2018年4月29日日曜日

2018.04.29 わが友に贈る

友情は人生の宝だ。
足を運び 出会う中で
信義は結ばれていく。
誠実の「心」を
あの友へ この友にも!

御義口伝 P708
『経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと』

【通解】
経とは一切衆生の言語音声をいうのである。章安大師いわく「声仏事を為す之を名けて経と為す」と。

〈寸鉄〉 2018年4月29日
生命哲学に基づく会長の対話は社会変革の道示す—識者。共生世紀の指標
東京・大田の日。源流の誇りは後継の人材に確固と!皆が鑑と仰ぐ拡大を
信心で解決した時こそ真の宿命転換—戸田先生。策でなく題目根本で前へ
黄金週間。心弾む有意義な語らいを!長距離運転等は油断なく無事故優先
来春の大卒求人が80万超と。就職活動の友に好機広がる。失敗恐れず挑め

☆虹を懸ける 池田先生とニュージーランド� 2018年4月20日
◇挑み抜いた人に栄冠は輝く
1982年9月5日、ニュージーランドに初めて支部が結成されてから36年。池田先生との誓いを胸に、信心の実証を示してきた同国の友の姿を追った。

南北の二つの主要な島と、小さな島々からなるニュージーランド。豊かな自然に包まれ、毎年、多くの観光客が訪れる。日本の4分の3ほどの国土面積に、先住民のマオリをはじめ、ヨーロッパやアジアからの移住者など、約470万人が共生している。
同国SGIの会合は大半、英語で行われるが、中国系のメンバーが多いところでは、英語と中国語に分かれて進める。教学試験は英語、中国語、日本語の3カ国語で毎年のように実施され、教学研さんの息吹が一段と高まっている。
池田先生は同国を訪れたことはないものの、折々にニュージーランドの友に励ましを送ってきた。

◇広布の推進者
同国北端のノースランド地方で生まれ育ったヘザー・シンプキンさん。建築資材会社で、生産管理の責任者として活躍する。
人間関係に悩んでいた時、SGIメンバーだった親戚に勧められ、28歳で入会した。「最初は後悔しました。正座はつらいし、当時は勤行(五座)だけで1時間以上もかかりましたから(笑い)」
1984年9月、兵庫・西宮市の阪神甲子園球場で行われた「世界平和文化祭」で、池田先生と初の出会いを刻む。世界57カ国・地域の同志が集い合い、歌やダンスなどを披露した。シンプキンさんは、師匠を求める世界の友の姿に、強く心を揺さぶられた。
帰国後、自身の人間革命を懸け、広布拡大に挑む。だが、折伏は一筋縄ではいかない。「第2次世界大戦の時、わが国にとって日本は敵国でしたから、年配者の中には日本の宗教と聞き、顔をしかめる人もいました」
それでも、近隣や友人に、生命の尊厳を説く仏法の素晴らしさを粘り強く語ってきた。「学会活動に励む中、自分が広宣流布を推進する一人であると自覚できるようになりました」
シンプキンさんは総支部婦人部長などを歴任し、現在は全国副婦人部長として奮闘。昨年7月には、近隣の友人に弘教を実らせた。「池田先生は言われています。『人と比較して、自分を卑下し、嘆くことなんかない』と。師の励ましを胸に、広布の道を朗らかに歩んでいきます」

◇原点の出会い
「創価学会は、どこまでも『御本尊根本』で前進してきた。ただ『広宣流布』のために、戦ってきた。この軌道は、今も、また永遠に、寸分たりとも変わらない」
91年11月18日、東京・信濃町で開催されたSGI代表勤行会。池田先生は世界20カ国・地域の同志と共に勤行した後、スピーチした。
この場にいた一人が、ビーチュー・リムさん。マレーシア出身で、当時、入会して3年の女子地区リーダーである。「先生は『尊い使命の皆さま』と、私たちを真心から歓迎してくださいました」
ニュージーランドから来日した9人は翌日、信濃町の聖教新聞本社に向かった。ここで、先生にアメリカ・カリフォルニア州からの「名誉州民証」が贈られるという。
本社1階のロビーで待っていると、先生が目を留め、歩み寄った。「遠いところ、ご苦労さま」
先生は、一人一人を優しく見つめ、固い握手を交わす。さらに飛行機での移動時間を尋ねるなど、親しく語り掛け、遠来の友の労苦をねぎらった。
程なく、来賓の州務長官が到着した。
「来賓が到着するぎりぎりの時間まで、先生は私たちを励ましてくださったのです。私は涙が止まりませんでした。先生をもっと求めていこうと思いました」とリムさん。その後、女子部長等を経て、2014年11月、ニュージーランド婦人部長に就任した。
「婦人部では今、小説『新・人間革命』の学習運動に力を入れています。師弟不二の心を受け継ぎ、ニュージーランドから平和のスクラムを大きく広げていく決意です」
この時、師との出会いを結んだ9人は、全員が弟子の道を真っすぐに貫いている。

◇私たちの誓願
タダシ・タマイさん(総支部長)と、妻のラックさん(総支部副婦人部長)も、1991年の出会いを生涯の宝にしている。
「あの時、池田先生と出会って、"ニュージーランド広布は、私たちの手で実現するのだ"と心に誓いました」とラックさん。現在、国家予算の計画を立てる政府機関で、シニアアドバイザーを務めている。
夫のタマイさんは5人きょうだいの末っ子として、神奈川で生まれた。信心強盛な母親から折に触れ、信仰体験を聞いて育った。
84年にニュージーランドのウェリントンへ。土産店で働いた。
経営者になりたいとの夢を懸けて、折伏に歩いた。誰かが困っていると聞けば、「自分の可能性を最大に引き出してくれるのが、この仏法なんだよ」と語った。一緒に題目を唱える人もいたが、"時間がない""自分には無理"と、入会には至らなかった。「でも折伏のおかげで、語学力がつき、人間的にも成長できました。下種した人数は700人を超えてから数えていません」と笑う。
これまで25人に弘教を実らせてきたタマイさん。99年には、念願の独立を果たし、アートギャラリーを経営している。
タマイさん夫妻は口をそろえた。「入会した友人が、就職できたり、病を乗り越えたりして、幸せになっていく姿を見るのが、とてもうれしい。この素晴らしい仏法を、できる限り多くの人に伝えていく。これが、先生への私たちの誓願です」

◇歴史を創る哲人
ニュージーランドの人口は、昨年3月までの1年間で2・1%増と、74年以来、最大の伸び率となった。特に、増加しているのは、アジアからの移住者である。
ビベック・バーティアさんもインド出身。現在、オークランドで総支部長として奔走している。
池田先生との出会いは92年2月、インドのニューデリーで盛大に行われた第2回文化祭。先生ご夫妻が、インド文化国際アカデミーのロケッシュ・チャンドラ理事長らと共に観賞した。
婦人・女子部による古典舞踊、男子部による古典打楽器タブラの演奏、壮年・婦人部のコーラス……。歓喜の歌声がこだました。
メンバーの演技のたびに、先生と香峯子夫人は三色旗を振り、エールを送った。
男子部だったバーティアさんも地域の同志とフォークダンスを披露。すると、先生は立ち上がり、音楽に合わせて、舞うように手を動かした。
「青年の真心に、先生が応えようとしてくださっている姿を見て、胸がいっぱいになりました」とバーティアさん。
先生は、メンバーの熱演をたたえ、語った。「皆さま方、お一人お一人が21世紀の壮大なる歴史を創出しゆく哲人である。リーダーである」と。
バーティアさんは、この師の思いに応えたいと、対話拡大に挑み、友人や親戚などを入会に導いた。
2001年にニュージーランドに渡ってからも、会う人会う人に仏法対話を重ねた。昨年は5人、今年は3人に御本尊流布を実らせている。
2人の子どもは学会の庭で育ち、長女は会計士、次女は国立オークランド大学で学ぶ。
「私の愛読書は小説『人間革命』です。大阪の戦いが描かれた10巻は何度も読み返しました。どんな状況になっても勝ち抜く祈り。この強き一念こそ、広布拡大の根本です」
◇ ◆ ◇
ニュージーランド出身の女性作家マンスフィールドはつづった。「成功、失敗を少しも意に介せず、ただつづけて行くこと」「たった今決心すること!」(橋本福夫訳『日記と感想』大観堂。現代表記に改めた)
かつて池田先生は、この言葉を紹介しつつ、友に呼び掛けた。「何があっても、へこたれない。今再び挑戦を開始する。勇気と忍耐で戦い続ける人が、栄冠をつかむのだ」
師匠との誓いのままに、挑み抜いた人に勝利の栄冠は輝く——ニュージーランドの同志が、それを堂々と証明している。