努力はうそをつかない。
毎日の積み重ねは
必ず豊かな実を結ぶ。
自分を信じて進もう!
「必ず勝つ」と強い心で!
上野殿御消息 P1527
『是くの如く振舞うを賢人とも聖人とも云うべし、此の四の事あれば余の事にはよからねどもよき者なり、是くの如く四の得を振舞ふ人は外典三千巻をよまねども読みたる人となれり』
◇希望の明日へ
生老病死は人間の常である。病気になったから、信心に負けたわけではない。永遠の生命から見れば、また一念三千の法理から見れば、すべてに意味がある。たとえ身は病んでも、"信心が健康"であるならば、幸福の境涯は揺るがない。これが信心の妙用である。
平4・10・10
☆女性に贈ることば 一月十三日
子どもを一個の人格として尊敬できる親こそ、立派な家庭人というべきである。このような家庭人が、社会にあってはよき社会人であることは疑いのないところである。
☆今日のことば 一月十三日
自己を批判しすぎて、消極的になる人あり。
自己を、深く思索、反省して、勇然と、突進できる人もあり。
愚かな、自己批判より、青年らしく、常に、あたって砕けゆく、根性が、大切であろう。
☆100文字の幸福抄
幸福というものは、
他から与えられるものではない。
自己の生命の内に築いていくものである。
人生には、嵐の日も雪の日もある。
だが、自己の胸中の大空に、
希望の太陽を輝かせ、
青空が美しく広がっていればよいのである。
☆東奥日報特別寄稿 夢は始まる 全ては"青い森"から
二十年ほど前の夏、十和田湖畔で懐かしい青森の友と久方ぶりに再会を果たし、語り合ったことがあります。
それは、奥人瀬渓流で仰ぎ見る大樹も、春夏秋冬、戦い勝っているから青々と伸びられる。生命は戦いの中で輝くということです。
あの日本の夏を彩る「ねぶた」の灯寵も、人知れず全身全霊を懸けた創作の戦いから生まれます。
東奥日報の記事で、「ねぶた師」の巨匠が「技術に人格がそなわって、初めて名作が生まれる」と語られていたことが、私の心に残っています。
青森は、自然も、文化も、歴史も、堂々たる王者の風格を湛えた天地です。
その地で、郷土の発展のために、陰の労苦をいとわず、誠心誠意を尽くしていく人生もまた、王者の風格に輝いています。
仏典には、「王」とは、その文字の如く、天と人と地を貫いて少しも揺るがない存在であると説かれます。
明治時代、七戸町と旧大深内村(現十和田市)にまたがる荒屋平の開拓に挑み続けた工藤轍一郎翁の苦闘も、思い起こされます。
耕作に不向きな、火山灰土壌の原野の開墾でした。しかも、ほとんど無一文での挑戦で、容赦ない批判を浴びました。多くの障害が打ち続く中、なぜ、この難事業が成就したのか。
それは、ひとえに、工藤翁の不屈の情熱と、人を引きつけてやまぬ人格の輝きにあったといわれます。
何かあっても、農民のため、郷土のため、朗らかに信念を貫く翁の意気に感じ、心ある人々は強力な支援を惜しみませんでした。
工藤翁は、借金を重ねながらも、農家の子弟のために学校を作るなど、教育にも力を注いでいます。
翁が作業場に住み込んで、人生を捧げ通した開拓地の一隅には「この美田を子孫におくる」と刻まれた石碑が建てられています。
無私にして一徹な人格の輝きが、青森には満ちています。
おいらせ町で、イチゴの栽培に取り組んできた知人がいます。
それは、四十数年前、稲作と漁業の低迷から人口が減る町の立て直しを願い、始められた挑戦です。温暖な地での栽培が常識たった当時、見向きもされなかったが、懸命な努力が実り、一人また一人とイチゴ農家が増えて、米が不作でもイチゴで収入をカバーできるまでになりました。
ところが。先の東日本大震災で、彼の畑はすべて津波に飲まれてしまったのです。
すでに八十歳。一度はあきらめがけたが、勇気を奮って再起しました。除塩作業を繰り返し、ついに再び、真っ赤な美味しいイチゴが収穫できたのです。
「イチゴは俺の命だから、この身が朽ち果てる最後の最後まで栽培を続けるよ」と誇り高く語ります。
丹精こめて育てられたイチゴは、一粒また一粒が、凛と王子王女の如く光っています。
私が創立した創価高校は修学旅行で、西目屋村など、青森の皆様方に大変にお世話になっております。
三年前には、世界遺産の白神山地で育まれたブナの苗木を分けてくださいました。生徒たちは、校庭で大切に育てました。そして後輩に託して、昨年の旅行時に、白神山地のふもとに植えて福"帰郷"させたのです。その苗木が大樹と伸びゆく未来を、学園生は自分たちの成長と重ね合わせて見つめています。
木は、今いる場所に根を張り、他の木々と共に風雪を勝ち越えていく中で、青々と光り輝く王者の森をつくります。
奥人瀬の天を突く大樹のように、自らの使命の場所で信念に生き抜いてこそ、「人はかがやく」。このことを、私たちは未来の世代に、自らの姿で伝えていきたいと思うのです。