2015年1月9日金曜日

2015.01.10 わが友に贈る

新成人の若き君よ
大いなる誓いに
生き抜く人生を!
そこに人間としての
真の充実と栄光がある。

蒙古使御書 P1473
『是程の御悦びまいりても悦びまいらせ度く候へども人聞つつましく候いてとどめ候い畢んぬ』

◇人生の座標
人生の真実の勝負は、長い目で見なければわからない。一切の正邪は、年を経るにつれて明らかになる。歴史が全部、証明する。正義が必ず勝つ。これは絶対に間違いない。

☆100文字の幸福抄
自分こそが、
自分の人生という劇の「脚本家」であり、
「主人公」なのである。
誰かが脚本を書いてくれるのではない。
演出してくれるのでもない。
自分が書いて、自分が俳優として演ずる。
全部、自分がつくるのである。

☆未来の翼~世界が君を待っている~ 第10回 ネパールの頂①
新しい一年の始まりに当たり、皆さんに、一つ質問をします。
「王」という文字は、「三」という字を書いて、「一」の字を縦に書きますね。これは何を意味していると思いますか?
日蓮大聖人の御書には、「三」は天と地と人を表し、それを貫いて少しも動かない存在を「王」というと説かれています。
そして、その王の象徴こそ、世界一の大山脈・ヒマラヤなのです。
王者の山・ヒマラヤは──
何ものにも揺るがない父の如く、堂々とそびえています。
全てを優しく包み込む母の如く、人々を見守っています。
肩を組んで試練に挑む皆さんの如く、天空を目指しています。
20年前の1995年1月。私は、美しき精神の大国・ネパールを訪れました。
名門・国立トリブバン大学での式典などを終えた後、首都カトマンズから車で1時間ほど走り、郊外へ向かいました。"ヒマラヤを仰げる丘へ"と、地元の方々が真心こめて案内してくれたのです。
ただ、天候によって、必ずしも見られるとは限りません。この曰の夕刻も、到着するまでは、あいにく雲が出ていました。
カメラを手に少し歩くと、それまで頂をおおっていた雲が、カーテンのようにサッと開きました。そして白雪を身にまとった王者の峰が、夕日の"スポットライト"に浮かび上がったのです。
チャンスは一瞬でした。
シャッターを切ることびできたのは、ほんの数秒間だけです。あたりは天の照明をゆっくりと落とすように、夕闇に包まれていきました。夕ごはんのしたくをする煙も上がっています。
一瞬の出あい。しかし、天を衝くヒマラヤは、無言にして無限の励ましを贈ってくれました。
「世界広布新時代 躍進の年」、私は皆さんに呼びかけたいことがあります。
それは、この一年、自分自身の最高峰を目指そうということです。
私の恩師・戸田城聖先生は、「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ」とよく、言われました。
大きな希望を抱いて最高峰に挑むことは、青年の特権です。そこに青春の「躍進」が生まれます。
「躍進」の「躍」には、「足」があります。また右側の「翟(てき)」は、鳥が羽ばたいて飛び立とうとする姿に由来するといいます。
大地にどっしりと足をつけ、他人と比べて焦るのではなく、自分らしく粘り強く努力を重ねていく。そして、希望の大空を見つめ、無限の可能性の翼を広げて、飛翔していくのです。
常に、高みへ向かって、少しずつでも前進していく人が、青春の勝利者です。
ネパールにも、そうした皆さんの仲間が、いっぱい光っています。
ネパールは、インドと中国の間に位置します。大きさは、北海道の2倍ほどです。
世界最高峰のエべレスト(標高8848m)を頂点としたヒマラヤ山脈をはじめ、亜熱帯のジャングルなど、壮大な自然に抱かれた国土に、30以上もの民族が調和しながら暮らしています。
仏教の創始者・釈尊が誕生したのも、ここネパールです。
ネパールは、"微笑んでいる人たちの国"といわれます。また、多くの偉大な詩人を生んだ「詩心の大国」です。
ネパールを代表する人道主義詩人サマは謳(うた)っています。
「エべレストのごとく、常に毅然(きぜん)として揺るがず、心に真実と美と永遠を抱こう」と。
ヒマラヤ山脈を撮影した日、私は、あの丘で、地元の村の子どもたちと忘れ得ぬ友情を結びました。20人ほどいたでしょうか、珍しそうに、異国から来た私たちを遠巻きに見ていました。
私が「おいで、おいで」と招くと、ニコニコと人懐こく寄ってきてくれました。皆の澄んだ瞳が、宝石のようでした。あどけない笑顔は、蓮華の花のようでした。美しい心が、ひときわ輝いていました。
私は、国の宝、世界の宝である"未来の使者"たちに、心を込めて語りかけました。
「ここは仏陀(釈尊)が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。みなさんも同じです。すごい所に住んでいるのです。必ず、偉い人になれるんです」
皆、真剣な眼差しを向けてくれました。通訳の方を通しての語らいでした。それでも、心と心は通い合っていました。私には、それがはっきりと分かりました。
私は、涼やかな目を見つめて言いました。
「皆、勉強して、偉くなってください」
最高峰の人格の人・釈尊の生まれた国の若人たちよ、徹して学び続ける求道の青春を! そして、最高峰の価値ある人生を! 私はそう願って、やみませんでした。
皆、ニッコリと白い歯をこぼして応えてくれました。その場を去る時、一生懸命に手を振り、走って追いかけてまで、私たちの車を見送ってくれた姿が、命に焼きついて離れません。
車中、私の胸には、2日前にお会いしたネパールのビレンドラ国王の言葉がよみがえっていました。国王は穏やかな笑みをたたえつつ、こう語られました。
「教育がいかに大切か、私たちは知っています。教育は若き世代に対し、将来、彼らが直面するであろう困難と諸問題に打ち勝つ力を与えます」
「学は光」です。私は子どもたちの未来に光あらんことを、心から祈らずにはいられませんでした。
うれしいことに、私が出会った子どもたちは、立派に成長し、理学療法士や公務員、ドライバーなどとして、ネパールの天地で活躍していると聞いています。