希望光る朝の出発は
さわやかな挨拶から!
わが振る舞いで
地域や職場の友に
躍動の息吹を送れ!
法華初心成仏抄 P557
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』
◇人生の座標
人生を劇にたとえれば、自分こそが、自分の人生という劇の「脚本家」であり、「主人公」なのである。神とか、偶然とかの、他の何ものかが、脚本を書いてくれるのではない。自分が書いて、自分が名優として演ずる。だれのせいでもない。全部、自分がつくるのである。
☆100文字の幸福抄
自分の個性を鍛え上げた人は美しい。
すぐ消えてしまう「一時の美」ではなく
ずっと続く「一生涯の美」である。
その人は他人をうらやまない。
他人を妬まない。
その人自身の心が
夏の高原の青空のように晴ればれとしている。
☆大白蓮華巻頭言 2015年1月 題目の師子吼に恐れなし
新たな一年を、生まれ変わったように新鮮な生命でスタートしたい。そして、新たな一日また一日を、元旦のように清新な息吹で前進し続けていきたい。これは、万人の願望であろう。
「毎日毎日が、両手に余るほどの可能性を引きつれて私のもとを訪れます」と微笑んだのは、障がいに負けず、社会貢献を貫いたヘレン・ケラーである。
祝福深厚にも妙法を受持した私たちは、来る年も、来る朝も、題目の音声とともに、久遠元初の太陽を昇らせ、わが生命を蘇らせていくことができる。
御書に『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』(P947、「法華経題目抄」)と仰せの通り、唱題行こそ究極の若さと、無限の活力の源泉なのである。
地涌の菩薩たる我らの題目は、誓願の祈りである。いわゆる何かに弱々しくすがる願いなどではない。自ら誓いを立て、その成就へ一念を定め、大宇宙の根本法則に合致し、全生命で轟かせゆく師子吼なのである。これほど強く、これほど荘厳な力はない。
わが師・戸田城聖先生は、よく言われた。
「日蓮大聖人と共に、妙法広布を誓い、戦う人の祈りは必ず叶っていく。三障四魔よ、何するものぞとの大確信で祈り切れ」と。さらにまた、「一人の強盛の信心の祈りに、皆がついてくる。皆が最後は幸福になれるんだよ」とも教えてくださった。
ゆえに、何があっても、まず題目だ。
題目の人は、断じて行き詰まらない。
大聖人は、病と戦ってきた門下を励まされて、『法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり』(P1015、「太田左衛門尉御返事」)と仰せになられている。そして、法華経に説かれた、『病即消滅して不老不死ならん』、また『現世は安穏にして後生には善処ならん』、さらに『諸余の怨敵皆悉く摧滅せん』との経文を送られた。
自行化他にわたって、妙法を実践しゆく我が生命は、大聖人の御生命と一体不二である。
朗々たる題目で、病魔を乗り越え、「健康長寿」を勝ち開いていくのだ。どんな宿命も使命に転じて、自他共に、永遠の大幸福境涯を築いていくのだ。
正義の仏天を揺り動かしながら、いかなる強敵も打ち破り、「絶対勝利」の実証を現していくのだ。
雪深き青森で、40年以上も、聖教新聞を配達されてきた功労の母がおられる。かつては村八分にも遭った。しかし百の圧迫には、百以上の智慧と力で勝つと決めて、断じて屈しなかった。今、「わが地域は日本一」と胸を張りながら、語られる。
「題目は何でも生み出せる力です。祈れば、幸福になってほしいと、自分自身の仏性から言葉が出て、相手の仏性に届きます。新しい同志をつくり、友好を広げることが、何よりの生きがいです」と。
あまりにも尊き創価の宝友の希望と勇気の唱題が、地域社会も地球社会も包みゆく時代に入った。
さあ、躍進の一年、師弟の誓願に生きる我らは、題目の師子吼も誇らかに、勝ち進もうではないか!
題目の
師子吼の我らに
恐れなし
功徳と勝利を
無限に開けや