体調管理を賢明に!
流感にも十分注意し
疲れをためない工夫を。
豊かな智慧と生命力で
健康を勝ち取れ!
道場神守護事 P979
『必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し』
☆女性に贈ることば 一月三十一日
子どもを育てていく過程では、思いもよらない、困難な出来事に出合うものです。
その時こそ−−
お母さん、あなたの愛が必要です。
お母さん、あなたの強さが大切です。
お母さん、あなたが負けないことが、子どもの人生の勝利につながります。
☆今日のことば365 一月三十一日
早く休もう
そして 早く起きよう
そこにこそ 逞しい前進と建設があるからだ
☆青春勝利の大道 第8回 一切の根本は唱題行なり
◇日々"生命の鏡"を磨け
皆、自分自身を磨く方途を求めている。信心は、わが生命を最高に磨く実践である。
日蓮大聖人は、『只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし』(御書P384)と仰せになられた。
題目で磨いた"生命の鏡"は、智慧と勇気の輝きをいやまし、健康と幸福と勝利の光彩を放っていける。どんな富や名声であろうとも、"生命の鏡"を磨いた若人には、かなわない。
労苦を惜しまず広布に戦う青年は、友の労苦も鏡のように映し出せる。日々、題目を唱え、この濁世に、自他共に生命輝く世界を創り出していくのだ。
◇決意を込めた題目を
戸田先生は師子吼された。
『本当の決意を込めた題目をあげよ!題目は利剣である。題目は宝刀である。題目で勝つのだ!』
青年ならば、『試練を絶対に乗り越えてみせる』『わが地域を断じて日本一にする』と勇敢な決意で祈り、奮い立つのだ。
最強無敵の宝剣を持つ青年に、打ち破れない苦難などない。
この『変毒為薬』『煩悩即菩提』の原動力が、唱題なのだ。
『南無妙法蓮華経は精進行なり』(P790)との御指南のままに、たゆまぬ信行学を貫き、青春の逆転劇を!広布のロマンの宝友と励まし合い、凱歌の歴史を飾ってくれ給え!
☆仏法の教え 「賢者の信心」を貫く 2017年1月21日
「戦う魂」を持った人が最後は勝つ!
連載「生老病死を見つめて」では、創価学会員が信心根本に、生老病死という「四苦」を乗り越えてつかんだ信仰の確信と仏法の哲理を紹介する。今回は夫の「余命宣告」から亡くなるまでの日々を、一緒に歩んだ婦人の体験を通して考察したい。
◇心に刻む御聖訓
苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ(四条金吾殿御返事、1143ページ)
◇突然の余命宣告に動揺
日蓮大聖人は、苦境の渦中にあった弟子の四条金吾に語られている。
「賢人は、八風といって、八種の風に侵されない人を賢人というのである。(八風とは)利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽である。おおよその意味をいえば、利益があっても喜ばず、損をしても嘆かない等のことである。この八風に侵されない人を、必ず諸天善神は守られるのである」(御書1151ページ、通解)
信仰とは、何ものにも揺るがない、堂々たる自分を創り上げる力である。大聖人は、さまざまな面から人の心を迷わせ、紛動させる「八風」に侵されることなく、信心を貫く人こそ「賢人」となり、人生を勝利できると述べている。だが、迫りくる「死」や「病」といった障魔にも揺るがない生き方を貫くのは、決して容易ではない。
◇ ◆ ◇
山田栄子さん(55)=東京・港太陽区総合婦人部長=の夫・茂さんが亡くなったのは、2014年(平成26年)7月30日のこと。享年55歳。末期のすい臓がんとの宣告から、2年後のことだった。
茂さんの病が判明した時、腫瘍は既に5〜6センチあり、腹膜にも転移して手術は困難だった。茂さんから、その事実を伝えられた時、山田さんは頭の中が真っ白になり、涙があふれた。
担当医からは、「もっても良くて1年、まれに2年」と告げられた。動揺する山田さんや3人の子どもを前に、茂さんは毅然と語った。「大丈夫だよ。御本尊様は絶対だから。必ず治すよ」——それは、いつもと変わらない茂さんの言葉だった。
◇常に変わらない夫の姿
山田さんは郷里の愛媛で茂さんと知り合い、23歳で結婚。長男が1歳で、くも膜下出血を発症するなどの試練を乗り越えて、信心の確信を深めた。
1988年(昭和63年)には茂さんの転勤で東京・港区に転居し、その後、夫妻は広布の最前線で戦い抜いてきた。余命宣告を受けた時、茂さんは副区長。茂さんはその後、抗がん剤治療を開始するが、それは亡くなるまで50回を超えた。
山田さんは語る。
「がんによる痛みがなかったのが幸いでした。医者は『絶対に痛みがあるはずだ』と言うのですが、本人はいたって変わらないのです。がんが分かってからも通院で治療し、普段は仕事へ行き、学会活動にも一歩も引かずに挑戦していました」
茂さんは闘病中、「同志の励ましがあるからこそ病気と闘える。ありがたいね」と語っていた。
山田さんも夫と共に戦い抜こうと決意し、池田先生の指導を何度も読み返し、唱題に励んだ。だが、抗がん剤治療は必ずしも良い結果を示さず、落ち込むこともあったという。
そんな山田さんを励ますように、茂さんは語った。「この病は僕の宿命なんだよ。おかげで、本気の題目があがるよ」
"夫は決して諦めていない。病魔に負けるものか!"——茂さんの言葉を聞いて山田さんも気持ちを新たにした。
「苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい」(同1143ページ、通解)との御聖訓を心に刻み、時間をこじ開けて御本尊に向かい続けた。
茂さんは医師の予想を覆し、強い生命力で病魔と闘い続けた。だが、2014年4月に入ると、次第に腹水がたまるようになり、茂さんは休職を余儀なくされる。
同年5月からは自宅療養となり、山田さんは在宅介護で献身的に支えた。この間、茂さんは亡くなる前日まで、力を振り絞るように自力でトイレに歩いていき、普段と変わらない生活を送り続けた。
◇悲しみに負けず前進
山田さんには忘れられない光景がある。
「亡くなる数日前、夫がかつて折伏した人からお見舞いの手紙が届きました。その時、夫はかなり体力も落ち、食事も十分に取れない状況でした。夫は手紙をうれしそうに何度も読み返しては唱題し、必死に食事を取って体力を回復させようとしていました。その姿に、夫の"生きるんだ!"という強い意志を感じました」
茂さんの振る舞いは、最期まで変わらなかったという。亡くなる直前、茂さんは山田さんを呼んで「背中をさすってほしい」と頼んだ。山田さんが唱題しながら背中をゴシゴシとさすると、「もうちょっと優しくして」と、茂さんは笑いながら言った。
そして「ありがとう」と語ると、ゆっくり目を閉じた。これが夫婦で交わした最後の会話になった。茂さんは山田さんにみとられ、苦しむことなく安詳として霊山に旅立っていった。
「夫の葬儀を終えてホッとすると、強い悲しみに襲われました。通りすがりの夫婦を見るだけで涙がこぼれ、"私は二度とこんなことはできないんだな"と思って悲しくなりました。そんな私の支えとなったのは、池田先生をはじめ同志の真心の励ましでした」
茂さんが亡くなってしばらくしたころ、地元の麻布文化会館で宝寿会の同志とばったり会った。
自身も幾多の苦難を乗り越えてきた宝寿会の婦人は、山田さんに駆け寄ると何も言わず抱きしめてくれた。そのぬくもりに学会の温かさを感じた。
夫の死から2年半——。この間、残された山田さん家族は、互いを思いやりながら、悲しみに負けず進んできた。山田さんは仏壇のそばにある遺影に日々の出来事を語り掛けながら、学会活動に歩いている。
「闘病中の2年間は、夫婦や家族の絆が最も強くなった時でもありました。夫が、どんな時も常に変わらない姿で家族に接して、病と闘い抜く姿を見せてくれたから、私たち家族も信心を疑うことなく進んでくることができました。『宿命を使命に変えよう』と、必死で闘い続けたこの2年間があったればこそ、今、病で苦しむ友に心から同苦し、励ましを送っていくことができるのだと思います」