2013年12月12日木曜日

2013.12.12 わが友に贈る

真剣な「信力」と
勇敢な「行力」に
「仏力」「法力」は涌現!
強盛な祈りと行動で
不可能を可能に!

王日女殿御返事 P1263
『仏は真に尊くして物によらず、昔の得勝童子は沙の餅を仏に供養し奉りて阿育大王と生れて一閻浮提の主たりき、貧女の我がかしらをおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず』

◇希望の明日へ
牧口初代会長は、"教育こそ最大の事業""教育の大事業は人材で決まる"と見ぬいていた。仏法を基調とした創価学会の運動も、一次元からいえば教育という聖業である。人間を、ただ人間をこそ、つくっていく−−。そこに社会の真の変革が成される。この信念は永遠に変わらない。
平3・5・30

☆女性に贈ることば その新しい成長や新しい進歩が、親や教師にとって新しい発見となり、新しい感動になっていく。その繰り返しのなかに、育児や人間教育の醍醐味がある。

☆今日のことば 十二月十二日
スモッグにかすむ、冬の寒空を眺めながら、ふとこんなことを思った。−−いったい、空気ちゅうの酸素は、いつごろできたのであろうかと。ちょっと調べてみて驚いた。二十億年前の地球の大気には、酸素がほとんど存在しなかったというのである。始原大気の組成は、炭酸ガス九割、窒素一割弱(それ以前の地球はメタンガス等が多量に存在していた時代もあったと言われる)だという。
なるほど、こんな組成では、酸素を呼吸する生物というものは、とうてい住めない。しかし、宇宙の不可思議な鼓動といおうか、地球の生命発展への営みが確実に胎動していった。緑色植物の光合成という、じつに絶妙な作業がすすんでいたわけである。つまり緑色植物は、自らのクロロフィル(葉緑素)を媒介として、大気の大部分を占めていた炭酸ガスを吸って、代わりに、酸素をはき出してくれたのである。
現代において、専門分野の研究がさかんになり----この始原大気への"酸素登場"という重大なる劇的場面は、おそらく十数億年前に、その幕をあけた、ときいたことがある。
大気形成の本格的解明は、当然、地球自体の誕生や、その大舞台である銀河系宇宙の発生にまでもさかのぼらなくてはならないようだ。
ともあれ、一枚のクロロフィルが酸素を生み、その酸素が、より高度な生物を生む土壌をつくり、その生物が人間文明にも脈絡を通じてきた事実の流れは、あまりにも妙であり不思議なことといわざるを得ない。
人間の歴史は、いまだ六十万年を越えるか、越えないかである。人間にとっては、この長く遠い時間も、緑色植物が営々として、酸素を生産してきた時間と比べれば、わずか二千分の一にも達しない。万物の霊長として、この地球上に君臨している人間も、考えてみると愚かな存在になりつつある。宅地造成だといっては、酸素生産の根源である樹木を、バタバタ切り倒していく。くわえてエンジン燃料の副産物として、炭酸ガスなどをどんどんまき散らしている。いうなれば、宇宙の着実なるリズムを、自身のつくった文明で破壊し、自らを危くしているのである。
利口げに、科学万能主義に徹する人もいるようだが、大自然のリズムに調和していく、謙虚な人間主義の姿勢を絶対に崩してはならない。

☆世界広布新時代第2回本部幹部会へのメッセージ
一、私は東京で、連日、全国・全世界から広宣流布大誓堂に勇み集われる大切な同志を間近で見守りながら、厳然と指揮を執っております。
きょうは、遠路はるばると海外28力国・地域より来日された世界広布の指導者と共に、ここ創価国際友好会館から、敬愛する全同志ヘメッセージを送らせていただきます。
すべてに大勝利した今年1年の見事な奮闘を、私は最大の感謝を込めて、ねぎらい、讃嘆したいのであります。
尊き研修会を行われているカナダの皆さん、アルゼンチン・ベネズエラの皆さん、欧州青年部の皆さん、台湾の皆さん、シンガポール・マレーシアの皆さん、韓国最高協議会の皆さん、そしてアフリカの皆さん方!
寒い中、本当に本当にご苦労さまです。
大好きな大好きな沖縄の同志の皆さん! 世界が見つめる希望の総会、誠に誠に、おめでとうございます!
私の心も懐かしい沖縄研修道場にあります。健児広場の皆さん、さらに沖縄各地の皆さんの輪の中に飛び込んで、一緒に歓喜のカチャーシーを舞い踊りたい気持ちでいっぱいです。私は、きょうか18回目の沖縄訪問との思いで、皆さんの晴れ姿に大拍手を送っております。

◇強き信力・行力に仏力・法力は厳然
一、本日は、皆さんと共に心に刻みたい御聖訓があります。
すなわち−−
『大悪が起これは必ず大善が来る。大正法は必ず弘まるであろう。わが門下だちよ、何を嘆くことがあろうか。迦葉尊者でなくとも、喜んで舞を舞い給え。舎利弗でなくとも、立って踊り給え。上行菩薩は、広宣流布のために大地から踊りながら出現されたではないか』(P1300、趣意)と。
我ら地涌の菩薩は、何のために生まれてきたのか。広宣流布の誓願の舞を喜び舞うために、それぞれの使命の舞台に踊り出たのであります。
ゆえに、どんな大悪が競い起ころうとも、断じて嘆かない。決して怯まない。
南無妙法蓮華経という「歓喜の中の大歓喜」の音声を響かせ、舞うが如く、踊るが如く、生き生きと生命を躍動させて、試練に挑み、戦い、必ずや大悪を大善へ転じてみせるのです。
大正法を弘めるのです。
広宣流布の誓願に徹しゆく「地涌の菩薩」の信力・行力があるところ、妙法の広大無辺な仏力・法力は厳然と現れ、苦悩に満ちた娑婆世界も寂光土へと変えていくことができる。これが、御本仏のお約束です。
そして私と共に、ありとあらゆる苦難を勝ち越え、地域広布の模範と輝く人間共和の舞を世界に示してくれているのが、わが誉れの沖縄家族なのです。
本当に、ありがとう! 我らの沖縄は、勝ちに勝ちました!
青き大海原のように開かれた心で「万国の津梁(=懸け橋)」となってきた沖縄の天地から、「世界広布」即「世界平和」の新時代へ、我ら創価家族は勇気凛々と、新たな大航海を開始しようではありませんか!

◇喜び薫る絆で人類を結べ!
一、この5日に逝去された偉大なる「アフリカの人道の闘士」マンデラ元大統領は、語り残されております。
「幾多の災難の嵐が襲おうとしても、決意を固めた革命的闘士を押し流すことはできない。また、悲惨をもたらす不幸の連続も、その人を苦しめることはできないと確信する」と。
マンデラ元大統領が27年半の獄中闘争を耐え抜かれて出獄された1990年に、私は東京でお迎えしました。
多くの若人の歌と舞の歓迎を、それはそれは喜んでくださいました。
青年をこよなく愛され、後継の世代を幾重にも育成してこられた、あのマンデラ・スマイルが思い起こされてなりません。
今、わがアフリカ広布の闘士たちが、マンデラ元大統領が歩み抜かれた不挑不屈の信念の道に陸続と続いております。
アフリカの婦人部のリーダーが語っていました。
「現実は大変ですが、断じてあきらめることはありません。なぜなら、困難を乗り越える力は、自分自身のなかにある。日蓮大聖人の仏法は、このことを教えてくれました」
「私たちが社会で生き生きと光れば、アフリカの世紀が輝きます」と。
この負けじ魂が、学会精神です。
一人一人が、自らの今いるその場所で、わが生命を最高に光り輝かせていく「人間革命」の勇気と正義の舞から、すべては始まるのです。
一、琉球古典音楽を代表する「かぎやで風節」では−−
「きょうの誇らしさ、この喜びを/何に例えようか/あたかも、花の薗が/露を受けて咲かんとしているかのようだ」(松村洋著『唄に聴く沖縄』)と舞い、踊ります。
学会も、今、新しい人材の花、友情の花が次々に咲き、また花開こうとしています。
最高に喜び薫る創価の「蘭室の友」の絆を、地域へ、社会へ、人類の未来へ、さらに爛漫と、さらに馥郁と結んでいきましょう!

◇題目の師子吼を轟かせて前進!
一、日蓮大聖人は、『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』(P947)と示してくださいました。妙法は、一切を蘇らせゆく無限の活力です。
この妙法と共に生き抜く生命は、いかなる「生老病死」の苦悩も転じて、永遠に「常楽我浄」の軌道を進んでいくことができる。絶対に安心であり、どんなことがあっても、全部、変毒為薬していけるのです。
『年は・わかうなり』(P1135)と仰せの如く、新しい1年、青年は、ますます元気はつらつと、多宝の同志は、いよいよ若返って前進してまいりたい。
そして、あの友この友と語らい、「幸福勝利の舞」に、一人また一人と、いざないながら、民衆の連帯で、世界の安穏を実現しゆく「平和」と「文化」と「教育」の舞を、断固と繰り広げていこうではありませんか!
さあ、我らは、最強無敵の題目の師子吼を轟かせ、来年も戦おう!。
全同志の皆さん、健康第一で、よいお年をお迎えください。
お元気で!