報恩感謝こそ
無限の勇気の源泉だ。
未来に羽ばたく
若き君よ 貴方よ
親孝行の青春道を!
佐渡御書 P956
『此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ十郎入道殿等さじきの尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ』
【通解】
この手紙は、富木殿のもとへ送り、四条金吾殿、大蔵塔の辻の十郎入道殿ら、桟敷の尼御前、その他これを見ていただくべき人々、一人ひとりにあてたものです。
京都と鎌倉の合戦で亡くなった人々の名を書き付けて送ってください。
〈寸鉄〉 2018年4月4日
多様性輝く社会建設の為にSGIから学びたい—識者。共生世紀の先駆け
新社会人よ頑張れ!地道な努力こそ大成への道。朝の祈りから爽快に出発
「友情の大黒柱は尊敬と信頼」思想家。出会いの季節。誠実の振舞で光れ
一人でもよい。心から話せる同志をつくれ—戸田先生。善知識は成長の宝
子供の交通事故は自宅から500メートル以内で多し。慣れた道こそ油断排して
☆4月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 崇峻天皇御書
◇「今いる場所」で輝く人材に
◇新出発迎える友にエールを
4月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「崇峻天皇御書」を研さん。社会で勝利の実証を示すための要諦を学ぶ。
◇御文
『中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ』(御書1173ページ)
◇通解
「中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君に仕えることでも、仏法に尽くすことでも、世間における心掛けでも、非常に立派である」と、鎌倉の人々に言われるようになりなさい。
◇背景と大意
本抄は、建治3年(1277年)9月11日、日蓮大聖人が身延の地から鎌倉の四条金吾に与えられたお手紙。別名を「三種財宝御書」という。
金吾は当時、主君の江間氏を折伏したために不興を買っており、さらに同年6月の桑ケ谷問答を引き金とする冤罪によって、江間氏から"法華経の信心を捨てなければ所領を没収する"と迫られていた。
しかし、金吾は不退転の信心を貫き、大聖人の御指導通りに誠実な振る舞いに徹した。その後、江間氏が病に倒れ、医術の心得のあった金吾が治療に当たることになった。本抄は、その報告に対する返信である。
当時、江間氏との関係については好転の兆しがあったものの、金吾を取り巻く環境の厳しさは変わらずに続いていた。
大聖人は、本抄で、主君からの信頼を確かなものにする大事な時だからこそ油断してはならないと、賢人としての生き方を教えられている。
◇解説
今回の拝読御文の直前で、日蓮大聖人は"生きて一日でも名をあげることが大切である"と述べられている。
ここでの「名をあげる」とは、世間における地位や名声を求めよ、ということではない。正法を持った一人の人間として、社会で信頼されることの重要性を教えられていると拝される。
さらには、人のため、広宣流布のために生き抜き、地涌の使命を果たし抜くことが、最高に「名をあげる」ことであると捉えられよう。
大聖人は拝読御文で、金吾の目指すべき具体的な姿として、「主君に仕えること」「仏法に尽くすこと」「世間における心掛け」の3点にわたって「立派である」と言われる人になろうと、指導されている。
この3点を私たちに置き換えるならば、「仕事や職場において」「広宣流布の活動において」「縁する人々との交流において」と捉えることができる。直面するあらゆる場面において、また、どんな人に対しても、誠実な振る舞いを貫き周囲に信頼を広げゆく——こうした姿勢に対して、称賛の声が自然と寄せられてくるのである。
実際、金吾は大聖人の仰せ通りの強盛な信心の実践と誠実な振る舞いによって、主君からの信頼を再び得ることができ、以前の3倍もの所領を与えられるという勝利の実証を示したのである。
私たちも広宣流布の活動に徹する中で、誠実な人格を磨き、社会で信頼されゆく一人一人でありたい。
間もなく春4月、新年度を迎える。転勤、転居などで新天地での生活を始める友も少なくない。中でも、現実の大海原に船出する新社会人の友は、新しい人間関係、不慣れな環境で悩みや壁にぶつかることもあるだろう。
池田先生はかつて、新社会人の友にエールを送った。
「どんな仕事であれ、どんな立場であれ、題目を唱える自分自身が智慧を出し、力を尽くして、世のため、人のため、誠実に価値を創造していく。それは、全て『心の財』を積む仏道修行になります」
仏法では「信心即生活」「仏法即社会」の原理を説いている。学会活動に励み、社会の中であらゆることに、誠実に、全力で取り組む中で、自身の人間性を輝かせ、信頼を広げていくことができる。今いる場所で"なくてはならない人"に成長していくことこそ、大事な仏道修行なのである。