停滞はない。
今日も若々しく
勝利の人生を開け!
衆生身心御書 P1594
『つゆつもりて河となる河つもりて大海となる塵つもりて山となる山かさなりて須弥山となれり小事つもりて大事となる何に況や此の事は最も大事なり』
◇わが大切な同志にこの言葉を贈る
戦場はここだ。
戦うのはここだ。
わたしはあくまで
ここで勝つ気だ!
ノルウェーの劇作家 イプセン
◇四季の語らい
生死という根本問題を避けて、どんなに繁栄したように見えても、根なし草であり、砂上の楼閣である。「無常の人生」のなかで、どう「永遠の価値」を創っていくかである。
◇今日のことば365
スモッグにかすむ、冬の寒空を眺めながら、ふとこんなことを思った。----いったい、空気ちゅうの酸素は、いつごろできたのであろうかと。ちょっと調べてみて驚いた。二十億年前の地球の大気には、酸素がほとんど存在しなかったというのである。始原大気の組成は、炭酸ガス九割、窒素一割弱(それ以前の地球はメタンガス等が多量に存在していた時代もあったと言われる)だという。
なるほど、こんな組成では、酸素を呼吸する生物というものは、とうてい住めない。しかし、宇宙の不可思議な鼓動といおうか、地球の生命発展への営みが確実に胎動していった。緑色植物の光合成という、じつに絶妙な作業がすすんでいたわけである。つまり緑色植物は、自らのクロロフィル(葉緑素)を媒介として、大気の大部分を占めていた炭酸ガスを吸って、代わりに、酸素をはき出してくれたのである。
現代において、専門分野の研究がさかんになり----この始原大気への"酸素登場"という重大なる劇的場面は、おそらく十数億年前に、その幕をあけた、ときいたことがある。
大気形成の本格的解明は、当然、地球自体の誕生や、その大舞台である銀河系宇宙の発生にまでもさかのぼらなくてはならないようだ。
ともあれ、一枚のクロロフィルが酸素を生み、その酸素が、より高度な生物を生む土壌をつくり、その生物が人間文明にも脈絡を通じてきた事実の流れは、あまりにも妙であり不思議なことといわざるを得ない。
人間の歴史は、いまだ六十万年を越えるか、越えないかである。人間にとっては、この長く遠い時間も、緑色植物が営々として、酸素を生産してきた時間と比べれば、わずか二千分の一にも達しない。万物の霊長として、この地球上に君臨している人間も、考えてみると愚かな存在になりつつある。宅地造成だといっては、酸素生産の根源である樹木を、バタバタ切り倒していく。くわえてエンジン燃料の副産物として、炭酸ガスなどをどんどんまき散らしている。いうなれば、宇宙の着実なるリズムを、自身のつくった文明で破壊し、自らを危くしているのである。
利口げに、科学万能主義に徹する人もいるようだが、大自然のリズムに調和していく、謙虚な人間主義の姿勢を絶対に崩してはならない。
☆各部代表協議会でのスピーチ
金吾は、信心ゆえに讒言され、領地替えを命じられるなど、苦しい立場にあった。
今で言えば、不景気で仕事がなかったり、社会的信用を失ったり、リストラにあう苦しみにも通じよう。
その中にあって、金吾は、大聖人にお仕えし抜いた。
佐渡流罪中の大聖人のもとにも、荒波を超えて訪ねて行った。
その弟子の尊き志を大聖人は心から讃えていかれたのである。
仏法の師弟は、厳粛である。気取りや見栄は通用しない。
大事なのは真心である。信念である。誠実である。行動である。
いかなる弾圧にも、断じて屈しない。
いかなる迫害にも、断じて揺るがない。
この大聖人直結の強き信心の実践こそ、学会の根本だ。三代の師弟の魂だ。
本当の正義とは、師弟不二である。