「信心即生活」だ。
わが使命の職場で
断じて勝利の実証を!
その土台を築くのは
誠実であり努力だ。
辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』
◇人生の座標
子どもとのかかわりで大事なのは、「子どもを、子どもと思わない」ことです。子どもの中には、立派な一個の人格がある。「大人」がいるんです。
☆100文字の幸福抄
大事なことは、毎日を、
どう「張り」を持って生きるかである。
心豊かな人は、体が衰えても、
その分、心が澄み、色々なことが見えてくる。
日々、「喜び」と「希望」を見出し、
前進していく。
人生は、最後の総仕上げが大切である。
☆世界広布新時代第11回本部幹部会へのメッセージ
今年の5月3日は、55年前と同じように、晴天のもと、すべてに大勝利して、皆さん方と迎えることができました。
昭和35年5月3日の前夜は、夕刻からの雨が降り続き、同志たちは翌日の第三代会長就任式の天気を案じてくれていました。
私は、いかなる天候であれ、一層の決意で指揮を執ろうと、心を定めておりました。しかし、願わくは、わが同志に淋しい思いをさせたくなかった。
準備を終えて、夜、帰宅した私は、恩師・戸田城聖先生から「学会厳護」の意義を留めて賜った宝剣を持って、雨の中、小さな家の小さな庭に出ました。
広宣流布は、永遠に仏と魔との戦いです。
ゆえに、これからの前途に立ちはだかる一切の障魔を、矢面に立って打ち破っていくのだ。嵐に揺るがぬ屋根となって、愛する同志を守り抜いていくのだ。そして先駆を切って、「世界広宣流布」という未曾有の平和の大道を創り開いていくのだ。この誓願の一念を込めて、32歳の私は、師弟不二の宝剣を振るったのです。
初代と二代から受け継いだ「不惜身命」「死身弘法」の覚悟の出陣でした。
そして、日が変わる頃、雨は上がりました。翌朝には虹がかかり、同志の祝賀の真心を映すように、五月晴れの大晴天となった歴史は、皆さん、ご存じの通りです。
それから55年——。
我ら正義の創価家族は、ありとあらゆる三障四魔、三類の強敵との大闘争を晴ればれと勝ち切ってきました。日本全国、そして、全世界の偉大なる共戦の同志に、私は満腔の感謝を申し上げます。
日蓮大聖人は、けなげな女性門下へのお手紙に、『百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる』(P1403、「妙法尼御前御返事」)と仰せられました。
百千万年もの間、暗闇に閉ざされていた洞窟のように、無明の闇に覆われ、不幸の流転をさすらってきた人類を、妙法という太陽で、照らし晴らしてくださったのが、大聖人であられます。
第2次世界大戦下、最も深い時代の闇の中、戸田先生は、弾圧で投獄された独房で、この生命尊厳の平和の太陽を昇らせました。
ここ戸田講堂のすぐ近くにあった東京拘置所で、先生は法華経の真髄を身読され、出獄後、人類の宿命を転換するために、「人間革命」の民衆運動を起こしていかれたのです。
今や、その平和・文化・教育の人間主義の光は、世界192力国・地域に広がり、地球を包んでいます。
どんな不安や混迷の闇にあっても、創価の哲理がある限り、価値創造の希望は輝きます。
どんな対立や不信の闇にあっても、創価の対話がある限り、立正安国の連帯は光ります。
どんな災難や試練の闇にあっても、創価の挑戦がある限り、変毒為薬の勇気は燃えます。
大震災にあったネパールでも、今、尊き同志が救援と復興の先頭に立って奮闘してくれています。ネパール、頑張れ! ネパール、負けるな! とエールの大拍手を送りましょう!
先行きの見えない現代社会のカオスにあって、ますます妙法の太陽が渇仰されております。地域も世界も、我らの確信の声を待っています。我らの友情と信頼のスクラムを待っています。
55年前、私は、会長就任の折、「楽しく、そして仲良く、たくましく」大折伏を遂行しようと、呼びかけました。
今再び、皆で、元初の誓いに立ち返って、祈り、戦い、体験を勝ち開き、体験を語り広げよう!
そして、あの友にも、この友にも、励ましの光を贈り、新たな地涌の菩薩を大地から呼び出しながら、いよいよ晴れやかに、人類と地球の明日を照らしていこうではありませんか!
終わりに、大切な大切な異体同心の全同志の健康と長寿、ご多幸を祈りつつ、
黄金の
創価の太陽
明々(あかあか)と
楽しき体験
共に創れや
と贈り、私のメッセージといたします。