2015年10月2日金曜日

2015.10.02 わが友に贈る

「未来の果」は
「現在の因」にあり。
目の前の山を登れ!
その積み重ねに
人生の栄光は輝く!

立正安国論 P26
『蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』

◇人生の座標
「歴史」の研究は、「人間」の研究といってよい。
日本では古来、歴史書を「鏡」と呼んできた。「大鏡」とか「今鏡」「水鏡」「増鏡」と。「鏡」がないと、自分の顔も姿もよくわからない。「鏡」があれば、ここをこうすればいいとわかります。

☆こころに響く言葉
子どもだけの別天地を

子どもだけの別天地をつくり、そこで、さまざまな工夫をこらし、ケンカをし、
仲直りしていくことは、生命の法理にかなった、自然の育ち方ではあるまいか。
そのなかでこそ、体力も鍛えられるし、知恵も磨かれていく。
社会生活のルールも、身についてくるし、独創性もつちかわれる。

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第18回 アンデス越えたり�
山は、頼もしい心の友達です。
どんな時でも、どっしりとそびえ立つ山を仰げば、わが心も悠然と定まります。
私たちの地球には、壮大なスケールの山脈がたくさんあります。
私も世界を駆け巡る中、王者の風格の山々を目の当たりにしてきました。とりわけ、南米大陸のアンデス山脈の光景は圧巻でした。
アンデスは、南北七つの国にまたがって縦断し、地球を約4分の1周するほどの長さです。
1993年の初頭、57日間にわたった北南米広布の旅路は、アメリカを起点に、コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイを訪問して、チリ共和国を目指しました。
機中から眼下にパノラマのように"アンデスの山容"が広がっていました。
かつて、南米解放の英雄サンマルチンが東から西へ、その難所を越えて進軍し、不可能を可能にして民衆の勝利を決定づけた「アンデス越え」の歴史は有名です。
1960年に、私がアメリカに世界への第一歩をしるしてから、チリで50カ国目でした。私は、胸中の恩師・戸田城聖先生に呼び掛けました。
「先生! 私は永遠に先生とご一緒に、世界広布の山また山を、勇気凛々と越えていきます」と。

戸田先生はご逝去の直前、私に言われました。「昨日、メキシコに行った夢を見たよ。待っていた、みんな待っていたよ」と。
そして、私をじっとご覧になり、「世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ」と語られ、私の手を力強く握ってくださいました。
日本の広宣流布の願業を成就された戸田先生は、弟子の私に、「世界広布」という壮大な夢を託してくださったのです。
私は、恩師の心を抱きしめて、戦い抜いてきました。医師からは「30歳までは生きられない」と言われたほど、病弱な体です。それでも、ただ恩師の構想を実現しようと走り続けてきたのです。
日本からは地球の反対側、最も遠い南米の国々でも、すでに多くの同志が活躍していました。
チリの首都サンティアゴに近づいた時、私は再び飛行機の窓から外に目をやりました。いつしか日は落ち、夕映えが、雪を頂いた山々を鮮やかに染めています。上空を見上げると、美しい三日月と金星が輝いていました。私は、この日、詠みました。

荘厳な
 金色(ゆうひ)に包まれ
  白雪の
 アンデス越えたり
  我は勝ちたり

私の世界への道は「師弟共戦の道」です。いつでも、どこでも、私の心は恩師と共にありました。
師の夢は、弟子の夢です。
弟子の勝利は、師の勝利です。
これが「創価の師弟」です。
後継の未来部の皆さんも、この「師弟の道」に続いてください。
未来部は私の生命です。未来部の勝利こそが、私の勝利なのです。

「人生はつねにこれからの作業、みずからの天命を果たす永続的な挑戦の場である」
これは、私が尊敬してやまないチリのパトリシオ・エイルウィン元大統領の言葉です。
エイルウィン氏は、16年半にも及んだ軍事政権に終止符を打ち、チリの民主化をリードした哲人政治家です。90年3月から4年間、大統領として、国の発展に尽力しました。92年11月には、チリの国家元首としては初めてとなる歴史的な来日を果たし、その時、私も東京でお会いしました。
その3カ月後、今度は私が、チリの大統領府を表敬し、再会を喜び合ったのです。
94年7月にも、創価大学にエイルウィン御夫妻をお迎えし、交流を重ねました。
氏との語らいは、対談集『太平洋の旭日』として発刊されました。
穏やかな口調、飾らない人柄、そして、「社会正義」を貫く鋼鉄の信念——その雄姿は、今も脳裏に焼き付いて離れません。チリの新聞が「厳しい現実の試練も消し去れなかった微笑」と称えたように、太陽のような明るい笑顔が実に印象的です。
氏も、少年時代、体が弱かったそうです。しかし、「病弱であったことが、多くの読書の時間を与えてくれた」と述懐されているように、たくさんの良書をひもとかれました。座右の書の一つは、フランスの文豪ビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』です。
氏は、「少年時代の読書が、後に取り組むようになる社会問題、とりわけ、貧しい人々が抱える諸問題に対する感性を育んだ」と振り返っています。氏の偉大な「天命」は、若き日の良書との格闘の中で磨かれたのです。
さらに、氏のお父さんの生き方が、大きな影響を与えました。
幼少期に両親を亡くしたお父さんは、その悲しみをぐっとこらえ、苦労しながら必死に勉強を積み重ねました。そして、弁護士の資格を取得し、人々のために尽くしました。晩年には、チリの最高裁判所の長官まで務められています。
「自分自身に対しては非常に厳しかったのですが、自分以外の人々に対しては気さくであたたかく接し、貧しい人々のことに、いつも心を砕いていた」——そんな父の背中を見て、氏もまた、「社会正義」に生命を捧げていきます。父に続いて弁護士になり、懸命に働きました。そこで、世の中のさまざまな課題に直面します。
「法と正義」を追求する氏は、自身の天命を果たす「挑戦の場」として、同時に政治の道を選びました。