ごした。自分が悩んだ時、いつも励ましてくれる先輩が言った。
「"どんな人生を歩んでいきたいか"を明確にしていこう」
共に祈る中で、"自分らしく広宣流布の人生を"と心が定まった。
支えてくれた同志の恩に報いようと、対話に駆け、弘教を成就。「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790ページ)の御聖訓を胸に、訪問・激励に歩いてきた。
今年、関わってきた支部では、10人を超す女子部の新たな活動者が誕生。岩田さんが地道に蒔き続けてきた励ましの種が花開いた。
岩田さんは「大好きなわが町に、華陽のスクラムを広げていきたい」と誓う。
◇栄光の共戦譜
●幸福と和楽への「京都革命」
本年11月は、池田先生が落成間もない京都国際文化会館を初訪問してから20周年の佳節である。
1998年(平成10年)11月18日、先生は同会館で行われた京都総会の席上、力説した。
「守りだけではなく、打って出て、猛然と攻め、戦うことである。民衆を利用し、民衆をバカにする『権力の亡者』には目にものを見せるぞ——そういう意気で!」
烈々たる師の闘魂に、参加者の心が燃え上がる。
神社仏閣が甍を並べる国土世間で、威風堂々の前進を続けてきた京都の友。先生が同会館初訪問の折、万感の期待を込めて示した指針が、「京都革命」である。
先生は、60回を超える京都指導を通して、愛する友に真心の励ましを送り、後継を託す青年部に「戦う魂」を伝えてきた。
95年(同7年)5月21日には、京都平和講堂で行われた「常勝関西第1回青年部記念総会」に出席。「広宣流布の闘士として、名を後世に残しゆけ!」と訴えた。
会場の前から2列目で参加していた石本茂人さん(支部長)。「人生の最後の瞬間まで、師に応える戦いをと誓った原点です」
信心強盛な母・眞須美さん(婦人部副本部長)の背中を見て育った。97年(同9年)、大阪で行われた第17回「世界青年平和文化祭」では、演目の圏の責任者を務め、当日は創価班として任務に就いた。
場外に立っていた石本さんの前を、先生を乗せた車が通過。会場の側で車から降りた先生は、詰め掛けていた同志に笑顔で手を振り、会場に入っていった。
「寸暇を惜しんで会員を励まそうとされる先生の振る舞いに、胸が熱くなりました。"私も生涯、人のために尽くす人生を"と決めました」
6年前に独立し、貿易関係の商社を設立。中国、ベトナムなどで取引を展開している。
「自身が『京都革命』の担い手として、地域で、社会で勝利の実証を打ち立てていきます」
◇
京田辺新世紀圏は、京都の中で、第1次宗門事件の障魔の嵐が吹き荒れた地域の一つ。
特に井手町では、77年(昭和52年)ごろから、学会が寄進した寺の悪侶が、口汚い中傷を繰り返すようになった。
邪悪との闘争が続いていた翌78年(同53年)10月12日、池田先生が当時の圏の中心会館だった宇治平和会館を訪問した。
「ごめんやす」
先生の"京言葉"に、参加者の顔がほころぶ。
先生は、皆と記念撮影を行い、開館10周年記念の勤行会に出席。「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず」(御書1143ページ)を拝し、いかなる苦難にも動ぜず、確固たる福運に輝く実像の人生を生き抜く、凜々しき日々であっていただきたいと語った。
この会合に参加した加賀山睦さん(副圏長)。先生の隣で記念のカメラに納まった。抱きかかえるように励ます師の姿を目に焼き付け、同志を守り抜いた。
経済的に苦しく、中学から養鶏場で働き、卒業後は地元・井手町役場に就職。定時制の高校へ進学した。
東京で行われた定時制高等部員の会合に参加した折、信濃町で偶然、師との出会いを刻んだ。
関西から来たことを伝えると、先生は「何事にもくじけず、頑張るんだよ」と。一瞬の出会いだったが、深く心に響いた。
その後、近畿大学の夜間部へ進学。"じっとこらえて今に見ろ"との思いで、働きながら学び、学会活動に挑んだ。
現在、地元の区長として地域に尽くす加賀山さん。「何事にもくじけず」との師の指針を心のど真ん中に置き、誓いの人生を歩む。
中坊美佐子さん(支部副婦人部長)も、宗門事件の渦中に同志の激励に奔走した。夫・清和さん(副本部長)と共に、「"御本尊と自分""師匠と自分"との間に不純物を入れてはいけない」と、ひたすら同志を励まして歩いた。
師と初めての出会いを結んだのは、63年(同38年)5月31日、大阪府立体育会館で行われた関西本部幹部会。先生の勇壮な学会歌の指揮に、勇気が湧いた。
重度の貧血、姑との関係など、悩みにぶつかるたびに、師が指揮を執る姿を思い返し、不屈の祈りで乗り越えてきた。
破邪顕正の心は今も赤々と。夫妻で弘教拡大にまい進してきた。
長女・宣子さんは京田辺市で支部婦人部長、次女・篤子さんは宮城県で副白ゆり長を務める。母の"正義の心"を二人の娘も受け継いでいる。
◇
先生は京都の同志に書き贈った。
「一生涯、愛するわが都を、『幸福の都』『和楽の都』、さらにまた、『広布の都』『創価の都』として、素晴らしき広宣流布の模範の歴史を綴っていただきたい」
師弟の共戦譜が幾重にも刻まれてきた、世界の憧れ・京都。わが地域を「幸福の都」「和楽の都」へ——「京都革命」に挑む友の威風堂々の前進は続く。
自信満々と語りぬこう!
広布の請願に燃え
勇気と希望あふれる声を
友の胸中に響かせよう!
太田左衛門尉御返事 P1015
『予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか』
【通解】
私の法門は四悉檀を心掛けて説くならば、成仏の理に大きく違わないのであれば、とりあえず、一般社会の道理を用いるべきである。
〈寸鉄〉 2018年5月13日
SGIは人類共和の構築に貢献した—元大統領。心結ぶ対話へ堂々前進!
ただ信仰の力に生きんと心掛けんのみ—戸田先生強き祈りで宿命を使命に
母の日に望むのは"物"より子や孫の元気な姿と。偉大な母に感謝の言葉を
御書「結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す」。師弟の誉れは三世に輝く
4月の倒産件数28年ぶり低水準。実感できる経済再生へ公明よ更に尽くせ
☆誓いの天地 京都・京田辺新世紀圏 2018年5月1日
◇報恩の心で地域に尽くす
滔々たる木津川の流れ。緩やかな丘陵地に広がる緑鮮やかな田園。京都南部の「山城」と呼ばれる一帯は、かつて山城国に位置し、古くから、大阪・奈良を結ぶ要衝として栄えた。
京田辺市は、豊かな自然と学術研究都市が融合して発展してきた。
日本の「六玉川」の一つ「井手の玉川」が流れる井手町は、万葉の時代から、数多の歌人が歌に詠んだ景勝の地。
緑茶発祥の地といわれる宇治田原町には、歴史薫る文化財や史跡が点在する。
この1市2町を広布の舞台とするのが、京田辺新世紀圏である。友は広大な地域で訪問・激励に徹し、人材の連帯を広げる。
先月、圏男子部書記長に就いた大西広和さん。地元・京田辺市で、少年野球チームのコーチを務めている。
幼い頃から野球に打ち込み、中学卒業後、関西創価高校へ。主将として、関西校初となる春の選抜甲子園に出場し、ベスト4に輝いた。創価大学でも野球部主将を務めた。
4年次のリーグ戦で優勝した直後、創立者の池田先生に優勝旗を手渡す機会があった。先生は旗を受け取ると、エールを送るように重い優勝旗を八の字に大きく振った。師の大激励を胸に、チーム一丸で大学全国ベスト4を成し遂げた。
卒業後、地方銀行に就職。創価の人間野球で培った精神を胸に、仕事にも全力投球で臨んだ。だが、職場の人間関係で行き詰まった。その時、"負けたらあかん!"と支えてくれたのが、男子部の先輩だった。
"環境を変えるために、まず自分が変わろう"——そう決意し、学会活動にも挑戦。友人に弘教を実らせた。その後、職場の環境は改善し、取引先にも地道に信頼を広げていった。
2年前、長男が野球チームに入ったことを機に、指導に携わるように。
「学園、創大で池田先生から学んだ"心で勝つ"ことの大切さを、地域の子どもや後輩たちに伝えていきたい」
◇
福祉施設で働く岩田翔子さん(圏女子部主任部長)は、井手町で育った。実家は昨年から広布の会場として提供している。
かつては学会活動に積極的ではなかった。何度も通ってくれる女子部の先輩の励ましに発心。真剣に信心に励むようになった。
岩田さんは数年前、将来のことで深く悩んだ時期があった。目の前の仕事などで心が揺らぎ、悶々とした日々を過ごした。自分が悩んだ時、いつも励ましてくれる先輩が言った。
「"どんな人生を歩んでいきたいか"を明確にしていこう」
共に祈る中で、"自分らしく広宣流布の人生を"と心が定まった。
支えてくれた同志の恩に報いようと、対話に駆け、弘教を成就。「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790ページ)の御聖訓を胸に、訪問・激励に歩いてきた。
今年、関わってきた支部では、10人を超す女子部の新たな活動者が誕生。岩田さんが地道に蒔き続けてきた励ましの種が花開いた。
岩田さんは「大好きなわが町に、華陽のスクラムを広げていきたい」と誓う。
◇栄光の共戦譜
●幸福と和楽への「京都革命」
本年11月は、池田先生が落成間もない京都国際文化会館を初訪問してから20周年の佳節である。
1998年(平成10年)11月18日、先生は同会館で行われた京都総会の席上、力説した。
「守りだけではなく、打って出て、猛然と攻め、戦うことである。民衆を利用し、民衆をバカにする『権力の亡者』には目にものを見せるぞ——そういう意気で!」
烈々たる師の闘魂に、参加者の心が燃え上がる。
神社仏閣が甍を並べる国土世間で、威風堂々の前進を続けてきた京都の友。先生が同会館初訪問の折、万感の期待を込めて示した指針が、「京都革命」である。
先生は、60回を超える京都指導を通して、愛する友に真心の励ましを送り、後継を託す青年部に「戦う魂」を伝えてきた。
95年(同7年)5月21日には、京都平和講堂で行われた「常勝関西第1回青年部記念総会」に出席。「広宣流布の闘士として、名を後世に残しゆけ!」と訴えた。
会場の前から2列目で参加していた石本茂人さん(支部長)。「人生の最後の瞬間まで、師に応える戦いをと誓った原点です」
信心強盛な母・眞須美さん(婦人部副本部長)の背中を見て育った。97年(同9年)、大阪で行われた第17回「世界青年平和文化祭」では、演目の圏の責任者を務め、当日は創価班として任務に就いた。
場外に立っていた石本さんの前を、先生を乗せた車が通過。会場の側で車から降りた先生は、詰め掛けていた同志に笑顔で手を振り、会場に入っていった。
「寸暇を惜しんで会員を励まそうとされる先生の振る舞いに、胸が熱くなりました。"私も生涯、人のために尽くす人生を"と決めました」
6年前に独立し、貿易関係の商社を設立。中国、ベトナムなどで取引を展開している。
「自身が『京都革命』の担い手として、地域で、社会で勝利の実証を打ち立てていきます」
◇
京田辺新世紀圏は、京都の中で、第1次宗門事件の障魔の嵐が吹き荒れた地域の一つ。
特に井手町では、77年(昭和52年)ごろから、学会が寄進した寺の悪侶が、口汚い中傷を繰り返すようになった。
邪悪との闘争が続いていた翌78年(同53年)10月12日、池田先生が当時の圏の中心会館だった宇治平和会館を訪問した。
「ごめんやす」
先生の"京言葉"に、参加者の顔がほころぶ。
先生は、皆と記念撮影を行い、開館10周年記念の勤行会に出席。「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず」(御書1143ページ)を拝し、いかなる苦難にも動ぜず、確固たる福運に輝く実像の人生を生き抜く、凜々しき日々であっていただきたいと語った。
この会合に参加した加賀山睦さん(副圏長)。先生の隣で記念のカメラに納まった。抱きかかえるように励ます師の姿を目に焼き付け、同志を守り抜いた。
経済的に苦しく、中学から養鶏場で働き、卒業後は地元・井手町役場に就職。定時制の高校へ進学した。
東京で行われた定時制高等部員の会合に参加した折、信濃町で偶然、師との出会いを刻んだ。
関西から来たことを伝えると、先生は「何事にもくじけず、頑張るんだよ」と。一瞬の出会いだったが、深く心に響いた。
その後、近畿大学の夜間部へ進学。"じっとこらえて今に見ろ"との思いで、働きながら学び、学会活動に挑んだ。
現在、地元の区長として地域に尽くす加賀山さん。「何事にもくじけず」との師の指針を心のど真ん中に置き、誓いの人生を歩む。
中坊美佐子さん(支部副婦人部長)も、宗門事件の渦中に同志の激励に奔走した。夫・清和さん(副本部長)と共に、「"御本尊と自分""師匠と自分"との間に不純物を入れてはいけない」と、ひたすら同志を励まして歩いた。
師と初めての出会いを結んだのは、63年(同38年)5月31日、大阪府立体育会館で行われた関西本部幹部会。先生の勇壮な学会歌の指揮に、勇気が湧いた。
重度の貧血、姑との関係など、悩みにぶつかるたびに、師が指揮を執る姿を思い返し、不屈の祈りで乗り越えてきた。
破邪顕正の心は今も赤々と。夫妻で弘教拡大にまい進してきた。
長女・宣子さんは京田辺市で支部婦人部長、次女・篤子さんは宮城県で副白ゆり長を務める。母の"正義の心"を二人の娘も受け継いでいる。
◇
先生は京都の同志に書き贈った。
「一生涯、愛するわが都を、『幸福の都』『和楽の都』、さらにまた、『広布の都』『創価の都』として、素晴らしき広宣流布の模範の歴史を綴っていただきたい」
師弟の共戦譜が幾重にも刻まれてきた、世界の憧れ・京都。わが地域を「幸福の都」「和楽の都」へ——「京都革命」に挑む友の威風堂々の前進は続く。
2018年5月12日土曜日
2018.05.12 わが友に贈る
さあ一軒また一軒と
喜びの訪問・激励を!
会って語り合えば
自分も相手も元気に!
弾む命で大きく動こう!
妙密上人御消息 P1241
『日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり、二人三人十人百人一国二国六十六箇国已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん、又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん、木はしづかならんと思へども風やまず春を留んと思へども夏となる』
【通解】
また日蓮は日本国でただ一人、南無妙法蓮華経と題目を唱えたのである。このことは須弥山という大山を形成する最初の一塵であり、大海を構成する最初の一露である。二人・三人・十人・百人・一国・二国・六十六箇国まで弘まり壱岐・対馬まにまで及ぶであろう。今は日蓮を謗じていた人達も題目を唱えるであろう。
また日本国の上一人より下万民にいたるまで、法華経の神力品が説かれているように、必ず一同に声を合わせて南無妙法蓮華経ととなえることがあるだろう。それは木は静かであると思っても風がやまないために動くし、春を留めようと思っても必ず夏が来るのと同じようにとどめようのないことである。
〈寸鉄〉 2018年5月12日
仏は慈悲で、凡夫は勇気で人々を救うのだ—戸田先生。励ましの光、今日も
人が真に向上できるのは逆境の時である—詩人。青年よ大胆な挑戦王に!
「国際看護師の日」。抜苦与楽に尽くす白樺の友に最敬礼を。幸福勝利あれ
流行続く「はしか」。妊婦、ワクチン未接種の人は注意。油断なく健康第一で
暑さに慣れない時期。早めの水分・塩分補給で熱中症対策。充実の日々を
☆みんなで学ぶ教学 第15回 難を乗り越える信心
◇何があっても"負けない"境涯を
信心に励む途上で、さまざまな困難や悩みにぶつかることがあります。なぜ、そうした「難」にあうのでしょう。また、どういった意味があるのでしょう。今回の「みんなで学ぶ教学」では、「難を乗り越える信心」をテーマに学びます。
◇悩みがない=幸せ?
——創価学会に入る前は、「悩みがないことが幸せだ」と思っていました。
悩みや苦しみのない生活に憧れを抱く気持ちも分かりますが、人生の途上には、苦難や課題がつきものです。
また、周囲からは幸せそうに見える人でも、心の内面が満たされているとは限りません。
私たちは、一生成仏、すなわち、この一生のうちに何ものにも揺るがない幸福境涯を築くことを目指して信心に励んでいます。
一方で、信心を実践していけば、必ず苦難に直面します。そうした苦難を、仏法では「難」といいます。
——どうして難が起こるのですか?
仏の境涯を目指す修行は、自身の生命を根底から変革する挑戦です。ゆえに、その変革を阻止しようとする働きとして、難が起こるのです。
仏道修行の過程で起こる障害に「三障四魔」があります。
日蓮大聖人は、「三障四魔」について、競い起こってきても、随っても恐れてもならないと仰せです。「三障四魔」に翻弄されないためにも、それらの内容について学びましょう。
◇「三障四魔」の内容
——「三障」とは「三つの障り」という意味でしょうか。
その通りです。「障」とは、障り、妨げの意です。信心の支障となる働きに「煩悩障」「業障」「報障」があります。
煩悩障とは、貪り、瞋り、癡かなどの自身の煩悩(心身を煩わせ悩ませる心の働き)が修行の妨げとなることをいいます。
業障とは、悪業(心身に関わる過去の悪い行為)により生じ、私たちの信仰を妨げるものです。大聖人は、例として、妻子など身近な存在によって起こると仰せです。
報障とは、過去世の悪業の報いとして、現世に受けた悪い境涯が仏道修行の障害となることをいいます。大聖人は、自身に強い影響を与える権力者や父母などによって起こる妨げを配当されています。
——「魔」というと、「睡魔」「邪魔」といった言葉を連想しますが……。
「魔」とは、古代インドの言葉「マーラ」を漢字で表したもので、「奪命者」「奪功徳者」と訳されます。仏道修行者の心を悩まし、破壊しようとする働きのことで、「四魔」には、「陰魔」「煩悩魔」「死魔」「天子魔」があります。
陰魔とは、修行者の五陰(心身の働き)の不調和が妨げとなることです。
煩悩魔とは、煩悩によって信心が破壊されることです。
死魔とは、修行者の生命を絶つことで信仰を妨げようとする働きです。修行者の死をもって他の修行者に信心の疑いを起こさせることも、死魔の働きといえるでしょう。
天子魔とは、生命の根本的な迷いから起こる魔です。「第六天の魔王」ともいい、権力などありとあらゆる力を使って修行者に迫害を加えます。
池田先生は、「大事なのは、魔を魔と見破る眼を持つことである。そのために、教学があり、信心があるのだ」と教えられています。
◇困難を前進のバネに
——なんだか、怖くなってきました。
大丈夫ですよ。御聖訓には、「難が来たことをもって安楽と心得るべきである」(御書750ページ、通解)とあります。
信心に励む途上で直面する難は、たとえるならば、船が進む時に波の抵抗が起こるようなものです。その波浪を押し切ることによって境涯は開かれます。あたかもサーフィンをする際、サーファーが、向かってくる荒波を楽しむようなものです。
——困難を成長のエネルギーにすればいいのですね。
その通りです。その上で大切なことは、煩悩や家族の問題、心身の不調、死といっても、それら自体が障魔ではない、ということです。これに引きずられてしまう弱い生命、つまり、信心の迷いによって魔の働きとなってしまうのです。
大聖人は「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)と仰せです。
三障四魔が出現した時こそ、信心を深める好機と確信して、むしろ喜ぶ"賢者の信心"で挑戦を続けることが大切なのです。
◇放課後メモ
「難を乗り越える信心」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…『創価学会永遠の五指針』65ページ(聖教新聞社)
○…指導選集『幸福と平和を創る智慧』第2部[中]135ページ(同)
○…『教学入門』89ページ(同)
喜びの訪問・激励を!
会って語り合えば
自分も相手も元気に!
弾む命で大きく動こう!
妙密上人御消息 P1241
『日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり、二人三人十人百人一国二国六十六箇国已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん、又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん、木はしづかならんと思へども風やまず春を留んと思へども夏となる』
【通解】
また日蓮は日本国でただ一人、南無妙法蓮華経と題目を唱えたのである。このことは須弥山という大山を形成する最初の一塵であり、大海を構成する最初の一露である。二人・三人・十人・百人・一国・二国・六十六箇国まで弘まり壱岐・対馬まにまで及ぶであろう。今は日蓮を謗じていた人達も題目を唱えるであろう。
また日本国の上一人より下万民にいたるまで、法華経の神力品が説かれているように、必ず一同に声を合わせて南無妙法蓮華経ととなえることがあるだろう。それは木は静かであると思っても風がやまないために動くし、春を留めようと思っても必ず夏が来るのと同じようにとどめようのないことである。
〈寸鉄〉 2018年5月12日
仏は慈悲で、凡夫は勇気で人々を救うのだ—戸田先生。励ましの光、今日も
人が真に向上できるのは逆境の時である—詩人。青年よ大胆な挑戦王に!
「国際看護師の日」。抜苦与楽に尽くす白樺の友に最敬礼を。幸福勝利あれ
流行続く「はしか」。妊婦、ワクチン未接種の人は注意。油断なく健康第一で
暑さに慣れない時期。早めの水分・塩分補給で熱中症対策。充実の日々を
☆みんなで学ぶ教学 第15回 難を乗り越える信心
◇何があっても"負けない"境涯を
信心に励む途上で、さまざまな困難や悩みにぶつかることがあります。なぜ、そうした「難」にあうのでしょう。また、どういった意味があるのでしょう。今回の「みんなで学ぶ教学」では、「難を乗り越える信心」をテーマに学びます。
◇悩みがない=幸せ?
——創価学会に入る前は、「悩みがないことが幸せだ」と思っていました。
悩みや苦しみのない生活に憧れを抱く気持ちも分かりますが、人生の途上には、苦難や課題がつきものです。
また、周囲からは幸せそうに見える人でも、心の内面が満たされているとは限りません。
私たちは、一生成仏、すなわち、この一生のうちに何ものにも揺るがない幸福境涯を築くことを目指して信心に励んでいます。
一方で、信心を実践していけば、必ず苦難に直面します。そうした苦難を、仏法では「難」といいます。
——どうして難が起こるのですか?
仏の境涯を目指す修行は、自身の生命を根底から変革する挑戦です。ゆえに、その変革を阻止しようとする働きとして、難が起こるのです。
仏道修行の過程で起こる障害に「三障四魔」があります。
日蓮大聖人は、「三障四魔」について、競い起こってきても、随っても恐れてもならないと仰せです。「三障四魔」に翻弄されないためにも、それらの内容について学びましょう。
◇「三障四魔」の内容
——「三障」とは「三つの障り」という意味でしょうか。
その通りです。「障」とは、障り、妨げの意です。信心の支障となる働きに「煩悩障」「業障」「報障」があります。
煩悩障とは、貪り、瞋り、癡かなどの自身の煩悩(心身を煩わせ悩ませる心の働き)が修行の妨げとなることをいいます。
業障とは、悪業(心身に関わる過去の悪い行為)により生じ、私たちの信仰を妨げるものです。大聖人は、例として、妻子など身近な存在によって起こると仰せです。
報障とは、過去世の悪業の報いとして、現世に受けた悪い境涯が仏道修行の障害となることをいいます。大聖人は、自身に強い影響を与える権力者や父母などによって起こる妨げを配当されています。
——「魔」というと、「睡魔」「邪魔」といった言葉を連想しますが……。
「魔」とは、古代インドの言葉「マーラ」を漢字で表したもので、「奪命者」「奪功徳者」と訳されます。仏道修行者の心を悩まし、破壊しようとする働きのことで、「四魔」には、「陰魔」「煩悩魔」「死魔」「天子魔」があります。
陰魔とは、修行者の五陰(心身の働き)の不調和が妨げとなることです。
煩悩魔とは、煩悩によって信心が破壊されることです。
死魔とは、修行者の生命を絶つことで信仰を妨げようとする働きです。修行者の死をもって他の修行者に信心の疑いを起こさせることも、死魔の働きといえるでしょう。
天子魔とは、生命の根本的な迷いから起こる魔です。「第六天の魔王」ともいい、権力などありとあらゆる力を使って修行者に迫害を加えます。
池田先生は、「大事なのは、魔を魔と見破る眼を持つことである。そのために、教学があり、信心があるのだ」と教えられています。
◇困難を前進のバネに
——なんだか、怖くなってきました。
大丈夫ですよ。御聖訓には、「難が来たことをもって安楽と心得るべきである」(御書750ページ、通解)とあります。
信心に励む途上で直面する難は、たとえるならば、船が進む時に波の抵抗が起こるようなものです。その波浪を押し切ることによって境涯は開かれます。あたかもサーフィンをする際、サーファーが、向かってくる荒波を楽しむようなものです。
——困難を成長のエネルギーにすればいいのですね。
その通りです。その上で大切なことは、煩悩や家族の問題、心身の不調、死といっても、それら自体が障魔ではない、ということです。これに引きずられてしまう弱い生命、つまり、信心の迷いによって魔の働きとなってしまうのです。
大聖人は「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)と仰せです。
三障四魔が出現した時こそ、信心を深める好機と確信して、むしろ喜ぶ"賢者の信心"で挑戦を続けることが大切なのです。
◇放課後メモ
「難を乗り越える信心」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…『創価学会永遠の五指針』65ページ(聖教新聞社)
○…指導選集『幸福と平和を創る智慧』第2部[中]135ページ(同)
○…『教学入門』89ページ(同)
2018年5月11日金曜日
2018.05.11 わが友に贈る
仏法は最高の道理だ。
「良質な睡眠」
「適度な運動」
「賢明な食生活」で
心身共に生き生きと!
開目抄上 P192
『仏法を学せん人知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし』
【通解】
仏法を修学する人は、知恩報恩がなくてはならない。仏弟子は必ず四恩を知って知恩報恩するべきである。
〈寸鉄〉 2018年5月11日
「善知識に値う事が第一のかたき事」御書。同志と団結固く。支え合い前進
滋賀婦人部の日。朗らかに幸福のスクラム拡大!湖国照らす偉大な太陽よ
まず"必ず勝つ"と決めきっていけ—戸田先生。強気の一念が常勝の鉄則
悩みは人を粘り強くし、鍛える—作家。青春時代の陰の労苦は生涯の宝に
小学1年生の交通事故は5〜6月に急増。慣れた道こそ油断禁物と声掛け
☆御書と歩む� 第17回 後継の成長こそ世界の希望
『法華経の御命をつがせ給う事・三世の諸仏を供養し給へるにてあるなり、十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし、尊しとも申す計りなし』(上野殿御返事、1512ページ)
◇通解
(南条時光が日蓮大聖人を支え)法華経の御命を継がせておられることは、三世の諸仏を供養されていることであり、十方の衆生の眼を開く功徳となろう。その尊さは言いようがない。
◇同志への指針
大聖人は若き弟子の成長を最大に喜ばれた。南条時光が仏法を護り、師を支える奮闘は、全世界の人々の眼を開く功徳と讃えられている。
御本仏直結の学会も、民衆の幸福に尽くし、人類の眼目と光る人材群を育てるのだ。
青年部、未来部の宝の若人よ、朗らかに学び伸びゆけ! たくましく自身を鍛え、力をつけよ! 世界が君の成長を待っている。
☆5月度座談会拝読御書 椎地四郎殿御書
大難こそ法華経の行者の証し 聡明な生き方で苦難を宿命転換の好機に
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が門下の椎地四郎に与えられたお手紙です。
御執筆は弘長元年(1261年)4月と伝えられていますが、諸説があり明らかではありません。
椎地四郎に与えられた御書は本抄のみであり、どういう人物であったか詳しくは分かりませんが、本抄を拝すると、深く仏法を求め、地道で清らかな信心を貫いていたことがうかがえます。
本抄では、大難を受けることは、法華経の行者の証しであると述べられたあと、法華経を一句でも説き語る人は、「如来の使」であり、椎地四郎自身も、その最高に尊い使命に生きる人であると称賛されています。
また、法華経の一文一句をも聞いて魂に染め抜く人は、「妙法蓮華経の船」に乗って、苦悩に満ちた生死の大海を越え成仏を果たす人であると励まされています。
◇拝読御文
『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや、大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや』
◇難を乗り越える信心
「此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(御書1136ページ)等、日蓮大聖人は、御書の随所で"法華経を持てば難に遭う"と仰せです。
では、正しい法(正法)を持った人が、なぜ難に遭うのでしょうか。
正法を信じ行じて、成仏の境涯を目指すということは、自身の生命を根底から変革させていくことです。
どんな変革にあってもそうですが、仏道修行においても、その変革を起こさせまいとする働きが、自身の生命自体や、あるいは周囲の人間関係の中に生じます。ちょうど、船が進む時に、抵抗で波が起こるようなものです。
成仏を目指す仏道修行の途上に起こる、このような障害に「三障四魔」があります。
また、法華経には、末法濁悪の世に法華経を弘める「法華経の行者」に対して「三類の強敵」が現れ、迫害することが説かれています。これは、釈尊入滅後の悪世において、一切衆生の成仏を願って法華経を広宣流布しようとする実践のあるところに起こってくる迫害です。
釈尊も、さまざまに起こる心の迷いを魔の働きであると見抜いて覚りを得ました。魔を打ち破るものは、何事にも紛動されない強い信心です。
大聖人は「しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(同1091ページ)と仰せです。
三障四魔をはじめとする難に直面した時こそ、成仏への大きな前進の時と確信して、むしろこれを喜ぶ"賢者の信心"で乗り越えていくことが大切なのです。
◇「現世安隠」
法華経薬草喩品第5には「現世安隠、後生善処」(法華経244ページ)と説かれています。法華経を信受すれば、現世は安らかであり、来世には善い所に生まれるとの意味です。
「現世安隠」と述べられているにもかかわらず、法華経を持つ人に必ず難が競い起こるというのは、どういうことなのでしょうか。
日蓮仏法における「安穏」とは、生活、人生の上で波風が立たない平穏な状態をいうのではありません。
一般的にも、生活、人生において苦悩や困難がないということはあり得ません。
一生成仏を目指す仏道修行の過程には、三障四魔、三類の強敵をはじめとする難が必ず競い起こります。「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」(御書1190ページ)との覚悟で信心に励み、難を乗り越える"確固たる自身"を築く中に、真の「現世安隠」があることを知らなくてはなりません。
御書に「妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(750ページ)と示されています。"難こそ安楽"と受け止めていく強靱な信心こそ肝要です。信心根本に難に立ち向かうなかで、何ものにも微動だにしない境涯(真の安楽)を築くことができます。その歩みこそ一生成仏と宿命転換の直道となるのです。
日蓮大聖人は「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり」(御書1143ページ)と仰せです。
何があっても妙法を持ち抜いて広布の実践を貫く中で、永遠にわたる安穏の境涯が確立されることを確信していきましょう。
◇椎地四郎
日蓮大聖人は本抄の末尾で「四条金吾殿に見参候はば能く能く語り給い候へ」(御書1449ページ)と仰せです。
また、四条金吾や富木常忍宛ての御書に椎地四郎の名前が出てきます。
こうしたことから、椎地四郎は大聖人の晩年、各地の門下と大聖人のもとを行き来していたこと、さらに門下の様子を大聖人に報告し、大聖人のお心を門下に伝える役割を担っていたことがうかがえます。
また、本抄の冒頭には、椎地四郎が大聖人に対し何らかの報告をしたことが記されています。
この件について大聖人が、その人本人に確認をされたところ、椎地四郎の報告と全く同じであったと、たたえられています。
その際、大聖人が言及されているのが、「師曠が耳」「離婁が眼」(同1448ページ)との故事です。
師曠は、中国古代の音楽家であり、耳のさとい者の例えです。離婁は、中国古代の伝説上の人物とされ、非常に目の良い人の例です。
これらの故事を挙げられながら、椎地四郎の正確な報告を称賛されています。
★池田先生の指針から 妙法根本に幸福な人生を
法華経の行者の実践を貫き、経文を証明してきたのが、大聖人にほかなりません。
そのうえで「但し」以下の御文では、法華経の行者の要件が綴られています。その根本が、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」との仰せです。
いかなる大難にも真正面から立ち向かい、勝利し、悠然と乗り越えていくのが、法華経の信心です。御書には「悦び身に余りたる」(1343ページ)、「大に悦ばし」(237ページ)、「いよいよ悦びをますべし」(203ページ)と、「大難」即「歓喜」の仰せが随所に示されています。
どんなに大難があっても、正法弘通に生き抜き、目の前の一人の苦悩を取り除き、幸福の種を心田に植えていく悦びに勝るものはない。この最高にして最強、そして最尊の人生を促す力が、法華経に具わっています。法華経に生き切ること自体が、最高の幸福なのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻)
◇ ◆ ◇
「大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや」
この御文を拝するたびに、いかなる迫害にも屈することなく、悠々と大難を受け入れ、勝ち越えられた大聖人の広大な御境涯が偲ばれ、深い感動を新たにします。
ともあれ、難があるからこそ、信心の炎が燃え上がる。大海のごとき広大な境涯を開いていける。そして必ず仏になれる。信心があれば、大難こそ宿命転換の絶好の機会ととらえていけるのです。
さらに大聖人は、「大難なくば法華経の行者にはあらじ」と仰せです。法華経に説かれた通りに大難が起こるということは、末法の法華経の行者としての実践が正しかったという何よりの証左となるのです。
大聖人の御在世当時、世間でも法華経を信じる者たちは少なからずいました。しかし彼らは、ただ自らの功徳を求めて講義を聴いたり、写経をしたりするだけにすぎませんでした。それは、「困難な時代に、命懸けで迷い悩める人を、一人残らず断じて救う」という仏の真意とは、かけ離れた法華経観であったのです。
この当時の法華経観を敢然と打ち破られたのが、大聖人の死身弘法の「行者」としての大闘争であられました。(同)
◇参考文献
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻(聖教新聞社)
「良質な睡眠」
「適度な運動」
「賢明な食生活」で
心身共に生き生きと!
開目抄上 P192
『仏法を学せん人知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし』
【通解】
仏法を修学する人は、知恩報恩がなくてはならない。仏弟子は必ず四恩を知って知恩報恩するべきである。
〈寸鉄〉 2018年5月11日
「善知識に値う事が第一のかたき事」御書。同志と団結固く。支え合い前進
滋賀婦人部の日。朗らかに幸福のスクラム拡大!湖国照らす偉大な太陽よ
まず"必ず勝つ"と決めきっていけ—戸田先生。強気の一念が常勝の鉄則
悩みは人を粘り強くし、鍛える—作家。青春時代の陰の労苦は生涯の宝に
小学1年生の交通事故は5〜6月に急増。慣れた道こそ油断禁物と声掛け
☆御書と歩む� 第17回 後継の成長こそ世界の希望
『法華経の御命をつがせ給う事・三世の諸仏を供養し給へるにてあるなり、十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし、尊しとも申す計りなし』(上野殿御返事、1512ページ)
◇通解
(南条時光が日蓮大聖人を支え)法華経の御命を継がせておられることは、三世の諸仏を供養されていることであり、十方の衆生の眼を開く功徳となろう。その尊さは言いようがない。
◇同志への指針
大聖人は若き弟子の成長を最大に喜ばれた。南条時光が仏法を護り、師を支える奮闘は、全世界の人々の眼を開く功徳と讃えられている。
御本仏直結の学会も、民衆の幸福に尽くし、人類の眼目と光る人材群を育てるのだ。
青年部、未来部の宝の若人よ、朗らかに学び伸びゆけ! たくましく自身を鍛え、力をつけよ! 世界が君の成長を待っている。
☆5月度座談会拝読御書 椎地四郎殿御書
大難こそ法華経の行者の証し 聡明な生き方で苦難を宿命転換の好機に
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が門下の椎地四郎に与えられたお手紙です。
御執筆は弘長元年(1261年)4月と伝えられていますが、諸説があり明らかではありません。
椎地四郎に与えられた御書は本抄のみであり、どういう人物であったか詳しくは分かりませんが、本抄を拝すると、深く仏法を求め、地道で清らかな信心を貫いていたことがうかがえます。
本抄では、大難を受けることは、法華経の行者の証しであると述べられたあと、法華経を一句でも説き語る人は、「如来の使」であり、椎地四郎自身も、その最高に尊い使命に生きる人であると称賛されています。
また、法華経の一文一句をも聞いて魂に染め抜く人は、「妙法蓮華経の船」に乗って、苦悩に満ちた生死の大海を越え成仏を果たす人であると励まされています。
◇拝読御文
『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや、大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや』
◇難を乗り越える信心
「此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(御書1136ページ)等、日蓮大聖人は、御書の随所で"法華経を持てば難に遭う"と仰せです。
では、正しい法(正法)を持った人が、なぜ難に遭うのでしょうか。
正法を信じ行じて、成仏の境涯を目指すということは、自身の生命を根底から変革させていくことです。
どんな変革にあってもそうですが、仏道修行においても、その変革を起こさせまいとする働きが、自身の生命自体や、あるいは周囲の人間関係の中に生じます。ちょうど、船が進む時に、抵抗で波が起こるようなものです。
成仏を目指す仏道修行の途上に起こる、このような障害に「三障四魔」があります。
また、法華経には、末法濁悪の世に法華経を弘める「法華経の行者」に対して「三類の強敵」が現れ、迫害することが説かれています。これは、釈尊入滅後の悪世において、一切衆生の成仏を願って法華経を広宣流布しようとする実践のあるところに起こってくる迫害です。
釈尊も、さまざまに起こる心の迷いを魔の働きであると見抜いて覚りを得ました。魔を打ち破るものは、何事にも紛動されない強い信心です。
大聖人は「しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(同1091ページ)と仰せです。
三障四魔をはじめとする難に直面した時こそ、成仏への大きな前進の時と確信して、むしろこれを喜ぶ"賢者の信心"で乗り越えていくことが大切なのです。
◇「現世安隠」
法華経薬草喩品第5には「現世安隠、後生善処」(法華経244ページ)と説かれています。法華経を信受すれば、現世は安らかであり、来世には善い所に生まれるとの意味です。
「現世安隠」と述べられているにもかかわらず、法華経を持つ人に必ず難が競い起こるというのは、どういうことなのでしょうか。
日蓮仏法における「安穏」とは、生活、人生の上で波風が立たない平穏な状態をいうのではありません。
一般的にも、生活、人生において苦悩や困難がないということはあり得ません。
一生成仏を目指す仏道修行の過程には、三障四魔、三類の強敵をはじめとする難が必ず競い起こります。「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」(御書1190ページ)との覚悟で信心に励み、難を乗り越える"確固たる自身"を築く中に、真の「現世安隠」があることを知らなくてはなりません。
御書に「妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(750ページ)と示されています。"難こそ安楽"と受け止めていく強靱な信心こそ肝要です。信心根本に難に立ち向かうなかで、何ものにも微動だにしない境涯(真の安楽)を築くことができます。その歩みこそ一生成仏と宿命転換の直道となるのです。
日蓮大聖人は「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり」(御書1143ページ)と仰せです。
何があっても妙法を持ち抜いて広布の実践を貫く中で、永遠にわたる安穏の境涯が確立されることを確信していきましょう。
◇椎地四郎
日蓮大聖人は本抄の末尾で「四条金吾殿に見参候はば能く能く語り給い候へ」(御書1449ページ)と仰せです。
また、四条金吾や富木常忍宛ての御書に椎地四郎の名前が出てきます。
こうしたことから、椎地四郎は大聖人の晩年、各地の門下と大聖人のもとを行き来していたこと、さらに門下の様子を大聖人に報告し、大聖人のお心を門下に伝える役割を担っていたことがうかがえます。
また、本抄の冒頭には、椎地四郎が大聖人に対し何らかの報告をしたことが記されています。
この件について大聖人が、その人本人に確認をされたところ、椎地四郎の報告と全く同じであったと、たたえられています。
その際、大聖人が言及されているのが、「師曠が耳」「離婁が眼」(同1448ページ)との故事です。
師曠は、中国古代の音楽家であり、耳のさとい者の例えです。離婁は、中国古代の伝説上の人物とされ、非常に目の良い人の例です。
これらの故事を挙げられながら、椎地四郎の正確な報告を称賛されています。
★池田先生の指針から 妙法根本に幸福な人生を
法華経の行者の実践を貫き、経文を証明してきたのが、大聖人にほかなりません。
そのうえで「但し」以下の御文では、法華経の行者の要件が綴られています。その根本が、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」との仰せです。
いかなる大難にも真正面から立ち向かい、勝利し、悠然と乗り越えていくのが、法華経の信心です。御書には「悦び身に余りたる」(1343ページ)、「大に悦ばし」(237ページ)、「いよいよ悦びをますべし」(203ページ)と、「大難」即「歓喜」の仰せが随所に示されています。
どんなに大難があっても、正法弘通に生き抜き、目の前の一人の苦悩を取り除き、幸福の種を心田に植えていく悦びに勝るものはない。この最高にして最強、そして最尊の人生を促す力が、法華経に具わっています。法華経に生き切ること自体が、最高の幸福なのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻)
◇ ◆ ◇
「大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや」
この御文を拝するたびに、いかなる迫害にも屈することなく、悠々と大難を受け入れ、勝ち越えられた大聖人の広大な御境涯が偲ばれ、深い感動を新たにします。
ともあれ、難があるからこそ、信心の炎が燃え上がる。大海のごとき広大な境涯を開いていける。そして必ず仏になれる。信心があれば、大難こそ宿命転換の絶好の機会ととらえていけるのです。
さらに大聖人は、「大難なくば法華経の行者にはあらじ」と仰せです。法華経に説かれた通りに大難が起こるということは、末法の法華経の行者としての実践が正しかったという何よりの証左となるのです。
大聖人の御在世当時、世間でも法華経を信じる者たちは少なからずいました。しかし彼らは、ただ自らの功徳を求めて講義を聴いたり、写経をしたりするだけにすぎませんでした。それは、「困難な時代に、命懸けで迷い悩める人を、一人残らず断じて救う」という仏の真意とは、かけ離れた法華経観であったのです。
この当時の法華経観を敢然と打ち破られたのが、大聖人の死身弘法の「行者」としての大闘争であられました。(同)
◇参考文献
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻(聖教新聞社)
2018年5月10日木曜日
2018.05.10 わが友に贈る
「病ある人 仏になる」
病気は信心を深め
仏の境涯を開く転機だ。
題目の師子吼を轟かせ
断じて病魔に負けるな!
可延定業書 P985
『夫れ病に二あり一には軽病二には重病重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す何に況や軽病をや』
【通解】
そもそも病には二つある。一には軽病、二には重病である。重病でも善い医者にかかり、早く治療すれば命を永らえることができる。まして軽病はうまでもない。
〈寸鉄〉 2018年5月10日
SGIを宣揚することが社会の発展につながる—議長。平和世紀の灯台と
「信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣」御書。必ず勝つ!強く祈り進め
人生は永遠の創造である—詩人。「まだまだ」と向上する多宝の友が模範
勉強しない者は弟子ではない—戸田先生。後継よ一流の人格と見識を磨け
プラごみが深海を汚染。生態系に悪影響も。循環型社会へ家庭から一歩を
☆本紙創刊67周年を記念 無冠の友へのメッセージ
◇皆が人間革命の勝利劇を
◇百花繚乱の無量の福徳よ薫れ!
春風のようにさっそうと、本紙の配達に走る「無冠の友」。"希望の哲理"を届ける友の尊い一歩一歩が、地域に百花繚乱の福徳を広げゆく。ここでは、本紙配達員の機関紙「無冠」の創刊記念日特集に掲載された、池田先生のメッセージを紹介する。
我らの聖教新聞の創刊67周年の春を、全国の「無冠の友」の皆さま方と共に、晴れやかに迎えることができました。
とりわけ、この冬は、各地で記録的な豪雪に見舞われ、低温などの厳しい気象条件が続く中で、皆さま方のご苦労はいかばかりであったか。配達員の方々、販売店の方々、また、輸送に携わってくださる全ての方々に、私は改めて心から御礼を申し上げます。
今回、3月11日の歴史的な「世界青年部総会」が大成功できた陰にも、「無冠の友」の祈りと支えがあったことを、私は伺っております。「地域のことを誰より知る『無冠の友』の先輩が青年と共に足を運んでくださったから、新たな地涌の若人を立ち上がらせることができました」等々、感謝の声がたくさん届いています。
御本仏・日蓮大聖人は、「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」(御書1527ページ)と仰せになられました。
「月月・日日に」たゆまず無冠の使命に徹しゆく「かくれての信」は、皆さま方とご家族はもとより、地域社会全体をも「あらはれての徳」で包みゆくのであります。
今、私と妻のこの上ない喜びは、聖教新聞に随時掲載される「無冠の友」の記念写真を拝見することです。紙面は御宝前にお供えし、感謝の題目を唱え、皆さまのますますの健康長寿、絶対無事故、そして栄光勝利を、深く強く祈念しております。
◇
今、世界同時進行の広宣流布の大発展は、日本だけではなく、各国・地域の機関紙誌が、その原動力となっています。
南米のアルゼンチンでは、新たに誕生した青年文化センターのオープンを祝賀しようと、青年部が先頭に立って、機関紙「アルゼンチン・セイキョウ」の拡大に勇んで挑戦しました。歓喜の波動は幾重にも広がり、青年平和文化総会には、友人を含めて2万人が参加しています。
そして、この希望の大連帯の要と光っているのも、やはり配達員の方々です。
「アルゼンチン・セイキョウ」には、同国の新聞協会からも、「読者一人一人との人間の絆をつなぎとめる模範の仕事をしており、配達員の皆さんの努力で、それは成し遂げられています」と賞讃の声が寄せられているのです。
言葉が人を結びます。
言論が心を動かします。
活字が未来を開きます。
おかげさまで、小説『新・人間革命』の執筆も完結の第30巻の最終章に入りました。25年間、6300回を超える連載も、全て「無冠の友」の皆さまとの誇り高き共戦の歴史です。
小説『人間革命』『新・人間革命』を貫く主題は、ご存じの通り、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」であります。
この「宿命の転換」というテーマについては、20世紀最大の歴史家であるトインビー博士とも語り合いました。
個人にも思いもよらぬ苦難や試練がある。社会にも、あまりにも悲惨な災害や貧困、暴力、分断、対立、紛争等々がある。博士は私に問い掛けられました。
——人間は、それらを「宿命的」と言って諦めるしかないのか。それとも宿命は変えることができるのか——
私は「因果は瞬間瞬間に動いていく。常に自身の宿命転換、社会変革への強い生命力を最大限に引き出していけるのが人間革命の哲理です」と申し上げました。
「イエス! イエス!」と目を輝かせ、大きくうなずいて賛同してくださった博士の笑顔が、45星霜を経た今も、鮮やかによみがえります。
宿命は、必ず転換できる。断じて使命に変えられる——小説でも随所につづった通り、まさに、わが創価の父母たちは、宿命転換の人生を晴ればれと勝ち示してきた、厳然たる証明者ではないでしょうか。
なかんずく、家庭で職場で地域で、何役も務めながら、早朝からの配達を遂行してくださっている「無冠の友」の皆さま方こそが、一人も漏れなく「人間革命の勝利劇」を飾られ、そして愛する郷土から人類の宿命転換への希望の光を放ちゆかれることを、私は確信してやまないのであります。
◇
この冬、雪深い福井県で奮闘してくださっている配達員の方々の尊い川柳を、私は合掌しつつ拝見しました。
「さあ今日も ハッピーロード 踏みしめて」
「配達中 慌てず事故なく 油断なく」
「無冠には 昇る朝日が ごほうびだ」
これから迎える梅雨の季節、また暑い夏の日々も、体調を整えて「絶対無事故」の配達を、どうか、よろしくお願い申し上げます。
大聖人は、妙法の良薬を持って広宣流布のために動く人には、上行らの四菩薩が常に同行していることを明かされ、「道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ、譬へば・かげと身と水と魚と声とひびきと月と光との如し」(同1306ページ)と仰せであります。
かけがえのない皆さま一人一人の歩みが、仏菩薩の厳然たる加護に包まれ、そして一家眷属にまで、百花繚乱の無量の福徳が薫りゆくよう、私は妻と祈り抜いてまいります。お元気で!
病気は信心を深め
仏の境涯を開く転機だ。
題目の師子吼を轟かせ
断じて病魔に負けるな!
可延定業書 P985
『夫れ病に二あり一には軽病二には重病重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す何に況や軽病をや』
【通解】
そもそも病には二つある。一には軽病、二には重病である。重病でも善い医者にかかり、早く治療すれば命を永らえることができる。まして軽病はうまでもない。
〈寸鉄〉 2018年5月10日
SGIを宣揚することが社会の発展につながる—議長。平和世紀の灯台と
「信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣」御書。必ず勝つ!強く祈り進め
人生は永遠の創造である—詩人。「まだまだ」と向上する多宝の友が模範
勉強しない者は弟子ではない—戸田先生。後継よ一流の人格と見識を磨け
プラごみが深海を汚染。生態系に悪影響も。循環型社会へ家庭から一歩を
☆本紙創刊67周年を記念 無冠の友へのメッセージ
◇皆が人間革命の勝利劇を
◇百花繚乱の無量の福徳よ薫れ!
春風のようにさっそうと、本紙の配達に走る「無冠の友」。"希望の哲理"を届ける友の尊い一歩一歩が、地域に百花繚乱の福徳を広げゆく。ここでは、本紙配達員の機関紙「無冠」の創刊記念日特集に掲載された、池田先生のメッセージを紹介する。
我らの聖教新聞の創刊67周年の春を、全国の「無冠の友」の皆さま方と共に、晴れやかに迎えることができました。
とりわけ、この冬は、各地で記録的な豪雪に見舞われ、低温などの厳しい気象条件が続く中で、皆さま方のご苦労はいかばかりであったか。配達員の方々、販売店の方々、また、輸送に携わってくださる全ての方々に、私は改めて心から御礼を申し上げます。
今回、3月11日の歴史的な「世界青年部総会」が大成功できた陰にも、「無冠の友」の祈りと支えがあったことを、私は伺っております。「地域のことを誰より知る『無冠の友』の先輩が青年と共に足を運んでくださったから、新たな地涌の若人を立ち上がらせることができました」等々、感謝の声がたくさん届いています。
御本仏・日蓮大聖人は、「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」(御書1527ページ)と仰せになられました。
「月月・日日に」たゆまず無冠の使命に徹しゆく「かくれての信」は、皆さま方とご家族はもとより、地域社会全体をも「あらはれての徳」で包みゆくのであります。
今、私と妻のこの上ない喜びは、聖教新聞に随時掲載される「無冠の友」の記念写真を拝見することです。紙面は御宝前にお供えし、感謝の題目を唱え、皆さまのますますの健康長寿、絶対無事故、そして栄光勝利を、深く強く祈念しております。
◇
今、世界同時進行の広宣流布の大発展は、日本だけではなく、各国・地域の機関紙誌が、その原動力となっています。
南米のアルゼンチンでは、新たに誕生した青年文化センターのオープンを祝賀しようと、青年部が先頭に立って、機関紙「アルゼンチン・セイキョウ」の拡大に勇んで挑戦しました。歓喜の波動は幾重にも広がり、青年平和文化総会には、友人を含めて2万人が参加しています。
そして、この希望の大連帯の要と光っているのも、やはり配達員の方々です。
「アルゼンチン・セイキョウ」には、同国の新聞協会からも、「読者一人一人との人間の絆をつなぎとめる模範の仕事をしており、配達員の皆さんの努力で、それは成し遂げられています」と賞讃の声が寄せられているのです。
言葉が人を結びます。
言論が心を動かします。
活字が未来を開きます。
おかげさまで、小説『新・人間革命』の執筆も完結の第30巻の最終章に入りました。25年間、6300回を超える連載も、全て「無冠の友」の皆さまとの誇り高き共戦の歴史です。
小説『人間革命』『新・人間革命』を貫く主題は、ご存じの通り、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」であります。
この「宿命の転換」というテーマについては、20世紀最大の歴史家であるトインビー博士とも語り合いました。
個人にも思いもよらぬ苦難や試練がある。社会にも、あまりにも悲惨な災害や貧困、暴力、分断、対立、紛争等々がある。博士は私に問い掛けられました。
——人間は、それらを「宿命的」と言って諦めるしかないのか。それとも宿命は変えることができるのか——
私は「因果は瞬間瞬間に動いていく。常に自身の宿命転換、社会変革への強い生命力を最大限に引き出していけるのが人間革命の哲理です」と申し上げました。
「イエス! イエス!」と目を輝かせ、大きくうなずいて賛同してくださった博士の笑顔が、45星霜を経た今も、鮮やかによみがえります。
宿命は、必ず転換できる。断じて使命に変えられる——小説でも随所につづった通り、まさに、わが創価の父母たちは、宿命転換の人生を晴ればれと勝ち示してきた、厳然たる証明者ではないでしょうか。
なかんずく、家庭で職場で地域で、何役も務めながら、早朝からの配達を遂行してくださっている「無冠の友」の皆さま方こそが、一人も漏れなく「人間革命の勝利劇」を飾られ、そして愛する郷土から人類の宿命転換への希望の光を放ちゆかれることを、私は確信してやまないのであります。
◇
この冬、雪深い福井県で奮闘してくださっている配達員の方々の尊い川柳を、私は合掌しつつ拝見しました。
「さあ今日も ハッピーロード 踏みしめて」
「配達中 慌てず事故なく 油断なく」
「無冠には 昇る朝日が ごほうびだ」
これから迎える梅雨の季節、また暑い夏の日々も、体調を整えて「絶対無事故」の配達を、どうか、よろしくお願い申し上げます。
大聖人は、妙法の良薬を持って広宣流布のために動く人には、上行らの四菩薩が常に同行していることを明かされ、「道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ、譬へば・かげと身と水と魚と声とひびきと月と光との如し」(同1306ページ)と仰せであります。
かけがえのない皆さま一人一人の歩みが、仏菩薩の厳然たる加護に包まれ、そして一家眷属にまで、百花繚乱の無量の福徳が薫りゆくよう、私は妻と祈り抜いてまいります。お元気で!
2018年5月9日水曜日
2018.05.09 わが友に贈る
教学は「信心の骨格」だ。
御書を真剣に学べば
人生を開く智恵が湧く。
弘教拡大の勇気が漲る。
行学二道の賢者たれ!
四条金吾御書 P1175
『鷹取のたけ身延のたけなないたがれのたけいいだにと申し、木のもとかやのねいわの上土の上いかにたづね候へどもをひて候ところなし、されば海にあらざればわかめなし山にあらざればくさびらなし、法華経にあらざれば仏になる道なかりけるか』
【通解】
鷹取の嶽、身延の嶽、七面の嶽、飯谷といい、木の下、萱の根、巌の上、土の上、どのように尋ねても、(ワカメの)生えているところはない。海でなければワカメはなく、山でなければ茸はないのである。同じように法華経でなければ成仏の道はないのである。
〈寸鉄〉 2018年5月9日
会長は陰に隠れがちな庶民を最大に賛嘆—米教授励ましの光彩を隅々に!
婦人部総会がスタート。列島に対話の花爛漫と!平和と希望の連帯を拡大
「音楽隊の日」。広布の歴史は楽雄の前進と共に。全員が青春の凱歌奏でよ
一人立つことで一切の仕事が出来上がる—戸田先生。幹部自身が率先、行動
大気汚染で年700万人が死亡と。待ったなしの人類的課題。国超えて対策を
☆第22回農漁村ルネサンス体験主張大会から(下) 沖縄県うるま市 宮城光雄さん・美恵子さん夫妻
◇わが家のモズクはミネラル満点、日本一!
沖縄県うるま市から来ました、宮城光雄です。「うるま」とは、沖縄の言葉で「サンゴの島」という意味。この名の通り、うるま市はコバルトブルーの海とサンゴ礁に囲まれた美しい天地です。中でも私が住む勝連地域は、勝連城跡という世界遺産のある地域です。
世界に誇る地域の宝が、もう一つあります。ちゅら(美しい)海で育つ「モズク」です。日本のモズク生産の99%は、沖縄県。勝連地域は沖縄トップで、全生産量の約半分を占めます。"世界一のモズク生産地"なのです!
私は今年71歳。老化を防ぐモズクのおかげで、これまで病気しらず。老眼鏡もいりません。新聞の小さな文字もはっきり見えます。
私が漁師になったのは20歳の時。夜の海にライトを持って潜り、寝ている魚をモリで突く素潜り漁師でした。不思議ですが、学会活動した日は、いつも大漁なのです。同じ日の同じ時間に友人と潜っても、友人はあまり捕れず、私は大漁。私が「信心しているからさー」と言うと、友人は、しばらくして入会しました。
離島に橋が架かっていなかった昭和50年代は、私の小さなサバニ(小舟)で島の座談会によく行きました。会場に着いたら、座る場所は一番後ろ。私は魚やモズクと話すのは得意ですが、口ベタなのです。
昭和60年代に入ると、素潜り漁だけでは生活ができなくなりました。育ち盛りの5人の子どもを抱え、貯金も底をつき始めました。そんな時、モズク養殖の話を聞いたのです。
唱題を重ね、妻とも相談し、私はモズク養殖に舵を切ることにしました。ノウハウはありません。先輩のモズク漁師もいません。ゼロからの出発でした。モズク養殖は、「海の畑」で育てる「海の農業」です。モズクのタネを付けた網を、海の畑に広げて育てます。
農家が畑を回り、野菜の成長を見守るように、私は海にひんぱんに潜ってモズクの状況を観察します。モズク以外の海藻や汚れが網に付かないように、カビのような病気が発生しないように、細心の注意を払うのです。
8年目の収穫前のこと。モズクの成長が悪いことに気付きました。観察を重ねると、潮の流れが弱く、酸素と栄養が十分に行きわたっていないことが分かりました。
「畑を変えよう!」——私は、大きな賭けに出ました。それからは毎日、海に潜り、海の底に並ぶ、一枚1・5メートル×20メートルの大きな網を全部で300枚、一枚ずつはがし、20分ほどかけて新しい畑に運んでは、また一枚一枚張り直すのです。
一日中、海の中。その作業が1週間も続きました。疲れ果て、涙がにじむ日々でした。その様子を見ていた、隣のモズク漁師が「あきさみよー(大丈夫か)」と叫びました。私が気でも狂ったと思ったのです。
しかし実は、これが良かったのです。周りが不作の中、私の畑は大豊作。モズクの収穫は、普通、1回採れたら終わりなのですが、新しい畑では、なんと2回も収穫できたではありませんか! 周りのモズク漁師は目を丸くして「はっさよー!(びっくりだ!)」と叫びました。
思えば、手探りのモズク畑の引っ越しでしたが、素潜り漁で海流の状態などを知り尽くした経験が役に立ったのです。どんなことにも無駄はありません。私はこの時、モズク養殖の成功を強く確信したのです。
海の状態やモズクの状態は、刻々と変化します。同じやり方は通用しません。慣れや油断を排して、努力し、工夫し続けるしかありません。昨年は、水温が高く、モズク網に海藻が大繁殖し、収穫量が落ち込みました。しかし、わが家の網には、海藻が付きません。海の変化に即座に対応し、努力し、工夫を重ねているからです。わが家は安定収穫となりました。
収穫したモズクは、一箱45キロのカゴに入れて出荷します。ありがたいことに、買い取り業者は、私の名前が付いたカゴは中身を確認しないで購入します。私の名前が最高のモズクであることの"保証"なのです!
何よりうれしいことは、「漁師では暮らしにならん」と、別の仕事に就いていた長男と次男が私の後継者になってくれたことです。
私たちの誇りは、池田先生ご自身も、東京湾のノリ屋の息子さんだったということです。先生は、私たち漁師の気持ちを、誰よりも分かってくださいます。一番苦労した人が一番幸福になる——この仏法の勝利の方程式を、私が先頭に立って証明していきます。
それでは口ベタな私とは正反対の妻に代わります。
希望の灯台に
口ベタな夫を心から愛する、妻の美恵子です。
夫がモズク養殖を始めた時、家計は火の車でした。
養殖設備をそろえるための資金と、子どもたちの教育費が重なり、莫大なお金を借り入れました。返済に10年かかりましたが、この間、私は週5日のフルタイムの仕事と、土日のアルバイト。夫は東京や埼玉に出稼ぎ。高校生の長男と娘もアルバイト生活でした。
一番苦しい時期ではありましたが、私たち夫婦には夢がありました。広宣流布の会場となる大きな家を持ち、「地域の希望の灯台」となることです。
私は地域の皆さんに推され、勝連漁業協同組合の婦人部長を5年、務めさせていただきました。
長男の伸一は漁協の監事として、「モズクの日」という画期的なイベントを盛り上げるなど地域を元気にする活動に全力。海の中に放置された網の撤去をはじめ、未来を見据えた環境活動にも取り組んでいます。次男の順也は、夫のもとでモズク養殖を学び、昨年、晴れて海人(漁師)になりました。きょうは、「イケメンモズク漁師」と広く紹介された長男も参加しています!(拍手)
沖縄モズクは、現代人に不足しがちなミネラルや食物繊維がたっぷり。しかも低カロリーなので、いくら食べても太ることはありません。ただ食べ過ぎると、おなかを下します。
一番の注目は、コンブの16倍、ワカメの3倍以上含まれる、フコイダンという食物繊維です。あのネバネバしたヌメリ成分ですが、老化を防ぎ、免疫力を高めて、腸内をきれいに掃除するといわれています。
近年の健康ブームに乗って、モズクを食べる人は増えています。十数年前、あれだけ安く買いたたかれ、大量の在庫を抱えたことが遠い昔の話のようです。
私のお勧めレシピはモズクの天ぷら。漁協では皆の知恵を結集し、モズク餃子やモズクスープ、茶漬け、ふりかけなど6次産業化を推進しています。体に良くて、とてもおいしいので、うさがてぃんじみそーれ!(召し上がってみてください!)
夫の祖母・宮城タケは、地域の信心の一粒種です。「なぜ本土の宗教をするのか」と非難され、塩をまかれたりしましたが、幸せになりたい一心で、まっすぐな信心を貫いた人でした。102歳で亡くなった時、地域の3分の1が学会員になっていました。
私は現在、地区婦人部長をしております。かつて、雨漏りのひどいトタン屋根の小さな家だった自宅は、夢見た通りの、鉄筋コンクリート2階建ての"モズク御殿"となり、地域広布の会場として使っていただいています。
これからも地区の皆さんと団結し、私たち一人一人が栄え光った分だけ地域が栄えることを確信して、地域の発展に尽くしてまいります。いっぺーにふぇーでーびたん!(大変にありがとうございました!)
御書を真剣に学べば
人生を開く智恵が湧く。
弘教拡大の勇気が漲る。
行学二道の賢者たれ!
四条金吾御書 P1175
『鷹取のたけ身延のたけなないたがれのたけいいだにと申し、木のもとかやのねいわの上土の上いかにたづね候へどもをひて候ところなし、されば海にあらざればわかめなし山にあらざればくさびらなし、法華経にあらざれば仏になる道なかりけるか』
【通解】
鷹取の嶽、身延の嶽、七面の嶽、飯谷といい、木の下、萱の根、巌の上、土の上、どのように尋ねても、(ワカメの)生えているところはない。海でなければワカメはなく、山でなければ茸はないのである。同じように法華経でなければ成仏の道はないのである。
〈寸鉄〉 2018年5月9日
会長は陰に隠れがちな庶民を最大に賛嘆—米教授励ましの光彩を隅々に!
婦人部総会がスタート。列島に対話の花爛漫と!平和と希望の連帯を拡大
「音楽隊の日」。広布の歴史は楽雄の前進と共に。全員が青春の凱歌奏でよ
一人立つことで一切の仕事が出来上がる—戸田先生。幹部自身が率先、行動
大気汚染で年700万人が死亡と。待ったなしの人類的課題。国超えて対策を
☆第22回農漁村ルネサンス体験主張大会から(下) 沖縄県うるま市 宮城光雄さん・美恵子さん夫妻
◇わが家のモズクはミネラル満点、日本一!
沖縄県うるま市から来ました、宮城光雄です。「うるま」とは、沖縄の言葉で「サンゴの島」という意味。この名の通り、うるま市はコバルトブルーの海とサンゴ礁に囲まれた美しい天地です。中でも私が住む勝連地域は、勝連城跡という世界遺産のある地域です。
世界に誇る地域の宝が、もう一つあります。ちゅら(美しい)海で育つ「モズク」です。日本のモズク生産の99%は、沖縄県。勝連地域は沖縄トップで、全生産量の約半分を占めます。"世界一のモズク生産地"なのです!
私は今年71歳。老化を防ぐモズクのおかげで、これまで病気しらず。老眼鏡もいりません。新聞の小さな文字もはっきり見えます。
私が漁師になったのは20歳の時。夜の海にライトを持って潜り、寝ている魚をモリで突く素潜り漁師でした。不思議ですが、学会活動した日は、いつも大漁なのです。同じ日の同じ時間に友人と潜っても、友人はあまり捕れず、私は大漁。私が「信心しているからさー」と言うと、友人は、しばらくして入会しました。
離島に橋が架かっていなかった昭和50年代は、私の小さなサバニ(小舟)で島の座談会によく行きました。会場に着いたら、座る場所は一番後ろ。私は魚やモズクと話すのは得意ですが、口ベタなのです。
昭和60年代に入ると、素潜り漁だけでは生活ができなくなりました。育ち盛りの5人の子どもを抱え、貯金も底をつき始めました。そんな時、モズク養殖の話を聞いたのです。
唱題を重ね、妻とも相談し、私はモズク養殖に舵を切ることにしました。ノウハウはありません。先輩のモズク漁師もいません。ゼロからの出発でした。モズク養殖は、「海の畑」で育てる「海の農業」です。モズクのタネを付けた網を、海の畑に広げて育てます。
農家が畑を回り、野菜の成長を見守るように、私は海にひんぱんに潜ってモズクの状況を観察します。モズク以外の海藻や汚れが網に付かないように、カビのような病気が発生しないように、細心の注意を払うのです。
8年目の収穫前のこと。モズクの成長が悪いことに気付きました。観察を重ねると、潮の流れが弱く、酸素と栄養が十分に行きわたっていないことが分かりました。
「畑を変えよう!」——私は、大きな賭けに出ました。それからは毎日、海に潜り、海の底に並ぶ、一枚1・5メートル×20メートルの大きな網を全部で300枚、一枚ずつはがし、20分ほどかけて新しい畑に運んでは、また一枚一枚張り直すのです。
一日中、海の中。その作業が1週間も続きました。疲れ果て、涙がにじむ日々でした。その様子を見ていた、隣のモズク漁師が「あきさみよー(大丈夫か)」と叫びました。私が気でも狂ったと思ったのです。
しかし実は、これが良かったのです。周りが不作の中、私の畑は大豊作。モズクの収穫は、普通、1回採れたら終わりなのですが、新しい畑では、なんと2回も収穫できたではありませんか! 周りのモズク漁師は目を丸くして「はっさよー!(びっくりだ!)」と叫びました。
思えば、手探りのモズク畑の引っ越しでしたが、素潜り漁で海流の状態などを知り尽くした経験が役に立ったのです。どんなことにも無駄はありません。私はこの時、モズク養殖の成功を強く確信したのです。
海の状態やモズクの状態は、刻々と変化します。同じやり方は通用しません。慣れや油断を排して、努力し、工夫し続けるしかありません。昨年は、水温が高く、モズク網に海藻が大繁殖し、収穫量が落ち込みました。しかし、わが家の網には、海藻が付きません。海の変化に即座に対応し、努力し、工夫を重ねているからです。わが家は安定収穫となりました。
収穫したモズクは、一箱45キロのカゴに入れて出荷します。ありがたいことに、買い取り業者は、私の名前が付いたカゴは中身を確認しないで購入します。私の名前が最高のモズクであることの"保証"なのです!
何よりうれしいことは、「漁師では暮らしにならん」と、別の仕事に就いていた長男と次男が私の後継者になってくれたことです。
私たちの誇りは、池田先生ご自身も、東京湾のノリ屋の息子さんだったということです。先生は、私たち漁師の気持ちを、誰よりも分かってくださいます。一番苦労した人が一番幸福になる——この仏法の勝利の方程式を、私が先頭に立って証明していきます。
それでは口ベタな私とは正反対の妻に代わります。
希望の灯台に
口ベタな夫を心から愛する、妻の美恵子です。
夫がモズク養殖を始めた時、家計は火の車でした。
養殖設備をそろえるための資金と、子どもたちの教育費が重なり、莫大なお金を借り入れました。返済に10年かかりましたが、この間、私は週5日のフルタイムの仕事と、土日のアルバイト。夫は東京や埼玉に出稼ぎ。高校生の長男と娘もアルバイト生活でした。
一番苦しい時期ではありましたが、私たち夫婦には夢がありました。広宣流布の会場となる大きな家を持ち、「地域の希望の灯台」となることです。
私は地域の皆さんに推され、勝連漁業協同組合の婦人部長を5年、務めさせていただきました。
長男の伸一は漁協の監事として、「モズクの日」という画期的なイベントを盛り上げるなど地域を元気にする活動に全力。海の中に放置された網の撤去をはじめ、未来を見据えた環境活動にも取り組んでいます。次男の順也は、夫のもとでモズク養殖を学び、昨年、晴れて海人(漁師)になりました。きょうは、「イケメンモズク漁師」と広く紹介された長男も参加しています!(拍手)
沖縄モズクは、現代人に不足しがちなミネラルや食物繊維がたっぷり。しかも低カロリーなので、いくら食べても太ることはありません。ただ食べ過ぎると、おなかを下します。
一番の注目は、コンブの16倍、ワカメの3倍以上含まれる、フコイダンという食物繊維です。あのネバネバしたヌメリ成分ですが、老化を防ぎ、免疫力を高めて、腸内をきれいに掃除するといわれています。
近年の健康ブームに乗って、モズクを食べる人は増えています。十数年前、あれだけ安く買いたたかれ、大量の在庫を抱えたことが遠い昔の話のようです。
私のお勧めレシピはモズクの天ぷら。漁協では皆の知恵を結集し、モズク餃子やモズクスープ、茶漬け、ふりかけなど6次産業化を推進しています。体に良くて、とてもおいしいので、うさがてぃんじみそーれ!(召し上がってみてください!)
夫の祖母・宮城タケは、地域の信心の一粒種です。「なぜ本土の宗教をするのか」と非難され、塩をまかれたりしましたが、幸せになりたい一心で、まっすぐな信心を貫いた人でした。102歳で亡くなった時、地域の3分の1が学会員になっていました。
私は現在、地区婦人部長をしております。かつて、雨漏りのひどいトタン屋根の小さな家だった自宅は、夢見た通りの、鉄筋コンクリート2階建ての"モズク御殿"となり、地域広布の会場として使っていただいています。
これからも地区の皆さんと団結し、私たち一人一人が栄え光った分だけ地域が栄えることを確信して、地域の発展に尽くしてまいります。いっぺーにふぇーでーびたん!(大変にありがとうございました!)
2018年5月8日火曜日
2018.05.08 わが友に贈る
「人を敬う」行動は
最高の「人の振る舞い」。
自他共の仏性を信じ抜く
創価の対話運動こそ
よき社会を築く力だ!
妙法曼陀羅供養事 P1306
『されば此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩前後左右に立そひて此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ』
【通解】
この妙法の良薬を持った女性等を、上行菩薩をはじめとする四人の大菩薩が前後左右に立ちそって、この女性が立たれたなら、この大菩薩たちも立たれ、この女性が道を行く時には、この大菩薩たちも、その道を行かれるのです。
〈寸鉄〉 2018年5月8日
「仏の種は法華経より外になきなり」御書。情熱で語り抜け!必ず花と咲く
常勝埼玉師弟の日。鉄桶の団結に勝る力なし。彩の国に拡大の金字塔築け
任用試験の申し込み13日まで。最極の幸福学学ぶ喜び、あの友この友にも
高齢運転者は無違反でも過信禁物—警視庁。悲劇は突然。周囲も注意の目
日本の子ども、37年連続減少と。一人も漏れなく使命の宝。励ましを更に
☆第22回農漁村ルネサンス体験主張大会から(中) 岩手県二戸市 小笠原幸子さん
◇酪農家に嫁いで悪戦苦闘 「乳質改善大賞」に輝く
岩手県の最北地域にある二戸市で、夫と酪農を営んでいます。
私は東京の荒川区生まれ。2004年、再婚を機に、酪農家に嫁ぎました。
50歳になる私を、村の方は「久しぶりに花嫁が来た」と、胴上げまでしてくれました。
田舎暮らしは想像以上に大変でした。夜は真っ暗で、静か過ぎて不気味。怖さを紛らわせようと題目に力がこもります。
それより戸惑ったのは地域の方言です。話の半分以上が分かりません。寒い日はマイナス15度。雪深く、とても外に出る気分にはなれません。
「どうしてこんな所に来ちゃったんだろう」と、涙を流したこともありました。
思い出すのは、つらかったことばかり。前の夫との離婚。職場でいじめに遭ったこと。子どもたちを育てるため、ラーメン屋で深夜まで働いたこと。娘の修学旅行のお金の工面に駆けずり回ったこと……。
唯一の支えは、高等部時代に「幸せになるんだよ」と池田先生が励ましてくださったことです。負けそうになるたびに思い出し、泣きながら唱題しました。
酪農家の一日は長く、夫はとても多忙です。その夫を少しでも手伝いたいと、牛舎に一歩踏み込みました。すると牛が一斉に私を見るのです。その牛の目が怖い。
慣れてくると、今度は臭いがきつい。その上、私は牛乳が大の苦手。よく酪農家に嫁いだなと思います。「よし、"五十の手習い"。できることから始めよう」と決めました。
夫に言われるままに、早朝の餌やりから始めました。35頭の牛一頭一頭、体重が違うので餌の量も違うのです。
経験豊富な夫は「だいたいこれぐらい」と簡単に言いますが、その「これくらい」が分かりません。100円ショップでホワイトボードを買い、毎回の餌の量を書き込みました。私なりの"見える化"でした。
一頭一頭、搾乳もしました。午前中いっぱいかかります。糞尿の掃除も大変でした。夜も牛の体調管理にフル稼働、作業は深夜にまで及びます。それが一年365日続きます。
そんな私にも転機が訪れました。牛の初出産に立ち会った時でした。陣痛で母牛が暴れるのです。必死で母牛を支え、題目を唱えながらなだめました。
牛にも題目が届いたのか、少しずつ落ち着いてきました。足が出てきました。生命が誕生した瞬間は何とも言えません。涙があふれました。
「よく頑張ったねえ」。母牛に声を掛けました。この時から私は牛に愛情を感じるようになりました。
牛への愛情が深まると、気になることが出始めました。牛舎の天井いっぱいに広がっているクモの巣、あちこちに散らばっている空き缶など、男性目線では気にならないことが気になるのです。
私は心を込めて片付けました。また牛舎の敷きわらは牛が滑りやすいので、おがくずに変えてみました。すると臭いの吸収効果もあり、快適になりました。
次第に「小笠原さんの牛舎は、弁当も食べられるくらいきれいだよ」と組合で評判になりました。
牛のストレスが軽減されると、おいしく、質のいい乳が出るようになりました。"甘くて濃厚な牛乳"と味も評判になりました。岩手県では毎月2回、乳質検査が行われます。その厳しい検査の結果、うちの牧場が、なんと「乳質改善大賞農家」という輝かしい賞を受賞することができ、それも連続受賞という画期的な評価をいただきました。
当初、地域の方から「あの嫁は、すぐに逃げ出すよ」と言われた私が、「幸子さん、岩手中央酪農業協同組合の青年婦人会議の委員長をお願いできないか」と期待されるようになったのです。
びっくり仰天でした。池田先生は私たち農漁光部に「地域の灯台たれ」と言われていますので、新たな任をお受けしました。お陰で組合の先輩の皆さまから多くのことを学ばせていただきました。
2012年には「東北酪農青年婦人会議酪農発表大会」で、組合を代表して登壇することになりました。都会から地方に移住することを「Iターン」と言いますが、私は、酪農家としての日々を愛する、という意味で「愛ターン」と題して発表。思いもかけず、優勝してしまいました。
東北を代表して全国大会に出場することになり、村の人たちは「幸子さんは、私らの誇りだよ」と、自分のことのように喜んでくれました。
全国大会当日、夫は、涙を流して喜んでくれました。いつも支えてくれる、愛する夫への恩返しができたかなと思っております。夫は未入会ですが、活動に励む私を最大に応援してくれています。きょうは、夫と次女も参加しています(拍手)。
今では、苦手だった牛乳もシチューにして、おいしくいただけるようになりました。「んだんだ」と私が言うと、東京の友人から「幸子さん、今なんて言ったの」と言われるくらい方言に堪能な、岩手"二戸ウーマン"になりました。
夜空に輝くきれいな星を仰ぎながら、夫と一緒に仕事に励める今、私は本当に幸せです!
東日本大震災から7年。東北復興のけん引力となるべく、これからも、地域の方々と力を合わせ、健康を増進する、おいしい牛乳の生産に全力を挙げてまいります。
最高の「人の振る舞い」。
自他共の仏性を信じ抜く
創価の対話運動こそ
よき社会を築く力だ!
妙法曼陀羅供養事 P1306
『されば此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩前後左右に立そひて此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ』
【通解】
この妙法の良薬を持った女性等を、上行菩薩をはじめとする四人の大菩薩が前後左右に立ちそって、この女性が立たれたなら、この大菩薩たちも立たれ、この女性が道を行く時には、この大菩薩たちも、その道を行かれるのです。
〈寸鉄〉 2018年5月8日
「仏の種は法華経より外になきなり」御書。情熱で語り抜け!必ず花と咲く
常勝埼玉師弟の日。鉄桶の団結に勝る力なし。彩の国に拡大の金字塔築け
任用試験の申し込み13日まで。最極の幸福学学ぶ喜び、あの友この友にも
高齢運転者は無違反でも過信禁物—警視庁。悲劇は突然。周囲も注意の目
日本の子ども、37年連続減少と。一人も漏れなく使命の宝。励ましを更に
☆第22回農漁村ルネサンス体験主張大会から(中) 岩手県二戸市 小笠原幸子さん
◇酪農家に嫁いで悪戦苦闘 「乳質改善大賞」に輝く
岩手県の最北地域にある二戸市で、夫と酪農を営んでいます。
私は東京の荒川区生まれ。2004年、再婚を機に、酪農家に嫁ぎました。
50歳になる私を、村の方は「久しぶりに花嫁が来た」と、胴上げまでしてくれました。
田舎暮らしは想像以上に大変でした。夜は真っ暗で、静か過ぎて不気味。怖さを紛らわせようと題目に力がこもります。
それより戸惑ったのは地域の方言です。話の半分以上が分かりません。寒い日はマイナス15度。雪深く、とても外に出る気分にはなれません。
「どうしてこんな所に来ちゃったんだろう」と、涙を流したこともありました。
思い出すのは、つらかったことばかり。前の夫との離婚。職場でいじめに遭ったこと。子どもたちを育てるため、ラーメン屋で深夜まで働いたこと。娘の修学旅行のお金の工面に駆けずり回ったこと……。
唯一の支えは、高等部時代に「幸せになるんだよ」と池田先生が励ましてくださったことです。負けそうになるたびに思い出し、泣きながら唱題しました。
酪農家の一日は長く、夫はとても多忙です。その夫を少しでも手伝いたいと、牛舎に一歩踏み込みました。すると牛が一斉に私を見るのです。その牛の目が怖い。
慣れてくると、今度は臭いがきつい。その上、私は牛乳が大の苦手。よく酪農家に嫁いだなと思います。「よし、"五十の手習い"。できることから始めよう」と決めました。
夫に言われるままに、早朝の餌やりから始めました。35頭の牛一頭一頭、体重が違うので餌の量も違うのです。
経験豊富な夫は「だいたいこれぐらい」と簡単に言いますが、その「これくらい」が分かりません。100円ショップでホワイトボードを買い、毎回の餌の量を書き込みました。私なりの"見える化"でした。
一頭一頭、搾乳もしました。午前中いっぱいかかります。糞尿の掃除も大変でした。夜も牛の体調管理にフル稼働、作業は深夜にまで及びます。それが一年365日続きます。
そんな私にも転機が訪れました。牛の初出産に立ち会った時でした。陣痛で母牛が暴れるのです。必死で母牛を支え、題目を唱えながらなだめました。
牛にも題目が届いたのか、少しずつ落ち着いてきました。足が出てきました。生命が誕生した瞬間は何とも言えません。涙があふれました。
「よく頑張ったねえ」。母牛に声を掛けました。この時から私は牛に愛情を感じるようになりました。
牛への愛情が深まると、気になることが出始めました。牛舎の天井いっぱいに広がっているクモの巣、あちこちに散らばっている空き缶など、男性目線では気にならないことが気になるのです。
私は心を込めて片付けました。また牛舎の敷きわらは牛が滑りやすいので、おがくずに変えてみました。すると臭いの吸収効果もあり、快適になりました。
次第に「小笠原さんの牛舎は、弁当も食べられるくらいきれいだよ」と組合で評判になりました。
牛のストレスが軽減されると、おいしく、質のいい乳が出るようになりました。"甘くて濃厚な牛乳"と味も評判になりました。岩手県では毎月2回、乳質検査が行われます。その厳しい検査の結果、うちの牧場が、なんと「乳質改善大賞農家」という輝かしい賞を受賞することができ、それも連続受賞という画期的な評価をいただきました。
当初、地域の方から「あの嫁は、すぐに逃げ出すよ」と言われた私が、「幸子さん、岩手中央酪農業協同組合の青年婦人会議の委員長をお願いできないか」と期待されるようになったのです。
びっくり仰天でした。池田先生は私たち農漁光部に「地域の灯台たれ」と言われていますので、新たな任をお受けしました。お陰で組合の先輩の皆さまから多くのことを学ばせていただきました。
2012年には「東北酪農青年婦人会議酪農発表大会」で、組合を代表して登壇することになりました。都会から地方に移住することを「Iターン」と言いますが、私は、酪農家としての日々を愛する、という意味で「愛ターン」と題して発表。思いもかけず、優勝してしまいました。
東北を代表して全国大会に出場することになり、村の人たちは「幸子さんは、私らの誇りだよ」と、自分のことのように喜んでくれました。
全国大会当日、夫は、涙を流して喜んでくれました。いつも支えてくれる、愛する夫への恩返しができたかなと思っております。夫は未入会ですが、活動に励む私を最大に応援してくれています。きょうは、夫と次女も参加しています(拍手)。
今では、苦手だった牛乳もシチューにして、おいしくいただけるようになりました。「んだんだ」と私が言うと、東京の友人から「幸子さん、今なんて言ったの」と言われるくらい方言に堪能な、岩手"二戸ウーマン"になりました。
夜空に輝くきれいな星を仰ぎながら、夫と一緒に仕事に励める今、私は本当に幸せです!
東日本大震災から7年。東北復興のけん引力となるべく、これからも、地域の方々と力を合わせ、健康を増進する、おいしい牛乳の生産に全力を挙げてまいります。
2018年5月7日月曜日
2018.05.07 わが友に贈る
新聞休刊日
十字御書 P1492
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし』
【通解】
今、日本の国は法華経を敵として、禍を千里の外から招き寄せています。このことから考えてみると、今また、法華経を信ずる人は幸いを万里の外から集めることでしょう。
☆「青年訓」 戸田先生の指導より
新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である。
吾人らは、政治を論じ、教育を勘がうる者ではないが、世界大哲・東洋の救世主・日本出世の末法御本仏たる日蓮大聖人の教えを奉じ、最高唯一の宗教によって、人間革命を行い、人世の苦を救って、各個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本を現出せしめんことを願う者である。
この事業は、過去においては、釈迦の教団が実行し、近くは、日蓮大聖人の教団が、勇ましく戦ったのである。釈迦教団の中心人物たる舎利弗(しゃりほつ)にせよ、阿難にせよ、みな若き学徒であった。
日蓮大聖人の門下もまた、みな若き学徒によって、固められていたのである。日興上人は、大聖人より二十四歳も若く、日朗もまた、二十一歳の年のひらきを持っていた。西より東に向かった仏教も、青年によって伝承せられ、東より西に向かう大聖人の仏法も、青年によって基礎づけられたのである。
吾人らは、この偉大なる青年学徒の教団を尊仰(そんぎょう)し、同じく最高唯一の宗教に従って、人間苦の解決・真の幸福生活確立・日本民族の真の平和・苦に沒在(もつざい)せる東洋の浄土化を、弘宣(ぐせん)せんとする者である。
諸兄らは、この偉大なる過去の青年学徒群と同じ目的、同じ道程にあることを自覚し、これに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ。霊鷲山会に、共々座を同じうしたとき、「末法の青年は、だらしがないな」と舎利弗尊者や、大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書きが泣くことを知らなくてはならない。
奮起せよ!青年諸氏よ。闘おうではないか!青年諸氏よ。
しからば、だれ人と、いかなるいくさを、吾人らは、なすものであろうか。
第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯(ゆうげ)する、自在の境涯を会得せしむるために、忍辱(にんにく)のよろいを著(き)、慈悲の利剣をひっさげて戦うのである。
第二は、邪智、邪宗の者に、立正安国論の根本義たる、邪宗、邪義は一切この世のなかの不幸の原因であり、それがために、諸天善神は国を捨て去り、聖人は所を去って、世はみな乱れるなりと教え、邪智、邪宗をひるがえすよう、智慧の鎧を身にまとい、かれらが執着の片意地(かたいじ)を、精進勇気の利剣をもって、断ち切る戦いである。
第三は、衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人が愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境涯を会得する、人間革命の戦いである。
しこうして、吾人はさらに、諸兄らの行動について、望むところをもつものである。
第一に、絶対的確信にみちたる信仰の境地立脚し、信行において微動だにすることなく、唯一無二の御本尊を、主・師・親と仰ぎ、日蓮大聖人と共にいますのありがたさにあふれて、地涌の菩薩の後身(こうしん)を確信することである。
第二に、行学に励み、御書を心肝にそめ、大聖人の仏法に通達して迷いなく、今はいかなる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし、日興上人のご遺誡をわが命(めい)として、努むべきである。
第三に、その行動の態度たるや、真摯にして暴言を用いず、理をつくして指導の任に当たり、威厳と寛容の姿の中に、邪義、邪宗、邪師に対しては、一歩も退かぬ勇気あるべきことである。
第四に、部隊長および班長の命を奉じて、学会精神を会得して、同志の士気を鼓舞し、広宣流布大願の中心人物たることを、自覚されたきことである。しかも、広宣流布の時は近く、日蓮正宗の御本尊流布の機は、今まさにこのときである。
ゆえに、三類の強敵は、まさに現れんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗、邪義に憎まれ、内には誹謗の声ようやく高し。驚くことなかれ、この世相を。これは、聖師の金言なり。
されば諸君よ、心を一にして難を乗り越え、同信退転の徒の屍を踏み越えて、末法濁世の法戦に、若き花の若武者として、大聖人の御おぼえにめでたからんと願うべきである。
愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。
大聖にほむるるは、一生の名誉なり。
心して御本尊の馬前に、屍をさらさんことを。
昭和二十六年十一月一日
大白蓮華巻頭言
☆第22回農漁村ルネサンス体験主張大会から(上) 宮崎県都城市 上田純市さん
◇無農薬で完熟の熱帯果実 本物の味求める"植物博士"
2・17「農漁光部の日」を記念して行われた、第22回「農漁村ルネサンス体験主張大会」。日本中に大きな感動と共感を広げた3組の体験主張を、3回に分けて紹介する。
私が植物に興味を持ったのは、幼稚園児だった時です。高校卒業時には、どんな植物を見ても品種が分かる、風変わりな"植物博士"に育っていました。そして鹿児島大学農学部時代に出合ったトロピカルフルーツに、すっかり惚れ込んでしまったのです。
大学院では「塩ストレスがパッションフルーツの生育および光合成に及ぼす影響」をテーマに、修士論文に挑戦。酸味を抑え、甘味をどうすれば強められるかという研究で、私が目を付けたのは、熊本県で栽培されていた塩トマトでした。
干拓地など海水を含む大地で栽培すると、塩分へのストレスで、作物は甘く栄養価の高いものが育つのです。これを応用しようと、本格的に研究を始めました。あいにく酸味は減りませんでしたが、塩に遺伝子が反応し、タンパク質を合成する生態を発見。世界初となるこの研究は、注目を集めました。
その後、公務員として就職したものの、どこか張りがなく、悶々としていました。内心、本格的に果樹栽培をしたい、と思っていたのです。
かといって栽培だけでは食べていけず、悩んでいると、男子部の先輩が激励してくれました。「自分を信じ、思い切って挑戦してごらん」と。
御本尊にぶつかるように祈っていたある日、タクワンなどの漬け物を作る会社の社長が声を掛けてくれました。なんと社長は私の話を聞くや、「うちで働きながら育てたらいい」と、入社と兼業を快く許可してくれたではありませんか。
公務員を辞めた後、アパートの裏に畑を借り、2棟のビニールハウスを建て、"戦闘開始"です。
植物博士として栽培には少し自信がありました。ところが、すぐに壁に直面。都城は冷え込みが厳しく、冬場、ハウスの温度が15度を下回り、南国産果実は、ほぼ全滅。色も味も付かないバナナを呆然と見つめ、農業の厳しさを思い知らされました。
その頃、工場では、技術製造部に配属されました。5年前には、漬け物日本一を決める「T—1グランプリ」への出品作品の開発を命じられました。
目指したのは「消費者に喜んでいただける商品」。こんな時こそ真剣勝負で祈る以外にないと唱題し、知恵を湧かせました。
そして作った"味よし歯応えよし"の「きんぴら大根」が、九州・沖縄大会で金賞を受賞。全国大会では準グランプリに輝いたのです!
この時の経験が信心の確信になりました。そして「食べる人の目線での物づくり」が私の転機になりました。
趣味や研究でなく、作物を育てる以上、消費者が喜ぶ安全・安心な果実を提供しようとの思いが膨らんだのです。しかし、輸入物の果実は輸送時間を考慮して早取りするため、本来の味を楽しめません。
"完熟・無農薬で、本来の味を楽しんでもらえるフルーツをつくろう"。使命感が私の中でふつふつと湧き上がりました。
ハウスは、コンピューター制御によるヒーターを設置した二重構造にしました。土づくりも見直しました。日本熱帯果樹協会の方々と情報交換を行い、数種類の土をブレンドし、通気性を確保しました。
足りない栄養分は補い、自家製の肥料を使用。農薬は一切使いませんが、病気はなくなり、樹木が順調に生育できる土壌ができました。ハウスに入ると、木々の一本一本に染み込ませるような思いで、題目を送ります。
作業のたびに「丈夫に育て」「寒さに負けるな」と声を掛けると、果樹も精いっぱいの甘さで応えてくれるのです。
有名な菓子店が、わが家のパパイヤを「ぜひ、うちの店で!」と契約してくれるようにもなりました。寒い日が続き、パパイヤの色付きが遅れても、市場は「上田さんのところは十分に甘いから」と早生物まで高値で引き取ってくれます。
4年前、こうした私の姿を見てきた未入会の父が、なんと「信心したい」と言いだしました。信心と土いじりが嫌いだった父が今では一日も欠かさず勤行を実践し、果樹の手入れもこまめにやってくれます。お陰でハウスを4棟に拡大することができ、バナナにライチ、アボカド、パパイヤ、パッションフルーツなど、以前よりも量産できるようになりました。
3年前、農園を父名義で合同会社「上田熱帯果樹研究所」に法人化。すると鹿児島や宮崎の大学が「よく育てたね。君のハウス自体が研究対象だよ」と、花や木まで買い取ってくれるようになりました。半年で収穫できる糖度抜群のパッションフルーツの新種も開発することができました。
うちのパッションフルーツを食べた皆さんに「うまい!」と言っていただけることが、私にとっての最大の喜びなのです。
人間が生きていく上で最も大切なのが、食を生産する農業です。
池田先生は"農業を大事にしない社会は、生命を粗末にする社会です。その社会は早晩、あらゆる面で行き詰まる"と言われています。私は、この尊い使命を胸に、安心・安全でおいしいトロピカルフルーツの栽培に、これからもチャレンジしてまいります。
十字御書 P1492
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし』
【通解】
今、日本の国は法華経を敵として、禍を千里の外から招き寄せています。このことから考えてみると、今また、法華経を信ずる人は幸いを万里の外から集めることでしょう。
☆「青年訓」 戸田先生の指導より
新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である。
吾人らは、政治を論じ、教育を勘がうる者ではないが、世界大哲・東洋の救世主・日本出世の末法御本仏たる日蓮大聖人の教えを奉じ、最高唯一の宗教によって、人間革命を行い、人世の苦を救って、各個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本を現出せしめんことを願う者である。
この事業は、過去においては、釈迦の教団が実行し、近くは、日蓮大聖人の教団が、勇ましく戦ったのである。釈迦教団の中心人物たる舎利弗(しゃりほつ)にせよ、阿難にせよ、みな若き学徒であった。
日蓮大聖人の門下もまた、みな若き学徒によって、固められていたのである。日興上人は、大聖人より二十四歳も若く、日朗もまた、二十一歳の年のひらきを持っていた。西より東に向かった仏教も、青年によって伝承せられ、東より西に向かう大聖人の仏法も、青年によって基礎づけられたのである。
吾人らは、この偉大なる青年学徒の教団を尊仰(そんぎょう)し、同じく最高唯一の宗教に従って、人間苦の解決・真の幸福生活確立・日本民族の真の平和・苦に沒在(もつざい)せる東洋の浄土化を、弘宣(ぐせん)せんとする者である。
諸兄らは、この偉大なる過去の青年学徒群と同じ目的、同じ道程にあることを自覚し、これに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ。霊鷲山会に、共々座を同じうしたとき、「末法の青年は、だらしがないな」と舎利弗尊者や、大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書きが泣くことを知らなくてはならない。
奮起せよ!青年諸氏よ。闘おうではないか!青年諸氏よ。
しからば、だれ人と、いかなるいくさを、吾人らは、なすものであろうか。
第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯(ゆうげ)する、自在の境涯を会得せしむるために、忍辱(にんにく)のよろいを著(き)、慈悲の利剣をひっさげて戦うのである。
第二は、邪智、邪宗の者に、立正安国論の根本義たる、邪宗、邪義は一切この世のなかの不幸の原因であり、それがために、諸天善神は国を捨て去り、聖人は所を去って、世はみな乱れるなりと教え、邪智、邪宗をひるがえすよう、智慧の鎧を身にまとい、かれらが執着の片意地(かたいじ)を、精進勇気の利剣をもって、断ち切る戦いである。
第三は、衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人が愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境涯を会得する、人間革命の戦いである。
しこうして、吾人はさらに、諸兄らの行動について、望むところをもつものである。
第一に、絶対的確信にみちたる信仰の境地立脚し、信行において微動だにすることなく、唯一無二の御本尊を、主・師・親と仰ぎ、日蓮大聖人と共にいますのありがたさにあふれて、地涌の菩薩の後身(こうしん)を確信することである。
第二に、行学に励み、御書を心肝にそめ、大聖人の仏法に通達して迷いなく、今はいかなる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし、日興上人のご遺誡をわが命(めい)として、努むべきである。
第三に、その行動の態度たるや、真摯にして暴言を用いず、理をつくして指導の任に当たり、威厳と寛容の姿の中に、邪義、邪宗、邪師に対しては、一歩も退かぬ勇気あるべきことである。
第四に、部隊長および班長の命を奉じて、学会精神を会得して、同志の士気を鼓舞し、広宣流布大願の中心人物たることを、自覚されたきことである。しかも、広宣流布の時は近く、日蓮正宗の御本尊流布の機は、今まさにこのときである。
ゆえに、三類の強敵は、まさに現れんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗、邪義に憎まれ、内には誹謗の声ようやく高し。驚くことなかれ、この世相を。これは、聖師の金言なり。
されば諸君よ、心を一にして難を乗り越え、同信退転の徒の屍を踏み越えて、末法濁世の法戦に、若き花の若武者として、大聖人の御おぼえにめでたからんと願うべきである。
愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。
大聖にほむるるは、一生の名誉なり。
心して御本尊の馬前に、屍をさらさんことを。
昭和二十六年十一月一日
大白蓮華巻頭言
☆第22回農漁村ルネサンス体験主張大会から(上) 宮崎県都城市 上田純市さん
◇無農薬で完熟の熱帯果実 本物の味求める"植物博士"
2・17「農漁光部の日」を記念して行われた、第22回「農漁村ルネサンス体験主張大会」。日本中に大きな感動と共感を広げた3組の体験主張を、3回に分けて紹介する。
私が植物に興味を持ったのは、幼稚園児だった時です。高校卒業時には、どんな植物を見ても品種が分かる、風変わりな"植物博士"に育っていました。そして鹿児島大学農学部時代に出合ったトロピカルフルーツに、すっかり惚れ込んでしまったのです。
大学院では「塩ストレスがパッションフルーツの生育および光合成に及ぼす影響」をテーマに、修士論文に挑戦。酸味を抑え、甘味をどうすれば強められるかという研究で、私が目を付けたのは、熊本県で栽培されていた塩トマトでした。
干拓地など海水を含む大地で栽培すると、塩分へのストレスで、作物は甘く栄養価の高いものが育つのです。これを応用しようと、本格的に研究を始めました。あいにく酸味は減りませんでしたが、塩に遺伝子が反応し、タンパク質を合成する生態を発見。世界初となるこの研究は、注目を集めました。
その後、公務員として就職したものの、どこか張りがなく、悶々としていました。内心、本格的に果樹栽培をしたい、と思っていたのです。
かといって栽培だけでは食べていけず、悩んでいると、男子部の先輩が激励してくれました。「自分を信じ、思い切って挑戦してごらん」と。
御本尊にぶつかるように祈っていたある日、タクワンなどの漬け物を作る会社の社長が声を掛けてくれました。なんと社長は私の話を聞くや、「うちで働きながら育てたらいい」と、入社と兼業を快く許可してくれたではありませんか。
公務員を辞めた後、アパートの裏に畑を借り、2棟のビニールハウスを建て、"戦闘開始"です。
植物博士として栽培には少し自信がありました。ところが、すぐに壁に直面。都城は冷え込みが厳しく、冬場、ハウスの温度が15度を下回り、南国産果実は、ほぼ全滅。色も味も付かないバナナを呆然と見つめ、農業の厳しさを思い知らされました。
その頃、工場では、技術製造部に配属されました。5年前には、漬け物日本一を決める「T—1グランプリ」への出品作品の開発を命じられました。
目指したのは「消費者に喜んでいただける商品」。こんな時こそ真剣勝負で祈る以外にないと唱題し、知恵を湧かせました。
そして作った"味よし歯応えよし"の「きんぴら大根」が、九州・沖縄大会で金賞を受賞。全国大会では準グランプリに輝いたのです!
この時の経験が信心の確信になりました。そして「食べる人の目線での物づくり」が私の転機になりました。
趣味や研究でなく、作物を育てる以上、消費者が喜ぶ安全・安心な果実を提供しようとの思いが膨らんだのです。しかし、輸入物の果実は輸送時間を考慮して早取りするため、本来の味を楽しめません。
"完熟・無農薬で、本来の味を楽しんでもらえるフルーツをつくろう"。使命感が私の中でふつふつと湧き上がりました。
ハウスは、コンピューター制御によるヒーターを設置した二重構造にしました。土づくりも見直しました。日本熱帯果樹協会の方々と情報交換を行い、数種類の土をブレンドし、通気性を確保しました。
足りない栄養分は補い、自家製の肥料を使用。農薬は一切使いませんが、病気はなくなり、樹木が順調に生育できる土壌ができました。ハウスに入ると、木々の一本一本に染み込ませるような思いで、題目を送ります。
作業のたびに「丈夫に育て」「寒さに負けるな」と声を掛けると、果樹も精いっぱいの甘さで応えてくれるのです。
有名な菓子店が、わが家のパパイヤを「ぜひ、うちの店で!」と契約してくれるようにもなりました。寒い日が続き、パパイヤの色付きが遅れても、市場は「上田さんのところは十分に甘いから」と早生物まで高値で引き取ってくれます。
4年前、こうした私の姿を見てきた未入会の父が、なんと「信心したい」と言いだしました。信心と土いじりが嫌いだった父が今では一日も欠かさず勤行を実践し、果樹の手入れもこまめにやってくれます。お陰でハウスを4棟に拡大することができ、バナナにライチ、アボカド、パパイヤ、パッションフルーツなど、以前よりも量産できるようになりました。
3年前、農園を父名義で合同会社「上田熱帯果樹研究所」に法人化。すると鹿児島や宮崎の大学が「よく育てたね。君のハウス自体が研究対象だよ」と、花や木まで買い取ってくれるようになりました。半年で収穫できる糖度抜群のパッションフルーツの新種も開発することができました。
うちのパッションフルーツを食べた皆さんに「うまい!」と言っていただけることが、私にとっての最大の喜びなのです。
人間が生きていく上で最も大切なのが、食を生産する農業です。
池田先生は"農業を大事にしない社会は、生命を粗末にする社会です。その社会は早晩、あらゆる面で行き詰まる"と言われています。私は、この尊い使命を胸に、安心・安全でおいしいトロピカルフルーツの栽培に、これからもチャレンジしてまいります。
2018年5月6日日曜日
2018.05.06 わが友に贈る
花の婦人部総会は
全員が幸福劇の主役!
この楽しき語らいから
希望も平和も生まれる。
皆で感謝の大応援を!
減劫御書 P1466
『智者とは世間の法より外に仏法を行(おこなわ)ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』
【通解】
智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである。
〈寸鉄〉 2018年5月6日
学会の素晴らしさは各人が自発で他者に尽くす点—博士。共生世紀の旗手
音楽隊・鼓笛隊が堂々と列島を行進!勇気と歓喜を送る現代の妙音菩薩よ
再会は人生において愉快—周総理。親戚・旧友を大切に。誠実に信頼拡大
帰らむには第一・心に深き・用心あるべし—御書。最後まで無事故の連休を
後絶たぬ架空請求被害。脅迫や急かす話ほど冷静に。心配なら即通報・相談
☆地域を歩く 群馬・高崎市 2018年4月27日
◇成長の節を刻める"人と人をつなぐ場"
群馬県は、人口当たりの高等教育機関(大学、短期大学、専門学校、高等専門学校)の学校数が都道府県別ではトップクラスである(文部科学省調べ)。中でも、中核市である高崎市には、近県を中心に全国から学生が集まる。見知らぬ土地で新生活を始める学生たちに、地域の同志はどう関わってきたのか。今月中旬、高崎市の学生部メンバー、"元学生部"の壮年・婦人を取材した。
◇
男子学生部員の塚本大介さんは現在、高崎経済大学の2年生。教員を目指し、昼は勉強に励む一方、夜はスーパーで働いて生活費を工面する。さらに学習支援などのボランティアにも汗を流す。
塚本さんは兵庫・姫路市で生まれ育った。高崎行きが決まった1年前、幼い頃からお世話になってきた近所の同志の勧めで入会した。
「高崎には知り合いがいなかったので不安でした。でも、姫路にいた時と変わらず、学会の方々が温かく接してくださったので、今日まで進んでこられました」
塚本さんが「常に助けられています」と語る地域の同志が、梅山忠浩さん(副支部長)・徳子さん(支部副婦人部長)夫妻。塚本さんが多忙で会合に行けない時、夫妻は訪問・激励に来てくれた。
「特別なことはしていません。自分たちにできることは何でもしようと決めています」と語る夫妻はそれぞれ金沢、東京で学生部時代を送った。
夫・忠浩さんは大学卒業直後、同窓の友らと共に池田先生との出会いに恵まれた。寸暇を割いて青年と会い、成長への期待を込めて激励する先生の振る舞いに感動した。
一方、妻・徳子さんは勉強に行き詰まっていた大学3年生の時、先生と懇談する機会があった。先生は生活や将来のことを細かく聞いてくれた。その真心に応えて報恩の道を歩もうと誓った。
「学生部員を見ると、自分たちの姿と重なります」(忠浩さん)
「せめて地域に来た学生部員を見守っていきたいんです」(徳子さん)
塚本さんは現在、学生部の人材グループ「誓城会」に所属。小説『新・人間革命』を通して学会精神を学ぶ。「自分も目の前の一人に向き合い、相手に心を開いてもらえるような人に成長したい」
小瀧淳美さん(県主事)は、自身の先天性弱視や父親の病気を機に、1952年(昭和27年)に家族で入会した。その後、池田先生が「大白蓮華」に寄せた巻頭言「青年よ世界の指導者たれ」に触発され、東京外国語大学へ。高崎に住みながら、「行学の二道」に励む中で、68年(同43年)には、通訳等に携わる学生部の代表「近代羅什グループ」として、池田先生に広布の人生を誓った。
そんな小瀧さんら学生部員を、婦人部として応援していたのは小林増枝さん(婦人部副本部長)。
小林さんは、高校を卒業し、服飾関係の女学校に進学すると同時に東京へ。懸命に学び、働いたものの、自信を持てずにいた時、人間革命の思想を知り、63年(同38年)に入会を果たした。
高崎に戻って学会活動に励む中、苦難に動じないように。感謝の思いで人材育成に尽くしたいと思うようになった。
「学生部員と一緒に仏法対話に行って『あなたも学生部ですか?』と言われたこともありましたね(笑い)」
その後、小瀧さんも、小林さんも経済的な苦境など、宿命の嵐に襲われた。しかし、それぞれ2人の娘を、大学に送って立派に育て上げた。
「何があっても負けなかったのは、若い学生部時代に築かせてもらった"信心の基礎"があったからです」(小瀧さん)
現在、小瀧さんは町内会の区長として、地域貢献に励む。一方、小林さんは、近所に住む教職員と交流するなど、今なお地域で友好拡大の模範を示し続けている。
岡村真理子さん(支部婦人部長)たちに支えられ、苦境を乗り越えてきたのは、上武大学に通う土田彩実さん(2年生)。
土田さんには養護教諭になる夢がある。中学時代、勉強や部活動でストレスがたまったことがあった。そんな時、心ゆくまで話を聞いてくれたのが保健室の先生だった。
その後、大学進学のために、実家のある新潟・見附市から1人で高崎に来た。慣れない生活の中で再びストレスを感じるようになった。
そんな時に寄り添ってくれたのが、婦人部や女子部の先輩だった。
土田さんの予定や体調を気遣いながら、会合への行き帰りや食事など、ちょっとした時間を共にし、悩みに耳を傾けてくれた。
「大げさかもしれませんが、本当に救われた気がしました」(土田さん)
一方の岡村さんは「私の娘も、進学先で学会の方々にお世話になったから、寄り添ってあげたいと思ったんです」と。
現在、思春期の子どもを支援する「ピア・カウンセリング」について学ぶ土田さん。「"心の手当て"をしてくれる学会の先輩方のように、私も悩みを持った子どもたちを励ましていきます」
土田さんの話に耳を傾けていた岡村さんが、思わず涙ぐんだ。「一段と成長された姿を見て、実家のお母さんも『高崎に行って良かった』と喜ばれると思います」
◇
4月は、今から57年前に高崎支部が結成された月でもある。
池田先生は、信心に励む当時の高崎の青年への真情を小説『新・人間革命』にこうつづった。「どんなに辛いこと、苦しいことがあっても、決して負けずに、大指導者になるために、堂々と生き抜いてください。皆さんの青年時代の勝利を、私は、心から祈り念じています」
学生時代は短い。しかし、そこで築いた信心の原点は、人生を大きく開く原動力になる。
高崎市の友は、多くの学生部員が成長の節を刻める"人と人をつなぐ場"を、日々の活動の中でつくっている。
全員が幸福劇の主役!
この楽しき語らいから
希望も平和も生まれる。
皆で感謝の大応援を!
減劫御書 P1466
『智者とは世間の法より外に仏法を行(おこなわ)ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』
【通解】
智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである。
〈寸鉄〉 2018年5月6日
学会の素晴らしさは各人が自発で他者に尽くす点—博士。共生世紀の旗手
音楽隊・鼓笛隊が堂々と列島を行進!勇気と歓喜を送る現代の妙音菩薩よ
再会は人生において愉快—周総理。親戚・旧友を大切に。誠実に信頼拡大
帰らむには第一・心に深き・用心あるべし—御書。最後まで無事故の連休を
後絶たぬ架空請求被害。脅迫や急かす話ほど冷静に。心配なら即通報・相談
☆地域を歩く 群馬・高崎市 2018年4月27日
◇成長の節を刻める"人と人をつなぐ場"
群馬県は、人口当たりの高等教育機関(大学、短期大学、専門学校、高等専門学校)の学校数が都道府県別ではトップクラスである(文部科学省調べ)。中でも、中核市である高崎市には、近県を中心に全国から学生が集まる。見知らぬ土地で新生活を始める学生たちに、地域の同志はどう関わってきたのか。今月中旬、高崎市の学生部メンバー、"元学生部"の壮年・婦人を取材した。
◇
男子学生部員の塚本大介さんは現在、高崎経済大学の2年生。教員を目指し、昼は勉強に励む一方、夜はスーパーで働いて生活費を工面する。さらに学習支援などのボランティアにも汗を流す。
塚本さんは兵庫・姫路市で生まれ育った。高崎行きが決まった1年前、幼い頃からお世話になってきた近所の同志の勧めで入会した。
「高崎には知り合いがいなかったので不安でした。でも、姫路にいた時と変わらず、学会の方々が温かく接してくださったので、今日まで進んでこられました」
塚本さんが「常に助けられています」と語る地域の同志が、梅山忠浩さん(副支部長)・徳子さん(支部副婦人部長)夫妻。塚本さんが多忙で会合に行けない時、夫妻は訪問・激励に来てくれた。
「特別なことはしていません。自分たちにできることは何でもしようと決めています」と語る夫妻はそれぞれ金沢、東京で学生部時代を送った。
夫・忠浩さんは大学卒業直後、同窓の友らと共に池田先生との出会いに恵まれた。寸暇を割いて青年と会い、成長への期待を込めて激励する先生の振る舞いに感動した。
一方、妻・徳子さんは勉強に行き詰まっていた大学3年生の時、先生と懇談する機会があった。先生は生活や将来のことを細かく聞いてくれた。その真心に応えて報恩の道を歩もうと誓った。
「学生部員を見ると、自分たちの姿と重なります」(忠浩さん)
「せめて地域に来た学生部員を見守っていきたいんです」(徳子さん)
塚本さんは現在、学生部の人材グループ「誓城会」に所属。小説『新・人間革命』を通して学会精神を学ぶ。「自分も目の前の一人に向き合い、相手に心を開いてもらえるような人に成長したい」
小瀧淳美さん(県主事)は、自身の先天性弱視や父親の病気を機に、1952年(昭和27年)に家族で入会した。その後、池田先生が「大白蓮華」に寄せた巻頭言「青年よ世界の指導者たれ」に触発され、東京外国語大学へ。高崎に住みながら、「行学の二道」に励む中で、68年(同43年)には、通訳等に携わる学生部の代表「近代羅什グループ」として、池田先生に広布の人生を誓った。
そんな小瀧さんら学生部員を、婦人部として応援していたのは小林増枝さん(婦人部副本部長)。
小林さんは、高校を卒業し、服飾関係の女学校に進学すると同時に東京へ。懸命に学び、働いたものの、自信を持てずにいた時、人間革命の思想を知り、63年(同38年)に入会を果たした。
高崎に戻って学会活動に励む中、苦難に動じないように。感謝の思いで人材育成に尽くしたいと思うようになった。
「学生部員と一緒に仏法対話に行って『あなたも学生部ですか?』と言われたこともありましたね(笑い)」
その後、小瀧さんも、小林さんも経済的な苦境など、宿命の嵐に襲われた。しかし、それぞれ2人の娘を、大学に送って立派に育て上げた。
「何があっても負けなかったのは、若い学生部時代に築かせてもらった"信心の基礎"があったからです」(小瀧さん)
現在、小瀧さんは町内会の区長として、地域貢献に励む。一方、小林さんは、近所に住む教職員と交流するなど、今なお地域で友好拡大の模範を示し続けている。
岡村真理子さん(支部婦人部長)たちに支えられ、苦境を乗り越えてきたのは、上武大学に通う土田彩実さん(2年生)。
土田さんには養護教諭になる夢がある。中学時代、勉強や部活動でストレスがたまったことがあった。そんな時、心ゆくまで話を聞いてくれたのが保健室の先生だった。
その後、大学進学のために、実家のある新潟・見附市から1人で高崎に来た。慣れない生活の中で再びストレスを感じるようになった。
そんな時に寄り添ってくれたのが、婦人部や女子部の先輩だった。
土田さんの予定や体調を気遣いながら、会合への行き帰りや食事など、ちょっとした時間を共にし、悩みに耳を傾けてくれた。
「大げさかもしれませんが、本当に救われた気がしました」(土田さん)
一方の岡村さんは「私の娘も、進学先で学会の方々にお世話になったから、寄り添ってあげたいと思ったんです」と。
現在、思春期の子どもを支援する「ピア・カウンセリング」について学ぶ土田さん。「"心の手当て"をしてくれる学会の先輩方のように、私も悩みを持った子どもたちを励ましていきます」
土田さんの話に耳を傾けていた岡村さんが、思わず涙ぐんだ。「一段と成長された姿を見て、実家のお母さんも『高崎に行って良かった』と喜ばれると思います」
◇
4月は、今から57年前に高崎支部が結成された月でもある。
池田先生は、信心に励む当時の高崎の青年への真情を小説『新・人間革命』にこうつづった。「どんなに辛いこと、苦しいことがあっても、決して負けずに、大指導者になるために、堂々と生き抜いてください。皆さんの青年時代の勝利を、私は、心から祈り念じています」
学生時代は短い。しかし、そこで築いた信心の原点は、人生を大きく開く原動力になる。
高崎市の友は、多くの学生部員が成長の節を刻める"人と人をつなぐ場"を、日々の活動の中でつくっている。
2018年5月5日土曜日
2018.05.05 わが友に贈る
「一日に二三度
えみで向へとなり」
父母と笑顔で接しよう!
それも立派な親孝行だ。
報恩の道を感謝の心で!
富木尼御前御返事 P975
『ときどの(富木殿)の御物がたり候はこのはわのなげきのなかにりんずうのよくをはせしと尼がよくあたりかんびやうせし事のうれしさいつのよにわするべしともをぼえずとよろこばれ候なり』
【通解】
富木殿が語っておられました。「このたび、母が亡くなった嘆きのなかにも、その臨終の姿が良かったことと、尼御前(妻)が母を手厚く看病してくれたことのうれしさは、いつの世までも忘れられない」と、喜んでおられましたよ。
〈寸鉄〉 2018年5月5日
「創価学会後継者の日」。鳳雛の成長ありて未来は盤石。新時代の主役は君
東京「豊島の日」45周年。三代会長の正義光る地に栄光城を。師と共に勇進
「悪を滅するを功」「善を生ずるを徳」と御書。若獅子よ破邪顕正の先頭走れ
渋滞時は追突事故多し。無事故は勝ち取っていくもの。小さな油断排して
SNS自殺相談、1カ月で1万件超。大半が20代以下。社会に希望の風を
☆「新時代第11回全国男子部幹部会」から
◇中国方面が弘教日本一! 若き広布の革命児が躍動
全国男子部幹部会を目指して奮闘してきた中国方面の代表の友の話題を紹介する。
◇まずやってみる
「できる、できないじゃない。やるか、やらないかだよ」。清水嘉斗さん(岡山・美作旭日圏、ニュー・リーダー)が一昨年に入会した時に、先輩が語ってくれた言葉だ。
人付き合いが苦手で、何事にも逃げ腰になる自分がいた。しかし、創価家族の輪の中で他者を思う心を学び、今では周囲から「昔と全然違うね」と言われるほど、前向きな自分に変わった。
本年、男子部大学校に入校。会社勤めと家業の米作りを手伝う多忙な中、3月に友人に御本尊流布。その後、生産した米が地域の品評会で優秀賞を受賞し、信心の功徳を実感した。
「まずやってみる。その挑戦の心から全てが開けるんですね」。この確信を胸にさらなる前進を期す。
◇真心に応えたい
男子部大学校生として合唱に出演した児玉貴志さん(広島常勝区、地区副リーダー)。
5年半前から学会活動を始めたが、いまひとつ信心の確信が持てず、活動から遠のくこともあった。自分に自信が持てず、就職した会社にもなじめずに退職。そんな中、学会の同志が励まし続けてくれた。「『悩んだ時こそ題目だよ!』との先輩の言葉に、勇気をもらいました」
ガス会社に就職を決めるとともに、この幹部会を目指して折伏に全力投球。今月、2年間にわたって対話を続けてきた友人に弘教を実らせた。「ここからが本当のスタートです。同志の皆さんの真心に応えられるよう、題目を根本に人生を切り開いていきます!」
◇成長を祈り合う
山口・防府栄光圏の武藤哲也さん(本部長)。「今年で入会して10年です。報恩感謝の実証をと、日々、祈っています!」。節目の年を飾ろうと、意気に燃えている。
幹部会を目指し、仏法対話に励む中、本年2月に勤務先の後輩に弘教。今、8年前に武藤さんの紹介で入会した同僚と3人で、互いの成長を祈り合っている。「"仕事は3人前"と切磋琢磨する中、今春から、それぞれが各部門の責任者を任されるようになったんです」と笑顔を見せる武藤さん。
さらにうれしかったのは、先日の男子部の会合で、新入会の後輩が「友人に仏法を語りたい」と決意していたこと。武藤さんも負けじと、さらなる広布拡大を誓う。
◇俺にも使命が!
男子部大学校生の井関正明さん(鳥取南圏、ニュー・リーダー)が発心したのは一昨年。中学卒業後から建設現場で働くも長続きせず、自分に向いていないと思えば、すぐに仕事を変えた。
ずっと見守り続けてくれた家族の励まし、中でも地区部長を務める父親の「自分を変えられる信心」との言葉に奮起し、学会活動を始めた。「任用試験に挑戦した時、『三障四魔』や『願兼於業』の哲理を学び、"俺にも絶対に使命がある"って確信したんです」と井関さん。
広布の活動に全力で挑む中、先月、友人に人生初の弘教が結実。新たな職場も勝ち取って、この日を迎えた。
◇人間革命の実証
野尻和希さん(島根・松江圏、地区副リーダー)は、人間関係などの悩みから、女手一つで育ててくれた母を残して徳島から島根に移った。だが、突き当たる壁は、どこに行っても同じだった。
「自分が変わらないと何も変わらないよ」。通い慣れたコンビニの学会員のオーナーから仏法の話を聞き、昨年1月に入会した。
その後も交通事故や職場でのトラブルなど試練は続いた。それでも"自分が変わろう"と思えたのは同志の励ましのおかげ。真剣な唱題で、一つ一つ乗り越えることができた。
今こそ親孝行をと、母に仏法対話し、本年1月に入会に導いた。男子部大学校に入校後も信行学の実践で自身の振る舞いを磨き、店長を務めるコンビニで信頼を勝ち得ている。
えみで向へとなり」
父母と笑顔で接しよう!
それも立派な親孝行だ。
報恩の道を感謝の心で!
富木尼御前御返事 P975
『ときどの(富木殿)の御物がたり候はこのはわのなげきのなかにりんずうのよくをはせしと尼がよくあたりかんびやうせし事のうれしさいつのよにわするべしともをぼえずとよろこばれ候なり』
【通解】
富木殿が語っておられました。「このたび、母が亡くなった嘆きのなかにも、その臨終の姿が良かったことと、尼御前(妻)が母を手厚く看病してくれたことのうれしさは、いつの世までも忘れられない」と、喜んでおられましたよ。
〈寸鉄〉 2018年5月5日
「創価学会後継者の日」。鳳雛の成長ありて未来は盤石。新時代の主役は君
東京「豊島の日」45周年。三代会長の正義光る地に栄光城を。師と共に勇進
「悪を滅するを功」「善を生ずるを徳」と御書。若獅子よ破邪顕正の先頭走れ
渋滞時は追突事故多し。無事故は勝ち取っていくもの。小さな油断排して
SNS自殺相談、1カ月で1万件超。大半が20代以下。社会に希望の風を
☆「新時代第11回全国男子部幹部会」から
◇中国方面が弘教日本一! 若き広布の革命児が躍動
全国男子部幹部会を目指して奮闘してきた中国方面の代表の友の話題を紹介する。
◇まずやってみる
「できる、できないじゃない。やるか、やらないかだよ」。清水嘉斗さん(岡山・美作旭日圏、ニュー・リーダー)が一昨年に入会した時に、先輩が語ってくれた言葉だ。
人付き合いが苦手で、何事にも逃げ腰になる自分がいた。しかし、創価家族の輪の中で他者を思う心を学び、今では周囲から「昔と全然違うね」と言われるほど、前向きな自分に変わった。
本年、男子部大学校に入校。会社勤めと家業の米作りを手伝う多忙な中、3月に友人に御本尊流布。その後、生産した米が地域の品評会で優秀賞を受賞し、信心の功徳を実感した。
「まずやってみる。その挑戦の心から全てが開けるんですね」。この確信を胸にさらなる前進を期す。
◇真心に応えたい
男子部大学校生として合唱に出演した児玉貴志さん(広島常勝区、地区副リーダー)。
5年半前から学会活動を始めたが、いまひとつ信心の確信が持てず、活動から遠のくこともあった。自分に自信が持てず、就職した会社にもなじめずに退職。そんな中、学会の同志が励まし続けてくれた。「『悩んだ時こそ題目だよ!』との先輩の言葉に、勇気をもらいました」
ガス会社に就職を決めるとともに、この幹部会を目指して折伏に全力投球。今月、2年間にわたって対話を続けてきた友人に弘教を実らせた。「ここからが本当のスタートです。同志の皆さんの真心に応えられるよう、題目を根本に人生を切り開いていきます!」
◇成長を祈り合う
山口・防府栄光圏の武藤哲也さん(本部長)。「今年で入会して10年です。報恩感謝の実証をと、日々、祈っています!」。節目の年を飾ろうと、意気に燃えている。
幹部会を目指し、仏法対話に励む中、本年2月に勤務先の後輩に弘教。今、8年前に武藤さんの紹介で入会した同僚と3人で、互いの成長を祈り合っている。「"仕事は3人前"と切磋琢磨する中、今春から、それぞれが各部門の責任者を任されるようになったんです」と笑顔を見せる武藤さん。
さらにうれしかったのは、先日の男子部の会合で、新入会の後輩が「友人に仏法を語りたい」と決意していたこと。武藤さんも負けじと、さらなる広布拡大を誓う。
◇俺にも使命が!
男子部大学校生の井関正明さん(鳥取南圏、ニュー・リーダー)が発心したのは一昨年。中学卒業後から建設現場で働くも長続きせず、自分に向いていないと思えば、すぐに仕事を変えた。
ずっと見守り続けてくれた家族の励まし、中でも地区部長を務める父親の「自分を変えられる信心」との言葉に奮起し、学会活動を始めた。「任用試験に挑戦した時、『三障四魔』や『願兼於業』の哲理を学び、"俺にも絶対に使命がある"って確信したんです」と井関さん。
広布の活動に全力で挑む中、先月、友人に人生初の弘教が結実。新たな職場も勝ち取って、この日を迎えた。
◇人間革命の実証
野尻和希さん(島根・松江圏、地区副リーダー)は、人間関係などの悩みから、女手一つで育ててくれた母を残して徳島から島根に移った。だが、突き当たる壁は、どこに行っても同じだった。
「自分が変わらないと何も変わらないよ」。通い慣れたコンビニの学会員のオーナーから仏法の話を聞き、昨年1月に入会した。
その後も交通事故や職場でのトラブルなど試練は続いた。それでも"自分が変わろう"と思えたのは同志の励ましのおかげ。真剣な唱題で、一つ一つ乗り越えることができた。
今こそ親孝行をと、母に仏法対話し、本年1月に入会に導いた。男子部大学校に入校後も信行学の実践で自身の振る舞いを磨き、店長を務めるコンビニで信頼を勝ち得ている。
2018年5月4日金曜日
2018.05.04 わが友に贈る
わが子や孫の話に
じっくり耳を傾けよう!
信心の息吹を伝えよう!
和楽の家庭の建設こそ
平和を築く直道だ!
華果成就御書 P900
『常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ』
【通解】
常に語り合って生死の迷苦を離れ、同心に霊山浄土においてうなずき合って話しなさい。
〈寸鉄〉 2018年5月4日
「我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出」御書。颯爽と友のもとへ
SGIと共に核兵器廃絶へ戦いたい—元軍縮担当「絶対悪」の思潮を世界に
できないことを心配するよりできることを考えよ—博士。さあ挑戦の一歩
五月病の危険高めるのは連休中の生活の乱れと。朝夕の勤行で規則正しく
詐欺に加担する未成年が増加。若者の未来狂わす魔物許すな。社会で撲滅
☆新時代を進む 第28回 新しき地涌の人材の大陣列を
「立宗宣言」の佳き日に当たり、御本仏・日蓮大聖人に尽きせぬ報恩感謝を込めて御聖訓を何編か拝したい。
創価の師父である牧口先生、戸田先生も大切にされていた御金言である。
まず千日尼への御文——「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願ず」(御書1312ページ)
「女人成仏」そして「万人成仏」を明かされた妙法の題目を説き弘めて、全ての母たち女性たちをはじめ、全人類を幸福にせずにおくものか——。この大慈大悲が拝されてならない。
今、日本でも、世界でも、婦人部・女子部の幸のスクラムが明るく朗らかに躍動し、その歓喜が学会家族を包んでいる。
大聖人が何よりも喜んでおられると確信する。
— ◇ —
御書には、「終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」(816ページ)と断言なされている。
その通りに、創価の師弟は全世界へ広宣流布の大道を開いた。これこそ、仏法史に輝く壮挙ではないか。
フランス、スペイン、イギリスと、欧州では記念行事が意義深く行われた。
よき市民として社会に貢献し、使命の舞台で活躍する友の姿が、まぶしい。心豊かに宗教間の対話を重ね、欧州から世界へ、平和と人道の連帯を広げている。
「観心本尊抄」には、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254ページ)と仰せだ。
「太陽の仏法」の赫々たる智慧の光で、一家も、地域も、国土も、そして地球社会も、さらに希望へ、和楽へ、繁栄へ照らし晴らしていきたい。
— ◇ —
「御義口伝」には「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」(同720ページ)と記されている。
建長5年(1253年)4月28日の立宗宣言から満765年——。万年への広布の大遠征は、いよいよこれからといってよい。
後継の青年部・未来部が大きく育ち、澎湃と続いてくれていることは、頼もしい限りである。
大聖人は、立宗以降の大闘争を、「喜びておそれなし」(同816ページ)と述べておられる。我らも、喜び勇んで恐れなく、自行化他の題目を響かせ、新しき地涌の人材の大陣列を勝ち開いていこうではないか!
じっくり耳を傾けよう!
信心の息吹を伝えよう!
和楽の家庭の建設こそ
平和を築く直道だ!
華果成就御書 P900
『常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ』
【通解】
常に語り合って生死の迷苦を離れ、同心に霊山浄土においてうなずき合って話しなさい。
〈寸鉄〉 2018年5月4日
「我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出」御書。颯爽と友のもとへ
SGIと共に核兵器廃絶へ戦いたい—元軍縮担当「絶対悪」の思潮を世界に
できないことを心配するよりできることを考えよ—博士。さあ挑戦の一歩
五月病の危険高めるのは連休中の生活の乱れと。朝夕の勤行で規則正しく
詐欺に加担する未成年が増加。若者の未来狂わす魔物許すな。社会で撲滅
☆新時代を進む 第28回 新しき地涌の人材の大陣列を
「立宗宣言」の佳き日に当たり、御本仏・日蓮大聖人に尽きせぬ報恩感謝を込めて御聖訓を何編か拝したい。
創価の師父である牧口先生、戸田先生も大切にされていた御金言である。
まず千日尼への御文——「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願ず」(御書1312ページ)
「女人成仏」そして「万人成仏」を明かされた妙法の題目を説き弘めて、全ての母たち女性たちをはじめ、全人類を幸福にせずにおくものか——。この大慈大悲が拝されてならない。
今、日本でも、世界でも、婦人部・女子部の幸のスクラムが明るく朗らかに躍動し、その歓喜が学会家族を包んでいる。
大聖人が何よりも喜んでおられると確信する。
— ◇ —
御書には、「終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」(816ページ)と断言なされている。
その通りに、創価の師弟は全世界へ広宣流布の大道を開いた。これこそ、仏法史に輝く壮挙ではないか。
フランス、スペイン、イギリスと、欧州では記念行事が意義深く行われた。
よき市民として社会に貢献し、使命の舞台で活躍する友の姿が、まぶしい。心豊かに宗教間の対話を重ね、欧州から世界へ、平和と人道の連帯を広げている。
「観心本尊抄」には、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254ページ)と仰せだ。
「太陽の仏法」の赫々たる智慧の光で、一家も、地域も、国土も、そして地球社会も、さらに希望へ、和楽へ、繁栄へ照らし晴らしていきたい。
— ◇ —
「御義口伝」には「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」(同720ページ)と記されている。
建長5年(1253年)4月28日の立宗宣言から満765年——。万年への広布の大遠征は、いよいよこれからといってよい。
後継の青年部・未来部が大きく育ち、澎湃と続いてくれていることは、頼もしい限りである。
大聖人は、立宗以降の大闘争を、「喜びておそれなし」(同816ページ)と述べておられる。我らも、喜び勇んで恐れなく、自行化他の題目を響かせ、新しき地涌の人材の大陣列を勝ち開いていこうではないか!
2018年5月3日木曜日
2018.05.03 わが友に贈る
学会は永遠に
後継の人材で勝つ!
信心の団結で進む!
皆が清新な決意で
希望と幸福の大建設を!
光日上人御返事 P934
『子の肉は母の肉母の骨は子の骨なり』
【通解】
子の肉体は母の肉体より生じたもので同じであり、母の骨は子の骨と同じで親子は一体のゆえである。
〈寸鉄〉 2018年5月3日
「5・3」は常に新たな出発の日。万年の勝利を開く大遠征をここから!
「創価学会母の日」制定30周年。尊き広布の太陽に最敬礼!三世に幸薫れ
私は本質から語らうのが大好きだ—文豪。青年よ信念を叫べ。正義広げよ
未入会の家族を大切に!仏法の真髄は人の振舞。日頃の感謝伝える連休に
60歳以上の26%が「友達いない」と。孤立は益々。近隣の絆結ぶ対話こそ宝
☆御書と歩む� 第16回 永遠に師子王の心で前へ
『いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし』(開目抄、200ページ)
◇通解
(経文に照らし合わせたところ、謗法呵責を言わないならば、来世は必ず無間地獄に堕ちる)言うならば、三障四魔が必ず競い起こるということが分かった。(言うか、言わないか、という)両者のうちでは、「言う」ほうを選ぶべきである。
◇同志への指針
大難を覚悟の上で、「いはずば・慈悲なきに・にたり」と立宗を宣言された大聖人の大慈大悲が偲ばれてならない。
「二辺の中には・いうべし」——この誓願に直結して、創価の師弟は行動に打って出た。いかなる障魔も勝ち越え、一閻浮提広宣流布の大道を開いてきたのである。
御本仏の賞讃はいかばかりか。学会は永遠に「師子王の心」で進みゆくのだ。
後継の人材で勝つ!
信心の団結で進む!
皆が清新な決意で
希望と幸福の大建設を!
光日上人御返事 P934
『子の肉は母の肉母の骨は子の骨なり』
【通解】
子の肉体は母の肉体より生じたもので同じであり、母の骨は子の骨と同じで親子は一体のゆえである。
〈寸鉄〉 2018年5月3日
「5・3」は常に新たな出発の日。万年の勝利を開く大遠征をここから!
「創価学会母の日」制定30周年。尊き広布の太陽に最敬礼!三世に幸薫れ
私は本質から語らうのが大好きだ—文豪。青年よ信念を叫べ。正義広げよ
未入会の家族を大切に!仏法の真髄は人の振舞。日頃の感謝伝える連休に
60歳以上の26%が「友達いない」と。孤立は益々。近隣の絆結ぶ対話こそ宝
☆御書と歩む� 第16回 永遠に師子王の心で前へ
『いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし』(開目抄、200ページ)
◇通解
(経文に照らし合わせたところ、謗法呵責を言わないならば、来世は必ず無間地獄に堕ちる)言うならば、三障四魔が必ず競い起こるということが分かった。(言うか、言わないか、という)両者のうちでは、「言う」ほうを選ぶべきである。
◇同志への指針
大難を覚悟の上で、「いはずば・慈悲なきに・にたり」と立宗を宣言された大聖人の大慈大悲が偲ばれてならない。
「二辺の中には・いうべし」——この誓願に直結して、創価の師弟は行動に打って出た。いかなる障魔も勝ち越え、一閻浮提広宣流布の大道を開いてきたのである。
御本仏の賞讃はいかばかりか。学会は永遠に「師子王の心」で進みゆくのだ。
2018年5月2日水曜日
2018.05.02 わが友に贈る
創価の楽雄・音楽隊!
平和の天子・鼓笛隊!
各地の行事での熱演
本当にありがとう。
我らも栄光の行進を!
御義口伝巻下 P764
『法華の題目は獅子の吼ゆるが如く余経は余獣の音の如くなり』
【通解】
法華経の題目は、獅子が吼えるようなものであり、他の経は他の獣の声のようなものである。
〈寸鉄〉 2018年5月2日
「5・3」を祝し、総本部に千客万来。仏意仏勅の創価の前進は晴れやか!
本当の決意を込めた題目をあげよ—戸田先生。必ず勝つと決めた人は強し
仏法を一言でも語る人は「如来の使」と法華経。友を絶対的幸福に導く聖業
まだ勉強不足と思っている人が最も賢い—新渡戸求道の心が人生を豊かに
交通事故は薄暮の時間帯に多く。車は早めに点灯、歩行者は反射材等を活用
☆世界広布新時代第33回本部幹部会で紹介された池田先生の指針 2018年4月26日
友情と信頼の連帯を広げよ
ヘンダーソン博士「困難があると、やる気が湧く」
創価の母はいつも朗らか
何事も「一対一の対話」から 青年を先頭に希望の未来へ!
「世界広布新時代第33回本部幹部会」(14日、八王子市の東京牧口記念会館)の席上、2002年12月の本部幹部会での、池田先生のスピーチ映像が上映された。対話拡大に走る友への指針として掲載する。
一、日蓮大聖人は、仰せである。
「日本国の人々は、大勢いるが、体同異心(形はまとまっているようでも、心はばらばら)なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事(広宣流布)を成し遂げ、必ず妙法が広まるであろうと確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない」(御書1463ページ、通解)
「団結」が大事である。創価学会は、「日蓮の一門は異体同心」との仰せのままに、異体同心で世界的な発展を成し遂げた。この一点を、断じて忘れてはいけない。ゆえに、悪い人間、増上慢の輩に、清浄な学会を乱させてはならない。正義の団結に、かなうものはない。堂々たる異体同心の団結で前進しましょう!
◇新世代の大建設を
一、折伏は、一番、難しい大偉業である。それが、これほど成されたことは、奇跡中の奇跡ともいえよう。
御聖訓には、「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)と仰せである。
如来とは、仏のことである。信心の素晴らしさを、たとえ一言でも語る人は「仏の使い」である。相手が信心してもしなくても、仏法を語ったこと自体、「仏の使い」として、無量の福徳を積んでいるのである。
一、幾多の青年が澎湃と結集し、立ち上がり、活動を開始した。この姿を見て、日蓮大聖人が、そして牧口先生、戸田先生が、最大に喜んでくださることを私は確信している。
日本の社会全体は、高齢化と少子化が進み、青年の占める割合が小さくなっている。大変な時代である。
そのなかで、学会青年部が先頭を切って、新しい時代、新しい世代の広宣流布の大建設を成し遂げようと、偉大なる羽ばたきを開始した。
私は、うれしい。尋常ならざる、奇跡ともいうべき偉業である。学会の未来は、大勝利の路線に明確に入った。
もう一度、学会は、青年から始まり、青年で勝っていく大路線をつくりたい。青年部の皆さん、よろしく頼みます!
◇世界一の平和運動
一、アメリカの未来学者であるヘイゼル・ヘンダーソン博士は、より良き地球環境の構築のために戦い抜いてこられた、世界的に有名な市民運動の闘士であり、女性リーダーである。
巨大な権力や、傲慢な学者らと、真っ向から論戦を繰り広げた。無数の非難中傷を受けた。
しかし、博士は、すべてを打ち返し、はね返した。戦い、また戦い、戦い抜いて勝った。堂々たる正義と真実の論陣で、邪道の論調を、ことごとく打ち破った。そして、世界的な学者になられたのである。
一、戦わずして偉大になった人間はいない。対談の中で、忘れられない博士の言葉がある。
「運動を始めた以上、困難があるのは、当たり前と覚悟していました。それに私は、困難を前にすると、やる気が湧いてくるんです」
その博士が、市民運動の成功には、民衆の連帯だけではなく、その基盤に、確固たる「哲学」が必要であると訴えておられた。
博士は言われた。「その意味で、私は、人間精神の変革を基調にして平和・文化・教育の運動を進めるSGIに、大きな期待を寄せるものです」
特に博士は、「草の根」のスクラムを広げる創価の女性たちとの心の交流を、"涙が出るほどうれしい"と喜んでおられた。
一、博士の世界的な環境保護の運動も、主婦たちの少人数のグループの対話から始まったことは、有名な話である。
博士は、私に語ってくださった。「何事も、一対一の友情と信頼を結ぶことから始まりますね」
その通りである。
「一対一の友情」「一対一の対話」——これがあるから、学会は崩れない。これを、だれよりも実践しているのが、婦人部・女子部の皆さまである。世界一の女性の平和運動である。だからこそ博士も、心から讃嘆し、共感を寄せてくださっているのである。
一、わが婦人部の皆さまは、全国の津々浦々で、グループ単位の「婦人部総会」を、にぎやかに開催される。創価の母の小単位の集いは、朝から晩まで明るい会話がとまらない。
ともあれ、日ごろ、婦人部にお世話になっている青年部や壮年部は、気持ちよく、さわやかに、真心の応援をお願いしたい。
◇前進また前進!
一、かつて中国の周恩来総理が、�穎超夫人に贈られた手紙に、こういう一節がある。
「年をとると人間は、過去を振り返るようになる。しかし、激動の時代にあっては、より前を見つめ、より後世のためを考え、より青年に学んでいくことです。うかうかしていると、落伍してしまう。意気を鼓舞して、前進また前進していこう!」
全く、その通りである。仏法は「現当二世」と説く。常に、現在から未来へ、希望に燃えて、先手先手を打っていくための仏法であり、信心である。
御聖訓に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(同1190ページ)と仰せの通りである。
「進まざるは退転」である。ともどもに、一生涯、広宣流布の道を邁進してまいりたい。
一、�穎超先生は若人に、こう呼びかけている。
「青年は、胸襟を開いて、大いに友情を広げていかなくてはいけない。そして、戦おうとする、すべての人と協力していく気概を持つべきです。民衆の中に陣営を拡大していけば、私たちの事業は、勝利を収めることができる」
「民衆の中に陣営を拡大する」——素晴らしい言葉である。
私たちで言えば、座談会運動である。小単位の活動である。青年部こそが、この民衆運動の先頭に立ってもらいたい。
青年部は、青春の「希望王」である。「友情王」であり、「勝利王」である。正義と栄光の「陣営」を、さらに拡大し、永遠不滅の創価学会を構築していただきたい!
平和の天子・鼓笛隊!
各地の行事での熱演
本当にありがとう。
我らも栄光の行進を!
御義口伝巻下 P764
『法華の題目は獅子の吼ゆるが如く余経は余獣の音の如くなり』
【通解】
法華経の題目は、獅子が吼えるようなものであり、他の経は他の獣の声のようなものである。
〈寸鉄〉 2018年5月2日
「5・3」を祝し、総本部に千客万来。仏意仏勅の創価の前進は晴れやか!
本当の決意を込めた題目をあげよ—戸田先生。必ず勝つと決めた人は強し
仏法を一言でも語る人は「如来の使」と法華経。友を絶対的幸福に導く聖業
まだ勉強不足と思っている人が最も賢い—新渡戸求道の心が人生を豊かに
交通事故は薄暮の時間帯に多く。車は早めに点灯、歩行者は反射材等を活用
☆世界広布新時代第33回本部幹部会で紹介された池田先生の指針 2018年4月26日
友情と信頼の連帯を広げよ
ヘンダーソン博士「困難があると、やる気が湧く」
創価の母はいつも朗らか
何事も「一対一の対話」から 青年を先頭に希望の未来へ!
「世界広布新時代第33回本部幹部会」(14日、八王子市の東京牧口記念会館)の席上、2002年12月の本部幹部会での、池田先生のスピーチ映像が上映された。対話拡大に走る友への指針として掲載する。
一、日蓮大聖人は、仰せである。
「日本国の人々は、大勢いるが、体同異心(形はまとまっているようでも、心はばらばら)なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事(広宣流布)を成し遂げ、必ず妙法が広まるであろうと確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない」(御書1463ページ、通解)
「団結」が大事である。創価学会は、「日蓮の一門は異体同心」との仰せのままに、異体同心で世界的な発展を成し遂げた。この一点を、断じて忘れてはいけない。ゆえに、悪い人間、増上慢の輩に、清浄な学会を乱させてはならない。正義の団結に、かなうものはない。堂々たる異体同心の団結で前進しましょう!
◇新世代の大建設を
一、折伏は、一番、難しい大偉業である。それが、これほど成されたことは、奇跡中の奇跡ともいえよう。
御聖訓には、「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)と仰せである。
如来とは、仏のことである。信心の素晴らしさを、たとえ一言でも語る人は「仏の使い」である。相手が信心してもしなくても、仏法を語ったこと自体、「仏の使い」として、無量の福徳を積んでいるのである。
一、幾多の青年が澎湃と結集し、立ち上がり、活動を開始した。この姿を見て、日蓮大聖人が、そして牧口先生、戸田先生が、最大に喜んでくださることを私は確信している。
日本の社会全体は、高齢化と少子化が進み、青年の占める割合が小さくなっている。大変な時代である。
そのなかで、学会青年部が先頭を切って、新しい時代、新しい世代の広宣流布の大建設を成し遂げようと、偉大なる羽ばたきを開始した。
私は、うれしい。尋常ならざる、奇跡ともいうべき偉業である。学会の未来は、大勝利の路線に明確に入った。
もう一度、学会は、青年から始まり、青年で勝っていく大路線をつくりたい。青年部の皆さん、よろしく頼みます!
◇世界一の平和運動
一、アメリカの未来学者であるヘイゼル・ヘンダーソン博士は、より良き地球環境の構築のために戦い抜いてこられた、世界的に有名な市民運動の闘士であり、女性リーダーである。
巨大な権力や、傲慢な学者らと、真っ向から論戦を繰り広げた。無数の非難中傷を受けた。
しかし、博士は、すべてを打ち返し、はね返した。戦い、また戦い、戦い抜いて勝った。堂々たる正義と真実の論陣で、邪道の論調を、ことごとく打ち破った。そして、世界的な学者になられたのである。
一、戦わずして偉大になった人間はいない。対談の中で、忘れられない博士の言葉がある。
「運動を始めた以上、困難があるのは、当たり前と覚悟していました。それに私は、困難を前にすると、やる気が湧いてくるんです」
その博士が、市民運動の成功には、民衆の連帯だけではなく、その基盤に、確固たる「哲学」が必要であると訴えておられた。
博士は言われた。「その意味で、私は、人間精神の変革を基調にして平和・文化・教育の運動を進めるSGIに、大きな期待を寄せるものです」
特に博士は、「草の根」のスクラムを広げる創価の女性たちとの心の交流を、"涙が出るほどうれしい"と喜んでおられた。
一、博士の世界的な環境保護の運動も、主婦たちの少人数のグループの対話から始まったことは、有名な話である。
博士は、私に語ってくださった。「何事も、一対一の友情と信頼を結ぶことから始まりますね」
その通りである。
「一対一の友情」「一対一の対話」——これがあるから、学会は崩れない。これを、だれよりも実践しているのが、婦人部・女子部の皆さまである。世界一の女性の平和運動である。だからこそ博士も、心から讃嘆し、共感を寄せてくださっているのである。
一、わが婦人部の皆さまは、全国の津々浦々で、グループ単位の「婦人部総会」を、にぎやかに開催される。創価の母の小単位の集いは、朝から晩まで明るい会話がとまらない。
ともあれ、日ごろ、婦人部にお世話になっている青年部や壮年部は、気持ちよく、さわやかに、真心の応援をお願いしたい。
◇前進また前進!
一、かつて中国の周恩来総理が、�穎超夫人に贈られた手紙に、こういう一節がある。
「年をとると人間は、過去を振り返るようになる。しかし、激動の時代にあっては、より前を見つめ、より後世のためを考え、より青年に学んでいくことです。うかうかしていると、落伍してしまう。意気を鼓舞して、前進また前進していこう!」
全く、その通りである。仏法は「現当二世」と説く。常に、現在から未来へ、希望に燃えて、先手先手を打っていくための仏法であり、信心である。
御聖訓に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(同1190ページ)と仰せの通りである。
「進まざるは退転」である。ともどもに、一生涯、広宣流布の道を邁進してまいりたい。
一、�穎超先生は若人に、こう呼びかけている。
「青年は、胸襟を開いて、大いに友情を広げていかなくてはいけない。そして、戦おうとする、すべての人と協力していく気概を持つべきです。民衆の中に陣営を拡大していけば、私たちの事業は、勝利を収めることができる」
「民衆の中に陣営を拡大する」——素晴らしい言葉である。
私たちで言えば、座談会運動である。小単位の活動である。青年部こそが、この民衆運動の先頭に立ってもらいたい。
青年部は、青春の「希望王」である。「友情王」であり、「勝利王」である。正義と栄光の「陣営」を、さらに拡大し、永遠不滅の創価学会を構築していただきたい!
2018.05.01 わが友に贈る
苦手なことに挑んでこそ
心が強く鍛えられる。
生命の可能性は無限だ。
自らの壁を打ち破る
勇敢な挑戦王たれ!
種種御振舞御書 P919
『此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれどもはうに過ぐれば罰あたりぬるなり』
【通解】
この国が滅びることは間違いないけれども、(かわいそうなので)しばらく、それを止めて、「国を救いたまえ」と日蓮がひかえていたからこそ、今までは安穏だったのである。しかし、迫害が限度を超えたので罰があたってしまったのである。
〈寸鉄〉 2018年5月1日
心躍る創価の5月。さあ新しい決意と弾む生命で行動!軽やかに友の元へ
SGIは草の根で平和教育を推進—韓国識者。善のスクラムを世界が称賛
私は一時たりとも信念を失ったことはない—巴金戦い続ける人こそ勝利者
朝寝坊は人生の敗北だ—戸田先生。自分に勝て!青年よ価値創造の日々を
出産後8週間未満の女性半数が睡眠不足と。時期に応じて温かく見守ろう
☆大白蓮華巻頭言2018年5月号 日々、「創価の母の日」であれ!
雨が降ろうが、風が吹こうが、太陽は必ず昇る。 広宣の太陽たる母たちもまた、決してたゆまない。
「法華経」では、一人のために、たとえ一句でも正法を語れば、それは「如来の事」、すなわち「仏の仕事」であると明かされている。
「御義口伝」では、この仏の語らいの意義を——
第一に、「柔和忍辱」の衣を着て行われる。
第二に、「不惜身命」の修行である。
第三に、「母の子を思うが如くなり」と、明快に示されている。(P737)
御本尊の仰せ通りに、聡明な忍耐の心と恐れなき勇気、そして大いなる母の慈悲で妙法を弘め、幸と平和の陽光を放ってきたのが、偉大な婦人部である。
自らも言うに言われぬ苦労を抱えながら、悩める友に題目を送り、一緒に勇んで乗り越えゆく創価の母たちの心は、「如来の心」そのものである。
気取らず飾らず、ありのままの笑類で皆を励まし続ける創価の母たちの振る舞いは、まぎれもなく「仏の振る舞い」ではないか。
婦人部あればこそ、学会家族は明るく温かい。
婦人部あればこそ、広宣流布は限りなく進む。
婦人部あればこそ、令法久法は行き詰まらない。
我らの元朝たる5月の3日は「創価学会母の日」だ。尽きせぬ感謝を捧げゆくとともに、仏に等しい母たち女性たちが無量無辺の福徳に包まれるよう、皆で祈り、広布の誓願を新たにする日なのである。
太陽の
母のスクラム
不退なリ
常楽我浄と
光風かおらせ
日蓮大聖人は、女性の門下たちに繰り返し、「常によりあひて御覧あるべく候」(P1114)、「同心なれば此の文を人して人によませて・きこしめせ」(P1324)等と呼び掛けておられた。
小人数で集まり、仏法を学び、行じ、仏性を輝かせ合って前進する——。今、日本中、世界中で花咲く婦人部のグループをはじめ草の根の語らいは、何と深く大聖人のお心に連なった宝の会座であろうか。
「耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(P552)と仰せの如く、幸福の種が広がるのだ。
私の妻も、時間を見つけては懇談や小さな会合に飛び込んできた。一人ひとり、さまざまな現実の課題から断じて逃げずに奮闘する地涌の宝友である。
戸田先生の御指導を踏まえて、妻が折々に同志と語り合ってきたことがある。断崖絶壁に立って"もう一歩も退かない"と決めた時から、「宿命」は「使命」に変わり始めるということである。
この「人間革命」の朗らかな逆転劇を生み出していく大地が、創価の励ましのネットワークだ。誰一人として孤立させない、仲良く賑やかな女性のスクラムこそ、家庭も地域も社会も蘇生させゆくオアシスであろう。世界平和の希望の源泉も、ここにある。
「母の恩の深事 大海 還って浅し」(P1527)
けなげな母たちを思えば、大海原の如く大生命力が湧いてくる。我らは日々、「創価の母の日」と決めて、太陽と共に今日も元気に前進だ!
心が強く鍛えられる。
生命の可能性は無限だ。
自らの壁を打ち破る
勇敢な挑戦王たれ!
種種御振舞御書 P919
『此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれどもはうに過ぐれば罰あたりぬるなり』
【通解】
この国が滅びることは間違いないけれども、(かわいそうなので)しばらく、それを止めて、「国を救いたまえ」と日蓮がひかえていたからこそ、今までは安穏だったのである。しかし、迫害が限度を超えたので罰があたってしまったのである。
〈寸鉄〉 2018年5月1日
心躍る創価の5月。さあ新しい決意と弾む生命で行動!軽やかに友の元へ
SGIは草の根で平和教育を推進—韓国識者。善のスクラムを世界が称賛
私は一時たりとも信念を失ったことはない—巴金戦い続ける人こそ勝利者
朝寝坊は人生の敗北だ—戸田先生。自分に勝て!青年よ価値創造の日々を
出産後8週間未満の女性半数が睡眠不足と。時期に応じて温かく見守ろう
☆大白蓮華巻頭言2018年5月号 日々、「創価の母の日」であれ!
雨が降ろうが、風が吹こうが、太陽は必ず昇る。 広宣の太陽たる母たちもまた、決してたゆまない。
「法華経」では、一人のために、たとえ一句でも正法を語れば、それは「如来の事」、すなわち「仏の仕事」であると明かされている。
「御義口伝」では、この仏の語らいの意義を——
第一に、「柔和忍辱」の衣を着て行われる。
第二に、「不惜身命」の修行である。
第三に、「母の子を思うが如くなり」と、明快に示されている。(P737)
御本尊の仰せ通りに、聡明な忍耐の心と恐れなき勇気、そして大いなる母の慈悲で妙法を弘め、幸と平和の陽光を放ってきたのが、偉大な婦人部である。
自らも言うに言われぬ苦労を抱えながら、悩める友に題目を送り、一緒に勇んで乗り越えゆく創価の母たちの心は、「如来の心」そのものである。
気取らず飾らず、ありのままの笑類で皆を励まし続ける創価の母たちの振る舞いは、まぎれもなく「仏の振る舞い」ではないか。
婦人部あればこそ、学会家族は明るく温かい。
婦人部あればこそ、広宣流布は限りなく進む。
婦人部あればこそ、令法久法は行き詰まらない。
我らの元朝たる5月の3日は「創価学会母の日」だ。尽きせぬ感謝を捧げゆくとともに、仏に等しい母たち女性たちが無量無辺の福徳に包まれるよう、皆で祈り、広布の誓願を新たにする日なのである。
太陽の
母のスクラム
不退なリ
常楽我浄と
光風かおらせ
日蓮大聖人は、女性の門下たちに繰り返し、「常によりあひて御覧あるべく候」(P1114)、「同心なれば此の文を人して人によませて・きこしめせ」(P1324)等と呼び掛けておられた。
小人数で集まり、仏法を学び、行じ、仏性を輝かせ合って前進する——。今、日本中、世界中で花咲く婦人部のグループをはじめ草の根の語らいは、何と深く大聖人のお心に連なった宝の会座であろうか。
「耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(P552)と仰せの如く、幸福の種が広がるのだ。
私の妻も、時間を見つけては懇談や小さな会合に飛び込んできた。一人ひとり、さまざまな現実の課題から断じて逃げずに奮闘する地涌の宝友である。
戸田先生の御指導を踏まえて、妻が折々に同志と語り合ってきたことがある。断崖絶壁に立って"もう一歩も退かない"と決めた時から、「宿命」は「使命」に変わり始めるということである。
この「人間革命」の朗らかな逆転劇を生み出していく大地が、創価の励ましのネットワークだ。誰一人として孤立させない、仲良く賑やかな女性のスクラムこそ、家庭も地域も社会も蘇生させゆくオアシスであろう。世界平和の希望の源泉も、ここにある。
「母の恩の深事 大海 還って浅し」(P1527)
けなげな母たちを思えば、大海原の如く大生命力が湧いてくる。我らは日々、「創価の母の日」と決めて、太陽と共に今日も元気に前進だ!
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