人生の一切の闘争に
断じて勝つ仏法だ!
勢いよく大胆に戦い
後世に仰がれる
不滅の実証を残そう!
妙法尼御前御返事 P1403
『百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる』
◇寸鉄 2018年2月3日
会長には他者の意見を聞きながら真理に導く力が—博士。聞き上手の鑑と
『新・人間革命』に感動と決意の声。君よ反転攻勢の歴史胸に!正義を叫べ
できないと言う人から何も生まれぬ—夫人。信心に不可能なし。祈り強く
受験シーズン本番。最後まで諦めない人に栄冠は輝く。周囲も温かく応援
騙されたふりして詐欺犯検挙へ—大阪でGメンが始動と。撲滅の知恵更に
☆第43回「SGIの日」記念提言(上)2 「人権の世紀へ 民衆の大河」
◇世界各地で広がる排他主義の動き
"万人の尊厳"を説いた釈尊が常に留意を促していたのも、言葉による固定化がもたらす危険性に他なりませんでした。
「生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)と、人間の尊さは属性を示す言葉で左右されるものではないと訴えたのです。
仏法に、「厭離断九」という言葉があります。
仏と人間とを全く別の存在として立て分けてしまい、最極の生命状態(仏界)を得るためには、それ以外の生命状態(九界)をすべて厭い、そこから離れて、断ち切る以外にないと考えることを指し、それを戒めた言葉です。
日蓮大聖人はこの点を踏まえて、「二乗を永不成仏と説き給ふは二乗一人計りなげ(歎)くべきにあらざりけり我等も同じなげきにてありけりと心うるなり」(御書522ページ)と述べ、特定の人々の存在を根本から否定するのは、他者の尊厳を傷つけるだけでなく、自分の尊厳の土台を突き崩すことになると訴えました。
これは仏法の生命論的な視座ですが、人間の尊厳に対して障壁を設けることの危険性は、現代の人権問題を考える上でも看過してはならない点だと思えてなりません。
特定の人々を蔑み、遠ざけようとし、関係を持つことを嫌う排他主義が、世界各地で深刻な問題を引き起こしているからです。
昨年の国連人権理事会でも、排他主義に関する二つの決議が採択されました。
宗教などの違いに基づく不寛容と闘うことを求めた決議と、外国人嫌悪の行為などを防止するために人種差別撤廃条約の追加議定書の草案づくりを開始する決議です。
2年前に国連で採択されたニューヨーク宣言=注2=でも、「難民または移民を悪魔呼ばわりすることは、私たちが深く関わってきた全人類に対する尊厳と平等の価値を心の底から損ねている」(国連広報センターのウェブサイト)と警鐘が鳴らされていました。
もとより、自分が属する集団に愛着を感じるのは、自然な感情といえるものです。また、自分が住む地域に他国から来た人々を迎え入れることに不安や戸惑いを感じるのも、やむを得ない面があるかもしれません。
しかしそれが排他主義へと傾き、ヘイトスピーチのように憎悪や敵意をむき出しに差別をすることは人権侵害になります。
◇フィルターバブルが引き起こす問題
特に近年、情報社会化が進み、他者とつながる可能性は拡大しているにもかかわらず、ネット空間を通じて増幅するのは、同じような考えを持つ人々との一体感ばかりという現象がみられることが懸念されます。
「フィルターバブル」と呼ばれるもので、インターネットで情報を探す際に、利用者の傾向を反映した情報が優先的に表示され、他の情報が目に入りにくくなるため、知らず知らずのうちに特定のフィルターで選別された情報に囲まれて、バブルの球体の膜に包まれてしまったような状態になることを指します。
深刻なのは、社会問題を巡る認識でも、その傾向が顕著になりつつあることです。
気になる社会問題があっても、目にするのは、自分の考えに近い主張や解説が載ったウェブサイトやSNS(インターネット交流サイト)の内容になってしまいがちで、異なる意見は最初から遠ざけられ、吟味の対象となることは稀だからです。
この問題に詳しいイーライ・パリサー氏は、「情報の共有が体験の共有を生む時代において、フィルターバブルは我々を引き裂く遠心力となる」と注意を喚起しています。
物事を適切に判断するためには文脈を把握し、さまざまな方位に目を配ることが必要となるはずなのに、「フィルターバブルでは360度どころか、下手をすると1度しか認識できない可能性がある」と、視野の狭さがもたらす悪影響に警鐘を鳴らしているのです(『フィルターバブル』井口耕二訳、早川書房を引用・参照)。
多様性の尊重に関する研究でも、社会で主流をなす集団の人々が、差別的な扱いを自分たちは受けずに済んでいる現実をさほど意識しないままでいることが、それ以外の人々に「生きづらさ」を感じさせる状況を助長してきたと指摘されています。
かつて、"公民権運動の母"と呼ばれるローザ・パークスさんとお会いした時(1993年1月)、語っておられた言葉が忘れられません。
「私は悲しい出来事をいくつもいくつも体験してきました。人種差別が、法律のもとで堂々とまかり通り、自分も含めて多くの人々が苦しむのを、何度も目の当たりにしています」
心の痛みをどれだけ強く感じようが、目に見える形で表さなければ、誰も気にとめようとはしない——。
あの歴史的なバス・ボイコット運動は、パークスさんの"不正義に対する明確な拒否"の姿勢が、多くの人々の胸に突き刺さったからこそ、大きな波動を巻き起こしたのではないでしょうか。
◇歴史の教訓を青年に語り継ぐ
日本でも、中国や韓国など近隣諸国の人々への差別意識が根強くみられることは、極めて遺憾と言わざるを得ません。
近隣諸国との相互理解と信頼の構築を目指し、私が長年にわたって交流を深める中で友誼を結んできた一人に、韓国の李寿成元首相がいます。
李元首相の父君は、日本が植民地支配をしていた時代に判事の仕事に就きましたが、韓服を着て出勤し、日本語を話すことを強要されても、決して受け入れませんでした。そして、固有の名前を日本式に改める「創氏改名」を拒否したために判事の職を追われ、弁護士の仕事を始めようとしても開業を許されなかったといいます。
この李元首相から伺った話を含め、戦前と戦時中に非道な扱いを受けた近隣諸国の人々の心の痛みを日本の青年たちに語り継がねばならないとの思いで、私はことあるごとに歴史の教訓を訴えてきました。
昨年10月、創価大学で講演した李元首相は、「どんなに優れた人であっても、他者に対して傲慢であってはならない。また、ある民族が他の民族に対して、傲慢であってはならない」と呼び掛けましたが、日本で今なお続く差別をなくすためにも、若い世代が胸に刻んでほしいと願わずにはいられません。
ともすれば差別は、多くの人にとって無関係のものと受け止められがちです。しかし、社会的なマイノリティー(少数者)の立場に置かれてきた人々にとって、それは日常的に身に降りかかる現実なのです。
人権教育は、こうした差別を助長する"無意識の壁"の存在に目を向けさせ、日々の行動を見つめ直す契機となるものです。
私どもSGIが、人権教育の推進を通して力を入れてきたのも、エンパワーメント(内発的な力の開花)による一人一人の尊厳の回復と、「多元的で誰も排除されない社会」を共に築くための意識啓発です。
これまでSGIは、1995年にスタートした「人権教育のための国連10年」を支援するとともに、そうした国際的な枠組みの継続を呼び掛け、2005年から国連が新たに開始した「人権教育のための世界プログラム」を推進する活動を行ってきました。
その上で、多くの団体と協力しながら、「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択を市民社会の側から後押しし、2011年の採択以降は、人権教育に関わる市民社会のネットワークづくりに取り組んできました。
また、人権教育映画「尊厳への道」を制作して上映会を開催してきたほか、昨年3月にジュネーブの国連欧州本部で行った新展示「変革の一歩——人権教育の力」の開催を各地で進めています。
映画や展示で紹介している事例の一つに、オーストラリアのビクトリア州警察での人権研修から広がった社会の変化があります。
ある捜査でLGBTと呼ばれる人々への不当な扱いが問題となったことを契機に、全職員を対象とする人権プロジェクトを導入した州警察では、移民の人々に対する厳しい態度も改められるようになりました。
警察官は「人」と「行為」を混同してはならない。あくまでも「人」は保護し、違法な「行為」があれば、その「行為」に対処する。これが、人権を基盤にした警察の責務である——との認識が徹底されていったのです。
以来、移民の人々の間でも変化が生じました。ある青年は語っています。
——悪いことをしていなくても、警察官が近づくだけで不安を感じていたが、ある時、「青年のためのリーダーシップ育成のプログラムに参加しないか」と声をかけられた。
プログラムに参加して、警察に対する印象も変わり、"この国の警察官は、制服を着ていても同じ市民であり、普通の人間と変わらない"と思うようになった——と。
こうして人権研修の導入をきっかけに、警察官の意識が変わり、移民の人々の不安も次第に解消される中で、警察に対する市民全体の信頼が高まっていったのです。
◇「因陀羅網」の譬え
この事例が象徴するように、人権教育や人権研修の意義は、知識やスキルを身に付けるだけで完結するものではありません。
異なる集団の人々に対し、同じ人間として向き合う心を取り戻し、社会で共に生きていく関係を紡ぐことに眼目があるのです。
これまで「人権教育のための世界プログラム」では、5年ごとに重点対象を設け、�初等・中等教育、�高等教育と教育者や公務員等、�メディアとジャーナリスト、の三つの段階で進められてきました。
続く第4段階は2020年から始まりますが、私は、その重点対象を「青年」にすることを提唱したいと思います。
青年は、フィルターバブルの影響を受けやすい面がある一方で、人権教育で学んだ経験を周囲に語り、発信することで偏見や差別を克服する輪を広げていける存在です。
核兵器の禁止を求めるICANの活動の中核を担ったのも、20代や30代の青年たちでした。
人権の面からも、そうした世代が形づくられていけば、世界の潮流を分断から共生へと大きく転換できるに違いありません。
フィルターバブルや"無意識の壁"に囲まれていると、他者の人間性の輝きは目に映らず、自分に本来具わる人間性の輝きも曇らされて周囲に届かなくなってしまいます。
人権教育には、属性や立場の違いがつくり出す自他を隔てる壁を取り払い、自分にとっても、他の人々にとっても"人間性の光"を豊かに輝かせる場を広げる力があります。
大乗仏教に「因陀羅網」(帝釈天の宮殿を飾る網)の譬えがあります。
壮大な網の結び目の一つ一つに付けられた宝玉が、互いの姿を映し合う中で、それぞれの輝きを増し、網全体も荘厳されていくイメージに、私は、人権教育が切り開く社会のビジョンをみる思いがします。
人権教育に関する国連宣言が呼び掛ける「多元的で誰も排除されない社会」は、その"人間性の光"を豊かに受け合うつながりを幾重にも織り成す中で、力強く支えられていくのではないでしょうか。
◇国連の取り組みが目指す社会の姿
第三の柱で論じたいのは、人権文化の紐帯は"喜びの共有"にあるという点です。
先月、世界人権宣言が採択された日(12月10日)に合わせ、宣言誕生の場となったパリのシャイヨ宮で「世界人権宣言70周年」のキャンペーンが立ち上げられました。
国連のゼイド・フセイン人権高等弁務官は、声明でこう呼び掛けました。
「私たちは、妥協することなく決然たる立場をとらなければなりません。なぜなら、他者の人権を断固支持することは、自分たちの人権や将来世代の人権を守ることでもあるからです」
この呼び掛けを貫く"力を合わせて人権を共に守る"との問題意識は、国連の他のキャンペーンにも共通するものです。
難民や移民の人々が直面する状況の改善を目指す「TOGETHER」(トゥゲザー)や、ジェンダー平等を推進する「HeForShe」(ヒー・フォー・シー)の取り組みでも、タイトルが象徴するように、差異を超えて行動の連帯を広げることが鍵となっています。
それは、他者の置かれた境遇への理解を必ずしも伴わない消極的な寛容とは本質的に異なる、人権文化の建設を志向したものといえましょう。
消極的な寛容の場合、共生といっても、同じ地域で暮らすことを受け入れるとか、法律やルールがあるからそれに従うといった、表層的なものだけに終わる恐れがあります。
そうした消極的な寛容では、同じ人間として向き合う姿勢には結びつかないために、社会で緊張が高まった時には排他主義を食い止めることは難しいのではないでしょうか。
だからこそ、一人一人の意識変革を通し、「誰もが尊厳をもって生きられる社会」という新しい現実を一緒につくりあげようとする人権文化の取り組みが、今、国連を中心に進められようとしているのです。
仏法に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761ページ)という言葉がありますが、共生の社会を築く源泉となるのは、一人一人が尊厳を輝かせていく姿を互いに喜び合う生き方にあるのではないかと、私は考えます。
法華経では、"万人の尊厳"を説く釈尊の教えに心を打たれた弟子たちが、一人また一人と誓いを立てていく場面があります。
その姿を前に周囲に広がるのは、「心大歓喜」や「歓喜踊躍」といった言葉が随所に出てくるように、喜びの輪であり、その喜びを分かち合う中で人々が"万人の尊厳"への思いを深めていく姿が描かれているのです。
SGIの民衆運動を突き動かしているのも、そうした"喜びの共有"に他なりません。
国や人種の隔てなく、互いが直面する課題に対し、共に前に進んでいけるよう支え合っていく。そして、困難に立ち向かう中で尊厳の光を輝かせる友の姿を胸に焼き付け、その友の前進を我が事のように一緒に喜び合っていく思いが源泉となってきたのです。
◇自由と平等求めた公民権運動の精神
この"喜びの共有"に関連して頭に浮かぶのは、以前、歴史学者のビンセント・ハーディング博士から伺ったアメリカ公民権運動の思い出です(『希望の教育 平和の行進』第三文明社)。
博士が運動に身を投じたのは、大学院生だった頃、マーティン・ルーサー・キング博士の自宅を訪れたことがきっかけでした。
当時、アメリカでは、バス・ボイコット運動を機に差別撤廃を求める動きが広がる一方で、黒人の大学生が登校停止になったり、黒人の生徒が高校の入学を拒否され続けるなど、南部の州を中心に緊張が高まっていました。
シカゴにいたハーディング博士は、黒人と白人のキリスト教徒が協力し合う活動に参加していましたが、そのうち、仲間の間で次のような自問が広がるようになったといいます。
「もし我々が、黒人と白人が兄弟姉妹として一緒に暮らすことが違法で危険な南部に住んでいたなら、我々はどう行動するだろうか。重大なトラブルに巻き込まれても信念を貫き、互いの関係を守ることができるだろうか」
そこで博士たちは「それなら、南部へ行ってみよう」と決断し、2人の黒人と3人の白人の5人組で車に乗り込みました。
最初に立ち寄ったアーカンソー州で目にしたのは、入学拒否にあった生徒を支援する中心者の家に向けられていた非道な脅迫の実態だったといいます。
差別に反対する人々への暴力が続いていたミシシッピ州を通り抜け、アラバマ州に着いた時、キング博士はナイフで刺される事件に遭ってまもない頃で、モンゴメリーの自宅で安静を余儀なくされていた状態でした。
それでもコレッタ夫人は来訪を大変に喜び、キング博士との面会が実現しました。
その時の出会いを回想して、ハーディング博士は語っていました。
「モンゴメリーで初めて出会ったとき、私たち二人の黒人と三人の白人の五人組が『兄弟』として、南部での旅を試みていることに、キングはとくに感銘を受けていました」
「というのも、彼の主要な目標の一つは、単に黒人のために法的な権利を確立することではなく、それを超えて、彼が『愛に満ちた共同体』と呼んでいた"同じ人間としての根本的なつながり"を再発見できる場を創ることにあったからです」と。
もちろん、キング博士にとって、新たな法律の制定を後押しし、平等と社会的公正を実現する道を開くことは、何としても勝ち取らなければならないものでした。公民権法のような法律の整備は、差別や抑圧の蔓延を阻止するための社会の礎として、絶対に欠かせないものだからです。
その上でキング博士の眼差しは、根強い偏見や感情的なしこりを取り除く努力、そしてさらに、ハーディング博士の表現を借りれば、「黒人や白人、そしてあらゆる人々が一緒になって、"共通の善"のための"共通の基盤"を見いだすことのできる『アメリカ』を創ること」に向けられていたのです。
公民権運動が大きなうねりとなり、二人の出会いから5年後(1963年8月)にワシントン大行進=注3=が実現した時には、人種の違いを超えて多くの人々が参加しました。
キング博士は、その大勢の人々の思いを代弁するかのように、こう述べています。
「その日首都に旅してきたおよそ二十五万人の人々の中には多くの高官や名士たちがいた。しかし真に人々の心を揺り動かす感動は、一意専心自分たちの時代に民主主義の理念に到達しようと決意して、堂々と立ち尽くしていた普通の一般大衆からやってきた」(クレイボーン・カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』梶原寿訳、日本基督教団出版局)
そこに集った人々の胸に脈打っていたのは、自由と平等への思いを共にする中で社会に巻き起こしてきた一つ一つの変化に対する"分かちがたい喜び"ではなかったでしょうか。キング博士の言葉に「旅」とありますが、私は、その当日だけでなく、そこに至るまでの日々というプロセスの中でさまざまな労苦を重ねてきたからこそ、多くの人々の胸に迫る万感の思いがあったと感じるのです。
であればこそ、多くの白人が参加しただけでなく、キング博士が当時の記者の見解として特筆していた、「平和時におけるこの国のどんな問題よりも、米国の三大宗教信仰を近づけた」という歴史的な連帯が築かれたのだと思えてなりません。
◇8回にわたって共同声明を発表
テーマは異なりますが、SGIが核兵器の禁止を目指す中、さまざまな信仰を背景とする団体と協力し、宗教コミュニティーとしての共同声明を発表してきたのも、民衆の連帯によって時代変革の波を起こしていかねばならないとの一意専心の思いからでした。
くしくも、その連帯を築く出発点となったのは、アメリカのワシントンで2014年4月に開催した宗教間シンポジウムです。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教を信仰する人々が集まり、核兵器の問題について語り合った末に、14団体の宗教者の署名による共同声明を発表したのです。
以来、同年12月にウィーンで行われた核兵器の人道的影響に関する国際会議をはじめ、2015年のNPT再検討会議や、2016年の核軍縮に関する国連公開作業部会、そして昨年の核兵器禁止条約の交渉会議など、重要な節目ごとに宗教コミュニティーとしてその場に臨み、8回にわたって共同声明を積み重ねてきました。
私たちは宗教の垣根を越えた使命感を共有していますが、連帯の紐帯はそれだけではありません。力を合わせて挑戦を前に進めること自体に、何よりの喜びを感じてきたのです。
SGIは、昨年11月にバチカン市国で行われた、核兵器のない世界への展望を巡る国際会議にも参加しました。
フランシスコ教皇は、核兵器の使用だけでなく核兵器の保有そのものについても明確に非難し、核兵器は誤った安全保障観をつくり出すだけで、「連帯の倫理」こそが平和的な共存の基盤になると訴えました。
また、核兵器禁止条約の交渉会議で多くの国々が核兵器の非人道性を踏まえて示したような「健全なリアリズム」の重要性を強調しましたが、私も深く同意するものです。
◇人類の歴史開く民衆の連帯を!
振り返れば、私が核兵器禁止の合意形成を強く呼び掛けたのは、今から50年前、キング博士が亡くなった翌月のことでした。
それだけに、キング博士が最後に行った講演の一節は、ひときわ胸に残っています。
博士は講演で、"もし人間の全歴史を眺めることができるとしたら、どの時代に生きたいか"と自問する中で、ルネサンスの時代や、リンカーンが奴隷解放宣言の署名を決断した時など、多くの出来事を見たいが、そこで立ち止まらずに、あくまで自分が生きている時代に立ち会いたいとし、こう述べました。
「さてこれは奇妙な発言だと思われることでしょう。なぜなら今世界はめちゃくちゃになっているからです。国は病んでおり、地には悩みがあり、どこにも混乱があります。たしかにこれは奇妙な発言です。しかしどういうものか、私は真っ暗な時にこそ、星はよく見えることを知っています」
「そして私がこの時期に生きることを幸せと思うもう一つの理由は、われわれは人々が歴史を通じて取り組もうとしてきた地点に、どうしても来ざるをえないようにさせられているからです」(前掲『マーティン・ルーサー・キング自伝』)と。
翻って現在、人権文化の建設に国連と市民社会が協働して取り組む流れが形づくられようとする一方で、世界の民衆の「生命の権利」を守る核兵器禁止条約の発効に向けて正念場を迎えるこの時、キング博士の言葉を今一度かみしめるべきではないでしょうか。
私たちの眼前には、人類史を画する挑戦の舞台が大きく広がっています。
すべての人々が尊厳をもって生きられる平和と共生の地球社会という「新しい現実」を創造することは決して不可能ではなく、その挑戦を成し遂げる原動力は民衆の連帯にあると、私は確信してやまないのです。