会合は時間を厳守し
回数や内容も価値的に。
メリハリのある
集合離散のリズムから
一切の勝利は生まれる。
四条金吾殿御返事 P1143
『一切衆生南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云』
【通解】
一切衆生にとって南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はない。法華経如来受量品第十六に「衆生の遊楽する所なり」とある。
〈寸鉄〉 2019年10月31日
「我が末弟等を軽ずる事勿れ」御書。全員が地涌の菩薩。不可能の壁なし!
何のための信心か。宿業を打ち破るための信心だ—恩師。信強く、祈り深く
声は何にも増して人間の姿を表す—哲人。清々しい挨拶を。職場で地域で
プラごみによる海洋汚染—9割が関心あり。この心で足元から改善の一歩
自転車事故死、頭部負傷が6割。ヘルメット着用等、対策を。要は安全運転
☆心に御書を 第7回 同志を励ます福徳は絶大
『南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳いくら程とも計りがたく・めでたき功徳なり神妙なり』(法華初心成仏抄、556ページ)
◇通解
(あなた方が)南無妙法蓮華経と受け持つ人を守る功徳は、どれほどとも量りがたく、素晴らしい功徳である。立派なことである。
◇池田先生が贈る指針
妙法を受持する人を守る功徳は絶大である。
同志のことを"我が事"として祈り、悩める友の元へ電光石火で駆け付ける。どこまでも寄り添い、同苦し、一緒に勇気の一歩を踏み出す——慈愛の献身を、御本仏が全て御照覧であられる。
創価の人間主義の励ましを一段と大きく広げ、自他共に福運安穏の境涯を開きゆこう!
☆11月度男子部「御書活動者会」 立正安国論
◇師と共に、同志と共に! 清新な決意で出発
11月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「立正安国論」を研さん。学会と共に、広布に生き抜く中に、人間革命の道があることを学ぶ。
◇御文
『蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』(御書26ページ)
◇通解
小さな青バエも駿馬の尾につかまって万里を行くことができ、葛は大きな松の木にかかって千尋に伸びることができる。
◇背景と大意
「立正安国論」は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が39歳の時、時の実質的な最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」である。宛先は、北条時頼であるが、広くいえば社会の指導者全般であると拝することができる。
本書は、客(北条時頼を想定)と主人(大聖人を想定)との十問九答の問答形式。誤った教えに執着する客に対して、主人は理路整然と真実を説き示す。
「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読む。一人一人の胸中に、正法を確立し、社会、国家の繁栄と世界の平和を築いていくことを指す。
当時は地震、大風、洪水などの自然災害が相次ぎ、深刻な飢饉を招いた。さらに疫病の流行などが毎年のように続き、人心は乱れ、民衆は苦悩の底にあった。大聖人御自身も、こうした民衆の苦しみを目の当たりにされ、深く心を痛められた。
本書では、その根本原因は人々が正法に背き、悪法を信じていることにあると述べ、災厄の元凶として念仏を鋭く破折する。そして、このまま謗法の教えに執着していくなら、経典に説かれる七難のうち、まだ起こっていない「自界叛逆難」と「他国侵逼難」の二難が起こると警告し、速やかに妙法に帰依するように促している。
最後に、客は謗法の教えを捨てて、妙法に帰依することを誓う。
◇解説
拝読御文の直前で、念仏などの諸宗を破折する主人に対して、客が「あなたはいやしい身分の人でありながら、なぜ世間で貴ばれている念仏を破折するのか」と問う。それに対して、主人は自身を「少量」(取るに足らない者)であると謙遜しながら、真実の仏法者の姿勢を示したのがこの一節である。
「蒼蠅」「碧蘿」は主人の社会的立場などの「外見的な姿」を譬え、万里を走る「驥」や千尋の高さに至る「松」は「妙法の偉大さ」を譬えている。
すなわち、ハエや葛のように小さく弱い存在の自身であっても、全民衆の成仏を可能にする妙法を強く信じることによって境涯を広げ、より心豊かな人生を生きることができるのである。
人間の本当の偉大さは何で決まるか。
財産や地位、名声などでは決まらない。たとえ一時的に脚光を浴びたとしても、長い一生にあって、不幸な流転をたどってしまう人生模様も少なくない。
人間の偉大さは、いかなる法を持ち、いかなる哲学を学び、実践し抜いたかで決まる。私たちは日蓮仏法を行じるがゆえに、万人を救済しゆく無上の青春を送ることができるのである。
小説『新・人間革命』第2巻「先駆」の章には、山本伸一が第3代会長就任後、関西を訪問した場面が描かれている。
伸一は広布のリーダーが陸続と育っていることに目を見張った。だが、関西の友の実感としては伸一について無我夢中で走り抜いてきたにすぎなかった。
小説には、こうある。「広宣流布のいっさいの責任を担う若き闘将とともに、ひたぶるに駆け巡った彼らは、いつしか自らもまた、一騎当千の闘将に育っていたのであった。自己の境涯を大きく開く要諦は、広宣流布という本流に身を置いて進むところにある」と。
ここに永遠に変わらぬ人間革命の方程式があろう。「池田先生と共に」「学会と共に」と一念を定め、広布に走り抜く中で、自らの境涯を大きく開くことができるのである。
来る11・18「創価学会創立記念日」は、師との誓いを新たにし、弟子の一人一人が生まれ変わった決意で出発する日である。さあ、わが使命の舞台で新たな人間革命のドラマをつづりゆこう!
2019年10月31日木曜日
2019年10月30日水曜日
2019.10.30 わが友に贈る
人生は悩みとの戦いだ。
真の幸福とは
負けない生き方にある。
その根本は題目なり!
強く楽しく朗らかに!
日妙聖人御書 P1217
『正直なる事弓の絃のはれるがごとく墨のなはをうつがごとくなる者の信じまいらする御経なり』
【通解】
正直である事、あたかも弓の絃の張ったように、墨縄をうったように真っ直ぐな心の者が信じる御経である。
〈寸鉄〉 2019年10月30日
知恵の対話で希望の道照らす会長は平和の灯台—識者。不二の弟子よ続け
福島・いわきの友、頑張れ復旧・健康と勝利を皆が祈る。福光の凱歌を必ず
女子・婦人部の10帰運動を励行。打合せは価値的に。幹部は細心の配慮を
相手の長所引き出す方法は「褒めて励ます」—箴言勇気と自信育む激励こそ
来月9日まで読書週間。良書を友にする青春は幸福。寸暇を惜しみ繙こう
☆心に御書を 第6回 地域に信頼と友情の花を
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし』(高橋殿御返事、1467ページ)
◇通解
その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。
◇池田先生が贈る指針
御本仏から、わが地域の広布を託された我らである。辛労は尽きない。しかし地涌の我らに変えられぬ国土はないのだ。
人間の絆が薄らぐ社会だからこそ、心をつなぐ誠実な行動が光る。真心の対話から幸の仏縁が生まれる。
皆、宿縁の眷属なりと信頼の連帯を広げよう! ここに希望と蘇生の安全地帯があるからだ。
☆「教学部教授登用講座」のために 第1回 開目抄
◇勇気の源泉は広宣流布の誓願に
このほど、「教学部教授登用講座」(全3回)が実施されます。第1回中継行事は、11月2日(土)、3日(日)に、全国各地の会館・会場で開催されます(日時・会場の詳細は各県・区ごとに決定)。ここでは、中継行事の中で学ぶ御書の御文と通解、池田先生の『開目抄講義』を掲載しました(学習の便宜を図るため、講座の中で取り上げる順に合わせて、御文の冒頭に番号を振ってあります)。受講者は、御書と教材(本紙面)、受講カードを持参し、中継行事に参加してください。
◇「開目抄」について
「開目抄」は、日蓮大聖人こそが主師親の三徳を具えられた「末法の御本仏」であることを明かされた重書です。
大聖人が佐渡流罪中の文永9年(1272年)2月に、四条金吾に託して門下一同に与えられました。題号の「開目」とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生に対して、執着を打ち破り、真の法華経の行者、すなわち大聖人に「目を開け」との呼び掛けと拝されます。
大聖人は前年9月12日に竜の口の法難に遭われ、続いて佐渡に流罪されました。迫害の嵐は門下たちにも及び、退転する者も続出していました。
本抄において大聖人は、"大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ諸天善神の加護がないのか"等の疑問や批判に触れ、末法で妙法弘通を貫けば「三類の強敵」が現れることは法華経に説かれる通りであり、大聖人こそ真の法華経の行者であると示されます。
そして、いかなる大難があろうとも、民衆救済のために、不惜身命の精神で戦い抜くとの大誓願を述べられています。
◇現実世界で戦い抜く人こそ仏
●御文1
しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし・根なし草の波の上に浮べるににたり、本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし(御書197ページ13行目〜17行目、編年体御書425ページ12行目〜16行目)
●通解1
そうはいっても、まだ釈尊が発迹顕本していないので、真実の一念三千も顕れていないし、二乗作仏も定まっていない。それは、(天の月を求めて)水中の月を見ているようなものである。根なし草が波の上に浮かんでいるのに似ている。
本門にいたって、始成正覚の教えを打ち破ったので、それまで説かれた四教の果は打ち破られてしまった。四教の果が打ち破られたので、(その果に至るための)四教の因も打ち破られた。爾前・迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き顕した。これが即ち本因本果の法門である。
九界も無始の仏界に具わり、仏界も無始の九界に具わって、真の十界互具・百界千如・一念三千となる。
●池田先生の指導から1
本果である仏界の生命が常住不滅であるとともに、本因である菩薩行を行ずる生命も尽きることがないのです。このように、九界の生命を断じて、仏界の生命を成就するという爾前諸経の成仏観とは大きく異なるのが、本門の因果、本因本果です。
事実、寿量品では、久遠実成の仏は成仏してからも、九界の現実世界で衆生を救い続けるという菩薩行を絶やすことはないと説かれています。
ここに、寿量品の発迹顕本によって真実の仏の姿が明らかになるのです。いうなれば、それは、「無限の菩薩行を現す永遠の仏」です。
九界の現実のなかで無限の菩薩行を行ずる生命は、九界の生命です。しかし同時に、永遠の仏界の生命が、その無限の菩薩行を現す根源のエネルギーになっているのです。
今世で初めて成仏したとされる始成正覚の仏は、入滅すると別世界の浄土に入るなどとされ、現実世界で菩薩行を続けることはありません。それに対して、久遠実成の仏は、現実世界がそのまま浄土であり、寂光土なのです。
そして、このような寿量品の仏にとって、九界の現実は、永遠の仏界の活力を自身の生命から現していくための機縁であり、仏界の智慧と慈悲を発揮するための舞台にほかなりません。(『開目抄講義』)
◇一切の疑難を突き抜けた大境涯
●御文2
詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず(御書232ページ1行目〜6行目、編年体御書462ページ1行目〜6行目)
●通解2
結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう。身命をなげうつ覚悟である。
舎利弗が過去世に六十劫という長い間、修行してきた菩薩行を途中で退転したのは、舎利弗の眼を求めたバラモンの責め苦に堪えられなかったからである。久遠五百塵点劫、および三千塵点劫の昔に、法華経の下種を受けながら、退転して悪道に堕ち、五百塵点劫や三千塵点劫という長遠の時間を経たのは、悪知識にあって惑わされたからである。
善につけ悪につけ、法華経を捨てることは地獄に堕ちる業となる。
「私は、大願を立てよう。たとえ、『日本国の王の位を譲るから、法華経を捨てて観無量寿経などに付き従って、後生の浄土への往生を目指せ』と誘惑されたり、『念仏を称えなければ父母の首をはねる』と脅されるなどの種々の大難が出てきても、私の正しい法義が智者に破られることがない限り、彼らの要求を決して受け入れることはない。それ以外の大難は、私にとっては風の前の塵のような、とるに足りないものである。私は日本の柱となろう。私は日本の眼目となろう。私は日本の大船となろう」などと誓った大願は、決して破ることはない。
●池田先生の指導から2
世間・門下の疑難を突き抜けた、大聖人の大境涯を示された御文です。"諸天の加護がほしい"とか、"難に遭いたくない"というような人々の思惑を超えて、大聖人御自身の御境地である法華経の行者としての覚悟が示されているのです。
大聖人の御境地からすれば、諸天の加護の有無を超えて大切なことがある。いかなる大難があろうと、身命を賭して成し遂げねばならない。
それは、仏が自らの大願として法華経で説いた、最高善である万人の成仏である。そして、その実現である広宣流布にほかなりません。
これこそ、世間や門下の人々がこだわり、執着するものを超えて、大聖人が戦い取ろうとされたものなのです。(中略)誓願とは、法華経の行者の「戦う魂」です。それゆえに、大聖人は、この一段において、法華経の行者としての誓願を説かれるのです。(『開目抄講義』)
●池田先生の指導から3
「ちかいし願やぶるべからず」——この御文は、ひとたび誓った誓願は、未来永劫に断じて破ることはない、との御断言です。この仏の大願をわが誓願として生き抜く強き信心の人にこそ、仏界の生命が湧現するのです。
わが創価学会は、この「誓願」を不惜身命で貫き通してきたからこそ、すべてに大勝利することができたのです。
「誓願」は、悪世末法に法を弘めるうえで根幹の柱です。正義に生きる強い誓いの心がなければ、濁世の激流を押し返すことなどできません。魔性を打ち返すことはできません。
いかなる大難をも恐れない。いかなる苦難にも怯えない。その勇気を生み出す根源の力が、広宣流布の誓願です。
誓願に生きれば、どのような障魔が出来しても、悠然たる王者の魂が光ります。どのような宿命が襲来しても、毅然たる勇者の魂が輝きます。(『開目抄講義』)
真の幸福とは
負けない生き方にある。
その根本は題目なり!
強く楽しく朗らかに!
日妙聖人御書 P1217
『正直なる事弓の絃のはれるがごとく墨のなはをうつがごとくなる者の信じまいらする御経なり』
【通解】
正直である事、あたかも弓の絃の張ったように、墨縄をうったように真っ直ぐな心の者が信じる御経である。
〈寸鉄〉 2019年10月30日
知恵の対話で希望の道照らす会長は平和の灯台—識者。不二の弟子よ続け
福島・いわきの友、頑張れ復旧・健康と勝利を皆が祈る。福光の凱歌を必ず
女子・婦人部の10帰運動を励行。打合せは価値的に。幹部は細心の配慮を
相手の長所引き出す方法は「褒めて励ます」—箴言勇気と自信育む激励こそ
来月9日まで読書週間。良書を友にする青春は幸福。寸暇を惜しみ繙こう
☆心に御書を 第6回 地域に信頼と友情の花を
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし』(高橋殿御返事、1467ページ)
◇通解
その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。
◇池田先生が贈る指針
御本仏から、わが地域の広布を託された我らである。辛労は尽きない。しかし地涌の我らに変えられぬ国土はないのだ。
人間の絆が薄らぐ社会だからこそ、心をつなぐ誠実な行動が光る。真心の対話から幸の仏縁が生まれる。
皆、宿縁の眷属なりと信頼の連帯を広げよう! ここに希望と蘇生の安全地帯があるからだ。
☆「教学部教授登用講座」のために 第1回 開目抄
◇勇気の源泉は広宣流布の誓願に
このほど、「教学部教授登用講座」(全3回)が実施されます。第1回中継行事は、11月2日(土)、3日(日)に、全国各地の会館・会場で開催されます(日時・会場の詳細は各県・区ごとに決定)。ここでは、中継行事の中で学ぶ御書の御文と通解、池田先生の『開目抄講義』を掲載しました(学習の便宜を図るため、講座の中で取り上げる順に合わせて、御文の冒頭に番号を振ってあります)。受講者は、御書と教材(本紙面)、受講カードを持参し、中継行事に参加してください。
◇「開目抄」について
「開目抄」は、日蓮大聖人こそが主師親の三徳を具えられた「末法の御本仏」であることを明かされた重書です。
大聖人が佐渡流罪中の文永9年(1272年)2月に、四条金吾に託して門下一同に与えられました。題号の「開目」とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生に対して、執着を打ち破り、真の法華経の行者、すなわち大聖人に「目を開け」との呼び掛けと拝されます。
大聖人は前年9月12日に竜の口の法難に遭われ、続いて佐渡に流罪されました。迫害の嵐は門下たちにも及び、退転する者も続出していました。
本抄において大聖人は、"大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ諸天善神の加護がないのか"等の疑問や批判に触れ、末法で妙法弘通を貫けば「三類の強敵」が現れることは法華経に説かれる通りであり、大聖人こそ真の法華経の行者であると示されます。
そして、いかなる大難があろうとも、民衆救済のために、不惜身命の精神で戦い抜くとの大誓願を述べられています。
◇現実世界で戦い抜く人こそ仏
●御文1
しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし・根なし草の波の上に浮べるににたり、本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし(御書197ページ13行目〜17行目、編年体御書425ページ12行目〜16行目)
●通解1
そうはいっても、まだ釈尊が発迹顕本していないので、真実の一念三千も顕れていないし、二乗作仏も定まっていない。それは、(天の月を求めて)水中の月を見ているようなものである。根なし草が波の上に浮かんでいるのに似ている。
本門にいたって、始成正覚の教えを打ち破ったので、それまで説かれた四教の果は打ち破られてしまった。四教の果が打ち破られたので、(その果に至るための)四教の因も打ち破られた。爾前・迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き顕した。これが即ち本因本果の法門である。
九界も無始の仏界に具わり、仏界も無始の九界に具わって、真の十界互具・百界千如・一念三千となる。
●池田先生の指導から1
本果である仏界の生命が常住不滅であるとともに、本因である菩薩行を行ずる生命も尽きることがないのです。このように、九界の生命を断じて、仏界の生命を成就するという爾前諸経の成仏観とは大きく異なるのが、本門の因果、本因本果です。
事実、寿量品では、久遠実成の仏は成仏してからも、九界の現実世界で衆生を救い続けるという菩薩行を絶やすことはないと説かれています。
ここに、寿量品の発迹顕本によって真実の仏の姿が明らかになるのです。いうなれば、それは、「無限の菩薩行を現す永遠の仏」です。
九界の現実のなかで無限の菩薩行を行ずる生命は、九界の生命です。しかし同時に、永遠の仏界の生命が、その無限の菩薩行を現す根源のエネルギーになっているのです。
今世で初めて成仏したとされる始成正覚の仏は、入滅すると別世界の浄土に入るなどとされ、現実世界で菩薩行を続けることはありません。それに対して、久遠実成の仏は、現実世界がそのまま浄土であり、寂光土なのです。
そして、このような寿量品の仏にとって、九界の現実は、永遠の仏界の活力を自身の生命から現していくための機縁であり、仏界の智慧と慈悲を発揮するための舞台にほかなりません。(『開目抄講義』)
◇一切の疑難を突き抜けた大境涯
●御文2
詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず(御書232ページ1行目〜6行目、編年体御書462ページ1行目〜6行目)
●通解2
結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう。身命をなげうつ覚悟である。
舎利弗が過去世に六十劫という長い間、修行してきた菩薩行を途中で退転したのは、舎利弗の眼を求めたバラモンの責め苦に堪えられなかったからである。久遠五百塵点劫、および三千塵点劫の昔に、法華経の下種を受けながら、退転して悪道に堕ち、五百塵点劫や三千塵点劫という長遠の時間を経たのは、悪知識にあって惑わされたからである。
善につけ悪につけ、法華経を捨てることは地獄に堕ちる業となる。
「私は、大願を立てよう。たとえ、『日本国の王の位を譲るから、法華経を捨てて観無量寿経などに付き従って、後生の浄土への往生を目指せ』と誘惑されたり、『念仏を称えなければ父母の首をはねる』と脅されるなどの種々の大難が出てきても、私の正しい法義が智者に破られることがない限り、彼らの要求を決して受け入れることはない。それ以外の大難は、私にとっては風の前の塵のような、とるに足りないものである。私は日本の柱となろう。私は日本の眼目となろう。私は日本の大船となろう」などと誓った大願は、決して破ることはない。
●池田先生の指導から2
世間・門下の疑難を突き抜けた、大聖人の大境涯を示された御文です。"諸天の加護がほしい"とか、"難に遭いたくない"というような人々の思惑を超えて、大聖人御自身の御境地である法華経の行者としての覚悟が示されているのです。
大聖人の御境地からすれば、諸天の加護の有無を超えて大切なことがある。いかなる大難があろうと、身命を賭して成し遂げねばならない。
それは、仏が自らの大願として法華経で説いた、最高善である万人の成仏である。そして、その実現である広宣流布にほかなりません。
これこそ、世間や門下の人々がこだわり、執着するものを超えて、大聖人が戦い取ろうとされたものなのです。(中略)誓願とは、法華経の行者の「戦う魂」です。それゆえに、大聖人は、この一段において、法華経の行者としての誓願を説かれるのです。(『開目抄講義』)
●池田先生の指導から3
「ちかいし願やぶるべからず」——この御文は、ひとたび誓った誓願は、未来永劫に断じて破ることはない、との御断言です。この仏の大願をわが誓願として生き抜く強き信心の人にこそ、仏界の生命が湧現するのです。
わが創価学会は、この「誓願」を不惜身命で貫き通してきたからこそ、すべてに大勝利することができたのです。
「誓願」は、悪世末法に法を弘めるうえで根幹の柱です。正義に生きる強い誓いの心がなければ、濁世の激流を押し返すことなどできません。魔性を打ち返すことはできません。
いかなる大難をも恐れない。いかなる苦難にも怯えない。その勇気を生み出す根源の力が、広宣流布の誓願です。
誓願に生きれば、どのような障魔が出来しても、悠然たる王者の魂が光ります。どのような宿命が襲来しても、毅然たる勇者の魂が輝きます。(『開目抄講義』)
2019年10月29日火曜日
2019.10.29 わが友に贈る
信心に無駄はない。
広布のための行動は
全てが福運に変わる。
崩れざる心の財を
積みゆく日々たれ!
上野殿後家尼御返事 P1504
『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はずただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふこれにまよふを凡夫と云う』
【通解】
およそ、浄土といっても、地獄といっても、それはどこか他のところにあるものではありません。ただ私たちの胸の間(生命の中)にあるのです。
これをさとった者を仏といい、これに迷うのを凡夫というのです。
〈寸鉄〉 2019年10月29日
SGIは女性の本来の力を引き出す連帯—作家。平和創出の主役は私達と
「一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる」御書一遍の題目の功力確信し
青森県婦人部の日。青年と人材の森を育む模範の民衆城。福徳の大輪薫れ
「真の苦労は人目につかない苦労」文人。副役職、各種役員の献身に最敬礼
有名企業騙る偽サイトの詐欺急増。暗証番号等、安易に打ち込むな。警戒を
☆勇気の旗高く 池田先生と山梨 2019年10月21日
◇山の如く揺るがぬ心で
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は山梨県を掲載する。
◇師弟の人材城
山々に抱かれた山梨県。1955年(昭和30年)、県内で行われた水滸会の野外研修の折、戸田先生は語った。「この山紫水明の天地に、広宣流布の人材の城を築きたいな」。池田先生はこの恩師の言葉を胸に、幾度となく足を運んできた。2007年(平成19年)、山梨最高協議会に出席した池田先生は、師弟の精神について語った。
戸田先生は、天下の要所である山梨をこよなく愛し、大切にされた。この地で、青年を薫陶してくださった。
山梨には、創価の師弟の深い縁がある。重大な使命の天地なのである。
山梨創価学会の前進は、まことに立派である。偉大なる広宣流布の歴史を現実に大きく切り開いてくださっている。
私はいつも、戸田先生のお心を思い、そして、広宣流布の新時代を展望して、山梨を訪問させていただいている。
私は、ただ師匠のために戦った。
師匠に直結しない戦いは、いかなる戦いも意味がない。そう、私は決めていた。
全部、戸田先生の言われる通りに戦ってきた。
これが師弟である。
山梨の皆さまには、本物の師弟直結の人材城を築いてもらいたい。
皆さまはどうか、私とともに、真実の師弟の道を歩み抜いていただきたい。そして、勝ち抜いていただきたい。
師弟の精神が盤石であれば、それが土台となり、因となって、「大山梨」を築くことができる。
そうした見事なる「大山梨」ができれば、日本中、いな、世界中に、勝利の波動は広がっていくのである。
◇行学の二道を
山梨は、日蓮大聖人が晩年、末法万年の未来のために諸御抄の御述作と弟子の育成・教化に当たられた地である。1997年(平成9年)、その山梨に教学研修センター(笛吹市)がオープン。池田先生は開館間もない6月10日、同センターを訪れ、御書講義を。その中で「『教学第一』の山梨たれ! 『行動第一』の山梨たれ!」と呼び掛けた。
「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)——これが、大聖人の根本の教えである。この「心」を、どうつくるか。
すなわち、一念に三千を具する、わが「心」を、どう鍛え、どう磨き、どう人間革命へと回転させていくか。そのために信心があり、学会活動がある。
大聖人は、この山梨の地から、四条金吾に、「陰徳あれば陽報あり」(同1178ページ)——人の目に見えないところで積んだ徳は、必ず目に見える報いを受けることができる——と励ましておられる。
金吾は、それまで、妬みの讒言によって、主君から遠ざけられていた。その難を、金吾は、けなげな信心と、真心の行動で見事に乗り越え、信頼を勝ち取っていった。
門下の勝利の姿を、大聖人はこよなく喜ばれながら、重ねて、こう仰せになられた。
「此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ」(同ページ)——これは、まだ始まりです。さらに大果報が来ると確信しなさい——。
法のための労苦は、すべて功徳となって、わが身を飾る。見えない陰の献身の行動が、目に見える結果となって、福徳は汲めども尽きない泉のごとくに、ぐんぐんと満ちてくる。
その確かな幸福の軌道に、皆さまは間違いなく入っておられる。この軌道から、絶対に外れてはならない。そのためにも、教学を学びゆくことが大切なのである。
「諸法実相抄」の有名な御文にいわく、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同1361ページ)——行学の二道に励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分自身も行い、人にも教えていきなさい。行学は信心より起こるのである。力があるならば一文一句でも語っていきなさい——と。
どうか、わが山梨の皆さまは、日々、少しずつでも、御書を拝していただきたい。
そして、あの山々のごとく、揺るがぬ確信を築くことである。また、雄々しき行動へと勇みゆく、模範の「実践の教学」であっていただきたい。
◇何かで日本一に
かつて、上杉謙信と覇を競い、徳川家康・織田信長の連合軍を破った、武田信玄の軍団を輩出した山梨。2007年、池田先生は「首都圏を、さらには日本と世界を、堂々とリードしていっていただきたい」と、山梨の前進に期待を寄せている。
山梨は、最強の武田信玄の軍団を生み出した天地である。
同じ生きるなら、誇り高く生きるのだ。
仲良く前進!
朗らかに勝利!
そして日本一の充実した山梨を築いていただきたい。
何かで「日本一」を目指すのだ。
折伏日本一! 人材日本一! それも、すごい。
「団結日本一!」「朗らか日本一!」。これもまた素晴らしい。
——あの山梨の団結を見よ! 山梨は、どこか違う。あの姿の中に、真実の創価学会の魂がある!——
こういわれる模範の県を、築いていただきたいのだ。
それには、お金はいらない(笑い)。心で決まる。難しい話も、必要ない。心一つで決まるのだ。
ほかのどこよりも麗しい、異体同心の前進をお願いしたい。
立ち上がるのだ。
行動するのだ。
波を起こすのだ。
外へ、外へと打って出るのだ。折伏精神を胸に!
小さな世界にいるだけでは、新しい発展はない。停滞してしまって、傲りの心、退転の心に侵されてはならない。
列車も、飛行機も、どこかへ向かっていく。進まなければ、目的地には着けない。これが道理である。
人もまた、生き生きと、新天地に向かって飛び出すのだ。心を外へ開くのだ。自分の殻を破るのだ。そこに希望の拡大がある。幸福の光が広がる。
勇んで、外へ打って出る——これが、勝利し、発展し続けていくための原則なのである。
明年は、「ニュー山梨」との指針が示されて35周年の佳節。春には、待望の新「山梨文化会館」の完成が予定されている。山梨の同志は今、建設のつち音とともに、幸福の光を広げている。
☆原田会長を中心に各部代表者会議 2019年10月24日
◇地涌の人材の花また花を
世界広布新時代第72回の各部代表者会議が23日、原田会長を中心に、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、先の台風被害に遭った方々に思いをはせつつ、自ら被災しながら同志に尽くす友らの尊き献身に対し、御本仏が「いづれも・いづれも功徳に・ならざるはなし」(御書1098ページ)と全て御照覧であると、深く感謝した。
次いで「闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり、明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く」(同1109ページ)を拝読。
いかなる宿命の闇も世の濁りも、赫々と照らし晴らしていけるのが、妙法蓮華経の限りない大功力である。それぞれの誓願の国土で三変土田の歴史を刻みながら、いよいよ明るく清々しく、地涌の人材の花また花を咲かせゆこう——と訴えた。
そして、「11・18」を目指す多忙な日々にあっても、「異体同心」という最高最強のチームワークで励まし支え合い、賢く朗らかに創価のスクラムを組み広げ、生き生きと価値を創造していきたいと述べた。
最後に「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(同557ページ)を拝し、一切を蘇らせ、味方に転じゆく題目の響きで、勇気凜々と前進しよう!と呼び掛け、メッセージを結んだ。
原田会長は改めて、台風被害への心からのお見舞いを述べ、できる限りの支援を続けたいと強調。師弟を一切の原動力に広布伸展を続けるタイ、インドなど各国の模様を紹介しつつ、その闘争に謙虚に学び、わが地域の"壁"を打ち破る挑戦で、明「前進・人材の年」へ先駆しようと訴えた。
また長谷川理事長、谷川主任副会長、男子部大学校の中原事務局長があいさつ。本社報道局の佐口博之記者が取材報告を行った。
広布のための行動は
全てが福運に変わる。
崩れざる心の財を
積みゆく日々たれ!
上野殿後家尼御返事 P1504
『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はずただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふこれにまよふを凡夫と云う』
【通解】
およそ、浄土といっても、地獄といっても、それはどこか他のところにあるものではありません。ただ私たちの胸の間(生命の中)にあるのです。
これをさとった者を仏といい、これに迷うのを凡夫というのです。
〈寸鉄〉 2019年10月29日
SGIは女性の本来の力を引き出す連帯—作家。平和創出の主役は私達と
「一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる」御書一遍の題目の功力確信し
青森県婦人部の日。青年と人材の森を育む模範の民衆城。福徳の大輪薫れ
「真の苦労は人目につかない苦労」文人。副役職、各種役員の献身に最敬礼
有名企業騙る偽サイトの詐欺急増。暗証番号等、安易に打ち込むな。警戒を
☆勇気の旗高く 池田先生と山梨 2019年10月21日
◇山の如く揺るがぬ心で
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は山梨県を掲載する。
◇師弟の人材城
山々に抱かれた山梨県。1955年(昭和30年)、県内で行われた水滸会の野外研修の折、戸田先生は語った。「この山紫水明の天地に、広宣流布の人材の城を築きたいな」。池田先生はこの恩師の言葉を胸に、幾度となく足を運んできた。2007年(平成19年)、山梨最高協議会に出席した池田先生は、師弟の精神について語った。
戸田先生は、天下の要所である山梨をこよなく愛し、大切にされた。この地で、青年を薫陶してくださった。
山梨には、創価の師弟の深い縁がある。重大な使命の天地なのである。
山梨創価学会の前進は、まことに立派である。偉大なる広宣流布の歴史を現実に大きく切り開いてくださっている。
私はいつも、戸田先生のお心を思い、そして、広宣流布の新時代を展望して、山梨を訪問させていただいている。
私は、ただ師匠のために戦った。
師匠に直結しない戦いは、いかなる戦いも意味がない。そう、私は決めていた。
全部、戸田先生の言われる通りに戦ってきた。
これが師弟である。
山梨の皆さまには、本物の師弟直結の人材城を築いてもらいたい。
皆さまはどうか、私とともに、真実の師弟の道を歩み抜いていただきたい。そして、勝ち抜いていただきたい。
師弟の精神が盤石であれば、それが土台となり、因となって、「大山梨」を築くことができる。
そうした見事なる「大山梨」ができれば、日本中、いな、世界中に、勝利の波動は広がっていくのである。
◇行学の二道を
山梨は、日蓮大聖人が晩年、末法万年の未来のために諸御抄の御述作と弟子の育成・教化に当たられた地である。1997年(平成9年)、その山梨に教学研修センター(笛吹市)がオープン。池田先生は開館間もない6月10日、同センターを訪れ、御書講義を。その中で「『教学第一』の山梨たれ! 『行動第一』の山梨たれ!」と呼び掛けた。
「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)——これが、大聖人の根本の教えである。この「心」を、どうつくるか。
すなわち、一念に三千を具する、わが「心」を、どう鍛え、どう磨き、どう人間革命へと回転させていくか。そのために信心があり、学会活動がある。
大聖人は、この山梨の地から、四条金吾に、「陰徳あれば陽報あり」(同1178ページ)——人の目に見えないところで積んだ徳は、必ず目に見える報いを受けることができる——と励ましておられる。
金吾は、それまで、妬みの讒言によって、主君から遠ざけられていた。その難を、金吾は、けなげな信心と、真心の行動で見事に乗り越え、信頼を勝ち取っていった。
門下の勝利の姿を、大聖人はこよなく喜ばれながら、重ねて、こう仰せになられた。
「此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ」(同ページ)——これは、まだ始まりです。さらに大果報が来ると確信しなさい——。
法のための労苦は、すべて功徳となって、わが身を飾る。見えない陰の献身の行動が、目に見える結果となって、福徳は汲めども尽きない泉のごとくに、ぐんぐんと満ちてくる。
その確かな幸福の軌道に、皆さまは間違いなく入っておられる。この軌道から、絶対に外れてはならない。そのためにも、教学を学びゆくことが大切なのである。
「諸法実相抄」の有名な御文にいわく、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同1361ページ)——行学の二道に励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分自身も行い、人にも教えていきなさい。行学は信心より起こるのである。力があるならば一文一句でも語っていきなさい——と。
どうか、わが山梨の皆さまは、日々、少しずつでも、御書を拝していただきたい。
そして、あの山々のごとく、揺るがぬ確信を築くことである。また、雄々しき行動へと勇みゆく、模範の「実践の教学」であっていただきたい。
◇何かで日本一に
かつて、上杉謙信と覇を競い、徳川家康・織田信長の連合軍を破った、武田信玄の軍団を輩出した山梨。2007年、池田先生は「首都圏を、さらには日本と世界を、堂々とリードしていっていただきたい」と、山梨の前進に期待を寄せている。
山梨は、最強の武田信玄の軍団を生み出した天地である。
同じ生きるなら、誇り高く生きるのだ。
仲良く前進!
朗らかに勝利!
そして日本一の充実した山梨を築いていただきたい。
何かで「日本一」を目指すのだ。
折伏日本一! 人材日本一! それも、すごい。
「団結日本一!」「朗らか日本一!」。これもまた素晴らしい。
——あの山梨の団結を見よ! 山梨は、どこか違う。あの姿の中に、真実の創価学会の魂がある!——
こういわれる模範の県を、築いていただきたいのだ。
それには、お金はいらない(笑い)。心で決まる。難しい話も、必要ない。心一つで決まるのだ。
ほかのどこよりも麗しい、異体同心の前進をお願いしたい。
立ち上がるのだ。
行動するのだ。
波を起こすのだ。
外へ、外へと打って出るのだ。折伏精神を胸に!
小さな世界にいるだけでは、新しい発展はない。停滞してしまって、傲りの心、退転の心に侵されてはならない。
列車も、飛行機も、どこかへ向かっていく。進まなければ、目的地には着けない。これが道理である。
人もまた、生き生きと、新天地に向かって飛び出すのだ。心を外へ開くのだ。自分の殻を破るのだ。そこに希望の拡大がある。幸福の光が広がる。
勇んで、外へ打って出る——これが、勝利し、発展し続けていくための原則なのである。
明年は、「ニュー山梨」との指針が示されて35周年の佳節。春には、待望の新「山梨文化会館」の完成が予定されている。山梨の同志は今、建設のつち音とともに、幸福の光を広げている。
☆原田会長を中心に各部代表者会議 2019年10月24日
◇地涌の人材の花また花を
世界広布新時代第72回の各部代表者会議が23日、原田会長を中心に、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、先の台風被害に遭った方々に思いをはせつつ、自ら被災しながら同志に尽くす友らの尊き献身に対し、御本仏が「いづれも・いづれも功徳に・ならざるはなし」(御書1098ページ)と全て御照覧であると、深く感謝した。
次いで「闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり、明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く」(同1109ページ)を拝読。
いかなる宿命の闇も世の濁りも、赫々と照らし晴らしていけるのが、妙法蓮華経の限りない大功力である。それぞれの誓願の国土で三変土田の歴史を刻みながら、いよいよ明るく清々しく、地涌の人材の花また花を咲かせゆこう——と訴えた。
そして、「11・18」を目指す多忙な日々にあっても、「異体同心」という最高最強のチームワークで励まし支え合い、賢く朗らかに創価のスクラムを組み広げ、生き生きと価値を創造していきたいと述べた。
最後に「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(同557ページ)を拝し、一切を蘇らせ、味方に転じゆく題目の響きで、勇気凜々と前進しよう!と呼び掛け、メッセージを結んだ。
原田会長は改めて、台風被害への心からのお見舞いを述べ、できる限りの支援を続けたいと強調。師弟を一切の原動力に広布伸展を続けるタイ、インドなど各国の模様を紹介しつつ、その闘争に謙虚に学び、わが地域の"壁"を打ち破る挑戦で、明「前進・人材の年」へ先駆しようと訴えた。
また長谷川理事長、谷川主任副会長、男子部大学校の中原事務局長があいさつ。本社報道局の佐口博之記者が取材報告を行った。
2019年10月28日月曜日
2019.10.28 わが友に贈る
◇今週のことば
「つよきすけを
かひぬれば・たうれず」
信心のチームワークと
励ましのネットワークで
人材の揺るがぬ林立を!
2019年10月28日
松野殿御返事 P1388
『雪の中ふみ分けて御訪い候事御志定めて法華経十羅刹も知し食し候らん』
【通解】
雪の中を踏み分けて(あなたは使いを身延の山中にいる私に)寄こしてくださいました。その御志は、必ずや法華経も十羅刹女も知っておられることでしょう。
〈寸鉄〉 2019年10月28日
日蓮仏法は逆境にある人が幸せになる宗教—恩師世界中の友の体験が証明
東京「杉並婦人部の日」。弾む心で希望のスクラム拡大。勇気の人は朗らか
大学祭の秋。学生部有志、各地で環境保護等の訴え君の英知で調和の世紀を
社会的なつながり持つ人ほど健康で幸福—研究。友情結ぶ学会活動は王道
創大生の活躍に感動の渦—箱根駅伝の出場決定。さあ我らも!壁破る挑戦
☆私がつくる平和の文化 第10回 差別のない世界を
インタビュー 政治学者 姜尚中さん
「私がつくる平和の文化」第10回のテーマは「差別のない世界を」。登場していただくのは、政治学者の姜尚中さんです。差別や偏見のない世界を築くために私たちが心掛けるべき点について、語ってもらいました。(構成=小野顕一、歌橋智也)
差別をどう乗り越えるか、これは大変難しい問題です。
最初に結論を申し上げると、"差別のない世界"をつくるためには、人権というものの根幹に「生命論」がなければならない、と思っています。
生命に序列はない。どんな生命に対しても、「この人は生きるに値しない」などと人間が判断してはならない。生命に対する「畏敬の念」がベースになければ、人権といっても上っ面な言葉になってしまうからです。
僕は、差別に"一般"というものはなく、個々の具体的な問題、つまり性差、障がい、病気、人種、民族などが、さまざまな歴史的背景から複雑に絡み合って、本来、平等であるはずの人間に序列ができてしまったのだと考えます。
そもそも、差別といっても"濃淡"があります。極端な差別を見れば、誰もが「それは差別だ」と分かりますが、「これは果たして差別なのか」と、判然としないケースもある。そのうえ、多くの人は「自分は差別をしている気など毛頭ない」と言うでしょう。
だから大切なことは、「自分もどこかで間接的に差別をしているかもしれない」と気付くこと。そこが出発点なのです。
では、どうしたらそれに気付けるのか。僕としては、まずは私たちが、「生命は一つ一つ違う」「どんな生命にも存在する価値がある」という、コンセンサス(合意)をつくることだと思います。そのベースができないと、いくら「差別をやめましょう」といっても社会は変わりません。
そのために、まずは子どもたちに、生命の平等について教えていくことです。
僕の母親は食べ物を通して、「結局、人間はどんな偉い人も、そうでない人も、食べないと生きていけないし、そこはみんな平等だ」と言っていました。これは重要なメッセージです。母は"人間はみんな、何か偉大なものに生かされている"という感覚をもっていた。そうした感覚がある限り、生命への畏敬の念は分かち合えるんじゃないかと思います。
気を付けないといけないのは、大人の差別的な考えを、子どもはいとも簡単にスッと受容してしまうことです。あとでそれを改めるには、何十万倍のエネルギーが必要になります。例えば食卓で、ある事件のニュースを見ながら、親御さんがふと感想を漏らす。それを子どもは何とはなしに聞いている。そうした日常的な会話で耳に入ったことが、その子の、ある集団に対するイメージや感情をつくりあげてしまう。子どもというのは、社会を敏感にそのまま反映しますから。
一方で、差別は人間関係の循環を断ち切るものです。人間の社会は、コミュニケーションによって循環している。差別は、そこに"見えない壁"を生むのです。社会の中に、何か不純物のようなものを滞留させ、それが不平不満や憎しみ、嫌悪感となって増大し、誰かに向けられてしまう。
だから、この不安な時代に人々の心の中に平穏を取り戻すには、もっと人と人が支え合っていかないといけない。そうでないと、孤独とか、人とのコミュニケーションがうまくいかないとか、さまざまな問題を抱えた人が、暴力的な行為に走る可能性があります。
差別をするということは、ものの見方、考え方が何かにとらわれ、固着している状態です。特に大人には、いろいろな"かさぶた"があって、それを取ることが難しい。しかし、それが取り払われた時には、意外な「発見」があるのです。
その発見をどう促すか。やはり「対話」です。差別している人がいれば、その人と対話をするしかない。
差別される側が、差別をする側を糾弾したい気持ちは分かります。僕も若い頃は、気持ちがものすごく先走って、糾弾していました。でも、自分のネガティブな感情をぶつけるほど、結果は逆になっていく。相手を否定して向き合う限り、差別はなくならないと気付きました。
差別をすることは、結局は自分自身をおとしめることになる——一人一人がそのことに気付くような変化をつくりだしていく。それが「平和の文化」ではないか、と思います。「平和の文化」とは、出来上がっているものではない。日々、絶えず努力してつくっていくものなのです。
●人を覚醒させる「言葉の力」
今の時代、ネット上は、およそ寛容とは無縁のネガティブな感情にあふれている。人々が感情に左右されやすい時代です。そんな中で人々に何かを訴えるためには、僕の言葉を使うと「情」と「理」が必要だと思う。
「人を差別してはいけない」と、「理」を立て整然と話すことは大事です。でも、それだけではなかなか通じない。特に差別されている人の痛みというものは、「情」を通じてこそわかる。それで相手も「共感」できるのです。 だからこそ、「生命」という問題については、「生の声」で語り掛けることが大事だと思う。文字情報とか映像もありますが、こと「生命」の問題については、一回きりの出会いの中で交わされる、身体感覚を呼び覚ますような、互いの心に響く対話をしていくことだと思います。
最近は、SNSで「いいね!」と条件反射をしたり、軽い言葉で答えたりすることしかできなくなり、言葉の力が萎えている気がします。
差別を乗り越えるには、相対して語られる「言葉」によって人間自身が覚醒する。ものの見方が変わる。そうした、人の心を打つような対話が必要なのです。
キリストも仏陀も、常に分かりやすい言葉で人々の心に語り続けました。人種差別と闘ったガンジーやキング、マンデラといった先達も、対話の道を選びました。回り道にも思えますが、差別を乗り越えるには、どうすれば差別する人と対話の場をつくれるかを考えることです。
「声の力」「言葉の力」は大きい。池田先生も国家や文明、宗教の違いを超えて、対話に尽力しておられます。対話には、新しい自分への発見があります。
だから僕は、若い人たちこそが対話に挑戦することを期待しています。
カン・サンジュン 1950年、熊本県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、東京大学名誉教授。熊本県立劇場館長。専攻は政治学・政治思想史。『悩む力』『続・悩む力』『心の力』をはじめ、『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ』など著書多数。小説作品に『母——オモニ』『心』がある。
★池田先生の指針から
人間が人間を蔑み、軽んじる差別や偏見が、どれほど人の心を傷つけ、気持ちを踏みにじるものか——。
その苦しみ、辛さは、差別された方にしかわからない。
*
異なる人間への差別意識、差異へのこだわりを克服することこそ、平和と普遍的人権を創出するための第一歩であり、開かれた対話を可能にする道である。
池田大作
(『名言100選』から)
「優しさのバトン」 灰庭愛結さん(高1)
自身の体験を通して差別に対する思いをつづった、灰庭愛結さん(高校1年)の作文を掲載します。富山県・内閣府共催の平成30年度「心の輪を広げる体験作文」(中学生の部)で最優秀賞を受賞しました。
私には心臓病という持病があります。小学生の時、「心臓病がうつる」と、さけられたり、触ると"菌まわし"されたり、「心臓病のくせに」とバカにされることもありました。とてもつらかったのを覚えています。
詳しい病名は心室中隔欠損症と肺動脈狭窄で、生まれつき右心室と左心室の間に穴があいていて、1歳半の時に手術をしました。手術前は元気でニコニコしていたのに、手術後はショックで笑わなくなり、親はとても心配したそうです。4歳の時には遺伝性球状赤血球症という、もう一つの病気を治すために脾臓と胆のうを摘出しました。この手術をする前に心臓の手術をした症例が世界で4例しかなく、両親はとても不安だったそうです。
入院中は幼稚園にも外に遊びにも行けず、母はそんな私のそばにずっといてくれました。父は仕事で忙しかったのに、毎日お見舞いに来てくれました。父も母も大変だったと思います。
病気にかかることはとてもつらいです。一生治らない病気もあります。いじめにあっている人もいます。
前に友達と駅前に行った時、どこか悪いのだなとひと目でわかるように歩いている人がいました。すると、その人を見て笑っている人やジロジロ見ている人がいるのです。すごく腹がたちました。なぜ病気をもっている人はいじめられたり、笑われたりしなければならないのか。私は間違っていると思います。逆の立場だったら、きっといやな気持ちになるはずです。
私は、小さい時から運動制限がかかっていましたが、今はすごく元気です。バドミントン部の部長もしました。仲間との学校生活もすごく楽しいです。ここまで元気になるまでに、つらいことや悲しいことをたくさん経験し、病気で苦しんだり、いじめられたり笑われたりする人や家族の気持ちが、わかるようになりました。だから、ここまで立派に育ててくれた両親にとても感謝しています。
これから、そうした人たちに出会ったら、両親が私にしてくれたように優しく接していきたい。周りの人にも私の経験を語り、優しさのバトンを渡し、たくさんの人に繋いでいけるといいと思います。(本人了承のもと抜粋して掲載)
「つよきすけを
かひぬれば・たうれず」
信心のチームワークと
励ましのネットワークで
人材の揺るがぬ林立を!
2019年10月28日
松野殿御返事 P1388
『雪の中ふみ分けて御訪い候事御志定めて法華経十羅刹も知し食し候らん』
【通解】
雪の中を踏み分けて(あなたは使いを身延の山中にいる私に)寄こしてくださいました。その御志は、必ずや法華経も十羅刹女も知っておられることでしょう。
〈寸鉄〉 2019年10月28日
日蓮仏法は逆境にある人が幸せになる宗教—恩師世界中の友の体験が証明
東京「杉並婦人部の日」。弾む心で希望のスクラム拡大。勇気の人は朗らか
大学祭の秋。学生部有志、各地で環境保護等の訴え君の英知で調和の世紀を
社会的なつながり持つ人ほど健康で幸福—研究。友情結ぶ学会活動は王道
創大生の活躍に感動の渦—箱根駅伝の出場決定。さあ我らも!壁破る挑戦
☆私がつくる平和の文化 第10回 差別のない世界を
インタビュー 政治学者 姜尚中さん
「私がつくる平和の文化」第10回のテーマは「差別のない世界を」。登場していただくのは、政治学者の姜尚中さんです。差別や偏見のない世界を築くために私たちが心掛けるべき点について、語ってもらいました。(構成=小野顕一、歌橋智也)
差別をどう乗り越えるか、これは大変難しい問題です。
最初に結論を申し上げると、"差別のない世界"をつくるためには、人権というものの根幹に「生命論」がなければならない、と思っています。
生命に序列はない。どんな生命に対しても、「この人は生きるに値しない」などと人間が判断してはならない。生命に対する「畏敬の念」がベースになければ、人権といっても上っ面な言葉になってしまうからです。
僕は、差別に"一般"というものはなく、個々の具体的な問題、つまり性差、障がい、病気、人種、民族などが、さまざまな歴史的背景から複雑に絡み合って、本来、平等であるはずの人間に序列ができてしまったのだと考えます。
そもそも、差別といっても"濃淡"があります。極端な差別を見れば、誰もが「それは差別だ」と分かりますが、「これは果たして差別なのか」と、判然としないケースもある。そのうえ、多くの人は「自分は差別をしている気など毛頭ない」と言うでしょう。
だから大切なことは、「自分もどこかで間接的に差別をしているかもしれない」と気付くこと。そこが出発点なのです。
では、どうしたらそれに気付けるのか。僕としては、まずは私たちが、「生命は一つ一つ違う」「どんな生命にも存在する価値がある」という、コンセンサス(合意)をつくることだと思います。そのベースができないと、いくら「差別をやめましょう」といっても社会は変わりません。
そのために、まずは子どもたちに、生命の平等について教えていくことです。
僕の母親は食べ物を通して、「結局、人間はどんな偉い人も、そうでない人も、食べないと生きていけないし、そこはみんな平等だ」と言っていました。これは重要なメッセージです。母は"人間はみんな、何か偉大なものに生かされている"という感覚をもっていた。そうした感覚がある限り、生命への畏敬の念は分かち合えるんじゃないかと思います。
気を付けないといけないのは、大人の差別的な考えを、子どもはいとも簡単にスッと受容してしまうことです。あとでそれを改めるには、何十万倍のエネルギーが必要になります。例えば食卓で、ある事件のニュースを見ながら、親御さんがふと感想を漏らす。それを子どもは何とはなしに聞いている。そうした日常的な会話で耳に入ったことが、その子の、ある集団に対するイメージや感情をつくりあげてしまう。子どもというのは、社会を敏感にそのまま反映しますから。
一方で、差別は人間関係の循環を断ち切るものです。人間の社会は、コミュニケーションによって循環している。差別は、そこに"見えない壁"を生むのです。社会の中に、何か不純物のようなものを滞留させ、それが不平不満や憎しみ、嫌悪感となって増大し、誰かに向けられてしまう。
だから、この不安な時代に人々の心の中に平穏を取り戻すには、もっと人と人が支え合っていかないといけない。そうでないと、孤独とか、人とのコミュニケーションがうまくいかないとか、さまざまな問題を抱えた人が、暴力的な行為に走る可能性があります。
差別をするということは、ものの見方、考え方が何かにとらわれ、固着している状態です。特に大人には、いろいろな"かさぶた"があって、それを取ることが難しい。しかし、それが取り払われた時には、意外な「発見」があるのです。
その発見をどう促すか。やはり「対話」です。差別している人がいれば、その人と対話をするしかない。
差別される側が、差別をする側を糾弾したい気持ちは分かります。僕も若い頃は、気持ちがものすごく先走って、糾弾していました。でも、自分のネガティブな感情をぶつけるほど、結果は逆になっていく。相手を否定して向き合う限り、差別はなくならないと気付きました。
差別をすることは、結局は自分自身をおとしめることになる——一人一人がそのことに気付くような変化をつくりだしていく。それが「平和の文化」ではないか、と思います。「平和の文化」とは、出来上がっているものではない。日々、絶えず努力してつくっていくものなのです。
●人を覚醒させる「言葉の力」
今の時代、ネット上は、およそ寛容とは無縁のネガティブな感情にあふれている。人々が感情に左右されやすい時代です。そんな中で人々に何かを訴えるためには、僕の言葉を使うと「情」と「理」が必要だと思う。
「人を差別してはいけない」と、「理」を立て整然と話すことは大事です。でも、それだけではなかなか通じない。特に差別されている人の痛みというものは、「情」を通じてこそわかる。それで相手も「共感」できるのです。 だからこそ、「生命」という問題については、「生の声」で語り掛けることが大事だと思う。文字情報とか映像もありますが、こと「生命」の問題については、一回きりの出会いの中で交わされる、身体感覚を呼び覚ますような、互いの心に響く対話をしていくことだと思います。
最近は、SNSで「いいね!」と条件反射をしたり、軽い言葉で答えたりすることしかできなくなり、言葉の力が萎えている気がします。
差別を乗り越えるには、相対して語られる「言葉」によって人間自身が覚醒する。ものの見方が変わる。そうした、人の心を打つような対話が必要なのです。
キリストも仏陀も、常に分かりやすい言葉で人々の心に語り続けました。人種差別と闘ったガンジーやキング、マンデラといった先達も、対話の道を選びました。回り道にも思えますが、差別を乗り越えるには、どうすれば差別する人と対話の場をつくれるかを考えることです。
「声の力」「言葉の力」は大きい。池田先生も国家や文明、宗教の違いを超えて、対話に尽力しておられます。対話には、新しい自分への発見があります。
だから僕は、若い人たちこそが対話に挑戦することを期待しています。
カン・サンジュン 1950年、熊本県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、東京大学名誉教授。熊本県立劇場館長。専攻は政治学・政治思想史。『悩む力』『続・悩む力』『心の力』をはじめ、『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ』など著書多数。小説作品に『母——オモニ』『心』がある。
★池田先生の指針から
人間が人間を蔑み、軽んじる差別や偏見が、どれほど人の心を傷つけ、気持ちを踏みにじるものか——。
その苦しみ、辛さは、差別された方にしかわからない。
*
異なる人間への差別意識、差異へのこだわりを克服することこそ、平和と普遍的人権を創出するための第一歩であり、開かれた対話を可能にする道である。
池田大作
(『名言100選』から)
「優しさのバトン」 灰庭愛結さん(高1)
自身の体験を通して差別に対する思いをつづった、灰庭愛結さん(高校1年)の作文を掲載します。富山県・内閣府共催の平成30年度「心の輪を広げる体験作文」(中学生の部)で最優秀賞を受賞しました。
私には心臓病という持病があります。小学生の時、「心臓病がうつる」と、さけられたり、触ると"菌まわし"されたり、「心臓病のくせに」とバカにされることもありました。とてもつらかったのを覚えています。
詳しい病名は心室中隔欠損症と肺動脈狭窄で、生まれつき右心室と左心室の間に穴があいていて、1歳半の時に手術をしました。手術前は元気でニコニコしていたのに、手術後はショックで笑わなくなり、親はとても心配したそうです。4歳の時には遺伝性球状赤血球症という、もう一つの病気を治すために脾臓と胆のうを摘出しました。この手術をする前に心臓の手術をした症例が世界で4例しかなく、両親はとても不安だったそうです。
入院中は幼稚園にも外に遊びにも行けず、母はそんな私のそばにずっといてくれました。父は仕事で忙しかったのに、毎日お見舞いに来てくれました。父も母も大変だったと思います。
病気にかかることはとてもつらいです。一生治らない病気もあります。いじめにあっている人もいます。
前に友達と駅前に行った時、どこか悪いのだなとひと目でわかるように歩いている人がいました。すると、その人を見て笑っている人やジロジロ見ている人がいるのです。すごく腹がたちました。なぜ病気をもっている人はいじめられたり、笑われたりしなければならないのか。私は間違っていると思います。逆の立場だったら、きっといやな気持ちになるはずです。
私は、小さい時から運動制限がかかっていましたが、今はすごく元気です。バドミントン部の部長もしました。仲間との学校生活もすごく楽しいです。ここまで元気になるまでに、つらいことや悲しいことをたくさん経験し、病気で苦しんだり、いじめられたり笑われたりする人や家族の気持ちが、わかるようになりました。だから、ここまで立派に育ててくれた両親にとても感謝しています。
これから、そうした人たちに出会ったら、両親が私にしてくれたように優しく接していきたい。周りの人にも私の経験を語り、優しさのバトンを渡し、たくさんの人に繋いでいけるといいと思います。(本人了承のもと抜粋して掲載)
2019年10月27日日曜日
2019.10.27 わが友に贈る
一言が大事だ。
一人の友の奮闘に
「本当にありがとう!」
「よくぞ、ここまで」と
真心の言葉で応えよう!
日女御前御返事 P1245
『石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、何に況や仏法においてをや』
【通解】
中国の李広(りこう)将軍が放った矢が石に立ったというのも、(石を父親を殺した虎と思い)父親の仇と信じ抜いた一念の強さゆえである。まして、仏法においては、なおさらのことである。
〈寸鉄〉 2019年10月27日
創価教育は人類平和の為の道標—識者。世界市民育成の揺籃に各界が注目
学会員には困難に立ち向かう強さが—議員。被災の皆様、再起の劇を断固
会合の指導と個人指導の比率は「2対8」に。幹部率先の行動で広布は脈動
文字・活字文化の日。同志の本紙拡大に感謝。世界に誇れる希望の論調益々
ごみ収集車で火災多発!原因は電池等と。分別は再生の要。皆で規則順守
☆ロータスラウンジ 第10回 化城喩品第七(下)
◇仏法を行じ弘める振る舞いそのものがすでに仏の姿
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第10回は、「化城喩品第七」(下)です。前回の続きから、内容を追っていきます(前回は9月7日付。原則、月1回掲載)。
■大要(続き)
前回までで、仏と在世の弟子たちの「宿世の因縁」を説いてきました。それを受けて、「化城宝処の譬え」を通して、一仏乗の法華経こそが仏の真意であることを教えます。
では、砂漠を旅する一行のドラマを見てみましょう。
●シーン5
——人の行き来も絶えて、通るのも危なく恐ろしい、五百由旬という長い長い道がありました。
この悪路を通った先にある宝処(宝のある処)を目指し、多くの人々が歩んでいます。その一行の中に、険しい道の先まで見通せる、一人の聡明なリーダーがいました。
一行はリーダーのもと、険しい道を乗り越えようと、進んでいました。ところが道半ばで、音を上げます。
「私たちはひどく疲れ、もう進んでいくことができません。まだ、先は遠く、今から引き返そうと思います」
その言葉を聞いたリーダーは、思いました。"可哀想なことだ。どうして、すばらしい宝を諦めて、帰りたいと願うのだろうか"
そこでリーダーは一計を案じ、神通力を使って、三百由旬を過ぎた所に一つの城(都市)を出現させて語り掛けます。
「皆さん、恐れることはありません。どうか、諦めて帰ることはしないでください。この城に入れば、休息し、安穏になれます。宝処を目指そうと思えば、また進むことができるようになりますから」
疲れ切った人々は、「悪路をのがれることができて、安穏を得られるのだ」と歓喜し、進んで城に入り、休息を取りました。
皆の疲れが取れたので、リーダーは化城を消して、人々に語ります。
「皆さん、さあ、宝処は近くにあります。先ほどの大きい城は、私が作り出したもので、皆さんを休ませるためだけのものです」
「さあ、共に宝処へ!」——。
●シーン6
釈尊は、比丘(出家した男性信者)に告げます。
——仏も、このリーダーと同じようなものです。今、あなたたちのために、大導師となって、生死や煩悩に満ちた、険難で長遠な悪路を導いてきたのです。
もし、衆生が一仏乗だけを聞いたならば、"成道は、はるか遠い"と思い、仏を求める心を起こすこともなかったでしょう。だから仏は、比丘たちの心が弱いことを知って、仏になる道の途中に、休息させるために、あえて二乗を説いたのです。
それなのに、衆生が声聞や縁覚の覚りに安住していれば、仏はその人たちのために説くのです。
「あなたたちは、まだ真実の覚りを得ていない。真実の仏の智慧は、近くにある。仏は、方便の力によって、一仏乗を三乗に分別して説いてきたのです」と——。
■本来の願い
「化城宝処の譬え」は、開三顕一(三乗を開いて一乗を顕す)を説いています。
リーダーが作り出した幻の城は、仏が衆生を導くために説いてきた三乗方便の教えを譬えています。
ところが、二乗の覚りに満足してしまい、仏の無上の覚りを得ようとする心を起こさないので、「宿世の因縁」を説くことで、本来の願いを思い出させ、導こうとしたのです。
池田先生は、語っています。
「この心(=自他ともの幸福を願う心)を生ききるには、『師』が必要なのです。そのことを、長遠の時間にわたる師弟の因縁を通して、化城喩品で教えているのではないだろうか。要は、ここでいう因縁とは『人間と人間の永遠の絆』のことです。決して、人間を離れたものではない。人間を外から縛るものでもない。反対に、弟子の自分が、自分の生命の根本にある『成仏の因』を自覚する。すなわち久遠の『本願』を思い出す。そして、その因を仏果へと育ててくれる師匠という『縁』のありがたさを自覚する——この『最高の絆』への感謝と感動が、化城喩品の心なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)
■化城即宝処
「御義口伝」には、「化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり念念の化城念念の宝処なり」(御書732ページ)と示されています。
日蓮大聖人は、法華経の文を深く拝されて、「化城即宝処」と、化城と宝処は別々ではないと仰せです。
池田先生は「法華経の本意は九界即仏界、方便即真実ですから、化城と宝処は別々のものではない。化城即宝処なのです。その立場に立てば、じつは過程がそのまま目的である。つまり、仏道修行の果てに成仏があるというのではない。仏法を行じ、弘める振る舞いそのものが、すでに仏の姿なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)と語っています。
たとえいかなる境涯、境遇にあっても、自行化他にわたって南無妙法蓮華経を唱えていく時、その一瞬一瞬の生命に仏の生命が現れるのです。九界の衆生の生命に、仏の境涯を顕していくことができるのです。
■広宣流布は流れ
池田先生は「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体である。何か特別な終着点があるものではない。『こうなったら広宣流布』というのは、譬えでは言えるが、決まった形のことではない。大聖人の仏法は『本因妙』の仏法であり、常に未来に広がっていく正法なのである。末法万年尽未来際のための仏法である。永遠に戦い続けることが、広宣流布に生きるということだ」とスピーチされました。
さらに先生は、「前進するためには、目標という『化城』を設定しなければならない。しかし、その『化城』に向かっての前進、行動は、深く見れば、それ自体、仏の所作なのです。その舞台が、すでに『宝処』なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)と語っています。
日々前進の人生こそが、"広宣流布に生きる"ことなのです。
◇『法華経の智慧』から 喜んで広布の苦労を
すべての活動を楽しんでいくことです。苦しみきった仏の所作などない。
「さあ喜んで、広宣流布の苦労をしていこう」「さあ、またこれで福運がつく」「また境涯を広げられる」と喜べる自分になれば、それ自体、仏界が輝いている証拠でしょう。(中略)
生きているかぎり、何か問題があるのは当然です。それをいちいち一喜一憂していたのではつまらない。
目標に向かって、懸命に挑戦する、ひたぶるに戦う。歯をくいしばって道を開いていく——振り返ってみれば、その時は苦しいようでも、じつはいちばん充実した、人生の黄金の時なのです。三世のドラマの名場面なのです。
大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり我等が居住の山谷曠野皆皆常寂光の宝処なり」(御書734ページ)と仰せられています。これはまさに、妙法を持ち、行ずる私たちの境涯を教えられています。いずこにあっても、いかなる境遇にあろうとも、私たちの根底は「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)なのです。
(普及版〈上〉「化城喩品」)
◇師と共に 学会と歩む幸福人生
「御義口伝」に「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し不共ならば阿鼻大城に堕つ可し」(御書734ページ)とあります。
妙法を唱える人は、皆が共に、仏の覚りの境地を開けると教えられています。その上で、「共」の一字が、仏界と地獄界の分かれ目となるのです。
「日蓮に共する」とは、私たちでいえば、大聖人の御遺命である一閻浮提広宣流布という大願を同じくして進むことです。広くいえば、広布の大願を現実のものとする学会と共に歩むことにほかなりません。
さらに、「在在諸仏土 常与師倶生」(法華経317ページ)の文からも、私たちの前進は"常に大聖人と共に"あるといえます。そのことを生命で実感することが宝処に至ることです。
また、「化城即宝処」の教えからも、広宣流布にまい進できること自体が、幸福なのです。
一人の友の奮闘に
「本当にありがとう!」
「よくぞ、ここまで」と
真心の言葉で応えよう!
日女御前御返事 P1245
『石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、何に況や仏法においてをや』
【通解】
中国の李広(りこう)将軍が放った矢が石に立ったというのも、(石を父親を殺した虎と思い)父親の仇と信じ抜いた一念の強さゆえである。まして、仏法においては、なおさらのことである。
〈寸鉄〉 2019年10月27日
創価教育は人類平和の為の道標—識者。世界市民育成の揺籃に各界が注目
学会員には困難に立ち向かう強さが—議員。被災の皆様、再起の劇を断固
会合の指導と個人指導の比率は「2対8」に。幹部率先の行動で広布は脈動
文字・活字文化の日。同志の本紙拡大に感謝。世界に誇れる希望の論調益々
ごみ収集車で火災多発!原因は電池等と。分別は再生の要。皆で規則順守
☆ロータスラウンジ 第10回 化城喩品第七(下)
◇仏法を行じ弘める振る舞いそのものがすでに仏の姿
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第10回は、「化城喩品第七」(下)です。前回の続きから、内容を追っていきます(前回は9月7日付。原則、月1回掲載)。
■大要(続き)
前回までで、仏と在世の弟子たちの「宿世の因縁」を説いてきました。それを受けて、「化城宝処の譬え」を通して、一仏乗の法華経こそが仏の真意であることを教えます。
では、砂漠を旅する一行のドラマを見てみましょう。
●シーン5
——人の行き来も絶えて、通るのも危なく恐ろしい、五百由旬という長い長い道がありました。
この悪路を通った先にある宝処(宝のある処)を目指し、多くの人々が歩んでいます。その一行の中に、険しい道の先まで見通せる、一人の聡明なリーダーがいました。
一行はリーダーのもと、険しい道を乗り越えようと、進んでいました。ところが道半ばで、音を上げます。
「私たちはひどく疲れ、もう進んでいくことができません。まだ、先は遠く、今から引き返そうと思います」
その言葉を聞いたリーダーは、思いました。"可哀想なことだ。どうして、すばらしい宝を諦めて、帰りたいと願うのだろうか"
そこでリーダーは一計を案じ、神通力を使って、三百由旬を過ぎた所に一つの城(都市)を出現させて語り掛けます。
「皆さん、恐れることはありません。どうか、諦めて帰ることはしないでください。この城に入れば、休息し、安穏になれます。宝処を目指そうと思えば、また進むことができるようになりますから」
疲れ切った人々は、「悪路をのがれることができて、安穏を得られるのだ」と歓喜し、進んで城に入り、休息を取りました。
皆の疲れが取れたので、リーダーは化城を消して、人々に語ります。
「皆さん、さあ、宝処は近くにあります。先ほどの大きい城は、私が作り出したもので、皆さんを休ませるためだけのものです」
「さあ、共に宝処へ!」——。
●シーン6
釈尊は、比丘(出家した男性信者)に告げます。
——仏も、このリーダーと同じようなものです。今、あなたたちのために、大導師となって、生死や煩悩に満ちた、険難で長遠な悪路を導いてきたのです。
もし、衆生が一仏乗だけを聞いたならば、"成道は、はるか遠い"と思い、仏を求める心を起こすこともなかったでしょう。だから仏は、比丘たちの心が弱いことを知って、仏になる道の途中に、休息させるために、あえて二乗を説いたのです。
それなのに、衆生が声聞や縁覚の覚りに安住していれば、仏はその人たちのために説くのです。
「あなたたちは、まだ真実の覚りを得ていない。真実の仏の智慧は、近くにある。仏は、方便の力によって、一仏乗を三乗に分別して説いてきたのです」と——。
■本来の願い
「化城宝処の譬え」は、開三顕一(三乗を開いて一乗を顕す)を説いています。
リーダーが作り出した幻の城は、仏が衆生を導くために説いてきた三乗方便の教えを譬えています。
ところが、二乗の覚りに満足してしまい、仏の無上の覚りを得ようとする心を起こさないので、「宿世の因縁」を説くことで、本来の願いを思い出させ、導こうとしたのです。
池田先生は、語っています。
「この心(=自他ともの幸福を願う心)を生ききるには、『師』が必要なのです。そのことを、長遠の時間にわたる師弟の因縁を通して、化城喩品で教えているのではないだろうか。要は、ここでいう因縁とは『人間と人間の永遠の絆』のことです。決して、人間を離れたものではない。人間を外から縛るものでもない。反対に、弟子の自分が、自分の生命の根本にある『成仏の因』を自覚する。すなわち久遠の『本願』を思い出す。そして、その因を仏果へと育ててくれる師匠という『縁』のありがたさを自覚する——この『最高の絆』への感謝と感動が、化城喩品の心なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)
■化城即宝処
「御義口伝」には、「化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり念念の化城念念の宝処なり」(御書732ページ)と示されています。
日蓮大聖人は、法華経の文を深く拝されて、「化城即宝処」と、化城と宝処は別々ではないと仰せです。
池田先生は「法華経の本意は九界即仏界、方便即真実ですから、化城と宝処は別々のものではない。化城即宝処なのです。その立場に立てば、じつは過程がそのまま目的である。つまり、仏道修行の果てに成仏があるというのではない。仏法を行じ、弘める振る舞いそのものが、すでに仏の姿なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)と語っています。
たとえいかなる境涯、境遇にあっても、自行化他にわたって南無妙法蓮華経を唱えていく時、その一瞬一瞬の生命に仏の生命が現れるのです。九界の衆生の生命に、仏の境涯を顕していくことができるのです。
■広宣流布は流れ
池田先生は「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体である。何か特別な終着点があるものではない。『こうなったら広宣流布』というのは、譬えでは言えるが、決まった形のことではない。大聖人の仏法は『本因妙』の仏法であり、常に未来に広がっていく正法なのである。末法万年尽未来際のための仏法である。永遠に戦い続けることが、広宣流布に生きるということだ」とスピーチされました。
さらに先生は、「前進するためには、目標という『化城』を設定しなければならない。しかし、その『化城』に向かっての前進、行動は、深く見れば、それ自体、仏の所作なのです。その舞台が、すでに『宝処』なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)と語っています。
日々前進の人生こそが、"広宣流布に生きる"ことなのです。
◇『法華経の智慧』から 喜んで広布の苦労を
すべての活動を楽しんでいくことです。苦しみきった仏の所作などない。
「さあ喜んで、広宣流布の苦労をしていこう」「さあ、またこれで福運がつく」「また境涯を広げられる」と喜べる自分になれば、それ自体、仏界が輝いている証拠でしょう。(中略)
生きているかぎり、何か問題があるのは当然です。それをいちいち一喜一憂していたのではつまらない。
目標に向かって、懸命に挑戦する、ひたぶるに戦う。歯をくいしばって道を開いていく——振り返ってみれば、その時は苦しいようでも、じつはいちばん充実した、人生の黄金の時なのです。三世のドラマの名場面なのです。
大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり我等が居住の山谷曠野皆皆常寂光の宝処なり」(御書734ページ)と仰せられています。これはまさに、妙法を持ち、行ずる私たちの境涯を教えられています。いずこにあっても、いかなる境遇にあろうとも、私たちの根底は「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)なのです。
(普及版〈上〉「化城喩品」)
◇師と共に 学会と歩む幸福人生
「御義口伝」に「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し不共ならば阿鼻大城に堕つ可し」(御書734ページ)とあります。
妙法を唱える人は、皆が共に、仏の覚りの境地を開けると教えられています。その上で、「共」の一字が、仏界と地獄界の分かれ目となるのです。
「日蓮に共する」とは、私たちでいえば、大聖人の御遺命である一閻浮提広宣流布という大願を同じくして進むことです。広くいえば、広布の大願を現実のものとする学会と共に歩むことにほかなりません。
さらに、「在在諸仏土 常与師倶生」(法華経317ページ)の文からも、私たちの前進は"常に大聖人と共に"あるといえます。そのことを生命で実感することが宝処に至ることです。
また、「化城即宝処」の教えからも、広宣流布にまい進できること自体が、幸福なのです。
2019年10月26日土曜日
2019.10.26 わが友に贈る
「顕聖は罵詈して
試みるなるべし」
大闘争の中でこそ
偉大な人柄は築かれる・
不屈の信心で立て!
四信五品抄 P342
『天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ』
【通解】
(妙法信受の人の位は)生まれたばかりの天皇の子が産着に包まれたようなものであり、また生まれたての大竜のようなものである。
故に、わが門下を決して蔑むようなことがあってはならない。
〈寸鉄〉 2019年10月26日
SGIは全世界の平和を築く為にある—元総長。新時代創る誇りに燃えて
池田先生の北陸初訪問の日。誓願の同志に恐れなし。金剛の人材城を建設
「悪積れば地獄」「善積れば仏」御書。因果は厳然。今日も広布貢献の一歩を
外国人留学生の就職が最多。差異から学び合う心を。多様性尊重の社会へ
朝晩の冷え込む季節に。暖房器具を出したら必ず清掃・点検を。用心重ね
☆10月度「御書講義」の参考 可延定業書
◇「戦う心」の源泉が信心
◇使命の人生を朗らかに
御書全集 986ページ 6行目〜14行目
10月度の「御書講義」では「可延定業書」を学びます。拝読範囲は「去年の十月これに来りて候いしが御所労の事をよくよくなげき申せしなり……一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらをしの命や・をしの命や」です。ここでは、学習の参考として、本抄の背景と大意、さらに理解を深めるための解説を掲載します。
◇背景と大意
本抄は、下総国葛飾郡若宮(現在の千葉県市川市)に住む富木常忍の妻・富木尼御前に送られたお手紙です。
早くから門下の中心的人物として活躍する夫を、懸命に支えていたのが尼御前でした。
尼御前は、心労からか、症状の重い病を患い、弱気になっていたようです。
大聖人は、妙法によって、寿命をも延ばすことができると励まされています。
題号にある「定業」とは、報いの内容や現れる時期が定まっている業のことです。本抄では、特に寿命の意味で用いています。
本抄の大意ですが、まず、業には定業と不定業があることを示され、定業である寿命でさえも、強盛な信心によって、延ばすことができると仰せです。
さらに、文証と先例を通し、法華経こそ、あらゆる人の病を癒やす大良薬であり、末法における女性の幸福を約束した経典であることを強調し、病気を治し、長寿を全うするように励まされます。
医術にすぐれた四条金吾の治療を受けるよう勧められ、その際の心構えに関しても、金吾の性格を踏まえて、こまやかにご指導されています。
最後に命は、何ものにも代え難い第一の宝であり、一日も長く生きて功徳を積むよう激励され、本抄を結ばれています。
大聖人の教えのままに実践を貫いた尼御前は、この後、二十数年も寿命を延ばしました。
◇抜苦与楽の励まし
身延を訪れた四条金吾から、富木尼御前の病気が心配であることを聞いていた大聖人は、「これにも・なげき入って候」と、"私も心配していました"と、包み込むように同苦されています。師匠の慈愛に、尼御前はどれほど感激したことでしょう。
さらに、金吾から、"夫の富木常忍が、尼御前を杖や柱のように支えとして頼みにしている"と聞いていると記されています。
感謝の思いは、人づてであっても、うれしいものです。
"必要とされている""大切にされている"と感じた尼御前は、夫を支えるためにも、生き抜かねばならないと思い、病に立ち向かう決意をしたに違いありません。
"回復を祈っています"等の同志の励ましは、病と闘う友にとって、思いを寄せてくれる存在を実感することになり、それは病の苦しみを和らげてくれるだけでなく、生きる力をも呼び覚ましてくれます。
創価の励ましの世界は、苦しみを抜き、生きる希望を与えてくれる抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)の麗しい絆の世界なのです。
◇病と向き合う
四条金吾は、医術にもたけた頼れる門下であり、大聖人が信頼を寄せていました。
金吾のことを、「極めて負けじ魂の人で、自分の味方(信心の同志)のことを大事に思う人」と記し、尼御前が安心して治療を受けられるように心を砕いています。
その上で、「身の財(行動すること)を惜しんでいては、この病を治すのは難しいでしょう」と、行動を起こすよう訴えています。
仏法は道理です。ゆえに、大聖人も、当時の医療を、決して否定してはいません。むしろ、尼御前に、治療を受けるように促されています。信心で強じんな生命力を奮い立たせることはもちろん、その上で、具体的に病気を治療していくことが大切なのです。
不安であればあるほど、診察などを受けるのをちゅうちょしてしまいがちです。悩むだけであれば、問題の先送りであり、病を悪化させることになりかねません。
肝要なのは、病と真摯に向き合い、勇気をもって、速やかに行動していくことです。祈りが現実の行動に結びついてこそ、状況を好転させることができるのです。
◇巡り合えた喜び
「法華経にあわせ給いぬ」と、"妙法に巡り合えた"ことの素晴らしさを教えられています。
大聖人は尼御前に、今世の使命を思い出させようとされたと拝せます。
法華経には「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く、又一眼の亀の浮木の孔に値えるが如ければなり」(657ページ)と記されています。
今世で大聖人の弟子となり、妙法を受持することができたのは、幸運としか言いようのないことです。変毒為薬、宿命転換の道が、大きく開かれているからです。
ゆえに、一日でも命を延ばし、今世での使命を果たし抜いて、幸福境涯を確立することを教えられているのです。
"何のための人生なのか"——根本の大事を忘れることは、病魔に負けた姿ともいえます。逆に、人生の崇高な目的に目覚めれば、病魔を打ち破り、生命の底力を発揮することができます。
苦しい状況にあったとしても、妙法に巡り合えたこと自体が喜びです。報恩と使命の人生を、朗らかに歩んでいきましょう。
◇一人の人を大切に
大聖人は、二人の門下(=四条金吾と富木尼御前)の立場を尊重され、同志と同志が互いに気持ちよく、真心で支え合っていく和合の在り方を教えられたと拝されます。
それにしても、尼御前が実際に治療に踏み出せるよう、「これほどまでに」と思われるほど、こまやかな配慮を、大聖人はなされています。
そのお振る舞いから、私たちはあらためて仏法指導者の模範の姿を学びたい。
「一人の人」を、どこまでも大切に!——その具体的な行動なくして、万人の幸福も、世界の平和もありえないからです。
「一人の人」のことを、どこまで祈り、励ましていけるか。
「一人の青年」の成長のために、どこまで心を砕き、道を開いていけるか。
だれが見ていようがいまいが、その戦いの中にしか、仏法はないのです。
★〈池田先生の指針から〉 病魔を打ち破る唱題
「一日生きる」ことは、それ自体、何ものにも代え難い「光」であり、「価値」であり、「生命の歓喜の讃歌」です。それを奪うことは、宇宙の根本の法則に背く重罪です。
戸田先生は、「どんな理由があっても、絶対に人を殺してはならない」と厳しく戒めておられました。
病気に対する姿勢として、大事なことは「おそれず」「あなどらず」です。
病気になること自体は、決して敗北ではありません。
仏も「少病少悩」という通り、病気との戦いがあります。
大切なことは、病気と戦う以前に、「心の次元」で敗れてはならない、という点です。病気に立ち向かっていく「戦う心」の源泉が信心です。ですから、先に拝したように、大聖人は本抄で、まず「心ざしの財」を教えられているのです。
そのうえで、具体的に治療に励むのは当然です。「信心しているのだから何とかなるだろう」とか、「たいしたことない」と考えるのは、誤った信心の捉え方であり、自身の体への軽視です。「いそぎいそぎ御対治」する行動が大事です。ゆえに、大聖人は「身の財」すなわち行動することを惜しんではいけないと厳しく戒められています。
「病魔」「死魔」を打ち破る根本の力が、妙法です。「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」(御書1124ページ)です。
大事なのは、「戦う心」と「最高の治療」、そして「生命力」です。なかんずく、心を強めるのも、最高の治療を生かしていくのも、生命力をわきたたせるのも、唱題が根幹です。
(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
試みるなるべし」
大闘争の中でこそ
偉大な人柄は築かれる・
不屈の信心で立て!
四信五品抄 P342
『天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ』
【通解】
(妙法信受の人の位は)生まれたばかりの天皇の子が産着に包まれたようなものであり、また生まれたての大竜のようなものである。
故に、わが門下を決して蔑むようなことがあってはならない。
〈寸鉄〉 2019年10月26日
SGIは全世界の平和を築く為にある—元総長。新時代創る誇りに燃えて
池田先生の北陸初訪問の日。誓願の同志に恐れなし。金剛の人材城を建設
「悪積れば地獄」「善積れば仏」御書。因果は厳然。今日も広布貢献の一歩を
外国人留学生の就職が最多。差異から学び合う心を。多様性尊重の社会へ
朝晩の冷え込む季節に。暖房器具を出したら必ず清掃・点検を。用心重ね
☆10月度「御書講義」の参考 可延定業書
◇「戦う心」の源泉が信心
◇使命の人生を朗らかに
御書全集 986ページ 6行目〜14行目
10月度の「御書講義」では「可延定業書」を学びます。拝読範囲は「去年の十月これに来りて候いしが御所労の事をよくよくなげき申せしなり……一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらをしの命や・をしの命や」です。ここでは、学習の参考として、本抄の背景と大意、さらに理解を深めるための解説を掲載します。
◇背景と大意
本抄は、下総国葛飾郡若宮(現在の千葉県市川市)に住む富木常忍の妻・富木尼御前に送られたお手紙です。
早くから門下の中心的人物として活躍する夫を、懸命に支えていたのが尼御前でした。
尼御前は、心労からか、症状の重い病を患い、弱気になっていたようです。
大聖人は、妙法によって、寿命をも延ばすことができると励まされています。
題号にある「定業」とは、報いの内容や現れる時期が定まっている業のことです。本抄では、特に寿命の意味で用いています。
本抄の大意ですが、まず、業には定業と不定業があることを示され、定業である寿命でさえも、強盛な信心によって、延ばすことができると仰せです。
さらに、文証と先例を通し、法華経こそ、あらゆる人の病を癒やす大良薬であり、末法における女性の幸福を約束した経典であることを強調し、病気を治し、長寿を全うするように励まされます。
医術にすぐれた四条金吾の治療を受けるよう勧められ、その際の心構えに関しても、金吾の性格を踏まえて、こまやかにご指導されています。
最後に命は、何ものにも代え難い第一の宝であり、一日も長く生きて功徳を積むよう激励され、本抄を結ばれています。
大聖人の教えのままに実践を貫いた尼御前は、この後、二十数年も寿命を延ばしました。
◇抜苦与楽の励まし
身延を訪れた四条金吾から、富木尼御前の病気が心配であることを聞いていた大聖人は、「これにも・なげき入って候」と、"私も心配していました"と、包み込むように同苦されています。師匠の慈愛に、尼御前はどれほど感激したことでしょう。
さらに、金吾から、"夫の富木常忍が、尼御前を杖や柱のように支えとして頼みにしている"と聞いていると記されています。
感謝の思いは、人づてであっても、うれしいものです。
"必要とされている""大切にされている"と感じた尼御前は、夫を支えるためにも、生き抜かねばならないと思い、病に立ち向かう決意をしたに違いありません。
"回復を祈っています"等の同志の励ましは、病と闘う友にとって、思いを寄せてくれる存在を実感することになり、それは病の苦しみを和らげてくれるだけでなく、生きる力をも呼び覚ましてくれます。
創価の励ましの世界は、苦しみを抜き、生きる希望を与えてくれる抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)の麗しい絆の世界なのです。
◇病と向き合う
四条金吾は、医術にもたけた頼れる門下であり、大聖人が信頼を寄せていました。
金吾のことを、「極めて負けじ魂の人で、自分の味方(信心の同志)のことを大事に思う人」と記し、尼御前が安心して治療を受けられるように心を砕いています。
その上で、「身の財(行動すること)を惜しんでいては、この病を治すのは難しいでしょう」と、行動を起こすよう訴えています。
仏法は道理です。ゆえに、大聖人も、当時の医療を、決して否定してはいません。むしろ、尼御前に、治療を受けるように促されています。信心で強じんな生命力を奮い立たせることはもちろん、その上で、具体的に病気を治療していくことが大切なのです。
不安であればあるほど、診察などを受けるのをちゅうちょしてしまいがちです。悩むだけであれば、問題の先送りであり、病を悪化させることになりかねません。
肝要なのは、病と真摯に向き合い、勇気をもって、速やかに行動していくことです。祈りが現実の行動に結びついてこそ、状況を好転させることができるのです。
◇巡り合えた喜び
「法華経にあわせ給いぬ」と、"妙法に巡り合えた"ことの素晴らしさを教えられています。
大聖人は尼御前に、今世の使命を思い出させようとされたと拝せます。
法華経には「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く、又一眼の亀の浮木の孔に値えるが如ければなり」(657ページ)と記されています。
今世で大聖人の弟子となり、妙法を受持することができたのは、幸運としか言いようのないことです。変毒為薬、宿命転換の道が、大きく開かれているからです。
ゆえに、一日でも命を延ばし、今世での使命を果たし抜いて、幸福境涯を確立することを教えられているのです。
"何のための人生なのか"——根本の大事を忘れることは、病魔に負けた姿ともいえます。逆に、人生の崇高な目的に目覚めれば、病魔を打ち破り、生命の底力を発揮することができます。
苦しい状況にあったとしても、妙法に巡り合えたこと自体が喜びです。報恩と使命の人生を、朗らかに歩んでいきましょう。
◇一人の人を大切に
大聖人は、二人の門下(=四条金吾と富木尼御前)の立場を尊重され、同志と同志が互いに気持ちよく、真心で支え合っていく和合の在り方を教えられたと拝されます。
それにしても、尼御前が実際に治療に踏み出せるよう、「これほどまでに」と思われるほど、こまやかな配慮を、大聖人はなされています。
そのお振る舞いから、私たちはあらためて仏法指導者の模範の姿を学びたい。
「一人の人」を、どこまでも大切に!——その具体的な行動なくして、万人の幸福も、世界の平和もありえないからです。
「一人の人」のことを、どこまで祈り、励ましていけるか。
「一人の青年」の成長のために、どこまで心を砕き、道を開いていけるか。
だれが見ていようがいまいが、その戦いの中にしか、仏法はないのです。
★〈池田先生の指針から〉 病魔を打ち破る唱題
「一日生きる」ことは、それ自体、何ものにも代え難い「光」であり、「価値」であり、「生命の歓喜の讃歌」です。それを奪うことは、宇宙の根本の法則に背く重罪です。
戸田先生は、「どんな理由があっても、絶対に人を殺してはならない」と厳しく戒めておられました。
病気に対する姿勢として、大事なことは「おそれず」「あなどらず」です。
病気になること自体は、決して敗北ではありません。
仏も「少病少悩」という通り、病気との戦いがあります。
大切なことは、病気と戦う以前に、「心の次元」で敗れてはならない、という点です。病気に立ち向かっていく「戦う心」の源泉が信心です。ですから、先に拝したように、大聖人は本抄で、まず「心ざしの財」を教えられているのです。
そのうえで、具体的に治療に励むのは当然です。「信心しているのだから何とかなるだろう」とか、「たいしたことない」と考えるのは、誤った信心の捉え方であり、自身の体への軽視です。「いそぎいそぎ御対治」する行動が大事です。ゆえに、大聖人は「身の財」すなわち行動することを惜しんではいけないと厳しく戒められています。
「病魔」「死魔」を打ち破る根本の力が、妙法です。「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」(御書1124ページ)です。
大事なのは、「戦う心」と「最高の治療」、そして「生命力」です。なかんずく、心を強めるのも、最高の治療を生かしていくのも、生命力をわきたたせるのも、唱題が根幹です。
(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
2019年10月25日金曜日
2019.10.25 わが友に贈る
「仏法の根本は
信を以て源となす」
題目を唱え抜く人が
一番尊く 一番強い。
仏法勝利の証明者に!
佐渡御書 P958
『日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず不軽品に云く「其罪畢已」等云云、不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし』
【通解】
また、日蓮がこのように迫害されるのも、過去世からの業がないわけではない。不軽品には「過去の罪の報いを受け終わって(其罪畢已)」と説かれている。不軽菩薩が数え切れないほどの謗法の人々に罵られ、打たれたことも過去世の業の報いであったということである。
〈寸鉄〉 2019年10月25日
創価班・牙城会・白蓮G新時代1期生が拡大に率先!後継の友を皆で応援
「たゆまぬ訓練は無敵」中国古典。青春の薫陶は生涯の宝に。土台を築け
練馬勇気の日。人材光る本陣・東京の要。励ましの対話で地域に幸の大光を
流感の流行早く。他者にうつさぬ為にもワクチン接種を。体調管理万全に
交通事故は夕暮れ時に多発。日が短くなる季節、帰宅時など二重三重に注意
☆心に御書を 第5回 変毒為薬の不屈の祈りを
『わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』(経王殿御返事、1124ページ)
◇通解
災いも転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。
◇池田先生が贈る指針
台風の被災地の復旧・復興、尊き宝友の健康・安穏、変毒為薬をひたぶるに祈っています。
妙法には無量無辺の大功力があります。いかなる災難も信心という心の大城を侵すことはできない。全ては永遠の幸福を開くための試練です。
一番大変な時に、一番不屈の勇気で民衆と社会を照らす。この地涌の創価の光を共に、共々に!
信を以て源となす」
題目を唱え抜く人が
一番尊く 一番強い。
仏法勝利の証明者に!
佐渡御書 P958
『日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず不軽品に云く「其罪畢已」等云云、不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし』
【通解】
また、日蓮がこのように迫害されるのも、過去世からの業がないわけではない。不軽品には「過去の罪の報いを受け終わって(其罪畢已)」と説かれている。不軽菩薩が数え切れないほどの謗法の人々に罵られ、打たれたことも過去世の業の報いであったということである。
〈寸鉄〉 2019年10月25日
創価班・牙城会・白蓮G新時代1期生が拡大に率先!後継の友を皆で応援
「たゆまぬ訓練は無敵」中国古典。青春の薫陶は生涯の宝に。土台を築け
練馬勇気の日。人材光る本陣・東京の要。励ましの対話で地域に幸の大光を
流感の流行早く。他者にうつさぬ為にもワクチン接種を。体調管理万全に
交通事故は夕暮れ時に多発。日が短くなる季節、帰宅時など二重三重に注意
☆心に御書を 第5回 変毒為薬の不屈の祈りを
『わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』(経王殿御返事、1124ページ)
◇通解
災いも転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。
◇池田先生が贈る指針
台風の被災地の復旧・復興、尊き宝友の健康・安穏、変毒為薬をひたぶるに祈っています。
妙法には無量無辺の大功力があります。いかなる災難も信心という心の大城を侵すことはできない。全ては永遠の幸福を開くための試練です。
一番大変な時に、一番不屈の勇気で民衆と社会を照らす。この地涌の創価の光を共に、共々に!
2019年10月24日木曜日
2019.10.24 わが友に贈る
一日の勝利は
"朝に勝つ"ことから。
食事・睡眠・運動など
規則正しい生活で
充実と向上の日々を!
西山殿御返事 P1474
『夫れ雪至つて白ければそむるにそめられず漆至つてくろければしろくなる事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり、善悪にそめられ候、真言禅念仏宗等の邪悪の者にそめられぬれば必ず地獄にをつ、法華経にそめられ奉れば必ず仏になる』
【通解】
雪は、極めて白いものであるから、染めようにも染めることができません。漆は、極めて黒いものであるから、白くなることはありません。 雪や漆と違って移り変わりやすいものは、人間の心です。善にも悪にも染められるのです。真言宗、禅宗・念仏宗等の邪悪の者に染められてしまうならば、必ず地獄に堕ちます。法華経に染められるならば、必ず仏になることができます。
〈寸鉄〉 2019年10月24日
国連デー。会長の心継ぐ青年と進みたい—元次長不戦世紀へ人材を陸続と
第2総東京婦人部の日。地域に模範の拡大。世界広布の本陣の太陽は燦然
悩みある人は願いを立てよ。仏法は勝負—恩師。宿命転換の信心。祈り強く
職場で孤独感じる—5人に1人。誠実に絆を結ぶ社会部の振る舞いこそ光
弱みの改善よりも強みを伸ばした方が人は育つ—心理学。激励の達人たれ
☆新時代を築く 太陽輝け 無事に包まれ 2019年10月21日
我らは、妙法という究極の法則で結ばれている。
日蓮大聖人は、「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(御書808ページ)と仰せである。
打ち続く豪雨災害で筆舌に尽くせぬ苦労をされている方々に届けと、題目を送る日々である。
19日には世界聖教会館を再び訪れ、先月の「言論会館」に続いて「言論城の間」で真剣に勤行・唱題を行った。この仏間には、聖教新聞社の常住御本尊が安置されている。
「大悪をこれば大善きたる」「各各なにをかなげかせ給うべき」(同1300ページ)
創立の師・牧口常三郎先生は、この御聖訓を拝し、「どんな時、どんな場合でも、それをバネとして、大きく転換していくのだ。必ず転換できる」と激励された。
後継の創価家族は一段と励まし、支え合って、一切を変毒為薬していきたい。
* * *
「言論城の間」には、私が記した「聖教桜」の書も掛けられてある。
いかなる試練も越えて、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と、誰人も勝利の桜を爛漫と咲かせてほしい。聖教新聞には、この願いが込められている。
毎日毎朝、聖教を配達してくださる尊き無冠の友の皆さまに、妻と感謝の祈りを捧げた。寒さが厳しくなる時節、健康と絶対無事故、福徳無量を、いやまして祈念せずにはいられない。
祈るらむ
君の頭上に
幸福の
太陽 輝け
無事に包まれ
これが私の変わらざる心である。
* * *
聖教新聞に多くの寄稿をしてくださったフランスの美術史家ルネ・ユイグ氏は、ナチスの魔手から人類の美の至宝を守り抜いた「精神の闘士」「文化の闘士」である。現在、そのまなざしを偲ぶ「フランス絵画の精華」展が、東京富士美術館で開催されている。
ユイグ氏が誇りとする原点は、20代の若さでルーブル美術館の重責を担い、二つの重要な展覧会を任されたことであった。
若くして、たじろぐほどの責務に挑むことで、どんな困難も克服してみせるという積極果敢な人格になれたと言われるのだ。
「常に自分自身を超越し、自身以上を目指せ」とは、青年への万感のエールである。
* * *
思えば、阪神・淡路大震災、東日本大震災など、未曽有の苦難を乗り越えゆく中で、わが創価の青年たちは不撓不屈の「人間革命」のスクラムを築き広げてくれた。今も被災地で、清掃ボランティア「かたし隊」をはじめ、若き友の奮闘が頼もしい限りである。
この秋、新しいリーダーが澎湃と躍り出ている。
聖教は、女性が輝き、多宝の父母が光り、そして青年が躍動する新聞である。
聖教と共に、さあ、勇気の前進だ! 人材の拡大だ!
"朝に勝つ"ことから。
食事・睡眠・運動など
規則正しい生活で
充実と向上の日々を!
西山殿御返事 P1474
『夫れ雪至つて白ければそむるにそめられず漆至つてくろければしろくなる事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり、善悪にそめられ候、真言禅念仏宗等の邪悪の者にそめられぬれば必ず地獄にをつ、法華経にそめられ奉れば必ず仏になる』
【通解】
雪は、極めて白いものであるから、染めようにも染めることができません。漆は、極めて黒いものであるから、白くなることはありません。 雪や漆と違って移り変わりやすいものは、人間の心です。善にも悪にも染められるのです。真言宗、禅宗・念仏宗等の邪悪の者に染められてしまうならば、必ず地獄に堕ちます。法華経に染められるならば、必ず仏になることができます。
〈寸鉄〉 2019年10月24日
国連デー。会長の心継ぐ青年と進みたい—元次長不戦世紀へ人材を陸続と
第2総東京婦人部の日。地域に模範の拡大。世界広布の本陣の太陽は燦然
悩みある人は願いを立てよ。仏法は勝負—恩師。宿命転換の信心。祈り強く
職場で孤独感じる—5人に1人。誠実に絆を結ぶ社会部の振る舞いこそ光
弱みの改善よりも強みを伸ばした方が人は育つ—心理学。激励の達人たれ
☆新時代を築く 太陽輝け 無事に包まれ 2019年10月21日
我らは、妙法という究極の法則で結ばれている。
日蓮大聖人は、「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(御書808ページ)と仰せである。
打ち続く豪雨災害で筆舌に尽くせぬ苦労をされている方々に届けと、題目を送る日々である。
19日には世界聖教会館を再び訪れ、先月の「言論会館」に続いて「言論城の間」で真剣に勤行・唱題を行った。この仏間には、聖教新聞社の常住御本尊が安置されている。
「大悪をこれば大善きたる」「各各なにをかなげかせ給うべき」(同1300ページ)
創立の師・牧口常三郎先生は、この御聖訓を拝し、「どんな時、どんな場合でも、それをバネとして、大きく転換していくのだ。必ず転換できる」と激励された。
後継の創価家族は一段と励まし、支え合って、一切を変毒為薬していきたい。
* * *
「言論城の間」には、私が記した「聖教桜」の書も掛けられてある。
いかなる試練も越えて、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と、誰人も勝利の桜を爛漫と咲かせてほしい。聖教新聞には、この願いが込められている。
毎日毎朝、聖教を配達してくださる尊き無冠の友の皆さまに、妻と感謝の祈りを捧げた。寒さが厳しくなる時節、健康と絶対無事故、福徳無量を、いやまして祈念せずにはいられない。
祈るらむ
君の頭上に
幸福の
太陽 輝け
無事に包まれ
これが私の変わらざる心である。
* * *
聖教新聞に多くの寄稿をしてくださったフランスの美術史家ルネ・ユイグ氏は、ナチスの魔手から人類の美の至宝を守り抜いた「精神の闘士」「文化の闘士」である。現在、そのまなざしを偲ぶ「フランス絵画の精華」展が、東京富士美術館で開催されている。
ユイグ氏が誇りとする原点は、20代の若さでルーブル美術館の重責を担い、二つの重要な展覧会を任されたことであった。
若くして、たじろぐほどの責務に挑むことで、どんな困難も克服してみせるという積極果敢な人格になれたと言われるのだ。
「常に自分自身を超越し、自身以上を目指せ」とは、青年への万感のエールである。
* * *
思えば、阪神・淡路大震災、東日本大震災など、未曽有の苦難を乗り越えゆく中で、わが創価の青年たちは不撓不屈の「人間革命」のスクラムを築き広げてくれた。今も被災地で、清掃ボランティア「かたし隊」をはじめ、若き友の奮闘が頼もしい限りである。
この秋、新しいリーダーが澎湃と躍り出ている。
聖教は、女性が輝き、多宝の父母が光り、そして青年が躍動する新聞である。
聖教と共に、さあ、勇気の前進だ! 人材の拡大だ!
2019年10月23日水曜日
2019.10.23 わが友に贈る
「さいわいは心より
いでて我をかざる」
尽きせぬ幸福の源泉は
自らの生命の中にある。
価値創造の劇を共に!
松野殿後家尼御前御返事 P1393
『師子の声には一切の獣声を失ふ虎の影には犬恐る、日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし』
【通解】
師子のほえる声には他のいっさいの獣が声をひそめてしまい、虎の影を見ただけで犬は恐れる。太陽が東天に昇れば、万星の光は、跡形もなく消えてしまう。
〈寸鉄〉 2019年10月23日
他者に共通の基盤見出すSGIの行動こそ理想—博士。共生社会をけん引
音楽隊・鼓笛隊が各地で熱演!弾む命で奏でる希望の旋律。創価文化の花
自分が若いと感じる人は「脳年齢」も若く—研究。生涯青春の多宝会こそ鑑
食品ロスは焼却等で環境への影響も大—国連機関声掛けと行動を家庭から
週末にかけ台風21号が北上。情報注視し警戒強く。無冠の友も絶対無事故で
☆四季の励まし 女性の声が時代を変える 2019年10月20日
人の気持ちに敏感な、
聡明な女性の会話。
その力は厚い鉄の
心の扉をも開く
力をもっている。
女性の正義の「声」は、
人々を動かし、
時代を変えていく。
私の心に
「平和の文化」の原形を
育んでくれたのは、
まぎれもなく母であった。
そして、
わが師・戸田先生との
出会いと仏法の信仰が、
私の平和への熱願を、
不動の哲学にしたのだ。
日蓮仏法は教える。
一個の人間における
一念の変革から、
人生も、地域も、社会も、
世界も、善の方向へ
変えていけるのだと。
平和の第一歩は、
平和が可能だという
確信である。
その信念に燃えた
偉大なピースメーカー
(平和を創造する人)の
先駆者であり、
「女性の世紀」の主役こそ、
わが創価の母たちである。
仏法は
「変毒為薬」の大法である。
何があろうとも、
必ず乗り越えていける。
ゆえに宿命転換の戦いに、
断じて負けてはならない。
どんなに
大変なことがあろうと、
妙法を唱え、
仏意仏勅の学会とともに
生きぬく人は、
厳として守護され、
必ずや
良い方向へ向かっていく。
所願満足の幸福の軌道を
歩んでいけることは、
御聖訓に照らして、
間違いない。
私たちには、
世界を新しくする力が、
世界を活気づける
希望の力がある!
ゆえに、前へ!
また断固として、
前へ進むのだ!
今再び、眼前の現実に
勇敢に挑みゆくのだ!
その人が、最高の勝利の
人間なのである。
先月28日、池田大作先生ご夫妻が東京・信濃町に竣工した「創価学会 世界聖教会館」を初訪問。その折、池田先生が同会館から「創価世界女性会館」を撮影した。晴れ渡る空に、創価の三色旗が堂々と翻っていた。
「女性の世紀」の殿堂と輝く創価世界女性会館。先生は2000年(平成12年)9月、同会館を初めて訪れ、「婦人部・女子部の皆さまが、一人も残らず、幸福になられるよう、勝利されるよう、毎日、真剣に祈っています」と真情を語った。
明年は、この初訪問から20周年。女性の力が世界を変える。その先駆を切るのが創価の女性である。婦人部・女子部の友に最敬礼しつつ、希望と友情の拡大へ心一つに進もう。
いでて我をかざる」
尽きせぬ幸福の源泉は
自らの生命の中にある。
価値創造の劇を共に!
松野殿後家尼御前御返事 P1393
『師子の声には一切の獣声を失ふ虎の影には犬恐る、日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし』
【通解】
師子のほえる声には他のいっさいの獣が声をひそめてしまい、虎の影を見ただけで犬は恐れる。太陽が東天に昇れば、万星の光は、跡形もなく消えてしまう。
〈寸鉄〉 2019年10月23日
他者に共通の基盤見出すSGIの行動こそ理想—博士。共生社会をけん引
音楽隊・鼓笛隊が各地で熱演!弾む命で奏でる希望の旋律。創価文化の花
自分が若いと感じる人は「脳年齢」も若く—研究。生涯青春の多宝会こそ鑑
食品ロスは焼却等で環境への影響も大—国連機関声掛けと行動を家庭から
週末にかけ台風21号が北上。情報注視し警戒強く。無冠の友も絶対無事故で
☆四季の励まし 女性の声が時代を変える 2019年10月20日
人の気持ちに敏感な、
聡明な女性の会話。
その力は厚い鉄の
心の扉をも開く
力をもっている。
女性の正義の「声」は、
人々を動かし、
時代を変えていく。
私の心に
「平和の文化」の原形を
育んでくれたのは、
まぎれもなく母であった。
そして、
わが師・戸田先生との
出会いと仏法の信仰が、
私の平和への熱願を、
不動の哲学にしたのだ。
日蓮仏法は教える。
一個の人間における
一念の変革から、
人生も、地域も、社会も、
世界も、善の方向へ
変えていけるのだと。
平和の第一歩は、
平和が可能だという
確信である。
その信念に燃えた
偉大なピースメーカー
(平和を創造する人)の
先駆者であり、
「女性の世紀」の主役こそ、
わが創価の母たちである。
仏法は
「変毒為薬」の大法である。
何があろうとも、
必ず乗り越えていける。
ゆえに宿命転換の戦いに、
断じて負けてはならない。
どんなに
大変なことがあろうと、
妙法を唱え、
仏意仏勅の学会とともに
生きぬく人は、
厳として守護され、
必ずや
良い方向へ向かっていく。
所願満足の幸福の軌道を
歩んでいけることは、
御聖訓に照らして、
間違いない。
私たちには、
世界を新しくする力が、
世界を活気づける
希望の力がある!
ゆえに、前へ!
また断固として、
前へ進むのだ!
今再び、眼前の現実に
勇敢に挑みゆくのだ!
その人が、最高の勝利の
人間なのである。
先月28日、池田大作先生ご夫妻が東京・信濃町に竣工した「創価学会 世界聖教会館」を初訪問。その折、池田先生が同会館から「創価世界女性会館」を撮影した。晴れ渡る空に、創価の三色旗が堂々と翻っていた。
「女性の世紀」の殿堂と輝く創価世界女性会館。先生は2000年(平成12年)9月、同会館を初めて訪れ、「婦人部・女子部の皆さまが、一人も残らず、幸福になられるよう、勝利されるよう、毎日、真剣に祈っています」と真情を語った。
明年は、この初訪問から20周年。女性の力が世界を変える。その先駆を切るのが創価の女性である。婦人部・女子部の友に最敬礼しつつ、希望と友情の拡大へ心一つに進もう。
2019年10月22日火曜日
2019.10.22 わが友に贈る
永遠なる師弟がある。
強気同志の絆がある。
ゆえに我らは不撓なり!
使命深き一人一人に
仏法勝利の実証は厳然!
十字御書 P1491
『我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし、我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ』
【通解】
私たち凡夫は、まつげが近くにあるのと虚空が遠くにあるのとは見ることができない。私たちの心の中に仏がおられるのを知らないでいたのである。
〈寸鉄〉 2019年10月22日
各地で新任幹部が誕生。まず3カ月が勝負。新生の心意気で11・18へ前進
福井「凱歌宣言」の日。"福運の井戸"から幸の連帯を拡大!常勝の誇りで
「末法の時は折伏以外にない」恩師。青年よ希望と正義の哲理を堂々と語れ
思春期・若年成人のがん、約8割が女性と。検診と支援体制の整備が急務だ
環境破壊の影響で数十年で50億人が食料危機と。今こそ英知結集し行動を
☆世界のザダンカイ パラグアイ 2019年10月13日
◇語り合う 深め合う
大いなる共感と触発と歓喜の広場——「ザダンカイ」は、世界共通の言葉である。日本から約1万8000キロ離れた南米パラグアイでも、創価家族の語らいが弾んでいた。8月中旬、エンカルナシオンとアスンシオンを訪れ、その模様を取材した。
◇エンカルナシオン
パラグアイの南東部に位置するイタプア県の県都エンカルナシオン。アルゼンチンとの国境をなすパラナ川沿いにある。
エンカルナシオンとその周辺の移住地が、サンタ・ロサ支部エンカルナシオン地区の活動の舞台である。
「ここイタプア県はパラグアイ広布の源流の地です。私たちは、道なき道を切り開いた先駆者の汗と涙を忘れず、新たな広布の波を起こしていこうではありませんか!」
会合の席上、タカシ・アタギ支部長が語ると、大拍手が。参加者の瞳には「源流」の誇りが光っていた。
戦後、日本人移住者はエンカルナシオンの北東16キロから始まるチャベス移住地や隣接のフラム移住地などに入植した。移住者に与えられた広大な土地は原生林。木を切り出し、自分たちで家を建てるところから始めなければならなかった。
この移住者の中に、学会員がいた。1961年、彼らを中心に、パラグアイ地区が結成されたのである。
アタギさんの父・テツオさんもパラグアイ広布を切り開いてきた一人だ。57年に愛媛で入会し、59年、妻と2人の子を連れてフラム移住地へ。日本から箱に詰めて持ってきた聖教新聞を手に、折伏に歩いた。生活は貧しかったが、心は充実していた。「自分のことを祈ったことは、ほとんどないね。いつもあの人、この人と、誰かのことを考え、祈って動いてきましたよ」
テツオさんは現在、88歳。「"こんないいところはない"と心の底から感じています」
そんな広布の先駆者の心を継いで、今、同地区は、新たな発展の時を迎えている。
この日、司会を務めたのは未来部のロバート・ルイス・ディアスさん。新入会で男子部のエドガル・ボルドンさんが信仰体験を披露し、女子部のジェシカ・アタギさんが教学の研究発表、ジェニファー・フレテスさんが青年部の運動を紹介した。
かつて日系人中心の地区だったが、現在は約7割がパラグアイ人のメンバーだ。このうち、青年部が半数を占め、地区は活気に満ちている。
アタギさんは語る。「源流の誇りこそ私たちの原動力です。私自身、毎年、2世帯の弘教が実り、個人折伏は20世帯を超えました。その大半が現地の青年です。私たちは今再び、先駆者の自覚で対話に打って出ます」
◇アスンシオン
首都アスンシオンでは毎週、班(日本のブロック)を中心に座談会を開いている。今回、取材した三つの班座談会は、いずれも「全員参加型」の内容だった。
王者支部のビスタ・アレグレ班では「慈悲」をテーマにディスカッションを。
「慈悲の根本は抜苦与楽です。相手の話をよく聞くことから始まると思います」
「悲しんでいる人を見たら、放っておけない。でも声を掛けるには勇気が必要ですね……」
さまざまな意見が飛び交う中、中心者である婦人部のマリアナ・バレットさん(班長)が小説『新・人間革命』第9巻「鳳雛」の章の一節を紹介した。
——山本伸一が、小児麻痺の後遺症と経済苦に悩む友に同苦しながら、"強い心を育んでほしい"と願い、あえて厳しい口調で語った場面である。
「あなたには、御本尊があるではないか! 迷ってはいけない。ハンディを嘆いて、なんになるのか。いくら嘆いてみても、事態は何も変わりません。また、すべての人が、なんらかの悩みをかかえているものだ。いっさいが恵まれた人間などいません。学会っ子ならば、どんな立場や状況にあろうが、果敢に挑戦し、人生に勝っていくことだ。どうなるかではなく、自分がどうするかです」
バレットさんはこの一節を通し、語った。
「慈悲は感傷的なものではありません。現実を嘆くのではなく、山本伸一のように、目の前の友と真剣に向き合うことが慈悲といえるのではないでしょうか」
最後に、男子部のマティアス・サンチェスさん(副班長)が口を開いた。「皆、悩みは尽きません。だからこそ友のことを真剣に祈り、勇気を出して励ましを届けていきたいと思います」
「不軽菩薩とは? どなたか説明してください」——王者支部の開発班では冒頭、婦人部のパトリシア・エスコバルさん(班長)が参加者に投げ掛けた。
「ちょっと間違っているかもしれないけれど……。何を言われても感謝できる人、どんな時でも、励ましを送れる人だと思います」
「素晴らしい。他の方はどうですか」とエスコバルさん。時に冗談を交えながら、皆が話しやすい雰囲気をつくっていく。
ある壮年が語った。
「不軽菩薩の言葉を信じられず、瓦のかけらや石を投げつける人がいました。それでも、不軽菩薩は、相手の可能性を信じ抜き、敬い続けました」
さらに壮年は続けた。
「私たちの実践に置き換えると、常に相手を敬うことは難しい時もあります。だから学会活動に励む意義があります。私も、もっと境涯を高め続けていきたいですね」
あっという間に1時間がたち、終了時刻に。この座談会が、まさに相手を敬い、相手の可能性を引き出す"地涌の菩薩の集い"そのものだった。
勝利支部の幸福班では「辨殿尼御前御書」の一節を学び合った。
担当は、男子部のヘラルド・アラルコンさん(班長)である。
「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)
アラルコンさんは語った。「広宣流布は、やむことのない仏と魔との連続闘争です。ここでは、不退の信心こそ一切の魔を打ち破っていく極意であると仰せです」
ここから、参加者は「魔の働き」について語り合った。
「"このくらいでいいかな"と思ってしまう妥協の心。"自分には関係ない"という無関心。魔は自分の中に潜んでいますね。成長を妨げる働きがあると思います」
「魔は、日常生活の中で突然、襲ってきます。でも教学を学び、活動に励めば、境涯が高まり、"これが魔だ"と見破ることができます。魔を打ち破るたびに、私たちは成長していけますね」
参加者は「折伏に挑み続けていくことが、魔を打ち破る力であり、宿命転換の道である」と決意し合った。
これで座談会は終了かと思いきや、皆、立ち上がり、庭へ。"コミュニケーションゲーム"が始まり、大盛り上がり。創価家族の笑い声がアスンシオンの夜空に響いた。
強気同志の絆がある。
ゆえに我らは不撓なり!
使命深き一人一人に
仏法勝利の実証は厳然!
十字御書 P1491
『我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし、我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ』
【通解】
私たち凡夫は、まつげが近くにあるのと虚空が遠くにあるのとは見ることができない。私たちの心の中に仏がおられるのを知らないでいたのである。
〈寸鉄〉 2019年10月22日
各地で新任幹部が誕生。まず3カ月が勝負。新生の心意気で11・18へ前進
福井「凱歌宣言」の日。"福運の井戸"から幸の連帯を拡大!常勝の誇りで
「末法の時は折伏以外にない」恩師。青年よ希望と正義の哲理を堂々と語れ
思春期・若年成人のがん、約8割が女性と。検診と支援体制の整備が急務だ
環境破壊の影響で数十年で50億人が食料危機と。今こそ英知結集し行動を
☆世界のザダンカイ パラグアイ 2019年10月13日
◇語り合う 深め合う
大いなる共感と触発と歓喜の広場——「ザダンカイ」は、世界共通の言葉である。日本から約1万8000キロ離れた南米パラグアイでも、創価家族の語らいが弾んでいた。8月中旬、エンカルナシオンとアスンシオンを訪れ、その模様を取材した。
◇エンカルナシオン
パラグアイの南東部に位置するイタプア県の県都エンカルナシオン。アルゼンチンとの国境をなすパラナ川沿いにある。
エンカルナシオンとその周辺の移住地が、サンタ・ロサ支部エンカルナシオン地区の活動の舞台である。
「ここイタプア県はパラグアイ広布の源流の地です。私たちは、道なき道を切り開いた先駆者の汗と涙を忘れず、新たな広布の波を起こしていこうではありませんか!」
会合の席上、タカシ・アタギ支部長が語ると、大拍手が。参加者の瞳には「源流」の誇りが光っていた。
戦後、日本人移住者はエンカルナシオンの北東16キロから始まるチャベス移住地や隣接のフラム移住地などに入植した。移住者に与えられた広大な土地は原生林。木を切り出し、自分たちで家を建てるところから始めなければならなかった。
この移住者の中に、学会員がいた。1961年、彼らを中心に、パラグアイ地区が結成されたのである。
アタギさんの父・テツオさんもパラグアイ広布を切り開いてきた一人だ。57年に愛媛で入会し、59年、妻と2人の子を連れてフラム移住地へ。日本から箱に詰めて持ってきた聖教新聞を手に、折伏に歩いた。生活は貧しかったが、心は充実していた。「自分のことを祈ったことは、ほとんどないね。いつもあの人、この人と、誰かのことを考え、祈って動いてきましたよ」
テツオさんは現在、88歳。「"こんないいところはない"と心の底から感じています」
そんな広布の先駆者の心を継いで、今、同地区は、新たな発展の時を迎えている。
この日、司会を務めたのは未来部のロバート・ルイス・ディアスさん。新入会で男子部のエドガル・ボルドンさんが信仰体験を披露し、女子部のジェシカ・アタギさんが教学の研究発表、ジェニファー・フレテスさんが青年部の運動を紹介した。
かつて日系人中心の地区だったが、現在は約7割がパラグアイ人のメンバーだ。このうち、青年部が半数を占め、地区は活気に満ちている。
アタギさんは語る。「源流の誇りこそ私たちの原動力です。私自身、毎年、2世帯の弘教が実り、個人折伏は20世帯を超えました。その大半が現地の青年です。私たちは今再び、先駆者の自覚で対話に打って出ます」
◇アスンシオン
首都アスンシオンでは毎週、班(日本のブロック)を中心に座談会を開いている。今回、取材した三つの班座談会は、いずれも「全員参加型」の内容だった。
王者支部のビスタ・アレグレ班では「慈悲」をテーマにディスカッションを。
「慈悲の根本は抜苦与楽です。相手の話をよく聞くことから始まると思います」
「悲しんでいる人を見たら、放っておけない。でも声を掛けるには勇気が必要ですね……」
さまざまな意見が飛び交う中、中心者である婦人部のマリアナ・バレットさん(班長)が小説『新・人間革命』第9巻「鳳雛」の章の一節を紹介した。
——山本伸一が、小児麻痺の後遺症と経済苦に悩む友に同苦しながら、"強い心を育んでほしい"と願い、あえて厳しい口調で語った場面である。
「あなたには、御本尊があるではないか! 迷ってはいけない。ハンディを嘆いて、なんになるのか。いくら嘆いてみても、事態は何も変わりません。また、すべての人が、なんらかの悩みをかかえているものだ。いっさいが恵まれた人間などいません。学会っ子ならば、どんな立場や状況にあろうが、果敢に挑戦し、人生に勝っていくことだ。どうなるかではなく、自分がどうするかです」
バレットさんはこの一節を通し、語った。
「慈悲は感傷的なものではありません。現実を嘆くのではなく、山本伸一のように、目の前の友と真剣に向き合うことが慈悲といえるのではないでしょうか」
最後に、男子部のマティアス・サンチェスさん(副班長)が口を開いた。「皆、悩みは尽きません。だからこそ友のことを真剣に祈り、勇気を出して励ましを届けていきたいと思います」
「不軽菩薩とは? どなたか説明してください」——王者支部の開発班では冒頭、婦人部のパトリシア・エスコバルさん(班長)が参加者に投げ掛けた。
「ちょっと間違っているかもしれないけれど……。何を言われても感謝できる人、どんな時でも、励ましを送れる人だと思います」
「素晴らしい。他の方はどうですか」とエスコバルさん。時に冗談を交えながら、皆が話しやすい雰囲気をつくっていく。
ある壮年が語った。
「不軽菩薩の言葉を信じられず、瓦のかけらや石を投げつける人がいました。それでも、不軽菩薩は、相手の可能性を信じ抜き、敬い続けました」
さらに壮年は続けた。
「私たちの実践に置き換えると、常に相手を敬うことは難しい時もあります。だから学会活動に励む意義があります。私も、もっと境涯を高め続けていきたいですね」
あっという間に1時間がたち、終了時刻に。この座談会が、まさに相手を敬い、相手の可能性を引き出す"地涌の菩薩の集い"そのものだった。
勝利支部の幸福班では「辨殿尼御前御書」の一節を学び合った。
担当は、男子部のヘラルド・アラルコンさん(班長)である。
「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)
アラルコンさんは語った。「広宣流布は、やむことのない仏と魔との連続闘争です。ここでは、不退の信心こそ一切の魔を打ち破っていく極意であると仰せです」
ここから、参加者は「魔の働き」について語り合った。
「"このくらいでいいかな"と思ってしまう妥協の心。"自分には関係ない"という無関心。魔は自分の中に潜んでいますね。成長を妨げる働きがあると思います」
「魔は、日常生活の中で突然、襲ってきます。でも教学を学び、活動に励めば、境涯が高まり、"これが魔だ"と見破ることができます。魔を打ち破るたびに、私たちは成長していけますね」
参加者は「折伏に挑み続けていくことが、魔を打ち破る力であり、宿命転換の道である」と決意し合った。
これで座談会は終了かと思いきや、皆、立ち上がり、庭へ。"コミュニケーションゲーム"が始まり、大盛り上がり。創価家族の笑い声がアスンシオンの夜空に響いた。
2019年10月21日月曜日
2019.10.21 わが友に贈る
◇今週のことば
「妙とは蘇生の義なり」
いかなる困難も
必ず打開できる妙法だ。
異体同心の同志と共に
不屈の使命力で前へ!
2019年10月21日
日女御前御返事 P1249
『かかる法華経を末代の女人二十八品を品品ごとに供養せばやとおぼしめす但事にはあらず、宝塔品の御時は多宝如来釈迦如来十方の諸仏一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候、例せば蓮のみに蓮華の有るがごとく后の御腹に太子を懐妊せるがごとし』
【通解】
このように貴い法華経二十八品を女人であるあなたが品々ごとに供養しようと思い立たれたことは大変素晴らしいことである。宝塔品の儀式には多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩が集まったのである。その宝塔品が今、どこにあるかと考えてみるとそれは日女御前の胸中・八葉の心蓮華の中にこそあると日蓮はみるのである。それは例えば蓮の実に蓮華があり、后のおなかに太子を懐妊するようなものである。
〈寸鉄〉 2019年10月21日
「一念三千も信の一字より起り」御書。何があっても題目。これ人生開く要
台風被災地で青年部らが復旧に汗。人々のため!その心意気こそ創価の光
人は希望によって逆境から救われる—作家。励ましの声を。目前の一人に
乳がん撲滅訴えるピンクリボン月間。早期発見・治療が鍵。過信せず検診
ネット通販詐欺に注意。安易に買わず。契約前に会社情報などをよく確認
☆ライオンハート 師子の誓い 第2回 アメリカ アレン・ザキさん
◇飛躍の鍵は"持続の祈り"
——発心したのはいつ頃ですか?
それが、つい3年前のことなんです。
学会員の両親のもとで生まれ育ち、高等部の時までは会合にも参加していました。しかし大学に入ってからは、忙しさなどを理由に、信心から遠ざかっていました。
私は幼い頃から、カメラマンになることが夢でした。大学で写真について専門的に学び、卒業後はフリーランス等として撮影の仕事に従事。しかし2016年の初頭、勤務する撮影プロダクションが経営難に。仕事が激減し、生活苦に陥ったのです。
金銭的な余裕がなく、一人むなしく過ごす中で、どんなことにもマイナス思考になってしまいました。
そんな折、職場の同僚が「一緒にSGIの会合に参加してみない?」と、誘ってくれたのです。「実は僕も学会員なんだ」と言うと、彼女は大変に驚き、笑顔の語らいが広がりました。
久々に参加した地区座談会。題目の声を聞くと、幼い頃に聞いた両親の唱題の声を思い出し、"またここに来たい"と思いました。その後も多くの同志から励ましを受け、もう一度、信心で苦難を乗り越えようと決意。御本尊を受持しました。
——その後、どのような変化がありましたか?
まず、"信心は続けることが大切。勤行・唱題を持続できるようになろう"と先輩に励まされ、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(御書1136ページ)の一節を胸に、毎日、欠かさず祈るようになりました。
その中で、"どんな困難も打ち破るんだ"との強い気持ちが心の底から湧き上がり、どんなにつらい現実にも、向き合っていこうと思えるように。職場の環境も徐々に改善され、苦境を脱することができたのです。
信心の功徳を実感した私は、報恩感謝の思いでさらに積極的に学会活動に挑戦。昨年6月には、職場の同僚に初めての御本尊流布を実らせることができました。
——現在は男子部本部長として、師弟の縁深きロサンゼルスの天地で存分に奮闘されていますね。
はい! 本年前半、私たちは「支部青年部座談会」(7月)に向けて、対話の大波を起こそうと、仏法対話に全力を挙げてきました。各部一体での訪問・激励も徹底し、本部として、100人の友人を招くことができ、8月だけで19人の友が新たに入会しました。
現在は、小説『新・人間革命』の研さんや新たな人材の育成に注力しながら、11・18「創価学会創立記念日」を勝利で飾ろうと、皆で仲良く前進しています。
8、9月に初めて日本でのSGI青年研修会に参加することができました。
行く先々で出会った同志の温かな振る舞いに心から感動。いかなる障魔の嵐が吹き荒れようとも、師弟不二の炎を燃やし、広布の大道を進みゆこうと誓っています。まずは自分自身が拡大の先頭に立ち、わが地域に広宣拡大の金字塔を打ち立ててまいります。
1986年入会。写真家として、雑誌の表紙の撮影等を手掛ける。牙城会員として会館厳護の任務に携わる。男子部本部長。
「妙とは蘇生の義なり」
いかなる困難も
必ず打開できる妙法だ。
異体同心の同志と共に
不屈の使命力で前へ!
2019年10月21日
日女御前御返事 P1249
『かかる法華経を末代の女人二十八品を品品ごとに供養せばやとおぼしめす但事にはあらず、宝塔品の御時は多宝如来釈迦如来十方の諸仏一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候、例せば蓮のみに蓮華の有るがごとく后の御腹に太子を懐妊せるがごとし』
【通解】
このように貴い法華経二十八品を女人であるあなたが品々ごとに供養しようと思い立たれたことは大変素晴らしいことである。宝塔品の儀式には多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩が集まったのである。その宝塔品が今、どこにあるかと考えてみるとそれは日女御前の胸中・八葉の心蓮華の中にこそあると日蓮はみるのである。それは例えば蓮の実に蓮華があり、后のおなかに太子を懐妊するようなものである。
〈寸鉄〉 2019年10月21日
「一念三千も信の一字より起り」御書。何があっても題目。これ人生開く要
台風被災地で青年部らが復旧に汗。人々のため!その心意気こそ創価の光
人は希望によって逆境から救われる—作家。励ましの声を。目前の一人に
乳がん撲滅訴えるピンクリボン月間。早期発見・治療が鍵。過信せず検診
ネット通販詐欺に注意。安易に買わず。契約前に会社情報などをよく確認
☆ライオンハート 師子の誓い 第2回 アメリカ アレン・ザキさん
◇飛躍の鍵は"持続の祈り"
——発心したのはいつ頃ですか?
それが、つい3年前のことなんです。
学会員の両親のもとで生まれ育ち、高等部の時までは会合にも参加していました。しかし大学に入ってからは、忙しさなどを理由に、信心から遠ざかっていました。
私は幼い頃から、カメラマンになることが夢でした。大学で写真について専門的に学び、卒業後はフリーランス等として撮影の仕事に従事。しかし2016年の初頭、勤務する撮影プロダクションが経営難に。仕事が激減し、生活苦に陥ったのです。
金銭的な余裕がなく、一人むなしく過ごす中で、どんなことにもマイナス思考になってしまいました。
そんな折、職場の同僚が「一緒にSGIの会合に参加してみない?」と、誘ってくれたのです。「実は僕も学会員なんだ」と言うと、彼女は大変に驚き、笑顔の語らいが広がりました。
久々に参加した地区座談会。題目の声を聞くと、幼い頃に聞いた両親の唱題の声を思い出し、"またここに来たい"と思いました。その後も多くの同志から励ましを受け、もう一度、信心で苦難を乗り越えようと決意。御本尊を受持しました。
——その後、どのような変化がありましたか?
まず、"信心は続けることが大切。勤行・唱題を持続できるようになろう"と先輩に励まされ、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(御書1136ページ)の一節を胸に、毎日、欠かさず祈るようになりました。
その中で、"どんな困難も打ち破るんだ"との強い気持ちが心の底から湧き上がり、どんなにつらい現実にも、向き合っていこうと思えるように。職場の環境も徐々に改善され、苦境を脱することができたのです。
信心の功徳を実感した私は、報恩感謝の思いでさらに積極的に学会活動に挑戦。昨年6月には、職場の同僚に初めての御本尊流布を実らせることができました。
——現在は男子部本部長として、師弟の縁深きロサンゼルスの天地で存分に奮闘されていますね。
はい! 本年前半、私たちは「支部青年部座談会」(7月)に向けて、対話の大波を起こそうと、仏法対話に全力を挙げてきました。各部一体での訪問・激励も徹底し、本部として、100人の友人を招くことができ、8月だけで19人の友が新たに入会しました。
現在は、小説『新・人間革命』の研さんや新たな人材の育成に注力しながら、11・18「創価学会創立記念日」を勝利で飾ろうと、皆で仲良く前進しています。
8、9月に初めて日本でのSGI青年研修会に参加することができました。
行く先々で出会った同志の温かな振る舞いに心から感動。いかなる障魔の嵐が吹き荒れようとも、師弟不二の炎を燃やし、広布の大道を進みゆこうと誓っています。まずは自分自身が拡大の先頭に立ち、わが地域に広宣拡大の金字塔を打ち立ててまいります。
1986年入会。写真家として、雑誌の表紙の撮影等を手掛ける。牙城会員として会館厳護の任務に携わる。男子部本部長。
2019年10月20日日曜日
2019.10.20 わが友に贈る
題目の人は強い。
苦難にも負けない。
「いよいよ強盛に
大信力をいだし給へ」
勇気の心で進みゆこう!
下山御消息 P349
『現証に付て事を切らんと思う処に、彼常に雨を心に任せて下す由披露あり、古へも又雨を以て得失をあらはす例これ多し、所謂伝教大師と護命と守敏と弘法と等なり、此に両火房上より祈雨の御いのりを仰せ付けられたり』
【通解】
現証をもって決着をつけようと思っていたところ、良観房は常に雨を心のままに降らせると世間に宣伝している。昔もまた祈雨をもって優劣を決した例は多くある。かの伝教大師と護命、守敏と弘法の例などである。ちょうどこの時にあたって両火房が幕府より祈雨を仰せつけられたという。
〈寸鉄〉 2019年10月20日
創価の力は人間の絆で築いた団結に—博士。復旧・復興へ!同志と支え合い
広島の日。地涌の使命に燃えて対話拡大。平和を願う民衆の大連帯今こそ
幹部は会合に参加できぬ友にこそ励ましを。組織の隅々に信仰の歓喜送れ
無許可の廃棄業者は不法投棄の温床と。出す前に確認を。リサイクルの日
歩行者の死亡事故、7割が道路横断中。車の運転は「歩行者優先」を忘れず
☆第43回本部幹部会 沖縄総会から(会長指導)
◇明2020年のテーマは「前進・人材の年」
◇皆が前進 皆が人材 新しい陣列を勇気の挑戦で
一、「世界広布新時代第43回本部幹部会」ならびに「沖縄総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
また本日は、5カ国・地域から、114人のSGIメンバーが参加されています。
遠いところ、ようこそお越しくださいました。心より歓迎申し上げます。
◇平和の種が花開く
一、さてこのたび、インド、タイ、そして中国を訪問してまいりました。いずこにあっても、池田先生のまかれた幸福と平和の種が見事に育ち、花開く時代を迎えていることを、改めて実感する歴訪でありました。
20万人以上もの陣列を築くインドでは、待望の新「本部」と、創価菩提樹園に「池田講堂」が完成。また、コヴィンド大統領との会見、名門マーナブ・ラチャナ大学から池田先生への名誉哲学博士号授与など、学会への共感は、インド社会全体に広がっています。
一方、タイ創価学会の陣列は、19万4000人を超え、この四半世紀で10倍の発展を成し遂げました。中でも壮年部は、明年に向けて、7万5000人の連帯を築こうと意気盛んです。
池田先生との出会いを重ねてこられたアナン元首相が、「世界の調和のために献身される池田博士から、会うたびに多くのことを学びました。その時の会話は、すぐに書き起こして、全て覚えています」と語られたように、タイにおいても、池田先生の平和思想は厳然と根付いています。
先生が親交を深められたプーミポン前国王の次女で、ワチラロンコーン国王の妹君であられる、シリントーン王女との会見の模様が、タイのテレビ各局で放映されたのも、そうした社会的信頼の表れであります。
そして、建国70年の国慶節(建国記念日)を迎えた中国では、人民大会堂での記念レセプションに、学会を代表して出席してまいりました。
また、周恩来総理のめいである周秉徳氏と会見。周氏は、学会による日中友好への一貫した姿勢を高く評価しつつ、「後継とは、具体的な実践によって実を結ぶものです」と結論されていました。
まさに今、インドにあっても、タイにあっても、否、全世界にあって、「わたしが山本伸一」と、地涌の使命を自覚した池田門下の一人一人が、「具体的な実践」によって、「後継」の実を結んでいるのであります。
学会創立90周年を迎える明2020年は、池田先生の第3代会長就任から60周年の佳節を刻みます。
池田先生が会長に就任された、1960年の年間テーマは「前進の年」。私どもは、さらなる世界広布の前進と、人材拡大の実証で、先生の偉大さを全世界に宣揚していきたい。
そこで、明年はテーマを「前進・人材の年」と掲げ、共に進んでいきたい(拍手)。
一、池田先生の戦いは、蒲田の二月闘争、札幌・夏の陣、大阪の戦い、山口開拓指導と、若き日から「前進また前進」の連続でした。
かつて池田先生は教えてくださいました。
「私も若き日に、C級支部といわれ、弘教の勢いも全然あがらなかった文京支部で、戸田先生の命により支部長代理として指揮をとった。そのときの合言葉が『前進』であった。"この支部が前進しなければ、学会全体が前進しない"との確信に立ち、それこそ歌を口ずさむ思いで生き生きと戦った」と。
私たちもまた、「私の前進なくして、世界広布の前進はない」との確信に立って、生き生きと戦っていきたい。
先生は、こうも教えてくださっています。
「私は徹底して、(文京)支部のメンバー一人一人と会っていきました。当時の組織はタテ線だから、神奈川の橋本や保土ケ谷方面など、支部員もあちこちに散在している。私は、そうしたメンバーを全力で励まし、電光石火で手を打っていった。そして、その年の12月には、全国が目を見張る、第一級の拡大の成果を残すことができたのです」
実際、当時の女性支部長のご主人からして、仕事が忙しい上、威張る幹部が嫌で、当初は活動を避けていました。
しかし、先生が機会を逃さず、「奥さまには、いつも本当にお世話になっております」と、丁寧に頭を下げ、あいさつされると、ご主人の学会に対する見方は一変。やがて、奥さまの後を受けて支部長となるまでに成長されました。
人材育成とは、まず自分が模範の人材に成長すること。この原点に立ち返り、明「前進・人材の年」は、"皆が前進""皆が人材"の「目を見張る」一年にしていきたいと思います。
◇柔軟かつ大胆に
一、池田先生が60歳の還暦を迎えた折、長年、先生と親交を結んだ経営の神様・松下幸之助氏は、こう祝詞を寄せてくださいました。
「もうひとつ『創価学会』をお作りになられる位の心意気で」と。
今後、少子高齢化が加速度的に進展していきます。それに即応して、学会組織の形や在り方も、柔軟かつ大胆に変化していかなければなりません。
変化を頑迷固陋に拒むのではなく、しかしまた変化に唯々諾々と従うのでもなく、時代の「挑戦」に対して、雄々しく「応戦」し、学会が新たな進化を遂げゆく、チャンスへと転じていくべき時です。
池田先生の会長就任60周年を迎える明年、今度は、私たち後継の池田門下が、「もう一つ『創価学会』を作る心意気」で、前進の気迫を五体にみなぎらせて戦い、人材を見付け、育て、伸ばし、広げながら、わがブロック、わが地区、わが支部の広布を一歩前進させていきたい。そして、先生にご安心いただける創立90周年にしていきたい。
さあ、まずは本年、「世界聖教会館」が開館する「11・18」を大勝利で飾り、前進また前進の号砲を高らかに打ち鳴らしていこうではありませんか(拍手)。
苦難にも負けない。
「いよいよ強盛に
大信力をいだし給へ」
勇気の心で進みゆこう!
下山御消息 P349
『現証に付て事を切らんと思う処に、彼常に雨を心に任せて下す由披露あり、古へも又雨を以て得失をあらはす例これ多し、所謂伝教大師と護命と守敏と弘法と等なり、此に両火房上より祈雨の御いのりを仰せ付けられたり』
【通解】
現証をもって決着をつけようと思っていたところ、良観房は常に雨を心のままに降らせると世間に宣伝している。昔もまた祈雨をもって優劣を決した例は多くある。かの伝教大師と護命、守敏と弘法の例などである。ちょうどこの時にあたって両火房が幕府より祈雨を仰せつけられたという。
〈寸鉄〉 2019年10月20日
創価の力は人間の絆で築いた団結に—博士。復旧・復興へ!同志と支え合い
広島の日。地涌の使命に燃えて対話拡大。平和を願う民衆の大連帯今こそ
幹部は会合に参加できぬ友にこそ励ましを。組織の隅々に信仰の歓喜送れ
無許可の廃棄業者は不法投棄の温床と。出す前に確認を。リサイクルの日
歩行者の死亡事故、7割が道路横断中。車の運転は「歩行者優先」を忘れず
☆第43回本部幹部会 沖縄総会から(会長指導)
◇明2020年のテーマは「前進・人材の年」
◇皆が前進 皆が人材 新しい陣列を勇気の挑戦で
一、「世界広布新時代第43回本部幹部会」ならびに「沖縄総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
また本日は、5カ国・地域から、114人のSGIメンバーが参加されています。
遠いところ、ようこそお越しくださいました。心より歓迎申し上げます。
◇平和の種が花開く
一、さてこのたび、インド、タイ、そして中国を訪問してまいりました。いずこにあっても、池田先生のまかれた幸福と平和の種が見事に育ち、花開く時代を迎えていることを、改めて実感する歴訪でありました。
20万人以上もの陣列を築くインドでは、待望の新「本部」と、創価菩提樹園に「池田講堂」が完成。また、コヴィンド大統領との会見、名門マーナブ・ラチャナ大学から池田先生への名誉哲学博士号授与など、学会への共感は、インド社会全体に広がっています。
一方、タイ創価学会の陣列は、19万4000人を超え、この四半世紀で10倍の発展を成し遂げました。中でも壮年部は、明年に向けて、7万5000人の連帯を築こうと意気盛んです。
池田先生との出会いを重ねてこられたアナン元首相が、「世界の調和のために献身される池田博士から、会うたびに多くのことを学びました。その時の会話は、すぐに書き起こして、全て覚えています」と語られたように、タイにおいても、池田先生の平和思想は厳然と根付いています。
先生が親交を深められたプーミポン前国王の次女で、ワチラロンコーン国王の妹君であられる、シリントーン王女との会見の模様が、タイのテレビ各局で放映されたのも、そうした社会的信頼の表れであります。
そして、建国70年の国慶節(建国記念日)を迎えた中国では、人民大会堂での記念レセプションに、学会を代表して出席してまいりました。
また、周恩来総理のめいである周秉徳氏と会見。周氏は、学会による日中友好への一貫した姿勢を高く評価しつつ、「後継とは、具体的な実践によって実を結ぶものです」と結論されていました。
まさに今、インドにあっても、タイにあっても、否、全世界にあって、「わたしが山本伸一」と、地涌の使命を自覚した池田門下の一人一人が、「具体的な実践」によって、「後継」の実を結んでいるのであります。
学会創立90周年を迎える明2020年は、池田先生の第3代会長就任から60周年の佳節を刻みます。
池田先生が会長に就任された、1960年の年間テーマは「前進の年」。私どもは、さらなる世界広布の前進と、人材拡大の実証で、先生の偉大さを全世界に宣揚していきたい。
そこで、明年はテーマを「前進・人材の年」と掲げ、共に進んでいきたい(拍手)。
一、池田先生の戦いは、蒲田の二月闘争、札幌・夏の陣、大阪の戦い、山口開拓指導と、若き日から「前進また前進」の連続でした。
かつて池田先生は教えてくださいました。
「私も若き日に、C級支部といわれ、弘教の勢いも全然あがらなかった文京支部で、戸田先生の命により支部長代理として指揮をとった。そのときの合言葉が『前進』であった。"この支部が前進しなければ、学会全体が前進しない"との確信に立ち、それこそ歌を口ずさむ思いで生き生きと戦った」と。
私たちもまた、「私の前進なくして、世界広布の前進はない」との確信に立って、生き生きと戦っていきたい。
先生は、こうも教えてくださっています。
「私は徹底して、(文京)支部のメンバー一人一人と会っていきました。当時の組織はタテ線だから、神奈川の橋本や保土ケ谷方面など、支部員もあちこちに散在している。私は、そうしたメンバーを全力で励まし、電光石火で手を打っていった。そして、その年の12月には、全国が目を見張る、第一級の拡大の成果を残すことができたのです」
実際、当時の女性支部長のご主人からして、仕事が忙しい上、威張る幹部が嫌で、当初は活動を避けていました。
しかし、先生が機会を逃さず、「奥さまには、いつも本当にお世話になっております」と、丁寧に頭を下げ、あいさつされると、ご主人の学会に対する見方は一変。やがて、奥さまの後を受けて支部長となるまでに成長されました。
人材育成とは、まず自分が模範の人材に成長すること。この原点に立ち返り、明「前進・人材の年」は、"皆が前進""皆が人材"の「目を見張る」一年にしていきたいと思います。
◇柔軟かつ大胆に
一、池田先生が60歳の還暦を迎えた折、長年、先生と親交を結んだ経営の神様・松下幸之助氏は、こう祝詞を寄せてくださいました。
「もうひとつ『創価学会』をお作りになられる位の心意気で」と。
今後、少子高齢化が加速度的に進展していきます。それに即応して、学会組織の形や在り方も、柔軟かつ大胆に変化していかなければなりません。
変化を頑迷固陋に拒むのではなく、しかしまた変化に唯々諾々と従うのでもなく、時代の「挑戦」に対して、雄々しく「応戦」し、学会が新たな進化を遂げゆく、チャンスへと転じていくべき時です。
池田先生の会長就任60周年を迎える明年、今度は、私たち後継の池田門下が、「もう一つ『創価学会』を作る心意気」で、前進の気迫を五体にみなぎらせて戦い、人材を見付け、育て、伸ばし、広げながら、わがブロック、わが地区、わが支部の広布を一歩前進させていきたい。そして、先生にご安心いただける創立90周年にしていきたい。
さあ、まずは本年、「世界聖教会館」が開館する「11・18」を大勝利で飾り、前進また前進の号砲を高らかに打ち鳴らしていこうではありませんか(拍手)。
2019年10月19日土曜日
2019.10.19 わが友に贈る
気温が大きく変化し
体調を崩しやすい時期。
風邪や流感に注意!
"百千万億倍の用心"で
賢明な予防と対策を!
聖人御難事 P1190
『月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』
【通解】
月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。
〈寸鉄〉 2019年10月19日
「最後の勝利は苦労した人間にある」戸田先生。今の奮闘は生涯の宝なり
リーダーとは希望を配る人のこと—英雄。今こそ励ましの光で地域照らせ
「互に読聞けまいらせさせ給え」御書。共に学び共に成長。これ学会の魂
東日本で雨続く。少しの量でも洪水や土砂災害に警戒と。常に情報を確認
いじめ認知件数54万件で過去最多。学校・家庭・社会が一体で根絶へ総力を
☆心に御書を 第4回 悔いなき凱歌の人生を
『一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ』(如説修行抄、504ページ)
◇通解
一生は、つかの間に過ぎてしまう。それゆえ、いかに三類の強敵が重なろうとも、決して退く心、恐れる心を起こしてはならない。
◇池田先生が贈る指針
御本仏は、命に及ぶ大難の佐渡でも、悠然と弟子たちを励まされた。
断じて退くな! 何も恐れるな! 勇敢に試練の嵐を乗り越えれば勝利の青空が広がるのだ。
この如説修行の魂を受け継ぎ、創価の師弟は三類の強敵と戦い抜いてきた。これ以上の誉れはない。我らは大聖人直系の「師子王の心」で、悔いなき凱歌の人生を!
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 上野殿後家尼御返事(下)(地獄即寂光御書) 2019年10月12日
◇信心根本に幸福境涯を確立 宿命転換の哲理を胸に
今月は、「上野殿後家尼御返事」の後半を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづられました。
「宿命との戦いに際して、尼御前は、どこまでも大聖人を求め抜き、戦い抜き、見事に勝利していきます。仏法の生死観を極めた師匠と共に戦えることが、どれほど、すばらしいことか。師弟共に、『生も歓喜』『死も歓喜』の境涯を歩むことが、真の即身成仏の法門なのです」
日蓮大聖人が女性門下に示された、いかなる宿命にも負けない幸福哲学を学んでいきましょう。(拝読範囲は、御書1505ページ11行目〜本抄末尾です)
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が、駿河国(静岡県中央部)の門下であり、南条時光の母である上野尼御前に送られたお手紙です。
尼御前の夫・南条兵衛七郎は、文永2年(1265年)3月、重い病のため亡くなりました。
本抄は、文永11年(1274年)の御執筆ともいわれてきましたが、内容等から、兵衛七郎の逝去のすぐ後、文永2年7月の御述作ではないかと考えられています。
兵衛七郎が亡くなった時、後に家督を継ぐ次男の時光は7歳、末の息子はまだ尼御前の胎内にいました。
大聖人は本抄を通して、悲しみをこらえながら必死の思いで家族を守り育てる尼御前を、包み込むように励まされています。
◇御文
『故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり、ただし聖人の上にも・これあるなり、釈迦仏・御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき・凡夫のふるまひを示し給うか。
いかにも・いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う・ことわりにもや候らん、此の文には日蓮が秘蔵の法門かきて候ぞ、秘しさせ給へ・秘しさせ給へ』(御書1506ページ8行目〜13行目)
◇通解
亡くなった上野殿は、この法華経の行者ですから即身成仏は間違いありません。だから、そのように嘆くべきではありません。しかしまた、嘆くのが凡夫のならいです。もっとも、聖人であっても嘆くことはあるのです。釈迦仏が入滅された時、多くの優れた弟子たちが、悟りを得ていたのに嘆かれたのは、凡夫の振る舞いを示されたのでしょうか。
何としても、追善供養を心ゆくまで励まれることです。
昔の智者の言葉にも「心の根底を第九識(根本浄識)におき、修行は六識においてしなさい」と教えられています。これは道理かもしれません。
この手紙には日蓮の胸中に秘めた大切な法門を書きました。心に深くとどめておきなさい、とどめておきなさい。
◇解説
本抄を結ばれるに当たり、大聖人はあらためて、"亡くなった兵衛七郎は法華経の行者であったので、即身成仏は間違いない"と仰せです。"ですから、何も嘆くことはないのですよ"との、師の慈愛と確信あふれる言葉に、尼御前はどれほど勇気づけられたでしょうか。
しかし尼御前にとって、大切な人を失った悲しみや、幼い子を抱えて暮らす不安は、簡単にぬぐい去れないほど深かったに違いありません。
大聖人は、そうした心情に寄り添われ、"分かっていても、つい嘆いてしまうのが凡夫です。聖人でさえ特別な時には嘆くものです"と、励まされます。
最愛の人の死に接し、心の整理がつくまでの時間は、誰かが決められるものではありません。大切なことは、ありのままの気持ちで、"心ゆくまで"題目を唱え抜いていくことです。
また、追善の祈りも、妙法の祈りであれば、全てが仏道修行に通じていきます。本抄では、「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」との、古徳の言葉が引用されています。
仏法の生命観を示す法理に「九識論」があります。これは、生命が物事を認識する働きを、表層から深層に向かって9種に分けたものです。
「六識」とは、五感(眼・耳・鼻・舌・身)の働きである「五識」に「意識」を加えたもので、私たちの日常は六識の働きで成り立ちます。
この六識の次に、七識・八識があります。そして「九識」こそ、最も根源にある清浄無垢の生命、すなわち仏界です。
「心地を九識にもち」とは、現実がどんな状況であれ、自らの生命に尊極の仏界があることを確信し、御本尊に祈り抜いていくことと拝せます。
その上で、「修行をば六識にせよ」とあるように、仏道修行の場は、どこまでも現実生活の中にあります。
現実の悩みや目標に向かい、真剣に題目を唱え抜くことで、仏界の生命を涌現させ、確立していくことができるのです。
どんな悩みも、信心根本に立ち向かえば、最高の幸福境涯を開く糧となることを確信し、前進していきましょう。
★池田先生の講義から
たとえ今、地獄の境涯にあったとしても、一念が転換すれば、直ちに妙法の当体としての清浄にして尊極なる生命を、その身のままで、現すことが可能なのです。(中略)
大聖人は、その身に成就された尊極の生命を御本尊としてあらわしてくださいました。その御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える人は、我が生命を覆う無明を打ち破って、妙法と一体の仏界の生命を、我が身に涌現していけるのです。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◇ ◆ ◇
御本尊の前では、何も飾る必要はない。
嬉しいときは嬉しいままに、悲しいときは悲しいままに、ありのままの自分で御本尊を拝していくことです。
苦楽ともに思い合わせて、題目を唱えに唱え抜くのです。
妙法の広大な力によって、その祈りがすべて仏道修行になります。何があろうと唱題し抜いた人が、真の勝利を得るのです。(同)
◇研さんのために
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻(聖教新聞社)
○…『信仰の基本「信行学」』(同)
○…2018年6月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」
体調を崩しやすい時期。
風邪や流感に注意!
"百千万億倍の用心"で
賢明な予防と対策を!
聖人御難事 P1190
『月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』
【通解】
月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。
〈寸鉄〉 2019年10月19日
「最後の勝利は苦労した人間にある」戸田先生。今の奮闘は生涯の宝なり
リーダーとは希望を配る人のこと—英雄。今こそ励ましの光で地域照らせ
「互に読聞けまいらせさせ給え」御書。共に学び共に成長。これ学会の魂
東日本で雨続く。少しの量でも洪水や土砂災害に警戒と。常に情報を確認
いじめ認知件数54万件で過去最多。学校・家庭・社会が一体で根絶へ総力を
☆心に御書を 第4回 悔いなき凱歌の人生を
『一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ』(如説修行抄、504ページ)
◇通解
一生は、つかの間に過ぎてしまう。それゆえ、いかに三類の強敵が重なろうとも、決して退く心、恐れる心を起こしてはならない。
◇池田先生が贈る指針
御本仏は、命に及ぶ大難の佐渡でも、悠然と弟子たちを励まされた。
断じて退くな! 何も恐れるな! 勇敢に試練の嵐を乗り越えれば勝利の青空が広がるのだ。
この如説修行の魂を受け継ぎ、創価の師弟は三類の強敵と戦い抜いてきた。これ以上の誉れはない。我らは大聖人直系の「師子王の心」で、悔いなき凱歌の人生を!
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 上野殿後家尼御返事(下)(地獄即寂光御書) 2019年10月12日
◇信心根本に幸福境涯を確立 宿命転換の哲理を胸に
今月は、「上野殿後家尼御返事」の後半を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづられました。
「宿命との戦いに際して、尼御前は、どこまでも大聖人を求め抜き、戦い抜き、見事に勝利していきます。仏法の生死観を極めた師匠と共に戦えることが、どれほど、すばらしいことか。師弟共に、『生も歓喜』『死も歓喜』の境涯を歩むことが、真の即身成仏の法門なのです」
日蓮大聖人が女性門下に示された、いかなる宿命にも負けない幸福哲学を学んでいきましょう。(拝読範囲は、御書1505ページ11行目〜本抄末尾です)
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が、駿河国(静岡県中央部)の門下であり、南条時光の母である上野尼御前に送られたお手紙です。
尼御前の夫・南条兵衛七郎は、文永2年(1265年)3月、重い病のため亡くなりました。
本抄は、文永11年(1274年)の御執筆ともいわれてきましたが、内容等から、兵衛七郎の逝去のすぐ後、文永2年7月の御述作ではないかと考えられています。
兵衛七郎が亡くなった時、後に家督を継ぐ次男の時光は7歳、末の息子はまだ尼御前の胎内にいました。
大聖人は本抄を通して、悲しみをこらえながら必死の思いで家族を守り育てる尼御前を、包み込むように励まされています。
◇御文
『故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり、ただし聖人の上にも・これあるなり、釈迦仏・御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき・凡夫のふるまひを示し給うか。
いかにも・いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う・ことわりにもや候らん、此の文には日蓮が秘蔵の法門かきて候ぞ、秘しさせ給へ・秘しさせ給へ』(御書1506ページ8行目〜13行目)
◇通解
亡くなった上野殿は、この法華経の行者ですから即身成仏は間違いありません。だから、そのように嘆くべきではありません。しかしまた、嘆くのが凡夫のならいです。もっとも、聖人であっても嘆くことはあるのです。釈迦仏が入滅された時、多くの優れた弟子たちが、悟りを得ていたのに嘆かれたのは、凡夫の振る舞いを示されたのでしょうか。
何としても、追善供養を心ゆくまで励まれることです。
昔の智者の言葉にも「心の根底を第九識(根本浄識)におき、修行は六識においてしなさい」と教えられています。これは道理かもしれません。
この手紙には日蓮の胸中に秘めた大切な法門を書きました。心に深くとどめておきなさい、とどめておきなさい。
◇解説
本抄を結ばれるに当たり、大聖人はあらためて、"亡くなった兵衛七郎は法華経の行者であったので、即身成仏は間違いない"と仰せです。"ですから、何も嘆くことはないのですよ"との、師の慈愛と確信あふれる言葉に、尼御前はどれほど勇気づけられたでしょうか。
しかし尼御前にとって、大切な人を失った悲しみや、幼い子を抱えて暮らす不安は、簡単にぬぐい去れないほど深かったに違いありません。
大聖人は、そうした心情に寄り添われ、"分かっていても、つい嘆いてしまうのが凡夫です。聖人でさえ特別な時には嘆くものです"と、励まされます。
最愛の人の死に接し、心の整理がつくまでの時間は、誰かが決められるものではありません。大切なことは、ありのままの気持ちで、"心ゆくまで"題目を唱え抜いていくことです。
また、追善の祈りも、妙法の祈りであれば、全てが仏道修行に通じていきます。本抄では、「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」との、古徳の言葉が引用されています。
仏法の生命観を示す法理に「九識論」があります。これは、生命が物事を認識する働きを、表層から深層に向かって9種に分けたものです。
「六識」とは、五感(眼・耳・鼻・舌・身)の働きである「五識」に「意識」を加えたもので、私たちの日常は六識の働きで成り立ちます。
この六識の次に、七識・八識があります。そして「九識」こそ、最も根源にある清浄無垢の生命、すなわち仏界です。
「心地を九識にもち」とは、現実がどんな状況であれ、自らの生命に尊極の仏界があることを確信し、御本尊に祈り抜いていくことと拝せます。
その上で、「修行をば六識にせよ」とあるように、仏道修行の場は、どこまでも現実生活の中にあります。
現実の悩みや目標に向かい、真剣に題目を唱え抜くことで、仏界の生命を涌現させ、確立していくことができるのです。
どんな悩みも、信心根本に立ち向かえば、最高の幸福境涯を開く糧となることを確信し、前進していきましょう。
★池田先生の講義から
たとえ今、地獄の境涯にあったとしても、一念が転換すれば、直ちに妙法の当体としての清浄にして尊極なる生命を、その身のままで、現すことが可能なのです。(中略)
大聖人は、その身に成就された尊極の生命を御本尊としてあらわしてくださいました。その御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える人は、我が生命を覆う無明を打ち破って、妙法と一体の仏界の生命を、我が身に涌現していけるのです。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◇ ◆ ◇
御本尊の前では、何も飾る必要はない。
嬉しいときは嬉しいままに、悲しいときは悲しいままに、ありのままの自分で御本尊を拝していくことです。
苦楽ともに思い合わせて、題目を唱えに唱え抜くのです。
妙法の広大な力によって、その祈りがすべて仏道修行になります。何があろうと唱題し抜いた人が、真の勝利を得るのです。(同)
◇研さんのために
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻(聖教新聞社)
○…『信仰の基本「信行学」』(同)
○…2018年6月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」
2019年10月18日金曜日
2019.10.18 わが友に贈る
共に悩み、共に祈り、
友に動き、共に喜ぶ。
それが学会の同志だ。
世界一の励ましの世界を
今いる場所で広げよう!
二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』
【通解】
師子身中の虫が自ら師子を食うようなものである。外道ではなく、多くの仏弟子が仏法を破壊する大罪を犯すであろう。
〈寸鉄〉 2019年10月18日
各地で座談会。希望と勇気を心に灯し合う—妙法の会座は生命の安全地帯
民音創立記念日。優れた音楽・芸術を庶民の手に。今や世界結ぶ文化運動と
京都の日。不撓不屈の創価の連帯は威風も堂々。正義の対話で楽土建設を
台風被災地の生活再建に公明よ総力を。寒さ増す季節、対策の速度上げよ
流感の患者数が昨年同時期の8倍強。マスク着用、入念な手洗いなどで予防
☆池田先生のメッセージ 2019年10月13日
◇一人一人を尊び敬いながら人生を勝ち開く生命の力を!
教育で結ばれた心の絆は、国を超え、時を超えます。今日のこの教育の広場を、私がぜひともお見せしたかったと思う先生がおります。
ここ富山県のご出身で、わが青春の母校「大世学院」(現在の東京富士大学)の創立者であられる高田勇道先生であります。高田先生ご自身が教壇に立ち、やや甲高い声で熱弁をふるってくださったお姿が思い出されてなりません。
病を抱えておられたゆえ、時折、咳き込みながらも、「将来を担う人物が、どんどんと出てもらいたい。私はそれを信ずる」と、それはそれは烈々たる気迫で、私たち青年を励ましてくださるのが常でした。
高田先生は断言されました。教育とは「学生に生命を与えていくことである」と。すなわち、単に知識や技術を教えるだけでなく、一人の人間として現実社会の中で人生を勝ち開いていける「生命の力」を贈ることこそ、教育の本義である、との信念でありました。
それは、富山に隣接する新潟と石川を故郷とする、牧口常三郎先生と戸田城聖先生が掲げた、わが「創価教育」の哲学とも強く深く響き合うのであります。
教育は「生命といふ無上宝珠を対象とする」ゆえに、「最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である」(『牧口常三郎全集6』所収「創価教育学体系(下)」第三文明社)との確信こそ、創価教育を貫くものでもあります。
本日、お集まりの先生方は、日本、そして、世界の未来を描いていく人間教育の大技術者であり、大芸術家にほかなりません。
仏典には「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)という美しい譬喩があります。一人ひとりの若き命を尊び、敬い、励まし、共に学びゆく教育こそ、まさしく相互の生命を最大に光輝あらしめる聖業なのであります。
聖業なるゆえに言い知れぬ労苦の連続でありましょう。なればこそ、聡明に健康第一で、良き仲間と励まし合いながら、たくましく朗らかな前進をお願いします。
そして、富山の秋の大地に咲き誇るコスモスの花の如く、烈風にも負けない、子どもたちの幸の笑顔を爛漫と咲き薫らせていこうではありませんか!(大拍手)
友に動き、共に喜ぶ。
それが学会の同志だ。
世界一の励ましの世界を
今いる場所で広げよう!
二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』
【通解】
師子身中の虫が自ら師子を食うようなものである。外道ではなく、多くの仏弟子が仏法を破壊する大罪を犯すであろう。
〈寸鉄〉 2019年10月18日
各地で座談会。希望と勇気を心に灯し合う—妙法の会座は生命の安全地帯
民音創立記念日。優れた音楽・芸術を庶民の手に。今や世界結ぶ文化運動と
京都の日。不撓不屈の創価の連帯は威風も堂々。正義の対話で楽土建設を
台風被災地の生活再建に公明よ総力を。寒さ増す季節、対策の速度上げよ
流感の患者数が昨年同時期の8倍強。マスク着用、入念な手洗いなどで予防
☆池田先生のメッセージ 2019年10月13日
◇一人一人を尊び敬いながら人生を勝ち開く生命の力を!
教育で結ばれた心の絆は、国を超え、時を超えます。今日のこの教育の広場を、私がぜひともお見せしたかったと思う先生がおります。
ここ富山県のご出身で、わが青春の母校「大世学院」(現在の東京富士大学)の創立者であられる高田勇道先生であります。高田先生ご自身が教壇に立ち、やや甲高い声で熱弁をふるってくださったお姿が思い出されてなりません。
病を抱えておられたゆえ、時折、咳き込みながらも、「将来を担う人物が、どんどんと出てもらいたい。私はそれを信ずる」と、それはそれは烈々たる気迫で、私たち青年を励ましてくださるのが常でした。
高田先生は断言されました。教育とは「学生に生命を与えていくことである」と。すなわち、単に知識や技術を教えるだけでなく、一人の人間として現実社会の中で人生を勝ち開いていける「生命の力」を贈ることこそ、教育の本義である、との信念でありました。
それは、富山に隣接する新潟と石川を故郷とする、牧口常三郎先生と戸田城聖先生が掲げた、わが「創価教育」の哲学とも強く深く響き合うのであります。
教育は「生命といふ無上宝珠を対象とする」ゆえに、「最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である」(『牧口常三郎全集6』所収「創価教育学体系(下)」第三文明社)との確信こそ、創価教育を貫くものでもあります。
本日、お集まりの先生方は、日本、そして、世界の未来を描いていく人間教育の大技術者であり、大芸術家にほかなりません。
仏典には「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)という美しい譬喩があります。一人ひとりの若き命を尊び、敬い、励まし、共に学びゆく教育こそ、まさしく相互の生命を最大に光輝あらしめる聖業なのであります。
聖業なるゆえに言い知れぬ労苦の連続でありましょう。なればこそ、聡明に健康第一で、良き仲間と励まし合いながら、たくましく朗らかな前進をお願いします。
そして、富山の秋の大地に咲き誇るコスモスの花の如く、烈風にも負けない、子どもたちの幸の笑顔を爛漫と咲き薫らせていこうではありませんか!(大拍手)
2019年10月17日木曜日
2019.10.17 わが友に贈る
被災された皆さま
断じて負けるな!
一日も早い復旧・復興を
世界の友も祈っている!
どうか健康第一で!
乙御前御消息 P1220
『日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんとせしかども今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしとおぼすべし』
【通解】
日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一人の例外もなく害しようとしましたが、今までこうして無事に生きてくることができました。これは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心の強いゆえに諸天善神が守護されたのであると思いなさい。
〈寸鉄〉 2019年10月17日
人々の心を鼓舞する会長の詩に驚嘆—博士。師に学び、激励の光を我らも
東京・板橋の日。本陣に堅固な友情の「金の橋」。新たな歴史を錦州城から
学会と進めば今の悩みは全部功徳に変わる—恩師心一つに変毒為薬の劇を
報告・連絡・相談こそ組織の命脈。小事が大事。幹部は友の思いに電光石火で
高齢者の体力向上続く。地域に生き生きと尽くす多宝会は幸齢社会の模範
☆支部未来本部長・未来部長会への池田先生のメッセージ 2019年10月8日
◇わが地域に人材の花を咲かせ広げよう!
恩師・戸田先生はよく言われておりました。
「人材を育てる人こそが真の人材だ」と。
広宣流布の尊き最前線で、まさしく真の人材の輝きを放たれている支部未来本部長の皆さん、未来部長の皆さん、いつもいつも本当にありがとうございます!
「開目抄」の最終章では、なぜ、法華経の会座に、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が集まってきたのかが、論じられております。
日蓮大聖人は、宝塔品の「令法久住・故来至此」、すなわち「法をして久しく住せしめんが 故に此に来至したまえり」との経文を引用され、仰せになられました。
それは、「未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえん」(御書236ページ)ためであると。
そして、その仏たちのお心は、大きな苦しみにあっている我が子を何としてでも救わずにおかないという父母よりも、さらに強く盛んであると言われるのであります。
本日の全国を結んでのテレビ会議は、この最極無上の仏に直結して、「未来の一切の仏子」を励まし育み、世界広宣流布の流れを永遠ならしめゆく「誓願の会座」にほかなりません。どれほど崇高にして、どれほど福徳あふれる集いでしょうか。
未来部担当者の方々が、また教育部の先生方が、親きょうだいにも勝る深い慈愛をもって、後継の宝の成長と幸福を願い、日夜、尽くしておられる献身を思う時、私は妻とともに、朝な夕な合掌せずにはいられません。
人の何倍、いな何十倍もお忙しい毎日でしょう。しかし、皆さんの功徳は無量無辺であり、子孫末代まで絶対に守られていくことを、どうか強く深く確信してください。
フランスの大思想家ルソーは教育小説『エミール』の中で訴えました。
「子どもに純真な心をもちつづけさせるよい方法は一つしかないと思われる。それは、子どものまわりにいるすべての人が純真なものを尊重し、愛することだ」と。
学会ほど、純真な心の世界はありません。学会ほど、正義の団体はありません。
この創価の庭にみなぎる人間主義、生命尊厳の「教育力」こそ、地域を、社会を、さらに世界までも、照らし晴らしゆく希望の太陽でありましょう。
きょうの有意義な研鑽を力としながら、共々に「いまだこりず候」(同1056ページ)と、励ましの種を蒔き、人材の花また華を、わが支部から未来へ咲かせ広げようではありませんか!
どうか健康第一で聡明に朗らかな前進をお願いします。私も題目を送り続けます。
断じて負けるな!
一日も早い復旧・復興を
世界の友も祈っている!
どうか健康第一で!
乙御前御消息 P1220
『日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんとせしかども今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしとおぼすべし』
【通解】
日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一人の例外もなく害しようとしましたが、今までこうして無事に生きてくることができました。これは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心の強いゆえに諸天善神が守護されたのであると思いなさい。
〈寸鉄〉 2019年10月17日
人々の心を鼓舞する会長の詩に驚嘆—博士。師に学び、激励の光を我らも
東京・板橋の日。本陣に堅固な友情の「金の橋」。新たな歴史を錦州城から
学会と進めば今の悩みは全部功徳に変わる—恩師心一つに変毒為薬の劇を
報告・連絡・相談こそ組織の命脈。小事が大事。幹部は友の思いに電光石火で
高齢者の体力向上続く。地域に生き生きと尽くす多宝会は幸齢社会の模範
☆支部未来本部長・未来部長会への池田先生のメッセージ 2019年10月8日
◇わが地域に人材の花を咲かせ広げよう!
恩師・戸田先生はよく言われておりました。
「人材を育てる人こそが真の人材だ」と。
広宣流布の尊き最前線で、まさしく真の人材の輝きを放たれている支部未来本部長の皆さん、未来部長の皆さん、いつもいつも本当にありがとうございます!
「開目抄」の最終章では、なぜ、法華経の会座に、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が集まってきたのかが、論じられております。
日蓮大聖人は、宝塔品の「令法久住・故来至此」、すなわち「法をして久しく住せしめんが 故に此に来至したまえり」との経文を引用され、仰せになられました。
それは、「未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえん」(御書236ページ)ためであると。
そして、その仏たちのお心は、大きな苦しみにあっている我が子を何としてでも救わずにおかないという父母よりも、さらに強く盛んであると言われるのであります。
本日の全国を結んでのテレビ会議は、この最極無上の仏に直結して、「未来の一切の仏子」を励まし育み、世界広宣流布の流れを永遠ならしめゆく「誓願の会座」にほかなりません。どれほど崇高にして、どれほど福徳あふれる集いでしょうか。
未来部担当者の方々が、また教育部の先生方が、親きょうだいにも勝る深い慈愛をもって、後継の宝の成長と幸福を願い、日夜、尽くしておられる献身を思う時、私は妻とともに、朝な夕な合掌せずにはいられません。
人の何倍、いな何十倍もお忙しい毎日でしょう。しかし、皆さんの功徳は無量無辺であり、子孫末代まで絶対に守られていくことを、どうか強く深く確信してください。
フランスの大思想家ルソーは教育小説『エミール』の中で訴えました。
「子どもに純真な心をもちつづけさせるよい方法は一つしかないと思われる。それは、子どものまわりにいるすべての人が純真なものを尊重し、愛することだ」と。
学会ほど、純真な心の世界はありません。学会ほど、正義の団体はありません。
この創価の庭にみなぎる人間主義、生命尊厳の「教育力」こそ、地域を、社会を、さらに世界までも、照らし晴らしゆく希望の太陽でありましょう。
きょうの有意義な研鑽を力としながら、共々に「いまだこりず候」(同1056ページ)と、励ましの種を蒔き、人材の花また華を、わが支部から未来へ咲かせ広げようではありませんか!
どうか健康第一で聡明に朗らかな前進をお願いします。私も題目を送り続けます。
2019年10月16日水曜日
2019.10.16 わが友に贈る
「一切衆生の同一苦は
悉く是日蓮一人の苦」
同苦こそ仏法の精髄だ。
苦悩の友に寄り添い
勇気を送りゆこう!
佐渡御書 P957
『おごれる者は強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し』
【通解】
傲っている者は、強敵に遭遇すると、恐れる心が出てきます。例を挙げれば、傲り高ぶっていた修羅が、帝釈から攻められた際に、無熱池の蓮の中に身を縮めて、隠れてしまったようなものです。
〈寸鉄〉 2019年10月16日
苦難の時ほど学会の皆様は心強い味方と感じる—市長。地域の希望の柱と
広布に尽くす人を御本尊が放っておくか—恩師。最後は勝つ!この確信で
「食は命をつぐ」御聖訓。食品ロス削減も感謝の心から。今日、世界食料デー
災害に付け込む悪質詐欺に注意。「点検は無料」と訪問する業者は信じるな
新聞週間。機関紙を彩る人間蘇生のドラマ。読者に活力送る紙面をさらに
☆四季の励まし 平和は「友情の対話」から 2019年10月6日
創価学会が進める
広宣流布は、
決して宗派の拡大が
目的ではない。
法華経の生命尊厳と
万人尊敬の哲学を基調に、
人類の幸福と
世界の平和の確立を目指す
民衆運動である。
対話を根幹として、
人と人とを結び、
世界市民の「希望の連帯」
「善の連帯」を築き上げ、
地球民族の共生の理想を
実現していく精神闘争に
ほかならない。
利害による結合は、
もろく、はかない。
真の友情は、
苦難にあうほど深められ、
強められていくものだ。
「真実の友情」を
結ぶことこそ、
最高の人生の宝である。
ダイヤモンドは
ダイヤモンドでしか
磨けないように、
人間対人間の、
全人格的な
打ち合いによってこそ、
人は自らを鍛え、
さらなる高みへと
登攀していけるのだ。
力強い声は、
皆の心を大きく広げる。
温かい声は、
友の心を開かせる。
久しぶりに会う友には、
「しばらくでしたね」と、
こちらから声を掛ける。
失意の友には
「祈っています」と
励ましの声を贈る。
にこやかに、
明るい笑顔で語るのだ。
自信に満ちて、
正々堂々と対話するのだ。
目の前の一人を
大事にすることから
平和は始まる。
性格や好みが
合わない人もいるだろう。
でも自分と違うからこそ、
学ぶことも多い。
勇気を出して語らい、
友情を結ぼうと
聡明に努力していく。
ここに、
人類を一つに結びゆく
「世界市民」の
誇り高き一歩がある。
澄み切った青空の下、躍動のリズムに乗って青年たちが舞った——。
1992年(平成4年)2月、池田大作先生が恩納村の沖縄研修道場を訪問。アジア総会・平和音楽祭の後、野外で行われた交歓会では、アジアの青年たちが、平和建設の情熱を演舞に託した。その雄姿を、先生が撮影した。
道場内に立つ「世界平和の碑」。かつて核ミサイルの発射台だったが、先生の提案で生まれ変わった。先生はその真情を「核も、戦争も、人の心から生まれた。ならば、まず人の一念の『発射の向き』を変えよ! その逆転の作業を! 『碑』は、その象徴である」と述べている。
さあ、心豊かに友情を結ぼう。それが、平和への確実な道となる。
悉く是日蓮一人の苦」
同苦こそ仏法の精髄だ。
苦悩の友に寄り添い
勇気を送りゆこう!
佐渡御書 P957
『おごれる者は強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し』
【通解】
傲っている者は、強敵に遭遇すると、恐れる心が出てきます。例を挙げれば、傲り高ぶっていた修羅が、帝釈から攻められた際に、無熱池の蓮の中に身を縮めて、隠れてしまったようなものです。
〈寸鉄〉 2019年10月16日
苦難の時ほど学会の皆様は心強い味方と感じる—市長。地域の希望の柱と
広布に尽くす人を御本尊が放っておくか—恩師。最後は勝つ!この確信で
「食は命をつぐ」御聖訓。食品ロス削減も感謝の心から。今日、世界食料デー
災害に付け込む悪質詐欺に注意。「点検は無料」と訪問する業者は信じるな
新聞週間。機関紙を彩る人間蘇生のドラマ。読者に活力送る紙面をさらに
☆四季の励まし 平和は「友情の対話」から 2019年10月6日
創価学会が進める
広宣流布は、
決して宗派の拡大が
目的ではない。
法華経の生命尊厳と
万人尊敬の哲学を基調に、
人類の幸福と
世界の平和の確立を目指す
民衆運動である。
対話を根幹として、
人と人とを結び、
世界市民の「希望の連帯」
「善の連帯」を築き上げ、
地球民族の共生の理想を
実現していく精神闘争に
ほかならない。
利害による結合は、
もろく、はかない。
真の友情は、
苦難にあうほど深められ、
強められていくものだ。
「真実の友情」を
結ぶことこそ、
最高の人生の宝である。
ダイヤモンドは
ダイヤモンドでしか
磨けないように、
人間対人間の、
全人格的な
打ち合いによってこそ、
人は自らを鍛え、
さらなる高みへと
登攀していけるのだ。
力強い声は、
皆の心を大きく広げる。
温かい声は、
友の心を開かせる。
久しぶりに会う友には、
「しばらくでしたね」と、
こちらから声を掛ける。
失意の友には
「祈っています」と
励ましの声を贈る。
にこやかに、
明るい笑顔で語るのだ。
自信に満ちて、
正々堂々と対話するのだ。
目の前の一人を
大事にすることから
平和は始まる。
性格や好みが
合わない人もいるだろう。
でも自分と違うからこそ、
学ぶことも多い。
勇気を出して語らい、
友情を結ぼうと
聡明に努力していく。
ここに、
人類を一つに結びゆく
「世界市民」の
誇り高き一歩がある。
澄み切った青空の下、躍動のリズムに乗って青年たちが舞った——。
1992年(平成4年)2月、池田大作先生が恩納村の沖縄研修道場を訪問。アジア総会・平和音楽祭の後、野外で行われた交歓会では、アジアの青年たちが、平和建設の情熱を演舞に託した。その雄姿を、先生が撮影した。
道場内に立つ「世界平和の碑」。かつて核ミサイルの発射台だったが、先生の提案で生まれ変わった。先生はその真情を「核も、戦争も、人の心から生まれた。ならば、まず人の一念の『発射の向き』を変えよ! その逆転の作業を! 『碑』は、その象徴である」と述べている。
さあ、心豊かに友情を結ぼう。それが、平和への確実な道となる。
2019.10.15 わが友に贈る
新聞休刊日
兄弟抄 P1088
『設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべしし』
【通解】
たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい。
☆第43回本部幹部会・沖縄総会への池田先生のメッセージ
◇広布に生き抜く生命は偉大 人間革命の大歓喜に舞え!
一、わが師・戸田城聖先生は、第2代会長になられた折、私に一首の和歌を詠んでくださいました。
「現在も 未来も共に 苦楽をば 分けあう縁 不思議なるかな」と。
沖縄の広宣流布は、この恩師から直々に託された誓願であります。ゆえに私は、第3代に就任して真っ先に沖縄へ飛びました。
そして、愛してやまない沖縄の同志たち一人一人と、「苦楽を分けあう不思議なる縁」を結び、深め、広げてきたのであります。
以来、60星霜になろうとする今、わが沖縄家族の栄光と凱歌の晴れ姿ほど、うれしいものはありません。沖縄本島の各地と宮古・八重山など10の会場を結ぶ大晴天・大歓喜の沖縄総会、ならびに本部幹部会、誠におめでとう!(大拍手)
遠路はるばる集われたSGIの皆さん方、ようこそ、お越しくださいました。この福徳は、いかばかりか。
何より御本仏が、「心ざし大海よりふかく善根は大地よりも厚し」(御書1105ページ)と賛嘆してくださっているでありましょう。本当にありがとう!(大拍手)
一、わが創価学会は、どこまでも「御書根本」です。
だからこそ、何があっても行き詰まらない。
だからこそ、限りなく前進できるのであります。
大難の佐渡で記された「諸法実相抄」の一節を拝したい。
「たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞ・かた(肩)にかけせなか(背)にを(負)ふべきぞ・大善根の者にてあるぞ・一切衆生のためには大導師にてあるべし」(同1359ページ)との仰せであります。
日蓮大聖人の正統の門下たる創価の師弟は、三類の強敵と戦い、いかなる難も耐え忍びながら、妙法を弘め抜いてきました。それゆえに、三世十方の仏菩薩も、諸天善神も、我らを断固として護らずにはおきません。
このたゆまぬ大前進の中から、我らは地涌の人材を二陣三陣と呼び出し、励まし育て、一切衆生のためにと、地域へ社会へ世界へ、送り出しています。そして、その模範の中の模範、希望の中の希望こそ、わが沖縄創価学会なりと、胸を張って宣言したいのであります(大拍手)。
◇仏性に向かって
一、本日、代表の友が参加されているブラジルでも台湾でも、インド、シンガポールでも、そして韓国でも、創価の誉れの宝友たちは、法華経に説かれる「柔和忍辱の心」を深く体して、大変であればあるほど、「いまだこりず候」(同1056ページ)と御書の通り、勇敢に誠実に忍耐強く信念の行動に打って出てきました。
「立正安国論」には、対話の極意が幾重にも示されています。それは、相次ぐ災難をどうすれば打開できるかを巡る語らいです。
その中で、仏法への誤った理解を正されると、客人は顔色を変えて怒り出し、杖を手にとり、席を蹴って立ち去ろうとします。
しかし、その時「主人咲み止めて曰く」(同24ページ)。すなわち、すかさず微笑みを浮かべて、客人の足を止め、おおらかに包み込みます。そして、再び諄々と対話を進め、最後には、客人が主人と「誓い」を共有して、ついに「立正安国」の行動へ一緒に踏み出すのです。
仏法者の言論は、たじろいだり、気取ったり、臆したりする必要はない。「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(同759ページ)という本有無作の生命で、相手の仏性に向かって、正義と真実を朗らかに悠々と語り切っていけばよいのであります。
この笑顔の対話の力を生き生きと発揮して、歓喜あふれる友情の舞、幸福の舞、平和の舞を広げているのが、まさしく沖縄広布の尊き父母たちであり、創価家族の偉大な「おじい」「おばあ」ではないでしょうか。
大聖人は、夫に先立たれ、幼子を抱え信仰を貫いてきた健気な母を励まされました。
「此の妙の字は仏にておはし候なり、又此の妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う、又は如意宝珠のたま(意のままに何でも取り出すことができる宝の珠)なり」(同1484ページ)と。
妙法を唱え、広布に生き抜く生命が、不幸になどなるわけがない。
太陽のように明るく、大地のように豊かに、大海のように広々と境涯を開き、生活にも、環境にも、未来にも、幸の花を咲かせ、宝の価値を自由自在に創造していくことができる。
必ず現実を変えられる。
断じて皆を幸せにできる。
これが、御本仏の絶対の約束なのであります。この無量無辺の仏力・法力をこんこんと湧き出していくのが、我らの信力・行力です。
◇一念の転換から
一、55年前の12月2日、ここ沖縄で、小説『人間革命』の執筆を始めた忘れ得ぬ日、私は居合わせた若き沖縄健児たちと握手を交わし、語りました。
——人間生命の一念の転換から、国土の宿命も転換できる。この沖縄から幸福の風、平和の波を起こそう! 日本と世界を背負う大人材を出そう!と。
今、その通りの実証が無数に光っているではありませんか!
この沖縄研修道場も、世界の知性から「人間が平和を創造できるという"象徴の地"」として大いなる希望を寄せられています。
このたび誕生した「世界聖教会館」の言論会館の須弥壇には、ここ沖縄研修道場の石が、日本の全都道府県、さらに世界五大陸の石とともに、平和と安穏と繁栄への祈りを込めて埋納されております。
また「世界聖教会館」という意義にふさわしく、建物の至る所に、ブラジル、インドなど、世界中の美しい石材が用いられているのであります。
私は、今再び、沖縄をはじめ全世界の信頼する後継の青年たち一人一人と固い心の握手を交わしたい。そして、大好きな「沖縄健児の歌」を共々に歌いながら、新たな「人間革命」の大前進を、大歓喜のカチャーシーを舞うがごとく開始しようと申し上げ、私のメッセージといたします(大拍手)。
兄弟抄 P1088
『設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべしし』
【通解】
たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい。
☆第43回本部幹部会・沖縄総会への池田先生のメッセージ
◇広布に生き抜く生命は偉大 人間革命の大歓喜に舞え!
一、わが師・戸田城聖先生は、第2代会長になられた折、私に一首の和歌を詠んでくださいました。
「現在も 未来も共に 苦楽をば 分けあう縁 不思議なるかな」と。
沖縄の広宣流布は、この恩師から直々に託された誓願であります。ゆえに私は、第3代に就任して真っ先に沖縄へ飛びました。
そして、愛してやまない沖縄の同志たち一人一人と、「苦楽を分けあう不思議なる縁」を結び、深め、広げてきたのであります。
以来、60星霜になろうとする今、わが沖縄家族の栄光と凱歌の晴れ姿ほど、うれしいものはありません。沖縄本島の各地と宮古・八重山など10の会場を結ぶ大晴天・大歓喜の沖縄総会、ならびに本部幹部会、誠におめでとう!(大拍手)
遠路はるばる集われたSGIの皆さん方、ようこそ、お越しくださいました。この福徳は、いかばかりか。
何より御本仏が、「心ざし大海よりふかく善根は大地よりも厚し」(御書1105ページ)と賛嘆してくださっているでありましょう。本当にありがとう!(大拍手)
一、わが創価学会は、どこまでも「御書根本」です。
だからこそ、何があっても行き詰まらない。
だからこそ、限りなく前進できるのであります。
大難の佐渡で記された「諸法実相抄」の一節を拝したい。
「たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞ・かた(肩)にかけせなか(背)にを(負)ふべきぞ・大善根の者にてあるぞ・一切衆生のためには大導師にてあるべし」(同1359ページ)との仰せであります。
日蓮大聖人の正統の門下たる創価の師弟は、三類の強敵と戦い、いかなる難も耐え忍びながら、妙法を弘め抜いてきました。それゆえに、三世十方の仏菩薩も、諸天善神も、我らを断固として護らずにはおきません。
このたゆまぬ大前進の中から、我らは地涌の人材を二陣三陣と呼び出し、励まし育て、一切衆生のためにと、地域へ社会へ世界へ、送り出しています。そして、その模範の中の模範、希望の中の希望こそ、わが沖縄創価学会なりと、胸を張って宣言したいのであります(大拍手)。
◇仏性に向かって
一、本日、代表の友が参加されているブラジルでも台湾でも、インド、シンガポールでも、そして韓国でも、創価の誉れの宝友たちは、法華経に説かれる「柔和忍辱の心」を深く体して、大変であればあるほど、「いまだこりず候」(同1056ページ)と御書の通り、勇敢に誠実に忍耐強く信念の行動に打って出てきました。
「立正安国論」には、対話の極意が幾重にも示されています。それは、相次ぐ災難をどうすれば打開できるかを巡る語らいです。
その中で、仏法への誤った理解を正されると、客人は顔色を変えて怒り出し、杖を手にとり、席を蹴って立ち去ろうとします。
しかし、その時「主人咲み止めて曰く」(同24ページ)。すなわち、すかさず微笑みを浮かべて、客人の足を止め、おおらかに包み込みます。そして、再び諄々と対話を進め、最後には、客人が主人と「誓い」を共有して、ついに「立正安国」の行動へ一緒に踏み出すのです。
仏法者の言論は、たじろいだり、気取ったり、臆したりする必要はない。「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(同759ページ)という本有無作の生命で、相手の仏性に向かって、正義と真実を朗らかに悠々と語り切っていけばよいのであります。
この笑顔の対話の力を生き生きと発揮して、歓喜あふれる友情の舞、幸福の舞、平和の舞を広げているのが、まさしく沖縄広布の尊き父母たちであり、創価家族の偉大な「おじい」「おばあ」ではないでしょうか。
大聖人は、夫に先立たれ、幼子を抱え信仰を貫いてきた健気な母を励まされました。
「此の妙の字は仏にておはし候なり、又此の妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う、又は如意宝珠のたま(意のままに何でも取り出すことができる宝の珠)なり」(同1484ページ)と。
妙法を唱え、広布に生き抜く生命が、不幸になどなるわけがない。
太陽のように明るく、大地のように豊かに、大海のように広々と境涯を開き、生活にも、環境にも、未来にも、幸の花を咲かせ、宝の価値を自由自在に創造していくことができる。
必ず現実を変えられる。
断じて皆を幸せにできる。
これが、御本仏の絶対の約束なのであります。この無量無辺の仏力・法力をこんこんと湧き出していくのが、我らの信力・行力です。
◇一念の転換から
一、55年前の12月2日、ここ沖縄で、小説『人間革命』の執筆を始めた忘れ得ぬ日、私は居合わせた若き沖縄健児たちと握手を交わし、語りました。
——人間生命の一念の転換から、国土の宿命も転換できる。この沖縄から幸福の風、平和の波を起こそう! 日本と世界を背負う大人材を出そう!と。
今、その通りの実証が無数に光っているではありませんか!
この沖縄研修道場も、世界の知性から「人間が平和を創造できるという"象徴の地"」として大いなる希望を寄せられています。
このたび誕生した「世界聖教会館」の言論会館の須弥壇には、ここ沖縄研修道場の石が、日本の全都道府県、さらに世界五大陸の石とともに、平和と安穏と繁栄への祈りを込めて埋納されております。
また「世界聖教会館」という意義にふさわしく、建物の至る所に、ブラジル、インドなど、世界中の美しい石材が用いられているのであります。
私は、今再び、沖縄をはじめ全世界の信頼する後継の青年たち一人一人と固い心の握手を交わしたい。そして、大好きな「沖縄健児の歌」を共々に歌いながら、新たな「人間革命」の大前進を、大歓喜のカチャーシーを舞うがごとく開始しようと申し上げ、私のメッセージといたします(大拍手)。
2019年10月14日月曜日
2019.10.14 わが友に贈る
◇今週のことば
試練の宝友と連帯を
「わざわひも転じて
幸となるべし」
創価のレジリエンスで
「変毒為薬」の前進だ!
2019年10月14日
富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』
【通解】
賢人は安全な状態にあっても危険に備え、心の曲がった人は危険な状態にあっても、それに対処しようとせず安穏を願う
〈寸鉄〉 2019年10月14日
台風被害で対策本部中心に被災者の激励に総力。共々に負けじ魂燃やして
御書「祈りのかなはぬ事はあるべからず」。妙法に不可能なし!再起を必ず
真実を語る。これが学会発展の力—恩師。自他共の幸福開く誇りを堂々と
奉仕することが私の宗教—偉人。今できることを地道に。地域・社会のため
公明党議員が災害現場に急行。連帯力を生かして迅速に支援を。庶民守れ
☆ライオンハート 師子の誓い 第1回 台湾 黄家鈴さん
◇可能性を信じ 光を当てる
——教師を目指したきっかけは何でしたか。
志望する大学に合格できず、不本意な環境でスタートした学生生活が転機になりました。学生時代は高雄で1人暮らしを。台湾では、学生部員一人一人に"愛心ママ"と呼ばれる婦人部の担当者がつきます。
私の元に来て、いつも体調を気に掛け、時にはごはんをおすそわけしてくれる"愛心ママ"。彼女の「今は思うようにいかない人生だと思うかも知れないけれど、信心根本に頑張る中で、必ず将来の方向性が見えてくるわよ」との励ましを受けて、一時は離れていた学会活動に取り組むようになりました。
地域の同志からも勧められ、少しずつ池田先生の著作を読むように。皆の可能性を信じ、引き出そうとする創価教育の哲学に感動し、教師を目指すようになったのです。
——教師になるまでには、どのような苦労があったのですか。
台湾では、大学卒業後に教育実習を受け、さらに教員免許を取得するために合格率数%の最難関の試験に合格しなければなりません。教師を目指していた友人の多くも、次第に進路を変えるようになるほどでした。
試験は第1段階の筆記試験と第2、第3段階の模擬授業、面接です。初の試験で第3段階まで進めたのですが、その場の雰囲気に圧倒され"卒業したばかりだから受かるはずがない"とおじけづき、うまく話すことができませんでした。結果は不合格でした。
自身の弱い心に負けたと反省し、信心に一層励むとともに、経験を積もうと中学校で臨時講師として働くことにしました。"一日を何倍も価値あるものにしよう""できることは全てやろう"と決意。教科ごとの教育計画の策定や教材作成を手伝いました。その上で、夜遅くまで試験に向けて徹底的に勉強しました。
そして迎えた翌年の第3段階の試験の日。模擬授業は臨時講師として授業をしている時のように、面接は学会の先輩たちと談笑しているかのように、自然な姿で終えることができました。結果は合格。しかも全国で8番という好成績だったのです。家族で涙を流して喜びました。最難関の場所で最高の成績を収めることができた——これ以上の歓喜はありません。
教育の場では、子どもたちの可能性に光を当てられるよう努力しています。
何年か前、落ち着きがなく、よく授業の邪魔をするため、周囲から疎まれている生徒がいました。何とかしたいと祈りを重ねる中、彼が工作が得意であることを見つけ、文化祭の設営の中心者に抜てきすると大活躍。クラスの皆も喜び、本人も誇らしげでした。
彼からは今でも毎年、手紙が来ます。"黄先生が私の可能性を見つけてくれたから、今の私がいます"等の言葉に、教師になって本当に良かったと思います。
——今後の決意をお聞かせください。
女子部では訪問・激励に積極的に取り組んでいます。これは学会のメンバーだけでなく、友人も含めてです。女子部の同志と普段から訪問・激励のエピソードを共有しています。
この流れの中で、私も信心で自分の可能性をつかんだこと、師匠がいるから頑張れることを一対一の対話で、さらに多くの人に伝えていきたい。また"創価教育の理念を実践する模範の人に"との師への誓いを忘れず、教師として尊敬される人になっていきます。
2005年入会。台北市在住。2013年に教員免許を取得した。現在は台北市の中学校で英語を教えるとともに、クラスの担任も務める。台湾女子部長。
試練の宝友と連帯を
「わざわひも転じて
幸となるべし」
創価のレジリエンスで
「変毒為薬」の前進だ!
2019年10月14日
富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』
【通解】
賢人は安全な状態にあっても危険に備え、心の曲がった人は危険な状態にあっても、それに対処しようとせず安穏を願う
〈寸鉄〉 2019年10月14日
台風被害で対策本部中心に被災者の激励に総力。共々に負けじ魂燃やして
御書「祈りのかなはぬ事はあるべからず」。妙法に不可能なし!再起を必ず
真実を語る。これが学会発展の力—恩師。自他共の幸福開く誇りを堂々と
奉仕することが私の宗教—偉人。今できることを地道に。地域・社会のため
公明党議員が災害現場に急行。連帯力を生かして迅速に支援を。庶民守れ
☆ライオンハート 師子の誓い 第1回 台湾 黄家鈴さん
◇可能性を信じ 光を当てる
——教師を目指したきっかけは何でしたか。
志望する大学に合格できず、不本意な環境でスタートした学生生活が転機になりました。学生時代は高雄で1人暮らしを。台湾では、学生部員一人一人に"愛心ママ"と呼ばれる婦人部の担当者がつきます。
私の元に来て、いつも体調を気に掛け、時にはごはんをおすそわけしてくれる"愛心ママ"。彼女の「今は思うようにいかない人生だと思うかも知れないけれど、信心根本に頑張る中で、必ず将来の方向性が見えてくるわよ」との励ましを受けて、一時は離れていた学会活動に取り組むようになりました。
地域の同志からも勧められ、少しずつ池田先生の著作を読むように。皆の可能性を信じ、引き出そうとする創価教育の哲学に感動し、教師を目指すようになったのです。
——教師になるまでには、どのような苦労があったのですか。
台湾では、大学卒業後に教育実習を受け、さらに教員免許を取得するために合格率数%の最難関の試験に合格しなければなりません。教師を目指していた友人の多くも、次第に進路を変えるようになるほどでした。
試験は第1段階の筆記試験と第2、第3段階の模擬授業、面接です。初の試験で第3段階まで進めたのですが、その場の雰囲気に圧倒され"卒業したばかりだから受かるはずがない"とおじけづき、うまく話すことができませんでした。結果は不合格でした。
自身の弱い心に負けたと反省し、信心に一層励むとともに、経験を積もうと中学校で臨時講師として働くことにしました。"一日を何倍も価値あるものにしよう""できることは全てやろう"と決意。教科ごとの教育計画の策定や教材作成を手伝いました。その上で、夜遅くまで試験に向けて徹底的に勉強しました。
そして迎えた翌年の第3段階の試験の日。模擬授業は臨時講師として授業をしている時のように、面接は学会の先輩たちと談笑しているかのように、自然な姿で終えることができました。結果は合格。しかも全国で8番という好成績だったのです。家族で涙を流して喜びました。最難関の場所で最高の成績を収めることができた——これ以上の歓喜はありません。
教育の場では、子どもたちの可能性に光を当てられるよう努力しています。
何年か前、落ち着きがなく、よく授業の邪魔をするため、周囲から疎まれている生徒がいました。何とかしたいと祈りを重ねる中、彼が工作が得意であることを見つけ、文化祭の設営の中心者に抜てきすると大活躍。クラスの皆も喜び、本人も誇らしげでした。
彼からは今でも毎年、手紙が来ます。"黄先生が私の可能性を見つけてくれたから、今の私がいます"等の言葉に、教師になって本当に良かったと思います。
——今後の決意をお聞かせください。
女子部では訪問・激励に積極的に取り組んでいます。これは学会のメンバーだけでなく、友人も含めてです。女子部の同志と普段から訪問・激励のエピソードを共有しています。
この流れの中で、私も信心で自分の可能性をつかんだこと、師匠がいるから頑張れることを一対一の対話で、さらに多くの人に伝えていきたい。また"創価教育の理念を実践する模範の人に"との師への誓いを忘れず、教師として尊敬される人になっていきます。
2005年入会。台北市在住。2013年に教員免許を取得した。現在は台北市の中学校で英語を教えるとともに、クラスの担任も務める。台湾女子部長。
2019年10月13日日曜日
2019.10.13 わが友に贈る
健康・無事故こそ
一切の基盤だ。
いくら注意しても
しすぎることはない。
皆で賢明な声掛けを!
弥源太殿御返事 P1226
『日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり然るにかかる者の弟子檀那とならせ給う事不思議なり定めて子細候らん相構えて能能御信心候て霊山浄土へまいり給へ』
【通解】
日蓮は法華経の行者であるがゆえに、三類の強敵があって、種々の大難にあったのである。しかるに、このような者(法華経の行者である日蓮大聖人)の弟子檀那となられたことは不思議である。きっと深い意味があるのであろう。よくよく信心を強盛にして霊山浄土(仏国土)にまいってください。
〈寸鉄〉 2019年10月13日
大型台風が上陸。今後も河川増水や土砂災害などに警戒。皆様の無事祈る
青年が青年を呼べば広宣流布はできる—戸田先生勇気と知恵で新時代開け
「山梨の日」45周年。さあ燃える心で!富士の如き勝利の金字塔をここから
「文字変じて又仏の御意となる」御書。聖教の拡大に尽くす友に福徳は燦然
出生数の減少進む。故に全員を一騎当千に。「前進・人材の年」へ決意を益々
☆勇気の旗高く 池田先生と三重 2019年9月30日
◇信仰は「永遠の希望」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は三重県を掲載する。
◇師弟一体の闘争
本年は、三重にとって幾重にも広布の佳節を刻む意義深き年である。1959年(昭和34年)10月5日、池田先生は伊勢湾台風の甚大な被害に見舞われた四日市方面を訪れ、同志の激励に奔走。この「三重初訪問」から60周年を迎える。その10年後の69年(同44年)12月には、高熱を押して松阪・伊勢を訪問(本年で50年)。当時の様子が、随筆につづられている。
『万葉集』にも薫り高く歌われた美しき三重——。
しかし、戦後にあっては、あの伊勢湾台風の被災や四日市の公害など、三重の方々は厳しい試練も受けた。
そのなかで「立正安国」の法旗を掲げた同志も、悪口、中傷、村八分等の圧迫に耐え抜き、必死に広宣流布の道を切り開いてきたのである。
"友よ、負けるな、断じて負けるな!"
一九六九年(昭和四十四年)の暮れ、私はそう念じながら、三重の皆様のもとへ駆けた。
三日前に大阪入りした時は四〇度の高熱であり、まだ発熱は続き、体調は最悪であった。だが、私は、奈良に続いて、三重の松阪、伊勢へと苦しい体を走らせた。
弟子が懸命に戦い、待っているのだ。どうして行かずにいられようか。
あの日、私と三重の同志は「開目抄」を拝した。
「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし……」(御書234ページ)
いかなる苦難があろうが、疑いを起こして、「広宣流布に戦う心」を失っては絶対にならない! 「我並びに我が弟子」と仰せのごとく、師弟一体で戦い抜くのだ!
ここ三重の地に、わが魂魄を留めんと、時々刻々、命の限り戦った歴史は、絶対に忘れることはできない。
10・6「三重の日」が制定されたのは74年(同49年)。本年で45周年を迎える。制定から2年後、中部第一総合研修所(現・三重研修道場)で行われた記念勤行会では、池田先生を囲んで「人間革命の歌」を高らかに歌った。席上、先生は恩師・戸田先生の言葉「御本尊に対して、つねに感謝の気持ちがある人は、ますます福運が開かれていくものだ」を通して指導した。
ここでいう"感謝の心"とは御本尊を受持し、その功徳の源泉に縁することへの感謝であり、大勢の同志に守られ、指導、激励を受け、御書を学び得たことに対する感謝という意味です。
この強い感謝の一念は、自分自身の境涯を大きく開き、功徳の薫風を生命の宮殿に吹き込ませる福運開花の本因につながるのであります。
日々の仏道修行に心から感謝している人は、やはり諸法実相の道理で、なんともいえない福々しさがある。皆さん方も、そういう人生を築き、悠々自適の生涯を送られんことを心から願望してやみません。
◇「信念の人」は若い
池田先生は92年(平成4年)12月15日、三重・津市にある中部池田記念墓地公園を訪問。6日間の激励行は、今も多くの同志の胸に刻まれている。同19日には、第9回中部総会が開かれ、先生は「創価」とは「無限の希望」であるとスピーチした。
「ホープ」——人生の「希望」は無限である。
私は、いつもいつも御本尊に祈り、念じてきた。何があろうとも、わが創価学会員に「無限の希望」を与えたまえ、と。
その通り、学会には、年ごとに、いよいよ壮大なる希望の道が広がっている。
「信心」は「無限の希望」である。そして、「創価」とは「無限の希望」である。
向上の人生、努力の人生、信念の人生には、希望が湧く。
何があっても、永遠に「希望を生み」「夢を実現」しながら生き抜いていく。それが仏法者の人生である。
アメリカの詩人、サムエル・ウルマンについては前にも紹介したが、彼の詩をふまえているとされる、次のような言葉がある。
人は信念と共に若く
疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く
恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く
失望と共に老い朽ちる。(松永安左エ門訳)
素晴らしい、有名な言葉である。
人を「若く」するもの。それは「信念」である。
確固として「信ずる」「念ずる」——その一念が生命の力を強める。
正しきものを信じ、正しき方向へと念ずるゆえに、正しき、幸福への信念となる。「正法」を実践する私どもこそ、最高の「信念の人」なのである。ゆえに若い。ゆえに、はつらつとしている。
「人は自信と共に若く」——と。
どんな課題、どんな試練であれ、「さあ、来い!」という「自信」である。「わが地域は、必ず大勝利してみせる」という気概である。そこから前へ、前へと進む不屈の力が湧き出ずる。
実力が伴わない自信もあるが(爆笑)、要は、何でも率先してやろうという一念が大きく人生の道を開いていく。
ともあれ、「信念」に燃え、「自信」と「希望」がある限り、人は若々しく、生き生きとしている。その人こそ、真に生きた人、勝利を得た人、生命の勲章を得た人である。
ここに、人生の究極もある。信心の究極もある。仏法の究極もある。
私どもの正しき信仰は、希望と確信の人生を生きる「根源の力」である。この「力」を知るゆえに、わが創価学会は、何ものも恐れない。「永遠の希望」に生きることができる。
◇勇壮なる飛翔を
10月が来ると、三重の同志の心はいや増して燃える。青年部は現在、10・7「三重青年部 師弟誓願の日」へ、記念月間を躍進。あす1日からは、各部一体で10・6「三重の日」を祝賀する記念月間がスタートする(10月31日まで)。先生は、愛する三重の友に呼び掛けた。
三重県の形は、「翼を広げた鷲」の姿に似ているといわれる。
四日市・桑名方面が一つの翼、熊野・尾鷲方面がもう一つの翼であり、伊勢・鳥羽方面が頭部にあたる。そして、津・松阪などの中央部が胴体であろうか。
それぞれの地域が一体となって、栄光・大勝の空へ羽ばたく三重の皆様の英姿と重なって見える。
戦おう、三重の同志よ!
空飛ぶ者の王・鷲のごとく、大空に向かって勇壮なる飛翔を共々にしてゆこうではないか!
最も大切な庶民の真っ只中に飛び込み、偉大にして崇高な「人間革命」の波動を起こしゆこうではないか!
民衆が民衆のための勝利の凱旋曲を、我らの万葉の天地に心ゆくまで響かせてゆこうではないか!
◎皆さん、台風被害は大丈夫ですか?
TVによると河川の氾濫が凄い状況です。被災された方の一刻も早い生活の回復をお祈りいたします。
一切の基盤だ。
いくら注意しても
しすぎることはない。
皆で賢明な声掛けを!
弥源太殿御返事 P1226
『日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり然るにかかる者の弟子檀那とならせ給う事不思議なり定めて子細候らん相構えて能能御信心候て霊山浄土へまいり給へ』
【通解】
日蓮は法華経の行者であるがゆえに、三類の強敵があって、種々の大難にあったのである。しかるに、このような者(法華経の行者である日蓮大聖人)の弟子檀那となられたことは不思議である。きっと深い意味があるのであろう。よくよく信心を強盛にして霊山浄土(仏国土)にまいってください。
〈寸鉄〉 2019年10月13日
大型台風が上陸。今後も河川増水や土砂災害などに警戒。皆様の無事祈る
青年が青年を呼べば広宣流布はできる—戸田先生勇気と知恵で新時代開け
「山梨の日」45周年。さあ燃える心で!富士の如き勝利の金字塔をここから
「文字変じて又仏の御意となる」御書。聖教の拡大に尽くす友に福徳は燦然
出生数の減少進む。故に全員を一騎当千に。「前進・人材の年」へ決意を益々
☆勇気の旗高く 池田先生と三重 2019年9月30日
◇信仰は「永遠の希望」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は三重県を掲載する。
◇師弟一体の闘争
本年は、三重にとって幾重にも広布の佳節を刻む意義深き年である。1959年(昭和34年)10月5日、池田先生は伊勢湾台風の甚大な被害に見舞われた四日市方面を訪れ、同志の激励に奔走。この「三重初訪問」から60周年を迎える。その10年後の69年(同44年)12月には、高熱を押して松阪・伊勢を訪問(本年で50年)。当時の様子が、随筆につづられている。
『万葉集』にも薫り高く歌われた美しき三重——。
しかし、戦後にあっては、あの伊勢湾台風の被災や四日市の公害など、三重の方々は厳しい試練も受けた。
そのなかで「立正安国」の法旗を掲げた同志も、悪口、中傷、村八分等の圧迫に耐え抜き、必死に広宣流布の道を切り開いてきたのである。
"友よ、負けるな、断じて負けるな!"
一九六九年(昭和四十四年)の暮れ、私はそう念じながら、三重の皆様のもとへ駆けた。
三日前に大阪入りした時は四〇度の高熱であり、まだ発熱は続き、体調は最悪であった。だが、私は、奈良に続いて、三重の松阪、伊勢へと苦しい体を走らせた。
弟子が懸命に戦い、待っているのだ。どうして行かずにいられようか。
あの日、私と三重の同志は「開目抄」を拝した。
「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし……」(御書234ページ)
いかなる苦難があろうが、疑いを起こして、「広宣流布に戦う心」を失っては絶対にならない! 「我並びに我が弟子」と仰せのごとく、師弟一体で戦い抜くのだ!
ここ三重の地に、わが魂魄を留めんと、時々刻々、命の限り戦った歴史は、絶対に忘れることはできない。
10・6「三重の日」が制定されたのは74年(同49年)。本年で45周年を迎える。制定から2年後、中部第一総合研修所(現・三重研修道場)で行われた記念勤行会では、池田先生を囲んで「人間革命の歌」を高らかに歌った。席上、先生は恩師・戸田先生の言葉「御本尊に対して、つねに感謝の気持ちがある人は、ますます福運が開かれていくものだ」を通して指導した。
ここでいう"感謝の心"とは御本尊を受持し、その功徳の源泉に縁することへの感謝であり、大勢の同志に守られ、指導、激励を受け、御書を学び得たことに対する感謝という意味です。
この強い感謝の一念は、自分自身の境涯を大きく開き、功徳の薫風を生命の宮殿に吹き込ませる福運開花の本因につながるのであります。
日々の仏道修行に心から感謝している人は、やはり諸法実相の道理で、なんともいえない福々しさがある。皆さん方も、そういう人生を築き、悠々自適の生涯を送られんことを心から願望してやみません。
◇「信念の人」は若い
池田先生は92年(平成4年)12月15日、三重・津市にある中部池田記念墓地公園を訪問。6日間の激励行は、今も多くの同志の胸に刻まれている。同19日には、第9回中部総会が開かれ、先生は「創価」とは「無限の希望」であるとスピーチした。
「ホープ」——人生の「希望」は無限である。
私は、いつもいつも御本尊に祈り、念じてきた。何があろうとも、わが創価学会員に「無限の希望」を与えたまえ、と。
その通り、学会には、年ごとに、いよいよ壮大なる希望の道が広がっている。
「信心」は「無限の希望」である。そして、「創価」とは「無限の希望」である。
向上の人生、努力の人生、信念の人生には、希望が湧く。
何があっても、永遠に「希望を生み」「夢を実現」しながら生き抜いていく。それが仏法者の人生である。
アメリカの詩人、サムエル・ウルマンについては前にも紹介したが、彼の詩をふまえているとされる、次のような言葉がある。
人は信念と共に若く
疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く
恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く
失望と共に老い朽ちる。(松永安左エ門訳)
素晴らしい、有名な言葉である。
人を「若く」するもの。それは「信念」である。
確固として「信ずる」「念ずる」——その一念が生命の力を強める。
正しきものを信じ、正しき方向へと念ずるゆえに、正しき、幸福への信念となる。「正法」を実践する私どもこそ、最高の「信念の人」なのである。ゆえに若い。ゆえに、はつらつとしている。
「人は自信と共に若く」——と。
どんな課題、どんな試練であれ、「さあ、来い!」という「自信」である。「わが地域は、必ず大勝利してみせる」という気概である。そこから前へ、前へと進む不屈の力が湧き出ずる。
実力が伴わない自信もあるが(爆笑)、要は、何でも率先してやろうという一念が大きく人生の道を開いていく。
ともあれ、「信念」に燃え、「自信」と「希望」がある限り、人は若々しく、生き生きとしている。その人こそ、真に生きた人、勝利を得た人、生命の勲章を得た人である。
ここに、人生の究極もある。信心の究極もある。仏法の究極もある。
私どもの正しき信仰は、希望と確信の人生を生きる「根源の力」である。この「力」を知るゆえに、わが創価学会は、何ものも恐れない。「永遠の希望」に生きることができる。
◇勇壮なる飛翔を
10月が来ると、三重の同志の心はいや増して燃える。青年部は現在、10・7「三重青年部 師弟誓願の日」へ、記念月間を躍進。あす1日からは、各部一体で10・6「三重の日」を祝賀する記念月間がスタートする(10月31日まで)。先生は、愛する三重の友に呼び掛けた。
三重県の形は、「翼を広げた鷲」の姿に似ているといわれる。
四日市・桑名方面が一つの翼、熊野・尾鷲方面がもう一つの翼であり、伊勢・鳥羽方面が頭部にあたる。そして、津・松阪などの中央部が胴体であろうか。
それぞれの地域が一体となって、栄光・大勝の空へ羽ばたく三重の皆様の英姿と重なって見える。
戦おう、三重の同志よ!
空飛ぶ者の王・鷲のごとく、大空に向かって勇壮なる飛翔を共々にしてゆこうではないか!
最も大切な庶民の真っ只中に飛び込み、偉大にして崇高な「人間革命」の波動を起こしゆこうではないか!
民衆が民衆のための勝利の凱旋曲を、我らの万葉の天地に心ゆくまで響かせてゆこうではないか!
◎皆さん、台風被害は大丈夫ですか?
TVによると河川の氾濫が凄い状況です。被災された方の一刻も早い生活の回復をお祈りいたします。
2019年10月12日土曜日
2019.10.12 わが友に贈る
非常に強い台風に警戒!
常に最新の情報を把握し
河川増水や土砂災害への
用心を断じて怠るな!
全てに早めの対応を!
御義口伝巻上 P726
『又日蓮も声も惜まず法華を捨つ可からずと云うべきものを霊山にて悔ること之れ有る可きか』
【通解】
また、大聖人としては、声もおしまず、大御本尊を持つべきことを教えているのに、日本国の一切衆生がなかなか耳を傾けないで、勝手に無間地獄に堕ちてしまったことを、霊山で(仏様としてのご境涯から)悔いることがあるであろう。
〈寸鉄〉 2019年10月12日
SGIの多角的運動は幅広い意味での教育—総長最高の人間学を学ぶ誇り
東京・台東の「女性の日」。婦女一体の麗しき連帯。弾む心で幸と友情を拡大
「仏をば能忍と名けたてまつる」御聖訓。不撓不屈が学会魂。師子王の如く
はしか再び増加傾向と。妊婦、ワクチン未接種の人は注意。嗽・手洗い励行
壁を乗り越えればどんどん成長できる—化学賞受賞者。我らも使命の道で
☆心に御書を 第3回 広宣流布の大願に生き抜け!
『日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年後五百歳に当って妙法蓮華経広宣流布の時刻なり是れ時を知れるなり』(教機時国抄、440ページ)
◇通解
日本国の今の世は、如来の滅後二千二百十余年、後の五百歳に当たっており、妙法蓮華経の広宣流布する時刻である。これを「時を知る」というのである。
◇池田先生が贈る指針
御本仏の広宣流布の大願を達成するために、創価の師弟は出現した。
一人一人が、今この時を選んで躍り出た地涌の菩薩である。この宿縁と使命を自覚すれば、仏に等しい力を出せないわけがない。大法弘通の道を開けないわけがない。
今こそ「世界広布の時刻なり」と祈りを深め、新たな地涌の友を呼び出そうではないか!
☆10月度座談会拝読御書 可延定業書
◇広布に生きる 一日は尊い!
拝読御文
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり』御書全集 986ページ1行目
◇キーワード� 生き抜く力を発揮
生きて生きて生き抜け!——日蓮大聖人は、病気の重い症状によって、生きる気力まで奪われていたであろう富木尼御前に、渾身の励ましを送られました。
大聖人は生命の価値を、「命と申す物は一身第一の珍宝」「命は三千にもすぎて候」と仰せです。
命は、いくら宝を積んでも手に入れることができません。生命は、限りなく尊いのです。
ゆえに、命を一日でも延ばすことには、計り知れない価値があるのです。いわんや、仏法の道理に照らし、命を法華経にささげることが、無量無辺の功徳となっていくことは間違いありません。
限りある命だからこそ、一日でも長く、一遍でも多く、自行化他にわたって妙法を唱えることで、我が生命を最高に輝かせていくことができるのです。
本抄で大聖人は、法華経を実践した者は命を延ばすことができることを示し、御自身の母が病を治して寿命を延ばすことができたとつづられています。
生命には、「生き抜く力」が具わっています。それを奪うのが、魔の働きです。だからこそ、尼御前の心に巣くう魔を打ち破り、生命力を発揮できるよう、励ましを送ったのです。
私たちも、魔を魔と見破り、勇敢に苦難に立ち向かう信心で宿命を転換し、永遠に幸福の軌道を歩むことができるのです。
◇キーワード� 永遠の生命を覚知
日蓮大聖人は、尼御前の生きる意志を呼び覚まそうとされていますが、その究極の願いは「永遠の生命」を覚知させることです。
今回の拝読御文の直後に、「釈尊の教えの中で最も法華経が尊いのは、仏の生命の永遠を説いた寿量品があるからです」(御書986ページ、趣意)と記されています。
池田先生は「この一生を勝利しきって、その姿でもって『永遠の生命』を証明するのです。それが法華経です」「永遠にして宇宙大の『大いなる生命』の実在を明かしたのが寿量品です。その『大いなる生命』を、現実に我が身のうえに顕していくのが寿量品の実践です」(『法華経の智慧』普及版)と語っています。
大聖人は、だれもが「永遠の生命」を覚知できるよう、宇宙を貫く根源の一法である「南無妙法蓮華経」を明かされました。
私たちは、強盛な信心に励む一瞬、一瞬の生命に、仏の無限の生命力、智慧、大慈悲を涌現させていくことができます。その姿で実証を輝かせていけるのです。また、自らが「永遠の生命」を覚ることは、同じように他者の生命の尊厳に目覚めることでもあります。
「御義口伝」に「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く」(御書788ページ)とあります。自他共の仏性を薫発する広宣流布に邁進していることは、大歓喜の「永遠の生命」を生き抜いていることにほかならないのです。
★池田先生の指針から/幸福境涯を築く一生
大聖人は「命と申す物は一身第一の珍宝なり」と仰せです。本抄(=「可延定業書」)の最後の方にも「命は三千にもすぎて候」とあります。
ここで大聖人が生命の尊さを強調されているのは、「一日でも長く、生き抜いていきなさい」と、尼御前の"生きる意志"を呼び起こされるためと拝することができます。
生命はそれ自体、限りなく尊い。一日でも生きるならば、その一日というのは、譬えて言えば「千万両の金」「三千界の財」以上に、尊い価値を持つ。一日生きれば無量の価値がある。だからこそ、一日でも長く生き抜きなさいと励まされています。
◇
如来寿量とは、「如来の寿命を量る」という意味です。一切経の中で寿量品だけが釈尊の永遠の寿命を説き明かしています。
しかし、私たちを離れて釈尊一人だけが「永遠の生命」に生きていると説いているのではありません。
寿量品で説く「永遠の生命」は、私たちの生命でもあるのです。「永遠の生命」「大いなる生命」を、私たちは皆、現実の我が身のうえに現すことができる。そのことを、久遠の如来である釈尊の姿で示したのが寿量品です。そして、万人が事実として、永遠にして尊極なる生命を我が身に実現していけるように、大聖人は南無妙法蓮華経を顕してくださったのです。
私たちの今世は、仏法で説く永遠の生命を覚知するための一生です。
そして、永遠の生命に生き抜き、自他ともの永遠の幸福境涯を築き上げていくための一生です。
◇
本抄には「手の指をもって供養する」との趣旨の経文を挙げられていますが、末法の仏道修行にあっては、唱題する音声、妙法を弘通する真剣で誠実な「声」と「行動」こそが、妙法に対する最大の"身の供養"となります。
ゆえに大聖人は「一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらをしの命や・をしの命や」と仰せなのです。
題目を唱え、広宣流布に邁進する「一日」が、どれほど尊いか。師と心をあわせ、創価学会とともに、妙法の永遠の楽土を築きゆく「一日」が、どれほど素晴らしいか。
病との戦いは、その栄えある真実を如実に見つめる機縁ともなる。「病によりて道心はをこり候なり」(御書1480ページ)です。信心している人が病気になるのは必ず深い意味がある。永遠の生命を悟る一つの回路であるともいえる。
戸田先生も、よく「大病を克服した人は深い人生の味を知っている」と言われた。また、そう決めきって、戦った人が「健康長寿の信心」の勝利者です。
(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◎皆さん、今日から明日にかけて最大級の備えを(^^♪
常に最新の情報を把握し
河川増水や土砂災害への
用心を断じて怠るな!
全てに早めの対応を!
御義口伝巻上 P726
『又日蓮も声も惜まず法華を捨つ可からずと云うべきものを霊山にて悔ること之れ有る可きか』
【通解】
また、大聖人としては、声もおしまず、大御本尊を持つべきことを教えているのに、日本国の一切衆生がなかなか耳を傾けないで、勝手に無間地獄に堕ちてしまったことを、霊山で(仏様としてのご境涯から)悔いることがあるであろう。
〈寸鉄〉 2019年10月12日
SGIの多角的運動は幅広い意味での教育—総長最高の人間学を学ぶ誇り
東京・台東の「女性の日」。婦女一体の麗しき連帯。弾む心で幸と友情を拡大
「仏をば能忍と名けたてまつる」御聖訓。不撓不屈が学会魂。師子王の如く
はしか再び増加傾向と。妊婦、ワクチン未接種の人は注意。嗽・手洗い励行
壁を乗り越えればどんどん成長できる—化学賞受賞者。我らも使命の道で
☆心に御書を 第3回 広宣流布の大願に生き抜け!
『日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年後五百歳に当って妙法蓮華経広宣流布の時刻なり是れ時を知れるなり』(教機時国抄、440ページ)
◇通解
日本国の今の世は、如来の滅後二千二百十余年、後の五百歳に当たっており、妙法蓮華経の広宣流布する時刻である。これを「時を知る」というのである。
◇池田先生が贈る指針
御本仏の広宣流布の大願を達成するために、創価の師弟は出現した。
一人一人が、今この時を選んで躍り出た地涌の菩薩である。この宿縁と使命を自覚すれば、仏に等しい力を出せないわけがない。大法弘通の道を開けないわけがない。
今こそ「世界広布の時刻なり」と祈りを深め、新たな地涌の友を呼び出そうではないか!
☆10月度座談会拝読御書 可延定業書
◇広布に生きる 一日は尊い!
拝読御文
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり』御書全集 986ページ1行目
◇キーワード� 生き抜く力を発揮
生きて生きて生き抜け!——日蓮大聖人は、病気の重い症状によって、生きる気力まで奪われていたであろう富木尼御前に、渾身の励ましを送られました。
大聖人は生命の価値を、「命と申す物は一身第一の珍宝」「命は三千にもすぎて候」と仰せです。
命は、いくら宝を積んでも手に入れることができません。生命は、限りなく尊いのです。
ゆえに、命を一日でも延ばすことには、計り知れない価値があるのです。いわんや、仏法の道理に照らし、命を法華経にささげることが、無量無辺の功徳となっていくことは間違いありません。
限りある命だからこそ、一日でも長く、一遍でも多く、自行化他にわたって妙法を唱えることで、我が生命を最高に輝かせていくことができるのです。
本抄で大聖人は、法華経を実践した者は命を延ばすことができることを示し、御自身の母が病を治して寿命を延ばすことができたとつづられています。
生命には、「生き抜く力」が具わっています。それを奪うのが、魔の働きです。だからこそ、尼御前の心に巣くう魔を打ち破り、生命力を発揮できるよう、励ましを送ったのです。
私たちも、魔を魔と見破り、勇敢に苦難に立ち向かう信心で宿命を転換し、永遠に幸福の軌道を歩むことができるのです。
◇キーワード� 永遠の生命を覚知
日蓮大聖人は、尼御前の生きる意志を呼び覚まそうとされていますが、その究極の願いは「永遠の生命」を覚知させることです。
今回の拝読御文の直後に、「釈尊の教えの中で最も法華経が尊いのは、仏の生命の永遠を説いた寿量品があるからです」(御書986ページ、趣意)と記されています。
池田先生は「この一生を勝利しきって、その姿でもって『永遠の生命』を証明するのです。それが法華経です」「永遠にして宇宙大の『大いなる生命』の実在を明かしたのが寿量品です。その『大いなる生命』を、現実に我が身のうえに顕していくのが寿量品の実践です」(『法華経の智慧』普及版)と語っています。
大聖人は、だれもが「永遠の生命」を覚知できるよう、宇宙を貫く根源の一法である「南無妙法蓮華経」を明かされました。
私たちは、強盛な信心に励む一瞬、一瞬の生命に、仏の無限の生命力、智慧、大慈悲を涌現させていくことができます。その姿で実証を輝かせていけるのです。また、自らが「永遠の生命」を覚ることは、同じように他者の生命の尊厳に目覚めることでもあります。
「御義口伝」に「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く」(御書788ページ)とあります。自他共の仏性を薫発する広宣流布に邁進していることは、大歓喜の「永遠の生命」を生き抜いていることにほかならないのです。
★池田先生の指針から/幸福境涯を築く一生
大聖人は「命と申す物は一身第一の珍宝なり」と仰せです。本抄(=「可延定業書」)の最後の方にも「命は三千にもすぎて候」とあります。
ここで大聖人が生命の尊さを強調されているのは、「一日でも長く、生き抜いていきなさい」と、尼御前の"生きる意志"を呼び起こされるためと拝することができます。
生命はそれ自体、限りなく尊い。一日でも生きるならば、その一日というのは、譬えて言えば「千万両の金」「三千界の財」以上に、尊い価値を持つ。一日生きれば無量の価値がある。だからこそ、一日でも長く生き抜きなさいと励まされています。
◇
如来寿量とは、「如来の寿命を量る」という意味です。一切経の中で寿量品だけが釈尊の永遠の寿命を説き明かしています。
しかし、私たちを離れて釈尊一人だけが「永遠の生命」に生きていると説いているのではありません。
寿量品で説く「永遠の生命」は、私たちの生命でもあるのです。「永遠の生命」「大いなる生命」を、私たちは皆、現実の我が身のうえに現すことができる。そのことを、久遠の如来である釈尊の姿で示したのが寿量品です。そして、万人が事実として、永遠にして尊極なる生命を我が身に実現していけるように、大聖人は南無妙法蓮華経を顕してくださったのです。
私たちの今世は、仏法で説く永遠の生命を覚知するための一生です。
そして、永遠の生命に生き抜き、自他ともの永遠の幸福境涯を築き上げていくための一生です。
◇
本抄には「手の指をもって供養する」との趣旨の経文を挙げられていますが、末法の仏道修行にあっては、唱題する音声、妙法を弘通する真剣で誠実な「声」と「行動」こそが、妙法に対する最大の"身の供養"となります。
ゆえに大聖人は「一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらをしの命や・をしの命や」と仰せなのです。
題目を唱え、広宣流布に邁進する「一日」が、どれほど尊いか。師と心をあわせ、創価学会とともに、妙法の永遠の楽土を築きゆく「一日」が、どれほど素晴らしいか。
病との戦いは、その栄えある真実を如実に見つめる機縁ともなる。「病によりて道心はをこり候なり」(御書1480ページ)です。信心している人が病気になるのは必ず深い意味がある。永遠の生命を悟る一つの回路であるともいえる。
戸田先生も、よく「大病を克服した人は深い人生の味を知っている」と言われた。また、そう決めきって、戦った人が「健康長寿の信心」の勝利者です。
(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◎皆さん、今日から明日にかけて最大級の備えを(^^♪
2019年10月11日金曜日
2019.10.11 わが友に贈る
友が何に困っているか。
どうすれば喜ぶか。
想像力を働かせる中に
信仰の輝きもある。
心豊かな誠実の人たれ!
顕立正意抄 P537
『設い木石為りと雖も設い禽獣為りと雖も感ず可く驚く可きに偏えに只事に非ず天魔の国に入つて酔えるが如く狂えるが如く歎く可し哀む可し恐る可し厭う可し』
【通解】
たとえ木石であっても、たとえ禽獣であっても、感じ驚くであろ。それを無視していることは実に只事ではない。
天魔が国に入って、酔ったようになり、狂ったようになっているのである。驚くべきであり、哀れむべきであり、恐るべきであり、厭うべきである。
〈寸鉄〉 2019年10月11日
台風19号近づく。事前の備えを綿密に。無冠の友も絶対無理せず安全優先
中継行事の役員の皆様に感謝。広布前進を支える気高き陰徳に陽報は厳然
「一流は皆、迅速だ」恩師同志への激励は電光石火で。誠実は速度に表れる
「知識は幸福にあらず」詩人。青年よ溢れる情報を生かす確かな哲理学べ
公明が今秋で連立20年。生活者目線の政治を実現小さな声聴く力更に磨け
☆創価栄光の集いへの池田先生のメッセージ 2019年10月5日
◇新たな価値創造の挑戦へ
一、若き創価の世界市民の英知と連帯が輝く創大祭、白鳥祭、誠におめでとう! 誉れの留学生たちの躍動するスクラムも、何よりうれしい。陰で人知れず、無事故・大成功の運営に尽くしてくれている尊き役員の皆さん方も、本当にありがとう!
一、私が青春時代から心の親友と敬愛してきた民衆詩人ホイットマンは語りました。「この地球上の全ての国々、そこに住む人々は、身も心も多様に見えるけれども、同じ家族の一員だ」と。
世界各国の英邁な知性の先生方、また、日本の各界を代表される柱の先生方が見守ってくださっている本日の集いは、まさしく多彩な「地球家族」「地球民族」の友情の虹かかる広場といえましょう。
講堂前に蝶と戯れるホイットマン像も微笑み、わが創大生、わが短大生、そして、わが留学生を祝福してくれているに違いないと思うけれども、みんな、どうだろうか!(大拍手)
今回、皆さんは、創大祭のテーマに「今! 人間主義の大連帯を」、白鳥祭のテーマに「勇気の光彩 幸の未来へ」と掲げました。建学の精神を真摯に体現し、母校愛を漲らせながらの青春の前進に、私は心から敬意を表します。
このテーマを踏まえつつ、私は、「人類の新たな価値創造の大道を朗らかに!」と申し上げたい。
ホイットマン生誕200周年の佳節である本年、研究の第一人者であられるケネス・プライス博士をお迎えできたことは、この上ない光栄であります。誠に誠に、ありがとうございます(大拍手)。プライス博士の忘れ得ぬ洞察の一つに、ホイットマンは「恵まれない境遇に育ちながら、一個の人間が世界のために、いかに大きな力を発揮できるか」を証明したとありました。
これこそ、私がお仕えした恩師・戸田城聖先生の「人間革命」の哲学とも響き合う、ホイットマンからの希望のメッセージなのであります。
ホイットマンは高らかに詠いました。
「見えるあたり、光の世界は、わたしの目にもたしかに壮大——空も星も壮大だし、/大地も壮大、永続する時間と空間も壮大」「しかしもっと遥かに壮大なものは目に映らぬわたしの魂で、これらのものをことごとく わが内に収め、新たな価値を賦与してくれる」(酒本雅之訳『草の葉』岩波書店)と。
何ものにもまして壮大な広がりを持った、この人間生命の限りなき可能性、なかんずく「価値創造」の力に、人類は今再び、目を向けるべき時が来ているのではないでしょうか。
それは、ITをはじめ目覚ましく進歩する科学技術も、急速なグローバル化に伴う世界情勢の変化も、的確に鋭く認識しながら、一つ一つを、民衆の幸福のため、そして地球全体の平和と共生のために生かし、リードしていく智慧であり、勇気であり、慈悲であります。
世界市民の要件ともいうべき、この智慧と勇気と慈悲を、一人一人の内奥から引き出し、錬磨し、結集していく推進力こそ、人間教育の真髄でありましょう。
◇精神を耕す対話
一、光栄にも、今日(4日)は、「創価教育」を深く探究してくださっているアメリカのデポール大学、スペインのアルカラ大学、カナダのオタワ大学の先生方をお迎えしております。
創価教育の父であり、平和の信念に殉じた牧口常三郎先生も、どれほどお喜びであるか。私たちは感謝と連帯の大拍手をお送りしたいのであります(大拍手)。
もちろん、人生にも社会にも、課題・難題は山積しております。
しかし、創立500年を超す伝統を誇るアルカラ大学ゆかりの大文豪セルバンテスが語った信条を、私たちも強く分かち合いたいと思うのであります。
すなわち「うろたえていて幸せをつかめるものか。運命はおのが手で切り開くべきものであろう」(荻内勝之訳『ペルシーレス』筑摩書房)と。
前人未踏の大道を進みゆく私たちの開拓の旅には、かけがえのない道づれがあります。それは「対話」であります。
セルバンテスの名作『ドン・キホーテ』は、主人公と、その友サンチョ・パンサの冒険の旅であるとともに、二人の生き生きとした対話の旅でもありました。あたかも大地を耕すように、対話は精神を耕して賢明にし、豊かな収穫をもたらすことを示しているのであります。
「平和のフォートレス」の創立者として、私は世界に対話の道を開いてきました。あらゆる差異を超えて、人間への「信頼」と「学び」という対話の大道を、さらに大きく、さらに広々と、さらに縦横に開いてくれることを、私は、愛する創価同窓の友に託します。
◇全ての経験に"学び"がある
一、本日は、アフリカの名門ケニアのナイロビ大学からも、先生方がお越しくださっております。
母校のナイロビ大学で教壇に立たれ、わが創大の名誉博士でもあられる、偉大な「環境の母」ワンガリ・マータイ博士は自身の信念を語られました。
すなわち、「すべての経験に学びがあり、どんな状況にも希望の光はある」「何かを成し遂げたことのある人は誰でも、何度も打ちのめされた経験をもっている。だが皆、起き上がって進み続けるのであり、それこそ私がいつも心がけていたことだった」(小池百合子訳『UNBOWED へこたれない ワンガリ・マータイ自伝』小学館)と。この言葉を、皆さんに贈りたい。
そして今日からまた、たくましく朗らかに、最良の世界市民と学び合い、切磋琢磨しながら、日々、新たな価値創造に挑戦していただきたいのであります。
かけがえのない青春の一日また一日、皆さんが勇気ある探究と友情の光彩で、人間主義の大連帯を築き広げ、人類の幸の未来を創り開くことを、私は最大の楽しみとして祈り、応援してまいります。
みんな、健康で、無事故で、充実の秋を勝ち飾ってください。親孝行もよろしくお願いします(大拍手)。
どうすれば喜ぶか。
想像力を働かせる中に
信仰の輝きもある。
心豊かな誠実の人たれ!
顕立正意抄 P537
『設い木石為りと雖も設い禽獣為りと雖も感ず可く驚く可きに偏えに只事に非ず天魔の国に入つて酔えるが如く狂えるが如く歎く可し哀む可し恐る可し厭う可し』
【通解】
たとえ木石であっても、たとえ禽獣であっても、感じ驚くであろ。それを無視していることは実に只事ではない。
天魔が国に入って、酔ったようになり、狂ったようになっているのである。驚くべきであり、哀れむべきであり、恐るべきであり、厭うべきである。
〈寸鉄〉 2019年10月11日
台風19号近づく。事前の備えを綿密に。無冠の友も絶対無理せず安全優先
中継行事の役員の皆様に感謝。広布前進を支える気高き陰徳に陽報は厳然
「一流は皆、迅速だ」恩師同志への激励は電光石火で。誠実は速度に表れる
「知識は幸福にあらず」詩人。青年よ溢れる情報を生かす確かな哲理学べ
公明が今秋で連立20年。生活者目線の政治を実現小さな声聴く力更に磨け
☆創価栄光の集いへの池田先生のメッセージ 2019年10月5日
◇新たな価値創造の挑戦へ
一、若き創価の世界市民の英知と連帯が輝く創大祭、白鳥祭、誠におめでとう! 誉れの留学生たちの躍動するスクラムも、何よりうれしい。陰で人知れず、無事故・大成功の運営に尽くしてくれている尊き役員の皆さん方も、本当にありがとう!
一、私が青春時代から心の親友と敬愛してきた民衆詩人ホイットマンは語りました。「この地球上の全ての国々、そこに住む人々は、身も心も多様に見えるけれども、同じ家族の一員だ」と。
世界各国の英邁な知性の先生方、また、日本の各界を代表される柱の先生方が見守ってくださっている本日の集いは、まさしく多彩な「地球家族」「地球民族」の友情の虹かかる広場といえましょう。
講堂前に蝶と戯れるホイットマン像も微笑み、わが創大生、わが短大生、そして、わが留学生を祝福してくれているに違いないと思うけれども、みんな、どうだろうか!(大拍手)
今回、皆さんは、創大祭のテーマに「今! 人間主義の大連帯を」、白鳥祭のテーマに「勇気の光彩 幸の未来へ」と掲げました。建学の精神を真摯に体現し、母校愛を漲らせながらの青春の前進に、私は心から敬意を表します。
このテーマを踏まえつつ、私は、「人類の新たな価値創造の大道を朗らかに!」と申し上げたい。
ホイットマン生誕200周年の佳節である本年、研究の第一人者であられるケネス・プライス博士をお迎えできたことは、この上ない光栄であります。誠に誠に、ありがとうございます(大拍手)。プライス博士の忘れ得ぬ洞察の一つに、ホイットマンは「恵まれない境遇に育ちながら、一個の人間が世界のために、いかに大きな力を発揮できるか」を証明したとありました。
これこそ、私がお仕えした恩師・戸田城聖先生の「人間革命」の哲学とも響き合う、ホイットマンからの希望のメッセージなのであります。
ホイットマンは高らかに詠いました。
「見えるあたり、光の世界は、わたしの目にもたしかに壮大——空も星も壮大だし、/大地も壮大、永続する時間と空間も壮大」「しかしもっと遥かに壮大なものは目に映らぬわたしの魂で、これらのものをことごとく わが内に収め、新たな価値を賦与してくれる」(酒本雅之訳『草の葉』岩波書店)と。
何ものにもまして壮大な広がりを持った、この人間生命の限りなき可能性、なかんずく「価値創造」の力に、人類は今再び、目を向けるべき時が来ているのではないでしょうか。
それは、ITをはじめ目覚ましく進歩する科学技術も、急速なグローバル化に伴う世界情勢の変化も、的確に鋭く認識しながら、一つ一つを、民衆の幸福のため、そして地球全体の平和と共生のために生かし、リードしていく智慧であり、勇気であり、慈悲であります。
世界市民の要件ともいうべき、この智慧と勇気と慈悲を、一人一人の内奥から引き出し、錬磨し、結集していく推進力こそ、人間教育の真髄でありましょう。
◇精神を耕す対話
一、光栄にも、今日(4日)は、「創価教育」を深く探究してくださっているアメリカのデポール大学、スペインのアルカラ大学、カナダのオタワ大学の先生方をお迎えしております。
創価教育の父であり、平和の信念に殉じた牧口常三郎先生も、どれほどお喜びであるか。私たちは感謝と連帯の大拍手をお送りしたいのであります(大拍手)。
もちろん、人生にも社会にも、課題・難題は山積しております。
しかし、創立500年を超す伝統を誇るアルカラ大学ゆかりの大文豪セルバンテスが語った信条を、私たちも強く分かち合いたいと思うのであります。
すなわち「うろたえていて幸せをつかめるものか。運命はおのが手で切り開くべきものであろう」(荻内勝之訳『ペルシーレス』筑摩書房)と。
前人未踏の大道を進みゆく私たちの開拓の旅には、かけがえのない道づれがあります。それは「対話」であります。
セルバンテスの名作『ドン・キホーテ』は、主人公と、その友サンチョ・パンサの冒険の旅であるとともに、二人の生き生きとした対話の旅でもありました。あたかも大地を耕すように、対話は精神を耕して賢明にし、豊かな収穫をもたらすことを示しているのであります。
「平和のフォートレス」の創立者として、私は世界に対話の道を開いてきました。あらゆる差異を超えて、人間への「信頼」と「学び」という対話の大道を、さらに大きく、さらに広々と、さらに縦横に開いてくれることを、私は、愛する創価同窓の友に託します。
◇全ての経験に"学び"がある
一、本日は、アフリカの名門ケニアのナイロビ大学からも、先生方がお越しくださっております。
母校のナイロビ大学で教壇に立たれ、わが創大の名誉博士でもあられる、偉大な「環境の母」ワンガリ・マータイ博士は自身の信念を語られました。
すなわち、「すべての経験に学びがあり、どんな状況にも希望の光はある」「何かを成し遂げたことのある人は誰でも、何度も打ちのめされた経験をもっている。だが皆、起き上がって進み続けるのであり、それこそ私がいつも心がけていたことだった」(小池百合子訳『UNBOWED へこたれない ワンガリ・マータイ自伝』小学館)と。この言葉を、皆さんに贈りたい。
そして今日からまた、たくましく朗らかに、最良の世界市民と学び合い、切磋琢磨しながら、日々、新たな価値創造に挑戦していただきたいのであります。
かけがえのない青春の一日また一日、皆さんが勇気ある探究と友情の光彩で、人間主義の大連帯を築き広げ、人類の幸の未来を創り開くことを、私は最大の楽しみとして祈り、応援してまいります。
みんな、健康で、無事故で、充実の秋を勝ち飾ってください。親孝行もよろしくお願いします(大拍手)。
2019年10月10日木曜日
2019.10.10 わが友に贈る
後輩を自分以上の
人材にしてみせる!
この心が発展への道だ。
長所を褒め 努力を称え
切磋琢磨していこう!
松野殿御返事 P1384
『帝釈遥に天より見下し給いて思し食さるる様は、魚の子は多けれども魚となるは少なく菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし、人も又此くの如し菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る者は少し、都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ事にふれて移りやすき物なり』
【通解】
帝釈が、雪山童子をはるかに天界より見おろして思うには、魚の子は多いけれども、そのなかで成魚となるものは少なく、菴羅樹の花は多く咲くけれども実を結ぶものは少ない。人もまた同じである。成仏を願って仏法を求める人は多いけれども、退転しないで、仏道修行を全うして仏になる人は少ない。
全てわれら凡夫の菩提心というものは、多くは悪縁にたぼらかされて何か事あるたびに紛動されやすいものである。
〈寸鉄〉 2019年10月10日
「はげみをなして強盛に」御書。ここに壁を破る力。苦しい時こそ唱題根本で
御書を拝せば人生に行き詰まりはない—戸田先生幹部率先で繙くリズムを
週末にかけて台風情報に注意。早めに声掛け合い無事故を。油断を排して
焦らせて冷静な判断力を奪う—特殊詐欺の手口。急かす内容は信じるな!
運転レコーダー販売増—煽り対策で。でも過信禁物。何かあれば110番通報
☆「情熱の日」記念の集いへの池田先生のメッセージ 2019年10月4日
◇インビクタス!(負けるな)使命に向かって
若き価値創造のエネルギー沸き立つ「情熱の日」、誠におめでとう!
挑戦と友情の金の汗が光る競技大会や運動会も、知恵と団結で創り上げた学園祭も、誠に見事でした。
私は、皆さん一人ひとりに、青春勝利の金メダルをかける思いで、全てを見守っております。
きょうは、たくましくスポーツの精神を呼吸しながら成長しゆく皆さんに、「平和の前進へ、勇気と信頼のスクラムを!」とエールを送ります。
今、4年に一度のラグビーのワールドカップが、アジア初となる日本で開催され、東北の被災地をはじめ全国各地で熱戦が繰り広げられています。世界の青年の情熱みなぎる、この光景を、私がお見せしたかったと思う方がおります。
それは、スポーツをこよなく愛し、さらに東北の復興も強く願われていた、南アフリカの偉大な「人権の闘士」ネルソン・マンデラ元大統領であります。
マンデラ氏は、黒人も白人も差別なく、互いに手を取り合う平和な社会を目指し、27年半、1万日に及ぶ投獄にも耐え抜いて、戦い続けてきました。
黒人初の大統領に就任した翌1995年には、人種や言語など、あらゆる差異を超えて、心と心を結ぶスポーツの力に期待を込め、南アフリカでラグビーのワールドカップを開かれております。
マンデラ大統領は、「インビクタス」というラテン語を大切にされていました。これは、「負けない」「へこたれない」「屈しない」という意義で、まさしく「負けじ魂」と言いかえられるでしょう。
大統領から励ましを受けた南アフリカの代表選手たちは、この「負けじ魂」を受け継いで、思う存分、発揮するとともに、「ワンチーム、ワンカントリー(チームは一つ、祖国は一つ)」の合言葉で団結して、快進撃を続けます。そして、無敵と謳われる強豪にも逆転勝利し、初優勝を成し遂げました。
大観衆の歓呼の中で、チームのジャージーを着た大統領が、優勝トロフィーを授与する姿は、「人種融和」の新時代を告げる歴史的なシーンとなったのです。肌の色に関係なく、一体となって喜び合う感激のスクラムが国中に広がりました。
マンデラ大統領と私が日本で再会したのは、それから10日ほど後のことです。世界を魅了する"マンデラ・スマイル"は、一段と輝いて見えました。
大統領は語られています。「信頼でき、頼りになる友人の支えは、人生最大の打撃を受けたときでも、希望を捨てず試練に耐える強さを与えてくれる」(『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』セロ・ハタン、サーム・フェンター編、長田雅子訳、明石書店)と。
ラグビーも、信頼し合う仲間とパスをつなぎ、スクラムを組み、支え合って、前へ前へ勇敢に進んでいきます。
チームのために声を掛け合い、一人ひとりが強くなり、自らの持てる力を出し切って、わが使命を果たし抜いていくのです。
ここに、万般にわたる勝利の方程式があります。
マンデラ大統領は、「大切なことは何が起こったかということより、それをどのように受け止めるかということです」(『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』長田雅子訳、明石書店)とも語られていました。
青春には、楕円形のラグビーボールのように、つかみかけたチャンスが、思わぬ方向に転がってしまう試練もあるでしょう。
しかし、たとえ何度失敗しようとも、"いざ征かん!""我は征く!"と、不屈の「負けじ魂」で再び立ち上がり、朗らかに笑顔の一歩を踏み出していく人にこそ、栄光は輝くのです。
アメリカの「人道の母」エレノア・ルーズベルトの、未来の世代へのメッセージにも、「行動することで、勇気は育まれます」「はじめは成功しなくても、もう一度、もう一度、トライ(挑戦)するのです」とある通りです。
どうか、春夏秋冬の絵巻に彩られた、この学園を舞台に、勉学で、語学で、読書で、クラブ活動で、自分の壁にチャレンジしながら、「きょうも、悔いなくベストを尽くした! 明日も、断じて勝ってみせる!」と、忍耐強く「常勝の日々」を積み重ねてください。目の前に立ちはだかる悩みや苦労も、良き学友と互いに励まし合って、一つ一つ乗り越えていってください。
我ら学園生の成長こそ、平和の前進です。
我ら学園生の勇気と信頼のスクラムこそ、地球の未来を照らす希望の太陽なのであります。
私も、毎日毎日、愛する学園生の歌声を生命に響かせながら、一人ひとりの健康と無事故、栄光勝利を祈っています。風邪などひかないように! 元気で!(大拍手)
人材にしてみせる!
この心が発展への道だ。
長所を褒め 努力を称え
切磋琢磨していこう!
松野殿御返事 P1384
『帝釈遥に天より見下し給いて思し食さるる様は、魚の子は多けれども魚となるは少なく菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし、人も又此くの如し菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る者は少し、都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ事にふれて移りやすき物なり』
【通解】
帝釈が、雪山童子をはるかに天界より見おろして思うには、魚の子は多いけれども、そのなかで成魚となるものは少なく、菴羅樹の花は多く咲くけれども実を結ぶものは少ない。人もまた同じである。成仏を願って仏法を求める人は多いけれども、退転しないで、仏道修行を全うして仏になる人は少ない。
全てわれら凡夫の菩提心というものは、多くは悪縁にたぼらかされて何か事あるたびに紛動されやすいものである。
〈寸鉄〉 2019年10月10日
「はげみをなして強盛に」御書。ここに壁を破る力。苦しい時こそ唱題根本で
御書を拝せば人生に行き詰まりはない—戸田先生幹部率先で繙くリズムを
週末にかけて台風情報に注意。早めに声掛け合い無事故を。油断を排して
焦らせて冷静な判断力を奪う—特殊詐欺の手口。急かす内容は信じるな!
運転レコーダー販売増—煽り対策で。でも過信禁物。何かあれば110番通報
☆「情熱の日」記念の集いへの池田先生のメッセージ 2019年10月4日
◇インビクタス!(負けるな)使命に向かって
若き価値創造のエネルギー沸き立つ「情熱の日」、誠におめでとう!
挑戦と友情の金の汗が光る競技大会や運動会も、知恵と団結で創り上げた学園祭も、誠に見事でした。
私は、皆さん一人ひとりに、青春勝利の金メダルをかける思いで、全てを見守っております。
きょうは、たくましくスポーツの精神を呼吸しながら成長しゆく皆さんに、「平和の前進へ、勇気と信頼のスクラムを!」とエールを送ります。
今、4年に一度のラグビーのワールドカップが、アジア初となる日本で開催され、東北の被災地をはじめ全国各地で熱戦が繰り広げられています。世界の青年の情熱みなぎる、この光景を、私がお見せしたかったと思う方がおります。
それは、スポーツをこよなく愛し、さらに東北の復興も強く願われていた、南アフリカの偉大な「人権の闘士」ネルソン・マンデラ元大統領であります。
マンデラ氏は、黒人も白人も差別なく、互いに手を取り合う平和な社会を目指し、27年半、1万日に及ぶ投獄にも耐え抜いて、戦い続けてきました。
黒人初の大統領に就任した翌1995年には、人種や言語など、あらゆる差異を超えて、心と心を結ぶスポーツの力に期待を込め、南アフリカでラグビーのワールドカップを開かれております。
マンデラ大統領は、「インビクタス」というラテン語を大切にされていました。これは、「負けない」「へこたれない」「屈しない」という意義で、まさしく「負けじ魂」と言いかえられるでしょう。
大統領から励ましを受けた南アフリカの代表選手たちは、この「負けじ魂」を受け継いで、思う存分、発揮するとともに、「ワンチーム、ワンカントリー(チームは一つ、祖国は一つ)」の合言葉で団結して、快進撃を続けます。そして、無敵と謳われる強豪にも逆転勝利し、初優勝を成し遂げました。
大観衆の歓呼の中で、チームのジャージーを着た大統領が、優勝トロフィーを授与する姿は、「人種融和」の新時代を告げる歴史的なシーンとなったのです。肌の色に関係なく、一体となって喜び合う感激のスクラムが国中に広がりました。
マンデラ大統領と私が日本で再会したのは、それから10日ほど後のことです。世界を魅了する"マンデラ・スマイル"は、一段と輝いて見えました。
大統領は語られています。「信頼でき、頼りになる友人の支えは、人生最大の打撃を受けたときでも、希望を捨てず試練に耐える強さを与えてくれる」(『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』セロ・ハタン、サーム・フェンター編、長田雅子訳、明石書店)と。
ラグビーも、信頼し合う仲間とパスをつなぎ、スクラムを組み、支え合って、前へ前へ勇敢に進んでいきます。
チームのために声を掛け合い、一人ひとりが強くなり、自らの持てる力を出し切って、わが使命を果たし抜いていくのです。
ここに、万般にわたる勝利の方程式があります。
マンデラ大統領は、「大切なことは何が起こったかということより、それをどのように受け止めるかということです」(『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』長田雅子訳、明石書店)とも語られていました。
青春には、楕円形のラグビーボールのように、つかみかけたチャンスが、思わぬ方向に転がってしまう試練もあるでしょう。
しかし、たとえ何度失敗しようとも、"いざ征かん!""我は征く!"と、不屈の「負けじ魂」で再び立ち上がり、朗らかに笑顔の一歩を踏み出していく人にこそ、栄光は輝くのです。
アメリカの「人道の母」エレノア・ルーズベルトの、未来の世代へのメッセージにも、「行動することで、勇気は育まれます」「はじめは成功しなくても、もう一度、もう一度、トライ(挑戦)するのです」とある通りです。
どうか、春夏秋冬の絵巻に彩られた、この学園を舞台に、勉学で、語学で、読書で、クラブ活動で、自分の壁にチャレンジしながら、「きょうも、悔いなくベストを尽くした! 明日も、断じて勝ってみせる!」と、忍耐強く「常勝の日々」を積み重ねてください。目の前に立ちはだかる悩みや苦労も、良き学友と互いに励まし合って、一つ一つ乗り越えていってください。
我ら学園生の成長こそ、平和の前進です。
我ら学園生の勇気と信頼のスクラムこそ、地球の未来を照らす希望の太陽なのであります。
私も、毎日毎日、愛する学園生の歌声を生命に響かせながら、一人ひとりの健康と無事故、栄光勝利を祈っています。風邪などひかないように! 元気で!(大拍手)
2019年10月9日水曜日
2019.10.09 わが友に贈る
可能性の扉を開く鍵は
自分の心の中にある。
壁にぶつかった時こそ
「負けじ魂」を燃やし
勇猛果敢に挑み抜こう!
開目抄 P231
『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』
【通解】
過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい。
〈寸鉄〉 2019年10月9日
世界の調和に献身しゆく会長から多くを学んだ—元首相。平和創出の道標
青年が強くなれ!青年が叫べ—恩師。創立90年、100年の勝利は君の双肩に
大誠実の世雄!社会部・専門部の友。職場で「いなくてはならない人」たれ
「二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし」御書。腹を決め、祈り進め
海岸漂着のごみ、プラごみが半数超。地球的な事実知り身近な所から行動
☆随筆「人間革命」光あれ 師弟凱歌の言論城 2019年10月3日
◇正義の師子吼で民衆に希望の光を!
◇世界聖教会館と共に対話の王者と勇み立て
◇「平和の地球」照らす太陽の仏法
清々しい青空が広がる九月二十八日の午前、「世界聖教会館」の真新しい館内に足を運んだ。
礼拝室の言論会館で勤行・唱題を行い、深く強く誓願の祈りを捧げた。
いよいよ、この新しき師弟の言論城から、世界広宣流布の新しき波を起こすのだ!
人間主義と生命尊厳の旗を掲げて、「希望の光」「常楽の光」「平和の光」を広げゆくのだ!
そして、日本と世界の読者をはじめ、聖教につながる一切の方々が、健康で幸福であるように!
なかんずく、日々、我らの聖教を配達してくださっている"無冠の友"が、どうか、絶対に無事故であるように!と真剣に題目を送った。
図書資料室では、聖教新聞の爽やかなコマーシャルも拝見した。ここでは、世界各国の機関紙・誌や日本及び海外の出版物が閲覧できる。
電子版の「セイキョウオンライン」には、実に百九十八カ国・地域からアクセスがあるという。
「日本中、世界中の人に読ませたい」と言われていた戸田先生が、どれほど喜ばれるか。
第二代会長就任を目前に、先陣切って創刊された聖教新聞は当初、新宿・百人町にあった先生の事務所で制作され、作業場は間もなく市ヶ谷のビルに移った。狭い狭い編集室で、先生を囲んで新聞を作った日々——苦しくも楽しき歩みを思い起こしながら、妻と感慨深く語り合った。
◇前進、前進、前進
この九月二十八日は、実は一九七〇年(昭和四十五年)に、これまでの聖教新聞本社屋の落成式が行われた日でもあった。奇しくも、あれから五十年目となる。
あの当時、いわゆる「言論問題」が惹起し、学会は無理解の非難にも晒されていた。その中で完成した聖教本社屋は、烈風に向かって敢然と聳え立つ新生の城であった。
落成式の折、私は申し上げた。
「心も一新して出発しよう。日々、自分の惰性を打ち破っていくことが、良い新聞をつくる最大の要件だ。一日一日が戦いだよ……前進、前進、前進なんだ」
半世紀を経た今、再び新たな人間革命の心で、新たな前進の「希望」と新たな前進の「勇気」を送っていきたい。
◇破邪の剣掲げて
世界聖教会館の一階入り口に設置された「師弟凱歌の碑」に私は記した。
「立正安国と世界広布の大言論城たる此の地から、永久に師弟共戦の師子吼が放ちゆかれることを信ずるものである」
「師子吼」といえば、法華経の勧持品では、釈尊の御前に勢揃いした弟子たちが、「師子吼を作して、誓言を発さく」(創価学会版法華経四一七ページ)と説かれる。
すなわち、仏滅後の悪世にあって、十方世界を舞台に法華経を弘通することを力強く誓願した、弟子たちの誓いの言葉を「師子吼」と表現されているのだ。
御本仏・日蓮大聖人は、この深義を御義口伝で「師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書七四八ページ)と教えてくださった。
「師子吼」とは、師弟不二の心で妙法を唱え、「正義」を叫び切っていくことに他ならない。
勧持品で、弟子たちが師子吼して示したことは何であったか。「三類の強敵」の迫害に屈せず、不惜身命で戦い抜いてみせる、との誓願である。
青年部の友が今回の教学試験で研鑽した通り、
三類の強敵とは——
第一に俗衆による悪口罵詈等の迫害である。
第二に傲慢で邪智の僧侶らによる迫害である。
そして第三に、世の尊敬を集める高僧を装い、権力者と結託した僭聖増上慢による迫害である。
大聖人直結の我ら創価の師弟は、僭聖増上慢をも駆り出し、異体同心で「三類の強敵」と決然と戦い続けてきた。
それは、聖教新聞を正義の宝剣として、一人ひとりが勇敢に忍耐強く貫き通す大言論戦である。
我らは、断固として勝ちに勝った。晴ればれと「破邪顕正」の勝ち鬨をあげた。百九十二カ国・地域の平和・文化・教育の連帯は、いよいよ威光勢力を増している。これこそ、歴史に永遠に輝く民衆仏法の凱歌である。
不思議にも、今この時、世界聖教会館が誕生したことは、御本仏が創価の師弟を御照覧くださり、讃嘆してくださっている、何よりの証しなりと確信するものである。
我らの言論城は、永久に師弟共戦の「師子吼の大城」だ。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」「彼等は野干のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書一一九〇ページ)
どこまでも、この御金言通り、この世で最も強き「師子吼」を轟かせ、人生と社会のいかなる悲嘆も絶望も吹き飛ばし、共に勝ち進みゆくのだ。
◇幸福な人の王国
世界聖教会館から、間近に輝き見える世界女性会館をカメラに収めた。
二〇〇〇年の九月に開館して以来、「女性の世紀」の宝城として、世界の宝友を迎えている。
近隣にお住まいで、ウクライナの駐日大使だったコステンコ氏と、詩人として名高いリュドミラ夫人は、この女性会館を「心美しい人、幸福な人が集う王国」と形容された。
しかも、来館者を「会館に入る時以上に、出てくる姿は、もっと美しい」と讃えてくださった。
これこそ、「蘭室の交わり」を広げる創価の城の福徳の力なのである。
折しも九月二十八日は一九七五年(昭和五十年)に、当時の女子部の「青春会」が発足して四十五年目の日であり、世界女性会館では結成記念の会合が行われた。
「一生涯、題目と広布」との誓いのままに、仲良く励まし合いながら走り抜いて、世界の華陽姉妹の道を開いてくれた模範のスクラムである。
皆の元気な近況を妻からうれしく聞きながら、「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書一一三五ページ)との実証を、ますます朗らかに、と題目を送った。
◇一滴から大河へ
「諫暁八幡抄」には、仰せである。
「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(同五八八〜五八九ページ)
大聖人が願われた、「仏法西還」「一閻浮提広宣流布」を現実のものとしたのは、創価学会である。
日興上人の指南を伝える「五人所破抄」に、「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」(同一六一三ページ)と説かれる如く、文字・言論が具える普遍の力で、あらゆる壁を越えて、今やこの地球上に、日蓮仏法の大光が届かない所はない。
先日は、学会代表団、青年文化訪印団が、仏教発祥のインドに赴いた。
ニューデリーにはインド創価学会(BSG)の新「本部」が落成、首都近郊にある創価菩提樹園には「講堂」の誕生……わが地涌の同志の歓喜がはじける、誠に晴れがましい慶事が続いた。
一九七九年(昭和五十四年)二月、私がインドを訪れた折、メンバーは百人にも満たなかった。しかし私は"ガンジスの大河も一滴から"と、尊き使命の友を励ました。
ここから我が同志は、勇気ほとばしる息吹で、悠久の大地に幸福と友情と信頼という妙法の種を蒔き続け、この四十年で、二十二万人を超える偉大な地涌の人華と咲き誇っているのである。
微笑みの王国・タイの広布の大発展も目覚ましい。明年には、待望の研修センターが完成する。
毎日、インド、タイからの報告を伺い、眩いばかりの友の笑顔を聖教紙上で拝見しながら、何度も何度も万歳を叫び、喝采を送る思いであった。
「諫暁八幡抄」には、さらにこう仰せである。
「月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(同五八九ページ)
広宣流布は、世界へという「横の広がり」とともに、世代から世代への「縦のつながり」によって織りなす大絵巻だ。
世代を重ねるごとに、いよいよ力ある「従藍而青」の人材を育成する。これが、末法万年尽未来際の「令法久住」を開く大道である。
◇新たな「大城」を
思えば、戸田先生が「城聖」とのお名前を、初めて記されたのは、法難の獄中であった。
恩師は、殉教の師・牧口常三郎先生の分身として出獄され、民衆を守り抜く「正義の城」「人材の城」「平和の城」を、厳然と築かれたのである。
今も、先生の声が聞こえるようだ。
「私は城聖、君は大作だ。一緒に、偉大な『創価の大城』を作ろうではないか!」
聖教の「聖」の文字は、わが城聖先生の「聖」に通じ、そして「耳」と「口」の「王」と書く。恩師さながらに「対話の王者」「言論の王者」たれとの意義と、私は命に刻んできた。
世界聖教会館は、その正面を東天に向けて聳え立つ。まさに昇りゆく旭日と共に輝き光る大城であるといってよい。
この「太陽の言論城」を仰ぎつつ、いやまして勇気と励ましの語らいを、わが地域へ、世界へ明るく広げ、共々に「平和の地球」を照らしゆこうではないか!
自分の心の中にある。
壁にぶつかった時こそ
「負けじ魂」を燃やし
勇猛果敢に挑み抜こう!
開目抄 P231
『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』
【通解】
過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい。
〈寸鉄〉 2019年10月9日
世界の調和に献身しゆく会長から多くを学んだ—元首相。平和創出の道標
青年が強くなれ!青年が叫べ—恩師。創立90年、100年の勝利は君の双肩に
大誠実の世雄!社会部・専門部の友。職場で「いなくてはならない人」たれ
「二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし」御書。腹を決め、祈り進め
海岸漂着のごみ、プラごみが半数超。地球的な事実知り身近な所から行動
☆随筆「人間革命」光あれ 師弟凱歌の言論城 2019年10月3日
◇正義の師子吼で民衆に希望の光を!
◇世界聖教会館と共に対話の王者と勇み立て
◇「平和の地球」照らす太陽の仏法
清々しい青空が広がる九月二十八日の午前、「世界聖教会館」の真新しい館内に足を運んだ。
礼拝室の言論会館で勤行・唱題を行い、深く強く誓願の祈りを捧げた。
いよいよ、この新しき師弟の言論城から、世界広宣流布の新しき波を起こすのだ!
人間主義と生命尊厳の旗を掲げて、「希望の光」「常楽の光」「平和の光」を広げゆくのだ!
そして、日本と世界の読者をはじめ、聖教につながる一切の方々が、健康で幸福であるように!
なかんずく、日々、我らの聖教を配達してくださっている"無冠の友"が、どうか、絶対に無事故であるように!と真剣に題目を送った。
図書資料室では、聖教新聞の爽やかなコマーシャルも拝見した。ここでは、世界各国の機関紙・誌や日本及び海外の出版物が閲覧できる。
電子版の「セイキョウオンライン」には、実に百九十八カ国・地域からアクセスがあるという。
「日本中、世界中の人に読ませたい」と言われていた戸田先生が、どれほど喜ばれるか。
第二代会長就任を目前に、先陣切って創刊された聖教新聞は当初、新宿・百人町にあった先生の事務所で制作され、作業場は間もなく市ヶ谷のビルに移った。狭い狭い編集室で、先生を囲んで新聞を作った日々——苦しくも楽しき歩みを思い起こしながら、妻と感慨深く語り合った。
◇前進、前進、前進
この九月二十八日は、実は一九七〇年(昭和四十五年)に、これまでの聖教新聞本社屋の落成式が行われた日でもあった。奇しくも、あれから五十年目となる。
あの当時、いわゆる「言論問題」が惹起し、学会は無理解の非難にも晒されていた。その中で完成した聖教本社屋は、烈風に向かって敢然と聳え立つ新生の城であった。
落成式の折、私は申し上げた。
「心も一新して出発しよう。日々、自分の惰性を打ち破っていくことが、良い新聞をつくる最大の要件だ。一日一日が戦いだよ……前進、前進、前進なんだ」
半世紀を経た今、再び新たな人間革命の心で、新たな前進の「希望」と新たな前進の「勇気」を送っていきたい。
◇破邪の剣掲げて
世界聖教会館の一階入り口に設置された「師弟凱歌の碑」に私は記した。
「立正安国と世界広布の大言論城たる此の地から、永久に師弟共戦の師子吼が放ちゆかれることを信ずるものである」
「師子吼」といえば、法華経の勧持品では、釈尊の御前に勢揃いした弟子たちが、「師子吼を作して、誓言を発さく」(創価学会版法華経四一七ページ)と説かれる。
すなわち、仏滅後の悪世にあって、十方世界を舞台に法華経を弘通することを力強く誓願した、弟子たちの誓いの言葉を「師子吼」と表現されているのだ。
御本仏・日蓮大聖人は、この深義を御義口伝で「師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書七四八ページ)と教えてくださった。
「師子吼」とは、師弟不二の心で妙法を唱え、「正義」を叫び切っていくことに他ならない。
勧持品で、弟子たちが師子吼して示したことは何であったか。「三類の強敵」の迫害に屈せず、不惜身命で戦い抜いてみせる、との誓願である。
青年部の友が今回の教学試験で研鑽した通り、
三類の強敵とは——
第一に俗衆による悪口罵詈等の迫害である。
第二に傲慢で邪智の僧侶らによる迫害である。
そして第三に、世の尊敬を集める高僧を装い、権力者と結託した僭聖増上慢による迫害である。
大聖人直結の我ら創価の師弟は、僭聖増上慢をも駆り出し、異体同心で「三類の強敵」と決然と戦い続けてきた。
それは、聖教新聞を正義の宝剣として、一人ひとりが勇敢に忍耐強く貫き通す大言論戦である。
我らは、断固として勝ちに勝った。晴ればれと「破邪顕正」の勝ち鬨をあげた。百九十二カ国・地域の平和・文化・教育の連帯は、いよいよ威光勢力を増している。これこそ、歴史に永遠に輝く民衆仏法の凱歌である。
不思議にも、今この時、世界聖教会館が誕生したことは、御本仏が創価の師弟を御照覧くださり、讃嘆してくださっている、何よりの証しなりと確信するものである。
我らの言論城は、永久に師弟共戦の「師子吼の大城」だ。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」「彼等は野干のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書一一九〇ページ)
どこまでも、この御金言通り、この世で最も強き「師子吼」を轟かせ、人生と社会のいかなる悲嘆も絶望も吹き飛ばし、共に勝ち進みゆくのだ。
◇幸福な人の王国
世界聖教会館から、間近に輝き見える世界女性会館をカメラに収めた。
二〇〇〇年の九月に開館して以来、「女性の世紀」の宝城として、世界の宝友を迎えている。
近隣にお住まいで、ウクライナの駐日大使だったコステンコ氏と、詩人として名高いリュドミラ夫人は、この女性会館を「心美しい人、幸福な人が集う王国」と形容された。
しかも、来館者を「会館に入る時以上に、出てくる姿は、もっと美しい」と讃えてくださった。
これこそ、「蘭室の交わり」を広げる創価の城の福徳の力なのである。
折しも九月二十八日は一九七五年(昭和五十年)に、当時の女子部の「青春会」が発足して四十五年目の日であり、世界女性会館では結成記念の会合が行われた。
「一生涯、題目と広布」との誓いのままに、仲良く励まし合いながら走り抜いて、世界の華陽姉妹の道を開いてくれた模範のスクラムである。
皆の元気な近況を妻からうれしく聞きながら、「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書一一三五ページ)との実証を、ますます朗らかに、と題目を送った。
◇一滴から大河へ
「諫暁八幡抄」には、仰せである。
「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(同五八八〜五八九ページ)
大聖人が願われた、「仏法西還」「一閻浮提広宣流布」を現実のものとしたのは、創価学会である。
日興上人の指南を伝える「五人所破抄」に、「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」(同一六一三ページ)と説かれる如く、文字・言論が具える普遍の力で、あらゆる壁を越えて、今やこの地球上に、日蓮仏法の大光が届かない所はない。
先日は、学会代表団、青年文化訪印団が、仏教発祥のインドに赴いた。
ニューデリーにはインド創価学会(BSG)の新「本部」が落成、首都近郊にある創価菩提樹園には「講堂」の誕生……わが地涌の同志の歓喜がはじける、誠に晴れがましい慶事が続いた。
一九七九年(昭和五十四年)二月、私がインドを訪れた折、メンバーは百人にも満たなかった。しかし私は"ガンジスの大河も一滴から"と、尊き使命の友を励ました。
ここから我が同志は、勇気ほとばしる息吹で、悠久の大地に幸福と友情と信頼という妙法の種を蒔き続け、この四十年で、二十二万人を超える偉大な地涌の人華と咲き誇っているのである。
微笑みの王国・タイの広布の大発展も目覚ましい。明年には、待望の研修センターが完成する。
毎日、インド、タイからの報告を伺い、眩いばかりの友の笑顔を聖教紙上で拝見しながら、何度も何度も万歳を叫び、喝采を送る思いであった。
「諫暁八幡抄」には、さらにこう仰せである。
「月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(同五八九ページ)
広宣流布は、世界へという「横の広がり」とともに、世代から世代への「縦のつながり」によって織りなす大絵巻だ。
世代を重ねるごとに、いよいよ力ある「従藍而青」の人材を育成する。これが、末法万年尽未来際の「令法久住」を開く大道である。
◇新たな「大城」を
思えば、戸田先生が「城聖」とのお名前を、初めて記されたのは、法難の獄中であった。
恩師は、殉教の師・牧口常三郎先生の分身として出獄され、民衆を守り抜く「正義の城」「人材の城」「平和の城」を、厳然と築かれたのである。
今も、先生の声が聞こえるようだ。
「私は城聖、君は大作だ。一緒に、偉大な『創価の大城』を作ろうではないか!」
聖教の「聖」の文字は、わが城聖先生の「聖」に通じ、そして「耳」と「口」の「王」と書く。恩師さながらに「対話の王者」「言論の王者」たれとの意義と、私は命に刻んできた。
世界聖教会館は、その正面を東天に向けて聳え立つ。まさに昇りゆく旭日と共に輝き光る大城であるといってよい。
この「太陽の言論城」を仰ぎつつ、いやまして勇気と励ましの語らいを、わが地域へ、世界へ明るく広げ、共々に「平和の地球」を照らしゆこうではないか!
2019年10月8日火曜日
2019.10.08 わが友に贈る
学会は全員が主役だ。
一人の百歩前進より
百人の一歩前進を!
その人にしか担えない
勝利の劇が必ずある!
九郎太郎殿御返事 P1535
『こんろん山と申す山には玉のみ有りて石なし、石ともしければ玉をもつて石をかう、はうれいひん(彭蠡浜)と申す浦には木草なしいをもつて薪をかう』
【通解】
崑崙山という山には、宝石だけがあって石がない。石が少ないので宝石をもって石を買う。彭蠡浜という湖の入江には草や木がない。そこで魚をもって薪と交換する。
〈寸鉄〉 2019年10月8日
生涯捧げて悔いない道を見つければ人間は強い—恩師。広布の道を一筋に
中国方面「師弟原点の日」開拓精神は永遠に不滅。対話拡大の新風を起こせ
「人の地に倒れて還って地に従りて起つ」御書。宿命を使命に転じる祈りで
気温変化が急激な季節。服装・睡眠等を賢く。万全な体調管理を。健康が宝
タピオカ、幼児は誤嚥の恐れ。スプーン使用、大人が付き添う等で事故防げ
☆四季の励まし 生きることは「学ぶこと」 2019年9月29日
「生きること」は、
即「学ぶこと」であり、
「生活の現場」を、
即「成長の道場」と
していくなかに、
人間教育の芸術が
あるといっても、
決して過言ではない。
自らの可能性を
開花させていく上では、
自らと
異なるものと出あい、
そこから積極果敢に
学びとっていくことが、
絶対に不可欠である。
「学ぶ」という
命の構えが確立した人は、
どんなに苦しい現実に
直面しても、
その苦悩に引きずられて
しまうことはない。
一切を、自らの向上と
創造と勝利のバネに
転じられるからだ。
何のために学ぶのか。
身に付けた英知は、
誰のために使うのか。
あくまでも、
民衆の幸福のためである。
この責任感に徹する時、
真実の才能は
行き詰まることなく、
十全に発揮されるだろう。
人は、「教育」によって、
初めて「人間」となる。
単なる
知識の伝授ではない。
才能の開発だけでもない。
教育とは、
過去から未来へ向かって、
「人間性」を確実に
継承しゆく大道である。
わが愛する創価大学よ!
創価大学は、
私の生命そのものだ。
創価大学がある限り、
牧口・戸田両先生から
受け継いだ
人間教育の崇高な魂は、
永遠に不滅である。
「学は光」である。
生涯、学び続けることだ。
成長し続けることだ。
その人が、
人生の勝利者と
光っていくことができる。
自身のなかに
確固たる規範はあるか。
哲学はあるか——
それによって、
人物の偉大さは決まる。
「人間教育の世界的拠点」へ発展する創価大学、創価女子短期大学(東京・八王子市)。来月5、6日には「創大祭」「白鳥祭」が一般公開される。
本年7月、創立者の池田大作先生が香峯子夫人と共に、創大キャンパスを車で視察。白亜の文系校舎A棟をカメラに収めた。
このA棟前に立つブロンズ像の台座には、先生が贈った言葉が刻まれている。「英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな」
大学へ送り出してくれた両親をはじめ、支えてくれる人々への感謝を忘れてはならない——。創立者の思いを胸に、創大生、短大生は学びの青春を送っている。私たちもまた、生涯青春の心で自らを磨き、世界市民の連帯を大きく広げていこう。
一人の百歩前進より
百人の一歩前進を!
その人にしか担えない
勝利の劇が必ずある!
九郎太郎殿御返事 P1535
『こんろん山と申す山には玉のみ有りて石なし、石ともしければ玉をもつて石をかう、はうれいひん(彭蠡浜)と申す浦には木草なしいをもつて薪をかう』
【通解】
崑崙山という山には、宝石だけがあって石がない。石が少ないので宝石をもって石を買う。彭蠡浜という湖の入江には草や木がない。そこで魚をもって薪と交換する。
〈寸鉄〉 2019年10月8日
生涯捧げて悔いない道を見つければ人間は強い—恩師。広布の道を一筋に
中国方面「師弟原点の日」開拓精神は永遠に不滅。対話拡大の新風を起こせ
「人の地に倒れて還って地に従りて起つ」御書。宿命を使命に転じる祈りで
気温変化が急激な季節。服装・睡眠等を賢く。万全な体調管理を。健康が宝
タピオカ、幼児は誤嚥の恐れ。スプーン使用、大人が付き添う等で事故防げ
☆四季の励まし 生きることは「学ぶこと」 2019年9月29日
「生きること」は、
即「学ぶこと」であり、
「生活の現場」を、
即「成長の道場」と
していくなかに、
人間教育の芸術が
あるといっても、
決して過言ではない。
自らの可能性を
開花させていく上では、
自らと
異なるものと出あい、
そこから積極果敢に
学びとっていくことが、
絶対に不可欠である。
「学ぶ」という
命の構えが確立した人は、
どんなに苦しい現実に
直面しても、
その苦悩に引きずられて
しまうことはない。
一切を、自らの向上と
創造と勝利のバネに
転じられるからだ。
何のために学ぶのか。
身に付けた英知は、
誰のために使うのか。
あくまでも、
民衆の幸福のためである。
この責任感に徹する時、
真実の才能は
行き詰まることなく、
十全に発揮されるだろう。
人は、「教育」によって、
初めて「人間」となる。
単なる
知識の伝授ではない。
才能の開発だけでもない。
教育とは、
過去から未来へ向かって、
「人間性」を確実に
継承しゆく大道である。
わが愛する創価大学よ!
創価大学は、
私の生命そのものだ。
創価大学がある限り、
牧口・戸田両先生から
受け継いだ
人間教育の崇高な魂は、
永遠に不滅である。
「学は光」である。
生涯、学び続けることだ。
成長し続けることだ。
その人が、
人生の勝利者と
光っていくことができる。
自身のなかに
確固たる規範はあるか。
哲学はあるか——
それによって、
人物の偉大さは決まる。
「人間教育の世界的拠点」へ発展する創価大学、創価女子短期大学(東京・八王子市)。来月5、6日には「創大祭」「白鳥祭」が一般公開される。
本年7月、創立者の池田大作先生が香峯子夫人と共に、創大キャンパスを車で視察。白亜の文系校舎A棟をカメラに収めた。
このA棟前に立つブロンズ像の台座には、先生が贈った言葉が刻まれている。「英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな」
大学へ送り出してくれた両親をはじめ、支えてくれる人々への感謝を忘れてはならない——。創立者の思いを胸に、創大生、短大生は学びの青春を送っている。私たちもまた、生涯青春の心で自らを磨き、世界市民の連帯を大きく広げていこう。
2019年10月7日月曜日
2019.10.07 わが友に贈る
◇今週のことば
学会の役職は
尊き広布の責任職なり。
「法華経に名をたて
身をまかせ給うべし」
励ましと拡大の新風を!
2019年10月7日
松野殿御返事 P1386
『退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり』
【通解】
退転することなく仏道修行をして、最後の臨終の時を待ってごらんなさい。妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんと素晴らしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。我らも、その数の中に連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である。
〈寸鉄〉 2019年10月7日
沖縄で本部幹部会。皆が人間革命の劇ここから。さあ栄光の「11・18」へ
結成45周年の勝利島部が「部の日」。広布模範の島を築く賢者に福徳は燦然
滋賀の日。美しき湖国に誓願の同志あり!常勝の心で友情のスクラム更に
新しい挑戦を求める人は脳も若く—脳科学。生涯青春の多宝の友らが証明
中高年男性の風疹の無料受診券、利用者1割と。人ごとと思わず。流行防げ
☆虹を懸ける 池田先生とサンパウロ�=完 2019年9月29日
◇使命と大福運の人生を!
池田先生の4度目のブラジル訪問は、1993年の2月から3月にかけてである。この年、先生はアメリカ、コロンビアを訪れ、2月9日にブラジルのリオデジャネイロへ。諸行事を終えた後、アルゼンチン、パラグアイ、チリを歴訪し、再びブラジルへと戻った。
サンパウロ州郊外のブラジルSGI自然文化センターを初めて訪問したのは2月25日。3月8日まで12日間にわたって滞在し、ブラジルの同志と固い絆を結んでいく。
2月27日に開催された南米総会では、参加者に力強く訴えた。
「題目は幸福の種です。種をまいてください。必ず芽が出ます。必ず大樹に育ちます」
「私も祈ります。毎日、祈っています。皆さまの健康、無事、長寿、大福運の人生を。だから安心して、一緒に、使命の人生を生き抜いてください」
◇母が残したもの
翌2月28日、自然文化センターで行われた南半球初となるSGI総会。ブラジルSGIが誇る「イケダヒューマニズム交響楽団」がこの日、正式に結成された。
交響楽団は、ブラジルの世界的作曲家アマラウ・ビエイラ氏が池田先生に捧げた交響曲「革新の響」を披露。演奏を聞き終えた先生は立ち上がり、真っ先に拍手を送った。「これほどまでに見事な演奏の陰で、どれほどの練習を重ねてこられたか——。どうか、これまでの努力のうえに、さらに精進を重ね、将来は、世界中を演奏旅行して回れる実力をつけていただきたい」
この時、チューバを担当したジョルジェ・マシエルさん(副分圏長)。総会の2年前、最愛の母を病で亡くしていた。その後、父はマシエルさんたち3人の子どもを残し、家を出て行ってしまう。
悲嘆に暮れた。だが、悲しんでいる暇はない。弟、妹のためにマシエルさんは働かなければならなかった。「私には、母が残してくれた信心しかありませんでした」
必死に唱題を重ねる中、10年間で「起業家として成功する」「結婚し、幸せな家庭を築く」「家を建てる」との目標を掲げる。
仕事は多忙を極めたが、交響楽団の練習にも懸命に励んだ。地域行事に出演する機会も増え、アルゼンチンやパラグアイでの公演も実現。活動の舞台は大きく広がり、師の期待に応える楽団へと成長していった。
10年後、マシエルさんは自身が立てた目標を全て達成し、交響楽団の楽団長として来日を果たす。先生が見守る中、交響楽団に「芸術人道創立者賞」が授与された。マシエルさんは胸に手を当て、先生に深謝した。「師と心を合わせて戦えば、必ず道は開けるとの、揺るぎない確信をつかむことができました」
2005年2月、転勤によりサンパウロから700キロ離れたカタランへ。師との原点を胸に、地域の一粒種として信頼の根を張っていく。家族や隣人などを相次ぎ入会に導き、14年間で29世帯の弘教を実らせた。
カタランには09年にブロックができ、翌年に地区へ発展。14年には支部が誕生した。
マシエルさんは経営学の博士号を取得し、大学の講師に。教育の分野でも、未来を担う青年たちの成長に尽力している。
◇最後に勝つ
「自然文化センターでの池田先生の激励によって、数多くの同志が広宣流布の使命に目覚めました」と、ミゲル・シラトリさん(理事長)は笑顔で語る。
シラトリさんは2歳の時、父親が病気で他界。母親の再婚を機に、新しい父の紹介により一家で入会した。
だが、信心を教えてくれたその父も病で倒れてしまう。シラトリさんは大学を卒業し、司法試験に合格。弁護士資格を持っていたが、父の代わりに畑でくわを握った。
先生と初の出会いを刻んだのは、1984年2月のブラジル大文化祭。必死に家族を支えていた最中だった。
組み体操の5段円塔の責任者を務めたシラトリさんは、青年に万感の期待を寄せる師の姿に触れ、報恩の人生を固く誓う。
男子部本部長として訪問・激励と折伏に奔走し、2年間で120人の新たな活動者を輩出。86年に日本で先生と再会を果たす。「ここからの10年間が本当の戦いでした」
国自体が不安定な経済状況となり、生活は段々と苦しくなっていった。そのため、家族は日本に出稼ぎへ。残されたシラトリさんはイチゴ、ニンジン、キャベツなどを作り、愚痴一つ言わず一家を守り抜いた。「あの時は出口の見えない暗闇にいるようでした。つらくなるたび、先生との出会いを思い返し、歯を食いしばりました」
その後、経済苦を乗り越え、95年2月、ブラジルSGIの職員となった。
青年部長だった2001年7月、一冊の書籍が届く。先生の青年時代の激闘がつづられた『若き日の日記』の英語版だった。本の扉には、先生の直筆で、こう記されていた。
共に 広布の
青春時代を
栄光でつつまむ
「私の苦労を全て知ってくださっていた先生への感謝が込み上げ、一生涯、同志に尽くし抜こうと決意しました」
同年9月11日、アメリカで同時多発テロが起こった。折しも、シラトリさんは青年研修会で来日していた。
テロの影響で、ブラジルなど10カ国の同志が帰国できずにいた。
それを知った先生は翌12日、モンゴル駐日大使との会見後、東京の聖教新聞本社前でシラトリさんたちと記念撮影を。真心の励ましを送った。
「全員が必ず幸福になっていただきたい。若い時から恵まれ過ぎているのは、かえって不幸です。最後に勝つのが、真の勝利者です。これが仏法です。偉大なる広宣流布の指導者に成長していただきたい」
シラトリさんは一昨年8月、ブラジルSGIの理事長に就任。今、後継の育成に全力を注いでいる。
◇心で師と対話
第4次訪伯の際、池田先生はサンパウロ州の最高褒章「バンデイランテス勲章」やパラナ連邦大学の「名誉博士号」などを相次ぎ授与されている。その一方、諸行事の合間も休むことなく、同志を励まし続けた。
マリア・ジョゼ・デ・メロ・オリベイラさん(婦人部参事)は、自然文化センターで役員に就いた時、先生からねぎらいの言葉を掛けられた。
彼女は前年の12月、最愛の夫を亡くしていた。誠実な人柄で多くの同志に慕われていた夫だった。先生は「負けちゃいけないよ。ご主人のために、記念の植樹をするからね」と。後日、夫の功労をたたえ、同センターに桜の木が植樹された。
師の慈愛と真心に、彼女は奮い立った。広大な天地を使命の舞台と定め、ブラジル総合婦人部長となり、2004年7月、研修会で訪日する。
懇談会の折、先生はオリベイラさんを見つけると、優しく手を取って語った。「あなたのことは全部、知っているよ。これからも頑張ってね」
以来、リーダー率先でさらなる弘教拡大を決意。10年間で100世帯を超える御本尊流布を達成した。
ブラジルSGIが「支部50世帯の弘教」という目標を掲げた15年にも、対話の先頭を走った。
友人、知人はもちろん、かかりつけの医師や、病院の待合室で知り合った人、公園のベンチで隣に座った人など、ありとあらゆる人に信心の素晴らしさ、師匠と巡り合えた喜びを語っていった。その結果、1年間で52世帯の折伏を実らせた。
「師弟といっても、師の言葉を自分への指導と捉え、実際に行動に移せるかに懸かっています。これからも心の中で先生と対話しながら、広布と人材の拡大に挑んでいきます」
◇
池田先生は、これまでブラジルの最高勲章「南十字国家勲章コメンダドール章」を受勲しているほか、サンパウロ市など150以上の州・市から名誉州民・市民証を贈られている。また「牧口常三郎通り」「戸田城聖公園」「池田大作博士環境公園」をはじめ、創価の三代会長の名を冠した公園・橋・通りなどは国内で30を超える。
先生は後年、良き市民の模範と光るブラジルの友に呼び掛けた。
「すべて、わが敬愛する同志の皆さまの勝利である。私は熱い感涙をもって、『ブラジルは勝った! ビバ、ブラジル!』と叫びたい。ブラジルと日本は、地理的な距離は遠い。だが、同志と私の心は最も近い」
学会の役職は
尊き広布の責任職なり。
「法華経に名をたて
身をまかせ給うべし」
励ましと拡大の新風を!
2019年10月7日
松野殿御返事 P1386
『退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり』
【通解】
退転することなく仏道修行をして、最後の臨終の時を待ってごらんなさい。妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんと素晴らしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。我らも、その数の中に連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である。
〈寸鉄〉 2019年10月7日
沖縄で本部幹部会。皆が人間革命の劇ここから。さあ栄光の「11・18」へ
結成45周年の勝利島部が「部の日」。広布模範の島を築く賢者に福徳は燦然
滋賀の日。美しき湖国に誓願の同志あり!常勝の心で友情のスクラム更に
新しい挑戦を求める人は脳も若く—脳科学。生涯青春の多宝の友らが証明
中高年男性の風疹の無料受診券、利用者1割と。人ごとと思わず。流行防げ
☆虹を懸ける 池田先生とサンパウロ�=完 2019年9月29日
◇使命と大福運の人生を!
池田先生の4度目のブラジル訪問は、1993年の2月から3月にかけてである。この年、先生はアメリカ、コロンビアを訪れ、2月9日にブラジルのリオデジャネイロへ。諸行事を終えた後、アルゼンチン、パラグアイ、チリを歴訪し、再びブラジルへと戻った。
サンパウロ州郊外のブラジルSGI自然文化センターを初めて訪問したのは2月25日。3月8日まで12日間にわたって滞在し、ブラジルの同志と固い絆を結んでいく。
2月27日に開催された南米総会では、参加者に力強く訴えた。
「題目は幸福の種です。種をまいてください。必ず芽が出ます。必ず大樹に育ちます」
「私も祈ります。毎日、祈っています。皆さまの健康、無事、長寿、大福運の人生を。だから安心して、一緒に、使命の人生を生き抜いてください」
◇母が残したもの
翌2月28日、自然文化センターで行われた南半球初となるSGI総会。ブラジルSGIが誇る「イケダヒューマニズム交響楽団」がこの日、正式に結成された。
交響楽団は、ブラジルの世界的作曲家アマラウ・ビエイラ氏が池田先生に捧げた交響曲「革新の響」を披露。演奏を聞き終えた先生は立ち上がり、真っ先に拍手を送った。「これほどまでに見事な演奏の陰で、どれほどの練習を重ねてこられたか——。どうか、これまでの努力のうえに、さらに精進を重ね、将来は、世界中を演奏旅行して回れる実力をつけていただきたい」
この時、チューバを担当したジョルジェ・マシエルさん(副分圏長)。総会の2年前、最愛の母を病で亡くしていた。その後、父はマシエルさんたち3人の子どもを残し、家を出て行ってしまう。
悲嘆に暮れた。だが、悲しんでいる暇はない。弟、妹のためにマシエルさんは働かなければならなかった。「私には、母が残してくれた信心しかありませんでした」
必死に唱題を重ねる中、10年間で「起業家として成功する」「結婚し、幸せな家庭を築く」「家を建てる」との目標を掲げる。
仕事は多忙を極めたが、交響楽団の練習にも懸命に励んだ。地域行事に出演する機会も増え、アルゼンチンやパラグアイでの公演も実現。活動の舞台は大きく広がり、師の期待に応える楽団へと成長していった。
10年後、マシエルさんは自身が立てた目標を全て達成し、交響楽団の楽団長として来日を果たす。先生が見守る中、交響楽団に「芸術人道創立者賞」が授与された。マシエルさんは胸に手を当て、先生に深謝した。「師と心を合わせて戦えば、必ず道は開けるとの、揺るぎない確信をつかむことができました」
2005年2月、転勤によりサンパウロから700キロ離れたカタランへ。師との原点を胸に、地域の一粒種として信頼の根を張っていく。家族や隣人などを相次ぎ入会に導き、14年間で29世帯の弘教を実らせた。
カタランには09年にブロックができ、翌年に地区へ発展。14年には支部が誕生した。
マシエルさんは経営学の博士号を取得し、大学の講師に。教育の分野でも、未来を担う青年たちの成長に尽力している。
◇最後に勝つ
「自然文化センターでの池田先生の激励によって、数多くの同志が広宣流布の使命に目覚めました」と、ミゲル・シラトリさん(理事長)は笑顔で語る。
シラトリさんは2歳の時、父親が病気で他界。母親の再婚を機に、新しい父の紹介により一家で入会した。
だが、信心を教えてくれたその父も病で倒れてしまう。シラトリさんは大学を卒業し、司法試験に合格。弁護士資格を持っていたが、父の代わりに畑でくわを握った。
先生と初の出会いを刻んだのは、1984年2月のブラジル大文化祭。必死に家族を支えていた最中だった。
組み体操の5段円塔の責任者を務めたシラトリさんは、青年に万感の期待を寄せる師の姿に触れ、報恩の人生を固く誓う。
男子部本部長として訪問・激励と折伏に奔走し、2年間で120人の新たな活動者を輩出。86年に日本で先生と再会を果たす。「ここからの10年間が本当の戦いでした」
国自体が不安定な経済状況となり、生活は段々と苦しくなっていった。そのため、家族は日本に出稼ぎへ。残されたシラトリさんはイチゴ、ニンジン、キャベツなどを作り、愚痴一つ言わず一家を守り抜いた。「あの時は出口の見えない暗闇にいるようでした。つらくなるたび、先生との出会いを思い返し、歯を食いしばりました」
その後、経済苦を乗り越え、95年2月、ブラジルSGIの職員となった。
青年部長だった2001年7月、一冊の書籍が届く。先生の青年時代の激闘がつづられた『若き日の日記』の英語版だった。本の扉には、先生の直筆で、こう記されていた。
共に 広布の
青春時代を
栄光でつつまむ
「私の苦労を全て知ってくださっていた先生への感謝が込み上げ、一生涯、同志に尽くし抜こうと決意しました」
同年9月11日、アメリカで同時多発テロが起こった。折しも、シラトリさんは青年研修会で来日していた。
テロの影響で、ブラジルなど10カ国の同志が帰国できずにいた。
それを知った先生は翌12日、モンゴル駐日大使との会見後、東京の聖教新聞本社前でシラトリさんたちと記念撮影を。真心の励ましを送った。
「全員が必ず幸福になっていただきたい。若い時から恵まれ過ぎているのは、かえって不幸です。最後に勝つのが、真の勝利者です。これが仏法です。偉大なる広宣流布の指導者に成長していただきたい」
シラトリさんは一昨年8月、ブラジルSGIの理事長に就任。今、後継の育成に全力を注いでいる。
◇心で師と対話
第4次訪伯の際、池田先生はサンパウロ州の最高褒章「バンデイランテス勲章」やパラナ連邦大学の「名誉博士号」などを相次ぎ授与されている。その一方、諸行事の合間も休むことなく、同志を励まし続けた。
マリア・ジョゼ・デ・メロ・オリベイラさん(婦人部参事)は、自然文化センターで役員に就いた時、先生からねぎらいの言葉を掛けられた。
彼女は前年の12月、最愛の夫を亡くしていた。誠実な人柄で多くの同志に慕われていた夫だった。先生は「負けちゃいけないよ。ご主人のために、記念の植樹をするからね」と。後日、夫の功労をたたえ、同センターに桜の木が植樹された。
師の慈愛と真心に、彼女は奮い立った。広大な天地を使命の舞台と定め、ブラジル総合婦人部長となり、2004年7月、研修会で訪日する。
懇談会の折、先生はオリベイラさんを見つけると、優しく手を取って語った。「あなたのことは全部、知っているよ。これからも頑張ってね」
以来、リーダー率先でさらなる弘教拡大を決意。10年間で100世帯を超える御本尊流布を達成した。
ブラジルSGIが「支部50世帯の弘教」という目標を掲げた15年にも、対話の先頭を走った。
友人、知人はもちろん、かかりつけの医師や、病院の待合室で知り合った人、公園のベンチで隣に座った人など、ありとあらゆる人に信心の素晴らしさ、師匠と巡り合えた喜びを語っていった。その結果、1年間で52世帯の折伏を実らせた。
「師弟といっても、師の言葉を自分への指導と捉え、実際に行動に移せるかに懸かっています。これからも心の中で先生と対話しながら、広布と人材の拡大に挑んでいきます」
◇
池田先生は、これまでブラジルの最高勲章「南十字国家勲章コメンダドール章」を受勲しているほか、サンパウロ市など150以上の州・市から名誉州民・市民証を贈られている。また「牧口常三郎通り」「戸田城聖公園」「池田大作博士環境公園」をはじめ、創価の三代会長の名を冠した公園・橋・通りなどは国内で30を超える。
先生は後年、良き市民の模範と光るブラジルの友に呼び掛けた。
「すべて、わが敬愛する同志の皆さまの勝利である。私は熱い感涙をもって、『ブラジルは勝った! ビバ、ブラジル!』と叫びたい。ブラジルと日本は、地理的な距離は遠い。だが、同志と私の心は最も近い」
2019年10月6日日曜日
2019.10.06 わが友に贈る
「信仰」とは
「勇気」の異名である。
「さあ やろう!」との
自発能動の決意で
前へ前へと突き進もう!
顕仏未来記 P509
『伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり』
【通解】
伝教大師は法華秀句に次のように述べている。「浅い教え(爾前権教)は信じやすく理解しやすいが深い教え(法華経)は信じ難く理解し難い、とは釈尊の教判である。浅きを去って深きに就くのが丈夫の心である。
〈寸鉄〉 2019年10月6日
師子吼とは「師弟共に唱うる所の音声なり」御書。若師子よ叫べ!師に続け
「三重の日」45周年。広布誓願の炎は赤々。万葉の都から拡大のドラマ綴れ
祈りを込めた言葉は必ず相手に届く。さあ励まし週間。勇んで友のもとへ
就寝前の携帯操作は睡眠を妨げ、心にも悪影響—研究。規則決め賢く活用
センター試験、出願期間。受験生よここからが勝負だ!弛まぬ努力で栄冠を
☆勇気の旗高く 池田先生と佐賀 2019年9月23日
◇変毒為薬の功徳舞
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は佐賀県を掲載する。
◇「仏の使い」の陣列
今年、9・15「佐賀の日」制定から45周年の佳節を迎えた。淵源は1967年(昭和42年)、池田先生の佐賀初訪問。99年(平成11年)の随筆で、当時の模様がつづられている。
この佐賀県に広宣流布の支部の旗が翻ったのは、一九六〇年、すなわち昭和三十五年の五月三日である。
私が、第三代会長に就任した、その日であった。
その七年後の九月、私は初めて、佐賀の天地に、わが同志と握手するために伺った。
広宣流布の第一線で戦ってくださる、全県の中堅幹部の方々との記念撮影であった。
当時、九州第一の折伏を敢行した、佐賀の「地涌の菩薩」の誇らしげな笑顔また笑顔。
本当に人生を「価値ある道」に生き抜いた方々の姿。
そして、本当に人生の真髄を勝ち抜いた方々の崇高なる「仏の使い」の陣列は、あまりにも神々しく、私の目には映った。
今年の8月下旬、佐賀県をはじめ、九州北部を記録的な大雨が襲った。今なお、生活への影響が残っている地域が多くある。創価の同志も、男子部有志の清掃ボランティア「かたし隊」を結成するなど、復旧作業に尽力した。
被害が特に大きかった地域の一つ、武雄市は、76年(昭和51年)10月10日に、「佐賀文化祭」が行われた地。その前月、台風17号の影響により、全国的に記録的な大雨となった。池田先生は文化祭に万感のメッセージを寄せた。
佐賀の同志の皆さん、全国の最後を飾る文化祭おめでとうございます。台風の被害はもう大丈夫でしょうか。きょうの文化祭が、皆さまの見事な変毒為薬の功徳舞となり、本年の文化祭の総仕上げとなることを御本尊に祈っております。
私はこの八月に、霧島の総合研修所(当時)で行われた九州輸送班(当時)の野営キャンプの光景を忘れることはできません。
豪雨の中、佐賀県の男子部メンバーは、一糸乱れぬ団結で互いの士気を鼓舞しつつ、最後まで部署を守り抜いておりました。ここに学会魂があります。
私は佐賀の同志を心から信頼いたします。
この佐賀健児の心意気は、全佐賀の同志の心でもあると思います。先輩を大切に、後継の人材をたくましく育てつつ、御本尊根本の、全国に誇る佐賀県創価学会を築いていってください。
◇幸福を築く根本
佐賀初訪問から10周年となる77年(同52年)の5月、先生は佐賀市に完成したばかりの佐賀文化会館へ。
25日から3日間の滞在で、多くの同志と懇談し、記念のカメラに納まった。さらに26日の開館記念勤行会で、渾身の励ましを送った。
何事をなすにも必ず「根本」というものがある。では、この宇宙、生命の「根本」とは何か。また人間が心から願望する真実の幸福境涯を築く「根本」は何か。
いうまでもなくこの根本こそ、南無妙法蓮華経であり、即「御本尊」である。
その根本を受持した人にとって最も大切なことは、御本尊に対する「観心」である。
すなわち、御本尊に備わった偉大なる仏力・法力を、現実の生活の中に顕現しゆく信力・行力の持続こそ、仏道修行の生命である。この基本姿勢を、何があっても絶対に崩さない佐賀の同志であっていただきたい。
この3日間の佐賀訪問の思い出を、先生は随筆で次のようにつづっている。
立派に完成した佐賀文化会館が、友の歓びで輝いていた。
尊き草創の功労者の、追善の儀式もさせていただいた。
三日間の忘れ得ぬ滞在。
——佐賀は、青年がぐんぐん伸びている。佐賀は、これから強くなるぞ。
二十一世紀の佐賀は楽しみだなと、私の胸は熱くなった。
嫉妬に狂いに狂った宗門の坊主らの暴虐が始まったのは、その翌年のことである。
彼らは、仏意仏勅の和合僧を陰険に引き裂き、広宣流布を進める健気な学会員を苦しめ抜いたのだ。
私の"会長勇退"から、ちょうど一年後の四月、私は中国・上海から長崎に降り立った。その長崎の空港にも、誠実なる佐賀の友が迎えに駆けつけてくれた。
また、長崎から福岡に列車で移動する途中、佐賀駅のホームにも、わが同志が待っていてくれた。
「佐賀よ、負けるな! 佐賀よ、頑張れ!」と、窓越しに手を振り、目と目は涙と笑みに光った、あの瞬間は、今も鮮烈に心に焼きついている。
◇「栄え」の郷土を
90年(平成2年)9月24日、先生は13年ぶりに佐賀を訪問。「十三年 待ちに待ちたる 佐賀の旅 喜び満ちたる あの顔この顔」など3首の和歌を詠み贈り、代表の友に語った。
その人その人によって、幸福の味わいもさまざまである。経済的な豊かさや、地位、名声等、人それぞれである。
だが、ひとたび心の破れた人は、幸福の「醍醐味」を味わうことはできない。信心に徹し、どこまでも題目を唱えながら生き抜いた人こそ、永遠の勝利者であり、醍醐味の幸福を得ることができるのである。
私どもは皆、平等である。皆、仏子である。だれが偉いのでもない。信心のある人こそが偉大なのである。
尊き仏子をかりそめにも軽んじるようなリーダーであってはならない。
求道の人には、まさに「立って仏を迎える」ごとく、真心で応えゆくリーダーであっていただきたい。
固く団結しながら、麗しき「栄え」の郷土、素晴らしき「栄え」の人生を築いていただきたい。
この佐賀訪問から6日後の9月30日、九州研修道場(当時)で開催された全国男子青年部幹部会。席上、池田先生は、佐賀の友の広布功労をたたえつつ、スピーチした。
佐賀は、九州の中でも地味な地域ではあるが、佐賀の友は地道に、真面目に広布の活動に励んでこられた。その労苦を私は最大にたたえたい。
とともに、むしろそうした目立たないところで活躍していくのが、本当のリーダーとなっていくための修行であることも忘れてはならないであろう。
世間には、華やかな大都会にあこがれて、幻のごとき名声や人気を追い求める生き方も少なくない。
しかし、幻はどこまでも幻である。現実はどこまでも現実である。
そして、自分はどこまでも自分であって、それ以上でも、それ以下でもない。
それを忘れて目先のことにとらわれ、真実の生きがい、人生の目的を見失ってはならない。
たとえ、喝采のない地味な一隅にあったとしても、自身の立場で「良き人生」と「良き社会」の建設へ、そして「広宣流布」へと懸命に祈り、行動していく。
そこに仏法者の生きがいがあり、その健気な心根こそ大切なことなのである。
「勇気」の異名である。
「さあ やろう!」との
自発能動の決意で
前へ前へと突き進もう!
顕仏未来記 P509
『伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり』
【通解】
伝教大師は法華秀句に次のように述べている。「浅い教え(爾前権教)は信じやすく理解しやすいが深い教え(法華経)は信じ難く理解し難い、とは釈尊の教判である。浅きを去って深きに就くのが丈夫の心である。
〈寸鉄〉 2019年10月6日
師子吼とは「師弟共に唱うる所の音声なり」御書。若師子よ叫べ!師に続け
「三重の日」45周年。広布誓願の炎は赤々。万葉の都から拡大のドラマ綴れ
祈りを込めた言葉は必ず相手に届く。さあ励まし週間。勇んで友のもとへ
就寝前の携帯操作は睡眠を妨げ、心にも悪影響—研究。規則決め賢く活用
センター試験、出願期間。受験生よここからが勝負だ!弛まぬ努力で栄冠を
☆勇気の旗高く 池田先生と佐賀 2019年9月23日
◇変毒為薬の功徳舞
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は佐賀県を掲載する。
◇「仏の使い」の陣列
今年、9・15「佐賀の日」制定から45周年の佳節を迎えた。淵源は1967年(昭和42年)、池田先生の佐賀初訪問。99年(平成11年)の随筆で、当時の模様がつづられている。
この佐賀県に広宣流布の支部の旗が翻ったのは、一九六〇年、すなわち昭和三十五年の五月三日である。
私が、第三代会長に就任した、その日であった。
その七年後の九月、私は初めて、佐賀の天地に、わが同志と握手するために伺った。
広宣流布の第一線で戦ってくださる、全県の中堅幹部の方々との記念撮影であった。
当時、九州第一の折伏を敢行した、佐賀の「地涌の菩薩」の誇らしげな笑顔また笑顔。
本当に人生を「価値ある道」に生き抜いた方々の姿。
そして、本当に人生の真髄を勝ち抜いた方々の崇高なる「仏の使い」の陣列は、あまりにも神々しく、私の目には映った。
今年の8月下旬、佐賀県をはじめ、九州北部を記録的な大雨が襲った。今なお、生活への影響が残っている地域が多くある。創価の同志も、男子部有志の清掃ボランティア「かたし隊」を結成するなど、復旧作業に尽力した。
被害が特に大きかった地域の一つ、武雄市は、76年(昭和51年)10月10日に、「佐賀文化祭」が行われた地。その前月、台風17号の影響により、全国的に記録的な大雨となった。池田先生は文化祭に万感のメッセージを寄せた。
佐賀の同志の皆さん、全国の最後を飾る文化祭おめでとうございます。台風の被害はもう大丈夫でしょうか。きょうの文化祭が、皆さまの見事な変毒為薬の功徳舞となり、本年の文化祭の総仕上げとなることを御本尊に祈っております。
私はこの八月に、霧島の総合研修所(当時)で行われた九州輸送班(当時)の野営キャンプの光景を忘れることはできません。
豪雨の中、佐賀県の男子部メンバーは、一糸乱れぬ団結で互いの士気を鼓舞しつつ、最後まで部署を守り抜いておりました。ここに学会魂があります。
私は佐賀の同志を心から信頼いたします。
この佐賀健児の心意気は、全佐賀の同志の心でもあると思います。先輩を大切に、後継の人材をたくましく育てつつ、御本尊根本の、全国に誇る佐賀県創価学会を築いていってください。
◇幸福を築く根本
佐賀初訪問から10周年となる77年(同52年)の5月、先生は佐賀市に完成したばかりの佐賀文化会館へ。
25日から3日間の滞在で、多くの同志と懇談し、記念のカメラに納まった。さらに26日の開館記念勤行会で、渾身の励ましを送った。
何事をなすにも必ず「根本」というものがある。では、この宇宙、生命の「根本」とは何か。また人間が心から願望する真実の幸福境涯を築く「根本」は何か。
いうまでもなくこの根本こそ、南無妙法蓮華経であり、即「御本尊」である。
その根本を受持した人にとって最も大切なことは、御本尊に対する「観心」である。
すなわち、御本尊に備わった偉大なる仏力・法力を、現実の生活の中に顕現しゆく信力・行力の持続こそ、仏道修行の生命である。この基本姿勢を、何があっても絶対に崩さない佐賀の同志であっていただきたい。
この3日間の佐賀訪問の思い出を、先生は随筆で次のようにつづっている。
立派に完成した佐賀文化会館が、友の歓びで輝いていた。
尊き草創の功労者の、追善の儀式もさせていただいた。
三日間の忘れ得ぬ滞在。
——佐賀は、青年がぐんぐん伸びている。佐賀は、これから強くなるぞ。
二十一世紀の佐賀は楽しみだなと、私の胸は熱くなった。
嫉妬に狂いに狂った宗門の坊主らの暴虐が始まったのは、その翌年のことである。
彼らは、仏意仏勅の和合僧を陰険に引き裂き、広宣流布を進める健気な学会員を苦しめ抜いたのだ。
私の"会長勇退"から、ちょうど一年後の四月、私は中国・上海から長崎に降り立った。その長崎の空港にも、誠実なる佐賀の友が迎えに駆けつけてくれた。
また、長崎から福岡に列車で移動する途中、佐賀駅のホームにも、わが同志が待っていてくれた。
「佐賀よ、負けるな! 佐賀よ、頑張れ!」と、窓越しに手を振り、目と目は涙と笑みに光った、あの瞬間は、今も鮮烈に心に焼きついている。
◇「栄え」の郷土を
90年(平成2年)9月24日、先生は13年ぶりに佐賀を訪問。「十三年 待ちに待ちたる 佐賀の旅 喜び満ちたる あの顔この顔」など3首の和歌を詠み贈り、代表の友に語った。
その人その人によって、幸福の味わいもさまざまである。経済的な豊かさや、地位、名声等、人それぞれである。
だが、ひとたび心の破れた人は、幸福の「醍醐味」を味わうことはできない。信心に徹し、どこまでも題目を唱えながら生き抜いた人こそ、永遠の勝利者であり、醍醐味の幸福を得ることができるのである。
私どもは皆、平等である。皆、仏子である。だれが偉いのでもない。信心のある人こそが偉大なのである。
尊き仏子をかりそめにも軽んじるようなリーダーであってはならない。
求道の人には、まさに「立って仏を迎える」ごとく、真心で応えゆくリーダーであっていただきたい。
固く団結しながら、麗しき「栄え」の郷土、素晴らしき「栄え」の人生を築いていただきたい。
この佐賀訪問から6日後の9月30日、九州研修道場(当時)で開催された全国男子青年部幹部会。席上、池田先生は、佐賀の友の広布功労をたたえつつ、スピーチした。
佐賀は、九州の中でも地味な地域ではあるが、佐賀の友は地道に、真面目に広布の活動に励んでこられた。その労苦を私は最大にたたえたい。
とともに、むしろそうした目立たないところで活躍していくのが、本当のリーダーとなっていくための修行であることも忘れてはならないであろう。
世間には、華やかな大都会にあこがれて、幻のごとき名声や人気を追い求める生き方も少なくない。
しかし、幻はどこまでも幻である。現実はどこまでも現実である。
そして、自分はどこまでも自分であって、それ以上でも、それ以下でもない。
それを忘れて目先のことにとらわれ、真実の生きがい、人生の目的を見失ってはならない。
たとえ、喝采のない地味な一隅にあったとしても、自身の立場で「良き人生」と「良き社会」の建設へ、そして「広宣流布」へと懸命に祈り、行動していく。
そこに仏法者の生きがいがあり、その健気な心根こそ大切なことなのである。
2019年10月5日土曜日
2019.10.05 わが友に贈る
一つ一つの課題を
「最後までやり切る」と
まず心に定めよう!
決めて 祈って 動く。
これが必勝の方程式だ。
日興遺誡置文 P1617
『謗法を呵責せずして遊戲雑談の化儀並に外書歌道を好む可からざる事』
【通解】
謗法を責めることもなく、遊び戯れ、雑談等の振る舞いに明け暮れたり、外道の書物や歌道を好んではいけない。
〈寸鉄〉 2019年10月5日
創大祭・白鳥祭が開幕!創立の心胸に学ぶ青春。君よ世界へ未来へ雄飛を
中部青年部の日。拡大の先頭走る一番星。後継の陣列ありて堅塁城は盤石
苦しい環境に支配されるな—恩師。日々、題目の師子吼で生命力満々と前進
「教育のための社会」実現へ奮闘する教育本部に感謝。きょう世界教師デー
役所など装う架空請求が急増と。葉書で不安煽る手口。冷静に確認し相談
☆10月度男子部 三三蔵祈雨事
◇学会活動こそ成仏の直道 "善友"の連帯築け
10月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「三三蔵祈雨事」を研さん。仏道修行における「善知識」の重要性を学び、創価学会こそ最高の和合僧団であることを確認する。
◇御文
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ、甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ』(御書1468ページ)
◇通解
植えた木であっても、強い支柱で支えれば、大風が吹いても倒れない。もともと生えていた木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。ふがいない者でも、助ける者が強ければ倒れない。少し強い者でも独りであれば、悪い道では倒れてしまう。
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)、あるいはその翌年に身延で著され、駿河国(静岡県中央部)富士上方西山郷に住む西山殿に与えられたお手紙である。
文永11年(1274年)11月に「文永の役」が起き、大聖人が予言した他国侵逼難が的中。人々は蒙古が再び襲来するのではないかと不安におびえていた。危機感を募らせた幕府と朝廷は各地の有力寺社等に蒙古調伏の祈祷を命じるが、そこで広く行われていたのは真言密教による加持祈祷であった。
大聖人は諸御抄で、真言の教えが空虚なものであり、成仏の根本の教えである「一念三千」を盗み取っていると述べられている。
題号にある「三三蔵」とは、中国真言宗の善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵を指しており、大聖人は本抄で、この3人の祈祷で災難が起こった事実を挙げながら、真言師は亡国の「悪知識」であると断じられた。
今回拝読する御文は本抄冒頭の一節で、成仏のためには「善知識」という縁が何より大切であることを教えられている。
◇解説
日蓮大聖人は本抄で「仏になる道は、善知識に勝るものはない」(御書1468ページ、通解)と述べられている。
仏法用語で「知識」とは友人や知人を意味し、仏法の正しい実践に導いてくれる存在を「善知識」と呼ぶ。しっかりとした添え木があれば、大風が吹いても倒れることがないように、師匠や同志という"善き友"がいることで、いかなる障魔をも乗り越え、確固とした幸福境涯を築くことができるのだ。
悩みや苦労のない人生などない。むしろ苦労や悩みが絶えないのが人生であり、まして信心の挑戦をしようとすれば、障魔は必ず起こってくる。特に、仏道を歩む人を妨げる「悪知識」が充満している末法という時代には、なおさらである。
釈尊は"善き友を持ち、善き友と共にいることは、仏道のすべてである"と言った。このように、支え合う同志の存在が大切なのだ。
信心を深めていこうとする人々に縁することで、自分自身も"頑張ろう"と思える。組織は苦手だという人もいるかもしれないが、一人では、気付かないうちに我見に陥り、慢心を起こして正しい軌道を外れかねない。和合僧(同志の集い)を離れた一人だけの信心というものはありえない。
日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を具体的に進める創価学会は、仏意仏勅の和合僧団であり、最高の善知識の集いである。
ゆえに、創価の同志と共に学会活動に励んでいくことが、成仏の直道を歩むことになるのである。
間もなく、10・2「世界平和の日」を迎える。1960年のこの日、池田先生は初の海外訪問へ旅立った。各地で奮闘するメンバーに励ましを送りながら、それぞれの地域の広布を託し、「地区」などを結成されていった。それは、令法久住のために、同志が集い励まし合える善知識の集いである「組織」を、世界に築いていく闘争でもあった。
共に祈り、学び、動く——先生がつくられた一つ一つの組織から広布は広がり、今日の、世界192カ国・地域を結ぶSGIの連帯へと発展していった。
池田先生は、「学会は、最も心強い『善知識』の世界です。忙しくて、なかなか会合に出られなくても、思うように題目があげられなくても、同志と連携を取り合っていくことが、どれほど支えになり、励みになるか。まさに福運あふれる"幸福の安全地帯"です。だから絶対に離れてはいけません。少しでも縁していこうという心が大事です」と語っている。
さあ、「11・18」へ、そして明年の栄光の創立90周年へ、宝の同志と共に人間革命の道を進みゆこう!
☆親子で学ぶ仏教 毒を飲んだ子どもたち 2019年9月22日
むかし、むかし。インドにすぐれた医者がおりました。彼には、たくさんの子どもがいました。10人、20人、いえ、もっとたくさん、100人はいるでしょうか。
「おとうさん、いってらっしゃい」
その朝、子どもたちは、いつものように父を見送りました。
ふいにひとりの子が、どこからか、薬の入った大きなツボを持ってきました。すると、みるみるうちに子どもたちが集まり、「おいしそうだね」と、ツボの中身を飲みほしてしまいました。
やがて、仕事を終えた父が、帰ってくるなり、さけびました。
「ああ、いったいぜんたい、どうしたことよ」
10人、20人、いえ100人もの子どもたちが、床にのたうちまわり、苦しんでいるではありませんか。
実は、子どもたちが飲んだのは、毒薬だったのです。
ひとりの子が、息もたえだえに言いました。
「まちがって毒を飲んでしまって……おとうさん、助けて……」
父は、すぐさま、よりすぐりの薬草を調合して、子どもたちに与えました。
すなおに薬を飲んだ子は、苦しみがぱっと消え去り、元気になりました。しかし、毒が深くまわったせいか、父のつくった薬を毒だと思い、飲みたくないと言う子どもたちもいました。
「わかった。薬はここに置いておくから、飲みたくなったら飲むがよい。わたしは、旅に出る」
父は、そう言い残し、家を出てゆきました。
ほどなく、父のつかいと名のる男があらわれ、子どもたちに告げました。
「お父上は、旅先で亡くなられました」
子どもたちは、しばし、ぼうぜんとしたかと思うと、なげき、かなしみ、大きな声をあげて泣きました。
「おとうさん、ごめんなさい。ぼくたちは、まちがっていました」
毒がまわっていた子どもたちも、やっと正気をとりもどし、父が言い残した言葉を思い出して、良薬を口にすることができました。
知らせを聞いて、父は戻ってきました。実は、死んでなどいなかったのです。
「よかった、よかった。おとうさんは何としても皆を救いたくて、ちえを使って、考えたんだよ」
父の深い愛情を知り、子どもたちに笑顔の花が咲きました。
◇ ◆ ◇
ぶん・橋出たより
え ・前田安規子
おうちの方へ
法華経如来寿量品第16に説かれる「良医病子の譬え」を基にした説話です。
——あるところに、聡明な良医がいた。その良医にはたくさんの子どもがいたが、良医が留守の間に誤って毒薬を飲んでしまった。帰宅した良医が子どもたちに大良薬を与えたところ、素直に飲んだ子どもは回復したが、毒のために本心を失い、薬を飲もうとしない子どもたちがいた。そこで良医は方便として一計を案じ、自ら旅に出て、旅先から使いをやり、あえて「父が死んだ」と告げさせた。これを聞いた子どもたちは、驚きのあまり本心を取り戻し、薬を飲み、病を治すことができた——
ここでの「良医」は仏を示し、「子どもたち」は、間違った教えを信じて苦しむ一切衆生を譬えています。そして、「大良薬」とは成仏の根源の法を表します。
いかに素晴らしい薬も、飲まなければ意味がありません。末法にあって妙法という"最高の良薬"を持ち、弘めていく学会員の生き方こそ、最も尊い人生なのです。
「最後までやり切る」と
まず心に定めよう!
決めて 祈って 動く。
これが必勝の方程式だ。
日興遺誡置文 P1617
『謗法を呵責せずして遊戲雑談の化儀並に外書歌道を好む可からざる事』
【通解】
謗法を責めることもなく、遊び戯れ、雑談等の振る舞いに明け暮れたり、外道の書物や歌道を好んではいけない。
〈寸鉄〉 2019年10月5日
創大祭・白鳥祭が開幕!創立の心胸に学ぶ青春。君よ世界へ未来へ雄飛を
中部青年部の日。拡大の先頭走る一番星。後継の陣列ありて堅塁城は盤石
苦しい環境に支配されるな—恩師。日々、題目の師子吼で生命力満々と前進
「教育のための社会」実現へ奮闘する教育本部に感謝。きょう世界教師デー
役所など装う架空請求が急増と。葉書で不安煽る手口。冷静に確認し相談
☆10月度男子部 三三蔵祈雨事
◇学会活動こそ成仏の直道 "善友"の連帯築け
10月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では「三三蔵祈雨事」を研さん。仏道修行における「善知識」の重要性を学び、創価学会こそ最高の和合僧団であることを確認する。
◇御文
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ、甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ』(御書1468ページ)
◇通解
植えた木であっても、強い支柱で支えれば、大風が吹いても倒れない。もともと生えていた木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。ふがいない者でも、助ける者が強ければ倒れない。少し強い者でも独りであれば、悪い道では倒れてしまう。
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)、あるいはその翌年に身延で著され、駿河国(静岡県中央部)富士上方西山郷に住む西山殿に与えられたお手紙である。
文永11年(1274年)11月に「文永の役」が起き、大聖人が予言した他国侵逼難が的中。人々は蒙古が再び襲来するのではないかと不安におびえていた。危機感を募らせた幕府と朝廷は各地の有力寺社等に蒙古調伏の祈祷を命じるが、そこで広く行われていたのは真言密教による加持祈祷であった。
大聖人は諸御抄で、真言の教えが空虚なものであり、成仏の根本の教えである「一念三千」を盗み取っていると述べられている。
題号にある「三三蔵」とは、中国真言宗の善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵を指しており、大聖人は本抄で、この3人の祈祷で災難が起こった事実を挙げながら、真言師は亡国の「悪知識」であると断じられた。
今回拝読する御文は本抄冒頭の一節で、成仏のためには「善知識」という縁が何より大切であることを教えられている。
◇解説
日蓮大聖人は本抄で「仏になる道は、善知識に勝るものはない」(御書1468ページ、通解)と述べられている。
仏法用語で「知識」とは友人や知人を意味し、仏法の正しい実践に導いてくれる存在を「善知識」と呼ぶ。しっかりとした添え木があれば、大風が吹いても倒れることがないように、師匠や同志という"善き友"がいることで、いかなる障魔をも乗り越え、確固とした幸福境涯を築くことができるのだ。
悩みや苦労のない人生などない。むしろ苦労や悩みが絶えないのが人生であり、まして信心の挑戦をしようとすれば、障魔は必ず起こってくる。特に、仏道を歩む人を妨げる「悪知識」が充満している末法という時代には、なおさらである。
釈尊は"善き友を持ち、善き友と共にいることは、仏道のすべてである"と言った。このように、支え合う同志の存在が大切なのだ。
信心を深めていこうとする人々に縁することで、自分自身も"頑張ろう"と思える。組織は苦手だという人もいるかもしれないが、一人では、気付かないうちに我見に陥り、慢心を起こして正しい軌道を外れかねない。和合僧(同志の集い)を離れた一人だけの信心というものはありえない。
日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を具体的に進める創価学会は、仏意仏勅の和合僧団であり、最高の善知識の集いである。
ゆえに、創価の同志と共に学会活動に励んでいくことが、成仏の直道を歩むことになるのである。
間もなく、10・2「世界平和の日」を迎える。1960年のこの日、池田先生は初の海外訪問へ旅立った。各地で奮闘するメンバーに励ましを送りながら、それぞれの地域の広布を託し、「地区」などを結成されていった。それは、令法久住のために、同志が集い励まし合える善知識の集いである「組織」を、世界に築いていく闘争でもあった。
共に祈り、学び、動く——先生がつくられた一つ一つの組織から広布は広がり、今日の、世界192カ国・地域を結ぶSGIの連帯へと発展していった。
池田先生は、「学会は、最も心強い『善知識』の世界です。忙しくて、なかなか会合に出られなくても、思うように題目があげられなくても、同志と連携を取り合っていくことが、どれほど支えになり、励みになるか。まさに福運あふれる"幸福の安全地帯"です。だから絶対に離れてはいけません。少しでも縁していこうという心が大事です」と語っている。
さあ、「11・18」へ、そして明年の栄光の創立90周年へ、宝の同志と共に人間革命の道を進みゆこう!
☆親子で学ぶ仏教 毒を飲んだ子どもたち 2019年9月22日
むかし、むかし。インドにすぐれた医者がおりました。彼には、たくさんの子どもがいました。10人、20人、いえ、もっとたくさん、100人はいるでしょうか。
「おとうさん、いってらっしゃい」
その朝、子どもたちは、いつものように父を見送りました。
ふいにひとりの子が、どこからか、薬の入った大きなツボを持ってきました。すると、みるみるうちに子どもたちが集まり、「おいしそうだね」と、ツボの中身を飲みほしてしまいました。
やがて、仕事を終えた父が、帰ってくるなり、さけびました。
「ああ、いったいぜんたい、どうしたことよ」
10人、20人、いえ100人もの子どもたちが、床にのたうちまわり、苦しんでいるではありませんか。
実は、子どもたちが飲んだのは、毒薬だったのです。
ひとりの子が、息もたえだえに言いました。
「まちがって毒を飲んでしまって……おとうさん、助けて……」
父は、すぐさま、よりすぐりの薬草を調合して、子どもたちに与えました。
すなおに薬を飲んだ子は、苦しみがぱっと消え去り、元気になりました。しかし、毒が深くまわったせいか、父のつくった薬を毒だと思い、飲みたくないと言う子どもたちもいました。
「わかった。薬はここに置いておくから、飲みたくなったら飲むがよい。わたしは、旅に出る」
父は、そう言い残し、家を出てゆきました。
ほどなく、父のつかいと名のる男があらわれ、子どもたちに告げました。
「お父上は、旅先で亡くなられました」
子どもたちは、しばし、ぼうぜんとしたかと思うと、なげき、かなしみ、大きな声をあげて泣きました。
「おとうさん、ごめんなさい。ぼくたちは、まちがっていました」
毒がまわっていた子どもたちも、やっと正気をとりもどし、父が言い残した言葉を思い出して、良薬を口にすることができました。
知らせを聞いて、父は戻ってきました。実は、死んでなどいなかったのです。
「よかった、よかった。おとうさんは何としても皆を救いたくて、ちえを使って、考えたんだよ」
父の深い愛情を知り、子どもたちに笑顔の花が咲きました。
◇ ◆ ◇
ぶん・橋出たより
え ・前田安規子
おうちの方へ
法華経如来寿量品第16に説かれる「良医病子の譬え」を基にした説話です。
——あるところに、聡明な良医がいた。その良医にはたくさんの子どもがいたが、良医が留守の間に誤って毒薬を飲んでしまった。帰宅した良医が子どもたちに大良薬を与えたところ、素直に飲んだ子どもは回復したが、毒のために本心を失い、薬を飲もうとしない子どもたちがいた。そこで良医は方便として一計を案じ、自ら旅に出て、旅先から使いをやり、あえて「父が死んだ」と告げさせた。これを聞いた子どもたちは、驚きのあまり本心を取り戻し、薬を飲み、病を治すことができた——
ここでの「良医」は仏を示し、「子どもたち」は、間違った教えを信じて苦しむ一切衆生を譬えています。そして、「大良薬」とは成仏の根源の法を表します。
いかに素晴らしい薬も、飲まなければ意味がありません。末法にあって妙法という"最高の良薬"を持ち、弘めていく学会員の生き方こそ、最も尊い人生なのです。
2019年10月4日金曜日
2019.10.04 わが友に贈る
誰も見ていない所で
どれだけ努力できるか。
影の労苦を惜しまぬ人が
最後に信頼を勝ち取る。
自身に恥じぬ人生劇を!
曾谷入道殿御返事 P1059
『題目をはなれて法華経の心を尋ぬる者は猿をはなれて肝をたづねしはかなき亀なり』
【通解】
題目をはなれて法華経の心を尋ねる者は、あたかも猿をはなれて猿の肝を得ようとした亀のようなものである。
〈寸鉄〉 2019年10月4日
東京富士美で仏絵画展が開幕。美の極致。心豊かな会話も弾む芸術の秋到来
「法華経を説く人は柔和忍辱衣と申して」御書。大誠実の行動が学会の魂
善は必ず悪に勝つ—博士正義の学会は世界宗教に発展。後継よ勇み拡大を
国連世界宇宙週間。人類は地球に生きる共同体。宇宙大の心で共に未来へ
人工知能(AI)時代、未来描く哲学が重要—学者"知恵の人"こそ社会の宝
☆心大歓喜 世界広布の電源地 2019年9月24日
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、世界広布の電源地・アメリカSGIのオリビア・サイトウ青年部長が登場。「薬王品得意抄」の御文を拝し、眼前の「一人」を徹底して励ましながら、社会に希望の光を送りゆくアメリカSGI青年部の誇りを、つづってもらいます。
◇御文
『法華経は闇夜の月のごとし法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し』(薬王品得意抄、1501ページ3行目〜4行目)
◇通解
法華経は闇夜の月のようなものである。法華経を信じたとしても深く信じない者は半月が闇夜を照らすようなものであり、深く信じる者は満月が闇夜を照らすようなものである。
★池田先生の指針から
「仏法は勝負」である。現実の生活にあって、一歩また一歩と、向上し、具体的な実証を示していく。そして勝利者となり、成功者となり、長者となっていく。
その姿こそが、仏法の証明であり、あとに続く後輩の希望となる。
どうか青年部の諸君は、たがいに励ましあい、守りあいながら、21世紀の大いなる「アメリカン・ドリーム」を、堂々と、朗らかに実現していっていただきたい。(アメリカSGIの「7・3」記念研修会でのスピーチ、『池田大作全集』第87巻所収)
◇ ◇ ◇
大事なことは、「まず祈る」ことである。祈った瞬間から回転が始まる。闇が深ければ深いほど、暁は近い。祈りきった瞬間から、胸中に太陽が昇る。
「ホープ(希望)!」。祈りこそが、希望の太陽である。悩みを感じるごとに、祈り、打開し、境涯を開いていく。これが、日蓮仏法の「煩悩即菩提」の軌道である。
いわんや、リーダーとして、友のために悩む、広布のために悩む、人を救うために悩む——それ自体が、偉大な責任感の表れであり、菩薩の振る舞いである。
地涌の菩薩に打ち勝てない苦難など、あるわけがない。ゆえに、何があろうと、高らかに妙法を唱えながら、一歩、また一歩と勝ちぬいていただきたい。(ニューヨーク文化会館の集いでのスピーチ、『池田大作全集』第87巻所収)
◇アメリカSGI青年部長 オリビア・サイトウ
●眼前の「一人」を大切に 励ましの光を広げて
1960年10月、世界広布の歴史的な第一歩をアメリカ・ハワイの地に刻まれた池田先生は、続いてサンフランシスコ、シアトル、シカゴ、そしてニューヨークやワシントンDC、ロサンゼルスと、各都市を歴訪。各地で、苦労しながら広布に励む草創の同志を真心から激励されました。まさに、アメリカ広布の本格的な前進は、眼前の「一人」を大切にされる先生の慈愛の励ましが発火点だったのです。
どこまでも「一人」を大切に——私たちは今、この師の心をわが心とし、全米各地で"励ましのスクラム"を広げています。
今回拝する「薬王品得意抄」の一節は、法華経を深く信じる人は、満月が闇夜を照らすように、あらゆる煩悩の闇を照らし晴らしていけるとの日蓮大聖人の御確信を述べられている箇所です。
96年6月1日、ロサンゼルスを訪問された先生は、アメリカSGI最高会議の席上、この御文を拝して語られました。
「アメリカ広布の最高リーダーの皆さまは、メンバーが一人ももれなく皓々たる満月のごとき幸福に輝いていくよう『真心』を尽くしていただきたい」「一人一人を心を込めて大切にし、満月のように円満な、仲良き『連帯』の光を強めていただきたい」
昨今のアメリカ社会には、対立や分断、さまざまな差別、生命を軽視する風潮がまん延しており、特に若者の多くは、将来に希望を見いだせず、無力感や孤独感に苛まれています。
そうした現代にあって、私たち創価の青年が果たすべき使命とは、人間主義の哲学を語り広げ、混迷の闇に覆われた社会を希望の光で照らしていくことにほかなりません。
昨年9月、私たち青年部は、全米9会場を結んで青年大会「正義の師子・5万」を開催。この日に向けて、友好対話と訪問・激励に力を注いだ結果、全土に若き地涌の大連帯を築くことができました。
本年、アメリカSGIでは、地区の強化を軸にした人材育成と弘教拡大に取り組んでおり、リーダー一人一人が最前線の地区に飛び込み、励ましを広げています。青年部としても、青年の月・7月に全米560会場で「支部青年部座談会」を実施。ここには、7000人以上の友人が参加し、「話を真剣に聞いてもらえたのがうれしかった」「皆が差別や偏見なく語り合っていることに驚いた」など、SGIに対する共感の声が数多く寄せられました。
座談会で広げた友情をさらに深めようと、先月、青年部がリードして取り組んだ仏法対話では、1カ月間で1500世帯を超える弘教を成し遂げ、先生に歓喜の報告をすることもできました。
SNSの普及により、"画面越し"でのつながりが増える一方、人間関係の希薄化や孤立化が憂慮されています。だからこそ、座談会や訪問・激励、仏法対話など、互いの悩みや信念を率直に語り、励まし合って、心と心を結ぶ創価の"人間交流の場"が持つ意義は、ますます重要になっていると確信します。
私自身、かつては自分に自信を持てず、将来を悲観していました。そんな折、女子部の先輩に悩みを打ち明けたところ、「師弟」の大切さを教えてくれたのです。さっそく先生の著作を手に取り、読み進めるうち、青年に信頼を寄せる数々の指導に感動しました。"私以上に私を信じてくださる師匠のために、自らの使命に生き抜こう"——そう誓って以来、信心に本格的に励むようになりました。
その後、"折伏こそ最高の報恩"との確信で対話に挑み、これまで11人に弘教を成就。現在、2人の友人に仏法対話を続けており、そのうち一人は、毎日、唱題に挑戦してくれています。
1950年代に信心を始めた祖父母、そして、世界広布に尽くそうとアメリカに渡った父母の開拓精神を受け継ぎ、師と共に、妙法流布に戦い抜くことが私の使命です。
学会創立90周年の明2020年には、池田先生のアメリカ初訪問60周年の佳節を迎えます。幾重にも意義深き年を、地涌のスクラム拡大で荘厳していくとの誓いを胸に、全米の青年部の同志と広布に走り、創価の励ましの光をアメリカ全土へ送ってまいります。
どれだけ努力できるか。
影の労苦を惜しまぬ人が
最後に信頼を勝ち取る。
自身に恥じぬ人生劇を!
曾谷入道殿御返事 P1059
『題目をはなれて法華経の心を尋ぬる者は猿をはなれて肝をたづねしはかなき亀なり』
【通解】
題目をはなれて法華経の心を尋ねる者は、あたかも猿をはなれて猿の肝を得ようとした亀のようなものである。
〈寸鉄〉 2019年10月4日
東京富士美で仏絵画展が開幕。美の極致。心豊かな会話も弾む芸術の秋到来
「法華経を説く人は柔和忍辱衣と申して」御書。大誠実の行動が学会の魂
善は必ず悪に勝つ—博士正義の学会は世界宗教に発展。後継よ勇み拡大を
国連世界宇宙週間。人類は地球に生きる共同体。宇宙大の心で共に未来へ
人工知能(AI)時代、未来描く哲学が重要—学者"知恵の人"こそ社会の宝
☆心大歓喜 世界広布の電源地 2019年9月24日
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、世界広布の電源地・アメリカSGIのオリビア・サイトウ青年部長が登場。「薬王品得意抄」の御文を拝し、眼前の「一人」を徹底して励ましながら、社会に希望の光を送りゆくアメリカSGI青年部の誇りを、つづってもらいます。
◇御文
『法華経は闇夜の月のごとし法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し』(薬王品得意抄、1501ページ3行目〜4行目)
◇通解
法華経は闇夜の月のようなものである。法華経を信じたとしても深く信じない者は半月が闇夜を照らすようなものであり、深く信じる者は満月が闇夜を照らすようなものである。
★池田先生の指針から
「仏法は勝負」である。現実の生活にあって、一歩また一歩と、向上し、具体的な実証を示していく。そして勝利者となり、成功者となり、長者となっていく。
その姿こそが、仏法の証明であり、あとに続く後輩の希望となる。
どうか青年部の諸君は、たがいに励ましあい、守りあいながら、21世紀の大いなる「アメリカン・ドリーム」を、堂々と、朗らかに実現していっていただきたい。(アメリカSGIの「7・3」記念研修会でのスピーチ、『池田大作全集』第87巻所収)
◇ ◇ ◇
大事なことは、「まず祈る」ことである。祈った瞬間から回転が始まる。闇が深ければ深いほど、暁は近い。祈りきった瞬間から、胸中に太陽が昇る。
「ホープ(希望)!」。祈りこそが、希望の太陽である。悩みを感じるごとに、祈り、打開し、境涯を開いていく。これが、日蓮仏法の「煩悩即菩提」の軌道である。
いわんや、リーダーとして、友のために悩む、広布のために悩む、人を救うために悩む——それ自体が、偉大な責任感の表れであり、菩薩の振る舞いである。
地涌の菩薩に打ち勝てない苦難など、あるわけがない。ゆえに、何があろうと、高らかに妙法を唱えながら、一歩、また一歩と勝ちぬいていただきたい。(ニューヨーク文化会館の集いでのスピーチ、『池田大作全集』第87巻所収)
◇アメリカSGI青年部長 オリビア・サイトウ
●眼前の「一人」を大切に 励ましの光を広げて
1960年10月、世界広布の歴史的な第一歩をアメリカ・ハワイの地に刻まれた池田先生は、続いてサンフランシスコ、シアトル、シカゴ、そしてニューヨークやワシントンDC、ロサンゼルスと、各都市を歴訪。各地で、苦労しながら広布に励む草創の同志を真心から激励されました。まさに、アメリカ広布の本格的な前進は、眼前の「一人」を大切にされる先生の慈愛の励ましが発火点だったのです。
どこまでも「一人」を大切に——私たちは今、この師の心をわが心とし、全米各地で"励ましのスクラム"を広げています。
今回拝する「薬王品得意抄」の一節は、法華経を深く信じる人は、満月が闇夜を照らすように、あらゆる煩悩の闇を照らし晴らしていけるとの日蓮大聖人の御確信を述べられている箇所です。
96年6月1日、ロサンゼルスを訪問された先生は、アメリカSGI最高会議の席上、この御文を拝して語られました。
「アメリカ広布の最高リーダーの皆さまは、メンバーが一人ももれなく皓々たる満月のごとき幸福に輝いていくよう『真心』を尽くしていただきたい」「一人一人を心を込めて大切にし、満月のように円満な、仲良き『連帯』の光を強めていただきたい」
昨今のアメリカ社会には、対立や分断、さまざまな差別、生命を軽視する風潮がまん延しており、特に若者の多くは、将来に希望を見いだせず、無力感や孤独感に苛まれています。
そうした現代にあって、私たち創価の青年が果たすべき使命とは、人間主義の哲学を語り広げ、混迷の闇に覆われた社会を希望の光で照らしていくことにほかなりません。
昨年9月、私たち青年部は、全米9会場を結んで青年大会「正義の師子・5万」を開催。この日に向けて、友好対話と訪問・激励に力を注いだ結果、全土に若き地涌の大連帯を築くことができました。
本年、アメリカSGIでは、地区の強化を軸にした人材育成と弘教拡大に取り組んでおり、リーダー一人一人が最前線の地区に飛び込み、励ましを広げています。青年部としても、青年の月・7月に全米560会場で「支部青年部座談会」を実施。ここには、7000人以上の友人が参加し、「話を真剣に聞いてもらえたのがうれしかった」「皆が差別や偏見なく語り合っていることに驚いた」など、SGIに対する共感の声が数多く寄せられました。
座談会で広げた友情をさらに深めようと、先月、青年部がリードして取り組んだ仏法対話では、1カ月間で1500世帯を超える弘教を成し遂げ、先生に歓喜の報告をすることもできました。
SNSの普及により、"画面越し"でのつながりが増える一方、人間関係の希薄化や孤立化が憂慮されています。だからこそ、座談会や訪問・激励、仏法対話など、互いの悩みや信念を率直に語り、励まし合って、心と心を結ぶ創価の"人間交流の場"が持つ意義は、ますます重要になっていると確信します。
私自身、かつては自分に自信を持てず、将来を悲観していました。そんな折、女子部の先輩に悩みを打ち明けたところ、「師弟」の大切さを教えてくれたのです。さっそく先生の著作を手に取り、読み進めるうち、青年に信頼を寄せる数々の指導に感動しました。"私以上に私を信じてくださる師匠のために、自らの使命に生き抜こう"——そう誓って以来、信心に本格的に励むようになりました。
その後、"折伏こそ最高の報恩"との確信で対話に挑み、これまで11人に弘教を成就。現在、2人の友人に仏法対話を続けており、そのうち一人は、毎日、唱題に挑戦してくれています。
1950年代に信心を始めた祖父母、そして、世界広布に尽くそうとアメリカに渡った父母の開拓精神を受け継ぎ、師と共に、妙法流布に戦い抜くことが私の使命です。
学会創立90周年の明2020年には、池田先生のアメリカ初訪問60周年の佳節を迎えます。幾重にも意義深き年を、地涌のスクラム拡大で荘厳していくとの誓いを胸に、全米の青年部の同志と広布に走り、創価の励ましの光をアメリカ全土へ送ってまいります。
2019年10月3日木曜日
2019.10.03 わが友に贈る
「今の自分より
1ミリでも前へ進もう!」
「明日の自分を見よ!」
常に向上しゆく人生は
断じて行き詰らない!
妙心尼御前御返事 P1480
『ただいまに霊山にまいらせ給いなば日いでて十方をみるがごとくうれしく、とくしにぬるものかなとうちよろこび給い候はんずらん』
【通解】
やがて霊山へ参られたならば、太陽が出て十方世界を見晴らすようにうれしく、早く死んでよかった、と喜ばれることでしょう。
〈寸鉄〉 2019年10月3日
皆が会長の行動を少しでも受け継げば平和は実現—総長。青年よ学び、続け
会員が希望に燃えるよう指導できる幹部に—恩師世界広布のロマンを胸に
人は広い人間関係の中で真の自己を見出す—詩聖学会活動こそ成長の直道
東西ドイツの統一の日。分断の壁を破るのは民衆の力。心結ぶ対話へ邁進
健康強調月間。寒暖差の激しい時期。食事・睡眠等の生活習慣の見直し賢く
☆マーナブ・ラチャナ大学「名誉哲学博士号」授与式から 池田先生の謝辞 2019年9月26日
生命は生命によって磨かれる
慈愛の励ましで多彩な人華をこの大地に
創立者の魂・総長の確信「教育に限界なし! 自分が可能だと思う未来を描け」
一、このたびは、目覚ましい大発展を遂げゆかれる希望の大国インドにおいて、最先端の高等教育を通し、卓越した英知の人材を陸続と輩出される貴マーナブ・ラチャナ大学より、栄えある「名誉哲学博士号」を賜り、心より感謝申し上げます。
貴大学が冠された「マーナブ・ラチャナ」との名称は、ヒンディー語で「人間(マーナブ)」と「創出(ラチャナ)」を意味し、モットーの「より良き人間を育成する」との意義が込められていると伺いました。
総長と副会長のご尊父であり、貴大学の創立者であられたO・P・バッラ博士は、一人の「人間」の尊厳と無限の可能性に光を当てた、崇高なる教育の理念と、革新的ビジョンを掲げ、インド社会の繁栄に、不滅の貢献を果たされました。
そして、博士の二人のご子息が、偉大なるご尊父の構想を受け継ぎ、共に力を合わせて実現しておられる姿に、私は心からの感銘を禁じ得ないのであります。
まことに父と子が、不二の使命の道を共に進み抜く「父子同道」には、最も尊く麗しき人生のロマンの劇があるからであります。
本日、創造性豊かな知性と人格のリーダーを育む最高学府として、インドそして世界の教育界を勇躍リードされる貴大学の誉れも高き一員とさせていただきました。
この栄誉を、わが敬愛してやまないインド創価学会の宝友たちと分かち合わせていただくことができ、これほどの喜びはございません。誠に誠にありがとうございました(大拍手)。
一、私は、「精神の大国」インドは「教育の大国」インドであると思う一人です。
いにしえより、釈尊の前世の物語である「ジャータカ物語」や、世界最古の児童向け書籍とされる古代説話集「パンチャタントラ」などが広く民衆教育のテキストとして愛されてきました。世界的に有名な大叙事詩「マハーバーラタ」や、「ラーマーヤナ」は、実に幾千年という悠久の歴史の中で、南アジアの国々にも広がり、民衆の心に優れた道徳や価値観を育み、豊かな人間教育の大地を耕してきたのであります。
置き去りにしない
人類の教師たるインドの釈尊が説いた法華経には、万物の多様性と共生を明かした「三草二木の譬え」があります。
天から普く降り注ぐ慈雨に潤されて、大地にはさまざまな種類の草木が各々に成長を遂げつつ、多彩な花を咲かせ、多様な実を結んでいきます。
それと同じように、人間も生命尊厳の哲理に浴し、慈愛の励ましを受けることで、それぞれの個性を存分に発揮しながら、人華を咲き薫らせていくことができるというのであります。
ここには、誰一人として置き去りにされることのない、平等にして、多彩に生命を慈しみ育む人間教育の真髄が示されているのではないでしょうか。
こうしたインドの天地に流れ通う、深遠なる教育の英知と慈愛を、生き生きと現代に開花させてこられたのが、まさしく貴大学なのであります。
創立者のO・P・バッラ博士の深き人間愛に象徴されるように、貴大学の理念には、生命への温かい眼差しがあり、民衆へのあふれるばかりの愛情があります。私もまた、この熱情こそが教育の出発点であり、終着点であらねばならないと考えてきました。
教育の究極の目的は、一人一人の成長と幸福であり、人間は人間によって、生命は生命によってしか磨かれません。
一、さかのぼれば、インドにおける大学の淵源には、悠遠なる歴史と伝統があります。およそ、紀元前6世紀から紀元後の5世紀にかけて栄えた古代インドのタキシラ大学や、5世紀から12世紀に発展したナーランダ大学は、まさに人類の誇る偉大な知性の遺産であります。
なかでも、タキシラ大学では、古典ヴェーダから、言語、哲学、医学、音楽、舞踊まで幅広く学ばれ、遠くバビロン、ギリシャ、シリア、中国からも求道と向学の学徒が集い、学生数は1万人を超えたといいます。
このタキシラ大学の教育の最大の特徴は、単なる知識の詰め込みではなく、人生の経験を積み、深い洞察を備えた「師匠」と「弟子」の対話による「智慧の教育」にあったとされております。これはまさに、O・P・バッラ博士が目指された、貴大学の崇高な全人教育の理念と、軌を一にするものでありましょう。
貴大学におかれては、学生たち一人一人が、偉大な思考力と行動力を併せ持つとともに、各人が誠実に、地域社会と一体になって、価値創造のリーダーシップを発揮できるよう、薫陶されていると伺い、感嘆しております。
人の振舞こそ
一、私は、若き日、恩師である戸田城聖先生より、一対一の個人授業を受けました。「戸田大学」というべき、全人教育の打ち合いでした。
不屈の信念の教育者であった恩師は、第2次世界大戦中、日本の軍部政府と対峙して投獄され、2年間の獄中闘争を勝ち越えました。戦後の焼け野原に一人立って、新たな民衆の連帯を築き始めた恩師が、常に私たち青年に教えられたことがあります。
かの釈尊の出世の本懐、つまり人生の根本目的は、何であったかという一点であります。それは、「人の振舞」であると示されたのです。
そして、この究極の人間主義の生命哲理を継承し、一人の「人の振舞」に光を当て、変革しゆく「人間革命」の運動に、青年と共に挑戦したのであります。
人間革命は、まさしく民衆のエンパワーメント(内発的な力の開花)を可能にする人間教育と一体であります。
その意味において、「より良き人間の育成」を通して、社会の変革と民衆への貢献にまい進される貴大学の理念は、私ども創価教育の哲学と深く響き合うものであり、幾重にも不思議な縁を感ずるのであります。
総長は、ご尊父の遺志を継ぐに当たり、ご兄弟として大切にされている信条を、こう語られております。
「私たちは教育に"限界"はないと強く信じています。教育者として、私たちは日々学び、そして一日たりとも同じ日はないのです。それは、自分が可能だと思うことは何でも描くことができる、無地のカンバスのようなものです」
まさに、教育における知恵と工夫と努力によって、人間の未来も、世界の未来も、無限に描き出していくことができる。この大確信を、私も総長と共有しております。
マハトマ・ガンジーは叫ばれました。
「人間にとって最も高邁な努力とは、困難にも退くことなく、自らの義務を果たし続けることにある」と。
私も、本日よりは、貴大学の誉れある一員として、「マーナブ・ラチャナ(人間を創出する)」との大哲学を一段と高らかに掲げながら、尊敬する先生方と共に手を携え、愛するインド創価学会の不二の青年たちと一緒に、勇敢に進みゆくことを、ここにお誓い申し上げます。
結びに、貴大学の永遠無窮のご繁栄と、ご臨席のすべての方々の限りないご健勝を、心よりお祈り申し上げ、私の御礼の言葉とさせていただきます(大拍手)。
1ミリでも前へ進もう!」
「明日の自分を見よ!」
常に向上しゆく人生は
断じて行き詰らない!
妙心尼御前御返事 P1480
『ただいまに霊山にまいらせ給いなば日いでて十方をみるがごとくうれしく、とくしにぬるものかなとうちよろこび給い候はんずらん』
【通解】
やがて霊山へ参られたならば、太陽が出て十方世界を見晴らすようにうれしく、早く死んでよかった、と喜ばれることでしょう。
〈寸鉄〉 2019年10月3日
皆が会長の行動を少しでも受け継げば平和は実現—総長。青年よ学び、続け
会員が希望に燃えるよう指導できる幹部に—恩師世界広布のロマンを胸に
人は広い人間関係の中で真の自己を見出す—詩聖学会活動こそ成長の直道
東西ドイツの統一の日。分断の壁を破るのは民衆の力。心結ぶ対話へ邁進
健康強調月間。寒暖差の激しい時期。食事・睡眠等の生活習慣の見直し賢く
☆マーナブ・ラチャナ大学「名誉哲学博士号」授与式から 池田先生の謝辞 2019年9月26日
生命は生命によって磨かれる
慈愛の励ましで多彩な人華をこの大地に
創立者の魂・総長の確信「教育に限界なし! 自分が可能だと思う未来を描け」
一、このたびは、目覚ましい大発展を遂げゆかれる希望の大国インドにおいて、最先端の高等教育を通し、卓越した英知の人材を陸続と輩出される貴マーナブ・ラチャナ大学より、栄えある「名誉哲学博士号」を賜り、心より感謝申し上げます。
貴大学が冠された「マーナブ・ラチャナ」との名称は、ヒンディー語で「人間(マーナブ)」と「創出(ラチャナ)」を意味し、モットーの「より良き人間を育成する」との意義が込められていると伺いました。
総長と副会長のご尊父であり、貴大学の創立者であられたO・P・バッラ博士は、一人の「人間」の尊厳と無限の可能性に光を当てた、崇高なる教育の理念と、革新的ビジョンを掲げ、インド社会の繁栄に、不滅の貢献を果たされました。
そして、博士の二人のご子息が、偉大なるご尊父の構想を受け継ぎ、共に力を合わせて実現しておられる姿に、私は心からの感銘を禁じ得ないのであります。
まことに父と子が、不二の使命の道を共に進み抜く「父子同道」には、最も尊く麗しき人生のロマンの劇があるからであります。
本日、創造性豊かな知性と人格のリーダーを育む最高学府として、インドそして世界の教育界を勇躍リードされる貴大学の誉れも高き一員とさせていただきました。
この栄誉を、わが敬愛してやまないインド創価学会の宝友たちと分かち合わせていただくことができ、これほどの喜びはございません。誠に誠にありがとうございました(大拍手)。
一、私は、「精神の大国」インドは「教育の大国」インドであると思う一人です。
いにしえより、釈尊の前世の物語である「ジャータカ物語」や、世界最古の児童向け書籍とされる古代説話集「パンチャタントラ」などが広く民衆教育のテキストとして愛されてきました。世界的に有名な大叙事詩「マハーバーラタ」や、「ラーマーヤナ」は、実に幾千年という悠久の歴史の中で、南アジアの国々にも広がり、民衆の心に優れた道徳や価値観を育み、豊かな人間教育の大地を耕してきたのであります。
置き去りにしない
人類の教師たるインドの釈尊が説いた法華経には、万物の多様性と共生を明かした「三草二木の譬え」があります。
天から普く降り注ぐ慈雨に潤されて、大地にはさまざまな種類の草木が各々に成長を遂げつつ、多彩な花を咲かせ、多様な実を結んでいきます。
それと同じように、人間も生命尊厳の哲理に浴し、慈愛の励ましを受けることで、それぞれの個性を存分に発揮しながら、人華を咲き薫らせていくことができるというのであります。
ここには、誰一人として置き去りにされることのない、平等にして、多彩に生命を慈しみ育む人間教育の真髄が示されているのではないでしょうか。
こうしたインドの天地に流れ通う、深遠なる教育の英知と慈愛を、生き生きと現代に開花させてこられたのが、まさしく貴大学なのであります。
創立者のO・P・バッラ博士の深き人間愛に象徴されるように、貴大学の理念には、生命への温かい眼差しがあり、民衆へのあふれるばかりの愛情があります。私もまた、この熱情こそが教育の出発点であり、終着点であらねばならないと考えてきました。
教育の究極の目的は、一人一人の成長と幸福であり、人間は人間によって、生命は生命によってしか磨かれません。
一、さかのぼれば、インドにおける大学の淵源には、悠遠なる歴史と伝統があります。およそ、紀元前6世紀から紀元後の5世紀にかけて栄えた古代インドのタキシラ大学や、5世紀から12世紀に発展したナーランダ大学は、まさに人類の誇る偉大な知性の遺産であります。
なかでも、タキシラ大学では、古典ヴェーダから、言語、哲学、医学、音楽、舞踊まで幅広く学ばれ、遠くバビロン、ギリシャ、シリア、中国からも求道と向学の学徒が集い、学生数は1万人を超えたといいます。
このタキシラ大学の教育の最大の特徴は、単なる知識の詰め込みではなく、人生の経験を積み、深い洞察を備えた「師匠」と「弟子」の対話による「智慧の教育」にあったとされております。これはまさに、O・P・バッラ博士が目指された、貴大学の崇高な全人教育の理念と、軌を一にするものでありましょう。
貴大学におかれては、学生たち一人一人が、偉大な思考力と行動力を併せ持つとともに、各人が誠実に、地域社会と一体になって、価値創造のリーダーシップを発揮できるよう、薫陶されていると伺い、感嘆しております。
人の振舞こそ
一、私は、若き日、恩師である戸田城聖先生より、一対一の個人授業を受けました。「戸田大学」というべき、全人教育の打ち合いでした。
不屈の信念の教育者であった恩師は、第2次世界大戦中、日本の軍部政府と対峙して投獄され、2年間の獄中闘争を勝ち越えました。戦後の焼け野原に一人立って、新たな民衆の連帯を築き始めた恩師が、常に私たち青年に教えられたことがあります。
かの釈尊の出世の本懐、つまり人生の根本目的は、何であったかという一点であります。それは、「人の振舞」であると示されたのです。
そして、この究極の人間主義の生命哲理を継承し、一人の「人の振舞」に光を当て、変革しゆく「人間革命」の運動に、青年と共に挑戦したのであります。
人間革命は、まさしく民衆のエンパワーメント(内発的な力の開花)を可能にする人間教育と一体であります。
その意味において、「より良き人間の育成」を通して、社会の変革と民衆への貢献にまい進される貴大学の理念は、私ども創価教育の哲学と深く響き合うものであり、幾重にも不思議な縁を感ずるのであります。
総長は、ご尊父の遺志を継ぐに当たり、ご兄弟として大切にされている信条を、こう語られております。
「私たちは教育に"限界"はないと強く信じています。教育者として、私たちは日々学び、そして一日たりとも同じ日はないのです。それは、自分が可能だと思うことは何でも描くことができる、無地のカンバスのようなものです」
まさに、教育における知恵と工夫と努力によって、人間の未来も、世界の未来も、無限に描き出していくことができる。この大確信を、私も総長と共有しております。
マハトマ・ガンジーは叫ばれました。
「人間にとって最も高邁な努力とは、困難にも退くことなく、自らの義務を果たし続けることにある」と。
私も、本日よりは、貴大学の誉れある一員として、「マーナブ・ラチャナ(人間を創出する)」との大哲学を一段と高らかに掲げながら、尊敬する先生方と共に手を携え、愛するインド創価学会の不二の青年たちと一緒に、勇敢に進みゆくことを、ここにお誓い申し上げます。
結びに、貴大学の永遠無窮のご繁栄と、ご臨席のすべての方々の限りないご健勝を、心よりお祈り申し上げ、私の御礼の言葉とさせていただきます(大拍手)。
2019年10月2日水曜日
2019.10.02 わが友に贈る
一人の偉大な変革が
地域と社会を変える。
これが人間革命の哲学。
新しき時代の建設へ
皆がその「一人」に!
撰時抄 P287
『王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず』
【通解】
王の支配する国に生まれればその身を王に支配されているようではあるが、心までも支配されてはならない。
〈寸鉄〉 2019年10月2日
世界平和の日。師弟の大激闘で学会は192カ国に。仏法の精神を現代に蘇生
妙法の智慧があれば絢爛たる平和と文化が—恩師不二の弟子が語り広げよ
東京・町田の日。広布拡大の模範の勇者よ!新しき民衆勝利の凱歌高らかに
男子部大学校生が対話に汗。今の苦闘が信心の骨格に。師子となって走れ
小中高生の視力低下が顕著と。スマホ等で目を酷使。親が見守り賢く利用
☆新時代を築く 師弟の誓いは富士の如く 2019年9月24日
秋の彼岸の追善回向を恩師記念会館で懇ろに行うとともに、台風等が打ち続く中、全宝友の無事安穏、健康長寿を深く祈念した(21日)。
御書に「上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う」(1430ページ)と仰せである。妙法に包まれた家族・同志は、三世永遠に共に常楽我浄の旅を続けられるのだ。
* * *
恩師記念会館には、私が若き日、戸田先生に捧げた和歌と先生から頂いた返歌が展示されている。
恩師の事業が最も厳しい窮地にあった昭和25年(1950年)9月21日、師弟の誓いを私は詠んだ。
古の
奇しき縁に
仕へしを
人は変れど
われは変らじ
先生の返し歌は2首、
幾度か
戦の庭に
起てる身の
捨てず持つは
君の太刀ぞよ
色は褪せ
力は抜けし
吾が王者
死すとも残すは
君が冠
「古の奇しき縁」とは、「久遠元初」から広宣流布の誓願で結ばれた師弟の契りにほかならない。
御本仏は「師弟相違せばなに事も成べからず」(御書900ページ)と仰せである。
何があろうと、牧口先生、戸田先生を広布の永遠の師匠と仰いで戦い抜く。この不動の一点に立つゆえに、私はいかなる難にも断じて負けなかった。時を超え、国を超えて、師弟の誓いは脈々と受け継がれている。
恩師は私への返し歌で、「君の太刀」は離さず、「君が冠」を残すと詠じてくださった。
私は今、先生と同じ心でわが愛弟子たち一人一人に「正義の宝剣」を託し、「勝利の宝冠」を被せたいのだ。
* * *
「熱原の法難」から740年の今年を、我らは「創価勝利の年」と銘打ち、異体同心で勝ち進んできた。
今、民衆仏法の凱歌は、仏教発祥の天地・インドをはじめ、世界五大州に轟いている。
9月21日は、私が念願の韓国初訪問を果たした日でもある(1990年)。模範の団結で、今月も若き地涌の友を座談会に大結集し、人材を育み、希望の連帯を広げている様子を何よりうれしく伺った。
日蓮大聖人は、熱原の法難の中、同志を守り戦っていた青年・南条時光に、法華経の一節を贈られた。
「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(同1561ページ)
妙法の功徳は無量無辺である。わが創価家族は一人ももれなく、この大功徳を受け切ってもらいたい。あの友にも、この友にも、生き生きと仏法を語りゆこう!
富士の如く揺るがぬスクラムで、太陽の仏法の福光を、いよいよ勇気凜々と、広げゆこうではないか!
☆「少年少女部結成の日」記念大会への池田先生のメッセージ 2019年9月25日
◇「前進時計」は皆さんの心の中に 勇気を出して自分らしく前へ!
大好きな少年少女部の記念の大会、誠におめでとう! お休みの日に、よく集ってこられました。
学会の会合は、行く前にはあまり気が進まなくても、思い切って参加すると、生命がすがすがしく充実する、不思議な力があります。みんな、本当にご苦労さま!
懸命に練習を重ねてきてくれた富士少年希望少女合唱団の皆さんも、団結のハーモニーをいつもありがとう! 保護者の方々、担当者の方々にも、心から御礼を申し上げます。
この東京戸田記念講堂の4階ロビーには、皆さんの先輩たちが力を合わせ、創意工夫をこらしてつくってくれた大きな手づくりの"からくり時計"があります。その名も「前進時計」です。15分ごとに、学会歌のメロディーとともに、ソクラテス、ナポレオン、ベートーベン、ナイチンゲール、ガンジー、さらに、アインシュタインたち世界の偉人の人形が、楽器を持って中央の舞台に楽しく、にぎやかに登場します。
こうした古今東西の偉大な人物たちも求め続けてきた、人類の「幸福」と「平和」という大いなる夢を実現していくのが、私たちの「広宣流布」の前進です。そして、この希望の大前進を担い立つ主役こそ、他の誰でもない、今の少年少女部の皆さんなのです。
日蓮大聖人は、「一日の命は宇宙の全財宝を集めた以上の宝です」(御書986ページ、意味)と仰せになりました。
きょうという一日、「勇気」を出して、自分らしく体当たりで、前へ前へと進み、学んでいくならば、ワクワクするような英知と感動の宝物を新しく発見することができます。その最も強力で、最も爽快な生命のエンジンが、南無妙法蓮華経の題目なのです。
前進していけば、壁にぶつかることもあります。つまずいて転ぶこともあるでしょう。
しかし、大聖人は「大地に倒れたならば、その大地をけって、また立ち上がればよい」と励ましてくださっています。たくましく朗らかな、この「負けじ魂」が、学会精神です。
ともあれ、皆さんの心にも「前進時計」があります。世界中の偉人が少年少女部の皆さんにエールを送っています。太陽や月や星など大宇宙の諸天善神も、正義の走者の味方です。
皆さんが一歩前進すれば、未来も晴ればれと前進します。地球も喜んで前進します。
さあ、きょうから、学会家族と共に、私と共に、勇気と負けじ魂を燃やして、苦しい時も、いやな時も、明るい歌声で吹き飛ばしながら前進しよう! 親孝行を忘れないでね!
宝の皆さんの健康と成長を、私は妻と、毎日毎日、祈っていきます。みんな、元気で!
地域と社会を変える。
これが人間革命の哲学。
新しき時代の建設へ
皆がその「一人」に!
撰時抄 P287
『王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず』
【通解】
王の支配する国に生まれればその身を王に支配されているようではあるが、心までも支配されてはならない。
〈寸鉄〉 2019年10月2日
世界平和の日。師弟の大激闘で学会は192カ国に。仏法の精神を現代に蘇生
妙法の智慧があれば絢爛たる平和と文化が—恩師不二の弟子が語り広げよ
東京・町田の日。広布拡大の模範の勇者よ!新しき民衆勝利の凱歌高らかに
男子部大学校生が対話に汗。今の苦闘が信心の骨格に。師子となって走れ
小中高生の視力低下が顕著と。スマホ等で目を酷使。親が見守り賢く利用
☆新時代を築く 師弟の誓いは富士の如く 2019年9月24日
秋の彼岸の追善回向を恩師記念会館で懇ろに行うとともに、台風等が打ち続く中、全宝友の無事安穏、健康長寿を深く祈念した(21日)。
御書に「上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う」(1430ページ)と仰せである。妙法に包まれた家族・同志は、三世永遠に共に常楽我浄の旅を続けられるのだ。
* * *
恩師記念会館には、私が若き日、戸田先生に捧げた和歌と先生から頂いた返歌が展示されている。
恩師の事業が最も厳しい窮地にあった昭和25年(1950年)9月21日、師弟の誓いを私は詠んだ。
古の
奇しき縁に
仕へしを
人は変れど
われは変らじ
先生の返し歌は2首、
幾度か
戦の庭に
起てる身の
捨てず持つは
君の太刀ぞよ
色は褪せ
力は抜けし
吾が王者
死すとも残すは
君が冠
「古の奇しき縁」とは、「久遠元初」から広宣流布の誓願で結ばれた師弟の契りにほかならない。
御本仏は「師弟相違せばなに事も成べからず」(御書900ページ)と仰せである。
何があろうと、牧口先生、戸田先生を広布の永遠の師匠と仰いで戦い抜く。この不動の一点に立つゆえに、私はいかなる難にも断じて負けなかった。時を超え、国を超えて、師弟の誓いは脈々と受け継がれている。
恩師は私への返し歌で、「君の太刀」は離さず、「君が冠」を残すと詠じてくださった。
私は今、先生と同じ心でわが愛弟子たち一人一人に「正義の宝剣」を託し、「勝利の宝冠」を被せたいのだ。
* * *
「熱原の法難」から740年の今年を、我らは「創価勝利の年」と銘打ち、異体同心で勝ち進んできた。
今、民衆仏法の凱歌は、仏教発祥の天地・インドをはじめ、世界五大州に轟いている。
9月21日は、私が念願の韓国初訪問を果たした日でもある(1990年)。模範の団結で、今月も若き地涌の友を座談会に大結集し、人材を育み、希望の連帯を広げている様子を何よりうれしく伺った。
日蓮大聖人は、熱原の法難の中、同志を守り戦っていた青年・南条時光に、法華経の一節を贈られた。
「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(同1561ページ)
妙法の功徳は無量無辺である。わが創価家族は一人ももれなく、この大功徳を受け切ってもらいたい。あの友にも、この友にも、生き生きと仏法を語りゆこう!
富士の如く揺るがぬスクラムで、太陽の仏法の福光を、いよいよ勇気凜々と、広げゆこうではないか!
☆「少年少女部結成の日」記念大会への池田先生のメッセージ 2019年9月25日
◇「前進時計」は皆さんの心の中に 勇気を出して自分らしく前へ!
大好きな少年少女部の記念の大会、誠におめでとう! お休みの日に、よく集ってこられました。
学会の会合は、行く前にはあまり気が進まなくても、思い切って参加すると、生命がすがすがしく充実する、不思議な力があります。みんな、本当にご苦労さま!
懸命に練習を重ねてきてくれた富士少年希望少女合唱団の皆さんも、団結のハーモニーをいつもありがとう! 保護者の方々、担当者の方々にも、心から御礼を申し上げます。
この東京戸田記念講堂の4階ロビーには、皆さんの先輩たちが力を合わせ、創意工夫をこらしてつくってくれた大きな手づくりの"からくり時計"があります。その名も「前進時計」です。15分ごとに、学会歌のメロディーとともに、ソクラテス、ナポレオン、ベートーベン、ナイチンゲール、ガンジー、さらに、アインシュタインたち世界の偉人の人形が、楽器を持って中央の舞台に楽しく、にぎやかに登場します。
こうした古今東西の偉大な人物たちも求め続けてきた、人類の「幸福」と「平和」という大いなる夢を実現していくのが、私たちの「広宣流布」の前進です。そして、この希望の大前進を担い立つ主役こそ、他の誰でもない、今の少年少女部の皆さんなのです。
日蓮大聖人は、「一日の命は宇宙の全財宝を集めた以上の宝です」(御書986ページ、意味)と仰せになりました。
きょうという一日、「勇気」を出して、自分らしく体当たりで、前へ前へと進み、学んでいくならば、ワクワクするような英知と感動の宝物を新しく発見することができます。その最も強力で、最も爽快な生命のエンジンが、南無妙法蓮華経の題目なのです。
前進していけば、壁にぶつかることもあります。つまずいて転ぶこともあるでしょう。
しかし、大聖人は「大地に倒れたならば、その大地をけって、また立ち上がればよい」と励ましてくださっています。たくましく朗らかな、この「負けじ魂」が、学会精神です。
ともあれ、皆さんの心にも「前進時計」があります。世界中の偉人が少年少女部の皆さんにエールを送っています。太陽や月や星など大宇宙の諸天善神も、正義の走者の味方です。
皆さんが一歩前進すれば、未来も晴ればれと前進します。地球も喜んで前進します。
さあ、きょうから、学会家族と共に、私と共に、勇気と負けじ魂を燃やして、苦しい時も、いやな時も、明るい歌声で吹き飛ばしながら前進しよう! 親孝行を忘れないでね!
宝の皆さんの健康と成長を、私は妻と、毎日毎日、祈っていきます。みんな、元気で!
2019年10月1日火曜日
2019.10.01 わが友に贈る
声には偉大な力がある。
たった一言でも
疲れた心を癒やせる。
悩める人を励ませる。
希望の言葉を紡ごう!
上野殿御返事 P1540
『かたうどなるやうにてつくりおとして、我もわらひ人にもわらはせんとするがきくわいなるによくよくけうくんせさせて人のおほくきかんところにて人をけうくんせんよりも我が身をけうくんあるべしとてかつぱとたたせ給へ』
【通解】
さも味方のように見せかけて退転させ、自分もあざ笑い、人にも笑わせようとする奇怪な者たちには、十分に言わせておいたうえで、「多くの人が聞いているところで人を教訓するよりも、まず自分の身を教訓しなさい」と言って、勢いよく、その場を立たれるがよい。
〈寸鉄〉 2019年10月1日
御書「物だねと申すもの一なれども植えぬれば多く」。友の心田に幸の種を
学術部の日。知性の宝剣掲げる創価の普賢菩薩。民衆厳護の為の論陣頼む
「感謝は高潔な魂の証」作家。今日も謙虚な心で前進、成長。同志と錬磨
中国建国70周年。日中の友好は平和の要石。師が築いた「金の橋」を強固に
国際高齢者デー。長寿大国・日本。生きがい胸に人生飾る多宝の友が希望
☆大白蓮華2019年10月号 きょうも励ましの「旭日」を
それは一九六〇年(昭和三十五年)の十月二日、ハワイへ向かう機中、恩師の写真を内ポケットに納めた胸に手を当てつつ、私は「撰時抄」の一節を命に刻んだ。
「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(P265)
この世界宗教の大宣言を、戸田城聖先生の分身として断じて今こぞ実現せねぱならない。行く所、向かう所、必ず「地涌の菩薩」を呼び出すのだと心は燃えていた。
足を運ぶ全ての大地に題目を染み込ませ、出会う一人また一人の友と、力の限り対話を重ねゆく旅であった。
「私とともに、みんなの幸せのために生きてください」との呼び掛けに応え、皆、悩みや苦しみを抱えながらも、尊き広布開拓のリーダーとして立ち上がってくれたのだ。
日蓮大聖人の仏法は、「励ましの民衆仏法」である。
試練の渦中の四条金吾への仰せには、「殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり」(P1169)とある。
この大慈大悲の陽光こそが、門下を赫々と照らし包み、「法性の淵底」といわれる生命の深奥から、歓喜に踊躍する地涌の菩薩の自覚を呼び覚ましてくださったのだ。
御本仏のお心に連なって、わが友を「法華経の命を継ぐ人」であり「地涌の菩薩」であると信じ、題目を送り、励まし続けていくのが、創価の異体同心の絆である。
「あの先輩の祈りがあればこそ」「この同志の激励のおかげで」と発心し、今度は自分たちが後輩に尽くし、青年を育てるという、麗しき報恩感謝の連鎖がここにある。
世界広布への旅立ちから間もなく六十星霜。地球上のいずこであれ、地涌の菩薩は必ず出現し、「人間革命」の平和の連帯を広げゆけることを、我らは証明してきた。
うれしいことに、今、清新なりーダーが続々と誕生し、自らの誓願の天地で新たな広布開拓に挑み始めている。
「励ましの拡大」が、そのまま「地涌の拡大」となる。
さあ、不二の師弟は、きょうも励ましの「旭日」を!
地涌の義は
創価の励まし
ある限り
希望の人材
永遠に世界へ
☆10月のオススメVOD 2019年9月27日
広布史
●1956年10月9日開始 山口開拓闘争 広布拡大の「転機」
【広布史】1956年、広宣流布の未来を展望した第2代会長の戸田先生が、28歳の池田先生に託した「山口開拓闘争」。3カ月で約10倍という爆発的な弘教拡大を成し遂げ、戸田先生の願業であった75万世帯の折伏をけん引した。広布拡大の「転機」となった歴史の意義に迫る(番組コード=CA16、15分)。
●1963年10月18日創立 民衆を結ぶ文化の架け橋 民主音楽協会
【池田先生の行動と軌跡】1963年の創立以来、世界中の音楽、舞踊、舞台芸術などを日本に招聘してきた民主音楽協会。世界最高峰のオペラ「ミラノ・スカラ座」の初来日公演を実現したエピソードなど、文化交流の足跡を振り返る(BA07、14分)。なお、「活動サポート」のカテゴリーに追加された「民音」から、新番組「民音音楽博物館〜音楽を愛するすべての人に〜」(JG01、8分)も視聴できる。
◇聖教の使命
●聖教拡大が民衆を救う力に
【池田先生のスピーチ】1994年4月の本部幹部会から。「仏は文字によって民衆を救う」(御書153ページ、通解)の御金言を通し、聖教新聞の購読推進に挑戦すること、配達することは弘教に通じていくと指導。さらに、中国唐代の李賀の詩を紹介し、人間性を磨いた「真剣な一人」によって、広布の道が開かれると訴える(AE02、7分)。
ガンジー生誕150周年
●インドの知性が語る ガンジー記念講演 マハトマ・ガンジー ただ民衆のために
1869年10月2日に生まれたインド独立運動の父——マハトマ・ガンジー。10月で生誕150周年を迎える。その非暴力の精神闘争は、世界に多大な影響を与えた。ここでは、ガンジーにまつわる2作品を紹介する。
【池田先生の行動と軌跡】インドで最も権威のあるガンジー研究機関「国立ガンジー記念館」。同記念館の招請により、池田先生は1992年2月、ニューデリーのインド国立博物館講堂でガンジー主義をテーマに講演した。当日の講演映像を収録した「ガンジー記念講演」では、インドの著名な識者が講演の意義を語る(BC03、16分)。
【よくわかる創価学会】「偉大なる魂」と評されるガンジー。しかし、青年時代から特別な才能や環境に恵まれていたわけではない。「マハトマ・ガンジー」では、民衆に捧げられた尊い生涯を描きながら、池田先生のスピーチを交え、青年に熱いメッセージを送る(DF02、12分)。
たった一言でも
疲れた心を癒やせる。
悩める人を励ませる。
希望の言葉を紡ごう!
上野殿御返事 P1540
『かたうどなるやうにてつくりおとして、我もわらひ人にもわらはせんとするがきくわいなるによくよくけうくんせさせて人のおほくきかんところにて人をけうくんせんよりも我が身をけうくんあるべしとてかつぱとたたせ給へ』
【通解】
さも味方のように見せかけて退転させ、自分もあざ笑い、人にも笑わせようとする奇怪な者たちには、十分に言わせておいたうえで、「多くの人が聞いているところで人を教訓するよりも、まず自分の身を教訓しなさい」と言って、勢いよく、その場を立たれるがよい。
〈寸鉄〉 2019年10月1日
御書「物だねと申すもの一なれども植えぬれば多く」。友の心田に幸の種を
学術部の日。知性の宝剣掲げる創価の普賢菩薩。民衆厳護の為の論陣頼む
「感謝は高潔な魂の証」作家。今日も謙虚な心で前進、成長。同志と錬磨
中国建国70周年。日中の友好は平和の要石。師が築いた「金の橋」を強固に
国際高齢者デー。長寿大国・日本。生きがい胸に人生飾る多宝の友が希望
☆大白蓮華2019年10月号 きょうも励ましの「旭日」を
それは一九六〇年(昭和三十五年)の十月二日、ハワイへ向かう機中、恩師の写真を内ポケットに納めた胸に手を当てつつ、私は「撰時抄」の一節を命に刻んだ。
「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(P265)
この世界宗教の大宣言を、戸田城聖先生の分身として断じて今こぞ実現せねぱならない。行く所、向かう所、必ず「地涌の菩薩」を呼び出すのだと心は燃えていた。
足を運ぶ全ての大地に題目を染み込ませ、出会う一人また一人の友と、力の限り対話を重ねゆく旅であった。
「私とともに、みんなの幸せのために生きてください」との呼び掛けに応え、皆、悩みや苦しみを抱えながらも、尊き広布開拓のリーダーとして立ち上がってくれたのだ。
日蓮大聖人の仏法は、「励ましの民衆仏法」である。
試練の渦中の四条金吾への仰せには、「殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり」(P1169)とある。
この大慈大悲の陽光こそが、門下を赫々と照らし包み、「法性の淵底」といわれる生命の深奥から、歓喜に踊躍する地涌の菩薩の自覚を呼び覚ましてくださったのだ。
御本仏のお心に連なって、わが友を「法華経の命を継ぐ人」であり「地涌の菩薩」であると信じ、題目を送り、励まし続けていくのが、創価の異体同心の絆である。
「あの先輩の祈りがあればこそ」「この同志の激励のおかげで」と発心し、今度は自分たちが後輩に尽くし、青年を育てるという、麗しき報恩感謝の連鎖がここにある。
世界広布への旅立ちから間もなく六十星霜。地球上のいずこであれ、地涌の菩薩は必ず出現し、「人間革命」の平和の連帯を広げゆけることを、我らは証明してきた。
うれしいことに、今、清新なりーダーが続々と誕生し、自らの誓願の天地で新たな広布開拓に挑み始めている。
「励ましの拡大」が、そのまま「地涌の拡大」となる。
さあ、不二の師弟は、きょうも励ましの「旭日」を!
地涌の義は
創価の励まし
ある限り
希望の人材
永遠に世界へ
☆10月のオススメVOD 2019年9月27日
広布史
●1956年10月9日開始 山口開拓闘争 広布拡大の「転機」
【広布史】1956年、広宣流布の未来を展望した第2代会長の戸田先生が、28歳の池田先生に託した「山口開拓闘争」。3カ月で約10倍という爆発的な弘教拡大を成し遂げ、戸田先生の願業であった75万世帯の折伏をけん引した。広布拡大の「転機」となった歴史の意義に迫る(番組コード=CA16、15分)。
●1963年10月18日創立 民衆を結ぶ文化の架け橋 民主音楽協会
【池田先生の行動と軌跡】1963年の創立以来、世界中の音楽、舞踊、舞台芸術などを日本に招聘してきた民主音楽協会。世界最高峰のオペラ「ミラノ・スカラ座」の初来日公演を実現したエピソードなど、文化交流の足跡を振り返る(BA07、14分)。なお、「活動サポート」のカテゴリーに追加された「民音」から、新番組「民音音楽博物館〜音楽を愛するすべての人に〜」(JG01、8分)も視聴できる。
◇聖教の使命
●聖教拡大が民衆を救う力に
【池田先生のスピーチ】1994年4月の本部幹部会から。「仏は文字によって民衆を救う」(御書153ページ、通解)の御金言を通し、聖教新聞の購読推進に挑戦すること、配達することは弘教に通じていくと指導。さらに、中国唐代の李賀の詩を紹介し、人間性を磨いた「真剣な一人」によって、広布の道が開かれると訴える(AE02、7分)。
ガンジー生誕150周年
●インドの知性が語る ガンジー記念講演 マハトマ・ガンジー ただ民衆のために
1869年10月2日に生まれたインド独立運動の父——マハトマ・ガンジー。10月で生誕150周年を迎える。その非暴力の精神闘争は、世界に多大な影響を与えた。ここでは、ガンジーにまつわる2作品を紹介する。
【池田先生の行動と軌跡】インドで最も権威のあるガンジー研究機関「国立ガンジー記念館」。同記念館の招請により、池田先生は1992年2月、ニューデリーのインド国立博物館講堂でガンジー主義をテーマに講演した。当日の講演映像を収録した「ガンジー記念講演」では、インドの著名な識者が講演の意義を語る(BC03、16分)。
【よくわかる創価学会】「偉大なる魂」と評されるガンジー。しかし、青年時代から特別な才能や環境に恵まれていたわけではない。「マハトマ・ガンジー」では、民衆に捧げられた尊い生涯を描きながら、池田先生のスピーチを交え、青年に熱いメッセージを送る(DF02、12分)。
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