2019年10月28日月曜日

2019.10.28 わが友に贈る

◇今週のことば
「つよきすけを
かひぬれば・たうれず」
信心のチームワークと
励ましのネットワークで
人材の揺るがぬ林立を!
2019年10月28日

松野殿御返事 P1388
『雪の中ふみ分けて御訪い候事御志定めて法華経十羅刹も知し食し候らん』

【通解】
雪の中を踏み分けて(あなたは使いを身延の山中にいる私に)寄こしてくださいました。その御志は、必ずや法華経も十羅刹女も知っておられることでしょう。

〈寸鉄〉 2019年10月28日
日蓮仏法は逆境にある人が幸せになる宗教—恩師世界中の友の体験が証明
東京「杉並婦人部の日」。弾む心で希望のスクラム拡大。勇気の人は朗らか
大学祭の秋。学生部有志、各地で環境保護等の訴え君の英知で調和の世紀を
社会的なつながり持つ人ほど健康で幸福—研究。友情結ぶ学会活動は王道
創大生の活躍に感動の渦—箱根駅伝の出場決定。さあ我らも!壁破る挑戦

☆私がつくる平和の文化 第10回 差別のない世界を
インタビュー 政治学者 姜尚中さん

「私がつくる平和の文化」第10回のテーマは「差別のない世界を」。登場していただくのは、政治学者の姜尚中さんです。差別や偏見のない世界を築くために私たちが心掛けるべき点について、語ってもらいました。(構成=小野顕一、歌橋智也)

差別をどう乗り越えるか、これは大変難しい問題です。
最初に結論を申し上げると、"差別のない世界"をつくるためには、人権というものの根幹に「生命論」がなければならない、と思っています。
生命に序列はない。どんな生命に対しても、「この人は生きるに値しない」などと人間が判断してはならない。生命に対する「畏敬の念」がベースになければ、人権といっても上っ面な言葉になってしまうからです。
僕は、差別に"一般"というものはなく、個々の具体的な問題、つまり性差、障がい、病気、人種、民族などが、さまざまな歴史的背景から複雑に絡み合って、本来、平等であるはずの人間に序列ができてしまったのだと考えます。
そもそも、差別といっても"濃淡"があります。極端な差別を見れば、誰もが「それは差別だ」と分かりますが、「これは果たして差別なのか」と、判然としないケースもある。そのうえ、多くの人は「自分は差別をしている気など毛頭ない」と言うでしょう。
だから大切なことは、「自分もどこかで間接的に差別をしているかもしれない」と気付くこと。そこが出発点なのです。
では、どうしたらそれに気付けるのか。僕としては、まずは私たちが、「生命は一つ一つ違う」「どんな生命にも存在する価値がある」という、コンセンサス(合意)をつくることだと思います。そのベースができないと、いくら「差別をやめましょう」といっても社会は変わりません。
そのために、まずは子どもたちに、生命の平等について教えていくことです。
僕の母親は食べ物を通して、「結局、人間はどんな偉い人も、そうでない人も、食べないと生きていけないし、そこはみんな平等だ」と言っていました。これは重要なメッセージです。母は"人間はみんな、何か偉大なものに生かされている"という感覚をもっていた。そうした感覚がある限り、生命への畏敬の念は分かち合えるんじゃないかと思います。
気を付けないといけないのは、大人の差別的な考えを、子どもはいとも簡単にスッと受容してしまうことです。あとでそれを改めるには、何十万倍のエネルギーが必要になります。例えば食卓で、ある事件のニュースを見ながら、親御さんがふと感想を漏らす。それを子どもは何とはなしに聞いている。そうした日常的な会話で耳に入ったことが、その子の、ある集団に対するイメージや感情をつくりあげてしまう。子どもというのは、社会を敏感にそのまま反映しますから。
一方で、差別は人間関係の循環を断ち切るものです。人間の社会は、コミュニケーションによって循環している。差別は、そこに"見えない壁"を生むのです。社会の中に、何か不純物のようなものを滞留させ、それが不平不満や憎しみ、嫌悪感となって増大し、誰かに向けられてしまう。
だから、この不安な時代に人々の心の中に平穏を取り戻すには、もっと人と人が支え合っていかないといけない。そうでないと、孤独とか、人とのコミュニケーションがうまくいかないとか、さまざまな問題を抱えた人が、暴力的な行為に走る可能性があります。
差別をするということは、ものの見方、考え方が何かにとらわれ、固着している状態です。特に大人には、いろいろな"かさぶた"があって、それを取ることが難しい。しかし、それが取り払われた時には、意外な「発見」があるのです。
その発見をどう促すか。やはり「対話」です。差別している人がいれば、その人と対話をするしかない。
差別される側が、差別をする側を糾弾したい気持ちは分かります。僕も若い頃は、気持ちがものすごく先走って、糾弾していました。でも、自分のネガティブな感情をぶつけるほど、結果は逆になっていく。相手を否定して向き合う限り、差別はなくならないと気付きました。
差別をすることは、結局は自分自身をおとしめることになる——一人一人がそのことに気付くような変化をつくりだしていく。それが「平和の文化」ではないか、と思います。「平和の文化」とは、出来上がっているものではない。日々、絶えず努力してつくっていくものなのです。

●人を覚醒させる「言葉の力」
今の時代、ネット上は、およそ寛容とは無縁のネガティブな感情にあふれている。人々が感情に左右されやすい時代です。そんな中で人々に何かを訴えるためには、僕の言葉を使うと「情」と「理」が必要だと思う。
「人を差別してはいけない」と、「理」を立て整然と話すことは大事です。でも、それだけではなかなか通じない。特に差別されている人の痛みというものは、「情」を通じてこそわかる。それで相手も「共感」できるのです。 だからこそ、「生命」という問題については、「生の声」で語り掛けることが大事だと思う。文字情報とか映像もありますが、こと「生命」の問題については、一回きりの出会いの中で交わされる、身体感覚を呼び覚ますような、互いの心に響く対話をしていくことだと思います。
最近は、SNSで「いいね!」と条件反射をしたり、軽い言葉で答えたりすることしかできなくなり、言葉の力が萎えている気がします。
差別を乗り越えるには、相対して語られる「言葉」によって人間自身が覚醒する。ものの見方が変わる。そうした、人の心を打つような対話が必要なのです。
キリストも仏陀も、常に分かりやすい言葉で人々の心に語り続けました。人種差別と闘ったガンジーやキング、マンデラといった先達も、対話の道を選びました。回り道にも思えますが、差別を乗り越えるには、どうすれば差別する人と対話の場をつくれるかを考えることです。
「声の力」「言葉の力」は大きい。池田先生も国家や文明、宗教の違いを超えて、対話に尽力しておられます。対話には、新しい自分への発見があります。
だから僕は、若い人たちこそが対話に挑戦することを期待しています。

カン・サンジュン 1950年、熊本県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、東京大学名誉教授。熊本県立劇場館長。専攻は政治学・政治思想史。『悩む力』『続・悩む力』『心の力』をはじめ、『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ』など著書多数。小説作品に『母——オモニ』『心』がある。

★池田先生の指針から
人間が人間を蔑み、軽んじる差別や偏見が、どれほど人の心を傷つけ、気持ちを踏みにじるものか——。
その苦しみ、辛さは、差別された方にしかわからない。

異なる人間への差別意識、差異へのこだわりを克服することこそ、平和と普遍的人権を創出するための第一歩であり、開かれた対話を可能にする道である。

池田大作
(『名言100選』から)

「優しさのバトン」 灰庭愛結さん(高1)
自身の体験を通して差別に対する思いをつづった、灰庭愛結さん(高校1年)の作文を掲載します。富山県・内閣府共催の平成30年度「心の輪を広げる体験作文」(中学生の部)で最優秀賞を受賞しました。
私には心臓病という持病があります。小学生の時、「心臓病がうつる」と、さけられたり、触ると"菌まわし"されたり、「心臓病のくせに」とバカにされることもありました。とてもつらかったのを覚えています。
詳しい病名は心室中隔欠損症と肺動脈狭窄で、生まれつき右心室と左心室の間に穴があいていて、1歳半の時に手術をしました。手術前は元気でニコニコしていたのに、手術後はショックで笑わなくなり、親はとても心配したそうです。4歳の時には遺伝性球状赤血球症という、もう一つの病気を治すために脾臓と胆のうを摘出しました。この手術をする前に心臓の手術をした症例が世界で4例しかなく、両親はとても不安だったそうです。
入院中は幼稚園にも外に遊びにも行けず、母はそんな私のそばにずっといてくれました。父は仕事で忙しかったのに、毎日お見舞いに来てくれました。父も母も大変だったと思います。
病気にかかることはとてもつらいです。一生治らない病気もあります。いじめにあっている人もいます。
前に友達と駅前に行った時、どこか悪いのだなとひと目でわかるように歩いている人がいました。すると、その人を見て笑っている人やジロジロ見ている人がいるのです。すごく腹がたちました。なぜ病気をもっている人はいじめられたり、笑われたりしなければならないのか。私は間違っていると思います。逆の立場だったら、きっといやな気持ちになるはずです。
私は、小さい時から運動制限がかかっていましたが、今はすごく元気です。バドミントン部の部長もしました。仲間との学校生活もすごく楽しいです。ここまで元気になるまでに、つらいことや悲しいことをたくさん経験し、病気で苦しんだり、いじめられたり笑われたりする人や家族の気持ちが、わかるようになりました。だから、ここまで立派に育ててくれた両親にとても感謝しています。
これから、そうした人たちに出会ったら、両親が私にしてくれたように優しく接していきたい。周りの人にも私の経験を語り、優しさのバトンを渡し、たくさんの人に繋いでいけるといいと思います。(本人了承のもと抜粋して掲載)