2019年10月12日土曜日

2019.10.12 わが友に贈る

非常に強い台風に警戒!
常に最新の情報を把握し
河川増水や土砂災害への
用心を断じて怠るな!
全てに早めの対応を!

御義口伝巻上 P726
『又日蓮も声も惜まず法華を捨つ可からずと云うべきものを霊山にて悔ること之れ有る可きか』

【通解】
また、大聖人としては、声もおしまず、大御本尊を持つべきことを教えているのに、日本国の一切衆生がなかなか耳を傾けないで、勝手に無間地獄に堕ちてしまったことを、霊山で(仏様としてのご境涯から)悔いることがあるであろう。

〈寸鉄〉 2019年10月12日
SGIの多角的運動は幅広い意味での教育—総長最高の人間学を学ぶ誇り
東京・台東の「女性の日」。婦女一体の麗しき連帯。弾む心で幸と友情を拡大
「仏をば能忍と名けたてまつる」御聖訓。不撓不屈が学会魂。師子王の如く
はしか再び増加傾向と。妊婦、ワクチン未接種の人は注意。嗽・手洗い励行
壁を乗り越えればどんどん成長できる—化学賞受賞者。我らも使命の道で

☆心に御書を 第3回 広宣流布の大願に生き抜け!
『日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年後五百歳に当って妙法蓮華経広宣流布の時刻なり是れ時を知れるなり』(教機時国抄、440ページ)

◇通解
日本国の今の世は、如来の滅後二千二百十余年、後の五百歳に当たっており、妙法蓮華経の広宣流布する時刻である。これを「時を知る」というのである。

◇池田先生が贈る指針
御本仏の広宣流布の大願を達成するために、創価の師弟は出現した。
一人一人が、今この時を選んで躍り出た地涌の菩薩である。この宿縁と使命を自覚すれば、仏に等しい力を出せないわけがない。大法弘通の道を開けないわけがない。
今こそ「世界広布の時刻なり」と祈りを深め、新たな地涌の友を呼び出そうではないか!

☆10月度座談会拝読御書 可延定業書
◇広布に生きる 一日は尊い!
拝読御文
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり』御書全集 986ページ1行目

◇キーワード� 生き抜く力を発揮
生きて生きて生き抜け!——日蓮大聖人は、病気の重い症状によって、生きる気力まで奪われていたであろう富木尼御前に、渾身の励ましを送られました。
大聖人は生命の価値を、「命と申す物は一身第一の珍宝」「命は三千にもすぎて候」と仰せです。
命は、いくら宝を積んでも手に入れることができません。生命は、限りなく尊いのです。
ゆえに、命を一日でも延ばすことには、計り知れない価値があるのです。いわんや、仏法の道理に照らし、命を法華経にささげることが、無量無辺の功徳となっていくことは間違いありません。
限りある命だからこそ、一日でも長く、一遍でも多く、自行化他にわたって妙法を唱えることで、我が生命を最高に輝かせていくことができるのです。
本抄で大聖人は、法華経を実践した者は命を延ばすことができることを示し、御自身の母が病を治して寿命を延ばすことができたとつづられています。
生命には、「生き抜く力」が具わっています。それを奪うのが、魔の働きです。だからこそ、尼御前の心に巣くう魔を打ち破り、生命力を発揮できるよう、励ましを送ったのです。
私たちも、魔を魔と見破り、勇敢に苦難に立ち向かう信心で宿命を転換し、永遠に幸福の軌道を歩むことができるのです。

◇キーワード� 永遠の生命を覚知
日蓮大聖人は、尼御前の生きる意志を呼び覚まそうとされていますが、その究極の願いは「永遠の生命」を覚知させることです。
今回の拝読御文の直後に、「釈尊の教えの中で最も法華経が尊いのは、仏の生命の永遠を説いた寿量品があるからです」(御書986ページ、趣意)と記されています。
池田先生は「この一生を勝利しきって、その姿でもって『永遠の生命』を証明するのです。それが法華経です」「永遠にして宇宙大の『大いなる生命』の実在を明かしたのが寿量品です。その『大いなる生命』を、現実に我が身のうえに顕していくのが寿量品の実践です」(『法華経の智慧』普及版)と語っています。
大聖人は、だれもが「永遠の生命」を覚知できるよう、宇宙を貫く根源の一法である「南無妙法蓮華経」を明かされました。
私たちは、強盛な信心に励む一瞬、一瞬の生命に、仏の無限の生命力、智慧、大慈悲を涌現させていくことができます。その姿で実証を輝かせていけるのです。また、自らが「永遠の生命」を覚ることは、同じように他者の生命の尊厳に目覚めることでもあります。
「御義口伝」に「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く」(御書788ページ)とあります。自他共の仏性を薫発する広宣流布に邁進していることは、大歓喜の「永遠の生命」を生き抜いていることにほかならないのです。

★池田先生の指針から/幸福境涯を築く一生
大聖人は「命と申す物は一身第一の珍宝なり」と仰せです。本抄(=「可延定業書」)の最後の方にも「命は三千にもすぎて候」とあります。
ここで大聖人が生命の尊さを強調されているのは、「一日でも長く、生き抜いていきなさい」と、尼御前の"生きる意志"を呼び起こされるためと拝することができます。
生命はそれ自体、限りなく尊い。一日でも生きるならば、その一日というのは、譬えて言えば「千万両の金」「三千界の財」以上に、尊い価値を持つ。一日生きれば無量の価値がある。だからこそ、一日でも長く生き抜きなさいと励まされています。

如来寿量とは、「如来の寿命を量る」という意味です。一切経の中で寿量品だけが釈尊の永遠の寿命を説き明かしています。
しかし、私たちを離れて釈尊一人だけが「永遠の生命」に生きていると説いているのではありません。
寿量品で説く「永遠の生命」は、私たちの生命でもあるのです。「永遠の生命」「大いなる生命」を、私たちは皆、現実の我が身のうえに現すことができる。そのことを、久遠の如来である釈尊の姿で示したのが寿量品です。そして、万人が事実として、永遠にして尊極なる生命を我が身に実現していけるように、大聖人は南無妙法蓮華経を顕してくださったのです。
私たちの今世は、仏法で説く永遠の生命を覚知するための一生です。
そして、永遠の生命に生き抜き、自他ともの永遠の幸福境涯を築き上げていくための一生です。

本抄には「手の指をもって供養する」との趣旨の経文を挙げられていますが、末法の仏道修行にあっては、唱題する音声、妙法を弘通する真剣で誠実な「声」と「行動」こそが、妙法に対する最大の"身の供養"となります。
ゆえに大聖人は「一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらをしの命や・をしの命や」と仰せなのです。
題目を唱え、広宣流布に邁進する「一日」が、どれほど尊いか。師と心をあわせ、創価学会とともに、妙法の永遠の楽土を築きゆく「一日」が、どれほど素晴らしいか。
病との戦いは、その栄えある真実を如実に見つめる機縁ともなる。「病によりて道心はをこり候なり」(御書1480ページ)です。信心している人が病気になるのは必ず深い意味がある。永遠の生命を悟る一つの回路であるともいえる。
戸田先生も、よく「大病を克服した人は深い人生の味を知っている」と言われた。また、そう決めきって、戦った人が「健康長寿の信心」の勝利者です。
(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)

◎皆さん、今日から明日にかけて最大級の備えを(^^♪