◇今週のことば
厳寒の中の大奮闘を
仏天も御照覧なり。
極楽百年にも勝る
一日の功徳を積みながら
共に凱歌の総仕上げを!
2014年12月08日
佐渡御書 P956
『魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』
◇人生の座標
未来を開き、平和な社会を築いてゆくのは、人間である。人材である。次の時代を担う人材を育て、社会に、世界に送り出すことができるかどうか。それは、時代の命運を決する"勝負"とさえいえるだろう。
☆随筆 民衆凱歌の大行進No.15 「人間革命」執筆50年
思えば、『モンテ・クリスト伯』も新聞小説であった。新聞連載は、常に締め切りに追われる。
私も、日本全国、また世界各地を飛び回る中での渾身の執筆が、幾重にも思い出深く蘇る。
現在の「広宣譜」の章で描いている昭和53年(1978年)の夏といえば、しばしの休載を経た後、『人間革命』第10巻の「展望」の章に取り組んだ時期であった。
「展望」の章は、昭和31年(1956年)の大阪の戦いを勝利で飾った瞬間から始まる。
不可能を覆した大阪の逆転勝利劇である。その"まさか"を関西の友と実現し、私が直ちに向かったのは、戸田先生のもとであった。広宣流布の師匠に、勝報を届ける。これに勝る喜びはない。
この「展望」の章を書き起こした天地は、創価の三代城・北海道であった。厚田で育ち、夕張の地で教壇に立たれた恩師。私は心の中で、広宣流布の遠大な展望を戸田先生に伺いながら、対話する思いで筆を進めた。
その北海道訪問では、16日間に及ぶ激励行で約2万人の友と、忘れ得ぬ金の出会いを刻んだことも懐かしい。
第10巻は「展望」の章で終了し、次の連載が始まるまで、2年かかった。この間に、私は、名誉会長となった。
昭和55年(1980年)の夏、私は神奈川で、"今、書かねば悔いを残す"と、第11巻の連載開始を宣言した。
正義を叫ぶ時も、悪を呵責する時も、機会を逸してはならぬ。勇気を持て! 時期を逃すな! これが言論戦の鉄則である。
その第1章「転機」に綴ったのは、"山口開拓指導"である。人材の中国も、私の手づくりだ。