2015年5月10日日曜日

2015.05.10 わが友に贈る

次代を担う人材は
実践の中で育つ。
共に祈り、共に動き
わが地域から
未来に輝く連帯を!

撰時抄 P292
『正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし』

◇人生の座標
子どもが転んだり、つまずきそうになったとき、手を差し伸べたいのが親心かもしれませんが、それは「小善」の子育てです。「大善」の子育てというのは、自分で生き抜く力をつけてあげることなのです。

☆100文字の幸福抄
たとえ今は苦しくとも、「希望」を見つめ、
苦労の坂を一歩一歩のぼり、
少しずつ、自分の力で
自分の夢を実現していく。
その人こそ、本当の
「深い喜び」を知る人である。
ここに、人間としての「美しい人生」がある。

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第14回 イタリアの「花の都(フィレンツェ)」�
「人類の宝」と光る皆さんと、今回は、地球に輝く文化の「花の都」へ、心の旅に出掛けよう!
その街は、時の流れに色あせることがありません。いな、時とともに、いよいよ光彩を増していくように思えます。
それは、イタリアのフィレンツェです。アルノ川のほとり、小高い丘にあるミケランジェロ広場に立つと、「屋根のない博物館」と呼ばれる世界遺産の街並みが一望できます。
私は、ここからの眺めが大好きです。3回(1981年、92年、94年)のフィレンツェ訪問の折、行事の合間を縫って、青年たちと幾度となく立ち寄りました。この地で活躍した、きら星の如きルネサンス人と対話する思いで、カメラにも収めてきました。
フィレンツェは、14世紀から16世紀にかけて、イタリアに始まり、ヨーロッパに広まった文化運動「ルネサンス」の電源地です。「ルネサンス」とは、フランス語の「再生」「復興」という意味で、文芸の復興、人間の復興が叫ばれました。
ルネサンスでは、中世までの「教会中心」の社会、「聖職者中心」の身分制度が、経済力をつけて自立した市民たちによって、変革されていきます。
市民が模範としたのが、古代ギリシャ・ローマの「人間性の春」でした。人々は呼び掛けました。「古代へ帰れ! 人間に帰れ!」——と。
そうした人々を象徴する姿が、ルネサンス美術の巨匠ミケランジェロによって作られた、堂々たる「ダビデ像」です。ミケランジェロ広場には、そのレプリカ(複製)が立っています。
ダビデは、古代イスラエルで宿敵の巨人を倒し、祖国を救った「無名の青年」です。それまでの美術作品では、もっぱら"勝利したダビデの姿"が描かれてきましたが、ミケランジェロは"これから戦いに挑む姿"として表現しました。ダビデ像には「よし、戦おう!」「断じて負けない!」という気迫と活力がみなぎっています。
ルネサンスとは、人間性を抑圧する邪悪な力に対する「精神の戦い」です。その生き生きとした戦いの中で、人々は自分たちの生命の尊さに目覚めていったといってもよいでしょう。
「我に無限の可能性あり!」
「人間はかくも偉大なり!」と。
この5月末に、イタリア共和国と文化交流協定を結ぶ東京富士美術館(八王子市)では、ルネサンスの偉大な魂を学ぶ「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」が始まります。そこでは、二人の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチと、ミケランジェロに光が当てられます。
実は、私もお招きをいただいたフィレンツェ市庁舎・ヴェッキオ宮殿には、かつて、この二人がそれぞれにフィレンツェの戦いの歴史を描いた壁画で、大広間を飾るという構想がありました。当時は完結しなかった"夢の競演"が、今回、500年の歳月を超えて、美術展として結実するのです。
ダ・ヴィンチは、生涯で1万ページともいわれるノートを書き残し、「モナ・リザ」で知られる絵画や彫刻、さらに建築、数学、生物学、物理学など、万般にわたって貢献しました。
わが創価大学の本部棟には、この"創造的人間"のブロンズ像が、厳然とそびえ立っています。
ダ・ヴィンチは言います。
「障害が私を屈服させることはない。あらゆる障害も奮励努力によって打破される」
万能の天才も、"負けじ魂"で必死に努力を貫いていたのです。
"負けじ魂"光る、真のルネサンス人たる未来部の皆さんから、「21世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ」「21世紀のミケランジェロ」が陸続と登場することを、私は楽しみにしています。
81年に「花の都」を訪れた時、私は尊敬する友人との再会を果たしました。イタリア出身のアウレリオ・ペッチェイ博士です。
博士は、地球環境の汚染に、いち早く警鐘を鳴らした「ローマクラブ」の創設者です。
20世紀最大の歴史家であるトインビー博士が、「ぜひともお会いするように」と、私に推薦してくださったお一人でした。
初めての出会いは、75年のフランス・パリ。人類の未来をめぐって、真剣に語り合いました。
81年は3度目の語らいでした。72歳のご高齢にもかかわらず、博士は自ら車を運転し、ローマから4時間もかけて来てくださったのです。しかも博士は前日、ロンドンからローマの自宅に戻られたばかりでした。
人類のために東奔西走される"戦う知性"を、私は仰ぎ見る思いで迎えました。
会談は2時間余に及びました。
博士は、私との対談集『21世紀への警鐘』の中で、人間に内在する「未開発で未使用の能力という、莫大な富」に注目され、それを開発する「人間革命」の重要性について語られました。
「現代という苦難の時代におけるこの人間精神のルネサンスこそ、私が『人間革命』と呼んでいるものなのです」
「われわれは人間革命を推進すべく、力の及ぶ限りあらゆる手を尽くさなければなりません——手遅れにならないうちに」
博士の不屈の人生を貫くもの。それは「人間の内なる無限の力」への信頼でした。
「人間革命」とは、わが生命の力を信じ抜く勇気なのです。
君の胸中には、広大なる天空の如き、未知の可能性がある。
貴女の胸中には、美しい花の都の如き、清らかな生命がある。
目には見えないかもしれない。それでも君の可能性を信じ抜くことだ。貴女自身を信じ切ることだ。自分の努力を疑わないことだ。
その「信じる」行為の究極が、信仰です。祈りです。
博士は、私との対談集が発刊された84年に逝去されました。亡くなる12時間前まで、病床で口述され、貴重な未来への警句を残し続けておられたのです。
私は、博士のご子息とも友誼の交流を続けました。ご子息が教えてくださった博士の晩年の魂の叫びが、私の胸から離れません。
「世界を変革できるのは、青年だよ。青年の人間革命によって、世界が変わるんだよ」
この人間革命の大道を、世界に広め、継承していく正統の中の正統の後継者は、まちがいなく、未来部の皆さんです。