2013年12月25日水曜日

2013.12.25 わが友に贈る

健康こそ幸福の土台。
朗々たる勤行・唱題
節度ある食生活
適切な休養・睡眠で
体調管理を万全に!

妙密上人御消息 P1237
『人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く』

◇希望の明日へ
人間の幸福のために役立たない学問、人生に価値を生まない死せる知識を、いくら誇っても、それは幻影のようなものである。まして知識が増えた結果、人間を軽蔑するにいたったとしたら、本末転倒といわざるをえない。
昭63・6・21

☆女性に贈ることば 十二月二十五日
人生は、順調な時だけではない。時に、思いもかけなかったような苦難に出合うことがある。
しかし、いくら泣き言を言い、運命を嘆いても、始まらない。心強く生きる人が、本当の幸福をつかむことができる。

☆今日のことば 十二月二十五日
真面目な そして熱心な君の言葉が
 口を吐いて出てゆく
やがて人々は
 必ず謹聴するであろう

2013年12月24日火曜日

2013.12.24 わが友に贈る

子どもたちの話に
じっくり耳を傾けよう!
温かな触れ合いで
家族の絆をさらに強く。
充実の友好期間を!

法華経題目抄 P944
『六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり総じて六万九千三百八十四の妙あり、妙とは天竺には薩と云い漢土には妙と云う妙とは具の義なり具とは円満の義なり、法華経の一一の文字一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり、譬えば大海の一?の水に一切の河の水を納め一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し』

◇希望の明日へ
「自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせる」(プラトンが記したソクラテスの言葉。「メノン」『世界文学大系3』)−−これこそ、人間教育、徳育を成り立たせる鉄則であり、いってみれば千古不磨の"黄金律"であろう。そこには、教える者が学ぶ者を高みから脾睨する風など少しもない。徹底して、平等で公正な目線が保たれている。そこから響いてくるのは、一個の人格と人格とが、全人間的に触れ合い、打ち合う入魂と和気の共鳴和音である。そこに形成される信頼の"かたち"こそ、古来"徳"と呼ばれてきたものである。
平6・1・26

☆女性に贈ることば 十二月二十四日
冬の寒さを知る人こそが、春の暖かさを実感できる。
苦しみの闇が深かった分だけ、大きな幸福の朝が光るのである。
どんな運命も価値に転換していく人−−それが、人間としての勝利者であり、王者であろう。

☆今日のことば 十二月二十四日
幸せそうでも
 悲しみのある人生よりも
私は 多忙でも
 充実した 心より満足できる
  人生の総仕上げを 成し遂げたい

☆名誉会長と共に今日も広布へNo.048 尊き地区の勇者に最敬礼
学会はだれも想像しなかった大発展だ。
伸びゆく青年の姿ほど、うれしいものはない。
戸田先生は、広布の未来を開かんと、ただ人材を育てられた。厳愛の声が響く。
「仏法は勝負だ。闘争を開始するからには、それだけの準備と決意と闘魂をもって、断じて勝つのだ!
指導者になりゆく君たちは、大局観を決して見失ってはならない」
断じて民衆を守り抜く。
一人も残らず幸福に。
そこに指導者の責務と祈りがある。

広宣流布誓願勤行会が連日、歓喜にあふれ開かれている。生まれ変わった決意で進む友の笑顔が清々しい。日本中、世界中に希望が広がる。
今再び、信心の原点を確認し、広布の第一線に勇んで飛び出したい。皆が一兵卒の覚悟で戦う時である。
地区が本陣である。
地区が突破口である。
地区が電源地である。
わが尊き地区部長、地区婦人部長の皆様こそ、広布第一線の「学会の要」である。
私の心は、最も苦労し、学会を支えてくださっている要の中の要の全地区部長、全地区婦人部長と常に一緒である。偉大な地区の勇者の皆さんに最敬礼を捧げたい。

御書に『竹の節を一つ破ぬれば」余の節亦破るるが如し』(P1046)と仰せである。広布の破竹の勢いを、わが地区から起こすのだ。
広宣流布の戦いの労苦は、全て、自分自身と一家眷属の大福運に変わる。未来永遠に一切を勝ち越えていく生命に必ずなれるということを、深く確信していただきたい。

2013.12.23 わが友に贈る

交通事故を起こすな。
わき見・飲酒運転や
速度超過は厳禁。
賢明に意義ある
年末年始を!

弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』

◇今週のことば
「陰徳あれば陽報あり」
尊き役員の皆様方の
偉大な奮闘に深謝!
無事故・健康第一で
我らは黄金の年輪を!
2013年12月16日

◇希望の明日へ
教育は、教育者自身の人格の問題が大きい。なかんずく大切なのは、人間としての謙虚さである。倣慢であっては、礼儀も愛情も伴わない。真の英知も輝かない。それでは学生が尊敬できるはずがない。ゆえに教育の実りも期待できないのである。
平5・6・30

☆女性に贈ることば 十二月二十三日
結婚が、すなわち幸福であると錯覚する人も多い。
当然、結婚は自由である。しかし、周囲の人びとの反対を押しきり、恋愛に溺れ、後悔の涙で苦しんでいる人も多くいるということを、知らねばならない。
より多くの善人、多くの友人、そして多くの先輩に囲まれて、初めて、恵まれた自分自身の発見がある。

☆今日のことば 十二月二十三日
幸福は、けっして山のかなたにはない。自己自身の内にある。しかし、坐して安閑としている自分ではなく、あくまで、かなたにあるものをめざして、けわしい尾根に挑戦し、障害を一歩一歩、克服してすすんでいる"戦う自分"の生命の躍動の内にあるのだ。

☆学園抄第13回 陰の力
◇親孝行の人たれ
学園生の陰には、親や家族がいる。創立者は折に触れ、親孝行を訴える。
「『お母さん、いつも、ごはんをつくってくれてありがとう』『お父さん、いつもお仕事をしてくれてありがとう』と真心の言葉をかけていける人になってもらいたい」
「本当の親孝行とは、諸君が負けないことです。今はどんな姿であっても、最後は、断じて勝つことです」
1970年(昭和45年)6月9日、創立者が東京校を訪れた。駆け寄ってくる生徒たち。
「お父さん、お母さんは、お元気かい?」
ある中学一年生に尋ねた。下宿生たった。
「母は元気に、毎日、仕事に頑張っています」
「お父さんは?」
「父は亡くなりました……。でも、父の分まで成長して頑張ります!」
けなげな決意を、創立者が包み込む。
「君がきっと成長し、お母さんに親孝行すると約束してください」
「はい!」
生徒の目が赤くなる。
「泣くことはないよ。皆で寮歌を歌おうよ」
♪草木は萌ゆる……
その生徒を中心に合唱。声にならない。創立者は心から歌を讃えた。
「本当によかったよ!」
この激励を原点に、生徒は勉学に励んだ。総合商社に勤務後、アニメなどの映像作品を扱う関連企業の社長に就任。世界の子どもたちへ夢を贈っている。

98年11月20日、関西校の卒業予定者と創立者の記念撮影会が京都で開かれた。
撮影が終わり、創立者の配慮で菓子が配られる。
「食べていいよ!」
和やかな雰囲気で、創立者のスピーチが始まろうとした時。
「そのせんべい、半分、分けてよ」
えっ! 突然、話し掛けられた高校三年の男子。半分を創立者に手渡す。
「君も食べて。おいしいんだよ」
創立者と1枚を分け合って食べる。"父子"のような触れ合い。
「お母さんにも持って帰ってあげてね!」
先生はご存じなんやろうか……。一年前、父を亡くした。昔から懸命に家庭を支える母に喜んでほしくて学園に入った−−。
さらに創立者のスピーチは、親と死別した中国・周恩来総理について。
「若くして、その悲しみや苦しみを早く乗り越えていった青年は、人よりも、強く、深く、大きな人生を生きられる」
大学進学後、生徒は進路に悩んだ。思い出すのは"せんべいの励まし"。先生みたいに人の心が分かる教師になろう! 今、故郷の小学校で教壇に立つ。親がいない子に寄り添う。
「人より苦労した分、強くなれるんや。僕も、尊敬する人にそう言われて頑張ってきた。お母さんを大事にするんやで」

「裏方の役割をやって、自分を支えてくれる親への感謝が深くなりました」と語る新世紀栄光班員。
おはよう隊の生徒は「お世話になっている方々への感謝を込めて、あいさつも清掃もやっています」。
学園は「ありがとう」の心に満ちている。

2013年12月22日日曜日

2013.12.22 わが友に贈る

漠然とした決意では
結果は残せない。
明年の勝利へ
わが目標を
明確に!具体的に!

兄弟抄 P1086
『未来までのものがたりなに事かこれにすぎ候べき』

◇希望の明日へ
教育は人類の知の財産を伝える聖業である。しかし、そのためには善の心を共有しなければならない。悪徳の人間には"英知の相伝"はない−−。これは学問の世界に限らず、政治家にも、聖職者にもいえよう。知を生かすのも殺すのも人である。人間の教育なくして、宝の継承もありえない。ゆえに、大学をはじめ、善き人と善き人の集いでなければ使命は果たせない。
平5・6・30

☆女性に贈ることば 十二月二十二日
テレビを見て楽しむのもよいし、そこから学べることもたくさんある。
しかし、テレビの中の華やかさは、幻のようなものです。虚像に振り回されては、賢明な生き方はできません。

☆今日のことば 十二月二十二日
信念も、基準もなく、批判のみしている人が、賢明に見える社会である。信念、基準を持てる人は、一往、受け身になるようでも、結局は強く、幸福であることを忘れてはならない。

☆学園抄第13回 陰の力
◇天からの便り
「おはようございます!
右側通行にご協力をお願いします!」
東京校の最寄り駅である西武国分寺線・鷹の台駅。朝、駅前の商店街で爽やかなあいさつが聞こえる。
潮流会(男子通学生)と新生会(女子通学生)の「おはよう隊」である。
他校の生徒も利用する同駅。商店街は人であふれる。地元の方々に迷惑を掛けてはいけない。学園生が長年、自発的に安全の声掛けを行ってきた。
近隣の人から感謝の言葉が伝えられることもある。生徒は「皆が元気よく一日を出発できるように」と、朗らかにあいさつをする。

深夜からの雪で銀世界が広がった1983年(昭和58年)2月17日の東京校。創立者が中学・高校三年生と記念撮影に臨んだ。
終了後、会場の体育館の外に出た。降り続く雪の中に人影がある。黙々と雪かきをする生徒だった。
「記念撮影しよう!」
創立者が提案。あちこちから生徒が集まってくるのを待つ。傘を差し出されても「皆も雪の中にいるんだから」と拒んだ。
気温約1度。息が白い。頬を赤くさせる生徒。
「寒かっただろう。ありがとう!」
優しく語る創立者の肩にも、うっすら白く積もる。雪が舞う空を見上げた。
「天からの便りだよ」
創立者は後に述懐した。
「彼らの姿は、あまりにも凛々しく、誇り高かった。ああ、君たちがいる限り、わが創価学園は、永遠に人材育成の城として盤石であると、確信した」
「皆のために一番苦労している人は誰か−−。正義とは、その真心を知り、その恩に報いる力を持つことだ」
創立者と写真に納まったのは他の役員を加えて約50人。公認会計士、医師、大学教員など多彩に活躍する。

2013.12.21 わが友に贈る

本年の総仕上げへ
弘教に駆ける若き友に
最大の励ましを!
先輩の祈りと応援が
壁を破る力となる!

一昨日御書 P183
『彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり、是れ皆時に当つて賞を得謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり』

◇希望の明日へ
教育という根の探さこそが、社会の深さであり、文化の深さである。また、教育こそ、人間と人間を結ぶ連帯の源流であり、未来を開く繁栄のエネルギーである。そして、人間をもっとも人間らしく開花させていく平和の大地である。ゆえに、人間教育を軽視する時、政治であれ、経済であれ、科学であれ、宗教であれ、人間を抑圧していく危険性をはらんでいる。
平5・3・1

☆女性に贈ることば 十二月二十一日
どんな分野であれ、高い目標を目指して頑張っていけば、すべてに通じていく。
努力すること。耐えること。あきらめないこと。弱い自分に打ち勝つこと。人生にとって必要な、そうしたいっさいが含まれていく。
なんであれ、徹することだ。徹した人にはかなわない。

☆今日のことば 十二月二十一日
いかなる大業も地道な努力の積み重ねを無視しては、達成されまい。そして、その戦いにあって、最も大事なことは、人の心をつかむことであろう。しかも、人の心を動かし、捉えるものは、策でも技術でもない。ただ誠実と熱意なのである。

☆学園抄第13回 陰の力
◇輝く「感謝」と「報恩」の思い
創価学園の四季を彩る数々の行事。その陰には成功を支える学園生かいる。
先月16日、「英知の日」記念集会が開かれた関西創価中学・高校の講堂。ところどころに、白い腕章の生徒が座っている。体調不良の人がいないか見守る「救護班」である。音響や照明を操る「放送班」は、光の当たらない場所で"大役"を担う。
そして入退場時に動き回る役員たち。水色の腕章に「整理」の文字。整理誘導の任務につく「新世紀栄光班」の生徒だった。
行事の2日前。放課後の講堂に元気な声が響く。
「引っ張ってください!」
班員を中心に会場をセッティング。床に長いシートを敷いていく。シワがないよう力を合わせ、ピンと張る。「つまずく人がいると危ないので」と班員。
次は椅子。フロアの端から端ヘメジャーを引き、1列ずつパイプ椅子を揃える。「皆に『きれい』つて喜んでもらいたい」と、1センチ単位の精密さ。翌日も微調整して仕上げる。
行事当日の朝、講堂への誘導態勢を確認。関西校は広い。どのクラスから順に、どこを通って移動するか。生徒自身が考える。
こうして行事のたび、事前準備や清掃、当日の整理誘導、片付けに取り組む。
多くの生徒が先輩の姿に感銘を受けて入班する。
「入試で緊張してる時、"水色の腕章の人"が『頑張ってください』って笑顔でカイロを配ってくれて。創立者の心を感じました」
班活動で、皆が自身の変化を感じる。
「何ごとにも自信がもてるようになりました」
「最初は積極的ではなかったけど、真剣な先輩と皆の笑顔を見て、人に喜ばれる充実感を知りました」

東西の学園行事に出席した創立者・池田名誉会長は「陰」に光を当てる。
音響役員を「こうして陰で頑張っている人が、一番偉い人なんだ」と激励。
設営作業の生徒に「百点満点だよ」と喝采を送る。
清掃に励んだ生徒には「チリーつ落ちていない。ゴミ一つない。真心で、きれいな中で迎えてくれて本当にありがとう」と伝言。
その一言が学園生の喜びと誇りになる。
関西校の前身・創価女子学園が開校した1973年(昭和48年)。9月14日の第1回希望祭の折、「整理班」が結成された。現在の新世紀栄光班である。
体育系クラブのキャプテンなどが集まり、当日の整理誘導を担当した。
創立者が校内を歩くと、生徒や保護者が押し寄せてくる。事故が起きないように、人の流れを整理し、皆を守った。
「整理役員の人だね。みんなしっかりしてるね!」
思いがけない、創立者からの言葉。「ありがとう」とジュースを贈られた。
役員の私たちまで激励を……。胸が熱くなった。
創立者と学園生のために行動する−−班の伝統精神が築かれた。

85年10月10日の第4回健康祭。関西校に着いた創立者夫妻は、校門そばの噴水前で車を降りた。
会場のグラウンドへ続く坂に生徒がいる。水色の腕章の整理班など生徒役員が競技中も任についていた。
「一緒に歩こう!」
声を掛けていく創立者。
「ご苦労さま! きょうは遊ぶんだよ!」
労いながら、皆と歩く。坂は急で長い。立ち止まりつつ、ゆっくり上る。
「疲れたよ。おじいさんとおばあさんが歩いてるんだから」
ユーモアに創立者夫人も役員たちも、ほほ笑む。
グラウンドの入り口に到着。湧く歓声。創立者は帽子を取って手を振り、勢いよく入っていった。
創立者の体調が思わしくなかったことを、皆は後日に知る。それでも坂を歩いて役員を励まし、毅然と振る舞っていた創立者。その後ろ姿を心に焼き付けた役員から、医学博士や弁護士などが誕生した。

2013年12月20日金曜日

2013.12.20 わが友に贈る

苦労し抜いてこそ
友の心が分かる
偉大な指導者になれる。
青年よ烈風の中で
不動の自身を築け!

種種御振舞御書 P910
『各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり』

◇希望の明日へ
教育は、押しつけであっても、強制であってもならない。一緒に学ぼう、その人の中にある力を引き出し、自分よりさらに立派に育てていこう−−その実践に教育の魂がある。
平5・1・27

☆女性に贈ることば 十二月二十日
雪のように純白な子どもの心は、その人生の揺藍期に出合った環境によって、よくも悪くも、どのようにでも染め上がってしまう。
お母さんの日々の行動すべてが、子どもの心にかけがえのない人生の財産として残り、生きる力となっていくものである。

☆今日のことば 十二月二十日
"現実に無批判"に埋没せよ、ということでは全くない。その逆に、"現実"を批判しつつ、しかもそこから離れず、粘り強い改革をつづける主体性と意志を持続してほしいと、私は思う。

2013年12月19日木曜日

2013.12.19 わが友に贈る

広布誓願の祈りこそ
「歓喜の中の大歓喜」。
苦悩を喜びに
宿命を使命に変え
人間革命の勝利劇を!

四条金吾殿御返事 P1185
『今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か』

◇希望の明日へ
教育とは、まさに人間の幸・不幸にかかわる重大事であり、尊き聖業である。本来、宗教の目的も、民衆の幸福である。にもかかわらず、これまでの宗教の歴中は、民衆を幸福にするどころか、宗教利用の聖職者が、民衆をだまし、搾取し、不幸にすることがあまりにも多かった。宗教的権威は、人々の理性をしぼり、その眼をしばしば狂わせる。しかし、民衆にしっかりした教育があれば、だまされない。聖職者もインチキはできない。逆に教育がなければ、民衆は宗教の奴隷になってしまう危険性がある。横暴な聖職者はいよいよ増長し、人々はますます盲目になっていくに違いない。この悪循環を断ち切らねばならない。
平4・6・2

☆女性に贈ることば 十二月十九日
感謝の心は美しい。自らが縁した人を大事にしていこうという心の余裕が、人生を豊かにする。美しくする。

☆今日のことば 十二月十九日
自分の道はだれにも頼らず、自分で決めることだ。どんな苦難にもくじけない、強い自己の建設のみが、新しい自己の革命となるのである。

☆本部幹部会で紹介された名誉会長の指針
一、先日、ある識者が語っていた。
「創価学会の幹部会は、世界最高の『生命と生命のサミット』『人間と人間のサミット』ですね」と。
見る人は、きちんと見ている。
地道にして誇り高音「民衆のサミット」−−その心意気で進みたい。一番正しいのは「人間主義」である。ゆえに学会の前進が大事なのである。
海外から来られた皆さま、遠いところ、本当にご苦労さま!
温かい心。
信心の心。
同志愛の心。
団結の心。
広宣流布の心。
そして「信心」の魂の結合の組織−−これが創価学会である。これで進みたい。

◇沖縄の天地から立正安国の光を
一、私が沖縄を初めて訪問したのは、40年前−−1960年の7月16日。一番、暑い季節であった。
その日は、日蓮大聖人が時の最高権力者に「立正安国論」を上呈し、国主諌暁をされてより、ちょうど700年後の、その日であった。
この日を、永遠に残る歴史の日に選び、私は行動したのである。
当時、沖縄は大変な苦難の時期であった。
私は皆を励ました。
「沖縄は、必ずや将来、『東洋のハワイ』になります。世界中の人々が憧れ、集い合う天地に必ずなります」
どこよりも、戦争の犠牲になって、苦しみ抜いてこられた沖縄である。
だからこそ、どこよりも「平和」と「幸福」を勝ち取っていかねばならない!
これが、沖縄の使命である。沖縄の戦いである。
また、これが私の祈りであり、決意であり、確信であった。
今、その願いが現実になってきたと私は信ずる。
沖縄の未来のために、私は人知れず、手を打ってきた。
小説『人間革命』の執筆を、愛する沖縄の地で開始したのも、こうした意味からである。
一、わが沖縄の尊き同志は、私も大好きな「沖縄健児の歌」にあるごとく、「命をかけて ひと筋に」、大聖人の御仏意のままに戦い抜いてきた。
今や「一番早い広宣流布の天地」と前進している。
ハブのいる草むらを踏み分け、波浪を乗り越えて、広宣流布の道なき道を切り開いてこられたのが沖縄の同志である。
うれしいことに、正法流布の伸展とともに、沖縄は素晴らしい「繁栄の道」を歩んでこられた。
21世紀へ、いやまして「立正安国」という偉大な平和の光を、赫々と放ち始めた。

◇常に自分自身の原点に立ち返れ
一、沖縄で尊敬されている偉人の一人に、18世紀、琉球王国の黄金時代を築いた蔡温という有名な哲人指導者がいる。
"人間学の達人"であった蔡温は、次のようなエピソードを書き残している。
それは、一人の少年に対する、おじいさんの「励ましの対話」である。
この沖縄の少年は、誇りをもって、おじいさんに言った。
「私は、先祖代々に伝わる大切な剣を持っています。それを毎日、一日も怠らず、磨いております」
すると、おじいさんが尋ねた。
「その剣以外に、おまえは何か宝を持っているか」
少年は答える。「何も持っておりません」
おじいさんは静かに言った。
「その剣など、小さな宝にすぎないのだよ。君は、最高の宝を持っている。それは、君自身だ」
君自身の生命の宝を、なぜ磨こうとしないのか?
この教えに、少年は深く感じ入って、おじいさんに感謝したという話である。〈韻語編著『蔡温全集』本邦書籍。参照〉
仏法にも通ずる話である。
一、私が申し上げたいのは、常に立ち返るべき原点は「自分自身」であり、「生命それ自体」であるということである。
人間が人間らしく生き、人間らしく生命を輝かせていく。これ以上のことはない。
そこにはじめて、人間らしく「幸福」と「平和」と「自然との共生」を実現していける。
今こそ、「人間」という原点に返るべきではないだろうか。
その点、沖縄には、「命こそ宝」という哲学が光っている。
人間教育の根本も、「生命を大切にすること」である。
だから「絶対に人を殺してはならない」。
だから「絶対に戦争を起こしてはならない」。
簡潔にして根本の原則である。
この点だけは、21世紀の世代に、峻厳に教え伝えていかなければならない。
それ以外のことは、でき得る限り、自由に、伸び伸びと、大らかに、未来部を育て、応援していけばよいと私は思う。

◇学会の座談会は人格の触発の場
一、私は、イラン出身の著名な平和学者であられるテヘラニアン博士と語り合った。
これからの情報社会をリードするには「人間根本の哲学」を持って、「人格と生命の対話」を率先して実践していく指導者が必要である。
この点、テヘラニアン博士も私も、一致した意見であった。
さらに、テヘラニアン博士は、そうした「生命触発のモデル」として、創価学会の座談会運動、対話運動を挙げておられる。
「私は、SGI(創価学会インタナショナル)にみられる座談会などの自主的な小規模のミーティング(会合)のもつ役割を高く評価し、着目しています」と。
「情報技術革命」が進めば進むほど、健全な人間と社会の発展のために、人格と人格がふれあう「一対一の対話」が必要不可欠になるのは当然である。
その時代の最先端の行動をし、新たな地球文明の創造へ貢献しているのが、わが創価学会であると、世界の識者が注目し始めたのである。

◇声が仏の仕事を
一、『声仏事を為す』(P708)−−声が仏の仕事をなすのである。
しゃべることである。対話である。
「柔和忍辱(正法を素直に受持し、難を耐え忍ぶ)の衣」「忍耐の心」を持ちながら日々、生き生きと声を発していく。
「希望の対話」「哲学の対話」「幸福の対話」「和やかな対話」「励ましの対話」−−。
それが人間らしい世界をつくる。それが「勝利への対話」につながるよう戦ってまいりたい。
一、ご健康とご長寿を祈りたい。すべての成功と勝利を祈りたい。
皆さまに、お題目を送ります。皆も祈っていただきたい。
「悪鬼入其身」の反対で、自身の生命に「梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」
「全学会員に、わが地域のすべての同志の方々の生命に、梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」−−こう祈れば、千倍、万倍の力が出る。
これが生命変革の「祈り」である。「信仰」である。人間革命への"秘伝"である。
ゆえに、断じて負けることはない。この大確信で進みましょう!
きょうは、ありがとう!

2013年12月18日水曜日

2013.12.18 わが友に贈る

慌ただしい年の瀬。
身の回りの掃除や
整理整頓を価値的に。
すがすがしい心で
新しい年を迎えよう!

兵衛志殿御返事 P1091
『すこしもをそるる心なかれ過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しをのひるとみつと月の出づるといると夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』

◇希望の明日へ
"権力者""独裁者"は、教育の発展を恐れる。人々を無知のまま、権威に従属する存在にしておきたいからである。同様に、人間を隷属させる悪しき宗教も、教育を恐れる。そして、"教育の人"を迫害する。私が、いち早く、「教育こそ最終にして、最重要の事業」と宣言し、着々と実行してきたのも、ひとえに"真の人間"をつくりたいとの心にはかならない。
平4・5・4

☆女性に贈ることば 十二月十八日
ありがたいことに、私は妻から、愚痴らしいことを、いっさい問いたことがない。愚痴というのは、今さら言っても仕方のないことだ。「言わない」と割りきってしまえば、たいしたことではなくなる−−というのが、妻の言い分である。自己を律するその強さに、私はずいぶん支えられてきたのかもしれない。
そして妻は何ごとにも感謝を忘れない。一見悪いことのようであっても、"これでまた鍛えられる、成長できる。だからありがたいことだ"−−そう思えば、愚痴はなくなる、朗らかでいられる、と。

☆今日のことば 十二月十八日
様々な国の文化は、それぞれ異なる条件のもとに、それぞれ特有の線をもち、発展を遂げてきている。表面に現れているものは、その一部であり、そこには、それこそ無類の背景が広がっていることを知らなくてはなるまい。物事の判断は一面的であってはならない。そのためにも、絶えず相手側の立場に立っても、物事を考えられる心の広さをもちたいものだ。

2013年12月17日火曜日

2013.12.17 わが友に贈る

リーダーは会員の
プライバシーを
絶対に守ること!
学会の組織は
信頼こそが生命線だ。

法華初心成仏抄 P557
『譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』

◇希望の明日へ
"育てる"に当たって、まず信ずる。その信頼から出発する。それができるのが良き親であり、教育者である。
平4・2・19

☆女性に贈ることば 十二月十七日
結果は大事である。しかし、そこへ向かうプロセス(過程)は、ある意味で、結果以上に大切である。その人が何をしようとしているのか。何を願い、目指し、どう未来へと生きているのか。
その姿にこそ、何ものにもかえがたい人生の躍動がある。その人の人間としての精髄がある。

☆今日のことば 十二月十七日
人間の日常生活の喜びと悔恨は、信じたものが、真実であったか、どうかにかかっているといってよい。この日々の集積が、その人々の一生の幸、不幸を彩るともいえまいか。

2013年12月16日月曜日

2013.12.16 わが友に贈る

雪道や凍結路に注意!
油断・過信を排し
余裕をもって行動を!
配達員の皆様も
どうか安全第一で!

一念三千法門 P416
『法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し、譬えば春夏田を作るに早晩あれども一年の中には必ず之を納む、法華の行者も上中下根あれども必ず一生の中に証得す』

◇今週のことば
勝利の一年を飾る
座談会を賑やかに!
会場のご家族に感謝を。
共々に健闘を讃え合い
新たな広布の船出を!
2013年12月16日

◇希望の明日へ
"知は力"である。正しい知識を豊かにもってこそ、人間は人間として確立されていく。知恵が開かれ、人格が育まれていく。そのために教育がある。
平3・9・3

☆女性に贈ることば 十二月十六日
完壁な母親などいません。欠点も長所もあるから、人間なのです。そこに人間らしさがある。だからこそ、子どもも安心できるのです。自分らしくてよいのです。

☆今日のことば 十二月十六日
青年が、あるひとつの目標にむかい、努力していく姿は、もっとも力強く、もっともすがすがしく、もっとも美しい。世界じゅうのどこを探しても、青年の苦闘にまさる美しきものはない----。

☆名誉会長と共に今日も広布へNo.047 最後までベストを尽くせ
◇未来部の皆さんへ
寒風に胸張り進む未来部の皆さんの尊い努力と成長こそが、世界を温め、未来を照らします。皆さんこそ、希望の太陽です。
受験生の皆さんは、夢に向かって挑戦し、力を発揮してほしい。本当の勝負は、これからです。大変だろうけれども、体を大事にして、朗らかに前進してください。
皆さんの栄光を、私は、これからも真剣に祈っていきます。
世界の宝を育む使命深き担当者の皆様方も、いつもいつも、ありがとう!

皆、「負けじ魂」という言葉を知っていますね。これは、日蓮大聖人の御書に記された言葉です。
苦難にも屈せず、勇敢に戦って友を励ます弟子のことを大聖人は『極めて負けじ魂の人』と賞讃されているのです。(P986)
途中に何があろうとも、「負けじ魂」を燃やして、最後まで粘り強くベストを尽くす人こそ、真の勝利者です。
若くして仏法を持ち、宇宙に響きわたる題目を唱えている皆さんは、全員が「負けじ魂の人」です。
それぞれに、自分らしく「チャンピオン」になっていく人なのです。
わが愛する宝の皆さんに、私がかつてお会いした中国の文豪・巴金先生の信念の言葉を贈ります。
「私は恐れない。深い霧を突き抜ければ、前方には必ず光明があるに違いないから」と(石上詔訳『無題集』)。
親孝行を頼みます。
風邪をひかないように。元気で!

2013.12.15 わが友に贈る

多彩な人材を
糾合してこそ
広布の緑野は拡大!
皆の個性を生かす
努力と工夫を!

船守弥三郎許御書 P1445
『法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべし』

◇希望の明日へ
創価学会は、「創価教育学会」として出発した。一貫して教育を重視してきた。青年部だけでも、各種の"大学校"をはじめ、御書を学び、人生と社会を学ぶ"学びの場"を、大きく広げてきた。だれもが楽しく、有意義に学べる人間教育の道を開いてきた。学会のあり方、それ自体が、まさに、一つの大きな民衆教育運動、社会教育運動といえる。すべての人が、すべてのことを、徹底的に、また楽しく学んでいける−−ここに、人間が、社会が進むべき重要な進歩の軌道があり、成長の法則がある。
平3・9・3

☆女性に贈ることば 十二月十五日
目の前の山を登ることだ。山に登れば、ともかく足は鍛えられる。鍛えられた分、次のもっと大きな山に挑戦できる。この繰り返しである。そして、登った山頂から、もっと広い人生が見えてくる。

☆今日のことば 十二月十五日
人間である以上、誰にでも過ちはある。間違った見解に陥ることもあろう。しかし、過ちを指摘されたときに、率直に非を認め、大胆に改めるかどうかで、進歩の人か保守の人か、また善意の人か悪意の人かが決まってくる。

2013.12.14 わが友に贈る

誠実を貫く人は
良き友に恵まれる。
旧交を大切に
新たな出会いを結べ!
友情こそ人生の宝だ。

兄弟抄 P1084
『がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにてうちふるまいいゐしがごとくすこしもをづる心なかれ』

◇希望の明日へ
人間らしい人間が育ってほしい。ともすれば、知識があっても、深い人格がない、人格が立派でも実力がない、力もあり人柄も良いが、何があっても信念を貫くという哲学がない、専門分野では秀才でも、歴史の流れ、社会の未来を考える臓の広さがない−−こういう偏った人間になってしまいがちである。知・情・意を円満に備えた"全体人間"こそ、これからの激動の社会、国際化時代に必要とされる人間である。
平3・8・29

☆女性に贈ることば 十二月十四日
いくら財産を残しても、それで子どもが幸福になるとはかぎらない。かえって、不幸にしてしまう場合だってある。
親が信念を貫き、懸命に生き抜いた姿そのものが、最高の遺産です。

☆今日のことば 十二月十四日
土台は常に地味であり、人目にはつかぬものだ。いかなる大木も、地中に深く張った逞しい根によって支えられている。

2013年12月13日金曜日

2013.12.13 わが友に贈る

「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
一言でもいい。
自分らしく仏法を語れ!
その根本は勇気だ!

三三蔵祈雨事 P1468
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ』

◇希望の明日へ
人格と知力と哲学と−−人間性の全体を偏頗なく伸ばし、完成させゆく教育があってこそ、他のいっさいが生かされていく。人間教育を伴わない政治、経済、科学、宗教等は、人間を抑圧する結果となる危険性がある。教育を基本にしてこそ、人間は人間としての証を示すことができるのである。
平3・8・29

☆女性に贈ることば 十二月十三日
「学は光」「無学は闇」−−学び続ける人は美しい。学ぶ姿は、すがすがしい。一歩、深い人生を生きることができる。

☆今日のことば 十二月十三日
青春を特徴づけるものは、躍動する若さであり、激流のごとき熱情であり、果てしなく広がりゆく夢であり、雪のごとき清純さである。まさに、青春は人生の華であり、かけがえのない珠玉といえる。

2013年12月12日木曜日

2013.12.12 わが友に贈る

真剣な「信力」と
勇敢な「行力」に
「仏力」「法力」は涌現!
強盛な祈りと行動で
不可能を可能に!

王日女殿御返事 P1263
『仏は真に尊くして物によらず、昔の得勝童子は沙の餅を仏に供養し奉りて阿育大王と生れて一閻浮提の主たりき、貧女の我がかしらをおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず』

◇希望の明日へ
牧口初代会長は、"教育こそ最大の事業""教育の大事業は人材で決まる"と見ぬいていた。仏法を基調とした創価学会の運動も、一次元からいえば教育という聖業である。人間を、ただ人間をこそ、つくっていく−−。そこに社会の真の変革が成される。この信念は永遠に変わらない。
平3・5・30

☆女性に贈ることば その新しい成長や新しい進歩が、親や教師にとって新しい発見となり、新しい感動になっていく。その繰り返しのなかに、育児や人間教育の醍醐味がある。

☆今日のことば 十二月十二日
スモッグにかすむ、冬の寒空を眺めながら、ふとこんなことを思った。−−いったい、空気ちゅうの酸素は、いつごろできたのであろうかと。ちょっと調べてみて驚いた。二十億年前の地球の大気には、酸素がほとんど存在しなかったというのである。始原大気の組成は、炭酸ガス九割、窒素一割弱(それ以前の地球はメタンガス等が多量に存在していた時代もあったと言われる)だという。
なるほど、こんな組成では、酸素を呼吸する生物というものは、とうてい住めない。しかし、宇宙の不可思議な鼓動といおうか、地球の生命発展への営みが確実に胎動していった。緑色植物の光合成という、じつに絶妙な作業がすすんでいたわけである。つまり緑色植物は、自らのクロロフィル(葉緑素)を媒介として、大気の大部分を占めていた炭酸ガスを吸って、代わりに、酸素をはき出してくれたのである。
現代において、専門分野の研究がさかんになり----この始原大気への"酸素登場"という重大なる劇的場面は、おそらく十数億年前に、その幕をあけた、ときいたことがある。
大気形成の本格的解明は、当然、地球自体の誕生や、その大舞台である銀河系宇宙の発生にまでもさかのぼらなくてはならないようだ。
ともあれ、一枚のクロロフィルが酸素を生み、その酸素が、より高度な生物を生む土壌をつくり、その生物が人間文明にも脈絡を通じてきた事実の流れは、あまりにも妙であり不思議なことといわざるを得ない。
人間の歴史は、いまだ六十万年を越えるか、越えないかである。人間にとっては、この長く遠い時間も、緑色植物が営々として、酸素を生産してきた時間と比べれば、わずか二千分の一にも達しない。万物の霊長として、この地球上に君臨している人間も、考えてみると愚かな存在になりつつある。宅地造成だといっては、酸素生産の根源である樹木を、バタバタ切り倒していく。くわえてエンジン燃料の副産物として、炭酸ガスなどをどんどんまき散らしている。いうなれば、宇宙の着実なるリズムを、自身のつくった文明で破壊し、自らを危くしているのである。
利口げに、科学万能主義に徹する人もいるようだが、大自然のリズムに調和していく、謙虚な人間主義の姿勢を絶対に崩してはならない。

☆世界広布新時代第2回本部幹部会へのメッセージ
一、私は東京で、連日、全国・全世界から広宣流布大誓堂に勇み集われる大切な同志を間近で見守りながら、厳然と指揮を執っております。
きょうは、遠路はるばると海外28力国・地域より来日された世界広布の指導者と共に、ここ創価国際友好会館から、敬愛する全同志ヘメッセージを送らせていただきます。
すべてに大勝利した今年1年の見事な奮闘を、私は最大の感謝を込めて、ねぎらい、讃嘆したいのであります。
尊き研修会を行われているカナダの皆さん、アルゼンチン・ベネズエラの皆さん、欧州青年部の皆さん、台湾の皆さん、シンガポール・マレーシアの皆さん、韓国最高協議会の皆さん、そしてアフリカの皆さん方!
寒い中、本当に本当にご苦労さまです。
大好きな大好きな沖縄の同志の皆さん! 世界が見つめる希望の総会、誠に誠に、おめでとうございます!
私の心も懐かしい沖縄研修道場にあります。健児広場の皆さん、さらに沖縄各地の皆さんの輪の中に飛び込んで、一緒に歓喜のカチャーシーを舞い踊りたい気持ちでいっぱいです。私は、きょうか18回目の沖縄訪問との思いで、皆さんの晴れ姿に大拍手を送っております。

◇強き信力・行力に仏力・法力は厳然
一、本日は、皆さんと共に心に刻みたい御聖訓があります。
すなわち−−
『大悪が起これは必ず大善が来る。大正法は必ず弘まるであろう。わが門下だちよ、何を嘆くことがあろうか。迦葉尊者でなくとも、喜んで舞を舞い給え。舎利弗でなくとも、立って踊り給え。上行菩薩は、広宣流布のために大地から踊りながら出現されたではないか』(P1300、趣意)と。
我ら地涌の菩薩は、何のために生まれてきたのか。広宣流布の誓願の舞を喜び舞うために、それぞれの使命の舞台に踊り出たのであります。
ゆえに、どんな大悪が競い起ころうとも、断じて嘆かない。決して怯まない。
南無妙法蓮華経という「歓喜の中の大歓喜」の音声を響かせ、舞うが如く、踊るが如く、生き生きと生命を躍動させて、試練に挑み、戦い、必ずや大悪を大善へ転じてみせるのです。
大正法を弘めるのです。
広宣流布の誓願に徹しゆく「地涌の菩薩」の信力・行力があるところ、妙法の広大無辺な仏力・法力は厳然と現れ、苦悩に満ちた娑婆世界も寂光土へと変えていくことができる。これが、御本仏のお約束です。
そして私と共に、ありとあらゆる苦難を勝ち越え、地域広布の模範と輝く人間共和の舞を世界に示してくれているのが、わが誉れの沖縄家族なのです。
本当に、ありがとう! 我らの沖縄は、勝ちに勝ちました!
青き大海原のように開かれた心で「万国の津梁(=懸け橋)」となってきた沖縄の天地から、「世界広布」即「世界平和」の新時代へ、我ら創価家族は勇気凛々と、新たな大航海を開始しようではありませんか!

◇喜び薫る絆で人類を結べ!
一、この5日に逝去された偉大なる「アフリカの人道の闘士」マンデラ元大統領は、語り残されております。
「幾多の災難の嵐が襲おうとしても、決意を固めた革命的闘士を押し流すことはできない。また、悲惨をもたらす不幸の連続も、その人を苦しめることはできないと確信する」と。
マンデラ元大統領が27年半の獄中闘争を耐え抜かれて出獄された1990年に、私は東京でお迎えしました。
多くの若人の歌と舞の歓迎を、それはそれは喜んでくださいました。
青年をこよなく愛され、後継の世代を幾重にも育成してこられた、あのマンデラ・スマイルが思い起こされてなりません。
今、わがアフリカ広布の闘士たちが、マンデラ元大統領が歩み抜かれた不挑不屈の信念の道に陸続と続いております。
アフリカの婦人部のリーダーが語っていました。
「現実は大変ですが、断じてあきらめることはありません。なぜなら、困難を乗り越える力は、自分自身のなかにある。日蓮大聖人の仏法は、このことを教えてくれました」
「私たちが社会で生き生きと光れば、アフリカの世紀が輝きます」と。
この負けじ魂が、学会精神です。
一人一人が、自らの今いるその場所で、わが生命を最高に光り輝かせていく「人間革命」の勇気と正義の舞から、すべては始まるのです。
一、琉球古典音楽を代表する「かぎやで風節」では−−
「きょうの誇らしさ、この喜びを/何に例えようか/あたかも、花の薗が/露を受けて咲かんとしているかのようだ」(松村洋著『唄に聴く沖縄』)と舞い、踊ります。
学会も、今、新しい人材の花、友情の花が次々に咲き、また花開こうとしています。
最高に喜び薫る創価の「蘭室の友」の絆を、地域へ、社会へ、人類の未来へ、さらに爛漫と、さらに馥郁と結んでいきましょう!

◇題目の師子吼を轟かせて前進!
一、日蓮大聖人は、『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』(P947)と示してくださいました。妙法は、一切を蘇らせゆく無限の活力です。
この妙法と共に生き抜く生命は、いかなる「生老病死」の苦悩も転じて、永遠に「常楽我浄」の軌道を進んでいくことができる。絶対に安心であり、どんなことがあっても、全部、変毒為薬していけるのです。
『年は・わかうなり』(P1135)と仰せの如く、新しい1年、青年は、ますます元気はつらつと、多宝の同志は、いよいよ若返って前進してまいりたい。
そして、あの友この友と語らい、「幸福勝利の舞」に、一人また一人と、いざないながら、民衆の連帯で、世界の安穏を実現しゆく「平和」と「文化」と「教育」の舞を、断固と繰り広げていこうではありませんか!
さあ、我らは、最強無敵の題目の師子吼を轟かせ、来年も戦おう!。
全同志の皆さん、健康第一で、よいお年をお迎えください。
お元気で!

2013年12月11日水曜日

2013.12.11 わが友に贈る

会場提供者の皆様
いつもありがとう!
広布の宝処を皆で守れ!
受験生がいる家庭には
今一重の心配りを。

星名五郎太郎殿御返事 P1209
『今此の善導法然等は種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す』

◇希望の明日へ
志が人をつくる。大きな志は大きな人生をつくる。教育の核心は、その志をどう引き出し、力を発揮させるかにあろう。
平3・5・5

☆女性に贈ることば 十二月十一日
打ち続く試練に、くじけそうになった時は、天を仰ぎ、大きく息を吸ってみることだ。
王者赫々たる太陽の笑顔が、必ずや励ましてくれるに違いない。

☆今日のことば 十二月十一日
賢明な指導者は、常に民衆の心が何を願い、何をめざしているかを察知しなければならぬ。とくに、青年の心を無視し、強圧的に彼らの意志を蹂躙していくとき、そこには、不信と断絶の深淵を生ずるばかりであろう。

☆生命の光母の歌第3章 青年は世界の希望
池田 確かに、教育は「知(知性)」「情(感情)」「意(意志)」の調和が重要であり、育む順番は「情」「意」「知」であるともいわれます。子どもたちにはできるだけ一流の音楽に触れる機会を多く作ってあげたいものです。
ただ、昨今は早期教育が大事ということで、親が張り切り過ぎて「早く覚えさせよう」「あれもこれも身につけさせよう」として、「情」よりも「知」を重視する傾向が見受けられます。
また親の子どもに対する、そうした大きな期待が、商業面で利用されてしまっていることに、警鐘を鳴らす専門家もいます。どうしたら真に豊かな情操を育む教育環境を作れるか。さまざまな論議がある点でもあります。
サイフェルト 早期音楽教育のポジティブな影響については、私も、数人の専門家が寄稿した『機会(チャンス)としての音楽』という本を出版しました。そこには、早期音楽教育が、子どもの感情知能の発達において決定的な促進力を持っていることが明快に強調されています。
早期教育を施された子どもたちの人生において、他への気遣いや相互責任は、より大きな重点を占めることになります。
早期音楽教育に重点を置く学校では、例えば、そうではない学校に比べると、校内の備品や消耗品の手入れが、10年たった後も行き届いているといいます。そこでは、子どもたちが物を大切に扱うことを学んでいきます。
もう一つは、演奏することにより、互いに配慮し合う心が育まれていきます。つまり、オーケストラで演奏を行う場合、各自が責任を担い、自然と他者を敬う心が生まれてくるのです。
また、その一方で、経済的な問題等で教育の機会に恵まれない立場にある子どもでも、芸術的な面で触発を受ける経験を得ることは、その人間形成において非常に重要です。
ですから、できればお子さんに何か楽器を習わせてあげてほしい。それが難しければ、少なくとも一緒に歌を歌ってあげてほしいのです。

池田 『機会としての音楽』との本のタイトルには、今おっしゃったことが端的に示されていますね。子どもたちが人格を培う情操教育の「機会」あるいは「きっかけ」としての音楽の大いなる可能性を探究しておられるのだと拝察します。

サイフェルト おっしゃる通りです。そして、非常に大切な点は、子どもの音楽教育はすでに胎内から始まっているということです。とりわけ、「モーツァルト効果」を検証している著作が数多くありますが、クラシック音楽を聴いて育った子どもは、他の子どもたちに比べ、より穏やかで情緒豊かな子になると思います。現代は、争いや攻撃に終始する内容で、暴力的な影響を与えるコンピューターゲームがはやっています。それは非常によくないことであると憂慮しています。

池田 極めて重要な視点です。大歴史学者のトインビー博士が、"人は7歳までに、その後の全人生よりも多く、大事なことを学ぶ"と言われていたことを思い起こします。それだけに、できるだけ良い縁に触れられるようにしてあげたいものです。
以前対談した、ロシア・国際児童基金協会のリハーノフ総裁は、別の観点から語られていました。
「臨月の胎児は、お母さんの周りの音がよく聞こえていることが研究で明らかになっています。赤ん坊は、穏やかな話し方とらしい音楽が好きで、反対に騒々しいリズムは嫌います」。こうした時期の"子どもの思い"を大人は理解しないといけない。心理学や教育学、医学の基礎に裏付けされた愛情を持だなければならない−−と。

サイフェルト だからこそ、いかに子どもたちにクラシック音楽を慣れ親しませるかというのが私の目標でもあるのです。

池田 ちょうど年末となり、日本では伝統的に各地でベートーペンの「第九」公演が行われます。文豪ロマン・ロランが、この「歓喜の歌」について、ベートーベンが「自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す」ことによって「世界に贈りもの」をしたと讃えたのは有名です。〈片山敏彦訳『ベートーヴェンの生涯』岩波書店〉
EU(欧州連合)の歌ともなり、自由と民主の象徴ともなったこの曲を、私たちも愛唱してきました。特に、徳島では「歓喜の歌」合唱運動(94年)に約3万5000人が参加し、その棹尾を飾って、合唱祭が盛大に開かれました。また、九州の青年部は誇りも高く「5万人の第九」(同年)、「10万人の第九」(2001年、05年)の大合唱の歴史を残しています。沖縄や韓国の青年も共に歌い上げてくれました。
美しく力強い名曲が津々浦々に響くこの時、たまには親子で耳を傾け、口ずさみ、「第九」などの音楽談議でもしながら、新たな未来への一歩を踏み出していきたいものです。

2013年12月10日火曜日

2013.12.10 わが友に贈る

地域や近隣を大切に。
日頃の感謝の思いを
言葉にして伝えよう。
爽やかなあいさつで
信頼の絆を強く!

法華経題目抄 P944
『譬えば秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉華菓出来するが如し』

◇希望の明日へ
閉鎖性は硬直性となり、独善性になりがちである。それでは人は育たない。大学に限らず、家庭などでも、さまざまな友人と交流を重ねる"開かれた家庭"は、それ自体、優れた教育環境といえるだろう。
平3・1・12

☆女性に贈ることば 十二月十日
愛情のない母親は、まずいない。しかし、その愛情の注ぎ方に、手落ちや、気ままや、気まぐれがあれば、かえって子どもの人格を傷つけてしまいかねない。
子どもの心を深く理解し、その心の流れにそって導いていく、賢明な船頭でありたい。

☆今日のことば 十二月十日
勇気は青年の特技だ。父を、母を幸福にするのも、事業の再建も、生活の確立も、国を救うのも、勇気が根本だ。

☆生命の光母の歌第3章 青年は世界の希望
池田SGI会長 青年は希望です。青年は宝です。青年と会い、青年と悟り、青年と学び、青年を励ますことに勝る喜びはありません。青年は未来そのものです。青年を大切にしない団体や社会に未来はない、といっても過言ではないでしょう。

サイフェルト博士 その点は、私も意見を一にするところです。例えば、音楽の分野などでも、天賦の才能を持っている青年が埋もれている場合が多くあります。そのままでいてはなりません。再び青年に希望を与えていくことが一番重要であると思います。
"才能ある者で、これを使わないでいる者は、その才能は取り返される"というキリストの言葉があるのですが、私は最初これを聞いた時、「なぜ?そんな理不尽な!」と思いました。
しかし後から、この「才能」とは「責任」を意味することでもあると捉え直しました。私が友人の皆さん、特に若い皆さんに伝えたいのは、「天与の才能は埋もれさせてはならない」ということです。その才能と向き合う勇気を持ってほしい。勇気が必要なのです。

池田 大事なお話です。これは音楽に限らず万人に通じるテーマです。博士の言われる才能とは、責任や使命に言い換えることができるということですね。
日蓮大聖人は弟子に対し、『生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ』(P1173)と仰せになられました。
誰人も生まれてきたからには、その人にしか果たせない尊い使命が必ずある。そこから目を背け、自暴自棄になったり、安逸に流されて無為な人生を送っては、自分も家族も社会も大きな損失です。
万人の生命の尊厳を説く日蓮仏法は、だからこそ全ての人に、自らの偉大な使命への自覚を促し、自分らしく輝くことを教えるのです。それを「自体顕照」ともいいます。
博士のおっしゃる通り、大切なのは自分と向き合う勇気です。自他共に、この勇気を持って、生命の力を存分に発揮し、使命の人生を歩むことを目指すのが、私たちの励まし運動でもあります。
今、日本中、世界中で、創価の青年たちが、平和のため、新しき社会の建設へ、友との真剣な語らいを重ねながら、希望の青春を歩んでいることは、何よりの喜びです。

サイフェルト それは本当にうれしいことです。
かつて私は、日本で大規模な創価学会の集いに同席する機会が何度かありましたが、そこで池田会長が青年と交流する姿を拝見したことを覚えています。
皆、緊張してか、最初はおとなしくしていましたが、会長がユーモアを交えたスピーチで笑顔を引き出し、生き生きと躍動していきました。まさに希望を贈られていく光景を目の当たりにしました。

池田 サイフェルト博士には幾度となく学会の会合に出席をいただき、創価の青年たちに温かなエールを賜りました。多くの人たちがそれを大切な宝の思い出としています。
ともかく、未来は青年に託す以外ありません。わが恩師・戸田城聖先生も「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と、絶大なる期待を寄せておられました。
1997年の9月、神奈川で51力国・地域の友が参加した「世界青年平和音楽祭」にも、博士は友情出演してくださいましたね。

サイフェルト 懐かしいですね。あの時は大観衆を前に「ウィーン わが夢のまち」と「献身」の2曲を歌いました。
SGIの皆さんと協力し、同じ目的を共有できるのは本当に幸せなことです。それこそが私の最優先したい価値あることなのですから!

池田 ありがたいお言葉です。博士は偉大な「平和の文化の大使」です。サイフェルト博士に出席いただいた北海道での本部幹部会1991年8月)では、青年の大いなる指標になればと、私から、博士の崇高なる人生を紹介させていただきました。

サイフェルト 恐縮です。よく覚えていますとも!
池田会長が、私の生き方を青年たちに話してくださった際の光景は、とても感動的でした。今までに遭遇した、最もすてきな出来事の一つとして、忘れがたい思い出となっています。

池田 盲目のご両親を支えつつ、声楽家のお父さまから音楽を学んだ女時代を振り返られた博士の言葉には、青年への深い励ましの響きがあります。
「当時、私はたくさんの歌曲やアリアに囲まれて育ちました。歌曲やアリアは、素晴らしい『精神の宮殿』でした。それが私の、心の糧となりました」
博士が、歌曲やアリアに精神の宮殿を見いだしたように、青少年が自身の生命にある可能性や創造性に目覚めゆく「精神の宮殿」が必要です。そうした豊かな"心の糧"こそ、次の世代へのかけがえのない遺産となるでありましょう。
博士は何歳から、どのような環境で歌や楽器の練習をされたのでしょうか。

サイフェルト 3歳の時からです。第2次世界大戦が終結した直後の混乱期でした。父のお弟子さんには、国立歌劇場の多くの学生や、国内外からの受講者がいました。ピアノがあった音楽ルームは当時、わが家で唯べ暖房設備がある部屋でしたので、外履きから乳母車まで、私の子ども時代の全てが置かれていました。そこが私の中心だった
のです。
ですから、あまりよく覚えていないのですが、両親が言うには、3歳の時には、すでにブラームスの歌曲を歌っていたそうです。まさに芸術家としての訓練の始まりであり、それが父の指導のもとで継続されていきました。

池田 音楽がまるで"ゆりかご"のような環境だったのですね。ブラームスは、日本人にも多くのファンがいる音楽家です。民音にも、フラームスの直筆書簡が重宝として大事に保管されています。
貴国を初めて訪れた1961年の10月、ベートーベンやシューベルトらと共にブラームスが眠る中央墓地を訪れ、追悼の祈りを捧げました。
木々の豊かな緑に包まれた、美しい公園のようなたたずまいで、音楽の都の歴史の重みを感じたことを記憶しています。
ブラームスは生前、思うような作品が作れず悩み苦しんでいた作曲家に、こう語ったといいます。
「全部手に入れてしまったら、今日はうぬぼれ、明日は溺れだよ」(リヒャルト。ホイベルガー/リヒャルト・フェリンガー著、天崎浩二・関根裕子訳『ブラームス回想録集第2巻 ブラームスは語る』)と。
若い音楽家を大切にし、自己には厳格だった巨匠ならではの、深みのある言葉です。
このブラームスも幼少期に父親から音楽の手ほどきを受け、10歳にしてピアニストとしてデビューしていますね。
やはり優れた音楽家になるには、英才教育が必要なのでしょうか。

サイフェルト それに関しては、24時間、語ることができます!
英才教育という言葉が適切かどうかは分かりませんが、早期の音楽教育がより良い人間を作るのに役立つことは周知の事実です。
"より善良な人間に育つ"というのは言い過ぎかもしれませんが、少なくとも情操教育の面において、人間形成の助けになることは確かであると思います。
ここに、私がヨーロッパ青年文化協会を設立した理由もあります。

2013年12月9日月曜日

2013.12.09 わが友に贈る

新聞休刊日

◇希望の明日へ
人を育てる。そこにいっさいが含まれる。原点であり、終着点である。学会も「創価教育学会」から出発した。教育に焦点を定めるところに、人間性の世紀を開く、間違いなき軌道がある。
平3・4・2

☆女性に贈ることば 十二月九日
真実の慈愛とは、相手によって決まるものではない。
相手がどうあろうと、太陽が万物を照らすように、あらゆる人びとを愛し慈しみ包容しゆく、心広々とした揺るがぬ境涯である。

☆今日のことば 十二月九日
生涯 君は
 本を手から放すことをしないという
  勉強家であれ と
私は 祈る

☆名誉会長と共に今日も広布へNo.046 誓願の祈りで勝利の日々を
威風堂々とそびえ立つ広宣流布大誓堂で「広宣流布誓願勤行会」が始まった。
連日、友が喜び集い、学会常住の御本尊に、誓願の祈りを捧げている。
広宣流布こそ、人類の願望である。私は、この御本尊に「広宣流布の希望の道を無限に開かせたまえ」と祈ってきた。
広宣流布とは、人間が人間として、最も人間らしく、対話を交わし、友情を結び、信頼を広げゆくことだ。
わが青春時代、師の選んだ広布の道を、私も必ず選んで歩みゆくことを決意した。
師を思えば、勇気が湧く。力が出る。智慧は尽きない。
きょうは、あの人と対話しよう!
きょうは、この人と信頼と友情を深めよう!
懸命に戦い、師に報告することが最高の光栄であった。
師弟に生きる我らは負けない。負けないことから、勝利は始まる。一歩また一歩と、幸福の軌道を進みゆくのだ。

日蓮大聖人は、『われ法華経の行者なり』との誇りも高く、絶体絶命の大難を勝ち越えられ、『幸なるかな楽しいかな』(P975)との悠々たる御境涯を示された。
戸田先生は、この御文を拝して語られた。
「御本尊があるから大丈夫だ。御本尊を拝んでいるから、自分は大丈夫だ。この確信が胸の奥底から出るようになったら信心は一人前です」
苦しんで強くなる。祈って勝つのだ。病苦や経済苦、家庭の問題。あらゆる悩みに苦しんだ人が、友の苦しみも分かる。賢明な強い人になり、多くの友を救っていける。
さあ新時代へ出発しよう!
永遠に輝きわたる正義の炎を燃え上がらせながら!

2013年12月8日日曜日

2013.12.08 わが友に贈る

我らの仏法は
たくましき楽観主義!
断じて逆境に勝つ!
大確信の祈りで
変毒為薬の劇を!

撰時抄 P265
『法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり』

◇今週のことば
後継者で未来は決まる。
わが地域の「若芽」を
真心こめて育てよう!
受験生にも勇気のエールを。
一人一人を人材の大樹に!
2013年12月08日

◇希望の明日へ
教育は民衆のものである。あらゆる若人が、生き生きと、伸び伸びと成長していくためのものである。断じて、一部の特権階級のためにあるのではない。
平2・11・13

☆女性に贈ることば 十二月八日
人びとのために尽くす−−その生き方こそが、子どもの心に鮮やかに投影され、無言のうちに種を植えていく。

☆今日のことば 十二月八日
戦争は極悪中の極悪である
罪のない国民まで道づれにし
犠牲にしてゆく戦争を
断じてこの地球上より除かなければならぬ

☆池田思想シンポジウムへのメッセージ
一、本日は人類の明日を照らしゆかれるシンポジウムの開催、誠におめでとうございます。21世紀の世界が進むべき新たな大道を切り開かれようとする試みに、私は深く強く感銘を受けております。
どこまでも「人間」を見つめ、「社会」のために知恵を結集し、「未来」のために尽くし抜かれる知性と良識の先生方の尊いご努力に、私は最大の尊敬と感謝を捧げさせていただきたいのであります。
一、中国では現在、「生態文明の建設」の理念のもと、政治、経済、社会、文化のそれぞれの分野で、環境の保全とともに、生態系の保護を重視する持続可能な発展が目指されています。なかでも、エネルギー分野において太陽光や風力発電といった「再生可能エネルギーの積極的な導入が目指されるなか、今年6月にドイツやフランスなどの国々とともに、「エネルギーシフト国家クラブ」を発足させ、地球的規模での再生可能エネルギーの導入拡大をも進めようとされていることは、世界の大きな注目を集めています。
この意欲的な取り組みに象徴されるように、現代社会において人類が直面する環境問題は、画境や民族の違いを超えて英知を結集し、力を合わせて事に当たらなければ乗り越えられないことは、論をまちません。
その意味で、貴国が取り組まれている「生態文明の建設」は、世界全体で等しく追求されるべき優先課題にほかならず、人類史を画する挑戦を確かな軌道に乗せていくために、人々の意識の大きな転換が、今ほど必要とされる時代はないでありましょう。
そこで、この「生態文明の建設」の展望の上から、簡潔に2点の所感を申し上げさせていただきます。

◇環鏡問題の打開へ「勇気」を灯す
第一に、「環境教育を基盤に持続可能性の追求を」ということであります。
貴国では「生態文明の建設」の核心をなす理念として、人間と自然との相互依存性を踏まえた"良性の相互関係"の構築を掲げておられます。
現代の国際社会で環境問題が論じられる際、「持続可能性」というキーワードがよく語られますが、私はその「持続可能性」の追求が社会全体に定着するには、制度や技術面での対応に加えて、自然とのかけがえのない関係を大切にする思想が根を深く張ることが、不可欠と考えてきました。
この点に関し、中国教育学会の顧明遠会長が、私との対談で、「中国人は、古くから人間と自然は調和し、共存しなければならないことを認識しており、それを最高の道徳基準としていました」と語っておられましたが、そうした精神遺産から豊かな智慧を汲み取り、現代の社会に幅広く展開し、「持続可能性」の追求に資する価値を力強く創造していくことは、世界全体にとってもきわめて重要な意義をもつに違いありません。
その挑戦を進める上で大きな役割を担うのは、何といっても「教育」であります。
かねてより私は、環境回題の打開の原動力は「教育」なりとの信念から、行動を重ねてきました。また、私が創立した創価学園や創価大学などでも、さまざまな形で環境教育の推進に力を入れてまいりました。
昨年発表した環境提言では、環境教育の在り方として、知識や技術の習得だけでなく、�自分が育ってきた場所を大切にする「心を受け継ぐ」ための教育�自分を取り巻く環境がもたらす恩恵への感謝の思いを「日々の行動に還元する」ことを促す教育�これから生まれてくる世代のために何を守ればよいのかを「自身の生き方の柱に据える」ための教育−−三つの観点の重要性を提起しました。
ともすれば現代の環境問題は、その規模の大きさや原因の複雑さに半ば圧倒される形で、改善に向けての意欲が失われてしまうことが、解決を難しくさせているといわれます。その難問に対し、"人間が起こした問題は、人間の手で解決できないはずがない"との希望と勇気を灯すのが「教育」にほかなりません。
私どもが提唱し、2005年からスタートした国連の「持続可能な開発のための教育の10年」は来年で終了しますが、"人間と自然は調和し、共存しなければならない"との思想を受け継がれてきた貴国の皆さま方と共に、環境教育を基盤に据えた持続可能性の追求に取り組んでいきたいと願うものです。

◇国際的連帯が価値を創造
第二に申し上げたいことは、「環境協力で共生の地球社会の礎づくりを」という点であります。
私は現在、世界的な環境学者である、ドイツのヴァイツゼッカー博士と「持続可能な地球社会」を構築するための方途を探る対談を行っております。
その博士の言葉に、
「われわれはまた、環境の世紀において現在のものとは根本的に違ったまったく新しい文明・文化を必要としている」(宮本憲一・楠田實典・佐々木建監訳『地球環境政策 地球サミットから環境の21世紀へ』)との回題提起がありましたが、その一つの方向性を示しているのが、貴国が掲げておられる「生態文明」であるといえましょう。
また私と年来、交友を深めてきたアメリカのキッシンジャー博士も今年6月、貴国を訪問した折、「生態文明」をめぐる取り組みを踏まえて、「環境に関する取り組みは一国だけで実現できるものではなく、多くの国が共同で実現しなければならない」との観点を強調しておられました。
私も同様の信念に基づいて、7年前に「日中環境パートナーシップ(協力関係)」の構築を提言し、その柱として先ほどの「環境教育の推進」に加えて、「環境汚染の防止」と「省エネルギー・循環型社会への転換」を挙げたことがあり、今年の提言でも、中国と日本が共同で主導する形で「東アジア環境協力機構」の設立を目指していってはどうかと、提案いたしました。
両国での協力をはじめ、環境問題における国際協力の輪を幾重にも広げていくことは、共に「プラスの価値」を創造し、共に「希望の未来」を築いていく挑戦であり、「共生の地球社会の礎」へと結実していくに違いありません。
万年の未来を見据えて、その国際協力の大道を幾重にも開きゆくことこそ、将来世代に贈ることのできる、最上にして最高の財産ではないでしょうか。
一、こうした地球的視座に基づく国際協力の重要性を説いた、口ーマクラブの創設者ペッチェイ博士と、環境問題に対して「手遅れにならないうちに」と警鐘を鳴らしゆく対談集を発刊して、まもなく30星霜を迎えます。残念ながら、地球と人類を取り巻く環境問題は、いやまして深刻さを増しております。
しかし、私の胸には、ペッチェイ博士の信念の叫びが今も響いて離れません。
「人間は一人一人の中に理解力、想像力、独創力を豊富に蓄えており、そのうえまだ活用されていない、いや顧みられてすらいない道徳的資質を、豊かに備えています」「これらの蓄えは系統的に開発することができます」「そうすることによって初めて、人類はついには現状を逆転することができるでしょう」と。
地上の資源は有限であっても、人間生命の可能性は無限であり、人間が創造する価値にも限りがない−−私はこのことを、本日、お集まりになられた、尊敬する諸先生方と共に、確かめ合いたいのであります。
最後に、今回のシンポジウムが、人類の新たな地平を切り開く大いなる一歩となることを願ってやみません。
本日は誠に、誠にありがとうございます。謝謝!

2013.12.07 わが友に贈る

「さいわいは心より
いでて我をかざる」
広布への強き一念に
功徳の花は咲き薫る!
今日も生き生きと前へ!

報恩抄 P293
『仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』

◇希望の明日へ
世界の平和、人間の平等、魂の自由を開いていくのが教育の使命である。そうでなければ、万人が人間らしく生きゆく"人間性のオアシス"を、つくっていくことはできない。また、そうさせまいとする権力者の思惑を打ち破り、権力、権威を民衆のもとに従属させていく道を開くのは、教育をおいてほかにないであろう。
平2・9・26

☆女性に贈ることば 十二月七日
いちばん大事なことは、どんな場合でも「自分なんか、ダメだ」と思わないこと。自分をいじめないこと。自分で自分を励ますことです。落ち込んでしまった自分の心を、自分で「よいしょ」ともちあげることです。
あなたは素晴らしい人なんだから、そんな素晴らしい自分をいじめてはいけない。人が何とけなそうが、関係ない。

☆今日のことば 十二月七日
人間形成の最大時は、なんといっても教育にある。教育は技術である。そして、その教育法の根本は、教育者が、いかなる教育理念を持っているかによって、決定されてしまう。

☆青年部代表勤行会へのメッセージ
一、ここ広宣流布大誓堂に、わが青年部の誉れの代表が一堂に集い合った。
誠に、誠におめでとう!
全同志の偉大な信力・行力によって、偉大な仏力・法力を湧現しつつ、学会は創立83周年を最高に晴れ晴れと大勝利で飾ることができました。
初代・牧口常三郎先生も、二代・戸田城聖先生も、満面の笑みで喜び合われていることでありましょう。
この師弟勝利の本陣を、これから厳然と守り抜いてくれるのが、君たち青年部です。
君たちこそ、この本陣から、まず創立85周年へ、また2020年の創立90周年へ、さらには2030年・創立100周年へ、新たな「一閻浮提広宣流布」の波動を起こしゆくことを、久遠より誓願し、不思議にも、この時に、勇んで躍り出てくれた地涌の菩薩なのです。
まさしく今、学会常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊の御前で、「世界広布新時代」が遠大な希望に燃えて、ここに開幕したことを、私は最も信頼する君だちと一緒に大宣言したいのであります。

◆広布の誓願こそ究極の「師子吼」
一、きょうは、仏法の真髄である「師子吼」の意義を心肝に染めておきたい。
日蓮大聖人は厳命なされました。
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(P1190)と。
末法今時において、法華経に説かれる通りに、『悪口罵詈』『猶多怨嫉』の難を受け切り、紛然と競い起こる『三障四魔』『三類の強敵』と戦い続けてきた『日蓮が一門』は、我ら創価の師弟以外には、絶対におりません。
その一切を威風堂々と勝ち越えることができたのは、一体、なぜか。
それは、大聖人の仰せのままに、『師子王の心を取り出して』、師子吼を貫き通してきたからであります。
この正義の勝利の道は、未来永遠に変わりません。

◆苦難に打ち勝つ題目の大音声
「御義口伝」では、『師子吼』の『師』とは『師匠授くる所の妙法』(P748)であり、『子』とは『弟子受くる所の妙法』(同P)である。
そして、『師子吼』の『吼』とは『師弟共に唱うる所の音声なり』(同P)と明快に示されております。
すなわち、師匠と弟子とが、共に広宣流布を誓願して、唱えゆく妙法の音声が、究極の『師子吼』であります。この世に、これほど強く正しい、これほど深く気高い音声はない。
そして、この師子吼を、世界へ未来へ、限りなく轟かせゆく道場こそ、ここ広宣流布大誓堂なのであります。

一、人生は、誰人も「生老病死」という本源的な苦との戦いであります。
しかし、大聖人は『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(P1124)と断言されております。
題目の師子吼に勝るものはない。
若き不二の愛弟子たちは、断じて負けてはならない。
いかなる病も、いかなる悩みも乗り越えるためにある。仏になるためにある。
断固と勝ち切って、大勢の苦悩の友を励まし、救っていくための試練である。
なかんずく、『法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし』(P1316)とは、わが健気な華陽の乙女たちを厳として擁護してくださる御本仏のお約束であります。

◆我ら地涌の絆が時代変えゆく力
一、ともあれ、いずこにあっても、いかなる時も、私と君たちは、誓願の題目で深く強く結ばれている。
何ものにも破られない金剛不壊の絆です。
大聖人は、『一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる』(同P)と仰せになられた。
一人の後継の師子が師子吼すれば、一切が変わる。
時代は、ますます濁り、乱れている。
だからこそ、我らは、この広宣流布大誓堂を中心に、それぞれの使命の舞台で、自行化他の題目の師子吼を、いやまして勇気凜々と響かせ、ありとあらゆる邪悪に打ち勝ち、わが地涌の眷属の威光勢力を無限に増してゆくのだ。
悩める友には希望と確信の声を、混迷の社会には正義と価値創造の声を、そして分断の世界には平和と連帯の声を、いよいよ惜しまず広げていこうではないか!
大事な大事な君たちが一人も残らず、これ以上ないという幸福勝利の人生を飾りゆかれることを祈りに祈って、私のメッセージといたします。

2013年12月6日金曜日

2013.12.06 わが友に贈る

新任のリーダーに
先輩は最大の応援を!
後輩が自分以上の
人材に育ってこそ
広布の未来は盤石!

御衣並単衣御書 P971
『物たねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり』

◇希望の明日へ
自律なき放縦は真の自由ではない。人間も、社会も国家も退歩し、不幸の方向へ、そして結局は不自由の方向へ流されてしまう。自由を、進歩と向上と平和のために使いこなしていくためには、人間と精神の羅針盤が必要である。そして英知こそ、こうした魂の自由を確立する人間の羅針盤となるものである。ここに教育を最大に重視する大きな理由がある。
平2・9・26

☆女性に贈ることば 十二月六日
恩師・戸田先生は、よくおっしゃっていた。
「人生は、住む所、食べる物、着る物に関係なく楽しむことができる。この法則を真に知るならば、人生は幸福なのだ。何事も感情的になるな。何事も畏れるな」と。
まさに、万般に通ずる人生の極意です。

☆今日のことば 十二月六日
奥行きと、広がりをもった人間を育成するには、知識や技術だけでは、不十分である。知識や技術は、人間の属性である。その知識、技術の習得と錬磨を通し、己れ自身を磨かなければ、決して、深い自己の世界の構築はあり得ないであろう。

☆下野新聞寄稿「栃木県誕生140年に寄せて」
◇「心田」から希望は生まれる
いにしえ、栃木県は「毛野国」と呼ばれた。
「毛」には五穀・草木の意義がある。
まさに物産も文化も豊かに茂り実る大地こそ、「下野」である。
この大地に漲る開拓と創造の息吹を、私も敬愛してやまない。
栃木に多くの知己を持つ恩師にお供して、日光を旅したのは、60年前の春であった。その折、恩師が語ってくれた逸話が蘇る。
−−あの華厳の滝は、明治半ばまで観覧に適切な場所がなかった。しかし、星野五郎平という山仕事の達人が、一人で断崖に道をつくり始めた。周囲の冷笑のなか、奮闘の歳月を重ねて、難所を突破し、王者の滝をのぞむ圧巻の眺望を開いたのだ、と。
今年、栃木県は誕生から140周年−−。
今や日光は、皆の憧れの世界遺産である。
イチゴやかんぴょう等、命を育む農林業も食文化も、日本の宝だ。活発な自動車産業、さらに世界一で名高いハードディスク用のアルミ基板など、匠の技が冴える製造業も、栃木は全国有数の大発展を遂げている。

下野新聞では、佐野生まれの巨人・田中正造翁の生涯と思想が、現代の視点から鋭く洞察されている。
世界に誇るべき"環境と人権の先覚者"正造翁は、豊かな郷土は君たちのものと青年たちに語った。
ゆえに、「若い者がつくりなおし、自分の力で治めていかねばならなかんべね」と。
一切は、人で決まる。
青年の心の大地−−つまり「心田」を耕せば、新たな希望が生まれる。
栃木には、この人間教育の伝統が脈打つ。
日本で最も早く総合大学・足利学校が設立され、人材を育成してきた歴史も誉れ高い。
私の忘れ得ぬ小学校の担任の先生も、栃木のご出身であった。その情熱と慈愛は、教育をライフワークとする私にとって、かけがえのない原点である。

江戸期、今の真岡の農村復興に心血を注いだ二宮尊徳公には、"一人の心田を開拓すれば一村が一新する"という不動の信念があった。
大田原市に、若き日からの活躍を私か見守ってきた友がいる。父亡きあと、母を助け、祖父母を介護しながら、営農に挑んだ。米価の低迷、冷害と打ち続く試練にひるまず、土地の改良や新品種の導入に不屈の努力を積み重ねた。
舞い来たる白鳥を守る会を結成し、児童の登下校の安全を確保するなど、地域の活性化にも、誠実に貢献する。夫妻で「悩む余裕がないほど忙しい」毎日を生き抜いてきた。その苦労は、仲間を励まし、後輩を育てゆく知恵となって光る。
一人の心田を耕し、潤すのは、何より励ましではないだろうか。
励ましは「万」の力」と書く。それは栃木の「栃」の字のつくりとも共通する。
いずこにもまして人柄の良い方が多い栃木には、万の力の励ましが満ちている。

私の妻と同世代の那須塩原の婦人たちは、東日本大震災の被災者の方に一人でも喜んでもらえればと、真心の「ちゃんちゃんこ作り」を続けてこられた。
宇都宮ゆかりの詩人・野口雨情は、「もっともっと人情味のある、誰彼の差別なく手を取って唄い合う」ような「棲みいい国、楽しい国」の建設を願った。そして、それは足元の郷土から始めよう、と。
今、栃木県は「元気度日本ごを目指して勇躍、前進されている。
今日も、我らの毛野国の豊かな心田から、日本そして世界を元気にする希望が、生まれ出ずるに違いない。
(2013.11.14)

2013年12月5日木曜日

2013.12.05 わが友に贈る

地域や職場で
信頼される存在に!
信仰で人格を磨き
社会に貢献する。
それが真の仏法者だ。

道妙禅門御書 P1242
『祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有りと雖も只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候』

◇希望の明日へ
教育は時間を超えて力を発揮する。教育こそは、国の、社会の将来を開き、創造していく力である。歴史上、世界に大勢力を誇った国々のなかにも、やがて衰退していった国がある。一国の盛衰は長い目で見なければならない。そして、社会の長期的な課題のなかでも、教育こそ、根本である。教育の充実に真剣に取り組みゆく国は、必ず発展と繁栄の時代を迎えるものである。
平2・8・27

☆女性に贈ることば 十二月五日
人生、最後の最後まで戦いきった人は美しい。歳月の風化作用も、そのような人物には及ばない。いや、むしろ、月日がたつほど、その存在は一段と大きく光っていくものだ。

☆今日のことば 十二月五日
趣味のない人は味がない。そういう人には魅力を感じないから、人がついてこない。なんでもよいからひとつの趣味をもち、見識を深めていこうという努力が大切である。

☆勝利の人間学第43回 善縁の拡大が新時代を開く
◇新しい友情を広げよう
正しい人生を歩むためには、「善き友」の存在が何より大切である。「善き友」と一緒に進むところに成長も充実もあるからだ。
それには、まず自分が相手にとって「善き友」になることである。
誠実第一に、一人の友を大切に、そして、二人、三人、十人と、新しい友情を楽しく築いていただきたい。
わが恩師は言われた。
「青年が青年を呼ぶのだ。そうすれば広宣流布はできる!」と。
心を大きく開いて、人間の中へ飛び込み、未来を照らす青年の連帯を創っていこう!

◇信心のよき先輩は宝
身近に一人でもよい、何でも語り合える善き友人、また何かあった時に相談できる善き先輩をつくっておくことだ。
善き友人、善き先輩をもてば、必ず幸福の方向へ、平和の方向へと進んでいける。
御聖訓には、『悪知識を捨てて善友に親近せよ』(P1244)と記されている。
悪人に近づいてはならない。近づけてもいけない。悪い時代だから、悪知識に紛動されたり、利用されたりしてはならない。
信頼し合える善友と共に、勝利また勝利の道を、真っ直ぐ朗らかに歩んでくれ給え!

◇古い友人を大切にしよう
年末年始は、日頃、なかなか会えない古い友人と再会するチャンスである。年賀状でも心の交流ができる。
「人間」が先である。人間として爽やかな好感を広げていくことだ。そこから、対話がはずみ、友情が生まれ、仏縁が結ばれる。
御本尊に「皆と仲良くできる自分、信頼される自分に成長させてください」と祈るのだ。
祈りを根本に、人間対人間の温かな交流を深め、味方を増やしていくのだ。
広宣流布は善縁を拡大する戦いである。
どこまでも賢く聡明に、また、どこまでも勇敢かつ大胆に、青年部は日本中、世界中で友情の劇を繰り広げていっていただきたい。

2013年12月4日水曜日

2013.12.04 わが友に贈る

「友を断じて幸せに!」
その心が弘教の根本。
祈り、語り続ける中に
自他共の偉大なる
生命の変革がある。

四条金吾殿御返事 P1169
『日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』

◇希望の明日へ
青年にとって、どのような教育がふさわしいのか。その一つの結論として、偉人や英雄の人間像を語ることは、青年たちに、さまざまな人生の意味を教えることができるであろう。勝利と敗北、労苦と試練、明と暗との因果の色彩にいろどられた人生模様、戦いの歴史−−人類史に何らかの巨歩を印した人物には、やはりそれなりの"人間学"がある。それら人生の先達の姿を学ぶことによって、青年たちが、自らの生き方への何らかの示唆を得、勇気と希望を抱き、視野を広げていくことができるであろう。それが精神の滋養に富んだ、生きた人間教育となる、と確信している。
平2・8・15

☆女性に贈ることば 十二月四日
さまざまな悩みと戦いながら、前を向いて、郵賢恥えて生き抜いていく、けなげなお母さん!
人がなんと言おうと、子どもをとことん信じ、守り、太陽のように照らしていく、優しいお母さん!
どんなに、よその家の子がよく見えようと、「うちは、うちよ」と笑いとばす、朗らかなお母さん!
人のため、社会のために奔走し、なかなか、わが家を顧みる時間がなくとも、その尊貴な後ろ姿で、骨を力強く引っ張っている、たくましいお母さん!

☆今日のことば 十二月四日
理論を好んで生きていく人がある。反対に実践、体験を重んじ、生きていく人もある。だが、せんじつめれば、生活は実践であり、体験による以外にないであろう。

☆御書とともに�第16回 妙法の功徳は広大無辺
『問う其の義を知らざる人唯南無妙法蓮華経と唱うるに解義の功徳を具するや否や、答う小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を益す』(四信五品抄、P341)

◇通解
問う、(妙法蓮華経の五字に法華経の道理が納まっているという)意義を知らず、ただ南無妙法蓮華経と唱える人が、一念三千の道理をわきまえる人と同じ功徳を得られるであろうか。答える、子どもが母の乳を飲むのに、その味を知らないけれども自ずから育っていくようなものである。

◇同志への指針
妙法の功徳は広大無辺である。たとえ深き意義を知らなくても、母の慈愛に抱かれた幼子のように、自然と無量の福徳に包まれる。
「信」の一字で、真っすぐに御本尊に向かうことだ。いかなる権勢の人も、題目を唱える人にはかなわない。これが、日蓮大聖人に直結する我らの誉れなのである。

2013年12月3日火曜日

2013.12.03 わが友に贈る

何でも相談できる
先輩や同志を持とう!
善知識こそ人生の宝。
共に語り、祈れば
絶対に道は開ける!

持妙法華問答抄 P465
『持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし、然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり』

◇希望の明日へ
教育は、何か"鋳型"に入れるような抑圧的なものであってはならない。人間の広大さをそのままに開いていく広大さと、柔軟な知恵を、教育は必要とするということであろう。人間の内にある可能性を引き出していく−−これは仏法のめざす方向性と、まったく同一である。人間を信じ、豊かなる"未知"の何かを信じ、引き出す、みずみずしい教育精神。それは真実の宗教の精神にも通じていくのである。
平2・8・15

☆女性に贈ることば 十二月三日
見栄や虚栄というのは、「人にどう見られるか」ばかりを気にして、自分を自分以上に見せようと、飾り立てることです。しかし、そんなものは幻です。
虚栄の人は、背伸びをして、いつも、つま先立ちで歩いているようなものです。それでは疲れてしまうし、生きること自体が苦しくなってしまう。虚栄がなければ、人生は何百倍も楽しく生きられるのです。

☆今日のことば 十二月三日
君よ!
 快活な時もあるだろう
 沈思の時もあるだろう
 苦悩の時もあるだろう
これが青年の季節であり
 みずみずしい青春の実体であることを
  知ってくれ給え

☆学園抄第12回「英知の歌声」
◇一生涯、祈る
学園生は代々、決意を込めて愛唱歌を作り、日々歌ってきた。創立者は語る。
「歌が多いのは、心が豊かということです」
1978年(昭和53年)7月14日、東京校の第11回栄光祭が創価大学・滝山祭と合同で開催された。
テーマは「負けじ魂ここにあり」。熱演を見つめた創立者はテーマを賞讃し、恩師のもとで奮闘した思い出を力強く述べた。
"一度決めた信条、信念、なんで生涯忘れてたまるものか! こう決めたことを、今、思い出しました。それが「負けじ魂」であります"
後夜祭にも出席した。半月前に学生へ贈った歌を、創大生が熱唱。
「これが本当の人生の応援歌だ!」と拍手を送る。
大阪の創価女子学園(当時)の生徒は、創立者の詩をもとにした愛唱歌「この道」を披露。
「いいね」とほほ笑む。
心から讃える創立者を側で見ていた東京校の生徒は思わず"報告"してしまう。
「先生! 男子校でも新しい歌を作っています!」
この栄光祭を目指して歌を作ろうとしたが、発表できなかった。悔しかった。学園に新風を巻き起こす歌を作ろう!
制作は難航した。だがある日、草創期の先輩から、創立者の歌作りへの思いを聞くと、一気に進んだ。
創立者との出会い、栄光祭での原点、未来への誓い−−情景を思い浮かべ、3番までの詞に込めた。
10月11日。歌を届けると、女子学園にいた創立者が詞に加筆。
そして曲。東京に電話がかかってきた。受話器から聞こえるのは、創立者が口ずさむメロディー。
17日には思いがけない知らせ。先生が「4番」を作ってくださった!
創立者が第3代会長を辞任する半年前で、根拠のない非難が渦巻いていた。しかも短時日で大阪、京都、静岡、東京を回る多忙さ。なのに詞の直し、メロディーの提案、新しい歌詞まで……。胸が詰まった。
11月2日の鳳友祭で、新愛唱歌「負けじ魂ここにあり」を歌う。創立者は「もう一度!」とリクエスト。
「私は一生涯、皆さんを守るために祈ってまいります。だから皆さんは、伸び伸びと負けじ魂で進んでいただきたい」
「負けないという人生は、永久に勝ちです。勝つことよりも負けないことのほうが、じつは偉大な勝利なのです」

2009年2月。東京校の高校3年生が「負けじ魂ここにあり」を録音し、創立者に届けた。
卒業5日前の3月11日。緊急集会が開かれ、生徒は歓声を上げた。新たに「5番」が贈られた。

正義の誇りに
     胸を張れ
 君に託さん
     この大城を
 学べ勝ち抜け
     世界まで
 負けじ魂 朗らかに

同日、関西校でも発表。30年余を経て、創立者の手で東西の愛唱歌となった。
今月の「英知の日」へのメッセージは、こう結ばれている。
「愛する学園生と一緒に『負けじ魂ここにあり』を歌いながら
  創立者 池田大作」

休校の創立記念日が開けた今月19日、登校時間の東京校。高校生が中庭で愛唱歌を歌っていた。
参加自由の毎朝の"伝統行事"。校舎から走ってくる男子、モットーの碑を磨いた雑巾を握る女子、クラブの練習から駆け付けたジャージ姿……。入れ代わりつつ200人近くが集い、元気な声が青空に上る。
校歌も歌う。

富士が見えるぞ
    武蔵野の……

5番に入ると、声が一段と強くなった。彼方には白雪の富士がそびえている。

2013年12月2日月曜日

2013.12.02 わが友に贈る

題目の師子吼を
世界へ 未来へ!
広布大願に燃え
わが使命の天地に
希望の楽土を築け!

同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず』

◇今週のことば
「声仏事を為す」
はずむ生命力で
友好の対話を!
善き友をつくれ!
そこから新時代が。
2013年12月02日

◇希望の明日へ
未来を開き、未来を育むといっても、その主体は人間にあるといってよい。人間をつくりあげる事業こそ、教育にほかならない。人間の内なる無限の可能性を開き鍛え、そのエネルギーを価値の創造へと導くものこそ教育である。いわば教育は、社会を築き、時代を決する"根源の力"である。
平2・5・28

☆女性に贈ることば 十二月二日
「いつか」ではない。「今」である。この時を完全燃焼せずして、真の人生はあり得ない。

☆今日のことば 十二月二日
今は全然 僕の存在は
 理解してくれなくても満足なのだ
やがて 僕の会話に多くの人が
 耳を傾けるであろうことを
  確信しているからだ

☆学園抄第12回「英知の歌声」
「新しい校歌を作ってはどうか」
創立者が関西校に呼び掛けたのは86年12月。提案は具体的だった。分かりやすい詞。関西全域で歌われる曲。題は「栄光の旗」……。
作成委員会に1500もの案が寄せられたが、まとまらなかった。
90年1月。卒業前の高校3年生が立ち上がった。創立者から伝言が届く。
「校歌ができるのを楽しみにしております」
創立者に見ていただく!
その一心で討議を重ね、完成した案を送った。
3月5日。原案に創立者の筆が入り、戻ってきた。詞が生まれ変わっていた。

ああ関西に 父子の詩
 これぞ我らの
      誉れの曲
 ともに誓いを
      果たさむと
 世界を結べや
      朗らかに
 君も王者と 栄光の旗
 君も勝利と 栄光の旗

この3番の「関西に 父子の詩」に目が止まる。創立者と関西学園生の絆。一番込めたかった思いが、そのまま入っていた。
曲には創立者が「学園生か庭園の池のほとりで、仲良く語り合っているような、流れるようなメロディーで」とアドバイス。だが
なかなか表現できない。
13日。卒業式まで3日。
今日できなければ後輩に託そう。最後に録音した曲は15作目である。
14日。校舎に突然、高ぶった声の放送が響く。
「新校歌『栄光の旗』が完成しました!」
各教室で歓声が湧く。創立者も「とてもいい!」と賛同したのだった。
16日の卒業式で、新校歌を歌う瞳が輝いた。
創立者は「限界を打ち破り、何度も何度も挑戦した学園生の心意気が本当にうれしかった」と振り返る。
「東京の校歌には、深く掘り下げられた『学園の原点』があり、関西の校歌には、世界に飛翔しゆく『学園の栄光』が留められています」
「皆、私が学園生と一体となってつくった『師弟の詩』です」

2013.12.01 わが友に贈る

さあ師走・12月!
総仕上げの一日一日を
悔いなく全力で!
晴れ晴れと胸を張れる
栄光の自分史を綴れ!

可延定業書 P985
『されば日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり、今女人の御身として病を身にうけさせ給う心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし』

◇希望の明日へ
教育の営みは、いわば、永遠の大地に種を蒔き、永遠の大河に滴を注ぐ、ロマンの労作業である。世界と人類の未来を担いゆく青年たちの人間形成にたずさわる教育こそ、もっとも、崇高な仕事である。
平2・5・20

☆女性に贈ることば 十二月一日
幼い命に注がれた母の愛は、一生を支えるエネルギーです。
愚直な母でいい。時には失敗し、時にはおっちょこちょいで、時に感情が爆発することもある。しかし、つねに一生懸命に生きることです。
心の奥の奥に刻み込まれた、親の愛と生き方が、マグマのごとく、子どものエネルギー源となって、一生を支えていくのです。

☆今日のことば 十二月一日
ともどもに 来春は
最高の正月を迎えよう
そのために
この一ヶ月を
悔いなき
充実の日としよう

☆学園抄第12回「英知の歌声」
11月18日は、創価学園の創立記念日。牧口常三郎・創価学会初代会長が著した『創価教育学体系』第1巻の発行日であり、同会長が軍部政府の弾圧に屈せず、獄中で逝去した日でもある。
7・17「栄光の日」、10・10「情熱の日」に続く、11・18「英知の日」。同日を記念して今月、東西の中学校が合唱祭を開いた。
また、16日には東西各校を中継で結ぶ集会。校歌を晴れやかに歌った。

関西創価小学校。
さくらひらひら
   世界の坂に……

東京創価小学校。
いつの日か
   いつの日か……

関西創価中学・高校。
ああ限りなき
   希望の空よ……

東京の創価中学・高校。
草木は萌ゆる
   武蔵野の……

創立者・池田名誉会長のメッセージに、学園生の驚きと喜びが広がる。
「私には、毎日欠かさない心弾む日課があります。それは大好きな創価学園の歌を聴くことです」
「皆さんの元気いっぱいの歌声こそ、私の最大の希望であり、無限の活力なのであります」

◇「師弟の詩」
1968年(昭和43年)9月6日。開校5ヵ月の東京・創価学園で、創立者が出席してグラウンド開きが行われた。
騎馬戦、リレー、寸劇。終始明るい雰囲気のなか、生徒が厳粛な表情に変わった。寮歌「草木は萌ゆる」の合唱である。
−−日本中から生徒が集った栄光寮で、皆が寮歌の作成に挑んだ。選ばれたのは関西出身者の詞たった。
慣れない寮生活。ホームシック。悩む生徒の頭に、ある言葉が浮かんだ。
「何のため」。
学園で学ぶのは何のためか。創立者の指導をむさぼり読む。"答え"を4番からなる詞に表した。
「次代の世界を 担わんと」
「社会の繁栄 つくらんと」
「民に幸せ おくらんと」
「世界に平和を 築かんと」
創立者は「名曲が完成したね」と喝采し、「5番」の詞を贈った−−。
迎えたグラウンド開きで雄々しい歌が天を突く。創立者の言葉が、寮歌を歌う使命と誇りを示した。
「明治以降、今日まで、旧制一高の寮歌を歌った人々が社会を担ってきた」
「これからは学園の寮歌を歌った人が日本の次の指導者、世界の21世紀のリーダーになっていく」
この後も手が加えられ、完成した5番。
富士が見えるぞ
  武蔵野の
 渓流清き 鳳雛の
 平和をめざすは
   何のため
 輝く友の 道拓く
 未来に羽ばたけ
   君と僕
寮生を筆頭に、生徒が大切に歌い継いできた。83年に校歌となった。
「『何のため』と、わが胸に問いかけながら、一生涯、崩れることのない、人生の大目的を生命に焼き付けていってください。ここに創価学園の大精神がある」と創立者は期待する。