きょうも懸命に
「生活」を守り支える
尊き方々がいる。
その奮闘と献身に
皆で心から感謝しよう!
四条金吾殿御返事 P1180
『此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』
【通解】
これほど不思議なことはない。まったく陰徳あれば陽報ありとは、このことである。
名字の言 「配達日記」につづられていたこと 2020年5月31日
本紙配達員を務める千葉の壮年から、ご自身の日記を見せていただいた。題名は「配達日記」。彼は、海辺あり山間部ありの自然豊かな地域を担当する。日記には、輝く星や昇りゆく太陽、道端に咲く花、空を飛ぶ鳥、虫の声など、配達中に出あった四季折々の光景が、生き生きとつづられている▼天気に関する記述も多い。特に毎年6月の前後には、「雨」や「霧」などが頻繁に登場する。雨上がりの新聞受けにいたアマガエルをユーモアたっぷりに紹介する一方、自身の足を滑らせないよう戒める言葉も幾度となく記される▼今月上旬に梅雨入りした沖縄に続き、本州でも徐々に梅雨入りを迎える。俳聖・松尾芭蕉が「降る音や耳も酸うなる梅の雨」と詠んだ空模様が続くことを思うと、常にも増して「無冠の友」の健康と無事故を祈らずにいられない▼重ねて、今回のコロナ禍の中でも、配達員の皆さまは日々、太陽の運行のごとく、読者に本紙を届け続けてくださっている。その尊き労苦に、あらためて感謝申し上げたい▼鮮やかな虹が出るのは、雨の後。梅雨の中を、そしてウイルスとの闘いの中を走る無冠の友の皆さまが、やがて虹のようにきらめく福徳に包まれゆくことを、強く確信する。「虹立ちて忽ち君の在る如し」(高浜虚子)。(道)
寸鉄 2020年5月31日
天晴れぬれば地明かなり—御書。我らには太陽の仏法あり!断じて信強く
青年部がプロジェクト。感染防止と生活の両立へ—有益な情報発信を益々
「汝自身に力をつけよ」戸田先生。一日一日、目標明確に挑戦。幹部率先で
交通事故に注意。交差点での左右確認等、基本を徹底。運転者も安全運転
2週間運動しないと高齢者の筋力は23%低下と。家でラジオ体操等工夫を
☆小説「新・人間革命」学習のために 第9巻
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第9巻を掲載する。次回の第10巻は29日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。
◇「君が一人立てばいい!」
<1964年(昭和39年)5月、山本伸一はオーストラリアなどの歴訪に出発。その経由地であるフィリピン・マニラの空港で、マニラ支部の支部長夫妻と、支部長を支えながら奮闘してきた柴山昭男という青年を激励する>
伸一は、柴山に仕事のことなどを尋ねたあと、彼に言った。
「ところで、君をフィリピンの男子部の責任者に任命しようと思うが……」
「責任者といわれましても、男子部はほとんどいないんです」
「いいんだよ。君が一人立てばいいんだ。そうすれば、必ず人は出てくる。一人が大切なんだ。
大聖人も、お一人で立たれた。戸田先生も、戦時中の弾圧で、みんなが退転してしまったなかで一人立たれた。
そこから戦後の学会は始まった。一人立つ人がいれば、必ず広がっていく。それが広宣流布の原理だよ。
来年の五月三日には、日本にいらっしゃい。そこで男子部の旗を授与しよう」
「はい!」
決意のこもった、柴山の声が響いた。
伸一は頷きながら、話を続けた。
「大聖人は『よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ』(御書1190ページ)と仰せになっている。広宣流布の道が険しいのは当然です。困難ばかりであると、覚悟を決めることです。弾圧下にある国もある。
そのなかでも同志は、必死になって命がけで頑張っている」(中略)
伸一は、フィリピンのメンバーに言った。
「何ごとにも平坦な道はない。しかし、苦労があるから強くなれる。
苦難がまことの信仰を育む。労苦が魂を鍛える。
嵐に向かい、怒濤に向かって進んでいくのが、広宣流布の開拓者だ。
この三人が立ち上がり、真剣になれば、フィリピンの基礎は築ける。未来は安泰だ。私と同じ心で、同じ決意で前進しよう。
私は、マニラに親戚ができたと思っているからね」
ほどなく、出発の時間になった。
「握手をしよう」
こう言って伸一は、柴山に手を差し出した。
「青年が頑張るんだよ。時代、社会を変えていくのは、青年の力しかない。今度、会う時には、一段と成長した姿で会おう。待っているよ」
伸一の手に、力がこもった。柴山も、その手をしっかりと握り締めた。
(「新時代」の章、67〜70ページ)
◇真剣な一念が智慧の源泉
<65年(同40年)1月、伸一は高等部の第一期生が、決意をとどめる署名をするようにしてはどうかと提案。青年部長の秋月英介は、泉が湧くような伸一の相次ぐ提案に驚嘆し、尋ねる>
「先生の次々と打たれる手には、今更ながら驚き、感服するのみです。そうしたお考えは、どうすれば出てくるのでしょうか」
「すべては真剣さだよ。私は、二十一世紀のことを真剣に考えている。
その時に、誰が広宣流布を、世界の平和を、担っていくのか。誰が二十一世紀に、本当の学会の精神を伝えていくのか。それは、今の高等部、中等部のメンバーに頼むしかないじゃないか。
だから、一人ひとりに、しっかりと成長していってもらうしかない。大人材、大指導者に育ってもらうしかない。
では、どうすればよいのか。何もしなければ、人は育たない。
大切なのは触発だ。その触発をもたらすには、日々、命を削る思いで、成長を祈ることだ。
そして、"どうすれば、みんなの励みになるのか""どうすれば、希望がもてるのか""どうすれば、勇気が出せるのか"を、瞬間瞬間、懸命に考え続けていくことだ。
強き祈りの一念が智慧となり、それが、さまざまな発想となる。
責任感とは、その一念の強さのことだ」
(「鳳雛」の章、134〜136ページ)
◇団結の力は境涯開く祈り
<64年(同39年)12月、伸一は沖縄の地区部長会で、団結の大切さを訴える>
「皆が仲良く、互いに尊敬し合って、団結していくことが、広宣流布を前進させていく力になる。反対に同志を恨んだり、憎んだり、軽んじたり、嫉妬するようなことは、絶対にあってはならない。それは大謗法になる。自分も罰を受けるし、組織を歪んだものにし、広宣流布を破壊していくことになります。
では、どうすれば、同志の団結が図れるのか。
根本は祈りです。題目を唱え抜いていくことです。いやだな、苦手だなと思う人がいたら、その人のことを、真剣に祈っていくんです。
いがみ合ったり、争い合うということは、互いの境涯が低いからです。
相手の幸福を祈っていくことが、自分の境涯を大きく開いていくことになる。
また、誤解から、感情の行き違いを生むことも多いから、心を開いて、よく話し合うことです。勇気をもって、対話することです。互いの根本の目的が、本当に、広宣流布のためであるならば、信心をしている人同士が、共鳴できないはずはありません」
一人ひとりは、どんなに力があっても、仲が悪ければ、全体として力を発揮することはできない。
逆に仲の良い組織というのは、それぞれが、もてる力の、二倍、三倍の力を発揮しているものである。
(「衆望」の章、382〜383ページ)
◇小説「人間革命」の起稿
小説『人間革命』は、聖教新聞紙上での連載回数1509回(全12巻)で、1993年2月11日に完結した
「衆望」の章には、小説『人間革命』を起稿するに至った伸一の真情とその経緯が記されている。
◇
窓から差し込む、南国の朝の日差しがまばゆかった。机には、四百字詰めの原稿用紙が置かれていた。
彼は、この日、この朝、小説『人間革命』の筆を起こそうと心に決め、この沖縄にやって来たのである。
思えば、伸一が、戸田の生涯を書き残そうとの発想をもったのは、十九歳の時であり、入会して三カ月が過ぎたころであった。
軍部政府の弾圧と戦い、投獄されても、なお信念を貫き、人民の救済に立ち上がった戸田城聖という、傑出した指導者を知った伸一の感動は、あまりにも大きかった。
伸一は、"わが生涯の師と定めた戸田先生のことを、広く社会に、後世に、伝え抜いていかなくてはならない"と、深く深く決意していた。
その時の、炎のごとき思いは、生命の限りを尽くして、師弟の尊き共戦の歴史を織り成していくなかで、不動の誓いとなっていくのである。
一九五一年(昭和二十六年)の春であった。
彼は、戸田が妙悟空のペンネームで、聖教新聞に連載することになった、小説『人間革命』の原稿を見せられた時、"いつの日か、この続編ともいうべき戸田先生の伝記を、私が書かねばならない"と直感したのであった。
さらに、三年余りが過ぎた一九五四年(昭和二十九年)の夏、戸田と一緒に、師の故郷の北海道・厚田村を訪ねた折のことである。
伸一は、厚田港の防波堤に立って、断崖が屏風のごとく迫る、厚田の浜辺を見ながら、戸田の人生の旅立ちをうたった、「厚田村」と題する詩をつくった。
その時、自分が"戸田先生の伝記を、必ず書き残すのだ"と、改めて心に誓ったのである。
それから三年後の八月、伸一は、戸田とともに、軽井沢で思い出のひとときを過ごした。
師の逝去の八カ月前のことである。そこで、単行本として発刊されて間もない、戸田の小説『人間革命』が話題になった。
戸田は、照れたように笑いを浮かべて言った。
「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先にたってできないということだよ」
その師の言葉は、深く、強く、伸一の胸に突き刺さった。
戸田の『人間革命』は、彼の分身ともいうべき主人公の"巌さん"が、獄中にあって、広宣流布のために生涯を捧げようと決意するところで終わっている。
それからあとの実践については、戸田は、何も書こうとはしなかった。
伸一は、この軽井沢での語らいのなかで、広宣流布に一人立った、その後の戸田の歩みを、続『人間革命』として書きつづることこそ、師の期待であると確信したのである。
伸一は、ここでペンを置いた。原稿は、連載二回分になっていた。
二、三度、推敲したが、直すところは、ほとんどなかった。
"よし、これでいい!"
伸一は、満ち足りた思いで、立ち上がった。
"それにしても、大変な道に足を踏み込んでしまったものだな"
彼は、机の上の原稿に目を向けながら、しみじみと思った。
ひとたび連載小説の執筆を開始したならば、一つの区切りを迎えるまでは、途中で休むわけにはいかないからだ。
しかも、戸田城聖の出獄から逝去までをつづるとなれば、どう考えても、十巻を超える大作にならざるを得ない。
『人間革命』の執筆を発表した時から、覚悟してきたことではあったが、この連載が、相当、自分を苦しめるであろうことは、目に見えていた。
しかし、伸一の心は燃えていた。
それによって、どんなに苦しむことになったとしても、偉大なる師の思想と真実を、自分が書き残していく以外にないという使命感と喜びが、彼の胸にたぎっていたのである。
(「衆望」の章、383〜386ページ、392〜393ページ)
2020年5月31日日曜日
2020年5月30日土曜日
2020.05.30 わが友に贈る
誰も置き去りにしない!
支え合う地域づくりは
仏法者の使命なり!
自分の身近なところから
つながりを築く工夫を!
立正安国論 P24
『如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』
【通解】
災難を根絶するには、かの千万の祈りを修めるよりは、この一凶を禁じなければならない。
名字の言 天然痘の予防に尽くした2人の医学者 2020年5月30日
紀元前の昔から、天然痘は人類を苦しめてきた。英国の医学者・ジェンナーは、この病を予防する「種痘」を開発したことで知られる。だが、彼より6年早く種痘開発に成功した日本の医師がいた。緒方春朔である▼その方法は、天然痘の患者のかさぶたを取り、健康な人の身体に入れ込むというもの。最初の治験で効果が認められたものの、多くの人が怖がり、敬遠した。しかし、緒方は諦めず、さまざまな場で、安全性を力説。種痘は少しずつ広がり始めた▼緒方は治療法を伝えるため、仮名交じりの文章で、分かりやすい解説書を作成した。彼の業績を知り、医学を志す入門者には、種痘を金もうけや売名に利用しないこと、貧富や貴賤で患者を差別しないことを誓わせた▼一方のジェンナーも、自身が発見した種痘法の特許を申請しなかったという。特許を取れば、種痘が高価になり、全ての人に行き渡らないからだ。緒方もジェンナーも、その献身は"患者のため"との一点に貫かれていた▼天然痘は、40年前の5月に根絶された。人間の歴史とは一面、感染症との闘いの歴史である。その長い闘いの中で積み上げられた労苦の果実が、コロナとの闘いにも生きている。感謝とともに、その知見に基づく「新たな日常」を築く努力を進めたい。(燦)
寸鉄 2020年5月30日
民衆が主役の社会創る為に学会は立ち上がった—恩師。決意新たに前進!
「此を去って彼に行くには非ざるなり」御書。試練の時こそ人間革命の劇を
暑い屋外は身体的距離確保できればマスク外して—厚労省。熱中症も注意
今年は全国的に「暑い夏」—3カ月予報。小まめな水分・塩分補給を心掛け
ごみゼロの日。鍵は一人一人の意識改革。地球規模で考え足元から行動!
☆心に御書を 第46回 多宝の輝きは永遠に不滅
〈御文〉
『阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり』(阿仏房御書、1304ページ)
〈通解〉
阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である。こう信じる以外の才能や知恵は、何の役にも立たないのである。
〈池田先生が贈る指針〉
多宝会(全国)、宝寿会(東京)、錦宝会(関西)の皆さまは、創価の阿仏房であり、千日尼である。風雪に耐え広布に生き抜いてきた、福徳無量の宝塔にほかならない。
この尊き父母と共に「冬は必ず春となる」と希望の光を広げよう! 「一生成仏」という永遠の幸福の軌道を、人類に示すのだ。何ものにも負けない学会精神で!
支え合う地域づくりは
仏法者の使命なり!
自分の身近なところから
つながりを築く工夫を!
立正安国論 P24
『如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』
【通解】
災難を根絶するには、かの千万の祈りを修めるよりは、この一凶を禁じなければならない。
名字の言 天然痘の予防に尽くした2人の医学者 2020年5月30日
紀元前の昔から、天然痘は人類を苦しめてきた。英国の医学者・ジェンナーは、この病を予防する「種痘」を開発したことで知られる。だが、彼より6年早く種痘開発に成功した日本の医師がいた。緒方春朔である▼その方法は、天然痘の患者のかさぶたを取り、健康な人の身体に入れ込むというもの。最初の治験で効果が認められたものの、多くの人が怖がり、敬遠した。しかし、緒方は諦めず、さまざまな場で、安全性を力説。種痘は少しずつ広がり始めた▼緒方は治療法を伝えるため、仮名交じりの文章で、分かりやすい解説書を作成した。彼の業績を知り、医学を志す入門者には、種痘を金もうけや売名に利用しないこと、貧富や貴賤で患者を差別しないことを誓わせた▼一方のジェンナーも、自身が発見した種痘法の特許を申請しなかったという。特許を取れば、種痘が高価になり、全ての人に行き渡らないからだ。緒方もジェンナーも、その献身は"患者のため"との一点に貫かれていた▼天然痘は、40年前の5月に根絶された。人間の歴史とは一面、感染症との闘いの歴史である。その長い闘いの中で積み上げられた労苦の果実が、コロナとの闘いにも生きている。感謝とともに、その知見に基づく「新たな日常」を築く努力を進めたい。(燦)
寸鉄 2020年5月30日
民衆が主役の社会創る為に学会は立ち上がった—恩師。決意新たに前進!
「此を去って彼に行くには非ざるなり」御書。試練の時こそ人間革命の劇を
暑い屋外は身体的距離確保できればマスク外して—厚労省。熱中症も注意
今年は全国的に「暑い夏」—3カ月予報。小まめな水分・塩分補給を心掛け
ごみゼロの日。鍵は一人一人の意識改革。地球規模で考え足元から行動!
☆心に御書を 第46回 多宝の輝きは永遠に不滅
〈御文〉
『阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり』(阿仏房御書、1304ページ)
〈通解〉
阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である。こう信じる以外の才能や知恵は、何の役にも立たないのである。
〈池田先生が贈る指針〉
多宝会(全国)、宝寿会(東京)、錦宝会(関西)の皆さまは、創価の阿仏房であり、千日尼である。風雪に耐え広布に生き抜いてきた、福徳無量の宝塔にほかならない。
この尊き父母と共に「冬は必ず春となる」と希望の光を広げよう! 「一生成仏」という永遠の幸福の軌道を、人類に示すのだ。何ものにも負けない学会精神で!
2020年5月29日金曜日
2020.05.29 わが友に贈る
「言をもおしまず」
確信と希望の声を
あの友 この友へ!
勇気を出した分だけ
幸の仏縁が結ばれる。
兵衛志殿御書 P1095
『喩えば水すくなくなれば池さはがしく風ふけば大海しづかならず、代の末になり候へばかんばちえきれい大雨大風ふきかさなり候へば広き心もせばくなり道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ』
【通解】
たとえば、水が少なければ池が騒がしく、風が吹くと大海の面が静かではないようなものです。
こうした末法の代になると、旱魃や疫癘が起こり、大雨大風が吹き重なり、そのため心の広い人も狭くなり、求道心のある人も邪見の者となってくるのです。
名字の言 「新たな日常」を前向きな心で 2020年5月29日
「水の千流万派は、一源に始まる」とは、中国・明代の哲人指導者である呂新吾の言葉。たくさんの支流からなる大河も、元はたった一つの源から発している、という意味だ▼さらに呂新吾は続ける。「人の千酬万応は、一心に発す」。すなわち、人は社会の中でさまざまな対応を迫られるが、その全てはたった一つの心から出てくる、との意(守屋洋編訳『呻吟語』徳間書店)。心の在り方によって、その人の行動の全てが変わる、とも言い換えられよう▼緊急事態宣言が解除された今、「新しい生活様式」が求められている。十分な身体的距離を保つとともに、マスクの着用、手洗い・うがいの励行といった、基本的な感染防止対策の「習慣化」が必要だろう▼一方で、"飲食店での望ましい行動など、気を付けなければいけないことが多くて息が詰まりそう"という声もある。先日の学会青年部と医学者による第6回オンライン会議では、一人一人の"心掛け"に注目。"できないこと"を嘆くのではなく、"できること"を見つけ、「新たな日常」を模索することが大切と強調していた▼池田先生は「幸福の源泉は『心』だ。聡明な心は希望を創り、連帯を広げる」と。何があっても前向きな心で。そこから価値創造が始まる。(銘)
寸鉄 2020年5月29日
「日蓮が一門は師子の吼るなり」御書。苦難を吹き飛ばす大確信で勝ち進め
策でなく信心で解決した時宿命転換できる—恩師何があっても題目根本で
外出制限の解除で第2波生じる可能性が—WHO「新しい生活様式」を皆で
言葉巧みに銀行カード騙し取る手口横行と。絶対他人に渡すな。厳重警戒
外出自粛の影響で体重増加の人多し。適度な運動を心掛け賢く健康づくり
☆SUA卒業生への池田先生のメッセージ 2020年5月26日
◇人類の生存と共生の未来へ 民衆奉仕の先駆者たれ
一、人類の「希望の光」と輝く16期生、ならびに大学院新教育プログラム5期生の皆さん、晴れのご卒業、誠におめでとうございます。
大切な俊英たちを温かく励まし支え続けてくださった、ご家族、ご友人方、さらに教職員はじめ全ての関係者の方々に、創立者として厚く御礼とお祝いを申し上げます。
一、新型コロナウイルスの感染拡大という世界の苦難の渦中に、愛する卒業生を送り出すこととなり、私はひとたびは、皆さん一人一人が直面する苦労を案じ、胸が痛んでなりません。しかし、再びは、皆さんの雄飛こそが、混迷の闇に必ずや新時代の旭日を輝かせてくれることを確信し、心が高鳴るのであります。
なぜならば、このアリソビエホのキャンパスに脈打つ創価の哲学は、いかなる難局にあっても活路を切り開いていく不屈なる価値創造の力だからであります。そしてまた、いかなる差異をも超え連帯を織り成していく、平和の価値創造の智慧だからであります。
古来、人類の歴史は、災害や疾病などの試練の「挑戦」に、力と智慧を合わせて「応戦」を重ね、新たな前進を勝ち取ってきました。
古代ローマの「五賢帝」の一人と名高いマルクス・アウレリウスは、疫病などの災禍に立ち向かい、悩み戦い抜く日々に、後世へ読み継がれる『自省録』を記し残しました。
1900年の歳月を超えて、この哲人指導者の呼び掛けが、私たちの魂に響いてきます。
「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう」「もっとも高貴な人生を生きるに必要な力は魂の中にそなわっている」(『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)
今、目に見えないウイルスの脅威に、手を携えて挑む中で、人類は内なる生命の大地に立ち返る転機を迎えているとは言えないでしょうか。
まさに、地球民族に等しく具わる「善の泉」から、困難を乗り越え、自他共の幸福と平和を勝ち開く力を解き放つ時が到来しております。その覚醒の暁鐘を打ち鳴らす世界市民のリーダーこそ、わがアメリカ創価大学の若き創立者たる皆さんなのであります。
一、思えば、このマルクス・アウレリウスを"人生の恩人"とされたのは、私が対談を重ねたイギリスの大歴史学者トインビー博士であります。博士の大著『歴史の研究』では、200に及ぶ人や書籍に「感謝の言葉」を記された筆頭に挙げられています。
一流の知性は一流の人格が光り、報恩感謝の道を貫いているのです。
◇「使命」即「栄光」
一、トインビー博士は、強く訴えられました。
「苦難に打ち勝った人間は、開拓者の役目を果す」「他の人びとに進むべき道を指し示すことによって仲間の人間に奉仕するのである」(『トインビー著作集1』所収「歴史の研究�」長谷川松治訳、社会思想社)と——。
皆さんは、人類の生存と、高貴なる共生の未来の開拓者です。平和を希求する世界の友の悲願が結集した大学に学んだ民衆奉仕の先駆者です。
尊き父母をはじめ、世界の民衆の大いなる期待に応えゆく、人類貢献の「使命」即「栄光」、「労苦」即「勝利」の青春を歩み通していってください。
一、アメリカ創価大学の発展を心から喜ばれた、アフリカの環境の母ワンガリ・マータイ博士は語られました。
「私たちは、一人一人が変化をもたらすことのできる存在であり、皆で力を合わせれば、不可能と思われることも成し遂げることができるのです」
どうか、不思議な縁で結ばれた学友たち、同窓生たちと、何があっても励まし合い、助け合いながら、何度でも立ち上がり、「私は負けない!」「我らは断じて勝つ!」と朗らかに、前へ前へ進み抜いていただきたいのであります。
私は、人類のかけがえのない「希望」であり「宝」である、わが愛する卒業生の健康とご活躍、そして凱歌の人生を、永遠に祈り、見守っております。
どうか、いつまでもお元気で!
賢く仲良く大らかに、笑顔のスクラムを地球社会に広げゆけ!
確信と希望の声を
あの友 この友へ!
勇気を出した分だけ
幸の仏縁が結ばれる。
兵衛志殿御書 P1095
『喩えば水すくなくなれば池さはがしく風ふけば大海しづかならず、代の末になり候へばかんばちえきれい大雨大風ふきかさなり候へば広き心もせばくなり道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ』
【通解】
たとえば、水が少なければ池が騒がしく、風が吹くと大海の面が静かではないようなものです。
こうした末法の代になると、旱魃や疫癘が起こり、大雨大風が吹き重なり、そのため心の広い人も狭くなり、求道心のある人も邪見の者となってくるのです。
名字の言 「新たな日常」を前向きな心で 2020年5月29日
「水の千流万派は、一源に始まる」とは、中国・明代の哲人指導者である呂新吾の言葉。たくさんの支流からなる大河も、元はたった一つの源から発している、という意味だ▼さらに呂新吾は続ける。「人の千酬万応は、一心に発す」。すなわち、人は社会の中でさまざまな対応を迫られるが、その全てはたった一つの心から出てくる、との意(守屋洋編訳『呻吟語』徳間書店)。心の在り方によって、その人の行動の全てが変わる、とも言い換えられよう▼緊急事態宣言が解除された今、「新しい生活様式」が求められている。十分な身体的距離を保つとともに、マスクの着用、手洗い・うがいの励行といった、基本的な感染防止対策の「習慣化」が必要だろう▼一方で、"飲食店での望ましい行動など、気を付けなければいけないことが多くて息が詰まりそう"という声もある。先日の学会青年部と医学者による第6回オンライン会議では、一人一人の"心掛け"に注目。"できないこと"を嘆くのではなく、"できること"を見つけ、「新たな日常」を模索することが大切と強調していた▼池田先生は「幸福の源泉は『心』だ。聡明な心は希望を創り、連帯を広げる」と。何があっても前向きな心で。そこから価値創造が始まる。(銘)
寸鉄 2020年5月29日
「日蓮が一門は師子の吼るなり」御書。苦難を吹き飛ばす大確信で勝ち進め
策でなく信心で解決した時宿命転換できる—恩師何があっても題目根本で
外出制限の解除で第2波生じる可能性が—WHO「新しい生活様式」を皆で
言葉巧みに銀行カード騙し取る手口横行と。絶対他人に渡すな。厳重警戒
外出自粛の影響で体重増加の人多し。適度な運動を心掛け賢く健康づくり
☆SUA卒業生への池田先生のメッセージ 2020年5月26日
◇人類の生存と共生の未来へ 民衆奉仕の先駆者たれ
一、人類の「希望の光」と輝く16期生、ならびに大学院新教育プログラム5期生の皆さん、晴れのご卒業、誠におめでとうございます。
大切な俊英たちを温かく励まし支え続けてくださった、ご家族、ご友人方、さらに教職員はじめ全ての関係者の方々に、創立者として厚く御礼とお祝いを申し上げます。
一、新型コロナウイルスの感染拡大という世界の苦難の渦中に、愛する卒業生を送り出すこととなり、私はひとたびは、皆さん一人一人が直面する苦労を案じ、胸が痛んでなりません。しかし、再びは、皆さんの雄飛こそが、混迷の闇に必ずや新時代の旭日を輝かせてくれることを確信し、心が高鳴るのであります。
なぜならば、このアリソビエホのキャンパスに脈打つ創価の哲学は、いかなる難局にあっても活路を切り開いていく不屈なる価値創造の力だからであります。そしてまた、いかなる差異をも超え連帯を織り成していく、平和の価値創造の智慧だからであります。
古来、人類の歴史は、災害や疾病などの試練の「挑戦」に、力と智慧を合わせて「応戦」を重ね、新たな前進を勝ち取ってきました。
古代ローマの「五賢帝」の一人と名高いマルクス・アウレリウスは、疫病などの災禍に立ち向かい、悩み戦い抜く日々に、後世へ読み継がれる『自省録』を記し残しました。
1900年の歳月を超えて、この哲人指導者の呼び掛けが、私たちの魂に響いてきます。
「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう」「もっとも高貴な人生を生きるに必要な力は魂の中にそなわっている」(『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)
今、目に見えないウイルスの脅威に、手を携えて挑む中で、人類は内なる生命の大地に立ち返る転機を迎えているとは言えないでしょうか。
まさに、地球民族に等しく具わる「善の泉」から、困難を乗り越え、自他共の幸福と平和を勝ち開く力を解き放つ時が到来しております。その覚醒の暁鐘を打ち鳴らす世界市民のリーダーこそ、わがアメリカ創価大学の若き創立者たる皆さんなのであります。
一、思えば、このマルクス・アウレリウスを"人生の恩人"とされたのは、私が対談を重ねたイギリスの大歴史学者トインビー博士であります。博士の大著『歴史の研究』では、200に及ぶ人や書籍に「感謝の言葉」を記された筆頭に挙げられています。
一流の知性は一流の人格が光り、報恩感謝の道を貫いているのです。
◇「使命」即「栄光」
一、トインビー博士は、強く訴えられました。
「苦難に打ち勝った人間は、開拓者の役目を果す」「他の人びとに進むべき道を指し示すことによって仲間の人間に奉仕するのである」(『トインビー著作集1』所収「歴史の研究�」長谷川松治訳、社会思想社)と——。
皆さんは、人類の生存と、高貴なる共生の未来の開拓者です。平和を希求する世界の友の悲願が結集した大学に学んだ民衆奉仕の先駆者です。
尊き父母をはじめ、世界の民衆の大いなる期待に応えゆく、人類貢献の「使命」即「栄光」、「労苦」即「勝利」の青春を歩み通していってください。
一、アメリカ創価大学の発展を心から喜ばれた、アフリカの環境の母ワンガリ・マータイ博士は語られました。
「私たちは、一人一人が変化をもたらすことのできる存在であり、皆で力を合わせれば、不可能と思われることも成し遂げることができるのです」
どうか、不思議な縁で結ばれた学友たち、同窓生たちと、何があっても励まし合い、助け合いながら、何度でも立ち上がり、「私は負けない!」「我らは断じて勝つ!」と朗らかに、前へ前へ進み抜いていただきたいのであります。
私は、人類のかけがえのない「希望」であり「宝」である、わが愛する卒業生の健康とご活躍、そして凱歌の人生を、永遠に祈り、見守っております。
どうか、いつまでもお元気で!
賢く仲良く大らかに、笑顔のスクラムを地球社会に広げゆけ!
2020年5月28日木曜日
2020.05.28 わが友に贈る
子どもの環境が
大きく変わる時。
小さな変化に
気付けるよう
アンテナを鋭敏に!
松野殿御返事 P1381
『聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候』
【通解】
聖人が唱えられる題目の功徳と、私たちが唱える題目の功徳とでは、どれほどの違いがあるのでしょうか、とのご質問ですが、まったく勝劣はありません。
名字の言 名将・野村克也さんが語る。「グチ」と「ぼやき」の違いとは? 2020年5月28日
球界の名将・野村克也さんは「ぼやきのノムさん」とも称された。この「ぼやき」を、野村さんは名将らしい言葉で、こう紹介している。「グチは、『不満』を表現するものである/ぼやきは、『理想と現実の差』を表現するものである」(『凡人を達人に変える77の心得』)▼ぼやくことは、理想を目指す途上にある自身の「現在の立ち位置を確認する行為」なのかもしれない。志をもち、努力を重ねるならば、ぼやきは、わが情熱の炎をいや増す"薪"にもなろう▼皆で集っての会合が開催できない中、オンライン画面を通して顔を合わせることが多くなった。ある友は、会えないもどかしさを感じつつ、実際にやってみると、思わぬ効果があったという。「高齢や家族の介護などで、以前は会館に来るのが難しかった方々が、これならと多数参加してくれたんです」▼直接会って、じっくり語り合うのが一番いいに決まっている。それができない現実にぼやきたくもなるが、少しでも励ましを送りたいと知恵を働かせれば、手段は無限にあることに気付く▼池田先生は、信仰者のあるべき姿を「現実を妥協なく見つめ、その現実に唱題根本で敢然と立ち向かう」ことだと語る。より良き未来へ、新たな価値を創造する学会活動の在り方が求められる。(代)
寸鉄 2020年5月28日
「月月・日日につより給へ」御書。心新たに朝を勝つ!清々しい勤行から
沖縄市の友、頑張れ。反転攻勢へ全国から大声援!民衆パワーで断固勝利を
宮城県婦人部の日。青葉の誓い忘れまじ。試練の時こそ希望の励まし拡大
空気清浄機に漂白剤投入は厳禁。やけど、失明の恐れも。使用方法を守り
2歳未満はマスク不要、窒息や熱中症の危険が—日本小児科医会。要注意
☆四季の励まし 心の結び付きが地域を潤す 2020年5月24日
【写真の説明】緑に包まれた小道が、真っすぐに延びている——。1973年(昭和48年)5月、池田大作先生がフランス中西部のロワール地方で撮影した。
詩人の高村光太郎は「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」(『高村光太郎詩集』岩波文庫)と。友情の道もまた、自分から声を掛け、真心の言葉を届けることから広がっていく。
池田先生は国家や民族、イデオロギーの違いを超え、各国の指導者や民衆と友情を結び、世界平和への大道を切り開いてきた。私たちも師の行動に続き、悩める友に寄り添い、励ましの光を送っていきたい。あの友、この友の幸福を祈りつつ——。
◇池田先生の言葉
人間が
人間らしくあること、
本当の意味での
充足感、幸福感は、
"結び付き"を通してしか
得られない。
一度結んだ友情は
絶対に裏切らない。
その人が
大変になればなるほど
守り抜いていく。
これが私の生き方である。
真の人間として、
人格と人格で結ばれていく——
その友情は
人生の宝である。
友人の影響は、
ある時には、
親よりもだれよりも強い。
いい友達、
向上しようとしている人と
付き合えば、自分も向上する。
「いい友人をつくる」には、
「自分がいい友人になる」
以外にない。
大切なことは、
相手に同情する——あわれむ——
ということではなく、
「わかってあげる」
ということである。
「理解」することだ。
人間は、
自分のことを
「わかってくれる人がいる」、
それだけで生きる力が
湧いてくるものだ。
自分さえよければという
エゴが渦巻けば、
地域も社会も壊れてしまう。
この"分断の魔力"を
はね返して、
人と人の麗しい
励まし合いの世界を
蘇生させてきたのが、
わが創価の同志だ。
大山も
一つの塵から成る。
大海も
一滴の露から始まる。
一人から始まる。
一人を大切にすることが、
社会を変え、
やがて世界を変えていく。
そして世代を超え、
永遠の平和を実現する道が、
広宣流布である。
大きく変わる時。
小さな変化に
気付けるよう
アンテナを鋭敏に!
松野殿御返事 P1381
『聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候』
【通解】
聖人が唱えられる題目の功徳と、私たちが唱える題目の功徳とでは、どれほどの違いがあるのでしょうか、とのご質問ですが、まったく勝劣はありません。
名字の言 名将・野村克也さんが語る。「グチ」と「ぼやき」の違いとは? 2020年5月28日
球界の名将・野村克也さんは「ぼやきのノムさん」とも称された。この「ぼやき」を、野村さんは名将らしい言葉で、こう紹介している。「グチは、『不満』を表現するものである/ぼやきは、『理想と現実の差』を表現するものである」(『凡人を達人に変える77の心得』)▼ぼやくことは、理想を目指す途上にある自身の「現在の立ち位置を確認する行為」なのかもしれない。志をもち、努力を重ねるならば、ぼやきは、わが情熱の炎をいや増す"薪"にもなろう▼皆で集っての会合が開催できない中、オンライン画面を通して顔を合わせることが多くなった。ある友は、会えないもどかしさを感じつつ、実際にやってみると、思わぬ効果があったという。「高齢や家族の介護などで、以前は会館に来るのが難しかった方々が、これならと多数参加してくれたんです」▼直接会って、じっくり語り合うのが一番いいに決まっている。それができない現実にぼやきたくもなるが、少しでも励ましを送りたいと知恵を働かせれば、手段は無限にあることに気付く▼池田先生は、信仰者のあるべき姿を「現実を妥協なく見つめ、その現実に唱題根本で敢然と立ち向かう」ことだと語る。より良き未来へ、新たな価値を創造する学会活動の在り方が求められる。(代)
寸鉄 2020年5月28日
「月月・日日につより給へ」御書。心新たに朝を勝つ!清々しい勤行から
沖縄市の友、頑張れ。反転攻勢へ全国から大声援!民衆パワーで断固勝利を
宮城県婦人部の日。青葉の誓い忘れまじ。試練の時こそ希望の励まし拡大
空気清浄機に漂白剤投入は厳禁。やけど、失明の恐れも。使用方法を守り
2歳未満はマスク不要、窒息や熱中症の危険が—日本小児科医会。要注意
☆四季の励まし 心の結び付きが地域を潤す 2020年5月24日
【写真の説明】緑に包まれた小道が、真っすぐに延びている——。1973年(昭和48年)5月、池田大作先生がフランス中西部のロワール地方で撮影した。
詩人の高村光太郎は「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」(『高村光太郎詩集』岩波文庫)と。友情の道もまた、自分から声を掛け、真心の言葉を届けることから広がっていく。
池田先生は国家や民族、イデオロギーの違いを超え、各国の指導者や民衆と友情を結び、世界平和への大道を切り開いてきた。私たちも師の行動に続き、悩める友に寄り添い、励ましの光を送っていきたい。あの友、この友の幸福を祈りつつ——。
◇池田先生の言葉
人間が
人間らしくあること、
本当の意味での
充足感、幸福感は、
"結び付き"を通してしか
得られない。
一度結んだ友情は
絶対に裏切らない。
その人が
大変になればなるほど
守り抜いていく。
これが私の生き方である。
真の人間として、
人格と人格で結ばれていく——
その友情は
人生の宝である。
友人の影響は、
ある時には、
親よりもだれよりも強い。
いい友達、
向上しようとしている人と
付き合えば、自分も向上する。
「いい友人をつくる」には、
「自分がいい友人になる」
以外にない。
大切なことは、
相手に同情する——あわれむ——
ということではなく、
「わかってあげる」
ということである。
「理解」することだ。
人間は、
自分のことを
「わかってくれる人がいる」、
それだけで生きる力が
湧いてくるものだ。
自分さえよければという
エゴが渦巻けば、
地域も社会も壊れてしまう。
この"分断の魔力"を
はね返して、
人と人の麗しい
励まし合いの世界を
蘇生させてきたのが、
わが創価の同志だ。
大山も
一つの塵から成る。
大海も
一滴の露から始まる。
一人から始まる。
一人を大切にすることが、
社会を変え、
やがて世界を変えていく。
そして世代を超え、
永遠の平和を実現する道が、
広宣流布である。
2020年5月27日水曜日
2020.05.27 わが友に贈る
身体的距離の確保や
手洗い・マスクなど
感染防止対策の徹底を。
身近な行動の変容が
社会の変革をもたらす。
上野殿後家尼御返事 P1505
『法華経の法門をきくにつけてなをなを信心をはげむをまことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりもなをそむればいよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきはいよいよあをきがごとし』
【通解】
法華経の法門を聞くたびに、ますます信心に励む人を本当の求道者というのである。天台大師は「従藍而青」と述べている。その意味は「藍は葉の時よりも、葉からとった染料で染めれば染めるほど、青くなるのである。
法華経は藍のようなものであり、修行が深いのは、染めるにしたがって、ますます青くなるようなものである。
名字の言 支え合う大切さ 2020年5月27日
インドの格言に「ソーハム」という言葉がある。「ソー」は「彼」、「ハム」は「私」。つまり「彼がいるから、私がいる」。南アフリカにも「ウブンツ」という言葉があり、「みんながあってこその私」を意味するという▼世界各地には、それぞれの文化に根差した「支え合う大切さ」を示す言葉がある。コロナ禍を乗り越えるためにも、どんな社会であれ、見直されるべき精神だろう▼2009年に著書『危機とサバイバル』(邦題)で、いち早くパンデミックの危険に言及したフランスの経済学者ジャック・アタリ氏は、今回の危機に当たり、「利他主義という理想への転換」こそ、「人類のサバイバル(生き残り)の鍵」と強調していた。「利他主義であることは、ひいては自分の利益になる」(NHK番組)と▼日本では緊急事態宣言が全て解除され、パンデミックの最初の波を乗り越えつつある。医療従事者の奮闘はじめ、他者を思い、自身の経済的、精神的な痛みに耐えながら、自粛を貫いた全ての人々の行動のたまものであり、私たちは、ひとまずはそのことを誇りたい▼同時に、これからも続くコロナとの闘いは、社会の在り方を再構築する好機でもある。「自他共の幸福」こそ、その基盤を成す価値観であると信ずる。(嶺)
寸鉄 2020年5月27日
会長の思想こそ壁に立ち向かう人類に希望与える—博士。偉大な師と共に
神奈川婦人部の日。溌剌と地域に励ましの声を!正義の太陽は常に朗らか
「頭を上げよ、胸を張れ」恩師。これ創価の魂。我らの祈りで試練を好機に!
親しい人との交流は不安解消に効果的と。SNSや電話等で心結ぶ工夫を
混乱に乗じサイバー攻撃が増加。暗証番号の使い回しは厳禁。対策怠らず
☆心に御書を 第45回 「一日の命」は宇宙の至宝
〈御文〉
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり』(可延定業書、986ページ)
〈通解〉
命というものは、わが身にとって一番貴重な宝である。たとえ一日であっても寿命を延ばすならば、千万両の莫大な金にも勝るのである。
〈池田先生が贈る指針〉
家族を介護しつつ自らも病と闘ってきた門下の平癒を、大聖人は懇ろにご祈念くださった。
信心で病魔に挑むと同時に、善医の治療を受けるよう指導されている。
医療・看護・介護も闘病も、最も尊い命に尽くす聖業だ。妙法と生き抜く生命は、一日一日、全宇宙の財宝にも勝る大功徳を積める。共々に更賜寿命の実証を!
手洗い・マスクなど
感染防止対策の徹底を。
身近な行動の変容が
社会の変革をもたらす。
上野殿後家尼御返事 P1505
『法華経の法門をきくにつけてなをなを信心をはげむをまことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりもなをそむればいよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきはいよいよあをきがごとし』
【通解】
法華経の法門を聞くたびに、ますます信心に励む人を本当の求道者というのである。天台大師は「従藍而青」と述べている。その意味は「藍は葉の時よりも、葉からとった染料で染めれば染めるほど、青くなるのである。
法華経は藍のようなものであり、修行が深いのは、染めるにしたがって、ますます青くなるようなものである。
名字の言 支え合う大切さ 2020年5月27日
インドの格言に「ソーハム」という言葉がある。「ソー」は「彼」、「ハム」は「私」。つまり「彼がいるから、私がいる」。南アフリカにも「ウブンツ」という言葉があり、「みんながあってこその私」を意味するという▼世界各地には、それぞれの文化に根差した「支え合う大切さ」を示す言葉がある。コロナ禍を乗り越えるためにも、どんな社会であれ、見直されるべき精神だろう▼2009年に著書『危機とサバイバル』(邦題)で、いち早くパンデミックの危険に言及したフランスの経済学者ジャック・アタリ氏は、今回の危機に当たり、「利他主義という理想への転換」こそ、「人類のサバイバル(生き残り)の鍵」と強調していた。「利他主義であることは、ひいては自分の利益になる」(NHK番組)と▼日本では緊急事態宣言が全て解除され、パンデミックの最初の波を乗り越えつつある。医療従事者の奮闘はじめ、他者を思い、自身の経済的、精神的な痛みに耐えながら、自粛を貫いた全ての人々の行動のたまものであり、私たちは、ひとまずはそのことを誇りたい▼同時に、これからも続くコロナとの闘いは、社会の在り方を再構築する好機でもある。「自他共の幸福」こそ、その基盤を成す価値観であると信ずる。(嶺)
寸鉄 2020年5月27日
会長の思想こそ壁に立ち向かう人類に希望与える—博士。偉大な師と共に
神奈川婦人部の日。溌剌と地域に励ましの声を!正義の太陽は常に朗らか
「頭を上げよ、胸を張れ」恩師。これ創価の魂。我らの祈りで試練を好機に!
親しい人との交流は不安解消に効果的と。SNSや電話等で心結ぶ工夫を
混乱に乗じサイバー攻撃が増加。暗証番号の使い回しは厳禁。対策怠らず
☆心に御書を 第45回 「一日の命」は宇宙の至宝
〈御文〉
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり』(可延定業書、986ページ)
〈通解〉
命というものは、わが身にとって一番貴重な宝である。たとえ一日であっても寿命を延ばすならば、千万両の莫大な金にも勝るのである。
〈池田先生が贈る指針〉
家族を介護しつつ自らも病と闘ってきた門下の平癒を、大聖人は懇ろにご祈念くださった。
信心で病魔に挑むと同時に、善医の治療を受けるよう指導されている。
医療・看護・介護も闘病も、最も尊い命に尽くす聖業だ。妙法と生き抜く生命は、一日一日、全宇宙の財宝にも勝る大功徳を積める。共々に更賜寿命の実証を!
2020年5月26日火曜日
2020.05.26 わが友に贈る
共感と同苦の精神で
友の"声なき声"に
耳を傾けていこう。
互いの心が少しでも
軽くなるように。
義浄房御書 P892
『相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり、法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり』
【通解】
必ず心の師とはなっても、心を師としてはならないと釈尊は経文に記されている。法華経のためには身をも捨て、命をも惜しまないようにと強盛に言ってきたのはこの事である。
名字の言 話を聞く側の3つの工夫 2020年5月26日
お笑い芸人で大学講師のパトリック・ハーラン氏は、子どもを持つようになって"自分の変化"に気付いた。それは子どもに関わる周囲の音が、聞こえるようになったこと▼例えば、ベビーカーを押す音や、子どもを乗せて走る自転車の音。それまでも音はあったはずだが、耳に入ってこなかった。無意識に"自分には関係ない"と聞き流していた▼同じことが対話にも言える、と氏は言う。すなわち"相手の声は聞こえていても、話を聞いていない"。わが事として心から相手と向き合いつつ、さらに�相手の言葉を「繰り返す」�相手の話を「要約する」�相手の気持ちに「共感する」——工夫によって、自分にも、また「相手も聴いてもらった実感があり、話しやすくなります」(『ハーバード流「聞く」技術』角川新書)▼友人と会えない分、電話の機会が増えた。相手が見えないだけに、相づちの打ち方ひとつにも気を配りたい。思いを込めた「大変だったね」「頑張ってるね」の"共感の一言"が大切だろう▼御書に「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし」(587ページ)と。悩める「一人」に寄り添い、真心の励ましを送る努力こそ、仏法者の振る舞い。時間帯や相手の状況に配慮しつつ、誠実な語らいを広げよう。(誼)
寸鉄 2020年5月26日
難を越えられない地涌の菩薩はいない—戸田先生日々、誓願の祈りで出発
広島県女性の日。新時代開く麗しき婦女の前進!平和と希望の連帯を拡大
緊急事態宣言が全面解除新しい生活様式厳守し第2波阻止、皆で。油断せず
エアコンは室内外の空気を入れ替えず。使用時は小まめな換気を忘れずに
通販の悪質詐欺に注意。不自然な安さや高額な送料など電話相談188へ
☆新時代を築く 青年よ! 妙法の智慧者たれ 2020年5月19日
5月19日は「創価学会常住御本尊」の記念日である。
日蓮大聖人は、御本尊を「法華弘通のはたじるしとして」顕された(御書1243ページ)。
このお心に寸分たがわず、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めの御本尊を奉じ、全世界に妙法を唱え弘めてきたのが、創価学会である。
大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(同1244ページ)と仰せである。
私たち一人一人の生命こそ「本尊」すなわち「根本として尊敬すべき当体」なりと、明かしてくださったのだ。
今、世界が大きな試練に立ち向かう中で、最も大切にすべき原点とは何か。それは、「人間生命」にほかならない。この生命を、誰もが現実の上で尊厳ならしめていける哲理を、私たちは実践している。いよいよ人類の共有財産として示し、伝えていきたい。
「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん」(同906ページ)とも仰せである。
まさに今、"地涌の諸王"たる創価の人材群が、医療・福祉、生活・経済、教育・学術、文化・芸術など、社会のあらゆる分野で大いに献身し、国土の安穏と民衆の幸福に尽くしている。
御本仏の御賞讃も、諸天の加護も絶大であると、確信してやまない。
* * *
使命深き"世界市民の平和の機関紙"を、毎日、配達してくださっている無冠の友の皆さま方に、重ねて心からの感謝を捧げたい。
日本中、世界中の友が創意工夫して励まし合い、前進している英姿は、聖教新聞に日々、躍動している。
地球を結ぶ聖教電子版も、アクセスする国・地域数に、カリブ海の島が新たに加わり、204となったと聞いた。
いずこでも、頼もしい青年が力を合わせ、新しい挑戦を開始している。青年こそ一切の推進力と信頼された戸田先生の励ましを贈りたい。
——勉強だよ。勉強だ。
妙法の智慧者となれ!
社会万般はもとより、全世界の運命の中に自分を置いて、そこから全ての発想をしていき給え!——と。
* * *
御本尊ましますわが家は、たとえ悩みや課題があっても、「常寂光の都」である。
不安の渦巻く世相なればこそ、学会の永遠の五指針——
一、一家和楽の信心
一、幸福をつかむ信心
一、難を乗り越える信心
一、健康長寿の信心
一、絶対勝利の信心
という希望の光を、たくましく聡明に放っていこうではないか!
友の"声なき声"に
耳を傾けていこう。
互いの心が少しでも
軽くなるように。
義浄房御書 P892
『相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり、法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり』
【通解】
必ず心の師とはなっても、心を師としてはならないと釈尊は経文に記されている。法華経のためには身をも捨て、命をも惜しまないようにと強盛に言ってきたのはこの事である。
名字の言 話を聞く側の3つの工夫 2020年5月26日
お笑い芸人で大学講師のパトリック・ハーラン氏は、子どもを持つようになって"自分の変化"に気付いた。それは子どもに関わる周囲の音が、聞こえるようになったこと▼例えば、ベビーカーを押す音や、子どもを乗せて走る自転車の音。それまでも音はあったはずだが、耳に入ってこなかった。無意識に"自分には関係ない"と聞き流していた▼同じことが対話にも言える、と氏は言う。すなわち"相手の声は聞こえていても、話を聞いていない"。わが事として心から相手と向き合いつつ、さらに�相手の言葉を「繰り返す」�相手の話を「要約する」�相手の気持ちに「共感する」——工夫によって、自分にも、また「相手も聴いてもらった実感があり、話しやすくなります」(『ハーバード流「聞く」技術』角川新書)▼友人と会えない分、電話の機会が増えた。相手が見えないだけに、相づちの打ち方ひとつにも気を配りたい。思いを込めた「大変だったね」「頑張ってるね」の"共感の一言"が大切だろう▼御書に「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし」(587ページ)と。悩める「一人」に寄り添い、真心の励ましを送る努力こそ、仏法者の振る舞い。時間帯や相手の状況に配慮しつつ、誠実な語らいを広げよう。(誼)
寸鉄 2020年5月26日
難を越えられない地涌の菩薩はいない—戸田先生日々、誓願の祈りで出発
広島県女性の日。新時代開く麗しき婦女の前進!平和と希望の連帯を拡大
緊急事態宣言が全面解除新しい生活様式厳守し第2波阻止、皆で。油断せず
エアコンは室内外の空気を入れ替えず。使用時は小まめな換気を忘れずに
通販の悪質詐欺に注意。不自然な安さや高額な送料など電話相談188へ
☆新時代を築く 青年よ! 妙法の智慧者たれ 2020年5月19日
5月19日は「創価学会常住御本尊」の記念日である。
日蓮大聖人は、御本尊を「法華弘通のはたじるしとして」顕された(御書1243ページ)。
このお心に寸分たがわず、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めの御本尊を奉じ、全世界に妙法を唱え弘めてきたのが、創価学会である。
大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(同1244ページ)と仰せである。
私たち一人一人の生命こそ「本尊」すなわち「根本として尊敬すべき当体」なりと、明かしてくださったのだ。
今、世界が大きな試練に立ち向かう中で、最も大切にすべき原点とは何か。それは、「人間生命」にほかならない。この生命を、誰もが現実の上で尊厳ならしめていける哲理を、私たちは実践している。いよいよ人類の共有財産として示し、伝えていきたい。
「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん」(同906ページ)とも仰せである。
まさに今、"地涌の諸王"たる創価の人材群が、医療・福祉、生活・経済、教育・学術、文化・芸術など、社会のあらゆる分野で大いに献身し、国土の安穏と民衆の幸福に尽くしている。
御本仏の御賞讃も、諸天の加護も絶大であると、確信してやまない。
* * *
使命深き"世界市民の平和の機関紙"を、毎日、配達してくださっている無冠の友の皆さま方に、重ねて心からの感謝を捧げたい。
日本中、世界中の友が創意工夫して励まし合い、前進している英姿は、聖教新聞に日々、躍動している。
地球を結ぶ聖教電子版も、アクセスする国・地域数に、カリブ海の島が新たに加わり、204となったと聞いた。
いずこでも、頼もしい青年が力を合わせ、新しい挑戦を開始している。青年こそ一切の推進力と信頼された戸田先生の励ましを贈りたい。
——勉強だよ。勉強だ。
妙法の智慧者となれ!
社会万般はもとより、全世界の運命の中に自分を置いて、そこから全ての発想をしていき給え!——と。
* * *
御本尊ましますわが家は、たとえ悩みや課題があっても、「常寂光の都」である。
不安の渦巻く世相なればこそ、学会の永遠の五指針——
一、一家和楽の信心
一、幸福をつかむ信心
一、難を乗り越える信心
一、健康長寿の信心
一、絶対勝利の信心
という希望の光を、たくましく聡明に放っていこうではないか!
2020年5月25日月曜日
2020.05.25 わが友に贈る
◇今週のことば
信心に行き詰まりなし。
「忍辱の大力」と
「智慧の宝蔵」で
新時代の道を開こう!
広布の歩調を賢く強く。
2020年5月25日
乙御前御消息 P1220
『法華経は女人の御ためには暗きにともしび海に船おそろしき所にはまほりとなるべきよしちかはせ給へり』
【通解】
法華経は女人のためには、暗い夜にはともしびとなり、海を渡る折には船となり恐ろしい所では守護役となると、薬王品(やくおうほん)で誓われている。
名字の言 「山の手大空襲」から75年。平和の誓いを新たに 2020年5月25日
東京・港区の表参道交差点前に、一基の石碑がある。碑銘は「和をのぞむ」。昭和20年5月25〜26日にあった「山の手大空襲」の犠牲者を追悼するものだ▼碑文には「青山通りの交差点付近は、火と熱風により逃げ場を失った多くの人々が亡くなりました」と。投下された焼夷弾の量は3月10日の東京大空襲の約2倍で、一連の東京空襲の"とどめ"のような爆撃。火の手は赤坂や中野など広範囲に及んだ▼小説『人間革命』第1巻の冒頭で、豊多摩刑務所から出獄した戸田先生が見た焼け野原は、まさにこの戦火によるものだった。中野駅から乗った電車の中で、罹災した乗客と語り合う場面もある。戸田先生は思った。"庶民は雑草のようである。しかし、雑草も生えない野原に、草木が生い茂り、果実が実るはずもない"と▼学会の再建は、庶民に「地涌の菩薩」としての使命の自覚を促すことから始まった。以来75星霜。民衆という大地に根を張った創価の連帯は今、192カ国・地域に広がっている▼マハトマ・ガンジーの令孫で、池田先生とも親交を結んだエラ・ガンジー博士は語った。「平和を望む師匠の弟子が多いほど、平和を望む人の輪が広がります」。終戦から75年の本年、師弟の道を貫き、平和を築く誓いを新たにしたい。(之)
寸鉄 2020年5月25日
SGIの皆様の励ましに限りない愛情を感じる—議員。皆が主体者の心で
学会HPの特設ページが続々と更新。師の闘争に学び、希望の未来必ず!
困難と戦うことで内奥の力が育つ—画家。危機を成長の糧と。祈り根本に
乳児の予防接種率低下—外出自粛影響と。医師に早く相談。自己判断せず
マスク着用は喉の渇きに気付きにくいと。まめに水分補給。熱中症防ごう
☆小説「新・人間革命」学習のために 第8巻
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第8巻を掲載する。次回の第9巻は22日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。
◇崩れざる幸福は冥益の輝き
<1963年(昭和38年)6月、山本伸一は、塩浜海岸の特設会場での奄美総支部結成大会で、功徳について語る>
「功徳には、祈りの結果が、直ちに目に見える利益、つまり顕益と、目には見えない利益である、冥益とがあります。大聖人の仏法は、このうち、冥益が主となって、私たちに幸福をもたらしてくれます。(中略)
本当の功徳とは、信心をしたら大金が手に入ったとかいうものではありません。『棚からボタモチ』のような、自分は何もせずに、どこかから幸運が舞い込んでくるのが功徳だとしたら、かえって、人間を堕落させてしまいます。
では、冥益とは何か。
たとえば、木というものは、毎日、見ていても、何も変化していないように見えますが、五年、十年、二十年とたつうちに、大きく生長していきます。それと同様に、五年、十年、二十年と信心に励むうちに、次第に、罪障を消滅し、宿命を転換し、福運を積み、大利益を得ることができるのが冥益であり、それが大聖人の仏法の真実の功徳なのであります」
多くのメンバーは、功徳といえば、「顕益」と思い込んできた。それだけに、「冥益」の話に、驚いた人もいた。伸一は、皆に、正しい信仰観を確立してほしかったのである。
「冥益とは、言い換えれば、信仰によって、生命力と智慧を涌現し、人格を磨き、自らを人間革命して、崩れざる幸福境涯を築くということでもあります。
したがって、焦らず、弛まず、木が大地に深く根を張って、大樹に育っていくように、学会とともに、広布とともに生き抜き、自らの生命を、磨き、鍛えていっていただきたいのであります。そうして、十年、二十年、三十年とたった時には、考えもしなかった幸福境涯になることは間違いないと、断言しておきます」
(「布陣」の章、80〜83ページ)
◇広布に生き抜き境涯を革命
<伸一は、7月に京都大学の学生部員を対象に「百六箇抄」を講義。"骨のある人間とは?"との受講生の質問に答える>
「それは、信念をもったスケールの大きな、堂々たる生き方をしていく人間ということです。人間は、どうしても環境に染まっていきやすいものだ。たとえば、アルバイトに明け暮れ、コッペパンやオニギリばかり食べて、生きていくのがやっとだという状態のなかで勉強していると、狭量な人間になってしまう場合がある。
また、今の"学生かたぎ"として、自分のささやかな幸せだけを追い求めて生きる傾向もある。私は、青年たちが自分のことしか考えなくなりつつあることを、心配しているんです。社会、世界をどうするのか、最高に価値ある生き方とは何か、といった問題をおろそかにし、なんの信念も、哲学もない人生であってはならない。青年がそうであれば、最後は、自分も社会も不幸です。
では、どうすれば、骨のある、スケールの大きな人間になれるのか。それは境涯を革命することです。人間革命です。題目を唱え抜き、学会とともに広宣流布に生きていくならば、自然のうちに大境涯になり、骨のある人間になっていきます。
その意味でも、人間を育て、人類の未来を担っていくのは創価学会以外にはない。だからみんなも、学会について来ることです!
まだ、みんな若いから、人生は、長い長い道程のように思っているかもしれないが、あっという間に終わってしまうものだ。まさに『光陰矢のごとし』です」
(「宝剣」の章、143〜144ページ)
◇「無疑曰信」の不動の信心を
<7月、伸一は長野市民会館で開催された中部第2本部の幹部会で、幸福の要諦は御本尊を信じ抜く、「無疑曰信」(疑いなきを信という)の清流のごとき信心が肝要であることを訴える>
「大聖人の仏法の正しさは、文証、理証、現証のうえから証明されております。
しかし、ちょっと商売が行き詰まると、すぐに御本尊には力がないと疑いの心をいだく。子どもが怪我をしたといっては、御本尊は守ってくれなかったと思う。
また、一部のマスコミが学会を批判したからといって、学会の指導を疑い、御本尊への確信をなくし、勤行もしなくなってしまう。こういう方もおりますが、そうした人に限って、自分自身の生き方や信心を振り返ろうとはしない。それでいて、何かにつけて御本尊を疑い、学会を疑う。それは大功徳を消していくことになります。
赤ん坊は、何も疑うことなく、お母さんのお乳を飲んで成長していきます。しかし、お乳を飲まなくなれば、成長も遅くなり、病気にもかかりやすい。
それと同じように、御本尊を信じ、生涯、題目を唱え抜いていくならば、仏の生命を涌現し、生活のうえにも、絶対的幸福境涯の姿を示していけることは間違いないのであります。
どうか、御本尊を疑うことなく、題目を唱えに唱え、唱えきって、広宣流布の団体である学会とともに走り抜き、この人生を、最高に有意義に、最高に幸福に、荘厳してまいろうではありませんか」
愛する会員が、一人も残らず、充実した人生のなかに、功徳と福運に包まれゆくことを念じての、渾身の指導であった。
(「清流」の章、209〜210ページ)
◇会員間の金銭貸借は厳禁!
<ある地方で、幹部の金銭問題が発覚。戸田城聖第2代会長は会員間の金銭貸借を厳しく禁じており、今日の学会の鉄則となっている>
そもそも戸田城聖が、会員間の金銭貸借を厳しく禁じたのは、そのために組織が利用されることを防ぐためであった。また、金銭関係のもつれが組織に波及し、怨嫉などを引き起こすことになるからである。
よく会員のなかには、誰に金を貸そうが、そんなことは、個人の自由ではないかという者もいた。そういう声を聞くと、戸田は言った。
「私が金銭貸借を禁じているのは、そのことから、結局は、信心がおかしくなり、学会という正義の組織が破壊されていくからだ。
金を借りた幹部は、相手にきちんと信心指導ができなくなり、わがままを許すようになる。また、人事も公平さを欠いていく。一方、幹部や会員に金を貸して、返してもらえないというと、学会や信心に不信をいだき、怨嫉し、やがては退転していく。実際にみんなそうだった。
私は、みんなを不幸にさせないために、金銭貸借を禁じたのだ。もし、どうしても貸したいというのならば、貸せばよい。だが、学会は知らぬぞ。また、返さないからといって恨みごとをいうな。貸したいのなら、あげるつもりで貸しなさい」
金銭貸借の厳禁は、どこまでも信仰の世界の純粋さを守るための、戸田の決断であった。
(「清流」の章、265〜266ページ)
◇山本伸一と若き宝友
1963年7月、山本伸一は、京都大学で学ぶ学生部員の代表に「百六箇抄」講義を開始。「宝剣」の章には、受講生一人一人へ、指導、激励を重ねる伸一の姿が描かれている。
◇
<「本迹」を皆の生活に即して語る>
「私たちの人生にも、生活にも、全部、『本迹』がある。それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない。
たとえば、眠っている時は『迹』、起きている時は『本』。勉学が本分である学生が、遊びに、ふけっているのは『迹』、勉学に打ち込んでいるのは『本』といえる。
また、勉強しているといっても、立身出世のための勉強であれば、心は自分中心であり、世間に流された『迹』の生き方です。しかし、学生部員として、広布のために力をつけようと、使命感を奥底にもっての勉強であれば『本』です。
ともあれ、根本的にいえば、私たちの本地は、広宣流布のために出現した地涌の菩薩であり、ゆえに、広宣流布に生き抜く人生こそが『本』となる。
一方、諸君が将来、社会的な地位や立場がどんなに立派になったとしても、それは『迹』です。この一点を見誤ってはならない。(中略)
『本迹』を個人の一念に要約していえば、『本』とは原点であり、広宣流布への一念です。また、前進、挑戦の心です。『迹』とは惰性であり、妥協、後退です。
自分は今、広布のために、人間革命のために生きているのか、一念は定まっているのか——それを見極めていくことが、私たちにとって、『本迹』を立て分けていくということになるし、その人が最後の勝利者になっていく。ゆえに、『本迹』といっても、この瞬間瞬間が勝負であり、自分のいる現実が仏道修行の道場となる」(148〜149ページ)
◇
<人生そのものに懐疑的になり、学会活動にも積極的になれずにいた友を励ます>
「あなたは、一人になり、孤独になってはだめだよ。行き詰まってしまうからね。常に心を開いてくれる、触発と励ましの組織が学会なんだ。だから、勇気をもって、その学会の組織のなかに飛び込み、人びとのために働くことだ」(156ページ)
信心に行き詰まりなし。
「忍辱の大力」と
「智慧の宝蔵」で
新時代の道を開こう!
広布の歩調を賢く強く。
2020年5月25日
乙御前御消息 P1220
『法華経は女人の御ためには暗きにともしび海に船おそろしき所にはまほりとなるべきよしちかはせ給へり』
【通解】
法華経は女人のためには、暗い夜にはともしびとなり、海を渡る折には船となり恐ろしい所では守護役となると、薬王品(やくおうほん)で誓われている。
名字の言 「山の手大空襲」から75年。平和の誓いを新たに 2020年5月25日
東京・港区の表参道交差点前に、一基の石碑がある。碑銘は「和をのぞむ」。昭和20年5月25〜26日にあった「山の手大空襲」の犠牲者を追悼するものだ▼碑文には「青山通りの交差点付近は、火と熱風により逃げ場を失った多くの人々が亡くなりました」と。投下された焼夷弾の量は3月10日の東京大空襲の約2倍で、一連の東京空襲の"とどめ"のような爆撃。火の手は赤坂や中野など広範囲に及んだ▼小説『人間革命』第1巻の冒頭で、豊多摩刑務所から出獄した戸田先生が見た焼け野原は、まさにこの戦火によるものだった。中野駅から乗った電車の中で、罹災した乗客と語り合う場面もある。戸田先生は思った。"庶民は雑草のようである。しかし、雑草も生えない野原に、草木が生い茂り、果実が実るはずもない"と▼学会の再建は、庶民に「地涌の菩薩」としての使命の自覚を促すことから始まった。以来75星霜。民衆という大地に根を張った創価の連帯は今、192カ国・地域に広がっている▼マハトマ・ガンジーの令孫で、池田先生とも親交を結んだエラ・ガンジー博士は語った。「平和を望む師匠の弟子が多いほど、平和を望む人の輪が広がります」。終戦から75年の本年、師弟の道を貫き、平和を築く誓いを新たにしたい。(之)
寸鉄 2020年5月25日
SGIの皆様の励ましに限りない愛情を感じる—議員。皆が主体者の心で
学会HPの特設ページが続々と更新。師の闘争に学び、希望の未来必ず!
困難と戦うことで内奥の力が育つ—画家。危機を成長の糧と。祈り根本に
乳児の予防接種率低下—外出自粛影響と。医師に早く相談。自己判断せず
マスク着用は喉の渇きに気付きにくいと。まめに水分補給。熱中症防ごう
☆小説「新・人間革命」学習のために 第8巻
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第8巻を掲載する。次回の第9巻は22日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。
◇崩れざる幸福は冥益の輝き
<1963年(昭和38年)6月、山本伸一は、塩浜海岸の特設会場での奄美総支部結成大会で、功徳について語る>
「功徳には、祈りの結果が、直ちに目に見える利益、つまり顕益と、目には見えない利益である、冥益とがあります。大聖人の仏法は、このうち、冥益が主となって、私たちに幸福をもたらしてくれます。(中略)
本当の功徳とは、信心をしたら大金が手に入ったとかいうものではありません。『棚からボタモチ』のような、自分は何もせずに、どこかから幸運が舞い込んでくるのが功徳だとしたら、かえって、人間を堕落させてしまいます。
では、冥益とは何か。
たとえば、木というものは、毎日、見ていても、何も変化していないように見えますが、五年、十年、二十年とたつうちに、大きく生長していきます。それと同様に、五年、十年、二十年と信心に励むうちに、次第に、罪障を消滅し、宿命を転換し、福運を積み、大利益を得ることができるのが冥益であり、それが大聖人の仏法の真実の功徳なのであります」
多くのメンバーは、功徳といえば、「顕益」と思い込んできた。それだけに、「冥益」の話に、驚いた人もいた。伸一は、皆に、正しい信仰観を確立してほしかったのである。
「冥益とは、言い換えれば、信仰によって、生命力と智慧を涌現し、人格を磨き、自らを人間革命して、崩れざる幸福境涯を築くということでもあります。
したがって、焦らず、弛まず、木が大地に深く根を張って、大樹に育っていくように、学会とともに、広布とともに生き抜き、自らの生命を、磨き、鍛えていっていただきたいのであります。そうして、十年、二十年、三十年とたった時には、考えもしなかった幸福境涯になることは間違いないと、断言しておきます」
(「布陣」の章、80〜83ページ)
◇広布に生き抜き境涯を革命
<伸一は、7月に京都大学の学生部員を対象に「百六箇抄」を講義。"骨のある人間とは?"との受講生の質問に答える>
「それは、信念をもったスケールの大きな、堂々たる生き方をしていく人間ということです。人間は、どうしても環境に染まっていきやすいものだ。たとえば、アルバイトに明け暮れ、コッペパンやオニギリばかり食べて、生きていくのがやっとだという状態のなかで勉強していると、狭量な人間になってしまう場合がある。
また、今の"学生かたぎ"として、自分のささやかな幸せだけを追い求めて生きる傾向もある。私は、青年たちが自分のことしか考えなくなりつつあることを、心配しているんです。社会、世界をどうするのか、最高に価値ある生き方とは何か、といった問題をおろそかにし、なんの信念も、哲学もない人生であってはならない。青年がそうであれば、最後は、自分も社会も不幸です。
では、どうすれば、骨のある、スケールの大きな人間になれるのか。それは境涯を革命することです。人間革命です。題目を唱え抜き、学会とともに広宣流布に生きていくならば、自然のうちに大境涯になり、骨のある人間になっていきます。
その意味でも、人間を育て、人類の未来を担っていくのは創価学会以外にはない。だからみんなも、学会について来ることです!
まだ、みんな若いから、人生は、長い長い道程のように思っているかもしれないが、あっという間に終わってしまうものだ。まさに『光陰矢のごとし』です」
(「宝剣」の章、143〜144ページ)
◇「無疑曰信」の不動の信心を
<7月、伸一は長野市民会館で開催された中部第2本部の幹部会で、幸福の要諦は御本尊を信じ抜く、「無疑曰信」(疑いなきを信という)の清流のごとき信心が肝要であることを訴える>
「大聖人の仏法の正しさは、文証、理証、現証のうえから証明されております。
しかし、ちょっと商売が行き詰まると、すぐに御本尊には力がないと疑いの心をいだく。子どもが怪我をしたといっては、御本尊は守ってくれなかったと思う。
また、一部のマスコミが学会を批判したからといって、学会の指導を疑い、御本尊への確信をなくし、勤行もしなくなってしまう。こういう方もおりますが、そうした人に限って、自分自身の生き方や信心を振り返ろうとはしない。それでいて、何かにつけて御本尊を疑い、学会を疑う。それは大功徳を消していくことになります。
赤ん坊は、何も疑うことなく、お母さんのお乳を飲んで成長していきます。しかし、お乳を飲まなくなれば、成長も遅くなり、病気にもかかりやすい。
それと同じように、御本尊を信じ、生涯、題目を唱え抜いていくならば、仏の生命を涌現し、生活のうえにも、絶対的幸福境涯の姿を示していけることは間違いないのであります。
どうか、御本尊を疑うことなく、題目を唱えに唱え、唱えきって、広宣流布の団体である学会とともに走り抜き、この人生を、最高に有意義に、最高に幸福に、荘厳してまいろうではありませんか」
愛する会員が、一人も残らず、充実した人生のなかに、功徳と福運に包まれゆくことを念じての、渾身の指導であった。
(「清流」の章、209〜210ページ)
◇会員間の金銭貸借は厳禁!
<ある地方で、幹部の金銭問題が発覚。戸田城聖第2代会長は会員間の金銭貸借を厳しく禁じており、今日の学会の鉄則となっている>
そもそも戸田城聖が、会員間の金銭貸借を厳しく禁じたのは、そのために組織が利用されることを防ぐためであった。また、金銭関係のもつれが組織に波及し、怨嫉などを引き起こすことになるからである。
よく会員のなかには、誰に金を貸そうが、そんなことは、個人の自由ではないかという者もいた。そういう声を聞くと、戸田は言った。
「私が金銭貸借を禁じているのは、そのことから、結局は、信心がおかしくなり、学会という正義の組織が破壊されていくからだ。
金を借りた幹部は、相手にきちんと信心指導ができなくなり、わがままを許すようになる。また、人事も公平さを欠いていく。一方、幹部や会員に金を貸して、返してもらえないというと、学会や信心に不信をいだき、怨嫉し、やがては退転していく。実際にみんなそうだった。
私は、みんなを不幸にさせないために、金銭貸借を禁じたのだ。もし、どうしても貸したいというのならば、貸せばよい。だが、学会は知らぬぞ。また、返さないからといって恨みごとをいうな。貸したいのなら、あげるつもりで貸しなさい」
金銭貸借の厳禁は、どこまでも信仰の世界の純粋さを守るための、戸田の決断であった。
(「清流」の章、265〜266ページ)
◇山本伸一と若き宝友
1963年7月、山本伸一は、京都大学で学ぶ学生部員の代表に「百六箇抄」講義を開始。「宝剣」の章には、受講生一人一人へ、指導、激励を重ねる伸一の姿が描かれている。
◇
<「本迹」を皆の生活に即して語る>
「私たちの人生にも、生活にも、全部、『本迹』がある。それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない。
たとえば、眠っている時は『迹』、起きている時は『本』。勉学が本分である学生が、遊びに、ふけっているのは『迹』、勉学に打ち込んでいるのは『本』といえる。
また、勉強しているといっても、立身出世のための勉強であれば、心は自分中心であり、世間に流された『迹』の生き方です。しかし、学生部員として、広布のために力をつけようと、使命感を奥底にもっての勉強であれば『本』です。
ともあれ、根本的にいえば、私たちの本地は、広宣流布のために出現した地涌の菩薩であり、ゆえに、広宣流布に生き抜く人生こそが『本』となる。
一方、諸君が将来、社会的な地位や立場がどんなに立派になったとしても、それは『迹』です。この一点を見誤ってはならない。(中略)
『本迹』を個人の一念に要約していえば、『本』とは原点であり、広宣流布への一念です。また、前進、挑戦の心です。『迹』とは惰性であり、妥協、後退です。
自分は今、広布のために、人間革命のために生きているのか、一念は定まっているのか——それを見極めていくことが、私たちにとって、『本迹』を立て分けていくということになるし、その人が最後の勝利者になっていく。ゆえに、『本迹』といっても、この瞬間瞬間が勝負であり、自分のいる現実が仏道修行の道場となる」(148〜149ページ)
◇
<人生そのものに懐疑的になり、学会活動にも積極的になれずにいた友を励ます>
「あなたは、一人になり、孤独になってはだめだよ。行き詰まってしまうからね。常に心を開いてくれる、触発と励ましの組織が学会なんだ。だから、勇気をもって、その学会の組織のなかに飛び込み、人びとのために働くことだ」(156ページ)
2020年5月24日日曜日
2020.05.24 わが友に贈る
御書を心肝に染め
弛まぬ自己研鑽を!
苦難の中での学びこそ
鋼の自身を築く
勇気と智慧の源となる。
立正安国論 P31
『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』
【通解】
あなたはすべからく一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。
名字の言 NBAで活躍する渡邊雄太選手の信条 2020年5月24日
「現時点でできることに集中する」——米プロバスケットボールNBAで2人目の日本人プレーヤーとなった、渡邊雄太選手の信条だ▼膝の"成長痛"に悩まされた中学時代のこと。思うように練習できない自分に比べ、他の選手はどんどん上達していく。そこで、膝に負担を掛けない練習方法を考え抜いた。その一つが、高くジャンプせず、素早く正確なシュートを打つ練習。父に買ってもらった練習用のリングを使い、ひたすらシュートを打ち続けた▼今、バスケットボールの本場アメリカで、自分よりはるかに背の高い選手と渡り合えるのは、この中学時代のシュート練習があったから、と渡邊選手。「現時点でできることに集中して取り組んでいれば、それは必ず将来生きてくる」と断言する(『「好き」を力にする』KADOKAWA)▼夏の甲子園やインターハイ、各種コンクールなど、小・中学生、高校生の多くの大会が中止や延期となっている。練習の成果を発揮できない悔しさはあろうが、積み重ねた努力は決して消えない。一つ一つが人生の糧となる▼池田先生は未来部の友に語った。「苦しんだ分だけ、将来、必ず大きな花が咲く」。奮闘する"未来の主役"たちに、真心のエールを送るのは大人の責任である。(巍)
寸鉄 2020年5月24日
創価の青年こそ世界に大きな貢献をなすと確信—博士。今いる場所で輝け
「愛知広布原点の日」35周年。堅塁の柱は意気軒高。さあ励ましの声を地域へ
「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」御書。何があろうと題目。幸の直道
手を洗わないとダメより洗えば大丈夫—感染対策も言葉一つ。不安煽らず
ごみ収集車の出火事故が相次ぐ。スプレー缶等が原因と。皆で分別を順守
☆小説「新・人間革命」学習のために 「ドクター部」編
◇医療に従事する皆さまの健康を懸命に祈り続けてまいります
今回の「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」は、ドクター部への励ましを掲載する。私たちの命を守るために、昼夜を分かたず、医療現場の最前線で闘ってくださっている方々の健康を、懸命に祈り続けたい。※次回は第8巻を、15日付2面に予定。挿絵は内田健一郎。
◇慈悲の医学の体現者たれ
<1971年(昭和46年)9月、第2回学術部総会の席上、医師、歯科医師、薬剤師、検査技師らで構成される、ドクター部が誕生。仏法を根底にした「慈悲の医学」の道を究め、人間主義に基づく医療従事者の連帯を築くことを目的とした同部に、山本伸一は限りない期待を寄せる>
伸一は、本来、医療の根本にあるべきものは、「慈悲」でなければならないと考えていた。
「慈悲」とは、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)ということである。一切衆生を救済せんとして出現された、仏の大慈大悲に、その究極の精神がある。
日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758ページ)と仰せである。あらゆる人びとのさまざまな苦しみを、すべて、御自身の苦しみとして、同苦されているのである。
医療従事者が、この慈悲の精神に立脚し、エゴイズムを打ち破っていくならば、医療の在り方は大きく改善され、「人間医学」の新しい道が開かれることは間違いない。いわば、医療従事者の人間革命が、希望の光明になるといってよい。
山本伸一は、医師のメンバーと会う機会があると、「慈悲の医学の体現者たれ」と励まし続けてきた。
(第22巻「命宝」の章、311〜312ページ)
◇仏法の生命観は医の道標
ドクター部員には、医師としての気高き「良心」があった。大いなる「理想」と「確信」があった。(中略)
慈悲の医学の体現者たる使命を自覚した、ドクター部員の活躍は目覚ましかった。
それぞれの職場にあっても、各人が人間的な医療の在り方を探求していった。体に負担の少ない治療法の研究に取り組む人もいれば、病院の環境改善に力を注いだ人もいた。
さらに、健康セミナーの講師や、仏法と医学についての講演なども積極的に引き受け、地域にも、広宣流布の運動にも、大きく貢献していった。
また、メンバーは、慈悲の医学をめざすには、仏法の人間観、生命観を深く学ぶ必要があると痛感し、一九七三年(昭和四十八年)からは、ドクター部の教学勉強会も行われた。
山本伸一も、ドクター部の育成には、ことのほか力を注いだ。代表と、何度となく懇談もした。
そのたびに、メンバーからは、「安楽死に対する見解」や「新薬に対する基本的な考え方」「人工中絶を仏法者として、どうとらえるべきか」など、質問が相次いだ。
どの質問も、難解で複雑なテーマであったが、伸一は、仏法の生命観のうえから、考え方の原則を示していったのである。
医学は、諸刃の剣ともなる。多くの人びとの生命を救いもするが、薬の副作用をはじめ、さまざまな弊害を生みもする。
特に、医師をはじめ、医学にかかわる人たちが、誤った生命観に陥れば、医療の大混乱を招くことにもなりかねない。
それだけに、正しい生命観を究めていくことは、必要不可欠な医師の要件といえよう。
生命を、最も深く、本源から説き明かしているのが仏法である。したがって、仏法を研鑽し、その教えを体現していくことは、医師としての先駆の探究といってよい。
(第22巻「命宝」の章、315〜317ページ)
◇四条金吾のごとく勇敢に
ある時、伸一は、ドクター部の代表と懇談した。メンバーの一人から、難病の治療法の研究に、日々、悩みながら取り組んでいるとの報告があった。
「尊いことです。それは菩薩の悩みです。難解極まりない問題だけに、絶望的な気持ちになることもあるでしょう。しかし、諸仏の智慧は甚深無量です。私たちは、その仏の智慧を、わが身に具えている。
信心を根本に、真剣に挑み抜いていくならば、解決できぬ問題はない。大事なことは、使命の自覚と、粘り強い挑戦です。私も題目を送ります」
伸一は、常にドクター部の友の成長を祈り続けていた。(中略)
大阪で行われた第二回総会のメッセージには、こう綴った。
「医学の分野に、慈悲の赫々たる太陽光線を差し込む作業は、単なる社会の一分野の改革にとどまるものではない。
生命を慈しみ、育て、羽ばたかせる思想が、人びとの心の隅々にまで染み込んだ時、初めて現代文明が、機械文明から人間文明へ、物質の世紀から生命の世紀へと転換され、人類が光輝ある第一歩を踏み出すのであります。皆さん方は、一人ひとりが、その重要な使命と責任をもった一騎当千の存在であります。いな、そうなっていただかなければ、私たちの未来はないとさえ言える」
伸一のドクター部への期待は、限りなく大きかった。
日蓮大聖人御在世当時、鎌倉の門下の中心になっていたのは、武士で医術に優れた四条金吾であった。彼が、あらゆる迫害をはねのけ、信心の勝利の実証を示したことで、どれほど門下が、勇気と自信を得たことか。一人の勇敢な戦いが、皆に力を与える。
"ドクター部よ、現代の四条金吾たれ!"
それが、伸一の心からの叫びであった。
(第22巻「命宝」の章、318〜319ページ)
◇診療は人間対人間の対話
<78年(同53年)1月、伸一は、四国ドクター部長の溝渕義弘と懇談する>
彼(山本伸一=編集部注)は、義弘に尋ねた。
「医師として、患者さんに接するうえで、心がけていることはありますか」
「はい。患部や病だけでなく、人間を見るようにしています。一個の人間として患者さんと向き合い、どうすれば、苦を取り除き、幸せになるお手伝いができるかを考えています。ですから、話をする場合も、カルテや検査の数値ばかりを見るのではなく、患者さんの目をしっかり見て、人間対人間として対話するように心がけています。
私は、患者さんから実に多くのことを学ばせてもらっています。自分の説得力のなさや力不足、生命を見つめる眼の大切さなど、すべて患者さんと接触するなかで気づかされ、教えられました。患者さんこそ師匠であり、患者さんが医師としての私を育ててくれたんです。
患者さんを、心のどこかで見下し、"自分が診てあげるのだ"などと思ったら、それは慢心です。いい医師にはなれません」
伸一は、その言葉に感動を覚えた。溝渕には、信念があり、謙虚さがあり、感謝があった。それが成長の大事な要因といえよう。
(第26巻「勇将」の章、281〜282ページ)
◇生命尊重の社会を
生命を守ることこそ、一切に最優先されなければならない。本来、国家も、政治も、経済も、科学も、教育も、そのためにこそ、あるべきものなのだ。
「立正安国」とは、この思想を人びとの胸中に打ち立て、生命尊重の社会を築き上げることといってよい。
(第22巻「命宝」の章から)
◇ドクター部の友に贈った和歌
2007年(平成19年)9月、池田先生は、慈悲の医療を目指して奮闘する「ドクター部」の友に和歌を詠み、贈った。
人間の
生命護りし
ドクター部
永遠の善美は
あなたの技にて
弛まぬ自己研鑽を!
苦難の中での学びこそ
鋼の自身を築く
勇気と智慧の源となる。
立正安国論 P31
『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』
【通解】
あなたはすべからく一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。
名字の言 NBAで活躍する渡邊雄太選手の信条 2020年5月24日
「現時点でできることに集中する」——米プロバスケットボールNBAで2人目の日本人プレーヤーとなった、渡邊雄太選手の信条だ▼膝の"成長痛"に悩まされた中学時代のこと。思うように練習できない自分に比べ、他の選手はどんどん上達していく。そこで、膝に負担を掛けない練習方法を考え抜いた。その一つが、高くジャンプせず、素早く正確なシュートを打つ練習。父に買ってもらった練習用のリングを使い、ひたすらシュートを打ち続けた▼今、バスケットボールの本場アメリカで、自分よりはるかに背の高い選手と渡り合えるのは、この中学時代のシュート練習があったから、と渡邊選手。「現時点でできることに集中して取り組んでいれば、それは必ず将来生きてくる」と断言する(『「好き」を力にする』KADOKAWA)▼夏の甲子園やインターハイ、各種コンクールなど、小・中学生、高校生の多くの大会が中止や延期となっている。練習の成果を発揮できない悔しさはあろうが、積み重ねた努力は決して消えない。一つ一つが人生の糧となる▼池田先生は未来部の友に語った。「苦しんだ分だけ、将来、必ず大きな花が咲く」。奮闘する"未来の主役"たちに、真心のエールを送るのは大人の責任である。(巍)
寸鉄 2020年5月24日
創価の青年こそ世界に大きな貢献をなすと確信—博士。今いる場所で輝け
「愛知広布原点の日」35周年。堅塁の柱は意気軒高。さあ励ましの声を地域へ
「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」御書。何があろうと題目。幸の直道
手を洗わないとダメより洗えば大丈夫—感染対策も言葉一つ。不安煽らず
ごみ収集車の出火事故が相次ぐ。スプレー缶等が原因と。皆で分別を順守
☆小説「新・人間革命」学習のために 「ドクター部」編
◇医療に従事する皆さまの健康を懸命に祈り続けてまいります
今回の「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」は、ドクター部への励ましを掲載する。私たちの命を守るために、昼夜を分かたず、医療現場の最前線で闘ってくださっている方々の健康を、懸命に祈り続けたい。※次回は第8巻を、15日付2面に予定。挿絵は内田健一郎。
◇慈悲の医学の体現者たれ
<1971年(昭和46年)9月、第2回学術部総会の席上、医師、歯科医師、薬剤師、検査技師らで構成される、ドクター部が誕生。仏法を根底にした「慈悲の医学」の道を究め、人間主義に基づく医療従事者の連帯を築くことを目的とした同部に、山本伸一は限りない期待を寄せる>
伸一は、本来、医療の根本にあるべきものは、「慈悲」でなければならないと考えていた。
「慈悲」とは、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)ということである。一切衆生を救済せんとして出現された、仏の大慈大悲に、その究極の精神がある。
日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758ページ)と仰せである。あらゆる人びとのさまざまな苦しみを、すべて、御自身の苦しみとして、同苦されているのである。
医療従事者が、この慈悲の精神に立脚し、エゴイズムを打ち破っていくならば、医療の在り方は大きく改善され、「人間医学」の新しい道が開かれることは間違いない。いわば、医療従事者の人間革命が、希望の光明になるといってよい。
山本伸一は、医師のメンバーと会う機会があると、「慈悲の医学の体現者たれ」と励まし続けてきた。
(第22巻「命宝」の章、311〜312ページ)
◇仏法の生命観は医の道標
ドクター部員には、医師としての気高き「良心」があった。大いなる「理想」と「確信」があった。(中略)
慈悲の医学の体現者たる使命を自覚した、ドクター部員の活躍は目覚ましかった。
それぞれの職場にあっても、各人が人間的な医療の在り方を探求していった。体に負担の少ない治療法の研究に取り組む人もいれば、病院の環境改善に力を注いだ人もいた。
さらに、健康セミナーの講師や、仏法と医学についての講演なども積極的に引き受け、地域にも、広宣流布の運動にも、大きく貢献していった。
また、メンバーは、慈悲の医学をめざすには、仏法の人間観、生命観を深く学ぶ必要があると痛感し、一九七三年(昭和四十八年)からは、ドクター部の教学勉強会も行われた。
山本伸一も、ドクター部の育成には、ことのほか力を注いだ。代表と、何度となく懇談もした。
そのたびに、メンバーからは、「安楽死に対する見解」や「新薬に対する基本的な考え方」「人工中絶を仏法者として、どうとらえるべきか」など、質問が相次いだ。
どの質問も、難解で複雑なテーマであったが、伸一は、仏法の生命観のうえから、考え方の原則を示していったのである。
医学は、諸刃の剣ともなる。多くの人びとの生命を救いもするが、薬の副作用をはじめ、さまざまな弊害を生みもする。
特に、医師をはじめ、医学にかかわる人たちが、誤った生命観に陥れば、医療の大混乱を招くことにもなりかねない。
それだけに、正しい生命観を究めていくことは、必要不可欠な医師の要件といえよう。
生命を、最も深く、本源から説き明かしているのが仏法である。したがって、仏法を研鑽し、その教えを体現していくことは、医師としての先駆の探究といってよい。
(第22巻「命宝」の章、315〜317ページ)
◇四条金吾のごとく勇敢に
ある時、伸一は、ドクター部の代表と懇談した。メンバーの一人から、難病の治療法の研究に、日々、悩みながら取り組んでいるとの報告があった。
「尊いことです。それは菩薩の悩みです。難解極まりない問題だけに、絶望的な気持ちになることもあるでしょう。しかし、諸仏の智慧は甚深無量です。私たちは、その仏の智慧を、わが身に具えている。
信心を根本に、真剣に挑み抜いていくならば、解決できぬ問題はない。大事なことは、使命の自覚と、粘り強い挑戦です。私も題目を送ります」
伸一は、常にドクター部の友の成長を祈り続けていた。(中略)
大阪で行われた第二回総会のメッセージには、こう綴った。
「医学の分野に、慈悲の赫々たる太陽光線を差し込む作業は、単なる社会の一分野の改革にとどまるものではない。
生命を慈しみ、育て、羽ばたかせる思想が、人びとの心の隅々にまで染み込んだ時、初めて現代文明が、機械文明から人間文明へ、物質の世紀から生命の世紀へと転換され、人類が光輝ある第一歩を踏み出すのであります。皆さん方は、一人ひとりが、その重要な使命と責任をもった一騎当千の存在であります。いな、そうなっていただかなければ、私たちの未来はないとさえ言える」
伸一のドクター部への期待は、限りなく大きかった。
日蓮大聖人御在世当時、鎌倉の門下の中心になっていたのは、武士で医術に優れた四条金吾であった。彼が、あらゆる迫害をはねのけ、信心の勝利の実証を示したことで、どれほど門下が、勇気と自信を得たことか。一人の勇敢な戦いが、皆に力を与える。
"ドクター部よ、現代の四条金吾たれ!"
それが、伸一の心からの叫びであった。
(第22巻「命宝」の章、318〜319ページ)
◇診療は人間対人間の対話
<78年(同53年)1月、伸一は、四国ドクター部長の溝渕義弘と懇談する>
彼(山本伸一=編集部注)は、義弘に尋ねた。
「医師として、患者さんに接するうえで、心がけていることはありますか」
「はい。患部や病だけでなく、人間を見るようにしています。一個の人間として患者さんと向き合い、どうすれば、苦を取り除き、幸せになるお手伝いができるかを考えています。ですから、話をする場合も、カルテや検査の数値ばかりを見るのではなく、患者さんの目をしっかり見て、人間対人間として対話するように心がけています。
私は、患者さんから実に多くのことを学ばせてもらっています。自分の説得力のなさや力不足、生命を見つめる眼の大切さなど、すべて患者さんと接触するなかで気づかされ、教えられました。患者さんこそ師匠であり、患者さんが医師としての私を育ててくれたんです。
患者さんを、心のどこかで見下し、"自分が診てあげるのだ"などと思ったら、それは慢心です。いい医師にはなれません」
伸一は、その言葉に感動を覚えた。溝渕には、信念があり、謙虚さがあり、感謝があった。それが成長の大事な要因といえよう。
(第26巻「勇将」の章、281〜282ページ)
◇生命尊重の社会を
生命を守ることこそ、一切に最優先されなければならない。本来、国家も、政治も、経済も、科学も、教育も、そのためにこそ、あるべきものなのだ。
「立正安国」とは、この思想を人びとの胸中に打ち立て、生命尊重の社会を築き上げることといってよい。
(第22巻「命宝」の章から)
◇ドクター部の友に贈った和歌
2007年(平成19年)9月、池田先生は、慈悲の医療を目指して奮闘する「ドクター部」の友に和歌を詠み、贈った。
人間の
生命護りし
ドクター部
永遠の善美は
あなたの技にて
2020年5月23日土曜日
2020.05.23 わが友に贈る
「わざはひも転じて
幸となるべし」御聖訓。
変毒為薬の信心だ。
労苦は全て幸福の糧に。
確信の言葉を友へ!
日興遺誡置文 P1618
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』
【通解】
未だ広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めていくべきである。
名字の言 難病の妻は"励ましの女神" 2020年5月23日
外出自粛の生活で、植物をじっくり観賞する時間がもてた。一つの花を見続け、改めて感じたことがある。枝につぼみができ、花が開き、それが散ると緑の葉が輝く。花というのは咲いている時だけが美しいわけではない、と▼ある壮年から体験を伺った。長年連れ添った妻が4年前、進行性の難病を患った。全身の筋力が弱まり、動くことも、話すこともできなくなった。ベッドの上で身動き一つできない姿を見ると、ふびんに思えてならなかった。だが懸命に祈り、介護に寄り添う中で、その考え方は違うことに気付く▼妻は、耳元で題目を唱えると、まばたきで喜びを表現した。子どもたちのこと、池田先生のことを話すと、こぼれる涙で感動を伝えてくれた。言葉は交わせなくても、心は通っていた。「妻はふびんな存在なんかじゃない。私を元気づけてくれる"励ましの女神"なんです」▼病気や障がい、人生の困難のただ中にある人は、守られ、支えられるだけの存在などではない。生き抜く姿そのもので、人を励まし、勇気づける尊い存在だ▼「一日の命は宇宙の全ての財宝よりも優れている」(御書986ページ、通解)。それを頭ではなく、心の底から実感させてくれる友が、広布の庭にはたくさんいる。かけがえのない宝の皆さまである。(誠)
寸鉄 2020年5月23日
崇高な目的に生きる事で大きな力を得る—恩師。立正安国へ不屈の魂で!
逆境を共にする人々の心は自然と通い合う—文豪今こそ希望の連帯を拡大
緊急事態宣言、関西は解除。首都圏・北海道は継続と。感染防止怠らず前へ
外出自粛中の高齢者狙う詐欺電話が急増。皆で警戒と励ましの声掛け更に
寒暖差激しく体調管理に留意。睡眠・食事・運動等賢く工夫し免疫力を向上
☆四季の励まし 「声の力」で新しい前進を 2020年5月17日
【写真の説明】初夏の日差しに照らされ、新緑が映える。「創価学会後継者の日」の今月5日、池田大作先生が都内でカメラに収めた。
木々は太陽の光を浴び、天に向かって力強く伸びていく。人もまた、温かく励ましてくれる存在がいるからこそ、勇気と希望が湧き、大きく成長することができる。
創価学会では、今月を「励まし月間」(31日まで)とし、同志、家族・親戚、友人・知人などに励ましの声を届けていく。また"未来部レインボーチャレンジ"(6月30日まで)もスタート。創価家族が一丸となって後継の友を育んでいく。
さあ、一人一人が前を向けるよう、真心の声掛けで"励ましの光"を送っていこう。
◇池田先生の言葉
声は力である。
声の響きこそが、
人に勇気を送る。
いざというときの
「信頼の一言」
「励ましの一言」
「確信の一言」が、
どれほど皆に
力と勢いを与えることか。
大事なのは、
励ましである。
励ましの声である。
仏典には、
「声仏事を為す」と
仰せである。
現実に生きゆく人々に、
希望と勇気を送るのは、
真心からの
「励ましの声」である。
自分を
よく見せようとすると、
しゃべるのが苦痛になる。
ありのままの
あなたでいい。
背伸びせず、
自分の短所も長所も
正直に知ってもらえば
いいのである。
親身になって、
話を聞くことである。
悩みを「聞いてもらう」
だけでも、ぐっと心が
軽くなるものだ。
前へ進む力になる。
今、手を差し伸べれば、
全ての人を
輝かせていける。
一本の電話の持つ力は
計り知れない。
顔が見えない分だけ、
声や話し方が大事である。
一本一本の電話、
そして一回一回の対話が
仏縁を結び、福運を広げる
仏道修行と思い、
深き祈りを込めて、
声を響かせていくことだ。
「声」を
惜しんではならない。
「声」の限りを尽くして、
語りまくり、
しゃべりまくって
いくことだ。
「新しい前進」——
それは
特別なことではない。
「新しい息吹」で、
「新しい声」を
発するところから
始まるのだ。
幸となるべし」御聖訓。
変毒為薬の信心だ。
労苦は全て幸福の糧に。
確信の言葉を友へ!
日興遺誡置文 P1618
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』
【通解】
未だ広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めていくべきである。
名字の言 難病の妻は"励ましの女神" 2020年5月23日
外出自粛の生活で、植物をじっくり観賞する時間がもてた。一つの花を見続け、改めて感じたことがある。枝につぼみができ、花が開き、それが散ると緑の葉が輝く。花というのは咲いている時だけが美しいわけではない、と▼ある壮年から体験を伺った。長年連れ添った妻が4年前、進行性の難病を患った。全身の筋力が弱まり、動くことも、話すこともできなくなった。ベッドの上で身動き一つできない姿を見ると、ふびんに思えてならなかった。だが懸命に祈り、介護に寄り添う中で、その考え方は違うことに気付く▼妻は、耳元で題目を唱えると、まばたきで喜びを表現した。子どもたちのこと、池田先生のことを話すと、こぼれる涙で感動を伝えてくれた。言葉は交わせなくても、心は通っていた。「妻はふびんな存在なんかじゃない。私を元気づけてくれる"励ましの女神"なんです」▼病気や障がい、人生の困難のただ中にある人は、守られ、支えられるだけの存在などではない。生き抜く姿そのもので、人を励まし、勇気づける尊い存在だ▼「一日の命は宇宙の全ての財宝よりも優れている」(御書986ページ、通解)。それを頭ではなく、心の底から実感させてくれる友が、広布の庭にはたくさんいる。かけがえのない宝の皆さまである。(誠)
寸鉄 2020年5月23日
崇高な目的に生きる事で大きな力を得る—恩師。立正安国へ不屈の魂で!
逆境を共にする人々の心は自然と通い合う—文豪今こそ希望の連帯を拡大
緊急事態宣言、関西は解除。首都圏・北海道は継続と。感染防止怠らず前へ
外出自粛中の高齢者狙う詐欺電話が急増。皆で警戒と励ましの声掛け更に
寒暖差激しく体調管理に留意。睡眠・食事・運動等賢く工夫し免疫力を向上
☆四季の励まし 「声の力」で新しい前進を 2020年5月17日
【写真の説明】初夏の日差しに照らされ、新緑が映える。「創価学会後継者の日」の今月5日、池田大作先生が都内でカメラに収めた。
木々は太陽の光を浴び、天に向かって力強く伸びていく。人もまた、温かく励ましてくれる存在がいるからこそ、勇気と希望が湧き、大きく成長することができる。
創価学会では、今月を「励まし月間」(31日まで)とし、同志、家族・親戚、友人・知人などに励ましの声を届けていく。また"未来部レインボーチャレンジ"(6月30日まで)もスタート。創価家族が一丸となって後継の友を育んでいく。
さあ、一人一人が前を向けるよう、真心の声掛けで"励ましの光"を送っていこう。
◇池田先生の言葉
声は力である。
声の響きこそが、
人に勇気を送る。
いざというときの
「信頼の一言」
「励ましの一言」
「確信の一言」が、
どれほど皆に
力と勢いを与えることか。
大事なのは、
励ましである。
励ましの声である。
仏典には、
「声仏事を為す」と
仰せである。
現実に生きゆく人々に、
希望と勇気を送るのは、
真心からの
「励ましの声」である。
自分を
よく見せようとすると、
しゃべるのが苦痛になる。
ありのままの
あなたでいい。
背伸びせず、
自分の短所も長所も
正直に知ってもらえば
いいのである。
親身になって、
話を聞くことである。
悩みを「聞いてもらう」
だけでも、ぐっと心が
軽くなるものだ。
前へ進む力になる。
今、手を差し伸べれば、
全ての人を
輝かせていける。
一本の電話の持つ力は
計り知れない。
顔が見えない分だけ、
声や話し方が大事である。
一本一本の電話、
そして一回一回の対話が
仏縁を結び、福運を広げる
仏道修行と思い、
深き祈りを込めて、
声を響かせていくことだ。
「声」を
惜しんではならない。
「声」の限りを尽くして、
語りまくり、
しゃべりまくって
いくことだ。
「新しい前進」——
それは
特別なことではない。
「新しい息吹」で、
「新しい声」を
発するところから
始まるのだ。
2020年5月22日金曜日
2020.05.22 わが友に贈る
感染予防の基本的な
対策を習慣化しよう。
"自分は大丈夫"との
油断こそ最大の敵だ。
心に深き用心あれ!
御義口伝巻上 P737
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云』
【通解】
今、南無妙法蓮華経と唱える日蓮と門下は、「如来とともに宿する」者である。傅大士の釈には「朝に夕に仏と共に起き臥し、時々に仏道を成じ、本地を顕す」とある。
名字の言 「まめ」の意味をご存じですか? 2020年5月22日
「まめ粒」「まめ電球」等、「まめ」という言葉が頭に付くと「小さい」という意味を表すのは、ご存じの通り。この場合の「まめ」を漢字で書くと、言うまでもなく「豆」である▼一方で、「労苦をいとわずよく勤め働くこと」(広辞苑)との意味で用いられることもある。この時は「忠実」と書く。コロナ禍で人に会うことがためらわれる昨今、「普段はなかなか書けない手紙を書いて、"筆まめ"な自分を目指しています」と語る友がいたが、この「まめ」は、後者になる▼「毎日、電話で励まし合っています!」と言う友は"TELまめ"とも呼べるだろう。"メールまめ""SNSまめ"など、"オンラインでの連携は得意"という友も多い。誰もが、先の見えない状況の中での行動であり、頭が下がる▼また「まめ」には、「まごころがあること。まじめ。誠実。本気」という意味も。そこから、周囲に真心の言葉を送る全ての人に敬意を込め、「まめな方」と呼ばせてもらいたい▼さらに、「まめ」には「身体の丈夫なこと。たっしゃ。息災」との意もある。その意味では、世界規模の困難に共に立ち向かう全ての人々が「まめ」でいることを、今日も強く祈る。本紙がその追い風となれるよう、日々、力を尽くすことを誓う。(道)
寸鉄 2020年5月22日
「法華の題目は獅子の吼ゆるが如く」御書。今一重強盛に祈り、大生命力で
奈良広布誓願の日。苦難にも揺るがぬ大関西の柱創価家族の絆強く前進!
多様なつながり持つ人は幸福—識者。電話やメールも生かし日常を豊かに
運動不足も熱中症の原因の一つに。室内でも意識して体動かし健康を維持
整備不良の自転車での事故で重傷化しやすいと。点検整備忘れず無事故を
☆心に御書を 第44回 世界の友と深き祈りを
〈御文〉
『国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し』(妙密上人御消息、1241ページ)
〈通解〉
国中の人々が、一人、二人、そして千万億の人が題目を唱えるならば、思いがけなくもその功徳があなたの身に集まることであろう。その功徳は、大海が露を集め、須弥山が塵を積むようなものである。
〈池田先生が贈る指針〉
題目の功徳は無量無辺である。この音声を唱え弘めてきた創価家族の福運は、まさに大海や須弥山の如く積まれている。
妙法は人類の仏性を呼び顕し、結び合わせる。一人一人の生命を蘇生させ、国土の宿命まで転換する力がある。
全世界の異体同心の友と、民衆の安穏を祈り抜く題目で、地球を包みゆこう!
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 題3回 沖縄
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「沖縄」についてつづられた「命どぅ宝——平和の色彩」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。きょう15日は沖縄の本土復帰の日。戦争で最も辛酸をなめた沖縄は、先生が不戦への決意を固め、同志と共に永遠の平和・繁栄の楽土建設を誓った天地である。ここに脈打つ生命尊厳の心はまた立正安国の祈りとなり、おおらかな友情の魂は世界を一つに結ぶ。励ましの輪を広げつつ危機の時代を生きる全ての友へのエールとなろう。
紺碧の
大海原に
堂々と
世界に誇る
沖縄城かな
生きとし生けるものには、みな色彩があります。どの色も、かけがえのない個性です。
それぞれが帯びた命の色を、お互いに伸びやかに輝かせ合いながら、この世界を明るく豊かに染め上げていく——そこに平和の一つの実像があると言えないでしょうか。
大空も、大海原も、大地も、そして人々の命も、ひときわ鮮やかな光彩を放ち調和している麗しき島が、わが愛する沖縄です。
沖縄には、「命どぅ宝」(命こそ宝)という、揺るぎない生命尊厳の心が光っています。「イチャリバチョーデー」(出会えば、みな、きょうだい)という、おおらかな友情の魂が脈打っています。
「お互に仲よくすることは勿論のこと、すすんで人々を、睦じくさせる」とは、琉球民話「邑を創る兄弟」が伝える、和楽を広げる生き方です。
いにしえより、琉球王国の人々は、閉ざされた島国根性ではなくして、広々と開かれた海洋国の気風を漲らせ、勇敢に波濤を越えて、アジアへ、世界へ、打って出てきました。
船が難破した異国の友を救出しては、心づくしでもてなした逸話は、枚挙に暇がありません。
その真心に触れた人々は、「琉球人は友好的で信頼のおける民族だ。しかも、こよなく幸せな民族だ」等と、感謝と賞讃の証言を歴史に残しています。
まさに沖縄は「万国の津梁」(世界の架け橋)の存在です。海外との闊達な交流のなかで、多彩な文化が育まれてきました。鮮烈な色彩芸術が眩い琉球紅型など、「染織の宝庫」でもあります。絣の源流も沖縄です。
琉球の大指導者・蔡温(一六八二〜一七六一)は、「我人の恩をうけては長くわするべからず必ずむくうべし」と綴りました。
恩義を決して忘れず、縁する人を家族のように大切にしながら、和気あいあいと生命の讃歌を謳い上げていく——この温かな太陽の心こそ、沖縄を美しく彩る光源と言ってよいでしょう。
◇平和の宝島に
〈本年は、池田先生の沖縄初訪問60周年である。先生は平和への誓いを固めた当時の真情に言及。また、3万人の大文化祭を行った沖縄市をはじめ、各地での忘れ得ぬ出会いを思い起こしながら、沖縄の一層の繁栄を望んだ〉
悲劇なる
歴史の彼方に
栄光の
平和の土台の
原点 創れや
一九六〇年七月、私は初めて沖縄を訪問した折、南部戦跡の「ひめゆりの塔」や「健児之塔」の前に立ち、深く合掌しました。その時、誓いを固めたことがあります。
最も戦争の苦しみを味わった沖縄の人々こそ、誰よりも、誰よりも、幸せになる権利がある。いな、絶対にそうあらねばならない。ゆえに、この地に、敬愛する友と断じて平和の理想の宝島を築いていくのだ、と。
沖縄初訪問の三カ月後、私は最初の海外歴訪に出発しましたが、平和を願い対話を広げゆく世界への旅も、私の心の起点は沖縄でありました。
さらに一九六四年の師走、私は沖縄の都・那覇で、小説『人間革命』の執筆を開始し、冒頭に綴りました。
「戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない」
それは、軍部政府の横暴と戦い抜いてきた師匠・戸田城聖先生から受け継いだ叫びであり、沖縄の友と分かち合う世界不戦の決意でありました。
私は沖縄各地の友と、その島その郷土が誇る文化を大切に、地域の友好を広げていくことが、平和への貢献になると確かめ合ってきました。
時にハチマキと、はっぴ姿で踊りの輪に飛び込み、時に島の更なる発展を願い、「イヤサカ(弥栄)! イヤサカ!」と音頭をとりました。懐かしい語らいの光景が、一つ一つ名画のごとく色鮮やかに蘇ってきます。
私は初訪問の際、強く申し上げました。
「沖縄は、必ずや将来、『東洋のハワイ』になります。世界中の人々が憧れ、集い合う天地になります」
烈風にも耐え抜くガジュマルの木のように、「ガンジュームン」(頑丈者・健康で丈夫な人)たる沖縄の尊き方々が、言うに言われぬ苦難を乗り越え、不屈の繁栄を築いておられることは、何よりの喜びです。
◇生涯建設
〈ここで池田先生は、宿命の嵐にも負けず、平和の建設に尽くした婦人の足跡を紹介。命を尊ぶ沖縄の心が地球を包みゆく未来に思いをはせた〉
私と妻が一緒に歴史を刻んできた沖縄の女性リーダーは、かつて、夫の事業の挫折、厳しい生活苦や病気など、まったく希望の見えない日々でした。しかし、夫妻して「悲惨な戦場となった沖縄を最も幸福な社会へと転じていこう」と決意しました。
沖縄のことわざに「チョーククルルデーイチ」(人は心こそ第一)とあります。平和も、一人一人が自身の苦悩に勝ち、宿命に泣いていた自分に勝って、「人間革命」していくところから始まります。婦人は、子どもの手を引きながら、友の家を一軒一軒訪ね、その悩みにじっくり耳を傾けて励ましていきます。
夫に先立たれたあとも、遺志を受け継いで、沖縄全島を駆け巡ってこられました。
この婦人のモットーは「生涯建設」です。「勇気をもって、人生は強気でいく」です。勇気こそ自分を建設し、平和を建設しゆく原動力です。
恩納村にある、私たちの研修道場の敷地には、かつて中距離弾道ミサイル・メースBを配備した米軍基地の八つの発射台が置かれ、冷戦時代は北京など中国の主要都市を射程内に入れていました。その発射台跡は、今、世界平和の記念碑に生まれ変わっています。
核兵器廃絶を目指す科学者の国際組織パグウォッシュ会議名誉会長のロートブラット博士も、この研修道場にお迎えした一人です。人生を賭して世界の平和のために戦い抜いてきた博士だからこそ、沖縄の心に最大の共鳴を示されました。
「私たちは今一度、人間とすべての生命の尊厳に目を向けなければならない」との博士の言葉が、私の胸に深く強く響いております。
平和ほど、尊きものはありません。
平和ほど、幸福なものはありません。
「命どぅ宝」(命こそ宝)——この沖縄の心が地球を包み、世界中の母と子の笑顔が輝きわたる未来の光彩を、私はいつも思い描いています。
沖縄の
友に幸あれ
勝利あれ
私は祈らむ
皆様 見つめて
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)
対策を習慣化しよう。
"自分は大丈夫"との
油断こそ最大の敵だ。
心に深き用心あれ!
御義口伝巻上 P737
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云』
【通解】
今、南無妙法蓮華経と唱える日蓮と門下は、「如来とともに宿する」者である。傅大士の釈には「朝に夕に仏と共に起き臥し、時々に仏道を成じ、本地を顕す」とある。
名字の言 「まめ」の意味をご存じですか? 2020年5月22日
「まめ粒」「まめ電球」等、「まめ」という言葉が頭に付くと「小さい」という意味を表すのは、ご存じの通り。この場合の「まめ」を漢字で書くと、言うまでもなく「豆」である▼一方で、「労苦をいとわずよく勤め働くこと」(広辞苑)との意味で用いられることもある。この時は「忠実」と書く。コロナ禍で人に会うことがためらわれる昨今、「普段はなかなか書けない手紙を書いて、"筆まめ"な自分を目指しています」と語る友がいたが、この「まめ」は、後者になる▼「毎日、電話で励まし合っています!」と言う友は"TELまめ"とも呼べるだろう。"メールまめ""SNSまめ"など、"オンラインでの連携は得意"という友も多い。誰もが、先の見えない状況の中での行動であり、頭が下がる▼また「まめ」には、「まごころがあること。まじめ。誠実。本気」という意味も。そこから、周囲に真心の言葉を送る全ての人に敬意を込め、「まめな方」と呼ばせてもらいたい▼さらに、「まめ」には「身体の丈夫なこと。たっしゃ。息災」との意もある。その意味では、世界規模の困難に共に立ち向かう全ての人々が「まめ」でいることを、今日も強く祈る。本紙がその追い風となれるよう、日々、力を尽くすことを誓う。(道)
寸鉄 2020年5月22日
「法華の題目は獅子の吼ゆるが如く」御書。今一重強盛に祈り、大生命力で
奈良広布誓願の日。苦難にも揺るがぬ大関西の柱創価家族の絆強く前進!
多様なつながり持つ人は幸福—識者。電話やメールも生かし日常を豊かに
運動不足も熱中症の原因の一つに。室内でも意識して体動かし健康を維持
整備不良の自転車での事故で重傷化しやすいと。点検整備忘れず無事故を
☆心に御書を 第44回 世界の友と深き祈りを
〈御文〉
『国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し』(妙密上人御消息、1241ページ)
〈通解〉
国中の人々が、一人、二人、そして千万億の人が題目を唱えるならば、思いがけなくもその功徳があなたの身に集まることであろう。その功徳は、大海が露を集め、須弥山が塵を積むようなものである。
〈池田先生が贈る指針〉
題目の功徳は無量無辺である。この音声を唱え弘めてきた創価家族の福運は、まさに大海や須弥山の如く積まれている。
妙法は人類の仏性を呼び顕し、結び合わせる。一人一人の生命を蘇生させ、国土の宿命まで転換する力がある。
全世界の異体同心の友と、民衆の安穏を祈り抜く題目で、地球を包みゆこう!
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 題3回 沖縄
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「沖縄」についてつづられた「命どぅ宝——平和の色彩」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。きょう15日は沖縄の本土復帰の日。戦争で最も辛酸をなめた沖縄は、先生が不戦への決意を固め、同志と共に永遠の平和・繁栄の楽土建設を誓った天地である。ここに脈打つ生命尊厳の心はまた立正安国の祈りとなり、おおらかな友情の魂は世界を一つに結ぶ。励ましの輪を広げつつ危機の時代を生きる全ての友へのエールとなろう。
紺碧の
大海原に
堂々と
世界に誇る
沖縄城かな
生きとし生けるものには、みな色彩があります。どの色も、かけがえのない個性です。
それぞれが帯びた命の色を、お互いに伸びやかに輝かせ合いながら、この世界を明るく豊かに染め上げていく——そこに平和の一つの実像があると言えないでしょうか。
大空も、大海原も、大地も、そして人々の命も、ひときわ鮮やかな光彩を放ち調和している麗しき島が、わが愛する沖縄です。
沖縄には、「命どぅ宝」(命こそ宝)という、揺るぎない生命尊厳の心が光っています。「イチャリバチョーデー」(出会えば、みな、きょうだい)という、おおらかな友情の魂が脈打っています。
「お互に仲よくすることは勿論のこと、すすんで人々を、睦じくさせる」とは、琉球民話「邑を創る兄弟」が伝える、和楽を広げる生き方です。
いにしえより、琉球王国の人々は、閉ざされた島国根性ではなくして、広々と開かれた海洋国の気風を漲らせ、勇敢に波濤を越えて、アジアへ、世界へ、打って出てきました。
船が難破した異国の友を救出しては、心づくしでもてなした逸話は、枚挙に暇がありません。
その真心に触れた人々は、「琉球人は友好的で信頼のおける民族だ。しかも、こよなく幸せな民族だ」等と、感謝と賞讃の証言を歴史に残しています。
まさに沖縄は「万国の津梁」(世界の架け橋)の存在です。海外との闊達な交流のなかで、多彩な文化が育まれてきました。鮮烈な色彩芸術が眩い琉球紅型など、「染織の宝庫」でもあります。絣の源流も沖縄です。
琉球の大指導者・蔡温(一六八二〜一七六一)は、「我人の恩をうけては長くわするべからず必ずむくうべし」と綴りました。
恩義を決して忘れず、縁する人を家族のように大切にしながら、和気あいあいと生命の讃歌を謳い上げていく——この温かな太陽の心こそ、沖縄を美しく彩る光源と言ってよいでしょう。
◇平和の宝島に
〈本年は、池田先生の沖縄初訪問60周年である。先生は平和への誓いを固めた当時の真情に言及。また、3万人の大文化祭を行った沖縄市をはじめ、各地での忘れ得ぬ出会いを思い起こしながら、沖縄の一層の繁栄を望んだ〉
悲劇なる
歴史の彼方に
栄光の
平和の土台の
原点 創れや
一九六〇年七月、私は初めて沖縄を訪問した折、南部戦跡の「ひめゆりの塔」や「健児之塔」の前に立ち、深く合掌しました。その時、誓いを固めたことがあります。
最も戦争の苦しみを味わった沖縄の人々こそ、誰よりも、誰よりも、幸せになる権利がある。いな、絶対にそうあらねばならない。ゆえに、この地に、敬愛する友と断じて平和の理想の宝島を築いていくのだ、と。
沖縄初訪問の三カ月後、私は最初の海外歴訪に出発しましたが、平和を願い対話を広げゆく世界への旅も、私の心の起点は沖縄でありました。
さらに一九六四年の師走、私は沖縄の都・那覇で、小説『人間革命』の執筆を開始し、冒頭に綴りました。
「戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない」
それは、軍部政府の横暴と戦い抜いてきた師匠・戸田城聖先生から受け継いだ叫びであり、沖縄の友と分かち合う世界不戦の決意でありました。
私は沖縄各地の友と、その島その郷土が誇る文化を大切に、地域の友好を広げていくことが、平和への貢献になると確かめ合ってきました。
時にハチマキと、はっぴ姿で踊りの輪に飛び込み、時に島の更なる発展を願い、「イヤサカ(弥栄)! イヤサカ!」と音頭をとりました。懐かしい語らいの光景が、一つ一つ名画のごとく色鮮やかに蘇ってきます。
私は初訪問の際、強く申し上げました。
「沖縄は、必ずや将来、『東洋のハワイ』になります。世界中の人々が憧れ、集い合う天地になります」
烈風にも耐え抜くガジュマルの木のように、「ガンジュームン」(頑丈者・健康で丈夫な人)たる沖縄の尊き方々が、言うに言われぬ苦難を乗り越え、不屈の繁栄を築いておられることは、何よりの喜びです。
◇生涯建設
〈ここで池田先生は、宿命の嵐にも負けず、平和の建設に尽くした婦人の足跡を紹介。命を尊ぶ沖縄の心が地球を包みゆく未来に思いをはせた〉
私と妻が一緒に歴史を刻んできた沖縄の女性リーダーは、かつて、夫の事業の挫折、厳しい生活苦や病気など、まったく希望の見えない日々でした。しかし、夫妻して「悲惨な戦場となった沖縄を最も幸福な社会へと転じていこう」と決意しました。
沖縄のことわざに「チョーククルルデーイチ」(人は心こそ第一)とあります。平和も、一人一人が自身の苦悩に勝ち、宿命に泣いていた自分に勝って、「人間革命」していくところから始まります。婦人は、子どもの手を引きながら、友の家を一軒一軒訪ね、その悩みにじっくり耳を傾けて励ましていきます。
夫に先立たれたあとも、遺志を受け継いで、沖縄全島を駆け巡ってこられました。
この婦人のモットーは「生涯建設」です。「勇気をもって、人生は強気でいく」です。勇気こそ自分を建設し、平和を建設しゆく原動力です。
恩納村にある、私たちの研修道場の敷地には、かつて中距離弾道ミサイル・メースBを配備した米軍基地の八つの発射台が置かれ、冷戦時代は北京など中国の主要都市を射程内に入れていました。その発射台跡は、今、世界平和の記念碑に生まれ変わっています。
核兵器廃絶を目指す科学者の国際組織パグウォッシュ会議名誉会長のロートブラット博士も、この研修道場にお迎えした一人です。人生を賭して世界の平和のために戦い抜いてきた博士だからこそ、沖縄の心に最大の共鳴を示されました。
「私たちは今一度、人間とすべての生命の尊厳に目を向けなければならない」との博士の言葉が、私の胸に深く強く響いております。
平和ほど、尊きものはありません。
平和ほど、幸福なものはありません。
「命どぅ宝」(命こそ宝)——この沖縄の心が地球を包み、世界中の母と子の笑顔が輝きわたる未来の光彩を、私はいつも思い描いています。
沖縄の
友に幸あれ
勝利あれ
私は祈らむ
皆様 見つめて
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)
2020年5月21日木曜日
2020.05.21 わが友に贈る
天候・気温の変化に
気を付けよう!
一枚多く羽織るなど
体調管理を賢明に。
健康第一の毎日を!
四条金吾殿御返事 P1168
『又吾一門の人人の中にも信心もうすく日蓮が申す事を背き給はば蘇我が如くなるべし、其の故は仏法日本に立ちし事は蘇我の宿禰と馬子との父子二人の故ぞかし』
【通解】
また別しては、吾が一門の中の人であっても、信心がうすく、日蓮の申したことに背いたならば、蘇我一門のようになるであろう。
名字の言 本質を見抜く仏法の眼 2020年5月21日
母から「花に水をあげて」と頼まれた幼い娘が、文字通り、花びらに水滴を落とし始めた。その姿に母がほほ笑み、根元にも水を掛けながら、優しく教えた▼養分や水分は根から吸収され、茎や枝などに送り届けられること。地中に張った根が、地上に伸びた植物全体を支えていること……。娘は「根っこが大事なんだね」と納得した▼植物に限らず、目に見える事象の根本の大事は、実は目には見えない奥の部分に宿っていることが多い。50年前の1970年、池田先生は多くの会合で、当時、深刻だった公害問題に言及している。政治、経済、医療などの分野で具体的解決を図る必要性に触れつつ、"人類の生存を脅かすものは魔である"と、仏法の眼で本質を見抜く重要性を強調した▼生きていく以上、問題や困難は起こるもの。その時、仏法では人間の生命の内奥に光を当てて"根本"からの解決を探る。一人の偉大な人間革命が、ついには人類の宿命転換を成し遂げるとの思考も、ここを原点としている▼魔とは「奪命者」ともいい、生命力を奪う。では生命力とは何か。池田先生は「未来を信じる力、そして希望を日々新たにし続ける力の異名」と語る。一人一人が生き抜く力を発揮し、結合する中に人類の未来はある。(白)
寸鉄 2020年5月21日
「水は昼夜不退に流るる」御書。信心だけは弛まず。試練の時こそ成長の好機
池田先生の山光提言の日鳥取・島根の友よ太陽の心で励ましの光、地域に
第2波必ず来る—専門家気の緩み警戒。引き続き「3密」避け拡大を防止
マスク着用で感染リスク2割以下の可能性—研究手洗いとともに励行徹底
空調は早めの試運転を。夏は修理依頼多く業者の対応遅れも。万全に準備
☆心に御書を 第43回 今こそ「法華経の兵法」で
〈御文〉
『此の日蓮は首題の五字を汝にさづく、法華経受持のものを守護せん事疑あるべからず』(四条金吾殿御返事、1192ページ)
〈通解〉
この日蓮は、法華経の首題の五字(妙法蓮華経)をあなたに授けた。法華経受持の者を諸天が守護することは疑いないのである。
〈池田先生が贈る指針〉
苦境の極点にあった門下への激励である。
御本仏から授けられた「法華経の兵法」がある限り、断じて敗れることはない。
恩師は経済苦に挑む友を励まされた。"妙法は人類が持つ最高の智慧である。どんな苦労も生かして必ず打開できる"と。
「臆病にては叶うべからず候」。今こそ、勇気ある信心で勝ち開こう!
気を付けよう!
一枚多く羽織るなど
体調管理を賢明に。
健康第一の毎日を!
四条金吾殿御返事 P1168
『又吾一門の人人の中にも信心もうすく日蓮が申す事を背き給はば蘇我が如くなるべし、其の故は仏法日本に立ちし事は蘇我の宿禰と馬子との父子二人の故ぞかし』
【通解】
また別しては、吾が一門の中の人であっても、信心がうすく、日蓮の申したことに背いたならば、蘇我一門のようになるであろう。
名字の言 本質を見抜く仏法の眼 2020年5月21日
母から「花に水をあげて」と頼まれた幼い娘が、文字通り、花びらに水滴を落とし始めた。その姿に母がほほ笑み、根元にも水を掛けながら、優しく教えた▼養分や水分は根から吸収され、茎や枝などに送り届けられること。地中に張った根が、地上に伸びた植物全体を支えていること……。娘は「根っこが大事なんだね」と納得した▼植物に限らず、目に見える事象の根本の大事は、実は目には見えない奥の部分に宿っていることが多い。50年前の1970年、池田先生は多くの会合で、当時、深刻だった公害問題に言及している。政治、経済、医療などの分野で具体的解決を図る必要性に触れつつ、"人類の生存を脅かすものは魔である"と、仏法の眼で本質を見抜く重要性を強調した▼生きていく以上、問題や困難は起こるもの。その時、仏法では人間の生命の内奥に光を当てて"根本"からの解決を探る。一人の偉大な人間革命が、ついには人類の宿命転換を成し遂げるとの思考も、ここを原点としている▼魔とは「奪命者」ともいい、生命力を奪う。では生命力とは何か。池田先生は「未来を信じる力、そして希望を日々新たにし続ける力の異名」と語る。一人一人が生き抜く力を発揮し、結合する中に人類の未来はある。(白)
寸鉄 2020年5月21日
「水は昼夜不退に流るる」御書。信心だけは弛まず。試練の時こそ成長の好機
池田先生の山光提言の日鳥取・島根の友よ太陽の心で励ましの光、地域に
第2波必ず来る—専門家気の緩み警戒。引き続き「3密」避け拡大を防止
マスク着用で感染リスク2割以下の可能性—研究手洗いとともに励行徹底
空調は早めの試運転を。夏は修理依頼多く業者の対応遅れも。万全に準備
☆心に御書を 第43回 今こそ「法華経の兵法」で
〈御文〉
『此の日蓮は首題の五字を汝にさづく、法華経受持のものを守護せん事疑あるべからず』(四条金吾殿御返事、1192ページ)
〈通解〉
この日蓮は、法華経の首題の五字(妙法蓮華経)をあなたに授けた。法華経受持の者を諸天が守護することは疑いないのである。
〈池田先生が贈る指針〉
苦境の極点にあった門下への激励である。
御本仏から授けられた「法華経の兵法」がある限り、断じて敗れることはない。
恩師は経済苦に挑む友を励まされた。"妙法は人類が持つ最高の智慧である。どんな苦労も生かして必ず打開できる"と。
「臆病にては叶うべからず候」。今こそ、勇気ある信心で勝ち開こう!
2020年5月20日水曜日
2020.05.20 わが友に贈る
仏法に無駄はない。
前向きに挑戦した
全ての経験は
必ず後に生きてくる。
弛まず一歩ずつ前へ!
四条金吾殿御返事 P1168
『されば釈迦仏は賞罰ただしき仏なり』
【通解】
釈迦仏は賞罰が正しい仏である。
名字の言 哲学者・ショーペンハウアーの「ヤマアラシのジレンマ」 2020年5月20日
ヤマアラシが寒さを防ぐため、互いの体を近づける。ところが、自分のハリで相手を傷つけてしまう。仕方なく離れると、今度は体が凍えてしまう。ドイツの哲学者・ショーペンハウアーが考えた「ヤマアラシのジレンマ」という話である▼悩んでいる人に直接会って励ますことができないなど、新型コロナウイルスの感染拡大によって、私たちは経験したことのないジレンマに遭遇している。言葉も、その一つ。人によって捉え方が大きく異なる▼「ステイホーム」を促す記事を書いていても、そのマイナスの影響を受ける飲食業や観光業に携わる同志の顔が思い浮かぶ。「希望」とつづって、血が通った言葉かどうか、何度も自問する▼岩手日報社の代表取締役社長・東根千万億氏は、「人の痛みを知り、人の有り難みを知ると、人を思う想像力が深まります。それが価値を生む創造力を培う糧になると思います」(本紙2019年2月9日付)と述べている。他者の痛みを知ろうとの姿勢なくして、人の心に届く言葉は生まれまい▼冒頭の「ヤマアラシのジレンマ」は、試行錯誤を繰り返しながら、最終的に痛くも寒くもない適度な距離を見つけ出す。諦めず、弛まず——そこから、明日への「希望」が輝き始めると信じる。(澪)
寸鉄 2020年5月20日
学会は組織の根底に苦楽を分かち合う絆がある—学長。今こそ連携を密に
岩手「女性の日」「青年部の日」。今日も励ましの声掛け。福光の歩みを益々
若人の人間革命で世界は変わる—博士。発想力と行動力で希望の時代開け
感染症対策、気の緩みが出る時。「身体的距離」の確保を。絶対に油断せず
持ち帰り弁当等の食中毒に注意。放置すれば菌は増殖。早めの消費を徹底
☆心に御書を 第42回 皆を包み込む励ましを
〈御文〉
『今に始めざる御志言を以て宣べがたし何れの日を期してか対面を遂げ心中の朦朧を申し披や』(四菩薩造立抄、987ページ)
〈通解〉
今に始まったことではないあなた(富木常忍)のお志は、言葉では述べ難いほどありがたく思う。
いつの日か必ず対面を実現して、心につのる種々の思いを申し述べたいと思う。
〈池田先生が贈る指針〉
門下の一人一人と対面して心に積もることを語らい、励ましたい——これが御本仏の大慈悲であられた。
御本尊に唱題する我らは、いつでも大聖人と生命の対話ができることを忘れまい。
「日蓮が如くにし候へ」と
☆「国際看護師の日」 生命守る尊き皆さまに感謝
近代看護の母・ナイチンゲールの生誕200周年に当たる、きょう5月12日は「国際看護師の日」。ここでは、看護に携わる皆さまへの感謝を込め、池田先生が2000年(平成12年)7月、白樺の友に贈った長編詩「生命の天使 気高き希望の魂!」の抜粋を紹介する。(全文は『池田大作全集第44巻』所収「月光の城」を参照)
私の手は
多くの人々の
尊い生命を
護る武器である。
私の無音の
落ち着いた行動は
病と戦い続け
苦しみ抜いている
人々のために ありたい。
私の この細い腕は
病苦という悪魔を
断ち切る
長剣の腕である。
◇
有名な『星の王子さま』の作家
サン・テグジュペリは
こう語っている。
「人間は
障害と力を競い合うとき
自分自身を発見する」と。
白衣の天使!
それは
憧れや見栄の名前ではない。
現実は
そんな甘いものではない。
◇
悲嘆の涙を分かちながらの
同苦の激務を
人々は深くは知らない。
ある時は
「だいぶ良くなりましたよ」
「もうすぐですからね」と
爽やかな薫風のように
疲労した旅人を包容する。
ある時は
「たくましく生きなさい」
「雄々しく戦いなさい」と
母の叱咤のごとく
姉の励ましのごとく
回復へのエールを送る。
「生老病死」という
根本の命題を見据えての
貴女の哲学は
いかなる運命に
もてあそばれる不安をも
情熱に変えていく力を与える。
◇
疲れ果てても
天使の両の眼は
目に見えぬ患者の生命と
深く交流する。
そして
精密なる脈拍を取りながら
闇の中から
光の方向へと
導きゆく尊き力よ!
共に勝った時には
病者の微笑みが輝き
胸深く栄光に溢れた
自らの使命に喝采する。
わが白樺グループの結成は
一九六九年(昭和四十四年)の
六月六日であった。
この日は
牧口初代会長の誕生の
記念日である。
わが身を燃やして
光明を供養した
薬王菩薩のごとく
不惜身命で殉教なされたのが
牧口先生であった。
白樺の薬王の生命は
常に この創価の父と共に
赫々と光彩を放つ。
あの日 あの時の新出発に
私は 妻と共に
深く深く心に念じた。
そして 強く強く祈った。
「大切な大切な
白樺の方々こそ
誰よりも御健康で
誰よりも御長寿で
誰よりも素晴らしき
人生を生き抜かれゆくことを!」
そして 門出を祝して
私は一言 綴り贈った。
「わが使命として
病める人
心の傷ついている人を
どうか 励ましていただきたい。
それは 政治家にも
著名人にも でき得ぬ
根本的な慈愛の
貴女たちの尊い叫びしかない」と。
いま 嬉しくも
幾千 幾万もの
生命の天使たちが活躍する。
女子部は
「白樺グループ」として
婦人部は
「白樺会」として
はつらつと 来る日来る日を
厳粛に戦って
立ち上がっておられる。
貴女の果てなき
動かぬ執念の心は
曖昧な動揺を超克しながら
確実な 平癒の
地平線を見つめつつ
静かな表情に
深い荘厳な姿が映える。
無数の同志が
日々 お世話になり
「白樺の人」と聞くと
誰もが 安心する。
◇
私は詠み捧げた。
「人の世に
希望の世紀を
作らむと
菩薩か 佛か
貴女の姿は」
「諸天らよ
尊き使命の
白樺を
断固と護れや
永遠に誉めゆけ」
人気のない病室。
沈黙のこもる病室。
重苦しい病室。
社会から
取り残されたような病室。
真夜中の疲れた
慌ただしい自身を
再び燃え上がらせゆかんと
貴女は
おごそかな暁に祈り戦う。
複雑な変化に対応しながら
達人のごとく
瞳を そして身体を
動かし始めゆく
その振る舞いは
まさしく健康博士!
文豪サン・テグジュペリは
こうも綴っている。
「自分自身に
徹すれば徹するほど
人間は偉大になる」
最も 心強く
最も 心優しく
最も 心広く
最も 心賢く
最も 心健全なる
貴女よ!
賢明なる才知と
機敏なる動作で
生命を慈しむ
ナイチンゲールの魂は
天使よりも気高き
聖女であると謳った
詩人がいた。
誰言うとなく
寒風の中を
尊く
芯強く 尊く
真っ直ぐに伸びゆく
白樺の木を思い出す——と。
ああ
天女の姿よ!
自らの手柄も
自らの名誉も
自らの誇りも
自らの苦渋の時間も
自らの未来の幸福も
すべて病者のために!
あの顔 この顔を
覗き 見つめ
見守りながら
皆の「健康長寿」という
己の夢の実現の主体者として
明け暮れゆく
慈愛の女王たちよ!
二〇〇〇年七月十二日 世界桂冠詩人
前向きに挑戦した
全ての経験は
必ず後に生きてくる。
弛まず一歩ずつ前へ!
四条金吾殿御返事 P1168
『されば釈迦仏は賞罰ただしき仏なり』
【通解】
釈迦仏は賞罰が正しい仏である。
名字の言 哲学者・ショーペンハウアーの「ヤマアラシのジレンマ」 2020年5月20日
ヤマアラシが寒さを防ぐため、互いの体を近づける。ところが、自分のハリで相手を傷つけてしまう。仕方なく離れると、今度は体が凍えてしまう。ドイツの哲学者・ショーペンハウアーが考えた「ヤマアラシのジレンマ」という話である▼悩んでいる人に直接会って励ますことができないなど、新型コロナウイルスの感染拡大によって、私たちは経験したことのないジレンマに遭遇している。言葉も、その一つ。人によって捉え方が大きく異なる▼「ステイホーム」を促す記事を書いていても、そのマイナスの影響を受ける飲食業や観光業に携わる同志の顔が思い浮かぶ。「希望」とつづって、血が通った言葉かどうか、何度も自問する▼岩手日報社の代表取締役社長・東根千万億氏は、「人の痛みを知り、人の有り難みを知ると、人を思う想像力が深まります。それが価値を生む創造力を培う糧になると思います」(本紙2019年2月9日付)と述べている。他者の痛みを知ろうとの姿勢なくして、人の心に届く言葉は生まれまい▼冒頭の「ヤマアラシのジレンマ」は、試行錯誤を繰り返しながら、最終的に痛くも寒くもない適度な距離を見つけ出す。諦めず、弛まず——そこから、明日への「希望」が輝き始めると信じる。(澪)
寸鉄 2020年5月20日
学会は組織の根底に苦楽を分かち合う絆がある—学長。今こそ連携を密に
岩手「女性の日」「青年部の日」。今日も励ましの声掛け。福光の歩みを益々
若人の人間革命で世界は変わる—博士。発想力と行動力で希望の時代開け
感染症対策、気の緩みが出る時。「身体的距離」の確保を。絶対に油断せず
持ち帰り弁当等の食中毒に注意。放置すれば菌は増殖。早めの消費を徹底
☆心に御書を 第42回 皆を包み込む励ましを
〈御文〉
『今に始めざる御志言を以て宣べがたし何れの日を期してか対面を遂げ心中の朦朧を申し披や』(四菩薩造立抄、987ページ)
〈通解〉
今に始まったことではないあなた(富木常忍)のお志は、言葉では述べ難いほどありがたく思う。
いつの日か必ず対面を実現して、心につのる種々の思いを申し述べたいと思う。
〈池田先生が贈る指針〉
門下の一人一人と対面して心に積もることを語らい、励ましたい——これが御本仏の大慈悲であられた。
御本尊に唱題する我らは、いつでも大聖人と生命の対話ができることを忘れまい。
「日蓮が如くにし候へ」と
☆「国際看護師の日」 生命守る尊き皆さまに感謝
近代看護の母・ナイチンゲールの生誕200周年に当たる、きょう5月12日は「国際看護師の日」。ここでは、看護に携わる皆さまへの感謝を込め、池田先生が2000年(平成12年)7月、白樺の友に贈った長編詩「生命の天使 気高き希望の魂!」の抜粋を紹介する。(全文は『池田大作全集第44巻』所収「月光の城」を参照)
私の手は
多くの人々の
尊い生命を
護る武器である。
私の無音の
落ち着いた行動は
病と戦い続け
苦しみ抜いている
人々のために ありたい。
私の この細い腕は
病苦という悪魔を
断ち切る
長剣の腕である。
◇
有名な『星の王子さま』の作家
サン・テグジュペリは
こう語っている。
「人間は
障害と力を競い合うとき
自分自身を発見する」と。
白衣の天使!
それは
憧れや見栄の名前ではない。
現実は
そんな甘いものではない。
◇
悲嘆の涙を分かちながらの
同苦の激務を
人々は深くは知らない。
ある時は
「だいぶ良くなりましたよ」
「もうすぐですからね」と
爽やかな薫風のように
疲労した旅人を包容する。
ある時は
「たくましく生きなさい」
「雄々しく戦いなさい」と
母の叱咤のごとく
姉の励ましのごとく
回復へのエールを送る。
「生老病死」という
根本の命題を見据えての
貴女の哲学は
いかなる運命に
もてあそばれる不安をも
情熱に変えていく力を与える。
◇
疲れ果てても
天使の両の眼は
目に見えぬ患者の生命と
深く交流する。
そして
精密なる脈拍を取りながら
闇の中から
光の方向へと
導きゆく尊き力よ!
共に勝った時には
病者の微笑みが輝き
胸深く栄光に溢れた
自らの使命に喝采する。
わが白樺グループの結成は
一九六九年(昭和四十四年)の
六月六日であった。
この日は
牧口初代会長の誕生の
記念日である。
わが身を燃やして
光明を供養した
薬王菩薩のごとく
不惜身命で殉教なされたのが
牧口先生であった。
白樺の薬王の生命は
常に この創価の父と共に
赫々と光彩を放つ。
あの日 あの時の新出発に
私は 妻と共に
深く深く心に念じた。
そして 強く強く祈った。
「大切な大切な
白樺の方々こそ
誰よりも御健康で
誰よりも御長寿で
誰よりも素晴らしき
人生を生き抜かれゆくことを!」
そして 門出を祝して
私は一言 綴り贈った。
「わが使命として
病める人
心の傷ついている人を
どうか 励ましていただきたい。
それは 政治家にも
著名人にも でき得ぬ
根本的な慈愛の
貴女たちの尊い叫びしかない」と。
いま 嬉しくも
幾千 幾万もの
生命の天使たちが活躍する。
女子部は
「白樺グループ」として
婦人部は
「白樺会」として
はつらつと 来る日来る日を
厳粛に戦って
立ち上がっておられる。
貴女の果てなき
動かぬ執念の心は
曖昧な動揺を超克しながら
確実な 平癒の
地平線を見つめつつ
静かな表情に
深い荘厳な姿が映える。
無数の同志が
日々 お世話になり
「白樺の人」と聞くと
誰もが 安心する。
◇
私は詠み捧げた。
「人の世に
希望の世紀を
作らむと
菩薩か 佛か
貴女の姿は」
「諸天らよ
尊き使命の
白樺を
断固と護れや
永遠に誉めゆけ」
人気のない病室。
沈黙のこもる病室。
重苦しい病室。
社会から
取り残されたような病室。
真夜中の疲れた
慌ただしい自身を
再び燃え上がらせゆかんと
貴女は
おごそかな暁に祈り戦う。
複雑な変化に対応しながら
達人のごとく
瞳を そして身体を
動かし始めゆく
その振る舞いは
まさしく健康博士!
文豪サン・テグジュペリは
こうも綴っている。
「自分自身に
徹すれば徹するほど
人間は偉大になる」
最も 心強く
最も 心優しく
最も 心広く
最も 心賢く
最も 心健全なる
貴女よ!
賢明なる才知と
機敏なる動作で
生命を慈しむ
ナイチンゲールの魂は
天使よりも気高き
聖女であると謳った
詩人がいた。
誰言うとなく
寒風の中を
尊く
芯強く 尊く
真っ直ぐに伸びゆく
白樺の木を思い出す——と。
ああ
天女の姿よ!
自らの手柄も
自らの名誉も
自らの誇りも
自らの苦渋の時間も
自らの未来の幸福も
すべて病者のために!
あの顔 この顔を
覗き 見つめ
見守りながら
皆の「健康長寿」という
己の夢の実現の主体者として
明け暮れゆく
慈愛の女王たちよ!
二〇〇〇年七月十二日 世界桂冠詩人
2020年5月19日火曜日
2020.05.19 わが友に贈る
社会のために
できることは何か——
賢明に勇敢に考える時。
自分らしい実践で
新しい日常を築こう!
月水御書 P1203
『御経をばよませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし』
【通解】
経をよまれずに、暗でただ南無妙法蓮華経と唱えておいでなさい。礼拝も経に向かわずに拝むようになさるがよい。
名字の言 友のために何ができるか——二人の壮年に学んだこと 2020年5月19日
先日、ある壮年から連絡をいただいた。筆まめの78歳。最近は知人や友人へ電話をしたり、激励の手紙を書いたりしている▼今月1日、壮年がラジオを聞いていた時のこと。元教員という、Nさんの便りが紹介された。「コロナ禍で人と接触できない今、励ましの手紙を書いています。2月下旬から始めました」との趣旨。「あの方では……」と思った壮年は翌日、確認の電話をかけた▼まさに当人だった。聞けば日に5、6枚は出すという。地域の友だけでなく、教員時代の教え子や保護者にも書いており、「きょうまでに480枚ぐらいは出したでしょうか」。膵臓がんのステージ4も乗り越えた75歳のNさんは、耳が少し遠くなったものの、第三の人生を力強く生きていた▼壮年はしみじみと言った。「Nさんに最敬礼です。広宣流布に一直線に進む人には誰もかないません。何歳になっても人生は勉強ですね」。話を聞くうちに、自分が恥ずかしくなった。すぐに御本尊に向かい、二人の壮年と同じ行動はできなくても、その精神は継承しようと、深く心に期した▼「励まし月間」の今、自分は「一人」のために何ができるか。マニュアルはないが、模範は無数にある。広布の父母に学び、自分にできることを見つけ、自分発の行動を重ねたい。(側)
寸鉄 2020年5月19日
創価学会常住御本尊の記念日。不二の同志と共に広布即平和の誓願決然と
熊本の日。苦難の坂を乗り越え必ず最後に勝つ。信心強き勇者は朗らか!
「微塵つもりて須弥山となれり」御書。青年よ今日も研さんと成長の一歩を
室内での幼児の事故増。誤飲、窒息、落下など。わが家の危険箇所を点検
オンライン会議や対話は事前に終了時間決めスッキリ。価値的な新様式を
☆四季の励まし きょう「母の日」——平和の太陽に感謝 2020年5月10日
【写真の説明】白ゆりの大輪が、ひときわ美しく咲き誇っていた——。2007年(平成19年)11月、池田大作先生が都内でシャッターを切った。
その優美さから古来、人々に愛されてきた、ゆりの花。古代ローマでは「希望」を表すものとされた。中世ヨーロッパの貨幣には、ゆりの花が刻まれた。
白ゆりは、創価学会の婦人部のシンボルでもある。1951年(昭和26年)6月10日、婦人部の結成に際し、第2代会長・戸田城聖先生は和歌を詠み贈った。「白ゆりの 香りも高き 集いかな 心の清き 友どちなれば」。また、池田先生は「白ゆり長」が誕生した2004年(平成16年)9月、「白ゆりの花は、勝利と栄光の紋章」と述べ、婦人部の友の幸福を心から念願した。
きょうは「母の日」。人は皆、母から生まれてきた。永遠に崩れない福徳と安穏を祈りつつ、"感謝の花束"を贈りたい。
お母さん、本当にありがとう!
◇池田先生の言葉
この世に、
最大限の平和の光を
贈り続けている太陽、
それは「母」である。
その母たちが、
最大限の
栄光と幸福に包まれ
報われゆく時代こそ、
「女性の世紀」では
ないだろうか。
歴史を振り返れば、
どれほど多く、
母たちの悲しみの涙が
流されてきたか。
海よりも深い
母の慈愛には、
人々を正しき軌道へと
導く力がある。
家族のため、
近隣のために、
自分らしく、
誠実に精一杯の努力をして
生きてきた女性の一生は、
平凡であっても、
尊く美しい。
完璧な母親などいない。
欠点も長所もあるから、
人間なのだ。
そこに人間らしさがある。
だからこそ、
子どもも安心できる。
自分らしくて
よいのである。
「母の慈悲」は、
人間に、そして
生きとし生けるものに、
自然に与えられている
「仏の心」であると
言ってよい。
子を思う「母の慈悲」は
万人を思う「仏の心」に
直結する。
それゆえに、
人間は誰もが
「母の慈悲」に
触れることによって、
「仏の心」を直接に
体験することができる。
「母の慈悲」は、
全ての人間に開かれた
大いなる
精神的恩恵なのである。
私たちは、
この健気な母を幸福にする
「責任」がある。
いな「使命」がある。
これが「人生」だ。
この平凡にして偉大な母を
幸福にしていくことこそ、
全世界の平和への
第一歩なのである。
できることは何か——
賢明に勇敢に考える時。
自分らしい実践で
新しい日常を築こう!
月水御書 P1203
『御経をばよませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし』
【通解】
経をよまれずに、暗でただ南無妙法蓮華経と唱えておいでなさい。礼拝も経に向かわずに拝むようになさるがよい。
名字の言 友のために何ができるか——二人の壮年に学んだこと 2020年5月19日
先日、ある壮年から連絡をいただいた。筆まめの78歳。最近は知人や友人へ電話をしたり、激励の手紙を書いたりしている▼今月1日、壮年がラジオを聞いていた時のこと。元教員という、Nさんの便りが紹介された。「コロナ禍で人と接触できない今、励ましの手紙を書いています。2月下旬から始めました」との趣旨。「あの方では……」と思った壮年は翌日、確認の電話をかけた▼まさに当人だった。聞けば日に5、6枚は出すという。地域の友だけでなく、教員時代の教え子や保護者にも書いており、「きょうまでに480枚ぐらいは出したでしょうか」。膵臓がんのステージ4も乗り越えた75歳のNさんは、耳が少し遠くなったものの、第三の人生を力強く生きていた▼壮年はしみじみと言った。「Nさんに最敬礼です。広宣流布に一直線に進む人には誰もかないません。何歳になっても人生は勉強ですね」。話を聞くうちに、自分が恥ずかしくなった。すぐに御本尊に向かい、二人の壮年と同じ行動はできなくても、その精神は継承しようと、深く心に期した▼「励まし月間」の今、自分は「一人」のために何ができるか。マニュアルはないが、模範は無数にある。広布の父母に学び、自分にできることを見つけ、自分発の行動を重ねたい。(側)
寸鉄 2020年5月19日
創価学会常住御本尊の記念日。不二の同志と共に広布即平和の誓願決然と
熊本の日。苦難の坂を乗り越え必ず最後に勝つ。信心強き勇者は朗らか!
「微塵つもりて須弥山となれり」御書。青年よ今日も研さんと成長の一歩を
室内での幼児の事故増。誤飲、窒息、落下など。わが家の危険箇所を点検
オンライン会議や対話は事前に終了時間決めスッキリ。価値的な新様式を
☆四季の励まし きょう「母の日」——平和の太陽に感謝 2020年5月10日
【写真の説明】白ゆりの大輪が、ひときわ美しく咲き誇っていた——。2007年(平成19年)11月、池田大作先生が都内でシャッターを切った。
その優美さから古来、人々に愛されてきた、ゆりの花。古代ローマでは「希望」を表すものとされた。中世ヨーロッパの貨幣には、ゆりの花が刻まれた。
白ゆりは、創価学会の婦人部のシンボルでもある。1951年(昭和26年)6月10日、婦人部の結成に際し、第2代会長・戸田城聖先生は和歌を詠み贈った。「白ゆりの 香りも高き 集いかな 心の清き 友どちなれば」。また、池田先生は「白ゆり長」が誕生した2004年(平成16年)9月、「白ゆりの花は、勝利と栄光の紋章」と述べ、婦人部の友の幸福を心から念願した。
きょうは「母の日」。人は皆、母から生まれてきた。永遠に崩れない福徳と安穏を祈りつつ、"感謝の花束"を贈りたい。
お母さん、本当にありがとう!
◇池田先生の言葉
この世に、
最大限の平和の光を
贈り続けている太陽、
それは「母」である。
その母たちが、
最大限の
栄光と幸福に包まれ
報われゆく時代こそ、
「女性の世紀」では
ないだろうか。
歴史を振り返れば、
どれほど多く、
母たちの悲しみの涙が
流されてきたか。
海よりも深い
母の慈愛には、
人々を正しき軌道へと
導く力がある。
家族のため、
近隣のために、
自分らしく、
誠実に精一杯の努力をして
生きてきた女性の一生は、
平凡であっても、
尊く美しい。
完璧な母親などいない。
欠点も長所もあるから、
人間なのだ。
そこに人間らしさがある。
だからこそ、
子どもも安心できる。
自分らしくて
よいのである。
「母の慈悲」は、
人間に、そして
生きとし生けるものに、
自然に与えられている
「仏の心」であると
言ってよい。
子を思う「母の慈悲」は
万人を思う「仏の心」に
直結する。
それゆえに、
人間は誰もが
「母の慈悲」に
触れることによって、
「仏の心」を直接に
体験することができる。
「母の慈悲」は、
全ての人間に開かれた
大いなる
精神的恩恵なのである。
私たちは、
この健気な母を幸福にする
「責任」がある。
いな「使命」がある。
これが「人生」だ。
この平凡にして偉大な母を
幸福にしていくことこそ、
全世界の平和への
第一歩なのである。
2020年5月18日月曜日
2020.05.18 わが友に贈る
◇今週のことば
宝の未来部に光を!
負けじ魂の挑戦から
明るい希望の虹が。
多彩な個性を褒めて
伸び伸びと輝かせよう!
2020年5月18日
妙法比丘尼御返事 P1412
『法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし』
【通解】
法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる。
名字の言 南アフリカのマンデラ氏を支えた詩 2020年5月18日
「私は我が運命の支配者 我が魂の指揮官なのだ」。これは19世紀イギリスの詩人ヘンリーの詩の一節。題名の「インビクタス」は、ラテン語で「不屈」を意味する▼ヘンリーは十代で結核に感染して、カリエスになり、片足を切断。そんな自分を励ますために作った詩だ。さらに彼の姿がモチーフとなって誕生したのが、小説『宝島』に登場する片足の海賊シルバー。友人であるスティーブンソンが創作したものという▼後年、南アフリカのマンデラ氏が人種差別と闘い、27年半もの間、牢獄にいた時、心の支えとしたのも、この詩だった。感染症との闘いから生まれた魂の継承劇として、ウイルス学者の加藤茂孝氏が自著『人類と感染症の歴史』でつづっている▼コロナ禍と闘う気高き友から連日、本紙に「声」が届く。ある配達員の方は「活動自粛の中でも、聖教新聞を配達できることに感謝しています」。医療に従事する方からは「全ての患者の皆さんの生命力を引き出せますようにと毎日、真剣に題目に挑戦しています」と▼「5歳の長男が『コロナの薬ができますように』と祈ってくれています」とのお母さんの声も。きょうは「こ(5)と(10)ば(8)の日」。「不屈の人」の胸には、いつも希望の言葉が生まれてくる。(進)
寸鉄 2020年5月18日
有事の今こそ人々と絆を強める学会に期待—日本の識者。励ましの声益々
「秋田の日」55周年。何があろうと師と共に!この信心が日本海の雄の強さ
感染防止の基本は�身体的距離の確保�マスクの着用�手洗い。皆で実践
前向きな感情が幸福人生の力—心理学者。自粛の中でも聡明に成長の一歩
テレビやスマホは過度に見ると認知機能が低下—研究。生活にメリハリを
☆第3代会長就任60周年記念特集——「人間革命」の証明の劇 第5回「一人を励まし続けた人間指導者」
学会の会長とは、一言でいうとどんな仕事なのか。池田先生の姿を見続けてきたある人は「人生励まし業」と称した。第3代会長就任以来、先生が歩んだ60年とは宗教者として、文化人として、教育者として、何よりも人間として苦悩する友に寄り添い、生きる勇気と希望を送り続けた60年だった。「5・3」記念特集の掉尾となる�では「一人」を励まし続けた人間指導者の軌跡を追う。
�「師弟の原点」
苦悩で押しつぶされそうになっている友を、戸田先生が「どうした?」と包み込む。
1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長に就任して間もない頃から、東京・市ケ谷にあった学会本部の分室には、指導を求める会員たちが続々と訪れた。狭い廊下にまで列をなしている。
「こんな自分でも、幸せになれるでしょうか?」。同志が抱えていた悩みは千差万別である。経済苦、病、仕事、家庭不和……。戸田先生は、わが事として胸を痛めながら、相手の生命を揺さぶるように温かくも力強い言葉を紡ぐ。
「大丈夫。この信心をして幸福にならないわけがない。心は王者でいきなさい。創価学会の名誉ある一員として誇りも高く生き抜きなさい」
戸田先生の個人指導は常に真剣勝負だった。「私は、一本の旗をもって、たった一人で、濁流の中に立っているみたいなものだよ。少しでも油断すると、旗と一緒に、濁流に流されてしまう」と述懐したこともある。
それでも「一人」を励まし続けたのには理由がある。
大きな会合での指導や組織的な結び付きだけでは、本当の信頼関係は生まれない。
目の前の一人の悩みに寄り添い、共に幸せになろうと励まし、心と心を通わせる中にしか、一切衆生の幸福を目的とする広宣流布の広がりも、実体も、ないからだ。
◇戸田先生「民衆の"最大の味方"となって進んでいきなさい」
戸田先生は、若き日の池田先生に遺言のように語った。「民衆ほど強いものはない。民衆のなかで、民衆の最大の味方となって、進んでいきなさい」と。
恩師が一対一の膝詰めの対話を心掛けてきたように、池田先生もまた、民衆の中に飛び込んで、一人一人と心を通わせ続けた。
戸田先生の構想の実現へ、池田先生が弘教拡大の指揮を執った蒲田の二月闘争、文京の戦い、札幌夏の陣、大阪の戦い、山口開拓指導——。
池田先生は一人の幸せを願い、一人と会い、一人を励まし抜いてきた。先生から直接激励を受け、苦境を勝ち越えた同志のエピソードは枚挙にいとまがない。
「一人を大切に」。この学会精神が千波万波と広がり、他に類を見ない"自他共の幸福に尽くす一大民衆勢力"が築かれたのである。
�「建設と飛翔」
池田先生が第3代会長に就任すると、激励の舞台は日本全国、世界各地へと広がる。
その一方で、先生のまなざしは、今まで以上に一人一人へと深く注がれていった。
会長就任1年前の59年1月と、60年4月——秋田生まれの一人の青年が、先生から手紙を受け取っている。彼がいた場所は、日本から見て地球の反対側にある国、アルゼンチンだった。
57年に青年は日本で入会し、仕事を求めてアルゼンチンへ。まだ同志が少なく、途方に暮れていた折、"困った時は池田先生に相談するように"との先輩の言葉を思い出し、手紙を送ったのだ。
一度も会ったことのない一青年からの手紙に、返信を書いてくれるとは——彼が驚いたことは言うまでもない。便箋には力強い筆致で、海外にいる同志の姿は「世界の黎明を意味して居る」等とつづられていた。また、「題目を声高らかにあげ、勇敢に堂々と生活に事業に戦い、大陸の大勝利者に」とも。
その後も励ましは続いた。青年は、やがてアルゼンチンSGIのリーダーとなり、93年2月には、同国を初訪問する先生を迎えたのである。
どんな小さな出会いもおろそかにせず、勝利を祈り、見守り続ける。それが池田先生の行動にほかならない。
69年3月、本州最北の下北半島に住む中等部員が部員会の集合写真を先生に送った。
後日、先生から書籍が届いた。扉には「下北の中等部員の成長と栄光を ぼくは いつも祈ろう。此の写真の友と十年後に必ず会おう」と。
末尾には「1969・4・2」、さらに、「1979・4・2」と記されていた。
その後も、「下北の わが中等部 嵐征け」と、激励の言葉が届く。
79年1月14日、先生は青森文化会館へ。頼もしく成長した中等部員たちと会い、約束を果たした。
「よく来たね!」「御本尊に誓ったこと、約束したことは破ってはいけない。実行することが最高に尊いことなんだ」「君たちは勝ったんだよ」
写真を届けた友らは師との誓いを胸に、それぞれの使命の舞台で実証を示していく。
◇どんな時も 友の笑顔を守るために
79年4月に会長を辞任した後も、先生の行動は変わらなかった。草創からの功労者宅への訪問を開始。その数は600軒を超えた。
「立場は変わっても、精神は変わらない。姿勢は変わらない。決して後退しない。行ったところ行ったところで、友を励まし、友を讃え、広布のため、同志のため、前へ前へ進んでいく。それが学会精神である」——この信念のままに、先生は世界を駆けた。
先生の激闘によって、SGIの連帯は192カ国・地域へと拡大。師の姿を命に刻んだ後継の友らが、今いる場所で励ましの輪を広げている。
�「世界が称賛」
◇縁する友を苦悩の人を 一人も残らず幸せに!
ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領「池田SGI会長の力は人格であり、哲学の深さ、人間性の大きさです」
目の前の一人と「人間」として誠心誠意、向き合い、信頼の絆を結んでいく。相手が市井の人々でも、国家指導者でも、池田先生の姿勢は変わらない。
元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏との交流も、そうだった。
先生との初会見は今から30年前の1990年7月27日、モスクワのクレムリンで。今日に至るまで続く友情は、先生の次の言葉から始まった。
「きょうは、大統領と"けんか"をしに来ました! 火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう」
ユーモアあふれる第一声に氏も破顔一笑。「池田会長の活動はよく存じ上げていますが、こんなに情熱的な方だとは——」「私も率直な対話が好きです。本当に、池田会長とは、昔からの友人同士のような気がします」と応じた。
会談で氏は、"来春に訪日したい"との意向を表明。同日夜のNHKニュースが大きく報道したほか、日本の主要各紙も翌日付の1面トップで伝えた。そして、翌91年4月に氏の初来日が実現したのである。
当時、ソ連は変革の渦中にあった。氏が大統領として主導した「ペレストロイカ(改革)」は、その思想の先進性ゆえ、反感を抱く人も少なくなかった。保守派によるクーデターが勃発し、ライサ夫人と共に軟禁状態に置かれたこともある。
ソ連解体後、大統領の座を辞した途端、多くの人が氏のもとを離れた。だが、池田先生との友情は、一段と深まりを増していった。
大統領辞任の4カ月後(92年4月)、東京で氏と会った先生は「『偉大なる道』は、偉大さのゆえに多くの困難があり、苦渋もある。長い戦いとなる」「しかし『偉大なる道』には未来の喝采が待っています」と励ました。そばにいたライサ夫人にも「奥さまが、カントやヘーゲルなどを含め、幅広く哲学を学ばれたことも、よく存じております。大哲学者のご夫妻です」と称賛を送っている。
その後も先生と氏との語らいは重ねられ、96年には対談集『二十世紀の精神の教訓』が発刊された。
97年11月20日、氏はライサ夫人と共に関西創価学園を訪問。この時が、池田先生ご夫妻とライサ夫人との最後の語らいとなった。
99年夏、ライサ夫人が急性白血病で倒れてしまう。闘病中、逝去後も、先生ご夫妻は何度も電報や手紙を寄せた。
「毎回、池田会長ご夫妻の真心に包まれる思いでした」——2001年11月、先生と再会した氏は、そう振り返っている。氏がライサ夫人と共に訪れた関西創価学園での思い出を語ると、先生は「私たちも一生、忘れません。偉大な、あまりにも立派な奥さまでした。崇高な人生でした」と最大にたたえた。
ゴルバチョフ氏は言う。
「池田会長の力は、権力でもなく、腕力でもありません。会長は詩人であり、哲学者です。その会長の力は、人格であり、哲学の深さであり、人間性の大きさです。それを心から尊敬しています」
「生きている限り、私は池田会長との友情、会長との交流を続けたい」
◇国家指導者から庶民まで 友情と信頼の絆を結び
宝の未来部に光を!
負けじ魂の挑戦から
明るい希望の虹が。
多彩な個性を褒めて
伸び伸びと輝かせよう!
2020年5月18日
妙法比丘尼御返事 P1412
『法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし』
【通解】
法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる。
名字の言 南アフリカのマンデラ氏を支えた詩 2020年5月18日
「私は我が運命の支配者 我が魂の指揮官なのだ」。これは19世紀イギリスの詩人ヘンリーの詩の一節。題名の「インビクタス」は、ラテン語で「不屈」を意味する▼ヘンリーは十代で結核に感染して、カリエスになり、片足を切断。そんな自分を励ますために作った詩だ。さらに彼の姿がモチーフとなって誕生したのが、小説『宝島』に登場する片足の海賊シルバー。友人であるスティーブンソンが創作したものという▼後年、南アフリカのマンデラ氏が人種差別と闘い、27年半もの間、牢獄にいた時、心の支えとしたのも、この詩だった。感染症との闘いから生まれた魂の継承劇として、ウイルス学者の加藤茂孝氏が自著『人類と感染症の歴史』でつづっている▼コロナ禍と闘う気高き友から連日、本紙に「声」が届く。ある配達員の方は「活動自粛の中でも、聖教新聞を配達できることに感謝しています」。医療に従事する方からは「全ての患者の皆さんの生命力を引き出せますようにと毎日、真剣に題目に挑戦しています」と▼「5歳の長男が『コロナの薬ができますように』と祈ってくれています」とのお母さんの声も。きょうは「こ(5)と(10)ば(8)の日」。「不屈の人」の胸には、いつも希望の言葉が生まれてくる。(進)
寸鉄 2020年5月18日
有事の今こそ人々と絆を強める学会に期待—日本の識者。励ましの声益々
「秋田の日」55周年。何があろうと師と共に!この信心が日本海の雄の強さ
感染防止の基本は�身体的距離の確保�マスクの着用�手洗い。皆で実践
前向きな感情が幸福人生の力—心理学者。自粛の中でも聡明に成長の一歩
テレビやスマホは過度に見ると認知機能が低下—研究。生活にメリハリを
☆第3代会長就任60周年記念特集——「人間革命」の証明の劇 第5回「一人を励まし続けた人間指導者」
学会の会長とは、一言でいうとどんな仕事なのか。池田先生の姿を見続けてきたある人は「人生励まし業」と称した。第3代会長就任以来、先生が歩んだ60年とは宗教者として、文化人として、教育者として、何よりも人間として苦悩する友に寄り添い、生きる勇気と希望を送り続けた60年だった。「5・3」記念特集の掉尾となる�では「一人」を励まし続けた人間指導者の軌跡を追う。
�「師弟の原点」
苦悩で押しつぶされそうになっている友を、戸田先生が「どうした?」と包み込む。
1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長に就任して間もない頃から、東京・市ケ谷にあった学会本部の分室には、指導を求める会員たちが続々と訪れた。狭い廊下にまで列をなしている。
「こんな自分でも、幸せになれるでしょうか?」。同志が抱えていた悩みは千差万別である。経済苦、病、仕事、家庭不和……。戸田先生は、わが事として胸を痛めながら、相手の生命を揺さぶるように温かくも力強い言葉を紡ぐ。
「大丈夫。この信心をして幸福にならないわけがない。心は王者でいきなさい。創価学会の名誉ある一員として誇りも高く生き抜きなさい」
戸田先生の個人指導は常に真剣勝負だった。「私は、一本の旗をもって、たった一人で、濁流の中に立っているみたいなものだよ。少しでも油断すると、旗と一緒に、濁流に流されてしまう」と述懐したこともある。
それでも「一人」を励まし続けたのには理由がある。
大きな会合での指導や組織的な結び付きだけでは、本当の信頼関係は生まれない。
目の前の一人の悩みに寄り添い、共に幸せになろうと励まし、心と心を通わせる中にしか、一切衆生の幸福を目的とする広宣流布の広がりも、実体も、ないからだ。
◇戸田先生「民衆の"最大の味方"となって進んでいきなさい」
戸田先生は、若き日の池田先生に遺言のように語った。「民衆ほど強いものはない。民衆のなかで、民衆の最大の味方となって、進んでいきなさい」と。
恩師が一対一の膝詰めの対話を心掛けてきたように、池田先生もまた、民衆の中に飛び込んで、一人一人と心を通わせ続けた。
戸田先生の構想の実現へ、池田先生が弘教拡大の指揮を執った蒲田の二月闘争、文京の戦い、札幌夏の陣、大阪の戦い、山口開拓指導——。
池田先生は一人の幸せを願い、一人と会い、一人を励まし抜いてきた。先生から直接激励を受け、苦境を勝ち越えた同志のエピソードは枚挙にいとまがない。
「一人を大切に」。この学会精神が千波万波と広がり、他に類を見ない"自他共の幸福に尽くす一大民衆勢力"が築かれたのである。
�「建設と飛翔」
池田先生が第3代会長に就任すると、激励の舞台は日本全国、世界各地へと広がる。
その一方で、先生のまなざしは、今まで以上に一人一人へと深く注がれていった。
会長就任1年前の59年1月と、60年4月——秋田生まれの一人の青年が、先生から手紙を受け取っている。彼がいた場所は、日本から見て地球の反対側にある国、アルゼンチンだった。
57年に青年は日本で入会し、仕事を求めてアルゼンチンへ。まだ同志が少なく、途方に暮れていた折、"困った時は池田先生に相談するように"との先輩の言葉を思い出し、手紙を送ったのだ。
一度も会ったことのない一青年からの手紙に、返信を書いてくれるとは——彼が驚いたことは言うまでもない。便箋には力強い筆致で、海外にいる同志の姿は「世界の黎明を意味して居る」等とつづられていた。また、「題目を声高らかにあげ、勇敢に堂々と生活に事業に戦い、大陸の大勝利者に」とも。
その後も励ましは続いた。青年は、やがてアルゼンチンSGIのリーダーとなり、93年2月には、同国を初訪問する先生を迎えたのである。
どんな小さな出会いもおろそかにせず、勝利を祈り、見守り続ける。それが池田先生の行動にほかならない。
69年3月、本州最北の下北半島に住む中等部員が部員会の集合写真を先生に送った。
後日、先生から書籍が届いた。扉には「下北の中等部員の成長と栄光を ぼくは いつも祈ろう。此の写真の友と十年後に必ず会おう」と。
末尾には「1969・4・2」、さらに、「1979・4・2」と記されていた。
その後も、「下北の わが中等部 嵐征け」と、激励の言葉が届く。
79年1月14日、先生は青森文化会館へ。頼もしく成長した中等部員たちと会い、約束を果たした。
「よく来たね!」「御本尊に誓ったこと、約束したことは破ってはいけない。実行することが最高に尊いことなんだ」「君たちは勝ったんだよ」
写真を届けた友らは師との誓いを胸に、それぞれの使命の舞台で実証を示していく。
◇どんな時も 友の笑顔を守るために
79年4月に会長を辞任した後も、先生の行動は変わらなかった。草創からの功労者宅への訪問を開始。その数は600軒を超えた。
「立場は変わっても、精神は変わらない。姿勢は変わらない。決して後退しない。行ったところ行ったところで、友を励まし、友を讃え、広布のため、同志のため、前へ前へ進んでいく。それが学会精神である」——この信念のままに、先生は世界を駆けた。
先生の激闘によって、SGIの連帯は192カ国・地域へと拡大。師の姿を命に刻んだ後継の友らが、今いる場所で励ましの輪を広げている。
�「世界が称賛」
◇縁する友を苦悩の人を 一人も残らず幸せに!
ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領「池田SGI会長の力は人格であり、哲学の深さ、人間性の大きさです」
目の前の一人と「人間」として誠心誠意、向き合い、信頼の絆を結んでいく。相手が市井の人々でも、国家指導者でも、池田先生の姿勢は変わらない。
元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏との交流も、そうだった。
先生との初会見は今から30年前の1990年7月27日、モスクワのクレムリンで。今日に至るまで続く友情は、先生の次の言葉から始まった。
「きょうは、大統領と"けんか"をしに来ました! 火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう」
ユーモアあふれる第一声に氏も破顔一笑。「池田会長の活動はよく存じ上げていますが、こんなに情熱的な方だとは——」「私も率直な対話が好きです。本当に、池田会長とは、昔からの友人同士のような気がします」と応じた。
会談で氏は、"来春に訪日したい"との意向を表明。同日夜のNHKニュースが大きく報道したほか、日本の主要各紙も翌日付の1面トップで伝えた。そして、翌91年4月に氏の初来日が実現したのである。
当時、ソ連は変革の渦中にあった。氏が大統領として主導した「ペレストロイカ(改革)」は、その思想の先進性ゆえ、反感を抱く人も少なくなかった。保守派によるクーデターが勃発し、ライサ夫人と共に軟禁状態に置かれたこともある。
ソ連解体後、大統領の座を辞した途端、多くの人が氏のもとを離れた。だが、池田先生との友情は、一段と深まりを増していった。
大統領辞任の4カ月後(92年4月)、東京で氏と会った先生は「『偉大なる道』は、偉大さのゆえに多くの困難があり、苦渋もある。長い戦いとなる」「しかし『偉大なる道』には未来の喝采が待っています」と励ました。そばにいたライサ夫人にも「奥さまが、カントやヘーゲルなどを含め、幅広く哲学を学ばれたことも、よく存じております。大哲学者のご夫妻です」と称賛を送っている。
その後も先生と氏との語らいは重ねられ、96年には対談集『二十世紀の精神の教訓』が発刊された。
97年11月20日、氏はライサ夫人と共に関西創価学園を訪問。この時が、池田先生ご夫妻とライサ夫人との最後の語らいとなった。
99年夏、ライサ夫人が急性白血病で倒れてしまう。闘病中、逝去後も、先生ご夫妻は何度も電報や手紙を寄せた。
「毎回、池田会長ご夫妻の真心に包まれる思いでした」——2001年11月、先生と再会した氏は、そう振り返っている。氏がライサ夫人と共に訪れた関西創価学園での思い出を語ると、先生は「私たちも一生、忘れません。偉大な、あまりにも立派な奥さまでした。崇高な人生でした」と最大にたたえた。
ゴルバチョフ氏は言う。
「池田会長の力は、権力でもなく、腕力でもありません。会長は詩人であり、哲学者です。その会長の力は、人格であり、哲学の深さであり、人間性の大きさです。それを心から尊敬しています」
「生きている限り、私は池田会長との友情、会長との交流を続けたい」
◇国家指導者から庶民まで 友情と信頼の絆を結び
2020年5月17日日曜日
2020.05.17 わが友に贈る
自分だけの幸福も
他人だけの不幸もない。
一人一人の状況に合わせ
"つながり"を強く深く
信頼の連帯を広げよう!
妙心尼御前御返事 P1479
『この仏不死の薬をとかせ給へり今の妙法蓮華経の五字是なり、しかもこの五字をば閻浮提人病之良薬とこそとかれて候へ』
【通解】
この仏は不死の薬を説かれたのである。今の妙法蓮華経の五字がこれである。しかも、この五字こそ閻浮提の人の病の良薬と説かれている。
名字の言 机の前に座らない"勉強" 2020年5月17日
在宅勤務になった男子部員が、始めたことがある。食材をスーパーで購入後、自宅で小学3年生の娘と一緒に行う"算数"の勉強だ▼レシートの合計額を隠した上で買い物額を計算したり、「半額」や「2割引き」の意味を学び合ったり。肉や魚、野菜の袋に記載された産地を見て地図帳を開き、生産者に思いをはせることも。学校の宿題ではない。だが「今まで家事も教育も妻に任せっぱなしだったので、この機会に、自分もわが子と一緒に成長できればと思って」と彼は言う▼「学び」とは、机の前に座る時間の長短だけで測れるものではない。第2代会長の戸田先生は優れた数学者でもあった。その才能を人知れず育んだのは、満足な教育を受けていない母親だったといわれる。母は家業が仲買商だった関係で、自分なりに工夫して、例えば小枝を折って右に並べたり左に並べたりして計算をしていたという。そんなけなげな努力を見ながら、戸田少年は"数学の勘"を磨いたのである▼このエピソードを通して、池田先生は語った。「生活の中で『知恵』を発揮していく。その姿、それ自体が、子どもにとって、かけがえのない『教育』となっている」と▼全てを豊かな「学びのチャンス」に。その人こそ「価値創造の人」である。(之)
寸鉄 2020年5月17日
「かかる濁世には互につねに・いゐあわせて」御書団結は力。支え合い前進
己の弱い心に挑んで境涯を開け—恩師。今日より明日へ。明確な目標定め
拡大の第2波を防ぐのは個人の意識。3密回避等、対策を当たり前の習慣に
終息後にやりたい計画がある—6割と。希望こそ最高の薬。輝く未来、皆で
世界高血圧デー。睡眠・食事・運動で自粛疲れをためぬ工夫を。健康第一
☆第3代会長就任60周年記念特集——「人間革命」の証明の劇 第4回「文化の価値創造 作家・詩人・写真家として」
ウズベキスタン元文化・スポーツ大臣のトゥルスナリ・クジーエフ氏は言う。池田先生は、著作を通して「いかに、相互理解を構築していくか。いかに人生の困難を乗り越えていくか——その難題への解答を示す『平和の哲学』『幸福の方程式』を記されてきた」と。さらに「博士の写真には見る人の心を勇気づける哲学があり、人と人を結ぶメッセージがある」とも述べている。「5・3」記念特集�では、先生の「作家」「詩人」「写真家」としての足跡に光を当てる。
�「師弟の原点」
◇詩歌と小説で紡がれた師匠と弟子の絆
仏法の人間主義の思想を世界的な文化・平和運動として花開かせた池田先生。恩師・戸田城聖先生との師弟のドラマは、「詩歌」によって彩られている。
1947年(昭和22年)8月14日の師弟の出会い。その運命的な場面で、19歳の池田先生は「旅びとよ いずこより来り いずこへ往かんとするか……」との即興詩を詠んだ。
恩師の大きな苦境の中で交わされたのは、和歌だった。池田先生は戸田先生の経営する出版社「日本正学館」に入社。少年雑誌などの編集に携わり、戸田先生の事業が窮地に立たされた時、一首の和歌をささげる。「古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ」と。
そこには、"師匠を支え抜こう"との弟子の誓願が込められていた。戸田先生は「色は褪せ 力は抜けし 吾が王者 死すとも残すは 君が冠」等の2首の返歌で応えた。
◇"戦う文化人"の魂を継承
戸田先生もまた、牧口常三郎先生が獄死した後、先師の遺志を継いで一人立つ決意を、獄中で詩「独房吟」に託したことがあった。
若き日から詩歌などに精通していた戸田先生であったが、文学は"余興"や"趣味"ではなかった。
それは、広宣流布という未聞の民衆運動に生き抜く情熱の発露であり、時には師匠への厳粛な「誓い」として、時には弟子への万感の「励まし」として、表現されたのである。
その"戦う文化人"の魂を継承したのが、池田先生だった。
戸田先生は、広宣流布について、「仏法を基調とした平和・文化の開花でなくてはならない」と構想した。
「『妙法の大地に展開する大文化運動』の先駆けたらん」と、池田先生は先頭に立ってペンを握り続けた。
"妙法"にちなみ、戸田先生が「妙悟空」のペンネームでつづった小説『人間革命』。池田先生は恩師の筆名を引き継ぎ「法悟空」として、『人間革命』『新・人間革命』を書き残した。激務の合間を縫い、半世紀にわたる血のにじむような言論闘争だった。
作家、詩人、さらに写真家としての先生の創作活動は今も続く。詩歌や小説を通じて紡がれた師弟の絆が、仏法を基調とした"文化の光"として、世界に光彩を放っている。
�「建設と飛翔」
◇小説「人間革命」「新・人間革命」 日本一の新聞連載
かつて池田先生は記している。
「私は、書いて、書いて、書きまくってきた。目的があったからだ。友に希望を届けるために! 勇気を贈るために! 勝利を開くために!」
間断なく続く先生の"ペンの闘争"。発刊された著作は膨大であり、その分野は多岐にわたる。
海外出版は50言語に迫り、2000点を超える。
今や世界中の人々が読み学ぶ時代となった小説『人間革命』(全12巻)と『新・人間革命』(全30巻)。
連載回数は『人間革命』の1509回と『新・人間革命』の6469回を合わせて、7978回となり、日本の新聞小説史上、最多を誇る。
◇創作物語やエッセーを執筆
また、世界の知性との語らいは、80点に及ぶ対談集として結実。"未来の宝"にエールを送る創作童話・物語は、1974年に発表した『少年とさくら』をはじめ、20作品以上を数える。
70歳の時には「随筆 新・人間革命」をスタート。現在も"随筆"は本紙で続き、その他にも機関誌等に仏法哲理の講義やエッセーなどが掲載されている。
◇励ましの心光る詩業に多くの詩人の称号・賞
希望は
人生の宝なり。
常に
希望を持てる人は
幸いなり。
君よ
貴女よ
決して負けるな!
いかなる
艱難辛苦が
あろうとも
金色に輝く
希望の光を
断じて忘るるな!
おお 君たちよ
私が心から信頼し
愛する君たちよ
希望に
生き抜くのだ!
断固と
勝ち抜くのだ!
(長編詩「希望は人生の宝なり」)
池田先生は、若き日から古今東西の詩人たちの作品に親しみ、自らも詩を詠んできた。
その詩作の数々は、世界に平和の連帯を呼び掛け、苦難と戦う人々を励まし、傲慢な悪を打ち破る、「希望」と「正義」の光にあふれている。
古来、偉大な詩人は「桂冠詩人」として、たたえられてきた。イタリアのダンテやイギリスのワーズワースらが、それに当たる。
1981年、先生は世界芸術文化アカデミーから日本人初の「桂冠詩人」称号を受ける。その後、世界的な詩人団体から「国際優秀詩人」賞(91年)、「世界桂冠詩人賞」(95年)、「世界民衆詩人」称号(2007年)、「世界平和詩人賞」(10年)が授与されている。
さらに、世界の各地に先生の詩の一節を刻んだ詩碑が設置され、傑出した詩業への共感が広がっている。
◇41カ国・地域151都市で「自然との対話」写真展
「フォトグラフ(写真)」の語源は「光で描く」。
まさに"光の詩"ともいえる写真芸術の創造に池田先生が着手したのは、1970年ごろ。広宣流布という大文化運動の一つとして「大自然の美」を捉え、「生命の讃歌」を表現したい、との思いからであった。
法華経では、森羅万象が自己の「一念」に収まり、その一念が「全宇宙」をも包み込むと説く。先生の写真には「今、この時を逃さず、縁する一人の生命に、希望と歓喜の光を」との凝結した一念が脈打っている。
先生の作品を紹介する「自然との対話」写真展は、国内はもとより41カ国・地域、151都市で開催され、「眼で詠まれた詩」(フランスの美術史家ルネ・ユイグ氏)、「無限の物語を表現する写真文学」(ネパール写真家協会のR・K・マナンダール元会長)などの称賛が寄せられてきた。
また、フランスのヴァル・ド・ビエーブル写真クラブの「名誉写真芸術会員」、オーストリア芸術家協会の「在外会員」をはじめ、ハンガリー、ウズベキスタン、ネパール等の写真・芸術の団体から顕彰が贈られている。
写真は趣味ではなく"戦い"——かつて先生は記した。「写真が一瞬の真剣勝負であるように、人生も『今を勝つ戦い』である。『今日を勝つ戦い』である」
�「世界が称賛」
◇世界詩歌協会 パドマナーバン名誉会長 「新思考で人々の覚醒を促す」
創造性に富んだ詩人や作家は、三つの「E」、つまり「Expose(暴く)」「Educate(教育する)」「Enlighten(目覚めさせる)」を忘れてはなりません。
「暴く」とは「不正義(悪)と非寛容を暴く」こと、「教える」とは「人々に新たな価値と、人類愛、慈悲、愛、平等、公平、階級のない社会を教える」ことです。
そして、「目覚めさせる」とは「希望と大志あふれる明るい未来という新たなビジョンに目覚めさせる」ことです。
池田博士は、世界にはびこる悲しむべき事態に疑問を投げかけます。不正義と非寛容を糾弾します。自然に目を向け、自然を愛でます。苦悶を見つけ、安堵を与えます。青年に大いなる希望を見いだします。
新思考。新たな目覚め——博士の詩は、老若男女、青年、統治者も被治者も階級を問わず、人々を覚醒させる輝きを放っています。
(2010年8月、同協会「世界平和詩人賞」授賞式での祝辞から)
◇シンガポール写真家協会 テイ前会長 「深い哲学が息づいた作品群」
池田氏は、その名声と多忙さにもかかわらず、わずかな時間を見つけては、ご自身のカメラで写真を撮られています。氏が写真を撮影する目的は、「詩心を抱け!」と、友の心を鼓舞するためです。
氏は、自らの詩的ビジョンによって、自然をとらえる「新たな視点」を生み出します。氏の写真には、氏の哲学が息づいています。
写真芸術史家であるブラジルのジルベルト・フェレスは、こう言っています。「氏の写真が人を魅了してやまないのは、被写体がフィルムに映し出される前に、氏の哲学というフィルターを通ってくるからである」
氏の写真はユニークであり、人の心に忘れがたい印象を残します。その写真は「目」だけでなく、「魂」にも訴えかけてきます。
どんな文章によっても表せないような、具体的な光景を眼前に現してくれます。
(1999年10月、同協会「終身名誉会員」称号授与式でのあいさつから)
他人だけの不幸もない。
一人一人の状況に合わせ
"つながり"を強く深く
信頼の連帯を広げよう!
妙心尼御前御返事 P1479
『この仏不死の薬をとかせ給へり今の妙法蓮華経の五字是なり、しかもこの五字をば閻浮提人病之良薬とこそとかれて候へ』
【通解】
この仏は不死の薬を説かれたのである。今の妙法蓮華経の五字がこれである。しかも、この五字こそ閻浮提の人の病の良薬と説かれている。
名字の言 机の前に座らない"勉強" 2020年5月17日
在宅勤務になった男子部員が、始めたことがある。食材をスーパーで購入後、自宅で小学3年生の娘と一緒に行う"算数"の勉強だ▼レシートの合計額を隠した上で買い物額を計算したり、「半額」や「2割引き」の意味を学び合ったり。肉や魚、野菜の袋に記載された産地を見て地図帳を開き、生産者に思いをはせることも。学校の宿題ではない。だが「今まで家事も教育も妻に任せっぱなしだったので、この機会に、自分もわが子と一緒に成長できればと思って」と彼は言う▼「学び」とは、机の前に座る時間の長短だけで測れるものではない。第2代会長の戸田先生は優れた数学者でもあった。その才能を人知れず育んだのは、満足な教育を受けていない母親だったといわれる。母は家業が仲買商だった関係で、自分なりに工夫して、例えば小枝を折って右に並べたり左に並べたりして計算をしていたという。そんなけなげな努力を見ながら、戸田少年は"数学の勘"を磨いたのである▼このエピソードを通して、池田先生は語った。「生活の中で『知恵』を発揮していく。その姿、それ自体が、子どもにとって、かけがえのない『教育』となっている」と▼全てを豊かな「学びのチャンス」に。その人こそ「価値創造の人」である。(之)
寸鉄 2020年5月17日
「かかる濁世には互につねに・いゐあわせて」御書団結は力。支え合い前進
己の弱い心に挑んで境涯を開け—恩師。今日より明日へ。明確な目標定め
拡大の第2波を防ぐのは個人の意識。3密回避等、対策を当たり前の習慣に
終息後にやりたい計画がある—6割と。希望こそ最高の薬。輝く未来、皆で
世界高血圧デー。睡眠・食事・運動で自粛疲れをためぬ工夫を。健康第一
☆第3代会長就任60周年記念特集——「人間革命」の証明の劇 第4回「文化の価値創造 作家・詩人・写真家として」
ウズベキスタン元文化・スポーツ大臣のトゥルスナリ・クジーエフ氏は言う。池田先生は、著作を通して「いかに、相互理解を構築していくか。いかに人生の困難を乗り越えていくか——その難題への解答を示す『平和の哲学』『幸福の方程式』を記されてきた」と。さらに「博士の写真には見る人の心を勇気づける哲学があり、人と人を結ぶメッセージがある」とも述べている。「5・3」記念特集�では、先生の「作家」「詩人」「写真家」としての足跡に光を当てる。
�「師弟の原点」
◇詩歌と小説で紡がれた師匠と弟子の絆
仏法の人間主義の思想を世界的な文化・平和運動として花開かせた池田先生。恩師・戸田城聖先生との師弟のドラマは、「詩歌」によって彩られている。
1947年(昭和22年)8月14日の師弟の出会い。その運命的な場面で、19歳の池田先生は「旅びとよ いずこより来り いずこへ往かんとするか……」との即興詩を詠んだ。
恩師の大きな苦境の中で交わされたのは、和歌だった。池田先生は戸田先生の経営する出版社「日本正学館」に入社。少年雑誌などの編集に携わり、戸田先生の事業が窮地に立たされた時、一首の和歌をささげる。「古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ」と。
そこには、"師匠を支え抜こう"との弟子の誓願が込められていた。戸田先生は「色は褪せ 力は抜けし 吾が王者 死すとも残すは 君が冠」等の2首の返歌で応えた。
◇"戦う文化人"の魂を継承
戸田先生もまた、牧口常三郎先生が獄死した後、先師の遺志を継いで一人立つ決意を、獄中で詩「独房吟」に託したことがあった。
若き日から詩歌などに精通していた戸田先生であったが、文学は"余興"や"趣味"ではなかった。
それは、広宣流布という未聞の民衆運動に生き抜く情熱の発露であり、時には師匠への厳粛な「誓い」として、時には弟子への万感の「励まし」として、表現されたのである。
その"戦う文化人"の魂を継承したのが、池田先生だった。
戸田先生は、広宣流布について、「仏法を基調とした平和・文化の開花でなくてはならない」と構想した。
「『妙法の大地に展開する大文化運動』の先駆けたらん」と、池田先生は先頭に立ってペンを握り続けた。
"妙法"にちなみ、戸田先生が「妙悟空」のペンネームでつづった小説『人間革命』。池田先生は恩師の筆名を引き継ぎ「法悟空」として、『人間革命』『新・人間革命』を書き残した。激務の合間を縫い、半世紀にわたる血のにじむような言論闘争だった。
作家、詩人、さらに写真家としての先生の創作活動は今も続く。詩歌や小説を通じて紡がれた師弟の絆が、仏法を基調とした"文化の光"として、世界に光彩を放っている。
�「建設と飛翔」
◇小説「人間革命」「新・人間革命」 日本一の新聞連載
かつて池田先生は記している。
「私は、書いて、書いて、書きまくってきた。目的があったからだ。友に希望を届けるために! 勇気を贈るために! 勝利を開くために!」
間断なく続く先生の"ペンの闘争"。発刊された著作は膨大であり、その分野は多岐にわたる。
海外出版は50言語に迫り、2000点を超える。
今や世界中の人々が読み学ぶ時代となった小説『人間革命』(全12巻)と『新・人間革命』(全30巻)。
連載回数は『人間革命』の1509回と『新・人間革命』の6469回を合わせて、7978回となり、日本の新聞小説史上、最多を誇る。
◇創作物語やエッセーを執筆
また、世界の知性との語らいは、80点に及ぶ対談集として結実。"未来の宝"にエールを送る創作童話・物語は、1974年に発表した『少年とさくら』をはじめ、20作品以上を数える。
70歳の時には「随筆 新・人間革命」をスタート。現在も"随筆"は本紙で続き、その他にも機関誌等に仏法哲理の講義やエッセーなどが掲載されている。
◇励ましの心光る詩業に多くの詩人の称号・賞
希望は
人生の宝なり。
常に
希望を持てる人は
幸いなり。
君よ
貴女よ
決して負けるな!
いかなる
艱難辛苦が
あろうとも
金色に輝く
希望の光を
断じて忘るるな!
おお 君たちよ
私が心から信頼し
愛する君たちよ
希望に
生き抜くのだ!
断固と
勝ち抜くのだ!
(長編詩「希望は人生の宝なり」)
池田先生は、若き日から古今東西の詩人たちの作品に親しみ、自らも詩を詠んできた。
その詩作の数々は、世界に平和の連帯を呼び掛け、苦難と戦う人々を励まし、傲慢な悪を打ち破る、「希望」と「正義」の光にあふれている。
古来、偉大な詩人は「桂冠詩人」として、たたえられてきた。イタリアのダンテやイギリスのワーズワースらが、それに当たる。
1981年、先生は世界芸術文化アカデミーから日本人初の「桂冠詩人」称号を受ける。その後、世界的な詩人団体から「国際優秀詩人」賞(91年)、「世界桂冠詩人賞」(95年)、「世界民衆詩人」称号(2007年)、「世界平和詩人賞」(10年)が授与されている。
さらに、世界の各地に先生の詩の一節を刻んだ詩碑が設置され、傑出した詩業への共感が広がっている。
◇41カ国・地域151都市で「自然との対話」写真展
「フォトグラフ(写真)」の語源は「光で描く」。
まさに"光の詩"ともいえる写真芸術の創造に池田先生が着手したのは、1970年ごろ。広宣流布という大文化運動の一つとして「大自然の美」を捉え、「生命の讃歌」を表現したい、との思いからであった。
法華経では、森羅万象が自己の「一念」に収まり、その一念が「全宇宙」をも包み込むと説く。先生の写真には「今、この時を逃さず、縁する一人の生命に、希望と歓喜の光を」との凝結した一念が脈打っている。
先生の作品を紹介する「自然との対話」写真展は、国内はもとより41カ国・地域、151都市で開催され、「眼で詠まれた詩」(フランスの美術史家ルネ・ユイグ氏)、「無限の物語を表現する写真文学」(ネパール写真家協会のR・K・マナンダール元会長)などの称賛が寄せられてきた。
また、フランスのヴァル・ド・ビエーブル写真クラブの「名誉写真芸術会員」、オーストリア芸術家協会の「在外会員」をはじめ、ハンガリー、ウズベキスタン、ネパール等の写真・芸術の団体から顕彰が贈られている。
写真は趣味ではなく"戦い"——かつて先生は記した。「写真が一瞬の真剣勝負であるように、人生も『今を勝つ戦い』である。『今日を勝つ戦い』である」
�「世界が称賛」
◇世界詩歌協会 パドマナーバン名誉会長 「新思考で人々の覚醒を促す」
創造性に富んだ詩人や作家は、三つの「E」、つまり「Expose(暴く)」「Educate(教育する)」「Enlighten(目覚めさせる)」を忘れてはなりません。
「暴く」とは「不正義(悪)と非寛容を暴く」こと、「教える」とは「人々に新たな価値と、人類愛、慈悲、愛、平等、公平、階級のない社会を教える」ことです。
そして、「目覚めさせる」とは「希望と大志あふれる明るい未来という新たなビジョンに目覚めさせる」ことです。
池田博士は、世界にはびこる悲しむべき事態に疑問を投げかけます。不正義と非寛容を糾弾します。自然に目を向け、自然を愛でます。苦悶を見つけ、安堵を与えます。青年に大いなる希望を見いだします。
新思考。新たな目覚め——博士の詩は、老若男女、青年、統治者も被治者も階級を問わず、人々を覚醒させる輝きを放っています。
(2010年8月、同協会「世界平和詩人賞」授賞式での祝辞から)
◇シンガポール写真家協会 テイ前会長 「深い哲学が息づいた作品群」
池田氏は、その名声と多忙さにもかかわらず、わずかな時間を見つけては、ご自身のカメラで写真を撮られています。氏が写真を撮影する目的は、「詩心を抱け!」と、友の心を鼓舞するためです。
氏は、自らの詩的ビジョンによって、自然をとらえる「新たな視点」を生み出します。氏の写真には、氏の哲学が息づいています。
写真芸術史家であるブラジルのジルベルト・フェレスは、こう言っています。「氏の写真が人を魅了してやまないのは、被写体がフィルムに映し出される前に、氏の哲学というフィルターを通ってくるからである」
氏の写真はユニークであり、人の心に忘れがたい印象を残します。その写真は「目」だけでなく、「魂」にも訴えかけてきます。
どんな文章によっても表せないような、具体的な光景を眼前に現してくれます。
(1999年10月、同協会「終身名誉会員」称号授与式でのあいさつから)
2020年5月16日土曜日
2020.05.16 わが友に贈る
「此の度仏法を心みよ」
苦難の時代だからこそ
信心根本に進もう!
自らが決意した瞬間から
人間革命の劇は始まる。
守護国家論 P55
『是の経を信ずる人は昼夜十二時の持経者なり口に読経の声を出さざれども法華経を信ずる者は日日時時念念に一切経を読む者なり』
【通解】
この経を信ずる人は昼夜十二時にわたる持経者である。口に読経の声を出さなくても法華経を信ずる者は日々・時々・念々に一切経を読む者である。
名字の言 「語る文化」の大切さ——文筆家・外山滋比古さん 2020年5月16日
「読む文化も貴重であるが、語る文化は、それに劣らず重要」とは、文筆家・外山滋比古氏の言葉。1人の考えを「点」とすれば、2人の対話は「線」や「面」。3人になればコミュニケーションは「立体」になる、と▼氏が実際に少人数の集いを月1回、開いてみると、たとえ疲れていても、会が終わる頃には元気になる人がほとんどで、健康効果を実感したという。「ひとりで考えるのではなく、さまざま違ったことをする人が、存分に、思っていること、考えていることを述べるのがよい」(『最高の雑談術』扶桑社文庫)▼鹿児島に単身赴任中のある壮年は、連休中の帰省を自粛。だが一人だと、どうしても心が沈みがち。そこで、東京の家族らと"電話座談会"を。何げない近況を語り合っただけで、心のつながりを感じ、気持ちが軽くなった▼未婚率の増加や核家族化により、2040年には単独世帯は国民全体の40%に達するという(総務省)。社会的孤立が懸念される今こそ、"誰も置き去りにしない"との創価の励まし運動は、さらに重要となろう▼哲人キケロは「人生から友情を取り去るのは、この世界から太陽を取り去るようなもの」(中務哲郎訳)と。智慧と工夫で、きょうも自身が太陽となり、友を明るく照らしたい。(誼)
寸鉄 2020年5月16日
今こそ立正安国の誓い強く。共に師子吼の題目で挑戦と向上の一日一日を
東京・杉並「女性の日」。麗しき婦女一体の前進。賢く朗らかに励まし拡大
青年の実力とは人に尽くそうとの根性で決まる—恩師。壁破る勇気の一歩
「新しい生活様式」実践。距離確保、マスク着用、帰宅後の手洗い・顔洗い等
感染関連のデマが横行。迷惑情報の拡散で刑事責任にも。出所確認を徹底
☆第3代会長就任60周年記念特集——「人間革命」の証明の劇 第3回「わが総仕上げの事業は『教育』」
◇地球の未来と平和のために 人間主義の人材の大河を!
「教育こそ、わが総仕上げの事業」とは、池田大作先生が訴えてきた信条の一つである。5・3「創価学会の日」記念特集�では、師弟の語らいの中で託された創価教育機関の設立をはじめ、海外の大学・学術機関での講演、教育者との語らいなど、教育交流で世界を結んできた功績を紹介する。地球の未来と平和のために、人間主義の人材の大河を築いてきた先生の「教育事業」には、世界の識者から称賛と共感が寄せられている。
�「師弟の原点」
◇戸田先生「創価大学をつくろうな。世界第一の大学にしようではないか」
「大作、創価大学をつくろうな。私の健在のうちにできればいいが、だめかもしれない。そのときは大作、頼むよ。世界第一の大学にしようではないか」
1950年(昭和25年)11月16日、戸田先生は池田先生に語った。
当時、戸田先生は戦後不況のあおりを受けて事業が破綻し、学会の理事長を辞任していた。多くの人が戸田先生をののしり、その元を去った。
戸田先生には、決して頭から離れない牧口先生との約束があった。
「将来、私が研究している創価教育学の学校を必ず僕が、僕の代に設立できないときは、戸田君の代で作るのだ」——。
戸田先生は人生最大の苦境の時に、この構想を弟子に託した。池田先生は当時の心境をこう述懐している。
「他の人が聞いたら、何を"ほら話"をと思ったであろう。苦境という『事実』はどうあれ、この悠然たる心に、(戸田)先生の『真実』があった。その壮大なる希望、闘争の一念、絶対の確信——私は知っていた。私は忘れない」
「師弟の闘争こそ創価教育の大勝利を成し遂げた力」
戸田先生はその後も、池田先生が同席する場で、創価の学びやへの思いを語っている。
54年(同29年)9月、水滸会の野外研修会のため東京・氷川に向かうバスが八王子方面を通り掛かった折、戸田先生は池田先生に言った。
「いつか、この方面に創価教育の城をつくりたいな……」と。
55年(同30年)1月の高知の総会では「一貫教育の学校をつくる。必ず、日本一の学校にするよ!」と宣言した。
こうした恩師の言葉を、池田先生は"生涯を懸けた師弟の誓い"として命に刻んだのである。
池田先生は語った。
「創価学園をつくり、創価大学をつくる。それが、どれほどの難事業であったか。どれほどの障害があったか。
しかし、私は『師弟の道』に徹し抜いてきたがゆえに、すべてに打ち勝ってきた。あらゆる苦闘を越えて、世界に広がる創価教育の大城を築いてきた。この『師弟』の闘争こそが、創価教育の大勝利を成し遂げた力なのである」
�「建設と飛翔」
◇日本と海外に「創価の学びや」を創立
◇大学・学術機関の招請を受け32回の講演
◇教育者と友情の語らい
�「世界が称賛」
第3代会長就任の約1カ月前となる1960年(昭和35年)4月5日、池田先生は東京・創価学園の建設用地を視察。万年の道を厳然と開くため第一にとった行動は、教育機関の設立であった。
そして、68年に東京・創価学園、71年に創価大学が誕生。以来、恩師の構想を実現し、次の世代を育てるために世界に創立した創価教育機関は、訪れた識者から高い評価を受けている。
◇元国連事務次長 チョウドリ氏「非暴力・多様性の尊重・人権のため設立された『学生主体』の一貫教育」
チョウドリ元国連事務次長は「(池田会長は)平和のため、非暴力のため、多様性の尊重のため、そして人権のために、『学生主体』の一貫教育システムを確立されました」「未来の世界市民としての決して単純ではない責務を堂々と担うことのできる、立派な青年男女が育成されています」と。
◇カナダ・ラバル大学 ブリエール前学長「英知を磨く目的を大切にする伝統 この学習環境に世界市民への道が」
カナダ・ラバル大学のブリエール前学長は「(創価教育の学生・生徒たちは)学ぶことの目的を何よりも大切にしていました」「その教育の精神と伝統が、小学校から大学まで一貫している——ここにこそ、創価教育の最大の強みがあると思ったのです。こうした教育環境によってこそ(中略)地球市民として成長していける道が開かれるのです」と深い共感を語っている。
◇各国に築いた「知性の懸け橋」
さらに池田先生は世界の平和旅の中で、大学などの教育機関を積極的に訪問。「知性の懸け橋」を築いてきた。
米ハーバード大学をはじめ大学・学術機関の招請を受けて行った海外講演は32回に及ぶ。
また大学総長・学長、教育者らと語らい、幾重にも友情を結んだ。
◇最高学府が威信を懸けて贈る栄誉「名誉学術称号」が池田先生に授与
こうした先生の教育への貢献を、五大州の大学・学術機関が称賛。
厳格な授与規定に基づき、最高学府の威信を懸けて贈る名誉博士号・名誉教授称号等の「名誉学術称号」は現在「396」。
人類史に輝く世界一の壮挙である。
◇メキシコ・グアダラハラ大学 パディージャ・ロペス元総長「『智慧』を希求し『差異』を乗り越える創価の教育思想こそ『希望の指標』」
池田先生に「名誉博士号」を授与した、メキシコ・グアダラハラ大学のパディージャ・ロペス元総長は、「創価教育は智慧を希求する教育思想」としつつ、高邁な人間主義の思想を掲げ、希望あふれる指標を世界に示す池田先生は「人類にとって、なくてはならない方」と賛辞を送る。
◇フィリピン・国立カガヤン大学 テハダ学長「池田博士は慈悲の心で地球を包む『人類の教師』『平和の担い手』」
また、「名誉人文学博士号」を贈ったフィリピン・国立カガヤン大学のテハダ学長はたたえた。
「人々や文化の相互理解を促し、平和の懸け橋を築かれた池田博士は、慈悲の心で地球を包む"人類の教師"なのです!」
苦難の時代だからこそ
信心根本に進もう!
自らが決意した瞬間から
人間革命の劇は始まる。
守護国家論 P55
『是の経を信ずる人は昼夜十二時の持経者なり口に読経の声を出さざれども法華経を信ずる者は日日時時念念に一切経を読む者なり』
【通解】
この経を信ずる人は昼夜十二時にわたる持経者である。口に読経の声を出さなくても法華経を信ずる者は日々・時々・念々に一切経を読む者である。
名字の言 「語る文化」の大切さ——文筆家・外山滋比古さん 2020年5月16日
「読む文化も貴重であるが、語る文化は、それに劣らず重要」とは、文筆家・外山滋比古氏の言葉。1人の考えを「点」とすれば、2人の対話は「線」や「面」。3人になればコミュニケーションは「立体」になる、と▼氏が実際に少人数の集いを月1回、開いてみると、たとえ疲れていても、会が終わる頃には元気になる人がほとんどで、健康効果を実感したという。「ひとりで考えるのではなく、さまざま違ったことをする人が、存分に、思っていること、考えていることを述べるのがよい」(『最高の雑談術』扶桑社文庫)▼鹿児島に単身赴任中のある壮年は、連休中の帰省を自粛。だが一人だと、どうしても心が沈みがち。そこで、東京の家族らと"電話座談会"を。何げない近況を語り合っただけで、心のつながりを感じ、気持ちが軽くなった▼未婚率の増加や核家族化により、2040年には単独世帯は国民全体の40%に達するという(総務省)。社会的孤立が懸念される今こそ、"誰も置き去りにしない"との創価の励まし運動は、さらに重要となろう▼哲人キケロは「人生から友情を取り去るのは、この世界から太陽を取り去るようなもの」(中務哲郎訳)と。智慧と工夫で、きょうも自身が太陽となり、友を明るく照らしたい。(誼)
寸鉄 2020年5月16日
今こそ立正安国の誓い強く。共に師子吼の題目で挑戦と向上の一日一日を
東京・杉並「女性の日」。麗しき婦女一体の前進。賢く朗らかに励まし拡大
青年の実力とは人に尽くそうとの根性で決まる—恩師。壁破る勇気の一歩
「新しい生活様式」実践。距離確保、マスク着用、帰宅後の手洗い・顔洗い等
感染関連のデマが横行。迷惑情報の拡散で刑事責任にも。出所確認を徹底
☆第3代会長就任60周年記念特集——「人間革命」の証明の劇 第3回「わが総仕上げの事業は『教育』」
◇地球の未来と平和のために 人間主義の人材の大河を!
「教育こそ、わが総仕上げの事業」とは、池田大作先生が訴えてきた信条の一つである。5・3「創価学会の日」記念特集�では、師弟の語らいの中で託された創価教育機関の設立をはじめ、海外の大学・学術機関での講演、教育者との語らいなど、教育交流で世界を結んできた功績を紹介する。地球の未来と平和のために、人間主義の人材の大河を築いてきた先生の「教育事業」には、世界の識者から称賛と共感が寄せられている。
�「師弟の原点」
◇戸田先生「創価大学をつくろうな。世界第一の大学にしようではないか」
「大作、創価大学をつくろうな。私の健在のうちにできればいいが、だめかもしれない。そのときは大作、頼むよ。世界第一の大学にしようではないか」
1950年(昭和25年)11月16日、戸田先生は池田先生に語った。
当時、戸田先生は戦後不況のあおりを受けて事業が破綻し、学会の理事長を辞任していた。多くの人が戸田先生をののしり、その元を去った。
戸田先生には、決して頭から離れない牧口先生との約束があった。
「将来、私が研究している創価教育学の学校を必ず僕が、僕の代に設立できないときは、戸田君の代で作るのだ」——。
戸田先生は人生最大の苦境の時に、この構想を弟子に託した。池田先生は当時の心境をこう述懐している。
「他の人が聞いたら、何を"ほら話"をと思ったであろう。苦境という『事実』はどうあれ、この悠然たる心に、(戸田)先生の『真実』があった。その壮大なる希望、闘争の一念、絶対の確信——私は知っていた。私は忘れない」
「師弟の闘争こそ創価教育の大勝利を成し遂げた力」
戸田先生はその後も、池田先生が同席する場で、創価の学びやへの思いを語っている。
54年(同29年)9月、水滸会の野外研修会のため東京・氷川に向かうバスが八王子方面を通り掛かった折、戸田先生は池田先生に言った。
「いつか、この方面に創価教育の城をつくりたいな……」と。
55年(同30年)1月の高知の総会では「一貫教育の学校をつくる。必ず、日本一の学校にするよ!」と宣言した。
こうした恩師の言葉を、池田先生は"生涯を懸けた師弟の誓い"として命に刻んだのである。
池田先生は語った。
「創価学園をつくり、創価大学をつくる。それが、どれほどの難事業であったか。どれほどの障害があったか。
しかし、私は『師弟の道』に徹し抜いてきたがゆえに、すべてに打ち勝ってきた。あらゆる苦闘を越えて、世界に広がる創価教育の大城を築いてきた。この『師弟』の闘争こそが、創価教育の大勝利を成し遂げた力なのである」
�「建設と飛翔」
◇日本と海外に「創価の学びや」を創立
◇大学・学術機関の招請を受け32回の講演
◇教育者と友情の語らい
�「世界が称賛」
第3代会長就任の約1カ月前となる1960年(昭和35年)4月5日、池田先生は東京・創価学園の建設用地を視察。万年の道を厳然と開くため第一にとった行動は、教育機関の設立であった。
そして、68年に東京・創価学園、71年に創価大学が誕生。以来、恩師の構想を実現し、次の世代を育てるために世界に創立した創価教育機関は、訪れた識者から高い評価を受けている。
◇元国連事務次長 チョウドリ氏「非暴力・多様性の尊重・人権のため設立された『学生主体』の一貫教育」
チョウドリ元国連事務次長は「(池田会長は)平和のため、非暴力のため、多様性の尊重のため、そして人権のために、『学生主体』の一貫教育システムを確立されました」「未来の世界市民としての決して単純ではない責務を堂々と担うことのできる、立派な青年男女が育成されています」と。
◇カナダ・ラバル大学 ブリエール前学長「英知を磨く目的を大切にする伝統 この学習環境に世界市民への道が」
カナダ・ラバル大学のブリエール前学長は「(創価教育の学生・生徒たちは)学ぶことの目的を何よりも大切にしていました」「その教育の精神と伝統が、小学校から大学まで一貫している——ここにこそ、創価教育の最大の強みがあると思ったのです。こうした教育環境によってこそ(中略)地球市民として成長していける道が開かれるのです」と深い共感を語っている。
◇各国に築いた「知性の懸け橋」
さらに池田先生は世界の平和旅の中で、大学などの教育機関を積極的に訪問。「知性の懸け橋」を築いてきた。
米ハーバード大学をはじめ大学・学術機関の招請を受けて行った海外講演は32回に及ぶ。
また大学総長・学長、教育者らと語らい、幾重にも友情を結んだ。
◇最高学府が威信を懸けて贈る栄誉「名誉学術称号」が池田先生に授与
こうした先生の教育への貢献を、五大州の大学・学術機関が称賛。
厳格な授与規定に基づき、最高学府の威信を懸けて贈る名誉博士号・名誉教授称号等の「名誉学術称号」は現在「396」。
人類史に輝く世界一の壮挙である。
◇メキシコ・グアダラハラ大学 パディージャ・ロペス元総長「『智慧』を希求し『差異』を乗り越える創価の教育思想こそ『希望の指標』」
池田先生に「名誉博士号」を授与した、メキシコ・グアダラハラ大学のパディージャ・ロペス元総長は、「創価教育は智慧を希求する教育思想」としつつ、高邁な人間主義の思想を掲げ、希望あふれる指標を世界に示す池田先生は「人類にとって、なくてはならない方」と賛辞を送る。
◇フィリピン・国立カガヤン大学 テハダ学長「池田博士は慈悲の心で地球を包む『人類の教師』『平和の担い手』」
また、「名誉人文学博士号」を贈ったフィリピン・国立カガヤン大学のテハダ学長はたたえた。
「人々や文化の相互理解を促し、平和の懸け橋を築かれた池田博士は、慈悲の心で地球を包む"人類の教師"なのです!」
2020年5月15日金曜日
2020.05.10 わが友に贈る
心身を守る第一は
生活習慣の改善から。
十分な睡眠・適度な運動
バランス良い食事など
今こそ基本に徹しよう!
月水御書 P1202
『仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし』
【通解】
仏法の中の隨方毘尼という戒の法門がこれにあたる。
この戒(随方毘尼)の心は、甚だしい過ちでないことなら、少々仏教と違うことがあっても、その国の風俗に背くべきではないということである。
名字の言 心通わせる「励まし月間」に 2020年5月15日
電話などで友と語らう「励まし月間」を送る中、数々の心温まる話に元気をもらった▼清掃会社に勤める壮年部員は、早朝からごみを回収する日々。家庭からのごみも、生活用品や食品などを扱う企業のごみも増え、以前より忙しいという。だが「きれいな街を保つのが私たちの役目。体に気を付けて頑張るよ」と意気軒高だった▼食堂を一人で営む婦人部員は、来客の激減から、数量限定で持ち帰り弁当の販売を始めた。ある日、完売後に常連客が買いに来た。「あいにく、弁当は全部売れてしまって……」と婦人はわびた▼客が家族に電話をかけ、「売り切れちゃったって」と伝えると、受話器の向こうから「本当? 良かったあ!」と声が聞こえた。そして客は「また来るからね」と告げ、手ぶらなのにうれしそうに帰っていった。その姿に励まされた婦人は"絶対に苦難を乗り越えて、恩返しをするぞ"と負けじ魂が湧き上がったという▼身の回りには「誰かのおかげ」で成り立っているものが意外と多い。その"誰か"を実際に目にはしなくとも、心に映し出し、感謝できる人でありたい。また自身も、その"誰か"として他者に尽くす人でありたい。そうした真心に満ちた社会であれば、試練に立ち向かう一人一人の力は増していく。(城)
寸鉄 2020年5月15日
打てば響く人たれ—恩師幹部は同志の悩める声に即反応。メール一通でも
福島県婦人部の日。今日も希望と蘇生の連帯拡大地域を照らす福光の太陽
国連の「国際家族デー」。一緒に祈り、語る機会を。和楽の家庭こそ平和の礎
緊急事態宣言の一部地域解除も密閉・密集・密接の「3密」絶対避け感染防止
県境越す移動は自粛継続心引き締め、皆が健康で過ごせる「新しい日常」へ
☆第3代会長就任60周年記念特集——「人間革命」の証明の劇 第2回「芸術の守り人」
芸術こそ平和の力——この信念で文化を守り、文化交流を通して世界を結んできた池田先生。「5・3」記念特集�では、先生が創立した民主音楽協会(新宿区)、東京富士美術館(八王子市)の歩みや、これまでに寄せられた識者の声などを紹介する。
�「師弟の原点」
戦後の混乱期。19歳の池田先生は痛感していた。「文化国家をつくるしかない。戦争の悲劇から精神的に立ち上がるのは、文化しかない」と。その心は、人間の幸福は「美・利・善」の追求にあるとし、戦時下にも「美」である文化を大事にした初代会長・牧口常三郎先生、そして「安穏な、平和な文化国家をつくろう」「世界人類のために貢献する国を築こう」と呼び掛けた第2代会長・戸田城聖先生の精神と響き合っていた。
こうした師弟の魂の結晶として、創価の文化運動の原点ともいうべき音楽隊が誕生したのは1954年。池田先生が結成を進言した折、周囲は「音楽が広宣流布に何の関係があるのか」と難色を示したが、戸田先生だけは「大作がやるんだったら、やりたまえ」と後押しした。
池田先生は、自ら費用を工面して楽器を贈るなど、音楽隊の友を励まし続け、56年には鼓笛隊を結成した。音楽隊と鼓笛隊は、国内のコンクールで金賞を受賞するなど、今や日本を代表する音楽団体に発展。海外でも音楽隊・鼓笛隊が結成され、あの地この地で勇気と希望を送る調べを届けている。
�「建設と飛翔」
◇民主音楽協会——心を潤す音楽の旅
池田先生が第3代会長に就任した翌年の1961年2月9日。初のアジア歴訪中だった先生は、ビルマ(現ミャンマー)からタイに向かっていた。
ビルマは、先生の長兄が太平洋戦争で命を落とした地。終戦から15年余、アジアには、いまだ戦火が絶えなかった。
人類が悲惨な戦争と決別し、平和を築くには何が必要か——思索を重ねていた先生は、その夜、バンコクで同行の幹部に語った。「真の世界平和のためには、民衆と民衆が分かり合うことが絶対に重要だ。特に芸術の交流が不可欠だと思う。これから国境を超えて進めたい」
この構想から2年後の63年10月18日、民主音楽協会(民音)は産声を上げた。
◇110カ国・地域と交流事業 鑑賞者はのべ1億2000万人
創立に当たって、先生が提案したのは「庶民が"下駄履き"で行けるコンサート」。その言葉には、"一流の文化で全ての人々の心を潤したい"との信念が脈打っていた。
以来、民音は110カ国・地域の人々と交流を結び、ミラノ・スカラ座やアルゼンチン・タンゴの巨匠の公演など、音楽史に燦たる足跡を刻んできた。これまで民音の公演は8万回を数え、のべ1億2000万人が鑑賞している。
また、世界的な指揮者の登竜門として定評がある「東京国際音楽コンクール<指揮>」の開催や、「学校コンサート」などの公益事業にも力を注ぎ、若き才能を育んできた。
◇東京富士美術館——世界を語る美術館
一方、"文化を民衆の手に"との思いで池田先生が創立した東京富士美術館は、83年11月3日の開館以来、"世界の優れた文化に触れる機会をつくろう"と、独自の視点で海外文化交流特別展を開催してきた。その回数は現在、48回に上る。
先生が同美術館に贈った指針は「世界を語る美術館」。その記念すべき開館を飾った「近世フランス絵画展」には、ルーブル美術館をはじめ、名だたる美術館の傑作が出展された。
その後も「大ナポレオン展」「第九の怒濤展」「大三国志展」などを開催し、一流の美術を紹介。その中には、日本初公開のものも少なくない。
◇3万点のコレクション、20カ国・地域で所蔵品展
さらに、"世界との文化交流のために日本一、世界一のコレクションを"との先生の期待を受け、東京富士美術館は美術品収集にも力を入れてきた。その数は、絵画や版画、写真、彫刻など合わせて約3万点。特に西洋絵画は、ルネサンスから20世紀まで500年の歴史を俯瞰できる国内屈指のラインアップとして名高い。
これらは館外への貸し出しも行われており、「日本美術の名宝展」など、政府・文化機関からの要請による海外での所蔵品展も20カ国・地域で開かれた。
文化・芸術は、人間精神を豊かにし、国境や時代を超えて人々をつなぐ力となる——その創立者の心をわが心とする東京富士美術館の挑戦は、今も続く。
◇五大州の文化人と友情のハーモニー
池田先生は、こうした民音や東京富士美術館の文化活動を支えながら、世界的バイオリニストのユーディー・メニューイン氏やモスクワ児童音楽劇場のナターリヤ・サーツ総裁ら、世界五大州の文化人や芸術家と語り合い、友情のハーモニーを広げてきた。その中で「平和の拡大は、文化の拡大と切り離せない」(フランスの美術史家のルネ・ユイグ氏)など、文化の力を確かめ合ってきた。
そうした"芸術の守り人"としての貢献に「私は池田会長と力を合わせて、平和へと進みたい。悲劇を断じて繰り返さないために」(アルゼンチン・タンゴの巨匠オスバルド・プグリエーセ氏)、「音楽という私の分野で、『池田先生に代わって』、先生の思想と心を表現し、人々に伝えたい」(ブラジルの音楽家のアマラウ・ビエイラ氏)など、世界は称賛を惜しまない。
�「世界が称賛」
◇ハンブルク・バレエ ノイマイヤー芸術監督 「民音は平和を目指す兄弟」
「ハンブルク・バレエ」と民音は、同じ目的を目指す"兄弟"と思っています。
それは民音が、商業主義とは一線を画し、「世界平和のために何ができるか」という崇高なビジョンのもと、世界各国との文化・芸術交流を行っているからです。
経済至上主義で行き詰まる現代文明。今こそ民音のような深き哲学と強き意志、堅実な実行力が必要であると思えてなりません。
だからこそ私は民音と協力します。私もまた、バレエという至高の人間芸術の輝きによって、世界の人々に勇気を送りたいのです。
世界の人々を励まし、人類の幸福のために行動される民音創立者の池田SGI会長と共に、私も、世界平和への道を力強く進みたいと思います。
◇国立タンゴ・アカデミー ガブリエル・ソリア会長 「池田会長がタンゴを蘇生」
(アルゼンチン・タンゴの民音公演が始まった)1970年当時、タンゴは大きな危機に直面していました。有名な巨匠の死や、ビートルズに代表される英語圏からの新しい音楽の台頭で、タンゴの人気に陰りが出ていたのです。
演奏の機会は減り、活動に限界を感じた作曲家や楽団、ダンサー、歌手たちはバラバラに。創作活動や演奏・公演を休止する人たちも出てきていたのです。
その中で、池田会長は「民音タンゴ・シリーズ」を開始して、演奏者やダンサーを日本に次々と招待してくださいました。「蘇生の舞台」をつくってくださったのです。
実際に日本で公演したメンバーは、地球の反対側で自分たちの芸術を愛してくれる人がいると知り、感激しました。日本で成功を収めたタンゴは、アルゼンチン国内での評価を取り戻すことができました。
◇サンパウロ美術館 マガリャンエス元館長 「民衆が主体の文化を創造」
現代世界において、文化は、必ずしも国家の先導ではなく、社会の中から生まれてきています。現代は、民衆が主体となって、文化を創造していく時代なのです。その重要な模範が池田博士です。
博士は、美術館を創立しただけではありません。美術館の活動を通し、過去の遺産を大切にするとともに、未来をも創造しておられます。このことは、東京富士美術館のダイナミックな活動を見れば、明らかです。
そして、その東京富士美術館を、多くの民衆が支持しています。それは、どれほどの鑑賞者が訪れているかを見れば明白です。
東京富士美術館は、単なる貴重品の「陳列の場」ではなく、訪れる人の「友好の場」なのです。
池田博士は、芸術・文化を通して、異なる文化圏の人々を結び付けようとされているのです。
◇スコットランド チャールズ・ブルース伯爵 「展覧会は社会を動かす力」
1991年、東京富士美術館などが共催し、スコットランド国立博物館で「日本美術の名宝展」が開催されました。これをきっかけに、スコットランドでは、日本との芸術交流のためのシンポジウムが行われたり、日本の建築家が設計した美術館が建てられたりするなど、一段と日本文化への理解が進みました。
これは、一つの展覧会によって、文化交流の永続的な流れが生まれたという一つの好例と言えるのではないでしょうか。
展覧会には、社会を動かす力があります。こうした流れを生み出すことができたのは、やはり、創立者である池田先生をはじめ、東京富士美術館の皆さまの、西洋哲学や文化に対する造詣の深さの表れであると確信します。
今後も各国・地域と実りある文化交流を進めていかれることを心から期待しています。
生活習慣の改善から。
十分な睡眠・適度な運動
バランス良い食事など
今こそ基本に徹しよう!
月水御書 P1202
『仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし』
【通解】
仏法の中の隨方毘尼という戒の法門がこれにあたる。
この戒(随方毘尼)の心は、甚だしい過ちでないことなら、少々仏教と違うことがあっても、その国の風俗に背くべきではないということである。
名字の言 心通わせる「励まし月間」に 2020年5月15日
電話などで友と語らう「励まし月間」を送る中、数々の心温まる話に元気をもらった▼清掃会社に勤める壮年部員は、早朝からごみを回収する日々。家庭からのごみも、生活用品や食品などを扱う企業のごみも増え、以前より忙しいという。だが「きれいな街を保つのが私たちの役目。体に気を付けて頑張るよ」と意気軒高だった▼食堂を一人で営む婦人部員は、来客の激減から、数量限定で持ち帰り弁当の販売を始めた。ある日、完売後に常連客が買いに来た。「あいにく、弁当は全部売れてしまって……」と婦人はわびた▼客が家族に電話をかけ、「売り切れちゃったって」と伝えると、受話器の向こうから「本当? 良かったあ!」と声が聞こえた。そして客は「また来るからね」と告げ、手ぶらなのにうれしそうに帰っていった。その姿に励まされた婦人は"絶対に苦難を乗り越えて、恩返しをするぞ"と負けじ魂が湧き上がったという▼身の回りには「誰かのおかげ」で成り立っているものが意外と多い。その"誰か"を実際に目にはしなくとも、心に映し出し、感謝できる人でありたい。また自身も、その"誰か"として他者に尽くす人でありたい。そうした真心に満ちた社会であれば、試練に立ち向かう一人一人の力は増していく。(城)
寸鉄 2020年5月15日
打てば響く人たれ—恩師幹部は同志の悩める声に即反応。メール一通でも
福島県婦人部の日。今日も希望と蘇生の連帯拡大地域を照らす福光の太陽
国連の「国際家族デー」。一緒に祈り、語る機会を。和楽の家庭こそ平和の礎
緊急事態宣言の一部地域解除も密閉・密集・密接の「3密」絶対避け感染防止
県境越す移動は自粛継続心引き締め、皆が健康で過ごせる「新しい日常」へ
☆第3代会長就任60周年記念特集——「人間革命」の証明の劇 第2回「芸術の守り人」
芸術こそ平和の力——この信念で文化を守り、文化交流を通して世界を結んできた池田先生。「5・3」記念特集�では、先生が創立した民主音楽協会(新宿区)、東京富士美術館(八王子市)の歩みや、これまでに寄せられた識者の声などを紹介する。
�「師弟の原点」
戦後の混乱期。19歳の池田先生は痛感していた。「文化国家をつくるしかない。戦争の悲劇から精神的に立ち上がるのは、文化しかない」と。その心は、人間の幸福は「美・利・善」の追求にあるとし、戦時下にも「美」である文化を大事にした初代会長・牧口常三郎先生、そして「安穏な、平和な文化国家をつくろう」「世界人類のために貢献する国を築こう」と呼び掛けた第2代会長・戸田城聖先生の精神と響き合っていた。
こうした師弟の魂の結晶として、創価の文化運動の原点ともいうべき音楽隊が誕生したのは1954年。池田先生が結成を進言した折、周囲は「音楽が広宣流布に何の関係があるのか」と難色を示したが、戸田先生だけは「大作がやるんだったら、やりたまえ」と後押しした。
池田先生は、自ら費用を工面して楽器を贈るなど、音楽隊の友を励まし続け、56年には鼓笛隊を結成した。音楽隊と鼓笛隊は、国内のコンクールで金賞を受賞するなど、今や日本を代表する音楽団体に発展。海外でも音楽隊・鼓笛隊が結成され、あの地この地で勇気と希望を送る調べを届けている。
�「建設と飛翔」
◇民主音楽協会——心を潤す音楽の旅
池田先生が第3代会長に就任した翌年の1961年2月9日。初のアジア歴訪中だった先生は、ビルマ(現ミャンマー)からタイに向かっていた。
ビルマは、先生の長兄が太平洋戦争で命を落とした地。終戦から15年余、アジアには、いまだ戦火が絶えなかった。
人類が悲惨な戦争と決別し、平和を築くには何が必要か——思索を重ねていた先生は、その夜、バンコクで同行の幹部に語った。「真の世界平和のためには、民衆と民衆が分かり合うことが絶対に重要だ。特に芸術の交流が不可欠だと思う。これから国境を超えて進めたい」
この構想から2年後の63年10月18日、民主音楽協会(民音)は産声を上げた。
◇110カ国・地域と交流事業 鑑賞者はのべ1億2000万人
創立に当たって、先生が提案したのは「庶民が"下駄履き"で行けるコンサート」。その言葉には、"一流の文化で全ての人々の心を潤したい"との信念が脈打っていた。
以来、民音は110カ国・地域の人々と交流を結び、ミラノ・スカラ座やアルゼンチン・タンゴの巨匠の公演など、音楽史に燦たる足跡を刻んできた。これまで民音の公演は8万回を数え、のべ1億2000万人が鑑賞している。
また、世界的な指揮者の登竜門として定評がある「東京国際音楽コンクール<指揮>」の開催や、「学校コンサート」などの公益事業にも力を注ぎ、若き才能を育んできた。
◇東京富士美術館——世界を語る美術館
一方、"文化を民衆の手に"との思いで池田先生が創立した東京富士美術館は、83年11月3日の開館以来、"世界の優れた文化に触れる機会をつくろう"と、独自の視点で海外文化交流特別展を開催してきた。その回数は現在、48回に上る。
先生が同美術館に贈った指針は「世界を語る美術館」。その記念すべき開館を飾った「近世フランス絵画展」には、ルーブル美術館をはじめ、名だたる美術館の傑作が出展された。
その後も「大ナポレオン展」「第九の怒濤展」「大三国志展」などを開催し、一流の美術を紹介。その中には、日本初公開のものも少なくない。
◇3万点のコレクション、20カ国・地域で所蔵品展
さらに、"世界との文化交流のために日本一、世界一のコレクションを"との先生の期待を受け、東京富士美術館は美術品収集にも力を入れてきた。その数は、絵画や版画、写真、彫刻など合わせて約3万点。特に西洋絵画は、ルネサンスから20世紀まで500年の歴史を俯瞰できる国内屈指のラインアップとして名高い。
これらは館外への貸し出しも行われており、「日本美術の名宝展」など、政府・文化機関からの要請による海外での所蔵品展も20カ国・地域で開かれた。
文化・芸術は、人間精神を豊かにし、国境や時代を超えて人々をつなぐ力となる——その創立者の心をわが心とする東京富士美術館の挑戦は、今も続く。
◇五大州の文化人と友情のハーモニー
池田先生は、こうした民音や東京富士美術館の文化活動を支えながら、世界的バイオリニストのユーディー・メニューイン氏やモスクワ児童音楽劇場のナターリヤ・サーツ総裁ら、世界五大州の文化人や芸術家と語り合い、友情のハーモニーを広げてきた。その中で「平和の拡大は、文化の拡大と切り離せない」(フランスの美術史家のルネ・ユイグ氏)など、文化の力を確かめ合ってきた。
そうした"芸術の守り人"としての貢献に「私は池田会長と力を合わせて、平和へと進みたい。悲劇を断じて繰り返さないために」(アルゼンチン・タンゴの巨匠オスバルド・プグリエーセ氏)、「音楽という私の分野で、『池田先生に代わって』、先生の思想と心を表現し、人々に伝えたい」(ブラジルの音楽家のアマラウ・ビエイラ氏)など、世界は称賛を惜しまない。
�「世界が称賛」
◇ハンブルク・バレエ ノイマイヤー芸術監督 「民音は平和を目指す兄弟」
「ハンブルク・バレエ」と民音は、同じ目的を目指す"兄弟"と思っています。
それは民音が、商業主義とは一線を画し、「世界平和のために何ができるか」という崇高なビジョンのもと、世界各国との文化・芸術交流を行っているからです。
経済至上主義で行き詰まる現代文明。今こそ民音のような深き哲学と強き意志、堅実な実行力が必要であると思えてなりません。
だからこそ私は民音と協力します。私もまた、バレエという至高の人間芸術の輝きによって、世界の人々に勇気を送りたいのです。
世界の人々を励まし、人類の幸福のために行動される民音創立者の池田SGI会長と共に、私も、世界平和への道を力強く進みたいと思います。
◇国立タンゴ・アカデミー ガブリエル・ソリア会長 「池田会長がタンゴを蘇生」
(アルゼンチン・タンゴの民音公演が始まった)1970年当時、タンゴは大きな危機に直面していました。有名な巨匠の死や、ビートルズに代表される英語圏からの新しい音楽の台頭で、タンゴの人気に陰りが出ていたのです。
演奏の機会は減り、活動に限界を感じた作曲家や楽団、ダンサー、歌手たちはバラバラに。創作活動や演奏・公演を休止する人たちも出てきていたのです。
その中で、池田会長は「民音タンゴ・シリーズ」を開始して、演奏者やダンサーを日本に次々と招待してくださいました。「蘇生の舞台」をつくってくださったのです。
実際に日本で公演したメンバーは、地球の反対側で自分たちの芸術を愛してくれる人がいると知り、感激しました。日本で成功を収めたタンゴは、アルゼンチン国内での評価を取り戻すことができました。
◇サンパウロ美術館 マガリャンエス元館長 「民衆が主体の文化を創造」
現代世界において、文化は、必ずしも国家の先導ではなく、社会の中から生まれてきています。現代は、民衆が主体となって、文化を創造していく時代なのです。その重要な模範が池田博士です。
博士は、美術館を創立しただけではありません。美術館の活動を通し、過去の遺産を大切にするとともに、未来をも創造しておられます。このことは、東京富士美術館のダイナミックな活動を見れば、明らかです。
そして、その東京富士美術館を、多くの民衆が支持しています。それは、どれほどの鑑賞者が訪れているかを見れば明白です。
東京富士美術館は、単なる貴重品の「陳列の場」ではなく、訪れる人の「友好の場」なのです。
池田博士は、芸術・文化を通して、異なる文化圏の人々を結び付けようとされているのです。
◇スコットランド チャールズ・ブルース伯爵 「展覧会は社会を動かす力」
1991年、東京富士美術館などが共催し、スコットランド国立博物館で「日本美術の名宝展」が開催されました。これをきっかけに、スコットランドでは、日本との芸術交流のためのシンポジウムが行われたり、日本の建築家が設計した美術館が建てられたりするなど、一段と日本文化への理解が進みました。
これは、一つの展覧会によって、文化交流の永続的な流れが生まれたという一つの好例と言えるのではないでしょうか。
展覧会には、社会を動かす力があります。こうした流れを生み出すことができたのは、やはり、創立者である池田先生をはじめ、東京富士美術館の皆さまの、西洋哲学や文化に対する造詣の深さの表れであると確信します。
今後も各国・地域と実りある文化交流を進めていかれることを心から期待しています。
2020年5月14日木曜日
2020.05.14 わが友に贈る
結合は善。分断は悪だ。
利他の心で人類をつなぐ
仏法哲学が輝く時。
民衆の連帯の力で
希望の社会を築こう!
乙御前母御書 P1223
『道のとをきに心ざしのあらわるるにやかれは皆男子なり権化の人のしわざなり、今御身は女人なりごんじちはしりがたしいかなる宿善にてやをはすらん』
【通解】
道の遠さに、志があらわれるのであろうか。彼らは皆男子である。仏菩薩の化身した人の行為である。今あなたは女人である。権実の教判は知りがたい身である。いかなる宿縁を持った人なのであろうか。
名字の言 「恐怖」というウイルス 2020年5月14日
ウイルスから身を守るためには?——との問い掛けで始まるアニメの動画。「きちんと手を洗うだけで、感染する確率はぐんと下がる」▼だが、ウイルスのように人を蝕むのに、心の中に潜んでいて、簡単には洗い流せないものがある。それは、暗いニュースや間違った情報を食べて大きくなり、人を不安にさせる。人から人へと広まり、周囲を傷つけていく▼その正体は「恐怖」。日本赤十字社が「ウイルスの次にやってくるもの」と題する動画で警鐘を鳴らしている。恐怖は誰の心にもあり、不安や差別が"感染拡大"の温床になる。だから、恐怖にのみ込まれる前に、"恐怖が嫌がること"をしよう。その一つが"会えない家族や友人と電話して笑い合う"こと。「笑顔」と「日常」を取り戻せば、恐怖は逃げていく、と▼世界中の人が、見えない敵と懸命に闘っている。大変な状況が続くが、こんな時こそ皆で声を掛け合い、奮闘をたたえ合って、少しでも笑顔になれる機会をつくりたい。寄り添い、励まし合う学会員の実践が、今ほど必要な時はない▼動画は、こう結ばれている。「正しく知り、正しく恐れて、今日、わたしたちにできることを、それぞれの場所で」。日々の賢明にして忍耐強い行動で未来を開いていこう。(仁)
寸鉄 2020年5月14日
「法華経の極理とは南無妙法蓮華経是なり」御書。今日も勇猛精進の題目で
電話での会話は高齢者の認知症予防にも有効と。"心の距離"を一段と近く
換気は短時間でも小まめに行った方が効果的と。手洗い・嗽と併せて励行
街中に人出多く—データから明白。気持ちの緩み排して感染防止をさらに
大麻摘発が初の4千人、6年連続増加。心の隙に忍び入る魔物を断固撃退
☆第3代会長就任60周年記念特集——「人間革命」の証明の劇 第1回「平和の建設者」
来る5月3日は「創価学会の日」であり、池田先生の第3代会長就任から60周年の佳節である。本紙ではこれを記念し、本日付から5回にわたり、「『人間革命』の証明の劇」と題して特集を掲載。戸田先生との師弟の原点をはじめ、池田先生の文化・教育など各分野における人類貢献の業績、世界からの称賛の声を紹介する。ヨーロッパ科学芸術アカデミーのウンガー会長は"池田SGI会長は人類の未来を開く平和の指導者"と。特集の第1回は、先生の「平和の建設者」としての功績に焦点を当てる。
�「師弟の原点」
◇平和実現への遺訓「原水爆禁止宣言」 核兵器の奥の"爪"をもぎ取れ
60年にわたる池田先生の平和行動——その原動力は、若き日に戸田先生から受けた薫陶と、恩師から受け継いだ平和思想にある。
第2次世界大戦中、軍部政府の弾圧に屈せず、2年間の獄中闘争を貫いた恩師。戦後の焼け野原に一人立ったその胸には、仏法の生命尊厳の哲理を根本に、断じて平和と民衆の幸福を実現するのだとの誓いが燃えていた。
19歳で戸田先生に師事した池田先生は、恩師の思想と精神の全てを、その命に刻み付けていった。
なかでも戸田先生が"遺訓の第一"として若き弟子に託した「原水爆禁止宣言」は、池田先生が核兵器の廃絶を目指し、多彩な活動を展開する重要な原点となった。
米ソ両陣営による冷戦が激化し、世界各地で核実験が繰り返されていたさなかの1957年9月8日。青年部の東日本体育大会「若人の祭典」(横浜・三ツ沢の陸上競技場)で、戸田先生は訴えた。
「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」
仏法者としての透徹した眼から、核軍拡や原水爆の使用を正当化する思想を、人間生命の奥底に潜む魔性であると喝破。人類の生存の権利を脅かす核兵器を「魔ものであり、サタンであり、怪物」と厳しく断罪したのである。
また、戸田先生は52年に「地球民族主義」の理念を提唱。人類は地球を故郷とする一つの民族である、との思想を示した。
そして約10年にわたる「戸田大学」で、池田先生に万般の学問の個人教授が続けられた。"将来、世界の指導者と語り合えるだけの力を鍛えておくからな"——師が心血を注いだ薫陶を力に、池田先生は各国の識者と対話を重ね、世界的な平和運動のうねりを起こしていくのである。
�「建設と飛翔」
◇市民の意識啓発を推進——不戦へ各国で展示を開催
恒久平和の実現へ、池田先生のリーダーシップのもと、SGIは市民の意識変革に向けた多様な平和活動を展開してきた。
東西冷戦下の1982年に行われた第2回国連軍縮特別総会に寄せて、先生は平和提言を発表。SGIは同年、「核兵器——現代世界の脅威」展をアメリカ・ニューヨークの国連本部で開催した。以来、約6年間で16カ国25都市を巡回した。
冷戦の終結を経て、核兵器の拡散など新たな脅威が高まる中、96年には「核兵器——人類への脅威」展を開始。各国間の不信の打破に向け、対話による信頼醸成などを訴えた。同展は中南米8カ国で実施され、50万人が観賞した。
「原水爆禁止宣言」発表から50周年となった2007年には、「人間の安全保障」の視点から核兵器の問題を根本的に問い直すよう訴える「核兵器廃絶への挑戦」展をスタート。230都市以上で開催され、反響を呼んできた。
さらに、12年には国際NGO「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」と共同で「核兵器なき世界への連帯」展を作成。これまで21カ国90都市以上で開かれている。
また、人権教育では「現代世界の人権」展(1993年)や「変革の一歩」展(2017年)、環境問題では「変革の種子」展(02年)や「希望の種子」展(10年)などを通して、生命尊厳と持続可能な地球社会の建設を広く呼び掛けている。
◇地球的問題群の解決へ 研究機関を各地に設立
人類が直面する地球的問題群の解決に向けた具体的な方途を探究するべく、池田先生は学術・研究機関を設立し、人類の"英知の連帯"を広げてきた。
仏法の人間主義、生命尊厳の思想を世界に展開し、異なる宗教や文明を結ぶための機関として、1962年に「東洋哲学研究所(当時・東洋学術研究所)」を設立。93年には、アメリカに拠点を置く平和研究機関として「池田国際対話センター(当時・ボストン21世紀センター)」が発足している。
さらに96年には、戸田先生が提唱した地球民族主義や原水爆禁止宣言の理念をもとに「戸田記念国際平和研究所」を創立した。
これらの機関では、各国の研究所や学術者と協力しながら、シンポジウムや研究会議などを活発に開催している。
◇あらゆる差異を超え「対話の力」で人間を結ぶ
池田先生は第3代会長就任以来、イデオロギーや宗教、そして国家や民族などの差異を超え、「対話」の力で世界の人々を結び、平和への道を切り開いてきた。「人間」を信じ抜き、勇気の行動を貫いた60年だった。
1968年に日中国交正常化を提言。東西冷戦と中ソ対立のさなかにあった74年から75年にかけては中国、ソ連、アメリカを相次いで訪問。コスイギン首相、周恩来総理、キッシンジャー国務長官ら各国首脳と胸襟を開いて語り合い、分断の"谷"に"平和の橋"を架けていった。
74年9月のコスイギン首相との会見では、"ソ連は中国を攻撃するつもりはない"との言葉を引き出し、同年12月の訪中の際に中国の首脳に伝えるなど、両国の緊張緩和に大きな貢献を果たした。
当時、共産圏の国々を訪問することに反対する人々もいた。しかし先生は、「そこに人間がいるから」との信念で果敢に行動を続けた。
96年にはキューバへ。アメリカと緊張関係にあった同国のフィデル・カストロ国家評議会議長と会見。「核兵器は絶対に無用」との意見で一致をみた。
また先生は、イギリスの歴史学者トインビー博士をはじめ、キリスト教やイスラム教など、異なる宗教的背景を持つ学識者とも語らいを重ねてきた。その成果は、幾多の対談集に結実している。
さらに南アフリカのマンデラ大統領、アメリカ公民権運動の母パークス氏ら、平和と人道の闘士とも友誼を結んできた。こうした世界の指導者・識者との対話は、1600回を超える。
「不信」を「信頼」に。「分断」を「結合」に。そして「善の連帯」の拡大を——池田先生が重ねてきた対話の波動は今、大きな平和のうねりとなって地球に広がる。
◇1983年から「SGIの日」記念提言を毎年発表
1983年以来、池田先生は毎年、1月26日に「SGIの日」記念提言を発表してきた。本年で38回を数える。
提言では、世界の喫緊の課題について仏法の人間主義に根差した哲学的考察を行い、問題の本質に鋭く迫るとともに、解決への方途や国際的な取り組みについて具体的な提案をしている。これまで取り上げたテーマは核兵器廃絶や軍縮をはじめ人権、防災、気候変動、民族紛争、難民の問題など多岐にわたる。
提言は諸言語に翻訳されており、海外のメディアでも紹介されているほか、世界の識者や指導者から賛同の声が寄せられている。
また、提言についてのセミナーやシンポジウムも各国で活発に開かれており、「平和の世紀」を築くための指標として、国際社会に大きな影響を与えている。
�「世界が称賛」
◇パグウォッシュ会議 スワミナサン元会長 「非暴力の価値を宣揚する闘士」
池田博士は、対話を信じています。そして、対立ではなく和解を信じています。何より、博士自身が慈悲、智慧、勇気を体現されています。
ガンジー、キング、そして池田博士は、非暴力という共通の価値を宣揚する闘士です。非暴力は弱さではなく、強さの象徴であり、勇気であります。歴史を見れば明らかなように、暴力では何も成し遂げられないのです。
戸田第2代会長の遺志を受け継いだ博士は、核兵器の全廃を訴え続け、持続可能な社会を築いていくためには、核兵器の廃絶が最重要課題の一つであると述べられています。
博士の平和提言は、非常に重要な意義を担っていると確信するとともに、全人類が提言の深い意義について知らねばなりません。
(2013年9月、インドのセミナーでの講演から)
◇フィリピン最高裁判所 ダビデ元長官 「社会のため無私の精神で行動」
池田博士は、仏教の悟りと智慧を持ち、それを人類の繁栄のために、無私の精神で、全ての人と分かち合ってくださっている、天からの類いまれな贈り物です。
核戦争の脅威は、いまだ深刻な問題です。私たちは、日本が核廃絶の運動の先頭に立っていること、そして池田博士が長年にわたり、核廃絶を訴え、戦われてきたことを忘れてはなりません。
勇敢で心強き人、未来のビジョンを持つ人、人間主義の人、啓発の文化の中で育った人、そして、平和と真実と正義を愛し、掲げる人のみが、人類と世界を救うことができるのです。
牧口常三郎先生、戸田城聖先生、池田博士の精神こそが、皆さんを導く光です。池田博士を"私たちの歩みを照らす灯火"としていきましょう。
(15年3月、創価大学卒業式での祝辞から)
利他の心で人類をつなぐ
仏法哲学が輝く時。
民衆の連帯の力で
希望の社会を築こう!
乙御前母御書 P1223
『道のとをきに心ざしのあらわるるにやかれは皆男子なり権化の人のしわざなり、今御身は女人なりごんじちはしりがたしいかなる宿善にてやをはすらん』
【通解】
道の遠さに、志があらわれるのであろうか。彼らは皆男子である。仏菩薩の化身した人の行為である。今あなたは女人である。権実の教判は知りがたい身である。いかなる宿縁を持った人なのであろうか。
名字の言 「恐怖」というウイルス 2020年5月14日
ウイルスから身を守るためには?——との問い掛けで始まるアニメの動画。「きちんと手を洗うだけで、感染する確率はぐんと下がる」▼だが、ウイルスのように人を蝕むのに、心の中に潜んでいて、簡単には洗い流せないものがある。それは、暗いニュースや間違った情報を食べて大きくなり、人を不安にさせる。人から人へと広まり、周囲を傷つけていく▼その正体は「恐怖」。日本赤十字社が「ウイルスの次にやってくるもの」と題する動画で警鐘を鳴らしている。恐怖は誰の心にもあり、不安や差別が"感染拡大"の温床になる。だから、恐怖にのみ込まれる前に、"恐怖が嫌がること"をしよう。その一つが"会えない家族や友人と電話して笑い合う"こと。「笑顔」と「日常」を取り戻せば、恐怖は逃げていく、と▼世界中の人が、見えない敵と懸命に闘っている。大変な状況が続くが、こんな時こそ皆で声を掛け合い、奮闘をたたえ合って、少しでも笑顔になれる機会をつくりたい。寄り添い、励まし合う学会員の実践が、今ほど必要な時はない▼動画は、こう結ばれている。「正しく知り、正しく恐れて、今日、わたしたちにできることを、それぞれの場所で」。日々の賢明にして忍耐強い行動で未来を開いていこう。(仁)
寸鉄 2020年5月14日
「法華経の極理とは南無妙法蓮華経是なり」御書。今日も勇猛精進の題目で
電話での会話は高齢者の認知症予防にも有効と。"心の距離"を一段と近く
換気は短時間でも小まめに行った方が効果的と。手洗い・嗽と併せて励行
街中に人出多く—データから明白。気持ちの緩み排して感染防止をさらに
大麻摘発が初の4千人、6年連続増加。心の隙に忍び入る魔物を断固撃退
☆第3代会長就任60周年記念特集——「人間革命」の証明の劇 第1回「平和の建設者」
来る5月3日は「創価学会の日」であり、池田先生の第3代会長就任から60周年の佳節である。本紙ではこれを記念し、本日付から5回にわたり、「『人間革命』の証明の劇」と題して特集を掲載。戸田先生との師弟の原点をはじめ、池田先生の文化・教育など各分野における人類貢献の業績、世界からの称賛の声を紹介する。ヨーロッパ科学芸術アカデミーのウンガー会長は"池田SGI会長は人類の未来を開く平和の指導者"と。特集の第1回は、先生の「平和の建設者」としての功績に焦点を当てる。
�「師弟の原点」
◇平和実現への遺訓「原水爆禁止宣言」 核兵器の奥の"爪"をもぎ取れ
60年にわたる池田先生の平和行動——その原動力は、若き日に戸田先生から受けた薫陶と、恩師から受け継いだ平和思想にある。
第2次世界大戦中、軍部政府の弾圧に屈せず、2年間の獄中闘争を貫いた恩師。戦後の焼け野原に一人立ったその胸には、仏法の生命尊厳の哲理を根本に、断じて平和と民衆の幸福を実現するのだとの誓いが燃えていた。
19歳で戸田先生に師事した池田先生は、恩師の思想と精神の全てを、その命に刻み付けていった。
なかでも戸田先生が"遺訓の第一"として若き弟子に託した「原水爆禁止宣言」は、池田先生が核兵器の廃絶を目指し、多彩な活動を展開する重要な原点となった。
米ソ両陣営による冷戦が激化し、世界各地で核実験が繰り返されていたさなかの1957年9月8日。青年部の東日本体育大会「若人の祭典」(横浜・三ツ沢の陸上競技場)で、戸田先生は訴えた。
「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」
仏法者としての透徹した眼から、核軍拡や原水爆の使用を正当化する思想を、人間生命の奥底に潜む魔性であると喝破。人類の生存の権利を脅かす核兵器を「魔ものであり、サタンであり、怪物」と厳しく断罪したのである。
また、戸田先生は52年に「地球民族主義」の理念を提唱。人類は地球を故郷とする一つの民族である、との思想を示した。
そして約10年にわたる「戸田大学」で、池田先生に万般の学問の個人教授が続けられた。"将来、世界の指導者と語り合えるだけの力を鍛えておくからな"——師が心血を注いだ薫陶を力に、池田先生は各国の識者と対話を重ね、世界的な平和運動のうねりを起こしていくのである。
�「建設と飛翔」
◇市民の意識啓発を推進——不戦へ各国で展示を開催
恒久平和の実現へ、池田先生のリーダーシップのもと、SGIは市民の意識変革に向けた多様な平和活動を展開してきた。
東西冷戦下の1982年に行われた第2回国連軍縮特別総会に寄せて、先生は平和提言を発表。SGIは同年、「核兵器——現代世界の脅威」展をアメリカ・ニューヨークの国連本部で開催した。以来、約6年間で16カ国25都市を巡回した。
冷戦の終結を経て、核兵器の拡散など新たな脅威が高まる中、96年には「核兵器——人類への脅威」展を開始。各国間の不信の打破に向け、対話による信頼醸成などを訴えた。同展は中南米8カ国で実施され、50万人が観賞した。
「原水爆禁止宣言」発表から50周年となった2007年には、「人間の安全保障」の視点から核兵器の問題を根本的に問い直すよう訴える「核兵器廃絶への挑戦」展をスタート。230都市以上で開催され、反響を呼んできた。
さらに、12年には国際NGO「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」と共同で「核兵器なき世界への連帯」展を作成。これまで21カ国90都市以上で開かれている。
また、人権教育では「現代世界の人権」展(1993年)や「変革の一歩」展(2017年)、環境問題では「変革の種子」展(02年)や「希望の種子」展(10年)などを通して、生命尊厳と持続可能な地球社会の建設を広く呼び掛けている。
◇地球的問題群の解決へ 研究機関を各地に設立
人類が直面する地球的問題群の解決に向けた具体的な方途を探究するべく、池田先生は学術・研究機関を設立し、人類の"英知の連帯"を広げてきた。
仏法の人間主義、生命尊厳の思想を世界に展開し、異なる宗教や文明を結ぶための機関として、1962年に「東洋哲学研究所(当時・東洋学術研究所)」を設立。93年には、アメリカに拠点を置く平和研究機関として「池田国際対話センター(当時・ボストン21世紀センター)」が発足している。
さらに96年には、戸田先生が提唱した地球民族主義や原水爆禁止宣言の理念をもとに「戸田記念国際平和研究所」を創立した。
これらの機関では、各国の研究所や学術者と協力しながら、シンポジウムや研究会議などを活発に開催している。
◇あらゆる差異を超え「対話の力」で人間を結ぶ
池田先生は第3代会長就任以来、イデオロギーや宗教、そして国家や民族などの差異を超え、「対話」の力で世界の人々を結び、平和への道を切り開いてきた。「人間」を信じ抜き、勇気の行動を貫いた60年だった。
1968年に日中国交正常化を提言。東西冷戦と中ソ対立のさなかにあった74年から75年にかけては中国、ソ連、アメリカを相次いで訪問。コスイギン首相、周恩来総理、キッシンジャー国務長官ら各国首脳と胸襟を開いて語り合い、分断の"谷"に"平和の橋"を架けていった。
74年9月のコスイギン首相との会見では、"ソ連は中国を攻撃するつもりはない"との言葉を引き出し、同年12月の訪中の際に中国の首脳に伝えるなど、両国の緊張緩和に大きな貢献を果たした。
当時、共産圏の国々を訪問することに反対する人々もいた。しかし先生は、「そこに人間がいるから」との信念で果敢に行動を続けた。
96年にはキューバへ。アメリカと緊張関係にあった同国のフィデル・カストロ国家評議会議長と会見。「核兵器は絶対に無用」との意見で一致をみた。
また先生は、イギリスの歴史学者トインビー博士をはじめ、キリスト教やイスラム教など、異なる宗教的背景を持つ学識者とも語らいを重ねてきた。その成果は、幾多の対談集に結実している。
さらに南アフリカのマンデラ大統領、アメリカ公民権運動の母パークス氏ら、平和と人道の闘士とも友誼を結んできた。こうした世界の指導者・識者との対話は、1600回を超える。
「不信」を「信頼」に。「分断」を「結合」に。そして「善の連帯」の拡大を——池田先生が重ねてきた対話の波動は今、大きな平和のうねりとなって地球に広がる。
◇1983年から「SGIの日」記念提言を毎年発表
1983年以来、池田先生は毎年、1月26日に「SGIの日」記念提言を発表してきた。本年で38回を数える。
提言では、世界の喫緊の課題について仏法の人間主義に根差した哲学的考察を行い、問題の本質に鋭く迫るとともに、解決への方途や国際的な取り組みについて具体的な提案をしている。これまで取り上げたテーマは核兵器廃絶や軍縮をはじめ人権、防災、気候変動、民族紛争、難民の問題など多岐にわたる。
提言は諸言語に翻訳されており、海外のメディアでも紹介されているほか、世界の識者や指導者から賛同の声が寄せられている。
また、提言についてのセミナーやシンポジウムも各国で活発に開かれており、「平和の世紀」を築くための指標として、国際社会に大きな影響を与えている。
�「世界が称賛」
◇パグウォッシュ会議 スワミナサン元会長 「非暴力の価値を宣揚する闘士」
池田博士は、対話を信じています。そして、対立ではなく和解を信じています。何より、博士自身が慈悲、智慧、勇気を体現されています。
ガンジー、キング、そして池田博士は、非暴力という共通の価値を宣揚する闘士です。非暴力は弱さではなく、強さの象徴であり、勇気であります。歴史を見れば明らかなように、暴力では何も成し遂げられないのです。
戸田第2代会長の遺志を受け継いだ博士は、核兵器の全廃を訴え続け、持続可能な社会を築いていくためには、核兵器の廃絶が最重要課題の一つであると述べられています。
博士の平和提言は、非常に重要な意義を担っていると確信するとともに、全人類が提言の深い意義について知らねばなりません。
(2013年9月、インドのセミナーでの講演から)
◇フィリピン最高裁判所 ダビデ元長官 「社会のため無私の精神で行動」
池田博士は、仏教の悟りと智慧を持ち、それを人類の繁栄のために、無私の精神で、全ての人と分かち合ってくださっている、天からの類いまれな贈り物です。
核戦争の脅威は、いまだ深刻な問題です。私たちは、日本が核廃絶の運動の先頭に立っていること、そして池田博士が長年にわたり、核廃絶を訴え、戦われてきたことを忘れてはなりません。
勇敢で心強き人、未来のビジョンを持つ人、人間主義の人、啓発の文化の中で育った人、そして、平和と真実と正義を愛し、掲げる人のみが、人類と世界を救うことができるのです。
牧口常三郎先生、戸田城聖先生、池田博士の精神こそが、皆さんを導く光です。池田博士を"私たちの歩みを照らす灯火"としていきましょう。
(15年3月、創価大学卒業式での祝辞から)
2020年5月13日水曜日
2020.05.13 わが友に贈る
不安や脅威をあおる
根拠なき情報に注意!
責任ある発信元か
十分に確認するなど
冷静に対応しよう!
諸法実相抄 P1360
『いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』
【通解】
このたび、信心をしたからには、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であろうか。
名字の言 子どものやる気を伸ばす「しつけ」 2020年5月13日
「ステイホーム」で家族や親子で過ごす時間が増えた。教育アドバイザーが語っていた「共有型しつけ」と「強制型しつけ」を思い出した▼前者は、子どもと経験を共有しようとするタイプ。子ども自身に考える余地を残し、掛ける言葉も子どもに合わせて変える。後者は、子どもがすべきことをするまで指示しないと気が済まないタイプ。子どもに考える余地を与えず、禁止や命令、強制的な言葉掛けになることが多い▼実際は区別できない場合もあろうが、大切なのは「強制型しつけ」ばかりでは人は伸びないということ。叱られながら渋々行動するより、自ら進んで行動するほうが身に付くのは大人も同じだ▼ある詩人が"言葉の原則"を教えてくれた。「うれしい言葉は流れやすいからたくさん言う」「つらい言葉は1回か2回で止める」。この原則を実践すれば自分の周囲はもっと明るくなります、と。言葉とは、それを発する人の"心のまなざし"であり、たとえその言葉が本意でなくても、そのまなざしで相手と向き合おうとする姿勢は確実に伝わる▼御書に「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」(1492ページ)と。人と人の距離を取ることが求められるからこそ、心の距離を近づける言葉を届けよう。(川)
寸鉄 2020年5月13日
御聖訓「其の身を任せて金言の如く修行せば」。困難は必ず境涯開く糧と
本物の宗教とは人と人とを結び付けるもの—博士電話も大きな励ましの力
読んだ本の感想を親子で語り合う—これが創造性を育むと。共々に挑戦!
お金の話の電話は詐欺—警察。給付金への便乗に警戒絶やさず。声掛けを
マスクは熱がこもるゆえ例年以上に熱中症の注意が必要と。水分小まめに
☆未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ 中等部長 利倉弘さん
〈池田先生の言葉〉
一番、大切なことは、「考える力」を養っていくことです。それは、「言葉にする力」と言ってよい。情報に翻弄されるのではなく、逆に情報を生かしながら、自分の気持ちや考えを、自分の言葉にして練り上げていくことです。
戸田先生は常々、「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」と語っておられました。
名著は人類の共通の財産です。それを心に刻んでおくことは、どんな人とも自在に語り合える力になります。
(『未来対話』183ページ)
◇読書で豊かな心を育もう
「読書に挑戦しましょう」——未来部の皆さんは、家族や学校の先生から、一度は言われたことがあるのではないでしょうか。私も未来部時代、そう言われた一人です。
しかし、本を読むのが苦手で、"読書の時間があるのなら、友だちと遊びに行く方が楽しい"と思っていました。
転機は関西創価高校に進学後、池田先生のスピーチを学んでいた時でした。そこで先生は、作家・吉川英治の小説『宮本武蔵』の一節を紹介。「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」との言葉を通し、励ましを送られていたのです。
この部分に触れた時、自宅に同じ本があることを、ふと思い出しました。どんな内容か気になった私は、帰宅するとすぐに本を手に取り、読み始めました。
いつもなら途中で諦めてしまうのが、臨場感あふれるストーリーに引き込まれ、その日のうちに1巻を読み終えました。次の話も気になり、どんどん読み進めていくと、1カ月もしないで全巻を読了できたのです。生まれて初めて"本を読むことが楽しい"と感じました。
それからは、"池田先生が紹介された本を読んでみよう"と決意。片道2時間以上かかる通学時間は、有意義な読書時間へと変わり、『モンテ・クリスト伯』『レ・ミゼラブル』などの名著にも挑戦していきました。さまざまな世界に思いをはせ、心を養える読書は、私にとって、かけがえのない"宝のひととき"になっていきました。
◇「本は知識と感動と勇気をくれる」
池田先生は「『本の発明』は、人類の歴史の中で、最大の発明の一つです。この発明品の『使い方』『楽しみ方』を覚えたら、もう人生は、最大の武器を手に入れたようなものだ。本は知識をくれる。本は感動をくれる。本は勇気をくれる。本は思いやりをくれる。本を読む習慣さえ身につけておけば、その人の道に『希望』が消えることはないのです」と教えてくださっています。
今、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、友だちとも思うように会えず、一人で過ごす時間が増えているメンバーも多いと思います。
このような時だからこそ、読書を通して新しい世界へ一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。まずは家にある本を開いてみてください。身近な本が自分の人生を変えてくれる、かけがえのない一書になるかもしれません。私も皆さんと一緒に読書に励み、豊かな心を育んでいきます!
根拠なき情報に注意!
責任ある発信元か
十分に確認するなど
冷静に対応しよう!
諸法実相抄 P1360
『いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』
【通解】
このたび、信心をしたからには、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であろうか。
名字の言 子どものやる気を伸ばす「しつけ」 2020年5月13日
「ステイホーム」で家族や親子で過ごす時間が増えた。教育アドバイザーが語っていた「共有型しつけ」と「強制型しつけ」を思い出した▼前者は、子どもと経験を共有しようとするタイプ。子ども自身に考える余地を残し、掛ける言葉も子どもに合わせて変える。後者は、子どもがすべきことをするまで指示しないと気が済まないタイプ。子どもに考える余地を与えず、禁止や命令、強制的な言葉掛けになることが多い▼実際は区別できない場合もあろうが、大切なのは「強制型しつけ」ばかりでは人は伸びないということ。叱られながら渋々行動するより、自ら進んで行動するほうが身に付くのは大人も同じだ▼ある詩人が"言葉の原則"を教えてくれた。「うれしい言葉は流れやすいからたくさん言う」「つらい言葉は1回か2回で止める」。この原則を実践すれば自分の周囲はもっと明るくなります、と。言葉とは、それを発する人の"心のまなざし"であり、たとえその言葉が本意でなくても、そのまなざしで相手と向き合おうとする姿勢は確実に伝わる▼御書に「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」(1492ページ)と。人と人の距離を取ることが求められるからこそ、心の距離を近づける言葉を届けよう。(川)
寸鉄 2020年5月13日
御聖訓「其の身を任せて金言の如く修行せば」。困難は必ず境涯開く糧と
本物の宗教とは人と人とを結び付けるもの—博士電話も大きな励ましの力
読んだ本の感想を親子で語り合う—これが創造性を育むと。共々に挑戦!
お金の話の電話は詐欺—警察。給付金への便乗に警戒絶やさず。声掛けを
マスクは熱がこもるゆえ例年以上に熱中症の注意が必要と。水分小まめに
☆未来の宝と共に 池田先生の書籍に学ぶ 中等部長 利倉弘さん
〈池田先生の言葉〉
一番、大切なことは、「考える力」を養っていくことです。それは、「言葉にする力」と言ってよい。情報に翻弄されるのではなく、逆に情報を生かしながら、自分の気持ちや考えを、自分の言葉にして練り上げていくことです。
戸田先生は常々、「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」と語っておられました。
名著は人類の共通の財産です。それを心に刻んでおくことは、どんな人とも自在に語り合える力になります。
(『未来対話』183ページ)
◇読書で豊かな心を育もう
「読書に挑戦しましょう」——未来部の皆さんは、家族や学校の先生から、一度は言われたことがあるのではないでしょうか。私も未来部時代、そう言われた一人です。
しかし、本を読むのが苦手で、"読書の時間があるのなら、友だちと遊びに行く方が楽しい"と思っていました。
転機は関西創価高校に進学後、池田先生のスピーチを学んでいた時でした。そこで先生は、作家・吉川英治の小説『宮本武蔵』の一節を紹介。「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」との言葉を通し、励ましを送られていたのです。
この部分に触れた時、自宅に同じ本があることを、ふと思い出しました。どんな内容か気になった私は、帰宅するとすぐに本を手に取り、読み始めました。
いつもなら途中で諦めてしまうのが、臨場感あふれるストーリーに引き込まれ、その日のうちに1巻を読み終えました。次の話も気になり、どんどん読み進めていくと、1カ月もしないで全巻を読了できたのです。生まれて初めて"本を読むことが楽しい"と感じました。
それからは、"池田先生が紹介された本を読んでみよう"と決意。片道2時間以上かかる通学時間は、有意義な読書時間へと変わり、『モンテ・クリスト伯』『レ・ミゼラブル』などの名著にも挑戦していきました。さまざまな世界に思いをはせ、心を養える読書は、私にとって、かけがえのない"宝のひととき"になっていきました。
◇「本は知識と感動と勇気をくれる」
池田先生は「『本の発明』は、人類の歴史の中で、最大の発明の一つです。この発明品の『使い方』『楽しみ方』を覚えたら、もう人生は、最大の武器を手に入れたようなものだ。本は知識をくれる。本は感動をくれる。本は勇気をくれる。本は思いやりをくれる。本を読む習慣さえ身につけておけば、その人の道に『希望』が消えることはないのです」と教えてくださっています。
今、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、友だちとも思うように会えず、一人で過ごす時間が増えているメンバーも多いと思います。
このような時だからこそ、読書を通して新しい世界へ一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。まずは家にある本を開いてみてください。身近な本が自分の人生を変えてくれる、かけがえのない一書になるかもしれません。私も皆さんと一緒に読書に励み、豊かな心を育んでいきます!
2020年5月12日火曜日
2020.05.12 わが友に贈る
人のために灯をともせば
自分の前も明るくなる。
身近な同志や友人に
希望と安心を広げよう。
自他共に輝く人生を!
日女御前御返事 P1250
『女人の御身として法華経の御命をつがせ給うは釈迦多宝十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人一閻浮提に有るべしや』
【通解】
女性の身として(法華経を信仰し)法華経のお命を継いでおられることは、釈迦仏、多宝仏、全宇宙の諸仏を生み育まれた父母のお命を継いでおられることになるのです。このような功徳をもっている人は、世界中に、ほかにいるでしょうか。
名字の言 塗り絵の意外な効果とは? 2020年5月12日
「少年少女きぼう新聞」4月号で、題字の「KIBOU」のロゴマークを塗り絵にして、作品を募集したところ、全国から300を超える応募があった▼さらに5月号では、同紙の連載漫画「ツボミチャン」の塗り絵を掲載。続々と作品が届いている。塗り絵は、いつの時代も、子どもたちの好奇心を刺激してやまないのだろう▼近年の"脳トレ"ブームもあって、塗り絵は大人にも人気がある。医学博士の米山公啓さんは本紙で、塗り絵の工程には、大脳の各部を活性化させる効果があると語っていた。例えば、どの色を使うかを考えたり、指先を動かしたりすれば「前頭葉」が、色の強弱や全体のバランスを考えれば「頭頂葉」が活発になるという▼世界各国の美術館・博物館では最近、自宅で過ごす人のためにと、所蔵品などを基にした塗り絵をインターネットに公開し、無料でダウンロードできるようにしている。ニューヨーク近代美術館は「楽しみをもたらしながら、個人の創造的な変革を引き起こすこともできる」とコメントした▼コロナ禍でライフスタイルが見直される今、「個」の知恵と工夫、想像力が問われている。"自宅発"の価値創造の挑戦で、日々を活性化させていきたい。その積み重ねから、新しい「希望」が生まれる。(朋)
寸鉄 2020年5月12日
学会員は心と心結ぶ共生時代の象徴—香港識者。我らの声で地域に活力を
「成仏は持つにあり」御書苦しい時こそ腹を決めて題目。これが常勝の師子
指導集『幸福の花束�』に感動の声が続々。創価の母はどこまでも師と共に
国際看護師の日。生命を守り支える白樺の献身に最敬礼。どうか健康で!
「ありがとう」と言われると幸福感が高まる—研究感謝の一言も大切な激励
☆心に御書を 第41回 母たちと五月晴れの笑顔を
〈御文〉
『但法華経計りこそ女人成仏・悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば・悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願ず』(千日尼御前御返事、1311ページ)
〈通解〉
ただ法華経だけが女人成仏を明かし、悲母の恩を報ずる真実の報恩経であると日蓮は見極めたので、悲母の恩を報ずるために、法華経の題目を一切の女人に唱えさせようと願ったのである。
〈池田先生が贈る指針〉
全ての女性に幸福の花束を! 御本仏の悲願のままに、生命尊厳の哲理と慈悲のスクラムは今、地球を包み始めた。
広布の母たち女性たちの題目が、いやまして力強く世界中で響いている。この妙法の功力はまさに宇宙大だ。
偉大な母たちへの尽きせぬ感謝を勇気に変え、今日も前へ! 五月晴れの笑顔を共々に!
自分の前も明るくなる。
身近な同志や友人に
希望と安心を広げよう。
自他共に輝く人生を!
日女御前御返事 P1250
『女人の御身として法華経の御命をつがせ給うは釈迦多宝十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人一閻浮提に有るべしや』
【通解】
女性の身として(法華経を信仰し)法華経のお命を継いでおられることは、釈迦仏、多宝仏、全宇宙の諸仏を生み育まれた父母のお命を継いでおられることになるのです。このような功徳をもっている人は、世界中に、ほかにいるでしょうか。
名字の言 塗り絵の意外な効果とは? 2020年5月12日
「少年少女きぼう新聞」4月号で、題字の「KIBOU」のロゴマークを塗り絵にして、作品を募集したところ、全国から300を超える応募があった▼さらに5月号では、同紙の連載漫画「ツボミチャン」の塗り絵を掲載。続々と作品が届いている。塗り絵は、いつの時代も、子どもたちの好奇心を刺激してやまないのだろう▼近年の"脳トレ"ブームもあって、塗り絵は大人にも人気がある。医学博士の米山公啓さんは本紙で、塗り絵の工程には、大脳の各部を活性化させる効果があると語っていた。例えば、どの色を使うかを考えたり、指先を動かしたりすれば「前頭葉」が、色の強弱や全体のバランスを考えれば「頭頂葉」が活発になるという▼世界各国の美術館・博物館では最近、自宅で過ごす人のためにと、所蔵品などを基にした塗り絵をインターネットに公開し、無料でダウンロードできるようにしている。ニューヨーク近代美術館は「楽しみをもたらしながら、個人の創造的な変革を引き起こすこともできる」とコメントした▼コロナ禍でライフスタイルが見直される今、「個」の知恵と工夫、想像力が問われている。"自宅発"の価値創造の挑戦で、日々を活性化させていきたい。その積み重ねから、新しい「希望」が生まれる。(朋)
寸鉄 2020年5月12日
学会員は心と心結ぶ共生時代の象徴—香港識者。我らの声で地域に活力を
「成仏は持つにあり」御書苦しい時こそ腹を決めて題目。これが常勝の師子
指導集『幸福の花束�』に感動の声が続々。創価の母はどこまでも師と共に
国際看護師の日。生命を守り支える白樺の献身に最敬礼。どうか健康で!
「ありがとう」と言われると幸福感が高まる—研究感謝の一言も大切な激励
☆心に御書を 第41回 母たちと五月晴れの笑顔を
〈御文〉
『但法華経計りこそ女人成仏・悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば・悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願ず』(千日尼御前御返事、1311ページ)
〈通解〉
ただ法華経だけが女人成仏を明かし、悲母の恩を報ずる真実の報恩経であると日蓮は見極めたので、悲母の恩を報ずるために、法華経の題目を一切の女人に唱えさせようと願ったのである。
〈池田先生が贈る指針〉
全ての女性に幸福の花束を! 御本仏の悲願のままに、生命尊厳の哲理と慈悲のスクラムは今、地球を包み始めた。
広布の母たち女性たちの題目が、いやまして力強く世界中で響いている。この妙法の功力はまさに宇宙大だ。
偉大な母たちへの尽きせぬ感謝を勇気に変え、今日も前へ! 五月晴れの笑顔を共々に!
2020年5月11日月曜日
2020.05.11 わが友に贈る
◇今週のことば
「友の喜び友の歎き
一つなり」
学会家族の絆こそ
全てを乗り越える力だ。
共々に励ましの薫風を!
2020年5月11日
椎地四郎殿御書 P1448
『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや』
【通解】
末法には法華経の行者が必ず出現する。ただし大難が起こったならば、強盛の信心で、いよいよ喜んでいくのである。火に薪を加えれば、燃え盛らないことがあろうか。
名字の言 経営コンサルタント・吉岡憲章さん。愚痴を一瞬で消す方法 2020年5月11日
負債の返済や闘病を経て、70歳で大学院へ。猛勉強を重ね、77歳で博士号を取得した経営コンサルタントの吉岡憲章さんが、第二の人生を充実させる秘訣を語っている(「潮」6月号)▼人は年齢を重ねると、つい過去の"手柄話"が多くなりがち。吉岡さんは友人と話す時には「昔話はやめよう。未来の話をしよう」と呼び掛ける。自分が未来を見据えた話をすれば「同じように前向きな話ができる良い仲間ができてくる」と▼さらに、愚痴っぽい話になりそうな時には、こう問い掛けてみる。「その話、孫にどう話す?」。すると皆、「おっ、これではいかん」と、背筋がシャンとするという。「心がけ一つで、どんな形でも周囲に付加価値を生む人生を送ることはできます」——あらゆる世代に通じる、自他共に高め合うヒントといえよう▼いたずらに不安をあおるような情報が氾濫する昨今。それに埋没すれば、かつての日常への憧憬が浮かぶばかりで、心は満たされまい。今の悩みを分かち合う友の存在や、明日への希望を語る「声」が求められている▼5月は「励まし月間」。「声掛け」に大切なのは、まず「心掛け」である。電話でもオンラインでもメールでも、一緒に新たな一歩を踏み出せるような気配りと、真心の声を届けたい。(値)
寸鉄 2020年5月11日
「法華経の一字は大地の如し万物を出生す」御書。強き祈りで新しい発想を
学会HPの会長就任60周年特設ページが大好評。無上の師弟道を歩む誉れ
偉大な仕事は未来に必ず証明される—文豪。創立100周年へ異体同心の前進
「滋賀婦人部の日」。地域に勇気と希望を!美しき湖国に光る幸福の太陽よ
自転車運転中に6割以上がヒヤリ経験。出合い頭等に注意。安全確認徹底
☆心に御書を 第40回 希望の大空へ羽ばたけ
〈御文〉
『貴辺は日本国・第一の孝養の人なり・梵天・帝釈をり下りて左右の羽となり・四方の地神は足をいただいて父母とあをぎ給うらん』(上野殿御返事、1564ページ)
〈通解〉
あなた(南条時光)は、日本国第一の孝養の人である。梵天・帝釈は、天から降りくだって左右の羽となり、四方の地神は、あなたの足をいただいて父母と仰ぐことであろう。
〈池田先生が贈る指針〉
若き南条時光は熱原の法難にも屈しなかった。信心を受け継ぎ、広布の大願を貫くことは第一の正義であり、親孝行だ。
御本仏は、世界中の未来部を、どれほど讃えてくださるであろうか。
試練の今この時、真剣に祈り、学び鍛える創価後継の友が、人類の仰ぎ見る希望のリーダーとして羽ばたくことを、私は信じてやまない。
☆「5・3」に寄せて 原田会長の談話
◇時代を開く「偉大な一歩」を
一、世界の同志の皆さま、池田先生の第3代会長ご就任から60周年となる栄光の5月3日「創価学会の日」、ならびに「創価学会母の日」、誠におめでとうございます。
今、新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威を振るっております。亡くなられた全ての方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、闘病中の方に心からのお見舞いを申し上げます。
こうした中で、無冠の友の皆さまをはじめ、広布のための行動を、はつらつと貫いてくださっている皆さまに厚く御礼を申し上げます。皆さまの無事故とご健康を、よりいっそう、真剣に祈ってまいります。また、ドクター部や白樺の友をはじめ、医療機関で従事してくださっている方々の献身にも、皆で最大の賞讃を送りたいと思います。
一、60年前の「5・3」、池田先生は会長就任式で"化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執る"と宣言されました。また、30巻にも及んだ不滅の師弟の大叙事詩・小説『新・人間革命』の冒頭では「平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」と綴られました。
池田先生が勇猛精進された広宣流布の「一歩」、平和への「一歩」は、今や世界の地涌の同志による希望の行進となり、192カ国・地域で幸の連帯を広げています。60年前、先生の歩み出された「一歩」こそ、人類の宿命の転換をも可能にする「偉大な一歩」であったと確信いたします。
私たちは先生の不惜身命のご闘争に心から感謝するとともに、先生の「一歩」が21世紀を開いた——全世界の人々に、こう謳われる時代を、真実を語り抜く弟子の闘争で、必ずや開いてまいりたいと思います。
一、『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章には1961年、先生が「立正安国論」の講義をされる模様が綴られています。日蓮大聖人が「立正安国論」を上呈された当時と同様、この61年も自然災害や疫病が猛威を振るっていました。
「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書31ページ)——この御聖訓を拝しながら、先生は次のように講義されました。
「ここには、仏法者の姿勢が明確に示されている。自分の安らぎのみを願って、自己の世界にこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます」「世の中の繁栄と平和を築いていく要諦は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人ひとりの生命の変革による"個"の確立にあります」
社会が、また一人一人が不安を抱えている今だからこそ、私たちには「四表の静謐」を祈り抜く使命がある。その平和と安穏への大確信の祈りこそが、人類を新たな時代へと導く「偉大な一歩」となる——こう確信いたします。
まずは、一人一人が信心をしているからこその聡明さで、また、慎重さで、常識豊かに健康を守り、たとえ会えなくても、電話で、はがきで、メールで、SNSで、あの友この友に希望を送ってまいりたい。そして、この新たな人類の脅威を乗り越えた先に、いつでもどこでも、妙法でつながっている世界の池田門下と共に、「大悪を(起)これば大善きたる」(同1300ページ)、「大正法必ずひろまるべし」(同)——この御金言の正しさを、厳然と示しゆこうではありませんか。
また、元気にお会いしましょう!
「友の喜び友の歎き
一つなり」
学会家族の絆こそ
全てを乗り越える力だ。
共々に励ましの薫風を!
2020年5月11日
椎地四郎殿御書 P1448
『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや』
【通解】
末法には法華経の行者が必ず出現する。ただし大難が起こったならば、強盛の信心で、いよいよ喜んでいくのである。火に薪を加えれば、燃え盛らないことがあろうか。
名字の言 経営コンサルタント・吉岡憲章さん。愚痴を一瞬で消す方法 2020年5月11日
負債の返済や闘病を経て、70歳で大学院へ。猛勉強を重ね、77歳で博士号を取得した経営コンサルタントの吉岡憲章さんが、第二の人生を充実させる秘訣を語っている(「潮」6月号)▼人は年齢を重ねると、つい過去の"手柄話"が多くなりがち。吉岡さんは友人と話す時には「昔話はやめよう。未来の話をしよう」と呼び掛ける。自分が未来を見据えた話をすれば「同じように前向きな話ができる良い仲間ができてくる」と▼さらに、愚痴っぽい話になりそうな時には、こう問い掛けてみる。「その話、孫にどう話す?」。すると皆、「おっ、これではいかん」と、背筋がシャンとするという。「心がけ一つで、どんな形でも周囲に付加価値を生む人生を送ることはできます」——あらゆる世代に通じる、自他共に高め合うヒントといえよう▼いたずらに不安をあおるような情報が氾濫する昨今。それに埋没すれば、かつての日常への憧憬が浮かぶばかりで、心は満たされまい。今の悩みを分かち合う友の存在や、明日への希望を語る「声」が求められている▼5月は「励まし月間」。「声掛け」に大切なのは、まず「心掛け」である。電話でもオンラインでもメールでも、一緒に新たな一歩を踏み出せるような気配りと、真心の声を届けたい。(値)
寸鉄 2020年5月11日
「法華経の一字は大地の如し万物を出生す」御書。強き祈りで新しい発想を
学会HPの会長就任60周年特設ページが大好評。無上の師弟道を歩む誉れ
偉大な仕事は未来に必ず証明される—文豪。創立100周年へ異体同心の前進
「滋賀婦人部の日」。地域に勇気と希望を!美しき湖国に光る幸福の太陽よ
自転車運転中に6割以上がヒヤリ経験。出合い頭等に注意。安全確認徹底
☆心に御書を 第40回 希望の大空へ羽ばたけ
〈御文〉
『貴辺は日本国・第一の孝養の人なり・梵天・帝釈をり下りて左右の羽となり・四方の地神は足をいただいて父母とあをぎ給うらん』(上野殿御返事、1564ページ)
〈通解〉
あなた(南条時光)は、日本国第一の孝養の人である。梵天・帝釈は、天から降りくだって左右の羽となり、四方の地神は、あなたの足をいただいて父母と仰ぐことであろう。
〈池田先生が贈る指針〉
若き南条時光は熱原の法難にも屈しなかった。信心を受け継ぎ、広布の大願を貫くことは第一の正義であり、親孝行だ。
御本仏は、世界中の未来部を、どれほど讃えてくださるであろうか。
試練の今この時、真剣に祈り、学び鍛える創価後継の友が、人類の仰ぎ見る希望のリーダーとして羽ばたくことを、私は信じてやまない。
☆「5・3」に寄せて 原田会長の談話
◇時代を開く「偉大な一歩」を
一、世界の同志の皆さま、池田先生の第3代会長ご就任から60周年となる栄光の5月3日「創価学会の日」、ならびに「創価学会母の日」、誠におめでとうございます。
今、新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威を振るっております。亡くなられた全ての方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、闘病中の方に心からのお見舞いを申し上げます。
こうした中で、無冠の友の皆さまをはじめ、広布のための行動を、はつらつと貫いてくださっている皆さまに厚く御礼を申し上げます。皆さまの無事故とご健康を、よりいっそう、真剣に祈ってまいります。また、ドクター部や白樺の友をはじめ、医療機関で従事してくださっている方々の献身にも、皆で最大の賞讃を送りたいと思います。
一、60年前の「5・3」、池田先生は会長就任式で"化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執る"と宣言されました。また、30巻にも及んだ不滅の師弟の大叙事詩・小説『新・人間革命』の冒頭では「平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」と綴られました。
池田先生が勇猛精進された広宣流布の「一歩」、平和への「一歩」は、今や世界の地涌の同志による希望の行進となり、192カ国・地域で幸の連帯を広げています。60年前、先生の歩み出された「一歩」こそ、人類の宿命の転換をも可能にする「偉大な一歩」であったと確信いたします。
私たちは先生の不惜身命のご闘争に心から感謝するとともに、先生の「一歩」が21世紀を開いた——全世界の人々に、こう謳われる時代を、真実を語り抜く弟子の闘争で、必ずや開いてまいりたいと思います。
一、『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章には1961年、先生が「立正安国論」の講義をされる模様が綴られています。日蓮大聖人が「立正安国論」を上呈された当時と同様、この61年も自然災害や疫病が猛威を振るっていました。
「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書31ページ)——この御聖訓を拝しながら、先生は次のように講義されました。
「ここには、仏法者の姿勢が明確に示されている。自分の安らぎのみを願って、自己の世界にこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます」「世の中の繁栄と平和を築いていく要諦は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人ひとりの生命の変革による"個"の確立にあります」
社会が、また一人一人が不安を抱えている今だからこそ、私たちには「四表の静謐」を祈り抜く使命がある。その平和と安穏への大確信の祈りこそが、人類を新たな時代へと導く「偉大な一歩」となる——こう確信いたします。
まずは、一人一人が信心をしているからこその聡明さで、また、慎重さで、常識豊かに健康を守り、たとえ会えなくても、電話で、はがきで、メールで、SNSで、あの友この友に希望を送ってまいりたい。そして、この新たな人類の脅威を乗り越えた先に、いつでもどこでも、妙法でつながっている世界の池田門下と共に、「大悪を(起)これば大善きたる」(同1300ページ)、「大正法必ずひろまるべし」(同)——この御金言の正しさを、厳然と示しゆこうではありませんか。
また、元気にお会いしましょう!
2020年5月10日日曜日
2020.05.15 わが友に贈る
たった一言でも
幸せを願う真心は
必ず相手に通じる。
電話やメール等を使い
安心の声を届けよう!
上野殿御消息 P1527
『四に劣れる者に慈悲あれとは我より劣りたらん人をば我が子の如く思いて一切あはれみ慈悲あるべし』
【通解】
四徳のうちの四つ目に、劣った者に慈悲を持てとあるのは、自分より弱い人には、我が子のように思ってすべてをいとおしみ、慈悲をそそぐべきであるということである。
名字の言 "一人も孤独にしない"のが宗教の役割 2020年5月10日
あるベテラン支部長が20代で入会した頃のことを語ってくれた。周囲の無理解に苦しんだが、創価班時代、池田先生から贈られた句が支えとなったという。「寒風に/一人立ちたり/創価班」。それを胸に今も戦っている、と▼かつて配達員の方からお便りを頂いた。彼女は当初、配達は"孤独な戦い"と思っていた。しかし、ある朝、先生が配達員に贈った和歌を読む。「仲間たち/皆が休める/その時に/明け方 走りし/苦難の勇者よ」。彼女は思った。"先生がいる。孤独じゃない"▼友に会うために全国・世界を駆け巡ってきた池田先生。さらに、会えない人にこそ励ましをと、命を削るように執筆活動を。詩や和歌や句に託して、時に撮影した写真、自らの声やピアノ演奏を録音して思いを届けた。"一人も不幸にしない"との祈りを行動へと変えていった▼新型コロナウイルスの脅威が続く今、国際協力に詳しい毛受敏浩氏は、危機の中でも他者の苦しみを思う想像力が重要と言う(4月29日付)。多様な他者との信頼と協力こそ、ウイルスと闘う力になるからだ▼人々の心と心をつないでいく要となることが宗教に求められている。その根本は、一人への励まし。先生の連続闘争の60年に学び、希望の言葉を届ける挑戦を誓う。(進)
寸鉄 2020年5月10日
会長の詩を読むと今日もベストを尽くそうと思う—博士。我らも心に刻み
苦難を越えた時にすごい力が出るのだ—戸田先生不屈の負けじ魂で共々に
混沌の時代は創造の時代—教育者。創価とは価値創造。皆の智慧の見せ所
「母の日」の嬉しい贈り物—「家族と過ごす時間」が1位。感謝の言葉も添え
自宅での災害への備え、8割が「不十分」と回答。気付いた時が行動の契機
☆心に御書を 第39回 我らは久遠からの誓願の家族
〈御文〉
『日蓮こいしく・をはせば常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををがませ給え、いつとなく日月にかげをうかぶる身なり』(国府尼御前御書、1325ページ)
〈通解〉
日蓮を恋しく思われるならば、常に出る太陽、夕べに出る月を拝されるがよい。私は、いつでも日月に姿を浮かべる身なのである。
〈池田先生が贈る指針〉
遠く離れた佐渡の多宝の母へのお手紙である。
いかなる時も、我らは御本仏と共に地涌の誓願に生きる。たとえ会えなくても、全世界の学会家族の心は久遠からの絆で結ばれている。
太陽や月という天の明鏡に異体同心のスクラムを映しながら、妙法の広布の旅を共々に征こう! 偉大な創価の母たちを中心に!
☆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第3回「大阪の戦い」の金字塔
威風堂々たる「勇戦」の書。縦1・7メートル。日付は「三月十八日」。1983年(昭和58年)のこの日、関西文化会館で揮毫された。
この年から27年前の「大阪の戦い」で、先生は、「勇戦」の書を同志に書き贈っていた。それを長らく保管していた同志が真心を込め、"お返ししたい"と申し出た。"その代わりに"と、池田先生が改めて筆を振るったのが、この「勇戦」の書である。
"これからも、共に勇気を奮い起こして戦い勝とう"——師弟の闘魂が脈打つこの二字に触れると、どんな嵐をも、必ず勝ち越えようとの決意が燃え上がる。
「大阪の戦い」——それは、56年(同31年)の年頭、池田先生が大阪を訪れ、勢いよく始まった。
学会はこの頃、約30万世帯。恩師の悲願であった75万世帯の弘教を成就するには、関西に民衆の大連帯を築かねばならなかった。
青年部の室長だった池田先生は前年10月、戸田先生から大阪派遣を命じられた。師の心を誰よりも知る弟子は、広布開拓の活路を開こうと、覚悟を決めた。「私の使命はただ一つ。この関西に、難攻不落の錦州城を築くことであった。そのために、私は全生命をなげうって、断じて勝ってみせるとの決心であった」
大車輪の戦いが始まった。
焦点は、強盛な祈りを根本に、徹底して信心の闘士を育てることだった。
毎朝、関西本部で御書講義を行い、仏法の確信を烈々と語った。夜まで一軒一軒、駆け巡った。「行く先々で『まだ、時間がある』『まだ、励ませる』と動くうち、日に二十五、六会場を回ったこともある」と池田先生は述懐。
誰もが口々に、"あんなに楽しかった戦いはない"と振り返った。
池田先生は時間を惜しんで、はがきや手紙にペンを走らせた。「一念に億劫の辛労」を尽くして祈り、会えない友とも心を結んだ。
「立ち止まることもできず、手を振り、目で挨拶を交わしながら、心で題目を送った時もある。
たとえ一瞬でも、心が触れ合えば、『仏縁』を結ぶことができる。ただ通り過ぎてしまえば、何も価値は生まれない」
大阪支部は3月、広布の歴史で初となる"一支部で5000世帯以上"の弘教を達成する。
魔も蠢動した。新聞が「暴力宗教」等と書き立てた。
池田先生は、いよいよ勇み立った。"「三障四魔紛然として競い起る」だ。学会が正しい証明だ"
迎えた5月、圧巻の金字塔となる1万1111世帯の弘教を成就したのである。
そして、師弟の無限の力を証明し、「"まさか"が実現」と世間をあっと言わせた、参院選の大阪での大勝利。偉大なる歴史を今、世界中の同志が、小説『人間革命』第10巻を通して学ぶ。
常勝の「カンサイ・スピリット(関西魂)」は、世界のあの地この地で、試練に立ち向かう友の心に「勇戦」の炎をともしている。
幸せを願う真心は
必ず相手に通じる。
電話やメール等を使い
安心の声を届けよう!
上野殿御消息 P1527
『四に劣れる者に慈悲あれとは我より劣りたらん人をば我が子の如く思いて一切あはれみ慈悲あるべし』
【通解】
四徳のうちの四つ目に、劣った者に慈悲を持てとあるのは、自分より弱い人には、我が子のように思ってすべてをいとおしみ、慈悲をそそぐべきであるということである。
名字の言 "一人も孤独にしない"のが宗教の役割 2020年5月10日
あるベテラン支部長が20代で入会した頃のことを語ってくれた。周囲の無理解に苦しんだが、創価班時代、池田先生から贈られた句が支えとなったという。「寒風に/一人立ちたり/創価班」。それを胸に今も戦っている、と▼かつて配達員の方からお便りを頂いた。彼女は当初、配達は"孤独な戦い"と思っていた。しかし、ある朝、先生が配達員に贈った和歌を読む。「仲間たち/皆が休める/その時に/明け方 走りし/苦難の勇者よ」。彼女は思った。"先生がいる。孤独じゃない"▼友に会うために全国・世界を駆け巡ってきた池田先生。さらに、会えない人にこそ励ましをと、命を削るように執筆活動を。詩や和歌や句に託して、時に撮影した写真、自らの声やピアノ演奏を録音して思いを届けた。"一人も不幸にしない"との祈りを行動へと変えていった▼新型コロナウイルスの脅威が続く今、国際協力に詳しい毛受敏浩氏は、危機の中でも他者の苦しみを思う想像力が重要と言う(4月29日付)。多様な他者との信頼と協力こそ、ウイルスと闘う力になるからだ▼人々の心と心をつないでいく要となることが宗教に求められている。その根本は、一人への励まし。先生の連続闘争の60年に学び、希望の言葉を届ける挑戦を誓う。(進)
寸鉄 2020年5月10日
会長の詩を読むと今日もベストを尽くそうと思う—博士。我らも心に刻み
苦難を越えた時にすごい力が出るのだ—戸田先生不屈の負けじ魂で共々に
混沌の時代は創造の時代—教育者。創価とは価値創造。皆の智慧の見せ所
「母の日」の嬉しい贈り物—「家族と過ごす時間」が1位。感謝の言葉も添え
自宅での災害への備え、8割が「不十分」と回答。気付いた時が行動の契機
☆心に御書を 第39回 我らは久遠からの誓願の家族
〈御文〉
『日蓮こいしく・をはせば常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををがませ給え、いつとなく日月にかげをうかぶる身なり』(国府尼御前御書、1325ページ)
〈通解〉
日蓮を恋しく思われるならば、常に出る太陽、夕べに出る月を拝されるがよい。私は、いつでも日月に姿を浮かべる身なのである。
〈池田先生が贈る指針〉
遠く離れた佐渡の多宝の母へのお手紙である。
いかなる時も、我らは御本仏と共に地涌の誓願に生きる。たとえ会えなくても、全世界の学会家族の心は久遠からの絆で結ばれている。
太陽や月という天の明鏡に異体同心のスクラムを映しながら、妙法の広布の旅を共々に征こう! 偉大な創価の母たちを中心に!
☆第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第3回「大阪の戦い」の金字塔
威風堂々たる「勇戦」の書。縦1・7メートル。日付は「三月十八日」。1983年(昭和58年)のこの日、関西文化会館で揮毫された。
この年から27年前の「大阪の戦い」で、先生は、「勇戦」の書を同志に書き贈っていた。それを長らく保管していた同志が真心を込め、"お返ししたい"と申し出た。"その代わりに"と、池田先生が改めて筆を振るったのが、この「勇戦」の書である。
"これからも、共に勇気を奮い起こして戦い勝とう"——師弟の闘魂が脈打つこの二字に触れると、どんな嵐をも、必ず勝ち越えようとの決意が燃え上がる。
「大阪の戦い」——それは、56年(同31年)の年頭、池田先生が大阪を訪れ、勢いよく始まった。
学会はこの頃、約30万世帯。恩師の悲願であった75万世帯の弘教を成就するには、関西に民衆の大連帯を築かねばならなかった。
青年部の室長だった池田先生は前年10月、戸田先生から大阪派遣を命じられた。師の心を誰よりも知る弟子は、広布開拓の活路を開こうと、覚悟を決めた。「私の使命はただ一つ。この関西に、難攻不落の錦州城を築くことであった。そのために、私は全生命をなげうって、断じて勝ってみせるとの決心であった」
大車輪の戦いが始まった。
焦点は、強盛な祈りを根本に、徹底して信心の闘士を育てることだった。
毎朝、関西本部で御書講義を行い、仏法の確信を烈々と語った。夜まで一軒一軒、駆け巡った。「行く先々で『まだ、時間がある』『まだ、励ませる』と動くうち、日に二十五、六会場を回ったこともある」と池田先生は述懐。
誰もが口々に、"あんなに楽しかった戦いはない"と振り返った。
池田先生は時間を惜しんで、はがきや手紙にペンを走らせた。「一念に億劫の辛労」を尽くして祈り、会えない友とも心を結んだ。
「立ち止まることもできず、手を振り、目で挨拶を交わしながら、心で題目を送った時もある。
たとえ一瞬でも、心が触れ合えば、『仏縁』を結ぶことができる。ただ通り過ぎてしまえば、何も価値は生まれない」
大阪支部は3月、広布の歴史で初となる"一支部で5000世帯以上"の弘教を達成する。
魔も蠢動した。新聞が「暴力宗教」等と書き立てた。
池田先生は、いよいよ勇み立った。"「三障四魔紛然として競い起る」だ。学会が正しい証明だ"
迎えた5月、圧巻の金字塔となる1万1111世帯の弘教を成就したのである。
そして、師弟の無限の力を証明し、「"まさか"が実現」と世間をあっと言わせた、参院選の大阪での大勝利。偉大なる歴史を今、世界中の同志が、小説『人間革命』第10巻を通して学ぶ。
常勝の「カンサイ・スピリット(関西魂)」は、世界のあの地この地で、試練に立ち向かう友の心に「勇戦」の炎をともしている。
2020年5月9日土曜日
2020.05.09 わが友に贈る
皆で知恵を湧かせて
未来部とそのご家族に
心温まるエールを!
和楽の家庭こそ
希望の源泉となる。
妙密上人御消息 P1242
『金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる』
【通解】
金は焼けば、いよいよ色がよくなり、剣は研げば、いよいよ鋭くなる。法華経の功徳は、讃嘆すればするほど、ますます増していくのである。
名字の言 「サザエさん」の作者・長谷川町子さん——社会を変える力とは? 2020年5月9日
本年は、4こま漫画「サザエさん」の作者・長谷川町子さんの生誕100周年。彼女の作品の一つに、こんな話がある▼3人の男性がバケツを持って、火事の現場へ。次のこまは、火を消して帰る男性たちの姿。3こま目、おけを手に走っていくサザエさんが登場し、男性たちは"今ごろ駆けだして"と笑う。最後のこま。サザエさんがおけからおにぎりを出し、焼け出された一家に振る舞う。女性ならではの機転と、その優しさに心が温かくなる▼「サザエさん」の新聞連載が始まったのは終戦の翌年。どんな時も朗らかさを失わないサザエさんの姿が、戦後の日本を明るく照らした。作者の長谷川さんは「常に温かく誠実な一人の女性があるとしたら、社会的にどんなに見映えのしない存在であろうとも、その人こそ、世の中を善くする大きな原動力」と語る(『長谷川町子 思い出記念館』朝日新聞社)▼日蓮大聖人は「大悲とは母の子を思う慈悲の如し」(御書721ページ)と、仏法の根本の慈悲を"母の心"に譬えられた。生命を育み、慈しむ母の心を社会に広げるのが、我らの運動の目的の一つである▼池田先生は「母たちが幸福に輝いていってこそ、平和と希望の園が広がる」と。あす「母の日」。全ての母に感謝の言葉を伝えたい。(剛)
寸鉄 2020年5月9日
「南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし」御書。確信の題目で前進
音楽隊の日。師と共に歩んだ66年。絆強め進む若き広布楽雄の連帯頼もし
自粛続きSNS上に「鬱」「ストレス」の言葉が増。励ましの声掛けを今こそ
生活ごみが増加の傾向。"袋はしっかり縛って"と環境省。皆でルール守り
気温・湿度上昇で食中毒に注意。宅配、持ち帰りは早めの消費を。油断せず
☆小説「新・人間革命」学習のために 「白樺の友」編
看護者の皆さん ありがとうございます!
◇毅然とした優しさが希望に
白樺は「パイオニアツリー(先駆樹)」と呼ばれる樹木の一種で、伐採後の荒れ地や山火事のあとなどでも、真っ先に育つ、生命力の強い木であるといわれている。また、あとに生えてくる木々を守る、「ナースツリー(保護樹)」としても知られている。
彼(山本伸一=編集部注)は、人びとの生命を守りゆく看護婦グループに、最もふさわしい名前であると考え、「白樺グループ」と命名したのである。
"看護婦さん"というと、伸一には忘れられない、青春時代の思い出があった。
それは、国民学校を卒業し、鉄工所に勤めていた時のことである。戦時下の軍需工場での労働は、かなり過酷なものがあった。
伸一の胸は、結核に侵されていた。(中略)
そんなある日、高熱に加え、血痰を吐き、医務室に行った。憔悴しきった伸一の姿を見ると、医務室の"看護婦さん"は、素早く脈をとり、体温を測った。四十代半ばの小柄な女性であった。
彼女は、心配そうな顔で言った。
「これじゃあ、苦しいでしょう。ここには満足に薬もないし、レントゲンも撮れないから、すぐに病院へ行きましょう」(中略)
道すがら、彼女は転地療法を勧めたあと、屈託のない顔で語った。
「戦争って、いやね。早く終わればいいのに……。こんな時世だけど、あなたは若いんだから、病気になんか負けないで頑張ってね」
診察を終えると、伸一は、何度も頭を下げ、丁重にお礼を述べた。"看護婦さん"は、さらりと言った。
「気にしなくていいのよ。当たり前のことなんだから」
社会も人の心も、殺伐とした暗い時代である。親切を「当たり前」と言える、毅然とした優しさに、力と希望をもらった気がした。それは、伸一にとって、最高の良薬となった。
彼女の優しさは、「戦争はいや」と、戦時下にあって堂々と言い切る勇気と表裏一体のものであったにちがいない。一人の生命を守り、慈しむ心は、そのまま、強き"平和の心"となる。
(99〜102ページ)
◇宗教的な信念こそ献身の力
医療に人間の血を通わせるうえで、看護婦の果たす役割は、極めて大きいといえよう。看護婦は、人間と直接向き合い、生命と素手でかかわる仕事である。その対応が、いかに多大な影響を患者に与えることか。
体温を測るにせよ、注射一本打つにせよ、そこには看護婦の人間性や心が投影される。患者はそれを、最も鋭敏に感じ取っていく。
そして、看護婦の人間性や患者への接し方は、どのような生命観、人間観、いわば、いかなる信仰をもっているかということと、密接に関係している。
ナイチンゲールは「ともかくもその人の行動の動機となる力、それが信仰なのです」と述べている。真に献身的な看護には、宗教的な信念ともいうべき、強い目的意識が不可欠であろう。
仏法は、慈悲、すなわち、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)を説き、その実践の道を示した教えである。
さらに、仏法は、生命は三世永遠であり、万人が等しく「仏」の生命を具えた尊厳無比なる存在であることを説く、生命尊厳の法理である。
まさに、仏法のなかにこそ、看護の精神を支える哲学がある。
その仏法を持ったメンバーが、自身を磨き、職場の第一人者となっていくならば、人間主義に立脚した、患者中心の看護を実現しゆく最強の原動力となることを、伸一は、強く確信していたのである。
(105〜106ページ)
◇"白樺"は菩薩の心輝く集い
<1969年(昭和44年)6月6日、「白樺グループ」の結成式が行われた。その模様を聞くと、山本伸一は万感の思いを語った>
「この会合はささやかだが、やがて歳月とともに、その意義の大きさがわかってくるよ。メンバーは皆、本当に大変ななかで懸命に信心に励んでいる。(中略)
三交代という不規則な勤務のうえに、常に人間の生死と直面している。疲労も激しいだろうし、緊張感もストレスも、相当なものがあるだろう。
会合に出席するのも必死であるにちがいない。急患があったりすれば、参加できなくなることもあるだろう。
しかし、そのなかで、広宣流布の使命の炎を赤々と燃やして、頑張り通してこそ、真実の仏道修行がある。それによって、自らの人間性も磨かれ、人の苦しみ、悲しみが共有できる。菩薩の心、慈悲の心を培うことができる。
『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(御書329ページ)と仰せの通りだ。
冬を経ずして春は来ない。花には忍耐という大地がある。労苦なくしては勝利もないし、人生の幸福もない。
皆がともに勝ちゆくために、同じ看護婦として互いに励まし合い、支え合い、使命に生きる心を触発し合っていくことが大事になる」
それから伸一は、未来を仰ぎ見るように顔を上げ、目を細めた。
「これで、苗は植えられた。二十年、三十年とたてば、このグループは、必ず大樹に育つよ。
もともと、病に苦しんでいる人のために尽くそうと、看護婦の仕事を選んだこと自体、菩薩の心の人たちなんだ。みんなが、自身の使命を自覚し、自身に挑み勝っていくならば、『白樺グループ』は、最も清らかで、最も強く、一番、信頼と尊敬を集める、功徳と福運にあふれた女性の集まりになるよ。楽しみだ、楽しみだね……」
(111〜113ページ)
◇命を守ろうとの一念は感応
「白樺グループ」では、看護の基本は、生命の法則を知ることであるとの考えのうえから、教学の研鑽に力を注ぐことにした。(中略)
仏法の研鑽は、皆に自身の使命の深い自覚を促し、人間主義の看護の実現をめざす原動力となっていった。
「一念三千」や「色心不二」「依正不二」「九識論」等の法理を学び、生命と生命は互いに相通じ合うという「感応妙」の原理を知ると、メンバーの患者への接し方は大きく変わっていった。
ある人は、交通事故にあい、ほとんど意識がなくなった八歳の女の子の健康回復を、懸命に祈りながら、日々、手を握っては、励ましの言葉をかけ続けた。
「必ず治るから、頑張ろうね」「早く元気になって、また学校に行きましょうね」
だが、反応はなく、一週間、二週間とたっても変化は見られなかった。しかし、三週間目から、容体は好転し始め、やがて、視線が反応するようになった。
ある日、少女の体を拭いていると、突然、少女が言葉を発した。
「お姉ちゃん、ありがとう。私、学校に行けるようになるからね」
彼女は、跳び上がらんばかりに驚いた。本当に、生命は感応し合っていたのだ。
こうした体験は、彼女一人ではなかった。皆が同様の体験をもち、看護する人の一念の大切さを痛感していった。だからメンバーは、患者のことを必死で祈った。
"このまま死なせるものか!"
"この命を必ず守らせてください!"
その心で、看護にあたった。
(115〜116ページ)
【おことわり】小説では、当時の時代状況を反映するため、「看護師」を「看護婦」と表記しています。
◇碑の起工式
池田先生が見守る中、代表がくわ入れを行った「白樺の碑」「華冠の碑」の起工式(1978年6月23日、函館研修道場で)
1978年(昭和53年)6月23日、池田先生は、「白樺の碑」「華冠の碑」の起工式で、白樺の友に和歌を贈った。
白樺の
真白き生命を
つつみたる
天使の胸に
幸ぞ光れと
◇喜びの結成
創価学会新館(当時)で行われた白樺会の勤行会。池田先生が代表のメンバーと握手を交わす(1986年3月21日)
1986年(昭和61年)3月21日、「白樺会」が結成。池田先生は、この日を記念して詠んだ。
生命を
こよなく愛し
慈しむ
あゝ白樺の
悲母に幸あれ
未来部とそのご家族に
心温まるエールを!
和楽の家庭こそ
希望の源泉となる。
妙密上人御消息 P1242
『金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる』
【通解】
金は焼けば、いよいよ色がよくなり、剣は研げば、いよいよ鋭くなる。法華経の功徳は、讃嘆すればするほど、ますます増していくのである。
名字の言 「サザエさん」の作者・長谷川町子さん——社会を変える力とは? 2020年5月9日
本年は、4こま漫画「サザエさん」の作者・長谷川町子さんの生誕100周年。彼女の作品の一つに、こんな話がある▼3人の男性がバケツを持って、火事の現場へ。次のこまは、火を消して帰る男性たちの姿。3こま目、おけを手に走っていくサザエさんが登場し、男性たちは"今ごろ駆けだして"と笑う。最後のこま。サザエさんがおけからおにぎりを出し、焼け出された一家に振る舞う。女性ならではの機転と、その優しさに心が温かくなる▼「サザエさん」の新聞連載が始まったのは終戦の翌年。どんな時も朗らかさを失わないサザエさんの姿が、戦後の日本を明るく照らした。作者の長谷川さんは「常に温かく誠実な一人の女性があるとしたら、社会的にどんなに見映えのしない存在であろうとも、その人こそ、世の中を善くする大きな原動力」と語る(『長谷川町子 思い出記念館』朝日新聞社)▼日蓮大聖人は「大悲とは母の子を思う慈悲の如し」(御書721ページ)と、仏法の根本の慈悲を"母の心"に譬えられた。生命を育み、慈しむ母の心を社会に広げるのが、我らの運動の目的の一つである▼池田先生は「母たちが幸福に輝いていってこそ、平和と希望の園が広がる」と。あす「母の日」。全ての母に感謝の言葉を伝えたい。(剛)
寸鉄 2020年5月9日
「南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし」御書。確信の題目で前進
音楽隊の日。師と共に歩んだ66年。絆強め進む若き広布楽雄の連帯頼もし
自粛続きSNS上に「鬱」「ストレス」の言葉が増。励ましの声掛けを今こそ
生活ごみが増加の傾向。"袋はしっかり縛って"と環境省。皆でルール守り
気温・湿度上昇で食中毒に注意。宅配、持ち帰りは早めの消費を。油断せず
☆小説「新・人間革命」学習のために 「白樺の友」編
看護者の皆さん ありがとうございます!
◇毅然とした優しさが希望に
白樺は「パイオニアツリー(先駆樹)」と呼ばれる樹木の一種で、伐採後の荒れ地や山火事のあとなどでも、真っ先に育つ、生命力の強い木であるといわれている。また、あとに生えてくる木々を守る、「ナースツリー(保護樹)」としても知られている。
彼(山本伸一=編集部注)は、人びとの生命を守りゆく看護婦グループに、最もふさわしい名前であると考え、「白樺グループ」と命名したのである。
"看護婦さん"というと、伸一には忘れられない、青春時代の思い出があった。
それは、国民学校を卒業し、鉄工所に勤めていた時のことである。戦時下の軍需工場での労働は、かなり過酷なものがあった。
伸一の胸は、結核に侵されていた。(中略)
そんなある日、高熱に加え、血痰を吐き、医務室に行った。憔悴しきった伸一の姿を見ると、医務室の"看護婦さん"は、素早く脈をとり、体温を測った。四十代半ばの小柄な女性であった。
彼女は、心配そうな顔で言った。
「これじゃあ、苦しいでしょう。ここには満足に薬もないし、レントゲンも撮れないから、すぐに病院へ行きましょう」(中略)
道すがら、彼女は転地療法を勧めたあと、屈託のない顔で語った。
「戦争って、いやね。早く終わればいいのに……。こんな時世だけど、あなたは若いんだから、病気になんか負けないで頑張ってね」
診察を終えると、伸一は、何度も頭を下げ、丁重にお礼を述べた。"看護婦さん"は、さらりと言った。
「気にしなくていいのよ。当たり前のことなんだから」
社会も人の心も、殺伐とした暗い時代である。親切を「当たり前」と言える、毅然とした優しさに、力と希望をもらった気がした。それは、伸一にとって、最高の良薬となった。
彼女の優しさは、「戦争はいや」と、戦時下にあって堂々と言い切る勇気と表裏一体のものであったにちがいない。一人の生命を守り、慈しむ心は、そのまま、強き"平和の心"となる。
(99〜102ページ)
◇宗教的な信念こそ献身の力
医療に人間の血を通わせるうえで、看護婦の果たす役割は、極めて大きいといえよう。看護婦は、人間と直接向き合い、生命と素手でかかわる仕事である。その対応が、いかに多大な影響を患者に与えることか。
体温を測るにせよ、注射一本打つにせよ、そこには看護婦の人間性や心が投影される。患者はそれを、最も鋭敏に感じ取っていく。
そして、看護婦の人間性や患者への接し方は、どのような生命観、人間観、いわば、いかなる信仰をもっているかということと、密接に関係している。
ナイチンゲールは「ともかくもその人の行動の動機となる力、それが信仰なのです」と述べている。真に献身的な看護には、宗教的な信念ともいうべき、強い目的意識が不可欠であろう。
仏法は、慈悲、すなわち、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)を説き、その実践の道を示した教えである。
さらに、仏法は、生命は三世永遠であり、万人が等しく「仏」の生命を具えた尊厳無比なる存在であることを説く、生命尊厳の法理である。
まさに、仏法のなかにこそ、看護の精神を支える哲学がある。
その仏法を持ったメンバーが、自身を磨き、職場の第一人者となっていくならば、人間主義に立脚した、患者中心の看護を実現しゆく最強の原動力となることを、伸一は、強く確信していたのである。
(105〜106ページ)
◇"白樺"は菩薩の心輝く集い
<1969年(昭和44年)6月6日、「白樺グループ」の結成式が行われた。その模様を聞くと、山本伸一は万感の思いを語った>
「この会合はささやかだが、やがて歳月とともに、その意義の大きさがわかってくるよ。メンバーは皆、本当に大変ななかで懸命に信心に励んでいる。(中略)
三交代という不規則な勤務のうえに、常に人間の生死と直面している。疲労も激しいだろうし、緊張感もストレスも、相当なものがあるだろう。
会合に出席するのも必死であるにちがいない。急患があったりすれば、参加できなくなることもあるだろう。
しかし、そのなかで、広宣流布の使命の炎を赤々と燃やして、頑張り通してこそ、真実の仏道修行がある。それによって、自らの人間性も磨かれ、人の苦しみ、悲しみが共有できる。菩薩の心、慈悲の心を培うことができる。
『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(御書329ページ)と仰せの通りだ。
冬を経ずして春は来ない。花には忍耐という大地がある。労苦なくしては勝利もないし、人生の幸福もない。
皆がともに勝ちゆくために、同じ看護婦として互いに励まし合い、支え合い、使命に生きる心を触発し合っていくことが大事になる」
それから伸一は、未来を仰ぎ見るように顔を上げ、目を細めた。
「これで、苗は植えられた。二十年、三十年とたてば、このグループは、必ず大樹に育つよ。
もともと、病に苦しんでいる人のために尽くそうと、看護婦の仕事を選んだこと自体、菩薩の心の人たちなんだ。みんなが、自身の使命を自覚し、自身に挑み勝っていくならば、『白樺グループ』は、最も清らかで、最も強く、一番、信頼と尊敬を集める、功徳と福運にあふれた女性の集まりになるよ。楽しみだ、楽しみだね……」
(111〜113ページ)
◇命を守ろうとの一念は感応
「白樺グループ」では、看護の基本は、生命の法則を知ることであるとの考えのうえから、教学の研鑽に力を注ぐことにした。(中略)
仏法の研鑽は、皆に自身の使命の深い自覚を促し、人間主義の看護の実現をめざす原動力となっていった。
「一念三千」や「色心不二」「依正不二」「九識論」等の法理を学び、生命と生命は互いに相通じ合うという「感応妙」の原理を知ると、メンバーの患者への接し方は大きく変わっていった。
ある人は、交通事故にあい、ほとんど意識がなくなった八歳の女の子の健康回復を、懸命に祈りながら、日々、手を握っては、励ましの言葉をかけ続けた。
「必ず治るから、頑張ろうね」「早く元気になって、また学校に行きましょうね」
だが、反応はなく、一週間、二週間とたっても変化は見られなかった。しかし、三週間目から、容体は好転し始め、やがて、視線が反応するようになった。
ある日、少女の体を拭いていると、突然、少女が言葉を発した。
「お姉ちゃん、ありがとう。私、学校に行けるようになるからね」
彼女は、跳び上がらんばかりに驚いた。本当に、生命は感応し合っていたのだ。
こうした体験は、彼女一人ではなかった。皆が同様の体験をもち、看護する人の一念の大切さを痛感していった。だからメンバーは、患者のことを必死で祈った。
"このまま死なせるものか!"
"この命を必ず守らせてください!"
その心で、看護にあたった。
(115〜116ページ)
【おことわり】小説では、当時の時代状況を反映するため、「看護師」を「看護婦」と表記しています。
◇碑の起工式
池田先生が見守る中、代表がくわ入れを行った「白樺の碑」「華冠の碑」の起工式(1978年6月23日、函館研修道場で)
1978年(昭和53年)6月23日、池田先生は、「白樺の碑」「華冠の碑」の起工式で、白樺の友に和歌を贈った。
白樺の
真白き生命を
つつみたる
天使の胸に
幸ぞ光れと
◇喜びの結成
創価学会新館(当時)で行われた白樺会の勤行会。池田先生が代表のメンバーと握手を交わす(1986年3月21日)
1986年(昭和61年)3月21日、「白樺会」が結成。池田先生は、この日を記念して詠んだ。
生命を
こよなく愛し
慈しむ
あゝ白樺の
悲母に幸あれ
2020年5月8日金曜日
2020.05.08 わが友に贈る
「法華経の行者は
日輪と師子との如し」
自らが「太陽」と輝き
家庭や社会を照らそう!
根本は強き信心だ!
兄弟抄 P1083
『過去の謗法の罪を滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給う、又法華経の行者をあだむ国主にあへり経文明明たり経文赫赫たり、我身は過去に謗法の者なりける事疑い給うことなかれ』
【通解】
過去世からの謗法の罪を滅するために、貴殿たち(池上兄弟)は、邪見の父母に責められているのです。また、過去世からの謗法の罪を滅するために、貴殿たち(池上兄弟)は、法華経の行者を迫害する国主の治世に、生まれ遭っているのです。経文は、明々赫々として、それらのことを証明しています。
名字の言 自宅での時間を充実させる工夫 2020年5月8日
有意義な自宅での過ごし方を紹介する本紙連載「おうち時間 STAY HOME」。それに倣ってか、多くの友が自分なりの"おうち時間"に取り組んでいるようだ▼ある壮年部員はテレワークによる在宅勤務となった。これまで満員電車で通勤していた往復2時間を、家で隅々まで本紙を読む時間に代えた。ちなみに本紙創刊記念日の先月20日付は、全12面の記事の文字数が合計3万7000字余り。文庫本1冊は10万〜12万字が目安といわれる。本紙を1カ月間精読すれば、約10冊の読書量に匹敵する計算だ▼また、家族と夕食を共にする生活リズムになった男子部員。毎晩の食卓では各人が「今日できたこと」を報告し合うという。先日は小学生の息子さんが「(縄跳びの)二重跳びが連続10回できた」と▼そうした一人一人の報告に、家族全員で「おめでとう!」と祝福するのが恒例になった。男子部員は語る。「何かをしてもらったことに『ありがとう』と感謝し、また、何かを達成したときに『おめでとう』と喜びを分かち合う。誰かにこの二つの言葉を口にすることで、自分も頑張ろうと決意できます」▼どんな状況下でも、価値を創造することはできる。いや、環境に制限があるからこそ、人間の底力が湧いてくる。(代)
寸鉄 2020年5月8日
さあ「励まし月間」。電話、手紙、メール、SNS等を活用。真心は必ず伝わる
常勝埼玉師弟の日。"彩の国"に光る創価の人材城。希望と勇気の連帯を拡大
子どもの数が過去最少。皆が未来の宝だ。激励の声掛け更に。大樹を育成
感染対策は長丁場。3密回避、手洗い、距離確保等徹底を。互いの命守ろう
コロナ便乗詐欺の被害額既に3千万円超—警察庁電話や訪問者に厳重警戒
☆小説「新・人間革命」学習のために 第7巻
◇仏法は不信を信頼に転じる力
<1962年(昭和37年)10月、指導会で山本伸一は核戦争の根源的解決の道を示す>
「どうすれば、核戦争をなくしていくことができるのか。その本当の解決の道は、仏法による以外にありません。仏法は、一切衆生が皆、仏であると教えている。万人に仏性があり、自分も相手も、仏の生命を具えていると説く、仏法の生命哲学こそ、人間の尊厳を裏付ける大思想です。その教えが流布されるならば、必ずや、戦争を防ぐ最大の力となります。
また、誰でも信仰に励み、実際に、仏の生命を涌現していくならば、破壊や殺戮に走ろうとする、自身の魔性の生命を打ち破ることができる。
悲惨な核戦争の根本原因は、"元品の無明"という生命の根源的な迷いにある。この無明の闇から、不信や憎悪、嫉妬、あるいは、支配欲、殺戮の衝動など、魔性の心が生じる。
この"元品の無明"を断ち切り、"元品の法性"という、真実の智慧の光をもって、生命を照らし、憎悪を慈悲に、破壊を創造に、不信を信頼に転じゆく力こそが、南無妙法蓮華経であります。また、それが人間革命ということです。ユネスコ憲章の前文には『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない』とあります。大事な着眼です。
では、どうすれば、本当に崩れることのない"平和のとりで"が築けるのか。
それを可能にするのが仏法であり、現実に、行ってきたのが創価学会です。(中略)
私たちがめざす広宣流布の道は、遠く、はるかな道のように思えるかもしれませんが、その道こそが、世界に永遠の平和を築く直道なのです。今こそ、仏法という"慈悲"と"平和"の大思想を、友から友へと伝え、私たちの力で、絶対に核戦争を回避していこうではありませんか。それが、われわれの使命です」
(「文化の華」の章、79〜80ページ)
◇互いの尊敬が生む鉄の団結
<63年(同38年)1月、アメリカで伸一は団結の要諦を語る>
「大聖人は『法に依って人に依らざれ』との経文を通して、信心の在り方を指導されています。
私どもの信心は、どこまでも『法』が根本です。広宣流布という崇高な大目的を成就するために、みんなが心を合わせ、団結して活動を進めていく必要があるのです。
もし、中心者が嫌いだからとか、自分の方が信心が古いからといって、あの人のもとでは活動できないという人がいたならば、その人は『法』が根本ではなく、『人』に対する自分の感情が根本になっているんです。
また、それは、わがままです。わがままは、自分の心に負け、信心の軌道を踏み外した姿です。結局は、その人自身が不幸になります。反対に、中心者を守れば、自分が守られる。これが因果の理法です。
一方、幹部になった人は、絶対に威張ったりせずに、よく後輩の面倒をみていただきたい。皆に奉仕するために幹部はいるんです。広宣流布に戦う人は、皆、地涌の菩薩であり、仏です。
その方々を励まし、尽くした分だけ、自身も偉大な福運を、積んでいける。
ともかく、皆が同志として尊敬し、信頼し合って、また、足りない点は補い、守り合えれば、鉄の団結が生まれます。その団結が、最大の力になる。御書には『異体同心なれば万事を成じ同体異心なれば諸事叶う事なし』(1463ページ)と仰せです。広宣流布に向かって、心を一つにすれば、すべてに大勝利できる」
(「萌芽」の章、126〜127ページ)
◇学会員こそ世界市民の模範
<"創価学会が人間と人間を結ぶ宗教であることを実感した"と語るメンバーに伸一は、真の国際人としての要件とは何かを訴える>
「戸田先生が『地球民族主義』と言われた通り、創価学会は、やがて、国家や民族、人種の違いも超えた、世界市民、地球市民の模範の集まりになっていくだろう。
仏法の哲理が、それを教えているからだ。
また、学会員は、本来、本当の意味での国際人であると思う。
国際人として最も大事なポイントは、利己主義に陥ることなく、人びとを幸福にする哲学をもち、実践し、人間として尊敬されているかどうかである。
仏法を持ち、日々、世界の平和と友の幸福を祈り、行動し、自らの人間革命に挑む学会員は、まさに、その条件を満たしている。
語学ができる、できないということより、まず、これが根本条件だ。
ともかく、友を幸福にしようというメンバーの心が友情を織り成し、世界に広がっていくならば、それは人類を結ぶ、草の根の力となることは間違いない」
(「早春」の章、238〜239ページ)
◇真の女性解放の先駆者
<63年2月、伸一が示した指針「婦人部に与う」が婦人部幹部会で発表された>
婦人部の幹部の朗読が始まると、参加者は瞳を輝かせて、聞き入っていた。
最後の「創価学会婦人部こそ、妙法をだきしめた、真の女性解放の先駆者である」との一節では、誰もが電撃に打たれたような思いにかられた。彼女たちの多くは、経済苦や病苦にあえぎながら、自身の、わが家の宿命転換を願い、ただ幸福になりたいとの一心で、懸命に信心に励んできた。
しかし、信心の目的は、それだけではなく、「女性解放」という、もっと大きく崇高な使命を果たすためであることを自覚したのである。
「女性解放」とは、単に制度などの社会的な差別からの解放にとどまるものではない。いっさいの不幸からの解放でなければならない。彼女たちは、自らの体験を通して、その唯一の道が日蓮仏法にあることを確信することができた。
生活という大地に根を張った婦人たちが、時代の建設に立ち上がってこそ、初めて、社会を蘇生させることができる。自分たちの生きゆく社会を、楽しい、平和なものにしていくことが、広宣流布である。この「婦人部に与う」を受けて、清原かつは、この日、次のようにあいさつした。(中略)
「山本先生は、この『婦人部に与う』のなかで、私たちこそ『真の女性解放の先駆者』であると述べられております。つまり、自分や一家の幸福を築いていくことはもとより、広く社会に目を開き、すべての女性を、宿業の鉄鎖から解放していくことが、創価学会婦人部の使命なのであります。
要するに、私たちには、学会員である人も、ない人も、その地域中の人びとを幸福にしていく責任があるということです。
そう考えるならば、地域にあって、自分の受けもっている組織は、小さな単位であるブロックという組織でも、私たちの使命は、限りなく大きいと思います」
(「操舵」の章、340〜341ページ)
◇創価教育の思想と精神
〈「文化の華」の章には、教育部の結成の様子とともに、創価教育の思想と精神が記されている。〉
本来、教育の根本の目的は、どこに定められるべきであろうか。
牧口常三郎は「教育は児童に幸福なる生活をなさしめるのを目的とする」と断言している。"国家の利益"ではなく、"児童の幸福"こそ根本だというのである。
牧口は、この信念から、創価教育の眼目は、一人ひとりが"幸福になる力を開発する"こととした。そして、この幸福の内容が「価値の追求」であり、人生のうえに創造すべき価値とは、「美・利・善」であると主張した。
つまり、牧口は、価値創造こそ人生の幸福であり、さらに、社会に価値を創造し、自他ともの幸福を実現する人材を輩出することが、教育の使命であると考えていたのである。彼は『創価教育学体系』の緒言で、「創価教育学」を世に問う熱烈な真情を、こう記している。
「入学難、試験地獄、就職難等で一千万の児童や生徒が修羅の巷に喘いで居る現代の悩みを、次代に持越させたくないと思ふと、心は狂せんばかりで、区々たる毀誉褒貶の如きは余の眼中にはない」
そこには、子どもへの、人間への、深い慈愛の心が熱く脈打っている。この心こそ教育の原点といえる。
そして、その教育を実現していくには、教育法や教育学の改革はもとより、教育者自身の人間革命がなければならない。
子どもたちにとって、最大の教育環境は教師自身である。それゆえに、教師自身がたゆまず自己を教育していくことが不可欠となるからだ。
教師は「教育技師」であると主張する牧口は、「教育は最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である。是は世上の何物にも替へ難き生命といふ無上宝珠を対象とするに基づく」と述べている。
さらに、教師たるものの姿を、こう論じる。
「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ。利害の打算に目が暗んで、善悪の識別の出来ないものに教育者の資格はない。その識別が出来て居ながら、其の実現力のないものは教育者の価値はない」
牧口が提唱した、創価教育の精神を、現実に、縦横無尽に実践したのが、若き戸田城聖であった。彼の私塾・時習学館からは、人間性豊かな、実に多彩な人材が育っている。山本伸一は、教育部員に、この先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖の志を受け継いでほしかった。
彼は、混迷の度を深める社会の動向に、鋭い目を注ぎながら、教育部の使命の重大さを痛感していた。
(「文化の華」の章、15〜17ページ)
日輪と師子との如し」
自らが「太陽」と輝き
家庭や社会を照らそう!
根本は強き信心だ!
兄弟抄 P1083
『過去の謗法の罪を滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給う、又法華経の行者をあだむ国主にあへり経文明明たり経文赫赫たり、我身は過去に謗法の者なりける事疑い給うことなかれ』
【通解】
過去世からの謗法の罪を滅するために、貴殿たち(池上兄弟)は、邪見の父母に責められているのです。また、過去世からの謗法の罪を滅するために、貴殿たち(池上兄弟)は、法華経の行者を迫害する国主の治世に、生まれ遭っているのです。経文は、明々赫々として、それらのことを証明しています。
名字の言 自宅での時間を充実させる工夫 2020年5月8日
有意義な自宅での過ごし方を紹介する本紙連載「おうち時間 STAY HOME」。それに倣ってか、多くの友が自分なりの"おうち時間"に取り組んでいるようだ▼ある壮年部員はテレワークによる在宅勤務となった。これまで満員電車で通勤していた往復2時間を、家で隅々まで本紙を読む時間に代えた。ちなみに本紙創刊記念日の先月20日付は、全12面の記事の文字数が合計3万7000字余り。文庫本1冊は10万〜12万字が目安といわれる。本紙を1カ月間精読すれば、約10冊の読書量に匹敵する計算だ▼また、家族と夕食を共にする生活リズムになった男子部員。毎晩の食卓では各人が「今日できたこと」を報告し合うという。先日は小学生の息子さんが「(縄跳びの)二重跳びが連続10回できた」と▼そうした一人一人の報告に、家族全員で「おめでとう!」と祝福するのが恒例になった。男子部員は語る。「何かをしてもらったことに『ありがとう』と感謝し、また、何かを達成したときに『おめでとう』と喜びを分かち合う。誰かにこの二つの言葉を口にすることで、自分も頑張ろうと決意できます」▼どんな状況下でも、価値を創造することはできる。いや、環境に制限があるからこそ、人間の底力が湧いてくる。(代)
寸鉄 2020年5月8日
さあ「励まし月間」。電話、手紙、メール、SNS等を活用。真心は必ず伝わる
常勝埼玉師弟の日。"彩の国"に光る創価の人材城。希望と勇気の連帯を拡大
子どもの数が過去最少。皆が未来の宝だ。激励の声掛け更に。大樹を育成
感染対策は長丁場。3密回避、手洗い、距離確保等徹底を。互いの命守ろう
コロナ便乗詐欺の被害額既に3千万円超—警察庁電話や訪問者に厳重警戒
☆小説「新・人間革命」学習のために 第7巻
◇仏法は不信を信頼に転じる力
<1962年(昭和37年)10月、指導会で山本伸一は核戦争の根源的解決の道を示す>
「どうすれば、核戦争をなくしていくことができるのか。その本当の解決の道は、仏法による以外にありません。仏法は、一切衆生が皆、仏であると教えている。万人に仏性があり、自分も相手も、仏の生命を具えていると説く、仏法の生命哲学こそ、人間の尊厳を裏付ける大思想です。その教えが流布されるならば、必ずや、戦争を防ぐ最大の力となります。
また、誰でも信仰に励み、実際に、仏の生命を涌現していくならば、破壊や殺戮に走ろうとする、自身の魔性の生命を打ち破ることができる。
悲惨な核戦争の根本原因は、"元品の無明"という生命の根源的な迷いにある。この無明の闇から、不信や憎悪、嫉妬、あるいは、支配欲、殺戮の衝動など、魔性の心が生じる。
この"元品の無明"を断ち切り、"元品の法性"という、真実の智慧の光をもって、生命を照らし、憎悪を慈悲に、破壊を創造に、不信を信頼に転じゆく力こそが、南無妙法蓮華経であります。また、それが人間革命ということです。ユネスコ憲章の前文には『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない』とあります。大事な着眼です。
では、どうすれば、本当に崩れることのない"平和のとりで"が築けるのか。
それを可能にするのが仏法であり、現実に、行ってきたのが創価学会です。(中略)
私たちがめざす広宣流布の道は、遠く、はるかな道のように思えるかもしれませんが、その道こそが、世界に永遠の平和を築く直道なのです。今こそ、仏法という"慈悲"と"平和"の大思想を、友から友へと伝え、私たちの力で、絶対に核戦争を回避していこうではありませんか。それが、われわれの使命です」
(「文化の華」の章、79〜80ページ)
◇互いの尊敬が生む鉄の団結
<63年(同38年)1月、アメリカで伸一は団結の要諦を語る>
「大聖人は『法に依って人に依らざれ』との経文を通して、信心の在り方を指導されています。
私どもの信心は、どこまでも『法』が根本です。広宣流布という崇高な大目的を成就するために、みんなが心を合わせ、団結して活動を進めていく必要があるのです。
もし、中心者が嫌いだからとか、自分の方が信心が古いからといって、あの人のもとでは活動できないという人がいたならば、その人は『法』が根本ではなく、『人』に対する自分の感情が根本になっているんです。
また、それは、わがままです。わがままは、自分の心に負け、信心の軌道を踏み外した姿です。結局は、その人自身が不幸になります。反対に、中心者を守れば、自分が守られる。これが因果の理法です。
一方、幹部になった人は、絶対に威張ったりせずに、よく後輩の面倒をみていただきたい。皆に奉仕するために幹部はいるんです。広宣流布に戦う人は、皆、地涌の菩薩であり、仏です。
その方々を励まし、尽くした分だけ、自身も偉大な福運を、積んでいける。
ともかく、皆が同志として尊敬し、信頼し合って、また、足りない点は補い、守り合えれば、鉄の団結が生まれます。その団結が、最大の力になる。御書には『異体同心なれば万事を成じ同体異心なれば諸事叶う事なし』(1463ページ)と仰せです。広宣流布に向かって、心を一つにすれば、すべてに大勝利できる」
(「萌芽」の章、126〜127ページ)
◇学会員こそ世界市民の模範
<"創価学会が人間と人間を結ぶ宗教であることを実感した"と語るメンバーに伸一は、真の国際人としての要件とは何かを訴える>
「戸田先生が『地球民族主義』と言われた通り、創価学会は、やがて、国家や民族、人種の違いも超えた、世界市民、地球市民の模範の集まりになっていくだろう。
仏法の哲理が、それを教えているからだ。
また、学会員は、本来、本当の意味での国際人であると思う。
国際人として最も大事なポイントは、利己主義に陥ることなく、人びとを幸福にする哲学をもち、実践し、人間として尊敬されているかどうかである。
仏法を持ち、日々、世界の平和と友の幸福を祈り、行動し、自らの人間革命に挑む学会員は、まさに、その条件を満たしている。
語学ができる、できないということより、まず、これが根本条件だ。
ともかく、友を幸福にしようというメンバーの心が友情を織り成し、世界に広がっていくならば、それは人類を結ぶ、草の根の力となることは間違いない」
(「早春」の章、238〜239ページ)
◇真の女性解放の先駆者
<63年2月、伸一が示した指針「婦人部に与う」が婦人部幹部会で発表された>
婦人部の幹部の朗読が始まると、参加者は瞳を輝かせて、聞き入っていた。
最後の「創価学会婦人部こそ、妙法をだきしめた、真の女性解放の先駆者である」との一節では、誰もが電撃に打たれたような思いにかられた。彼女たちの多くは、経済苦や病苦にあえぎながら、自身の、わが家の宿命転換を願い、ただ幸福になりたいとの一心で、懸命に信心に励んできた。
しかし、信心の目的は、それだけではなく、「女性解放」という、もっと大きく崇高な使命を果たすためであることを自覚したのである。
「女性解放」とは、単に制度などの社会的な差別からの解放にとどまるものではない。いっさいの不幸からの解放でなければならない。彼女たちは、自らの体験を通して、その唯一の道が日蓮仏法にあることを確信することができた。
生活という大地に根を張った婦人たちが、時代の建設に立ち上がってこそ、初めて、社会を蘇生させることができる。自分たちの生きゆく社会を、楽しい、平和なものにしていくことが、広宣流布である。この「婦人部に与う」を受けて、清原かつは、この日、次のようにあいさつした。(中略)
「山本先生は、この『婦人部に与う』のなかで、私たちこそ『真の女性解放の先駆者』であると述べられております。つまり、自分や一家の幸福を築いていくことはもとより、広く社会に目を開き、すべての女性を、宿業の鉄鎖から解放していくことが、創価学会婦人部の使命なのであります。
要するに、私たちには、学会員である人も、ない人も、その地域中の人びとを幸福にしていく責任があるということです。
そう考えるならば、地域にあって、自分の受けもっている組織は、小さな単位であるブロックという組織でも、私たちの使命は、限りなく大きいと思います」
(「操舵」の章、340〜341ページ)
◇創価教育の思想と精神
〈「文化の華」の章には、教育部の結成の様子とともに、創価教育の思想と精神が記されている。〉
本来、教育の根本の目的は、どこに定められるべきであろうか。
牧口常三郎は「教育は児童に幸福なる生活をなさしめるのを目的とする」と断言している。"国家の利益"ではなく、"児童の幸福"こそ根本だというのである。
牧口は、この信念から、創価教育の眼目は、一人ひとりが"幸福になる力を開発する"こととした。そして、この幸福の内容が「価値の追求」であり、人生のうえに創造すべき価値とは、「美・利・善」であると主張した。
つまり、牧口は、価値創造こそ人生の幸福であり、さらに、社会に価値を創造し、自他ともの幸福を実現する人材を輩出することが、教育の使命であると考えていたのである。彼は『創価教育学体系』の緒言で、「創価教育学」を世に問う熱烈な真情を、こう記している。
「入学難、試験地獄、就職難等で一千万の児童や生徒が修羅の巷に喘いで居る現代の悩みを、次代に持越させたくないと思ふと、心は狂せんばかりで、区々たる毀誉褒貶の如きは余の眼中にはない」
そこには、子どもへの、人間への、深い慈愛の心が熱く脈打っている。この心こそ教育の原点といえる。
そして、その教育を実現していくには、教育法や教育学の改革はもとより、教育者自身の人間革命がなければならない。
子どもたちにとって、最大の教育環境は教師自身である。それゆえに、教師自身がたゆまず自己を教育していくことが不可欠となるからだ。
教師は「教育技師」であると主張する牧口は、「教育は最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である。是は世上の何物にも替へ難き生命といふ無上宝珠を対象とするに基づく」と述べている。
さらに、教師たるものの姿を、こう論じる。
「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ。利害の打算に目が暗んで、善悪の識別の出来ないものに教育者の資格はない。その識別が出来て居ながら、其の実現力のないものは教育者の価値はない」
牧口が提唱した、創価教育の精神を、現実に、縦横無尽に実践したのが、若き戸田城聖であった。彼の私塾・時習学館からは、人間性豊かな、実に多彩な人材が育っている。山本伸一は、教育部員に、この先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖の志を受け継いでほしかった。
彼は、混迷の度を深める社会の動向に、鋭い目を注ぎながら、教育部の使命の重大さを痛感していた。
(「文化の華」の章、15〜17ページ)
2020年5月7日木曜日
2020.05.07 わが友に贈る
新聞休刊日
土木殿御返事 P964
『今年日本国一同に飢渇の上佐渡の国には七月七日已下天より忽ちに石灰虫と申す虫と雨等にて一時に稲穀損し其の上疫病処処に遍満し方方死難脱れ難きか、事事紙上に尽し難く候』
【通解】
今年は日本国全体に飢渇のうえに、佐渡の国には七月七日以降、空から急に石灰虫という虫が降ってきたのと雨等によって、いちどきに稲や穀物を損い、そのうえ伝染病があちこちに広く充満し、人々は死を脱れがたいようである。いろいろなことは紙上に尽くしがたい。
☆小説「新・人間革命」学習のために 第6巻
◇現実生活の中に喜びを発見
<1962年(昭和37年)1月、イランのテヘランを訪れた山本伸一は、現地の暮らしになじめずに悩む日本の婦人を励ます>
「現実というものは、理想や観念の尺度に、きちんと合うことはありえない。すると、ここが悪い、あそこが悪いとなり、失望が重なって、不平や不満だらけになってしまう。それは、たとえば、桜の木を基準に梅の木を見て、これは変な桜だと言って、落胆しているようなものでしょう。むしろ、こうでなくてはならないという、頭のなかでつくり上げた基準にこだわらず、もっと自由にものを見るべきです。
テヘランでの生活は、慣れないために、確かに大変な面もあると思います。でも、多かれ少なかれ、どこにいても、大変なことや、いやなことはあります。それは、どんな生活環境でも、どんな人間でも同じです。百パーセントすばらしい環境もなければ、そんな人間もいません。
あなたが基準とすべきは日本での暮らしではなく、ここでの生活です。それが現実なんですから、まず、そのまま受け入れ、ありのままに見つめてみようとすることです。(中略)
ありのままに現実を見つめて、なんらかのよい面を、楽しいことを発見し、それを生かしていこうとすることです。
これは、自分自身に対しても同じです。自分はどこまでいっても自分なのですから、他人を羨んでも仕方ありません。人間には短所もあれば、長所もある。だから、自分を見つめ、長所を発見し、それを伸ばしていけばいいんです。そこに価値の創造もある」
(「宝土」の章、36〜37ページ)
◇人間の心を利己から利他へ
<伸一は2月、エジプトを訪問。博物館でドイツ人学者に、高度な文明をもつ国々が滅びた共通の原因について、意見を求められる>
「もちろん、そこには、国内の経済的な衰退や内乱、他国による侵略、あるいは疫病の蔓延、自然災害など、その時々の複合的な要素があったと思います。
しかし、一言すれば、本質的な要因は、専制国家であれ、民主国家であれ、指導者をはじめ、その国の人びとの魂の腐敗、精神の退廃にあったのではないでしょうか。人間が皆、自分のことしか考えず、享楽的になっていけば、どんなに優れた文明をもっていても、国としての活力もなくなるし、まとまることはできません。(中略)
私は、一国の滅亡の要因は、国のなかに、さらにいえば、常に人間の心のなかにあるととらえています」(中略)
「この発想は、決して新しいものではありません。既に七百年も前に、日本の日蓮という方が述べられた見解です」(中略)
「日蓮という方は、日本の民衆が自然災害に苦しみ、内乱や他国の侵略の脅威に怯えていた時、救済に立ち上がられた仏法者です。
そして、国家、社会の根本となるのは人間であり、その人間の心を、破壊から建設へ、利己から利他へ、受動から能動へと転じ、民衆が社会の主体者となって、永遠の平和を確立していく哲理を示されました」
(「遠路」の章、129〜131ページ)
◇「真実」語り抜き「偏見」正せ
<4月の北海道総支部幹部会で伸一は、学会に対する世間の中傷が、いかに根拠のないものであるかを語る>
「理事長が、ある著名人と会った折に、『創価学会は仏壇を焼き、香典を持っていってしまう宗教ではないのですか』と聞かれたというのです。
そこで、理事長は『とんでもない。無認識もはなはだしい。学会では、ただの一度も、仏壇を焼けなどと言ったり、香典を持っていったことはありません』と説明しましたところ、その方は大変に驚いて、『そうでしたか。それは無認識でございました』と言っていたそうです。
社会の指導者といわれる人でも、学会の真実を見極めたうえで語っているわけではありません。
しかも、これまでもそうでしたが、学会の発展を恐れる勢力が、意図的に虚偽の情報を流しているケースが数多くあります。
学会を陥れるために、根も葉もない悪意の情報を流し、何も知らない一般の人びとに信じ込ませる。そして、悪い先入観を植えつけ、世論を操作して学会を排斥するというのが、現代の迫害の、一つの構図になっております。
したがって、私たちの広宣流布の活動は、誤った先入観に基づく人びとの誤解と偏見を正して、本当の学会の姿、仏法の真実を知らしめていくことから始まります。つまり誤解と戦い、偏見と戦うことこそ、末法の仏道修行であり、真実を語り説いていくことが折伏なのであります」
(「加速」の章、209〜210ページ)
◇責任感から強靱な生命力が
<伸一は、同行の幹部から激務の中にあって、ますます元気になっている理由を聞かれ、その要諦を語る>
「元気になるには、自ら勇んで活動していくことが大事だ。そして、自分の具体的な目標を決めて挑戦していくことだ。目標をもって力を尽くし、それが達成できれば喜びも大きい。また、学会活動のすばらしさは、同志のため、人びとのためという、慈悲の行動であることだ。それが、自分を強くしていく。
かつて、こんな話を聞いたことがある。終戦直後、ソ連に抑留された日本人のなかで、収容所から逃げ出した一団があった。餓死寸前のなかで逃避行を続けるが、最後まで生きのびたのは、一番体力があるはずの若い男性や女性ではなく、幼子を抱えた母親であったというのだ。
"自分が死ねば、この子どもも死ぬことになる。この子の命を助けなければ"という、わが子への思いが母を強くし、強靱な精神力と生命力を奮い起こさせていったのであろう。
私も、学会のこと、同志のことを考えると、倒れたり、休んだりしているわけにはいかない。その一念が、私を強くし、元気にしてくれる。
みんなも、どんな立場であっても、学会の組織の責任をもち、使命を果たし抜いていけば、強くなるし、必ず元気になっていくよ」
(「波浪」の章、265〜266ページ)
◇未来を決する「今の一念」
<伸一は8月、学生部へ「御義口伝」講義を開始。法華経の「秘妙方便」を通し、奥底の一念について指導>
「未来にどうなるかという因は、すべて、今の一念にある。現在、いかなる一念で、何をしているかによって、未来は決定づけられてしまう。
たとえば、信心をしているといっても、どのような一念で、頑張っているかが極めて大事になる。人の目や、先輩の目は、いくらでもごまかすことはできる。自分の奥底の一念というものは、他の人にはわからない。まさに『秘』ということになります。
しかし、生命の厳たる因果の理法だけはごまかせません。何をどう繕おうが、自分の一念が、そして、行動が、未来の結果となって明らかになる。
私が、みんなに厳しく指導するのは、仏法の因果の理法が厳しいからです。
たとえば、いやいやながら、義務感で御書の講義をしているとしたら、外見は菩薩界でも、一念は地獄界です。講義をしている姿は形式であり、いやだという心、義務感で苦しいという思い——これが本当の一念になる。
学会の活動をしている時も、御本尊に向かう場合も、大事なのは、この奥底の一念です。惰性に流され、いやいやながらの、中途半端な形式的な信心であれば、本当の歓喜も、幸福も、成仏もありません。
本当に信心の一念があれば、学会活動にも歓喜があり、顔色だってよくなるし、仕事でも知恵が出る。また、人生の途上に障害や苦難があっても、悠々と変毒為薬し、最後は一生成仏することができる」
(「若鷲」の章、358〜359ページ)
◇山本伸一の「御義口伝」講義
<1962年8月、山本伸一は、学生部を対象に「御義口伝」講義を開始する。その中で、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(御書710ページ)の御文を拝して、日蓮大聖人の仏法の特質について語る>
「これまで、仏法では、煩悩、すなわち、人間の欲望などを否定しているかのようにとらえられてきた。しかし、ここでは、その煩悩を燃やしていくなかに、仏の悟り、智慧があらわれると言われている。ここに大聖人の仏法の特質がある。真実の仏法は、決して、欲望を否定するものではないんです。
爾前経のなかでは、煩悩こそが、この世の不幸の原因であるとし、煩悩を断じ尽くすことを教えてきました。しかし、煩悩を、欲望を離れて人間はありません。その欲望をバネにして、崩れざる幸福を確立していく道を説いているのが、大聖人の仏法です。
みんなが大学で立派な成績をとりたいと思うのも、よい生活をしたいというのも煩悩であり、欲望です。また、この日本の国を救いたい、世界を平和にしたいと熱願する。これも煩悩です。大煩悩です。煩悩は、信心が根底にあれば、いくらでも、燃やしていいんです。むしろ大煩悩ほど大菩提となる。それが本当の仏法です」
(「若鷲」の章、357〜358ページ)
土木殿御返事 P964
『今年日本国一同に飢渇の上佐渡の国には七月七日已下天より忽ちに石灰虫と申す虫と雨等にて一時に稲穀損し其の上疫病処処に遍満し方方死難脱れ難きか、事事紙上に尽し難く候』
【通解】
今年は日本国全体に飢渇のうえに、佐渡の国には七月七日以降、空から急に石灰虫という虫が降ってきたのと雨等によって、いちどきに稲や穀物を損い、そのうえ伝染病があちこちに広く充満し、人々は死を脱れがたいようである。いろいろなことは紙上に尽くしがたい。
☆小説「新・人間革命」学習のために 第6巻
◇現実生活の中に喜びを発見
<1962年(昭和37年)1月、イランのテヘランを訪れた山本伸一は、現地の暮らしになじめずに悩む日本の婦人を励ます>
「現実というものは、理想や観念の尺度に、きちんと合うことはありえない。すると、ここが悪い、あそこが悪いとなり、失望が重なって、不平や不満だらけになってしまう。それは、たとえば、桜の木を基準に梅の木を見て、これは変な桜だと言って、落胆しているようなものでしょう。むしろ、こうでなくてはならないという、頭のなかでつくり上げた基準にこだわらず、もっと自由にものを見るべきです。
テヘランでの生活は、慣れないために、確かに大変な面もあると思います。でも、多かれ少なかれ、どこにいても、大変なことや、いやなことはあります。それは、どんな生活環境でも、どんな人間でも同じです。百パーセントすばらしい環境もなければ、そんな人間もいません。
あなたが基準とすべきは日本での暮らしではなく、ここでの生活です。それが現実なんですから、まず、そのまま受け入れ、ありのままに見つめてみようとすることです。(中略)
ありのままに現実を見つめて、なんらかのよい面を、楽しいことを発見し、それを生かしていこうとすることです。
これは、自分自身に対しても同じです。自分はどこまでいっても自分なのですから、他人を羨んでも仕方ありません。人間には短所もあれば、長所もある。だから、自分を見つめ、長所を発見し、それを伸ばしていけばいいんです。そこに価値の創造もある」
(「宝土」の章、36〜37ページ)
◇人間の心を利己から利他へ
<伸一は2月、エジプトを訪問。博物館でドイツ人学者に、高度な文明をもつ国々が滅びた共通の原因について、意見を求められる>
「もちろん、そこには、国内の経済的な衰退や内乱、他国による侵略、あるいは疫病の蔓延、自然災害など、その時々の複合的な要素があったと思います。
しかし、一言すれば、本質的な要因は、専制国家であれ、民主国家であれ、指導者をはじめ、その国の人びとの魂の腐敗、精神の退廃にあったのではないでしょうか。人間が皆、自分のことしか考えず、享楽的になっていけば、どんなに優れた文明をもっていても、国としての活力もなくなるし、まとまることはできません。(中略)
私は、一国の滅亡の要因は、国のなかに、さらにいえば、常に人間の心のなかにあるととらえています」(中略)
「この発想は、決して新しいものではありません。既に七百年も前に、日本の日蓮という方が述べられた見解です」(中略)
「日蓮という方は、日本の民衆が自然災害に苦しみ、内乱や他国の侵略の脅威に怯えていた時、救済に立ち上がられた仏法者です。
そして、国家、社会の根本となるのは人間であり、その人間の心を、破壊から建設へ、利己から利他へ、受動から能動へと転じ、民衆が社会の主体者となって、永遠の平和を確立していく哲理を示されました」
(「遠路」の章、129〜131ページ)
◇「真実」語り抜き「偏見」正せ
<4月の北海道総支部幹部会で伸一は、学会に対する世間の中傷が、いかに根拠のないものであるかを語る>
「理事長が、ある著名人と会った折に、『創価学会は仏壇を焼き、香典を持っていってしまう宗教ではないのですか』と聞かれたというのです。
そこで、理事長は『とんでもない。無認識もはなはだしい。学会では、ただの一度も、仏壇を焼けなどと言ったり、香典を持っていったことはありません』と説明しましたところ、その方は大変に驚いて、『そうでしたか。それは無認識でございました』と言っていたそうです。
社会の指導者といわれる人でも、学会の真実を見極めたうえで語っているわけではありません。
しかも、これまでもそうでしたが、学会の発展を恐れる勢力が、意図的に虚偽の情報を流しているケースが数多くあります。
学会を陥れるために、根も葉もない悪意の情報を流し、何も知らない一般の人びとに信じ込ませる。そして、悪い先入観を植えつけ、世論を操作して学会を排斥するというのが、現代の迫害の、一つの構図になっております。
したがって、私たちの広宣流布の活動は、誤った先入観に基づく人びとの誤解と偏見を正して、本当の学会の姿、仏法の真実を知らしめていくことから始まります。つまり誤解と戦い、偏見と戦うことこそ、末法の仏道修行であり、真実を語り説いていくことが折伏なのであります」
(「加速」の章、209〜210ページ)
◇責任感から強靱な生命力が
<伸一は、同行の幹部から激務の中にあって、ますます元気になっている理由を聞かれ、その要諦を語る>
「元気になるには、自ら勇んで活動していくことが大事だ。そして、自分の具体的な目標を決めて挑戦していくことだ。目標をもって力を尽くし、それが達成できれば喜びも大きい。また、学会活動のすばらしさは、同志のため、人びとのためという、慈悲の行動であることだ。それが、自分を強くしていく。
かつて、こんな話を聞いたことがある。終戦直後、ソ連に抑留された日本人のなかで、収容所から逃げ出した一団があった。餓死寸前のなかで逃避行を続けるが、最後まで生きのびたのは、一番体力があるはずの若い男性や女性ではなく、幼子を抱えた母親であったというのだ。
"自分が死ねば、この子どもも死ぬことになる。この子の命を助けなければ"という、わが子への思いが母を強くし、強靱な精神力と生命力を奮い起こさせていったのであろう。
私も、学会のこと、同志のことを考えると、倒れたり、休んだりしているわけにはいかない。その一念が、私を強くし、元気にしてくれる。
みんなも、どんな立場であっても、学会の組織の責任をもち、使命を果たし抜いていけば、強くなるし、必ず元気になっていくよ」
(「波浪」の章、265〜266ページ)
◇未来を決する「今の一念」
<伸一は8月、学生部へ「御義口伝」講義を開始。法華経の「秘妙方便」を通し、奥底の一念について指導>
「未来にどうなるかという因は、すべて、今の一念にある。現在、いかなる一念で、何をしているかによって、未来は決定づけられてしまう。
たとえば、信心をしているといっても、どのような一念で、頑張っているかが極めて大事になる。人の目や、先輩の目は、いくらでもごまかすことはできる。自分の奥底の一念というものは、他の人にはわからない。まさに『秘』ということになります。
しかし、生命の厳たる因果の理法だけはごまかせません。何をどう繕おうが、自分の一念が、そして、行動が、未来の結果となって明らかになる。
私が、みんなに厳しく指導するのは、仏法の因果の理法が厳しいからです。
たとえば、いやいやながら、義務感で御書の講義をしているとしたら、外見は菩薩界でも、一念は地獄界です。講義をしている姿は形式であり、いやだという心、義務感で苦しいという思い——これが本当の一念になる。
学会の活動をしている時も、御本尊に向かう場合も、大事なのは、この奥底の一念です。惰性に流され、いやいやながらの、中途半端な形式的な信心であれば、本当の歓喜も、幸福も、成仏もありません。
本当に信心の一念があれば、学会活動にも歓喜があり、顔色だってよくなるし、仕事でも知恵が出る。また、人生の途上に障害や苦難があっても、悠々と変毒為薬し、最後は一生成仏することができる」
(「若鷲」の章、358〜359ページ)
◇山本伸一の「御義口伝」講義
<1962年8月、山本伸一は、学生部を対象に「御義口伝」講義を開始する。その中で、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(御書710ページ)の御文を拝して、日蓮大聖人の仏法の特質について語る>
「これまで、仏法では、煩悩、すなわち、人間の欲望などを否定しているかのようにとらえられてきた。しかし、ここでは、その煩悩を燃やしていくなかに、仏の悟り、智慧があらわれると言われている。ここに大聖人の仏法の特質がある。真実の仏法は、決して、欲望を否定するものではないんです。
爾前経のなかでは、煩悩こそが、この世の不幸の原因であるとし、煩悩を断じ尽くすことを教えてきました。しかし、煩悩を、欲望を離れて人間はありません。その欲望をバネにして、崩れざる幸福を確立していく道を説いているのが、大聖人の仏法です。
みんなが大学で立派な成績をとりたいと思うのも、よい生活をしたいというのも煩悩であり、欲望です。また、この日本の国を救いたい、世界を平和にしたいと熱願する。これも煩悩です。大煩悩です。煩悩は、信心が根底にあれば、いくらでも、燃やしていいんです。むしろ大煩悩ほど大菩提となる。それが本当の仏法です」
(「若鷲」の章、357〜358ページ)
2020年5月6日水曜日
2020.05.06 わが友に贈る
「未来の果」は
「現在の因」にあり。
一人一人の行動が
人類の明日を開く。
今すべき事に挑もう!
松野殿御返事 P1382
『悪の因に十四あり一に?慢二に懈怠三に計我四に浅識五に著欲六に不解七に不信八に顰蹙九に疑惑十に誹謗十一に軽善十二に憎善十三に嫉善十四に恨善なり』
【通解・解説】
悪の因には十四ある。
一に僑慢 :増上慢と同意。慢心して仏法を侮ること、
二に、懈怠 :仏道修行を怠ること
三に、計我 :我見と同意。自己の考えで教義を判断すること
四に浅識 :自己の浅薄な知識をよりどころとして正法を批判しあるいは求めようとしないこと
五に著欲 :欲望に執着して仏法を求めないこと
六に、不解 :仏法の教義を理解せず自己満足していること
七に不信 :仏法を信じないこと
八に顰蹙 :顔を顰めることから仏法を非難すること
九に、疑惑 :仏法の教義を疑い惑うこと
十に誹謗 :仏法を謗り悪口をいうこと
十一に軽善 :仏法を信受する者を軽蔑し馬鹿にすること
十二に憎善 :仏法を信受する者を憎むこと
十三に嫉善 :仏法を信受する者を妬み嫉むこと
十四に恨善 :仏道を修行する者を恨むこと
名字の言 マイナス感情をプラスに変える秘訣 2020年5月6日
不安や恐れといった"マイナスの感情"は、生活のあらゆる場面で生まれるもの。では、どう対応すればいいか。映画「ツレがうつになりまして。」の原作者・細川貂々さんは、「水たまり」に例えて説明する▼心にマイナスの感情という「水たまり」ができた時は、感情を外に流す「川」をつくる必要がある。その「川」に当たるのが"身近な誰かに話を聞いてもらうこと"という(『わたしの主人公はわたし』平凡社)▼コロナ禍で、誰かと話をするのも控えがちになる。しかし、意思疎通の機会が減れば、"心の水たまり"は大きくなってしまう。口をつぐみがちな日々だからこそ、より一人一人の心を清らかな"川"でつなぐ必要がある▼3月に心臓疾患で入院した東京・新宿区の壮年部員。新型コロナの影響もあり、家族を含め面会は許されなかった。そんな時、地域の同志からの電話やメールが支えに。これまで"会うこと"にこだわるあまり、間接的な通信手段を軽んじてきた壮年は猛省。退院後、携帯電話を使い、生き生きと友に激励を送る▼励ましは"伝え方"ではなく、"相手を思う心"が第一。あす7日から「励まし月間」が始まる。直接、会えなくても、電話や手紙、メール、SNS等を駆使し、朗らかに支え合いたい。(森)
寸鉄 2020年5月6日
「朝朝・仏と共に起き」御書。朝の勝利が一日の勝利。今日も溌剌と出発
学会の強さは最前線から盛り上がる力に—恩師。現場の智慧を今こそ発揮
「美しい笑いは家の中の太陽」作家。家族との時間大切に。和楽は幸福の礎
緊急事態宣言が5月31日まで延長。皆が当事者意識強め接触減の工夫更に
感染への恐れが社会での偏見・差別に。不安除く要は正確な情報と身近な絆
☆小説「新・人間革命」学習のために 第5巻
◇成功は努力の積み重ねの異名
<1961年(昭和36年)10月、山本伸一はフランスでバレリーナとしての成功を目指す女性に励ましを送る>
「一流をめざすことは、大いに結構です。しかし、そのためには、一段階、一段階の目標を明確にし、日々徹底した努力と挑戦がなければなりません。
夢と決意とは違います。ただ、こうなりたい、ああなりたいと思っているだけで、血の滲み出るような精進がなければ、それは、はかない夢を見ているにすぎません。
一流になろうと、本当に決意しているならば、そこには、既に行動がある。既に努力があります。成功とは、努力の積み重ねの異名です。
夢と憧れだけをいだき、真剣な精進がなければ、気ばかり焦り、現実はますます惨めになってしまう。大切なのは足元を固めることです。仏法は最高の道理であり、その努力のなかに信仰がある。
また、自分を開花させ、崩れざる幸福を確立していくには、信心という生き方の確固たる基盤をつくることです。人間は自分の境涯が変わらなければ、いくら住む所が変わっても、何も変わりません。その境涯を革命するのが仏法です。
ともかく、二十年、三十年と、地道に信心を全うすることです。その時に、あなたの本当の人生の大勝利が待っています」
眼前の一人をいかに励まし、使命と幸福の大道を歩ませるか——壮大な広宣流布の流れも、そこから開かれる。いや、それが、すべてといってよいだろう。
(「開道」の章、40〜41ページ)
◇苦労は人生の最高の財産に
<61年10月、スイスで伸一は、父親の仕事の関係でジュネーブに暮らす、20歳ぐらいの双子の姉妹に、人生の本当の幸福について語る>
「寒い冬があるから、暖かい春が待ち遠しいし、春になった時には喜びがある。
いつも春ばかりだったら、喜びを味わうことなんかできないじゃないか。
人生も一緒だよ。いつも春ばかりではない。
冬のように、辛いこと、苦しいこともある。しかし、それに負けないで、必ず春が来るのだと信じて、頑張り続けていくことだ。
苦労なんてしたくないな、楽だけしていたいなと思っても、そんな人生は絶対にない。
お汁粉にだって、砂糖だけでなく、塩も入れるでしょ。それによって、砂糖の甘さが生きてくる。
あなたたちはこれまで、お父さん、お母さんに守られ、なんの不自由もなく、生きてきたと思う」(中略)
「自分を磨き、深めていくために、何か目標を決めて、苦しいなと思っても、負けずに挑戦していくことだよ。苦労というのは、本当は、人間としての最高の財産なんだ。
花が春になると、きれいに咲き香るのは、それまでに、たくさんの養分を蓄えてきたからなんだ。
あなたたちも、人生の幸福という花を咲かせてほしい。そのための生命の養分が信心であり、仏道修行なんです」
(「歓喜」の章、117〜118ページ)
◇堅固な団結の人材城を築け!
<61年11月、東北本部の落成式を終えた伸一は、かつて恩師・戸田城聖と共に歩いた宮城の青葉城址を訪れた>
青葉城址には、東北の青年部の幹部や学生部員も姿を見せていた。
彼は、皆で城址を巡りながら、石垣を指さした。
「ほら、見てごらん。大きな石も、小さな石も、いろいろな石が、きれいに、きちっと積み重ねられている。
だから、この石垣は堅固なんだね。これは、団結の象徴だよ。
私たちも、一人ひとりが力をつけることは当然だが、それだけでは広宣流布という大偉業を成し遂げることはできない。この石垣のように、互いに補い合い、団結していくことが大事だ。
人材の城というのは、人材の団結の城ということだ。団結は力であり、そこに学会の強さがある。
東北に人材の牙城をつくろう。そして、あの『新世紀の歌』のように、東北の君たちの力で、民衆の新世紀を開いていくんだよ」
青年たちの瞳が光った。山本伸一は、青葉城址の一角に立ち、一首の和歌を詠んだ。
人材の
城を築けと
決意ます
恩師の去りし
青葉に立つれば
彼の胸には、常に、師である戸田城聖の言葉がこだましていた。
(「勝利」の章、268〜269ページ)
◇民衆を守り抜く獅子と立て
<「大阪事件」の判決公判を翌日に控えた1962年(昭和37年)1月24日、伸一は関西の男子部幹部会に出席した>
ここでは、伸一は、大阪事件の経過を述べ、彼の逮捕自体、でっち上げにもとづく、不当なものであったことを断言したあと、こう語った。
「私は、いかなる迫害も受けて立ちます。もし、有罪となり、再び投獄されたとしても、大聖人の大難を思えば小さなことです。
また、牧口先生、戸田先生の遺志を継ぐ私には、自分の命を惜しむ心などありません。だが、善良なる市民を、真面目に人びとのために尽くしている民衆を苦しめるような権力とは、生涯、断固として戦い抜く決意であります。これは、私の宣言です。
仏法は勝負である。残酷な取り調べをした検事たちと、また、そうさせた権力と、私たちと、どちらが正しいか、永遠に見続けてまいりたいと思います」
伸一の言葉には、烈々たる気迫が込められていた。彼は、男子部には、自分と同じ心で、邪悪な権力とは敢然と戦い、民衆を守り抜く、獅子として立ってほしかった。
関西の若き同志は、伸一の言葉に、悪に抗する巌窟王のごとき、不撓不屈の金剛の信念を感じ取った。そして、それをわが心とし、広宣流布の長征の旅路を行くことを決意した。
伸一は、さらに、力を込めて呼びかけていった。
「日蓮大聖人の仏法は、いかなる哲学も及ばない、全人類を幸福にしゆく不滅の原理を説く大生命哲学であります。その仏法を弘めて、人びとを幸福にしていくのが地涌の菩薩であり、大聖人の弟子である私どもの使命です。
したがって、その自覚と信念のもとに、不幸な人の味方となり、どこまでも民衆の幸福を第一に、さらに、堂々と前進を開始しようではありませんか」
(「獅子」の章、342〜343ページ)
◇世界を結ぶ伸一の対話精神
1961年(昭和36年)10月、東西冷戦の象徴であるドイツの「ベルリンの壁」を前に伸一は、世界を結び平和を築きゆく誓いを胸に刻む。その夜、同行のメンバーに「対話の道」「平和の道」を開く決意を語る。
「私がやろうとしているのは『対話』だよ。(中略)
一人の人間として、真剣に語り合うことだ。どんな指導者であれ、また、強大な権力者であれ、人間は人間なんだよ。権力者だと思うから話がややこしくなる。みんな同じ人間じゃないか。そして、人間である限り、誰でも、必ず平和を願う心があるはずだ。その心に、語りかけ、呼び覚ましていくことだよ」
◇
「また、もう一つ大切なことは、民衆と民衆の心を、どう繋ぐことができるかです。社会体制や国家といっても、それを支えているのは民衆だ。その民衆同士が、国家や体制の壁を超えて、理解と信頼を育んでいくならば、最も確かな平和の土壌がつくられる。
それには、芸術や教育など、文化の交流が大事になる。その国や民族の音楽、舞踊などを知ることは、人間の心と心を近づけ、結び合っていくことになる。本来、文化には国境はない。
これから、私は世界の各界の指導者とどんどん会って対話するとともに、文化交流を推進し、平和の道を開いていきます」
◇
「学会によって、無名の民衆が見事に蘇生し、その人たちが、社会を建設する大きな力になっていることを知れば、賢明な指導者ならば、必ず、学会に深い関心を寄せるはずです。いや、既に、大いなる関心をもっているでしょう。
そうであれば、学会の指導者と会い、話を聞きたいと思うのは当然です。
また、こちらが一民間人である方が、相手も政治的な駆け引きや、国の利害にとらわれずに、率直に語り合えるものではないだろうか。私は、互いに胸襟を開いて語り合い、同じ人間として、友人として、よりよい未来をどう築くかを、ともに探っていくつもりです。民衆の幸福を考え、平和を願っている指導者であるならば、立場や主義主張の違いを超えて、必ず理解し合えると信じている」
◇
「私はやります。長い、長い戦いになるが、二十年後、三十年後をめざして、忍耐強く、道を開いていきます。そして、その平和と友情の道を、さらに、後継の青年たちが開き、地球の隅々にまで広げて、二十一世紀は人間の凱歌の世紀にしなければならない。それが私の信念だ」(「開道」の章、8〜11ページ)
「現在の因」にあり。
一人一人の行動が
人類の明日を開く。
今すべき事に挑もう!
松野殿御返事 P1382
『悪の因に十四あり一に?慢二に懈怠三に計我四に浅識五に著欲六に不解七に不信八に顰蹙九に疑惑十に誹謗十一に軽善十二に憎善十三に嫉善十四に恨善なり』
【通解・解説】
悪の因には十四ある。
一に僑慢 :増上慢と同意。慢心して仏法を侮ること、
二に、懈怠 :仏道修行を怠ること
三に、計我 :我見と同意。自己の考えで教義を判断すること
四に浅識 :自己の浅薄な知識をよりどころとして正法を批判しあるいは求めようとしないこと
五に著欲 :欲望に執着して仏法を求めないこと
六に、不解 :仏法の教義を理解せず自己満足していること
七に不信 :仏法を信じないこと
八に顰蹙 :顔を顰めることから仏法を非難すること
九に、疑惑 :仏法の教義を疑い惑うこと
十に誹謗 :仏法を謗り悪口をいうこと
十一に軽善 :仏法を信受する者を軽蔑し馬鹿にすること
十二に憎善 :仏法を信受する者を憎むこと
十三に嫉善 :仏法を信受する者を妬み嫉むこと
十四に恨善 :仏道を修行する者を恨むこと
名字の言 マイナス感情をプラスに変える秘訣 2020年5月6日
不安や恐れといった"マイナスの感情"は、生活のあらゆる場面で生まれるもの。では、どう対応すればいいか。映画「ツレがうつになりまして。」の原作者・細川貂々さんは、「水たまり」に例えて説明する▼心にマイナスの感情という「水たまり」ができた時は、感情を外に流す「川」をつくる必要がある。その「川」に当たるのが"身近な誰かに話を聞いてもらうこと"という(『わたしの主人公はわたし』平凡社)▼コロナ禍で、誰かと話をするのも控えがちになる。しかし、意思疎通の機会が減れば、"心の水たまり"は大きくなってしまう。口をつぐみがちな日々だからこそ、より一人一人の心を清らかな"川"でつなぐ必要がある▼3月に心臓疾患で入院した東京・新宿区の壮年部員。新型コロナの影響もあり、家族を含め面会は許されなかった。そんな時、地域の同志からの電話やメールが支えに。これまで"会うこと"にこだわるあまり、間接的な通信手段を軽んじてきた壮年は猛省。退院後、携帯電話を使い、生き生きと友に激励を送る▼励ましは"伝え方"ではなく、"相手を思う心"が第一。あす7日から「励まし月間」が始まる。直接、会えなくても、電話や手紙、メール、SNS等を駆使し、朗らかに支え合いたい。(森)
寸鉄 2020年5月6日
「朝朝・仏と共に起き」御書。朝の勝利が一日の勝利。今日も溌剌と出発
学会の強さは最前線から盛り上がる力に—恩師。現場の智慧を今こそ発揮
「美しい笑いは家の中の太陽」作家。家族との時間大切に。和楽は幸福の礎
緊急事態宣言が5月31日まで延長。皆が当事者意識強め接触減の工夫更に
感染への恐れが社会での偏見・差別に。不安除く要は正確な情報と身近な絆
☆小説「新・人間革命」学習のために 第5巻
◇成功は努力の積み重ねの異名
<1961年(昭和36年)10月、山本伸一はフランスでバレリーナとしての成功を目指す女性に励ましを送る>
「一流をめざすことは、大いに結構です。しかし、そのためには、一段階、一段階の目標を明確にし、日々徹底した努力と挑戦がなければなりません。
夢と決意とは違います。ただ、こうなりたい、ああなりたいと思っているだけで、血の滲み出るような精進がなければ、それは、はかない夢を見ているにすぎません。
一流になろうと、本当に決意しているならば、そこには、既に行動がある。既に努力があります。成功とは、努力の積み重ねの異名です。
夢と憧れだけをいだき、真剣な精進がなければ、気ばかり焦り、現実はますます惨めになってしまう。大切なのは足元を固めることです。仏法は最高の道理であり、その努力のなかに信仰がある。
また、自分を開花させ、崩れざる幸福を確立していくには、信心という生き方の確固たる基盤をつくることです。人間は自分の境涯が変わらなければ、いくら住む所が変わっても、何も変わりません。その境涯を革命するのが仏法です。
ともかく、二十年、三十年と、地道に信心を全うすることです。その時に、あなたの本当の人生の大勝利が待っています」
眼前の一人をいかに励まし、使命と幸福の大道を歩ませるか——壮大な広宣流布の流れも、そこから開かれる。いや、それが、すべてといってよいだろう。
(「開道」の章、40〜41ページ)
◇苦労は人生の最高の財産に
<61年10月、スイスで伸一は、父親の仕事の関係でジュネーブに暮らす、20歳ぐらいの双子の姉妹に、人生の本当の幸福について語る>
「寒い冬があるから、暖かい春が待ち遠しいし、春になった時には喜びがある。
いつも春ばかりだったら、喜びを味わうことなんかできないじゃないか。
人生も一緒だよ。いつも春ばかりではない。
冬のように、辛いこと、苦しいこともある。しかし、それに負けないで、必ず春が来るのだと信じて、頑張り続けていくことだ。
苦労なんてしたくないな、楽だけしていたいなと思っても、そんな人生は絶対にない。
お汁粉にだって、砂糖だけでなく、塩も入れるでしょ。それによって、砂糖の甘さが生きてくる。
あなたたちはこれまで、お父さん、お母さんに守られ、なんの不自由もなく、生きてきたと思う」(中略)
「自分を磨き、深めていくために、何か目標を決めて、苦しいなと思っても、負けずに挑戦していくことだよ。苦労というのは、本当は、人間としての最高の財産なんだ。
花が春になると、きれいに咲き香るのは、それまでに、たくさんの養分を蓄えてきたからなんだ。
あなたたちも、人生の幸福という花を咲かせてほしい。そのための生命の養分が信心であり、仏道修行なんです」
(「歓喜」の章、117〜118ページ)
◇堅固な団結の人材城を築け!
<61年11月、東北本部の落成式を終えた伸一は、かつて恩師・戸田城聖と共に歩いた宮城の青葉城址を訪れた>
青葉城址には、東北の青年部の幹部や学生部員も姿を見せていた。
彼は、皆で城址を巡りながら、石垣を指さした。
「ほら、見てごらん。大きな石も、小さな石も、いろいろな石が、きれいに、きちっと積み重ねられている。
だから、この石垣は堅固なんだね。これは、団結の象徴だよ。
私たちも、一人ひとりが力をつけることは当然だが、それだけでは広宣流布という大偉業を成し遂げることはできない。この石垣のように、互いに補い合い、団結していくことが大事だ。
人材の城というのは、人材の団結の城ということだ。団結は力であり、そこに学会の強さがある。
東北に人材の牙城をつくろう。そして、あの『新世紀の歌』のように、東北の君たちの力で、民衆の新世紀を開いていくんだよ」
青年たちの瞳が光った。山本伸一は、青葉城址の一角に立ち、一首の和歌を詠んだ。
人材の
城を築けと
決意ます
恩師の去りし
青葉に立つれば
彼の胸には、常に、師である戸田城聖の言葉がこだましていた。
(「勝利」の章、268〜269ページ)
◇民衆を守り抜く獅子と立て
<「大阪事件」の判決公判を翌日に控えた1962年(昭和37年)1月24日、伸一は関西の男子部幹部会に出席した>
ここでは、伸一は、大阪事件の経過を述べ、彼の逮捕自体、でっち上げにもとづく、不当なものであったことを断言したあと、こう語った。
「私は、いかなる迫害も受けて立ちます。もし、有罪となり、再び投獄されたとしても、大聖人の大難を思えば小さなことです。
また、牧口先生、戸田先生の遺志を継ぐ私には、自分の命を惜しむ心などありません。だが、善良なる市民を、真面目に人びとのために尽くしている民衆を苦しめるような権力とは、生涯、断固として戦い抜く決意であります。これは、私の宣言です。
仏法は勝負である。残酷な取り調べをした検事たちと、また、そうさせた権力と、私たちと、どちらが正しいか、永遠に見続けてまいりたいと思います」
伸一の言葉には、烈々たる気迫が込められていた。彼は、男子部には、自分と同じ心で、邪悪な権力とは敢然と戦い、民衆を守り抜く、獅子として立ってほしかった。
関西の若き同志は、伸一の言葉に、悪に抗する巌窟王のごとき、不撓不屈の金剛の信念を感じ取った。そして、それをわが心とし、広宣流布の長征の旅路を行くことを決意した。
伸一は、さらに、力を込めて呼びかけていった。
「日蓮大聖人の仏法は、いかなる哲学も及ばない、全人類を幸福にしゆく不滅の原理を説く大生命哲学であります。その仏法を弘めて、人びとを幸福にしていくのが地涌の菩薩であり、大聖人の弟子である私どもの使命です。
したがって、その自覚と信念のもとに、不幸な人の味方となり、どこまでも民衆の幸福を第一に、さらに、堂々と前進を開始しようではありませんか」
(「獅子」の章、342〜343ページ)
◇世界を結ぶ伸一の対話精神
1961年(昭和36年)10月、東西冷戦の象徴であるドイツの「ベルリンの壁」を前に伸一は、世界を結び平和を築きゆく誓いを胸に刻む。その夜、同行のメンバーに「対話の道」「平和の道」を開く決意を語る。
「私がやろうとしているのは『対話』だよ。(中略)
一人の人間として、真剣に語り合うことだ。どんな指導者であれ、また、強大な権力者であれ、人間は人間なんだよ。権力者だと思うから話がややこしくなる。みんな同じ人間じゃないか。そして、人間である限り、誰でも、必ず平和を願う心があるはずだ。その心に、語りかけ、呼び覚ましていくことだよ」
◇
「また、もう一つ大切なことは、民衆と民衆の心を、どう繋ぐことができるかです。社会体制や国家といっても、それを支えているのは民衆だ。その民衆同士が、国家や体制の壁を超えて、理解と信頼を育んでいくならば、最も確かな平和の土壌がつくられる。
それには、芸術や教育など、文化の交流が大事になる。その国や民族の音楽、舞踊などを知ることは、人間の心と心を近づけ、結び合っていくことになる。本来、文化には国境はない。
これから、私は世界の各界の指導者とどんどん会って対話するとともに、文化交流を推進し、平和の道を開いていきます」
◇
「学会によって、無名の民衆が見事に蘇生し、その人たちが、社会を建設する大きな力になっていることを知れば、賢明な指導者ならば、必ず、学会に深い関心を寄せるはずです。いや、既に、大いなる関心をもっているでしょう。
そうであれば、学会の指導者と会い、話を聞きたいと思うのは当然です。
また、こちらが一民間人である方が、相手も政治的な駆け引きや、国の利害にとらわれずに、率直に語り合えるものではないだろうか。私は、互いに胸襟を開いて語り合い、同じ人間として、友人として、よりよい未来をどう築くかを、ともに探っていくつもりです。民衆の幸福を考え、平和を願っている指導者であるならば、立場や主義主張の違いを超えて、必ず理解し合えると信じている」
◇
「私はやります。長い、長い戦いになるが、二十年後、三十年後をめざして、忍耐強く、道を開いていきます。そして、その平和と友情の道を、さらに、後継の青年たちが開き、地球の隅々にまで広げて、二十一世紀は人間の凱歌の世紀にしなければならない。それが私の信念だ」(「開道」の章、8〜11ページ)
2020年5月5日火曜日
2020.05.05 わが友に贈る
「ありがとう」は
皆の笑顔輝く光の言葉。
身近な人にこそ誠実に
感謝の思いを伝えよう!
「心こそ大切なれ」
聖愚問答抄上 P482
『釈の意は経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり』
【通解】
この釈の心は経文に根拠が明らかであるものを用いよ、文証の無いものは捨てよ、ということである。
名字の言 砲声の中、講義を続けた福沢諭吉 2020年5月5日
慶應義塾を創立した福沢諭吉が語っている。「世の中に如何なる騒動があっても変乱があっても未だ曾て洋学の命脈を断やしたことはないぞよ」と。教育に懸ける彼の情熱は烈々たるものがあった▼明治元年、上野で内戦が起こった時も、砲声が轟く中、彼は悠々と英語の原書を使って経済学の講義を続けた。世の混乱に左右されず、次代を担う人材の育成に徹した。胸には"この塾があれば日本は世界が認める文明の大国となる"との気概が燃えていた(『福翁自伝』岩波文庫)▼翻って学会の歴史を思う。いわゆる言論問題、宗門事件など、広布を阻む障壁が立ちはだかるたびに、池田先生は後継の育成に全力を注いだ。"未来を見ていよ"と。直接会えない時も、和歌を詠み、書をつづり、草の根を分けるようにして激励の手を差し伸べた。そうして薫育した人材が今、世界各地で活躍する▼社会を建設する一番の力は何か。政治、経済も大切だろう。しかし、その全てを担うのは人間だ。人材育成が根本である▼海は、天候によって波が荒れることもある。だが、潮流は変わらず、水底でゆるやかに流れ続ける。私たちもまた、とどまることなき潮流のように若い世代を励ましていこう。きょうは、その誓いを深め合う「創価学会後継者の日」。(実)
寸鉄 2020年5月5日
戸田先生「同志と声を掛け合い勝ち進むのが仏道修行」。励ましを隅々に
御書「法華経の命を継ぐ人なれば」。信心継承と、共に成長の家族座談会を
神奈川の日。正義の師子は試練の時こそ本領発揮希望のスクラムを拡大!
東京・豊島の日。三代会長有縁の友は常に勇敢、朗らか。さあ祈り強く前進
4月、交通事故半減も死亡増加。速度超過、歩行者飛び出し等で。油断大敵
☆きょう 5・5「創価学会後継者の日」
一、朝晩の勤行・唱題に挑戦しよう
一、早寝早起きを心掛けよう
一、勉強・読書に取り組もう
一、親孝行をしていこう
一、わが家の信心の歴史をきいてみよう
一、池田先生の未来部書籍を学んでいこう
一、「未来部ジャーナル」「少年少女きぼう新聞」を読もう
◇心に御書を 第38回 時代の闇照らす青年の光を
〈御文〉
『心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり』(兄弟抄、1088ページ)
〈通解〉
わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない、とは六波羅蜜経の文である。
〈池田先生が贈る指針〉
心は「一日の中に八億四千念あり」といわれるほど揺れ動く。厳しい社会情勢で、不安や動揺はなおさらだ。
その中で、妙法という「心の師」を持つ創価の青年たちは立正安国の祈りと貢献を貫いている。若き励ましの連帯こそ、時代の闇を破る力だ。
地球を照らす勇気と英知の光を! 希望の歌声で心を結んで!
☆小説「新・人間革命」学習のために 第4巻
◇我々は戦おうじゃないか!
<1961年(昭和36年)3月16日、山本伸一は青年部の音楽祭で、3年前の同日に行われた広宣流布の記念式典での恩師・戸田城聖との思い出を振り返り、指導>
「(戸田)先生は、その式典が終わって、帰られる直前に、一言、こう言われました。
『我々は、戦おうじゃないか!』
その意味は、限りなく深いと思います。
不幸な民衆を救っていく戦い、誤った宗教との戦い、不当な権力との戦い、自己自身との戦いなど、いっさいを含んだうえでの、戸田先生のお言葉であったにちがいありません。
ともあれ、衰弱しきったお体でありながら、眼光鋭く、毅然として言われた、『我々は、戦おうじゃないか!』との先生のお言葉を、私は、電撃に打たれた思いで、聞いておりました。
そして、何ものをも恐れず、広宣流布に向かって戦うことを、私は、その時、再び決意いたしました。
これは、先生の魂の叫びであります。命の言葉であります。私たちは、このお言葉を深く胸に刻み、広宣流布の日まで、断固、戦い抜こうではありませんか」
伸一のこの日のあいさつは、聖教新聞に掲載され、これを目にした全国の会員は、決然と奮い立った。
「我々は、戦おうじゃないか!」との言葉は、同志の合言葉ともなった。
(「春嵐」の章、46〜47ページ)
◇信心と真心の一念の声を
<支部長に就任したものの、口べたなことに不安を抱く浜田厳介に、伸一は御書を通して励ましを送る>
伸一は、浜田に尋ねた。
「あなたは今、何を悩んでいますか」
「はい。私は、みんなを納得させられるような話もできません。
どうやって活動を進めればよいのかと思うと……」
すると伸一は、同行した幹部に紙と墨を用意するように頼んだ。
そして、筆を手にして、「声仏事」と認め、浜田に贈った。
「御書には『声仏事を為す』(七〇八ページ)とあります。語ることが仏法です。お題目を唱えて、ともかく、人を励まし続けていくことです。そうすれば、ちゃんと話せるようになります。しかし、長い話をすることはない。一言でもよい。信心と真心の一念の声を発することです」
この山本会長の言葉を、浜田は、決して、忘れることはなかった。
彼が支部長として活動を始めると、方針の打ち出しや説明は、彼を補佐する、ほかの幹部がしてくれた。浜田の人徳でもある。
そして、彼は一言、全精魂を込めて、こう呼びかけるのであった。
「やらこいな!」(やろうじゃないか)
しかし、その浜田のたった一言が、いつも皆の胸に響いた。その言葉で、同志は奮い立ち、島根の広布の大発展をもたらしていくことになるのである。
(「凱旋」の章、117〜118ページ)
◇青年部が全責任を担い立て
<5月、伸一は青年部のリーダーとの懇談で、学会を担い立つ自覚について訴える>
「戸田先生の時代、青年部は学会の全責任を担い、常に学会の発展の原動力になっていた。戸田先生の言われた七十五万世帯は、誰がやらなくとも、青年部の手で成就しようという気概があった。そして、各支部や地区にあっても、青年が布教の先頭に立ってきた。また、何か問題が生じた時に、真っ先に飛んで行き、対処してきたのも青年部であった。すべてを青年部の手で担ってきました。
だから、戸田先生も、『青年部は私の直系だ』と言われ、その成長に、最大の期待を寄せてくださっていたのです。しかし、学会が大きくなり、組織が整ってくるにつれて、青年が壮年や婦人の陰に隠れ、十分に力が発揮されなくなってきているように思えてならない。端的にいえば、自分たちだけで小さくまとまっていく傾向にあることが、私は心配なんです。青年部に、学会の全責任を担うという自覚がなければ、いつまでたっても、後継者として育つことなどできません」(中略)
彼は、一部員であったころから、戸田の広宣流布の構想を実現するために、学会の全責任をもとうとしてきた。その自覚は班長の時代も、青年部の室長の時代も、常に変わらなかった。もちろん、立場、役職によって、責任の分野や役割は異なっていた。しかし、内面の自覚においては、戸田の弟子として、師の心をわが心とし、学会のいっさいを自己の責任として考えてきた。
(「青葉」の章、155〜156ページ)
◇人生の根本目的は広宣流布
<水滸会の友との質問会で、伸一は「仏法への帰命」について語る>
「帰命という問題ですが、現代の状況のなかでは、自分の人生の根本の目的は広宣流布であると決めて、生きて、生きて、生き抜くことが、仏法に身命を奉ることになるといえるでしょう。
広宣流布を自分の人生の根本目的とするならば、学会員として、職場にあっても第一人者にならざるを得ない。自分が職場の敗北者となってしまえば、仏法のすばらしさなど証明できないし、誰も信心など、するわけがないからです。また、家庭にしても、和楽の家庭をつくらなければならないし、健康にも留意することになる。
ゆえに、広宣流布を根本にした人生を歩むということは、社会の勝利者となって、幸福になっていくということなんです。したがって、それは、決して、悲壮感が漂うような生き方とはなりません」
いつの間にか、屋外の雨の音も消えていた。
伸一は、「帰命」ということについて、さらに別の角度から語っていった。
「見方を変えて語るならば、たとえば、広宣流布のために活動する時間をどれだけもつか、ということにもなってきます。
これは、極めて計量的な言い方だが、仮に一日二時間の学会活動を、六十年間にわたってすれば、計算上は五年間の命を仏法に捧げたことになる。
ともあれ、広宣流布こそわが生涯と決めて、自らの使命を果たそうとしていく生き方自体が、仏法に帰命していることに等しいといえます」
(「立正安国」の章、255〜256ページ)
◇未来へ、大飛躍の時は「今」
<伸一は、10月の欧州訪問でデンマークのコペンハーゲンを訪れた際、仕事が多忙で思うように学会活動に参加できずにいた男子部員の塩田啓造を激励する>
「いいんだよ。仕事が大変なことはわかっている。ただ、心は、一歩たりとも信心から離れないことだ。
また、こうして、少しでも時間があれば、私にぶつかって来る、あるいは、先輩にぶつかっていくということが大事なんだよ。
私も、なすべき課題は山ほどあるが、時間は限られている。そこで、心がけていることは、一瞬たりとも時間を無駄にしないということだ。さっきも、日本の同志に、手紙を書いていたんだよ」
見ると、机の上には、既に書き上げられた、二十通ほどの封書や絵葉書があった。
それは、塩田の胸に、勇気の炎を燃え上がらせた。
"忙しいのは、自分だけじゃないんだ。先生は、もっと忙しいなか、こうして戦われているんだ。ぼくも挑戦を忘れてはいけないんだ!"(中略)
伸一は、さらに、言葉をついだ。
「塩田君。人生は長いようで短い。ましてや、青年時代は、あっという間に過ぎていってしまう。今、学会は、未来に向かって、大飛躍をしようとしている。広宣流布の大闘争の『時』が来ているんだ。時は『今』だよ」
(「大光」の章、315〜316ページ)
山本伸一の「立正安国論」講義
<第4巻で描かれる1961年(昭和36年)は、自然災害や疫病が猛威をふるい、国際情勢も不安定だった。
この年の8月、山本伸一は夏季講習会で「立正安国論」を講義した。
ここでは、「立正安国」の章から、その講義の一部を紹介する>
伸一は、「須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書三一ページ)の御文では、仏法者の社会的使命について論じていった。(中略)
「この意味は、『当然のこととして、一身の安堵、つまり、個人の安泰を願うならば、まず、四表、すなわち、社会の安定、世界の平和を祈るべきである』ということです。
ここには、仏法者の姿勢が明確に示されている。
自分の安らぎのみを願って、自己の世界にこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます」
(287〜288ページ)
◇
「世の中の繁栄と平和を築いていく要諦は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人ひとりの生命の変革による"個"の確立にあります。
そして、社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を促し、行動となっていかざるを得ない。
創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります」
(288ページ)
◇
<新型コロナウイルスの感染が広がり、世界中が不安に覆われる今、真の仏法者として「利他」の精神を輝かせ、「四表の静謐」を強く祈り抜いていきたい>
皆の笑顔輝く光の言葉。
身近な人にこそ誠実に
感謝の思いを伝えよう!
「心こそ大切なれ」
聖愚問答抄上 P482
『釈の意は経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり』
【通解】
この釈の心は経文に根拠が明らかであるものを用いよ、文証の無いものは捨てよ、ということである。
名字の言 砲声の中、講義を続けた福沢諭吉 2020年5月5日
慶應義塾を創立した福沢諭吉が語っている。「世の中に如何なる騒動があっても変乱があっても未だ曾て洋学の命脈を断やしたことはないぞよ」と。教育に懸ける彼の情熱は烈々たるものがあった▼明治元年、上野で内戦が起こった時も、砲声が轟く中、彼は悠々と英語の原書を使って経済学の講義を続けた。世の混乱に左右されず、次代を担う人材の育成に徹した。胸には"この塾があれば日本は世界が認める文明の大国となる"との気概が燃えていた(『福翁自伝』岩波文庫)▼翻って学会の歴史を思う。いわゆる言論問題、宗門事件など、広布を阻む障壁が立ちはだかるたびに、池田先生は後継の育成に全力を注いだ。"未来を見ていよ"と。直接会えない時も、和歌を詠み、書をつづり、草の根を分けるようにして激励の手を差し伸べた。そうして薫育した人材が今、世界各地で活躍する▼社会を建設する一番の力は何か。政治、経済も大切だろう。しかし、その全てを担うのは人間だ。人材育成が根本である▼海は、天候によって波が荒れることもある。だが、潮流は変わらず、水底でゆるやかに流れ続ける。私たちもまた、とどまることなき潮流のように若い世代を励ましていこう。きょうは、その誓いを深め合う「創価学会後継者の日」。(実)
寸鉄 2020年5月5日
戸田先生「同志と声を掛け合い勝ち進むのが仏道修行」。励ましを隅々に
御書「法華経の命を継ぐ人なれば」。信心継承と、共に成長の家族座談会を
神奈川の日。正義の師子は試練の時こそ本領発揮希望のスクラムを拡大!
東京・豊島の日。三代会長有縁の友は常に勇敢、朗らか。さあ祈り強く前進
4月、交通事故半減も死亡増加。速度超過、歩行者飛び出し等で。油断大敵
☆きょう 5・5「創価学会後継者の日」
一、朝晩の勤行・唱題に挑戦しよう
一、早寝早起きを心掛けよう
一、勉強・読書に取り組もう
一、親孝行をしていこう
一、わが家の信心の歴史をきいてみよう
一、池田先生の未来部書籍を学んでいこう
一、「未来部ジャーナル」「少年少女きぼう新聞」を読もう
◇心に御書を 第38回 時代の闇照らす青年の光を
〈御文〉
『心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり』(兄弟抄、1088ページ)
〈通解〉
わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない、とは六波羅蜜経の文である。
〈池田先生が贈る指針〉
心は「一日の中に八億四千念あり」といわれるほど揺れ動く。厳しい社会情勢で、不安や動揺はなおさらだ。
その中で、妙法という「心の師」を持つ創価の青年たちは立正安国の祈りと貢献を貫いている。若き励ましの連帯こそ、時代の闇を破る力だ。
地球を照らす勇気と英知の光を! 希望の歌声で心を結んで!
☆小説「新・人間革命」学習のために 第4巻
◇我々は戦おうじゃないか!
<1961年(昭和36年)3月16日、山本伸一は青年部の音楽祭で、3年前の同日に行われた広宣流布の記念式典での恩師・戸田城聖との思い出を振り返り、指導>
「(戸田)先生は、その式典が終わって、帰られる直前に、一言、こう言われました。
『我々は、戦おうじゃないか!』
その意味は、限りなく深いと思います。
不幸な民衆を救っていく戦い、誤った宗教との戦い、不当な権力との戦い、自己自身との戦いなど、いっさいを含んだうえでの、戸田先生のお言葉であったにちがいありません。
ともあれ、衰弱しきったお体でありながら、眼光鋭く、毅然として言われた、『我々は、戦おうじゃないか!』との先生のお言葉を、私は、電撃に打たれた思いで、聞いておりました。
そして、何ものをも恐れず、広宣流布に向かって戦うことを、私は、その時、再び決意いたしました。
これは、先生の魂の叫びであります。命の言葉であります。私たちは、このお言葉を深く胸に刻み、広宣流布の日まで、断固、戦い抜こうではありませんか」
伸一のこの日のあいさつは、聖教新聞に掲載され、これを目にした全国の会員は、決然と奮い立った。
「我々は、戦おうじゃないか!」との言葉は、同志の合言葉ともなった。
(「春嵐」の章、46〜47ページ)
◇信心と真心の一念の声を
<支部長に就任したものの、口べたなことに不安を抱く浜田厳介に、伸一は御書を通して励ましを送る>
伸一は、浜田に尋ねた。
「あなたは今、何を悩んでいますか」
「はい。私は、みんなを納得させられるような話もできません。
どうやって活動を進めればよいのかと思うと……」
すると伸一は、同行した幹部に紙と墨を用意するように頼んだ。
そして、筆を手にして、「声仏事」と認め、浜田に贈った。
「御書には『声仏事を為す』(七〇八ページ)とあります。語ることが仏法です。お題目を唱えて、ともかく、人を励まし続けていくことです。そうすれば、ちゃんと話せるようになります。しかし、長い話をすることはない。一言でもよい。信心と真心の一念の声を発することです」
この山本会長の言葉を、浜田は、決して、忘れることはなかった。
彼が支部長として活動を始めると、方針の打ち出しや説明は、彼を補佐する、ほかの幹部がしてくれた。浜田の人徳でもある。
そして、彼は一言、全精魂を込めて、こう呼びかけるのであった。
「やらこいな!」(やろうじゃないか)
しかし、その浜田のたった一言が、いつも皆の胸に響いた。その言葉で、同志は奮い立ち、島根の広布の大発展をもたらしていくことになるのである。
(「凱旋」の章、117〜118ページ)
◇青年部が全責任を担い立て
<5月、伸一は青年部のリーダーとの懇談で、学会を担い立つ自覚について訴える>
「戸田先生の時代、青年部は学会の全責任を担い、常に学会の発展の原動力になっていた。戸田先生の言われた七十五万世帯は、誰がやらなくとも、青年部の手で成就しようという気概があった。そして、各支部や地区にあっても、青年が布教の先頭に立ってきた。また、何か問題が生じた時に、真っ先に飛んで行き、対処してきたのも青年部であった。すべてを青年部の手で担ってきました。
だから、戸田先生も、『青年部は私の直系だ』と言われ、その成長に、最大の期待を寄せてくださっていたのです。しかし、学会が大きくなり、組織が整ってくるにつれて、青年が壮年や婦人の陰に隠れ、十分に力が発揮されなくなってきているように思えてならない。端的にいえば、自分たちだけで小さくまとまっていく傾向にあることが、私は心配なんです。青年部に、学会の全責任を担うという自覚がなければ、いつまでたっても、後継者として育つことなどできません」(中略)
彼は、一部員であったころから、戸田の広宣流布の構想を実現するために、学会の全責任をもとうとしてきた。その自覚は班長の時代も、青年部の室長の時代も、常に変わらなかった。もちろん、立場、役職によって、責任の分野や役割は異なっていた。しかし、内面の自覚においては、戸田の弟子として、師の心をわが心とし、学会のいっさいを自己の責任として考えてきた。
(「青葉」の章、155〜156ページ)
◇人生の根本目的は広宣流布
<水滸会の友との質問会で、伸一は「仏法への帰命」について語る>
「帰命という問題ですが、現代の状況のなかでは、自分の人生の根本の目的は広宣流布であると決めて、生きて、生きて、生き抜くことが、仏法に身命を奉ることになるといえるでしょう。
広宣流布を自分の人生の根本目的とするならば、学会員として、職場にあっても第一人者にならざるを得ない。自分が職場の敗北者となってしまえば、仏法のすばらしさなど証明できないし、誰も信心など、するわけがないからです。また、家庭にしても、和楽の家庭をつくらなければならないし、健康にも留意することになる。
ゆえに、広宣流布を根本にした人生を歩むということは、社会の勝利者となって、幸福になっていくということなんです。したがって、それは、決して、悲壮感が漂うような生き方とはなりません」
いつの間にか、屋外の雨の音も消えていた。
伸一は、「帰命」ということについて、さらに別の角度から語っていった。
「見方を変えて語るならば、たとえば、広宣流布のために活動する時間をどれだけもつか、ということにもなってきます。
これは、極めて計量的な言い方だが、仮に一日二時間の学会活動を、六十年間にわたってすれば、計算上は五年間の命を仏法に捧げたことになる。
ともあれ、広宣流布こそわが生涯と決めて、自らの使命を果たそうとしていく生き方自体が、仏法に帰命していることに等しいといえます」
(「立正安国」の章、255〜256ページ)
◇未来へ、大飛躍の時は「今」
<伸一は、10月の欧州訪問でデンマークのコペンハーゲンを訪れた際、仕事が多忙で思うように学会活動に参加できずにいた男子部員の塩田啓造を激励する>
「いいんだよ。仕事が大変なことはわかっている。ただ、心は、一歩たりとも信心から離れないことだ。
また、こうして、少しでも時間があれば、私にぶつかって来る、あるいは、先輩にぶつかっていくということが大事なんだよ。
私も、なすべき課題は山ほどあるが、時間は限られている。そこで、心がけていることは、一瞬たりとも時間を無駄にしないということだ。さっきも、日本の同志に、手紙を書いていたんだよ」
見ると、机の上には、既に書き上げられた、二十通ほどの封書や絵葉書があった。
それは、塩田の胸に、勇気の炎を燃え上がらせた。
"忙しいのは、自分だけじゃないんだ。先生は、もっと忙しいなか、こうして戦われているんだ。ぼくも挑戦を忘れてはいけないんだ!"(中略)
伸一は、さらに、言葉をついだ。
「塩田君。人生は長いようで短い。ましてや、青年時代は、あっという間に過ぎていってしまう。今、学会は、未来に向かって、大飛躍をしようとしている。広宣流布の大闘争の『時』が来ているんだ。時は『今』だよ」
(「大光」の章、315〜316ページ)
山本伸一の「立正安国論」講義
<第4巻で描かれる1961年(昭和36年)は、自然災害や疫病が猛威をふるい、国際情勢も不安定だった。
この年の8月、山本伸一は夏季講習会で「立正安国論」を講義した。
ここでは、「立正安国」の章から、その講義の一部を紹介する>
伸一は、「須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書三一ページ)の御文では、仏法者の社会的使命について論じていった。(中略)
「この意味は、『当然のこととして、一身の安堵、つまり、個人の安泰を願うならば、まず、四表、すなわち、社会の安定、世界の平和を祈るべきである』ということです。
ここには、仏法者の姿勢が明確に示されている。
自分の安らぎのみを願って、自己の世界にこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます」
(287〜288ページ)
◇
「世の中の繁栄と平和を築いていく要諦は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人ひとりの生命の変革による"個"の確立にあります。
そして、社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を促し、行動となっていかざるを得ない。
創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります」
(288ページ)
◇
<新型コロナウイルスの感染が広がり、世界中が不安に覆われる今、真の仏法者として「利他」の精神を輝かせ、「四表の静謐」を強く祈り抜いていきたい>
2020年5月4日月曜日
2020.05.04 わが友に贈る
◇今週のことば
今日のこの一歩が
未来を創る。
老いも若きも前進だ。
「正義」と「共戦」の旗を
後継の友と高らかに!
2020年5月4日
四条金吾殿御書 P1112
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしとおもへば種種の大難雨のごとくふり雲のごとくにわき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』
【通解】
日蓮は法華弘通によりこれらの業障を消し果てて未来は霊山浄土に往くことができるのであるから、種種の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、それは法華経のためであるので、苦をも苦と思わない。
名字の言 本紙配達員のもとに届いた"真心" 2020年5月4日
「ポストに手紙を入れたから、何かのついでに見てください」。ある日の朝、本紙の配達に携わる友のスマホにメッセージが届いた。地区の婦人部の先輩からだった▼ポストを開けると「いつも配達、ご苦労さまです。よかったら使ってね」とのメモと共に、ミシンで縫われた手製のマスクが。入手しにくいマスクを頂いたことはありがたい。しかし、何よりうれしかったのは先輩の「真心」。胸の奥がポッと温かくなり、力が湧いた▼緊急事態宣言の発令により、生活に制約が続く。感染症は多くの人命を奪い、社会に甚大な影響を及ぼしているが、かつてないのは、人との交流が制限されたこと。学校は休校、イベントは中止となり、友達と会うことさえ難しい。多くの人がストレスや孤独感を抱える▼学会でも会合や訪問は自粛だが、電話やメール等による激励は世界各地で続く。青年部を中心にオンラインによる会議や研さんも。「励まし」は工夫すれば、どんな形でもできる▼社会起業家の駒崎弘樹氏は「国家でも個人でもない中間団体」としての創価学会に注目し、「歴史上まれにみる有事である今こそ、その力をいかんなく発揮してほしい」と期待する。人と人の絆が重要性を増している。真心の言葉で、友の心に希望を届けていこう。(駿)
寸鉄 2020年5月4日
新たな青年の歌が完成。さあ誓いの歌声を共に!平和の地図を若人の力で
明日まで創大・女子短大のオンライン見学会。宝の君よ世界市民の揺籃に
帰省できなくとも会話はできる。ビデオ通話などで旧友らと心通う一時を
新緑輝く「みどりの日」。万物躍動の季節。我らも深き祈りで生命力満々と
10万円給付に便乗の不審メール相次ぐ。個人情報聞き出す目的。嘘見抜け
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第2回 ロンドン
世界が新型コロナウイルスの猛威と闘っている。イギリスも感染拡大は深刻だ。池田先生は、これまで同国を7度訪れ、20世紀最大の歴史家トインビー博士と対談を行うとともに、現地の人々と深い交友を結んできた。未曽有の事態に直面している現在もメッセージなどを寄せ、同志を激励し続けている。月刊誌「パンプキン」誌上の先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ロンドン——歴史を輝かせる不屈の息吹」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。侵略者の脅威、経済の停滞……。国難ともいえる危機と苦難を敢然と乗り越えてきたイギリスに脈打つ「不屈の精神」に光を当てたこのエッセーを、今、家族を守り、友を励まし、社会を支えるために奮闘する方々に贈りたい。
大空へ
嵐にめげず
みどり樹の
伸びゆく姿
われは待ち見む
ロンドンは北緯五十一度。北海道よりも、さらに高い緯度に位置します。
冬は日の暮れるのも早く、冬至の頃には午後四時前に日没を迎えるといいます。春本番の訪れも五月になります。
長く厳しい冬を越えた分、陽光はまばゆく、緑は冴え、生きとし生けるものが躍動します。世界でも、最も輝きわたる季節の一つではないでしょうか。
「三月の風と/四月の雨が/五月の花を/連れてくる」——これは、イギリスの伝承童謡「マザー・グース」の有名な一節です。
この「五月の花」すなわち「メイフラワー」として皆に親しまれているのが、サンザシです。
イギリスを代表する花であり、花言葉は「希望」です。
逆境を朗らかに耐え、試練の風雨さえ、はつらつと魂の糧にし、時を待ち、時を創り、やがて「希望」の花を咲き薫らせていく。イギリスには、そうした不屈にして快活な友がたくさんいます。
◇挑戦への応戦
〈池田先生を5月のロンドンに招いたのは、トインビー博士である。語らいは1972年と73年の5月、ロンドンの博士の自宅で行われた。先生は博士とベロニカ夫人の足跡に言及するとともに、対談を陰で支えた友の勝利劇を紹介。女性たちの「太陽の心」には、悲哀を希望に転じゆく力があると訴えた〉
共々に
いざや此の世の
華の旅
大著『歴史の研究』をはじめ、独創的な文明史観の地平を開拓し、平和と人道の信念の言論を貫いたトインビー博士は、幾多の圧迫に晒されました。最愛のご子息を不慮の死で失われてもいます。
しかし、さまざまな困難からの「挑戦」に対する「応戦」にこそ、人間の前進があるという歴史観に立つ博士は、自ら"苦悩からも、必ず何かをつかみとってみせる"という信条で生き抜いてこられました。
その博士を、夫人も同じ心で厳然と支え抜きました。だからこそ、博士は「かくも親しき伴侶を持てる者にとって、追放も追放とはならない。妻の愛情があるところ、いたるところが祖国である」と言い切ることができたのでしょう。
新たな道を開きゆく人生には、それだけ大きな苦難も待ち構えています。その一つ一つを、共に励まし、共々に越えゆくなかで、家族の愛情と信頼は、最も深く強く尊く、生きる喜びの花また華を咲かせてくれるのではないでしょうか。
トインビー博士との対談を、毎日、真剣に支えてくれた友人たちがいます。対話が終わると、その日のうちにテープを再生し、タイプライターで打って、まとめてくれたのです。この陰の労作業なくして、博士との語らいが対談集に仕上がることはありませんでした。
演劇の仕事に携わっていた一人の女性は、全力でタイプを打ち上げると、それから仕事場である劇場に駆けつけていきました。この一日一日を青春の宝の歴史として、喜び勇んで若い力を発揮してくれたのです。
彼女は、その後、当時はまだ男性中心で仕切られていた演劇界でステージマネジャーの一人となりました。
イギリスが誇るシェークスピア劇の一節には、「これからはどんな苦しみも耐え抜こう、苦しみのほうで『もうまいった』と悲鳴をあげて息絶えるまで」とあります。
彼女は、シングルマザーとして、必死に仕事と子育てに励み、地域貢献にも積極果敢に取り組みました。それは、経済問題など言い知れぬ不安との戦いでもありました。
しかし、「困難を人のせいにしない」「愚痴を言わない」「自信を持つ」と心に決め、すべてを自らの「人間革命」の劇としてきたのです。最高峰の音楽演劇学校の運営役員、大学の演劇学部の理事も歴任し、多くの青年たちを育成していきました。
陰の大功労者であった一人の女性の勝利劇が、私も妻も、何より嬉しく、感謝と敬愛の大喝采を送っています。
すでに十八世紀に、イギリスの女性人権運動の先覚者メアリ・ウルストンクラフトは、女性は太陽であると訴えました。女性たちの「太陽の心」は、人生劇場にあっても、現実社会という劇場にあっても、暗を明に変え、苦しみを楽しみに変え、悲哀を希望に、そして分断を和楽に転じゆく力に満ちています。
◇今日より明日へ
〈池田先生は最後に、世界の歴史を動かし、時代の流れを見つめてきたロンドンの歩みなどに触れつつ、慈悲と勇気の心で悔いなき人生をと呼び掛けた〉
歴史上、征服や大火など数知れぬ苦難を乗り越えながら、独立心を燃え上がらせ、人間の権利と尊厳を強く求めてきたのが、ロンドンの人々です。
第二次世界大戦下、ナチスの猛爆撃にも断じて怯みませんでした。あのテムズ川が、いつも静かに豊かに水を湛えて、悠然と流れるように、ロンドンの街と人々は、いかなる艱難にも絶対に負けずに、前へ前へ進み抜いていくのです。
私が多くのイギリスの友と出会いを結んだタプロー・コート総合文化センターは、もともとロンドンでの最初のオリンピック(一九〇八年)の成功に尽くしたデスボロー卿の館でした。数多の文化人が訪れたことでも知られています。
その一人の劇作家オスカー・ワイルドは綴っていました。「人生というものは慈悲の心なしには理解できない、深い慈悲の心なしには生きていけない」
昨日よりは今日、今日よりは明日と、一歩一歩、自分らしく、人のため、後輩たちのために行動する。その努力の足跡が、悔いなき人生を輝かせます。
だからこそ「今」を戦い、「今日」を全力で生きたいものです。慈悲の心、勇気の心を燃え立たせて!
負けるなと
天の声あり
君の旅
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)
今日のこの一歩が
未来を創る。
老いも若きも前進だ。
「正義」と「共戦」の旗を
後継の友と高らかに!
2020年5月4日
四条金吾殿御書 P1112
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしとおもへば種種の大難雨のごとくふり雲のごとくにわき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』
【通解】
日蓮は法華弘通によりこれらの業障を消し果てて未来は霊山浄土に往くことができるのであるから、種種の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、それは法華経のためであるので、苦をも苦と思わない。
名字の言 本紙配達員のもとに届いた"真心" 2020年5月4日
「ポストに手紙を入れたから、何かのついでに見てください」。ある日の朝、本紙の配達に携わる友のスマホにメッセージが届いた。地区の婦人部の先輩からだった▼ポストを開けると「いつも配達、ご苦労さまです。よかったら使ってね」とのメモと共に、ミシンで縫われた手製のマスクが。入手しにくいマスクを頂いたことはありがたい。しかし、何よりうれしかったのは先輩の「真心」。胸の奥がポッと温かくなり、力が湧いた▼緊急事態宣言の発令により、生活に制約が続く。感染症は多くの人命を奪い、社会に甚大な影響を及ぼしているが、かつてないのは、人との交流が制限されたこと。学校は休校、イベントは中止となり、友達と会うことさえ難しい。多くの人がストレスや孤独感を抱える▼学会でも会合や訪問は自粛だが、電話やメール等による激励は世界各地で続く。青年部を中心にオンラインによる会議や研さんも。「励まし」は工夫すれば、どんな形でもできる▼社会起業家の駒崎弘樹氏は「国家でも個人でもない中間団体」としての創価学会に注目し、「歴史上まれにみる有事である今こそ、その力をいかんなく発揮してほしい」と期待する。人と人の絆が重要性を増している。真心の言葉で、友の心に希望を届けていこう。(駿)
寸鉄 2020年5月4日
新たな青年の歌が完成。さあ誓いの歌声を共に!平和の地図を若人の力で
明日まで創大・女子短大のオンライン見学会。宝の君よ世界市民の揺籃に
帰省できなくとも会話はできる。ビデオ通話などで旧友らと心通う一時を
新緑輝く「みどりの日」。万物躍動の季節。我らも深き祈りで生命力満々と
10万円給付に便乗の不審メール相次ぐ。個人情報聞き出す目的。嘘見抜け
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第2回 ロンドン
世界が新型コロナウイルスの猛威と闘っている。イギリスも感染拡大は深刻だ。池田先生は、これまで同国を7度訪れ、20世紀最大の歴史家トインビー博士と対談を行うとともに、現地の人々と深い交友を結んできた。未曽有の事態に直面している現在もメッセージなどを寄せ、同志を激励し続けている。月刊誌「パンプキン」誌上の先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ロンドン——歴史を輝かせる不屈の息吹」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。侵略者の脅威、経済の停滞……。国難ともいえる危機と苦難を敢然と乗り越えてきたイギリスに脈打つ「不屈の精神」に光を当てたこのエッセーを、今、家族を守り、友を励まし、社会を支えるために奮闘する方々に贈りたい。
大空へ
嵐にめげず
みどり樹の
伸びゆく姿
われは待ち見む
ロンドンは北緯五十一度。北海道よりも、さらに高い緯度に位置します。
冬は日の暮れるのも早く、冬至の頃には午後四時前に日没を迎えるといいます。春本番の訪れも五月になります。
長く厳しい冬を越えた分、陽光はまばゆく、緑は冴え、生きとし生けるものが躍動します。世界でも、最も輝きわたる季節の一つではないでしょうか。
「三月の風と/四月の雨が/五月の花を/連れてくる」——これは、イギリスの伝承童謡「マザー・グース」の有名な一節です。
この「五月の花」すなわち「メイフラワー」として皆に親しまれているのが、サンザシです。
イギリスを代表する花であり、花言葉は「希望」です。
逆境を朗らかに耐え、試練の風雨さえ、はつらつと魂の糧にし、時を待ち、時を創り、やがて「希望」の花を咲き薫らせていく。イギリスには、そうした不屈にして快活な友がたくさんいます。
◇挑戦への応戦
〈池田先生を5月のロンドンに招いたのは、トインビー博士である。語らいは1972年と73年の5月、ロンドンの博士の自宅で行われた。先生は博士とベロニカ夫人の足跡に言及するとともに、対談を陰で支えた友の勝利劇を紹介。女性たちの「太陽の心」には、悲哀を希望に転じゆく力があると訴えた〉
共々に
いざや此の世の
華の旅
大著『歴史の研究』をはじめ、独創的な文明史観の地平を開拓し、平和と人道の信念の言論を貫いたトインビー博士は、幾多の圧迫に晒されました。最愛のご子息を不慮の死で失われてもいます。
しかし、さまざまな困難からの「挑戦」に対する「応戦」にこそ、人間の前進があるという歴史観に立つ博士は、自ら"苦悩からも、必ず何かをつかみとってみせる"という信条で生き抜いてこられました。
その博士を、夫人も同じ心で厳然と支え抜きました。だからこそ、博士は「かくも親しき伴侶を持てる者にとって、追放も追放とはならない。妻の愛情があるところ、いたるところが祖国である」と言い切ることができたのでしょう。
新たな道を開きゆく人生には、それだけ大きな苦難も待ち構えています。その一つ一つを、共に励まし、共々に越えゆくなかで、家族の愛情と信頼は、最も深く強く尊く、生きる喜びの花また華を咲かせてくれるのではないでしょうか。
トインビー博士との対談を、毎日、真剣に支えてくれた友人たちがいます。対話が終わると、その日のうちにテープを再生し、タイプライターで打って、まとめてくれたのです。この陰の労作業なくして、博士との語らいが対談集に仕上がることはありませんでした。
演劇の仕事に携わっていた一人の女性は、全力でタイプを打ち上げると、それから仕事場である劇場に駆けつけていきました。この一日一日を青春の宝の歴史として、喜び勇んで若い力を発揮してくれたのです。
彼女は、その後、当時はまだ男性中心で仕切られていた演劇界でステージマネジャーの一人となりました。
イギリスが誇るシェークスピア劇の一節には、「これからはどんな苦しみも耐え抜こう、苦しみのほうで『もうまいった』と悲鳴をあげて息絶えるまで」とあります。
彼女は、シングルマザーとして、必死に仕事と子育てに励み、地域貢献にも積極果敢に取り組みました。それは、経済問題など言い知れぬ不安との戦いでもありました。
しかし、「困難を人のせいにしない」「愚痴を言わない」「自信を持つ」と心に決め、すべてを自らの「人間革命」の劇としてきたのです。最高峰の音楽演劇学校の運営役員、大学の演劇学部の理事も歴任し、多くの青年たちを育成していきました。
陰の大功労者であった一人の女性の勝利劇が、私も妻も、何より嬉しく、感謝と敬愛の大喝采を送っています。
すでに十八世紀に、イギリスの女性人権運動の先覚者メアリ・ウルストンクラフトは、女性は太陽であると訴えました。女性たちの「太陽の心」は、人生劇場にあっても、現実社会という劇場にあっても、暗を明に変え、苦しみを楽しみに変え、悲哀を希望に、そして分断を和楽に転じゆく力に満ちています。
◇今日より明日へ
〈池田先生は最後に、世界の歴史を動かし、時代の流れを見つめてきたロンドンの歩みなどに触れつつ、慈悲と勇気の心で悔いなき人生をと呼び掛けた〉
歴史上、征服や大火など数知れぬ苦難を乗り越えながら、独立心を燃え上がらせ、人間の権利と尊厳を強く求めてきたのが、ロンドンの人々です。
第二次世界大戦下、ナチスの猛爆撃にも断じて怯みませんでした。あのテムズ川が、いつも静かに豊かに水を湛えて、悠然と流れるように、ロンドンの街と人々は、いかなる艱難にも絶対に負けずに、前へ前へ進み抜いていくのです。
私が多くのイギリスの友と出会いを結んだタプロー・コート総合文化センターは、もともとロンドンでの最初のオリンピック(一九〇八年)の成功に尽くしたデスボロー卿の館でした。数多の文化人が訪れたことでも知られています。
その一人の劇作家オスカー・ワイルドは綴っていました。「人生というものは慈悲の心なしには理解できない、深い慈悲の心なしには生きていけない」
昨日よりは今日、今日よりは明日と、一歩一歩、自分らしく、人のため、後輩たちのために行動する。その努力の足跡が、悔いなき人生を輝かせます。
だからこそ「今」を戦い、「今日」を全力で生きたいものです。慈悲の心、勇気の心を燃え立たせて!
負けるなと
天の声あり
君の旅
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)
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