一つ一つの課題を
「最後までやり切る」と
まず心に定めよう!
決めて 祈って 動く。
これが必勝の方程式だ。
日興遺誡置文 P1617
『謗法を呵責せずして遊戲雑談の化儀並に外書歌道を好む可からざる事』
【通解】
謗法を責めることもなく、遊び戯れ、雑談等の振る舞いに明け暮れたり、外道の書物や歌道を好んではいけない。
〈寸鉄〉 2019年10月5日
創大祭・白鳥祭が開幕!創立の心胸に学ぶ青春。君よ世界へ未来へ雄飛を
中部青年部の日。拡大の先頭走る一番星。後継の陣列ありて堅塁城は盤石
苦しい環境に支配されるな—恩師。日々、題目の師子吼で生命力満々と前進
「教育のための社会」実現へ奮闘する教育本部に感謝。きょう世界教師デー
役所など装う架空請求が急増と。葉書で不安煽る手口。冷静に確認し相談
☆10月度男子部 三三蔵祈雨事
◇学会活動こそ成仏の直道 "善友"の連帯築け
10月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「三三蔵祈雨事」を研さん。仏道修行における「善知識」の重要性を学び、創価学会こそ最高の和合僧団であることを確認する。
◇御文
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ、甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ』(御書1468ページ)
◇通解
植えた木であっても、強い支柱で支えれば、大風が吹いても倒れない。もともと生えていた木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。ふがいない者でも、助ける者が強ければ倒れない。少し強い者でも独りであれば、悪い道では倒れてしまう。
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)、あるいはその翌年に身延で著され、駿河国(静岡県中央部)富士上方西山郷に住む西山殿に与えられたお手紙である。
文永11年(1274年)11月に「文永の役」が起き、大聖人が予言した他国侵逼難が的中。人々は蒙古が再び襲来するのではないかと不安におびえていた。危機感を募らせた幕府と朝廷は各地の有力寺社等に蒙古調伏の祈祷を命じるが、そこで広く行われていたのは真言密教による加持祈祷であった。
大聖人は諸御抄で、真言の教えが空虚なものであり、成仏の根本の教えである「一念三千」を盗み取っていると述べられている。
題号にある「三三蔵」とは、中国真言宗の善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵を指しており、大聖人は本抄で、この3人の祈祷で災難が起こった事実を挙げながら、真言師は亡国の「悪知識」であると断じられた。
今回拝読する御文は本抄冒頭の一節で、成仏のためには「善知識」という縁が何より大切であることを教えられている。
◇解説
日蓮大聖人は本抄で「仏になる道は、善知識に勝るものはない」(御書1468ページ、通解)と述べられている。
仏法用語で「知識」とは友人や知人を意味し、仏法の正しい実践に導いてくれる存在を「善知識」と呼ぶ。しっかりとした添え木があれば、大風が吹いても倒れることがないように、師匠や同志という"善き友"がいることで、いかなる障魔をも乗り越え、確固とした幸福境涯を築くことができるのだ。
悩みや苦労のない人生などない。むしろ苦労や悩みが絶えないのが人生であり、まして信心の挑戦をしようとすれば、障魔は必ず起こってくる。特に、仏道を歩む人を妨げる「悪知識」が充満している末法という時代には、なおさらである。
釈尊は"善き友を持ち、善き友と共にいることは、仏道のすべてである"と言った。このように、支え合う同志の存在が大切なのだ。
信心を深めていこうとする人々に縁することで、自分自身も"頑張ろう"と思える。組織は苦手だという人もいるかもしれないが、一人では、気付かないうちに我見に陥り、慢心を起こして正しい軌道を外れかねない。和合僧(同志の集い)を離れた一人だけの信心というものはありえない。
日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を具体的に進める創価学会は、仏意仏勅の和合僧団であり、最高の善知識の集いである。
ゆえに、創価の同志と共に学会活動に励んでいくことが、成仏の直道を歩むことになるのである。
間もなく、10・2「世界平和の日」を迎える。1960年のこの日、池田先生は初の海外訪問へ旅立った。各地で奮闘するメンバーに励ましを送りながら、それぞれの地域の広布を託し、「地区」などを結成されていった。それは、令法久住のために、同志が集い励まし合える善知識の集いである「組織」を、世界に築いていく闘争でもあった。
共に祈り、学び、動く——先生がつくられた一つ一つの組織から広布は広がり、今日の、世界192カ国・地域を結ぶSGIの連帯へと発展していった。
池田先生は、「学会は、最も心強い『善知識』の世界です。忙しくて、なかなか会合に出られなくても、思うように題目があげられなくても、同志と連携を取り合っていくことが、どれほど支えになり、励みになるか。まさに福運あふれる"幸福の安全地帯"です。だから絶対に離れてはいけません。少しでも縁していこうという心が大事です」と語っている。
さあ、「11・18」へ、そして明年の栄光の創立90周年へ、宝の同志と共に人間革命の道を進みゆこう!
☆親子で学ぶ仏教 毒を飲んだ子どもたち 2019年9月22日
むかし、むかし。インドにすぐれた医者がおりました。彼には、たくさんの子どもがいました。10人、20人、いえ、もっとたくさん、100人はいるでしょうか。
「おとうさん、いってらっしゃい」
その朝、子どもたちは、いつものように父を見送りました。
ふいにひとりの子が、どこからか、薬の入った大きなツボを持ってきました。すると、みるみるうちに子どもたちが集まり、「おいしそうだね」と、ツボの中身を飲みほしてしまいました。
やがて、仕事を終えた父が、帰ってくるなり、さけびました。
「ああ、いったいぜんたい、どうしたことよ」
10人、20人、いえ100人もの子どもたちが、床にのたうちまわり、苦しんでいるではありませんか。
実は、子どもたちが飲んだのは、毒薬だったのです。
ひとりの子が、息もたえだえに言いました。
「まちがって毒を飲んでしまって……おとうさん、助けて……」
父は、すぐさま、よりすぐりの薬草を調合して、子どもたちに与えました。
すなおに薬を飲んだ子は、苦しみがぱっと消え去り、元気になりました。しかし、毒が深くまわったせいか、父のつくった薬を毒だと思い、飲みたくないと言う子どもたちもいました。
「わかった。薬はここに置いておくから、飲みたくなったら飲むがよい。わたしは、旅に出る」
父は、そう言い残し、家を出てゆきました。
ほどなく、父のつかいと名のる男があらわれ、子どもたちに告げました。
「お父上は、旅先で亡くなられました」
子どもたちは、しばし、ぼうぜんとしたかと思うと、なげき、かなしみ、大きな声をあげて泣きました。
「おとうさん、ごめんなさい。ぼくたちは、まちがっていました」
毒がまわっていた子どもたちも、やっと正気をとりもどし、父が言い残した言葉を思い出して、良薬を口にすることができました。
知らせを聞いて、父は戻ってきました。実は、死んでなどいなかったのです。
「よかった、よかった。おとうさんは何としても皆を救いたくて、ちえを使って、考えたんだよ」
父の深い愛情を知り、子どもたちに笑顔の花が咲きました。
◇ ◆ ◇
ぶん・橋出たより
え ・前田安規子
おうちの方へ
法華経如来寿量品第16に説かれる「良医病子の譬え」を基にした説話です。
——あるところに、聡明な良医がいた。その良医にはたくさんの子どもがいたが、良医が留守の間に誤って毒薬を飲んでしまった。帰宅した良医が子どもたちに大良薬を与えたところ、素直に飲んだ子どもは回復したが、毒のために本心を失い、薬を飲もうとしない子どもたちがいた。そこで良医は方便として一計を案じ、自ら旅に出て、旅先から使いをやり、あえて「父が死んだ」と告げさせた。これを聞いた子どもたちは、驚きのあまり本心を取り戻し、薬を飲み、病を治すことができた——
ここでの「良医」は仏を示し、「子どもたち」は、間違った教えを信じて苦しむ一切衆生を譬えています。そして、「大良薬」とは成仏の根源の法を表します。
いかに素晴らしい薬も、飲まなければ意味がありません。末法にあって妙法という"最高の良薬"を持ち、弘めていく学会員の生き方こそ、最も尊い人生なのです。