"人のため"に動けば
"自分のため"よりも
大きな力が湧いてくる。
これが創価の生き方だ。
信念の人生を共々に!
上野殿後家尼御返事 P1504
『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はずただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふこれにまよふを凡夫と云う』
【通解】
およそ、浄土といっても、地獄といっても、それはどこか他のところにあるものではありません。ただ私たちの胸の間(生命の中)にあるのです。
これをさとった者を仏といい、これに迷うのを凡夫というのです。
〈寸鉄〉 2018年4月26日
『新・人間革命』最終章の連載続く。師と共に進む黄金の日々。前進の糧に
「必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に」御書。さあ自信満々と仏縁拡大
長野の日。美しき団結の同志よ。圧倒的な対話で世界一の人材山脈を築け
三障四魔に負けてたまるかと祈るのだ—戸田先生病と闘う友よ不屈の心で
はしかの感染、大型連休で広がる恐れ。予防接種は早めに。嗽・手洗いも
☆御書と歩む� 第15回 妙法の宝の文字を世界へ
『滅せる梵音声かへって形をあらはして文字と成って衆生を利益するなり』(木絵二像開眼之事、469ページ)
◇通解
釈尊が亡くなって、すでに滅んでしまった仏の声が、かえって形を現して文字となって、人々に利益を与えるのである。
◇同志への指針
文字には衆生を利益する不滅の生命力がある。
広宣流布の機関紙たる聖教新聞の活字は、仏法の智慧と勇気と慈悲の光を放ちゆく誓願の結晶である。
日本中、世界中の人に読ませたいとの師の願いをわが願いとして、私も書き続けている。無冠の友をはじめ支えてくださっている方々に感謝申し上げたい。聖教と共に、きょうも精神の大闘争を!
☆親が子に語る物語 池上兄弟 2018年4月22日
◇心を合わせて信心に励む
むかしむかし、鎌倉時代のお話です。
池上宗仲、宗長というりっぱな武士の兄弟がいました。
ふたりは、若くして日蓮大聖人の仏法とめぐりあい、清らかな信心をつづけてきました。
ある日、兄の宗仲は、父・康光からすぐに来るようにと呼び出されました。
「いいか、日蓮と縁をきれ。さもなくば、勘当だ」
勘当され、家を追い出されてしまえば、池上家をつぐことはできません。当時の武士にとって、それは、地位や財産をすべてうしなう、たいへんにつらい仕打ちでした。
「なぜ、父上は、とつぜんこのようなことを」
宗仲は、おどろきました。
実は、兄弟の父は、極楽寺良観という悪い僧に、たぶらかされたのでした。この悪僧は、大聖人さまをねたましく思い、さまざまな悪だくみをしかけましたが、いずれも失敗。こんどは、大聖人さまの門下に、ゆさぶりをかけてきたのです。
兄の宗仲のもとへ、頭をかかえながら、あわてて走ってきた弟の宗長が、たいそう取り乱して言いました。
「父上が先ほど、ありえないことを申されました。兄上がつがれるはずの地位や財産を、この宗長にゆずろう、と」
なんという、ひれつな仕打ちでしょう。兄弟のきずなを、ひきさこうとするとは。
しかし、この兄弟は、そんな悪だくみには負けませんでした。ふたりで励ましあいながら、けなげに信心にはげみました。
ある日、兄弟のもとへ一通の手紙がとどきました。それは、身延の山中におられる大聖人さまからでした。
こころして読み終えたあと、兄の宗仲は、感動にほおを上気させて、弟の宗長に言いました。
「ああ、なんときびしくも温かなご指導なのだろう」
お手紙には、「この法華経を信仰すれば、必ず魔が出て来て信心をさまたげようとするのです。兄弟でこころをあわせ、魔に負けずに信心にはげみなさい。必ず乗り越えられます」と、したためられていました。
弟の宗長もとても感動し、信心をつらぬくことを誓いました。
ところが、しばらくして、またしても兄・宗仲が父から勘当を言いわたされ、困難な状況に直面した時に、弟の宗長のこころは、大きくゆらいでしまったのです。
これをお知りになった大聖人さまから宗長のもとへ、すぐにお手紙がとどきました。
「ほんとうの親孝行をのぞむのであれば、日蓮とともにこの信心をつらぬくと父上にきっぱりと言いきりなさい」
大聖人さまの弟子を思われるご慈愛が、一文字一文字からにじみあふれてくるようなお手紙でした。それは、宗長の胸にそのまま流れこみ、太陽のようにこころを光り輝かせました。
「兄上、わたしは、もうなにもまよいません。大聖人さまの弟子として生きぬいてまいります」
やがて、兄弟の強くほがらかな信心の炎は、凍てついた大地のようだった父のこころを、とかしました。父は、兄の宗仲の勘当をとき、さらに、晴れて大聖人さまの弟子となったのです。
大聖人さまは、たいへんに喜ばれ、兄弟のすばらしい団結を、こころからたたえられました。
こうして、りっぱな信心をつらぬいた池上兄弟の名は、ひろくいつまでも語りつがれるのでした。
◇ ◆ ◇
ぶん・橋出 たより
え ・三浦 哲
おうちの方へ
今回の物語は、日蓮大聖人の門下として活躍していた池上宗仲・宗長の兄弟を取り上げました。
兄弟の父・康光は、大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者だったと考えられており、良観にたぶらかされて兄弟の信心に反対し、兄・宗仲を勘当します。
当時の武家社会にあって、「勘当」とは、家督相続権を奪われる厳しい処罰でした。また、兄の勘当は、弟・宗長に家督相続権が譲られることでもあり、兄弟を分断して信心を破壊しようとする悪だくみといえます。
大聖人は、この兄弟に、「この法門を説くと、必ず魔が現れるのである。魔が競い起こらなかったならば、その法が正法であると考えてはならない」(御書1087ページ、通解)と教えられ、競い起こる三障四魔に打ち勝っていくよう励まされています。
大聖人の御指導通りに実践し、団結して不退の信仰を貫いた兄弟は、再度の勘当も乗り越え、弘安元年(1278年)、ついに父を入信に導きました。