女性が生き生きと
活躍してこそ発展はある。
多様な声に耳を傾け
皆が力を出せるよう
全力で応援していこう!
薬王品得意抄 P1501
『法華経は闇夜の月のごとし法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し』
【通解】
法華経は、闇夜の月のようなものである。法華経を信じても、深く信じない人は、半月が闇夜を照らすようなものである。深く信じる人は、満月が闇夜を照らすようなものである。
名字の言 民衆の幸福と平和の金字塔 2021年11月20日
黄金色に輝くイチョウが、青く澄んだ秋空を突くように並んでいた。一本一本が"黄金のピラミッド"のようだった▼11月18日の創価学会創立記念日が巡り来ると、東京・神宮外苑のイチョウ並木に自然と足が向く。300メートルの直線道路の両側に植えられた146本のイチョウ。ピラミッドのように見えるのは、定期的に木の姿を円すい形に整えているからだ▼「そもそも、初めピラミッドは、どこに建っていただろうか」。池田先生はエジプトのピラミッドをテーマにしたエッセーで、こう問い掛けた。「設計者の胸の中である。断じて建てようという彼の一念のなかに、まず『金字塔』は建ったのだ」と。ピラミッドは側面から見ると「金」の字に似ていることから、別名を「金字塔」という▼"胸中のピラミッド"を具現するために立ち上がった最初の「一人」。その信念の炎が人々の心に燃え移り、皆が「必ず成し遂げてみせる!」と心一つに挑戦したからこそ、後世に残る金字塔は築かれた。広宣流布という「民衆の幸福と平和の金字塔」を建設する方程式も同じだろう▼明年のテーマが「青年・飛躍の年」と決まった。青年の心で自身の飛躍を固く誓い、力強く出発したい。私の飛躍が広布の飛躍である。
寸鉄 2021年11月20日
「善縁に遇えば悟と成る」御書。学会は大善の連帯。団結固く新たな峰を登攀
宮城・県の日。広宣流布の総仕上げは東北健児が!青年と共に"飛躍の年"へ
学会の社会的使命を示す「憲章」制定。貢献的日々歩む誇り胸に一層の実践
国連「世界子どもの日」。一人一人が使命ある宝の存在。慈愛の励まし皆で
ワクチンに関する偽情報5割超が見聞き—調査。何事も公的情報の確認を
☆11・18「創価学会創立の日」記念特集 桂冠詩人40周年(上) 平和と幸福のために! 迸る魂の声
◇600編 14万5000行の詩作——人間生命の尊厳への讃歌
本年は池田大作先生に「桂冠詩人」称号が贈られてから40周年。11・18「創価学会創立の日」記念特集では、3回にわたり、先生の詩人としての足跡を掲載する。�は、先生が詩作に込める心情などに迫る。
第2次世界大戦と戦後の荒廃の中で青春時代を過ごした池田先生。結核などにも苦しんだ。その心に活力を与えたのが詩の存在であった。ホイットマン、ユゴー、ダンテ、シラーらの詩集に触れ、好きな詩を暗唱し、口ずさみながら道を歩いたという。
終戦の年(1945年)の春、空襲で廃虚と化した街の一角に数本の桜が生き残り、美しい花盛りを見せた。17歳の先生は、その時の感懐を二十数行の詩にした。
「諸行は無常か 常住か/それも知らずに 散りゆくか/散る桜 残る桜よ 永遠に/春に 嵐と 咲き薫れ」と。
「正しい人生とは何か」を模索していた池田先生は、19歳で恩師・戸田先生と出会う。軍国主義と戦い、正義の信念を貫いた人格と思想に心を打たれた池田先生は、その感動を即興詩として詠んだ。
旅びとよ
いずこより来り
いずこへ往かんとするか
月は 沈みぬ
日 いまだ昇らず
夜明け前の混沌に
光 もとめて
われ 進みゆく
心の 暗雲をはらわんと
嵐に動かぬ大樹求めて
われ 地より湧き出でんとするか
二つの詩について、池田先生は述懐している。「ここに込めた自他の人生と平和に対する青春の問いかけが、それからの私の全人生を、すなわち詩人としての方向性を決定づけている」と。
◇池田先生「皆を励まし、鼓舞しようとするとき、無限の言葉溢れ出てくる。目にふれるもの、命にふれるものが、そのまま詩となっていく」
戸田先生を人生の師と定め、師弟に生き抜くと決めた池田先生は、日蓮大聖人の仏法を日本中、世界中に広めゆく闘争を開始。その激務の中で詩作を続けていく。
ある時は、苦悩する友を励ます慈愛の声として。
ある時は、生命尊厳と平和の尊さを謳う讃歌として。
ある時は、邪悪を破る正義の言論の剣として——。
先生は詩作に臨む心情をつづっている。
「皆を励まし、鼓舞しようとするとき、無限の言葉が溢れ出てくる。目にふれるもの、命にふれるものが、みな、そのまま詩となっていく」
紡ぎ出された幾多の詩は、民族、宗教、文化の壁を越えて人々の心を結んだ。
その功績に対し、1981年、世界芸術文化アカデミーから贈られたのが「桂冠詩人」称号である。「世界詩人会議」を主宰する同アカデミーが、最も傑出した詩人に贈る栄誉であり、日本人への初の授賞であった。
第1次宗門事件の余燼くすぶる時だった。先生は詩をもって反転攻勢へ打って出る。同年11月、四国の地で「紅の歌」を作詞。「邪悪の徒には 栄えなし」との一節に「正義が勝って、歴史を変えるのだ!」との魂を込めた。
翌12月には九州で長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表。「いかなる苦衷の最中に入っても/希望を失うな!/希望は無限の力である/これこそ信心であるからだ!」との呼び掛けに全国の友が奮い立った。
民衆の大地に根差した詩業に、その後も世界的な詩人団体から「国際優秀詩人」賞、「世界桂冠詩人賞」、「世界民衆詩人」称号、「世界平和詩人賞」などが授与された。
文豪セルバンテスの故郷であるスペインのアルカラ・デ・エナーレス市での「詩の朗読会」で池田先生の詩に触れた、アルカラ大学文学部のフランシスコ・ペーニャ教授は感激をもって語った。
「池田氏の詩は、庶民のことを考えて作られたものが多い」「氏の詩には苦しむ民衆を勇気づけ、励ます力があります。人々の繁栄のために心を尽くされていることが分かります」
池田先生の詩作は約600編、14万5000行に及ぶ。迸る魂の声は、時代を超えて人々の心を動かし、平和と幸福への羅針盤として輝きを増している。
〈桂冠詩人とは〉
古来、東西を問わず、詩人には特別の尊敬が寄せられてきた。
中国では、官吏の登用試験で詩を作らせていた。素晴らしい詩を作り、人格を修めていることが社会の指導者の要件であった。アラブ世界では、民族間で詩を競い合い、才能ある詩人を誇りとした。
古代ギリシャでは、音楽や詩歌を競う大会の勝者に、詩の守り神アポロンゆかりの月桂樹の枝を編んだ冠が授けられた。そこからヨーロッパでは、その時代の第一の詩人をたたえて「桂冠詩人」の称号を贈るようになったといわれる。ダンテ、ペトラルカといった名だたる詩人たちも桂冠詩人と呼ばれた。
イギリスでは17世紀、桂冠詩人は王室が任命する制度として定められ、国王チャールズ2世の時代には、ドライデンが桂冠詩人に任命された。桂冠詩人は「王の詩人」として、王室の祝い事や弔い事、また国家的な大行事がある際に詩を作り、それを荘厳する役割を担った。
第2次世界大戦後、米ソ冷戦時代が始まる中で、世界の詩人たちは"平和のために何かできないか"と国境を超えた連帯を推進。1969年、フィリピンのマニラで第1回「世界詩人会議」が開催された。その後、この会議は世界各都市で行われ、詩人たちの結集軸となっていった。
池田先生への「桂冠詩人」称号の授与は81年7月、米サンフランシスコで行われた第5回「世界詩人会議」の席上、決定されたものである。
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 邦楽演奏家 常磐津八重太夫
◇芸に王道なし
邦楽演奏家 常磐津八重太夫
【プロフィル】ときわず・やえたゆう 本名・石原高章。16代家元・常磐津文字太夫に15歳で師事。1992年(平成4年)、文化庁芸術祭賞受賞。2000年(同12年)、常磐津節重要無形文化財(総合認定)保持者。13年(同25年)、旭日双光章受章。80歳。1953年(昭和28年)入会。東京都小平市在住。副本部長。芸術部参与。
◇生涯、求道の心燃やして
秋も深まり、紅葉も見頃を迎えています。日頃忙しい方も、"芸術の秋"らしく、日本の古典芸能に触れてみてはいかがでしょうか。
申し遅れましたが、私、常磐津八重太夫と申します。「常磐津」は、三味線などに合わせて物語を"語る"、浄瑠璃の流派の一つです。私は"語り物"を専門にしている太夫です。274年続く常磐津の魅力は、心の機微を情感豊かに、三味線を奏でて語るところにあります。
今日は、自身の半生を弾き語らせていただきたいと思います。しばし、お付き合いください。
◇信心は素直に
"どうして自分は不幸なんだ? いつの日か群馬を出て海外に"——。私が2歳の時に両親が離婚しました。母は原因不明の皮膚病を患い、私たち親子に、周囲からの冷たい視線が向けられ、母は無理心中を考えるほど思い詰めていました。
小学生の頃、母と共に創価学会に入会しました。見る見る元気に変わる母の姿に、信心のすごさを感じました。
常磐津と出合ったのは、小学5年の時でした。常磐津を趣味にしていた叔父の勧めで、入門することに。やがて、物語の情景が心に広がる常磐津に魅了され、5年間、毎日欠かさず稽古に励みました。
ある発表会で偶然、東京から訪れていた家元に声を掛けられ、中学校卒業と同時に単身上京しました。しかし、弟子入りするも、稽古をつけてもらえません。内弟子としてのお使いや、重たい道具運び——雑用に追われながら、聞こえてくる音色を必死に学んでは、城跡の広場で一人、発声練習を繰り返しました。
しかし、そうした生活に疲れ果て、逃げるように帰郷しました。学会の先輩が"一度決めた道ならば、頑張れ!"と叱咤激励してくれました。やっぱり常磐津への思いを捨て切れず、家元の所に戻る決意をし、信心に励んでいくことを誓いました。
夜寝るためだけに与えてもらった3畳間で題目を唱えながら、修行を再開しました。学会活動にも熱を入れるようになると、家元から"芸と信心のどちらが大事なんだ!?"と叱責された時もありました。しかし、信心があるからこそ、芸への情熱をたぎらせ、精進してこられた確信を胸に、"自らの芸で分かってもらうんだ"と稽古を続けました。
やがて家元に認められ、19歳で独立することができました。
以来、61年——。振り返って思うことは、"信心も芸も、素直に尽きる"の一言です。
御書には、「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(790ページ)と仰せです。どこまでも心を尽くし、努力を重ね続ける「人間革命」への挑戦が、勝利の道です。
芸の道も、細部を怠っては大成しません。道具の扱いや、代々引き継がれてきた台本の管理も丁寧に行います。また、仕事関係者やお客さまとの出会いも大切にしてきました。
しかし人間は弱いもので、「今日はいいや」と怠惰に流されてしまいがちです。だからこそ、同志と共に自身を鍛え、人格を磨く学会活動に勇んで挑戦してきました。
信心の実践を通して、人間として強くなれたなという実感が、そのまま芸に生きてきました。48年前から始めた唱題表は、190枚を数えようとしています。
地道に精進を重ね、常磐津に欠かせない"カン"という、高い声が裏声を使わなくても出せるようになったことで芸域が広がり、仕事が増えました。
1968年(昭和43年)、それまでの努力と功績が認められ、江戸時代からの由緒ある「八重太夫」を襲名しました。82年(同57年)からは海外で公演する機会にも恵まれ、これまで20カ国以上を訪問しました。
信心に巡り合えたおかげで、幼い頃の願いがかなうだけでなく、思いもしなかった人生が開けたのです。
◇実はユーチューバー
ところがコロナ禍で公演が途絶え、弟子への稽古も激減しました。そこで昨年、"自分の弾き語りをYouTubeで配信しよう"と一念発起しました。80歳を前にパソコン教室に通って、撮影と動画の公開を一人でできるようになりました。
それではここで、動画で公開している、仏教説話をもとに創作した浄瑠璃「雪山童子」をお届けします。
♪雪山の山中吹き抜く風の音 天上善神帝釈天 姿を変えており来り——
帝釈天が、雪山で仏道修行をしている子どもを見つける。帝釈天は、「この子の求道心がどれほどのものか試してみよう」と、鬼に変化。鬼は子どもに「法を知りたければ身をささげよ」と迫る……。
続きが気になる方は、ぜひ動画(https://www.youtube.com/watch?v=b-9oi9x_czY)をご覧ください。
年齢を重ねても、信心には"引退"や"定年"はありません。"求道の心"こそ信心の根本です。芸の道も同様、"ここまでやればいいだろう"と満足してしまえば芸は伸びません。現在も、10回歌って「これだ」と思えるのは1回ほど。芸に王道なし。苦しみ抜く以外に上達の道はありません。
うれしいことに来月、公演が再開されることになりました。お客さまの心に響く歌声を磨いていきます。
◇[視点]阿吽の呼吸
八重太夫さんは、"浄瑠璃の舞台では、「語り」と「弾き」の絶妙な間が求められます。まさに「阿吽の呼吸」が大切です"と語っていました。
芸術の世界だけでなく、スポーツなどでも、相手に合わせようとしている間は、微妙なズレが生じてしまうといいます。矛盾するようでも、それぞれが自分の持てる力を出し切ることが呼吸を合わせるカギです。
「阿吽の呼吸」とは、相手が積み重ねてきた努力や挑戦、それらが凝縮した生き方への尊敬や信頼があってこそなせる業ともいえます。
同志の励ましの一言も、共に人間革命をかけて戦う日々を知っているからこそ「阿吽の呼吸」となって、壁を破る力を湧き立たせるのです。
2021年11月20日土曜日
2021年11月19日金曜日
2021.11.19 わが友に贈る
新たな歴史を開くには
わが境涯を開くことだ。
「人間革命してみせる!」
この誓いの祈りから
無限の力も湧き出る。
諫暁八幡抄 P5787
『此の経釈を案ずるに過去無量劫より已来師弟の契約有りしか、我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか。』
【通解】
この経や釈を考えてみるに、過去の計り知れない昔から師弟の約束があったのであろうか。我らが末法濁世において生を南閻浮提の大日本国に受け、恐れ多くも諸仏出世の本懐である南無妙法蓮華経を口に唱え、心に信じ、身にもてあそぶことは、ひとえに過去の宿習であろうか。
名字の言 きょう部分月食が各地で 2021年11月19日
古来、日本人は月に格別の思いを寄せてきた。一夜一夜と月が満ち、欠けていくまでの姿それぞれに呼び名を付けるほどに▼新月、三日月、小望月、満月、立待月、寝待月、更待月……月の満ち欠けは暦にも適用されていたから、古の人々は今よりもはるかに生活感をもって夜空を眺めていたに違いない。電気もない時代、夜の闇を照らす月明かりがどれほど貴重だったか▼月は仏典にも登場する。仏の力用を月に譬え、「月光が道行く人を照らして喜ばせるように、仏道を歩む人を照らして喜ばせる」「新月から満月へと成長するように、衆生を成仏へだんだん導いていく」等と説かれている▼きょう19日は満月。さらに、夕方から宵にかけて部分月食が全国各地で見られる。月食は、太陽と地球と月が一直線に並ぶことで、月が次第に欠けて見える現象だ。今回は月の直径の97・8%が地球の影に入り、ほぼ皆既月食の状態になる。数時間のうちに月の大きな満ち欠けを味わえる天体ショーとなろう▼学会創立記念日を経て、明「青年・飛躍の年」に向けて本格的な出発の時が来た。御聖訓に「月月・日日につより給へ」(御書1190ページ)と。一日一日、心を宇宙大に広げながら前進の節を刻んでいこう。
寸鉄 2021年11月19日
諸天舞う勝利の幹部会。さあ創立の月から新出発 皆が若人の心で飛躍を!
「いづれも功徳に・ならざるはなし」御書。広宣の尊き献身は三世に光る
山梨青年部の日。青春は鍛えの時。日々の挑戦で富士の如き自己を築け!
家族の週間。日頃の感謝は言葉にしてこそ。一家和楽の信心が一切の土台
火災に注意。暖房の使用開始時は清掃・点検を。火の元は必ず指差し確認
〈社説〉2021・11・19 21日は「世界ハロー・デー」
◇あいさつは心をつなぐ原動力
日々何げなく交わしているあいさつ。「こんにちは」の語源をたどると「今日はお元気ですか」といったあいさつの後半部分が略され、転じたものとされる。短い言葉だがあいさつをされると、人はさわやかな気持ちになれる。
21日は「世界ハロー・デー」。1973年の秋、エジプトとイスラエルが紛争(第4次中東戦争)に陥ったことを契機に提唱された。対話の重要性を世界の指導者たちに伝えようと、米国の学者らが「10人にあいさつ」運動を開始。以来、コミュニケーションの大切さを訴える日として世界に賛同者が広がってきたという。
あいさつは、人の心と心をつなぐキャッチボールともいえる。あいさつには「さよなら」などのように、短い言葉で具体的な内容を持たないものも多い。それだけに、その瞬間の心がそのまま相手に伝わってしまうのだ。
あいさつについて、組織を安定させる三つの重要な機能があるという。コミュニケーションを開始する機能、友好の証しを示す機能、それぞれの立場と互いが尊敬し合える関係であることを確かめる機能だ(山浦一保著『武器としての組織心理学』ダイヤモンド社)。
地域や社会で、人間関係の希薄化や孤立化が憂慮される現代社会にあって、日常のあいさつこそが、人と人とのつながりを広げていく原動力となろう。
あいさつが自身の状況を変えたエピソードは多い。今春、新社会人となった埼玉県に住む、ある学生部のリーダー。新人として言葉遣いに気を配りながら、慣れない仕事に四苦八苦する日々が続いたが、自身の一歩成長を決意し、朝から明るいあいさつを心掛けた。しばらくして、先輩や上司から「彼なら安心だ」と、責任ある仕事を任せてもらえるようになった。
池田先生は「黙っていては、何も起こらない。引っ込み思案で、縮こまっていたら、自分の世界も変わらない。声を届ける。それが『善縁の拡大』につながる」とつづっている。
簡単な言葉でいい。家族や友人へ、また職場で「おはようございます」「お元気ですか」といった、相手に元気を届けるあいさつを心掛けていきたい。そして一人の人を「仏性をもつ存在」として尊び、温かく明るいあいさつを通して、円滑で豊かな人間関係を築いていきたい。
☆「創立の日」記念第5回本部幹部会
◇「御書新版の発刊」「女性部の連帯」を全宝友で祝賀
第5回本部幹部会が91周年の「創価学会創立記念日」である18日の午後、巣鴨の東京戸田記念講堂で開催された。『日蓮大聖人御書全集 新版』の発刊と女性部の新出発を祝賀するもの。これには原田会長、長谷川理事長、永石女性部長が各部の代表と出席した。池田大作先生はメッセージを贈り、地球文明の針路と生命尊厳の哲理を示す希望の聖典と共に、世界市民の大連帯の建設をと強調。「幸福の天使」「平和の天女」たる女性部の出発を祝し、「歓喜の中の大歓喜」の舞を楽しく仲良く繰り広げようと呼び掛けた。(全国配信は23日から28日〈配信の会場と時間等は各県・区で決定〉。同期間中、「モバイルSTB」「SOKAnet」でも視聴可能)
◇池田先生がメッセージ 生命尊厳の哲理を掲げ 地球文明の建設へ
東天から赫々たる旭日が昇った栄光の「11・18」。
創立100周年への初陣を広宣流布の凱歌で飾り、師弟の殿堂・東京戸田記念講堂に集った友の表情は、マスク越しにも分かるほど、晴れ晴れと輝いていた。
池田先生はメッセージで、多難な一年を戦い抜き、異体同心で勝利した全世界の創価家族を心から賞讃。「きょうは、全同志へ感謝と讃嘆を込め、三つの書をお贈りしたい」と述べた。
壇上に墨痕鮮やかな大書が運ばれてきた。
最初に紹介されたのは「教学材宝(財宝)」。
御書新版の発刊を記念するものである。
次に掲げられたのは「栄光天使空」。
女性部の誉れの第1期生として羽ばたきゆく友への万感のエールである。
そして最後は「青年・飛躍の年」の開幕を祝した「英知広布翼」。
師の限りない期待に触れ、皆の瞳が決意に燃え光った。
さあ、希望の仏法哲理を心肝に染め、女性部と共に、青年を先頭に新たな広布旅を!
明2022年は「青年・飛躍の年」。一人一人が若人の心で立ち上がり、全地区が青年を励まし育てる"勝負の年"だ。
池田先生の入信75周年、若き先生が弘教拡大の金字塔を打ち立てた「二月闘争」70周年など、幾重にも重要な広布の節目を刻む一年である。
◇原田会長、永石女性部長が各部の代表と出席
幹部会では、はじめにデンマークのセシリア・エンゲン理事長のあいさつ動画が放映された。
先生が欧州広布の第一歩をデンマークにしるして、本年で60年。当時、一人もメンバーがいなかった同国に、堂々たる地涌の陣列が築かれた模様をはつらつと報告した。
池田主任副会長は池田先生のメッセージを紹介。
さらに、音楽隊・創価グロリア吹奏楽団による「戴冠式行進曲『王冠』」(ウィリアム・ウォルトン作曲)の祝賀演奏(事前収録)が披露された。同楽団は先月の全日本吹奏楽コンクールで、関西吹奏楽団と共に金賞を受賞。創立91周年と女性部の新出発を寿ぐ"日本一"のサウンドが高らかに響き渡った。
池田華陽会の林委員長が新任抱負を披歴。
西方男子部長は破邪顕正の言論を貫き、勝利で飾った11・5「男子部の日」60周年から次なる広布の峰へ進みゆく決意を語った。
永石女性部長は「創価の太陽」として、全世代にわたる女性のスクラムも固く、人々に「生きる力」を送る対話に挑もうと訴えた。
原田会長は「青年・飛躍の年」の意義に言及。「座談会」「教学の研鑽」「一対一の個人指導」を柱としつつ、時代の変化に対応する新たな挑戦で、新たな勝利への飛躍を開始しようと呼び掛けた。
そして「魂の独立」30周年を記念して、全世界の青年部と、音楽隊によるベートーベンの第九「歓喜の歌」が上映されると、参加者の熱気は最高潮に——。演奏が終わった瞬間、会場から嵐のような拍手が沸き起こった。
幹部会では、池田先生のスピーチ(1990年11月の第35回本部幹部会)を収録した、新しいVOD番組「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!」を皆で視聴した。
☆質問BOX わざわざ間違いを指摘しなくても……。
◇回答
牧口先生は、「鉄道の線路に石を置く。これはいうまでもなく悪いことである。しかし、石を置いてあるのを知っていて、それを取り除かない、つまり善いことをしなかったら、列車が転覆してしまう。結果的には、善いことをしないことは悪いことをしたのと同じである」との信念を貫かれました。
自分に被害がないとしても、間違った情報やウソは、放置することによって真実のように広まってしまいます。それでは、悪意がなくても、ウソやデマに加担することにつながってしまうのです。
創価学会は、民衆を不幸に導く悪とは徹底的に戦ってきました。それは、"なんとしても人々を幸福にしてみせる"という仏法の慈悲の精神が、学会に脈打っているからにほかなりません。
"見て見ぬふり"をせず、勇気を持って、正義の声を上げていきましょう。
☆みんなで学ぶ教学 第22回 破邪顕正
◇人々の幸福を願う"学会精神"
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「破邪顕正」がテーマです。人々を惑わす悪を打ち破り、正義を明らかにする、仏法の精神を学んでいきましょう。スマートフォンを見て、気になることがあった新入会者のカツヤくんは、ユタカ支部長に何か相談しているようです。
ユタカ こんばんは。難しい顔をしてどうしたんだい?
カツヤ あ、ユタカ支部長。こんばんは。
実はインターネット上で間違った情報を流している友人を見つけたんですけど、本人は正しいと固く信じているようで……。止められなかったんです。"これで良かったのかな"と思って……。
ユタカ なるほど。確かに、相手の間違いを指摘することによって"けんかになってしまったらどうしよう"と考えると、なかなか言い出せなかったりするし、勇気がいるよね。
カツヤ そうなんです。なんか気が引けてしまって。僕が困るわけではないし、"波風を立てない方がいいのかな"と考えてしまいました。
ユタカ その気持ちはよく分かるけどね。カツヤくんは、「破邪顕正」という言葉は知っているかな?
カツヤ 男子部の会合で聞いたことがあります。どんな意味でしたっけ?
ユタカ 「邪を破し正を顕す」と読むんだ。「破邪」とは、人々を惑わす悪を打ち破ることで、「顕正」とは、正しい道理を明らかにすることなんだよ。
民衆を不幸にする悪と戦い抜いてきた創価学会にとって、大事な精神なんだ。
カツヤ そうなんですね。
ユタカ 確かに、反発を恐れて間違いを指摘するかどうか迷うことはあるよね。でも、自分に関係のあることだったらどうだろう。例えばSNSなどで、大好きなアイドルのデマ情報が流されていたとしたら、どうするかな?
カツヤ 間違いを指摘して正しい情報を伝えます! 変なイメージが独り歩きしてしまったら、真面目に努力しているアイドルがかわいそうですから。
ユタカ そうだよね。牧口先生は「『善いことをしない』のは『悪いことをする』のと、その結果において同じである」と語られたんだ。
間違いやデマをそのままにしていたら、それによって、真実が隠されて、結果的に人々を惑わせてしまうことにもなる。だからこそ、真実を明らかにしていくことが大事なんだよ。
カツヤ なるほど。その通りですね。
ユタカ 日蓮大聖人は、「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」(御書236ページ)、「慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり」(同ページ)と示されているんだ。
民衆を不幸へと陥れる悪を打ち破っていくことは、人々を幸福に導くことと、"表裏一体"なんだよ。"悪は悪"と言い切っていくことが慈悲なんだ。そうしていくからこそ、正義がより明らかになっていくんだよ。
カツヤ とても大事なことだと分かりました。
ユタカ 池田先生は「心の底から民衆の幸福を思うからこそ、勇敢に邪悪と戦うのだ。戦わないのは無慈悲であり、戦えないのは臆病である。なぜ、学会が発展したか。悪と戦ったからだ。声も惜しまず、正義を叫んだからだ。その戦いで、現実に民衆を救ってきたからだ」とつづられているんだ。
この「破邪顕正」の精神は、特にカツヤくんたち青年に受け継いでいってほしいんだ。
カツヤ 分かりました。
友人への真心を持って、丁寧に間違いを指摘しようと思います。
ユタカ さすが「破邪顕正」の男子部だね!
わが境涯を開くことだ。
「人間革命してみせる!」
この誓いの祈りから
無限の力も湧き出る。
諫暁八幡抄 P5787
『此の経釈を案ずるに過去無量劫より已来師弟の契約有りしか、我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか。』
【通解】
この経や釈を考えてみるに、過去の計り知れない昔から師弟の約束があったのであろうか。我らが末法濁世において生を南閻浮提の大日本国に受け、恐れ多くも諸仏出世の本懐である南無妙法蓮華経を口に唱え、心に信じ、身にもてあそぶことは、ひとえに過去の宿習であろうか。
名字の言 きょう部分月食が各地で 2021年11月19日
古来、日本人は月に格別の思いを寄せてきた。一夜一夜と月が満ち、欠けていくまでの姿それぞれに呼び名を付けるほどに▼新月、三日月、小望月、満月、立待月、寝待月、更待月……月の満ち欠けは暦にも適用されていたから、古の人々は今よりもはるかに生活感をもって夜空を眺めていたに違いない。電気もない時代、夜の闇を照らす月明かりがどれほど貴重だったか▼月は仏典にも登場する。仏の力用を月に譬え、「月光が道行く人を照らして喜ばせるように、仏道を歩む人を照らして喜ばせる」「新月から満月へと成長するように、衆生を成仏へだんだん導いていく」等と説かれている▼きょう19日は満月。さらに、夕方から宵にかけて部分月食が全国各地で見られる。月食は、太陽と地球と月が一直線に並ぶことで、月が次第に欠けて見える現象だ。今回は月の直径の97・8%が地球の影に入り、ほぼ皆既月食の状態になる。数時間のうちに月の大きな満ち欠けを味わえる天体ショーとなろう▼学会創立記念日を経て、明「青年・飛躍の年」に向けて本格的な出発の時が来た。御聖訓に「月月・日日につより給へ」(御書1190ページ)と。一日一日、心を宇宙大に広げながら前進の節を刻んでいこう。
寸鉄 2021年11月19日
諸天舞う勝利の幹部会。さあ創立の月から新出発 皆が若人の心で飛躍を!
「いづれも功徳に・ならざるはなし」御書。広宣の尊き献身は三世に光る
山梨青年部の日。青春は鍛えの時。日々の挑戦で富士の如き自己を築け!
家族の週間。日頃の感謝は言葉にしてこそ。一家和楽の信心が一切の土台
火災に注意。暖房の使用開始時は清掃・点検を。火の元は必ず指差し確認
〈社説〉2021・11・19 21日は「世界ハロー・デー」
◇あいさつは心をつなぐ原動力
日々何げなく交わしているあいさつ。「こんにちは」の語源をたどると「今日はお元気ですか」といったあいさつの後半部分が略され、転じたものとされる。短い言葉だがあいさつをされると、人はさわやかな気持ちになれる。
21日は「世界ハロー・デー」。1973年の秋、エジプトとイスラエルが紛争(第4次中東戦争)に陥ったことを契機に提唱された。対話の重要性を世界の指導者たちに伝えようと、米国の学者らが「10人にあいさつ」運動を開始。以来、コミュニケーションの大切さを訴える日として世界に賛同者が広がってきたという。
あいさつは、人の心と心をつなぐキャッチボールともいえる。あいさつには「さよなら」などのように、短い言葉で具体的な内容を持たないものも多い。それだけに、その瞬間の心がそのまま相手に伝わってしまうのだ。
あいさつについて、組織を安定させる三つの重要な機能があるという。コミュニケーションを開始する機能、友好の証しを示す機能、それぞれの立場と互いが尊敬し合える関係であることを確かめる機能だ(山浦一保著『武器としての組織心理学』ダイヤモンド社)。
地域や社会で、人間関係の希薄化や孤立化が憂慮される現代社会にあって、日常のあいさつこそが、人と人とのつながりを広げていく原動力となろう。
あいさつが自身の状況を変えたエピソードは多い。今春、新社会人となった埼玉県に住む、ある学生部のリーダー。新人として言葉遣いに気を配りながら、慣れない仕事に四苦八苦する日々が続いたが、自身の一歩成長を決意し、朝から明るいあいさつを心掛けた。しばらくして、先輩や上司から「彼なら安心だ」と、責任ある仕事を任せてもらえるようになった。
池田先生は「黙っていては、何も起こらない。引っ込み思案で、縮こまっていたら、自分の世界も変わらない。声を届ける。それが『善縁の拡大』につながる」とつづっている。
簡単な言葉でいい。家族や友人へ、また職場で「おはようございます」「お元気ですか」といった、相手に元気を届けるあいさつを心掛けていきたい。そして一人の人を「仏性をもつ存在」として尊び、温かく明るいあいさつを通して、円滑で豊かな人間関係を築いていきたい。
☆「創立の日」記念第5回本部幹部会
◇「御書新版の発刊」「女性部の連帯」を全宝友で祝賀
第5回本部幹部会が91周年の「創価学会創立記念日」である18日の午後、巣鴨の東京戸田記念講堂で開催された。『日蓮大聖人御書全集 新版』の発刊と女性部の新出発を祝賀するもの。これには原田会長、長谷川理事長、永石女性部長が各部の代表と出席した。池田大作先生はメッセージを贈り、地球文明の針路と生命尊厳の哲理を示す希望の聖典と共に、世界市民の大連帯の建設をと強調。「幸福の天使」「平和の天女」たる女性部の出発を祝し、「歓喜の中の大歓喜」の舞を楽しく仲良く繰り広げようと呼び掛けた。(全国配信は23日から28日〈配信の会場と時間等は各県・区で決定〉。同期間中、「モバイルSTB」「SOKAnet」でも視聴可能)
◇池田先生がメッセージ 生命尊厳の哲理を掲げ 地球文明の建設へ
東天から赫々たる旭日が昇った栄光の「11・18」。
創立100周年への初陣を広宣流布の凱歌で飾り、師弟の殿堂・東京戸田記念講堂に集った友の表情は、マスク越しにも分かるほど、晴れ晴れと輝いていた。
池田先生はメッセージで、多難な一年を戦い抜き、異体同心で勝利した全世界の創価家族を心から賞讃。「きょうは、全同志へ感謝と讃嘆を込め、三つの書をお贈りしたい」と述べた。
壇上に墨痕鮮やかな大書が運ばれてきた。
最初に紹介されたのは「教学材宝(財宝)」。
御書新版の発刊を記念するものである。
次に掲げられたのは「栄光天使空」。
女性部の誉れの第1期生として羽ばたきゆく友への万感のエールである。
そして最後は「青年・飛躍の年」の開幕を祝した「英知広布翼」。
師の限りない期待に触れ、皆の瞳が決意に燃え光った。
さあ、希望の仏法哲理を心肝に染め、女性部と共に、青年を先頭に新たな広布旅を!
明2022年は「青年・飛躍の年」。一人一人が若人の心で立ち上がり、全地区が青年を励まし育てる"勝負の年"だ。
池田先生の入信75周年、若き先生が弘教拡大の金字塔を打ち立てた「二月闘争」70周年など、幾重にも重要な広布の節目を刻む一年である。
◇原田会長、永石女性部長が各部の代表と出席
幹部会では、はじめにデンマークのセシリア・エンゲン理事長のあいさつ動画が放映された。
先生が欧州広布の第一歩をデンマークにしるして、本年で60年。当時、一人もメンバーがいなかった同国に、堂々たる地涌の陣列が築かれた模様をはつらつと報告した。
池田主任副会長は池田先生のメッセージを紹介。
さらに、音楽隊・創価グロリア吹奏楽団による「戴冠式行進曲『王冠』」(ウィリアム・ウォルトン作曲)の祝賀演奏(事前収録)が披露された。同楽団は先月の全日本吹奏楽コンクールで、関西吹奏楽団と共に金賞を受賞。創立91周年と女性部の新出発を寿ぐ"日本一"のサウンドが高らかに響き渡った。
池田華陽会の林委員長が新任抱負を披歴。
西方男子部長は破邪顕正の言論を貫き、勝利で飾った11・5「男子部の日」60周年から次なる広布の峰へ進みゆく決意を語った。
永石女性部長は「創価の太陽」として、全世代にわたる女性のスクラムも固く、人々に「生きる力」を送る対話に挑もうと訴えた。
原田会長は「青年・飛躍の年」の意義に言及。「座談会」「教学の研鑽」「一対一の個人指導」を柱としつつ、時代の変化に対応する新たな挑戦で、新たな勝利への飛躍を開始しようと呼び掛けた。
そして「魂の独立」30周年を記念して、全世界の青年部と、音楽隊によるベートーベンの第九「歓喜の歌」が上映されると、参加者の熱気は最高潮に——。演奏が終わった瞬間、会場から嵐のような拍手が沸き起こった。
幹部会では、池田先生のスピーチ(1990年11月の第35回本部幹部会)を収録した、新しいVOD番組「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!」を皆で視聴した。
☆質問BOX わざわざ間違いを指摘しなくても……。
◇回答
牧口先生は、「鉄道の線路に石を置く。これはいうまでもなく悪いことである。しかし、石を置いてあるのを知っていて、それを取り除かない、つまり善いことをしなかったら、列車が転覆してしまう。結果的には、善いことをしないことは悪いことをしたのと同じである」との信念を貫かれました。
自分に被害がないとしても、間違った情報やウソは、放置することによって真実のように広まってしまいます。それでは、悪意がなくても、ウソやデマに加担することにつながってしまうのです。
創価学会は、民衆を不幸に導く悪とは徹底的に戦ってきました。それは、"なんとしても人々を幸福にしてみせる"という仏法の慈悲の精神が、学会に脈打っているからにほかなりません。
"見て見ぬふり"をせず、勇気を持って、正義の声を上げていきましょう。
☆みんなで学ぶ教学 第22回 破邪顕正
◇人々の幸福を願う"学会精神"
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「破邪顕正」がテーマです。人々を惑わす悪を打ち破り、正義を明らかにする、仏法の精神を学んでいきましょう。スマートフォンを見て、気になることがあった新入会者のカツヤくんは、ユタカ支部長に何か相談しているようです。
ユタカ こんばんは。難しい顔をしてどうしたんだい?
カツヤ あ、ユタカ支部長。こんばんは。
実はインターネット上で間違った情報を流している友人を見つけたんですけど、本人は正しいと固く信じているようで……。止められなかったんです。"これで良かったのかな"と思って……。
ユタカ なるほど。確かに、相手の間違いを指摘することによって"けんかになってしまったらどうしよう"と考えると、なかなか言い出せなかったりするし、勇気がいるよね。
カツヤ そうなんです。なんか気が引けてしまって。僕が困るわけではないし、"波風を立てない方がいいのかな"と考えてしまいました。
ユタカ その気持ちはよく分かるけどね。カツヤくんは、「破邪顕正」という言葉は知っているかな?
カツヤ 男子部の会合で聞いたことがあります。どんな意味でしたっけ?
ユタカ 「邪を破し正を顕す」と読むんだ。「破邪」とは、人々を惑わす悪を打ち破ることで、「顕正」とは、正しい道理を明らかにすることなんだよ。
民衆を不幸にする悪と戦い抜いてきた創価学会にとって、大事な精神なんだ。
カツヤ そうなんですね。
ユタカ 確かに、反発を恐れて間違いを指摘するかどうか迷うことはあるよね。でも、自分に関係のあることだったらどうだろう。例えばSNSなどで、大好きなアイドルのデマ情報が流されていたとしたら、どうするかな?
カツヤ 間違いを指摘して正しい情報を伝えます! 変なイメージが独り歩きしてしまったら、真面目に努力しているアイドルがかわいそうですから。
ユタカ そうだよね。牧口先生は「『善いことをしない』のは『悪いことをする』のと、その結果において同じである」と語られたんだ。
間違いやデマをそのままにしていたら、それによって、真実が隠されて、結果的に人々を惑わせてしまうことにもなる。だからこそ、真実を明らかにしていくことが大事なんだよ。
カツヤ なるほど。その通りですね。
ユタカ 日蓮大聖人は、「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」(御書236ページ)、「慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり」(同ページ)と示されているんだ。
民衆を不幸へと陥れる悪を打ち破っていくことは、人々を幸福に導くことと、"表裏一体"なんだよ。"悪は悪"と言い切っていくことが慈悲なんだ。そうしていくからこそ、正義がより明らかになっていくんだよ。
カツヤ とても大事なことだと分かりました。
ユタカ 池田先生は「心の底から民衆の幸福を思うからこそ、勇敢に邪悪と戦うのだ。戦わないのは無慈悲であり、戦えないのは臆病である。なぜ、学会が発展したか。悪と戦ったからだ。声も惜しまず、正義を叫んだからだ。その戦いで、現実に民衆を救ってきたからだ」とつづられているんだ。
この「破邪顕正」の精神は、特にカツヤくんたち青年に受け継いでいってほしいんだ。
カツヤ 分かりました。
友人への真心を持って、丁寧に間違いを指摘しようと思います。
ユタカ さすが「破邪顕正」の男子部だね!
2021年11月18日木曜日
2021.11.18 わが友に贈る
「我日本の柱とならむ」
御本仏の精神を受け継ぎ
広布の大願に生きよう!
"私自身が創価学会"との
燃え上がる決意を胸に!
御講聞書 P825
『三類の強敵来る来るを以て現世安穏の記文顕れたり、法華の行者なる事疑無きなり、法華の行者はかかる大難に値うべしと見えたり、大難に値うを以て後生善処の成仏は決定せり是れ豈現世にして安穏なるに非ずや』
【通解】
三類の強敵が来ることをもって「現世安穏」の経文は現れる。(三類の強敵を呼び起こした人が)法華経の行者であることは疑いない。法華経の行者は、このような大難にあうと(経文に)書かれている。大難にあうことをもって「後生善処(未来の世に必ず幸せな処に生まれてくる)」の成仏が決定したのである。これこそ、まさに現世において安穏であることではないか。
名字の言 どんな時も「御書根本」で 2021年11月18日
1957年(昭和32年)夏、「大阪事件」の渦中の出来事である。何人かの青年部員が、勾留中の池田先生は無事かと胸を痛め、いたたまれない思いで警察署の周りで立ち尽くしていた▼一台の護送の車が出てきた。先生の姿があった。赤信号で止まった車めがけて青年部員が「先生!」と駆け寄った。そのメンバーが後々まで覚えていたのは、笑顔の先生から「明日、教学の試験だね」と声を掛けられたことである。さらに「しっかりがんばるんだよ」と。心配していたつもりが、逆に励まされた。信号が青に変わり、動きだした車に泣きながら手を振った▼冤罪に陥れられ、自由を奪われた身で、恩師・戸田先生と学会をどう守るか。この逆境においてなお、池田先生は「青年がどう御書を学ぶか」に心を砕いていたのである。居合わせた一人は「先生は学会の教学を、こんなにも大切にされ、生命を打ち込んでおられるのだ」と深く深く感じたと述懐している▼きょう発刊された御書新版には、日蓮大聖人が北条時頼に直接会い、立正安国の対話に臨んだことを示す一節(2141ページ)をはじめ32編の新収録の御文がある▼どんな時も「御書根本」で。この原点を忘れず、新しい一歩を踏み出す創立記念日にしたい。
寸鉄 2021年11月18日
民衆凱歌の創立記念日。創価の師弟の大城は世界に燦然。不二の道勇んで
太陽の女性部が新出発!更に輝く幸と希望の連帯颯爽と励ましの絆を拡大
信仰とは無限の向上だ—戸田先生。惰性は停滞。日々新生の心意気で挑戦
専門部の日。信心の剣で一騎当千の世雄と光れ。今こそ一人立つ闘魂で!
コロナ飲み薬160万回分を確保。公明のリードで。命守る政策実現を一段と
☆池田先生が全同志に和歌
創価学会はきょう18日、凱歌の創立記念日を迎えた。殉教の初代会長・牧口常三郎先生の祥月命日でもある。この日を期して『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊。「創価学会社会憲章」が制定され、女子部が一体となった新・女性部が始動する。池田大作先生は幾重にも意義深き「11・18」を記念し、全同志に和歌を詠み贈った。
御書に生き
戦い勝ちたる
師弟旅
宝光かがやく
地涌の笑顔よ
閻浮一
人華のスクラム
天使かな
幸の大地に
平和の文化を
行学の
翼は自在と
若鷲は
大歓喜の飛躍を
世紀の大空へ
☆1991年11月16日 千葉文化友好祭 "魂の独立宣言"30周年
池田先生が出席された「千葉文化友好祭」から今月16日で30周年を迎える。「創価ルネサンス」が開幕した当時を振り返るとともに、連載「法華経に勝る兵法なし」(別掲)では"魂の独立宣言"ともいうべき、文化友好祭での先生のスピーチを抜粋して紹介する。
◇広布破壊の大難の渦中で
池田先生は「大白蓮華」11月号の講義「世界を照らす太陽の仏法」につづった。
「創価の師弟の信心が、御本仏直結の『正しい信心』であったがゆえに、『僭聖増上慢』、そして『第六天の魔王』の働きが現実に、紛然と競い起こったのです。それが、あの第2次宗門事件であったといってよい」
「創価ルネサンス」とは、仏法の本義に立ち返り、「権威のための宗教」から「人間のための宗教」へと転換する宗教改革。その革命の、のろしを上げるにふさわしい地として、先生が選んだのが千葉の天地だった。
1990年(平成2年)12月、嫉妬に狂った日顕が、宗門発展の大功労者である先生の法華講総講頭を一方的に罷免。かねて謀議を巡らせてきたC作戦(創価学会分離作戦)を実行に移した。この暴挙に対し、学会は話し合いでの解決を求めたが、宗門は拒否。翌91年(同3年)に入ると、極悪の本性を一段とあらわにし、広布破壊の謀略を次々に打ち出してきた。
しかし、日顕宗と化した宗門の圧迫など歯牙にもかけず、先生は平和・文化・教育の潮流を世界に広げていく。その激闘のさなか、心を配り続けたのが「千葉文化友好祭」。開催の報告に対して、「皆さんのお題目と真心で世界一の文化祭に」「楽しくやりなさい」と伝言を寄せ、「万里の創価人材山脈」のテーマを提案。
また、文化友好祭の成功を祈り、多宝の友が作成したアルバムを見て、「多宝会の方々は/三世にわたる/幸福長者の/集りである」と揮毫をしたためた他、青年部が届けたアルバムには、「現実に/勝ちゆく人のみが/人生を三倍も/愉快にする」と記し、千葉広布の伸展を念じた。
◇創価ルネサンスの夜明け
文化友好祭を目前にした11月7日、宗門が学会に解散勧告書を突き付けてきた。内容は法主絶対論を振りかざした支離滅裂なもので、もちろん法的効力はない。その後の破門通告書を正当化するためのステップであった。
この理不尽極まりない仕打ちに千葉の同志は憤怒し、日顕の法主退座を要求する署名運動を勢いよく展開していった。
迎えた「11・16」当日。先生は文化友好祭に先立ち、千葉文化会館を訪れ、各地の友の作品を丹念に見学。会場の千葉ポートアリーナでは、施設の職員に礼を尽くし、世界の来賓を丁重に歓迎した。
約6500人の出演者が、永遠に崩れない「万里の創価人材山脈」の凱歌を歌い上げた"大文化祭"。その模様は衛星中継で全国に伝えられ、先生は約15分間にわたりスピーチした。当時、「学会は、どうなるのか」と世間は注目し、多くの報道機関も取材に訪れた。そこで先生は師子吼する。「魂の世界は、いかなる権力も侵すことができない」——迫害に微動だにしない"魂の独立宣言"に、マスコミは驚嘆した。
後年、先生は文化友好祭を振り返った。
「時は/一九九一年十一月であった。/邪僧から解散勧告書が/送りつけられて一週間余。/日本中が注目するなか/あの千葉文化友好祭が/晴ればれと/鉄鎖を解き放って/創価ルネサンスの/夜明けを告げたのである」(長編詩「人間主義の 歓喜の旭日」、『池田大作全集』第44巻所収)。
間もなく「11・16」から30年。先生が示した「日蓮仏法の魂」を再び胸に刻み、新たな広布前進を期したい。
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第2回 時は今! 千葉は師弟で勝つ
◇"自分がやる"と動く人が勝利者
「一人」が、どれほど大事か。日蓮大聖人は「人数では決まらない。心で決まる」と何度も繰り返しておられる。大聖人の御言葉には深い意味がある。「日蓮は一人なれども」とも仰せである。
「日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあや(失)またんと・せしかども・今までか(斯)うて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし」(御書一二二〇ページ)
——上は権力者から下は万人にいたるまで、だれもが日蓮をなきものにしようとした。しかし、今まで、こうして無事に生きぬいている。これは(敵が万軍であるのに対し)日蓮は、たった一人であっても、(法華経を信ずる)「心」が強かったからであると知りなさい——。
つまり、信心の「心」が強かったゆえに、万人を向こうに回しても殺されなかった、勝ったのだとの仰せである。
私には、この御文が深く胸に迫ってきてならない。
周りがどうかではない。たとえ敵は多くとも、一人、戦う。それでこそ、大聖人の弟子である。その人を、大聖人は必ず守られる。
大事なのは「強き心」である。「信心」である。「学会精神」である。
組織も、数に頼って「だれかが、やるだろう」という心があれば、もはや「心」が負けている。「心」が崩れている。そうではなく、たった一人であっても、「自分がやる!」と引き受ける人。その人こそ「勝利者」である。
「自分が動こう!」——この決心、この一念が「勝利に導く力」となる。それが「一念三千」の仏法である。(1998年1月、第6回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第88巻所収)
◇相手の心動かす誠実・確信の声
声です。声が大事です。最近の青年は、おしゃべりは長いが、「正しいことを言いきる」強さがない——とも言われる。堂々と正義を、「いい声で」「人の胸の中に」入れなくてはいけない。
仏法では、「声仏事(=仏の仕事)を為す」(御書七〇八ページ)と説く。また、「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書五六三ページ)と説いています。
わが「生命」それ自体が、妙なる音声を、朗々と、またりんりんと発しゆく尊貴な「楽器」であり、敵を打ち破る「大砲」なのであります。
誠実にして真剣なる「声の響き」が、人間の魂を、どれだけ揺り動かしていくか。ゆえに、「いい声」で明快に語ることである。
何を言っているのか、さっぱりわからない——そういう幹部であってはならない。
とくに末法は、いちばん乱れた時代であり、経文には「闘諍言訟」と説かれている。争いや論争が絶えない時代である。ゆえに強く、恐れなく、正義を叫び、真実を訴えきっていったほうが勝つ。おとなしく黙っていては敗北であります。
語りに語ることである。悪を打ち破ることである。人権弾圧の悪書を追放することである。
断じて軍国主義にさせない、平和主義へと変えていく戦いである。正義の声を出しきって、戦いましょう!(2000年1月、第7回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第91巻所収)
◇「私は創価学会だ」と強気で前進
どうせ生きるなら、大目的に向かって、大確信をもって、自分自身の「栄光の山」を、悠然と、楽しみながら登りきることだ。
人生、弱くては、つまらない。「私は創価学会だ。だれが何と言おうが、偉大な創価学会の代表だ」。そのくらいの決心で、胸を張っていくべきだ。
自分は自分である。自分の人生である。だれがどうとか、どう見られるとか、そんな臆病な、畜生根性は捨てて、堂々と生きて生きて生きぬいていくことだ。
悪意の声には、厳然と、「信心して何が悪いんだ。憲法に書いてあるのか!」。(爆笑)
また「創価学会は、これだけ大勢の人を救いました。あなたは、どれだけのことをしたのですか」と聞いてみればよい。
強く、強く生きるべきである。人生、強くなければ損である。戸田先生も「強気でいけ」と、よくおっしゃられた。
これが信心である。もうこれ以上、強いものはない——「最強の力」が、信心なのである。(2001年3月、第1回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
◇最も戦いが大変な場所へ勇んで
「貧乏人と病人の集まり」——学会は、過去、どれだけこうした冷笑を浴びせられ続けたことか。しかし、我らは、その悪口罵詈をも笑い飛ばした。
苦悩の人を救うのが宗教の使命ではないか。最も不幸な人を幸福にしてこそ、力ある宗教ではないか! 学会の代名詞となった悪口さえも、我らは名誉の勲章として、叩かれれば叩かれるほど、いよいよ闘魂を燃やし、民衆の海の真っただ中へ飛び込んでいったのだ。
この誇りが学会魂だ! 我らは、常に誇り高く戦い、前進また前進してきたのだ。
戸田先生は言われた。
「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。簡単なことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と。
その通りである。信心の炎は、自分のことだけで汲々とした小さな境涯を打ち破る。友の勝利が、わが勝利であり、わが勝利が友の勝利である。
どこそこで、あの友が苦しんでいる。かの地域で仲間が奮闘している。そう聞けば、わが事のように祈る! 自他共の完勝のため、そこへ駆けつけ、共に戦う!
この熱烈な同志愛があればこそ、あらゆる大難を乗り越え、学会は勝利し、また勝利してきたのだ。
私は知っている。
千葉の同志には、惜しみなく世界に光を送る、あの赫々たる太陽が燃えている。
最も戦いが大変な場所に、常に、勇んで駆けつけては、勝利の突破口を開いてこられたのが、千葉の皆様方であったからだ!(「随筆 新・人間革命」〈旭日の千葉の船出〉、『池田大作全集』第134巻所収)
御本仏の精神を受け継ぎ
広布の大願に生きよう!
"私自身が創価学会"との
燃え上がる決意を胸に!
御講聞書 P825
『三類の強敵来る来るを以て現世安穏の記文顕れたり、法華の行者なる事疑無きなり、法華の行者はかかる大難に値うべしと見えたり、大難に値うを以て後生善処の成仏は決定せり是れ豈現世にして安穏なるに非ずや』
【通解】
三類の強敵が来ることをもって「現世安穏」の経文は現れる。(三類の強敵を呼び起こした人が)法華経の行者であることは疑いない。法華経の行者は、このような大難にあうと(経文に)書かれている。大難にあうことをもって「後生善処(未来の世に必ず幸せな処に生まれてくる)」の成仏が決定したのである。これこそ、まさに現世において安穏であることではないか。
名字の言 どんな時も「御書根本」で 2021年11月18日
1957年(昭和32年)夏、「大阪事件」の渦中の出来事である。何人かの青年部員が、勾留中の池田先生は無事かと胸を痛め、いたたまれない思いで警察署の周りで立ち尽くしていた▼一台の護送の車が出てきた。先生の姿があった。赤信号で止まった車めがけて青年部員が「先生!」と駆け寄った。そのメンバーが後々まで覚えていたのは、笑顔の先生から「明日、教学の試験だね」と声を掛けられたことである。さらに「しっかりがんばるんだよ」と。心配していたつもりが、逆に励まされた。信号が青に変わり、動きだした車に泣きながら手を振った▼冤罪に陥れられ、自由を奪われた身で、恩師・戸田先生と学会をどう守るか。この逆境においてなお、池田先生は「青年がどう御書を学ぶか」に心を砕いていたのである。居合わせた一人は「先生は学会の教学を、こんなにも大切にされ、生命を打ち込んでおられるのだ」と深く深く感じたと述懐している▼きょう発刊された御書新版には、日蓮大聖人が北条時頼に直接会い、立正安国の対話に臨んだことを示す一節(2141ページ)をはじめ32編の新収録の御文がある▼どんな時も「御書根本」で。この原点を忘れず、新しい一歩を踏み出す創立記念日にしたい。
寸鉄 2021年11月18日
民衆凱歌の創立記念日。創価の師弟の大城は世界に燦然。不二の道勇んで
太陽の女性部が新出発!更に輝く幸と希望の連帯颯爽と励ましの絆を拡大
信仰とは無限の向上だ—戸田先生。惰性は停滞。日々新生の心意気で挑戦
専門部の日。信心の剣で一騎当千の世雄と光れ。今こそ一人立つ闘魂で!
コロナ飲み薬160万回分を確保。公明のリードで。命守る政策実現を一段と
☆池田先生が全同志に和歌
創価学会はきょう18日、凱歌の創立記念日を迎えた。殉教の初代会長・牧口常三郎先生の祥月命日でもある。この日を期して『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊。「創価学会社会憲章」が制定され、女子部が一体となった新・女性部が始動する。池田大作先生は幾重にも意義深き「11・18」を記念し、全同志に和歌を詠み贈った。
御書に生き
戦い勝ちたる
師弟旅
宝光かがやく
地涌の笑顔よ
閻浮一
人華のスクラム
天使かな
幸の大地に
平和の文化を
行学の
翼は自在と
若鷲は
大歓喜の飛躍を
世紀の大空へ
☆1991年11月16日 千葉文化友好祭 "魂の独立宣言"30周年
池田先生が出席された「千葉文化友好祭」から今月16日で30周年を迎える。「創価ルネサンス」が開幕した当時を振り返るとともに、連載「法華経に勝る兵法なし」(別掲)では"魂の独立宣言"ともいうべき、文化友好祭での先生のスピーチを抜粋して紹介する。
◇広布破壊の大難の渦中で
池田先生は「大白蓮華」11月号の講義「世界を照らす太陽の仏法」につづった。
「創価の師弟の信心が、御本仏直結の『正しい信心』であったがゆえに、『僭聖増上慢』、そして『第六天の魔王』の働きが現実に、紛然と競い起こったのです。それが、あの第2次宗門事件であったといってよい」
「創価ルネサンス」とは、仏法の本義に立ち返り、「権威のための宗教」から「人間のための宗教」へと転換する宗教改革。その革命の、のろしを上げるにふさわしい地として、先生が選んだのが千葉の天地だった。
1990年(平成2年)12月、嫉妬に狂った日顕が、宗門発展の大功労者である先生の法華講総講頭を一方的に罷免。かねて謀議を巡らせてきたC作戦(創価学会分離作戦)を実行に移した。この暴挙に対し、学会は話し合いでの解決を求めたが、宗門は拒否。翌91年(同3年)に入ると、極悪の本性を一段とあらわにし、広布破壊の謀略を次々に打ち出してきた。
しかし、日顕宗と化した宗門の圧迫など歯牙にもかけず、先生は平和・文化・教育の潮流を世界に広げていく。その激闘のさなか、心を配り続けたのが「千葉文化友好祭」。開催の報告に対して、「皆さんのお題目と真心で世界一の文化祭に」「楽しくやりなさい」と伝言を寄せ、「万里の創価人材山脈」のテーマを提案。
また、文化友好祭の成功を祈り、多宝の友が作成したアルバムを見て、「多宝会の方々は/三世にわたる/幸福長者の/集りである」と揮毫をしたためた他、青年部が届けたアルバムには、「現実に/勝ちゆく人のみが/人生を三倍も/愉快にする」と記し、千葉広布の伸展を念じた。
◇創価ルネサンスの夜明け
文化友好祭を目前にした11月7日、宗門が学会に解散勧告書を突き付けてきた。内容は法主絶対論を振りかざした支離滅裂なもので、もちろん法的効力はない。その後の破門通告書を正当化するためのステップであった。
この理不尽極まりない仕打ちに千葉の同志は憤怒し、日顕の法主退座を要求する署名運動を勢いよく展開していった。
迎えた「11・16」当日。先生は文化友好祭に先立ち、千葉文化会館を訪れ、各地の友の作品を丹念に見学。会場の千葉ポートアリーナでは、施設の職員に礼を尽くし、世界の来賓を丁重に歓迎した。
約6500人の出演者が、永遠に崩れない「万里の創価人材山脈」の凱歌を歌い上げた"大文化祭"。その模様は衛星中継で全国に伝えられ、先生は約15分間にわたりスピーチした。当時、「学会は、どうなるのか」と世間は注目し、多くの報道機関も取材に訪れた。そこで先生は師子吼する。「魂の世界は、いかなる権力も侵すことができない」——迫害に微動だにしない"魂の独立宣言"に、マスコミは驚嘆した。
後年、先生は文化友好祭を振り返った。
「時は/一九九一年十一月であった。/邪僧から解散勧告書が/送りつけられて一週間余。/日本中が注目するなか/あの千葉文化友好祭が/晴ればれと/鉄鎖を解き放って/創価ルネサンスの/夜明けを告げたのである」(長編詩「人間主義の 歓喜の旭日」、『池田大作全集』第44巻所収)。
間もなく「11・16」から30年。先生が示した「日蓮仏法の魂」を再び胸に刻み、新たな広布前進を期したい。
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第2回 時は今! 千葉は師弟で勝つ
◇"自分がやる"と動く人が勝利者
「一人」が、どれほど大事か。日蓮大聖人は「人数では決まらない。心で決まる」と何度も繰り返しておられる。大聖人の御言葉には深い意味がある。「日蓮は一人なれども」とも仰せである。
「日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあや(失)またんと・せしかども・今までか(斯)うて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし」(御書一二二〇ページ)
——上は権力者から下は万人にいたるまで、だれもが日蓮をなきものにしようとした。しかし、今まで、こうして無事に生きぬいている。これは(敵が万軍であるのに対し)日蓮は、たった一人であっても、(法華経を信ずる)「心」が強かったからであると知りなさい——。
つまり、信心の「心」が強かったゆえに、万人を向こうに回しても殺されなかった、勝ったのだとの仰せである。
私には、この御文が深く胸に迫ってきてならない。
周りがどうかではない。たとえ敵は多くとも、一人、戦う。それでこそ、大聖人の弟子である。その人を、大聖人は必ず守られる。
大事なのは「強き心」である。「信心」である。「学会精神」である。
組織も、数に頼って「だれかが、やるだろう」という心があれば、もはや「心」が負けている。「心」が崩れている。そうではなく、たった一人であっても、「自分がやる!」と引き受ける人。その人こそ「勝利者」である。
「自分が動こう!」——この決心、この一念が「勝利に導く力」となる。それが「一念三千」の仏法である。(1998年1月、第6回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第88巻所収)
◇相手の心動かす誠実・確信の声
声です。声が大事です。最近の青年は、おしゃべりは長いが、「正しいことを言いきる」強さがない——とも言われる。堂々と正義を、「いい声で」「人の胸の中に」入れなくてはいけない。
仏法では、「声仏事(=仏の仕事)を為す」(御書七〇八ページ)と説く。また、「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書五六三ページ)と説いています。
わが「生命」それ自体が、妙なる音声を、朗々と、またりんりんと発しゆく尊貴な「楽器」であり、敵を打ち破る「大砲」なのであります。
誠実にして真剣なる「声の響き」が、人間の魂を、どれだけ揺り動かしていくか。ゆえに、「いい声」で明快に語ることである。
何を言っているのか、さっぱりわからない——そういう幹部であってはならない。
とくに末法は、いちばん乱れた時代であり、経文には「闘諍言訟」と説かれている。争いや論争が絶えない時代である。ゆえに強く、恐れなく、正義を叫び、真実を訴えきっていったほうが勝つ。おとなしく黙っていては敗北であります。
語りに語ることである。悪を打ち破ることである。人権弾圧の悪書を追放することである。
断じて軍国主義にさせない、平和主義へと変えていく戦いである。正義の声を出しきって、戦いましょう!(2000年1月、第7回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第91巻所収)
◇「私は創価学会だ」と強気で前進
どうせ生きるなら、大目的に向かって、大確信をもって、自分自身の「栄光の山」を、悠然と、楽しみながら登りきることだ。
人生、弱くては、つまらない。「私は創価学会だ。だれが何と言おうが、偉大な創価学会の代表だ」。そのくらいの決心で、胸を張っていくべきだ。
自分は自分である。自分の人生である。だれがどうとか、どう見られるとか、そんな臆病な、畜生根性は捨てて、堂々と生きて生きて生きぬいていくことだ。
悪意の声には、厳然と、「信心して何が悪いんだ。憲法に書いてあるのか!」。(爆笑)
また「創価学会は、これだけ大勢の人を救いました。あなたは、どれだけのことをしたのですか」と聞いてみればよい。
強く、強く生きるべきである。人生、強くなければ損である。戸田先生も「強気でいけ」と、よくおっしゃられた。
これが信心である。もうこれ以上、強いものはない——「最強の力」が、信心なのである。(2001年3月、第1回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
◇最も戦いが大変な場所へ勇んで
「貧乏人と病人の集まり」——学会は、過去、どれだけこうした冷笑を浴びせられ続けたことか。しかし、我らは、その悪口罵詈をも笑い飛ばした。
苦悩の人を救うのが宗教の使命ではないか。最も不幸な人を幸福にしてこそ、力ある宗教ではないか! 学会の代名詞となった悪口さえも、我らは名誉の勲章として、叩かれれば叩かれるほど、いよいよ闘魂を燃やし、民衆の海の真っただ中へ飛び込んでいったのだ。
この誇りが学会魂だ! 我らは、常に誇り高く戦い、前進また前進してきたのだ。
戸田先生は言われた。
「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。簡単なことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と。
その通りである。信心の炎は、自分のことだけで汲々とした小さな境涯を打ち破る。友の勝利が、わが勝利であり、わが勝利が友の勝利である。
どこそこで、あの友が苦しんでいる。かの地域で仲間が奮闘している。そう聞けば、わが事のように祈る! 自他共の完勝のため、そこへ駆けつけ、共に戦う!
この熱烈な同志愛があればこそ、あらゆる大難を乗り越え、学会は勝利し、また勝利してきたのだ。
私は知っている。
千葉の同志には、惜しみなく世界に光を送る、あの赫々たる太陽が燃えている。
最も戦いが大変な場所に、常に、勇んで駆けつけては、勝利の突破口を開いてこられたのが、千葉の皆様方であったからだ!(「随筆 新・人間革命」〈旭日の千葉の船出〉、『池田大作全集』第134巻所収)
2021年11月17日水曜日
2021.11.17 わが友に贈る
相手の仏性を信じ
誠実に語ることが
人間外交の要諦だ。
心の壁を取り払い
友情の輪を幾重にも!
一代五時鶏図 P631
『有縁の者何ぞ来らざるを得ん譬えば百川の海に潮す応須が如し縁に牽れて応生すること亦復是くの如し』
【通解】
縁ある者がどうして(同じ仏の世界に)生まれて来ない事があろうか。たとえば、百の川がすべて海に集まり注ぐようなものである。縁にひかれて、(同じ仏の世界に必ず)生まれてくることもまた、同じ原理である。
名字の言 利他の精神が脈打つ創価家族 2021年11月17日
今夏の豪雨災害で家を失い、故郷を離れて暮らす知人を訪ねた。元気そうで一安心。だが、じっくり話を聞くと、複雑な心中を打ち明けてくれた▼「多くの方から支援を受け、本当にありがたかった。でも、もうお断りしようと思う。何もお返しできないのが心苦しくて……」。大工職人として自分の腕一本で生きてきた彼にとって、助けられ続ける日々は、感謝しつつもつらかったのだと知り、胸が痛んだ▼心療内科医の友が言っていた。「人への思いやりは、間違いなく自分の心を癒やす効果があるんです」。不安やストレスに苦しむ人は、その苦しみを果てしなく考え続け、自分の中に閉じ込めてしまいがち。そこで集団の場を設けるなどして、他人のことを考えたり助けたりといった、エネルギーを外に向けさせる療法もあるという▼仏法では、全ての生命は、常に他のものと触発・影響し合いながら存在しているという「縁起」を説く。どんな人も必ず誰かに支えられ、自分も誰かの支えになっているはずだ▼支部や地区の活動に参加すると、ある時は励まされる側だった人が、別の日には励ます側になっていたりする。「一方通行」ではなく「双方向」の利他の精神が脈打つ創価家族の尊さを、改めて思う。
寸鉄 2021年11月17日
御書新版、あす発刊。教学は広布と人生の勝利学。創立100周年へ求道に燃え
御聖訓「須弥山に近づく鳥は金色となる」。学会と共に。この志に福徳必ず
肝心なのはスタートだ—文豪。明「青年・飛躍の年」へ後継が拡大で牽引を!
ヒトは触れ合いの中で進化してきた—学者。対策に留意しつつ会う機会を
公明の原点は「大衆福祉」「日本の柱」。死力尽くし国民を守れ!結党記念日
〈社説〉 2021・11・17 あす「創価学会創立記念日」
◇「御書」と共に新たな飛躍を
創価学会はあす18日、創立91周年を迎える。創立100周年への初陣と位置付けた「希望・勝利の年」から明2022年「青年・飛躍の年」へ、若き力を先頭に新たな出発を期す。
その時に合わせて、池田先生監修の『日蓮大聖人御書全集 新版』が「11・18」に発刊される。
「11・18」は、初代会長・牧口常三郎先生が正義の獄中闘争の末に殉教した日(1944年)。終焉の地となった巣鴨の東京拘置所に移された際、先生が真っ先に家族に所望したのは「御書」だった。
第2代会長・戸田城聖先生は戦後の学会再建へ一人立ち、『御書全集』を刊行。
先師・恩師の後を継いだ池田先生は「大聖人直結」「御書根本」を貫いて「実践の教学」の伝統を築き、学会は世界宗教として大きく飛翔を遂げた。
スペインにおける日本文学・文化研究の権威であるカルロス・ルビオ博士(スペイン語版「御書」総合監修者)は、世界宗教の条件に「普遍的な哲理」と「権力から独立した精神」を挙げ、御書には両方の特徴があると訴える。
そして、この二つの観点から見て、「民衆の救済を説く『御書』は、"第三の千年"を生きる人類に対し、聖書やコーランにも比肩しうる重大な影響を及ぼすでしょう」と力強く語った。
第三の千年が始まって21年。世界は今、コロナ禍という未曽有の危機に直面している。
誰もが不安を抱える中、妙法の希望の光で人類を照らし、現実の社会に安穏をもたらす。
ここに仏法者の使命がある。その根源の軌道を示すのは御書にほかならない。
御書新版は、皆が親しみをもって研さんできるよう、「正確さ」「読みやすさ」「学会の伝統」を踏まえて編集された。
決意も新たに御書をひもとき、大聖人の魂を心肝に染め、不動の信心を確立する。この永遠不変の根本精神を堅持し、自他共の幸福を目指す学会の挑戦は続く。
池田先生は呼び掛けた。「100周年への10年は、一人一人が『人間革命』の勝利の実証をいやまして打ち立て、いかなる『大悪』も『大善』に転じて、いよいよ人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時」と。
新たな一年も、師と共に、御書と共に広宣流布の凱歌を打ち立てよう。わが人間革命の勝利が、人類の宿命転換を開くと確信して!
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第3回 全てをプラスに転じる民衆の力
◇全てをプラスに転じる民衆の力
一年半ぶりに、千葉を訪れることができた。ご招待、ありがとう! 文化友好祭、おめでとう!(拍手)
(中略)
きょうは、イギリスのロンドンの話から始めたい。千葉のすばらしさは、今の舞台でよくわかったので。(爆笑、拍手)
第二次世界大戦。侵略者・独裁者のヒトラーから攻撃が始まる。大戦の初頭、ナチスはロンドンを大爆撃。多くの被害が出た。
あるデパートも、入り口の一部などを破壊された。あくる朝、その入り口のところに大きな看板が立っている。こう書いてあった。「本日より、入り口を拡大いたしました」と(爆笑)。かえって入り口が広がって、皆が入りやすくなりましたよ——というのである。
まさに庶民の力である。知恵である。凶暴なナチスに対して、庶民は"やるなら、やってみろ! 私たちは、断じて正義の戦いを勝ってみせる!"という心意気であった。
(中略)
朗らかな民衆にかなうものはない。どんな権力者も、民衆を抑えつけ、勝利したためしはない。これが歴史の教訓である。(拍手)
私どもにも、知らない間にずいぶん"空爆"がある。全部、不発のようだが(爆笑)。しかし、そうしたなかで、かえって窮屈な壁がなくなり、"暗闇"は明るくなり、急速に広々と楽しく、「自由」が広がってきた。(拍手)
何があろうと全部、笑いとばして、プラスに転じていく——これが庶民の力、民衆の力ではないだろうか。
◇仏法は人間の幸福のために
仏法は「一切衆生の恩」を説く。御聖訓には「生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり」(御書一五二七ページ)——生々世々に、皆、恩ある一切衆生であるから、「皆が仏になってほしい」と願うべきである——と。
「抜苦与楽」、すなわち「苦しみを抜き」「楽しみを与える」のが、仏の「慈悲」の働きである。
仏法は、人を苦しめるものでは絶対にない。人を幸福にするものである。「楽しき人生」「希望の人生」「平和な社会」をつくりゆくためのものである、と私どもは信ずる。(拍手)
仏法の世界は宇宙大の世界である。私どもは広々とした心で、世界を思い、人類の行く手を見つめながら、悠々と平和の行進を進めてまいりたい。(拍手)
(中略)
ともあれ、幸福になるための仏法であり、信仰である。そして、幸福になるのは、自分自身の権利である。この権利は、だれ人たりとも侵すことはできない。魂の世界は、いかなる権力も侵すことができない。
「心」は自由である。「心」は切れない。「心」強ければ、一切が喜びである。(拍手)
私どもは、この「魂の自由」を高らかに、これからも一緒に「楽しい人生」「価値創造の人生」を、堂々と進みましょう!
スピーチの引用は『池田大作全集』第79巻
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第15回 青年部の友へ
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第15回は、男女青年部の結成50周年を記念して詠んだ「わが同志に捧げる詩」(2001年)です。
◇君と私は広宣流布の同志だ!
君と私は
広宣流布の同志だ。
君と私は
人生の目的が
一致した親友だ。
そして
君と私は
生死を共にした
不滅の価値ある
歴史を創出しゆく
人間主義の同志だ。
断じて
私は戦う
平和のために!
君も不退転で
断じて
勝利のために
共に戦いたまえ!
◆◇◆
大切な君よ
今日も勝利の
喜びの笑みを持て!
勝利の夢を持て!
そして
希望の朝の黎明の
あの荘厳なる彼方を
目指せ!
決して
憂鬱になるな!
決して
落胆する心になるな!
どこまでも
いついつまでも
「勝利」と「幸福」を
胸に抱きながら
君の瞳が
明るい炎に
燃え上がるごとく
明確に戦い進むのだ。
◆◇◆
未来の君の姿は
今にあるのだ。
永遠に未来の生命の
君の姿は
今世の戦いの中に
決まるのだ。
これが仏法である。
これが人生の法則だ。
この生きゆく社会は
生命の峻厳なる
戦いの決戦の舞台だ。
なれば 君よ!
一時の勝敗に
左右されるな!
一時の苦しみや悩みに
動ずるな!
最終絶対の勝利の
獲得のために
強固なる不変の魂を
持ち続けることだ。
それが
真実の信仰だ。
それは
人のため
社会のため
大法のために尽くし
貢献しゆかんとする
善の行為の
蓄積にあるのだ。
◆◇◆
君よ
勝つのだ!
そして
人生の尊貴なる高座に
登るのだ!
君よ
いかなる苦悩が
襲いかかっても
君の力ある確信で
悠々と乗り越えたまえ!
君の心には
広大なる
勝利する権利の魂が
強く正しく
名刀のごとく
光っていることを忘れまい。
君の人生の源泉を
絶対に毒されてはならない。
君よ
強くなれ!
弱さは不幸である。
常に
勝利の調べを高めていく
人生であれ!
いかなる
激痛を与える非難も
断固として跳ね返し
大きな勝利への旅路を
今日も続けたまえ!
誠実に語ることが
人間外交の要諦だ。
心の壁を取り払い
友情の輪を幾重にも!
一代五時鶏図 P631
『有縁の者何ぞ来らざるを得ん譬えば百川の海に潮す応須が如し縁に牽れて応生すること亦復是くの如し』
【通解】
縁ある者がどうして(同じ仏の世界に)生まれて来ない事があろうか。たとえば、百の川がすべて海に集まり注ぐようなものである。縁にひかれて、(同じ仏の世界に必ず)生まれてくることもまた、同じ原理である。
名字の言 利他の精神が脈打つ創価家族 2021年11月17日
今夏の豪雨災害で家を失い、故郷を離れて暮らす知人を訪ねた。元気そうで一安心。だが、じっくり話を聞くと、複雑な心中を打ち明けてくれた▼「多くの方から支援を受け、本当にありがたかった。でも、もうお断りしようと思う。何もお返しできないのが心苦しくて……」。大工職人として自分の腕一本で生きてきた彼にとって、助けられ続ける日々は、感謝しつつもつらかったのだと知り、胸が痛んだ▼心療内科医の友が言っていた。「人への思いやりは、間違いなく自分の心を癒やす効果があるんです」。不安やストレスに苦しむ人は、その苦しみを果てしなく考え続け、自分の中に閉じ込めてしまいがち。そこで集団の場を設けるなどして、他人のことを考えたり助けたりといった、エネルギーを外に向けさせる療法もあるという▼仏法では、全ての生命は、常に他のものと触発・影響し合いながら存在しているという「縁起」を説く。どんな人も必ず誰かに支えられ、自分も誰かの支えになっているはずだ▼支部や地区の活動に参加すると、ある時は励まされる側だった人が、別の日には励ます側になっていたりする。「一方通行」ではなく「双方向」の利他の精神が脈打つ創価家族の尊さを、改めて思う。
寸鉄 2021年11月17日
御書新版、あす発刊。教学は広布と人生の勝利学。創立100周年へ求道に燃え
御聖訓「須弥山に近づく鳥は金色となる」。学会と共に。この志に福徳必ず
肝心なのはスタートだ—文豪。明「青年・飛躍の年」へ後継が拡大で牽引を!
ヒトは触れ合いの中で進化してきた—学者。対策に留意しつつ会う機会を
公明の原点は「大衆福祉」「日本の柱」。死力尽くし国民を守れ!結党記念日
〈社説〉 2021・11・17 あす「創価学会創立記念日」
◇「御書」と共に新たな飛躍を
創価学会はあす18日、創立91周年を迎える。創立100周年への初陣と位置付けた「希望・勝利の年」から明2022年「青年・飛躍の年」へ、若き力を先頭に新たな出発を期す。
その時に合わせて、池田先生監修の『日蓮大聖人御書全集 新版』が「11・18」に発刊される。
「11・18」は、初代会長・牧口常三郎先生が正義の獄中闘争の末に殉教した日(1944年)。終焉の地となった巣鴨の東京拘置所に移された際、先生が真っ先に家族に所望したのは「御書」だった。
第2代会長・戸田城聖先生は戦後の学会再建へ一人立ち、『御書全集』を刊行。
先師・恩師の後を継いだ池田先生は「大聖人直結」「御書根本」を貫いて「実践の教学」の伝統を築き、学会は世界宗教として大きく飛翔を遂げた。
スペインにおける日本文学・文化研究の権威であるカルロス・ルビオ博士(スペイン語版「御書」総合監修者)は、世界宗教の条件に「普遍的な哲理」と「権力から独立した精神」を挙げ、御書には両方の特徴があると訴える。
そして、この二つの観点から見て、「民衆の救済を説く『御書』は、"第三の千年"を生きる人類に対し、聖書やコーランにも比肩しうる重大な影響を及ぼすでしょう」と力強く語った。
第三の千年が始まって21年。世界は今、コロナ禍という未曽有の危機に直面している。
誰もが不安を抱える中、妙法の希望の光で人類を照らし、現実の社会に安穏をもたらす。
ここに仏法者の使命がある。その根源の軌道を示すのは御書にほかならない。
御書新版は、皆が親しみをもって研さんできるよう、「正確さ」「読みやすさ」「学会の伝統」を踏まえて編集された。
決意も新たに御書をひもとき、大聖人の魂を心肝に染め、不動の信心を確立する。この永遠不変の根本精神を堅持し、自他共の幸福を目指す学会の挑戦は続く。
池田先生は呼び掛けた。「100周年への10年は、一人一人が『人間革命』の勝利の実証をいやまして打ち立て、いかなる『大悪』も『大善』に転じて、いよいよ人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時」と。
新たな一年も、師と共に、御書と共に広宣流布の凱歌を打ち立てよう。わが人間革命の勝利が、人類の宿命転換を開くと確信して!
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第3回 全てをプラスに転じる民衆の力
◇全てをプラスに転じる民衆の力
一年半ぶりに、千葉を訪れることができた。ご招待、ありがとう! 文化友好祭、おめでとう!(拍手)
(中略)
きょうは、イギリスのロンドンの話から始めたい。千葉のすばらしさは、今の舞台でよくわかったので。(爆笑、拍手)
第二次世界大戦。侵略者・独裁者のヒトラーから攻撃が始まる。大戦の初頭、ナチスはロンドンを大爆撃。多くの被害が出た。
あるデパートも、入り口の一部などを破壊された。あくる朝、その入り口のところに大きな看板が立っている。こう書いてあった。「本日より、入り口を拡大いたしました」と(爆笑)。かえって入り口が広がって、皆が入りやすくなりましたよ——というのである。
まさに庶民の力である。知恵である。凶暴なナチスに対して、庶民は"やるなら、やってみろ! 私たちは、断じて正義の戦いを勝ってみせる!"という心意気であった。
(中略)
朗らかな民衆にかなうものはない。どんな権力者も、民衆を抑えつけ、勝利したためしはない。これが歴史の教訓である。(拍手)
私どもにも、知らない間にずいぶん"空爆"がある。全部、不発のようだが(爆笑)。しかし、そうしたなかで、かえって窮屈な壁がなくなり、"暗闇"は明るくなり、急速に広々と楽しく、「自由」が広がってきた。(拍手)
何があろうと全部、笑いとばして、プラスに転じていく——これが庶民の力、民衆の力ではないだろうか。
◇仏法は人間の幸福のために
仏法は「一切衆生の恩」を説く。御聖訓には「生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり」(御書一五二七ページ)——生々世々に、皆、恩ある一切衆生であるから、「皆が仏になってほしい」と願うべきである——と。
「抜苦与楽」、すなわち「苦しみを抜き」「楽しみを与える」のが、仏の「慈悲」の働きである。
仏法は、人を苦しめるものでは絶対にない。人を幸福にするものである。「楽しき人生」「希望の人生」「平和な社会」をつくりゆくためのものである、と私どもは信ずる。(拍手)
仏法の世界は宇宙大の世界である。私どもは広々とした心で、世界を思い、人類の行く手を見つめながら、悠々と平和の行進を進めてまいりたい。(拍手)
(中略)
ともあれ、幸福になるための仏法であり、信仰である。そして、幸福になるのは、自分自身の権利である。この権利は、だれ人たりとも侵すことはできない。魂の世界は、いかなる権力も侵すことができない。
「心」は自由である。「心」は切れない。「心」強ければ、一切が喜びである。(拍手)
私どもは、この「魂の自由」を高らかに、これからも一緒に「楽しい人生」「価値創造の人生」を、堂々と進みましょう!
スピーチの引用は『池田大作全集』第79巻
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第15回 青年部の友へ
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第15回は、男女青年部の結成50周年を記念して詠んだ「わが同志に捧げる詩」(2001年)です。
◇君と私は広宣流布の同志だ!
君と私は
広宣流布の同志だ。
君と私は
人生の目的が
一致した親友だ。
そして
君と私は
生死を共にした
不滅の価値ある
歴史を創出しゆく
人間主義の同志だ。
断じて
私は戦う
平和のために!
君も不退転で
断じて
勝利のために
共に戦いたまえ!
◆◇◆
大切な君よ
今日も勝利の
喜びの笑みを持て!
勝利の夢を持て!
そして
希望の朝の黎明の
あの荘厳なる彼方を
目指せ!
決して
憂鬱になるな!
決して
落胆する心になるな!
どこまでも
いついつまでも
「勝利」と「幸福」を
胸に抱きながら
君の瞳が
明るい炎に
燃え上がるごとく
明確に戦い進むのだ。
◆◇◆
未来の君の姿は
今にあるのだ。
永遠に未来の生命の
君の姿は
今世の戦いの中に
決まるのだ。
これが仏法である。
これが人生の法則だ。
この生きゆく社会は
生命の峻厳なる
戦いの決戦の舞台だ。
なれば 君よ!
一時の勝敗に
左右されるな!
一時の苦しみや悩みに
動ずるな!
最終絶対の勝利の
獲得のために
強固なる不変の魂を
持ち続けることだ。
それが
真実の信仰だ。
それは
人のため
社会のため
大法のために尽くし
貢献しゆかんとする
善の行為の
蓄積にあるのだ。
◆◇◆
君よ
勝つのだ!
そして
人生の尊貴なる高座に
登るのだ!
君よ
いかなる苦悩が
襲いかかっても
君の力ある確信で
悠々と乗り越えたまえ!
君の心には
広大なる
勝利する権利の魂が
強く正しく
名刀のごとく
光っていることを忘れまい。
君の人生の源泉を
絶対に毒されてはならない。
君よ
強くなれ!
弱さは不幸である。
常に
勝利の調べを高めていく
人生であれ!
いかなる
激痛を与える非難も
断固として跳ね返し
大きな勝利への旅路を
今日も続けたまえ!
2021年11月16日火曜日
2021.11.16 わが友に贈る
"青年の心"で進む中に
限りない飛躍がある。
いよいよの気概で
挑戦の魂を燃やし
今日もまた一歩前へ!
御義口伝巻上 P750
『末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』
【通解】
末法において、今、日蓮等の類いの修行は、妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。
名字の言 谷崎潤一郎氏の作品に貫かれているもの 2021年11月16日
小説家の宇野千代さんが『谷崎潤一郎全集』を読んだ感想をエッセーにつづっている。幼稚、やぼ、と初期の谷崎作品を酷評したが、全集を読み進める中で気付いた点があった。技巧の良しあしを超越し、"自己の能力を信じる強い気持ち"が全作品に貫かれていることだ▼その"気持ち"を堅持し、後に傑作を生んだ谷崎をこう評した。「自信などと言う生半可なものではない。自己の持っているものを、神を信じるような念力を持って信仰した人」(『幸福は幸福を呼ぶ』海竜社)▼かつて、池田先生が出席した会合に、ある女性部員が参加した。先生が「何があっても信心から離れなければ、必ず幸せになれます。皆さん、この信仰を貫けますか!」と呼び掛けると、彼女は即座に挙手で応えた▼その後、病魔、経済苦、自然災害が彼女を襲った。時には、くじけそうにもなったが、断じて屈しなかった。「あの時、あげた手にしがみつくような思いで生きてきました」——"師との誓い"が支えだった。試練に遭うたびに、師弟共戦の決意を燃やし、彼女の心は強くなっていった▼妙法を、師の言葉を純粋に信じ抜く。そして、自身の使命と可能性を疑わない。信心一筋の人は、どんな苦難にも負けない。
寸鉄 2021年11月16日
創価学会には人々を結ぶ多彩な人材がいる—博士 対話の波を皆の足元から
熊本支部結成の日。青年と共に広布の新たな坂を —火の国の友は団結固く
番組"創大50年史"好評。大学の真価は卒業生で決まる。創立の魂を永遠に
水回り修理で高額請求の問題多発。契約は慎重に。電話相談「188」も活用
国連・国際寛容デー。多様性認め合う社会へ!生命尊厳と共生の哲学を拡大
☆御書の旭光を 第61回 病魔を打ち破る強盛な祈り
〈御文〉
『末法に於て法華を行ずる者をば諸天守護之有る可し常為法故の法とは南無妙法蓮華経是なり』(御義口伝、750ページ)
〈通解〉
末法において法華経を行ずる者を、諸天善神が必ず守護するのである。(法華経安楽行品第14にある)「常為法故(常に法の為の故に)」の「法」とは南無妙法蓮華経のことである。
〈池田先生が贈る指針〉
悪世の中で広布に挑む我らを諸天善神が昼夜に守護しないわけがない。法華経の絶対の約束である。この大確信で"諸天舞え"と今一重、強盛に祈り抜くのだ。病魔も障魔も逃げ去る、師子吼の題目で責め抜くのだ。
家族も同志も友人も、妙法の大功力で包み込みながら、健康長寿・福徳安穏、そして、宿命転換の大実証を!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第17回 冬は必ず春
◇妙一尼御前御消息
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候』(御書1253ページ16行目〜17行目)
◇池田先生の講義から
自然の摂理として、冬が秋に逆戻りすることはないように、どんなに寒い冬の状態が続いていても、いつか必ず暖かい春が訪れます。それと同じく、厳冬のような逆縁も耐え抜いて、強盛に信心を奮い起こして戦い抜いていけば、勝利の花を爛漫と咲かせゆくことは絶対に間違いない。決まっていることなのです。
だからこそ信心は貫き通すことです。途中で歩みを止めたり、疑いを起こして退いては何にもならない。歓喜の春を大確信して、地道に、弛みなく、朗らかに前進していくことが肝要なのです。
◆◇◆
ある特定の人だけが春を迎えられるのではありません。妙法の種が下ろされることによって、一人の例外もなく、誰人も置き去りにすることなく、万人に対して成仏への道が開かれているのが妙法なのです。
◆◇◆
妙法によって勝利の花を咲かせゆく一人の「確信の心」によって、希望の春風が咲き薫り、周囲に「歓喜の春」「勝利の春」を広げていくことができるのです。
◆◇◆
わが同志の人間革命に光あれ!
人類の幸福と平和の春へ、この青き地球を照らす人間主義の太陽の世紀は、いよいよ輝きを増しているのです。
(『人間革命の宗教』から)
今村里美 東北女性部長
◇確信を胸に勝利の花を!
「冬は必ず春となる」——。
東北の同志が、深く深く命に刻んできた一節です。
池田先生は東北の私たちに寄り添われるように、この一節を拝して"負けるな!"と、励ましを送ってくださいました。
師の心を胸に、東北の同志は、「心の財」をいや増して輝かせながら、"福光の歩み"を重ねてきました。
本年は東北広布70周年、東日本大震災から10年。
その創立の月を、私たちはかつてない立正安国の凱歌と、一人一人の師弟の勝利で飾ることができました。
創立100周年へ、「妙一尼御前御消息」を講義された先生の指針を学び、新たな出発をしていきましょう。
◇一家和楽の祈り
「厳冬のような逆縁も耐え抜いて、強盛に信心を奮い起こして戦い抜いていけば、勝利の花を爛漫と咲かせゆくことは絶対に間違いない。決まっていることなのです」
この先生の言葉の通り、東北の母たち・女性たちは確信の信心を貫いてきました。コロナ禍の昨年には、"家族座談会"を東北各地で開催。今、みちのくの大地のあちこちに、幸福・勝利の春が訪れています。
明年1月、"雪の秋田指導"40周年を迎える秋田のある女性部の友は昨年6月、未入会のご主人と共に座談会を開催することができました。結婚以来43年、どんな時も一家和楽を祈り続けてきた彼女。「2人とも健康で、夫婦の座談会を続けていこうね」と約し合ったその夜、ご主人が突然の腹痛に襲われました。検査の結果、がんの疑いが。「お父さん、信心しよう。一緒に病を乗り越えよう!」との彼女の真心の呼び掛けに、ご主人はついに頷かれます。
その後、さらにご主人に進行性の胃がんが見つかりますが、家族で真剣に祈り続ける中、手術は成功。現在は、全ての病を克服することができました。不撓不屈の母の祈りが開いた勝利の春。彼女はご主人と共に感謝の唱題に励みながら、広布の大道を歩んでおられます。
◇母娘の共戦
宮城・石巻の女性部の同志は、結婚したばかりの娘さんを震災で亡くされました。題目が声にならず、外に出ると、無意識に娘さんの背中を捜している自分がいました。時間がたてばたつほど、むしろ悲哀が深まっていく。そんな暗闇をさまようような彼女の心に、希望の光を届けたのは、聖教新聞に載った池田先生の言葉でした。
「負けるな。断じて、負けるな。あなたが元気であり続けることが、信心の力の証明です」
一心に読み返す中で、凍てついた心の大地に光が差し、奥底から"生きる力"が沸々と湧いてきたそうです。
"聖教新聞から、再び前を向く力をもらった。だからこそ、その聖教を地域中の人に読んでもらいたい"——彼女は、亡き娘さんと共戦する思いで10人、30人、50人と対話を拡大してこられました。彼女は凜と語っています。「娘と共に——これが師匠から学んだ『生き方』です」
◇戦い続ける人が仏
御書に「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし」(1091ページ)と仰せです。
東北の友と、語らいを重ねる中で感じることは、いかなる試練にも負けない強さ、気高さでした。時に言葉を失うほどの苦しみさえも幸福へのばねとしていく。「宿命」を「使命」へと変えていく師弟の生き方を教えていただきました。それはまさに、何度倒れても立ち上がるコスモスの花と重なります。
人生は苦難の連続——。だからこそ池田先生は東北の友に、"戦い続ける人が仏"(1994年3月「東北栄光総会」)と教えてくださったのではないでしょうか。
先生が講義の中で、「一人の例外もなく、誰人も置き去りにすることなく、万人に対して成仏への道が開かれているのが妙法なのです」と断言してくださっている通り、必ず全ての人が幸福になれる信心です。
一人も残らず、"信心していてよかった""私ほど幸福な者はいない"といえる勝利の春を勝ち開く——そのために、"目の前の一人を大切に"との先生の指針を今一重大切に、励ましの絆を強めていきたいと思います。
「この一生 東北家族と 総仕上げ」
先生が詠んでくださった句です。
さあ、師匠と共に、同志と共に、創立100周年の峰へ、栄光の「11・18」から、新たな前進を開始しましょう!
メモ
「妙一尼御前御消息」は、建治元年(1275年)5月、身延から鎌倉に住む妙一尼に宛てられた御消息。妙一尼は、日蓮大聖人が、竜の口の法難、佐渡流罪に遭われ、多くの門下が退転する中にあっても、夫と共に法華経の信仰を貫き通した。ところが、そのことで所領を没収されるなどの難に遭った夫は、大聖人が流罪を許される前に亡くなった。残された妙一尼は、自身も体が強くないうえに、病気の子らを抱える中、佐渡へ身延へと従者を送り、大聖人にお仕えさせた。本抄では強盛な信心を貫く妙一尼を全力で励まされている。
限りない飛躍がある。
いよいよの気概で
挑戦の魂を燃やし
今日もまた一歩前へ!
御義口伝巻上 P750
『末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』
【通解】
末法において、今、日蓮等の類いの修行は、妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。
名字の言 谷崎潤一郎氏の作品に貫かれているもの 2021年11月16日
小説家の宇野千代さんが『谷崎潤一郎全集』を読んだ感想をエッセーにつづっている。幼稚、やぼ、と初期の谷崎作品を酷評したが、全集を読み進める中で気付いた点があった。技巧の良しあしを超越し、"自己の能力を信じる強い気持ち"が全作品に貫かれていることだ▼その"気持ち"を堅持し、後に傑作を生んだ谷崎をこう評した。「自信などと言う生半可なものではない。自己の持っているものを、神を信じるような念力を持って信仰した人」(『幸福は幸福を呼ぶ』海竜社)▼かつて、池田先生が出席した会合に、ある女性部員が参加した。先生が「何があっても信心から離れなければ、必ず幸せになれます。皆さん、この信仰を貫けますか!」と呼び掛けると、彼女は即座に挙手で応えた▼その後、病魔、経済苦、自然災害が彼女を襲った。時には、くじけそうにもなったが、断じて屈しなかった。「あの時、あげた手にしがみつくような思いで生きてきました」——"師との誓い"が支えだった。試練に遭うたびに、師弟共戦の決意を燃やし、彼女の心は強くなっていった▼妙法を、師の言葉を純粋に信じ抜く。そして、自身の使命と可能性を疑わない。信心一筋の人は、どんな苦難にも負けない。
寸鉄 2021年11月16日
創価学会には人々を結ぶ多彩な人材がいる—博士 対話の波を皆の足元から
熊本支部結成の日。青年と共に広布の新たな坂を —火の国の友は団結固く
番組"創大50年史"好評。大学の真価は卒業生で決まる。創立の魂を永遠に
水回り修理で高額請求の問題多発。契約は慎重に。電話相談「188」も活用
国連・国際寛容デー。多様性認め合う社会へ!生命尊厳と共生の哲学を拡大
☆御書の旭光を 第61回 病魔を打ち破る強盛な祈り
〈御文〉
『末法に於て法華を行ずる者をば諸天守護之有る可し常為法故の法とは南無妙法蓮華経是なり』(御義口伝、750ページ)
〈通解〉
末法において法華経を行ずる者を、諸天善神が必ず守護するのである。(法華経安楽行品第14にある)「常為法故(常に法の為の故に)」の「法」とは南無妙法蓮華経のことである。
〈池田先生が贈る指針〉
悪世の中で広布に挑む我らを諸天善神が昼夜に守護しないわけがない。法華経の絶対の約束である。この大確信で"諸天舞え"と今一重、強盛に祈り抜くのだ。病魔も障魔も逃げ去る、師子吼の題目で責め抜くのだ。
家族も同志も友人も、妙法の大功力で包み込みながら、健康長寿・福徳安穏、そして、宿命転換の大実証を!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第17回 冬は必ず春
◇妙一尼御前御消息
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候』(御書1253ページ16行目〜17行目)
◇池田先生の講義から
自然の摂理として、冬が秋に逆戻りすることはないように、どんなに寒い冬の状態が続いていても、いつか必ず暖かい春が訪れます。それと同じく、厳冬のような逆縁も耐え抜いて、強盛に信心を奮い起こして戦い抜いていけば、勝利の花を爛漫と咲かせゆくことは絶対に間違いない。決まっていることなのです。
だからこそ信心は貫き通すことです。途中で歩みを止めたり、疑いを起こして退いては何にもならない。歓喜の春を大確信して、地道に、弛みなく、朗らかに前進していくことが肝要なのです。
◆◇◆
ある特定の人だけが春を迎えられるのではありません。妙法の種が下ろされることによって、一人の例外もなく、誰人も置き去りにすることなく、万人に対して成仏への道が開かれているのが妙法なのです。
◆◇◆
妙法によって勝利の花を咲かせゆく一人の「確信の心」によって、希望の春風が咲き薫り、周囲に「歓喜の春」「勝利の春」を広げていくことができるのです。
◆◇◆
わが同志の人間革命に光あれ!
人類の幸福と平和の春へ、この青き地球を照らす人間主義の太陽の世紀は、いよいよ輝きを増しているのです。
(『人間革命の宗教』から)
今村里美 東北女性部長
◇確信を胸に勝利の花を!
「冬は必ず春となる」——。
東北の同志が、深く深く命に刻んできた一節です。
池田先生は東北の私たちに寄り添われるように、この一節を拝して"負けるな!"と、励ましを送ってくださいました。
師の心を胸に、東北の同志は、「心の財」をいや増して輝かせながら、"福光の歩み"を重ねてきました。
本年は東北広布70周年、東日本大震災から10年。
その創立の月を、私たちはかつてない立正安国の凱歌と、一人一人の師弟の勝利で飾ることができました。
創立100周年へ、「妙一尼御前御消息」を講義された先生の指針を学び、新たな出発をしていきましょう。
◇一家和楽の祈り
「厳冬のような逆縁も耐え抜いて、強盛に信心を奮い起こして戦い抜いていけば、勝利の花を爛漫と咲かせゆくことは絶対に間違いない。決まっていることなのです」
この先生の言葉の通り、東北の母たち・女性たちは確信の信心を貫いてきました。コロナ禍の昨年には、"家族座談会"を東北各地で開催。今、みちのくの大地のあちこちに、幸福・勝利の春が訪れています。
明年1月、"雪の秋田指導"40周年を迎える秋田のある女性部の友は昨年6月、未入会のご主人と共に座談会を開催することができました。結婚以来43年、どんな時も一家和楽を祈り続けてきた彼女。「2人とも健康で、夫婦の座談会を続けていこうね」と約し合ったその夜、ご主人が突然の腹痛に襲われました。検査の結果、がんの疑いが。「お父さん、信心しよう。一緒に病を乗り越えよう!」との彼女の真心の呼び掛けに、ご主人はついに頷かれます。
その後、さらにご主人に進行性の胃がんが見つかりますが、家族で真剣に祈り続ける中、手術は成功。現在は、全ての病を克服することができました。不撓不屈の母の祈りが開いた勝利の春。彼女はご主人と共に感謝の唱題に励みながら、広布の大道を歩んでおられます。
◇母娘の共戦
宮城・石巻の女性部の同志は、結婚したばかりの娘さんを震災で亡くされました。題目が声にならず、外に出ると、無意識に娘さんの背中を捜している自分がいました。時間がたてばたつほど、むしろ悲哀が深まっていく。そんな暗闇をさまようような彼女の心に、希望の光を届けたのは、聖教新聞に載った池田先生の言葉でした。
「負けるな。断じて、負けるな。あなたが元気であり続けることが、信心の力の証明です」
一心に読み返す中で、凍てついた心の大地に光が差し、奥底から"生きる力"が沸々と湧いてきたそうです。
"聖教新聞から、再び前を向く力をもらった。だからこそ、その聖教を地域中の人に読んでもらいたい"——彼女は、亡き娘さんと共戦する思いで10人、30人、50人と対話を拡大してこられました。彼女は凜と語っています。「娘と共に——これが師匠から学んだ『生き方』です」
◇戦い続ける人が仏
御書に「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし」(1091ページ)と仰せです。
東北の友と、語らいを重ねる中で感じることは、いかなる試練にも負けない強さ、気高さでした。時に言葉を失うほどの苦しみさえも幸福へのばねとしていく。「宿命」を「使命」へと変えていく師弟の生き方を教えていただきました。それはまさに、何度倒れても立ち上がるコスモスの花と重なります。
人生は苦難の連続——。だからこそ池田先生は東北の友に、"戦い続ける人が仏"(1994年3月「東北栄光総会」)と教えてくださったのではないでしょうか。
先生が講義の中で、「一人の例外もなく、誰人も置き去りにすることなく、万人に対して成仏への道が開かれているのが妙法なのです」と断言してくださっている通り、必ず全ての人が幸福になれる信心です。
一人も残らず、"信心していてよかった""私ほど幸福な者はいない"といえる勝利の春を勝ち開く——そのために、"目の前の一人を大切に"との先生の指針を今一重大切に、励ましの絆を強めていきたいと思います。
「この一生 東北家族と 総仕上げ」
先生が詠んでくださった句です。
さあ、師匠と共に、同志と共に、創立100周年の峰へ、栄光の「11・18」から、新たな前進を開始しましょう!
メモ
「妙一尼御前御消息」は、建治元年(1275年)5月、身延から鎌倉に住む妙一尼に宛てられた御消息。妙一尼は、日蓮大聖人が、竜の口の法難、佐渡流罪に遭われ、多くの門下が退転する中にあっても、夫と共に法華経の信仰を貫き通した。ところが、そのことで所領を没収されるなどの難に遭った夫は、大聖人が流罪を許される前に亡くなった。残された妙一尼は、自身も体が強くないうえに、病気の子らを抱える中、佐渡へ身延へと従者を送り、大聖人にお仕えさせた。本抄では強盛な信心を貫く妙一尼を全力で励まされている。
2021年11月15日月曜日
2021.11.15 わが友に贈る
新聞休刊日
撰時抄 P291
『若し爾らば法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめつかはば大海をもくみほしぬべし』
【通解】
そうであれば、法華経を経のとおりに持つ人は、梵天にもすぐれ帝釈にもこえているのである。修羅を従えれば須弥山を荷い、竜を使えば大海も乾すことができるのである。
☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 地涌の勇者を諸天は讃嘆 2021年11月8日
栄光の学会創立の11月、あらゆる試練の嵐を突き抜けて、晴れやかに凱歌の秋を飾ることができた。
御本仏・日蓮大聖人の御賞讃はいかばかりか。
牧口先生、戸田先生の会心の笑みが胸に迫る。
みんな、ありがとう! 本当にありがとう!
諸天も諸仏も最大に讃嘆し、皆が大福運に包まれゆくことは、御書に照らして絶対に間違いない。
ある門下に送られた「異体同心事」の一節に、「あなたは、長年にわたって法華経への奉公を厚くされてきた上、この度は誠に勝れた御志が見られると、人々も彼らも讃えています。一つ一つ、私(大聖人)が承って、日天にも天照太神にも申し上げています」(1463ページ、通解)と仰せである。
この御聖訓さながら、皆が互いに褒め讃える連帯こそ、創価の麗しき世界だ。
今月の座談会では、広宣流布と立正安国に生き抜いてこられた多宝の父母をはじめ気高き地涌の勇者を一人一人、サーチライトを当てるように、心から労い、宣揚していただきたい。
そこに、大歓喜が躍動し、福徳が倍増するからだ。
戸田先生が言われていた通り、「慈愛に満ちあふれた、この世で一番楽しい会合」としていこう!
◇ ◆ ◇
1957年(昭和32年)の11月8日、私は男女青年部のリーダーの会合に出席し、喜びを日記に留めた。
「皆の元気、天をつく。頼もし。色心共に、飛躍しゆく、この青年たちが、未来を創造するのは当然の理。刻々と見事な成長」とある。
今、その幾千万倍ものスケールで、日本全国、全世界の青年たちの成長と飛躍をつぶさに見守れることは、何よりの幸福である。
大聖人は、騒然たる世相の中、時間をやりくりして、懸命に戦う若き南条時光を「十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし、尊しとも申す計りなし」(御書1512ページ)と励ましておられる。
わが創価の若人が一人また一人と仏縁を結び、新たな友を大切に糾合しゆくことは、全人類の仏知見を開く聖業に通じているのだ。
◇ ◆ ◇
この57年の11月といえば、恩師が願業とされた75万世帯の大法弘通を成就する直前であった。
当時、私が仏法対話を重ねても、批判を繰り返していた友人・知人が、少しずつ理解を深め、好意を示すように変わってきた。
その感慨を、私は綴った。
「幾十万の人、過去、敵なれど、今、味方となる。未来も、また幾百万の批判の人、必ず、味方に変わり、広布の陣列に連なりゆくことよ。大宇宙の法則——」と。
時は巡り、日本のみならず世界中の各界の識者の方々も、「創立の日」を心から祝賀してくださる時代となった。感謝に堪えない。
その陰には、今月に記念日を飾る文化本部、社会本部、地域部、儀典部など、誠実に忍耐強く貢献を貫き通してくれた、模範の友の労苦があることを、決して忘れまい。
◇ ◆ ◇
音楽隊の創価グロリア吹奏楽団と関西吹奏楽団が、全日本吹奏楽コンクールで共に金賞を勝ち取った。創価大学のパイオニア吹奏楽団も銀賞を獲得している。コロナ禍の逆境を皆で突破し、つかんだ栄冠である。
艱難を越えて鍛え上げた創価の負けじ魂の本領を、それぞれの誓願の天地で、いよいよ発揮する時だ。
我らの平和・文化・教育の大行進で、地域にも地球にも、希望と勇気を送りゆこうではないか!
☆11月18日「創価学会創立記念日」
◇『創価教育学体系』の発刊
11月18日は、創価学会創立記念日です。1930(昭和5)年のこの日、初代会長牧口常三郎先生の著書『創価教育学体系』の第1巻が発刊されました。
牧口先生は、1871(明治4)年6月6日、現在の新潟県柏崎市に生まれ、北海道で教員となり、以後、教育者の道を歩みました。
1928(昭和3)年、57歳のとき大きな転機が訪れます。日蓮大聖人の仏法との出会いでした。長年求め続けた、全民衆の幸福を目指す人間主義の哲学に触れた牧口先生は、自分がこれまで書きためてきた教育理論を、今こそ体系化しようと決意します。
◇師と弟子ふたりだけの出発
牧口先生が自らの決意を真っ先に語ったのは、愛弟子である後の第二代会長戸田城聖先生に対してでした。
1930(昭和5)年2月のある夜、思いを聞かされた弟子は、師の教育学説は自分が出版しようと決意します。「先生の教育学は何が目的ですか」「価値を創造することだ」「では先生、創価教育と決めましょう」
こうして、牧口先生の教育学説は「創価教育学」と名づけられました。弟子は、牧口先生が書きためた膨大なメモを整理する作業と、出版資金の捻出を、一手に引き受けました。
同年に発刊された『創価教育学体系』第1巻の奥付には「著作者・牧口常三郎 発行兼印刷者・戸田城外※注 発行所 創価教育学会」とあります。
1930(昭和5)年11月18日。『創価教育学体系』第1巻の出版の日が、師と弟子たったふたりの「創価教育学会」の出発でした。これが現在の創価学会が創立された歴史的な日となったのです。
◇コラム:初代会長牧口先生、殉教の日
11月18日は、初代会長牧口先生の命日でもあります。
戦争に突き進む日本の軍部政府は、昭和10年代後半から、本格的に思想の統制に乗り出し、やがて、国家神道を全国民に強制するという暴挙に出ます。
牧口先生は、これに真っ向から抵抗。各地で活発に座談会を開催し、軍国思想を堂々と批判し、仏法の正義を説き続けたのです。迫害は必至でした。特高警察は、1943(昭和18)年7月6日、牧口先生・戸田先生をはじめとする創価教育学会の幹部21人を治安維持法違反・不敬罪の容疑で逮捕、投獄したのです。
真冬に暖房もない極寒の独房、栄養失調になるほどのわずかな食事、連日の厳しい取調べ--それでも牧口先生は、信念を曲げることなく、不屈の闘争を貫きます。しかし、牢獄での過酷な日々は、70歳を超えていた牧口先生の体を確実にむしばんでいきました。
1944(昭和19)年10月13日付で獄中から家族にあてた手紙。「三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」との、信仰への確信にあふれた言葉が、牧口先生の絶筆となりました。1月後の、11月18日。牧口先生は獄中で亡くなります。73歳でした。
多くの宗教者や思想家が、迫害に屈して軍国主義を賛美した暗い時代にあって、牧口先生が貫いた不屈の"精神"は、いまなお、不滅の光を放っています。
撰時抄 P291
『若し爾らば法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめつかはば大海をもくみほしぬべし』
【通解】
そうであれば、法華経を経のとおりに持つ人は、梵天にもすぐれ帝釈にもこえているのである。修羅を従えれば須弥山を荷い、竜を使えば大海も乾すことができるのである。
☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 地涌の勇者を諸天は讃嘆 2021年11月8日
栄光の学会創立の11月、あらゆる試練の嵐を突き抜けて、晴れやかに凱歌の秋を飾ることができた。
御本仏・日蓮大聖人の御賞讃はいかばかりか。
牧口先生、戸田先生の会心の笑みが胸に迫る。
みんな、ありがとう! 本当にありがとう!
諸天も諸仏も最大に讃嘆し、皆が大福運に包まれゆくことは、御書に照らして絶対に間違いない。
ある門下に送られた「異体同心事」の一節に、「あなたは、長年にわたって法華経への奉公を厚くされてきた上、この度は誠に勝れた御志が見られると、人々も彼らも讃えています。一つ一つ、私(大聖人)が承って、日天にも天照太神にも申し上げています」(1463ページ、通解)と仰せである。
この御聖訓さながら、皆が互いに褒め讃える連帯こそ、創価の麗しき世界だ。
今月の座談会では、広宣流布と立正安国に生き抜いてこられた多宝の父母をはじめ気高き地涌の勇者を一人一人、サーチライトを当てるように、心から労い、宣揚していただきたい。
そこに、大歓喜が躍動し、福徳が倍増するからだ。
戸田先生が言われていた通り、「慈愛に満ちあふれた、この世で一番楽しい会合」としていこう!
◇ ◆ ◇
1957年(昭和32年)の11月8日、私は男女青年部のリーダーの会合に出席し、喜びを日記に留めた。
「皆の元気、天をつく。頼もし。色心共に、飛躍しゆく、この青年たちが、未来を創造するのは当然の理。刻々と見事な成長」とある。
今、その幾千万倍ものスケールで、日本全国、全世界の青年たちの成長と飛躍をつぶさに見守れることは、何よりの幸福である。
大聖人は、騒然たる世相の中、時間をやりくりして、懸命に戦う若き南条時光を「十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし、尊しとも申す計りなし」(御書1512ページ)と励ましておられる。
わが創価の若人が一人また一人と仏縁を結び、新たな友を大切に糾合しゆくことは、全人類の仏知見を開く聖業に通じているのだ。
◇ ◆ ◇
この57年の11月といえば、恩師が願業とされた75万世帯の大法弘通を成就する直前であった。
当時、私が仏法対話を重ねても、批判を繰り返していた友人・知人が、少しずつ理解を深め、好意を示すように変わってきた。
その感慨を、私は綴った。
「幾十万の人、過去、敵なれど、今、味方となる。未来も、また幾百万の批判の人、必ず、味方に変わり、広布の陣列に連なりゆくことよ。大宇宙の法則——」と。
時は巡り、日本のみならず世界中の各界の識者の方々も、「創立の日」を心から祝賀してくださる時代となった。感謝に堪えない。
その陰には、今月に記念日を飾る文化本部、社会本部、地域部、儀典部など、誠実に忍耐強く貢献を貫き通してくれた、模範の友の労苦があることを、決して忘れまい。
◇ ◆ ◇
音楽隊の創価グロリア吹奏楽団と関西吹奏楽団が、全日本吹奏楽コンクールで共に金賞を勝ち取った。創価大学のパイオニア吹奏楽団も銀賞を獲得している。コロナ禍の逆境を皆で突破し、つかんだ栄冠である。
艱難を越えて鍛え上げた創価の負けじ魂の本領を、それぞれの誓願の天地で、いよいよ発揮する時だ。
我らの平和・文化・教育の大行進で、地域にも地球にも、希望と勇気を送りゆこうではないか!
☆11月18日「創価学会創立記念日」
◇『創価教育学体系』の発刊
11月18日は、創価学会創立記念日です。1930(昭和5)年のこの日、初代会長牧口常三郎先生の著書『創価教育学体系』の第1巻が発刊されました。
牧口先生は、1871(明治4)年6月6日、現在の新潟県柏崎市に生まれ、北海道で教員となり、以後、教育者の道を歩みました。
1928(昭和3)年、57歳のとき大きな転機が訪れます。日蓮大聖人の仏法との出会いでした。長年求め続けた、全民衆の幸福を目指す人間主義の哲学に触れた牧口先生は、自分がこれまで書きためてきた教育理論を、今こそ体系化しようと決意します。
◇師と弟子ふたりだけの出発
牧口先生が自らの決意を真っ先に語ったのは、愛弟子である後の第二代会長戸田城聖先生に対してでした。
1930(昭和5)年2月のある夜、思いを聞かされた弟子は、師の教育学説は自分が出版しようと決意します。「先生の教育学は何が目的ですか」「価値を創造することだ」「では先生、創価教育と決めましょう」
こうして、牧口先生の教育学説は「創価教育学」と名づけられました。弟子は、牧口先生が書きためた膨大なメモを整理する作業と、出版資金の捻出を、一手に引き受けました。
同年に発刊された『創価教育学体系』第1巻の奥付には「著作者・牧口常三郎 発行兼印刷者・戸田城外※注 発行所 創価教育学会」とあります。
1930(昭和5)年11月18日。『創価教育学体系』第1巻の出版の日が、師と弟子たったふたりの「創価教育学会」の出発でした。これが現在の創価学会が創立された歴史的な日となったのです。
◇コラム:初代会長牧口先生、殉教の日
11月18日は、初代会長牧口先生の命日でもあります。
戦争に突き進む日本の軍部政府は、昭和10年代後半から、本格的に思想の統制に乗り出し、やがて、国家神道を全国民に強制するという暴挙に出ます。
牧口先生は、これに真っ向から抵抗。各地で活発に座談会を開催し、軍国思想を堂々と批判し、仏法の正義を説き続けたのです。迫害は必至でした。特高警察は、1943(昭和18)年7月6日、牧口先生・戸田先生をはじめとする創価教育学会の幹部21人を治安維持法違反・不敬罪の容疑で逮捕、投獄したのです。
真冬に暖房もない極寒の独房、栄養失調になるほどのわずかな食事、連日の厳しい取調べ--それでも牧口先生は、信念を曲げることなく、不屈の闘争を貫きます。しかし、牢獄での過酷な日々は、70歳を超えていた牧口先生の体を確実にむしばんでいきました。
1944(昭和19)年10月13日付で獄中から家族にあてた手紙。「三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」との、信仰への確信にあふれた言葉が、牧口先生の絶筆となりました。1月後の、11月18日。牧口先生は獄中で亡くなります。73歳でした。
多くの宗教者や思想家が、迫害に屈して軍国主義を賛美した暗い時代にあって、牧口先生が貫いた不屈の"精神"は、いまなお、不滅の光を放っています。
2021年11月14日日曜日
2021.11.14 わが友に贈る
◇今週のことば
一人の人間革命が
「一切の女人の成仏」に。
創価の太陽の輝きが
地域も世界も照らす。
新女性部と明るく前進!
2021年11月14日
二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』
【通解】
師子身中の虫が自ら師子を食うようなものである。外道ではなく、多くの仏弟子が仏法を破壊する大罪を犯すであろう。
名字の言 なぜ紅葉を「もみじ」と読むか 2021年11月14日
春に桜前線があるように、秋には「紅葉前線」がある。列島が北から南へ色づく季節である▼なぜ紅葉を「もみじ」と読むか。明治期に編集された国語辞書『言海』の改訂増補版『大言海』に、こうある。「色ハ揉ミテ出スモノ、又、揉ミ出ヅルモノ、サレバ、露、霜ノタメニもみいだサルルナリ」。かつての人々は、露や霜に洗われた葉の中から色が揉み出されると考えた。例えば布を染める時、紅花染めでは花を水に浸け、もんで洗ってを繰り返す。そうした染色の工程から連想したのかもしれない▼紅葉の美を人間の晩年になぞらえる人もいるだろう。千変万化の世の荒波にもまれて、にじみ出る人格の輝き。それは、青葉の青春の美しさに勝るとも劣らない▼人生の幾春秋を越えてきた広布の先輩方が胸に刻む御文がある。「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり」(御書1091ページ)。季節の変わり目に必ず変化があるように、凡夫が仏になる時も仏道修行を妨げる三障四魔が競い起こる。障魔の荒波にもまれても、むしろ喜び勇んで立ち向かっていくよう日蓮大聖人が励まされた御聖訓である▼同じ生きるなら、紅葉のごとく人生を飾ろう。わが生命を仏界に染め上げる戦いに挑みたい。
寸鉄 2021年11月14日
「紅の歌」が誕生40周年。暁鐘を打て鳴らせ!後継よこの期待胸に常に前へ
一人を大切にする行動が世界的な学会を築いた—識者。ここに広布の直道
各地で「七五三」の集い。未来からの使者に慈愛の一言を。成長・幸福を祈念
高齢男性は社会的に孤立しやすい傾向と。信頼の絆結ぶ太陽会は地域の光
コロナ禍後、生活習慣病増加—調査。食事・運動で予防を。世界糖尿病デー
☆御書の旭光を 第60回 広布の日々に永遠の福徳
〈御文〉
『かかるふしぎの者をふびんとて御くやう候は・日蓮が過去の父母か・又先世の宿習か・おぼろげの事にはあらじ、其の上雨ふり・かぜふき・人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』(種種物御消息、1548ページ)
〈通解〉
このような不思議な者に心を寄せて、ご供養してくださったことは、あなたが日蓮の過去の父母であるゆえであろうか。また、過去世からの宿縁であろうか。ただごとではないであろう。その上、雨が降り、風が吹き、人が制止する時にこそ、志はあらわれるものである。
〈池田先生が贈る指針〉
広布に尽くす祈りと行動は、誰が知らなくとも、御本仏が御照覧である。全て永遠の福徳に変わる。これほど苦労のしがいがある世界はない。
試練の風雨に胸張り、立正安国へ走り抜いた全宝友に、御賞讃は絶大だ。久遠からの「心ざし」を一段と強く大きくし、宿縁の眷属も国土も、幸と安穏へ導こう。
共々に讃え合って!
☆11月度座談会拝読御書 寂日房御書
◇拝読御文
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法・是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』(御書全集902ページ1行目〜3行目、編年体御書1206ページ1行目〜3行目)
◇[池田先生の指針から]広布の人は最高に尊貴
広宣流布に励む人こそ、最高に尊貴な存在です。「法」のために戦う人を、御本尊が守られないわけがありません。釈迦仏・法華経が守護されないわけがありません。
本当に偉大な人とは、「法」に徹して生き抜く人です。最高の法である仏法を持ち、仏が説いた如くに実践する人です。
「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(御書465ページ)
最高の生命の法を持っている人こそ、最高の人生を送ることができます。
たとえ、わずかでも仏法に縁を結べば、その福徳は永遠に消えることがないからです。ですから、大事なことは、「法」を持ち弘通している仏法の師匠と、どこまでも、我が「心」を合わせることです。(中略)
師匠と同じ共戦の行動を貫いてこそ、真の法華経の行者となります。そうなれば、大聖人と同じ尊極なる御生命が我が胸中に涌現するのです。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
◇ ◇ ◇
仏とは、「永遠に戦い続ける人」の異名です。
釈尊は、最後まで弘教の旅を続けました。
大聖人も身延で指揮をとられ、池上で入滅されるまで、不惜の大闘争を貫き通されました。
牧口先生も獄中で権力に対して一歩も退くことなく戦い続けられた。獄中の尋問に対しても、堂々と大聖人の正義を主張された。(中略)
戸田先生も最後の最後まで指揮をとり続けられた。そして、後に続く青年の成長を最大の楽しみとして戦う中で、生涯を閉じられました。
その姿を通して、戦い続けることの中にこそ真の自受法楽の境地があることを教えてくださったのです。
民衆救済の大願を掲げる地涌の菩薩の闘争は、永遠に止むことがありません。(同)
◇師匠と共に 学会と共に
[キーワード�]題目の行者
拝読御文では、人間として生まれ、仏法に出合えただけでなく、妙法を唱え弘める「題目の行者」(御書902ページ)になることができた身の福運の偉大さを強調されています。
ここで日蓮大聖人が「行者」と仰せの通り、何より重要なことは、題目を自行化他にわたって唱えていく実践です。
本抄では、大聖人御自身こそが、経文通りの正しい実践を貫いてきた「日本第一の法華経の行者」(同ページ)であると明かされます。
その上で、門下に対して、「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(同903ページ)——"師弟の宿縁を自覚し、私と共に広宣流布に立ち上がるのだ!"と不二の実践を呼び掛けられました。
池田先生は語っています。
「広宣流布の実践なくして御本尊を拝しても、真実の仏の大慈悲は通ってこない。『日蓮と同意』『日蓮が一門』という、大聖人と同じ広宣流布の決意に立った時、大河のごとく、日蓮大聖人の大慈悲が滔々と流れ伝わるのです」
日蓮仏法は「師弟の宗教」です。弟子が師匠と同じ誓いに立ち、広布の実践を貫いていけるかどうか。ここに、自身の人間革命と人類の宿命転換を実現しゆく信心の要諦があるといえるでしょう。
師弟の人生に行き詰まりはありません。
仏法に巡り合えた感謝を胸に、師の心をわが心として自行化他の実践を貫き通す中で、一切の障魔を打ち破っていくことができるのです。
[キーワード�]斯人行世間
法華経如来神力品第21に説かれる「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し 無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん」(妙法蓮華経並開結575ページ)。
日蓮大聖人は本抄でこの経文を引用して、人々の苦悩の根源となる「無明煩悩の闇」(御書903ページ)を、太陽と月が放つような妙法の光明によって照らし晴らすところに、御自身が末法で法華経を弘通する意義があると教えられています。
同経文には「斯人行世間(斯の人は世間に行じて)」とあります。まさに大聖人が不惜身命で実践されたように、苦悩が渦巻く現実の世間の中にあえて飛び込み、人々を救済していくことこそが、地涌の菩薩の崇高な使命です。
現代において、大聖人の民衆救済の大願を継承し、世界広宣流布を現実の上で進めてきたのが、創価学会です。この事実こそが、学会が仏意仏勅の地涌の教団である証しにほかなりません。
その根本は、あらゆる難を勝ち越えて命懸けで世界広布の永遠の礎を築いた、創価三代の師弟です。この師弟不二の道こそ、絶対的な幸福の軌道なのです。
今や創価の太陽の仏法は、地球を包む希望の陽光となって、全世界を赫々と照らしています。師匠と共に、学会と共に進む人生ほど、歓喜と福徳に満ちたものはない——この確信をますます深くしながら、学会創立の月・11月を、自らの勝利の姿で輝かせていきましょう。
一人の人間革命が
「一切の女人の成仏」に。
創価の太陽の輝きが
地域も世界も照らす。
新女性部と明るく前進!
2021年11月14日
二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』
【通解】
師子身中の虫が自ら師子を食うようなものである。外道ではなく、多くの仏弟子が仏法を破壊する大罪を犯すであろう。
名字の言 なぜ紅葉を「もみじ」と読むか 2021年11月14日
春に桜前線があるように、秋には「紅葉前線」がある。列島が北から南へ色づく季節である▼なぜ紅葉を「もみじ」と読むか。明治期に編集された国語辞書『言海』の改訂増補版『大言海』に、こうある。「色ハ揉ミテ出スモノ、又、揉ミ出ヅルモノ、サレバ、露、霜ノタメニもみいだサルルナリ」。かつての人々は、露や霜に洗われた葉の中から色が揉み出されると考えた。例えば布を染める時、紅花染めでは花を水に浸け、もんで洗ってを繰り返す。そうした染色の工程から連想したのかもしれない▼紅葉の美を人間の晩年になぞらえる人もいるだろう。千変万化の世の荒波にもまれて、にじみ出る人格の輝き。それは、青葉の青春の美しさに勝るとも劣らない▼人生の幾春秋を越えてきた広布の先輩方が胸に刻む御文がある。「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり」(御書1091ページ)。季節の変わり目に必ず変化があるように、凡夫が仏になる時も仏道修行を妨げる三障四魔が競い起こる。障魔の荒波にもまれても、むしろ喜び勇んで立ち向かっていくよう日蓮大聖人が励まされた御聖訓である▼同じ生きるなら、紅葉のごとく人生を飾ろう。わが生命を仏界に染め上げる戦いに挑みたい。
寸鉄 2021年11月14日
「紅の歌」が誕生40周年。暁鐘を打て鳴らせ!後継よこの期待胸に常に前へ
一人を大切にする行動が世界的な学会を築いた—識者。ここに広布の直道
各地で「七五三」の集い。未来からの使者に慈愛の一言を。成長・幸福を祈念
高齢男性は社会的に孤立しやすい傾向と。信頼の絆結ぶ太陽会は地域の光
コロナ禍後、生活習慣病増加—調査。食事・運動で予防を。世界糖尿病デー
☆御書の旭光を 第60回 広布の日々に永遠の福徳
〈御文〉
『かかるふしぎの者をふびんとて御くやう候は・日蓮が過去の父母か・又先世の宿習か・おぼろげの事にはあらじ、其の上雨ふり・かぜふき・人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』(種種物御消息、1548ページ)
〈通解〉
このような不思議な者に心を寄せて、ご供養してくださったことは、あなたが日蓮の過去の父母であるゆえであろうか。また、過去世からの宿縁であろうか。ただごとではないであろう。その上、雨が降り、風が吹き、人が制止する時にこそ、志はあらわれるものである。
〈池田先生が贈る指針〉
広布に尽くす祈りと行動は、誰が知らなくとも、御本仏が御照覧である。全て永遠の福徳に変わる。これほど苦労のしがいがある世界はない。
試練の風雨に胸張り、立正安国へ走り抜いた全宝友に、御賞讃は絶大だ。久遠からの「心ざし」を一段と強く大きくし、宿縁の眷属も国土も、幸と安穏へ導こう。
共々に讃え合って!
☆11月度座談会拝読御書 寂日房御書
◇拝読御文
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法・是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』(御書全集902ページ1行目〜3行目、編年体御書1206ページ1行目〜3行目)
◇[池田先生の指針から]広布の人は最高に尊貴
広宣流布に励む人こそ、最高に尊貴な存在です。「法」のために戦う人を、御本尊が守られないわけがありません。釈迦仏・法華経が守護されないわけがありません。
本当に偉大な人とは、「法」に徹して生き抜く人です。最高の法である仏法を持ち、仏が説いた如くに実践する人です。
「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(御書465ページ)
最高の生命の法を持っている人こそ、最高の人生を送ることができます。
たとえ、わずかでも仏法に縁を結べば、その福徳は永遠に消えることがないからです。ですから、大事なことは、「法」を持ち弘通している仏法の師匠と、どこまでも、我が「心」を合わせることです。(中略)
師匠と同じ共戦の行動を貫いてこそ、真の法華経の行者となります。そうなれば、大聖人と同じ尊極なる御生命が我が胸中に涌現するのです。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
◇ ◇ ◇
仏とは、「永遠に戦い続ける人」の異名です。
釈尊は、最後まで弘教の旅を続けました。
大聖人も身延で指揮をとられ、池上で入滅されるまで、不惜の大闘争を貫き通されました。
牧口先生も獄中で権力に対して一歩も退くことなく戦い続けられた。獄中の尋問に対しても、堂々と大聖人の正義を主張された。(中略)
戸田先生も最後の最後まで指揮をとり続けられた。そして、後に続く青年の成長を最大の楽しみとして戦う中で、生涯を閉じられました。
その姿を通して、戦い続けることの中にこそ真の自受法楽の境地があることを教えてくださったのです。
民衆救済の大願を掲げる地涌の菩薩の闘争は、永遠に止むことがありません。(同)
◇師匠と共に 学会と共に
[キーワード�]題目の行者
拝読御文では、人間として生まれ、仏法に出合えただけでなく、妙法を唱え弘める「題目の行者」(御書902ページ)になることができた身の福運の偉大さを強調されています。
ここで日蓮大聖人が「行者」と仰せの通り、何より重要なことは、題目を自行化他にわたって唱えていく実践です。
本抄では、大聖人御自身こそが、経文通りの正しい実践を貫いてきた「日本第一の法華経の行者」(同ページ)であると明かされます。
その上で、門下に対して、「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(同903ページ)——"師弟の宿縁を自覚し、私と共に広宣流布に立ち上がるのだ!"と不二の実践を呼び掛けられました。
池田先生は語っています。
「広宣流布の実践なくして御本尊を拝しても、真実の仏の大慈悲は通ってこない。『日蓮と同意』『日蓮が一門』という、大聖人と同じ広宣流布の決意に立った時、大河のごとく、日蓮大聖人の大慈悲が滔々と流れ伝わるのです」
日蓮仏法は「師弟の宗教」です。弟子が師匠と同じ誓いに立ち、広布の実践を貫いていけるかどうか。ここに、自身の人間革命と人類の宿命転換を実現しゆく信心の要諦があるといえるでしょう。
師弟の人生に行き詰まりはありません。
仏法に巡り合えた感謝を胸に、師の心をわが心として自行化他の実践を貫き通す中で、一切の障魔を打ち破っていくことができるのです。
[キーワード�]斯人行世間
法華経如来神力品第21に説かれる「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し 無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん」(妙法蓮華経並開結575ページ)。
日蓮大聖人は本抄でこの経文を引用して、人々の苦悩の根源となる「無明煩悩の闇」(御書903ページ)を、太陽と月が放つような妙法の光明によって照らし晴らすところに、御自身が末法で法華経を弘通する意義があると教えられています。
同経文には「斯人行世間(斯の人は世間に行じて)」とあります。まさに大聖人が不惜身命で実践されたように、苦悩が渦巻く現実の世間の中にあえて飛び込み、人々を救済していくことこそが、地涌の菩薩の崇高な使命です。
現代において、大聖人の民衆救済の大願を継承し、世界広宣流布を現実の上で進めてきたのが、創価学会です。この事実こそが、学会が仏意仏勅の地涌の教団である証しにほかなりません。
その根本は、あらゆる難を勝ち越えて命懸けで世界広布の永遠の礎を築いた、創価三代の師弟です。この師弟不二の道こそ、絶対的な幸福の軌道なのです。
今や創価の太陽の仏法は、地球を包む希望の陽光となって、全世界を赫々と照らしています。師匠と共に、学会と共に進む人生ほど、歓喜と福徳に満ちたものはない——この確信をますます深くしながら、学会創立の月・11月を、自らの勝利の姿で輝かせていきましょう。
2021年11月13日土曜日
2021.11.13 わが友に贈る
学会伝統の座談会こそ
地域に幸福を広げる
和楽と平和の集いだ。
心ゆくまで語り合い
意気高く進みゆこう!
兄弟抄 P1088
『設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべしし』
【通解】
たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい。
名字の言 東京駅のコンシェルジュが心掛けている三つのこと 2021年11月13日
東京駅で、利用客のさまざまな問い合わせに対応する「ステーションコンシェルジュ東京」。そのモットーは「分かりませんとは言いません」だ▼"すいているコインロッカーは?""テレビの特集で見たケーキが買いたい"など、相談は1日1000件近くに上る日も。それに対応するコンシェルジュが、心掛けていることが三つある▼一つは、常に駅を巡回して新しい情報を収集する「準備力」。次に、"大人数へのお土産を"との質問に、対象人数や予算など相手の希望に正確に応えるための「聞き出す力」。最後が「相手の立場に立つ想像力」。自分の目線で話さず、相手の気持ちを想像することを大切にする(渡辺雅史著『東京駅コンシェルジュの365日』交通新聞社新書)▼多くの場合、利用客との出会いは1回きり。そこに懸ける真剣さは、私たちの対話にも通じよう。訪問先の近況などを確認する「事前準備」、相手の言葉から気持ちや考えを「引き出す力」。そして、こちらの一方的な話にならないよう、徹底して「相手に寄り添う」こと。どれも大切な視点だ▼池田先生は「一回の出会い、一回の励ましが、真剣勝負である」と。「一回」に全精魂を注ぐ姿勢が、価値を生み出す根本である。
寸鉄 2021年11月13日
「信は道の源 功徳の母」御書。題目は無限の希望の力。大確信の祈りから
徳島の日。対話の秋、友情深める好機!青年を先頭に次なる広布拡大の魁を
幹部は一度の会合に全力を!準備も真剣勝負で。前進の息吹を同志の心に
海亀の2割、ゴミを誤食。安易な"ポイ捨て"は命も脅かす。地球環境守ろう
薄暮時に交通事故増える季節。多忙な時ほど安全運転。歩行者も警戒強く
〈社説〉 2021・11・13 あす「紅の歌」誕生40周年
◇わが人生の反転攻勢の劇を
広布史に残る破邪顕正の曲「紅の歌」が四国で誕生したのは、1981年11月14日のこと。四国の青年部が、正義の闘魂を燃やして作り上げた歌詞を、池田先生が二十数回も推敲を重ねて完成した。この"師弟の共同作業"は、小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「勝ち鬨」の章に描かれている。
「紅の歌」誕生の2年前の4月、先生は宗門の謀略から学会と尊き同志を守るため、第3代会長を辞任した。その翌年の1月と5月に四国の友は、客船「さんふらわあ7」号に乗り、神奈川で待つ師の元に集った。求道の弟子の心に応えるように、81年11月、先生は電撃的に四国を訪問。
「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」と師子吼したのだ。
師の思いに直ちに呼応すべく、四国の青年部は自分たちの心意気を示そうと、夜通しで愛唱歌を作成した。懇談会の席上、「先生! 筆を加えて、ぜひ魂を入れてください」と歌詞の案を提出。先生は「分かった。君たちのために手伝うよ」と。青年たちと対話しながらの推敲が進められた。
♪ああ紅の 朝明けて
魁光りぬ 丈夫は……
香川・観音寺市に住む県男子部長は、「紅の歌」を聴きながら育った。農作物の肥料や、家畜に与える飼料を調合する会社を経営してきたが、昨年11月、危機が襲った。県内で鳥インフルエンザが発生。その養鶏場の全てが、取引先だった。関係する全ての商品が出荷停止になり、収入は激減した。
"丈夫"は、今こそ信心の力を示す時と心を燃やした。今できることをやり抜くと決めて祈った。肥料の効果的な使い方を記した資料を作り、一軒一軒、農家を回った。約1カ月後、彼の会社が扱う肥料を県内全域に流通させたいとの発注が。危機をはね返し、前年を上回る業績を残すことができた。
「苦悩なき人生はない。しかし、広宣流布の使命を果たすために、勇気を燃え上がらせて戦う時、希望の虹は懸かり、苦悩は歓喜へと変わる」(「勝ち鬨」の章)
新時代の暁鐘を打ち鳴らした「紅の歌」の誕生から40年——。
今、たとえ深い闇にあったとしても、夜明けの到来を確信する青年の心で一途に師を求めながら、自身の逆境に打ち勝つ"人生の反転攻勢"の劇を開きゆこう。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 「魂の独立」(上)
◇"民衆仏法"の光を世界へ!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は、11・28「魂の独立」30周年を記念して、先生のスピーチから世界宗教の要諦について学びます(全2回)。
◇「第2次宗門事件」とは
1990年(平成2年)12月末、創価学会の大発展と池田先生の平和行動に嫉妬した日顕ら宗門は、先生の法華講総講頭職(信徒の代表)を一方的に罷免。創価の師弟を分断し、"衣の権威"に従わせようとする「C作戦」(創価学会分離作戦)を実行に移した。
学会は、あくまでも対話での解決を求めたが、宗門は頑なに話し合いを拒否し続け、翌91年には学会による登山会の中止、檀徒作りの強行など、謀略の限りを尽くして学会を圧迫してきた。しかし、「法主信仰」の邪義を唱えるなど、腐敗・堕落した宗門の正体を見抜いた学会員は微動だにしなかった。同志は御書に照らして、宗門の陰謀は、三類の強敵の出現であると捉え、池田先生と共に、破邪顕正の前進を開始する。
当初の目論見がことごとく破綻した宗門は、91年11月28日、学会に「破門通告書」なる文書を送付。さらに、学会員への御本尊の下付を停止した。11月28日は学会にとって、邪宗教と化した宗門からの「魂の独立記念日」となった。学会は宗門の閉鎖的な権威主義の呪縛から解き放たれ、世界宗教へと大きく飛翔していく。
◇大聖人のあたたかき人間性
〈1990年(平成2年)12月16日、宗門は学会に対して、ベートーベンの「歓喜の歌」をドイツ語で歌うことは「外道礼讃」であるなどと難詰してきた。それは、現実社会へ仏法を展開する創価の文化運動への、時代錯誤の言い掛かりであった。12月24日、池田先生は江東、墨田、杉並3区合同記念幹部会で語った〉
世界の民衆に妙法を弘め、絶対の幸福への道を開いていくことが広宣流布である。大聖人の御遺命であられる。ゆえに、世界各国の人々が何を求めているのか、それにどう応えていくかが大事となる。これを忘れて、仏教についての知識のない人、あるいはそういう国に、いきなり仏法の言葉で一方的に語っても、人々の理解と納得は得られない。
ひいては、いたずらに反発を招き、大聖人のお心に反することになりかねない。
その意味で、私どもが世界に展開してきた広宣流布の行動、仏法を基調とした平和、文化、教育の推進こそが正しき道であると確信している。
一次元から見れば、大聖人の仏法は、日本において、あまりにも教条主義的にとらえられてきた。また国粋主義にも利用されてきた。そうしたこともあって、世間では大聖人の真実のお姿と、大聖人の仏法のもつ豊かなヒューマニズムに、十分に目がそそがれなかった。日蓮大聖人というと、なんとなく"怖い""近寄りがたい"というイメージすら作られてきたのが現実である。
(中略)
私がスピーチの中で、大聖人の御書を拝して心がけてきた一つも、大聖人が、どれほど民衆の一人一人を大事にされていたか、どれほど濃やかに激励され、優しく包容されていたかを示すことにあった。
つまり、日蓮大聖人の仏法の深くあたたかき人間性を拝することである。
たとえば、"どんなことでも困ったことがあったら、私のもと(身延)へおいでなさい。お会いしますよ。この山で、一緒に、飢え死にしましょうよ"(御書1222ページ、通解)とまで仰せになり、門下を励まされた御文も拝読した。
私どもは、こうした大聖人の深き御慈愛、御精神を拝しつつ、さらに折伏・弘法に進んでまいりたい。要は、どこまで深く社会の人々の心をとらえ、共感と納得を与えて、正法へと向かわせていくかである。ただ勇ましく「折伏、折伏」と繰り返しても、皆が寄りつかなくなったのでは何にもならない。
◇我らの"内"に御本尊がある
〈「C作戦」を実行に移した宗門は、1991年(平成3年)7月、それまでの学会の登山会を一方的に取り止め、宗門の許可なしに参詣できない「添書登山」を開始。"登山しないと罪障消滅できない"などの邪義を唱え、信徒を脅かす。池田先生は9月3日、学生部・教育部合同総会で「日女御前御返事」の一節を拝し、日蓮仏法の本義を訴えた〉
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」(御書1244ページ)
——この御本尊は、まったくよそに求めてはならない。ただ、われら衆生が法華経を受持し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団においでになるのである。これを「九識心王真如の都」(仏界の尊極の生命)というのである——。
大聖人の仏法は、御本尊を信ずる「人間」を、一切の差別なく、最極の尊体とみる。全人類に平等の「世界宗教」たるゆえんがここにある。そして、この御本尊は、信仰者の"内"にあると示され、「全く余所に求る事なかれ」と仰せである。当然、"どこか"に行かなければ成仏しないというのは、大聖人のお教えではない。
御本尊を拝する"その人"が"その場で"仏となる。今、自分のいる場所で、自分を最高に輝かせながら、家庭のために、社会のために、そして人類のために、活躍していけるのが「妙法」である。(中略)
流罪の地・佐渡でおしたための「生死一大事血脈抄」には、次のように仰せである。
「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」(同1337ページ)
——(十界の諸法がことごとく生死の二法であり、妙法の当体であるから)五百塵点劫という久遠の昔に成道した釈尊(再往は日蓮大聖人)と、すべての衆生を成仏させる法華経(再往は御本尊)と、われら衆生との三つは、まったく差別がないと信解して妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。このことは、日蓮の弟子檀那等の肝要である。法華経を持つとは、このことを言うのである——と。
「全く差別無し」——。大聖人は、仏と衆生との「絶対の平等」をお示しくださっている。このことを信解して妙法を唱えるのが「弟子檀那等の肝要」であり、「法華経を持つ」ことであり、「生死一大事の血脈」もここにある、と。
その他の仰せからも、一切衆生の「平等」が徹底して説かれていることこそ、法華経の教えの「肝要」なのである。
◇仏法は「民主の時代」の基盤
〈対話による解決を求める学会に対して、宗門は一方的な処分を繰り返す。その背景には「僧侶が上。信徒が下」といった、宗門の差別的な体質があった。1991年(平成3年)9月23日、池田先生は第1回日米交流研修会で、「民主の時代」について言及する〉
仏法は、一切衆生に本来具わっている仏性を開かしめ、自覚させ、成仏させることが目的である。なかんずく法華経は、救うべき衆生に、何の差別も設けないのである。「平等」を否定するのは、「法華経の否定」である。(中略)
今や世界的な潮流となっている「民主の時代」「民衆の時代」。この人類史的転換を、混乱と反動によって逆流させ、不幸な結果に終わらせてはならない。そのために、「民主の時代」の基盤となりうる、普遍的な「人間学」「宗教性」「精神性」の必要が、多くの識者の間に認識され始めている。
いよいよ、日蓮大聖人の仏法が、世界の民衆から求められ、その偉大さが実証される時が来た。時代が仏法に近づいているのである。本格的な世界広宣流布の時が来たことを確信していただきたい。
こうした時代にあって、民衆を抑圧し、権威への無条件の従属を強制するような宗教や宗教者は、もはや時代錯誤の遺物として自滅していくであろう。
まして大聖人の門下と名乗りながら、そのような姿があれば、それこそ大聖人の「慈悲」と「平等」の御精神に背き、反逆する大罪である。(中略)
どこまでも民衆を"権威"に従わせようとする独善的な宗教は、あくまで人々に盲従を強要し、人間を束縛し、支配しようとする。
"人間"に奉仕し、人々を幸福にするためにこそ、本来、宗教はある。まして、大聖人の仏法は、どんな権威、権力にも屈することなく、世界の人々に平等に「自由」と「尊厳」をもたらす、最高の人間主義の大法である。
仏子を見くだし、「差別」を設けるような姿があれば、もはや大聖人の門下とはいえないであろう。
創価学会の歴史は、(中略)人間の成長を阻害する権威主義との戦いの連続であり、真の民主主義を促進する運動を、全世界に展開してきたのである。
だからこそ、非難中傷を浴び、迫害また迫害の連続だったともいえる。ゆえに、私どもは、広布と信心を破壊する天魔の所業は鋭く見破り、正法を守り、信心を守り、仏子を守り、民主主義を守るために、悪とは一歩も退かずに戦っていかねばならない。
地域に幸福を広げる
和楽と平和の集いだ。
心ゆくまで語り合い
意気高く進みゆこう!
兄弟抄 P1088
『設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべしし』
【通解】
たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい。
名字の言 東京駅のコンシェルジュが心掛けている三つのこと 2021年11月13日
東京駅で、利用客のさまざまな問い合わせに対応する「ステーションコンシェルジュ東京」。そのモットーは「分かりませんとは言いません」だ▼"すいているコインロッカーは?""テレビの特集で見たケーキが買いたい"など、相談は1日1000件近くに上る日も。それに対応するコンシェルジュが、心掛けていることが三つある▼一つは、常に駅を巡回して新しい情報を収集する「準備力」。次に、"大人数へのお土産を"との質問に、対象人数や予算など相手の希望に正確に応えるための「聞き出す力」。最後が「相手の立場に立つ想像力」。自分の目線で話さず、相手の気持ちを想像することを大切にする(渡辺雅史著『東京駅コンシェルジュの365日』交通新聞社新書)▼多くの場合、利用客との出会いは1回きり。そこに懸ける真剣さは、私たちの対話にも通じよう。訪問先の近況などを確認する「事前準備」、相手の言葉から気持ちや考えを「引き出す力」。そして、こちらの一方的な話にならないよう、徹底して「相手に寄り添う」こと。どれも大切な視点だ▼池田先生は「一回の出会い、一回の励ましが、真剣勝負である」と。「一回」に全精魂を注ぐ姿勢が、価値を生み出す根本である。
寸鉄 2021年11月13日
「信は道の源 功徳の母」御書。題目は無限の希望の力。大確信の祈りから
徳島の日。対話の秋、友情深める好機!青年を先頭に次なる広布拡大の魁を
幹部は一度の会合に全力を!準備も真剣勝負で。前進の息吹を同志の心に
海亀の2割、ゴミを誤食。安易な"ポイ捨て"は命も脅かす。地球環境守ろう
薄暮時に交通事故増える季節。多忙な時ほど安全運転。歩行者も警戒強く
〈社説〉 2021・11・13 あす「紅の歌」誕生40周年
◇わが人生の反転攻勢の劇を
広布史に残る破邪顕正の曲「紅の歌」が四国で誕生したのは、1981年11月14日のこと。四国の青年部が、正義の闘魂を燃やして作り上げた歌詞を、池田先生が二十数回も推敲を重ねて完成した。この"師弟の共同作業"は、小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「勝ち鬨」の章に描かれている。
「紅の歌」誕生の2年前の4月、先生は宗門の謀略から学会と尊き同志を守るため、第3代会長を辞任した。その翌年の1月と5月に四国の友は、客船「さんふらわあ7」号に乗り、神奈川で待つ師の元に集った。求道の弟子の心に応えるように、81年11月、先生は電撃的に四国を訪問。
「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」と師子吼したのだ。
師の思いに直ちに呼応すべく、四国の青年部は自分たちの心意気を示そうと、夜通しで愛唱歌を作成した。懇談会の席上、「先生! 筆を加えて、ぜひ魂を入れてください」と歌詞の案を提出。先生は「分かった。君たちのために手伝うよ」と。青年たちと対話しながらの推敲が進められた。
♪ああ紅の 朝明けて
魁光りぬ 丈夫は……
香川・観音寺市に住む県男子部長は、「紅の歌」を聴きながら育った。農作物の肥料や、家畜に与える飼料を調合する会社を経営してきたが、昨年11月、危機が襲った。県内で鳥インフルエンザが発生。その養鶏場の全てが、取引先だった。関係する全ての商品が出荷停止になり、収入は激減した。
"丈夫"は、今こそ信心の力を示す時と心を燃やした。今できることをやり抜くと決めて祈った。肥料の効果的な使い方を記した資料を作り、一軒一軒、農家を回った。約1カ月後、彼の会社が扱う肥料を県内全域に流通させたいとの発注が。危機をはね返し、前年を上回る業績を残すことができた。
「苦悩なき人生はない。しかし、広宣流布の使命を果たすために、勇気を燃え上がらせて戦う時、希望の虹は懸かり、苦悩は歓喜へと変わる」(「勝ち鬨」の章)
新時代の暁鐘を打ち鳴らした「紅の歌」の誕生から40年——。
今、たとえ深い闇にあったとしても、夜明けの到来を確信する青年の心で一途に師を求めながら、自身の逆境に打ち勝つ"人生の反転攻勢"の劇を開きゆこう。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 「魂の独立」(上)
◇"民衆仏法"の光を世界へ!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は、11・28「魂の独立」30周年を記念して、先生のスピーチから世界宗教の要諦について学びます(全2回)。
◇「第2次宗門事件」とは
1990年(平成2年)12月末、創価学会の大発展と池田先生の平和行動に嫉妬した日顕ら宗門は、先生の法華講総講頭職(信徒の代表)を一方的に罷免。創価の師弟を分断し、"衣の権威"に従わせようとする「C作戦」(創価学会分離作戦)を実行に移した。
学会は、あくまでも対話での解決を求めたが、宗門は頑なに話し合いを拒否し続け、翌91年には学会による登山会の中止、檀徒作りの強行など、謀略の限りを尽くして学会を圧迫してきた。しかし、「法主信仰」の邪義を唱えるなど、腐敗・堕落した宗門の正体を見抜いた学会員は微動だにしなかった。同志は御書に照らして、宗門の陰謀は、三類の強敵の出現であると捉え、池田先生と共に、破邪顕正の前進を開始する。
当初の目論見がことごとく破綻した宗門は、91年11月28日、学会に「破門通告書」なる文書を送付。さらに、学会員への御本尊の下付を停止した。11月28日は学会にとって、邪宗教と化した宗門からの「魂の独立記念日」となった。学会は宗門の閉鎖的な権威主義の呪縛から解き放たれ、世界宗教へと大きく飛翔していく。
◇大聖人のあたたかき人間性
〈1990年(平成2年)12月16日、宗門は学会に対して、ベートーベンの「歓喜の歌」をドイツ語で歌うことは「外道礼讃」であるなどと難詰してきた。それは、現実社会へ仏法を展開する創価の文化運動への、時代錯誤の言い掛かりであった。12月24日、池田先生は江東、墨田、杉並3区合同記念幹部会で語った〉
世界の民衆に妙法を弘め、絶対の幸福への道を開いていくことが広宣流布である。大聖人の御遺命であられる。ゆえに、世界各国の人々が何を求めているのか、それにどう応えていくかが大事となる。これを忘れて、仏教についての知識のない人、あるいはそういう国に、いきなり仏法の言葉で一方的に語っても、人々の理解と納得は得られない。
ひいては、いたずらに反発を招き、大聖人のお心に反することになりかねない。
その意味で、私どもが世界に展開してきた広宣流布の行動、仏法を基調とした平和、文化、教育の推進こそが正しき道であると確信している。
一次元から見れば、大聖人の仏法は、日本において、あまりにも教条主義的にとらえられてきた。また国粋主義にも利用されてきた。そうしたこともあって、世間では大聖人の真実のお姿と、大聖人の仏法のもつ豊かなヒューマニズムに、十分に目がそそがれなかった。日蓮大聖人というと、なんとなく"怖い""近寄りがたい"というイメージすら作られてきたのが現実である。
(中略)
私がスピーチの中で、大聖人の御書を拝して心がけてきた一つも、大聖人が、どれほど民衆の一人一人を大事にされていたか、どれほど濃やかに激励され、優しく包容されていたかを示すことにあった。
つまり、日蓮大聖人の仏法の深くあたたかき人間性を拝することである。
たとえば、"どんなことでも困ったことがあったら、私のもと(身延)へおいでなさい。お会いしますよ。この山で、一緒に、飢え死にしましょうよ"(御書1222ページ、通解)とまで仰せになり、門下を励まされた御文も拝読した。
私どもは、こうした大聖人の深き御慈愛、御精神を拝しつつ、さらに折伏・弘法に進んでまいりたい。要は、どこまで深く社会の人々の心をとらえ、共感と納得を与えて、正法へと向かわせていくかである。ただ勇ましく「折伏、折伏」と繰り返しても、皆が寄りつかなくなったのでは何にもならない。
◇我らの"内"に御本尊がある
〈「C作戦」を実行に移した宗門は、1991年(平成3年)7月、それまでの学会の登山会を一方的に取り止め、宗門の許可なしに参詣できない「添書登山」を開始。"登山しないと罪障消滅できない"などの邪義を唱え、信徒を脅かす。池田先生は9月3日、学生部・教育部合同総会で「日女御前御返事」の一節を拝し、日蓮仏法の本義を訴えた〉
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」(御書1244ページ)
——この御本尊は、まったくよそに求めてはならない。ただ、われら衆生が法華経を受持し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団においでになるのである。これを「九識心王真如の都」(仏界の尊極の生命)というのである——。
大聖人の仏法は、御本尊を信ずる「人間」を、一切の差別なく、最極の尊体とみる。全人類に平等の「世界宗教」たるゆえんがここにある。そして、この御本尊は、信仰者の"内"にあると示され、「全く余所に求る事なかれ」と仰せである。当然、"どこか"に行かなければ成仏しないというのは、大聖人のお教えではない。
御本尊を拝する"その人"が"その場で"仏となる。今、自分のいる場所で、自分を最高に輝かせながら、家庭のために、社会のために、そして人類のために、活躍していけるのが「妙法」である。(中略)
流罪の地・佐渡でおしたための「生死一大事血脈抄」には、次のように仰せである。
「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」(同1337ページ)
——(十界の諸法がことごとく生死の二法であり、妙法の当体であるから)五百塵点劫という久遠の昔に成道した釈尊(再往は日蓮大聖人)と、すべての衆生を成仏させる法華経(再往は御本尊)と、われら衆生との三つは、まったく差別がないと信解して妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。このことは、日蓮の弟子檀那等の肝要である。法華経を持つとは、このことを言うのである——と。
「全く差別無し」——。大聖人は、仏と衆生との「絶対の平等」をお示しくださっている。このことを信解して妙法を唱えるのが「弟子檀那等の肝要」であり、「法華経を持つ」ことであり、「生死一大事の血脈」もここにある、と。
その他の仰せからも、一切衆生の「平等」が徹底して説かれていることこそ、法華経の教えの「肝要」なのである。
◇仏法は「民主の時代」の基盤
〈対話による解決を求める学会に対して、宗門は一方的な処分を繰り返す。その背景には「僧侶が上。信徒が下」といった、宗門の差別的な体質があった。1991年(平成3年)9月23日、池田先生は第1回日米交流研修会で、「民主の時代」について言及する〉
仏法は、一切衆生に本来具わっている仏性を開かしめ、自覚させ、成仏させることが目的である。なかんずく法華経は、救うべき衆生に、何の差別も設けないのである。「平等」を否定するのは、「法華経の否定」である。(中略)
今や世界的な潮流となっている「民主の時代」「民衆の時代」。この人類史的転換を、混乱と反動によって逆流させ、不幸な結果に終わらせてはならない。そのために、「民主の時代」の基盤となりうる、普遍的な「人間学」「宗教性」「精神性」の必要が、多くの識者の間に認識され始めている。
いよいよ、日蓮大聖人の仏法が、世界の民衆から求められ、その偉大さが実証される時が来た。時代が仏法に近づいているのである。本格的な世界広宣流布の時が来たことを確信していただきたい。
こうした時代にあって、民衆を抑圧し、権威への無条件の従属を強制するような宗教や宗教者は、もはや時代錯誤の遺物として自滅していくであろう。
まして大聖人の門下と名乗りながら、そのような姿があれば、それこそ大聖人の「慈悲」と「平等」の御精神に背き、反逆する大罪である。(中略)
どこまでも民衆を"権威"に従わせようとする独善的な宗教は、あくまで人々に盲従を強要し、人間を束縛し、支配しようとする。
"人間"に奉仕し、人々を幸福にするためにこそ、本来、宗教はある。まして、大聖人の仏法は、どんな権威、権力にも屈することなく、世界の人々に平等に「自由」と「尊厳」をもたらす、最高の人間主義の大法である。
仏子を見くだし、「差別」を設けるような姿があれば、もはや大聖人の門下とはいえないであろう。
創価学会の歴史は、(中略)人間の成長を阻害する権威主義との戦いの連続であり、真の民主主義を促進する運動を、全世界に展開してきたのである。
だからこそ、非難中傷を浴び、迫害また迫害の連続だったともいえる。ゆえに、私どもは、広布と信心を破壊する天魔の所業は鋭く見破り、正法を守り、信心を守り、仏子を守り、民主主義を守るために、悪とは一歩も退かずに戦っていかねばならない。
2021年11月12日金曜日
2021.11.12 わが友に贈る
朝晩が冷え込む季節。
風邪をひかないよう
外出時の服装を賢明に。
手洗い・うがいも励行し
油断なく体調管理を!
善無畏三蔵抄 P890
『仮令強言なれども人をたすくれば実語軟語なるべし、設ひ軟語なれども人を損ずるは妄語強言なり、当世学匠等の法門は軟語実語と人人は思食したれども皆強言妄語なり、仏の本意たる法華経に背く故なるべし』
【通解】
たとえ、強い言葉であっても、人を救えば真実の言葉であり、柔らかい言葉である。たとえ、柔らかい言葉であっても、人を害すれば偽りの言葉であり、強言である。今の時代の学者たちの法門は、柔らかな言葉、真実の言葉であると人々は思っておられるけれども、みな強い言葉、偽りの言葉である。仏の本意である法華経に背いているからである。
名字の言 池田先生と車いすの女性で交わされたVサイン 2021年11月12日
「あれはフランス学士院の講演の前日でした」。壮年には、その日の出来事が今も心に残るという▼1989年6月13日、池田先生を乗せた車がパリ郊外の会館を出発しようとしていた。出口付近に、見送りにきた同志が集まった。先生は車を降り、一人一人に声を掛けていく。その中に車いすの女性がいた。先生は「大丈夫。大丈夫だよ」と励ました▼ところが通訳がいないため、女性は呼び掛けに反応できない。それでも先生は4回、5回、6回と声を掛け続ける。出発の時間が迫り、先生は車の方へと歩いた。途中、再び女性の方を向いて、Vサインを突き出し、「大丈夫だからね!」。すると、彼女はゆっくりと片手を上げ、Vサインで応えた▼大事な講演を控えながら、一瞬の出会いを逃さず、一人のためにここまで心を砕かれるのか——それが壮年の胸を突いたのだ。小説『新・人間革命』を改めて繙いてみる。先生が若き日から、この励ましの労作業を、当たり前のように誠心誠意、繰り返してきたことが分かる。そうして蒔いた種が、時とともに地涌の人材の大樹となり、森と育って今日の世界広布は築かれてきた▼今年も「学会創立の日」が巡り来る。師に続く挑戦を心に期す誓願の時である。
寸鉄 2021年11月12日
御書「共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る」。大聖人直結の学会は発展
仏法の話は毛穴から入る—恩師。後継の未来部を"広布の庭"で温かく激励
女子部の日。青春の華陽の誓いは永遠。さあ女性が輝く新時代の門を皆で
良質な睡眠が認知症予防にも。就寝前の携帯を控える等、快眠で健康人生
コロナ禍で飲酒運転が悪質化と。少量でもノー! 絶対にしない、勧めない
〈社説〉 2021・11・12 きょう「女子部の日」
◇真の幸福は励ましの日々に
60年前のきょう、横浜・三ツ沢の競技場で開催された第9回女子部総会で、池田先生は女子部の友に万感の思いを込めて語った。信仰の目的は「何があっても崩れることのない、絶対的幸福境涯を築き上げることであります」と。この総会が女子部の日の淵源となった。
絶対的幸福境涯とは、どこか遠くにあるものではない。先生は「日々、力強く唱題に励みながら、"妙法"という確かな生命の軌道に乗り、自身の人間革命をめざして、生き生きと生活に、学会活動に取り組んでいくなかに幸福がある」と、小説『新・人間革命』第5巻「勝利」の章に。まさに"華陽姉妹"の姿そのものである。
衣料品店に勤める長崎の県女子部長。かつて報道番組で、マンホールの下で生活をする外国の貧しい子どもたちを見て衝撃を受けた。"この子たちのために何ができるのか"と自身に問い、創価女子短期大学に進学。平和について学んだ。地元に貢献したいとの思いもあり、現在の職場に。しかし、平和貢献の道に直接関わることのない仕事に、何度も転職を考えた。
そんな時、コロナ禍になり、会社も大きな打撃を。今こそ社員一人一人の幸福を祈り、立正安国の連帯を広げようと決意。系列4店舗すべてに足を運び、対話を重ねた。その姿に、社長も理解を深めてくれた。今、彼女は、女子部の長崎女性平和文化会議議長として活躍。「平和運動といっても、自分の目の前の人から励ましを広げていくこと」との思いで、真心の対話を深めている。
「女性は本来、現実主義者であると同時に、生命を慈しみ守りゆく、豊かな感性をもった平和主義者です」とは、池田先生と対談を重ねた未来学者、ヘイゼル・ヘンダーソン氏の言葉である。
生命尊厳の哲学を持った女子部員が一人立ち、社会で信頼を広げ、友に励ましを送りゆく。そこに平和への一歩があり、その姿にこそ真の幸福境涯があるといえよう。
10月14日付の「随筆『人間革命』光あれ」で先生は、「女子部が女性部として新出発する。いよいよ多様性の時代をリードし、桜梅桃李の個性をのびやかに尊重して生かし合い、朗らかな幸福と平和の大前進が始まるのだ!」と。
学会創立100周年へ飛躍する今、女子部が女性部として新たな広布の舞台へ。希望と幸福のスクラムは限りなく広がっていく。
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第14回 地区の中心者へ
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第14回は、地区の中心者に詠んだ「広布第一線・学会の要 地区部長 地区婦人部長の皆様に最敬礼」(2007年)です。
◇皆様こそ人間共和の大統領!
雨の日も風の日も
最も地道な
使命の労作業に
徹し抜いておられる皆様!
誰が見ていなくとも
誰が中傷批判しようとも
誰が褒めなくとも
現実の広宣流布を
一歩また一歩と
希望に燃えて
大聖人の仰せのごとく
辛抱強く 前へ前へと
進んでおられる皆様方よ!
その皆様方を
無量無数の諸天善神が
護らぬわけがない。
三世十方の仏菩薩が
讃えぬわけがない。
◆◇◆
昭和二十六年の
晴れわたる五月の三日——
ありとあらゆる苦難を
師弟で勝ち越えて
師・戸田先生の
第二代会長の就任を迎えた。
この時
弟子の私が就任したのが
ふるさと蒲田支部の
大森地区の地区委員であった。
すなわち
「地区部長」である。
戸田先生の誓願たる
七十五万世帯の成就へ!
愛弟子は
師の事業を一人支えながら
不二の決心で
広布第一線の地区から
拡大の火蓋を切ったのだ。
「師に直結の
地区部長たれ!」とは
私の断固たる決意であった。
若き日の日記には——
「先生、必ず吾が地区も
前進させます」
「吾が大森地区が心配でならぬ。
地区が完璧になるよう、
御本尊に祈る」
「吾が地区も頑張らねばならぬ。
ともあれ、自分が頑張ることだ。
自分が責任を持つことだ」等と。
広布のための
忘れ得ぬ
地区の闘争の歴史を
毎日毎日
私自身が刻み始めた。
◆◇◆
わが地区が
元気に前進勝利すれば
わが地域が
必ずや元気となり
発展興隆していくことは
間違いないだろう。
上からも喧しく
下からも
突き上げをくいながら
外部との渉外にも
胸を張って挑みゆく
地区部長
地区婦人部長の皆様方は
一番偉大な
人間革命をしていることを
自負して頂きたい。
大変でありましょうが
永遠の生命の
素晴らしき栄光と福徳へ
革命の一日一日を
歩んでおられることを
確信して頂きたい。
◆◇◆
それぞれの
宿縁の天地にあって
皆様方こそ——
人間共和の
大統領である。
幸福交響楽団の
名指揮者である。
さらに
近隣友好の
全権大使である。
人間教育の
大総長である。
そして
立正安国の
建設の太陽なのである。
いざや
大衆と共に!
民衆の中で!
人間のために!
今日も朗らかに
わが地区に
「永遠の都」を
大建設しゆくのだ!
※「地区婦人部長」は現在の「地区女性部長」に当たります。
風邪をひかないよう
外出時の服装を賢明に。
手洗い・うがいも励行し
油断なく体調管理を!
善無畏三蔵抄 P890
『仮令強言なれども人をたすくれば実語軟語なるべし、設ひ軟語なれども人を損ずるは妄語強言なり、当世学匠等の法門は軟語実語と人人は思食したれども皆強言妄語なり、仏の本意たる法華経に背く故なるべし』
【通解】
たとえ、強い言葉であっても、人を救えば真実の言葉であり、柔らかい言葉である。たとえ、柔らかい言葉であっても、人を害すれば偽りの言葉であり、強言である。今の時代の学者たちの法門は、柔らかな言葉、真実の言葉であると人々は思っておられるけれども、みな強い言葉、偽りの言葉である。仏の本意である法華経に背いているからである。
名字の言 池田先生と車いすの女性で交わされたVサイン 2021年11月12日
「あれはフランス学士院の講演の前日でした」。壮年には、その日の出来事が今も心に残るという▼1989年6月13日、池田先生を乗せた車がパリ郊外の会館を出発しようとしていた。出口付近に、見送りにきた同志が集まった。先生は車を降り、一人一人に声を掛けていく。その中に車いすの女性がいた。先生は「大丈夫。大丈夫だよ」と励ました▼ところが通訳がいないため、女性は呼び掛けに反応できない。それでも先生は4回、5回、6回と声を掛け続ける。出発の時間が迫り、先生は車の方へと歩いた。途中、再び女性の方を向いて、Vサインを突き出し、「大丈夫だからね!」。すると、彼女はゆっくりと片手を上げ、Vサインで応えた▼大事な講演を控えながら、一瞬の出会いを逃さず、一人のためにここまで心を砕かれるのか——それが壮年の胸を突いたのだ。小説『新・人間革命』を改めて繙いてみる。先生が若き日から、この励ましの労作業を、当たり前のように誠心誠意、繰り返してきたことが分かる。そうして蒔いた種が、時とともに地涌の人材の大樹となり、森と育って今日の世界広布は築かれてきた▼今年も「学会創立の日」が巡り来る。師に続く挑戦を心に期す誓願の時である。
寸鉄 2021年11月12日
御書「共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る」。大聖人直結の学会は発展
仏法の話は毛穴から入る—恩師。後継の未来部を"広布の庭"で温かく激励
女子部の日。青春の華陽の誓いは永遠。さあ女性が輝く新時代の門を皆で
良質な睡眠が認知症予防にも。就寝前の携帯を控える等、快眠で健康人生
コロナ禍で飲酒運転が悪質化と。少量でもノー! 絶対にしない、勧めない
〈社説〉 2021・11・12 きょう「女子部の日」
◇真の幸福は励ましの日々に
60年前のきょう、横浜・三ツ沢の競技場で開催された第9回女子部総会で、池田先生は女子部の友に万感の思いを込めて語った。信仰の目的は「何があっても崩れることのない、絶対的幸福境涯を築き上げることであります」と。この総会が女子部の日の淵源となった。
絶対的幸福境涯とは、どこか遠くにあるものではない。先生は「日々、力強く唱題に励みながら、"妙法"という確かな生命の軌道に乗り、自身の人間革命をめざして、生き生きと生活に、学会活動に取り組んでいくなかに幸福がある」と、小説『新・人間革命』第5巻「勝利」の章に。まさに"華陽姉妹"の姿そのものである。
衣料品店に勤める長崎の県女子部長。かつて報道番組で、マンホールの下で生活をする外国の貧しい子どもたちを見て衝撃を受けた。"この子たちのために何ができるのか"と自身に問い、創価女子短期大学に進学。平和について学んだ。地元に貢献したいとの思いもあり、現在の職場に。しかし、平和貢献の道に直接関わることのない仕事に、何度も転職を考えた。
そんな時、コロナ禍になり、会社も大きな打撃を。今こそ社員一人一人の幸福を祈り、立正安国の連帯を広げようと決意。系列4店舗すべてに足を運び、対話を重ねた。その姿に、社長も理解を深めてくれた。今、彼女は、女子部の長崎女性平和文化会議議長として活躍。「平和運動といっても、自分の目の前の人から励ましを広げていくこと」との思いで、真心の対話を深めている。
「女性は本来、現実主義者であると同時に、生命を慈しみ守りゆく、豊かな感性をもった平和主義者です」とは、池田先生と対談を重ねた未来学者、ヘイゼル・ヘンダーソン氏の言葉である。
生命尊厳の哲学を持った女子部員が一人立ち、社会で信頼を広げ、友に励ましを送りゆく。そこに平和への一歩があり、その姿にこそ真の幸福境涯があるといえよう。
10月14日付の「随筆『人間革命』光あれ」で先生は、「女子部が女性部として新出発する。いよいよ多様性の時代をリードし、桜梅桃李の個性をのびやかに尊重して生かし合い、朗らかな幸福と平和の大前進が始まるのだ!」と。
学会創立100周年へ飛躍する今、女子部が女性部として新たな広布の舞台へ。希望と幸福のスクラムは限りなく広がっていく。
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第14回 地区の中心者へ
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第14回は、地区の中心者に詠んだ「広布第一線・学会の要 地区部長 地区婦人部長の皆様に最敬礼」(2007年)です。
◇皆様こそ人間共和の大統領!
雨の日も風の日も
最も地道な
使命の労作業に
徹し抜いておられる皆様!
誰が見ていなくとも
誰が中傷批判しようとも
誰が褒めなくとも
現実の広宣流布を
一歩また一歩と
希望に燃えて
大聖人の仰せのごとく
辛抱強く 前へ前へと
進んでおられる皆様方よ!
その皆様方を
無量無数の諸天善神が
護らぬわけがない。
三世十方の仏菩薩が
讃えぬわけがない。
◆◇◆
昭和二十六年の
晴れわたる五月の三日——
ありとあらゆる苦難を
師弟で勝ち越えて
師・戸田先生の
第二代会長の就任を迎えた。
この時
弟子の私が就任したのが
ふるさと蒲田支部の
大森地区の地区委員であった。
すなわち
「地区部長」である。
戸田先生の誓願たる
七十五万世帯の成就へ!
愛弟子は
師の事業を一人支えながら
不二の決心で
広布第一線の地区から
拡大の火蓋を切ったのだ。
「師に直結の
地区部長たれ!」とは
私の断固たる決意であった。
若き日の日記には——
「先生、必ず吾が地区も
前進させます」
「吾が大森地区が心配でならぬ。
地区が完璧になるよう、
御本尊に祈る」
「吾が地区も頑張らねばならぬ。
ともあれ、自分が頑張ることだ。
自分が責任を持つことだ」等と。
広布のための
忘れ得ぬ
地区の闘争の歴史を
毎日毎日
私自身が刻み始めた。
◆◇◆
わが地区が
元気に前進勝利すれば
わが地域が
必ずや元気となり
発展興隆していくことは
間違いないだろう。
上からも喧しく
下からも
突き上げをくいながら
外部との渉外にも
胸を張って挑みゆく
地区部長
地区婦人部長の皆様方は
一番偉大な
人間革命をしていることを
自負して頂きたい。
大変でありましょうが
永遠の生命の
素晴らしき栄光と福徳へ
革命の一日一日を
歩んでおられることを
確信して頂きたい。
◆◇◆
それぞれの
宿縁の天地にあって
皆様方こそ——
人間共和の
大統領である。
幸福交響楽団の
名指揮者である。
さらに
近隣友好の
全権大使である。
人間教育の
大総長である。
そして
立正安国の
建設の太陽なのである。
いざや
大衆と共に!
民衆の中で!
人間のために!
今日も朗らかに
わが地区に
「永遠の都」を
大建設しゆくのだ!
※「地区婦人部長」は現在の「地区女性部長」に当たります。
2021年11月11日木曜日
2021.11.11 わが友に贈る
誰もが深き使命の人。
一人一人に光を当て
活躍の場をつくろう!
このリーダーの一念が
皆の潜在力を引き出す。
法華経題目抄 P944
『六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり総じて六万九千三百八十四の妙あり、妙とは天竺には薩と云い漢土には妙と云う妙とは具の義なり具とは円満の義なり、法華経の一一の文字一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり、譬えば大海の一?の水に一切の河の水を納め一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し』
【通解】
法華経の全文字・六万九千三百八十四字の一字一字の根下に各々一つの妙があり、総じて六万九千三百八十四の妙は、ことごとく妙の功徳、勝能を含んでいるのである。さて、妙とは天竺では薩といい、漢土では妙という。妙とは具足の義で、具足の具とは円満という意である。すなわち、法華経の一つ一つの文字に、六万九千三百八十四字の徳が欠けることなく納まっているのである。譬えば大海の一?の水にはいっさいの河の水が納まり、芥子ほどの大きさのたった一つの如意宝珠が、いっさいの如意宝珠の財を降らすようなものである。
名字の言 好評の「ラジオ SEIKYO LABO」 2021年11月11日
インターネット環境で聴くことができる、聖教新聞のポッドキャスト番組「ラジオ SEIKYO LABO(ラボ=研究室)」が好評だ。新聞制作の工夫やエピソードを、記者たち自身が語る。今年2月の開始以来、各種の聴取ランキングで上位に入ることも多い▼リスナーからもさまざまな反響が届いている。「映像と違い、運転中や、食器を洗いながらでも聴くことができる点がうれしい」「記者の熱い思いが感じられるのは、"声"ならではの魅力ですね」▼テレビが各家庭に普及し、さらに近年のインターネット動画の利用によって、ラジオの衰退を予想した人も少なくない。だがラジオには国内外で根強い需要があり、最近はコロナ禍もあって、愛好者が増加傾向にあるという。"人の声"には、映像とは異なる魅力がある▼「お疲れさま」「いつもありがとう」。ちょっとした一言でも、心は伝わる。あるメンバーが、学会の会合に参加したきっかけは、誘いに来た先輩のインターホン越しに聞いた声の響きにあるという。「"あなたと話せてうれしい"という思いを感じたんです」と▼日々、自他共の幸福を真剣に祈る、私たちの真心は必ず相手に伝わる。その真心を声に乗せて届けたい。
寸鉄 2021年11月11日
「仏の如く互に敬うべし」御書。団結こそ力。体験を語り励まし合う座談会に
愛媛の日。次の勝利の因刻むのは今!創価家族の麗しき連帯で対話を拡大
行き詰まった時こそ御書を開け—戸田先生。まず1行、1頁。求道心燃やし
介護・福祉に携わる友が奮闘。希望溢れる"幸齢社会"へ。きょう介護の日
中古の家電やガス器具の火災事故多し。リコール情報や使用法をよく確認
〈社説〉 2021・11・11 「国際寛容デー」制定から25年
◇共感力を育む精神闘争こそ
新型コロナウイルスに翻弄されたこの2年、あらわになったのは、未知の感染症への医療体制構築の困難さだけではないだろう。
ウイルスの感染拡大によって死の恐怖にかられ、社会も人々も混乱した。そこで私たちが目にした一つは、現代社会の中にある不寛容さではなかっただろうか。市中感染を防ぐための規制・対策は、時に人々の自由を排除するものになった。一般市民から「自粛警察」なるものも生まれた。
しかし、コロナ禍に現れた、こうした不寛容さは、決して突然に現れたものではないだろう。
『不寛容論』(新潮社)の著者・森本あんり氏は、自分が無関心でどうでもよいと思う状態を、寛容でも不寛容でもない「無寛容」と呼び、こうした無寛容は容易に「不寛容」へと変貌すると語る。
さらに社会や他者に対する無関心が前提の無寛容は「ひとたび嵐が来て自分の身に危険が迫れば、たちまち吹き飛んでしまう」と訴える。社会や他者に対する無関心が不寛容を生む土壌になる、との指摘は重要だ。
水俣の撮影でも知られる米国の写真家ユージン・スミスは第2次大戦の激戦地で撮影を行うなか、家族に宛てた手紙にこう記した。 「人種や肌の色、信条のせいで不寛容の感情を抱くことは、絶対にしないで欲しい。そして、彼らが君たちが享受しているのと同じ権利をすべて保持しているのだということを忘れないで欲しい」(石井妙子著『魂を撮ろう』文藝春秋社)
戦争の正義を高揚させ、敵対心をあおる写真を戦場から送る写真家がスター扱いされた時代に、他者への共感力、想像力を持ち続け抵抗した姿に深く感銘する。
池田先生は、欧州の知性ウンガー博士との対談で「寛容性を呼び覚ます努力を続けていかねばなりません。そうした、たゆみない精神闘争を怠れば、たちまち野蛮で非寛容な暴力性に自らが支配されてしまいます」と語っている。
寛容性とは、座して得られるものではない。恐怖や不安、偏見の渦にのみ込まれず、心を開いて社会や他者に自ら関わり続けていく。そのなかで相手への想像力、共感力が磨かれ、寛容の精神が生まれてくるのではないだろうか。
今月16日は「国際寛容デー」。国連総会で制定されてから25年を迎える。今いる場所から、自らの行動で、寛容の精神を広げたい。
☆池田思想国際学術シンポジウムから(上) 池田先生のメッセージ
一、世界の教育・学術の眼目と光る先生方をつなぐ今回のシンポジウムには、各国・各地域からご出席いただき、活発な討議と探究が進められると伺っております。
尊い研究と啓発を営々と貫き通されている、心から敬愛してやまない先生方に、私は改めて最大の感謝を捧げます。
わが創価大学にとりましては、創立50周年を飾る誠に意義深い開催となり、創立者としてこの上ない喜びであります。
本シンポジウムに掲げられた「人類の共生と世界市民教育」との最重要のテーマに即して、3点にわたり、簡潔に所感を述べさせていただきます。
◇教育の"信ずる力"で人類の善性を開花
一、第一に、「教育の"信ずる力"で、人類の善性の開花を!」と申し上げたい。
昨年の3月に、WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を宣言してから1年と7カ月が経過しました。感染拡大の勢いが低下しつつある国が見られる一方で、深刻な打撃に今も苦しんでいる国も多く、感染症という人類共通の課題を解決するために、いやまして国際協力が必要とされるのは論をまちません。
◇温暖化の進展は地球の厳戒警報
また本年8月、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が最新の報告書を発表し、人間活動の影響で地球温暖化が進んでいることについて「疑う余地がない」と断定しました。グテーレス国連事務総長は、報告書を「人類に対する厳戒警報」と強調し、今月末から始まるCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)の成功を呼び掛けております。
まさに国際社会は今、国益や自国のみの安全を最優先させる形で「分断」の溝を深めて、甚大な被害を拡大し続けてしまうのか、それとも「人類の共生」に向けて、「協力」という道を選び取るのか、大きな岐路に立たされていると思えてなりません。
そして、この共生への選択に立ちはだかる一凶こそ、「人間が持つ可能性への不信感」とは言えないでしょうか。この不信感は、自分に向かえば無力感や諦めをもたらし、他者に向かえば偏見や分断をもたらします。
一、翻って「教育」は本源的に、「人間生命への絶対的な信頼」から出発しております。
私自身、教育を生涯の事業と定めた一人として、人間の善性と青年の可能性への絶対的な信頼を、近くは創価教育の創始者・牧口常三郎先生から、遠くは"人類の教師"たる釈尊から受け継いできました。
釈尊は大乗仏典の精髄たる「法華経」において、仏の出現の因縁を「衆生をして仏知見(仏の智慧)を開かしめんと欲す」ゆえであると宣言しております。
この意義について、「もし衆生に仏知見無くんば、何ぞ開を論ずるところあらん」と展開したのは、天台智�でありました。
その思想を貫いているのは、誰人にも尊極の生命が具わっており、逆境や困難も乗り越える智慧と勇気を発揮する力が宿っているとの確信であります。
それを信じ抜いて一人一人に働き掛け、自覚せしめ、開き伸ばしていく。と同時に他者の尊厳にも目を開かせ、共に手を携えて、幸福へ平和へ生命を十全に開花させていく。ここに、教育という聖業の挑戦があると言えましょう。
◇青年に期待を寄せた大教育者デューイ
牧口先生も深く共鳴していたアメリカの大教育者デューイ博士が「五四運動」の最中に中国を訪れ、2年2カ月にわたり教壇に立った足跡が思い起こされます。
中国教育学会の会長を務められた、尊敬する顧明遠先生が指摘されていたように、デューイ博士は青年たちに満腔の希望を寄せられたのであります。
博士は、「人々がすべて自己の価値を知っていたらば、社会はきっと変化をもち進歩をもつ」(永野芳夫訳・大浦猛編『デューイ‥倫理・社会・教育 北京大学哲学講義』飯塚書房)と力説されました。
今こそ私たちは、教育の原点というべき"人間が持つ可能性を信ずる力"をいやまして強く深く発揮し、一人一人の若き生命をさらに伸びやかに、さらに豊かに開花させていきたいと思うのであります。そこにこそ、現代に蔓延する深刻な無力感から人々を解き放ち、社会の分断の分厚い壁を打ち破る希望が見いだせるからです。
◇創造性は多様性から生まれる
一、第二に申し上げたいのは、「青年の"負けじ魂"で、価値創造の大連帯を!」という点であります。
私の恩師であり、希有の人間教育者であった戸田城聖先生は、70年前、青年であった私たちに、「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と指針を贈ってくださいました。恩師は青年を励まして、あえて人生と社会の厳しい試練に立ち向かわせる中で薫陶されるのが、常でした。それは、青年の「熱と力」、すなわち何ものにも屈しない"負けじ魂"を信ずるゆえであったに違いありません。
恩師自らが、若き日から苦学に苦学を重ねるとともに、戦時中は、師匠と仰ぐ牧口先生にお供して、日本の軍部政府の弾圧による2年間の投獄にも耐え抜き、戦後、新たな人間革命の民衆運動を起こした究極の負けじ魂の闘士でありました。
頼もしいことに、今、若き世界市民たちが各国・各地で、コロナ禍という緊急事態にも、力を合わせ、英知を出し合って、創意工夫し立ち向かってくれています。
わが創価大学でも、とりわけ留学生の友が賢くたくましく逆境をはね返しています。多くの国々の多彩な学友と励まし合い、支え合って、仲間や地域や社会に貢献しながら、一回りも二回りも見事な大成長を遂げてくれているのであります。
中国をはじめ世界のさまざまな文化に心を開いていた、かの文豪ゲーテは、「創造は多様性なくしては考えられない」(山崎章甫訳『詩と真実』岩波文庫)と語っておりました。思いも寄らぬ艱難からの挑戦に対し、まさしく多様性を生かし合って応戦する若き世界市民の連帯から、必ずや偉大な価値が創造されることでありましょう。
恩師から学んだ中国の英知の言葉に「異体同心」そして「変毒為薬」とあります。
感染症や気候変動をはじめとする人類共通の難題は、あらゆる差異を超えて、心を同じくして取り組む契機となります。教育の結合の力を軸として、それぞれの個性を尊重し合い、触発し合って、毒をも薬へと転ずる価値創造の大連帯により、21世紀の新たな地平が開かれゆくことを、私は信じ祈りたいのであります。
一、第三に申し上げたいことは、「生命の"調和の智慧"で、地球生態系と共生の文明を!」という点であります。
20世紀を代表する大歴史家のトインビー博士と私が対談をして半世紀になろうとしています。全人類の平和・共生を展望するとともに、大自然・大宇宙との調和・共生まで志向したことが懐かしく思い出されます。
◇偉大な人は万物を一体とみなす
トインビー博士は、人間は宇宙の一市民であるとするギリシャ哲学のストア学派の主張や中国の王陽明の「偉大なる人は、天地万物をみな一体とみなす」との世界観に共感を述べられておりました。こうした先哲の洞察も、また地球生態系への最先端の科学的知見なども、生命それ自体に調和・共生を織り成していく妙なる力が本然的に具わっていることを照らし出しております。
真実の喜びとは何か。私は、尊い現場で若人の命を慈しみ育んでいる世界の多くの教育者の方々と、それは「自他共に喜ぶこと」であり、「共々に智慧と慈悲を発揮することである」と語り合ってきました。
人類、地球生態系、そしてさらには大宇宙へと広がる壮大なる連関の中で、生命の歓喜の讃歌を謳い上げてゆく共生の文明を、世界市民教育の光明で照らし示していきたいと、私は願うのであります。
一、結びに言及したいのは、デューイ博士が、先に触れた北京大学での講義において青年たちを前に述べていた、気宇壮大な呼び掛けです。
博士はそこで、「二千年後の人類ははたしてどんなものなのか」(前掲書)との問題提起をしました。
その上で博士は、それは、もちろん知り得ない世界であるとしても、ただ暗中模索するのではなくして、我々の希望する目的へ、確固たる「教育哲学」で指揮しリードしていこうと呼び掛けたのであります。
尊き先人たちの魂の呼び掛けに真摯に誠実に応えつつ、はるかなる人類の未来を創り開かれゆく崇高なる「教育哲学」のシンポジウムに、今再び、心からの尊敬と感謝を捧げ、私のメッセージといたします。
一人一人に光を当て
活躍の場をつくろう!
このリーダーの一念が
皆の潜在力を引き出す。
法華経題目抄 P944
『六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり総じて六万九千三百八十四の妙あり、妙とは天竺には薩と云い漢土には妙と云う妙とは具の義なり具とは円満の義なり、法華経の一一の文字一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり、譬えば大海の一?の水に一切の河の水を納め一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し』
【通解】
法華経の全文字・六万九千三百八十四字の一字一字の根下に各々一つの妙があり、総じて六万九千三百八十四の妙は、ことごとく妙の功徳、勝能を含んでいるのである。さて、妙とは天竺では薩といい、漢土では妙という。妙とは具足の義で、具足の具とは円満という意である。すなわち、法華経の一つ一つの文字に、六万九千三百八十四字の徳が欠けることなく納まっているのである。譬えば大海の一?の水にはいっさいの河の水が納まり、芥子ほどの大きさのたった一つの如意宝珠が、いっさいの如意宝珠の財を降らすようなものである。
名字の言 好評の「ラジオ SEIKYO LABO」 2021年11月11日
インターネット環境で聴くことができる、聖教新聞のポッドキャスト番組「ラジオ SEIKYO LABO(ラボ=研究室)」が好評だ。新聞制作の工夫やエピソードを、記者たち自身が語る。今年2月の開始以来、各種の聴取ランキングで上位に入ることも多い▼リスナーからもさまざまな反響が届いている。「映像と違い、運転中や、食器を洗いながらでも聴くことができる点がうれしい」「記者の熱い思いが感じられるのは、"声"ならではの魅力ですね」▼テレビが各家庭に普及し、さらに近年のインターネット動画の利用によって、ラジオの衰退を予想した人も少なくない。だがラジオには国内外で根強い需要があり、最近はコロナ禍もあって、愛好者が増加傾向にあるという。"人の声"には、映像とは異なる魅力がある▼「お疲れさま」「いつもありがとう」。ちょっとした一言でも、心は伝わる。あるメンバーが、学会の会合に参加したきっかけは、誘いに来た先輩のインターホン越しに聞いた声の響きにあるという。「"あなたと話せてうれしい"という思いを感じたんです」と▼日々、自他共の幸福を真剣に祈る、私たちの真心は必ず相手に伝わる。その真心を声に乗せて届けたい。
寸鉄 2021年11月11日
「仏の如く互に敬うべし」御書。団結こそ力。体験を語り励まし合う座談会に
愛媛の日。次の勝利の因刻むのは今!創価家族の麗しき連帯で対話を拡大
行き詰まった時こそ御書を開け—戸田先生。まず1行、1頁。求道心燃やし
介護・福祉に携わる友が奮闘。希望溢れる"幸齢社会"へ。きょう介護の日
中古の家電やガス器具の火災事故多し。リコール情報や使用法をよく確認
〈社説〉 2021・11・11 「国際寛容デー」制定から25年
◇共感力を育む精神闘争こそ
新型コロナウイルスに翻弄されたこの2年、あらわになったのは、未知の感染症への医療体制構築の困難さだけではないだろう。
ウイルスの感染拡大によって死の恐怖にかられ、社会も人々も混乱した。そこで私たちが目にした一つは、現代社会の中にある不寛容さではなかっただろうか。市中感染を防ぐための規制・対策は、時に人々の自由を排除するものになった。一般市民から「自粛警察」なるものも生まれた。
しかし、コロナ禍に現れた、こうした不寛容さは、決して突然に現れたものではないだろう。
『不寛容論』(新潮社)の著者・森本あんり氏は、自分が無関心でどうでもよいと思う状態を、寛容でも不寛容でもない「無寛容」と呼び、こうした無寛容は容易に「不寛容」へと変貌すると語る。
さらに社会や他者に対する無関心が前提の無寛容は「ひとたび嵐が来て自分の身に危険が迫れば、たちまち吹き飛んでしまう」と訴える。社会や他者に対する無関心が不寛容を生む土壌になる、との指摘は重要だ。
水俣の撮影でも知られる米国の写真家ユージン・スミスは第2次大戦の激戦地で撮影を行うなか、家族に宛てた手紙にこう記した。 「人種や肌の色、信条のせいで不寛容の感情を抱くことは、絶対にしないで欲しい。そして、彼らが君たちが享受しているのと同じ権利をすべて保持しているのだということを忘れないで欲しい」(石井妙子著『魂を撮ろう』文藝春秋社)
戦争の正義を高揚させ、敵対心をあおる写真を戦場から送る写真家がスター扱いされた時代に、他者への共感力、想像力を持ち続け抵抗した姿に深く感銘する。
池田先生は、欧州の知性ウンガー博士との対談で「寛容性を呼び覚ます努力を続けていかねばなりません。そうした、たゆみない精神闘争を怠れば、たちまち野蛮で非寛容な暴力性に自らが支配されてしまいます」と語っている。
寛容性とは、座して得られるものではない。恐怖や不安、偏見の渦にのみ込まれず、心を開いて社会や他者に自ら関わり続けていく。そのなかで相手への想像力、共感力が磨かれ、寛容の精神が生まれてくるのではないだろうか。
今月16日は「国際寛容デー」。国連総会で制定されてから25年を迎える。今いる場所から、自らの行動で、寛容の精神を広げたい。
☆池田思想国際学術シンポジウムから(上) 池田先生のメッセージ
一、世界の教育・学術の眼目と光る先生方をつなぐ今回のシンポジウムには、各国・各地域からご出席いただき、活発な討議と探究が進められると伺っております。
尊い研究と啓発を営々と貫き通されている、心から敬愛してやまない先生方に、私は改めて最大の感謝を捧げます。
わが創価大学にとりましては、創立50周年を飾る誠に意義深い開催となり、創立者としてこの上ない喜びであります。
本シンポジウムに掲げられた「人類の共生と世界市民教育」との最重要のテーマに即して、3点にわたり、簡潔に所感を述べさせていただきます。
◇教育の"信ずる力"で人類の善性を開花
一、第一に、「教育の"信ずる力"で、人類の善性の開花を!」と申し上げたい。
昨年の3月に、WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を宣言してから1年と7カ月が経過しました。感染拡大の勢いが低下しつつある国が見られる一方で、深刻な打撃に今も苦しんでいる国も多く、感染症という人類共通の課題を解決するために、いやまして国際協力が必要とされるのは論をまちません。
◇温暖化の進展は地球の厳戒警報
また本年8月、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が最新の報告書を発表し、人間活動の影響で地球温暖化が進んでいることについて「疑う余地がない」と断定しました。グテーレス国連事務総長は、報告書を「人類に対する厳戒警報」と強調し、今月末から始まるCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)の成功を呼び掛けております。
まさに国際社会は今、国益や自国のみの安全を最優先させる形で「分断」の溝を深めて、甚大な被害を拡大し続けてしまうのか、それとも「人類の共生」に向けて、「協力」という道を選び取るのか、大きな岐路に立たされていると思えてなりません。
そして、この共生への選択に立ちはだかる一凶こそ、「人間が持つ可能性への不信感」とは言えないでしょうか。この不信感は、自分に向かえば無力感や諦めをもたらし、他者に向かえば偏見や分断をもたらします。
一、翻って「教育」は本源的に、「人間生命への絶対的な信頼」から出発しております。
私自身、教育を生涯の事業と定めた一人として、人間の善性と青年の可能性への絶対的な信頼を、近くは創価教育の創始者・牧口常三郎先生から、遠くは"人類の教師"たる釈尊から受け継いできました。
釈尊は大乗仏典の精髄たる「法華経」において、仏の出現の因縁を「衆生をして仏知見(仏の智慧)を開かしめんと欲す」ゆえであると宣言しております。
この意義について、「もし衆生に仏知見無くんば、何ぞ開を論ずるところあらん」と展開したのは、天台智�でありました。
その思想を貫いているのは、誰人にも尊極の生命が具わっており、逆境や困難も乗り越える智慧と勇気を発揮する力が宿っているとの確信であります。
それを信じ抜いて一人一人に働き掛け、自覚せしめ、開き伸ばしていく。と同時に他者の尊厳にも目を開かせ、共に手を携えて、幸福へ平和へ生命を十全に開花させていく。ここに、教育という聖業の挑戦があると言えましょう。
◇青年に期待を寄せた大教育者デューイ
牧口先生も深く共鳴していたアメリカの大教育者デューイ博士が「五四運動」の最中に中国を訪れ、2年2カ月にわたり教壇に立った足跡が思い起こされます。
中国教育学会の会長を務められた、尊敬する顧明遠先生が指摘されていたように、デューイ博士は青年たちに満腔の希望を寄せられたのであります。
博士は、「人々がすべて自己の価値を知っていたらば、社会はきっと変化をもち進歩をもつ」(永野芳夫訳・大浦猛編『デューイ‥倫理・社会・教育 北京大学哲学講義』飯塚書房)と力説されました。
今こそ私たちは、教育の原点というべき"人間が持つ可能性を信ずる力"をいやまして強く深く発揮し、一人一人の若き生命をさらに伸びやかに、さらに豊かに開花させていきたいと思うのであります。そこにこそ、現代に蔓延する深刻な無力感から人々を解き放ち、社会の分断の分厚い壁を打ち破る希望が見いだせるからです。
◇創造性は多様性から生まれる
一、第二に申し上げたいのは、「青年の"負けじ魂"で、価値創造の大連帯を!」という点であります。
私の恩師であり、希有の人間教育者であった戸田城聖先生は、70年前、青年であった私たちに、「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と指針を贈ってくださいました。恩師は青年を励まして、あえて人生と社会の厳しい試練に立ち向かわせる中で薫陶されるのが、常でした。それは、青年の「熱と力」、すなわち何ものにも屈しない"負けじ魂"を信ずるゆえであったに違いありません。
恩師自らが、若き日から苦学に苦学を重ねるとともに、戦時中は、師匠と仰ぐ牧口先生にお供して、日本の軍部政府の弾圧による2年間の投獄にも耐え抜き、戦後、新たな人間革命の民衆運動を起こした究極の負けじ魂の闘士でありました。
頼もしいことに、今、若き世界市民たちが各国・各地で、コロナ禍という緊急事態にも、力を合わせ、英知を出し合って、創意工夫し立ち向かってくれています。
わが創価大学でも、とりわけ留学生の友が賢くたくましく逆境をはね返しています。多くの国々の多彩な学友と励まし合い、支え合って、仲間や地域や社会に貢献しながら、一回りも二回りも見事な大成長を遂げてくれているのであります。
中国をはじめ世界のさまざまな文化に心を開いていた、かの文豪ゲーテは、「創造は多様性なくしては考えられない」(山崎章甫訳『詩と真実』岩波文庫)と語っておりました。思いも寄らぬ艱難からの挑戦に対し、まさしく多様性を生かし合って応戦する若き世界市民の連帯から、必ずや偉大な価値が創造されることでありましょう。
恩師から学んだ中国の英知の言葉に「異体同心」そして「変毒為薬」とあります。
感染症や気候変動をはじめとする人類共通の難題は、あらゆる差異を超えて、心を同じくして取り組む契機となります。教育の結合の力を軸として、それぞれの個性を尊重し合い、触発し合って、毒をも薬へと転ずる価値創造の大連帯により、21世紀の新たな地平が開かれゆくことを、私は信じ祈りたいのであります。
一、第三に申し上げたいことは、「生命の"調和の智慧"で、地球生態系と共生の文明を!」という点であります。
20世紀を代表する大歴史家のトインビー博士と私が対談をして半世紀になろうとしています。全人類の平和・共生を展望するとともに、大自然・大宇宙との調和・共生まで志向したことが懐かしく思い出されます。
◇偉大な人は万物を一体とみなす
トインビー博士は、人間は宇宙の一市民であるとするギリシャ哲学のストア学派の主張や中国の王陽明の「偉大なる人は、天地万物をみな一体とみなす」との世界観に共感を述べられておりました。こうした先哲の洞察も、また地球生態系への最先端の科学的知見なども、生命それ自体に調和・共生を織り成していく妙なる力が本然的に具わっていることを照らし出しております。
真実の喜びとは何か。私は、尊い現場で若人の命を慈しみ育んでいる世界の多くの教育者の方々と、それは「自他共に喜ぶこと」であり、「共々に智慧と慈悲を発揮することである」と語り合ってきました。
人類、地球生態系、そしてさらには大宇宙へと広がる壮大なる連関の中で、生命の歓喜の讃歌を謳い上げてゆく共生の文明を、世界市民教育の光明で照らし示していきたいと、私は願うのであります。
一、結びに言及したいのは、デューイ博士が、先に触れた北京大学での講義において青年たちを前に述べていた、気宇壮大な呼び掛けです。
博士はそこで、「二千年後の人類ははたしてどんなものなのか」(前掲書)との問題提起をしました。
その上で博士は、それは、もちろん知り得ない世界であるとしても、ただ暗中模索するのではなくして、我々の希望する目的へ、確固たる「教育哲学」で指揮しリードしていこうと呼び掛けたのであります。
尊き先人たちの魂の呼び掛けに真摯に誠実に応えつつ、はるかなる人類の未来を創り開かれゆく崇高なる「教育哲学」のシンポジウムに、今再び、心からの尊敬と感謝を捧げ、私のメッセージといたします。
2021年11月10日水曜日
2021.11.10 わが友に贈る
学会活動の基本は
日々の勤行・唱題だ。
地道でたゆまぬ祈りが
境涯を広げ、行動を変え
幸の未来を築いていく。
法華経題目抄 P944
『譬えば秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉華菓出来するが如し』
【通解】
たとえば、秋冬に枯れてしまった草木が、春夏の太陽にあって、枝や葉を茂らせ、花や実をつけるようなものである。
名字の言 アサガオが美しく咲く条件 2021年11月10日
"夏の花"の印象があるアサガオだが、今の時季に咲く品種もある。アサガオは、なぜ夜が明けると咲いているのか。"朝の日差しを浴びるから"と思っていたが、そうではないらしい▼アサガオのつぼみは、光を当て続けた状態だと開かない。また、ずっとあたたかな所に置いても開きにくくなる。"闇"や"冷たさ"に触れてこそ美しい花が咲く(貝原純子著『アサガオのすいみん時間』さ・え・ら書房)▼先日入会した友と懇談した。以前の彼は、何をするにしても、楽しいか苦しいか、得か損かといった二元論的な捉え方しかできなかったという。「でも学会員の姿を見て、自分の浅はかさに気付いたんです」と▼友人の誘いで地区の集いに参加すると、病と闘いながら、「俺が勝つ姿を見ててくれよ!」と対話に挑む元気な壮年がいた。経済苦を抱えつつ、「一緒に福運を積もうね!」と励ましてくれる心豊かな婦人も。その生き方に感動し、彼は入会した▼御書に「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」(1143ページ)と。人生、苦しい時も楽しい時もある。大切なのは、どんな時も前に進むこと。倦まず撓まず、不屈の歩みを貫けば、試練さえ幸福の糧になる。広布の庭に咲く友の笑顔が、そう教えてくれる。
寸鉄 2021年11月10日
「一切衆生の口にうたはれ給へ」御書。若人よ職場で信頼を。仏法即社会だ
静岡県太陽の日。偉大な同志万歳!堂々の勝利で「魂の独立」30周年を荘厳
香川「師弟の日」40周年。さあ「紅の歌」高らかに!新たな共戦譜を団結固く
「御書講義」が公式HPで配信中。教学は信心の柱。心肝に染め地涌の使命を
児童虐待防止推進月間。孤立する親子ほど暴力が悪化と。地域の絆、強固に
〈社説〉 2021・11・10 あす「介護の日」
◇一人一人が"伴走者"の心で
介護が必要な家族と向き合う中で、共に広布の道を歩んでいく——本紙連載中の信仰体験「伴走者 わたしと介護」に読者から反響が寄せられている。
本年4月から始まった同連載では、これまでに実母と義母を同居で介護した友や、介護の場を在宅から施設に移した友のドラマなどを紹介。1人暮らしの親の家に毎日通ったり、泊まり込んだりする友もいれば、遠方の父母を自宅に迎えた娘夫婦も。自身が要介護の体でも、家族の協力を得ながら親を介護する女性もいた。
読者からは、「介護者の本音が載っていて共感する」「私も同じような境遇で感動した」「介護者の明るく和やかな写真に胸を打たれた」といった声が届いている。「亡き母の介護を悔やんでいたのに、記事を読み終えると私も笑顔になれた」という女性も。
このように介護体験の共有が、人々の励みにもなる。加齢や病で介護が必要な家族を抱えることは誰でもあり得るだろう。そんなとき、どこまでも相手を慈しみ支える姿は、仏法が説く「慈悲」であり、「菩薩」の姿なのである。
食事や排せつの介助など、介護には人に言えない苦労も大きい。慣れない介助に介護者の気持ちが追い付かないこともある。心身が疲弊して"共倒れ"しないよう、周りのサポートが必要だ。
昨年、埼玉県は全国初の「ケアラー支援条例」を制定した。ケアラーを「援助を必要とする親族、友人その他の身近な人に対して、無償で介護、援助」などをする人と定義し、孤立しないように社会全体で支えることを定めている。
介護での悩みには「話を聞いてくれる人がほしい」といったものも多い。ある社会福祉協議会が運営するカフェでは、介護の経験者が「スマイルサポーター」として介護者に耳を傾けている。
同連載の友も、経験豊かな同志から「いつでも呼んでください」と言われたことを感謝していた。
池田先生は「他者に尽くすことによって、他者の痛みや苦しみを、分かちあえる人になっていく。こうした"善の心"の連帯は、介護が社会化されるにつれて、家庭内にとどまらず、地域社会へと広がっていくでしょう」と語っている。
あすは「介護の日」。人生の総仕上げに寄り添う"伴走者"は、当事者家族だけではなく、私たち一人一人だと心に銘記したい。
☆青年部拝読御書 「如説修行抄」� 強敵と戦うのが法華経の行者
第6章 「末法如説修行の人を明かす」前半 (御書504ページ1行目〜9行目)
【御文】
『されば末法・今の時・法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へしぞ、誰人にても坐せ諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ三類の強敵来らん事疑い無し。
我等が本師・釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年・今日蓮は二十余年の間権理を破す其の間の大難数を知らず、仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値い給いし事なし、彼は只悪口・怨嫉計りなり、是は両度の御勘気・遠国に流罪せられ竜口の頸の座・頭の疵等其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ籠に入れられ檀那の所領を取られ御内を出だされし、是等の大難には竜樹・天台・伝教も争か及び給うべき、されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ』
【通解】
では、末法の今の時に、まさしく法華経の折伏の修行を、一体誰が経文に説かれた通りに実践してきただろうか。
誰人であっても、「法華経以外の諸経は、無得道の教えであり、堕地獄の根源である。ただ法華経だけが成仏の法である」と、声も惜しまずに叫んで、諸宗の「人」と「法」をともに折伏してごらんなさい。三類の強敵が現れることは疑いがない。
私たちの根本の師である釈尊は、生涯の中で八年の間、法華経を説いて権教を破折された。天台大師は三十年余り、伝教大師は二十年余り、そして今、日蓮は二十年余りの間、権教の理を破折してきた。その間に受けた大難は数知れない。釈尊が受けた九つの大難に及ぶか及ばないかはさておいて、恐れ多いことであるが、天台も伝教も法華経ゆえの日蓮が受けたような大難に遭うことはなかった。
彼らはただ悪口を言われ、反発や敵対を受けただけである。日蓮は、二度の処罰を受けて、伊豆と佐渡に流罪され、竜の口でも頸を斬られそうになり、小松原の法難では頭に刀傷などを受けた。そのほかに悪口を言われ、弟子たちを流罪されたり、牢に入れられたりした。また、在家の弟子は、領地を没収され、主君から追放された。これらの大難には、竜樹や天台、伝教もどうして及ぶであろうか。
従って、如説修行の法華経の行者には、三類の強敵が必ず競い起こると知りなさい。
【解説】
前章までで、不惜身命の実践には難が必然であることが説かれた。そして法華経のみを信ずることが正しい信心であることを示され、「法華経の折伏」こそが末法の時に適った実践であると、明快に論じられている。
第6章では、改めて末法に折伏を行ずれば、三類の強敵が出現するなど、大難が必ず起こることを確認しつつ、日蓮大聖人こそが末法の「如説修行の法華経の行者」であることを強調されている。
◇正義ゆえに迫害が
冒頭で、「末法の今の時に、まさしく法華経の折伏の修行を、一体誰が経文に説かれた通りに実践してきただろうか」と指摘されている。
「末法の今の時」とは、本抄の第5章で述べられているように、「権実雑乱」の時を指す。この権教と実教が入り乱れていること(権実雑乱)を正さなければ、「闘諍言訟・白法隠没(仏の教えの中で論争が絶えず、正法が見失われてしまう)」の法滅の時を迎えることは避けられない。ゆえに「諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なり」と、権実雑乱を正す折伏が重要になる。
ここで「声も惜しまずに叫んで」と示されているが、"一言でも一句でも法華経の正義を語らずにおくものか"という折伏精神こそ、大聖人直結の実践であることを深く心に留めておきたい。
そして、大聖人は誰人であっても折伏を行えば、三類の強敵が出現することは疑いないと断言される。池田先生は、その構図について「この法華経の折伏は、法を護り、民衆を救う正義の実践であるがゆえに、増上慢の勢力から迫害が生じる」と講義されている。増上慢とは、まだ覚りや徳を体得していないのに、体得したと思って慢心を起こし、他より優れていると思うことである。
続いて大聖人は、三類の強敵に遭っている御自身こそ、末法の法華経の行者であることを明示される。
大聖人は建長5年(1253年)の立宗宣言以来、本抄御執筆の文永10年(1273年)までの二十余年の間、正法・像法時代の先師たちを超える種々の大難を受けながら、諸宗を折伏されてきた。
その間の大難は、「立正安国論」提出直後に念仏者が大聖人の草庵を襲った「松葉ヶ谷の法難」、その翌年の「伊豆流罪」、東条景信らに襲撃され、傷を被られた「小松原の法難」、さらに「竜の口の法難」とそれに続く「佐渡流罪」と、まさしく「其の間の大難数を知らず」との仰せの通りであった。
大聖人は、この御自身の受難について「釈尊の九横の大難はともかくとして、天台大師も伝教大師も遭ってはいない」とつづられている。天台大師や伝教大師の場合は「悪口や怨嫉」だけであるのに対して、大聖人の場合は、権力による生命に関わる大難であり、また、門下たちも牢に入れられたり、財産を没収されたりした。
これほどの大難には「竜樹や天台、伝教もどうして及ぶであろうか」と強調されている。まさに前章までに記された「法華折伏・破権門理(法華は折伏にして、権門の理を破す)」の教えの通りに、大聖人が実践されたがゆえに起きた「法難」であった。
以上のことから大聖人は、「如説修行の法華経の行者には、三類の強敵が必ず競い起こると知りなさい」と、門下に不退転の覚悟を促されている。
◇増上慢の心とは
ここで、大聖人が何度も注意を促される「三類の強敵」について確認したい。
法華経勧持品第13の冒頭には、悪世の衆生には善根が少なく、増上慢が多いと示されている。
増上慢の者は、供養を貪り、悪の因を積み、解脱から遠ざかるとも説かれている。この増上慢の勢力の中で、正法である法華経を説けば、おのずと迫害が生じていく。勧持品では、そうした状況の中で、法華経の会座に連なった菩薩たちが、滅後悪世の娑婆世界で、いかなる大難を受けても法華経を弘通していくことを誓っている。
勧持品二十行の偈には、その誓いが示され、また菩薩への迫害の様相が説かれる。この迫害を行う者たちを、妙楽大師が三種に分けたのが「三類の強敵」、すなわち俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上慢である。その特徴を見ると、次のようになる。
第一の「俗衆増上慢」は、仏法に「無智」な在俗の人々をいい、法華経の行者を悪口し、刀や杖をもって迫害を加える。
第二の「道門増上慢」は、悪世における「邪智」にして心の諂い曲がった比丘(僧)たちのことを指す。未だ仏法の覚りを得ていないのに得たと思い込み、自義(自分勝手な説)に執着する慢心が充満している。
第三の「僭聖増上慢」は、人々から聖者のように仰がれている高僧で、普段は世間から離れたところに住み、自分の利益のみを貪り、「悪心」を抱いて、法華経の行者を陥れようとする。その手口は、国王などに向かって、法華経の行者を邪見の者であるなどと讒言し、権力者を動かして、弾圧を加えるように仕向ける。
さて、この「無智」「邪智」「悪心」という、それぞれの増上慢の心は、何によってもたらされるのか。それは「無明」である。無明とは、生命に具わる根本的な迷いのことで、特に万物が妙法の当体であることがわからない、最も根源的な無知を「元品の無明」という。正法が説かれても、それを信解できず、むしろ反発して正法を破ろうとする働きを生む。
大聖人は、「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(御書997ページ)と仰せである。第六天の魔王は、欲望にとらわれた衆生を支配し、自在に操るので「他化自在天」とも呼ばれる。
「三沢抄」には、末代の凡夫が仏になろうと修行する時に、第六天の魔王が、それを妨げようとしてさまざまな働きを起こすと仰せである(同1487・1488ページ参照)。すなわち、第六天の魔王が俗衆・道門増上慢の心を操作し、僭聖増上慢の身に入って、法華経の行者に迫害を加えるのである。
そして御書には「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(751ページ)と示されている。
妙法への「信」によって無明を打ち破れば、生命に本来的に具わる「元品の法性」が涌現する。元品の法性とは、仏が自らの生命の中に覚った万物の究極の真理のことを指す。成仏とは、この法性と無明との戦いに勝つことといえよう。
池田先生は呼び掛けられている。
「『三類の強敵』が現れるのも、『三障四魔』が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。ゆえに、いちだんと信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。勝っていける。強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない」
難が起こってこそ、私たちの信心が大聖人直結であることの証しとなる。
難と戦ってこそ、私たちの信心が一段と深まり、人々に妙法の功力を示す好機、人間革命する好機となる。
皆が強き信心を鍛え、自身の勝利の姿で栄光の11・18「学会創立記念日」を飾っていきたい。
◆池田先生の指針から
(日蓮大聖人は)最大の法難である竜の口の法難について、「竜口までもかちぬ」(御書843ページ)と仰せです。また、「今では魔王も懲りているであろう」(同、通解)とまで述べられ、あらゆる大難を乗り越えて第六天の魔王に打ち勝った凱歌の御心境を明かされています。
戸田先生はよく言われました。
「大聖人は、ありとあらゆる大難を忍ばれながら、一切衆生を救おうという大慈大悲の戦いをなされた。そして、すべての大難を勝ち越えられた。これが御本仏の実証であられる」と。
仏法は勝負です。三障四魔・三類の強敵に打ち勝ってこそ、真実の法華経の行者です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第5巻)
日々の勤行・唱題だ。
地道でたゆまぬ祈りが
境涯を広げ、行動を変え
幸の未来を築いていく。
法華経題目抄 P944
『譬えば秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉華菓出来するが如し』
【通解】
たとえば、秋冬に枯れてしまった草木が、春夏の太陽にあって、枝や葉を茂らせ、花や実をつけるようなものである。
名字の言 アサガオが美しく咲く条件 2021年11月10日
"夏の花"の印象があるアサガオだが、今の時季に咲く品種もある。アサガオは、なぜ夜が明けると咲いているのか。"朝の日差しを浴びるから"と思っていたが、そうではないらしい▼アサガオのつぼみは、光を当て続けた状態だと開かない。また、ずっとあたたかな所に置いても開きにくくなる。"闇"や"冷たさ"に触れてこそ美しい花が咲く(貝原純子著『アサガオのすいみん時間』さ・え・ら書房)▼先日入会した友と懇談した。以前の彼は、何をするにしても、楽しいか苦しいか、得か損かといった二元論的な捉え方しかできなかったという。「でも学会員の姿を見て、自分の浅はかさに気付いたんです」と▼友人の誘いで地区の集いに参加すると、病と闘いながら、「俺が勝つ姿を見ててくれよ!」と対話に挑む元気な壮年がいた。経済苦を抱えつつ、「一緒に福運を積もうね!」と励ましてくれる心豊かな婦人も。その生き方に感動し、彼は入会した▼御書に「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」(1143ページ)と。人生、苦しい時も楽しい時もある。大切なのは、どんな時も前に進むこと。倦まず撓まず、不屈の歩みを貫けば、試練さえ幸福の糧になる。広布の庭に咲く友の笑顔が、そう教えてくれる。
寸鉄 2021年11月10日
「一切衆生の口にうたはれ給へ」御書。若人よ職場で信頼を。仏法即社会だ
静岡県太陽の日。偉大な同志万歳!堂々の勝利で「魂の独立」30周年を荘厳
香川「師弟の日」40周年。さあ「紅の歌」高らかに!新たな共戦譜を団結固く
「御書講義」が公式HPで配信中。教学は信心の柱。心肝に染め地涌の使命を
児童虐待防止推進月間。孤立する親子ほど暴力が悪化と。地域の絆、強固に
〈社説〉 2021・11・10 あす「介護の日」
◇一人一人が"伴走者"の心で
介護が必要な家族と向き合う中で、共に広布の道を歩んでいく——本紙連載中の信仰体験「伴走者 わたしと介護」に読者から反響が寄せられている。
本年4月から始まった同連載では、これまでに実母と義母を同居で介護した友や、介護の場を在宅から施設に移した友のドラマなどを紹介。1人暮らしの親の家に毎日通ったり、泊まり込んだりする友もいれば、遠方の父母を自宅に迎えた娘夫婦も。自身が要介護の体でも、家族の協力を得ながら親を介護する女性もいた。
読者からは、「介護者の本音が載っていて共感する」「私も同じような境遇で感動した」「介護者の明るく和やかな写真に胸を打たれた」といった声が届いている。「亡き母の介護を悔やんでいたのに、記事を読み終えると私も笑顔になれた」という女性も。
このように介護体験の共有が、人々の励みにもなる。加齢や病で介護が必要な家族を抱えることは誰でもあり得るだろう。そんなとき、どこまでも相手を慈しみ支える姿は、仏法が説く「慈悲」であり、「菩薩」の姿なのである。
食事や排せつの介助など、介護には人に言えない苦労も大きい。慣れない介助に介護者の気持ちが追い付かないこともある。心身が疲弊して"共倒れ"しないよう、周りのサポートが必要だ。
昨年、埼玉県は全国初の「ケアラー支援条例」を制定した。ケアラーを「援助を必要とする親族、友人その他の身近な人に対して、無償で介護、援助」などをする人と定義し、孤立しないように社会全体で支えることを定めている。
介護での悩みには「話を聞いてくれる人がほしい」といったものも多い。ある社会福祉協議会が運営するカフェでは、介護の経験者が「スマイルサポーター」として介護者に耳を傾けている。
同連載の友も、経験豊かな同志から「いつでも呼んでください」と言われたことを感謝していた。
池田先生は「他者に尽くすことによって、他者の痛みや苦しみを、分かちあえる人になっていく。こうした"善の心"の連帯は、介護が社会化されるにつれて、家庭内にとどまらず、地域社会へと広がっていくでしょう」と語っている。
あすは「介護の日」。人生の総仕上げに寄り添う"伴走者"は、当事者家族だけではなく、私たち一人一人だと心に銘記したい。
☆青年部拝読御書 「如説修行抄」� 強敵と戦うのが法華経の行者
第6章 「末法如説修行の人を明かす」前半 (御書504ページ1行目〜9行目)
【御文】
『されば末法・今の時・法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へしぞ、誰人にても坐せ諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ三類の強敵来らん事疑い無し。
我等が本師・釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年・今日蓮は二十余年の間権理を破す其の間の大難数を知らず、仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値い給いし事なし、彼は只悪口・怨嫉計りなり、是は両度の御勘気・遠国に流罪せられ竜口の頸の座・頭の疵等其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ籠に入れられ檀那の所領を取られ御内を出だされし、是等の大難には竜樹・天台・伝教も争か及び給うべき、されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ』
【通解】
では、末法の今の時に、まさしく法華経の折伏の修行を、一体誰が経文に説かれた通りに実践してきただろうか。
誰人であっても、「法華経以外の諸経は、無得道の教えであり、堕地獄の根源である。ただ法華経だけが成仏の法である」と、声も惜しまずに叫んで、諸宗の「人」と「法」をともに折伏してごらんなさい。三類の強敵が現れることは疑いがない。
私たちの根本の師である釈尊は、生涯の中で八年の間、法華経を説いて権教を破折された。天台大師は三十年余り、伝教大師は二十年余り、そして今、日蓮は二十年余りの間、権教の理を破折してきた。その間に受けた大難は数知れない。釈尊が受けた九つの大難に及ぶか及ばないかはさておいて、恐れ多いことであるが、天台も伝教も法華経ゆえの日蓮が受けたような大難に遭うことはなかった。
彼らはただ悪口を言われ、反発や敵対を受けただけである。日蓮は、二度の処罰を受けて、伊豆と佐渡に流罪され、竜の口でも頸を斬られそうになり、小松原の法難では頭に刀傷などを受けた。そのほかに悪口を言われ、弟子たちを流罪されたり、牢に入れられたりした。また、在家の弟子は、領地を没収され、主君から追放された。これらの大難には、竜樹や天台、伝教もどうして及ぶであろうか。
従って、如説修行の法華経の行者には、三類の強敵が必ず競い起こると知りなさい。
【解説】
前章までで、不惜身命の実践には難が必然であることが説かれた。そして法華経のみを信ずることが正しい信心であることを示され、「法華経の折伏」こそが末法の時に適った実践であると、明快に論じられている。
第6章では、改めて末法に折伏を行ずれば、三類の強敵が出現するなど、大難が必ず起こることを確認しつつ、日蓮大聖人こそが末法の「如説修行の法華経の行者」であることを強調されている。
◇正義ゆえに迫害が
冒頭で、「末法の今の時に、まさしく法華経の折伏の修行を、一体誰が経文に説かれた通りに実践してきただろうか」と指摘されている。
「末法の今の時」とは、本抄の第5章で述べられているように、「権実雑乱」の時を指す。この権教と実教が入り乱れていること(権実雑乱)を正さなければ、「闘諍言訟・白法隠没(仏の教えの中で論争が絶えず、正法が見失われてしまう)」の法滅の時を迎えることは避けられない。ゆえに「諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なり」と、権実雑乱を正す折伏が重要になる。
ここで「声も惜しまずに叫んで」と示されているが、"一言でも一句でも法華経の正義を語らずにおくものか"という折伏精神こそ、大聖人直結の実践であることを深く心に留めておきたい。
そして、大聖人は誰人であっても折伏を行えば、三類の強敵が出現することは疑いないと断言される。池田先生は、その構図について「この法華経の折伏は、法を護り、民衆を救う正義の実践であるがゆえに、増上慢の勢力から迫害が生じる」と講義されている。増上慢とは、まだ覚りや徳を体得していないのに、体得したと思って慢心を起こし、他より優れていると思うことである。
続いて大聖人は、三類の強敵に遭っている御自身こそ、末法の法華経の行者であることを明示される。
大聖人は建長5年(1253年)の立宗宣言以来、本抄御執筆の文永10年(1273年)までの二十余年の間、正法・像法時代の先師たちを超える種々の大難を受けながら、諸宗を折伏されてきた。
その間の大難は、「立正安国論」提出直後に念仏者が大聖人の草庵を襲った「松葉ヶ谷の法難」、その翌年の「伊豆流罪」、東条景信らに襲撃され、傷を被られた「小松原の法難」、さらに「竜の口の法難」とそれに続く「佐渡流罪」と、まさしく「其の間の大難数を知らず」との仰せの通りであった。
大聖人は、この御自身の受難について「釈尊の九横の大難はともかくとして、天台大師も伝教大師も遭ってはいない」とつづられている。天台大師や伝教大師の場合は「悪口や怨嫉」だけであるのに対して、大聖人の場合は、権力による生命に関わる大難であり、また、門下たちも牢に入れられたり、財産を没収されたりした。
これほどの大難には「竜樹や天台、伝教もどうして及ぶであろうか」と強調されている。まさに前章までに記された「法華折伏・破権門理(法華は折伏にして、権門の理を破す)」の教えの通りに、大聖人が実践されたがゆえに起きた「法難」であった。
以上のことから大聖人は、「如説修行の法華経の行者には、三類の強敵が必ず競い起こると知りなさい」と、門下に不退転の覚悟を促されている。
◇増上慢の心とは
ここで、大聖人が何度も注意を促される「三類の強敵」について確認したい。
法華経勧持品第13の冒頭には、悪世の衆生には善根が少なく、増上慢が多いと示されている。
増上慢の者は、供養を貪り、悪の因を積み、解脱から遠ざかるとも説かれている。この増上慢の勢力の中で、正法である法華経を説けば、おのずと迫害が生じていく。勧持品では、そうした状況の中で、法華経の会座に連なった菩薩たちが、滅後悪世の娑婆世界で、いかなる大難を受けても法華経を弘通していくことを誓っている。
勧持品二十行の偈には、その誓いが示され、また菩薩への迫害の様相が説かれる。この迫害を行う者たちを、妙楽大師が三種に分けたのが「三類の強敵」、すなわち俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上慢である。その特徴を見ると、次のようになる。
第一の「俗衆増上慢」は、仏法に「無智」な在俗の人々をいい、法華経の行者を悪口し、刀や杖をもって迫害を加える。
第二の「道門増上慢」は、悪世における「邪智」にして心の諂い曲がった比丘(僧)たちのことを指す。未だ仏法の覚りを得ていないのに得たと思い込み、自義(自分勝手な説)に執着する慢心が充満している。
第三の「僭聖増上慢」は、人々から聖者のように仰がれている高僧で、普段は世間から離れたところに住み、自分の利益のみを貪り、「悪心」を抱いて、法華経の行者を陥れようとする。その手口は、国王などに向かって、法華経の行者を邪見の者であるなどと讒言し、権力者を動かして、弾圧を加えるように仕向ける。
さて、この「無智」「邪智」「悪心」という、それぞれの増上慢の心は、何によってもたらされるのか。それは「無明」である。無明とは、生命に具わる根本的な迷いのことで、特に万物が妙法の当体であることがわからない、最も根源的な無知を「元品の無明」という。正法が説かれても、それを信解できず、むしろ反発して正法を破ろうとする働きを生む。
大聖人は、「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(御書997ページ)と仰せである。第六天の魔王は、欲望にとらわれた衆生を支配し、自在に操るので「他化自在天」とも呼ばれる。
「三沢抄」には、末代の凡夫が仏になろうと修行する時に、第六天の魔王が、それを妨げようとしてさまざまな働きを起こすと仰せである(同1487・1488ページ参照)。すなわち、第六天の魔王が俗衆・道門増上慢の心を操作し、僭聖増上慢の身に入って、法華経の行者に迫害を加えるのである。
そして御書には「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(751ページ)と示されている。
妙法への「信」によって無明を打ち破れば、生命に本来的に具わる「元品の法性」が涌現する。元品の法性とは、仏が自らの生命の中に覚った万物の究極の真理のことを指す。成仏とは、この法性と無明との戦いに勝つことといえよう。
池田先生は呼び掛けられている。
「『三類の強敵』が現れるのも、『三障四魔』が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。ゆえに、いちだんと信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。勝っていける。強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない」
難が起こってこそ、私たちの信心が大聖人直結であることの証しとなる。
難と戦ってこそ、私たちの信心が一段と深まり、人々に妙法の功力を示す好機、人間革命する好機となる。
皆が強き信心を鍛え、自身の勝利の姿で栄光の11・18「学会創立記念日」を飾っていきたい。
◆池田先生の指針から
(日蓮大聖人は)最大の法難である竜の口の法難について、「竜口までもかちぬ」(御書843ページ)と仰せです。また、「今では魔王も懲りているであろう」(同、通解)とまで述べられ、あらゆる大難を乗り越えて第六天の魔王に打ち勝った凱歌の御心境を明かされています。
戸田先生はよく言われました。
「大聖人は、ありとあらゆる大難を忍ばれながら、一切衆生を救おうという大慈大悲の戦いをなされた。そして、すべての大難を勝ち越えられた。これが御本仏の実証であられる」と。
仏法は勝負です。三障四魔・三類の強敵に打ち勝ってこそ、真実の法華経の行者です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第5巻)
2021年11月9日火曜日
2021.11.09 わが友に贈る
信心即生活だ。
家庭や近隣や職場こそ
人間革命の舞台なり!
自らの姿を通して
信仰の輝きを放とう!
法華行者逢難事 P965
『かかる濁世には互につねにいゐあわせてひまもなく後生ねがわせ給い候へ』
【通解】
このような濁世には互いにつねに話し合って、ひまなく後世を願うようにしなさい。
名字の言 「池田先生」の四文字に込められた壮年の志 2021年11月9日
池田先生が第3代会長を辞任した後、初めて学会歌の指揮を執ったのは、1979年(昭和54年)11月16日。東京戸田記念講堂で開催された学会創立49周年を記念する本部幹部会である▼終了後、先生は、体験発表を行った北海道・天売島の壮年と記念のカメラに納まった。当時、師弟分断の画策を謀った宗門は、学会員に池田先生を「先生と呼んではいけない」と強いた。だが壮年は席上、堂々と「池田先生」と語ったのだ▼この体験を紹介した本紙の記事にも、「池田先生の指導のなかに、青年は年ではない、とあります」と掲載された。「池田先生」の四文字に、壮年の志が凝縮されていた。宗門の圧迫が激しさを増そうとも、誰はばかることのない、壮年の「池田先生」との叫びは、全国の同志の勇気を鼓舞した▼壮年のように、ただ一途に師を求め抜き、師と共に戦うことを誉れとして行動する友が至る所にいる。池田先生と一人一人との絆は固く、強い。熱い血が流れ通う。だからこそ、学会はあらゆる試練の烈風を雄々しく乗り越えてきた▼師弟とは、師の闘争に学び、それに続こうとする弟子の志と行動の中にある。学会創立の11月とは、そのゴールであり、新たな誓願へのスタートの時でもある。
寸鉄 2021年11月9日
今まで以上の努力と誠意で戦おう!—戸田先生。日々向上が人生勝利の道
広布の要、地区部長・女性部長の奮闘に拍手。地域の幸福責任者に福徳厳然
親友が側にいると困難を軽く感じるように—研究 寄り添う心が希望の光源
きょうから秋の火災予防運動。火の元を総点検。"油断"の火種を絶とう
「第6波」の山を小さくするには感染対策の徹底必要—医師。ぬかりなく
☆勝ちゆく君へ 第22回 希望そして勝利の走破を
◇大目的に生きる青春は明朗
創立の先師・牧口先生は、「大目的が確立してこそ中目的、小目的が明確になり、その方法もうまれる」と語られました。
広宣流布・立正安国という大目的に挑みながら、自他共の人間革命を遂げゆく青春が、どれほど偉大な価値を創造するか。
民衆の幸と安穏、世界の平和を祈り、一人一人と誠実に忍耐強く対話を重ねる努力から、未来を照らす英知が輝きます。結んだ友情と信頼こそ、人生と社会の宝の活力となるのです。
「我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)とは、苦難と戦う若き南条時光への御聖訓です。
君よ、地涌大願の旗高く、希望そして勝利の走破を頼みます。
◇「壁を破る」と一念を定めよ
青春にも、広布の戦いにも、「ここが勝負どころ」という険路があります。
日蓮大聖人は、「一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(同504ページ)と仰せになられました。
まず「壁を破る」と一念を定めて祈り、勇気を奮い起こして全力でぶつかるのです。
戸田先生は、よく言われた。
"「必ず勝つ」と決めるかどうかで、勝敗は決まる。これが勝負の哲学である"と。
さあ、試練に断固と打ち勝ち、「男子部の日」「女子部の日」、そして凱歌の「創立記念日」を、全世界の宝友と祝賀しよう!
(創価新報2021年10月20日付より)
☆励まし御書—人間革命の光で 自分らしく語り抜く—縁する友の心に幸福の種を
身近なテーマに即して、御書の一節と池田先生の指導を学ぶ「励まし御書」。今回のテーマは「自分らしく語り抜く」です。私たちは日々、友の幸福を願う真心と祈りを根本に、仏縁を結び広げる対話に励んでいます。自らの悩みや宿命と格闘しながらも、誓いを胸に、一歩また一歩と、勇気を奮い起こして語り抜くことが、どれほど尊く偉大な実践であるか——そのことを確信し、どんな時も、自分らしく朗らかに信念を語り抜いていく対話の精神を、御書と池田先生の指導を通し、心に刻んでいきたいと思います。(創価新報2021年10月20日付から)
◇御 文
『然どもいまだこりず候法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり』(曾谷殿御返事、1056ページ)
◇通 解
(日蓮はこの法門を申すゆえに、「忠言は耳に逆らう」との道理で流罪され、命の危険にも及んだのである。)しかしながら、いまだ懲りてはいない。譬えて言えば、法華経は種であり、仏は植え手であり、衆生は田である。
◇解 説
「曾谷殿御返事」は、建治2年(1276年)8月、日蓮大聖人が身延で著され、門下の曾谷教信、または、その一族の誰かに送られたと考えられています。
掲げた御文の直前、大聖人は、民衆の幸福のため、万人成仏の妙法を説き、諸宗の謗法を厳しく責め抜いたことにより、流罪や命に及ぶ大難に遭われたことを述べられます。
しかし、続く御文で、毅然として「然どもいまだこりず候」と仰せです。
どんなに厳しい迫害にも、ひるむこともなく、あきらめることもなく、敢然と広宣流布の大闘争を貫き通していく——この烈々たる"不屈の誓願と勇気"こそ、大聖人の御精神であると拝されます。
それに続いて、大聖人は御自身の実践について「法華経は種であり、仏は植え手であり、衆生は田である」と譬えられ、仏法における「下種」の深い意義を示されました。
どんな人の生命にも、本来、仏性が具わっています。しかし、生命が無明に覆われているとき、仏性は働きません。ゆえに、仏性を触発する「縁」が重要となります。
「南無妙法蓮華経」は、"万人を仏にする根本の仏種"であり、妙法に縁することで、無明に覆われていた仏性は働き始めます。すなわち、私たちが仏法を語ることが、相手の仏性を薫発する「仏縁」となるのです。
創価の師弟は、「いまだこりず候」との不屈の精神を受け継ぎ、いかなる状況でも、一人また一人と、縁する友の心の大地に"妙法の種"を蒔き、世界広布を切り開いてきました。
今いる場所で、勇気と負けじ魂を光らせながら、朗らかに誠実の対話を広げていきましょう。
◇小説「新・人間革命」より
(聖教新聞社の編集室で、山本伸一が語ります)
日蓮大聖人は、何度も命を狙われ、流罪になっても、微動だにすることなく、『然どもいまだこりず候』(御書1056ページ)と、一歩も引かれることはなかった。その御言葉には、天をも焦がさんばかりの、燃え立つ執念の炎がある。それが、広宣流布の勝負を決する力なんだよ。
執念とは、決して、あきらめることなく突き進む忍耐力であり、粘り強さです。最後の最後まで、ますます闘魂を燃え上がらせて戦う敢闘精神です。何ものも恐れぬ勇気です。
戦おうよ。ぼくと一緒に。そして、歴史を創ろうよ。
時は、瞬く間に過ぎていってしまう。人生というのは、思いのほか、短いものだ。だから、今こそ、広宣流布の舞台に躍り出なければ、戦うべき時を逸してしまう。私は、いつも本気なんです。
今生の最高の思い出となり、財産となるのは、自分の生命に刻んできた行動の歴史だ。青年ならば、壮大な広宣流布のロマンに生き抜いていくんだよ。
(第24巻「灯台」の章)
◇御 文
『須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき』(持妙法華問答抄、467ページ)
◇通 解
ともかく全魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めることこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである。
◇解 説
「持妙法華問答抄」は、題号に示される通り、妙法蓮華経を持つことが、すべての人の成仏の道であることを、五つの問答形式をもって教えられている御書です。御執筆の時期や宛先については、詳しく分かっていません。
掲げた御文は、本抄の結びの一節であり、日蓮大聖人はここで、妙法を"自らも唱え、周囲の人にも弘めていくこと"が、人生の最高の思い出となると仰せです。
この直前の箇所で、大聖人は法華経に説かれる「現世安穏・後生善処」(現世は安穏であり、来世は良いところに生まれる)との文を示され、妙法によって自らの胸中に仏界を涌現し、いかなる苦難にも負けない大境涯を築いていくことで、今世だけではなく、三世永遠にわたる生命の幸福勝利の道を開いていけることを教えられています。
だからこそ、偉大な妙法に巡りあうことができた"現在の人生"が、どれほど尊く、かけがえのない一生であるか——大事なことは、その深い自覚をもって、目の前の一瞬一瞬を大切に、自身の人間革命に挑み、広布に尽くしていくことです。
そのための実践とは、決して特別なことではなく、御文に仰せの「須く心を一にして」、すなわち、ともかく一生懸命に、妙法を唱え、語り弘めていくことに他なりません。しかし、この一歩一歩の勇気の挑戦こそ、生命に限りない大福運を積み、わが人生を、永遠にわたる幸福勝利を開きゆく"大歓喜の人生"と荘厳する、尊く偉大な実践なのです。
凱歌の秋を飾りゆく最重要の今、自分らしく仏縁を広げながら、立正安国の勝利を築いていきましょう。
◇小説「新・人間革命」より
信心、学会活動は何のためか——それは広宣流布、立正安国のためである。そして、その根本目的は、自分自身の幸福のためである。唱題とともに、広宣流布、立正安国の実現への実践があってこそ、自身の生命の躍動も、歓喜も、人間革命も、宿命の転換もある。(中略)
秋田県幹部会で伸一は、"人生の最も深い思い出とは何か"に言及していった。
「人それぞれに、さまざまな思い出がありますが、普通、それは、歳月とともに薄らいでいってしまうものです。しかし、信心修行の思い出は、意識するにせよ、無意識にせよ、未来永劫の最高の思い出として残っていきます。広宣流布の活動は、因果の理法のうえから、永遠の幸福への歩みであり、歓喜と躍動の思い出として、最も深く生命に刻印されていくからです」
まさに、「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467ページ)と、御聖訓に仰せの通りである。
(第30巻<下>「勝ち鬨」の章)
家庭や近隣や職場こそ
人間革命の舞台なり!
自らの姿を通して
信仰の輝きを放とう!
法華行者逢難事 P965
『かかる濁世には互につねにいゐあわせてひまもなく後生ねがわせ給い候へ』
【通解】
このような濁世には互いにつねに話し合って、ひまなく後世を願うようにしなさい。
名字の言 「池田先生」の四文字に込められた壮年の志 2021年11月9日
池田先生が第3代会長を辞任した後、初めて学会歌の指揮を執ったのは、1979年(昭和54年)11月16日。東京戸田記念講堂で開催された学会創立49周年を記念する本部幹部会である▼終了後、先生は、体験発表を行った北海道・天売島の壮年と記念のカメラに納まった。当時、師弟分断の画策を謀った宗門は、学会員に池田先生を「先生と呼んではいけない」と強いた。だが壮年は席上、堂々と「池田先生」と語ったのだ▼この体験を紹介した本紙の記事にも、「池田先生の指導のなかに、青年は年ではない、とあります」と掲載された。「池田先生」の四文字に、壮年の志が凝縮されていた。宗門の圧迫が激しさを増そうとも、誰はばかることのない、壮年の「池田先生」との叫びは、全国の同志の勇気を鼓舞した▼壮年のように、ただ一途に師を求め抜き、師と共に戦うことを誉れとして行動する友が至る所にいる。池田先生と一人一人との絆は固く、強い。熱い血が流れ通う。だからこそ、学会はあらゆる試練の烈風を雄々しく乗り越えてきた▼師弟とは、師の闘争に学び、それに続こうとする弟子の志と行動の中にある。学会創立の11月とは、そのゴールであり、新たな誓願へのスタートの時でもある。
寸鉄 2021年11月9日
今まで以上の努力と誠意で戦おう!—戸田先生。日々向上が人生勝利の道
広布の要、地区部長・女性部長の奮闘に拍手。地域の幸福責任者に福徳厳然
親友が側にいると困難を軽く感じるように—研究 寄り添う心が希望の光源
きょうから秋の火災予防運動。火の元を総点検。"油断"の火種を絶とう
「第6波」の山を小さくするには感染対策の徹底必要—医師。ぬかりなく
☆勝ちゆく君へ 第22回 希望そして勝利の走破を
◇大目的に生きる青春は明朗
創立の先師・牧口先生は、「大目的が確立してこそ中目的、小目的が明確になり、その方法もうまれる」と語られました。
広宣流布・立正安国という大目的に挑みながら、自他共の人間革命を遂げゆく青春が、どれほど偉大な価値を創造するか。
民衆の幸と安穏、世界の平和を祈り、一人一人と誠実に忍耐強く対話を重ねる努力から、未来を照らす英知が輝きます。結んだ友情と信頼こそ、人生と社会の宝の活力となるのです。
「我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)とは、苦難と戦う若き南条時光への御聖訓です。
君よ、地涌大願の旗高く、希望そして勝利の走破を頼みます。
◇「壁を破る」と一念を定めよ
青春にも、広布の戦いにも、「ここが勝負どころ」という険路があります。
日蓮大聖人は、「一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(同504ページ)と仰せになられました。
まず「壁を破る」と一念を定めて祈り、勇気を奮い起こして全力でぶつかるのです。
戸田先生は、よく言われた。
"「必ず勝つ」と決めるかどうかで、勝敗は決まる。これが勝負の哲学である"と。
さあ、試練に断固と打ち勝ち、「男子部の日」「女子部の日」、そして凱歌の「創立記念日」を、全世界の宝友と祝賀しよう!
(創価新報2021年10月20日付より)
☆励まし御書—人間革命の光で 自分らしく語り抜く—縁する友の心に幸福の種を
身近なテーマに即して、御書の一節と池田先生の指導を学ぶ「励まし御書」。今回のテーマは「自分らしく語り抜く」です。私たちは日々、友の幸福を願う真心と祈りを根本に、仏縁を結び広げる対話に励んでいます。自らの悩みや宿命と格闘しながらも、誓いを胸に、一歩また一歩と、勇気を奮い起こして語り抜くことが、どれほど尊く偉大な実践であるか——そのことを確信し、どんな時も、自分らしく朗らかに信念を語り抜いていく対話の精神を、御書と池田先生の指導を通し、心に刻んでいきたいと思います。(創価新報2021年10月20日付から)
◇御 文
『然どもいまだこりず候法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり』(曾谷殿御返事、1056ページ)
◇通 解
(日蓮はこの法門を申すゆえに、「忠言は耳に逆らう」との道理で流罪され、命の危険にも及んだのである。)しかしながら、いまだ懲りてはいない。譬えて言えば、法華経は種であり、仏は植え手であり、衆生は田である。
◇解 説
「曾谷殿御返事」は、建治2年(1276年)8月、日蓮大聖人が身延で著され、門下の曾谷教信、または、その一族の誰かに送られたと考えられています。
掲げた御文の直前、大聖人は、民衆の幸福のため、万人成仏の妙法を説き、諸宗の謗法を厳しく責め抜いたことにより、流罪や命に及ぶ大難に遭われたことを述べられます。
しかし、続く御文で、毅然として「然どもいまだこりず候」と仰せです。
どんなに厳しい迫害にも、ひるむこともなく、あきらめることもなく、敢然と広宣流布の大闘争を貫き通していく——この烈々たる"不屈の誓願と勇気"こそ、大聖人の御精神であると拝されます。
それに続いて、大聖人は御自身の実践について「法華経は種であり、仏は植え手であり、衆生は田である」と譬えられ、仏法における「下種」の深い意義を示されました。
どんな人の生命にも、本来、仏性が具わっています。しかし、生命が無明に覆われているとき、仏性は働きません。ゆえに、仏性を触発する「縁」が重要となります。
「南無妙法蓮華経」は、"万人を仏にする根本の仏種"であり、妙法に縁することで、無明に覆われていた仏性は働き始めます。すなわち、私たちが仏法を語ることが、相手の仏性を薫発する「仏縁」となるのです。
創価の師弟は、「いまだこりず候」との不屈の精神を受け継ぎ、いかなる状況でも、一人また一人と、縁する友の心の大地に"妙法の種"を蒔き、世界広布を切り開いてきました。
今いる場所で、勇気と負けじ魂を光らせながら、朗らかに誠実の対話を広げていきましょう。
◇小説「新・人間革命」より
(聖教新聞社の編集室で、山本伸一が語ります)
日蓮大聖人は、何度も命を狙われ、流罪になっても、微動だにすることなく、『然どもいまだこりず候』(御書1056ページ)と、一歩も引かれることはなかった。その御言葉には、天をも焦がさんばかりの、燃え立つ執念の炎がある。それが、広宣流布の勝負を決する力なんだよ。
執念とは、決して、あきらめることなく突き進む忍耐力であり、粘り強さです。最後の最後まで、ますます闘魂を燃え上がらせて戦う敢闘精神です。何ものも恐れぬ勇気です。
戦おうよ。ぼくと一緒に。そして、歴史を創ろうよ。
時は、瞬く間に過ぎていってしまう。人生というのは、思いのほか、短いものだ。だから、今こそ、広宣流布の舞台に躍り出なければ、戦うべき時を逸してしまう。私は、いつも本気なんです。
今生の最高の思い出となり、財産となるのは、自分の生命に刻んできた行動の歴史だ。青年ならば、壮大な広宣流布のロマンに生き抜いていくんだよ。
(第24巻「灯台」の章)
◇御 文
『須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき』(持妙法華問答抄、467ページ)
◇通 解
ともかく全魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めることこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである。
◇解 説
「持妙法華問答抄」は、題号に示される通り、妙法蓮華経を持つことが、すべての人の成仏の道であることを、五つの問答形式をもって教えられている御書です。御執筆の時期や宛先については、詳しく分かっていません。
掲げた御文は、本抄の結びの一節であり、日蓮大聖人はここで、妙法を"自らも唱え、周囲の人にも弘めていくこと"が、人生の最高の思い出となると仰せです。
この直前の箇所で、大聖人は法華経に説かれる「現世安穏・後生善処」(現世は安穏であり、来世は良いところに生まれる)との文を示され、妙法によって自らの胸中に仏界を涌現し、いかなる苦難にも負けない大境涯を築いていくことで、今世だけではなく、三世永遠にわたる生命の幸福勝利の道を開いていけることを教えられています。
だからこそ、偉大な妙法に巡りあうことができた"現在の人生"が、どれほど尊く、かけがえのない一生であるか——大事なことは、その深い自覚をもって、目の前の一瞬一瞬を大切に、自身の人間革命に挑み、広布に尽くしていくことです。
そのための実践とは、決して特別なことではなく、御文に仰せの「須く心を一にして」、すなわち、ともかく一生懸命に、妙法を唱え、語り弘めていくことに他なりません。しかし、この一歩一歩の勇気の挑戦こそ、生命に限りない大福運を積み、わが人生を、永遠にわたる幸福勝利を開きゆく"大歓喜の人生"と荘厳する、尊く偉大な実践なのです。
凱歌の秋を飾りゆく最重要の今、自分らしく仏縁を広げながら、立正安国の勝利を築いていきましょう。
◇小説「新・人間革命」より
信心、学会活動は何のためか——それは広宣流布、立正安国のためである。そして、その根本目的は、自分自身の幸福のためである。唱題とともに、広宣流布、立正安国の実現への実践があってこそ、自身の生命の躍動も、歓喜も、人間革命も、宿命の転換もある。(中略)
秋田県幹部会で伸一は、"人生の最も深い思い出とは何か"に言及していった。
「人それぞれに、さまざまな思い出がありますが、普通、それは、歳月とともに薄らいでいってしまうものです。しかし、信心修行の思い出は、意識するにせよ、無意識にせよ、未来永劫の最高の思い出として残っていきます。広宣流布の活動は、因果の理法のうえから、永遠の幸福への歩みであり、歓喜と躍動の思い出として、最も深く生命に刻印されていくからです」
まさに、「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467ページ)と、御聖訓に仰せの通りである。
(第30巻<下>「勝ち鬨」の章)
2021年11月8日月曜日
2021.11.08 わが友に贈る
◇今週のことば
歓喜と祝賀の座談会だ。
「ほむれば弥功徳まさる」
陰の功労の宝友も
尊き副役職のリーダーも
皆で讃え合い新出発を!
2021年11月8日
大悪大善御書 P1300
『上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか』
【通解】
上行菩薩が大地から出現された時には、踊って出現されたのである。
名字の言 沖縄・糸満の漁師が開発した「ミーカガン」 2021年11月8日
沖縄の漁師の多くはかつて、裸眼で潜水漁を行っていたため、目に損傷を負い、視力の低下にも悩まされた。その対策として、糸満の漁師であった玉城保太郎氏は、「ミーカガン」と呼ばれる水中メガネを開発した▼漁師の負担は劇的に改善し、漁獲量も飛躍的に増加。氏の水産業への功労は国からもたたえられる。この「ミーカガン」は競泳用ゴーグルの原型ともいわれ、水泳界にも影響を与えた。氏の偉業は漁師の生活を支えるだけでなく、他の分野の発展にも貢献した▼仏法では、眼が清らかになることで物事の本質を見抜く「眼根清浄」を説く。富山大学の眼科学教授である林篤志氏は、人生経験や努力の積み重ねで、実際に物の見え方が変わる可能性を指摘している(本紙10月2日付)▼24歳の入会以来、広布一筋に駆けてきた糸満の壮年部員は64歳の時、脳出血で倒れ、生死をさまよった。"目覚めても寝たきりでしょう"との医師の宣告を覆し、壮年は蘇生する。入会40年目に襲った大病を越え、「景色が一変した」と。壮年が語る生きることの感動と感謝は、多くの友に日々の大切さへの目を開かせた▼心をどの方向に開いていくか。それによって人生は大きく変わる。まさに目は心の窓である。
寸鉄 2021年11月8日
希望広げる創価の青年の対話は頼もしい―博士。人類結ぶ使命へ誇り高く
奈良の日。万葉の天地に共戦の人材群は澎湃と。「理想の都」建設へ心新た
「法自ら弘まらず」御書。故に今いる場所で後継の大河を。真心の激励益々
少しずつでも続ければ進歩に―作家。今日も前進の息吹で。11・18まで10日
SNSの消費者トラブル10、20代で増加。簡単に稼げる話は罠。噓見抜け
〈社説〉 2021・11・8 「秋季全国火災予防運動」
◇"いざ"に備える防災意識革命
かつて江戸の町は、火災が頻発した災害都市だった。江戸時代の270年間で、約50回もの大火が起きている。
約7万人が犠牲となった「明暦の大火」(1657年)もその一つ。80日近くも雨が降らず、強い風が吹く中、木造家屋が密集する町々は灰燼に帰した。
約60年後、現在の消防団のルーツである「町火消」が誕生。また家ごとに手桶に水をくんで軒につるすことや、火元の者は声を上げて、町内の人々は駆け付けて消火することが徹底されたという。
「火事は江戸の花」といわれるが、この言葉は消防の華やかな活躍ぶりを表現したものだ。消防技術も都市防災も発展途上の時代の話とはいえ、いざという時に備える意識と知恵は、現代の私たちも学んでいきたい。
あすは「119番の日」。この日から15日まで「秋季全国火災予防運動」が実施される。
消防庁の発表によると、令和2年中に全国で発生した火災は約3万4000件。このうち、住宅火災はおよそ1万件を占める。
住宅火災で人が亡くなったケースでは、「体が不自由」「熟睡していた」等の理由による"逃げ遅れ"が全体の半数を超え、最多の原因となっている。
逃げ遅れを防ぐために「住宅用火災警報器」を適切な場所に設置するなど、最低限の策は施す必要がある。ある事例では、1階の台所から出火。2階で就寝中の居住者が階段に設置していた住宅用火災警報器の音に気付いて119番通報し、駆けつけた消防隊によって避難できたという。
消防庁が推進する火災を起こさないための「住宅防火 いのちを守る 10のポイント」を確認しておきたい(詳細は総務省ホームページ等を参照)。
池田先生は「『無事故』こそ『幸福』の条件である。火災や交通事故などには、くれぐれも気を付けていただきたい。事故をなくすには、一人一人の『意識革命』が大切である」と述べている。
火災による被害をなくすために今も昔も変わらないことは、火災が起きる原因を知り、日頃から注意すること。そして万が一、出火したときにどのように行動すべきかを覚えておくことだろう。防災意識の革命を進め、明年を絶対無事故で迎えたい。さあ、きょうも先々の用心、火の用心を!
☆共生の地球社会へ~仏法の英知に学ぶ テーマ:子どもの権利
登場人物
【ミライさん】好奇心旺盛な女子部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇誰もが等しく尊い存在
ミライ 今月、文部科学省が発表した"児童生徒に関する調査結果"を見たんだけど、昨年度、不登校の児童生徒数が8年連続の増加となったようだね。いじめや虐待も後を絶たないし、心が痛むよ。
ホープ 子どもが、心も体も健やかに成長できる社会を築くことが大切だね。そのためにも社会の仕組みを整えなければいけない。
日本では子どもを守る法律は多くあるけれど、子どもの権利を総合的に保障する基本法がないから、不十分だという指摘があるんだ。
現在、「子ども基本法」を制定し、子どもを権利の主体として位置付けようと議論されている。
この議論の基礎にあるのが「子どもの権利条約」なんだ。1989年(平成元年)、国連で採択されてから、来月で32年を迎えるよ。
ミライ 詳しく教えて!
ホープ 子どもというのは、守られるだけの存在ではなく、大人の所有物でもない、"一人の人間として尊重されるべき主体"であると、それまでの「子ども観」を大きく変えた画期的な条約なんだ。日本は94年(同6年)に批准。現在、さまざまな人権条約の中で、最も多い196カ国・地域が締約しているよ。
◇基本理念の浸透を
ミライ この条約にはどんな内容が盛り込まれたの?
ホープ 条約では四つの一般原則を定めているよ。
まず、子どもの命が守られ、成長できるよう、医療・教育・生活への支援などを受ける「生命、生存、発達の権利」。子どもに関することが決められるときには、その子にとって最も良いことは何かを第一義に考える「最善の利益」。自由に意思を表明する「意見の尊重」。そして、人種や性別、障がいなどで差別を受けないとする「差別の禁止」。
ミライ どれも大切なことだね。
ホープ 条約の誕生以来、世界では5歳未満の死亡者数が半減し、多くの子どもが学校に通えるようになったんだ。それは、児童労働や人身売買といった問題に国際社会が一体となって取り組んだからなんだ。
一方で今も、兵士として戦うことを強いられたり、難民や移民となったりして、暴力や命の危険にさらされている子どもがいる。強制結婚や差別など、人権が守られていない子どもは決して少なくないんだ。問題の背景には、貧困や地域固有の文化などがあると指摘されているよ。
ミライ 条約の基本理念の理解・浸透を図るためには、社会の価値観を変える粘り強い啓発が必要だね。
◇尊厳性に目覚める
ホープ 創価学会は91年(同3年)から展示・講演会を通して、この条約の周知に努めてきたんだ。
旧来の価値観や常識を見つめ直す上で、法華経提婆達多品第12で明かされた「竜女の成仏」は示唆に富んでいるよ。
8歳の少女である竜女は、自分の成仏を信じない人々の前に現れ、釈尊に向かって、"苦しんでいる人々を救っていく"と誓うんだ。けれども、有名な仏弟子の舎利弗や智積という菩薩は、竜女の成仏を信じない。修行が浅いことと、幼い女性であることを理由にね。
そこで、竜女が成仏の姿を示し、人々のために法を説く光景を目にしたことで、舎利弗たちは竜女の成仏を確信したという話だよ。
ミライ "8歳の少女"の成仏――そこから、子どもや女性の生命にも等しく尊厳性が具わっていることを示したんだね。まさに価値観の大転換だね。
ホープ 竜女の成仏が一切の女性の成仏を開いたように、日蓮大聖人は、「一人を手本として、いかなる人にも等しく当てはまるのである」(御書564ページ、通解)と仰せだよ。
仏法では、万人に具わる尊極の仏の生命は、年齢や性別に左右されないと説く。だから子どもが幸せになる権利を侵害してはならないんだ。
相手の尊厳性を敬う哲学に裏打ちされた、徹底した平等観こそ人権の世紀を開く要諦だといえるよ。
ミライ そうした平等観に触れれば、きっと変化があると思う。
ホープ かつて、子ども兵士だった人が、「子どもの権利条約」の存在を初めて知った衝撃を、"私たちの生命の価値と人間性を改めて呼び覚ます"と語ったんだ。
池田先生は、このエピソードを紹介してこう述べているよ。
「『子どもの権利条約』が自らの尊厳性に目覚める源泉となり、若い世代の生きる希望の拠り所となるように、各国で条約を守る気風を確立し、社会全体に"子ども第一"の原則を根づかせていくべきであると訴えたい」(第38回「SGIの日」記念提言)
ミライ 池田先生は、子どもを"一個の人格"として尊重する大切さを一貫して示されているよね。子どもたちが自身の尊さを自覚するために、欠かせない振る舞いなんだね。
大人の社会が、子どもの姿にいろいろな形で投影されるのだから、私たちの振る舞いで範を示していこうと思う!
◇御文
『一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し』(三世諸仏総勘文教相廃立、564ページ)
◇メモ
仏法では、あらゆる人が地獄界から仏界までの十界を具えていると説きます。さらに、十界は互具しているので、仏界を基盤とする境涯を確立することができます。その意味で私たちは、生命の次元で一切平等なのです。
日蓮大聖人お一人を「手本」として、等しく万人成仏の道が示されました。この信心を貫けば、どんな人でも自身の生命を輝かせていくことができるのです。
[コラム:"いま"を知る]創価の人間教育
「子どもの権利条約」に大きな影響を与えた、20世紀ポーランドの教育者のヤヌシュ・コルチャック氏は、「子どもは今を生きているのであって、将来を生きるのではない」と考えた。子どもを"未来の担い手"とだけ捉えてしまうと、"現在"への視点が欠落しかねないとの警鐘だ。
コルチャック氏と同時代を生きた牧口先生は、教育の目的は「子どもの幸福」にあるとの信念で、『創価教育学体系』を世に問うた。当時の日本では、教育の目的は論ずるまでもなく、国家のためと考えられていた。滅私奉公を是とした社会にあって、この訴えがどれほど勇気あるものだったか。
仏法では「現当二世」を説く。現在から未来へ、今日から明日へ――。牧口先生を源流とする創価の人間教育は今日、世界で実践されている。子どもは"将来の宝"であると同時に、既に家庭や地域、社会の立派な構成員であるとのまなざしで、子どもを温かく育む教育が必要ではないか。
歓喜と祝賀の座談会だ。
「ほむれば弥功徳まさる」
陰の功労の宝友も
尊き副役職のリーダーも
皆で讃え合い新出発を!
2021年11月8日
大悪大善御書 P1300
『上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか』
【通解】
上行菩薩が大地から出現された時には、踊って出現されたのである。
名字の言 沖縄・糸満の漁師が開発した「ミーカガン」 2021年11月8日
沖縄の漁師の多くはかつて、裸眼で潜水漁を行っていたため、目に損傷を負い、視力の低下にも悩まされた。その対策として、糸満の漁師であった玉城保太郎氏は、「ミーカガン」と呼ばれる水中メガネを開発した▼漁師の負担は劇的に改善し、漁獲量も飛躍的に増加。氏の水産業への功労は国からもたたえられる。この「ミーカガン」は競泳用ゴーグルの原型ともいわれ、水泳界にも影響を与えた。氏の偉業は漁師の生活を支えるだけでなく、他の分野の発展にも貢献した▼仏法では、眼が清らかになることで物事の本質を見抜く「眼根清浄」を説く。富山大学の眼科学教授である林篤志氏は、人生経験や努力の積み重ねで、実際に物の見え方が変わる可能性を指摘している(本紙10月2日付)▼24歳の入会以来、広布一筋に駆けてきた糸満の壮年部員は64歳の時、脳出血で倒れ、生死をさまよった。"目覚めても寝たきりでしょう"との医師の宣告を覆し、壮年は蘇生する。入会40年目に襲った大病を越え、「景色が一変した」と。壮年が語る生きることの感動と感謝は、多くの友に日々の大切さへの目を開かせた▼心をどの方向に開いていくか。それによって人生は大きく変わる。まさに目は心の窓である。
寸鉄 2021年11月8日
希望広げる創価の青年の対話は頼もしい―博士。人類結ぶ使命へ誇り高く
奈良の日。万葉の天地に共戦の人材群は澎湃と。「理想の都」建設へ心新た
「法自ら弘まらず」御書。故に今いる場所で後継の大河を。真心の激励益々
少しずつでも続ければ進歩に―作家。今日も前進の息吹で。11・18まで10日
SNSの消費者トラブル10、20代で増加。簡単に稼げる話は罠。噓見抜け
〈社説〉 2021・11・8 「秋季全国火災予防運動」
◇"いざ"に備える防災意識革命
かつて江戸の町は、火災が頻発した災害都市だった。江戸時代の270年間で、約50回もの大火が起きている。
約7万人が犠牲となった「明暦の大火」(1657年)もその一つ。80日近くも雨が降らず、強い風が吹く中、木造家屋が密集する町々は灰燼に帰した。
約60年後、現在の消防団のルーツである「町火消」が誕生。また家ごとに手桶に水をくんで軒につるすことや、火元の者は声を上げて、町内の人々は駆け付けて消火することが徹底されたという。
「火事は江戸の花」といわれるが、この言葉は消防の華やかな活躍ぶりを表現したものだ。消防技術も都市防災も発展途上の時代の話とはいえ、いざという時に備える意識と知恵は、現代の私たちも学んでいきたい。
あすは「119番の日」。この日から15日まで「秋季全国火災予防運動」が実施される。
消防庁の発表によると、令和2年中に全国で発生した火災は約3万4000件。このうち、住宅火災はおよそ1万件を占める。
住宅火災で人が亡くなったケースでは、「体が不自由」「熟睡していた」等の理由による"逃げ遅れ"が全体の半数を超え、最多の原因となっている。
逃げ遅れを防ぐために「住宅用火災警報器」を適切な場所に設置するなど、最低限の策は施す必要がある。ある事例では、1階の台所から出火。2階で就寝中の居住者が階段に設置していた住宅用火災警報器の音に気付いて119番通報し、駆けつけた消防隊によって避難できたという。
消防庁が推進する火災を起こさないための「住宅防火 いのちを守る 10のポイント」を確認しておきたい(詳細は総務省ホームページ等を参照)。
池田先生は「『無事故』こそ『幸福』の条件である。火災や交通事故などには、くれぐれも気を付けていただきたい。事故をなくすには、一人一人の『意識革命』が大切である」と述べている。
火災による被害をなくすために今も昔も変わらないことは、火災が起きる原因を知り、日頃から注意すること。そして万が一、出火したときにどのように行動すべきかを覚えておくことだろう。防災意識の革命を進め、明年を絶対無事故で迎えたい。さあ、きょうも先々の用心、火の用心を!
☆共生の地球社会へ~仏法の英知に学ぶ テーマ:子どもの権利
登場人物
【ミライさん】好奇心旺盛な女子部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇誰もが等しく尊い存在
ミライ 今月、文部科学省が発表した"児童生徒に関する調査結果"を見たんだけど、昨年度、不登校の児童生徒数が8年連続の増加となったようだね。いじめや虐待も後を絶たないし、心が痛むよ。
ホープ 子どもが、心も体も健やかに成長できる社会を築くことが大切だね。そのためにも社会の仕組みを整えなければいけない。
日本では子どもを守る法律は多くあるけれど、子どもの権利を総合的に保障する基本法がないから、不十分だという指摘があるんだ。
現在、「子ども基本法」を制定し、子どもを権利の主体として位置付けようと議論されている。
この議論の基礎にあるのが「子どもの権利条約」なんだ。1989年(平成元年)、国連で採択されてから、来月で32年を迎えるよ。
ミライ 詳しく教えて!
ホープ 子どもというのは、守られるだけの存在ではなく、大人の所有物でもない、"一人の人間として尊重されるべき主体"であると、それまでの「子ども観」を大きく変えた画期的な条約なんだ。日本は94年(同6年)に批准。現在、さまざまな人権条約の中で、最も多い196カ国・地域が締約しているよ。
◇基本理念の浸透を
ミライ この条約にはどんな内容が盛り込まれたの?
ホープ 条約では四つの一般原則を定めているよ。
まず、子どもの命が守られ、成長できるよう、医療・教育・生活への支援などを受ける「生命、生存、発達の権利」。子どもに関することが決められるときには、その子にとって最も良いことは何かを第一義に考える「最善の利益」。自由に意思を表明する「意見の尊重」。そして、人種や性別、障がいなどで差別を受けないとする「差別の禁止」。
ミライ どれも大切なことだね。
ホープ 条約の誕生以来、世界では5歳未満の死亡者数が半減し、多くの子どもが学校に通えるようになったんだ。それは、児童労働や人身売買といった問題に国際社会が一体となって取り組んだからなんだ。
一方で今も、兵士として戦うことを強いられたり、難民や移民となったりして、暴力や命の危険にさらされている子どもがいる。強制結婚や差別など、人権が守られていない子どもは決して少なくないんだ。問題の背景には、貧困や地域固有の文化などがあると指摘されているよ。
ミライ 条約の基本理念の理解・浸透を図るためには、社会の価値観を変える粘り強い啓発が必要だね。
◇尊厳性に目覚める
ホープ 創価学会は91年(同3年)から展示・講演会を通して、この条約の周知に努めてきたんだ。
旧来の価値観や常識を見つめ直す上で、法華経提婆達多品第12で明かされた「竜女の成仏」は示唆に富んでいるよ。
8歳の少女である竜女は、自分の成仏を信じない人々の前に現れ、釈尊に向かって、"苦しんでいる人々を救っていく"と誓うんだ。けれども、有名な仏弟子の舎利弗や智積という菩薩は、竜女の成仏を信じない。修行が浅いことと、幼い女性であることを理由にね。
そこで、竜女が成仏の姿を示し、人々のために法を説く光景を目にしたことで、舎利弗たちは竜女の成仏を確信したという話だよ。
ミライ "8歳の少女"の成仏――そこから、子どもや女性の生命にも等しく尊厳性が具わっていることを示したんだね。まさに価値観の大転換だね。
ホープ 竜女の成仏が一切の女性の成仏を開いたように、日蓮大聖人は、「一人を手本として、いかなる人にも等しく当てはまるのである」(御書564ページ、通解)と仰せだよ。
仏法では、万人に具わる尊極の仏の生命は、年齢や性別に左右されないと説く。だから子どもが幸せになる権利を侵害してはならないんだ。
相手の尊厳性を敬う哲学に裏打ちされた、徹底した平等観こそ人権の世紀を開く要諦だといえるよ。
ミライ そうした平等観に触れれば、きっと変化があると思う。
ホープ かつて、子ども兵士だった人が、「子どもの権利条約」の存在を初めて知った衝撃を、"私たちの生命の価値と人間性を改めて呼び覚ます"と語ったんだ。
池田先生は、このエピソードを紹介してこう述べているよ。
「『子どもの権利条約』が自らの尊厳性に目覚める源泉となり、若い世代の生きる希望の拠り所となるように、各国で条約を守る気風を確立し、社会全体に"子ども第一"の原則を根づかせていくべきであると訴えたい」(第38回「SGIの日」記念提言)
ミライ 池田先生は、子どもを"一個の人格"として尊重する大切さを一貫して示されているよね。子どもたちが自身の尊さを自覚するために、欠かせない振る舞いなんだね。
大人の社会が、子どもの姿にいろいろな形で投影されるのだから、私たちの振る舞いで範を示していこうと思う!
◇御文
『一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し』(三世諸仏総勘文教相廃立、564ページ)
◇メモ
仏法では、あらゆる人が地獄界から仏界までの十界を具えていると説きます。さらに、十界は互具しているので、仏界を基盤とする境涯を確立することができます。その意味で私たちは、生命の次元で一切平等なのです。
日蓮大聖人お一人を「手本」として、等しく万人成仏の道が示されました。この信心を貫けば、どんな人でも自身の生命を輝かせていくことができるのです。
[コラム:"いま"を知る]創価の人間教育
「子どもの権利条約」に大きな影響を与えた、20世紀ポーランドの教育者のヤヌシュ・コルチャック氏は、「子どもは今を生きているのであって、将来を生きるのではない」と考えた。子どもを"未来の担い手"とだけ捉えてしまうと、"現在"への視点が欠落しかねないとの警鐘だ。
コルチャック氏と同時代を生きた牧口先生は、教育の目的は「子どもの幸福」にあるとの信念で、『創価教育学体系』を世に問うた。当時の日本では、教育の目的は論ずるまでもなく、国家のためと考えられていた。滅私奉公を是とした社会にあって、この訴えがどれほど勇気あるものだったか。
仏法では「現当二世」を説く。現在から未来へ、今日から明日へ――。牧口先生を源流とする創価の人間教育は今日、世界で実践されている。子どもは"将来の宝"であると同時に、既に家庭や地域、社会の立派な構成員であるとのまなざしで、子どもを温かく育む教育が必要ではないか。
2021年11月7日日曜日
2021.11.07 わが友に贈る
悩んでいる人はいないか
行き詰まっていないか。
心のアンテナを高く張り
友の声に耳を傾けよう!
同苦こそ最大の励ましだ。
諸法実相抄 P1360
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』
【通解】
初めは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えたのである。未来もまた同じであろう。これこそ、まさしく、地涌の義ではないだろうか。そればかりか、広宣流布の時には、日本国一同に南無妙法蓮華経と唱えることは、大地を的として弓を射ることのように、確かなことであろう。
名字の言 釈尊が臨終の際に残した言葉 2021年11月7日
釈尊が臨終の際に残した言葉は、「もろもろの事象は過ぎ去るものである」(『ブッダ最後の旅』中村元訳、岩波文庫)▼ただし、ただ過ぎ去るだけでなく、物事は常に良くもなれば悪くもなるという「変化の可能性」を持っている。未来は、予定調和の固定されたものではなく、一進一退を繰り返す"現在の攻防戦"の中から生み出されていく▼福島県の温泉街で長年、飲食店を営む夫婦がいる。バブル崩壊や原発事故による風評被害など、幾多の不況の波に襲われた。現在のコロナ禍でも休業を余儀なくされた。"これでもか"と迫り来る試練に、夫妻は信心で立ち向かってきた▼2カ月前に営業を再開。まだ苦境の渦中だが、妻は商工会女性部長として、同じように苦しむ友に寄り添う。養蜂も手掛ける夫は、蜂の伝染病である「腐蛆病」を乗り越え、県の品評会で最高賞に輝いた。夫妻の不屈の姿に、地域から大きな信頼が寄せられている▼冒頭の釈尊の言葉には続きがある。「怠ることなく修行を完成しなさい」。順風の時に油断せず、逆風の時に決して諦めず、どんな時も御本尊を抱き締めるように祈り、前へ前へと進む。"現在の攻防戦"に信心根本に立ち向かう人に、乗り越えられない壁はない。
寸鉄 2021年11月7日
会長の思想は人類を絶え間なく調和へと導く光—教授。同時代に学ぶ誉れ
東京女性部の日。民衆凱歌は本陣の太陽ありて。さあ皆で本年の総仕上げ
東京・大田「正義の日」。師弟源流の天地に人材は二陣三陣。永遠に模範と
周囲と関わり、感謝できる人ほど幸せを実感と。友情育む学会活動は王道
きょう立冬。寒風の中も使命に胸張る無冠の友に最敬礼。呉々も無事故で
☆対話のツボ 【問い】何かに"すがる"ようで、祈ることに抵抗があります。
日本人にとって「祈る」という行為は、"無病息災や商売繁盛をお願いする"ように、"すがる"というイメージが強いかもしれません。それはどこか、「自力」よりも「他力」に頼る、受動的な行為に映り、抵抗を感じる人もいます。
日蓮大聖人の仏法は、決して"すがる"ものでもなければ、ましてや"気休め"でもありません。どこまでいっても、主体的に人生を勝利していくためのものです。
仏法では、誰にでも「仏性」という偉大な仏の生命が具わっていると説きます。それは、一人一人に無限の可能性が秘められていることを示しています。
唱題は、あきらめや、弱気になりそうな心を打ち破り、自身に具わる可能性を信じ抜く実践です。それは"何があっても必ず勝ち越えてみせる"と、信心の一念を鍛えゆく戦いなのです。
多くの学会員は、「祈りとしてかなわざるなし」と、"すがる"とは対極にあるような祈りを重ね、地域や社会で信頼の実証を示しています。
池田先生は「誰もが本来は希望の当体なのです。希望を自ら生み出す原動力こそ、法華経の肝心たる『南無妙法蓮華経』の唱題行です。題目の力は無限だからです。題目を唱えた瞬間から、自身の一念を変革し、希望の明日を創り開いていけるのです」とつづっています。
どんな時も明るく、力強く生きていく学会員の"エンジン"——。それが「祈り」なのです。
☆大学校生とナットクTALK テーマ:対話で大切なこと
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回は「対話で大切なこと」。「口下手で友人とうまく話すことができない」と悩む勝又ニュー・リーダーに中村団長が伝えたいこととは——。
テーマ:対話で大切なこと
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。34歳。
勝又ニュー・リーダー 穏やかな性格で、仲間の大学校生からも好かれる。23歳。
Q口下手で、上手に話せません
A真心は必ず伝わる
中村区男子部大学校団長 今日も会合への参加、ありがとう。「友人と対話してきた」と話してくれていたよね。充実の対話になったかな?
勝又ニュー・リーダー はい……。友人と会うことはできたのですが、実は、あまり会話が弾まなくて。学会のことや信心のことを、上手に説明できませんでした。やっぱり、対話って難しいなと思いました。
中村 勝又君は、友人のことを思って対話したんだから、その行動自体が、本当に尊いことなんだよ。
勝又 僕は口下手で、人と話すことが苦手です。どうしたら、中村団長みたいに、上手に話ができるようになるでしょうか。
中村 僕も昔は、話そうと思ったことをほとんど話せなくて、落ち込んでばかりだったんだよ。
勝又 本当ですか!? 嫌になることはなかったんですか。
中村 先輩に励ましてもらって、一人また一人と、対話に挑戦していく中で気付いたんだ。対話で大切なのは「上手に話すこと」ではないし、背伸びをしたり身構えたりして話すことでもないって。
勝又 では、何が大切なんですか。
中村 御書には「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(563ページ)とある。対話は、相手を思う真心こそが大切なんだと思う。僕も、最初の対話で"うまく話せなかった"と思う友人へ、年賀状を送ったり、折に触れて連絡を取ったりする中で、友人の方から悩みを打ち明けてくれるようになった。"真心は相手に届くんだ"と実感したよ。
勝又 そんなことがあったんですか。いろんな形で関わり続けていることも、すごいなと思います。
中村 使命があって広げた仏縁だからね。だからこそ友人と会う前はいつも、「真心が通じますように」って相手のことをしっかり祈る。すると勇気がわく。池田先生は「勇気をもって語っておけば、その人の生命の大地には仏種が植えられる。それは、いつか必ず花開く時が来る」と言われている。僕自身も、大学校生のみんなの頑張る姿から勇気をもらっているんだ。
勝又 確かに、今日の会合で、みんなの挑戦を知って、僕も励まされました。"自分は一人ぼっちじゃないんだ"って思うと、元気が出ます。
中村 うん。勝又君の言う通りだ。皆で互いに励まし合い、それぞれの人間革命を懸けて、堂々と、朗らかに、勝利の金字塔を打ち立てよう!
行き詰まっていないか。
心のアンテナを高く張り
友の声に耳を傾けよう!
同苦こそ最大の励ましだ。
諸法実相抄 P1360
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』
【通解】
初めは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えたのである。未来もまた同じであろう。これこそ、まさしく、地涌の義ではないだろうか。そればかりか、広宣流布の時には、日本国一同に南無妙法蓮華経と唱えることは、大地を的として弓を射ることのように、確かなことであろう。
名字の言 釈尊が臨終の際に残した言葉 2021年11月7日
釈尊が臨終の際に残した言葉は、「もろもろの事象は過ぎ去るものである」(『ブッダ最後の旅』中村元訳、岩波文庫)▼ただし、ただ過ぎ去るだけでなく、物事は常に良くもなれば悪くもなるという「変化の可能性」を持っている。未来は、予定調和の固定されたものではなく、一進一退を繰り返す"現在の攻防戦"の中から生み出されていく▼福島県の温泉街で長年、飲食店を営む夫婦がいる。バブル崩壊や原発事故による風評被害など、幾多の不況の波に襲われた。現在のコロナ禍でも休業を余儀なくされた。"これでもか"と迫り来る試練に、夫妻は信心で立ち向かってきた▼2カ月前に営業を再開。まだ苦境の渦中だが、妻は商工会女性部長として、同じように苦しむ友に寄り添う。養蜂も手掛ける夫は、蜂の伝染病である「腐蛆病」を乗り越え、県の品評会で最高賞に輝いた。夫妻の不屈の姿に、地域から大きな信頼が寄せられている▼冒頭の釈尊の言葉には続きがある。「怠ることなく修行を完成しなさい」。順風の時に油断せず、逆風の時に決して諦めず、どんな時も御本尊を抱き締めるように祈り、前へ前へと進む。"現在の攻防戦"に信心根本に立ち向かう人に、乗り越えられない壁はない。
寸鉄 2021年11月7日
会長の思想は人類を絶え間なく調和へと導く光—教授。同時代に学ぶ誉れ
東京女性部の日。民衆凱歌は本陣の太陽ありて。さあ皆で本年の総仕上げ
東京・大田「正義の日」。師弟源流の天地に人材は二陣三陣。永遠に模範と
周囲と関わり、感謝できる人ほど幸せを実感と。友情育む学会活動は王道
きょう立冬。寒風の中も使命に胸張る無冠の友に最敬礼。呉々も無事故で
☆対話のツボ 【問い】何かに"すがる"ようで、祈ることに抵抗があります。
日本人にとって「祈る」という行為は、"無病息災や商売繁盛をお願いする"ように、"すがる"というイメージが強いかもしれません。それはどこか、「自力」よりも「他力」に頼る、受動的な行為に映り、抵抗を感じる人もいます。
日蓮大聖人の仏法は、決して"すがる"ものでもなければ、ましてや"気休め"でもありません。どこまでいっても、主体的に人生を勝利していくためのものです。
仏法では、誰にでも「仏性」という偉大な仏の生命が具わっていると説きます。それは、一人一人に無限の可能性が秘められていることを示しています。
唱題は、あきらめや、弱気になりそうな心を打ち破り、自身に具わる可能性を信じ抜く実践です。それは"何があっても必ず勝ち越えてみせる"と、信心の一念を鍛えゆく戦いなのです。
多くの学会員は、「祈りとしてかなわざるなし」と、"すがる"とは対極にあるような祈りを重ね、地域や社会で信頼の実証を示しています。
池田先生は「誰もが本来は希望の当体なのです。希望を自ら生み出す原動力こそ、法華経の肝心たる『南無妙法蓮華経』の唱題行です。題目の力は無限だからです。題目を唱えた瞬間から、自身の一念を変革し、希望の明日を創り開いていけるのです」とつづっています。
どんな時も明るく、力強く生きていく学会員の"エンジン"——。それが「祈り」なのです。
☆大学校生とナットクTALK テーマ:対話で大切なこと
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回は「対話で大切なこと」。「口下手で友人とうまく話すことができない」と悩む勝又ニュー・リーダーに中村団長が伝えたいこととは——。
テーマ:対話で大切なこと
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。34歳。
勝又ニュー・リーダー 穏やかな性格で、仲間の大学校生からも好かれる。23歳。
Q口下手で、上手に話せません
A真心は必ず伝わる
中村区男子部大学校団長 今日も会合への参加、ありがとう。「友人と対話してきた」と話してくれていたよね。充実の対話になったかな?
勝又ニュー・リーダー はい……。友人と会うことはできたのですが、実は、あまり会話が弾まなくて。学会のことや信心のことを、上手に説明できませんでした。やっぱり、対話って難しいなと思いました。
中村 勝又君は、友人のことを思って対話したんだから、その行動自体が、本当に尊いことなんだよ。
勝又 僕は口下手で、人と話すことが苦手です。どうしたら、中村団長みたいに、上手に話ができるようになるでしょうか。
中村 僕も昔は、話そうと思ったことをほとんど話せなくて、落ち込んでばかりだったんだよ。
勝又 本当ですか!? 嫌になることはなかったんですか。
中村 先輩に励ましてもらって、一人また一人と、対話に挑戦していく中で気付いたんだ。対話で大切なのは「上手に話すこと」ではないし、背伸びをしたり身構えたりして話すことでもないって。
勝又 では、何が大切なんですか。
中村 御書には「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(563ページ)とある。対話は、相手を思う真心こそが大切なんだと思う。僕も、最初の対話で"うまく話せなかった"と思う友人へ、年賀状を送ったり、折に触れて連絡を取ったりする中で、友人の方から悩みを打ち明けてくれるようになった。"真心は相手に届くんだ"と実感したよ。
勝又 そんなことがあったんですか。いろんな形で関わり続けていることも、すごいなと思います。
中村 使命があって広げた仏縁だからね。だからこそ友人と会う前はいつも、「真心が通じますように」って相手のことをしっかり祈る。すると勇気がわく。池田先生は「勇気をもって語っておけば、その人の生命の大地には仏種が植えられる。それは、いつか必ず花開く時が来る」と言われている。僕自身も、大学校生のみんなの頑張る姿から勇気をもらっているんだ。
勝又 確かに、今日の会合で、みんなの挑戦を知って、僕も励まされました。"自分は一人ぼっちじゃないんだ"って思うと、元気が出ます。
中村 うん。勝又君の言う通りだ。皆で互いに励まし合い、それぞれの人間革命を懸けて、堂々と、朗らかに、勝利の金字塔を打ち立てよう!
2021年11月6日土曜日
2021.11.06 わが友に贈る
病魔と闘う友よ
断じて負けるな!
師子吼の題目で
生命力を湧き出し
見事なる蘇生の劇を!
上野殿御返事 P1544
『まことやらむいえの内にわづらひの候なるはよも鬼神のそゐには候はじ、十らせち女の信心のぶんざいを御心みぞ候らむ』
【通解】
たとえ、あなたの家の中に病人があったとしても、それは、(一家を不幸にしようとする)鬼神のしわざではない。十羅刹女が、あなたの信心の強さを試しておられるのでしょう。
名字の言 東京・葛飾柴又生まれの寅さんが苦手とするもの 2021年11月6日
東京・葛飾柴又生まれの寅さんこと車寅次郎には、苦手とするものがいくつかある。映画「男はつらいよ」を愛好する方はご存じだろう。「洋式トイレ」「飛行機」そして「インテリ」である▼理屈ばかり振りかざす人間を「てめえ、さしずめインテリだな」と一喝し、「ザマァ見ろい、人間はね、理屈なんかじゃ動かねえんだよ」とやり込める。寅さんには特別な教養も地位も財産もない。それでも人情とユーモアで皆を笑顔にし、人の心と心を自然と結んでしまう▼寅さんを演じた渥美清さんは生前、本紙のてい談で葛飾の青年と語り合ったことがある。その後も学会との交流は続いた。同じ"江戸っ子"である池田先生のもと、学会が若い力を育んできたことにも共感を寄せていたという▼先生が葛飾の初代総ブロック長に就いたのは1957年8月。大阪、東京・荒川、北海道などを転戦した直後だった。休む間もなく庶民の中に飛び込み、一人一人の悩みに耳を傾け、励まし抜いた。自らの姿を通して「兄弟、姉妹、家族以上の思いやりにあふれた、温かい同志愛の世界」(小説『人間革命』第12巻)を築いたのである▼庶民ほど強く尊いものはない。これまでもこれからも、学会は永遠に庶民の団体である。
寸鉄 2021年11月6日
「未来までの・ものがたり」御書。広布に走る一日一日が黄金の日記文書に
四国の日。志の国に光る正義の民衆城!創立の月から新たな励ましの波を
仏法は逆境の人が幸せになる宗教—恩師。祈り強き賢者に行き詰まりなし
一日の寒暖差が大。夜は一枚多く羽織る等、賢く。健康は小さな積み重ねで
国連「戦争による環境搾取防止の日」。青き地球を壊す蛮行許さぬ思潮更に
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第13回 高杉晋作
〈高杉晋作〉
人は窮地にあって活路を見いだす。
だから私は「困った」とは言わない。
真の楽しみは苦しみの中にあるのだ。
「困ったという一言だけは断じて言うなかれ」。それが、彼の信念だった。
困ったと嘆いて立ち止まっていても、何も始まらない。前へ踏み出してこそ、人生も時代も動きだす。「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ」「私は知る 真の楽しみは苦中にあると」
こう語ったこともある。「戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ、思案はそれからでいい」と。
彼の名は高杉晋作。幕末の思想家・吉田松陰の愛弟子であり、動乱期の長州(現在の山口県)に現れた希代の志士である。
奇抜な発想と大胆な行動で乱世を疾駆した晋作の生涯は、今なお人々を魅了してやまない。
数え19歳で松下村塾に入門。同志と切磋琢磨し、頭角を現す。師のもとで学んだのは、約1年。塾生は100人に満たず、講義室も当初は8畳一間と狭かったが、ここから若き逸材が歴史回天の舞台へ躍り出ていった。
1859年10月、安政の大獄の余波を受けた松陰が、志半ばで刑死する。「ただ日夜我が師の影を慕い激歎仕るのみ」(ただ日夜、わが師の影を慕い、激しく嘆く)——晋作は血涙を絞り、耐え難い怒りと悲しみの心情を書き記した。
4年後の正月、罪人として葬られていた松陰の遺骨を改葬することに。道中、番人が"ここは将軍が通る橋だから、不浄のものは通れない"と制止した。すると晋作は激怒し、「勤王の志士の遺骨を改葬するのに、何を言うか」と一喝。"偉大な師を侮辱する者は、命を賭しても許さない"——烈々たる気迫に番人は即座に退散していった。
「自ら愧ず 未だ能く舊寃を雪ぐ能わざるを」(私は自らを恥じている。いまだに師の仇討ちを果たしていないからだ。必ず果たしてみせる)とは、晋作が墓前で詠んだ叫びである。
師弟に徹する人生に、恐れも迷いもない。不二の弟子の胸には「師の仇討ち」への闘魂が、赤々と燃え上がっていた。
〈高杉晋作〉
置かれた境遇を嘆いていても、何も変わらない。
つまるところ 人生は心の持ち方一つで決まる。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」——時を逃さず、電光石火のスピードで打って出る。ここに"戦をすれば負け知らず"といわれた風雲児・高杉晋作の真骨頂がある。
師・吉田松陰は「草莽崛起」を掲げた。"民衆が立ち上がれば、巨大な力を発揮する"との意味で、淵源は日蓮大聖人にあると、松陰は述べている。この構想を継承した晋作は、1863年6月に奇兵隊を創設。入隊条件は身分でも経歴でもなく、「志」があるか否かにあった。
翌64年3月、脱藩の罪で投獄。場所はくしくも、生前の松陰が投じられた「野山獄」だった。
「先生を慕うてようやく野山獄」と詠じた晋作の若き魂に、悲観や悲嘆は微塵もなかった。胸中には、たとえ牢につながれても、師の志を継いでいるとの自負が光っていた。
3カ月の獄中生活に耐え抜いて出獄。その後、第1次長州征伐が起こると、幕府に屈した故郷の惨状を憂い、亡命先の九州から下関へ。「国を救い、正義を貫け」と、一人立ち上がった晋作に80人が呼応し、次いで決起した民衆のスクラムによって軍勢は3000人に。形勢は一変し、倒幕への流れが加速した。
66年には第2次長州征伐が勃発。この時、長州軍はわずかな兵力ながら、団結の力で約15万の幕府軍を撃破した。"不可能を可能にした"痛快なる逆転劇が、明治維新への大転換を告げる暁鐘となったのである。
だが、皆が喜びに沸く中、再び晋作を試練が襲う。不治の病とされた肺結核に倒れたのだ。
「面白きこともなき世に面白く」。病床で詠んだ上の句に、見舞いに来た歌人が「すみなすものは心なりけり」と下の句を添えたのは有名な史実である。
——自身の置かれた境遇を嘆いていても、何も変わらない。人生は、つまるところ心の持ち方一つで決まるのだ——
67年4月、近代日本の夜明けを見ることなく、27年余の生涯を閉じた晋作。師の理想を実現し、師の仇を討った彼は、亡くなる前、訪ねてきた同志にこう繰り返したという。「ここまでやったのだから、これからが大事じゃ。しっかりやってくれろ、しっかりやってくれろ」と。
〈若き日の池田先生の誓い〉
晋作の如く、戦おう! 民衆を救うのだ。味方を増やすのだ。
いかなる苦闘も乗り越え、満天下に勝鬨をあげてこそ、まことの弟子である。
恩師・戸田城聖先生は「歴史上、会って語りたい人物」の筆頭に高杉晋作を挙げた。吉田松陰との師弟の実像に、牧口常三郎先生と自分、自分と池田大作先生を重ね合わせた。
松陰が松下村塾で講義を始めてから100年後の1956年(昭和31年)10月。戸田先生の命を受けた池田先生は、山口に開拓指導の第一歩をしるす。
当時、先生は28歳。一瀉千里に激闘を制する決意を、日記にこうつづった。「来月より、山口県、全面折伏の指示あり。小生、総司令……。義経の如く、晋作の如く戦うか。歴史に残る法戦」(同年9月5日)と。
後年、先生は述懐している。
「戸田先生から『山口開拓闘争』の指揮を命じられた時、私は真っ先に岡山から下関へ走った。(中略)下関で決起した『晋作』の如く、戦おうと! 民衆を救うのだ。敵を倒すのだ。味方を増やすのだ!
以来4カ月で、私は、この山口に、約10倍の正義の人材・拡大の歴史を創った。いかなる苦闘も乗り越え、満天下に勝鬨をあげてこそ、まことの弟子である」(本紙2007年12月19日付「随筆 人間世紀の光」)
そして、晋作から学ぶ弟子の生き方を同志に伝えてきた。
「(晋作は)死の前年には幕府軍に勝利を収め、倒幕・維新という、歴史回天への道を開いていったのである。大事なのは、弟子である。一切は、弟子で決まる。(中略)『師弟』を根幹にした異体同心の陣列こそ最強である。この方程式でやっていくならば、我々は百戦百勝である」(07年11月28日、広布第2幕 第3回全国青年部幹部会でのスピーチ)
「晋作は、師の仇を討っていったのである。戸田先生は、日本の軍部政府によって獄死させられた牧口先生の仇を必ず討つと誓い、日本の広宣流布の基盤を築かれた。私は、全世界に妙法という平和の大哲理を弘めることで、戸田先生の仇を討った。
師の仇は弟子が討つ——これが、創価の正義の血脈である」(08年7月16日、新時代第20回本部幹部会でのスピーチ)
師弟ある限り、勝てぬ闘争はない! 越せぬ山坂はない!
幾多の逆境にも負けなかった英雄の姿は、険難の峰に挑む我らの魂を鼓舞してやまない。
断じて負けるな!
師子吼の題目で
生命力を湧き出し
見事なる蘇生の劇を!
上野殿御返事 P1544
『まことやらむいえの内にわづらひの候なるはよも鬼神のそゐには候はじ、十らせち女の信心のぶんざいを御心みぞ候らむ』
【通解】
たとえ、あなたの家の中に病人があったとしても、それは、(一家を不幸にしようとする)鬼神のしわざではない。十羅刹女が、あなたの信心の強さを試しておられるのでしょう。
名字の言 東京・葛飾柴又生まれの寅さんが苦手とするもの 2021年11月6日
東京・葛飾柴又生まれの寅さんこと車寅次郎には、苦手とするものがいくつかある。映画「男はつらいよ」を愛好する方はご存じだろう。「洋式トイレ」「飛行機」そして「インテリ」である▼理屈ばかり振りかざす人間を「てめえ、さしずめインテリだな」と一喝し、「ザマァ見ろい、人間はね、理屈なんかじゃ動かねえんだよ」とやり込める。寅さんには特別な教養も地位も財産もない。それでも人情とユーモアで皆を笑顔にし、人の心と心を自然と結んでしまう▼寅さんを演じた渥美清さんは生前、本紙のてい談で葛飾の青年と語り合ったことがある。その後も学会との交流は続いた。同じ"江戸っ子"である池田先生のもと、学会が若い力を育んできたことにも共感を寄せていたという▼先生が葛飾の初代総ブロック長に就いたのは1957年8月。大阪、東京・荒川、北海道などを転戦した直後だった。休む間もなく庶民の中に飛び込み、一人一人の悩みに耳を傾け、励まし抜いた。自らの姿を通して「兄弟、姉妹、家族以上の思いやりにあふれた、温かい同志愛の世界」(小説『人間革命』第12巻)を築いたのである▼庶民ほど強く尊いものはない。これまでもこれからも、学会は永遠に庶民の団体である。
寸鉄 2021年11月6日
「未来までの・ものがたり」御書。広布に走る一日一日が黄金の日記文書に
四国の日。志の国に光る正義の民衆城!創立の月から新たな励ましの波を
仏法は逆境の人が幸せになる宗教—恩師。祈り強き賢者に行き詰まりなし
一日の寒暖差が大。夜は一枚多く羽織る等、賢く。健康は小さな積み重ねで
国連「戦争による環境搾取防止の日」。青き地球を壊す蛮行許さぬ思潮更に
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第13回 高杉晋作
〈高杉晋作〉
人は窮地にあって活路を見いだす。
だから私は「困った」とは言わない。
真の楽しみは苦しみの中にあるのだ。
「困ったという一言だけは断じて言うなかれ」。それが、彼の信念だった。
困ったと嘆いて立ち止まっていても、何も始まらない。前へ踏み出してこそ、人生も時代も動きだす。「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ」「私は知る 真の楽しみは苦中にあると」
こう語ったこともある。「戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ、思案はそれからでいい」と。
彼の名は高杉晋作。幕末の思想家・吉田松陰の愛弟子であり、動乱期の長州(現在の山口県)に現れた希代の志士である。
奇抜な発想と大胆な行動で乱世を疾駆した晋作の生涯は、今なお人々を魅了してやまない。
数え19歳で松下村塾に入門。同志と切磋琢磨し、頭角を現す。師のもとで学んだのは、約1年。塾生は100人に満たず、講義室も当初は8畳一間と狭かったが、ここから若き逸材が歴史回天の舞台へ躍り出ていった。
1859年10月、安政の大獄の余波を受けた松陰が、志半ばで刑死する。「ただ日夜我が師の影を慕い激歎仕るのみ」(ただ日夜、わが師の影を慕い、激しく嘆く)——晋作は血涙を絞り、耐え難い怒りと悲しみの心情を書き記した。
4年後の正月、罪人として葬られていた松陰の遺骨を改葬することに。道中、番人が"ここは将軍が通る橋だから、不浄のものは通れない"と制止した。すると晋作は激怒し、「勤王の志士の遺骨を改葬するのに、何を言うか」と一喝。"偉大な師を侮辱する者は、命を賭しても許さない"——烈々たる気迫に番人は即座に退散していった。
「自ら愧ず 未だ能く舊寃を雪ぐ能わざるを」(私は自らを恥じている。いまだに師の仇討ちを果たしていないからだ。必ず果たしてみせる)とは、晋作が墓前で詠んだ叫びである。
師弟に徹する人生に、恐れも迷いもない。不二の弟子の胸には「師の仇討ち」への闘魂が、赤々と燃え上がっていた。
〈高杉晋作〉
置かれた境遇を嘆いていても、何も変わらない。
つまるところ 人生は心の持ち方一つで決まる。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」——時を逃さず、電光石火のスピードで打って出る。ここに"戦をすれば負け知らず"といわれた風雲児・高杉晋作の真骨頂がある。
師・吉田松陰は「草莽崛起」を掲げた。"民衆が立ち上がれば、巨大な力を発揮する"との意味で、淵源は日蓮大聖人にあると、松陰は述べている。この構想を継承した晋作は、1863年6月に奇兵隊を創設。入隊条件は身分でも経歴でもなく、「志」があるか否かにあった。
翌64年3月、脱藩の罪で投獄。場所はくしくも、生前の松陰が投じられた「野山獄」だった。
「先生を慕うてようやく野山獄」と詠じた晋作の若き魂に、悲観や悲嘆は微塵もなかった。胸中には、たとえ牢につながれても、師の志を継いでいるとの自負が光っていた。
3カ月の獄中生活に耐え抜いて出獄。その後、第1次長州征伐が起こると、幕府に屈した故郷の惨状を憂い、亡命先の九州から下関へ。「国を救い、正義を貫け」と、一人立ち上がった晋作に80人が呼応し、次いで決起した民衆のスクラムによって軍勢は3000人に。形勢は一変し、倒幕への流れが加速した。
66年には第2次長州征伐が勃発。この時、長州軍はわずかな兵力ながら、団結の力で約15万の幕府軍を撃破した。"不可能を可能にした"痛快なる逆転劇が、明治維新への大転換を告げる暁鐘となったのである。
だが、皆が喜びに沸く中、再び晋作を試練が襲う。不治の病とされた肺結核に倒れたのだ。
「面白きこともなき世に面白く」。病床で詠んだ上の句に、見舞いに来た歌人が「すみなすものは心なりけり」と下の句を添えたのは有名な史実である。
——自身の置かれた境遇を嘆いていても、何も変わらない。人生は、つまるところ心の持ち方一つで決まるのだ——
67年4月、近代日本の夜明けを見ることなく、27年余の生涯を閉じた晋作。師の理想を実現し、師の仇を討った彼は、亡くなる前、訪ねてきた同志にこう繰り返したという。「ここまでやったのだから、これからが大事じゃ。しっかりやってくれろ、しっかりやってくれろ」と。
〈若き日の池田先生の誓い〉
晋作の如く、戦おう! 民衆を救うのだ。味方を増やすのだ。
いかなる苦闘も乗り越え、満天下に勝鬨をあげてこそ、まことの弟子である。
恩師・戸田城聖先生は「歴史上、会って語りたい人物」の筆頭に高杉晋作を挙げた。吉田松陰との師弟の実像に、牧口常三郎先生と自分、自分と池田大作先生を重ね合わせた。
松陰が松下村塾で講義を始めてから100年後の1956年(昭和31年)10月。戸田先生の命を受けた池田先生は、山口に開拓指導の第一歩をしるす。
当時、先生は28歳。一瀉千里に激闘を制する決意を、日記にこうつづった。「来月より、山口県、全面折伏の指示あり。小生、総司令……。義経の如く、晋作の如く戦うか。歴史に残る法戦」(同年9月5日)と。
後年、先生は述懐している。
「戸田先生から『山口開拓闘争』の指揮を命じられた時、私は真っ先に岡山から下関へ走った。(中略)下関で決起した『晋作』の如く、戦おうと! 民衆を救うのだ。敵を倒すのだ。味方を増やすのだ!
以来4カ月で、私は、この山口に、約10倍の正義の人材・拡大の歴史を創った。いかなる苦闘も乗り越え、満天下に勝鬨をあげてこそ、まことの弟子である」(本紙2007年12月19日付「随筆 人間世紀の光」)
そして、晋作から学ぶ弟子の生き方を同志に伝えてきた。
「(晋作は)死の前年には幕府軍に勝利を収め、倒幕・維新という、歴史回天への道を開いていったのである。大事なのは、弟子である。一切は、弟子で決まる。(中略)『師弟』を根幹にした異体同心の陣列こそ最強である。この方程式でやっていくならば、我々は百戦百勝である」(07年11月28日、広布第2幕 第3回全国青年部幹部会でのスピーチ)
「晋作は、師の仇を討っていったのである。戸田先生は、日本の軍部政府によって獄死させられた牧口先生の仇を必ず討つと誓い、日本の広宣流布の基盤を築かれた。私は、全世界に妙法という平和の大哲理を弘めることで、戸田先生の仇を討った。
師の仇は弟子が討つ——これが、創価の正義の血脈である」(08年7月16日、新時代第20回本部幹部会でのスピーチ)
師弟ある限り、勝てぬ闘争はない! 越せぬ山坂はない!
幾多の逆境にも負けなかった英雄の姿は、険難の峰に挑む我らの魂を鼓舞してやまない。
2021年11月5日金曜日
2021.11.05 わが友に贈る
一人一人の青年には
無限の希望と未来がある。
「若き力」の成長を
皆で心から祈り支え
共に前進の節を刻もう!
佐渡御勘気抄 P891
『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめとをしはからる、既に経文のごとく悪口罵詈刀杖瓦礫数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をもたすけたてまつるべし』
【通解】
仏になる道は、かならず命を捨てるほどのことがあってこそ仏になるであろう、と思われる。すでに法華経の経文に「この経を弘める者は悪口され、ののしられ、刀で斬られ、杖で打たれ、瓦や小石を投げられ、たびたび所を追われる」と説かれている通りの難にあってきたことこそ法華経を身読したことになると、いよいよ信心も起こり、後生もたのもしく思われる。死んでいったとしても、かならず一人一人の弟子を助けてさしあげましょう。
名字の言 津軽三味線の奏法「かまし」 2021年11月5日
津軽三味線奏者である男子部員の演奏を音楽ホールで聴いたことがある。曲の途中、テンポの速いフレーズを繰り返してはじくと、聴衆から"もっとやって!"と言わんばかりの喝采が湧いた。すると彼は"もっとできるぞ!"という勢いで、さらに激しくかき鳴らした▼それは見せ場の一つ「かまし」という奏法。「かき回す」を意味する地元の方言だという。弦を押さえる指を高速で次々と動かす様子がかき回すように見えた▼彼から「かまし」の別の意味も教わった。「楽しみや苦しみが入り交じったような人生でも、力強く生きよう、との思いを込めた言葉でもあります」。容赦ない豪雪と寒風の冬を知る地ならではの発想だろう▼彼の人生もまた「苦楽ともに思い合せて」(御書1143ページ)との御聖訓を映すようだった。実力者ゆえの周囲からの嫉妬、奏者には致命的な手の病、そこからの再起、そして世界大会3連覇の実証……。時に繊細、時に激情の演奏が人生の風雪に耐え抜いた雄姿と重なった▼三味線や民謡を聴いた際の最高の賛辞として、拍手とともに「寿命が延びた!」と声が上がることがあると聞く。他者に「生きる力」を届けるために自身を磨く。そこには芸と人間性の極みがある。
寸鉄 2021年11月5日
「男子部の日」60周年。後継の君よ「山本伸一」の如く正義の旗持ち進め!
人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候—御書 誰にも願兼於業の大使命
広布の人を大事に。これが大聖人の弟子だ—恩師 励ましのサーチライトを
他者への献身は幸福度を向上させる—研究。学会活動こそ幸福人生の王道
世界津波の日。教訓は実践に移してこそ。命守る術を再度確認する機会に
〈社説〉 2021・11・5 きょう「男子部の日」
◇偉大な目標へ挑み抜け!
きょうは「男子部の日」。その淵源は、1961年(昭和36年)11月5日、第10回男子部総会が東京・国立競技場で開催され、10万人の男子部員が大結集したことにある。以来、60周年を迎えた。
この総会の7年前(54年)、第2代会長・戸田先生は「国士訓」(「青年よ国士たれ」)を発表。「国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と呼び掛けた。
"国士"の二字には社会、民衆に貢献しゆく指導者たれ、との期待が込められている。
当時の男子部員の一人は後に振り返る。「あまりにも大きな戸田先生の構想に驚愕してしまいました。私には『国士10万』との数値は、天文学的数字に見えたのです」
皆が同じように感じていた中、青年部の室長だった池田先生は、「現実の目標」として、10万人の男子部員の結集を誓い、全力で弘教拡大の指揮を執っていった。
第3代会長に就任後も、先生は"10万人結集"を「青年部の室長としての最後の仕事」と位置付け、奔走。
初の海外指導や、国内各地の新支部結成大会への出席など、多忙を極める中、懸命に青年を励まし続けた。
そして会長就任の翌年11月、男子部員は35万人になり、総会での"10万人結集"が達成されたのである。
師に誓った「広布の目標」は必ずやり遂げる——この弟子の勇気と行動が、新たな未来を開く。
男子部では定期的に本部・部単位で「ビジョン会議」を開催。皆で学会活動の目的観を語り、明確な広布のビジョンを定めている。
ある男子部の部長は、対話拡大の大きな目標を定め、壁を破ろうと行動を開始。しかし真剣に挑むも達成は遠く、重荷に感じるように。
そんな中、先輩から「先生なら、どう行動されるだろうか」と問われ、彼は祈り考えた。
そして困難な目標を前に、迷いを抱いたことを恥じ、"先生のように師子となって戦おう"と心が定まった。
その後、彼の率先垂範の挑戦が波動を生み、部員たちと共に部として過去最高の拡大を果たした。
池田先生はつづっている。
「青年の魂とは何か。偉大な目標に挑む気概だ。自ら求めて、新たな戦いを起こす覇気と行動力だ」
「男子部の日」に際し、自らの誓いや、師弟に生きる喜びを再確認したい。そして新たな広布の山へ、さらなる前進を始めよう!
☆勇気の源泉——創立者が語った指針 最後まで走り抜いた人が勝つ——池田先生が語るガーナ初代大統領の信念の闘争
1993年7月、「大いなる理想への挑戦」とのテーマで創価大学の第22回「滝山祭」が行われた。記念の式典には、ガーナ共和国のアミサ駐日大使(当時)が来賓として出席。同国は、アフリカのサハラ以南地域で最初に、民衆の力によって独立を勝ち取り、アフリカ諸国独立への道を開いたといわれる国である。
●創価大学 1993年7月 第22回滝山祭
〈スピーチに立った創立者・池田先生は、「大いなる理想への挑戦」を貫いた先人の一人として、ガーナの"建国の父"エンクルマ初代大統領の人生を紹介した〉
1935年、ファシズムの嵐が猛威を振るおうとしていた。
若きエンクルマ青年は、留学の途中、立ち寄ったロンドンで、1枚の張り紙を目にした。
「ムッソリーニ、エチオピアへ侵入」(K・エンクルマ『わが祖国への自伝』野間寛二郎訳、理論社)と。イタリアの独裁者がアフリカへ——。たった1枚のビラであった。彼は驚いた。怒った。燃えた。そして決意した。
「植民地制度をたおすために私の働ける日のくることを祈った。その目的を達成するために、必要なら地獄へでも行こうと私は決心した」(同)
"地獄へ行こうが、どこへ行こうが、わが信念のためには、それも構わない"と。
環境ではない。一念が、誓いが、本当に定まっていれば、「地獄」即「寂光土」なのである。
それから10年間、彼はアメリカで真剣に学んだ。経済的には大変であった。食堂でアルバイトをしたり、靴磨きや船のボーイをするなど、働きながら勉強した。
◇大いなる理想への挑戦
〈先生は大統領の青年時代の生き方を通し、学生たちに呼び掛ける〉
労苦こそ大成への礎である。
大統領の若き日も、労苦の連続であった。しかし、後に彼は"この時代こそ人生のもっとも楽しい日々であった"と振り返っている。私も同じ気持ちである。
彼は、理不尽な人種差別を、幾度となく経験した。彼はその悔しさを一つ一つ、心の鉄板に刻みながら、"必ずや、差別の深い霧を晴らしてみせる。平等の光の中へ民衆を必ず導いてみせる"という理想を深めていった。
絶対に忘れるものか! 勝ってみせるぞ! わが友、わが国民のために!——と。
「大いなる理想への挑戦」——口にするだけなら、だれにでもできる。生涯かけて、その理想に向かって行動し、挑戦しぬいてこそ、偉大なのである。
大統領は、何事にも一喜一憂することなく、神経質にならず、"今は自分の力を磨くときである"と決め、自分らしく、わが挑戦の道を歩んだ。
感情に流されては、道を誤る。縁に紛動されていては、大事をなせるはずがない。偉大なる建設には、時間がかかる。焦ってはならない。粘り強く、確実に、土台をつくらねばならない。
〈帰国したエンクルマ青年は、国中を回り、大勢と対話するなど、独立に向けて行動を開始する〉
彼の持ち歩いた全財産は、洋服2着、靴2足、下着数枚、これだけであった。あとは何もない。
しかし彼には「行動」という大いなる財産があった。
動きに動き、語りに語り、何百回もの演説を行ったという。
行動こそすべてである——これが彼の心情であった。
私も同じ信念で生きてきた。どういう行動をするのか、目的はどこにあるのか、その内容で人間の価値は決まる。
「民衆のために」「民衆とともに」——。激しい変化、変化の局面にあっても、「民衆の幸福」という一点に価値の基軸を定めていけば、必ず道は開ける。
みずからの人生も勝利していけるし、指導者としての使命も全うしていくことができる。
世界の民衆の力を結集しゆく柱となっていこう——こう決意して戦っているのが、創大出身の先輩であり、皆さんであると、私は信じている。
◇何があっても私は戦う
〈独立運動の広がりを恐れる権力者たちによって、エンクルマ青年は投獄された。その獄中闘争は14カ月にわたった〉
エンクルマ青年は、獄中にあって、なお戦った。どこにいようと、何があろうと、"闘争の炎"を燃やし続けた。
彼は語っている。
"自由は与えられるものではない"——「自由は、はげしい、力強い闘いののちに、はじめてかちとられる」(同)と。
ただ待っているだけでは、勝利は得られない。戦わなければならない、と。
どこにいても戦いである。
本当に偉い人は、死の瞬間まで戦いぬく。
"刑務所の外にいる同志にメッセージを送ろう"——。
彼は鉛筆の切れ端を探し、トイレット・ペーパーを集めた。
そして、夜、皆が寝静まったころ、かすかな光の中で、黙々と書き続け、獄吏に見つからないように、仲間へ手紙を送った。
こうして牢獄にいながら、戦いの指揮を執っていったのである。
さらに彼は、なんと獄中から選挙に立候補する。常識では考えられないことであった。多くの反対もあった。しかし彼は決然としていた。
"じっとしていては何も変わらない。ともかく挑戦だ!"——彼は、勇気ある名乗りをあげた。
党の宣言も、牢獄から書き送った。民衆はそれを読み、彼を支持した。
"囚われの身であっても、私は人間である""私には、戦う権利がある""何をされようとも、自分は戦う"。これが彼の気概であった。
場所ではない。
条件ではない。
格好ではない。
心一つで、大いなる戦いはできる。
さて、選挙の翌朝、獄中の彼に、開票結果が知らされた。見事、圧倒的な大勝利であった。
選挙に勝ち、晴ればれと出獄する彼を、おびただしく集まった民衆が、歓呼で迎えた。
刑務所の前を埋め尽くす人、人、人の波——。まさにガーナの夜明けを告げる光景であった。劇的な光景が、目に浮かぶようである。どうせ戦うならば、こうした劇的な勝利を迎えたい。
出獄から6年後、彼のリーダーシップのもと、ガーナは、ついに独立を勝ちとった。この独立を前にした苦しい時代、彼は国民に訴えている。
「夜明けまえがもっとも暗いように、闘いも、終末に近づいたときに、もっともはげしくなる」(K・エンクルマ『自由のための自由』野間寛二郎訳、理論社)——と。
"いかなる戦いも、最後まで走りぬいた人が勝つ。悔いなき戦いを、やりきった人が勝利の夜明けを見ることができる"——これが彼の叫びである。
〈創価教育100周年の2030年へ——。"最後まで走り抜いた人が勝つ"とのエールを胸に、日々、「大いなる理想への挑戦」を重ねていきたい〉
無限の希望と未来がある。
「若き力」の成長を
皆で心から祈り支え
共に前進の節を刻もう!
佐渡御勘気抄 P891
『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめとをしはからる、既に経文のごとく悪口罵詈刀杖瓦礫数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をもたすけたてまつるべし』
【通解】
仏になる道は、かならず命を捨てるほどのことがあってこそ仏になるであろう、と思われる。すでに法華経の経文に「この経を弘める者は悪口され、ののしられ、刀で斬られ、杖で打たれ、瓦や小石を投げられ、たびたび所を追われる」と説かれている通りの難にあってきたことこそ法華経を身読したことになると、いよいよ信心も起こり、後生もたのもしく思われる。死んでいったとしても、かならず一人一人の弟子を助けてさしあげましょう。
名字の言 津軽三味線の奏法「かまし」 2021年11月5日
津軽三味線奏者である男子部員の演奏を音楽ホールで聴いたことがある。曲の途中、テンポの速いフレーズを繰り返してはじくと、聴衆から"もっとやって!"と言わんばかりの喝采が湧いた。すると彼は"もっとできるぞ!"という勢いで、さらに激しくかき鳴らした▼それは見せ場の一つ「かまし」という奏法。「かき回す」を意味する地元の方言だという。弦を押さえる指を高速で次々と動かす様子がかき回すように見えた▼彼から「かまし」の別の意味も教わった。「楽しみや苦しみが入り交じったような人生でも、力強く生きよう、との思いを込めた言葉でもあります」。容赦ない豪雪と寒風の冬を知る地ならではの発想だろう▼彼の人生もまた「苦楽ともに思い合せて」(御書1143ページ)との御聖訓を映すようだった。実力者ゆえの周囲からの嫉妬、奏者には致命的な手の病、そこからの再起、そして世界大会3連覇の実証……。時に繊細、時に激情の演奏が人生の風雪に耐え抜いた雄姿と重なった▼三味線や民謡を聴いた際の最高の賛辞として、拍手とともに「寿命が延びた!」と声が上がることがあると聞く。他者に「生きる力」を届けるために自身を磨く。そこには芸と人間性の極みがある。
寸鉄 2021年11月5日
「男子部の日」60周年。後継の君よ「山本伸一」の如く正義の旗持ち進め!
人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候—御書 誰にも願兼於業の大使命
広布の人を大事に。これが大聖人の弟子だ—恩師 励ましのサーチライトを
他者への献身は幸福度を向上させる—研究。学会活動こそ幸福人生の王道
世界津波の日。教訓は実践に移してこそ。命守る術を再度確認する機会に
〈社説〉 2021・11・5 きょう「男子部の日」
◇偉大な目標へ挑み抜け!
きょうは「男子部の日」。その淵源は、1961年(昭和36年)11月5日、第10回男子部総会が東京・国立競技場で開催され、10万人の男子部員が大結集したことにある。以来、60周年を迎えた。
この総会の7年前(54年)、第2代会長・戸田先生は「国士訓」(「青年よ国士たれ」)を発表。「国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と呼び掛けた。
"国士"の二字には社会、民衆に貢献しゆく指導者たれ、との期待が込められている。
当時の男子部員の一人は後に振り返る。「あまりにも大きな戸田先生の構想に驚愕してしまいました。私には『国士10万』との数値は、天文学的数字に見えたのです」
皆が同じように感じていた中、青年部の室長だった池田先生は、「現実の目標」として、10万人の男子部員の結集を誓い、全力で弘教拡大の指揮を執っていった。
第3代会長に就任後も、先生は"10万人結集"を「青年部の室長としての最後の仕事」と位置付け、奔走。
初の海外指導や、国内各地の新支部結成大会への出席など、多忙を極める中、懸命に青年を励まし続けた。
そして会長就任の翌年11月、男子部員は35万人になり、総会での"10万人結集"が達成されたのである。
師に誓った「広布の目標」は必ずやり遂げる——この弟子の勇気と行動が、新たな未来を開く。
男子部では定期的に本部・部単位で「ビジョン会議」を開催。皆で学会活動の目的観を語り、明確な広布のビジョンを定めている。
ある男子部の部長は、対話拡大の大きな目標を定め、壁を破ろうと行動を開始。しかし真剣に挑むも達成は遠く、重荷に感じるように。
そんな中、先輩から「先生なら、どう行動されるだろうか」と問われ、彼は祈り考えた。
そして困難な目標を前に、迷いを抱いたことを恥じ、"先生のように師子となって戦おう"と心が定まった。
その後、彼の率先垂範の挑戦が波動を生み、部員たちと共に部として過去最高の拡大を果たした。
池田先生はつづっている。
「青年の魂とは何か。偉大な目標に挑む気概だ。自ら求めて、新たな戦いを起こす覇気と行動力だ」
「男子部の日」に際し、自らの誓いや、師弟に生きる喜びを再確認したい。そして新たな広布の山へ、さらなる前進を始めよう!
☆勇気の源泉——創立者が語った指針 最後まで走り抜いた人が勝つ——池田先生が語るガーナ初代大統領の信念の闘争
1993年7月、「大いなる理想への挑戦」とのテーマで創価大学の第22回「滝山祭」が行われた。記念の式典には、ガーナ共和国のアミサ駐日大使(当時)が来賓として出席。同国は、アフリカのサハラ以南地域で最初に、民衆の力によって独立を勝ち取り、アフリカ諸国独立への道を開いたといわれる国である。
●創価大学 1993年7月 第22回滝山祭
〈スピーチに立った創立者・池田先生は、「大いなる理想への挑戦」を貫いた先人の一人として、ガーナの"建国の父"エンクルマ初代大統領の人生を紹介した〉
1935年、ファシズムの嵐が猛威を振るおうとしていた。
若きエンクルマ青年は、留学の途中、立ち寄ったロンドンで、1枚の張り紙を目にした。
「ムッソリーニ、エチオピアへ侵入」(K・エンクルマ『わが祖国への自伝』野間寛二郎訳、理論社)と。イタリアの独裁者がアフリカへ——。たった1枚のビラであった。彼は驚いた。怒った。燃えた。そして決意した。
「植民地制度をたおすために私の働ける日のくることを祈った。その目的を達成するために、必要なら地獄へでも行こうと私は決心した」(同)
"地獄へ行こうが、どこへ行こうが、わが信念のためには、それも構わない"と。
環境ではない。一念が、誓いが、本当に定まっていれば、「地獄」即「寂光土」なのである。
それから10年間、彼はアメリカで真剣に学んだ。経済的には大変であった。食堂でアルバイトをしたり、靴磨きや船のボーイをするなど、働きながら勉強した。
◇大いなる理想への挑戦
〈先生は大統領の青年時代の生き方を通し、学生たちに呼び掛ける〉
労苦こそ大成への礎である。
大統領の若き日も、労苦の連続であった。しかし、後に彼は"この時代こそ人生のもっとも楽しい日々であった"と振り返っている。私も同じ気持ちである。
彼は、理不尽な人種差別を、幾度となく経験した。彼はその悔しさを一つ一つ、心の鉄板に刻みながら、"必ずや、差別の深い霧を晴らしてみせる。平等の光の中へ民衆を必ず導いてみせる"という理想を深めていった。
絶対に忘れるものか! 勝ってみせるぞ! わが友、わが国民のために!——と。
「大いなる理想への挑戦」——口にするだけなら、だれにでもできる。生涯かけて、その理想に向かって行動し、挑戦しぬいてこそ、偉大なのである。
大統領は、何事にも一喜一憂することなく、神経質にならず、"今は自分の力を磨くときである"と決め、自分らしく、わが挑戦の道を歩んだ。
感情に流されては、道を誤る。縁に紛動されていては、大事をなせるはずがない。偉大なる建設には、時間がかかる。焦ってはならない。粘り強く、確実に、土台をつくらねばならない。
〈帰国したエンクルマ青年は、国中を回り、大勢と対話するなど、独立に向けて行動を開始する〉
彼の持ち歩いた全財産は、洋服2着、靴2足、下着数枚、これだけであった。あとは何もない。
しかし彼には「行動」という大いなる財産があった。
動きに動き、語りに語り、何百回もの演説を行ったという。
行動こそすべてである——これが彼の心情であった。
私も同じ信念で生きてきた。どういう行動をするのか、目的はどこにあるのか、その内容で人間の価値は決まる。
「民衆のために」「民衆とともに」——。激しい変化、変化の局面にあっても、「民衆の幸福」という一点に価値の基軸を定めていけば、必ず道は開ける。
みずからの人生も勝利していけるし、指導者としての使命も全うしていくことができる。
世界の民衆の力を結集しゆく柱となっていこう——こう決意して戦っているのが、創大出身の先輩であり、皆さんであると、私は信じている。
◇何があっても私は戦う
〈独立運動の広がりを恐れる権力者たちによって、エンクルマ青年は投獄された。その獄中闘争は14カ月にわたった〉
エンクルマ青年は、獄中にあって、なお戦った。どこにいようと、何があろうと、"闘争の炎"を燃やし続けた。
彼は語っている。
"自由は与えられるものではない"——「自由は、はげしい、力強い闘いののちに、はじめてかちとられる」(同)と。
ただ待っているだけでは、勝利は得られない。戦わなければならない、と。
どこにいても戦いである。
本当に偉い人は、死の瞬間まで戦いぬく。
"刑務所の外にいる同志にメッセージを送ろう"——。
彼は鉛筆の切れ端を探し、トイレット・ペーパーを集めた。
そして、夜、皆が寝静まったころ、かすかな光の中で、黙々と書き続け、獄吏に見つからないように、仲間へ手紙を送った。
こうして牢獄にいながら、戦いの指揮を執っていったのである。
さらに彼は、なんと獄中から選挙に立候補する。常識では考えられないことであった。多くの反対もあった。しかし彼は決然としていた。
"じっとしていては何も変わらない。ともかく挑戦だ!"——彼は、勇気ある名乗りをあげた。
党の宣言も、牢獄から書き送った。民衆はそれを読み、彼を支持した。
"囚われの身であっても、私は人間である""私には、戦う権利がある""何をされようとも、自分は戦う"。これが彼の気概であった。
場所ではない。
条件ではない。
格好ではない。
心一つで、大いなる戦いはできる。
さて、選挙の翌朝、獄中の彼に、開票結果が知らされた。見事、圧倒的な大勝利であった。
選挙に勝ち、晴ればれと出獄する彼を、おびただしく集まった民衆が、歓呼で迎えた。
刑務所の前を埋め尽くす人、人、人の波——。まさにガーナの夜明けを告げる光景であった。劇的な光景が、目に浮かぶようである。どうせ戦うならば、こうした劇的な勝利を迎えたい。
出獄から6年後、彼のリーダーシップのもと、ガーナは、ついに独立を勝ちとった。この独立を前にした苦しい時代、彼は国民に訴えている。
「夜明けまえがもっとも暗いように、闘いも、終末に近づいたときに、もっともはげしくなる」(K・エンクルマ『自由のための自由』野間寛二郎訳、理論社)——と。
"いかなる戦いも、最後まで走りぬいた人が勝つ。悔いなき戦いを、やりきった人が勝利の夜明けを見ることができる"——これが彼の叫びである。
〈創価教育100周年の2030年へ——。"最後まで走り抜いた人が勝つ"とのエールを胸に、日々、「大いなる理想への挑戦」を重ねていきたい〉
2021年11月4日木曜日
2021.11.04 わが友に贈る
「健康」は幸福の土台。
バランスの良い食事や
適切な睡眠を取るなど
疲れをためない心掛けを。
はつらつと進みゆこう!
兄弟抄 P1083
『各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる』
【通解】
各々(池上兄弟)は、随分と法華経を信ぜられたために、現世において、過去世の重罪を招き出した。譬えてみれば、鉄をよくよく鍛えると、その疵が顕れるようなものである。石は焼けば灰となるが、金は焼けば(不純物が取り除かれて)真金となる。
名字の言 「大丈夫」——壮年の確信の声 2021年11月4日
「先輩に 何を聞いても 『大丈夫』」——本紙「新・生き生き川柳」(先月1日付)に載った句だ。苦難の山坂を越えてきた信心の先輩が語る「大丈夫」の一言には、人を勇気づける確信の響きがある▼「激励の名手」と呼ばれる90歳の壮年がいる。これまで、幾つもの試練を乗り越えてきた。戦争で両親を失い、わが子を病気で亡くした。建設会社を立ち上げたが、信頼していた社員に裏切られ倒産。やけになり、酒と賭け事におぼれた。見るに見かねた学会員から勧められ、入会した▼人に尽くせば尽くすほど、自身も元気になり栄えていく。この学会活動の醍醐味を知り、壮年は腹を決めた。"よし、自分がつらい思いをした何倍も人を笑顔にしていこう"。活動に励みながら、見事に事業を再建。今は子、孫、ひ孫に囲まれ、和楽の日々だ。そんな壮年が友を励ます時の口癖はこう。「大丈夫。こんな俺でも幸せになれたんだ」▼「自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる」(御書469ページ)。言葉には思いの深さがにじみ出るもの。ささいな励ましでも、口下手でも、相手への思いやりにあふれた人が語ると、重みが違う▼言葉を磨こう。心を磨こう。日々祈り、対話に励みながら。
寸鉄 2021年11月4日
「必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可し」御書。共に励まし共々に前進!
東京・葛飾の友が勇進。民衆の底力を今こそ発揮 新時代開く連続勝利を!
友情は人生を美しくする—作家。どこまでも誠実に結んだ絆は生涯の財宝
人々の心に平和の砦を—ユネスコ憲章の日。生命尊厳の哲学を時代精神に
節電へ「ウォームビズ」を推進。室温20度が目安。服装等を工夫し無理せず
〈社説〉 2021・11・4 15日は「地域部の日」
◇わが郷土を輝く仏国土に
内閣府では昨年から、コロナ禍の中での「生活意識・行動の変化に関する調査」を実施している。第1回でコロナ前よりも「社会とのつながりの重要性をより意識するようになった」と答えた人は約4割いた。また、2回目以降の調査では、「地域のつながりや助け合いが広がっているか」との問いに、「悪化」「やや悪化」と答えた人は約3割に上る。地域のつながりの大切さを意識しながら、構築しきれていない状況がある。
第3回調査(本年6月)では、「人間関係、社会との交流」について、10代、20代、70代以上で2割前後が「不安が増加」と回答。コロナ禍で学生層や高齢者層の孤立や不安感が増えた結果といえようか。
この状況を打開するには、官民一体の支援策とともに、地域住民の一人一人が主体者となり、地域の"絆"を強めゆくことが重要となろう。その中で地道に奮闘しているのが、今月15日に「部の日」を迎える「地域部」の同志だ。
同部の友は「わが地域の躍進を! 信頼と友好の太陽たれ!!」との指針を胸に、町会・自治会、商店会、老人会、PTA、民生委員・保護司、消防団、各種ボランティア等、地域に根差した活動を続ける。
東京家政大学の樋口恵子名誉教授は、学会員が日常的に他者のために尽くす行動をしていることを高く評価。"法や制度の整備も重要だが、これまでの知見を生かしながら、地域共生社会の構築に協力を"と期待を寄せる。
自他共の幸福を築き、共生・共栄を実現する——この仏法の理念に裏付けられた行動を、「地域への貢献」という形で実践する同部の友。その挑戦は自らの境涯革命につながり、一つ一つの取り組みが地域の繁栄、ひいては世界平和実現へと直結していく。まさに「人間革命」の実証を示す姿といえよう。
池田先生はつづる。「悩みのない人生がないように、何の課題もない地域など、どこにもあるまい。それでも、わが郷土を、御書の御指南の通りに『よきところ・よきところ』(御書1183ページ)と一念を定め、皆で知恵を出し、育んでいくのだ。その快活な挑戦を続ける中で、事実の上でも、必ずや『三変土田』して、『よきところ』へ転換していける」と。
"わが郷土を希望輝く仏国土に"と、果敢に行動し、広布の最前線を駆ける同部の友と一緒に、私たちも歩みを進めていきたい。
☆御書の旭光を 第59回 苦難が自身を強く大きく
〈御文〉
『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し』(四条金吾殿御返事、1136ページ)
〈通解〉
火に薪を加える時には火は盛んに燃える。大風が吹けば求羅(=仏典に出てくる想像上の生き物。小さな身だが、風を得ると全てをのみ込むほど大きくなる)は倍増するのである。松は万年の寿命を持つゆえに枝を曲げられる。法華経の行者は火と求羅のようなもので、薪と風は大難のようなものである。
〈池田先生が贈る指針〉
「大難雨の如く」と弱音を漏らした四条金吾を包容されての励ましである。苦難に怯まず妙法を貫き通せるか否か。信心は執念の勝負なのだ。
学会は草創以来、難を勝ち越えるたびに、皆が強く明るく大きく境涯を開き、発展してきた。広布も人生も、障魔が競うのは、必ず勝てるという瑞相だ。
いよいよ強気でいけ!
☆ONE GOSHO この一節とともに! 呵責謗法滅罪抄
◇壁破り新たな歴史を
新時代の"まさかが実現"へ、いざや前進!——いよいよの「勝負の時」に当たり、不可能を可能にする信心の要諦を学ぶ。
◇御文
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)
◇通解
いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。
◇背景
本抄は文永10年(1273年)、日蓮大聖人が流罪地の佐渡から、鎌倉の四条金吾に送られたお手紙であるとされてきたが、詳細は不明である。
ただ、その内容から、本抄を送られた門下が鎌倉の在住で、厳しい迫害にさらされていたことは間違いない。
この門下は亡き母の追善のために、大聖人に御供養を届けた。本抄は、その真心に対する御礼の手紙である。拝読御文は本抄の末尾の一節である。
◇解説
御文の冒頭で、「世の乱れ」と仰せの通り、日蓮大聖人が本抄を御執筆された当時、社会は騒然としていた。
文永9年(1272年)、幕府の実権を握る北条一族の内乱(二月騒動)が起こり、さらに、文永11年には蒙古が襲来。
大聖人が諸経典に基づいて幕府に警告されていた「自界叛逆難」(内乱)、「他国侵逼難」(他国からの侵略)が現実のものとなったのである。
大聖人と門下にも激しい迫害の嵐が及んでいた。
大聖人は文永8年(1271年)9月、「竜の口の法難」に遭われ、佐渡流罪に。門下らは追放や所領没収など、"1000人のうち、999人が退転した"といわれるほどの大弾圧にさらされていた。
大聖人は流罪地の佐渡にあって、直接、各地の門下を励ますことはできない。しかし、本抄で門下たちに限りなく心を寄せ、「法華経・十羅刹・助け給へ」と強盛に祈っていると仰せになられている。
「法華経」とは「御本尊」のことであり、「十羅刹」とは、法華経に登場する10人の羅刹女のこと。十羅刹女は、法華経の会座で、諸天善神として正法を持つ人を守る誓いを立てる。
"断じて弟子たちを守る!"と、強盛に祈念される大聖人御自身の姿勢を通し、諸天をも揺り動かす確信の祈りの重要性を教えられていると拝される。
その上で、唱題の姿勢について、"濡れた木から火を出し、カラカラに乾いた土から水を得るように祈る"ことを示されている。
"とても無理だ"と思うような厳しい状況で、そのまま諦めてしまえば、そこで全ての可能性は消えてしまう。
しかし、濡れた木を粘り強く全力でこすり合わせていけば、その熱で木が乾燥し、火がつくことがあるかもしれない。砂漠のような大地も、地中深く掘っていけば、水が出てくるかもしれない。
不可能を可能にしゆく祈りは、「不可能」と決め付ける自身の"弱い心"を打ち破ることから始まるのである。
小説『人間革命』第10巻「一念」の章には、1956年(昭和31年)1月、「大阪の戦い」に臨む関西の同志と共に本抄を拝した山本伸一の言葉が、次のようにつづられている。
「今、私たちの置かれた立場や、合理的な考えに慣れてしまった頭脳では、不可能と思うでしょう。
しかし、無量の力を御本尊は秘めていることを、日蓮大聖人は、明確に教えていらっしゃる。これを信じるか信じないかは、私たちの問題です。
大聖人の正統派の弟子として戦う以上、まず、強盛な祈りによって、不可能を可能とする実践が勇んで出てこなければなりません」
師弟不二の祈りと限界突破の戦いに徹し抜いた結果、関西の友は広布史に燦然と輝く大逆転劇を果たしたのだ。
"まさかが実現"の歴史的な戦いから65周年となる本年、私たちは創立100周年に向けた"勝負の10年"の初陣にあって、大一番を迎えている。
いかに困難な状況になろうとも、我々には不可能を可能にする信心がある。
無量無辺の力を引き出す強盛な祈りと、執念の対話拡大に挑み抜き、創立の月・11月を、師弟凱歌の歴史で断じて勝ち飾っていこう!
バランスの良い食事や
適切な睡眠を取るなど
疲れをためない心掛けを。
はつらつと進みゆこう!
兄弟抄 P1083
『各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる』
【通解】
各々(池上兄弟)は、随分と法華経を信ぜられたために、現世において、過去世の重罪を招き出した。譬えてみれば、鉄をよくよく鍛えると、その疵が顕れるようなものである。石は焼けば灰となるが、金は焼けば(不純物が取り除かれて)真金となる。
名字の言 「大丈夫」——壮年の確信の声 2021年11月4日
「先輩に 何を聞いても 『大丈夫』」——本紙「新・生き生き川柳」(先月1日付)に載った句だ。苦難の山坂を越えてきた信心の先輩が語る「大丈夫」の一言には、人を勇気づける確信の響きがある▼「激励の名手」と呼ばれる90歳の壮年がいる。これまで、幾つもの試練を乗り越えてきた。戦争で両親を失い、わが子を病気で亡くした。建設会社を立ち上げたが、信頼していた社員に裏切られ倒産。やけになり、酒と賭け事におぼれた。見るに見かねた学会員から勧められ、入会した▼人に尽くせば尽くすほど、自身も元気になり栄えていく。この学会活動の醍醐味を知り、壮年は腹を決めた。"よし、自分がつらい思いをした何倍も人を笑顔にしていこう"。活動に励みながら、見事に事業を再建。今は子、孫、ひ孫に囲まれ、和楽の日々だ。そんな壮年が友を励ます時の口癖はこう。「大丈夫。こんな俺でも幸せになれたんだ」▼「自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる」(御書469ページ)。言葉には思いの深さがにじみ出るもの。ささいな励ましでも、口下手でも、相手への思いやりにあふれた人が語ると、重みが違う▼言葉を磨こう。心を磨こう。日々祈り、対話に励みながら。
寸鉄 2021年11月4日
「必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可し」御書。共に励まし共々に前進!
東京・葛飾の友が勇進。民衆の底力を今こそ発揮 新時代開く連続勝利を!
友情は人生を美しくする—作家。どこまでも誠実に結んだ絆は生涯の財宝
人々の心に平和の砦を—ユネスコ憲章の日。生命尊厳の哲学を時代精神に
節電へ「ウォームビズ」を推進。室温20度が目安。服装等を工夫し無理せず
〈社説〉 2021・11・4 15日は「地域部の日」
◇わが郷土を輝く仏国土に
内閣府では昨年から、コロナ禍の中での「生活意識・行動の変化に関する調査」を実施している。第1回でコロナ前よりも「社会とのつながりの重要性をより意識するようになった」と答えた人は約4割いた。また、2回目以降の調査では、「地域のつながりや助け合いが広がっているか」との問いに、「悪化」「やや悪化」と答えた人は約3割に上る。地域のつながりの大切さを意識しながら、構築しきれていない状況がある。
第3回調査(本年6月)では、「人間関係、社会との交流」について、10代、20代、70代以上で2割前後が「不安が増加」と回答。コロナ禍で学生層や高齢者層の孤立や不安感が増えた結果といえようか。
この状況を打開するには、官民一体の支援策とともに、地域住民の一人一人が主体者となり、地域の"絆"を強めゆくことが重要となろう。その中で地道に奮闘しているのが、今月15日に「部の日」を迎える「地域部」の同志だ。
同部の友は「わが地域の躍進を! 信頼と友好の太陽たれ!!」との指針を胸に、町会・自治会、商店会、老人会、PTA、民生委員・保護司、消防団、各種ボランティア等、地域に根差した活動を続ける。
東京家政大学の樋口恵子名誉教授は、学会員が日常的に他者のために尽くす行動をしていることを高く評価。"法や制度の整備も重要だが、これまでの知見を生かしながら、地域共生社会の構築に協力を"と期待を寄せる。
自他共の幸福を築き、共生・共栄を実現する——この仏法の理念に裏付けられた行動を、「地域への貢献」という形で実践する同部の友。その挑戦は自らの境涯革命につながり、一つ一つの取り組みが地域の繁栄、ひいては世界平和実現へと直結していく。まさに「人間革命」の実証を示す姿といえよう。
池田先生はつづる。「悩みのない人生がないように、何の課題もない地域など、どこにもあるまい。それでも、わが郷土を、御書の御指南の通りに『よきところ・よきところ』(御書1183ページ)と一念を定め、皆で知恵を出し、育んでいくのだ。その快活な挑戦を続ける中で、事実の上でも、必ずや『三変土田』して、『よきところ』へ転換していける」と。
"わが郷土を希望輝く仏国土に"と、果敢に行動し、広布の最前線を駆ける同部の友と一緒に、私たちも歩みを進めていきたい。
☆御書の旭光を 第59回 苦難が自身を強く大きく
〈御文〉
『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し』(四条金吾殿御返事、1136ページ)
〈通解〉
火に薪を加える時には火は盛んに燃える。大風が吹けば求羅(=仏典に出てくる想像上の生き物。小さな身だが、風を得ると全てをのみ込むほど大きくなる)は倍増するのである。松は万年の寿命を持つゆえに枝を曲げられる。法華経の行者は火と求羅のようなもので、薪と風は大難のようなものである。
〈池田先生が贈る指針〉
「大難雨の如く」と弱音を漏らした四条金吾を包容されての励ましである。苦難に怯まず妙法を貫き通せるか否か。信心は執念の勝負なのだ。
学会は草創以来、難を勝ち越えるたびに、皆が強く明るく大きく境涯を開き、発展してきた。広布も人生も、障魔が競うのは、必ず勝てるという瑞相だ。
いよいよ強気でいけ!
☆ONE GOSHO この一節とともに! 呵責謗法滅罪抄
◇壁破り新たな歴史を
新時代の"まさかが実現"へ、いざや前進!——いよいよの「勝負の時」に当たり、不可能を可能にする信心の要諦を学ぶ。
◇御文
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)
◇通解
いかなる世の乱れにも、あなた方を法華経や十羅刹女よ助け給え、と湿った木から火を出し、乾いた土から水を出すように強盛に祈っている。
◇背景
本抄は文永10年(1273年)、日蓮大聖人が流罪地の佐渡から、鎌倉の四条金吾に送られたお手紙であるとされてきたが、詳細は不明である。
ただ、その内容から、本抄を送られた門下が鎌倉の在住で、厳しい迫害にさらされていたことは間違いない。
この門下は亡き母の追善のために、大聖人に御供養を届けた。本抄は、その真心に対する御礼の手紙である。拝読御文は本抄の末尾の一節である。
◇解説
御文の冒頭で、「世の乱れ」と仰せの通り、日蓮大聖人が本抄を御執筆された当時、社会は騒然としていた。
文永9年(1272年)、幕府の実権を握る北条一族の内乱(二月騒動)が起こり、さらに、文永11年には蒙古が襲来。
大聖人が諸経典に基づいて幕府に警告されていた「自界叛逆難」(内乱)、「他国侵逼難」(他国からの侵略)が現実のものとなったのである。
大聖人と門下にも激しい迫害の嵐が及んでいた。
大聖人は文永8年(1271年)9月、「竜の口の法難」に遭われ、佐渡流罪に。門下らは追放や所領没収など、"1000人のうち、999人が退転した"といわれるほどの大弾圧にさらされていた。
大聖人は流罪地の佐渡にあって、直接、各地の門下を励ますことはできない。しかし、本抄で門下たちに限りなく心を寄せ、「法華経・十羅刹・助け給へ」と強盛に祈っていると仰せになられている。
「法華経」とは「御本尊」のことであり、「十羅刹」とは、法華経に登場する10人の羅刹女のこと。十羅刹女は、法華経の会座で、諸天善神として正法を持つ人を守る誓いを立てる。
"断じて弟子たちを守る!"と、強盛に祈念される大聖人御自身の姿勢を通し、諸天をも揺り動かす確信の祈りの重要性を教えられていると拝される。
その上で、唱題の姿勢について、"濡れた木から火を出し、カラカラに乾いた土から水を得るように祈る"ことを示されている。
"とても無理だ"と思うような厳しい状況で、そのまま諦めてしまえば、そこで全ての可能性は消えてしまう。
しかし、濡れた木を粘り強く全力でこすり合わせていけば、その熱で木が乾燥し、火がつくことがあるかもしれない。砂漠のような大地も、地中深く掘っていけば、水が出てくるかもしれない。
不可能を可能にしゆく祈りは、「不可能」と決め付ける自身の"弱い心"を打ち破ることから始まるのである。
小説『人間革命』第10巻「一念」の章には、1956年(昭和31年)1月、「大阪の戦い」に臨む関西の同志と共に本抄を拝した山本伸一の言葉が、次のようにつづられている。
「今、私たちの置かれた立場や、合理的な考えに慣れてしまった頭脳では、不可能と思うでしょう。
しかし、無量の力を御本尊は秘めていることを、日蓮大聖人は、明確に教えていらっしゃる。これを信じるか信じないかは、私たちの問題です。
大聖人の正統派の弟子として戦う以上、まず、強盛な祈りによって、不可能を可能とする実践が勇んで出てこなければなりません」
師弟不二の祈りと限界突破の戦いに徹し抜いた結果、関西の友は広布史に燦然と輝く大逆転劇を果たしたのだ。
"まさかが実現"の歴史的な戦いから65周年となる本年、私たちは創立100周年に向けた"勝負の10年"の初陣にあって、大一番を迎えている。
いかに困難な状況になろうとも、我々には不可能を可能にする信心がある。
無量無辺の力を引き出す強盛な祈りと、執念の対話拡大に挑み抜き、創立の月・11月を、師弟凱歌の歴史で断じて勝ち飾っていこう!
2021年11月3日水曜日
2021.11.03 わが友に贈る
文化は人間性を耕す。
対話は友の生命を耕す。
ゆえに「対話の人」こそ
最高の「文化人」であり
平和の社会の建設者だ。
祈祷抄 P1345
『あやしの畜生なんども恩をば報ずる事に候ぞかし、かりと申す鳥あり必ず母の死なんとする時孝をなす、狐は塚を跡にせず畜生猶此くの如し況や人類をや』
【通解】
卑しい畜生であっても、恩を報ずるものである。かりという鳥は、母が死のうとする時は必ず孝行をする。狐は死ぬ時には塚に足を向けない。畜生でさえこのようである。まして人間は言うまでもないことである。
名字の言 本は「知恵の宝庫」 2021年11月3日
かつて「世界の絵本展」で紹介されていたブラジルのなぞなぞから。「言葉も話せず耳も聞こえないのに、何でも教えてくれるもの、なんだ?」。答えは「本」▼同じ答えになるが、モンゴルには「識者には知恵の宝庫、無知な者にはごちゃごちゃなもの、なんだ?」というなぞなぞもある。同じ本を読んでも、「知恵の宝庫」の扉を開けられる人と、そうでない人がいる。「書を読めば万倍の利あり」(『古文真宝』)と実感できるまでには、ある程度の読書量が必要なのだろう▼近年、中高生の読書量が増えたデータもあるが、依然として読書離れが指摘される。通勤電車では、本を広げる人よりもスマホを触る人の方が圧倒的に多い。哲学者キケロの「書物なき部屋は、魂なき肉体の如し」との箴言も、あまり耳にしなくなった気がする▼読書量が群を抜く中学校に赴任した教員が教えてくれた。他校と比べ、図書館の位置と生徒の読書量との関係に特徴があるという。「理由は単純でした。子どもたちが校舎に入ると、目の前に図書館があるのです。『本と出あう環境』をつくることが大事なのです」▼今月9日まで読書週間が続く。「知恵の宝庫」の扉を開くきっかけに、「本と出あう」チャンスにしたい。
寸鉄 2021年11月3日
「つねに伸びていくのだ」牧口先生。これ仏法の魂。清新な祈りで力強く出発
創価文化の日。文化・教育・国際本部の活躍は同志の希望。健康・勝利あれ
どんな変化があろうと今日を最良の一日に—作家 地道な前進こそ未来の礎
本を読む子が増加—調査 良書は心潤す力。親子で挑戦。9日まで読書週間
感染性胃腸炎が流行の兆し。加熱調理や手洗いが予防の基本。油断をせず
〈社説〉 2021・11・3 きょう「創価文化の日」
◇偉大な思想を明快に語ろう
「偉大な思想というものは、必ず小学生でもわかるように表現できるものなのです!」——本年8月に亡くなったみなもと太郎さん(名誉文芸部長)は、この信条で50年以上マンガを描き続けた。傑出したマンガ研究家でもあった。
創価大学の通信教育の授業では「小学二年生の自分なら理解できるかと想定して、考えます」「どうすれば子どもにわかるだろうかと、徹底して考え抜くほかありません」と熱く語った(『表現文化論入門』第三文明社)。
男子部時代、京都で発心したこと。関西の「雨の文化祭」(1966年)で人文字のデザインを担当し、その直後に「別冊りぼん」でデビューが決まったこと。笑いを交えて体験を語り、文芸部の若手の育成にも力を注いだ。
江戸時代から幕末までを描いた未完の大著『風雲児たち』はNHKでドラマ化され、新作歌舞伎にもなった。1979年(昭和54年)に潮出版社の雑誌で連載が始まった当初は、最終回を決めていた。夫婦して信心を貫いてきた静香夫人は「みなもとは『"牧口常三郎と戸田城聖の誕生"で完結させるんだ。そこから本当の日本の希望が生まれたんだ』『これは池田先生から学んだ歴史観なんだ』と語っていました」と述懐する。「みなもと作品の底には日蓮仏法の十界互具と、池田先生から教わった人間観が流れています」とも。
「文化」の価値について、池田大作先生は中学生に向けて語っている。「自由な創作活動や、生き生きした文化活動を展開することは、人々に、生命の充実を与えるだけでなく、それを阻もうとする戦争そのものを否定する、精神の大地をつくっていることでもあるのです。人々は、文化を通して政治や社会の動向を平和に導くよう、監視していくことができるのです」(『希望対話』)
「文化」は一部の人たちが独占するぜいたく品ではない。「文化とは知恵を知識化すること」——これは戸田先生の卓見である。最高の知恵が知識=目に見える形になり、最高の文化を生む。妙法の知恵によって「人類は多くの危機を避けて、やがて絢爛たる文化を開くことができるだろう」と。
ここに「広宣流布とは、最高の文化運動である」という大道が脈打つ。「創価文化」とは、偉大な思想を明快に語る、私たちの日々の努力にほかならない。
☆インド・創価池田女子大学入学式への池田先生ご夫妻のメッセージ
500人を超す誉れ高き新入生の皆さん、誠におめでとうございます。
喜びひとしおのご家族の方々にも、心よりお祝いを申し上げます。
このたび、新たに歴史学部と社会学部が設置され、19学部の一段と堂々たる陣容での出発となりました。
偉大な詩聖タゴールゆかりのラビンドラ・バラティ大学のムカジー元副総長が、私との対談集で語られていたことが思い起こされます。
——タゴールが思い描いていた新たな世紀とは、「文化の新時代であり、女性の可能性が、平和と精神の文明、そして『魂の文明』を築く舞台となる世紀です」と。
この新たな「魂の文明」創造の光源として、「女性教育・人間教育の世紀」「生命開花の世紀」に燦然と英知の旭光を放つ殿堂こそが、貴大学であります。
敬愛してやまないクマナン議長、サムシャット学長をはじめ、すべての教職員の方々のたゆまぬ献身に、私と妻は満腔の敬意と感謝を表します。
◇対話広げる虹の懸け橋たれ
コロナ禍の試練にも屈せず、向学の情熱に燃え集われた最優秀の乙女たちに、一点、「希望の対話を広げゆく虹の懸け橋たれ」と、エールを送ります。
ノーベル平和賞を受賞された、貴国の児童人権活動家カイラシュ・サティヤルティ氏は、「一人一人が王者であり、変革者なのです」と述べ、世界を変えるための「三つのD」として、Dream(夢を持つこと)、Discover(自身の力を発見すること)、そして、Do(行動を起こすこと)の重要性を訴え続けておられます。
皆さんのキャンパスは、この「夢」と「発見」と「行動」を思う存分に追求し、会得し、発揮できる最良の環境と先生方と学友に恵まれています。
だからこそ、同じく「D」で始まるDialogue(対話すること)に開かれた心で挑みながら、「創価」すなわち「価値創造の力」を自他共に朗らかに育んでください。学問も森羅万象との対話であり、先人や歴史との対話といえましょう。その学びの中で、有意義な対話を自在に繰り広げられる知性と人格が磨かれます。
どうか、誇り高き人間主義の哲学と信頼で結ばれた皆さんの同窓のスクラムで、人類の未来を多彩な希望の虹で照らしゆく、創造的世界市民の連帯を力強く築き広げていただきたいのであります。
結びに、私と妻の命にいつも輝き光る皆さんへ、妻が若き日から心に刻んできた信条を、謹んでお伝えし、メッセージとさせていただきます。
「勝つことよりも負けないこと。それが、すべてに勝っていくことになる」と。
創価池田女子大学、万歳! 清らかな探究の乙女に健康あれ! 幸福あれ! 和楽あれ! 喜びの生命の讃歌よ、響きわたれ!
☆明日を照らす テーマ:強盛な祈り
苦境に立たされている門下や、病気と闘う弟子などに送られた御書をひもとけば、題目の偉大な功力が随所に示されている。そこには、"断じて救うのだ!"との日蓮大聖人の御確信と大慈悲が脈打っています。
池田先生は「題目の人は断じて負けない。日本中、世界中に、妙法の偉大な功力の証明者がいる。題目は無限の希望の力なり」「『不可能を可能にする』祈りで一切を勝ち越えてきた」とつづっています。
今回の「明日を照らす」は、「強盛な祈り」をテーマに学んでいきましょう。
◇祈祷抄
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(御書1351ページ)
◇友の心に必ず届く
【通解】大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。
◇
"祈りはかなう"との、日蓮大聖人の烈々たる闘魂に触れ、多くの同志が信力を奮い起こしてきた一節です。
大聖人は"太陽が西から昇る"等の、"あり得ない出来事"を挙げられ、もしそれらが起きたとしても、「法華経の行者」の祈りがかなわないことは、絶対にないと断言されています。それは、菩薩をはじめ、あらゆる衆生が、法華経の恩に報いるため、「法華経の行者」を守護することを誓っているからです。諸天が動くのです。
「法華経の行者」とは、法華経に説かれる通りの、あらゆる大難を勝ち越え、末法の民衆救済の道を開いた大聖人にほかなりません。現代でいえば、大聖人の御遺命のままに、「立正安国」の実現に戦う創価三代の師弟であり、そこに連なる私たち一人一人のことです。
池田先生はつづっています。
「あの友を立ち上がらせずにはおくものか! この友に何としても正義と真実の声を!——祈りは必ず花開く。自分が太陽となって、希望の光を広げていただきたい」
現実社会の中で、灼熱の太陽が照りつける日も、嵐の日も、岩に爪を立てて崖を登るように一歩ずつ、私たちは広布の前進を続けています。その自他共の幸福を願う懸命な祈りは、陽光のように、必ず友の心に届きます。確信の祈りを貫いていきましょう。
◇日眼女造立釈迦仏供養事
『譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき』(御書1187ページ)
◇諸天をも動かす一念
【通解】たとえば、頭を振れば、髪が揺らぐ。心が働けば、身体が動く。大風が吹けば、草木も揺れる。大地が動けば、大海も騒ぐ。同じように、教主釈尊を動かせば、揺るがない草木があるだろうか。騒がない水があるだろうか。
◇
決定した一念で御本尊に向かうならば、いかなる状況や環境をも変革し、必ず人生を勝利していける——。本抄は、鎌倉の門下・四条金吾の妻である、日眼女に送られました。
掲げた御文の直前で、三世十方の諸仏・菩薩、諸天善神等は、全て「教主釈尊」という仏から現れ出たものであると述べられています。
ゆえに、大聖人は"大地が動けば、大海も騒ぐ"等の譬えを通して、「教主釈尊」という根本を大きく動かしていけば、諸天などの一切を動かしていくことができると教えられているのです。
ここでいう「教主釈尊」とは、宇宙と生命を貫く根源の一法である、南無妙法蓮華経と一体の仏のことです。"教主釈尊を動かす"とは、私たちの実践でいえば、御本尊を信受し、強盛な祈りで仏力・法力を顕現していくことです。
池田先生は、「激闘の時こそ、弾けるような師子吼の題目だ。断固と魔を打ち破り、諸天を揺り動かす不屈の祈りである。まことの信心の底力で真金の生命の凱歌を!」と呼び掛けています。
"かなうといいな"という、弱々しい祈りでは、諸天を動かすことも、広宣流布の大願をかなえることもできません。"絶対にかなえてみせる"という確信の祈りにまで深まってこそ、一切を根本から揺り動かしていけるのです。
対話は友の生命を耕す。
ゆえに「対話の人」こそ
最高の「文化人」であり
平和の社会の建設者だ。
祈祷抄 P1345
『あやしの畜生なんども恩をば報ずる事に候ぞかし、かりと申す鳥あり必ず母の死なんとする時孝をなす、狐は塚を跡にせず畜生猶此くの如し況や人類をや』
【通解】
卑しい畜生であっても、恩を報ずるものである。かりという鳥は、母が死のうとする時は必ず孝行をする。狐は死ぬ時には塚に足を向けない。畜生でさえこのようである。まして人間は言うまでもないことである。
名字の言 本は「知恵の宝庫」 2021年11月3日
かつて「世界の絵本展」で紹介されていたブラジルのなぞなぞから。「言葉も話せず耳も聞こえないのに、何でも教えてくれるもの、なんだ?」。答えは「本」▼同じ答えになるが、モンゴルには「識者には知恵の宝庫、無知な者にはごちゃごちゃなもの、なんだ?」というなぞなぞもある。同じ本を読んでも、「知恵の宝庫」の扉を開けられる人と、そうでない人がいる。「書を読めば万倍の利あり」(『古文真宝』)と実感できるまでには、ある程度の読書量が必要なのだろう▼近年、中高生の読書量が増えたデータもあるが、依然として読書離れが指摘される。通勤電車では、本を広げる人よりもスマホを触る人の方が圧倒的に多い。哲学者キケロの「書物なき部屋は、魂なき肉体の如し」との箴言も、あまり耳にしなくなった気がする▼読書量が群を抜く中学校に赴任した教員が教えてくれた。他校と比べ、図書館の位置と生徒の読書量との関係に特徴があるという。「理由は単純でした。子どもたちが校舎に入ると、目の前に図書館があるのです。『本と出あう環境』をつくることが大事なのです」▼今月9日まで読書週間が続く。「知恵の宝庫」の扉を開くきっかけに、「本と出あう」チャンスにしたい。
寸鉄 2021年11月3日
「つねに伸びていくのだ」牧口先生。これ仏法の魂。清新な祈りで力強く出発
創価文化の日。文化・教育・国際本部の活躍は同志の希望。健康・勝利あれ
どんな変化があろうと今日を最良の一日に—作家 地道な前進こそ未来の礎
本を読む子が増加—調査 良書は心潤す力。親子で挑戦。9日まで読書週間
感染性胃腸炎が流行の兆し。加熱調理や手洗いが予防の基本。油断をせず
〈社説〉 2021・11・3 きょう「創価文化の日」
◇偉大な思想を明快に語ろう
「偉大な思想というものは、必ず小学生でもわかるように表現できるものなのです!」——本年8月に亡くなったみなもと太郎さん(名誉文芸部長)は、この信条で50年以上マンガを描き続けた。傑出したマンガ研究家でもあった。
創価大学の通信教育の授業では「小学二年生の自分なら理解できるかと想定して、考えます」「どうすれば子どもにわかるだろうかと、徹底して考え抜くほかありません」と熱く語った(『表現文化論入門』第三文明社)。
男子部時代、京都で発心したこと。関西の「雨の文化祭」(1966年)で人文字のデザインを担当し、その直後に「別冊りぼん」でデビューが決まったこと。笑いを交えて体験を語り、文芸部の若手の育成にも力を注いだ。
江戸時代から幕末までを描いた未完の大著『風雲児たち』はNHKでドラマ化され、新作歌舞伎にもなった。1979年(昭和54年)に潮出版社の雑誌で連載が始まった当初は、最終回を決めていた。夫婦して信心を貫いてきた静香夫人は「みなもとは『"牧口常三郎と戸田城聖の誕生"で完結させるんだ。そこから本当の日本の希望が生まれたんだ』『これは池田先生から学んだ歴史観なんだ』と語っていました」と述懐する。「みなもと作品の底には日蓮仏法の十界互具と、池田先生から教わった人間観が流れています」とも。
「文化」の価値について、池田大作先生は中学生に向けて語っている。「自由な創作活動や、生き生きした文化活動を展開することは、人々に、生命の充実を与えるだけでなく、それを阻もうとする戦争そのものを否定する、精神の大地をつくっていることでもあるのです。人々は、文化を通して政治や社会の動向を平和に導くよう、監視していくことができるのです」(『希望対話』)
「文化」は一部の人たちが独占するぜいたく品ではない。「文化とは知恵を知識化すること」——これは戸田先生の卓見である。最高の知恵が知識=目に見える形になり、最高の文化を生む。妙法の知恵によって「人類は多くの危機を避けて、やがて絢爛たる文化を開くことができるだろう」と。
ここに「広宣流布とは、最高の文化運動である」という大道が脈打つ。「創価文化」とは、偉大な思想を明快に語る、私たちの日々の努力にほかならない。
☆インド・創価池田女子大学入学式への池田先生ご夫妻のメッセージ
500人を超す誉れ高き新入生の皆さん、誠におめでとうございます。
喜びひとしおのご家族の方々にも、心よりお祝いを申し上げます。
このたび、新たに歴史学部と社会学部が設置され、19学部の一段と堂々たる陣容での出発となりました。
偉大な詩聖タゴールゆかりのラビンドラ・バラティ大学のムカジー元副総長が、私との対談集で語られていたことが思い起こされます。
——タゴールが思い描いていた新たな世紀とは、「文化の新時代であり、女性の可能性が、平和と精神の文明、そして『魂の文明』を築く舞台となる世紀です」と。
この新たな「魂の文明」創造の光源として、「女性教育・人間教育の世紀」「生命開花の世紀」に燦然と英知の旭光を放つ殿堂こそが、貴大学であります。
敬愛してやまないクマナン議長、サムシャット学長をはじめ、すべての教職員の方々のたゆまぬ献身に、私と妻は満腔の敬意と感謝を表します。
◇対話広げる虹の懸け橋たれ
コロナ禍の試練にも屈せず、向学の情熱に燃え集われた最優秀の乙女たちに、一点、「希望の対話を広げゆく虹の懸け橋たれ」と、エールを送ります。
ノーベル平和賞を受賞された、貴国の児童人権活動家カイラシュ・サティヤルティ氏は、「一人一人が王者であり、変革者なのです」と述べ、世界を変えるための「三つのD」として、Dream(夢を持つこと)、Discover(自身の力を発見すること)、そして、Do(行動を起こすこと)の重要性を訴え続けておられます。
皆さんのキャンパスは、この「夢」と「発見」と「行動」を思う存分に追求し、会得し、発揮できる最良の環境と先生方と学友に恵まれています。
だからこそ、同じく「D」で始まるDialogue(対話すること)に開かれた心で挑みながら、「創価」すなわち「価値創造の力」を自他共に朗らかに育んでください。学問も森羅万象との対話であり、先人や歴史との対話といえましょう。その学びの中で、有意義な対話を自在に繰り広げられる知性と人格が磨かれます。
どうか、誇り高き人間主義の哲学と信頼で結ばれた皆さんの同窓のスクラムで、人類の未来を多彩な希望の虹で照らしゆく、創造的世界市民の連帯を力強く築き広げていただきたいのであります。
結びに、私と妻の命にいつも輝き光る皆さんへ、妻が若き日から心に刻んできた信条を、謹んでお伝えし、メッセージとさせていただきます。
「勝つことよりも負けないこと。それが、すべてに勝っていくことになる」と。
創価池田女子大学、万歳! 清らかな探究の乙女に健康あれ! 幸福あれ! 和楽あれ! 喜びの生命の讃歌よ、響きわたれ!
☆明日を照らす テーマ:強盛な祈り
苦境に立たされている門下や、病気と闘う弟子などに送られた御書をひもとけば、題目の偉大な功力が随所に示されている。そこには、"断じて救うのだ!"との日蓮大聖人の御確信と大慈悲が脈打っています。
池田先生は「題目の人は断じて負けない。日本中、世界中に、妙法の偉大な功力の証明者がいる。題目は無限の希望の力なり」「『不可能を可能にする』祈りで一切を勝ち越えてきた」とつづっています。
今回の「明日を照らす」は、「強盛な祈り」をテーマに学んでいきましょう。
◇祈祷抄
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(御書1351ページ)
◇友の心に必ず届く
【通解】大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。
◇
"祈りはかなう"との、日蓮大聖人の烈々たる闘魂に触れ、多くの同志が信力を奮い起こしてきた一節です。
大聖人は"太陽が西から昇る"等の、"あり得ない出来事"を挙げられ、もしそれらが起きたとしても、「法華経の行者」の祈りがかなわないことは、絶対にないと断言されています。それは、菩薩をはじめ、あらゆる衆生が、法華経の恩に報いるため、「法華経の行者」を守護することを誓っているからです。諸天が動くのです。
「法華経の行者」とは、法華経に説かれる通りの、あらゆる大難を勝ち越え、末法の民衆救済の道を開いた大聖人にほかなりません。現代でいえば、大聖人の御遺命のままに、「立正安国」の実現に戦う創価三代の師弟であり、そこに連なる私たち一人一人のことです。
池田先生はつづっています。
「あの友を立ち上がらせずにはおくものか! この友に何としても正義と真実の声を!——祈りは必ず花開く。自分が太陽となって、希望の光を広げていただきたい」
現実社会の中で、灼熱の太陽が照りつける日も、嵐の日も、岩に爪を立てて崖を登るように一歩ずつ、私たちは広布の前進を続けています。その自他共の幸福を願う懸命な祈りは、陽光のように、必ず友の心に届きます。確信の祈りを貫いていきましょう。
◇日眼女造立釈迦仏供養事
『譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき』(御書1187ページ)
◇諸天をも動かす一念
【通解】たとえば、頭を振れば、髪が揺らぐ。心が働けば、身体が動く。大風が吹けば、草木も揺れる。大地が動けば、大海も騒ぐ。同じように、教主釈尊を動かせば、揺るがない草木があるだろうか。騒がない水があるだろうか。
◇
決定した一念で御本尊に向かうならば、いかなる状況や環境をも変革し、必ず人生を勝利していける——。本抄は、鎌倉の門下・四条金吾の妻である、日眼女に送られました。
掲げた御文の直前で、三世十方の諸仏・菩薩、諸天善神等は、全て「教主釈尊」という仏から現れ出たものであると述べられています。
ゆえに、大聖人は"大地が動けば、大海も騒ぐ"等の譬えを通して、「教主釈尊」という根本を大きく動かしていけば、諸天などの一切を動かしていくことができると教えられているのです。
ここでいう「教主釈尊」とは、宇宙と生命を貫く根源の一法である、南無妙法蓮華経と一体の仏のことです。"教主釈尊を動かす"とは、私たちの実践でいえば、御本尊を信受し、強盛な祈りで仏力・法力を顕現していくことです。
池田先生は、「激闘の時こそ、弾けるような師子吼の題目だ。断固と魔を打ち破り、諸天を揺り動かす不屈の祈りである。まことの信心の底力で真金の生命の凱歌を!」と呼び掛けています。
"かなうといいな"という、弱々しい祈りでは、諸天を動かすことも、広宣流布の大願をかなえることもできません。"絶対にかなえてみせる"という確信の祈りにまで深まってこそ、一切を根本から揺り動かしていけるのです。
2021年11月2日火曜日
2021.11.02 わが友に贈る
民衆の幸福を築きゆく
全同志の献身に最敬礼!
真心で結び広げた
「幸の仏縁」を大切に
信頼の絆を一段と強く!
破良観等御書 P1293
『本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからずいづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし論師訳者人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりともはばかるべからず何に況や其の已下の人をや、父母師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらずありのままに申すべしと誓状を立てし』
【通解】
もともとの願いに「諸宗のいずれの宗にたいしても偏った心や執着はもつまい。いづれの宗であっても仏説に証拠があって、道理が分明であるものを用いよう。論師・訳者・人師によってはならない。ひたすら仏の経文を第一としよう。また法門の上では、たとえ国王の責めを受けてもはばかることはない。まして、それより以下の人々をや、父母・師兄等の教訓であっても用いることはない。人の信ずるか信じないとかにかかわらず、ただ経文のままに言い通していこう」と誓状を立てたのである。
字の言 「信は万物の基を成す」 2021年11月2日
プロ野球で両リーグ共に、前年の最下位チームが優勝したのは史上初だ。セ・リーグはヤクルト、パ・リーグはオリックスが制覇した▼飛躍の要因はさまざま考えられるが、共通するのは「指導者の手腕」だろう。ヤクルトの高津臣吾監督は声を聞き、声を発して「言葉の力」を大切にした。負けが込んだシーズン終盤には、こう言って選手を奮い立たせた。「一枚岩でいけば絶対崩れることはない。絶対大丈夫」。結束を強めたチームは重圧をはねのけ、6年ぶりのリーグ優勝を果たした▼オリックスの中嶋聡監督は「育成と勝利の両立」を追求した。過去の実績を問わず、若手を積極的に起用。くすぶっていた選手にもチャンスを与えた。昨年1勝の2年目左腕・宮城は13勝を挙げ、30歳の杉本は本塁打が2本から32本に激増。適材適所の采配で個々の能力を引き出し、実に25年ぶりの栄冠をつかんだ▼「信は万物の基を成す」。名将・野村克也さんがよく口にした言葉を思い出した。号令やポーズで人は動かない。リーダーの責任ある姿勢と言動が皆の信頼を集め、力を発揮させるのだろう▼"凱歌の秋"を目指して走り抜いた共戦の友と互いをたたえ、心から励まし合おう。それが新たな勝利の「基」となる。
寸鉄 2021年11月2日
「創立の月」を皆で祝賀!互いの健闘を称え「希望・勝利の年」の総仕上げへ
「法華経の功徳は虚空にも余りぬべし」御書。立正安国の大闘争に福徳燦然
きょう創価班の日45周年 いよいよ君ら後継の時代 広布の師子と勇み立て!
秋本番。健康は良質な睡眠、バランスの良い食事から。聡明にリズム整え
COP26始まる。気候変動の危機から持続可能な未来へ—市民の連帯更に
☆「創価」とは「勝利」の異名なり。
ゆえに、その名を冠した「創価班」は、いずこにあっても、いついかなる時にあっても、「勝利」が宿命づけられている。
この宿命を誓願の使命として胸を張る、おお、創価班の君よ!君たちよ!
雨にも寒風にも、凜として立つ爽やかな笑顔、そして、同志を守り抜くために、わずかな兆候も見逃さない真剣なまなざし。
日本全国・全世界から宝友が集い来る広宣流布大誓堂の誓願勤行会も、「当起遠迎、当如敬仏(とうきおんごう、とうにょきょうぶつ)(当に起って遠く迎かうべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」(法華経677�)との精神で担い立ってくれている。
来日した海外の創価班のメンバーが一緒に着任し、大誠実の振る舞いを共に学び合っているとも聞いた。
折々に私が立ち寄る会館でも、創価班の丈夫が法城を厳護してくれていることが、何よりも頼もしい。
☆創価班の「青」とは「従藍而青」の青
創価班の「青」とは「従藍而青」(じゅうらんにしょう)の青なり。
日蓮大聖人は、若き南条時光の成長を深く喜ばれ、「藍よりも青し」と仰せになられた。
藍(あい)という草から生まれ出る青は、重ねて染めることによって、藍にもまして色鮮やかに輝く。後を継ぐ弟子たちが、自分以上に立派に、そして陸続と成長してくれることこそが、師の祈りであり、喜びである。
創価班の結成から40星霜。誇り高き先輩たちは、この「出藍の誉れ」の人材の流れを迸らせてくれた。
従藍而青の青年の奔流は、励ましの水かさをいやましながら、今、世界広宣流布の滔々たる希望の大河となり、五大陸を潤し広がっている。
☆御書の旭光を 第58回 「友情の開拓」「仏縁の拡大」を
〈御文〉
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり』(法華初心成仏抄、552ページ)
〈通解〉
とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信じる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである。どのようにしても、仏の種は法華経よりほかにないのである。
〈池田先生が贈る指針〉
万人に妙法の仏種を——これが御本仏のお心である。私たちが友の幸福を祈り、対話することは、仏の種を蒔くことだ。全てが尊い仏縁となる。友情の開拓こそ、仏性を薫発しゆく広布の直道なのだ。
反発や無理解があっても誠意と道理の種は消えない。必ず芽を出し、花咲く時が来る。声を惜しまず語り切ろう!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第16回 師弟共戦
◇御義口伝
『師子吼とは仏の説なり説法とは法華別しては南無妙法蓮華経なり、師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり』(御書748ページ10行目〜12行目)
◇池田先生の講義から
大聖人は、「毎自作是念の悲願」(御書466ページ)と仰せです。この仏の「毎自作是念」に連なり、学会は世界広布を進めてきました。創価の師弟共戦の強い絆によって、妙法は世界百九十二カ国・地域にまで流布したのです。
◆◇◆
戸田先生は、自ら師子吼されるとともに、青年部によく語られていました。
「広宣流布は、言論戦なのだから、皆も語りまくれ!」「我々は正しいのだ。ゆえに、ありのままに真実を叫べ!」と。
◆◇◆
「万人成仏の法」を、何ものも恐れることなく、自在に説いていく仏の説法が師子吼の内実です。(中略)当然のことながら、授ける妙法と、受ける妙法とは、一体です。したがって「吼」とは、師弟が共に妙法を唱え弘めていく広宣流布の大音声なのです。
◆◇◆
この御聖訓の通りに、創価の地涌の同志は、いかなる試練に直面しても勇敢に師子王の心を起こし、広布に邁進してきました。(中略)混迷の時代だからこそ、いよいよ、創価の師弟が新たな師子吼を起こし、一切衆生の心田に妙法の種を蒔き、世界に平和と幸福の花を咲かせていくのです。
(『人間革命の宗教』から)
中川京子 四国女性部長
◇一切を揺り動かす師子吼を
本年は、学会歌「紅の歌」の誕生から40周年。この"師弟の共戦譜"を歌いながら、四国の友は、「舞いに舞い征け」と、限界突破の対話拡大に駆けています。
5年前には、四国青年部の熱き願いを池田先生が汲んでくださり、2番の「父の滸集いし」の一節が「師の滸集いし」との新歌詞になりました。その後に続く「子よ大樹と 仰ぎ見む」と、行頭の文字を合わせると「師子」となり、喜びと感謝が広がりました。
今こそ、報恩のスクラム固く、正義を師子吼する時。「御義口伝」の一節を拝し、師弟共戦の信念の叫びを放っていきたいと思います。
◇青春の誓いのままに
「仏法で説く師子王の願いとは、一切を揺り動かす大師子吼によって、あらゆる魔性を打ち破り、民衆の幸福を実現することです」——池田先生は、師子吼の意義をこのように講義されています。
1981年(昭和56年)の11月、反転攻勢の四国指導で轟いた先生の言葉は、まさに障魔を打ち破る師子吼そのものでした。
「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
この師の呼び掛けに真っ先に呼応した四国青年部と先生との"師弟の共同作業"で誕生したのが、「紅の歌」です。
この四国訪問の激闘の際、私は徳島講堂で先生と出会いを刻みました。先生は、白蓮グループの一員として任務に就いていた私たち役員と記念のカメラに納まり、「"徳島ここにあり"という戦いを!」と、力強く語られました。以来、"生涯、池田門下として生き抜く"と、青春の誓いのままに、広布に走ってきました。
◇戦いを「起こす」
本年、訪問・激励を重ねる中で、病などと戦う同志とも語らってきました。その中で、苦難に真正面から向き合い、"先生にお応えしたい!"と戦う皆さんの一念に接しました。師弟共戦の「輝く王道」を歩まれる同志のお姿から、「師匠に勝利のご報告を」との誓願の祈りが、一切の魔を打ち破る原動力であるということを改めて教えていただきました。
とともに、私自身も"皆さんに、なんとしても勝ってほしい"と唱題を重ねる中で、いつしか、友の幸福を心から祈っている自分に気付きました。題目に徹する時、境涯を開くことができるのだと、命の奥底から感謝と決意が湧き起こってきました。
先生は講義の中で、「弟子の立場からいえば、自ら決意して立ち上がり、友の幸福のために妙法を弘めていく不二の行動を『起こす』ことであり、そこに、仏弟子の根本精神がある」と教えてくださっています。
「師弟共戦」とは、人から言われて起こすものではありません。どんな状況でも、苦境の渦中でも、自らが決めて、戦いを起こしていくときに成就するものです。その自発能動の戦いが、自身の小さな境涯の殻を打ち破り、自らの一念を師匠の誓願へと合致させていくのだと強く実感します。
◇新時代の暁鐘を
「世界中の学会員が確かな体験をつかみ、仏法の厳たる師子吼の力を証明してきました」との講義の通り、四国の同志も、共戦の師子吼で、自らの使命の人生を切り開いています。
香川のある女性部の友は81年、母に連れられて四国研修道場で池田先生と出会いを結びました。創価大学時代、創立者が一人を大切にされる振る舞いに心から感動し、発心。女子部時代を悔いなく走り切り、結婚しました。
しかし、生まれてきた2人目の娘さんの背骨に異常が。"将来、どうなるか分からない"と医師から告げられ、現実を受け止め切れずにいた時、先輩が「ここからが本当の信心の戦いよ」と励ましを。師匠からも激励を受けた彼女は、決然と前を向きました。
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」(御書1124ページ)の一節を胸に、学会活動に一歩も引かずに挑戦。"師子吼の題目"で不安や恐れを打ち払い、弘教も実らせました。入退院を繰り返していた娘さんは、明るく成長。現在、ご長女はアメリカ創価大学で、2人目の娘さんは関西創価高校で、「青春の金の汗」を流しています。彼女は"不可能を可能にする"信仰の歓喜を語りに語り、全国各地の友人・知人に共感の花を咲かせておられます。
さあ、今再び、新時代の「紅の朝」を告げる時。共戦の師子吼で、四国中、日本中に正義の旋風を巻き起こし、師弟の凱歌を響かせていきましょう!
◇メモ
「御義口伝」は、日蓮大聖人が、身延で法華経の要文を講義され、それを日興上人が筆録したと伝えられている。末法の御本仏・日蓮大聖人のお立場からの法華経解釈が展開されている。
全同志の献身に最敬礼!
真心で結び広げた
「幸の仏縁」を大切に
信頼の絆を一段と強く!
破良観等御書 P1293
『本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからずいづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし論師訳者人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりともはばかるべからず何に況や其の已下の人をや、父母師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらずありのままに申すべしと誓状を立てし』
【通解】
もともとの願いに「諸宗のいずれの宗にたいしても偏った心や執着はもつまい。いづれの宗であっても仏説に証拠があって、道理が分明であるものを用いよう。論師・訳者・人師によってはならない。ひたすら仏の経文を第一としよう。また法門の上では、たとえ国王の責めを受けてもはばかることはない。まして、それより以下の人々をや、父母・師兄等の教訓であっても用いることはない。人の信ずるか信じないとかにかかわらず、ただ経文のままに言い通していこう」と誓状を立てたのである。
字の言 「信は万物の基を成す」 2021年11月2日
プロ野球で両リーグ共に、前年の最下位チームが優勝したのは史上初だ。セ・リーグはヤクルト、パ・リーグはオリックスが制覇した▼飛躍の要因はさまざま考えられるが、共通するのは「指導者の手腕」だろう。ヤクルトの高津臣吾監督は声を聞き、声を発して「言葉の力」を大切にした。負けが込んだシーズン終盤には、こう言って選手を奮い立たせた。「一枚岩でいけば絶対崩れることはない。絶対大丈夫」。結束を強めたチームは重圧をはねのけ、6年ぶりのリーグ優勝を果たした▼オリックスの中嶋聡監督は「育成と勝利の両立」を追求した。過去の実績を問わず、若手を積極的に起用。くすぶっていた選手にもチャンスを与えた。昨年1勝の2年目左腕・宮城は13勝を挙げ、30歳の杉本は本塁打が2本から32本に激増。適材適所の采配で個々の能力を引き出し、実に25年ぶりの栄冠をつかんだ▼「信は万物の基を成す」。名将・野村克也さんがよく口にした言葉を思い出した。号令やポーズで人は動かない。リーダーの責任ある姿勢と言動が皆の信頼を集め、力を発揮させるのだろう▼"凱歌の秋"を目指して走り抜いた共戦の友と互いをたたえ、心から励まし合おう。それが新たな勝利の「基」となる。
寸鉄 2021年11月2日
「創立の月」を皆で祝賀!互いの健闘を称え「希望・勝利の年」の総仕上げへ
「法華経の功徳は虚空にも余りぬべし」御書。立正安国の大闘争に福徳燦然
きょう創価班の日45周年 いよいよ君ら後継の時代 広布の師子と勇み立て!
秋本番。健康は良質な睡眠、バランスの良い食事から。聡明にリズム整え
COP26始まる。気候変動の危機から持続可能な未来へ—市民の連帯更に
☆「創価」とは「勝利」の異名なり。
ゆえに、その名を冠した「創価班」は、いずこにあっても、いついかなる時にあっても、「勝利」が宿命づけられている。
この宿命を誓願の使命として胸を張る、おお、創価班の君よ!君たちよ!
雨にも寒風にも、凜として立つ爽やかな笑顔、そして、同志を守り抜くために、わずかな兆候も見逃さない真剣なまなざし。
日本全国・全世界から宝友が集い来る広宣流布大誓堂の誓願勤行会も、「当起遠迎、当如敬仏(とうきおんごう、とうにょきょうぶつ)(当に起って遠く迎かうべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」(法華経677�)との精神で担い立ってくれている。
来日した海外の創価班のメンバーが一緒に着任し、大誠実の振る舞いを共に学び合っているとも聞いた。
折々に私が立ち寄る会館でも、創価班の丈夫が法城を厳護してくれていることが、何よりも頼もしい。
☆創価班の「青」とは「従藍而青」の青
創価班の「青」とは「従藍而青」(じゅうらんにしょう)の青なり。
日蓮大聖人は、若き南条時光の成長を深く喜ばれ、「藍よりも青し」と仰せになられた。
藍(あい)という草から生まれ出る青は、重ねて染めることによって、藍にもまして色鮮やかに輝く。後を継ぐ弟子たちが、自分以上に立派に、そして陸続と成長してくれることこそが、師の祈りであり、喜びである。
創価班の結成から40星霜。誇り高き先輩たちは、この「出藍の誉れ」の人材の流れを迸らせてくれた。
従藍而青の青年の奔流は、励ましの水かさをいやましながら、今、世界広宣流布の滔々たる希望の大河となり、五大陸を潤し広がっている。
☆御書の旭光を 第58回 「友情の開拓」「仏縁の拡大」を
〈御文〉
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり』(法華初心成仏抄、552ページ)
〈通解〉
とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信じる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである。どのようにしても、仏の種は法華経よりほかにないのである。
〈池田先生が贈る指針〉
万人に妙法の仏種を——これが御本仏のお心である。私たちが友の幸福を祈り、対話することは、仏の種を蒔くことだ。全てが尊い仏縁となる。友情の開拓こそ、仏性を薫発しゆく広布の直道なのだ。
反発や無理解があっても誠意と道理の種は消えない。必ず芽を出し、花咲く時が来る。声を惜しまず語り切ろう!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第16回 師弟共戦
◇御義口伝
『師子吼とは仏の説なり説法とは法華別しては南無妙法蓮華経なり、師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり』(御書748ページ10行目〜12行目)
◇池田先生の講義から
大聖人は、「毎自作是念の悲願」(御書466ページ)と仰せです。この仏の「毎自作是念」に連なり、学会は世界広布を進めてきました。創価の師弟共戦の強い絆によって、妙法は世界百九十二カ国・地域にまで流布したのです。
◆◇◆
戸田先生は、自ら師子吼されるとともに、青年部によく語られていました。
「広宣流布は、言論戦なのだから、皆も語りまくれ!」「我々は正しいのだ。ゆえに、ありのままに真実を叫べ!」と。
◆◇◆
「万人成仏の法」を、何ものも恐れることなく、自在に説いていく仏の説法が師子吼の内実です。(中略)当然のことながら、授ける妙法と、受ける妙法とは、一体です。したがって「吼」とは、師弟が共に妙法を唱え弘めていく広宣流布の大音声なのです。
◆◇◆
この御聖訓の通りに、創価の地涌の同志は、いかなる試練に直面しても勇敢に師子王の心を起こし、広布に邁進してきました。(中略)混迷の時代だからこそ、いよいよ、創価の師弟が新たな師子吼を起こし、一切衆生の心田に妙法の種を蒔き、世界に平和と幸福の花を咲かせていくのです。
(『人間革命の宗教』から)
中川京子 四国女性部長
◇一切を揺り動かす師子吼を
本年は、学会歌「紅の歌」の誕生から40周年。この"師弟の共戦譜"を歌いながら、四国の友は、「舞いに舞い征け」と、限界突破の対話拡大に駆けています。
5年前には、四国青年部の熱き願いを池田先生が汲んでくださり、2番の「父の滸集いし」の一節が「師の滸集いし」との新歌詞になりました。その後に続く「子よ大樹と 仰ぎ見む」と、行頭の文字を合わせると「師子」となり、喜びと感謝が広がりました。
今こそ、報恩のスクラム固く、正義を師子吼する時。「御義口伝」の一節を拝し、師弟共戦の信念の叫びを放っていきたいと思います。
◇青春の誓いのままに
「仏法で説く師子王の願いとは、一切を揺り動かす大師子吼によって、あらゆる魔性を打ち破り、民衆の幸福を実現することです」——池田先生は、師子吼の意義をこのように講義されています。
1981年(昭和56年)の11月、反転攻勢の四国指導で轟いた先生の言葉は、まさに障魔を打ち破る師子吼そのものでした。
「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
この師の呼び掛けに真っ先に呼応した四国青年部と先生との"師弟の共同作業"で誕生したのが、「紅の歌」です。
この四国訪問の激闘の際、私は徳島講堂で先生と出会いを刻みました。先生は、白蓮グループの一員として任務に就いていた私たち役員と記念のカメラに納まり、「"徳島ここにあり"という戦いを!」と、力強く語られました。以来、"生涯、池田門下として生き抜く"と、青春の誓いのままに、広布に走ってきました。
◇戦いを「起こす」
本年、訪問・激励を重ねる中で、病などと戦う同志とも語らってきました。その中で、苦難に真正面から向き合い、"先生にお応えしたい!"と戦う皆さんの一念に接しました。師弟共戦の「輝く王道」を歩まれる同志のお姿から、「師匠に勝利のご報告を」との誓願の祈りが、一切の魔を打ち破る原動力であるということを改めて教えていただきました。
とともに、私自身も"皆さんに、なんとしても勝ってほしい"と唱題を重ねる中で、いつしか、友の幸福を心から祈っている自分に気付きました。題目に徹する時、境涯を開くことができるのだと、命の奥底から感謝と決意が湧き起こってきました。
先生は講義の中で、「弟子の立場からいえば、自ら決意して立ち上がり、友の幸福のために妙法を弘めていく不二の行動を『起こす』ことであり、そこに、仏弟子の根本精神がある」と教えてくださっています。
「師弟共戦」とは、人から言われて起こすものではありません。どんな状況でも、苦境の渦中でも、自らが決めて、戦いを起こしていくときに成就するものです。その自発能動の戦いが、自身の小さな境涯の殻を打ち破り、自らの一念を師匠の誓願へと合致させていくのだと強く実感します。
◇新時代の暁鐘を
「世界中の学会員が確かな体験をつかみ、仏法の厳たる師子吼の力を証明してきました」との講義の通り、四国の同志も、共戦の師子吼で、自らの使命の人生を切り開いています。
香川のある女性部の友は81年、母に連れられて四国研修道場で池田先生と出会いを結びました。創価大学時代、創立者が一人を大切にされる振る舞いに心から感動し、発心。女子部時代を悔いなく走り切り、結婚しました。
しかし、生まれてきた2人目の娘さんの背骨に異常が。"将来、どうなるか分からない"と医師から告げられ、現実を受け止め切れずにいた時、先輩が「ここからが本当の信心の戦いよ」と励ましを。師匠からも激励を受けた彼女は、決然と前を向きました。
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」(御書1124ページ)の一節を胸に、学会活動に一歩も引かずに挑戦。"師子吼の題目"で不安や恐れを打ち払い、弘教も実らせました。入退院を繰り返していた娘さんは、明るく成長。現在、ご長女はアメリカ創価大学で、2人目の娘さんは関西創価高校で、「青春の金の汗」を流しています。彼女は"不可能を可能にする"信仰の歓喜を語りに語り、全国各地の友人・知人に共感の花を咲かせておられます。
さあ、今再び、新時代の「紅の朝」を告げる時。共戦の師子吼で、四国中、日本中に正義の旋風を巻き起こし、師弟の凱歌を響かせていきましょう!
◇メモ
「御義口伝」は、日蓮大聖人が、身延で法華経の要文を講義され、それを日興上人が筆録したと伝えられている。末法の御本仏・日蓮大聖人のお立場からの法華経解釈が展開されている。
2021年11月1日月曜日
2021.11.01 わが友に贈る
◇今週のことば
一人一人の凱歌が轟く
金秋の創立の月、万歳!
御本仏の讃嘆は絶大なり。
「大果報は又来るべし」
立正安国の宝光を更に!
2021年11月01日
弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』
【通解】
ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、(弥三郎が)今まで生きながらえてきたのは、このことにあうためなのである。
名字の言 秋植えの花々に共通すること 2021年11月1日
この時季に思い出す花がある。小学生の時、学校の花壇の土を掘り、チューリップの球根をそっと置いた。「紅葉の見頃が植え頃」という。やがて来る春の彩りを、胸に楽しく描いたものである▼秋に植えて春に咲く花は、他にもアネモネやスイセンなどがある。共通するのは開花のために「寒さ」を必要とすること。冬を経なければ花を結ぶことはない。咲くべき時を迎えるために、植えるべき「時」がある▼日蓮大聖人は「春は花さき秋は菓なる春種子を下して秋菓を取るべし」(御書503ページ)と仰せだ。米作りの場合、春に田植えをしなければ実りの秋は来ない。仏法者にとっても、時に適った実践こそが仏の境涯を開く直道なのである▼学会は本年を、創立100周年へと向かう「勝負の10年」の初陣と位置付けた。この千載一遇の対話の秋に、同志は"友情の種"をあの友この友の心に蒔き続けてきた。御聖訓に照らして、一人一人に"功徳満開の春"が訪れ、友の胸中に根を下ろした仏種がいつか芽吹くことは間違いない▼学会創立の月を迎えた。「創」は「はじめる」とも読む。秋植えの花々は、春を確信して開花の準備を始めている。我らも心に新たな決意の芽を育み、新たな歴史を創めよう。
寸鉄 2021年11月1日
11・18へ皆で戦い、皆で壁破った!全同志の奮闘に感謝。日本の柱は厳たり
社会変革に進む学会の草の根運動は希望—教授。築いた友情は未来の礎と
誠実は人が持つ最も高尚なもの—詩人。まずは友に御礼を。反応は素早く
年賀はがきの販売開始。一葉の便りは旧交を温め絆結ぶ契機。活用上手に
公明党よ支持者の献身を絶対に忘れるな。大衆に尽くす政治を断じて貫け
☆大白蓮華巻頭言2021年11月号 「桜梅桃李」の人華の連帯を
創立の月に当たり、広宣流布の太陽と輝き光る世界中の創価の女性へ、みんなで改めて感謝を捧げたい。
御本仏・日蓮大聖人が、法華経の「第一の肝心」として日眼女に送られた薬王品の一節が胸に追ってくる。
「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如く、一切衆生の中に於いて、亦為れ第一なり」。
大聖人は、この一切衆生の「第一」の人とは、妙法を持つ「女人」である貴女・なのですよ、と讃嘆されている。
薬王品では、妙法の力用について、一切衆生を「よく救い」、「よく諸の苦悩から離れさせる」。そして「よく大いに利益して、その願いを満たす」と説かれる。
この妙法の大良薬を携えて、仏に代わり、仏の仕事を、日々懸命に果たしているのが、地涌の女性たちだ。
人間として本当に偉い人とは一体、誰か。地位や名声、権勢や富などに惑わされる時代は、もはや過ぎ去った。
どのような哲学を抱き、人々のため、社会のため、いかに苦労し行動しているか。その実像が心を打つ。
なかんずく生命尊厳の法理を掲げ、喝采のない舞台で、苦しむ友に寄り添い、地道に誠実に不退の信心で人道の貢献への連帯を築きゆく広布の女性が、どれほど偉人か。
虚栄も威張りもなく、朗らかにして笑顔さわやかな無冠のヒロインこそを、大聖人が御照覧の通りに「第一の鑑の人」と仰ぎ、いよいよ大切に敬い学ぶのだ。いやまして誇り高く宣揚し、幸福勝利の華冠を贈るのだ。
地味でありながら、ここに民衆の心の大地を耕す人間性の指標があり、地球民族を結ぶ平和の要がある。
とりわけ、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(P781)、多彩な人華を咲かせ合う女性部の異体同心のスクラムは、世界が希求する多様性の共生のモデルである。
とともに、「大悲とは母の子を思う慈悲の如し」(P721)と仰せのように、一段と慈悲から発する智慧の光を、華陽姉妹をはじめ若き世代と未来へ広げていきたい。
創立百周年へ、一閻浮提第一の希望の陣列、楽しく!
殉教の
師父が祈りし
母娘らの
幸の笑顔が
輝く人道世紀を
☆学ぼう 11月の学会史 2021
2021年10月14日
◎11・2「創価班の日」45周年
1976年(昭和51年)11月2日、それまでの「輸送班」を発展的に解消し、諸行事の運営・整理などを担う「創価班」が命名・結成された。本年で45周年。
※参考資料=小説『新・人間革命』第24巻「厳護」
◎11・3「創価文化の日」
人間文化の創造を目指し、学会では「文化の日」の11月3日を「創価文化の日」と定めている。
◎11・5「男子部の日」60周年
1961年(昭和36年)11月5日、東京・国立競技場で第10回男子部総会を開催。54年(同29年)に第2代会長・戸田城聖先生が「国士訓」で青年部に呼び掛けた"精鋭10万人"の結集を実現させた。本年で60周年。
※参考資料=『新・人間革命』第5巻「勝利」
◎11・6「四国の日」
1987年(昭和62年)11月6日、池田大作先生が長編詩「青き天地 四国讃歌」を四国の友に贈ったことを記念して定められた。
◎11・12「女子部の日」60周年
1961年(昭和36年)11月12日、横浜・三ツ沢の競技場に、各地から8万5000人が集い、第9回女子部総会を開催。本年で60周年。
※参考資料=『新・人間革命』第5巻「勝利」
◎11・14「紅の歌」誕生40周年
1981年(昭和56年)11月、池田先生は四国男子部の有志が作成した歌詞案に二十数回の推敲を重ね、同14日、「紅の歌」が誕生。本年で40周年。
※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「勝ち鬨」
◎11・15「地域部の日」
1987年(昭和62年)11月15日に行われた第1回総会が淵源。
◎11・18「創価学会創立記念日」
1930年(昭和5年)11月18日、初代会長の牧口常三郎先生は、戸田先生と共に『創価教育学体系』第1巻を発刊。発刊日の11月18日が、後に創価学会の創立記念日となった。
※参考資料=『新・人間革命』第23巻「敢闘」、第27巻「正義」
◎11・28「魂の独立記念日」30周年
創価の師弟を分断し、学会を破壊しようと陰謀を巡らせた宗門は、1991年(平成3年)11月28日付で、学会に「破門通告書」を送付。その日は、学会が世界宗教へ飛翔する「魂の独立記念日」となった。本年で30周年。
※参考資料=『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」、第30巻〈下〉「誓願」
☆輝きの瞬間 11月の広布史
広宣流布の歴史は、単なる過去の出来事ではない。そこに刻まれた精神を胸に、誓い新たに挑戦を開始する"魂の原点"である。ここでは「輝きの瞬間」と題して、11月の広布史を紹介する。
◇1975年11月8日 広島の原爆慰霊碑に献花
広島の平和記念公園に、池田先生の題目三唱の声が響いた。
1975年11月8日、先生は原爆死没者慰霊碑の前に立った。被爆2世の青年と共に慰霊碑に献花し、平和への祈りをささげた。先生は語った。
「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」
——「原水爆禁止宣言」の発表から2カ月後の57年11月20日、戸田先生は被爆地・広島へ出発する予定であった。だが、体の衰弱は激しく、前日の19日、池田先生は広島行きの中止を懇願した。
「ご無理をなされば、お体にさわり、命にもかかわります。おやめください」
戸田先生は語った。
「そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。俺は、死んでも行くぞ」
しかし、出発の日の朝、戸田先生は自宅で倒れてしまう。やむなく、広島には代理の幹部が向かうことになった。命を賭しても、広島を訪れようとした恩師の気迫を、池田先生は平和行動の原点として、深く心にとどめた。
先生が慰霊碑に献花した75年当時、世界は東西冷戦、中ソ対立の渦中にあった。一触即発の状況下、先生は74年から75年にかけて中国、ソ連、アメリカを相次いで訪問。ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理、アメリカのキッシンジャー国務長官など、各国の要人と語り合い、「分断の溝」に「友好の橋」を架けていった。この「平和への闘争」をもって、広島を訪問したのである。
先生は献花の準備に当たった青年たちと握手を交わし、こう語った。
「人生は早いよ。だから私は、一瞬一瞬が真剣勝負だという思いで戦っているんです」
◇1979年11月16日 東京戸田記念講堂での指揮
1979年11月16日、創価学会創立49周年を記念する本部幹部会が、東京戸田記念講堂で行われた。
池田先生は幹部会で、「威風堂々の歌」の指揮を執った。第3代会長辞任後、初めての学会歌の指揮だった。
宗門僧らの師弟分断の画策によって、先生は会合で話すことができず、聖教新聞でも動向が報じられることが、ほとんどなくなった。だが、どれだけ行動を制約されようとも、先生の広宣流布の戦いがやむことは決してなかった。
個人指導に力を注いだ。揮毫を認め、和歌を詠み、ピアノを弾いて、同志を鼓舞した。幹部会での指揮も、"励ましの戦い"であった。
会場の「東京戸田記念講堂」。その名を提案したのは、池田先生である。講堂が立つ豊島区には、初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生が戦時中、軍部政府の弾圧によって投獄された東京拘置所があった。牧口先生は獄中で殉教の生涯を閉じた。講堂は先師、恩師の死身弘法の精神をとどめる法城として誕生した。
79年6月3日、講堂が開館。その前日、池田先生が初めて訪問した。この6月からの半年間で、先生は18回訪れ、全国各地から来館する同志に渾身の励ましを送った。会長辞任後、東京・立川文化会館、神奈川文化会館などと共に、"戸田講"から新たな歴史を開く戦いを起こした。
先生は幹部会で、扇を手に壇上の中央へ。「威風堂々の歌」の曲が流れ始める。会場には"誓いの手拍子"が響いた。
先生の入魂の舞は、皆に呼び掛けていた。
——大東京よ、立ち上がれ! 全同志よ、立ち上がれ!
第1次宗門事件の嵐が吹き荒れる中、この日、東京から凱歌の行進が始まったのである。
◇2001年11月12日 関西総会・北海道栄光総会
21世紀が開幕して、最初の創価学会創立記念日を祝賀する本部幹部会は、「関西総会」「北海道栄光総会」の意義を込めて開催された。
2001年は関西の友にとって、「大阪の戦い」から45周年の節目。また、1981年11月、反転攻勢の激励行の中、先生が関西で「嗚呼黎明は近づけり」の指揮を執ってから20周年であった。
さらに、前年の2000年12月に関西で行われた本部幹部会で、先生は「第2の七つの鐘」の構想に言及。広布の遠大な未来を展望した。
この「第2の七つの鐘」を打ち鳴らす21世紀の初陣を圧倒的な広布拡大で飾ろうと、2001年の上半期、関西の友は対話に奔走。全てに勝利して、関西総会に晴れ晴れと集った。
北海道の友にとって2001年は、池田先生が1991年に「難攻不落の三代城」との指針を示してから10周年の佳節を迎える年であった。
初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生が青春時代を過ごした北海道。小樽問答や夕張炭労事件など、池田先生が青年時代、三類の強敵と戦い、勝利した北海道。創価三代の有縁の天地である誇りを胸に、友は祈りに祈り、広大な北の大地を動きに動いた。
2001年の上半期を北海道の友も、壁を破る対話拡大で荘厳。さらに、下半期は聖教拡大に挑み、連続勝利で栄光総会に臨んだのである。
関西総会・北海道栄光総会で、先生は強調した。
「環境ではない。一念で決まる」「『人生、何があろうと"信心"で進め!』——これが仏法者の魂である」
師の渾身の叫びから20星霜——。学会創立100周年を目指す今、その初陣を総仕上げする"凱歌の秋"を痛快な勝利で飾ろうと、関西と北海道の友は使命の天地を駆け巡っている。
◇1981年11月 四国から始まった反転攻勢
池田先生と四国の友の絆は永遠——40年前の1981年11月9日から始まった四国での激励行は、その象徴である。
この日、徳島講堂の落成記念勤行会が昼と夜の2回、開催された。夜の勤行会で先生は、"どんなことがあっても、今日は一目でも一足でも、徳島に入って約束を果たしたかった"と語った。
2カ月前の聖教新聞には、落成を祝う記念行事に先生が出席する、との予告記事まで掲載になっていた。
前年の80年、宗門僧らが学会批判を繰り返す中、四国の同志は大型客船「さんふらわあ7」号に乗り、3回にわたって神奈川文化会館にいる先生のもとへ集った。四国の友の求道心に恩返しがしたい——それが、先生の四国訪問への並々ならぬ思いとなった。
81年10月、四国青年部が企画・推進し、四国研修道場で池田先生の平和行動展が開幕した。1カ月の開催期間で、来館者は6万人を超えた。四国の友は、創価の正義を語り抜いて、師を迎えたのである。
先生は徳島、香川、愛媛、高知それぞれの集いに全て出席した。同年11月10日、四国研修道場で行われた香川の記念幹部会で、烈々と宣言した。
「もう一度、指揮を執らせていただきます!」
「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
14日には、先生が二十数回の推敲を重ね、学会歌「紅の歌」が誕生した。
15日までの7日間に及ぶ先生の激励行は、「反転攻勢」として広布史に刻まれる。それは、宗門の謀略の鉄鎖を断ち切り、学会が大きく飛翔する転機となった。
80年から81年にかけての、池田先生と四国の同志のドラマは、いついかなる時も、どの地にも先駆けて広布の突破口を開くという、四国の深き使命を物語っている。
一人一人の凱歌が轟く
金秋の創立の月、万歳!
御本仏の讃嘆は絶大なり。
「大果報は又来るべし」
立正安国の宝光を更に!
2021年11月01日
弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』
【通解】
ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、(弥三郎が)今まで生きながらえてきたのは、このことにあうためなのである。
名字の言 秋植えの花々に共通すること 2021年11月1日
この時季に思い出す花がある。小学生の時、学校の花壇の土を掘り、チューリップの球根をそっと置いた。「紅葉の見頃が植え頃」という。やがて来る春の彩りを、胸に楽しく描いたものである▼秋に植えて春に咲く花は、他にもアネモネやスイセンなどがある。共通するのは開花のために「寒さ」を必要とすること。冬を経なければ花を結ぶことはない。咲くべき時を迎えるために、植えるべき「時」がある▼日蓮大聖人は「春は花さき秋は菓なる春種子を下して秋菓を取るべし」(御書503ページ)と仰せだ。米作りの場合、春に田植えをしなければ実りの秋は来ない。仏法者にとっても、時に適った実践こそが仏の境涯を開く直道なのである▼学会は本年を、創立100周年へと向かう「勝負の10年」の初陣と位置付けた。この千載一遇の対話の秋に、同志は"友情の種"をあの友この友の心に蒔き続けてきた。御聖訓に照らして、一人一人に"功徳満開の春"が訪れ、友の胸中に根を下ろした仏種がいつか芽吹くことは間違いない▼学会創立の月を迎えた。「創」は「はじめる」とも読む。秋植えの花々は、春を確信して開花の準備を始めている。我らも心に新たな決意の芽を育み、新たな歴史を創めよう。
寸鉄 2021年11月1日
11・18へ皆で戦い、皆で壁破った!全同志の奮闘に感謝。日本の柱は厳たり
社会変革に進む学会の草の根運動は希望—教授。築いた友情は未来の礎と
誠実は人が持つ最も高尚なもの—詩人。まずは友に御礼を。反応は素早く
年賀はがきの販売開始。一葉の便りは旧交を温め絆結ぶ契機。活用上手に
公明党よ支持者の献身を絶対に忘れるな。大衆に尽くす政治を断じて貫け
☆大白蓮華巻頭言2021年11月号 「桜梅桃李」の人華の連帯を
創立の月に当たり、広宣流布の太陽と輝き光る世界中の創価の女性へ、みんなで改めて感謝を捧げたい。
御本仏・日蓮大聖人が、法華経の「第一の肝心」として日眼女に送られた薬王品の一節が胸に追ってくる。
「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如く、一切衆生の中に於いて、亦為れ第一なり」。
大聖人は、この一切衆生の「第一」の人とは、妙法を持つ「女人」である貴女・なのですよ、と讃嘆されている。
薬王品では、妙法の力用について、一切衆生を「よく救い」、「よく諸の苦悩から離れさせる」。そして「よく大いに利益して、その願いを満たす」と説かれる。
この妙法の大良薬を携えて、仏に代わり、仏の仕事を、日々懸命に果たしているのが、地涌の女性たちだ。
人間として本当に偉い人とは一体、誰か。地位や名声、権勢や富などに惑わされる時代は、もはや過ぎ去った。
どのような哲学を抱き、人々のため、社会のため、いかに苦労し行動しているか。その実像が心を打つ。
なかんずく生命尊厳の法理を掲げ、喝采のない舞台で、苦しむ友に寄り添い、地道に誠実に不退の信心で人道の貢献への連帯を築きゆく広布の女性が、どれほど偉人か。
虚栄も威張りもなく、朗らかにして笑顔さわやかな無冠のヒロインこそを、大聖人が御照覧の通りに「第一の鑑の人」と仰ぎ、いよいよ大切に敬い学ぶのだ。いやまして誇り高く宣揚し、幸福勝利の華冠を贈るのだ。
地味でありながら、ここに民衆の心の大地を耕す人間性の指標があり、地球民族を結ぶ平和の要がある。
とりわけ、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(P781)、多彩な人華を咲かせ合う女性部の異体同心のスクラムは、世界が希求する多様性の共生のモデルである。
とともに、「大悲とは母の子を思う慈悲の如し」(P721)と仰せのように、一段と慈悲から発する智慧の光を、華陽姉妹をはじめ若き世代と未来へ広げていきたい。
創立百周年へ、一閻浮提第一の希望の陣列、楽しく!
殉教の
師父が祈りし
母娘らの
幸の笑顔が
輝く人道世紀を
☆学ぼう 11月の学会史 2021
2021年10月14日
◎11・2「創価班の日」45周年
1976年(昭和51年)11月2日、それまでの「輸送班」を発展的に解消し、諸行事の運営・整理などを担う「創価班」が命名・結成された。本年で45周年。
※参考資料=小説『新・人間革命』第24巻「厳護」
◎11・3「創価文化の日」
人間文化の創造を目指し、学会では「文化の日」の11月3日を「創価文化の日」と定めている。
◎11・5「男子部の日」60周年
1961年(昭和36年)11月5日、東京・国立競技場で第10回男子部総会を開催。54年(同29年)に第2代会長・戸田城聖先生が「国士訓」で青年部に呼び掛けた"精鋭10万人"の結集を実現させた。本年で60周年。
※参考資料=『新・人間革命』第5巻「勝利」
◎11・6「四国の日」
1987年(昭和62年)11月6日、池田大作先生が長編詩「青き天地 四国讃歌」を四国の友に贈ったことを記念して定められた。
◎11・12「女子部の日」60周年
1961年(昭和36年)11月12日、横浜・三ツ沢の競技場に、各地から8万5000人が集い、第9回女子部総会を開催。本年で60周年。
※参考資料=『新・人間革命』第5巻「勝利」
◎11・14「紅の歌」誕生40周年
1981年(昭和56年)11月、池田先生は四国男子部の有志が作成した歌詞案に二十数回の推敲を重ね、同14日、「紅の歌」が誕生。本年で40周年。
※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「勝ち鬨」
◎11・15「地域部の日」
1987年(昭和62年)11月15日に行われた第1回総会が淵源。
◎11・18「創価学会創立記念日」
1930年(昭和5年)11月18日、初代会長の牧口常三郎先生は、戸田先生と共に『創価教育学体系』第1巻を発刊。発刊日の11月18日が、後に創価学会の創立記念日となった。
※参考資料=『新・人間革命』第23巻「敢闘」、第27巻「正義」
◎11・28「魂の独立記念日」30周年
創価の師弟を分断し、学会を破壊しようと陰謀を巡らせた宗門は、1991年(平成3年)11月28日付で、学会に「破門通告書」を送付。その日は、学会が世界宗教へ飛翔する「魂の独立記念日」となった。本年で30周年。
※参考資料=『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」、第30巻〈下〉「誓願」
☆輝きの瞬間 11月の広布史
広宣流布の歴史は、単なる過去の出来事ではない。そこに刻まれた精神を胸に、誓い新たに挑戦を開始する"魂の原点"である。ここでは「輝きの瞬間」と題して、11月の広布史を紹介する。
◇1975年11月8日 広島の原爆慰霊碑に献花
広島の平和記念公園に、池田先生の題目三唱の声が響いた。
1975年11月8日、先生は原爆死没者慰霊碑の前に立った。被爆2世の青年と共に慰霊碑に献花し、平和への祈りをささげた。先生は語った。
「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」
——「原水爆禁止宣言」の発表から2カ月後の57年11月20日、戸田先生は被爆地・広島へ出発する予定であった。だが、体の衰弱は激しく、前日の19日、池田先生は広島行きの中止を懇願した。
「ご無理をなされば、お体にさわり、命にもかかわります。おやめください」
戸田先生は語った。
「そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。俺は、死んでも行くぞ」
しかし、出発の日の朝、戸田先生は自宅で倒れてしまう。やむなく、広島には代理の幹部が向かうことになった。命を賭しても、広島を訪れようとした恩師の気迫を、池田先生は平和行動の原点として、深く心にとどめた。
先生が慰霊碑に献花した75年当時、世界は東西冷戦、中ソ対立の渦中にあった。一触即発の状況下、先生は74年から75年にかけて中国、ソ連、アメリカを相次いで訪問。ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理、アメリカのキッシンジャー国務長官など、各国の要人と語り合い、「分断の溝」に「友好の橋」を架けていった。この「平和への闘争」をもって、広島を訪問したのである。
先生は献花の準備に当たった青年たちと握手を交わし、こう語った。
「人生は早いよ。だから私は、一瞬一瞬が真剣勝負だという思いで戦っているんです」
◇1979年11月16日 東京戸田記念講堂での指揮
1979年11月16日、創価学会創立49周年を記念する本部幹部会が、東京戸田記念講堂で行われた。
池田先生は幹部会で、「威風堂々の歌」の指揮を執った。第3代会長辞任後、初めての学会歌の指揮だった。
宗門僧らの師弟分断の画策によって、先生は会合で話すことができず、聖教新聞でも動向が報じられることが、ほとんどなくなった。だが、どれだけ行動を制約されようとも、先生の広宣流布の戦いがやむことは決してなかった。
個人指導に力を注いだ。揮毫を認め、和歌を詠み、ピアノを弾いて、同志を鼓舞した。幹部会での指揮も、"励ましの戦い"であった。
会場の「東京戸田記念講堂」。その名を提案したのは、池田先生である。講堂が立つ豊島区には、初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生が戦時中、軍部政府の弾圧によって投獄された東京拘置所があった。牧口先生は獄中で殉教の生涯を閉じた。講堂は先師、恩師の死身弘法の精神をとどめる法城として誕生した。
79年6月3日、講堂が開館。その前日、池田先生が初めて訪問した。この6月からの半年間で、先生は18回訪れ、全国各地から来館する同志に渾身の励ましを送った。会長辞任後、東京・立川文化会館、神奈川文化会館などと共に、"戸田講"から新たな歴史を開く戦いを起こした。
先生は幹部会で、扇を手に壇上の中央へ。「威風堂々の歌」の曲が流れ始める。会場には"誓いの手拍子"が響いた。
先生の入魂の舞は、皆に呼び掛けていた。
——大東京よ、立ち上がれ! 全同志よ、立ち上がれ!
第1次宗門事件の嵐が吹き荒れる中、この日、東京から凱歌の行進が始まったのである。
◇2001年11月12日 関西総会・北海道栄光総会
21世紀が開幕して、最初の創価学会創立記念日を祝賀する本部幹部会は、「関西総会」「北海道栄光総会」の意義を込めて開催された。
2001年は関西の友にとって、「大阪の戦い」から45周年の節目。また、1981年11月、反転攻勢の激励行の中、先生が関西で「嗚呼黎明は近づけり」の指揮を執ってから20周年であった。
さらに、前年の2000年12月に関西で行われた本部幹部会で、先生は「第2の七つの鐘」の構想に言及。広布の遠大な未来を展望した。
この「第2の七つの鐘」を打ち鳴らす21世紀の初陣を圧倒的な広布拡大で飾ろうと、2001年の上半期、関西の友は対話に奔走。全てに勝利して、関西総会に晴れ晴れと集った。
北海道の友にとって2001年は、池田先生が1991年に「難攻不落の三代城」との指針を示してから10周年の佳節を迎える年であった。
初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生が青春時代を過ごした北海道。小樽問答や夕張炭労事件など、池田先生が青年時代、三類の強敵と戦い、勝利した北海道。創価三代の有縁の天地である誇りを胸に、友は祈りに祈り、広大な北の大地を動きに動いた。
2001年の上半期を北海道の友も、壁を破る対話拡大で荘厳。さらに、下半期は聖教拡大に挑み、連続勝利で栄光総会に臨んだのである。
関西総会・北海道栄光総会で、先生は強調した。
「環境ではない。一念で決まる」「『人生、何があろうと"信心"で進め!』——これが仏法者の魂である」
師の渾身の叫びから20星霜——。学会創立100周年を目指す今、その初陣を総仕上げする"凱歌の秋"を痛快な勝利で飾ろうと、関西と北海道の友は使命の天地を駆け巡っている。
◇1981年11月 四国から始まった反転攻勢
池田先生と四国の友の絆は永遠——40年前の1981年11月9日から始まった四国での激励行は、その象徴である。
この日、徳島講堂の落成記念勤行会が昼と夜の2回、開催された。夜の勤行会で先生は、"どんなことがあっても、今日は一目でも一足でも、徳島に入って約束を果たしたかった"と語った。
2カ月前の聖教新聞には、落成を祝う記念行事に先生が出席する、との予告記事まで掲載になっていた。
前年の80年、宗門僧らが学会批判を繰り返す中、四国の同志は大型客船「さんふらわあ7」号に乗り、3回にわたって神奈川文化会館にいる先生のもとへ集った。四国の友の求道心に恩返しがしたい——それが、先生の四国訪問への並々ならぬ思いとなった。
81年10月、四国青年部が企画・推進し、四国研修道場で池田先生の平和行動展が開幕した。1カ月の開催期間で、来館者は6万人を超えた。四国の友は、創価の正義を語り抜いて、師を迎えたのである。
先生は徳島、香川、愛媛、高知それぞれの集いに全て出席した。同年11月10日、四国研修道場で行われた香川の記念幹部会で、烈々と宣言した。
「もう一度、指揮を執らせていただきます!」
「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
14日には、先生が二十数回の推敲を重ね、学会歌「紅の歌」が誕生した。
15日までの7日間に及ぶ先生の激励行は、「反転攻勢」として広布史に刻まれる。それは、宗門の謀略の鉄鎖を断ち切り、学会が大きく飛翔する転機となった。
80年から81年にかけての、池田先生と四国の同志のドラマは、いついかなる時も、どの地にも先駆けて広布の突破口を開くという、四国の深き使命を物語っている。
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