真心の祈りと行動は
必ず相手に伝わる。
「あの人に励ましを」
「この友を幸福に!」
誠実一路で信頼を結べ!
弥三郎殿御返事 P1451
『名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦多宝十方の仏来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし』
◇人生の座標
子どもたちの心の闇に漂う一種の不気味さに、大人社会が当惑と苛立ちを募らせるのは、なぜか。
そこには、価値の空白時代につきものの無関心やシニシズム(冷笑主義)という病理を、子どもたちの鋭敏な心が先取りし、そのまま映し出していることへの本能的な危惧、警戒心があるとはいえないでしょうか。
☆100文字の幸福抄
長い人生、体調を崩して一休みする時もある。
思うようにいかぬことが幾つも重なる時もある。
それでも少しずつ前へ、
「春遠からじ」と自分自身を信じて進む。
一歩また一歩と!
その地道にして不屈の歩みそのものが
「幸福の道」である。
☆随筆民衆凱歌の大行進 第22回� 世界宗教への飛翔
万歳を
同志(とも)と叫ばむ
五月晴れ
さらに続けよ
前進勝利を
尊き団結の奮闘で「5月3日」を凱旋で飾った我らは、勇気凜々と新たな前進を開始した。
共々に出発しよう!
創価の師弟は、永遠に前へ前へ進むのだ。
「私は続けるだろう」とは、ルネサンスの巨人レオナルド・ダ・ビンチが晩年に記した言葉だ。
偉大な創造は「続ける」中にある。
偉大な勝利も「戦い続ける」中にこそある。
日蓮大聖人は、『終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし』(P816、「御講聞書」)と仰せになられた。
今月、SGIの春季研修では、世界65カ国・地域から270人もの同志が、勇んで集ってくれた。
これは、SGIメンバーがいる192カ国・地域の実に3分の1にもあたり、五大陸すべてから、宿縁深き友が一堂に会したのである。
私も、東京・信濃町の総本部で、皆さん方とお会いすることができた。本当に嬉しかった。
また研修会と呼応し、40年前にSGIが結成された原点の天地グアムのリーダーたちが、早くも次の結成50周年への出発を期して、はつらつと来日してくれた。
さらに30年前、四国の徳島県で共に忘れ得ぬ歴史を刻んだ、ブラジル広布の功労者「徳島会」の代表も、阿仏房と千日尼の如き求道の心で、広宣流布大誓堂での誓願勤行会に参加された。
皆が法華経の行者であり、地涌の菩薩である。それぞれの誓いの国土で、希望の太陽となり、励ましの太陽となって、幸福と平和の光を広げに広げているのだ。
我らは「大法弘通」へ、「慈折広宣流布」へ、一丸となって邁進する、異体同心のスクラムだ。
大聖人が願われた通り世界宗教の大光は、ここに燦然と輝いている。
世界宗教へ飛翔しゆく大切な力は、まず「一人立つ」精神である。
自らの仏性に目覚め、広宣流布の使命に決然と「一人立つ」勇者がいれば、新たな変革の波が起こる。自分が変われば、地域が変わり、世界が変わるのだ。
一人ひとりの生命の尊厳と平等を説き切った大哲学があるからこそ、いかなる試練にも屈せず、「一人立つ」力を信じ抜くことができる。
御書には、『日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり』(P328、「報恩抄」)、また『地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり』(P1359、「諸法実相抄」)等々、幾度となく「日蓮一人」とお認めである。
御自身が一人立ち、戦い続けてこられたのだ。その上で『わたうども二陣三陣つづきて』(P911、「種種御振舞御書」)と、後継の弟子が陸続と立ち上がることを確信なされていた。
一人から一人へ、師匠から弟子へ、そして師子と師子の連帯へ!——この広宣流布の大道を、寸分違わず進まれたのが、戸田城聖先生であった。
先生は戦時中、巣鴨の東京拘置所の独房で作られた「同志の歌」に、こう詠まれている。
「妙法流布の 大願を 高くかかげて 独り立つ」
ここに広宣流布を誓願とし、永遠の使命とした学会精神の根本がある。
と同時に、先生は熱願された。「捨つる命は 惜しまねど 旗持つ若人 何処にか」「競うて来たれ 速やかに」と。
今、日本全国、そして全世界で、いよいよ勢いをまして「旗持つ若人」が一人また一人と、立ち上がっている。若き地涌の菩薩が満を持して躍り出る、世界広宣流布の躍進が始まっているのだ。
次に、「一人を大切にする」ことを、世界宗教の条件に挙げたい。
誰もが掛け替えのない生命である。誰もが生老病死の苦悩を抱えた人間である。今この時を地球で生きる仲間である。
上も下もない。貧富や貴賤の差などない。
「生命」を基準にした時、誰もが一対一で向き合うことができる。
この一対一の対話を、最も尊い人間修行としたのが、法華経である。
『能く竊(ひそ)かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず』(創価学会版法華経P357)
一人のため、あの友のために、真剣に法華経を語る人こそが「如来の使い」と言われるのだ。
世界広布といっても、その最前線は、いずこの国でも、一対一の対話ではないか。いつでも、どこでも、誰でも、目の前に苦しんでいる人がいれば、親身に声をかける。悩みを聞き、共に泣き、共に祈り、共に喜び合う。
この「一人を大切にする」人間主義の行動が、あらゆる人に無条件に開かれているところに、創価学会が世界に広がった理由があるのだ。
私が対談したトルコ出身の文化人類学者ヤーマン博士は、ある一つの国や地域で生まれた宗教が「世界宗教」になりうるには、「対話」が大切だと強調された。
「対話を通して、異なる文化の奥に普遍のヒューマニズムが脈打つことを知るべきです」
ヤーマン博士は、わがSGIメンバーが、それぞれの地域で、ヒューマニズムの啓発の対話を重ねていることを称賛してくださった。
「創価学会の平和への挑戦は、劇的であり、この長年にわたる挑戦自体が偉大な達成である」と。