2015年10月5日月曜日

2015.10.05 わが友に贈る

◇今週のことば
我らの地区・支部こそ
地涌の菩薩の本舞台。
友人とともに
明るく楽しく総会を。
心の絆を実り豊かに!
2015年10月05日

御義口伝巻下 P779
『一切衆生は一眼の亀なり栴檀の浮木とは法華経なり』

◇人生の座標
人間共和−−それは、人間と人間が、国や文化の違いを超え、人種や言語の隔てなく、和して楽しみ、共に生きることのできる社会である。それを目指していく運動の中にこそ、分断から結合へ、不信から信頼へ、人間社会を蘇生させゆく道がある。

☆こころに響く言葉
自己の絶えざる成長こそ美の秘訣

いつまでも若々しく、美しくありたいというのは、共通の願いであろう。
そうした、美しさの源泉は、けっして化粧や衣服だけにあるのではないようだ。
自らを厳しく律し、未来に希望を持ち、常に成長を願い、
充実した日々を過ごしゆく生命の誇りとも言うべきものこそ、
いつまでも衰えぬ美しさの秘訣なのではあるまいか。

☆大白蓮華巻頭言  2015年10月号「種を蒔く誇り!育てる喜び!」
春夏秋冬、わが誉れの農漁光部の同志の皆様方に、私は題目を送り続けている。海苔屋に育った私には、農漁業の日々の御苦労が、深く偲ばれてならない。
「食は命」なり。自然災害や天候の不順などにも屈せず、一番大事な命を守り、育んでくださる聖業に、私たちは、あらためて心から感謝を捧げたい。
日蓮大聖人は、農作物が早い遅いの差があっても一年の内に収穫できることを譬えとして、『法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し』(P416)と仰せである。
この通りに、創価学会と共に広宣流布に生き抜き、一生成仏の黄金の総仕上げを飾りゆかれる多宝の方々の顔が、日本にも世界にも輝きわたっている。
大聖人の仏法は「下種仏法」である。
悪世末法における妙法の「下種」(種を下ろす)とは、こんな荒れ地に種を植えても無駄であると見放されてきた衆生の心の大地にも、光を当て、手を差し伸べていく未聞の挑戦である。
御書には、『但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ』(P1553)と断言なされている。
どんな人であれ、どんな境遇であれ、題目を唱えゆくならば、仏の生命を現すことができるのだ。
ゆえに我らは種を蒔く。妙法という究極の幸福の種を、我と我が友の心田に蒔き続ける。いかに厳しい現実の宿命があってもたじろがず、「絶対に仏になれる。一緒に幸せになろう」と語り切りながら!

なかなか折伏が成就せずに悩んでいる、けなげな同志を、戸田城聖先生は温かく労われた。
「何も嘆くことはないよ。すぐに信心する発心下種と法を聞かせる聞法下種は、功徳は同じだ。必ず実る時が来る。だから、どしどし下種をするんだ」
広島で戦災に遭い、結婚を機に渡米した創価の母は、夫の猛反対にも負けず、信心を貫き、仏法対話に挑んだ。経済苦や家庭不和と格闘しながら、
一人一人に「この人に会うために、私はここに来たのだ」と真心を尽くした。今、ご一家も、折伏した400世帯に迫る眷属も功徳に満ちて、後継の青年たちが続く。
「信心の喜びを語りたくて仕方ないの。人を見たら折伏したいわ」と、母は明るく美しく微笑む。
日々、勤行で読誦する自我掲には、「賓樹多華果衆生所遊楽<宝樹は花菓多くして 衆生の遊楽する所なり>」とある。私たちの広宣流布は、たゆまず妙法の種を蒔き、人材の宝樹を育てて、生きる喜びに躍動する平和と共生の緑野を、この地球上に創り広げていく戦いであるといってよい。
ブラジルの詩心の母コラ・コラリーナは詠った。
「待つならば、今日、生命の大地に植え込んだ良き種の収穫を待ちましょう! 植えるならば、幾百万の笑顔とスクラムと友愛を植えましょう!」
さあ、「世界広布新時代」の「躍進」そして「拡大」ヘー。皆で朗らかに励まし合い、一日一日、勇敢に希望の種を、勝利の種を蒔きゆこう!

わが弟子と
 万年の種
  植えにけり
 幸の人華よ
  未来へ薫れや