2018年2月26日月曜日

2018.02.26 わが友に贈る

◇今週のことば
苦闘は即「栄光」なり。
「いまだ こりず候」
もう一歩、もう一度と
不屈の執念の挑戦だ。
皆が快活な青年の心で!
2018年2月26日

上野尼御前御返事 P1580
『妙法蓮華経と申すは蓮に譬えられて候、天上には摩訶曼陀羅華人間には桜の花此等はめでたき花なれども此れ等の花をば法華経の譬には仏取り給う事なし、一切の花の中に取分けて此の花を法華経に譬へさせ給う事は其の故候なり』

〈寸鉄〉 2018年2月26日
仏法は実行だよ。精進だよ—牧口先生。勇気の声で仏縁拡大。堂々と進め
「まっしぐらによい道を進んでいくべきだ」文豪。炎の走者の君よ勝ち捲れ
「これほどの悦びをば・わらへかし」御書。苦難は宝なり。さあ確信の祈りで
20数年後、大学進学者2割減—予測。少子化時代こそ一人を徹して大切に
平昌五輪が閉幕。人々を魅了した多くの新記録。我らも自身の最高峰へ!

☆地域を歩く 北海道 千歳市 2018年2月15日
◇青年の心輝かせて
北海道の空の玄関口・新千歳空港や、支笏湖を擁する千歳市は、古来、太平洋側と日本海側を結ぶ内陸交通の要衝として発展してきた。道央の主要都市となった現在、人口の増加を維持し、平均年齢が道内で最も若い、未来性に富んだ都市となっている。
一方、人口の移動も活発で、毎年、市民の6〜7%、15人に1人が転入・転出する。
同市で青年の心を燃やして活動する千歳県(伊藤康文県長、白石明子婦人部長)のメンバーは、どう地域に根差し、貢献してきたのか。その象徴ともいうべきイベントが開催されると聞き、先月末、同市を訪問した。
◇ 
市の中心から、車で約30分——湖畔には、「支笏湖ブルー」と呼ばれる青色をした大小さまざまなオブジェが並んでいた。今年で第40回を迎えた「千歳・支笏湖氷濤まつり」(〜18日)である。
環境省による水質測定の結果、湖沼部門で「10年連続日本一」に輝いた支笏湖。オブジェは、その湖水を、スプリンクラーを使って吹き付け、凍らせたものである。夜には、ライトアップされて色とりどりに輝き、周囲を、幻想的な雰囲気に変える。
観光客でにぎわう支笏湖ビジターセンターで働く木田橋幸子さん(副白ゆり長)は語った。「明るいあいさつを心掛けています。添乗員さんに『いつも笑顔で接してくれてホッとします』と言われてうれしかった」
この木田橋さんの父親こそ、「氷濤まつり」に第1回から関わった千葉信一さん(副支部長)である。

◇恩返しの生き方を後継世代に伝える
千葉さんが、共に千歳広布を進めてきた�橋澄子さん(支部副婦人部長)の自宅を訪問していると聞いて、現地に向かった。
千歳広布の第一歩は、池田先生が初来道(1954年〈昭和29年〉8月10日)の折、千歳飛行場(当時)に降り立ったところから始まる。
その時、支笏湖にも足を運んだ先生。雄大な自然の中で生き抜く苦労に耳を傾けるとともに、挑戦の中にこそ真の人生の勝利があり、その勇気を湧き出させる根源が信心だ、と励ましを送った。
千葉さんの入会は22歳の時である。以来、55年余にわたり、池田先生の心を胸に、商工会の会長など、愛する地域のためにできることは何でもやってきた。「最初の頃は創価学会といっても、村八分だったから。地域の役を受けても、いろいろ言われたよ」
「氷濤まつり」は、観光客がまばらになる冬季に、支笏湖を元気にしようと、地元の有志と力を合わせて企画した。当初は何をしていいか分からず、北見や層雲峡、根室のイベントを見学することから始めた。
千葉さんは、16年間にわたって発展の礎を築き上げ、90年代半ばに、後進に道を譲った。今や毎年の「氷濤まつり」には、国内外から約26万人もの人々が足を運ぶ。
現在も、老人クラブの会長を務める千葉さん。「皆と一緒に肩を組んで目標に向かって挑戦していくことが大事ですね」
�橋さんが、親しみを込めて「信ちゃん」と呼ぶ千葉さんに言った。
「誰でも、大変な時もあるけど、幸せになるには、やっぱり信心から離れないことよね」
千歳県の友の、地域貢献の形はさまざまだ。
千歳市には、第2次世界大戦後、食糧の増産や就業先の確保を目的に、国策で開拓事業が行われた歴史がある。
久保田守さん(副圏長)の両親は、その"開拓民1世"だ。親が開拓した土地を受け継いだ当初は酪農を手掛けてきた。
忘れられない人生の原点がある。
椎茸栽培に転換し、苦労を重ねていた1980年(昭和55年)、東京に行き、ピアノを弾いて同志を激励する池田先生の姿に触れたことだ。
"どんな時も先生は変わらない"——以来、久保田さんは、自らも不動の人生を貫こうと、妻・雅代さん(婦人部副本部長)と共に、栽培技術を研究するなど挑戦を続けた。その結果、全道の品評会で第2位に輝いた。
98年(平成10年)頃、都市計画の変更を機に離農した久保田さん。現在は、不動産管理の仕事をしながら、町内会の福祉部長などを務める。
一方、坂田正夫さん(副支部長)は、両親から継いだ開拓の土地を、家庭菜園として貸し出している。
個人経営の貸し菜園はめずらしく、地域で愛され続けてきた。
原動力は"広布のために"との思い。現在、妻・康子さん(婦人部副本部長)と共に、17軒に本紙の購読を推進する。
久保田さん、坂田さんの両夫妻の胸には、信心の実証を示すとの情熱が燃えていた。
地域に根差し、貢献する生き方は、青年たちにも伝わっている。
市内の自動車整備工場に勤める小澤勇一さん(男子地区副リーダー)。中学3年生の時、不登校になった。変わるきっかけは、男子部の先輩が手渡した池田先生の「青年抄」だった。
「人生は自分次第である」「自分が道を切り開くのだ」
そうだ。環境が幸・不幸を決めるのではない!——そこから題目根本に挑戦の人生が始まった。
工場の取締役でもある深川豊さん(圏長)は振り返る。「私も男子部の激励で、今の彼と同じ19歳で発心したんだ。加えて自分も親になり、その苦労を思うと、私と彼が二重写しにもなったね」
周囲の学会員の励ましを支えに、小澤さんは現在、通信制の高校に通いながら働いている。
先日、小澤さんが励まし続けてきた地区の2人が、男子部大学校1期生として出発を切った。
「お世話になった地域の人たちに、必ず恩返しする人生を歩みたい」と小澤さんは前を向いた。
写真現像・プリント店の店長を務める松本伸子さん(県女子部主任部長)。2016年4月の売り上げ前年比が道内で第1位に、全国でも第3位に輝いた。
また、昨年の既製はがきの売り上げへの貢献から社長表彰を受けた。
20歳の時に父親を胃がんで亡くして以来、4人きょうだいの長女として家計を支えてきた。
心が折れそうな時、女子部の先輩の励ましが、"このままではいけない"と常に御本尊の前に向かわせてくれた。
「学会家族の皆さんのおかげで、私も周囲を真剣に祈れるようになりました」——松本さんは、"楽しいところに、人は集まる"との池田先生の指針をモットーに、きょうも店頭に立っている。

取材の最後、千歳広布の歴史を聞いた。
2月は、千歳県の友にとって大事な月だ。96年2月8日、池田先生は3首の和歌を詠み贈った。
「大雪の/道を堂々/歩み来る/仏のごとき/尊き君かな」「ひたすらに/また ひたすらに/祈るらむ/仏の使いの/尊きあなたを」「千歳城/何と偉大な/名前かな/あなたも生き抜け/千歳までもと」
広布後継の春3月へ、「従藍而青」の決意で進む千歳県の創価家族。大雪の中、地域のため、友のために心を尽くす姿に、多くの青年が続いていくに違いない。