今いる場所で
"いてほしい人"に!
"いなくては困る人"に!
信頼厚き人生を進め。
富士一跡門徒存知の事 P1606
『或は親には強盛の信心を以て之を賜うと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ、之に依つて或は以て交易し或は以て他の為に盗まる、此くの如きの類い其れ数多なり』
◇人生の座標
ホイットマン、バイロン、ハイネ、タゴール……東西の詩人たちは、若いころからの私のこよなき友であった。ときに満天の星々を仰ぎながら、ときに冴えた月光の道を歩きながら、一人、愛する詩歌を胸に吟じつつ家路をたどったものである。日々は貧しく、わが身は肺を病む体であった。だが詩を口ずさむとき、私の心は、はるか天空を翔けた。
◇今日を輝いて生きる指針
栄誉に輝いた友をほめたたえ、ともに喜ぶ人は、その心に福徳が積まれていく。反対に、妬んだり、たいしたことはないと見くだしたりする人は、自身の福徳を消してしまう。
わが友を幸福にしゆく女性が、幸福の博士なのである。
☆戸田城聖先生 質問会集『御本尊をいただく当日ダメになる』
問:折伏しないと功徳がないというので、折伏しています。ところが、判まで押して、いよいよ今日、御授戒という朝になると、その前の晩に夫婦ゲンカをして、大抵ダメになるが、どうしたものでしょう。
答:折伏をしなければ功徳はありません。今のような場合は立派に折伏しているのです。功徳はあります。やるやらないは向こうの自由です。何も、創価学会へ引っ張り込んでしまわなければ折伏にならないなどと考えてはダメです。それはそれで折伏になっているのだから、判子押したといっても、借金の時に判子を押して払わない人が、たくさんいるではないですか。ましてや折伏です、次の日になって女房とケンカしてやめたといっても、それで結構なのです。そう言ってやりなさい。ああ、結構結構と。
功徳があるのです。どうしても創価学会員にしなければダメだとか、御本尊を持たせなければダメだとか頑張るから、おかしな事件が起きてしまうのです。御本尊様はお見通しです。我々にはわかりませんけれども、それがわからないような仏様ではだらしがなさ過ぎます。あなたの誠意は十分、御本尊様に通じております。やめたやめないは、向こうの勝手ではないですか。そこまで行けば大丈夫なのです。判子なんか押しても、払わない人がいるのですから。立派に折伏したことになっているのだということがわかりましたか。
では、もう一言申し上げます。それは、折伏になっているのです。それを折伏というのです。聞く聞かないは向こうの勝手なのです。
日蓮大聖人様が佐渡からお帰りのときに、ある阿弥陀寺にお弟子をやって、「どうせ言っても聞くこともあるまい、しかし一応は行ってこい」と命じられたことがあります。これは立派な、日蓮大聖人様の折伏ではないですか。相手は聞くわけがありません。その寺の前を通る時に一応言わなければ仏の精神に反するから、それでお弟子をやって折伏させたのです。相手は聞きません。それで立派な折伏なのです。わかりましたか。判子まで押しても御本尊様を返してきたりするのです。すると、罰を受けるのです。いやだったらやめなさい、と言っておけばいいのです。後できちんと目が覚めます。これは不思議なものです。そう急がなくてもいいのです。
入会三原則
1.勤行・唱題を実践できている
2.新聞の購読をしている(3ヵ月以上)
3.座談会に参加(2回以上)
◎今日、石原さんが友人に入会予定!おめでとうございます。