弘教・拡大に挑み抜く
創価班・牙城会の
大学校生よ 頑張れ!
誓いは果たしてこそ。
誇り高く鍛えの青春を!
聖愚問答抄上 P491
『知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす』
☆女性に贈ることば 一月二十七日
感謝と報恩を知る人は、いつまでも美しく、晴れ晴れとして、いっさいを勝ち越えている。
☆今日のことば365 一月二十七日
信用というものは、積むに難く崩すに易いものだ。十年かかって積んだ信用も、いざという時のほんのちょっとした言動で失ってしまうこともある。
苦難のなかを、まっしぐらに自らの使命に生きぬく人こそ、最後にあらゆる人の信用を勝ち得るものだ。
☆誓いの天地 高知市 2017年1月9日
地域で"なくてはならない人"に
団結固く"広布の魁"と光れ
高知市は「都会と田舎」の魅力を併せ持った街だ。
市街地にある「ひろめ市場」は、飲食店や雑貨店が集まり、連日、多くの人でにぎわいを見せる。カツオやウツボのタタキ、屋台餃子など、高知の名物料理が味わえる。
毎週日曜日には、高知城の追手門から東に延びる追手筋に、400を超える露店が並ぶ。この日曜市には、300年以上の歴史があるという。
市街地から南へ車で25分ほど移動すれば、太平洋を望む桂浜に到着する。月見の名所であり、坂本龍馬像の前は、絶好の記念撮影スポットだ。
池田先生はかつて、高知男子部に「自分の世代の広宣流布は、自分たちが開き築いていくんです」と語った。今、その誓いのままに前進するメンバーが、高知の地に陸続と誕生している。
高橋大樹さん(高知池田正義県、男子部本部長)、弟の輝男さん(高知池田本陣県、同)兄弟も、地域広布に駆ける青年だ。桂浜の近くで、船舶用の冷凍・冷蔵設備製造の会社を経営する。
大樹さんが中学1年の時、両親が離婚。母・小夜さん(白ゆり長)は、2人を育てるため、昼夜なく働き続けた。
「一刻も早く母を楽にしてあげたかった」と大樹さん。中学を卒業した後、職業訓練校へ。輝男さんも同じ道を進んだ。
だが、2人とも仕事が長く続かない。大樹さんは、短気な性格が災いし、輝男さんは、仕事で嫌なことがあるたびに逃げた。
そんな兄弟の転機は、創価班大学校の入校だった。"自分自身を変えたい"と、がむしゃらに学会活動に励んだ。
「本気で信心に取り組むようになってから、簡単に諦めなくなった。耐える強さが身に付きました」と兄弟は声をそろえる。
2011年(平成23年)、現在の会社を立ち上げた。当初は経営が軌道に乗らなかったが、苦境を乗り越えようと、2人で真剣に祈った。また、その年、共に弘教を実らせた。今、売り上げは順調だ。
「この先、海外の船舶にも、自分たちの設備を搭載できるようにしたい」と大樹さん。兄弟の視線は、龍馬のごとく、世界へ向けられている。
◇
安部直美総県女子部長に高知の魅力について質問すると、「夏の太陽のように熱い心」との答えが返ってきた。
"勝ち気"などを意味する土佐弁の「はちきん」に象徴されるように、高知女性はたくましいといわれる。
実際に、高知県は、女性の有業者、管理職比率が全国一(総務省統計局の平成24年就業構造基本調査)。高知は女性活躍の先進県である。
窪田美穂さん(高知池田本陣県、県女子部主任部長)は、県内の病院の循環器内科で、慢性心不全看護認定看護師として奮闘を重ねる。
小学生の時、母・スエ子さん(地区副婦人部長)が指定難病の潰瘍性大腸炎を発症した。看護師の励ましで、弱気だった母が明るくなる姿を見て、看護師を志すようになった。
看護学校を卒業後、現在の病院へ。患者の死に直面するたび、人間の命の重さを実感し、"どうすれば患者の心に寄り添う看護ができるか"を祈り、実践してきた。
看護に当たる慢性心不全の患者には、食事や運動など、さまざまな制限がある。そうした中で、生きる希望を失う人もいる。だからこそ、窪田さんは、患者に積極的に声を掛け、"生きていて良かった"と感じられる真心の看護に努める。
現在、白樺グループの四国総合委員長を務める。多忙な中で、学会活動にも全力を注ぐ。
「人の心が温かい高知が大好きです。地域でも、職場でも、"なくてはならない人"に成長していきます」——広布への誓いが、窪田さんの心に、夏の太陽のように輝いている。
栄光の共戦譜
東京・大田での池田先生の「二月闘争」から1年後の1953年(昭和28年)2月、蒲田支部(当時)のメンバーの対話で、高知に四国初の学会員が誕生した。
同年12月には、高知班の結成式が行われ、翌年7月、高知地区に発展した。
55年(同30年)1月22日、池田先生は恩師・戸田先生と共に高知へ。同地区の総会に出席した。
池田先生は「高知の広布は皆さんの手で」と強調。戸田先生は「幼稚園から大学まで、一貫教育の学校を必ずつくる。日本一の学校をつくるよ」と、創価一貫教育の構想を語り残している。
この総会に集った滝本冨美子さん(高知池田大光県、県議長)。「戸田先生と池田先生の高知初訪問の場に居合わせたことは、生涯の誉れです」
72年(同47年)6月20日、池田先生と、約6000人の高知の友との記念撮影会が開催された。撮影会に向かう途上、先生は詠んだ。
「我が友に 諸天も舞いゆけ 土佐の旅」
16回に及んだ撮影会では「日本一、世界一の模範の団結の高知を築こう」と呼び掛け、友の勝利の前進に期待を寄せた。
冨美子さんは、夫・永年さん(高知池田大光県、県主事)と参加。この折、先生と夫婦で懇談する機会があった。
「高知の友を深く思う先生の真心に、生涯、弟子として高知広布に戦い抜こうと腹が決まった瞬間でした」と永年さん。
その後、冨美子さんは初代の高知県婦人部長として、永年さんも壮年のリーダーとして、広い高知中を駆け巡った。
夫婦は今、合わせて167歳だが、広布への情熱は、ますます盛んだ。昨年は、全国に対話を拡大。今年も、と誓う。
◇
7回の池田先生の訪問の中でも、78年(同53年)12月4日から始まる7泊8日の高知指導は、多くの友が「宝の歴史」として胸に刻む。
翌5日の昼、先生は高知支部結成22周年の記念幹部会に出席。法華経の「普賢菩薩勧発品」を通して語った。
「信心を貫いていくうえで必要なのは、勇気です」「高知の皆さんは、自分に打ち勝つ、勇気ある信心の人であってください」
川田富松さん(高知池田大光県、副県長)は、この幹部会で先生と初の出会いを刻んだ。
10日に開催された高知県男子部幹部会にも、川田さんは参加。その時の「一人一人が、なんらかのかたちで社会に貢献してほしい。何かでトップになっていただきたい」との師の指導が、人生の指針となった。
92年(平成4年)、川田さんは、社会保険労務士試験に合格。現在、高知県社会保険労務士会の副会長を務める。
妻の敏枝さん(総県副婦人部長)は、高等部の人材グループ「四国鳳雛会」の一員として、72年の記念撮影会に参加した。
84歳の母・島田美津子さん(高知池田正義県、支部副婦人部長)は、これまでに96世帯の弘教を達成。高知広布を支えてきた功労者だ。
敏枝さんの原点は、45年前の6月18日に香川で行われた先生と四国鳳雛会の懇談会。師匠の「学会一筋で頑張っていくんだよ」との激励に、"生涯、先生・学会と共に"と誓った。
学会活動に率先しながら、県女性保護対策協議会副会長を務めるなど、地域貢献にも尽力する。
3人の子どもも"師弟一筋"の道を進む。
関冨美子さん(高知池田正義県、地区副婦人部長)は、78年12月10日、高知平和会館の周辺を散策していた先生から、激励を受けた。「3人の子どもも励ましてくださり、記念撮影までしてくださいました」と感謝は尽きない。
この時の感動を決意に、60歳まで証券会社に勤務しながら、学会活動にも取り組んできた。
一昨年、弘教を実らせた。師恩を胸に、広布の最前線を走る。
78年の高知指導で、先生は高知の友に指針を示した。
「水の信心」
「団結の高知」
「功徳の高知」
2018年は、この永遠の3指針の発表から40周年。師が「魁の高知」とたたえた天地で、友は団結固く、世界広布の"先駆け"の使命を敢然と果たしゆく。