2013年12月6日金曜日

2013.12.06 わが友に贈る

新任のリーダーに
先輩は最大の応援を!
後輩が自分以上の
人材に育ってこそ
広布の未来は盤石!

御衣並単衣御書 P971
『物たねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり』

◇希望の明日へ
自律なき放縦は真の自由ではない。人間も、社会も国家も退歩し、不幸の方向へ、そして結局は不自由の方向へ流されてしまう。自由を、進歩と向上と平和のために使いこなしていくためには、人間と精神の羅針盤が必要である。そして英知こそ、こうした魂の自由を確立する人間の羅針盤となるものである。ここに教育を最大に重視する大きな理由がある。
平2・9・26

☆女性に贈ることば 十二月六日
恩師・戸田先生は、よくおっしゃっていた。
「人生は、住む所、食べる物、着る物に関係なく楽しむことができる。この法則を真に知るならば、人生は幸福なのだ。何事も感情的になるな。何事も畏れるな」と。
まさに、万般に通ずる人生の極意です。

☆今日のことば 十二月六日
奥行きと、広がりをもった人間を育成するには、知識や技術だけでは、不十分である。知識や技術は、人間の属性である。その知識、技術の習得と錬磨を通し、己れ自身を磨かなければ、決して、深い自己の世界の構築はあり得ないであろう。

☆下野新聞寄稿「栃木県誕生140年に寄せて」
◇「心田」から希望は生まれる
いにしえ、栃木県は「毛野国」と呼ばれた。
「毛」には五穀・草木の意義がある。
まさに物産も文化も豊かに茂り実る大地こそ、「下野」である。
この大地に漲る開拓と創造の息吹を、私も敬愛してやまない。
栃木に多くの知己を持つ恩師にお供して、日光を旅したのは、60年前の春であった。その折、恩師が語ってくれた逸話が蘇る。
−−あの華厳の滝は、明治半ばまで観覧に適切な場所がなかった。しかし、星野五郎平という山仕事の達人が、一人で断崖に道をつくり始めた。周囲の冷笑のなか、奮闘の歳月を重ねて、難所を突破し、王者の滝をのぞむ圧巻の眺望を開いたのだ、と。
今年、栃木県は誕生から140周年−−。
今や日光は、皆の憧れの世界遺産である。
イチゴやかんぴょう等、命を育む農林業も食文化も、日本の宝だ。活発な自動車産業、さらに世界一で名高いハードディスク用のアルミ基板など、匠の技が冴える製造業も、栃木は全国有数の大発展を遂げている。

下野新聞では、佐野生まれの巨人・田中正造翁の生涯と思想が、現代の視点から鋭く洞察されている。
世界に誇るべき"環境と人権の先覚者"正造翁は、豊かな郷土は君たちのものと青年たちに語った。
ゆえに、「若い者がつくりなおし、自分の力で治めていかねばならなかんべね」と。
一切は、人で決まる。
青年の心の大地−−つまり「心田」を耕せば、新たな希望が生まれる。
栃木には、この人間教育の伝統が脈打つ。
日本で最も早く総合大学・足利学校が設立され、人材を育成してきた歴史も誉れ高い。
私の忘れ得ぬ小学校の担任の先生も、栃木のご出身であった。その情熱と慈愛は、教育をライフワークとする私にとって、かけがえのない原点である。

江戸期、今の真岡の農村復興に心血を注いだ二宮尊徳公には、"一人の心田を開拓すれば一村が一新する"という不動の信念があった。
大田原市に、若き日からの活躍を私か見守ってきた友がいる。父亡きあと、母を助け、祖父母を介護しながら、営農に挑んだ。米価の低迷、冷害と打ち続く試練にひるまず、土地の改良や新品種の導入に不屈の努力を積み重ねた。
舞い来たる白鳥を守る会を結成し、児童の登下校の安全を確保するなど、地域の活性化にも、誠実に貢献する。夫妻で「悩む余裕がないほど忙しい」毎日を生き抜いてきた。その苦労は、仲間を励まし、後輩を育てゆく知恵となって光る。
一人の心田を耕し、潤すのは、何より励ましではないだろうか。
励ましは「万」の力」と書く。それは栃木の「栃」の字のつくりとも共通する。
いずこにもまして人柄の良い方が多い栃木には、万の力の励ましが満ちている。

私の妻と同世代の那須塩原の婦人たちは、東日本大震災の被災者の方に一人でも喜んでもらえればと、真心の「ちゃんちゃんこ作り」を続けてこられた。
宇都宮ゆかりの詩人・野口雨情は、「もっともっと人情味のある、誰彼の差別なく手を取って唄い合う」ような「棲みいい国、楽しい国」の建設を願った。そして、それは足元の郷土から始めよう、と。
今、栃木県は「元気度日本ごを目指して勇躍、前進されている。
今日も、我らの毛野国の豊かな心田から、日本そして世界を元気にする希望が、生まれ出ずるに違いない。
(2013.11.14)