熱意なくして
達成された偉業はない。
苦闘なくして
偉大な人間は育たない。
大情熱のリーダーたれ!
種種御振舞御書 P913
『日蓮申すやう不かくのとのばらかなこれほどの悦びをばわらへかし』
☆女性に贈ることば 一月二十七日
感謝と報恩を知る人は、いつまでも美しく、晴れ晴れとして、いっさいを勝ち越えている。
☆今日のことば365 一月二十七日
信用というものは、積むに難く崩すに易いものだ。十年かかって積んだ信用も、いざという時のほんのちょっとした言動で失ってしまうこともある。
苦難のなかを、まっしぐらに自らの使命に生きぬく人こそ、最後にあらゆる人の信用を勝ち得るものだ。
☆教育 家庭は子どもの安全基地� 2017年1月15日
「やらせる」より自主性育む言動を
立命館大学准教授 安田裕子さん
大阪教育大学教授 戸田有一さん
家庭は子どもにとって一番身近であってほしい居場所。家庭が安心・安全を得られる場所になることで、子どもは諸活動にも意欲を燃やすことができます。家庭を子どもの安全基地にするために、どのような心掛けが大切なのか、立命館大学の安田裕子准教授と大阪教育大学の戸田有一教授に語り合ってもらいました(�は22日付掲載予定)。
◇手が出るのは不安が強いから
戸田 安田さんは虐待された子や家庭でのDV(ドメスティックバイオレンス)に心を痛め、何とかしたいという思いでの研究もされてきました。虐待というレベルまでいかなくとも、思わず子どもを厳しく叱ってしまうことは、少なからずあることかもしれません。しつけの延長で暴力に至ってしまうケースです。
例えば、小学校低学年の子どもが家でなかなか宿題をせず、授業の復習ができていない状態だったとします。親は「このままではいけない」と焦る。それで、嫌がっている子を叱りつけてでも勉強させる。こうした状態に陥ることもあります。
安田 「子どもをちゃんと育てなければ」という親の気持ちは自然なありようですし、また、親としての責任感からくるものでもあるでしょう。ただ、そうした気持ちがあまりにも強すぎ、変に気負ってしまって、その「理想的な」ありようから子どもがはみ出してしまったと思った時、不安と焦りで思わず手が出てしまうことがあり得るのではないでしょうか。
しかし暴力は、子どもの成長の観点からも、有効な方法とはとても言えません。たしかに子どもが幼い時は、力ずくで親の言うことを聞かせることができるかもしれません。しかし、子どもも心身ともに大きくなりますから、そんなことがいつまでも続くわけではありません。
戸田 子どもはやがて親の力でコントロールできなくなりますからね。そうなれば、力ずくで勉強させることはできないし、「勉強しなさい」と言う親に対して反抗したり、やっているふりをしたりするようになるでしょうね。
安田 力ずくで言うことを聞かせていると、子どもはそうした対処の仕方を学んでしまって、やがて子どもも力で反抗するようになったり、また、親のコントロールから逃れることばかりにエネルギーを注ぐようになってしまうのです。
◇問い掛けの工夫でやる気に
戸田 力で子どもを従わせるのは疲れますし、無益ですね。自発性を重視した関わり方が、長い目で見て有効という考えは同感です。わが家でも子どもに何かをさせたい時に、「〜しなさい」という命令文ではなく、「イエス」か「はい」で答える質問をするように心掛けました。
安田 勉強やお手伝いは、子ども自身も、やらなければいけないと、どこかで分かっています。それなのに、親から「やりなさい」と先に言われてしまうと、一気に嫌になり、やる気を失ってしまうのですよね。「イエス」か「はい」ですか(笑い)。面白いですね。具体的にはどんな質問ですか。
戸田 例えば「勉強する? お手伝いする?」とか、「今やる? 後でやる?」といった問い掛けをしていました。たいがい「後でやる」と言いますし、両方嫌と言われると困るのですが(笑い)。
親から言われたらやる気をなくすけれど、自分の意志でやることやタイミングを選べるのであれば、より主体的になれます。子どもには命令よりも、いろいろな選択肢を与えて、自ら選ばせてあげることが大切ですね。
安田 そうですね。それに加えて言葉による報酬も大切だと思います。本人が選択して行動した「勉強」や「お手伝い」に対して、「頑張ったね」とか、「お母さん、すごく助かったわ」とか。そうしたコミュニケーションを日頃から心掛けることが、子ども自身のやる気を高めることにつながりやすいとされています。
戸田 そもそも、子どもが何でも誰かの言うことに従うとしたら、困ったものです。子どもに「やらせる」ことよりも、駆け引きを通して自主性や忍耐力を育むことが大事です。それを、子どもを従わせるべきと思い込むと、怒ったり、ついつい、手を出したりしてしまうのでしょう。
安田 ただ、それでも手を出してはいけないのだと思います。たとえ、たたかれて身につく生活習慣や社会のルールがあったとしても、それは、たたかれたくないという気持ち、痛いことから自分を守りたいという思いから、従っているにすぎないといえるからです。
そうしたことを繰り返していれば、子どもは、自分の行動基準を、自分の言動そのものの善しあしではなく、相手が「こわいか、こわくないか」というような点にしてしまう恐れがあります。権威への迎合につながり得ることでもあります。そうしたことが、人格形成によい影響を与えるわけがないと思うのです。
◇大人の振る舞いをまねる
戸田 力で従わせるのではなく、辛抱強く、言葉で駆け引きしたいものですね。大変ですが。安田さんの研究や発言を通して、子どもの命と安心・安全を守るための、強い願いとたゆまぬ歩みを感じます。
昔から世の中の一部には「口で言っても分からない子には、手を出してもいい」という考え方が、浸透しているように感じます。
こうした考え方を大人は、いったいどこで学んだのでしょうか。おそらく、自分の人生の中で編み出したものではなく、誰かの考えを受け売りで言っているだけなのでしょう。
安田 普段の人間関係で、そのようなことは通用しませんよね。言うことを聞き入れてくれないからといって、友達、上司をたたいたら言うことを聞いてくれた、なんてことはあり得ないことです。それなのに、わが子にだけ、それが可能であると、どうして思うのでしょうか。
戸田 おかしなことです。近年、北欧などではわが子への体罰も法律で厳しく禁止されていますね。
安田 「子どもが大人の振る舞いをまねる」といったことに焦点をあてた行動心理学の実験があります。ケガをして困っている人に援助をしている大人の様子が映し出されたビデオを見る子どもと、ケガをした人がいても援助をしない大人が映し出されたビデオを見る子どもとに分けます。そして、実際にケガをした大人が来た時に、それぞれのビデオを見ていた子どもがどのような行動をとるのかを観察しました。
援助する大人のビデオを見ていた子どもは、ケガをしている大人に「どうしたの?」と援助しようとしたのに対し、援助しない大人のビデオを見ていた子どもは、ケガをした人に気をとどめることなく遊んでいた、という傾向が捉えられたのです。
この実験からも、大人の振る舞いを見て、子どもは自分の行動を学んでいくことは明らかでしょう。
戸田 なるほど。しつけのために子どもに暴力を振るうことは、結果として子どもに、「腹立たしい時は、相手に暴力を振るっていい」という考え方を伝えてしまっているとも言えるのですね。そういう論理が、平和の文化の対極にあります。大人の振る舞いが、子どもにどれほどの影響を与えているのか、深く自覚しておきたいものです。
やすだ・ゆうこ 大阪府生まれ。臨床心理学専攻。子どもを自然には授からなかった女性の経験と選択を捉える研究や、虐待被害に遭った子どもやDV家庭で育った子どもへの地域援助に関する研究、人の発達や人生径路の多様なありさまを捉える方法論に関する研究などを行う。著書に『不妊治療者の人生選択—ライフストーリーを捉えるナラティヴ・アプローチ』(新曜社)など。
とだ・ゆういち 1962年(昭和37年)、長野県生まれ。教育心理学専攻。ロンドン大学客員研究員、ウィーン大学客員教授なども経験。子育て支援やいじめ・虐待防止関連の国内外の調査に携わる。著書に『育自・共育あらかると—親の願いと子どものこころ』(北大路書房)など。