「陰徳あれば陽報あり」
広布への献身の行動を
御本仏は御照覧だ、
皆様の尊き労苦に
妙法の福徳は厳然!
御講聞書 P813
『法華経の行者は男女悉く世尊に非ずや、薬王品に云く於一切衆生中亦為第一文、此れ即ち世尊の経文に非ずや、是真仏子なれば法王の子にして世尊第一に非ずや』
◇人生の座標
未来を切り拓く青年を育てるには、それなりの厳しい薫陶がなければならない。青年は甘やかされて育つものではない。
もちろん、厳しい訓育には、互いの強い信頼の絆がなければならない。さらに青年を育む周囲の温かい人間関係も不可欠だ。
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜第9回 ドイツの大河�
天も輝き、地も輝き、友の心も輝きわたる——。
前々日まで降り続いた雨で、水かさを増したライン川に、明るい陽光が降り注いでいました。
川は、滔々と、たゆまずに流れ続けていきます。
その流れに乗って進む観覧船で、私は、ドイツの高名な教育学者のデルボラフ博士と"船上対談"を行いました。さわやかな風が心地よい1983年6月のことでした。
数々の古城を望み、伝説で知られるローレライの岩を眺めながら共に歌を歌ったことも、忘れ得ぬ思い出です。
船を下りた後、私たちは河岸の街オーバーベーゼルへ行き、900年前に築かれた古城シェーンブルクで対話を重ねました。
名門・ボン大学の名誉教授であるデルボラフ博士とは、「人間」や「文化」や「平和」などをテーマに縦横無尽に語り合いました。私たちの対話はやがて、対談集『21世紀への人間と哲学』に結実しました。その最後に、博士が強調されていたことがあります。
それは、「自己の胸中のかすかな希望の花を萎えさせ、枯死させてしまうのであれば、事実上、自己を放棄することになる」と。
少し難しい表現ですが、希望こそが人間の証しであり、人間性の輝きである。ゆえに、生きている限り、断じて希望を手放してはならないとの励ましです。
博士は、その希望の源泉は「宗教」であると結論されました。
未来部の皆さんは、若くして、「太陽の仏法」を持っています。どんなに苦しいことや、思うようにいかないことがあっても、わが胸中から、希望の太陽を輝き光らせていけるのです。
今年一年を振り返ってみると、頑張れたこと、もう一歩だったこと、さまざまあるでしょう。
でも、少しでも前進できたことは自分でほめ、失敗したことは前向きに次に生かしていけばよい。
そして、朗らかに「躍進」の明年へ船出しよう!
ライン川の流れのように、あせらず、じっくりと、一日また一日、一年また一年と、自分自身を深め、広げていこう! 今の皆さんの挑戦の汗と涙が、やがて人類の未来を開く希望の大河となっていくからです。
ライン川には、1万2000もの支流があるといいます。
ある区間は、世界遺産に登録されており、50もの古城が河畔の山々にそびえ立っています。
ゲーテが「ここから見るライン川が一番、美しい」と絶賛した場所には、私たちSGIのヴィラ・ザクセン総合文化センターがあり、市民の心の交流の広場となっています。
「父なるライン」と呼ばれる、このヨーロッパの大動脈は、国と国をつなぎ、人と人を結び、文化の軸となり、歴史の絵巻を綴ってきました。
ドイツは古代、ゲルマニアと呼ばれ、中世には神聖ローマ帝国の中心として栄えました。近代に入ってドイツ帝国が成立します。
第1次世界大戦によって帝政は終わり、共和国が誕生しました。しかし、その後、独裁者ヒトラーが率いるナチスの台頭によって、第2次世界大戦が引き起こされ、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の悲劇がもたらされました。
敗戦後には、資本主義の西側諸国と社会主義の東側諸国が対立した「冷戦」が始まり、ドイツは東西に分割されてしまいました。そして、東ドイツ領内に位置したベルリンの街も、市内が東と西に分断されたのです。
私がドイツ(当時は西ドイツ)を初めて訪れたのは1961年。「ベルリンの壁」が築かれ始めた直後でした。ベルリンの境界線では、東ドイツ側から西側に逃げようとした人が射殺されるなど、危険な状況が続いていました。
私は東西ドイツの融合と冷戦の終結を願い、恒久平和を築くことこそ仏法者の使命なりと心に期して、ベルリンの壁を訪れました。
東西に引き裂かれた人々が、兵士の目をかいくぐって、境界線越しに手を振り、安否を確認し合う姿に、私は胸を痛めました。車を運転してくれた方も、大好きな伯母が東ドイツにいることを、涙ながらに語ってくれました。
人間の絆を切り裂く権利など、誰にもない!——底知れぬ権力の魔性に対し、私は抑えきれない憤りを感じました。
境界線にある、ブランデンブルク門の前に立ち、私は深く祈りを捧げ、同行していた青年たちに言いました。
「30年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう」
当時、東西の対立は、永遠に続くかのように思われていました。ベルリンの壁がなくなるとは、誰も想像できなかった時代です。
私は、単なる予想や願望を口にしたのではありません。「平和を求める民衆は、必ず一つになれる」という確信を語ったのです。私自身が世界平和のために、「対話」を武器に戦い抜くという誓いを語ったのです。
以来、私は、東西両陣営の国々を訪れ、友情を広げ、平和を訴えてきました。民衆と民衆、青年と青年の心を結ぶ「文化」と「教育」の交流を重ねてきました。
ドイツ初訪問から28年後の89年11月、ベルリンの壁は崩壊し、12月には東西冷戦が終結しました。不可能だと思われていた夢が、現実となった瞬間でした。
「大切なのは、互いに尊敬し合って、見つめ合うことです」
これは、哲人政治家と讃えられた統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領が、東西統一以後のドイツの未来を展望して、私に語ってくださった信念の言葉です。
私たちの語らいは、東西ドイツ統一から8カ月後の91年6月。当時、西ドイツは発展しており、経済的に遅れた東ドイツに問題がある、という考えが一般的でした。
しかし大統領には、同じ人間として尊敬し合えば、心の中にある"見えない壁"を崩していけるという信念があったのです。
相手を尊敬することは、最高に美しい人間性の光です。
日蓮大聖人は、『鏡に向かって礼拝する時、そこに映っている自分の姿もまた自分を礼拝する』(P769、通解、「御義口伝」)と仰せです。
友を敬い、大切にすれば、自分も大事にされるのです。
もちろん、「ちょっと苦手だな」という人もいるかもしれません。
その"見えない心の壁"を打ち破るのが、「尊敬の心」なのです。
尊敬といっても、特別なことではありません。友達の素晴らしいところを見つけていくことです。自分にはない「良さ」を知っていくことです。
人間なのだから、誰にだって短所はあります。それだけにこだわって、長所の輝きを見過ごしてしまうのは、もったいない。
「あの人のここが嫌い」ではなく、「こんないい所もあるんだ」と、光を当てていくことです。
勇気を出して語れば、心の扉が開かれます。そこには、新しい発見があります。そこから、新しい仲間も広がります。この心と行動が、世界平和の出発なのです。