2013年12月10日火曜日

2013.12.10 わが友に贈る

地域や近隣を大切に。
日頃の感謝の思いを
言葉にして伝えよう。
爽やかなあいさつで
信頼の絆を強く!

法華経題目抄 P944
『譬えば秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉華菓出来するが如し』

◇希望の明日へ
閉鎖性は硬直性となり、独善性になりがちである。それでは人は育たない。大学に限らず、家庭などでも、さまざまな友人と交流を重ねる"開かれた家庭"は、それ自体、優れた教育環境といえるだろう。
平3・1・12

☆女性に贈ることば 十二月十日
愛情のない母親は、まずいない。しかし、その愛情の注ぎ方に、手落ちや、気ままや、気まぐれがあれば、かえって子どもの人格を傷つけてしまいかねない。
子どもの心を深く理解し、その心の流れにそって導いていく、賢明な船頭でありたい。

☆今日のことば 十二月十日
勇気は青年の特技だ。父を、母を幸福にするのも、事業の再建も、生活の確立も、国を救うのも、勇気が根本だ。

☆生命の光母の歌第3章 青年は世界の希望
池田SGI会長 青年は希望です。青年は宝です。青年と会い、青年と悟り、青年と学び、青年を励ますことに勝る喜びはありません。青年は未来そのものです。青年を大切にしない団体や社会に未来はない、といっても過言ではないでしょう。

サイフェルト博士 その点は、私も意見を一にするところです。例えば、音楽の分野などでも、天賦の才能を持っている青年が埋もれている場合が多くあります。そのままでいてはなりません。再び青年に希望を与えていくことが一番重要であると思います。
"才能ある者で、これを使わないでいる者は、その才能は取り返される"というキリストの言葉があるのですが、私は最初これを聞いた時、「なぜ?そんな理不尽な!」と思いました。
しかし後から、この「才能」とは「責任」を意味することでもあると捉え直しました。私が友人の皆さん、特に若い皆さんに伝えたいのは、「天与の才能は埋もれさせてはならない」ということです。その才能と向き合う勇気を持ってほしい。勇気が必要なのです。

池田 大事なお話です。これは音楽に限らず万人に通じるテーマです。博士の言われる才能とは、責任や使命に言い換えることができるということですね。
日蓮大聖人は弟子に対し、『生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ』(P1173)と仰せになられました。
誰人も生まれてきたからには、その人にしか果たせない尊い使命が必ずある。そこから目を背け、自暴自棄になったり、安逸に流されて無為な人生を送っては、自分も家族も社会も大きな損失です。
万人の生命の尊厳を説く日蓮仏法は、だからこそ全ての人に、自らの偉大な使命への自覚を促し、自分らしく輝くことを教えるのです。それを「自体顕照」ともいいます。
博士のおっしゃる通り、大切なのは自分と向き合う勇気です。自他共に、この勇気を持って、生命の力を存分に発揮し、使命の人生を歩むことを目指すのが、私たちの励まし運動でもあります。
今、日本中、世界中で、創価の青年たちが、平和のため、新しき社会の建設へ、友との真剣な語らいを重ねながら、希望の青春を歩んでいることは、何よりの喜びです。

サイフェルト それは本当にうれしいことです。
かつて私は、日本で大規模な創価学会の集いに同席する機会が何度かありましたが、そこで池田会長が青年と交流する姿を拝見したことを覚えています。
皆、緊張してか、最初はおとなしくしていましたが、会長がユーモアを交えたスピーチで笑顔を引き出し、生き生きと躍動していきました。まさに希望を贈られていく光景を目の当たりにしました。

池田 サイフェルト博士には幾度となく学会の会合に出席をいただき、創価の青年たちに温かなエールを賜りました。多くの人たちがそれを大切な宝の思い出としています。
ともかく、未来は青年に託す以外ありません。わが恩師・戸田城聖先生も「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と、絶大なる期待を寄せておられました。
1997年の9月、神奈川で51力国・地域の友が参加した「世界青年平和音楽祭」にも、博士は友情出演してくださいましたね。

サイフェルト 懐かしいですね。あの時は大観衆を前に「ウィーン わが夢のまち」と「献身」の2曲を歌いました。
SGIの皆さんと協力し、同じ目的を共有できるのは本当に幸せなことです。それこそが私の最優先したい価値あることなのですから!

池田 ありがたいお言葉です。博士は偉大な「平和の文化の大使」です。サイフェルト博士に出席いただいた北海道での本部幹部会1991年8月)では、青年の大いなる指標になればと、私から、博士の崇高なる人生を紹介させていただきました。

サイフェルト 恐縮です。よく覚えていますとも!
池田会長が、私の生き方を青年たちに話してくださった際の光景は、とても感動的でした。今までに遭遇した、最もすてきな出来事の一つとして、忘れがたい思い出となっています。

池田 盲目のご両親を支えつつ、声楽家のお父さまから音楽を学んだ女時代を振り返られた博士の言葉には、青年への深い励ましの響きがあります。
「当時、私はたくさんの歌曲やアリアに囲まれて育ちました。歌曲やアリアは、素晴らしい『精神の宮殿』でした。それが私の、心の糧となりました」
博士が、歌曲やアリアに精神の宮殿を見いだしたように、青少年が自身の生命にある可能性や創造性に目覚めゆく「精神の宮殿」が必要です。そうした豊かな"心の糧"こそ、次の世代へのかけがえのない遺産となるでありましょう。
博士は何歳から、どのような環境で歌や楽器の練習をされたのでしょうか。

サイフェルト 3歳の時からです。第2次世界大戦が終結した直後の混乱期でした。父のお弟子さんには、国立歌劇場の多くの学生や、国内外からの受講者がいました。ピアノがあった音楽ルームは当時、わが家で唯べ暖房設備がある部屋でしたので、外履きから乳母車まで、私の子ども時代の全てが置かれていました。そこが私の中心だった
のです。
ですから、あまりよく覚えていないのですが、両親が言うには、3歳の時には、すでにブラームスの歌曲を歌っていたそうです。まさに芸術家としての訓練の始まりであり、それが父の指導のもとで継続されていきました。

池田 音楽がまるで"ゆりかご"のような環境だったのですね。ブラームスは、日本人にも多くのファンがいる音楽家です。民音にも、フラームスの直筆書簡が重宝として大事に保管されています。
貴国を初めて訪れた1961年の10月、ベートーベンやシューベルトらと共にブラームスが眠る中央墓地を訪れ、追悼の祈りを捧げました。
木々の豊かな緑に包まれた、美しい公園のようなたたずまいで、音楽の都の歴史の重みを感じたことを記憶しています。
ブラームスは生前、思うような作品が作れず悩み苦しんでいた作曲家に、こう語ったといいます。
「全部手に入れてしまったら、今日はうぬぼれ、明日は溺れだよ」(リヒャルト。ホイベルガー/リヒャルト・フェリンガー著、天崎浩二・関根裕子訳『ブラームス回想録集第2巻 ブラームスは語る』)と。
若い音楽家を大切にし、自己には厳格だった巨匠ならではの、深みのある言葉です。
このブラームスも幼少期に父親から音楽の手ほどきを受け、10歳にしてピアニストとしてデビューしていますね。
やはり優れた音楽家になるには、英才教育が必要なのでしょうか。

サイフェルト それに関しては、24時間、語ることができます!
英才教育という言葉が適切かどうかは分かりませんが、早期の音楽教育がより良い人間を作るのに役立つことは周知の事実です。
"より善良な人間に育つ"というのは言い過ぎかもしれませんが、少なくとも情操教育の面において、人間形成の助けになることは確かであると思います。
ここに、私がヨーロッパ青年文化協会を設立した理由もあります。