自分に勝つことが
全ての勝利の根本だ。
今という瞬間を
今日という一日を
悔いなく生き抜け!
四条金吾殿御返事 P1121
『法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、然れば日蓮賎身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり』
◇人生の座標
少年の日の出会いは大きい。そうした出会いを通じて、いわば人間としての核ができる時期の一つが、小学校五年生、六年生といった年代であろう。
☆御書とともに� 第38回 日々の「発迹顕本」を
『日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず』(開目抄、P223)
◇通解
日蓮と名乗った者は、去年(文永8年)9月12日の深夜、子丑の時に頸をはねられた。これは、その魂魄が佐渡の国に至って、年が改まって2月、雪深い中で記して、有縁の弟子に贈るのであるから、難は恐ろしいようであるが、法華経の行者にとっては、恐ろしいものではない。
◇同志への指針
「発迹顕本」とは、凡夫の身に久遠の仏界の境地を顕すことである。仏法は「人間」が主役だ。戸田先生は「久遠の凡夫」とも言われた。ありのままの人間の生命に、いかなる大難をも乗り越える無限の力が具わっている。
一日一日、題目を朗々と唱え、わが胸中に「勇気の炎」を燃やし、何ものも恐れずに進む。ここに、我らの発迹顕本の道がある。