広布に尽くす同志を
全力でたたえ励まそう!
じっくり話に耳を傾け
苦楽共に分かち合い
新たな決意で前進!
法華証明抄 P1586
『いかなる過去の宿習にてかかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が法華経計りをば用いまいらせず候いけれども仏くやうの功徳莫大なりければ謗法の罪に依りて貧賎の身とは生れて候へども又此の経を信ずる人となれりと見へて候』
【通解】
どのような過去の宿習によって、このような末代悪世に法華経を信じる身として生まれることができたのかと喜んでおります。先にふれた法華経の経文にはこう説かれています。「過去に十万億の仏にお会いし供養した者が、法華経だけを用いたわけではないが、仏への供養の功徳が莫大だったので、謗法の罪によって貧しく賤しい身には生まれたけれども、またこの法華経を信ずる人になることができたのである」と。
名字の言 画面に映し出された「人の少ない渋谷のスクランブル交差点」 2022年4月6日
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国内で初めて緊急事態宣言が出てから、あすで丸2年を迎える▼当時、日本テレビの藤井貴彦アナウンサーが、担当する夕方の報道番組を進行していた折のこと。緊急事態宣言下の「人の少ない渋谷のスクランブル交差点」が画面に映し出された。これを異様な光景とするか、あるべき光景とするか、単に「人がいません」と伝えるかを悩んだ▼結局、藤井さんは「今テレビを見ているみなさんのご協力で、人との接触が防げています」と伝えた。視聴者の顔は見えない。だからこそ、テレビの向こうの"誰か"を励ますことを選んだ。「相手を頭に思い浮かべた言葉こそが届くのだと信じています」(『伝える準備』ディスカヴァー・トゥエンティワン)▼長引くコロナ禍で、心に響く「豊かな言葉」が一段と求められている。SNSによるやりとりは増えたが、互いの顔が見えにくくもある。これまで以上に相手を思いやる姿勢を大切にしたい▼御書に「言と云うは、心の思いを響かして声を顕す」(新713・全563)と。相手の仕事や家庭の状況によっては、直接会えない場合もある。友の幸せを祈り抜き、その真心を言葉に乗せて、わが足元から励ましの輪を広げよう。
寸鉄 2022年4月6日
「水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずる」御書。求道の信心で前へ(新1871・全1544)
どんな悩みも、祈りに変えよ—恩師。煩悩即菩提の仏法。題目は勝利の力
心を開く処方は真の友情以外にない—哲人ベーコン。自他共の幸福願う対話今日も
15日まで春の全国交通安全運動。飲酒運転を根絶。自転車も交通ルール順守
変化大きい新学期。子の様子に気配り。「頑張ったね」等、肯定的な声掛けを
☆四季の励まし 喜びの春風を届けよう 2022年3月27日
◇池田先生の言葉
春が来た!
寒風を乗り越えて、
春が来た!
春は喜びだ!
正しき信仰に生き抜く
私たちの生命は、
三世の諸仏の
護りと笑顔に、
春のごとく包まれている。
勇気を出して、
一人の友に会う。
相手の幸福を祈り、
誠実に、
情熱込めて語っていく。
その一人立つ挑戦が、
己心の壁を破り、
友の心を動かす。
自分から周囲へ、
わが家から近隣へ、
春風のごとく、
自然のうちに、
温かい声、明るい声、
力強い声を
広げゆくところに、
民衆の幸福と
平和の地盤が
出来上がっていくのだ。
何歳になっても、
新しい出会いを求め、
友人を
つくっていくことだ。
友が増えれば、
世界が広がる。
未来が広がる。
声は、人の心を動かし、
社会、世界を変えていく。
声をあげることから、
新しい一歩が始まる。
楽しくやろう。
肩肘張る必要はない。
心軽やかに、
どんどん人と会い、
信心の喜びと
確信を語ることだ。
そこに
自身の人間革命の修行も、
広宣流布の拡大も、
全部、含まれている。
私たちが
仏縁を結んだ分だけ、
人々の生命に具わる
仏の生命が呼び起こされ、
地域も輝きを増していく。
さあ、
勇んで打って出よう!
あの友、この友の心に、
希望と励ましの
春風を届けよう!
【写真説明】淡いピンクのサクラ、青いデルフィニウム……。色とりどりの花々が鮮やかに咲き薫る。暖かな陽気に誘われて、1羽のヒヨドリがやって来た。2020年(令和2年)3月の都内。池田大作先生が、その瞬間をカメラに収めた。
春本番の今この時を喜ぶかのように、花が舞い、小鳥は歌う。御書には「春の初めの御悦び、木に花のさくがごとく、山に草の生い出ずるがごとしと、我も人も悦び入って候」(新1929・全1585)と。
友情の花園も動き歩いた分だけ、爛漫と広がる。古き友人を大切にしながら、新しき出会いを求めて、足取り軽く、対話の季節を駆け抜けよう。
☆ONE GOSHO この一節とともに! 崇峻天皇御書(三種財宝御書)
◇輝く人間性で信頼を確立
春——新生活が始まり、新しい環境に身を置く人も多い。今回は、どのような場にあっても私たちが貫くべき「人の振る舞い」について学ぶ。
◇御文
『不軽菩薩の人を敬いしは、いかなることぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ。』(新1597・全1174)
◇通解
不軽菩薩が人を敬ったことは、どのような意味があるのだろうか。教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いを示すことにあったのである。
◇背景
本抄は、建治3年(1277年)9月11日、日蓮大聖人が身延の地から鎌倉の四条金吾に与えられたお手紙。別名を「三種財宝御書」という。
金吾は当時、主君の江間氏を折伏したために不興を買い、さらに同年6月の「桑ケ谷問答」で金吾が法座を乱したというデマによって、江間氏から"法華経の信心を捨てなければ所領を没収する"と迫られていた。しかし、金吾は不退転の信心を誓う。
その後、江間氏が病に倒れ、医術の心得のあった金吾が治療に当たることになった。本抄は、その報告に対する返信である。
この時、金吾は主君からの信頼を取り戻しつつあったが、同僚たちとの不和など、金吾を取り巻く環境の厳しさは変わらずに続いていた。大聖人は、金吾に対して事細かな注意を与えるなど、金吾が主君に仕える武士として勝利していくための要諦を教える。
◇解説
「不軽菩薩」とは、法華経常不軽菩薩品第20に登場する釈尊の過去世の姿である。不軽菩薩は、万人に具わる仏性を礼拝し、「私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、慢ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです」と語り続けた。
しかし、その言葉を信じられない人々は、不軽菩薩を嘲り、迫害する。それでも不軽菩薩は、聡明に暴力をかわしながら、決して相手を軽んずることなく、礼拝行を貫く。この実践により、不軽菩薩は六根清浄(生命が浄化されること)の功徳を得て成仏する。さらに、迫害した人々も、後に再び不軽菩薩に巡り合い、教えを受けて救われるのである。
治療・看病を通して、主君からの信頼を回復した四条金吾であったが、その一方で、金吾を追い落とそうとする者たちは、表面では平静を装いながら、内心は嫉妬の炎を燃やしていた。
彼の命が脅かされる状況が変わらないことを案じた日蓮大聖人は、"決して一人にならないように""目立つ服装は控えなさい"など具体的に助言をし、細心の注意を払うよう指導される。そして、一時の感情に流されやすい金吾に、万人を敬い抜いた不軽菩薩の振る舞いこそが、法華経の真意であり、釈尊の「出世の本懐(この世に出現した根本の目的)」であったと結論する。
誰に対しても誠実な振る舞いを貫いていく——これは、職場や地域で奮闘する我々、男子部員にとっても、大切な心構えである。しかし、頭では分かっていても、「この人だけは……」と思ってしまうことも少なくない。
全ての人を敬っていくという"不軽菩薩の振る舞い"は、自身の小さな境涯を打ち破りゆく挑戦ともいえる。
本抄で大聖人は「蔵の財よりも身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり。この御文を御覧あらんよりは、心の財をつませ給うべし」(新1596・全1173)と仰せである。
物質的な財産〈蔵の財〉や、社会的地位・技術・健康〈身の財〉よりも、信仰によって培った心の豊かさや、いかなる試練にも負けない生命の強さ〈心の財〉こそ大切である、と。
縁する一人一人を大切にする中で、自身の人間性も磨かれ、信頼という勝利の証しが打ち立てられていくのだ。
大聖人の仰せを実践した金吾は後に、主君の信頼を確立。新たな所領を得ることになる。
池田先生は語る。
「この現実の社会のなかでこそ、皆が仏になっていくのだ。『仏法即職場』であり、『職場即仏法』である。そして、仏法は即『人の振る舞い』である。社会での信頼の広がりは即、仏法正義の確立となり、創価への共感の拡大となる」
どのような困難な環境でも、心の財を積み重ねてきた人は強い。自分らしく輝いていくことができる。混迷する時代だからこそ、今いる場所で周囲に光を送る振る舞いを心掛けたい。
2022年4月10日日曜日
2022.04.05 わが友に贈る
溌剌とした挨拶は
皆に活力を送る。
朗らかな交流を生む。
新天地で出発した友よ
周囲を照らす太陽たれ!
最蓮房御返事 P1343
『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ』
【通解】
私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都となるであろう。私たちの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺の霊鷲山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復されるのである。
名字の言 病苦さえ笑い飛ばすような正岡子規の心 2022年4月5日
作家の正岡子規は病と闘いながら執筆を続けた。だが彼の文章には、それを感じさせない明るさがある▼ある時は病床でガラス細工の金魚が入った置物を見て、こうつづった。「痛い事も痛いが綺麗な事も綺麗ぢや」(『墨汁一滴』岩波文庫)。病苦さえ笑い飛ばすような彼の心は、実に伸びやかで自由だった▼宮崎県西都市のある女性部員は3年前、夫が若年性アルツハイマー病を発症した。記憶を失う不安、つらさ、いら立ちで表情は変わり、暴言を浴びせる夫に戸惑い、涙したことも。懸命に祈った。すると、一緒に学会活動に励んだ楽しい日々が次々とよみがえった。"二人で積んだ「心の財」は永遠に消えない"。そう確信して祈り、夫に接すると、症状が落ち着き、笑顔まで見せてくれるように▼人の名前も字も忘れた夫だが、命に深く刻んだ題目は忘れなかった。今、夫妻の日課は朝夕の唱題。そして地域のマラソン大会に向けて練習に汗すること。「私たち、今が一番幸せかも」と照れ笑いする彼女の姿が印象的だった▼人の幸・不幸を決めるのは誰かではない。自分の心だ。心を強くし、豊かにすれば、どんな試練さえ幸福の糧にしていける。仲むつまじい夫妻の歩みが、それを物語っていた。
寸鉄 2022年4月5日
列島彩る「女性部総会」。部結成1周年に喜び集う今こそ平和の連帯を拡大
外に味方をつくれ—戸田先生。青年よ誠実一路の行動で信頼と友情広げよ
真に必要な学問はどう生きるべきかの学問—文豪トルストイ 学会は"人生の総合大学"
歩きスマホは危険!視覚障がい者と正面衝突のケースも。油断が大事故と
感染禍でがんの検診控え多し—医師。早期発見・治療が不可欠と。聡明に
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第15回「夕張炭労事件〈上〉」 心の暖炉に希望の火を赤々と
◇【学生部への指針】
一、戦う学生部たれ!
一、正と邪を、はっきりさせる学生部たれ!
一、学生部、ここにあり、という旗を立てよ!
(「第1回全国学生部幹部会」〈1997年4月15日〉のスピーチから)
◆いわれなき弾圧
「16年前のあの日、僕は、北海の地にいた。吹き上げる人間讃歌の声を阻む、かたくなな勢力は、あの時も怒濤となって、荒れ狂っていた」——。1973年(昭和48年)6月30日、池田先生は、学生部結成16周年に際し、メッセージを寄せた。そこには、16年前に起こった「夕張炭労事件」での真情が克明に記されていた。これは、学生部結成と切り離すことのできない歴史である。
「青年らしく、貧しき人々の家々を訪ね、窓辺に勇気の花を咲かせ、心の暖炉に希望の火を赤々と灯した。この人々のために、僕は邪な行為を憎んだ。分厚い壁を前に、一歩も退くことは、できなかった」
「夕張炭労事件」が起きたのは57年(同32年)。同年5月、炭労(日本炭鉱労働組合)が、新たな民衆勢力として躍進する学会を敵視する方針を打ち出した。相前後して、北海道最大の炭労組織・夕張炭労が、本格的な学会員の排斥に動き出した。
当時、炭労といえば「泣く子と炭労には勝てない」といわれるほど、組合員に対して絶大な権力を誇っていた。
夕張での学会員に対する圧力は、前年の夏頃から始まっていた。参院選で、学会推薦の候補が台頭したことがきっかけだった。炭労の組合は、学会員の日常生活の細部にまで首を突っ込んだ。圧力は次第に陰湿化し、悪意のビラがあちこちに貼られ、有線放送を使ってあらぬ中傷まで流された。
組合に所属する学会員の勤務態度は非常に良好であり、一人一人が職場で実証を示していた。"仕事で貢献しよう""地域を良くしよう"と活動する学会員に対する圧力は、いわれなき弾圧にほかならなかった。
大人だけでなく、子どもまでもが村八分にされた。当時のメンバーは手記につづっている。「私たちがとやかく言われたり、いじめられたりするのは、少しも苦しくありませんでした。でも、子どもが仲間に入れてもらえない、と小さな胸を痛めている姿、じっと我慢している姿を見るたびに涙が後から後から流れました」
信心の世界が、最高に愉しく、美しい。
指導に行くことは、結局、自身が、
指導を受けに行くようなものだ。
【「若き日の日記」1957年(昭和32年)6月1日から】
◆タンポポの笑顔
夕張に弘教の波が広がり、地区が誕生したのは1955年(昭和30年)秋のこと。夕張地区は文京支部に所属した。
57年(同32年)1月13日、文京支部長代理だった池田先生は、厳寒の夕張を初めて訪れた。
先生は、札幌から汽車で鹿ノ谷駅に到着。辺りは猛吹雪だった。当時は石炭の汽車で、先生の顔、コートは、すすで汚れていた。
「みんなが大変ななか、どんな思いで東京まで来ているか、それを分かち合おうと、きょうは汽車で来ました」と、先生は語った。
夕張に到着する前日、先生は日記につづっている。「厳しき、怒濤にたゆまず、挑みゆく師弟」「明日は、独り北海道だ」(『若き日の日記』、1957年1月12日)
この時、先生は「山口開拓指導」の陣頭指揮を執っており、山口訪問の予定も控えていた。激務の合間を縫って夕張を訪れ、一人一人の心に"希望の明かり"をともしたのである。
ある男性には、格言を贈った——「見るもよし 見ざるもよし されど我は咲くなり」。誰がどう見ていようが、見ていなかろうが、自ら決めた信念を貫く。それは、恩師・戸田先生を支え抜く池田先生の生き方そのものであった。
また、ある女性に対しては、「ふまれても ふまれても なほ咲くタンポポの笑顔かな」と、ノートに記した。"どんなことがあっても明るく前進を"との強い思いが込められていた。
5カ月後、炭労から学会員への弾圧は、いよいよ激しさを増していった。
ある炭鉱では、組合の役員が"創価学会の信心は、組合の団結を崩している。このままでいけば、組合を辞めてもらうより仕方がない"と迫った。
夕張の学会員の多くは、炭鉱で働く組合員である。会社と組合はユニオンショップ制で、組合員の資格を失うことは、即会社からの解雇を意味していた。しかし、メンバーたちは、弾圧に屈することなく、求道の炎をいっそう燃やした。
6月27日、北海道炭労は「創価学会撲滅闘争」なるスケジュールを打ち出し、7月からの3カ月間で、学会員の改宗に当たることなどを示した。それは、一宗教団体への弾圧にとどまらず、「信教の自由」という人間の権利を踏みにじる、卑劣極まりない暴挙であった。
池田先生は、夕張の同志が直面している状況を聞くと、深く心に誓った。
"彼らを断じて守らねばならぬ!"
炭労は学会に対し、"公場対決"を要求。その日は7月4日と決まった。6月29日には、地元紙による紙上討論会が学会と炭労の間で行われることになった。
28日、池田先生は北海道の地を踏む。28・29日と札幌で討論会に出場する幹部らを激励し、「何事も学会精神だ。討論会といっても、根本は折伏精神です」と勝利の要諦を伝えた。
討論会が終わると、録音テープを聞きながら、先生は言った。
「成功だったね、こちらの勝ちだ」
時を同じくして夕張から電話が入った。炭労側から"公場対決"中止の申し入れがあったのである。先生は、すぐさま夕張へと向かった。
◆「先駆の誇り」を託す
「私が来たからには、もう心配することはありません」——。夕張に到着した池田先生は、弾圧に苦しんできた同志を抱きかかえるように激励した。
「創価学会は、真実の民衆の団体です。初めから勝負は決しているのです」
夜の会合では、「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんがごとし」(新1435・全1056)との御書の一節を引いた。信心で積んだ福徳も、少しの謗法で無に帰することを例えた御文である。
先生はこう強調した。
「どんな障魔も、この純粋な信仰で打ち破ることができるのです。正義の学会を弾圧するものは、御書に照らして衰退することは間違いありません」
先生の渾身の励ましは、夕張の同志の勇気を沸き立たせた。
6月30日、先生は2度にわたり、炭労との会見を申し込むが、炭労側は会うことすら拒んだ。対決から逃げ、会見を拒否する炭労に対し、先生は追撃の手を緩めなかった。それは、この先も、炭労が学会員への弾圧を続けかねなかったからである。先生は、7月1日に札幌で、2日に夕張で予定されていた、炭労への抗議集会の準備を入念に進めた。
30日の朝、先生は東京に宛てて1通の電報を打つ。「新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部結成大会、おめでとう。会長先生のもとに、勇んで巣立ちゆけ」
その日、東京・麻布公会堂で開催される、歴史的な学生部結成大会に向けたものだった。青年室長だった先生は、この日を心待ちにしていた。恩師の悲願でもあった学生部の結成に向け、学生たちを支え続けてきたからである。
夕張炭労事件が吹き荒れる中にあって、前月の5月には、学会の"先駆の自覚"を持つことを学生たちに直接訴えた。6月に入ると、中心者と結成大会について懇談。10日には、結成の日に向けて奮闘する学生たちに、"存分に戦って、立派な大会を開いていただきたい"と万感の励ましを送った。
そして30日、先生が北海の地を奔走する中、学生部は、大きな期待を受けて産声を上げたのである。
夕張炭労事件の渦中で生まれた学生部の使命は、庶民を守り抜く慈悲と英知のリーダーの輩出にほかならない。
結成から65年の間、池田先生は学生部に深い慈愛を注ぎ続けてきた。部結成60周年に際して、激変する時代を生きる学生たちに、こう期待を寄せた。
「真の地涌の学徒には、悲嘆も、失望も、諦めもない。ただあるのは、前へ前へと進みゆく、逞しき楽観主義と不屈の負けじ魂である」「一閻浮提広宣流布という永遠の人間共和の大建設を、私は全世界の創価家族と共に、すべて『先駆の誇り』の学生部に託したい」
英知の学生部が、"人間共和の大建設"へ民衆の連帯を広げゆく時、未来の大空は希望と平和の光に包まれていくに違いない。
皆に活力を送る。
朗らかな交流を生む。
新天地で出発した友よ
周囲を照らす太陽たれ!
最蓮房御返事 P1343
『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ』
【通解】
私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都となるであろう。私たちの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺の霊鷲山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復されるのである。
名字の言 病苦さえ笑い飛ばすような正岡子規の心 2022年4月5日
作家の正岡子規は病と闘いながら執筆を続けた。だが彼の文章には、それを感じさせない明るさがある▼ある時は病床でガラス細工の金魚が入った置物を見て、こうつづった。「痛い事も痛いが綺麗な事も綺麗ぢや」(『墨汁一滴』岩波文庫)。病苦さえ笑い飛ばすような彼の心は、実に伸びやかで自由だった▼宮崎県西都市のある女性部員は3年前、夫が若年性アルツハイマー病を発症した。記憶を失う不安、つらさ、いら立ちで表情は変わり、暴言を浴びせる夫に戸惑い、涙したことも。懸命に祈った。すると、一緒に学会活動に励んだ楽しい日々が次々とよみがえった。"二人で積んだ「心の財」は永遠に消えない"。そう確信して祈り、夫に接すると、症状が落ち着き、笑顔まで見せてくれるように▼人の名前も字も忘れた夫だが、命に深く刻んだ題目は忘れなかった。今、夫妻の日課は朝夕の唱題。そして地域のマラソン大会に向けて練習に汗すること。「私たち、今が一番幸せかも」と照れ笑いする彼女の姿が印象的だった▼人の幸・不幸を決めるのは誰かではない。自分の心だ。心を強くし、豊かにすれば、どんな試練さえ幸福の糧にしていける。仲むつまじい夫妻の歩みが、それを物語っていた。
寸鉄 2022年4月5日
列島彩る「女性部総会」。部結成1周年に喜び集う今こそ平和の連帯を拡大
外に味方をつくれ—戸田先生。青年よ誠実一路の行動で信頼と友情広げよ
真に必要な学問はどう生きるべきかの学問—文豪トルストイ 学会は"人生の総合大学"
歩きスマホは危険!視覚障がい者と正面衝突のケースも。油断が大事故と
感染禍でがんの検診控え多し—医師。早期発見・治療が不可欠と。聡明に
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第15回「夕張炭労事件〈上〉」 心の暖炉に希望の火を赤々と
◇【学生部への指針】
一、戦う学生部たれ!
一、正と邪を、はっきりさせる学生部たれ!
一、学生部、ここにあり、という旗を立てよ!
(「第1回全国学生部幹部会」〈1997年4月15日〉のスピーチから)
◆いわれなき弾圧
「16年前のあの日、僕は、北海の地にいた。吹き上げる人間讃歌の声を阻む、かたくなな勢力は、あの時も怒濤となって、荒れ狂っていた」——。1973年(昭和48年)6月30日、池田先生は、学生部結成16周年に際し、メッセージを寄せた。そこには、16年前に起こった「夕張炭労事件」での真情が克明に記されていた。これは、学生部結成と切り離すことのできない歴史である。
「青年らしく、貧しき人々の家々を訪ね、窓辺に勇気の花を咲かせ、心の暖炉に希望の火を赤々と灯した。この人々のために、僕は邪な行為を憎んだ。分厚い壁を前に、一歩も退くことは、できなかった」
「夕張炭労事件」が起きたのは57年(同32年)。同年5月、炭労(日本炭鉱労働組合)が、新たな民衆勢力として躍進する学会を敵視する方針を打ち出した。相前後して、北海道最大の炭労組織・夕張炭労が、本格的な学会員の排斥に動き出した。
当時、炭労といえば「泣く子と炭労には勝てない」といわれるほど、組合員に対して絶大な権力を誇っていた。
夕張での学会員に対する圧力は、前年の夏頃から始まっていた。参院選で、学会推薦の候補が台頭したことがきっかけだった。炭労の組合は、学会員の日常生活の細部にまで首を突っ込んだ。圧力は次第に陰湿化し、悪意のビラがあちこちに貼られ、有線放送を使ってあらぬ中傷まで流された。
組合に所属する学会員の勤務態度は非常に良好であり、一人一人が職場で実証を示していた。"仕事で貢献しよう""地域を良くしよう"と活動する学会員に対する圧力は、いわれなき弾圧にほかならなかった。
大人だけでなく、子どもまでもが村八分にされた。当時のメンバーは手記につづっている。「私たちがとやかく言われたり、いじめられたりするのは、少しも苦しくありませんでした。でも、子どもが仲間に入れてもらえない、と小さな胸を痛めている姿、じっと我慢している姿を見るたびに涙が後から後から流れました」
信心の世界が、最高に愉しく、美しい。
指導に行くことは、結局、自身が、
指導を受けに行くようなものだ。
【「若き日の日記」1957年(昭和32年)6月1日から】
◆タンポポの笑顔
夕張に弘教の波が広がり、地区が誕生したのは1955年(昭和30年)秋のこと。夕張地区は文京支部に所属した。
57年(同32年)1月13日、文京支部長代理だった池田先生は、厳寒の夕張を初めて訪れた。
先生は、札幌から汽車で鹿ノ谷駅に到着。辺りは猛吹雪だった。当時は石炭の汽車で、先生の顔、コートは、すすで汚れていた。
「みんなが大変ななか、どんな思いで東京まで来ているか、それを分かち合おうと、きょうは汽車で来ました」と、先生は語った。
夕張に到着する前日、先生は日記につづっている。「厳しき、怒濤にたゆまず、挑みゆく師弟」「明日は、独り北海道だ」(『若き日の日記』、1957年1月12日)
この時、先生は「山口開拓指導」の陣頭指揮を執っており、山口訪問の予定も控えていた。激務の合間を縫って夕張を訪れ、一人一人の心に"希望の明かり"をともしたのである。
ある男性には、格言を贈った——「見るもよし 見ざるもよし されど我は咲くなり」。誰がどう見ていようが、見ていなかろうが、自ら決めた信念を貫く。それは、恩師・戸田先生を支え抜く池田先生の生き方そのものであった。
また、ある女性に対しては、「ふまれても ふまれても なほ咲くタンポポの笑顔かな」と、ノートに記した。"どんなことがあっても明るく前進を"との強い思いが込められていた。
5カ月後、炭労から学会員への弾圧は、いよいよ激しさを増していった。
ある炭鉱では、組合の役員が"創価学会の信心は、組合の団結を崩している。このままでいけば、組合を辞めてもらうより仕方がない"と迫った。
夕張の学会員の多くは、炭鉱で働く組合員である。会社と組合はユニオンショップ制で、組合員の資格を失うことは、即会社からの解雇を意味していた。しかし、メンバーたちは、弾圧に屈することなく、求道の炎をいっそう燃やした。
6月27日、北海道炭労は「創価学会撲滅闘争」なるスケジュールを打ち出し、7月からの3カ月間で、学会員の改宗に当たることなどを示した。それは、一宗教団体への弾圧にとどまらず、「信教の自由」という人間の権利を踏みにじる、卑劣極まりない暴挙であった。
池田先生は、夕張の同志が直面している状況を聞くと、深く心に誓った。
"彼らを断じて守らねばならぬ!"
炭労は学会に対し、"公場対決"を要求。その日は7月4日と決まった。6月29日には、地元紙による紙上討論会が学会と炭労の間で行われることになった。
28日、池田先生は北海道の地を踏む。28・29日と札幌で討論会に出場する幹部らを激励し、「何事も学会精神だ。討論会といっても、根本は折伏精神です」と勝利の要諦を伝えた。
討論会が終わると、録音テープを聞きながら、先生は言った。
「成功だったね、こちらの勝ちだ」
時を同じくして夕張から電話が入った。炭労側から"公場対決"中止の申し入れがあったのである。先生は、すぐさま夕張へと向かった。
◆「先駆の誇り」を託す
「私が来たからには、もう心配することはありません」——。夕張に到着した池田先生は、弾圧に苦しんできた同志を抱きかかえるように激励した。
「創価学会は、真実の民衆の団体です。初めから勝負は決しているのです」
夜の会合では、「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんがごとし」(新1435・全1056)との御書の一節を引いた。信心で積んだ福徳も、少しの謗法で無に帰することを例えた御文である。
先生はこう強調した。
「どんな障魔も、この純粋な信仰で打ち破ることができるのです。正義の学会を弾圧するものは、御書に照らして衰退することは間違いありません」
先生の渾身の励ましは、夕張の同志の勇気を沸き立たせた。
6月30日、先生は2度にわたり、炭労との会見を申し込むが、炭労側は会うことすら拒んだ。対決から逃げ、会見を拒否する炭労に対し、先生は追撃の手を緩めなかった。それは、この先も、炭労が学会員への弾圧を続けかねなかったからである。先生は、7月1日に札幌で、2日に夕張で予定されていた、炭労への抗議集会の準備を入念に進めた。
30日の朝、先生は東京に宛てて1通の電報を打つ。「新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部結成大会、おめでとう。会長先生のもとに、勇んで巣立ちゆけ」
その日、東京・麻布公会堂で開催される、歴史的な学生部結成大会に向けたものだった。青年室長だった先生は、この日を心待ちにしていた。恩師の悲願でもあった学生部の結成に向け、学生たちを支え続けてきたからである。
夕張炭労事件が吹き荒れる中にあって、前月の5月には、学会の"先駆の自覚"を持つことを学生たちに直接訴えた。6月に入ると、中心者と結成大会について懇談。10日には、結成の日に向けて奮闘する学生たちに、"存分に戦って、立派な大会を開いていただきたい"と万感の励ましを送った。
そして30日、先生が北海の地を奔走する中、学生部は、大きな期待を受けて産声を上げたのである。
夕張炭労事件の渦中で生まれた学生部の使命は、庶民を守り抜く慈悲と英知のリーダーの輩出にほかならない。
結成から65年の間、池田先生は学生部に深い慈愛を注ぎ続けてきた。部結成60周年に際して、激変する時代を生きる学生たちに、こう期待を寄せた。
「真の地涌の学徒には、悲嘆も、失望も、諦めもない。ただあるのは、前へ前へと進みゆく、逞しき楽観主義と不屈の負けじ魂である」「一閻浮提広宣流布という永遠の人間共和の大建設を、私は全世界の創価家族と共に、すべて『先駆の誇り』の学生部に託したい」
英知の学生部が、"人間共和の大建設"へ民衆の連帯を広げゆく時、未来の大空は希望と平和の光に包まれていくに違いない。
2022.04.04 わが友に贈る
◇今週のことば
青春も創春も多宝も
笑顔満開の女性部総会!
「自他・彼此の心なく」
わが愛する地区から
幸と和楽と福徳の鐘を!
(新1775・全1337)
2022年4月4日
守護国家論 P55
『是の経を信ずる人は昼夜十二時の持経者なり口に読経の声を出さざれども法華経を信ずる者は日日時時念念に一切経を読む者なり』
【通解】
この経を信ずる人は昼夜十二時にわたる持経者である。口に読経の声を出さなくても法華経を信ずる者は日々・時々・念々に一切経を読む者である。
名字の言 沖縄の伝統工芸に込められた先人たちの思い 2022年4月4日
国指定の伝統的工芸品である沖縄の染織品は琉球王国時代に生まれ、育まれてきた。涼やかな織物の芭蕉布や色鮮やかな染め物の紅型など、継承された技と魅力は数百年を経た今も色あせない▼存続の危機もあった。琉球王国の崩壊で生産量が激減。沖縄戦では多くの技術者と文化財を失った。だが戦後、染織家たちの不屈の努力でよみがえる。沖縄の伝統工芸には、技法と共に、苦難を越えた先人たちの思いも込められている▼宮古島に、伝統工芸の苧麻糸手績み保存技術者の女性がいる。97歳の今も現役だ。彼女の原点は1974年、宮古島での池田先生との出会い。共に広布に励んだ夫が病で他界した直後だった▼先生は、戦没者や島の広布功労の故人をしのぶ記念植樹を行った。その折、家族を亡くしたある同志に渾身の励ましを送る。それは先の女性にとっても生きる力となった。苦難に負けず地域の発展に尽くす女性の奮闘に、宮古島広布のすそ野は大きく広がった▼御書に「日蓮はこれ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に」(新1314・全974)と。不軽菩薩のごとく生き抜いた先人の苦闘を継ぐ後継の戦いなくして広布の前進はない。青年・未来部の友と、自らも成長を重ねたい。
寸鉄 2022年4月4日
「持たるる法だに第一ならば、持つ人随って第一」御書。堂々と正義語ろう(新516・全465)
年度初めの協議会。一人一人の目標を明確に。勝利の夏へ共に勇躍前進!
仕事に歓喜を覚えぬ者に成功はあり得ない—恩師 「仏法即社会」の賢者に
不正利用額が過去最悪。偽サイト誘導で番号盗用が多く。新成人も注意を
各地で地震が頻発。突然の災害から命守る基本は自助。日頃の備えを点検
〈社説〉 2022・4・4 6日から春の交通安全運動
◇互いに声掛け合い無事故で
「春の全国交通安全運動」が6日から始まる(15日まで)。重点は「子供を始めとする歩行者の安全確保」「自転車の交通ルール遵守の徹底と安全確保」など。4月は就職や転勤、入学など生活環境が変化することも多い。だからこそ、交通安全への意識を強くし、無事故を期していきたい。
警察庁によると、交通事故で死亡した小学生以下の子どもは2017〜21年の5年間で217人に上り、約半数が歩行中だったという。警察庁の担当者は「子どもや保護者には、横断時に手を挙げるなどの安全教育を進めることが大事だ」と呼び掛けている。
就学前と違い、小学校に上がると、子どもたちの行動範囲は格段に広くなり、親の目の届かない時間も増える。それだけに、子どもたち自身の交通安全意識を高めることが大事になる。例えば、親子で外出した際に交通ルールや地域の危険箇所などを繰り返し確認するとともに、大人がお手本を示すことも大切であろう。
また自動車やバイクを運転する人は、通園・通学時間帯には「子どもの飛び出しがあるかもしれない」との危機意識を持って運転するよう注意したい。
自転車に乗る際も十分に注意が必要だ。近年、健康志向で自転車を利用する人も増えている。その一方で、信号無視や一時不停止などルール違反の運転が原因で事故も多く発生している。
警察庁によると、昨年の自転車運転による死者数のうち、約75%が法令違反によるという。自転車に乗る際は常に「車両」の意識を忘れないことが重要だ。
運転中に携帯電話で通話したり、ヘッドホンなどで音楽を聞いたりしながらの「ながら運転」は厳禁だ。"これぐらいはいいだろう"という油断が、大事故につながりかねない。ハンドルを握る前は「絶対に事故を起こさない」と心掛けよう。
池田先生はかつて、同志の無事安穏を願い、「信心しているから守られるという安易な考えは絶対に禁物です」「信心しているからこそ、模範となるよう十分に注意し用心していく。それでこそ守られるのです」と語っている。
私たちは断じて"事故に遭わない""事故を起こさない"と決意するとともに、互いに交通安全のルールを再確認し、無事故の日々を送っていこう。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第18回 21世紀は女性の世紀 �第一の戦友〈上〉
◇感謝の唱題は万代の幸を築く
◇会長就任の日
第3代会長就任式が行われた1960年5月3日の夜、東京・大田区の小林町(当時)にあった池田大作先生の自宅を訪ねた夫婦がいる。
玄関先で一言、お祝いを伝えるつもりだったが、先生から「どうぞ、上がって」と勧められた。
先生は「今日は、家ではお赤飯も炊いてくれないのだよ」と語り、香峯子夫人を指して、「"今日は池田家のお葬式です"と言うんだよ」と。その言葉に、夫婦は粛然とした。
この日を振り返り、香峯子夫人は語っている。「とても会長就任を喜ぶ心境には、なれませんでした。『今日はお葬式』というのが、偽らざる心情だったのです。この日を境に、生活は『私』の部分より『公』の部分の比重が、徐々に重くなっていきました」
◇海外平和旅に同行
それから4年後の64年10月2日、先生は東南アジア、中東、欧州の平和旅に出発した。海外歴訪のたび、激しい疲労が先生の体を襲った。慣れない現地の食事や気候の違いなどから、体調を崩してしまうこともあった。
また、海外では要人や識者と交流する機会があった。こうした対外的な活動では、夫人同伴の方がふさわしいことが多い。そこで、この7度目の海外訪問から香峯子夫人が同行することになった。
先発隊として出発した夫人は、タイ・バンコクで合流。日本から持参したコンロと鍋を使って、ご飯を炊き、みそ汁などを用意した。夫人の献身は、海外での先生の激闘を支えた。
◇「微笑み賞」
89年10月6日、先生ご夫妻は女性誌「主婦の友」の要請に応え、インタビューを受けた。企画の趣旨は"夫婦の歩みについて"である。
インタビュアーは「長い結婚生活の間には、夫婦の関係が、さまざまに変化します。名誉会長ご夫妻にも、さまざまな節目がおありになったと思います」「思い出に残るエピソードがございましたらお教えください」と尋ねた。
先生は、もともと体が弱く、医師から"30歳まで生きられるかどうか"と言われたことを述懐し、「第一の思い出は、それを、食事、睡眠、励ましなど、妻が心をくだいてくれたおかげで、大きく乗り越えることができたことです。これは妻の勝利、歴史だと思っています」と語った。
さらに、69年12月に急性の肺炎による高熱を押して、関西・中部を訪問したことに言及。大阪に到着した日の夜、夫人が東京から駆け付けた。先生は「あのときの(夫人の)笑顔は、大きな薬となりました」と述べた。
夫人が、先生の国内の激励行にも同行するようになったのは、この69年12月からである。
インタビューの最後、「これまでを振り返って、奥様に感謝状をささげるとしたら、文面は、どんな言葉になるでしょうか」という質問が飛び出した。
先生は、「これはいちばんの難問です」とユーモアを込めて応じ、言葉を続けた。
「妻は私にとって、人生の伴侶であり、ときには看護師であり、秘書であり、母のようでもあり、娘か妹でもあり、何より第一の戦友です」
「妻に感謝状をあげるとしたら、『微笑み賞』でしょうか。あらゆる意味を、そこに込めて」
◇真心のピアノ演奏
1977年4月10日、「第7回婦人部総会」が大ブロック(現在の地区)単位で開催された。
総会の各会場には、事前にシートレコード(ビニール製レコード)が配られた。池田先生の声で、メッセージが収められていた。
先生は、婦人部総会の開催を心から祝福。御書の「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(全383・新317)を拝し、訴えた。
「信心の世界だけは、その功徳善根を消さないように、怨嫉や反感、そしてまた感情的にならないように注意してください。それは自分自身が損をするだけであります」
「喜びの世界、楽しみの生活をつくるために、信心をしていただきたい」
先生のピアノ演奏も吹き込まれていた。「荒城の月」「うれしいひなまつり」「春が来た」……。レコードは各地の総会に、大きな感動を広げた。
香峯子夫人が出席して開催された渋谷区・羽沢大ブロックの総会。ここでも、参加者全員でレコードを聴いた。
登壇した夫人は、先生が最初に覚えた曲が"大楠公"であったこと、ピアノを弾き始めた頃は、右手だけの演奏だったことなどを述懐。ある時、先生が「さくら」を右手で、別の友が左手で、一緒にピアノを弾いたことを振り返った。
「会長がピアノを弾く時は、それこそ全身の力を込めて演奏します。別の方が左手で弾くと、どうしても合わないことがあるんです」
「皆さんの激励のためだから、左手も演奏できるようにしよう、ということで練習を始められたわけです」
さらに、海外でピアノを弾いた折、肩を痛めたことがあったことに触れ、先生は自分の気持ちを全て注いで演奏される、とも語った。
ピアノに込められた"励ましの心"を知り、参加者は皆、師と共に人生を歩み抜くことを誓い合った。
◇信心の継承
同年12月、池田先生と婦人部の代表との懇談が行われた。東京・北区の婦人部長を務めていた橋元和子さんは、「先生! 北区は合唱大会をやります!」と伝えた。
先生は即答した。「歌は折伏と同じだ。人の心に勇気と希望を送る。"歌声運動"を起こしていこう」
会場は板橋文化会館に決まった。先生の提案である。年が明けた78年1月8日には、本紙の1面に「3月に東京・北区が合唱大会」との予告記事が掲載された。
先生はさらに、合唱団の名前を贈った。「弥生合唱団」。北区の"いよいよ"の戦いが開始された。日を追うごとに拡大の勢いは増し、歓喜の上げ潮の中で合唱大会の3月12日を迎えた。
当日、東北男子部の会合のため、先生は出席できなかったが、会場には香峯子夫人の姿があった。全ての演目が終わると、夫人はマイクを取った。
「皆さまは、学会の中で、最高の人生、本当に生きがいのある人生を歩んでこられた。そう実感できる合唱大会でした」
「これからの10年、20年を有意義に生きるためには学会しかない。そう心に決めて、今日からまた一緒に頑張りましょう」
合唱大会の終了後、懇談会が開かれた。ある友から、「子どもが信心を継承していくには、どうすればいいですか」との質問があった。
夫人は自らの体験を通して、可能な限り、子どもと共に学会活動に歩くことを挙げた。一緒に動くことで、信心の素晴らしさ、同志のありがたさを、子どもは"肌で感じる"と述べた。
また、幼い時からの勤行の習慣化を強調。親が子どもと勤行する挑戦を望んだ。さらに、"学会の庭"で育てる大切さを述べ、"師弟や報恩の意義など「信心の核」を教えてくれるのは、広布の組織です"と語った。
3月12日は今、「喜多区女性部の日」である。この日を目指し、北総区女性部の友は、"青年の勝利が私たちの勝利"との思いで対話に駆けた。同男子部は「部2」を超える弘教で、今年の「3・16」を荘厳した。
◇「不退転」の色紙
練馬区内にある山本典子さんの家で開催された三原台支部の座談会に、香峯子夫人が出席したのは、1979年3月17日のこと。
座談会の途中、一人の参加者が手を挙げた。「みんな『池田先生』と言うけど、私はそのようには思えません」
笑いがあふれていた会場に緊張が走る。語気に、とげとげしさがあった。夫人は笑顔を絶やすことなく応えた。
「いいんですよ。ただ、好きとか嫌いとかではなく、会長は創価学会の責任者として、指揮を執ってくださっています。使命は皆さんを幸せにすることです」
山本さんは胸を打たれた。清らかな微笑み、凜とした強さ。質問者とのやり取りには、どんな人をも包み込む真心と誠実さが凝縮されていた。
座談会の終了後、山本さんは色紙を出した。「何か指針となるものをお願いできませんか?」。夫人は「私は会長ではありませんので」と断った。しかし、山本さんたち支部のメンバーの熱意に押され、ペンを走らせた。
「不退転」
先生が第3代会長を辞任したのは、この日から38日後のこと。練馬の友は「不退転」の決意を湧き立たせた。
三原台支部が誕生した77年、支部は約120世帯。区内のほとんどの支部が当時、200世帯前後だった。支部婦人部長の山本さんは、支部長の夫・五郎さんと共に、"必ず200世帯の支部に"と誓った。
78年、支部内に練馬文化会館が誕生。懇談の折、先生は五郎さんに「学会の会館がある支部は、"広布の城下町"です。地域を頼みます」と語った。
山本さんは「地域発展」の祈りを強くした。近隣との友好を深め、絆を育んだ。「不退転」の揮毫から数年後、三原台支部は200世帯を突破した。
◇好きな言葉
「お好きな言葉の中から、読者の方の励みになるような言葉をお教えください」——この質問に、香峯子夫人は応えている。
「私のいちばん好きな言葉は、主人(池田先生)から贈られた言葉で、『愚痴は福運を消し、感謝の唱題は万代の幸を築く』です」
「すべてをいいほうにとっていこうとする言葉です。その姿勢は、私の習慣になった気がします」
【アナザーストーリー】
"桜"のパネル
1978年5月9日、池田先生が出席して、練馬文化会館の開館記念勤行会が晴れやかに開催された。
館内には、卵の殻を染色して作られた"桜"のパネルが設置されていた。開館の日を目指し、ヤング・ミセス(当時)の友が丹精込めて制作したものだ。21世紀へ向けての自分たちの未来像を、万朶と咲く桜になぞらえた。約4000個の卵の殻が使われた。
先生は「すごいね。真心、うれしいね」と。居合わせた婦人たちと、パネルの前で記念のカメラに納まった。
翌79年3月17日、香峯子夫人が練馬文化会館へ。"桜"のパネルを見つめ、「素晴らしいですね」と。館内で練馬の婦人の代表と懇談した後、三原台支部の座談会へ向かった。
三原台支部の座談会終了後、「不退転」と色紙に揮毫した香峯子夫人は、山本さんに語った。
「これは、会長が書いたものではありません。どうか、額に入れて飾るようなことはなさらないでください」
「師弟」こそが学会の根本精神であることを、奥様は伝えようとされたに違いない——そう感じた山本さんは、夫人の言葉の通り、額に入れることはしなかった。
ただ、練馬の同志にとって「宝」の色紙である。"せめて、これだけは"と、山本さんは色紙を紫色の和紙に包み、大切に保管してきた。
池田先生は述べている。
「1979年(昭和54年)、創価学会が、厳しい法難の嵐の中にあった時も、妻は少しも変わらぬ笑顔で、学会活動に励みました。
ある座談会に出席した折、同志の方から色紙に一言をと言われ、妻が書き記した言葉は『不退転』であります。どんなことがあっても、一生涯、学会と共に『不退転』の信心を貫き通す——これが、創価の師弟の誓いなのであります」
青春も創春も多宝も
笑顔満開の女性部総会!
「自他・彼此の心なく」
わが愛する地区から
幸と和楽と福徳の鐘を!
(新1775・全1337)
2022年4月4日
守護国家論 P55
『是の経を信ずる人は昼夜十二時の持経者なり口に読経の声を出さざれども法華経を信ずる者は日日時時念念に一切経を読む者なり』
【通解】
この経を信ずる人は昼夜十二時にわたる持経者である。口に読経の声を出さなくても法華経を信ずる者は日々・時々・念々に一切経を読む者である。
名字の言 沖縄の伝統工芸に込められた先人たちの思い 2022年4月4日
国指定の伝統的工芸品である沖縄の染織品は琉球王国時代に生まれ、育まれてきた。涼やかな織物の芭蕉布や色鮮やかな染め物の紅型など、継承された技と魅力は数百年を経た今も色あせない▼存続の危機もあった。琉球王国の崩壊で生産量が激減。沖縄戦では多くの技術者と文化財を失った。だが戦後、染織家たちの不屈の努力でよみがえる。沖縄の伝統工芸には、技法と共に、苦難を越えた先人たちの思いも込められている▼宮古島に、伝統工芸の苧麻糸手績み保存技術者の女性がいる。97歳の今も現役だ。彼女の原点は1974年、宮古島での池田先生との出会い。共に広布に励んだ夫が病で他界した直後だった▼先生は、戦没者や島の広布功労の故人をしのぶ記念植樹を行った。その折、家族を亡くしたある同志に渾身の励ましを送る。それは先の女性にとっても生きる力となった。苦難に負けず地域の発展に尽くす女性の奮闘に、宮古島広布のすそ野は大きく広がった▼御書に「日蓮はこれ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に」(新1314・全974)と。不軽菩薩のごとく生き抜いた先人の苦闘を継ぐ後継の戦いなくして広布の前進はない。青年・未来部の友と、自らも成長を重ねたい。
寸鉄 2022年4月4日
「持たるる法だに第一ならば、持つ人随って第一」御書。堂々と正義語ろう(新516・全465)
年度初めの協議会。一人一人の目標を明確に。勝利の夏へ共に勇躍前進!
仕事に歓喜を覚えぬ者に成功はあり得ない—恩師 「仏法即社会」の賢者に
不正利用額が過去最悪。偽サイト誘導で番号盗用が多く。新成人も注意を
各地で地震が頻発。突然の災害から命守る基本は自助。日頃の備えを点検
〈社説〉 2022・4・4 6日から春の交通安全運動
◇互いに声掛け合い無事故で
「春の全国交通安全運動」が6日から始まる(15日まで)。重点は「子供を始めとする歩行者の安全確保」「自転車の交通ルール遵守の徹底と安全確保」など。4月は就職や転勤、入学など生活環境が変化することも多い。だからこそ、交通安全への意識を強くし、無事故を期していきたい。
警察庁によると、交通事故で死亡した小学生以下の子どもは2017〜21年の5年間で217人に上り、約半数が歩行中だったという。警察庁の担当者は「子どもや保護者には、横断時に手を挙げるなどの安全教育を進めることが大事だ」と呼び掛けている。
就学前と違い、小学校に上がると、子どもたちの行動範囲は格段に広くなり、親の目の届かない時間も増える。それだけに、子どもたち自身の交通安全意識を高めることが大事になる。例えば、親子で外出した際に交通ルールや地域の危険箇所などを繰り返し確認するとともに、大人がお手本を示すことも大切であろう。
また自動車やバイクを運転する人は、通園・通学時間帯には「子どもの飛び出しがあるかもしれない」との危機意識を持って運転するよう注意したい。
自転車に乗る際も十分に注意が必要だ。近年、健康志向で自転車を利用する人も増えている。その一方で、信号無視や一時不停止などルール違反の運転が原因で事故も多く発生している。
警察庁によると、昨年の自転車運転による死者数のうち、約75%が法令違反によるという。自転車に乗る際は常に「車両」の意識を忘れないことが重要だ。
運転中に携帯電話で通話したり、ヘッドホンなどで音楽を聞いたりしながらの「ながら運転」は厳禁だ。"これぐらいはいいだろう"という油断が、大事故につながりかねない。ハンドルを握る前は「絶対に事故を起こさない」と心掛けよう。
池田先生はかつて、同志の無事安穏を願い、「信心しているから守られるという安易な考えは絶対に禁物です」「信心しているからこそ、模範となるよう十分に注意し用心していく。それでこそ守られるのです」と語っている。
私たちは断じて"事故に遭わない""事故を起こさない"と決意するとともに、互いに交通安全のルールを再確認し、無事故の日々を送っていこう。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第18回 21世紀は女性の世紀 �第一の戦友〈上〉
◇感謝の唱題は万代の幸を築く
◇会長就任の日
第3代会長就任式が行われた1960年5月3日の夜、東京・大田区の小林町(当時)にあった池田大作先生の自宅を訪ねた夫婦がいる。
玄関先で一言、お祝いを伝えるつもりだったが、先生から「どうぞ、上がって」と勧められた。
先生は「今日は、家ではお赤飯も炊いてくれないのだよ」と語り、香峯子夫人を指して、「"今日は池田家のお葬式です"と言うんだよ」と。その言葉に、夫婦は粛然とした。
この日を振り返り、香峯子夫人は語っている。「とても会長就任を喜ぶ心境には、なれませんでした。『今日はお葬式』というのが、偽らざる心情だったのです。この日を境に、生活は『私』の部分より『公』の部分の比重が、徐々に重くなっていきました」
◇海外平和旅に同行
それから4年後の64年10月2日、先生は東南アジア、中東、欧州の平和旅に出発した。海外歴訪のたび、激しい疲労が先生の体を襲った。慣れない現地の食事や気候の違いなどから、体調を崩してしまうこともあった。
また、海外では要人や識者と交流する機会があった。こうした対外的な活動では、夫人同伴の方がふさわしいことが多い。そこで、この7度目の海外訪問から香峯子夫人が同行することになった。
先発隊として出発した夫人は、タイ・バンコクで合流。日本から持参したコンロと鍋を使って、ご飯を炊き、みそ汁などを用意した。夫人の献身は、海外での先生の激闘を支えた。
◇「微笑み賞」
89年10月6日、先生ご夫妻は女性誌「主婦の友」の要請に応え、インタビューを受けた。企画の趣旨は"夫婦の歩みについて"である。
インタビュアーは「長い結婚生活の間には、夫婦の関係が、さまざまに変化します。名誉会長ご夫妻にも、さまざまな節目がおありになったと思います」「思い出に残るエピソードがございましたらお教えください」と尋ねた。
先生は、もともと体が弱く、医師から"30歳まで生きられるかどうか"と言われたことを述懐し、「第一の思い出は、それを、食事、睡眠、励ましなど、妻が心をくだいてくれたおかげで、大きく乗り越えることができたことです。これは妻の勝利、歴史だと思っています」と語った。
さらに、69年12月に急性の肺炎による高熱を押して、関西・中部を訪問したことに言及。大阪に到着した日の夜、夫人が東京から駆け付けた。先生は「あのときの(夫人の)笑顔は、大きな薬となりました」と述べた。
夫人が、先生の国内の激励行にも同行するようになったのは、この69年12月からである。
インタビューの最後、「これまでを振り返って、奥様に感謝状をささげるとしたら、文面は、どんな言葉になるでしょうか」という質問が飛び出した。
先生は、「これはいちばんの難問です」とユーモアを込めて応じ、言葉を続けた。
「妻は私にとって、人生の伴侶であり、ときには看護師であり、秘書であり、母のようでもあり、娘か妹でもあり、何より第一の戦友です」
「妻に感謝状をあげるとしたら、『微笑み賞』でしょうか。あらゆる意味を、そこに込めて」
◇真心のピアノ演奏
1977年4月10日、「第7回婦人部総会」が大ブロック(現在の地区)単位で開催された。
総会の各会場には、事前にシートレコード(ビニール製レコード)が配られた。池田先生の声で、メッセージが収められていた。
先生は、婦人部総会の開催を心から祝福。御書の「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(全383・新317)を拝し、訴えた。
「信心の世界だけは、その功徳善根を消さないように、怨嫉や反感、そしてまた感情的にならないように注意してください。それは自分自身が損をするだけであります」
「喜びの世界、楽しみの生活をつくるために、信心をしていただきたい」
先生のピアノ演奏も吹き込まれていた。「荒城の月」「うれしいひなまつり」「春が来た」……。レコードは各地の総会に、大きな感動を広げた。
香峯子夫人が出席して開催された渋谷区・羽沢大ブロックの総会。ここでも、参加者全員でレコードを聴いた。
登壇した夫人は、先生が最初に覚えた曲が"大楠公"であったこと、ピアノを弾き始めた頃は、右手だけの演奏だったことなどを述懐。ある時、先生が「さくら」を右手で、別の友が左手で、一緒にピアノを弾いたことを振り返った。
「会長がピアノを弾く時は、それこそ全身の力を込めて演奏します。別の方が左手で弾くと、どうしても合わないことがあるんです」
「皆さんの激励のためだから、左手も演奏できるようにしよう、ということで練習を始められたわけです」
さらに、海外でピアノを弾いた折、肩を痛めたことがあったことに触れ、先生は自分の気持ちを全て注いで演奏される、とも語った。
ピアノに込められた"励ましの心"を知り、参加者は皆、師と共に人生を歩み抜くことを誓い合った。
◇信心の継承
同年12月、池田先生と婦人部の代表との懇談が行われた。東京・北区の婦人部長を務めていた橋元和子さんは、「先生! 北区は合唱大会をやります!」と伝えた。
先生は即答した。「歌は折伏と同じだ。人の心に勇気と希望を送る。"歌声運動"を起こしていこう」
会場は板橋文化会館に決まった。先生の提案である。年が明けた78年1月8日には、本紙の1面に「3月に東京・北区が合唱大会」との予告記事が掲載された。
先生はさらに、合唱団の名前を贈った。「弥生合唱団」。北区の"いよいよ"の戦いが開始された。日を追うごとに拡大の勢いは増し、歓喜の上げ潮の中で合唱大会の3月12日を迎えた。
当日、東北男子部の会合のため、先生は出席できなかったが、会場には香峯子夫人の姿があった。全ての演目が終わると、夫人はマイクを取った。
「皆さまは、学会の中で、最高の人生、本当に生きがいのある人生を歩んでこられた。そう実感できる合唱大会でした」
「これからの10年、20年を有意義に生きるためには学会しかない。そう心に決めて、今日からまた一緒に頑張りましょう」
合唱大会の終了後、懇談会が開かれた。ある友から、「子どもが信心を継承していくには、どうすればいいですか」との質問があった。
夫人は自らの体験を通して、可能な限り、子どもと共に学会活動に歩くことを挙げた。一緒に動くことで、信心の素晴らしさ、同志のありがたさを、子どもは"肌で感じる"と述べた。
また、幼い時からの勤行の習慣化を強調。親が子どもと勤行する挑戦を望んだ。さらに、"学会の庭"で育てる大切さを述べ、"師弟や報恩の意義など「信心の核」を教えてくれるのは、広布の組織です"と語った。
3月12日は今、「喜多区女性部の日」である。この日を目指し、北総区女性部の友は、"青年の勝利が私たちの勝利"との思いで対話に駆けた。同男子部は「部2」を超える弘教で、今年の「3・16」を荘厳した。
◇「不退転」の色紙
練馬区内にある山本典子さんの家で開催された三原台支部の座談会に、香峯子夫人が出席したのは、1979年3月17日のこと。
座談会の途中、一人の参加者が手を挙げた。「みんな『池田先生』と言うけど、私はそのようには思えません」
笑いがあふれていた会場に緊張が走る。語気に、とげとげしさがあった。夫人は笑顔を絶やすことなく応えた。
「いいんですよ。ただ、好きとか嫌いとかではなく、会長は創価学会の責任者として、指揮を執ってくださっています。使命は皆さんを幸せにすることです」
山本さんは胸を打たれた。清らかな微笑み、凜とした強さ。質問者とのやり取りには、どんな人をも包み込む真心と誠実さが凝縮されていた。
座談会の終了後、山本さんは色紙を出した。「何か指針となるものをお願いできませんか?」。夫人は「私は会長ではありませんので」と断った。しかし、山本さんたち支部のメンバーの熱意に押され、ペンを走らせた。
「不退転」
先生が第3代会長を辞任したのは、この日から38日後のこと。練馬の友は「不退転」の決意を湧き立たせた。
三原台支部が誕生した77年、支部は約120世帯。区内のほとんどの支部が当時、200世帯前後だった。支部婦人部長の山本さんは、支部長の夫・五郎さんと共に、"必ず200世帯の支部に"と誓った。
78年、支部内に練馬文化会館が誕生。懇談の折、先生は五郎さんに「学会の会館がある支部は、"広布の城下町"です。地域を頼みます」と語った。
山本さんは「地域発展」の祈りを強くした。近隣との友好を深め、絆を育んだ。「不退転」の揮毫から数年後、三原台支部は200世帯を突破した。
◇好きな言葉
「お好きな言葉の中から、読者の方の励みになるような言葉をお教えください」——この質問に、香峯子夫人は応えている。
「私のいちばん好きな言葉は、主人(池田先生)から贈られた言葉で、『愚痴は福運を消し、感謝の唱題は万代の幸を築く』です」
「すべてをいいほうにとっていこうとする言葉です。その姿勢は、私の習慣になった気がします」
【アナザーストーリー】
"桜"のパネル
1978年5月9日、池田先生が出席して、練馬文化会館の開館記念勤行会が晴れやかに開催された。
館内には、卵の殻を染色して作られた"桜"のパネルが設置されていた。開館の日を目指し、ヤング・ミセス(当時)の友が丹精込めて制作したものだ。21世紀へ向けての自分たちの未来像を、万朶と咲く桜になぞらえた。約4000個の卵の殻が使われた。
先生は「すごいね。真心、うれしいね」と。居合わせた婦人たちと、パネルの前で記念のカメラに納まった。
翌79年3月17日、香峯子夫人が練馬文化会館へ。"桜"のパネルを見つめ、「素晴らしいですね」と。館内で練馬の婦人の代表と懇談した後、三原台支部の座談会へ向かった。
三原台支部の座談会終了後、「不退転」と色紙に揮毫した香峯子夫人は、山本さんに語った。
「これは、会長が書いたものではありません。どうか、額に入れて飾るようなことはなさらないでください」
「師弟」こそが学会の根本精神であることを、奥様は伝えようとされたに違いない——そう感じた山本さんは、夫人の言葉の通り、額に入れることはしなかった。
ただ、練馬の同志にとって「宝」の色紙である。"せめて、これだけは"と、山本さんは色紙を紫色の和紙に包み、大切に保管してきた。
池田先生は述べている。
「1979年(昭和54年)、創価学会が、厳しい法難の嵐の中にあった時も、妻は少しも変わらぬ笑顔で、学会活動に励みました。
ある座談会に出席した折、同志の方から色紙に一言をと言われ、妻が書き記した言葉は『不退転』であります。どんなことがあっても、一生涯、学会と共に『不退転』の信心を貫き通す——これが、創価の師弟の誓いなのであります」
2022.04.03 わが友に贈る
誠実第一の対話が
友の「心の扉」を開く。
自分らしく爽やかに
友好の輪を広げよう!
さあ勇気の一歩を!
檀越某御返事 P1295
『雪山童子の跡ををひ不軽菩薩の身になり候はん、いたづらにやくびやうにやをかされ候はんずらむ、をいじににや死に候はんずらむあらあさましあさまし、願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死をはなれ候わばや』
【通解】
雪山童子の跡を継ぎ不軽菩薩のような身になりたいものである。このまま生き長らえてもいたづらに疫病にかかって倒れるか、または年老いて死んでしまうからである。嘆かわしいことである、嘆かわしいことである。願わくば法華経のために国主に憎まれて、今度・生死を離れたいものである。
名字の言 人類にとって最大の発見は「他者との出会い」 2022年4月3日
明治時代まで、「発見」と「発明」は同義語で用いられていた。現在は、「発見」は世の中に知られていなかったものを見つけ出すこと、「発明」は世の中に存在していなかったものを創り出すこと、と使い分けられている▼意味は異なっても、「発見」「発明」ともに、それを見つけ、創り出す労苦は共通する。特定の解釈やそれまでの経験などにとらわれず、自らの殻を破る。そのたゆまぬ探究心こそ、「発見」「発明」の原動力である▼ヨーロッパ科学芸術アカデミーのウンガー博士は、池田先生との対談で語った。人類にとって最大の発見は「他者との出会い」であると。それは"未知の自身"との出会いでもあり、結果として、自分という人間の幅を広げられる、とも▼ある壮年部員は、空虚な生活を送っていた青年時代に、友人から小説『人間革命』を贈呈された。書籍で「山本伸一」と出会った彼は、「こんな手応えのある人生を僕も送ってみたい」と入会。その後、良き友との出会いの輪を広げ、広布のリーダーに成長した▼自分自身の発見は、未来を発明する力を生み出す。春4月は、新たな出会いの好機。自分からあいさつを交わした分、語らいを重ねた分、人生は、より豊かになっていく。
寸鉄 2022年4月3日
御本尊に祈り抜けば20倍100倍の結果が出る—戸田先生。確信の祈りで勝て
東京・調布「総区の日」「総区女性部の日」30周年 正義の師子吼で新時代を
和歌山女性部の日。太陽の励ましで幸の連帯拡大 共に語らいの花を満開に
感染者が増加の傾向と。3密避けマスク、消毒、換気等の基本対策を再確認
公明党が若者の声を聞く「政策アンケート」開始。希望の未来へ総力挙げよ
☆大慈悲の心音 門下への便り 第1回 新尼
御書をひもとくと、門下一人一人へのお手紙が多いことに驚く。その便りには、灼熱の太陽のような広布への情熱がたぎっている。悪に対する烈々たる破折が轟き、師弟の信心を促す厳しさがある。そして、試練の冬に耐える弟子への、陽光のような励ましがある。新企画「大慈悲の心音 門下への便り」では、弟子たちへのお手紙を拝していく。
◇新尼
「日蓮は一閻浮提の内、日本国安房国東条郡に始めてこの正法を弘通し始めたり」(新1222・全906)
日蓮大聖人が御聖誕になり、正法流布への戦いを一人、開始された安房国(千葉県南部)。この地で大聖人に帰依した女性門下に、新尼と大尼がいます。
二人は、その呼び名から嫁・姑の関係にあったとされます(新尼が大尼の娘、または孫の嫁とする説もある)。
新尼は大聖人の佐渡流罪中も、身延入山後も、純粋な信心を貫き、たびたび御供養の品を届けました。大聖人は新尼の強盛な志をたたえ、御本尊を授与されています。
一方、大尼は安房国東条郡内の領家(荘園領主)であったと考えられ、大聖人のご両親を何らかの形で援助していたと思われます。ところが、大尼の信心は「いつわりおろか」でした。世間の風評や体裁に紛動され、ある時は信じ、ある時は破るといった中途半端な信心の大尼を、大聖人は粘り強く指導されています。
新尼が大聖人から頂いたお手紙で、現在まで伝わっているのは「新尼御前御返事」の一編のみ。そこには、御本尊についての深い法理が認められており、新尼が仏法を理解する素養があり、求道心のある女性であったことがうかがえます。また、新尼の不動の信心を信頼されていたのか、新尼への言及は少なく、大尼への配慮が随所に見られます。
◇父母をすくわんがため
『古郷のこと、はるかに思いわすれて候いつるに、今このあまのりを見候いて、よしなき心おもいいでて、うくつらし。(中略)我が父母かわらせ給いけんと、かたちがえなるうらめしさ、なみだおさえがたし。』(新尼御前御返事、新1220・全904)
どんな人にも、故郷があります。その故郷を思う時、心にはどんな景色が広がるでしょう。
幼い頃の思い出。懐かしい友の顔。青春の誓い。父母の姿……。
文永12年(1275年)2月、身延の大聖人のもとに、海の幸「甘海苔」が届けられました。故郷・安房国の新尼らからの御供養です。
前年(文永11年)5月、大聖人は身延へ入山されました。生まれ育った海辺の風土とは全く異なる山中での御様子が「新尼御前御返事」につづられています。そこへ届いた甘海苔から、広がっていく懐かしい故郷への思い。
大聖人は文永年間の初め、安房国に戻られ、母を見舞い、更賜寿命を御祈念されています。しかし、その後は法難の連続で、故郷に帰られることはありませんでした。
故郷の甘海苔は、かつて味わった時と変わらないのに、すでに父も母も世を去ってしまい、涙を堪えがたい——。父母を思い、故郷を思う大聖人の言葉が胸に染み入ります。
「父母の家を出でて出家の身となるは、必ず父母をすくわんがため」(新58・全192)。父母をはじめ、市井に生きる一人一人の幸せのためにこそ、仏法はあります。
◇生涯、広布に戦う信心を
『さどの国と申し、この国と申し、度々の御志ありて、たゆむけしきはみえさせ給わねば、御本尊はわたしまいらせて候なり。それも終にはいかんがとおそれ思うこと、薄氷をふみ、太刀に向かうがごとし。』(新尼御前御返事、新1223・全907)
苦難が人を鍛え、迫害がその人の真価を明らかにする——。
池田先生は記しています。「人の一念はまことに微妙であり、ある意味でタッチの差ほどの違いが、大きな人生の分かれ目となる場合もあります」と。
「竜の口の法難」後、門下へも大弾圧が続き、「千が九百九十九人は堕ちて候」(新1223・全907)といわれるほど、退転者が続出しました。その時、信心を翻した大尼に対して、新尼は堅固な信心を貫きます。師を求め、佐渡へ身延へと御供養を届けたのです。
その上で大聖人は、信心がたゆむ様子の見えない新尼に、「この先はどうであろうかと思うと、薄い氷を踏み、太刀に向かうようである」と、あえて厳しく仰せになっています。"生涯、広宣流布に戦い抜く信心を!"との厳愛の鼓動が伝わってくるようです。
池田先生は新尼の生涯を通して語っています。
「大事なのは、年齢ではない。立場でもない。信心が強いかどうかである」「何があろうとも、だれがどうあろうとも、一生涯、断固として信心を貫き、創価に生き抜いて、わが誓いと使命を果たしきっていただきたい」
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第24回 真の健康・長寿とは
人生と社会の大道を進みゆく壮年部にとって、真の健康・長寿の生き方とは——壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集123ページから125ページを抜粋)。
〈つねに「さあ、これからだ」〉
人生の年輪を重ねるごとに、心がいよいよ若さを増していく。つねに「さあ、これからだ」と力強く前進する。
これが真の「健康」です。本当の「長寿」です。広宣流布のために生きぬこうという人は、必ずそうなれるのです。そのための信心です。
(『池田大作全集』第30巻、「法華経の智慧」)
〈人のために戦い続ける一念〉
「健康」とは何か。その結論は「菩薩の生命」です。人のために戦い続ける一念——それが真の「健康」だと私は思う。ただ"健康食品"を食べ、自分のことだけ考えて、安楽な暮らしを願う——それが健康だとは思わない。
「健康」を象徴する薬王(=菩薩)は、信念に「殉教」した菩薩であった。「戦う生命」それが「健康な生命」です。
(『池田大作全集』第31巻、「法華経の智慧」)
〈人びとに尽くすための寿命〉
御書には、法華経を引かれて、「長寿を以て衆生を度せん」とある。
「長寿」とは、根本的には、法華経の如来寿量品で明かされた「如来の長遠の寿命」のことである。法華経を行ずる人には、わが胸中に「永遠なる仏の生命」がわいてくる。
「更賜寿命(更に寿命を賜う)」といって、生命力が強くなり、寿命を延ばすこともできる。
しかも、菩薩は、自分のためだけに長生きしようとするのではない。みずからの経験や、慈悲と一体の知恵を生かして、いよいよ人々に存分に尽くすために、長生きしようというのである。微妙にして、しかも重大な一念の違いである。
(『池田大作全集』第87巻、「全国代表研修会」でのスピーチ)
〈「どう生きたか」「何をしたか」〉
御聖訓に「人久しといえども百年には過ず」(全1386・新1993)とあったが、その通りです。「ここにいる人は、百年たったら皆いなくなるんだよ」と、戸田先生もよくおっしゃっていた。
この世は「一睡の夢」です。長命だ、短命だと言っても、永遠から見れば、なんの差もない。寿命の長短ではありません。どう生きたかです。何をしたかです。どう自分の境涯を変えたのか。どれだけ人々を幸福にしたのか、です。
今世で仏の境涯を開き、固めた人は、それが永遠に続く。この一生で「永遠」が決まるのです。それが一生成仏です。
(『池田大作全集』第30巻、「法華経の智慧」)
友の「心の扉」を開く。
自分らしく爽やかに
友好の輪を広げよう!
さあ勇気の一歩を!
檀越某御返事 P1295
『雪山童子の跡ををひ不軽菩薩の身になり候はん、いたづらにやくびやうにやをかされ候はんずらむ、をいじににや死に候はんずらむあらあさましあさまし、願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死をはなれ候わばや』
【通解】
雪山童子の跡を継ぎ不軽菩薩のような身になりたいものである。このまま生き長らえてもいたづらに疫病にかかって倒れるか、または年老いて死んでしまうからである。嘆かわしいことである、嘆かわしいことである。願わくば法華経のために国主に憎まれて、今度・生死を離れたいものである。
名字の言 人類にとって最大の発見は「他者との出会い」 2022年4月3日
明治時代まで、「発見」と「発明」は同義語で用いられていた。現在は、「発見」は世の中に知られていなかったものを見つけ出すこと、「発明」は世の中に存在していなかったものを創り出すこと、と使い分けられている▼意味は異なっても、「発見」「発明」ともに、それを見つけ、創り出す労苦は共通する。特定の解釈やそれまでの経験などにとらわれず、自らの殻を破る。そのたゆまぬ探究心こそ、「発見」「発明」の原動力である▼ヨーロッパ科学芸術アカデミーのウンガー博士は、池田先生との対談で語った。人類にとって最大の発見は「他者との出会い」であると。それは"未知の自身"との出会いでもあり、結果として、自分という人間の幅を広げられる、とも▼ある壮年部員は、空虚な生活を送っていた青年時代に、友人から小説『人間革命』を贈呈された。書籍で「山本伸一」と出会った彼は、「こんな手応えのある人生を僕も送ってみたい」と入会。その後、良き友との出会いの輪を広げ、広布のリーダーに成長した▼自分自身の発見は、未来を発明する力を生み出す。春4月は、新たな出会いの好機。自分からあいさつを交わした分、語らいを重ねた分、人生は、より豊かになっていく。
寸鉄 2022年4月3日
御本尊に祈り抜けば20倍100倍の結果が出る—戸田先生。確信の祈りで勝て
東京・調布「総区の日」「総区女性部の日」30周年 正義の師子吼で新時代を
和歌山女性部の日。太陽の励ましで幸の連帯拡大 共に語らいの花を満開に
感染者が増加の傾向と。3密避けマスク、消毒、換気等の基本対策を再確認
公明党が若者の声を聞く「政策アンケート」開始。希望の未来へ総力挙げよ
☆大慈悲の心音 門下への便り 第1回 新尼
御書をひもとくと、門下一人一人へのお手紙が多いことに驚く。その便りには、灼熱の太陽のような広布への情熱がたぎっている。悪に対する烈々たる破折が轟き、師弟の信心を促す厳しさがある。そして、試練の冬に耐える弟子への、陽光のような励ましがある。新企画「大慈悲の心音 門下への便り」では、弟子たちへのお手紙を拝していく。
◇新尼
「日蓮は一閻浮提の内、日本国安房国東条郡に始めてこの正法を弘通し始めたり」(新1222・全906)
日蓮大聖人が御聖誕になり、正法流布への戦いを一人、開始された安房国(千葉県南部)。この地で大聖人に帰依した女性門下に、新尼と大尼がいます。
二人は、その呼び名から嫁・姑の関係にあったとされます(新尼が大尼の娘、または孫の嫁とする説もある)。
新尼は大聖人の佐渡流罪中も、身延入山後も、純粋な信心を貫き、たびたび御供養の品を届けました。大聖人は新尼の強盛な志をたたえ、御本尊を授与されています。
一方、大尼は安房国東条郡内の領家(荘園領主)であったと考えられ、大聖人のご両親を何らかの形で援助していたと思われます。ところが、大尼の信心は「いつわりおろか」でした。世間の風評や体裁に紛動され、ある時は信じ、ある時は破るといった中途半端な信心の大尼を、大聖人は粘り強く指導されています。
新尼が大聖人から頂いたお手紙で、現在まで伝わっているのは「新尼御前御返事」の一編のみ。そこには、御本尊についての深い法理が認められており、新尼が仏法を理解する素養があり、求道心のある女性であったことがうかがえます。また、新尼の不動の信心を信頼されていたのか、新尼への言及は少なく、大尼への配慮が随所に見られます。
◇父母をすくわんがため
『古郷のこと、はるかに思いわすれて候いつるに、今このあまのりを見候いて、よしなき心おもいいでて、うくつらし。(中略)我が父母かわらせ給いけんと、かたちがえなるうらめしさ、なみだおさえがたし。』(新尼御前御返事、新1220・全904)
どんな人にも、故郷があります。その故郷を思う時、心にはどんな景色が広がるでしょう。
幼い頃の思い出。懐かしい友の顔。青春の誓い。父母の姿……。
文永12年(1275年)2月、身延の大聖人のもとに、海の幸「甘海苔」が届けられました。故郷・安房国の新尼らからの御供養です。
前年(文永11年)5月、大聖人は身延へ入山されました。生まれ育った海辺の風土とは全く異なる山中での御様子が「新尼御前御返事」につづられています。そこへ届いた甘海苔から、広がっていく懐かしい故郷への思い。
大聖人は文永年間の初め、安房国に戻られ、母を見舞い、更賜寿命を御祈念されています。しかし、その後は法難の連続で、故郷に帰られることはありませんでした。
故郷の甘海苔は、かつて味わった時と変わらないのに、すでに父も母も世を去ってしまい、涙を堪えがたい——。父母を思い、故郷を思う大聖人の言葉が胸に染み入ります。
「父母の家を出でて出家の身となるは、必ず父母をすくわんがため」(新58・全192)。父母をはじめ、市井に生きる一人一人の幸せのためにこそ、仏法はあります。
◇生涯、広布に戦う信心を
『さどの国と申し、この国と申し、度々の御志ありて、たゆむけしきはみえさせ給わねば、御本尊はわたしまいらせて候なり。それも終にはいかんがとおそれ思うこと、薄氷をふみ、太刀に向かうがごとし。』(新尼御前御返事、新1223・全907)
苦難が人を鍛え、迫害がその人の真価を明らかにする——。
池田先生は記しています。「人の一念はまことに微妙であり、ある意味でタッチの差ほどの違いが、大きな人生の分かれ目となる場合もあります」と。
「竜の口の法難」後、門下へも大弾圧が続き、「千が九百九十九人は堕ちて候」(新1223・全907)といわれるほど、退転者が続出しました。その時、信心を翻した大尼に対して、新尼は堅固な信心を貫きます。師を求め、佐渡へ身延へと御供養を届けたのです。
その上で大聖人は、信心がたゆむ様子の見えない新尼に、「この先はどうであろうかと思うと、薄い氷を踏み、太刀に向かうようである」と、あえて厳しく仰せになっています。"生涯、広宣流布に戦い抜く信心を!"との厳愛の鼓動が伝わってくるようです。
池田先生は新尼の生涯を通して語っています。
「大事なのは、年齢ではない。立場でもない。信心が強いかどうかである」「何があろうとも、だれがどうあろうとも、一生涯、断固として信心を貫き、創価に生き抜いて、わが誓いと使命を果たしきっていただきたい」
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第24回 真の健康・長寿とは
人生と社会の大道を進みゆく壮年部にとって、真の健康・長寿の生き方とは——壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集123ページから125ページを抜粋)。
〈つねに「さあ、これからだ」〉
人生の年輪を重ねるごとに、心がいよいよ若さを増していく。つねに「さあ、これからだ」と力強く前進する。
これが真の「健康」です。本当の「長寿」です。広宣流布のために生きぬこうという人は、必ずそうなれるのです。そのための信心です。
(『池田大作全集』第30巻、「法華経の智慧」)
〈人のために戦い続ける一念〉
「健康」とは何か。その結論は「菩薩の生命」です。人のために戦い続ける一念——それが真の「健康」だと私は思う。ただ"健康食品"を食べ、自分のことだけ考えて、安楽な暮らしを願う——それが健康だとは思わない。
「健康」を象徴する薬王(=菩薩)は、信念に「殉教」した菩薩であった。「戦う生命」それが「健康な生命」です。
(『池田大作全集』第31巻、「法華経の智慧」)
〈人びとに尽くすための寿命〉
御書には、法華経を引かれて、「長寿を以て衆生を度せん」とある。
「長寿」とは、根本的には、法華経の如来寿量品で明かされた「如来の長遠の寿命」のことである。法華経を行ずる人には、わが胸中に「永遠なる仏の生命」がわいてくる。
「更賜寿命(更に寿命を賜う)」といって、生命力が強くなり、寿命を延ばすこともできる。
しかも、菩薩は、自分のためだけに長生きしようとするのではない。みずからの経験や、慈悲と一体の知恵を生かして、いよいよ人々に存分に尽くすために、長生きしようというのである。微妙にして、しかも重大な一念の違いである。
(『池田大作全集』第87巻、「全国代表研修会」でのスピーチ)
〈「どう生きたか」「何をしたか」〉
御聖訓に「人久しといえども百年には過ず」(全1386・新1993)とあったが、その通りです。「ここにいる人は、百年たったら皆いなくなるんだよ」と、戸田先生もよくおっしゃっていた。
この世は「一睡の夢」です。長命だ、短命だと言っても、永遠から見れば、なんの差もない。寿命の長短ではありません。どう生きたかです。何をしたかです。どう自分の境涯を変えたのか。どれだけ人々を幸福にしたのか、です。
今世で仏の境涯を開き、固めた人は、それが永遠に続く。この一生で「永遠」が決まるのです。それが一生成仏です。
(『池田大作全集』第30巻、「法華経の智慧」)
2022.04.02 わが友に贈る
師弟こそ仏法の魂。
不二の心で進めば
無限の力が湧く。
その実践を貫く中に
幸福への道は開ける!
持妙法華問答抄 P463
『只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり』
【通解】
あなたが仏になろうと思うならば、慢心のはたほこ(軍の指揮に用いる旗)を倒し、いかりの杖を捨てて、ひとえに一乗の法華経に帰依しなさい。名聞名利は今生だけの飾りであり、我慢や偏執は後世の成仏を妨げる足かせである。
名字の言 創価大学を卒業した女性が手にしていた1枚の写真 2022年4月2日
先月18日、卒業式が行われた創価大学で、記念写真を撮る一組の家族がいた。場所は創立者が寄贈したブロンズ像の前。卒業生である女性の手には、1枚の写真が。写っていたのは同じ場所に立つ彼女の娘だった▼女性は震災で娘と義母を失った。娘は当時、創大の通信教育部生。言語教育を学び、将来は人を笑顔にできる俳優や声優になるのが夢だった。悲しみの中、女性は"娘の分まで私がやり遂げたい"と通教への入学を決意。困難にも負けず地道に単位を取得してきた▼娘と歩んだ11年。学んだ法律を生かして人の役に立ちたいという彼女は、一昨日放送のNHK番組で「ここまで頑張らせてくれてありがたいな」と娘への感謝を語った。一家の絆の物語は、本紙連載「ストーリーズ」(2月20日付)でも紹介され、反響を呼んだ▼誰かのために生きる時、人は一歩ずつでも前に進むことができる。その誰かが心の支えとなるからだ。亡くなった大切な人も胸中で生き、支え続けてくれる——母子の勝利劇に感動が込み上げた▼桜花の創大キャンパスは今年も新入生を迎える。「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」。ブロンズ像の台座に刻まれた言葉は、私たちに美しい生き方を教えてくれる。
寸鉄 2022年4月2日
桜花爛漫の「4・2」から「5・3」へ!広布の誓願に燃えて一日一日を勝利
第2総東京の日。立正安国の祈り強く前進!青年を先頭に対話の輪を拡大
心の財をつませ給うべし—御書。信心は幸の軌道。苦労し動いた分、福徳が(新1596・全1173)
家庭に良書があれば子は育つ—識者。共々に繙こう。国際子どもの本の日
公明が政府に経済対策の緊急提言。断固、国民生活守れ!死力尽くして戦え
〈社説〉 2022・4・2 新出発を迎える未来部の友へ
◇可能性の"花"咲かす励ましを
進級・進学・就職の時季を迎えた。誰もが、新しい環境にあっては、不安と緊張を抱えるものだ。宝の人材、後継の友を、温かく励ましていきたい。
時を同じくして、自然はにぎやかな表情を見せる。4月5日は二十四節気の「清明」。花が咲き、空は青く澄み渡り、爽やかな風が吹く、良い季節である。
この時節になると思い出す童話がある。児童文学作家・斎藤隆介さんの『花さき山』(岩崎書店)という作品。
誰も知らない山奥の花さき山では、麓の人間が優しいことをするたびに1輪の花が咲く。
主人公の10歳の女の子・あやは、妹が着物を買ってほしいとねだる姿を見て「おらは いらねえから そよ(妹)サ かってやれ」と貧しい母と妹を思いやった。その優しさが美しい花を咲かせた。
ある少女部員は、コロナ禍の影響で休校となった時期から、母親と勤行を続けていた。そんな時、母親から地区の女性部の友が、がんを患ったと聞く。
少女と、その女性部員はSNSで連絡を取り始めた。2人はそれぞれの悩みに向き合いながら、少女が学校生活を元気に過ごせるように、女性部員が病に負けないようにと、互いに祈り、メッセージを送り続けた。
その後、女性部員は抗がん剤治療を無事に終えることができ、少女は勉強と習い事を両立し、吹奏楽のコンクールで全県大会への出場を果たした。この春、少女は地区の同志との絆を糧に中学校生活をスタートする。
秋田県から、保育士になる夢を抱いて東京の専門学校へ進学する友がいる。自ら御本尊を受持し、新天地で広布の活動に挑む決意をし、飛躍を誓う。
幼い頃から、地域の同志たちが声を掛けてくれた。旅立つ彼女の脳裏には、昨年、亡くなった創価家族の顔も思い浮かぶ。厳しい過疎化が進む地域だからこそ、一人一人の未来部員をわが子のように育んでくれた。
"成長した姿で恩返しをしたい"——同志の真心が友の誓いにつながっていた。
池田先生は「子どもたちの胸中にある"心田"に可能性の花々が咲き誇ることを信じ、祈るような思いを込めて種をまく行為に、教育の眼目はある」とつづった。
世代を超えた交流を通して、未来部員にも、エールを送る人の心にも、喜びと成長の花が咲く。励ましの春風が薫る季節にしたい。
☆御書と未来へ 第10回 "賢者の信心"で崩れぬ和楽を
〈御文〉
『末代なれどもかしこき上、欲なき身と生まれて、三人ともに仏になり給い、ちちかた、ははかたのるいをもすくい給う人となり候いぬ。また、とのの御子息等も、すえの代はさかうべしとおぼしめせ。』〈兵衛志殿御返事(一族末代栄えの事)、新1498※新規収録〉
〈通解〉
末法の世ではあるけれども、(あなた〈池上宗長〉は)賢い上、欲のない身に生まれて、(父、兄、自身の)3人とも仏になられ、父方・母方の親類をも救う人になられたのです。また、あなたのご子息らも末代まで永く栄えるであろうと思いなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
度重なる兄・宗仲の勘当の中、弟・宗長は日蓮大聖人の厳愛の御指導を受け切り、圧迫にも誘惑にも屈しなかった。悪侶に誑かされた父を、兄弟・夫妻で団結して正法に導いたのだ。
大変な時こそ永遠に崩れぬ福徳が積める。賢者の信心に立つ一人がいれば一家の暗雲も必ず晴らせる。勇敢に聡明に忍耐強く、和楽の凱歌を!]
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第6回 桜梅桃李
◇御義口伝
『桜梅桃李の己々の当体を改めずして無作の三身と開見すれば、これ即ち「量」の義なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、無作の三身の本主なり云々。』(新1090・全784)
◇勇気の指標——著作から
妙法によってこそ、一切衆生は仏界の生命を現実に開き現せる。全ての人間が、その身のままで尊極の無作三身の仏として、最大に輝くことができるのです。
◆◇◆
無作三身の働きとは、個々の人間の差異が一人一人の個性となっていくものです。こうした「一人」の根源的な生命の変革——「人間革命」の思想こそが、人類総体の境涯を高めていくのではないでしょうか。
この生命尊厳の思想が世界に広まり、人間の生き方の根底が変わっていくならば、人々がいがみ合い、憎しみ合う悲劇を無くす道も開かれる。(中略)今この時、私たちが全世界の同志と共に、大聖人の人間主義の仏法を語り広める重要な意義は、ここにあります。
◆◇◆
「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」(全1304・新1732)です。法華経見宝塔品第十一に涌出する、七宝で荘厳された偉大な宝の塔とは、末法で妙法を持った衆生そのものなのです。ゆえに、御本仏と同じ広布大願に生き抜く学会員は、一人ももれなく尊き宝塔です。
その使命深き皆さま方を、諸仏・諸天が讃嘆し、守護しないわけがありません。
◇生命の最高無上の開花を 山岡玲子 第2総東京女性部長
広布後継の「3・16」を、青年部を先頭に弘教の上げ潮で勝ち飾り、いよいよ希望の春へ!
第2総東京女性部は今、桜梅桃李のスクラム固く、対話拡大へと前進しています。
今回、「御義口伝」を改めて拝し、一人一人がその身そのままで輝いていける仏法の人間主義の哲理を学んでいきましょう。
◇信じ抜く!
私は新宿で生まれ育ち、関西の創価女子学園で学びました。当時は第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた頃。創立者・池田先生は激務の合間を縫って学園に足を運ばれ、一人一人と絆を結び、激励してくださいました。相手が子どもであっても、一人の人格として信じ抜き、徹底して励まされる池田先生の真心を命に刻みました。
結婚後、息子が学校に行けない時期があり、思い悩みました。最初は"なぜ? 育て方が悪かったのだろうか"と現実を受け止められない自分がいました。先輩から励ましをいただき、祈る中で、わが子のことを信じているようで、信じ切れていなかった自分に気付きました。
かつて池田先生が私たちのことを心から信じてくださったように、私もわが子を信じ抜こう!——そう心が定まると、状況は自然と好転していきました。現在、息子は使命の人生を歩み始めています。
たとえ今、どんな状況にあったとしても使命のない人はいない。そう信じて、温かな励ましを送ることを心掛けています。
◇各地に希望の花々
先生は講義の中で、「『桜梅桃李』の仏法の世界は、万人に広々と開かれています。一人の例外もなく、『人間革命』の大道に等しく参画でき、そして、いかなる人も、個性を最大に生かしつつ、生命の最高無上の開花が実現できるのです」と教えてくださっています。
今、子育てに奮闘する友や、社会で活躍するメンバーなど、さまざまな環境の友が触発し合い、新しい人材が人間革命の大道へとにぎやかに加わりながら、色とりどりの希望の花、勝利の花を各地に咲かせています。
調布総区のヤング白ゆり世代の友は、「創春ミーティング」を軸に、一人一人と絆を結ぶ思いで訪問・激励を継続。池田先生の指導や、女性部の活動の意義などを真心込めて丁寧に伝えてきました。その中で、初めて学会の会合に参加された方が増えるなど、希望の輪が飛躍的に拡大しています。
また、小金井総区のヤング白ゆり世代のある白ゆり長は、折伏に挑戦する同世代の友に触発を受け、広布拡大を決意。支部の座談会でご自身が体験発表をすることになり、"ママ友に聞いてもらいたい"と、たくさんの方に勇気を出して声を掛けました。
当日、1人のママ友が体験を聞きに会館まで足を運び、その白ゆり長の体験を涙を流して聞いてくれました。その後、誠実に対話を重ね、地域の皆さんの題目にも包まれる中、友人に晴れて御本尊を流布することができました。入会記念勤行会には、友人の夫と3人のお子さんも参加。「私も一家和楽の信心を」との友人の決意に、さわやかな感動が広がりました。
春が来ると花々が次々と開花していくように、一人の人間革命の挑戦が、周囲に希望の光彩を広げ、歓喜の連帯が広がっています。
◇祈りと団結で勝つ
先生はさらに、講義に次のようにつづられています。
「人は皆、だれもが本来、無作三身の当体です。その上で、末法の御本仏に連なり、南無妙法蓮華経の題目を唱える時に、現実のわが身に、仏界の境涯が開き現され、仏の智慧や慈悲を顕現できます」
「広宣流布のため」「立正安国のため」という大願を胸に、唱題に励み、学会活動に挑む時、ありのままの姿で、仏の偉大な境涯を開いていくことができます。
「祈りで勝つ! 団結で勝つ! 創価希望の太陽 第2総東京女性部」とのスローガンにもある通り、広布の祈りに徹する時、自己の個性を最大に発揮していける。そして、その桜梅桃李の連帯こそ、地域に、社会に確かな希望の光を送っていけると確信します。
さあ、百花繚乱の春到来です! 「3・16」から「第2総東京の日」である「4・2」へ、そして「5・3」へ。確信の祈りと団結で、人材の花、対話の花を大いに咲かせていこうではありませんか。
◇メモ
「御義口伝」は、日蓮大聖人が、身延で法華経の要文を講義され、それを日興上人が筆録したものと伝えられている。今回の御文は、「無量義」の中の、一切をはかり包含する「量」の字について教えられている。
不二の心で進めば
無限の力が湧く。
その実践を貫く中に
幸福への道は開ける!
持妙法華問答抄 P463
『只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり』
【通解】
あなたが仏になろうと思うならば、慢心のはたほこ(軍の指揮に用いる旗)を倒し、いかりの杖を捨てて、ひとえに一乗の法華経に帰依しなさい。名聞名利は今生だけの飾りであり、我慢や偏執は後世の成仏を妨げる足かせである。
名字の言 創価大学を卒業した女性が手にしていた1枚の写真 2022年4月2日
先月18日、卒業式が行われた創価大学で、記念写真を撮る一組の家族がいた。場所は創立者が寄贈したブロンズ像の前。卒業生である女性の手には、1枚の写真が。写っていたのは同じ場所に立つ彼女の娘だった▼女性は震災で娘と義母を失った。娘は当時、創大の通信教育部生。言語教育を学び、将来は人を笑顔にできる俳優や声優になるのが夢だった。悲しみの中、女性は"娘の分まで私がやり遂げたい"と通教への入学を決意。困難にも負けず地道に単位を取得してきた▼娘と歩んだ11年。学んだ法律を生かして人の役に立ちたいという彼女は、一昨日放送のNHK番組で「ここまで頑張らせてくれてありがたいな」と娘への感謝を語った。一家の絆の物語は、本紙連載「ストーリーズ」(2月20日付)でも紹介され、反響を呼んだ▼誰かのために生きる時、人は一歩ずつでも前に進むことができる。その誰かが心の支えとなるからだ。亡くなった大切な人も胸中で生き、支え続けてくれる——母子の勝利劇に感動が込み上げた▼桜花の創大キャンパスは今年も新入生を迎える。「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」。ブロンズ像の台座に刻まれた言葉は、私たちに美しい生き方を教えてくれる。
寸鉄 2022年4月2日
桜花爛漫の「4・2」から「5・3」へ!広布の誓願に燃えて一日一日を勝利
第2総東京の日。立正安国の祈り強く前進!青年を先頭に対話の輪を拡大
心の財をつませ給うべし—御書。信心は幸の軌道。苦労し動いた分、福徳が(新1596・全1173)
家庭に良書があれば子は育つ—識者。共々に繙こう。国際子どもの本の日
公明が政府に経済対策の緊急提言。断固、国民生活守れ!死力尽くして戦え
〈社説〉 2022・4・2 新出発を迎える未来部の友へ
◇可能性の"花"咲かす励ましを
進級・進学・就職の時季を迎えた。誰もが、新しい環境にあっては、不安と緊張を抱えるものだ。宝の人材、後継の友を、温かく励ましていきたい。
時を同じくして、自然はにぎやかな表情を見せる。4月5日は二十四節気の「清明」。花が咲き、空は青く澄み渡り、爽やかな風が吹く、良い季節である。
この時節になると思い出す童話がある。児童文学作家・斎藤隆介さんの『花さき山』(岩崎書店)という作品。
誰も知らない山奥の花さき山では、麓の人間が優しいことをするたびに1輪の花が咲く。
主人公の10歳の女の子・あやは、妹が着物を買ってほしいとねだる姿を見て「おらは いらねえから そよ(妹)サ かってやれ」と貧しい母と妹を思いやった。その優しさが美しい花を咲かせた。
ある少女部員は、コロナ禍の影響で休校となった時期から、母親と勤行を続けていた。そんな時、母親から地区の女性部の友が、がんを患ったと聞く。
少女と、その女性部員はSNSで連絡を取り始めた。2人はそれぞれの悩みに向き合いながら、少女が学校生活を元気に過ごせるように、女性部員が病に負けないようにと、互いに祈り、メッセージを送り続けた。
その後、女性部員は抗がん剤治療を無事に終えることができ、少女は勉強と習い事を両立し、吹奏楽のコンクールで全県大会への出場を果たした。この春、少女は地区の同志との絆を糧に中学校生活をスタートする。
秋田県から、保育士になる夢を抱いて東京の専門学校へ進学する友がいる。自ら御本尊を受持し、新天地で広布の活動に挑む決意をし、飛躍を誓う。
幼い頃から、地域の同志たちが声を掛けてくれた。旅立つ彼女の脳裏には、昨年、亡くなった創価家族の顔も思い浮かぶ。厳しい過疎化が進む地域だからこそ、一人一人の未来部員をわが子のように育んでくれた。
"成長した姿で恩返しをしたい"——同志の真心が友の誓いにつながっていた。
池田先生は「子どもたちの胸中にある"心田"に可能性の花々が咲き誇ることを信じ、祈るような思いを込めて種をまく行為に、教育の眼目はある」とつづった。
世代を超えた交流を通して、未来部員にも、エールを送る人の心にも、喜びと成長の花が咲く。励ましの春風が薫る季節にしたい。
☆御書と未来へ 第10回 "賢者の信心"で崩れぬ和楽を
〈御文〉
『末代なれどもかしこき上、欲なき身と生まれて、三人ともに仏になり給い、ちちかた、ははかたのるいをもすくい給う人となり候いぬ。また、とのの御子息等も、すえの代はさかうべしとおぼしめせ。』〈兵衛志殿御返事(一族末代栄えの事)、新1498※新規収録〉
〈通解〉
末法の世ではあるけれども、(あなた〈池上宗長〉は)賢い上、欲のない身に生まれて、(父、兄、自身の)3人とも仏になられ、父方・母方の親類をも救う人になられたのです。また、あなたのご子息らも末代まで永く栄えるであろうと思いなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
度重なる兄・宗仲の勘当の中、弟・宗長は日蓮大聖人の厳愛の御指導を受け切り、圧迫にも誘惑にも屈しなかった。悪侶に誑かされた父を、兄弟・夫妻で団結して正法に導いたのだ。
大変な時こそ永遠に崩れぬ福徳が積める。賢者の信心に立つ一人がいれば一家の暗雲も必ず晴らせる。勇敢に聡明に忍耐強く、和楽の凱歌を!]
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第6回 桜梅桃李
◇御義口伝
『桜梅桃李の己々の当体を改めずして無作の三身と開見すれば、これ即ち「量」の義なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、無作の三身の本主なり云々。』(新1090・全784)
◇勇気の指標——著作から
妙法によってこそ、一切衆生は仏界の生命を現実に開き現せる。全ての人間が、その身のままで尊極の無作三身の仏として、最大に輝くことができるのです。
◆◇◆
無作三身の働きとは、個々の人間の差異が一人一人の個性となっていくものです。こうした「一人」の根源的な生命の変革——「人間革命」の思想こそが、人類総体の境涯を高めていくのではないでしょうか。
この生命尊厳の思想が世界に広まり、人間の生き方の根底が変わっていくならば、人々がいがみ合い、憎しみ合う悲劇を無くす道も開かれる。(中略)今この時、私たちが全世界の同志と共に、大聖人の人間主義の仏法を語り広める重要な意義は、ここにあります。
◆◇◆
「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」(全1304・新1732)です。法華経見宝塔品第十一に涌出する、七宝で荘厳された偉大な宝の塔とは、末法で妙法を持った衆生そのものなのです。ゆえに、御本仏と同じ広布大願に生き抜く学会員は、一人ももれなく尊き宝塔です。
その使命深き皆さま方を、諸仏・諸天が讃嘆し、守護しないわけがありません。
◇生命の最高無上の開花を 山岡玲子 第2総東京女性部長
広布後継の「3・16」を、青年部を先頭に弘教の上げ潮で勝ち飾り、いよいよ希望の春へ!
第2総東京女性部は今、桜梅桃李のスクラム固く、対話拡大へと前進しています。
今回、「御義口伝」を改めて拝し、一人一人がその身そのままで輝いていける仏法の人間主義の哲理を学んでいきましょう。
◇信じ抜く!
私は新宿で生まれ育ち、関西の創価女子学園で学びました。当時は第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた頃。創立者・池田先生は激務の合間を縫って学園に足を運ばれ、一人一人と絆を結び、激励してくださいました。相手が子どもであっても、一人の人格として信じ抜き、徹底して励まされる池田先生の真心を命に刻みました。
結婚後、息子が学校に行けない時期があり、思い悩みました。最初は"なぜ? 育て方が悪かったのだろうか"と現実を受け止められない自分がいました。先輩から励ましをいただき、祈る中で、わが子のことを信じているようで、信じ切れていなかった自分に気付きました。
かつて池田先生が私たちのことを心から信じてくださったように、私もわが子を信じ抜こう!——そう心が定まると、状況は自然と好転していきました。現在、息子は使命の人生を歩み始めています。
たとえ今、どんな状況にあったとしても使命のない人はいない。そう信じて、温かな励ましを送ることを心掛けています。
◇各地に希望の花々
先生は講義の中で、「『桜梅桃李』の仏法の世界は、万人に広々と開かれています。一人の例外もなく、『人間革命』の大道に等しく参画でき、そして、いかなる人も、個性を最大に生かしつつ、生命の最高無上の開花が実現できるのです」と教えてくださっています。
今、子育てに奮闘する友や、社会で活躍するメンバーなど、さまざまな環境の友が触発し合い、新しい人材が人間革命の大道へとにぎやかに加わりながら、色とりどりの希望の花、勝利の花を各地に咲かせています。
調布総区のヤング白ゆり世代の友は、「創春ミーティング」を軸に、一人一人と絆を結ぶ思いで訪問・激励を継続。池田先生の指導や、女性部の活動の意義などを真心込めて丁寧に伝えてきました。その中で、初めて学会の会合に参加された方が増えるなど、希望の輪が飛躍的に拡大しています。
また、小金井総区のヤング白ゆり世代のある白ゆり長は、折伏に挑戦する同世代の友に触発を受け、広布拡大を決意。支部の座談会でご自身が体験発表をすることになり、"ママ友に聞いてもらいたい"と、たくさんの方に勇気を出して声を掛けました。
当日、1人のママ友が体験を聞きに会館まで足を運び、その白ゆり長の体験を涙を流して聞いてくれました。その後、誠実に対話を重ね、地域の皆さんの題目にも包まれる中、友人に晴れて御本尊を流布することができました。入会記念勤行会には、友人の夫と3人のお子さんも参加。「私も一家和楽の信心を」との友人の決意に、さわやかな感動が広がりました。
春が来ると花々が次々と開花していくように、一人の人間革命の挑戦が、周囲に希望の光彩を広げ、歓喜の連帯が広がっています。
◇祈りと団結で勝つ
先生はさらに、講義に次のようにつづられています。
「人は皆、だれもが本来、無作三身の当体です。その上で、末法の御本仏に連なり、南無妙法蓮華経の題目を唱える時に、現実のわが身に、仏界の境涯が開き現され、仏の智慧や慈悲を顕現できます」
「広宣流布のため」「立正安国のため」という大願を胸に、唱題に励み、学会活動に挑む時、ありのままの姿で、仏の偉大な境涯を開いていくことができます。
「祈りで勝つ! 団結で勝つ! 創価希望の太陽 第2総東京女性部」とのスローガンにもある通り、広布の祈りに徹する時、自己の個性を最大に発揮していける。そして、その桜梅桃李の連帯こそ、地域に、社会に確かな希望の光を送っていけると確信します。
さあ、百花繚乱の春到来です! 「3・16」から「第2総東京の日」である「4・2」へ、そして「5・3」へ。確信の祈りと団結で、人材の花、対話の花を大いに咲かせていこうではありませんか。
◇メモ
「御義口伝」は、日蓮大聖人が、身延で法華経の要文を講義され、それを日興上人が筆録したものと伝えられている。今回の御文は、「無量義」の中の、一切をはかり包含する「量」の字について教えられている。
2022.04.01 わが友に贈る
生命が躍動する春。
清々しい息吹と決意で
朗らかに出発しよう!
伸びゆく青年と共に!
若々しい青年の心で!
上野殿御返事 P1565
『我等は法華経をたのみまいらせて候へばあさきふちに魚のすむが天くもりて雨のふらんとするを魚のよろこぶがごとし。』
【通解】
われらは法華経を信じているから、浅い淵にすんでいる魚が、天が曇って雨が降ろうとするのを喜ぶようなものである
【先生の指導から】
今は難を受けて苦しんでいても、正しい信仰によって、必ず乗り越えていけると励ましておられるのである。
信仰は一切の勝利の源泉である。
水たまりのように浅い淵にすんでいる魚は、いつ水が枯れてしまうか、不安で不安で仕方がない。いな、そういう危険と隣り合わせであることも知らず、とりあえず、今を生きられればいいと思っているかもしれない。多くの場合、人間も同じである。
御本尊を持ち、信心に巡り合えたことは、水が枯れて死ぬかもしれない不安のところへ、まさに天の恵みの雨が降らんとするのを魚が喜ぶようなものなのである。
(中略)皆さまの人生の旅の途上に、いかなる苦しみ、悩みがあろうとも、それを全部、最後は「楽しみ」に変えていける。この極意が信心なのである。
また、これは、社会にあふれるさまざまな問題に目をつぶり、人々の苦悩から遊離して、自分たちだけが幸福になるという利己主義的な生き方を教えているのではない。いかなる社会的な試練、外的な不幸の嵐が襲ってきても微動だにしない、金剛不壊なる自分自身を確立していくのが信心だということだ。
名字の言 幸福感や満足度が持続する要因とは? 2022年4月1日
オランダの心理学者たちが、こんな実験を行った。大学生を二つのグループに分け、一つのグループには毎日、身近な人への感謝を書き続けてもらう。別のグループには、毎日五つ、人に親切を行う。それぞれ内容や実感などを1週間記録した▼幸福感や満足度などが高まる効果はどちらも同じ。異なっていたのは、その気持ちの持続だった。感謝の手紙を書いたグループは幸福感がすぐに無くなったのに対し、親切を行ったグループはポジティブな感情が続く傾向にあった(山口創著『人は皮膚から癒される』草思社文庫)。この実験が示す一つは、日常の生活において、「人と触れ合う」ことで得るものの大きさだ▼日本赤十字社が昨年12月に実施した調査では、およそ3人に1人の高校・大学生が将来の社会生活の不安に関して「新しい人間関係を築くのが困難」と答えた▼SNSなどを活用する若者の間にもコロナ禍で孤立・孤独が広がる。日本赤十字社は「必要な経験が得にくい環境であったことを周囲の人々が考慮し、寄り添いながら見守っていく」ことの大切さを指摘する▼進学・進級のシーズン。期待と不安が入り交じる季節でもある。新しい環境へ一歩踏み出す友に、真心のエールを送りたい。
寸鉄 2022年4月1日
飛躍の4月。新生の心で進もう。進学や就職など転機の同志にエールを!
各地で"壮男一体"の取り組み光る。世代を超えた絆で広布の推進力は倍加
「心は大いに歓喜して」法華経。弾む命で友の中へ!対話の万波を私から
取引先や知人装った偽メールの被害多し。添付開くと感染。用心幾重にも
18歳から"大人"に—成人年齢引き下げ。社会担う一員との自覚一段と深く
〈社説〉 2022・4・1 明日から「発達障害啓発週間」
◇自分の"ふつう"を問い直す
明日から「発達障害啓発週間」(8日まで)。発達障がいは、生まれながらの脳の特徴により、発達に偏りがある状態のこと。広い意味では「個性」といえる。
自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、チック症など、発達障がい者はその特性ゆえに周囲から誤解を受けやすく、悪意がないのに結果的にトラブルにつながってしまうことは珍しくない。
一見、"障がい者の言動で周囲の人が困っている"構図になりがちだが、一番困っているのは障がい者自身であり、その家族である。
世界の人口の15%、約12億人が何らかの障がいと共に生きている。2006年に国連で採択された「障害者権利条約」には、障がいは個人の問題ではなく、社会の側が変わらねばならない課題であるとの視座が打ち出されている。
「障害と経済」をテーマに研究を続ける東京大学大学院の松井彰彦教授は、日常生活における「ものの見方」について、"ふつう"を問い直す重要性を訴える。
「社会のきまりも、"平均的な人"に向けてつくられたものばかりであり、そのきまりに適応できない人が『障害者』等と認識される」と述べ、制度上は「障害者/非障害者」という基準で線引きされる場面もあるが、私たちの見方や考え方までもが、二分法になってはならないと警鐘を鳴らす。そして「たとえ同じ人であっても、"この場面では問題ないけれども、別の場面ではサポートが必要だな"というように、柔軟に捉えていく視点が大切」と語る(本紙21年6月18日付)。
顔や体形、性格など、人それぞれ。一人として同じ人間はいない。池田先生は述べている。
「その違いを、『排除しようとする方向』ではなく、『認め合う方向』へと『心のベクトル(方向性)』を変えていくことが大切だね。『みんな〈違う〉って、すばらしい!』ということを教えていかねばならない。多様性があってこそ、社会は、さまざまに力を発揮するのです」
学校や仕事の成績には順番があるかもしれない。しかし、生命に序列はつけられない。誰しもが「一番」なのである。この人間主義の哲学を根本に、思いやる心を広げていけば、もっと優しい社会になるだろう。
☆大白蓮華巻頭言2022年4月号 信頼の大地に幸の花園を
法華経の薬草喩品に、「人華」という美しい一語がある。
アフリカの人道の巌窟王ネルソン・マンデラ翁を五百人の青年たちと熱烈に歓迎した折、この言葉を通して語り合った。
−−色とりどりの花々のごとく、「人華」という人間性の花が個性豊かにして平等に、繚乱と咲き誇る未来を共々に!と。
深く頷かれた、あのマンデラ・スマイルが温かく蘇る。
薬草喩品では、あらゆる草木に分け隔てなく降り注ぐ慈雨のように、妙法の大功力は「無数千万億種の衆生」を差別なく潤し、仏の生命を平等に開花させていくと明かされている。
多様性の尊重と共生という人類の課題を照らす光である。
七十年前、戸田先生が「地球民族主義」の理念を提唱された当時、先生と一緒に深く拝した御聖訓の一節がある。
「我が身に本より、自の仏界、一切衆生の他の仏界、我が身に具せり」−−わが身には、もともと、自分自身の仏界とともに、一切衆生の仏界までも具わっているのである、と。
一人一人の生命が、どれほど尊厳であり、どれほど壮大な広がりを持っていることか。全民衆、全人類、そして全宇宙の仏性ともつながっている。創価の地球民族主義は、かくも深遠な、かくも確固たる生命観に依って立つのである。
ゆえに、いかなる事態にも、我らは怯まず諦めず、自行化他の題目を唱え抜き、立正安国の対話を貫くのだ。仏界の命を呼び顕し、結び合い、地球上に仏国土を築きゆくために!
妙法の慈雨を浴び、変わっていかない人はいない。反発さえも、仏の種が芽吹き、幸の花が育っていく兆しといえる。
今いずこにも、尊き広布の父母たちが汗と涙で耕してきた信頼の大地が広がり、新たな地涌の人華が咲き誇っている。
「信心のこころ全ければ、平等大慧の智水乾くことなし」
大きな大きな賢者の心で、友の生命を満々と潤す対話を!
仏種を蒔く
誇りに燃えて
語り切れ
いまだこりずと
明日の人華へ
☆2022 4月の学会史
◎4・2「第2代会長・戸田城聖先生命日」
1958年(昭和33年)4月2日、第2代会長の戸田城聖先生が広布の一切の願業を成就し、58年の尊い生涯を閉じた。戦後の焦土に一人立ち、初代会長の牧口常三郎先生の遺志を継いで、学会の再建と75万世帯の折伏を達成した戸田先生。その偉大な足跡は、広布史に不滅の光彩を放っている。
※参考資料=小説『人間革命』第12巻「寂光」「新・黎明」、『新・人間革命』第4巻「春嵐」
◎4・2「創価大学開学の日」
1950年(昭和25年)11月、戸田先生は自らの会社が経営不振に陥るなどの窮地にあったが、池田大作先生に、創価大学の設立の希望を語り、その実現を託した。池田先生は師の構想の実現に全生命を注ぎ、71年4月2日、創価大学は開学した。
※参考資料=『新・人間革命』第15巻「創価大学」
◎4・2「第2総東京の日」
幾重にも意義を刻む4月2日は、「第2総東京の日」に定められている。
◎4・8「関西の日」
1956年(昭和31年)4月8日に行われた、大阪・堺2支部連合総会が淵源。池田先生の指揮のもと、1万1111世帯の弘教と「まさかが実現」の勝利史を刻む「大阪の戦い」は、ここからさらに勢いを増した。
※参考資料=『人間革命』第10巻「跳躍」
◎4・20「聖教新聞創刊記念日」
1951年(昭和26年)4月20日、聖教新聞が発行部数5000部、旬刊2ページ建てで創刊。65年7月に日刊化し、71年1月から現在の日刊12ページ建てに。聖教電子版には現在、210カ国・地域からアクセスがあるなど大きく発展した。
※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」、第14巻「大河」、第18巻「師子吼」
◎4・28「立宗の日」
1253年(建長5年)4月28日、日蓮大聖人が32歳の時、末法の全民衆を救う根本の法である「南無妙法蓮華経」を唱え、立宗宣言した。
※参考資料=『人間革命』第6巻「七百年祭」
◎4・28『日蓮大聖人御書全集』発刊70周年
1952年(昭和27年)4月28日、戸田先生の発願により『日蓮大聖人御書全集』が発刊され、本年で70周年となる。2021年11月18日には『日蓮大聖人御書全集 新版』が刊行された。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」、第6巻「七百年祭」
清々しい息吹と決意で
朗らかに出発しよう!
伸びゆく青年と共に!
若々しい青年の心で!
上野殿御返事 P1565
『我等は法華経をたのみまいらせて候へばあさきふちに魚のすむが天くもりて雨のふらんとするを魚のよろこぶがごとし。』
【通解】
われらは法華経を信じているから、浅い淵にすんでいる魚が、天が曇って雨が降ろうとするのを喜ぶようなものである
【先生の指導から】
今は難を受けて苦しんでいても、正しい信仰によって、必ず乗り越えていけると励ましておられるのである。
信仰は一切の勝利の源泉である。
水たまりのように浅い淵にすんでいる魚は、いつ水が枯れてしまうか、不安で不安で仕方がない。いな、そういう危険と隣り合わせであることも知らず、とりあえず、今を生きられればいいと思っているかもしれない。多くの場合、人間も同じである。
御本尊を持ち、信心に巡り合えたことは、水が枯れて死ぬかもしれない不安のところへ、まさに天の恵みの雨が降らんとするのを魚が喜ぶようなものなのである。
(中略)皆さまの人生の旅の途上に、いかなる苦しみ、悩みがあろうとも、それを全部、最後は「楽しみ」に変えていける。この極意が信心なのである。
また、これは、社会にあふれるさまざまな問題に目をつぶり、人々の苦悩から遊離して、自分たちだけが幸福になるという利己主義的な生き方を教えているのではない。いかなる社会的な試練、外的な不幸の嵐が襲ってきても微動だにしない、金剛不壊なる自分自身を確立していくのが信心だということだ。
名字の言 幸福感や満足度が持続する要因とは? 2022年4月1日
オランダの心理学者たちが、こんな実験を行った。大学生を二つのグループに分け、一つのグループには毎日、身近な人への感謝を書き続けてもらう。別のグループには、毎日五つ、人に親切を行う。それぞれ内容や実感などを1週間記録した▼幸福感や満足度などが高まる効果はどちらも同じ。異なっていたのは、その気持ちの持続だった。感謝の手紙を書いたグループは幸福感がすぐに無くなったのに対し、親切を行ったグループはポジティブな感情が続く傾向にあった(山口創著『人は皮膚から癒される』草思社文庫)。この実験が示す一つは、日常の生活において、「人と触れ合う」ことで得るものの大きさだ▼日本赤十字社が昨年12月に実施した調査では、およそ3人に1人の高校・大学生が将来の社会生活の不安に関して「新しい人間関係を築くのが困難」と答えた▼SNSなどを活用する若者の間にもコロナ禍で孤立・孤独が広がる。日本赤十字社は「必要な経験が得にくい環境であったことを周囲の人々が考慮し、寄り添いながら見守っていく」ことの大切さを指摘する▼進学・進級のシーズン。期待と不安が入り交じる季節でもある。新しい環境へ一歩踏み出す友に、真心のエールを送りたい。
寸鉄 2022年4月1日
飛躍の4月。新生の心で進もう。進学や就職など転機の同志にエールを!
各地で"壮男一体"の取り組み光る。世代を超えた絆で広布の推進力は倍加
「心は大いに歓喜して」法華経。弾む命で友の中へ!対話の万波を私から
取引先や知人装った偽メールの被害多し。添付開くと感染。用心幾重にも
18歳から"大人"に—成人年齢引き下げ。社会担う一員との自覚一段と深く
〈社説〉 2022・4・1 明日から「発達障害啓発週間」
◇自分の"ふつう"を問い直す
明日から「発達障害啓発週間」(8日まで)。発達障がいは、生まれながらの脳の特徴により、発達に偏りがある状態のこと。広い意味では「個性」といえる。
自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、チック症など、発達障がい者はその特性ゆえに周囲から誤解を受けやすく、悪意がないのに結果的にトラブルにつながってしまうことは珍しくない。
一見、"障がい者の言動で周囲の人が困っている"構図になりがちだが、一番困っているのは障がい者自身であり、その家族である。
世界の人口の15%、約12億人が何らかの障がいと共に生きている。2006年に国連で採択された「障害者権利条約」には、障がいは個人の問題ではなく、社会の側が変わらねばならない課題であるとの視座が打ち出されている。
「障害と経済」をテーマに研究を続ける東京大学大学院の松井彰彦教授は、日常生活における「ものの見方」について、"ふつう"を問い直す重要性を訴える。
「社会のきまりも、"平均的な人"に向けてつくられたものばかりであり、そのきまりに適応できない人が『障害者』等と認識される」と述べ、制度上は「障害者/非障害者」という基準で線引きされる場面もあるが、私たちの見方や考え方までもが、二分法になってはならないと警鐘を鳴らす。そして「たとえ同じ人であっても、"この場面では問題ないけれども、別の場面ではサポートが必要だな"というように、柔軟に捉えていく視点が大切」と語る(本紙21年6月18日付)。
顔や体形、性格など、人それぞれ。一人として同じ人間はいない。池田先生は述べている。
「その違いを、『排除しようとする方向』ではなく、『認め合う方向』へと『心のベクトル(方向性)』を変えていくことが大切だね。『みんな〈違う〉って、すばらしい!』ということを教えていかねばならない。多様性があってこそ、社会は、さまざまに力を発揮するのです」
学校や仕事の成績には順番があるかもしれない。しかし、生命に序列はつけられない。誰しもが「一番」なのである。この人間主義の哲学を根本に、思いやる心を広げていけば、もっと優しい社会になるだろう。
☆大白蓮華巻頭言2022年4月号 信頼の大地に幸の花園を
法華経の薬草喩品に、「人華」という美しい一語がある。
アフリカの人道の巌窟王ネルソン・マンデラ翁を五百人の青年たちと熱烈に歓迎した折、この言葉を通して語り合った。
−−色とりどりの花々のごとく、「人華」という人間性の花が個性豊かにして平等に、繚乱と咲き誇る未来を共々に!と。
深く頷かれた、あのマンデラ・スマイルが温かく蘇る。
薬草喩品では、あらゆる草木に分け隔てなく降り注ぐ慈雨のように、妙法の大功力は「無数千万億種の衆生」を差別なく潤し、仏の生命を平等に開花させていくと明かされている。
多様性の尊重と共生という人類の課題を照らす光である。
七十年前、戸田先生が「地球民族主義」の理念を提唱された当時、先生と一緒に深く拝した御聖訓の一節がある。
「我が身に本より、自の仏界、一切衆生の他の仏界、我が身に具せり」−−わが身には、もともと、自分自身の仏界とともに、一切衆生の仏界までも具わっているのである、と。
一人一人の生命が、どれほど尊厳であり、どれほど壮大な広がりを持っていることか。全民衆、全人類、そして全宇宙の仏性ともつながっている。創価の地球民族主義は、かくも深遠な、かくも確固たる生命観に依って立つのである。
ゆえに、いかなる事態にも、我らは怯まず諦めず、自行化他の題目を唱え抜き、立正安国の対話を貫くのだ。仏界の命を呼び顕し、結び合い、地球上に仏国土を築きゆくために!
妙法の慈雨を浴び、変わっていかない人はいない。反発さえも、仏の種が芽吹き、幸の花が育っていく兆しといえる。
今いずこにも、尊き広布の父母たちが汗と涙で耕してきた信頼の大地が広がり、新たな地涌の人華が咲き誇っている。
「信心のこころ全ければ、平等大慧の智水乾くことなし」
大きな大きな賢者の心で、友の生命を満々と潤す対話を!
仏種を蒔く
誇りに燃えて
語り切れ
いまだこりずと
明日の人華へ
☆2022 4月の学会史
◎4・2「第2代会長・戸田城聖先生命日」
1958年(昭和33年)4月2日、第2代会長の戸田城聖先生が広布の一切の願業を成就し、58年の尊い生涯を閉じた。戦後の焦土に一人立ち、初代会長の牧口常三郎先生の遺志を継いで、学会の再建と75万世帯の折伏を達成した戸田先生。その偉大な足跡は、広布史に不滅の光彩を放っている。
※参考資料=小説『人間革命』第12巻「寂光」「新・黎明」、『新・人間革命』第4巻「春嵐」
◎4・2「創価大学開学の日」
1950年(昭和25年)11月、戸田先生は自らの会社が経営不振に陥るなどの窮地にあったが、池田大作先生に、創価大学の設立の希望を語り、その実現を託した。池田先生は師の構想の実現に全生命を注ぎ、71年4月2日、創価大学は開学した。
※参考資料=『新・人間革命』第15巻「創価大学」
◎4・2「第2総東京の日」
幾重にも意義を刻む4月2日は、「第2総東京の日」に定められている。
◎4・8「関西の日」
1956年(昭和31年)4月8日に行われた、大阪・堺2支部連合総会が淵源。池田先生の指揮のもと、1万1111世帯の弘教と「まさかが実現」の勝利史を刻む「大阪の戦い」は、ここからさらに勢いを増した。
※参考資料=『人間革命』第10巻「跳躍」
◎4・20「聖教新聞創刊記念日」
1951年(昭和26年)4月20日、聖教新聞が発行部数5000部、旬刊2ページ建てで創刊。65年7月に日刊化し、71年1月から現在の日刊12ページ建てに。聖教電子版には現在、210カ国・地域からアクセスがあるなど大きく発展した。
※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」、第14巻「大河」、第18巻「師子吼」
◎4・28「立宗の日」
1253年(建長5年)4月28日、日蓮大聖人が32歳の時、末法の全民衆を救う根本の法である「南無妙法蓮華経」を唱え、立宗宣言した。
※参考資料=『人間革命』第6巻「七百年祭」
◎4・28『日蓮大聖人御書全集』発刊70周年
1952年(昭和27年)4月28日、戸田先生の発願により『日蓮大聖人御書全集』が発刊され、本年で70周年となる。2021年11月18日には『日蓮大聖人御書全集 新版』が刊行された。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」、第6巻「七百年祭」
2022.03.31 わが友に贈る
他人と比べるより
自らが歓喜にあふれる
挑戦の日々を!
確固たる幸福境涯こそ
人生を勝ち開く土台だ!
如説修行抄 P502
『かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』
【通解】
敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。
寸鉄 2022年3月31日
「法華を識る者は世法を得べきか」御書。仏法即社会の実証を今いる所で(新146・全254)
「教育本部の日」20周年。創価三代に連なる尊き実践。未来の宝育む旗手と
困難な環境が多いほど心は強く鍛えられる—文豪トルストイ 青年は勇んで試練に挑め
「朝食抜き」はメタボのリスク増—研究。賢明な食生活を。健康人生の基
幼児が消毒液を誤飲する事故相次ぐ。管理は子の目線で。外出先でも注意
名字の言 「この道は われら勝利の 凱旋道」 2022年3月31日
教科書や辞書など、数多く執筆した英語学者の斎藤秀三郎氏。「斯の道の為に、斯の言葉の為に、何人かその全力を尽さざる」をモットーとした▼氏のもとを訪れた人が、研究に没頭する姿に圧倒され、用件を伝えずにその場を去ったこともある。晩年、病床で学んでいた書籍を枕元に並べると、約3メートルもあったという。氏にとって英語研究は生活の全てであり、使命の「道」そのものだった▼小説『人間革命』『新・人間革命』の表紙には、東山魁夷氏の装画が施されている。画伯は幻想的な日本の風景を数多く描いたが、有名な作品の一つが、1950年(昭和25年)に発表した「道」である▼第2次世界大戦の渦中、父を病で亡くした。戦後には母も逝き、弟も病で世を去る。出展した作品が公募展で落選し、経済的な自立もままならず、住む家も定まらなかった。それでも、絶望の崖をよじ登るようにして描き続けた。戦後5年がたって、完成したのが「道」である。池田先生は、画伯の「道」に寄せて句を詠んだ。「この道は われら勝利の 凱旋道」▼世に、さまざまな道がある。この道を進むと決めたならば、どんな山坂や風雪が阻んだとしても歩み通したい。歩んだ道が、振り返ればわが「凱旋道」となる。
〈社説〉 2022・3・31 「教育本部」発足から20年
◇学校・家庭・地域をつなぐ力
2020年度に小学校から始まった新学習指導要領が、中学校での導入(21年度)を経て、あすから高校でもスタートする。まず対象となるのは新1年生からで、年次進行で実施される予定だ。
新要領には、"育むべき資質・能力の三つの柱"が掲げられている。「�学びに向かう力、人間性など」「�知識及び技能」「�思考力、判断力、表現力など」である。特に重視すべきは、�の資質だという。「主体的に学習に取り組む態度」「多様性を尊重する態度」等と定義される。「学びたい」「成長したい」といった意欲であり、「周囲の人と支え合って生きたい」との意思とも言えよう。
予測の困難な時代にあって、�の資質は、��の能力を「どう生かしていくか」を決定づける要素であり、子どもたちが「幸福な人生」を歩むために必要なものとして掲げられたのである。
忘れてはならないのは、「学びに向かう力と人間性」を育む主体者となるのは「学校」だけではない——という点だろう。「家庭」における親子の豊かな関わり、「地域」におけるさまざまな人とのつながりや支えがあってこそ、子どもたちは安心して学び、他者への信頼感も高めることができる。
学会の教育本部が「学校教育」「幼児・家庭教育」「社会教育」の分野を担う3部体制で協働する理由もここにある。同本部が未来本部や地元組織と連携して開催する「家庭教育懇談会」では、"教育本部""保護者""地域の学会員"という3者が同じ目線で悩みや課題を語り合い、子育ての知恵を学び、励まし合う。コロナ禍にあっても、昨年はオンラインも活用して全国1474カ所で約7800人が参加した。どの会場にも脈打つのは、「教育は子どもの幸福のためにある」という創価教育の信念にほかならない。
思えば、教育本部が発足した20年前の2002年3月31日も、子どもたちの「生きる力」を育むことに主眼を置いた新学習指導要領が施行される前日だった。
時代とともに「学びの在り方」は変われど、「子どもの幸福」という目的が変わってはならない。「学校・家庭・地域」をつなぐ力として、教育本部の存在意義はさらに高まっていくだろう。私たちも今いる地域で「子どものために何ができるか」を問いながら、未来の宝に励ましを送りたい。
☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第5回 兵庫の友へ
◇世界広布の模範と輝け!
慈折広布の
栄光の鑑となりゆく
兵庫よ!
その築き上げた
皆の生命の城は
いかなる旋風にも
暴風雨にも
微塵も動ずることなき城だ。
その兵庫の城の中には
正義と青春の喜びが
沸き返り
いかなる
狂い来る嵐にも
厳然として
悠々たるスクラムで
あらゆる迫害を
打ち破る。
一人悠然と
兵庫の同志は
何の遠慮もなく
尊い勝利の栄光の人生を
湧き出だしている。
おお
兵庫!
身を投げて
広布に走る
魂の美しさよ!
おお
兵庫!
役職に関係なく
昼も 夜も
悲しい時も
口惜しき時も
じめじめした心を
振り払い
新しき永遠の
偉大な日の出を迎え光る
兵庫の友よ!
◆◇◆
二十世紀 最後の年の
二月二十九日
私は
夢に見た長田文化会館を
初めて訪問した。
その日は
私の七十五回目の
兵庫訪問の折である。
空前の大災害の渦中
多くの市民の
避難場所となった会館は
傷みも激しく
雑然としていたが
私には
神々しき宝城に見えた。
傷んだ階段を
一歩また一歩
踏みしめて上がった。
そこには
励まし合って生き抜いた
わが誇り高き
賑やかな
創価家族があった。
「大悪をこれば
大善きたる」
「わざはひも転じて
幸となるべし」とは
御聖訓である。
最も苦しんだ所こそが
最も幸福になる。
これが
妙法の法理だ!
◆◇◆
兵庫が勝てば
関西が勝つ!
関西が勝てば
世界が勝つ!
私は
関西を永遠に愛する。
私は
兵庫を永久に愛する。
私とともに
血の滲むような
真剣勝負の活動を展開した
あの人 この人
私は
これからも一生
大法の加護と
福徳の人生を
祈り続けていくだろう。
ゆえに
あなたよ!
兵庫のあなたたちよ!
神戸のあなたたちよ!
日本中
そして
世界中の模範となりて
わが友のために
断じて負けるな!
断じて勝ちゆけ! と
祈りたい。
☆勝ちゆく君へ 第27回 後継の光で社会を照らせ
◇正義の師子の陣列強く
後継飛躍の「3・16」を勝ち飾った一人一人の尊き挑戦に、皆が喝采を送っています。
結んだ仏縁を大切に、創価のスクラムに加わった縁深き宝友と、若き地涌の人間革命の光で社会を照らしていただきたい。
「しばらくの苦こそ候とも、ついにはたのしかるべし」(新1901・全1565)とは南条時光への御指南です。
妙法受持の青年に、乗り越えられない苦難はありません。
戸田先生は"学会は師子の集まりだからこそ、広宣流布を成就できる"と言われました。
一つ一つ立ちはだかる険難は、師子と育つための試練です。
世界の希望たる創価の若師子の陣列を一段と強く築きゆけ!
◇広布とは道を創る戦い
法華経には、仏の異名として「知道者(道を知る者)」「開道者(道を開く者)」「説道者(道を説く者)」と説かれます。
若くして世界第一の生命哲学を持ち、偉大な仏道修行を重ねる皆さんこそ、人間として最も正しき道を学び、語り、開いていける「第一の人」なのです。
新たな伝統を築いてくれた男子部大学校4期生の皆さんも、深き使命の5期生の皆さんも、青春勝利の先駆者です。
日蓮大聖人は、「仏になるみちは善知識にはすぎず」「善知識たいせちなり」(新1940・全1468)と仰せです。
第1回の「華陽カレッジ」から踏み出す、仲良き誓春姉妹の道に、幸の花咲けと祈ります。
(創価新報2022年3月16日付より)
自らが歓喜にあふれる
挑戦の日々を!
確固たる幸福境涯こそ
人生を勝ち開く土台だ!
如説修行抄 P502
『かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』
【通解】
敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。
寸鉄 2022年3月31日
「法華を識る者は世法を得べきか」御書。仏法即社会の実証を今いる所で(新146・全254)
「教育本部の日」20周年。創価三代に連なる尊き実践。未来の宝育む旗手と
困難な環境が多いほど心は強く鍛えられる—文豪トルストイ 青年は勇んで試練に挑め
「朝食抜き」はメタボのリスク増—研究。賢明な食生活を。健康人生の基
幼児が消毒液を誤飲する事故相次ぐ。管理は子の目線で。外出先でも注意
名字の言 「この道は われら勝利の 凱旋道」 2022年3月31日
教科書や辞書など、数多く執筆した英語学者の斎藤秀三郎氏。「斯の道の為に、斯の言葉の為に、何人かその全力を尽さざる」をモットーとした▼氏のもとを訪れた人が、研究に没頭する姿に圧倒され、用件を伝えずにその場を去ったこともある。晩年、病床で学んでいた書籍を枕元に並べると、約3メートルもあったという。氏にとって英語研究は生活の全てであり、使命の「道」そのものだった▼小説『人間革命』『新・人間革命』の表紙には、東山魁夷氏の装画が施されている。画伯は幻想的な日本の風景を数多く描いたが、有名な作品の一つが、1950年(昭和25年)に発表した「道」である▼第2次世界大戦の渦中、父を病で亡くした。戦後には母も逝き、弟も病で世を去る。出展した作品が公募展で落選し、経済的な自立もままならず、住む家も定まらなかった。それでも、絶望の崖をよじ登るようにして描き続けた。戦後5年がたって、完成したのが「道」である。池田先生は、画伯の「道」に寄せて句を詠んだ。「この道は われら勝利の 凱旋道」▼世に、さまざまな道がある。この道を進むと決めたならば、どんな山坂や風雪が阻んだとしても歩み通したい。歩んだ道が、振り返ればわが「凱旋道」となる。
〈社説〉 2022・3・31 「教育本部」発足から20年
◇学校・家庭・地域をつなぐ力
2020年度に小学校から始まった新学習指導要領が、中学校での導入(21年度)を経て、あすから高校でもスタートする。まず対象となるのは新1年生からで、年次進行で実施される予定だ。
新要領には、"育むべき資質・能力の三つの柱"が掲げられている。「�学びに向かう力、人間性など」「�知識及び技能」「�思考力、判断力、表現力など」である。特に重視すべきは、�の資質だという。「主体的に学習に取り組む態度」「多様性を尊重する態度」等と定義される。「学びたい」「成長したい」といった意欲であり、「周囲の人と支え合って生きたい」との意思とも言えよう。
予測の困難な時代にあって、�の資質は、��の能力を「どう生かしていくか」を決定づける要素であり、子どもたちが「幸福な人生」を歩むために必要なものとして掲げられたのである。
忘れてはならないのは、「学びに向かう力と人間性」を育む主体者となるのは「学校」だけではない——という点だろう。「家庭」における親子の豊かな関わり、「地域」におけるさまざまな人とのつながりや支えがあってこそ、子どもたちは安心して学び、他者への信頼感も高めることができる。
学会の教育本部が「学校教育」「幼児・家庭教育」「社会教育」の分野を担う3部体制で協働する理由もここにある。同本部が未来本部や地元組織と連携して開催する「家庭教育懇談会」では、"教育本部""保護者""地域の学会員"という3者が同じ目線で悩みや課題を語り合い、子育ての知恵を学び、励まし合う。コロナ禍にあっても、昨年はオンラインも活用して全国1474カ所で約7800人が参加した。どの会場にも脈打つのは、「教育は子どもの幸福のためにある」という創価教育の信念にほかならない。
思えば、教育本部が発足した20年前の2002年3月31日も、子どもたちの「生きる力」を育むことに主眼を置いた新学習指導要領が施行される前日だった。
時代とともに「学びの在り方」は変われど、「子どもの幸福」という目的が変わってはならない。「学校・家庭・地域」をつなぐ力として、教育本部の存在意義はさらに高まっていくだろう。私たちも今いる地域で「子どものために何ができるか」を問いながら、未来の宝に励ましを送りたい。
☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第5回 兵庫の友へ
◇世界広布の模範と輝け!
慈折広布の
栄光の鑑となりゆく
兵庫よ!
その築き上げた
皆の生命の城は
いかなる旋風にも
暴風雨にも
微塵も動ずることなき城だ。
その兵庫の城の中には
正義と青春の喜びが
沸き返り
いかなる
狂い来る嵐にも
厳然として
悠々たるスクラムで
あらゆる迫害を
打ち破る。
一人悠然と
兵庫の同志は
何の遠慮もなく
尊い勝利の栄光の人生を
湧き出だしている。
おお
兵庫!
身を投げて
広布に走る
魂の美しさよ!
おお
兵庫!
役職に関係なく
昼も 夜も
悲しい時も
口惜しき時も
じめじめした心を
振り払い
新しき永遠の
偉大な日の出を迎え光る
兵庫の友よ!
◆◇◆
二十世紀 最後の年の
二月二十九日
私は
夢に見た長田文化会館を
初めて訪問した。
その日は
私の七十五回目の
兵庫訪問の折である。
空前の大災害の渦中
多くの市民の
避難場所となった会館は
傷みも激しく
雑然としていたが
私には
神々しき宝城に見えた。
傷んだ階段を
一歩また一歩
踏みしめて上がった。
そこには
励まし合って生き抜いた
わが誇り高き
賑やかな
創価家族があった。
「大悪をこれば
大善きたる」
「わざはひも転じて
幸となるべし」とは
御聖訓である。
最も苦しんだ所こそが
最も幸福になる。
これが
妙法の法理だ!
◆◇◆
兵庫が勝てば
関西が勝つ!
関西が勝てば
世界が勝つ!
私は
関西を永遠に愛する。
私は
兵庫を永久に愛する。
私とともに
血の滲むような
真剣勝負の活動を展開した
あの人 この人
私は
これからも一生
大法の加護と
福徳の人生を
祈り続けていくだろう。
ゆえに
あなたよ!
兵庫のあなたたちよ!
神戸のあなたたちよ!
日本中
そして
世界中の模範となりて
わが友のために
断じて負けるな!
断じて勝ちゆけ! と
祈りたい。
☆勝ちゆく君へ 第27回 後継の光で社会を照らせ
◇正義の師子の陣列強く
後継飛躍の「3・16」を勝ち飾った一人一人の尊き挑戦に、皆が喝采を送っています。
結んだ仏縁を大切に、創価のスクラムに加わった縁深き宝友と、若き地涌の人間革命の光で社会を照らしていただきたい。
「しばらくの苦こそ候とも、ついにはたのしかるべし」(新1901・全1565)とは南条時光への御指南です。
妙法受持の青年に、乗り越えられない苦難はありません。
戸田先生は"学会は師子の集まりだからこそ、広宣流布を成就できる"と言われました。
一つ一つ立ちはだかる険難は、師子と育つための試練です。
世界の希望たる創価の若師子の陣列を一段と強く築きゆけ!
◇広布とは道を創る戦い
法華経には、仏の異名として「知道者(道を知る者)」「開道者(道を開く者)」「説道者(道を説く者)」と説かれます。
若くして世界第一の生命哲学を持ち、偉大な仏道修行を重ねる皆さんこそ、人間として最も正しき道を学び、語り、開いていける「第一の人」なのです。
新たな伝統を築いてくれた男子部大学校4期生の皆さんも、深き使命の5期生の皆さんも、青春勝利の先駆者です。
日蓮大聖人は、「仏になるみちは善知識にはすぎず」「善知識たいせちなり」(新1940・全1468)と仰せです。
第1回の「華陽カレッジ」から踏み出す、仲良き誓春姉妹の道に、幸の花咲けと祈ります。
(創価新報2022年3月16日付より)
2022年3月30日水曜日
2022.03.30 わが友に贈る
いよいよ新年度。
この1年を振り返り
なすべきことの整理を。
足元固める万全の準備が
新たな勝利の因となる!
呵責謗法滅罪抄 P1126
『日蓮だにも是くの如く侍るに前後も弁へざる女人なんどの各仏法を見ほどかせ給わぬが何程か日蓮に付いてくやしとおぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏に只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し』
【通解】
日蓮でさえも、このようであるのに、物事の前後もつきかねる女人等、仏法を理解していないあなた方が、どれほどか日蓮に付き従ったことを後悔しているかと思うと、実に心苦しかったのである。しかし案に相違して日蓮よりも強盛の信心であると聞き、これは全くただごとではない。教主釈尊があなた方の心に入り替わられたのではないか、と思えて感涙押えがたいほどであった。
名字の言 花は太陽に向かって咲く 2022年3月30日
花の本当の美しさを知るには、上から見なければならない、と論じたのは思想家・内村鑑三だった。理由は"草木は人に見られようとして咲くのではない。生命の源である太陽に向かって、あたかもその恩に報いるように花を開くからだ"と▼そして"それは花だけではなく、人も同様である"と、内村は言及した(『内村鑑三著作集』岩波書店)。人生の真実の輝きは、周囲の評判よりも、支えてもらった恩に報いる中にあろう▼中学・高校時代に不登校を経験した男子部員。気遣う周囲の人たちに応えたいと思うものの、当時、状況を変えられない自分にふがいなさを感じる日々が続いた▼そんな中、池田先生の言葉に出合う。「たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない」。彼は"自分以上に僕の可能性を信じ抜いてくれる池田先生、そして家族や同志がいる"と実感し、奮い立った。その後、通信教育で大学を卒業し、小学校教諭に。「全ての悩みは、人生開花のための滋養にできると確信します」と語る▼気候は暖かく、花々が咲き誇る時季。総本部の桜も満開になった。報恩に徹する人生も、時が来れば、必ず自分らしく花開く。
寸鉄 2022年3月30日
池田先生の青年室長就任の日。若師子よ一切を担い立て!共戦の誇り高く
中国方面「師弟正義の日」わが胸に燃える開拓魂。勇敢に希望の対話を拡大
人を育てるには、君自身が戦うこと—戸田先生。率先の奮闘で突破口開け
転入出の友に温かな声掛けを。新天地での創価家族の絆は支え。共に飛躍
レジ袋流通量が半減と。持続可能な未来へ一歩ずつ。意識と行動の変革を
〈社説〉 2022・3・30 深刻な人道危機を憂慮
◇同苦と利他の精神で対話を
ウクライナでの戦火がいまだに止まない。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、国外避難者が380万人を超える一方、国内で避難生活をしている人は650万人を数え、国内で避難できずにとどまっている人は1300万人に上ると推定される。
"第2次世界大戦後の欧州における最大の人道危機"といわれる深刻な事態だ。
戦火の中、難民・避難民の支援に奔走する国連や各国の市民団体など、関係者の献身に深い敬意を表したい。
また、即時停戦と部隊の撤退へ向け、関係諸国と国連のさらなる外交努力を強く念願するとともに、一刻も早い終息を一層、真剣に祈りたい。
ウクライナから避難している人の約9割は、女性と子どもである。紛争が起これば、しわ寄せはそうした人々や高齢者、病床の人に及び、争いの数だけ、故郷を追われる難民も増えていく。
世界の難民・避難民は昨年6月時点で既に8400万人を超えていた。
国連難民高等弁務官として奔走した故・緒方貞子さんは、難民の増加に危機感を募らせ、たびたびメッセージを発信していた。
「日本には人道大国になってもらいたい、(中略)キーワードは『ソリダリティー(連帯)』だと思っています。遠い国の人びとに対して連帯感が持てるかどうかが鍵です」(『私の仕事』朝日文庫)
創価学会はこれまでに、紛争の爪痕が残る地域での難民への支援活動を後押しするとともに、各種展示を国内外で開催し、難民救援へ世論を啓発。
一方で、国家や民族の差異を超えた「地球民族主義」の思想に根差した友好対話を世界に広げてきた。
その根底は、仏法の人間主義を基調とした、苦しむ人への同苦の心と他者を敬い慈しむ利他の精神にほかならない。
2018年にノーベル平和賞を受賞した、アフリカ・コンゴ民主共和国の婦人科医デニ・ムクウェゲ氏のドキュメンタリー映画が、今月から日本で公開されている。
その最後に氏は、来日した際に感化を受けた日本語を紹介していた。
「RITA(利他)。これこそ、私が大切にしたい社会の価値なのです。世界中の人にRITAの考え方をもってほしい」(趣旨)
困難の壁は厚いが、身近な対話から、平和と人道の連帯を社会の基底部に築きゆく挑戦を続けていきたい。
同時に即時停戦、即時撤退を重ねて訴えるものである。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 未来の宝
◇皆が偉大な使命の人
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は折々の指導から、未来部への励ましの言葉を紹介します。
◇友情は自分から
「相手が自分のことを思ってくれる」から友情なのではない。「相手が裏切らない」間だけ友情が成り立つのでもない。「自分が相手を思う」からこそ、友情なのです。たとえ相手に裏切られても「自分が裏切らない」なら、友情なのです。
(『希望対話』〈普及版〉、47ページ)
◇青春に失敗なし
青春に、取り返しのつかないことなど絶対にない。むしろ、青春の失敗とは、失敗を恐れて挑戦しないことです。また、自分で自分をあきらめてしまうことです。
(『青春対話1』〈普及版〉、42ページ)
◇明日勝てばいい
たとえ、1度は負けても、次に勝てばいい。今日負けても、明日勝てばいい。100戦して99回負けたとしても、最後に勝てば勝利なのです。
(『未来の翼』、136ページ)
◇「諸君を信じる」
たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない。だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる。
(『青春対話1』〈普及版〉、44ページ)
◇心を決めて挑戦
勉強は苦手だなあ、好きな科目がないなあと思っている人も、心を決めてまず一つ、じっくり挑戦してみると、必ずわかるようになります。そうすれば、がんばることが楽しくなる。
(『希望の虹』、26ページ)
◇「ありのまま」で
「ありのまま」になやみ、祈り、また胸をはって挑戦していく——そうすることで、自分の心がみがかれる。心の中の宝物が光っていく。きみの、あなたの「いいところ」が、必ず見えてくるのです。
(『希望の虹』、68ページ)
◇名著は人類の財
名著は人類の共通の財産です。それを心に刻んでおくことは、どんな人とも自在に語り合える力になります。
(『未来対話』、183ページ)
◇自ら選んできた
親子の縁は不思議であり、深い意味がある。みんな、偉大な使命を果たさんがために、自分の親を選んで生まれてきたんだ。
だからこそ、親を大切にすることは、生まれてきたこと、生きることへの感謝の表れです。親孝行しようという心は、自身の生命を大きく開くことになるのです。
(『未来対話』、106ページ)
◇負けずにバネに
人間、だれでも、何かコンプレックスをもっている。「あの人が……」と思うような人でも、もっている。要は、それに「負けない」ことだ。
どんなコンプレックスがあっても、それをバネにし、じっとこらえて「今に見ろ!」と自分を励ましながら進むのです。
(『青春対話2』〈普及版〉、340ページ)
◇悩みは成長の印
成長しようとする人には、必ず苦しみやなやみの嵐が吹き荒れます。成長しているからこそなやむのです。その時は、とてもつらいかもしれないけれど、なやみは自分自身が大きく成長している証明なのです。
(『希望の虹』、118ページ)
◇就職はスタート
就職は自分を発掘するための「スタート」であって、決して「ゴール」ではない。あせる必要はない。あせらず、休まず、へこたれずに、大切な自分の一生の坂を上っていくのです。
(『青春対話1』〈普及版〉、110ページ)
この1年を振り返り
なすべきことの整理を。
足元固める万全の準備が
新たな勝利の因となる!
呵責謗法滅罪抄 P1126
『日蓮だにも是くの如く侍るに前後も弁へざる女人なんどの各仏法を見ほどかせ給わぬが何程か日蓮に付いてくやしとおぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏に只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し』
【通解】
日蓮でさえも、このようであるのに、物事の前後もつきかねる女人等、仏法を理解していないあなた方が、どれほどか日蓮に付き従ったことを後悔しているかと思うと、実に心苦しかったのである。しかし案に相違して日蓮よりも強盛の信心であると聞き、これは全くただごとではない。教主釈尊があなた方の心に入り替わられたのではないか、と思えて感涙押えがたいほどであった。
名字の言 花は太陽に向かって咲く 2022年3月30日
花の本当の美しさを知るには、上から見なければならない、と論じたのは思想家・内村鑑三だった。理由は"草木は人に見られようとして咲くのではない。生命の源である太陽に向かって、あたかもその恩に報いるように花を開くからだ"と▼そして"それは花だけではなく、人も同様である"と、内村は言及した(『内村鑑三著作集』岩波書店)。人生の真実の輝きは、周囲の評判よりも、支えてもらった恩に報いる中にあろう▼中学・高校時代に不登校を経験した男子部員。気遣う周囲の人たちに応えたいと思うものの、当時、状況を変えられない自分にふがいなさを感じる日々が続いた▼そんな中、池田先生の言葉に出合う。「たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない」。彼は"自分以上に僕の可能性を信じ抜いてくれる池田先生、そして家族や同志がいる"と実感し、奮い立った。その後、通信教育で大学を卒業し、小学校教諭に。「全ての悩みは、人生開花のための滋養にできると確信します」と語る▼気候は暖かく、花々が咲き誇る時季。総本部の桜も満開になった。報恩に徹する人生も、時が来れば、必ず自分らしく花開く。
寸鉄 2022年3月30日
池田先生の青年室長就任の日。若師子よ一切を担い立て!共戦の誇り高く
中国方面「師弟正義の日」わが胸に燃える開拓魂。勇敢に希望の対話を拡大
人を育てるには、君自身が戦うこと—戸田先生。率先の奮闘で突破口開け
転入出の友に温かな声掛けを。新天地での創価家族の絆は支え。共に飛躍
レジ袋流通量が半減と。持続可能な未来へ一歩ずつ。意識と行動の変革を
〈社説〉 2022・3・30 深刻な人道危機を憂慮
◇同苦と利他の精神で対話を
ウクライナでの戦火がいまだに止まない。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、国外避難者が380万人を超える一方、国内で避難生活をしている人は650万人を数え、国内で避難できずにとどまっている人は1300万人に上ると推定される。
"第2次世界大戦後の欧州における最大の人道危機"といわれる深刻な事態だ。
戦火の中、難民・避難民の支援に奔走する国連や各国の市民団体など、関係者の献身に深い敬意を表したい。
また、即時停戦と部隊の撤退へ向け、関係諸国と国連のさらなる外交努力を強く念願するとともに、一刻も早い終息を一層、真剣に祈りたい。
ウクライナから避難している人の約9割は、女性と子どもである。紛争が起これば、しわ寄せはそうした人々や高齢者、病床の人に及び、争いの数だけ、故郷を追われる難民も増えていく。
世界の難民・避難民は昨年6月時点で既に8400万人を超えていた。
国連難民高等弁務官として奔走した故・緒方貞子さんは、難民の増加に危機感を募らせ、たびたびメッセージを発信していた。
「日本には人道大国になってもらいたい、(中略)キーワードは『ソリダリティー(連帯)』だと思っています。遠い国の人びとに対して連帯感が持てるかどうかが鍵です」(『私の仕事』朝日文庫)
創価学会はこれまでに、紛争の爪痕が残る地域での難民への支援活動を後押しするとともに、各種展示を国内外で開催し、難民救援へ世論を啓発。
一方で、国家や民族の差異を超えた「地球民族主義」の思想に根差した友好対話を世界に広げてきた。
その根底は、仏法の人間主義を基調とした、苦しむ人への同苦の心と他者を敬い慈しむ利他の精神にほかならない。
2018年にノーベル平和賞を受賞した、アフリカ・コンゴ民主共和国の婦人科医デニ・ムクウェゲ氏のドキュメンタリー映画が、今月から日本で公開されている。
その最後に氏は、来日した際に感化を受けた日本語を紹介していた。
「RITA(利他)。これこそ、私が大切にしたい社会の価値なのです。世界中の人にRITAの考え方をもってほしい」(趣旨)
困難の壁は厚いが、身近な対話から、平和と人道の連帯を社会の基底部に築きゆく挑戦を続けていきたい。
同時に即時停戦、即時撤退を重ねて訴えるものである。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 未来の宝
◇皆が偉大な使命の人
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は折々の指導から、未来部への励ましの言葉を紹介します。
◇友情は自分から
「相手が自分のことを思ってくれる」から友情なのではない。「相手が裏切らない」間だけ友情が成り立つのでもない。「自分が相手を思う」からこそ、友情なのです。たとえ相手に裏切られても「自分が裏切らない」なら、友情なのです。
(『希望対話』〈普及版〉、47ページ)
◇青春に失敗なし
青春に、取り返しのつかないことなど絶対にない。むしろ、青春の失敗とは、失敗を恐れて挑戦しないことです。また、自分で自分をあきらめてしまうことです。
(『青春対話1』〈普及版〉、42ページ)
◇明日勝てばいい
たとえ、1度は負けても、次に勝てばいい。今日負けても、明日勝てばいい。100戦して99回負けたとしても、最後に勝てば勝利なのです。
(『未来の翼』、136ページ)
◇「諸君を信じる」
たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない。だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる。
(『青春対話1』〈普及版〉、44ページ)
◇心を決めて挑戦
勉強は苦手だなあ、好きな科目がないなあと思っている人も、心を決めてまず一つ、じっくり挑戦してみると、必ずわかるようになります。そうすれば、がんばることが楽しくなる。
(『希望の虹』、26ページ)
◇「ありのまま」で
「ありのまま」になやみ、祈り、また胸をはって挑戦していく——そうすることで、自分の心がみがかれる。心の中の宝物が光っていく。きみの、あなたの「いいところ」が、必ず見えてくるのです。
(『希望の虹』、68ページ)
◇名著は人類の財
名著は人類の共通の財産です。それを心に刻んでおくことは、どんな人とも自在に語り合える力になります。
(『未来対話』、183ページ)
◇自ら選んできた
親子の縁は不思議であり、深い意味がある。みんな、偉大な使命を果たさんがために、自分の親を選んで生まれてきたんだ。
だからこそ、親を大切にすることは、生まれてきたこと、生きることへの感謝の表れです。親孝行しようという心は、自身の生命を大きく開くことになるのです。
(『未来対話』、106ページ)
◇負けずにバネに
人間、だれでも、何かコンプレックスをもっている。「あの人が……」と思うような人でも、もっている。要は、それに「負けない」ことだ。
どんなコンプレックスがあっても、それをバネにし、じっとこらえて「今に見ろ!」と自分を励ましながら進むのです。
(『青春対話2』〈普及版〉、340ページ)
◇悩みは成長の印
成長しようとする人には、必ず苦しみやなやみの嵐が吹き荒れます。成長しているからこそなやむのです。その時は、とてもつらいかもしれないけれど、なやみは自分自身が大きく成長している証明なのです。
(『希望の虹』、118ページ)
◇就職はスタート
就職は自分を発掘するための「スタート」であって、決して「ゴール」ではない。あせる必要はない。あせらず、休まず、へこたれずに、大切な自分の一生の坂を上っていくのです。
(『青春対話1』〈普及版〉、110ページ)
2022年3月29日火曜日
2022.03.29 わが友に贈る
陰で黙々と支える
誉れの同志がいる。
仏に等しい尊き人だ。
その陰徳に陽報は厳然!
皆で感謝と称賛を!
月満御前御書 P1110
『譬えば雷の音耳しいの為に聞く事なく日月の光り目くらの為に見る事なし』
【通解】
たとえば、雷の音も耳の聞こえない人には聞こえないし、日月の光りも盲目の人には見ることができない。
名字の言 初代・中村吉右衛門が肝に銘じたこと 2022年3月29日
歌舞伎「熊谷陣屋」に登場する源氏の武将・熊谷直実は、初代・中村吉右衛門の当たり役だった。吉右衛門は常に肝に銘じたという。自分は何度も直実を舞台で演じたが、当の直実本人が、このしぐさをし、言葉を発したのは「一生に一度しかない」出来事なのだ、と(小宮豊隆『中村吉右衛門』岩波書店)▼技巧が光る円熟の演技を見せようとするより、この時、ここで"一生に一度"しかなかった直実の思いに肉薄する。それでこそ「本当の心情」が表現できるのだろう▼多宝会の女性から便りを頂いた。手紙は「わが家の杏の花も咲き始めました」と結ばれていた▼彼女は昨年、夫を亡くした。励ます同志に「大丈夫よ」と気丈に振る舞ってはいたが、言い知れぬ悲しみもあったに違いない。明るく自身を鼓舞するように友と力強く広布に歩み続けた。そんな中、身も心も上向いた、その視線の先に見えた"杏の花"。それは例年の春の情景とは違って見えたろう。手紙の結びは、人生の一つの冬を勝ち越えた、彼女の今の心情を物語っていた▼先日、彼女から改めて電話があった。「人生は、一生に一度しかない『今』を生きること。全てが一期一会の出来事です。この瞬間瞬間を大事に生きていきます」
寸鉄 2022年3月29日
広布は一対一の膝詰めの対話から—戸田先生。縁した一人を断じて味方に
東京・目黒の日。激戦を勝ち越え、光る師弟城。仏法は勝負!新たな峰へ
「南無妙法蓮華経は福智の二法なり」御書。福徳と智慧の泉は強盛な祈りに(新1104・全792)
防災バッグ・停電対策の備えなしが6割—調査。教訓は実践に移してこそ
子の交通事故、飛び出しが3割と。"止まる・見る・待つ"等を家庭で確認
☆創価大学・女子短期大学卒業式への池田先生のメッセージ
一、わが誉れの創価大学48期生、短大36期生、ならびに通信教育部の皆さん、さらに大学院生、そして世界各国・各地域の尊き留学生の皆さん、コロナ禍等の艱難の冬を越え、誇り高き青春凱歌の卒業、誠におめでとう!
本日、授与される栄光の学位記を、どうか、共に試練を勝ち越えてきた、ご家族と分かち合ってください。皆さんとご家族が、いよいよ未来へ「学の光」に包まれ、何ものにも負けず勝ち栄えていく証しだからであります。
幾重にも心を砕き、一人一人の大学生活を支え励まし続けてくださった教員の先生方、職員をはじめ関係者の方々、本当にありがとうございます!
一、私が、20世紀最高峰の歴史学者トインビー博士と対談を開始したのは、1972年、創価大学開学の翌年であります。以来50年、世界の知性との対話に全て創大創立者として臨んできました。文明と文明を結ぶ橋を架け、人類の未来を照らす普遍の英知を、不二の君たちに託すためであります。
トインビー博士のご紹介で語らいを重ねたローマクラブ創設者のペッチェイ博士と論じ合ったビジョンを、今日は改めて申し上げたい。
すなわち、今こそ、地球環境の緊迫した状況を十分に踏まえた「新たな生命の哲学」を構築し、平和と非暴力を根底とした「知恵の柱」を確立することだ、と。
そして博士と私は、どんなに困難な時代にあっても、決して打ちひしがれない希望がある。それは、一人一人の人間が、いまだ開発されていない学習能力や人間性、創造性、団結力など最も奥深い資質を、「人間革命」によって発揮することだ。そこにこそ、人類の幸福を勝ち開く逆転劇があると一致しました。
この理想へ断固と不屈の挑戦を貫いていくのが、我らの大連帯なのであります。
◇勇気・誠実・忍耐で自身の足元から世界市民のネットワークを
一、皆さん自身が、これから躍り出る使命の職場で、地域で、社会で、若き創価の「知恵の柱」として、胸を張って生き生きと逞しく価値創造の光を放ってください。
そして、皆さんに最大の信頼を寄せる善意の民衆と心を一つに、「人間革命」のパイオニアとして、自らの足元から平和・文化・教育の世界市民のネットワークを、勇気に燃え、誠実に忍耐強く、創り広げていただきたいのであります。
アフリカの環境の母マータイ博士は、あの大らかな笑顔で語られました。"何かを変えたいならば、自分自身から変えましょう! 未来は、今この時から生まれます"と。
最後に、創立50周年を堂々と飾ってくれた皆さん方に満腔の感謝を込め——
艱難に
勝る教育
なきゆえに
賢者の君たち
凱歌の大道征け
と贈ります。
私の無上の宝である皆さんの健康と幸福、友情と和楽、そして何があっても負けじ魂光る希望と勝利の人生を、私は妻と祈り抜いてまいります。お元気で!
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:女性の権利の向上
登場人物
【娘・ミライさん】好奇心旺盛な女性部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【父・ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇差異を超えて認め合う時代を
ミライ 米ニューヨークの国連本部で「国連女性の地位委員会」が開催されているね(今月25日まで)。
ホープ 各国政府代表者が、性差別の課題と、解消に向けた行動を協議・決議する場なんだ。SGI(創価学会インタナショナル)の代表も参加しているよ。議論の中では、気候変動や防災といった分野で、女性が果たす役割も確認されているね。
ミライ 女性と少女の人権保障をうたった、1995年(平成7年)の「北京宣言」から27年たった今も、男女平等の実現には課題があるよね。
男女平等がどれだけ実現できているかを数値化した「ジェンダー・ギャップ指数」によると、日本は156カ国中で120位だったね(2021年、世界経済フォーラム)。
SDGs(持続可能な開発目標)が普及する中で、「ジェンダー平等」について意識する人も増えてきたんじゃないかな。
ホープ ジェンダーとは、「社会的・文化的につくられた性差」の意味だね。
長い歴史の中で、女性は虐げられ、尊厳を冒されてきた。そういう事実は、いまだに世界中にあるんだ。
例えば、近年においても、年間1200万人もの18歳未満の女性が、結婚を強いられているといわれているんだ(2018年、国連児童基金〈ユニセフ〉)。
新型コロナウイルスの影響で、学校が休校し、女性への家庭内暴力が増加したり、女性の家庭内労働が大幅に増えたりするなど、ジェンダーの不平等がさらに拡大しているとの指摘もあるよ。
◇成仏観の大転換
ミライ 悲しい歴史を転換し、女性の権利が向上する時代をつくりたいと、心から思うよ。
ところで、仏法では女性の成仏をどう説いているの?
ホープ 法華経以外の経典では、女性は成仏できないとされていたんだ。法華経以前に説かれた爾前経には、「改転の成仏」といって、女性が男性に生まれ変わらないと成仏できないと説かれていたんだよ。
ミライ そんな差別があったなんて……。
ホープ 法華経提婆達多品では、「竜女」が周囲に即身成仏の姿を見せたんだ。
同品では、竜女が「変成男子(変じて男子と成って)」(法華経409ページ)と、いったん、男性の姿に変わったと記されているけど、池田先生は、この意義について教えてくださっているよ。
「変成男子は、舎利弗をはじめ、成仏は男性に限られると思い込んでいた人々に対して、竜女が成仏したことを、分かりやすく示すための方便にすぎないでしょう。男性にならなければ成仏できないという意味ではないのです」(『法華経の智慧』)
法華経が説く女人成仏は、即身成仏、女性の身そのままで成仏できるということなんだ。
ミライ 当時からしたら、成仏観の大転換だっただろうね。
ホープ 旧来の価値観を打ち破り、女人成仏を明かしたのが法華経。その真意は一切衆生の成仏であり、一番苦しんでいる人を幸福にすることにあるんだ。
日蓮大聖人は「一代聖教の中には法華経第一、法華経の中には女人成仏第一なり」(新1738・全1311)と仰せだよ。
大聖人は、男女の成仏の可能性について差別を設けていないことが分かるね。
さらに、大聖人は法華経に基づいて、従来の仏教の女性観でもある「三従(親・夫・子に従う)」を明確に否定されているんだ(新1264・全934)。大聖人御在世の時代背景からすれば、画期的なことだったといえるね。
◇皆が対等な人
ミライ 大聖人が掲げられた、万人の生命の尊厳を社会に展開しようと、創価学会はこれまで、女性をテーマとする講演会や展示などを開催してきたね。
創価学会女性平和委員会は今、子どもの権利に関する意識啓発の一環として、中高生世代の子どもを対象にしたオンラインアンケートを推進しているよ(本年8月まで。こちらからアンケートにアクセスできます)。
ホープ 昨年11月に制定された「創価学会社会憲章」には、「あらゆる形態の差別に対し反対する」「ジェンダー平等の実現と女性のエンパワーメントの推進に貢献する」と掲げられているね。
ミライ 性別や生まれなど、一切の差異を超えて、誰もが尊い存在であるという精神を広めていきたいと強く思うよ!
ホープ そうだね。一人一人の違いや特質を互いに認めつつも、それらが役割として固定化されないよう、また、差別につながらないよう、柔軟な視点が大切になってくるよね。
皆が対等な人として認め合えるよう、社会の課題を一つ一つ解決していこう。
◇御文
『一代聖教の中には法華経第一、法華経の中には女人成仏第一なり』(千日尼御前御返事、新1738・全1311)
◇メモ
女性門下・千日尼は、"女性は成仏できない"との当時の常識に悩みを抱きつつも、女人成仏を説く日蓮大聖人の励ましを心の支えにしていました。
大聖人は、この御文を通して、妙法を持つ女性が必ず幸福になることを訴えられています。
大聖人の励ましを胸に、多くの女性門下が信心を貫き、苦難を乗り越えていったのです。
◇[コラム:"いま"を知る]無意識の偏見
「男なんだから」「女性らしく」——こうした言葉は、時に相手を型にはめて、抑圧してしまう。性別や出自など、属性だけで人を正しく把握できるわけはない。
けれども誰もが、生まれ育った環境や時代の制約を受け、"あるべき像"を心に抱いている。特に、自身が知らない対象には、先入観が肥大してしまいがちだ。問題なのは、自分では気付かないまま、偏った見方や思い込みに陥る「無意識の偏見」(アンコンシャス・バイアス)にとらわれ、誰かを傷つけていないかという点だ。
仏法では、ありのままの真実を見ることを「如実知見」と説く。どんな人にも具わる、尊極な生命への温かいまなざしといえる。その平等な生命観を育む実践こそ、胸襟を開いた対話だ。
目の前の一人の「心音」に耳を傾け、相手をより深く知っていく。その積み重ねを通して、偏見が払われ、相手の心に届く言葉が紡ぎ出されるのだ。
誉れの同志がいる。
仏に等しい尊き人だ。
その陰徳に陽報は厳然!
皆で感謝と称賛を!
月満御前御書 P1110
『譬えば雷の音耳しいの為に聞く事なく日月の光り目くらの為に見る事なし』
【通解】
たとえば、雷の音も耳の聞こえない人には聞こえないし、日月の光りも盲目の人には見ることができない。
名字の言 初代・中村吉右衛門が肝に銘じたこと 2022年3月29日
歌舞伎「熊谷陣屋」に登場する源氏の武将・熊谷直実は、初代・中村吉右衛門の当たり役だった。吉右衛門は常に肝に銘じたという。自分は何度も直実を舞台で演じたが、当の直実本人が、このしぐさをし、言葉を発したのは「一生に一度しかない」出来事なのだ、と(小宮豊隆『中村吉右衛門』岩波書店)▼技巧が光る円熟の演技を見せようとするより、この時、ここで"一生に一度"しかなかった直実の思いに肉薄する。それでこそ「本当の心情」が表現できるのだろう▼多宝会の女性から便りを頂いた。手紙は「わが家の杏の花も咲き始めました」と結ばれていた▼彼女は昨年、夫を亡くした。励ます同志に「大丈夫よ」と気丈に振る舞ってはいたが、言い知れぬ悲しみもあったに違いない。明るく自身を鼓舞するように友と力強く広布に歩み続けた。そんな中、身も心も上向いた、その視線の先に見えた"杏の花"。それは例年の春の情景とは違って見えたろう。手紙の結びは、人生の一つの冬を勝ち越えた、彼女の今の心情を物語っていた▼先日、彼女から改めて電話があった。「人生は、一生に一度しかない『今』を生きること。全てが一期一会の出来事です。この瞬間瞬間を大事に生きていきます」
寸鉄 2022年3月29日
広布は一対一の膝詰めの対話から—戸田先生。縁した一人を断じて味方に
東京・目黒の日。激戦を勝ち越え、光る師弟城。仏法は勝負!新たな峰へ
「南無妙法蓮華経は福智の二法なり」御書。福徳と智慧の泉は強盛な祈りに(新1104・全792)
防災バッグ・停電対策の備えなしが6割—調査。教訓は実践に移してこそ
子の交通事故、飛び出しが3割と。"止まる・見る・待つ"等を家庭で確認
☆創価大学・女子短期大学卒業式への池田先生のメッセージ
一、わが誉れの創価大学48期生、短大36期生、ならびに通信教育部の皆さん、さらに大学院生、そして世界各国・各地域の尊き留学生の皆さん、コロナ禍等の艱難の冬を越え、誇り高き青春凱歌の卒業、誠におめでとう!
本日、授与される栄光の学位記を、どうか、共に試練を勝ち越えてきた、ご家族と分かち合ってください。皆さんとご家族が、いよいよ未来へ「学の光」に包まれ、何ものにも負けず勝ち栄えていく証しだからであります。
幾重にも心を砕き、一人一人の大学生活を支え励まし続けてくださった教員の先生方、職員をはじめ関係者の方々、本当にありがとうございます!
一、私が、20世紀最高峰の歴史学者トインビー博士と対談を開始したのは、1972年、創価大学開学の翌年であります。以来50年、世界の知性との対話に全て創大創立者として臨んできました。文明と文明を結ぶ橋を架け、人類の未来を照らす普遍の英知を、不二の君たちに託すためであります。
トインビー博士のご紹介で語らいを重ねたローマクラブ創設者のペッチェイ博士と論じ合ったビジョンを、今日は改めて申し上げたい。
すなわち、今こそ、地球環境の緊迫した状況を十分に踏まえた「新たな生命の哲学」を構築し、平和と非暴力を根底とした「知恵の柱」を確立することだ、と。
そして博士と私は、どんなに困難な時代にあっても、決して打ちひしがれない希望がある。それは、一人一人の人間が、いまだ開発されていない学習能力や人間性、創造性、団結力など最も奥深い資質を、「人間革命」によって発揮することだ。そこにこそ、人類の幸福を勝ち開く逆転劇があると一致しました。
この理想へ断固と不屈の挑戦を貫いていくのが、我らの大連帯なのであります。
◇勇気・誠実・忍耐で自身の足元から世界市民のネットワークを
一、皆さん自身が、これから躍り出る使命の職場で、地域で、社会で、若き創価の「知恵の柱」として、胸を張って生き生きと逞しく価値創造の光を放ってください。
そして、皆さんに最大の信頼を寄せる善意の民衆と心を一つに、「人間革命」のパイオニアとして、自らの足元から平和・文化・教育の世界市民のネットワークを、勇気に燃え、誠実に忍耐強く、創り広げていただきたいのであります。
アフリカの環境の母マータイ博士は、あの大らかな笑顔で語られました。"何かを変えたいならば、自分自身から変えましょう! 未来は、今この時から生まれます"と。
最後に、創立50周年を堂々と飾ってくれた皆さん方に満腔の感謝を込め——
艱難に
勝る教育
なきゆえに
賢者の君たち
凱歌の大道征け
と贈ります。
私の無上の宝である皆さんの健康と幸福、友情と和楽、そして何があっても負けじ魂光る希望と勝利の人生を、私は妻と祈り抜いてまいります。お元気で!
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:女性の権利の向上
登場人物
【娘・ミライさん】好奇心旺盛な女性部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【父・ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇差異を超えて認め合う時代を
ミライ 米ニューヨークの国連本部で「国連女性の地位委員会」が開催されているね(今月25日まで)。
ホープ 各国政府代表者が、性差別の課題と、解消に向けた行動を協議・決議する場なんだ。SGI(創価学会インタナショナル)の代表も参加しているよ。議論の中では、気候変動や防災といった分野で、女性が果たす役割も確認されているね。
ミライ 女性と少女の人権保障をうたった、1995年(平成7年)の「北京宣言」から27年たった今も、男女平等の実現には課題があるよね。
男女平等がどれだけ実現できているかを数値化した「ジェンダー・ギャップ指数」によると、日本は156カ国中で120位だったね(2021年、世界経済フォーラム)。
SDGs(持続可能な開発目標)が普及する中で、「ジェンダー平等」について意識する人も増えてきたんじゃないかな。
ホープ ジェンダーとは、「社会的・文化的につくられた性差」の意味だね。
長い歴史の中で、女性は虐げられ、尊厳を冒されてきた。そういう事実は、いまだに世界中にあるんだ。
例えば、近年においても、年間1200万人もの18歳未満の女性が、結婚を強いられているといわれているんだ(2018年、国連児童基金〈ユニセフ〉)。
新型コロナウイルスの影響で、学校が休校し、女性への家庭内暴力が増加したり、女性の家庭内労働が大幅に増えたりするなど、ジェンダーの不平等がさらに拡大しているとの指摘もあるよ。
◇成仏観の大転換
ミライ 悲しい歴史を転換し、女性の権利が向上する時代をつくりたいと、心から思うよ。
ところで、仏法では女性の成仏をどう説いているの?
ホープ 法華経以外の経典では、女性は成仏できないとされていたんだ。法華経以前に説かれた爾前経には、「改転の成仏」といって、女性が男性に生まれ変わらないと成仏できないと説かれていたんだよ。
ミライ そんな差別があったなんて……。
ホープ 法華経提婆達多品では、「竜女」が周囲に即身成仏の姿を見せたんだ。
同品では、竜女が「変成男子(変じて男子と成って)」(法華経409ページ)と、いったん、男性の姿に変わったと記されているけど、池田先生は、この意義について教えてくださっているよ。
「変成男子は、舎利弗をはじめ、成仏は男性に限られると思い込んでいた人々に対して、竜女が成仏したことを、分かりやすく示すための方便にすぎないでしょう。男性にならなければ成仏できないという意味ではないのです」(『法華経の智慧』)
法華経が説く女人成仏は、即身成仏、女性の身そのままで成仏できるということなんだ。
ミライ 当時からしたら、成仏観の大転換だっただろうね。
ホープ 旧来の価値観を打ち破り、女人成仏を明かしたのが法華経。その真意は一切衆生の成仏であり、一番苦しんでいる人を幸福にすることにあるんだ。
日蓮大聖人は「一代聖教の中には法華経第一、法華経の中には女人成仏第一なり」(新1738・全1311)と仰せだよ。
大聖人は、男女の成仏の可能性について差別を設けていないことが分かるね。
さらに、大聖人は法華経に基づいて、従来の仏教の女性観でもある「三従(親・夫・子に従う)」を明確に否定されているんだ(新1264・全934)。大聖人御在世の時代背景からすれば、画期的なことだったといえるね。
◇皆が対等な人
ミライ 大聖人が掲げられた、万人の生命の尊厳を社会に展開しようと、創価学会はこれまで、女性をテーマとする講演会や展示などを開催してきたね。
創価学会女性平和委員会は今、子どもの権利に関する意識啓発の一環として、中高生世代の子どもを対象にしたオンラインアンケートを推進しているよ(本年8月まで。こちらからアンケートにアクセスできます)。
ホープ 昨年11月に制定された「創価学会社会憲章」には、「あらゆる形態の差別に対し反対する」「ジェンダー平等の実現と女性のエンパワーメントの推進に貢献する」と掲げられているね。
ミライ 性別や生まれなど、一切の差異を超えて、誰もが尊い存在であるという精神を広めていきたいと強く思うよ!
ホープ そうだね。一人一人の違いや特質を互いに認めつつも、それらが役割として固定化されないよう、また、差別につながらないよう、柔軟な視点が大切になってくるよね。
皆が対等な人として認め合えるよう、社会の課題を一つ一つ解決していこう。
◇御文
『一代聖教の中には法華経第一、法華経の中には女人成仏第一なり』(千日尼御前御返事、新1738・全1311)
◇メモ
女性門下・千日尼は、"女性は成仏できない"との当時の常識に悩みを抱きつつも、女人成仏を説く日蓮大聖人の励ましを心の支えにしていました。
大聖人は、この御文を通して、妙法を持つ女性が必ず幸福になることを訴えられています。
大聖人の励ましを胸に、多くの女性門下が信心を貫き、苦難を乗り越えていったのです。
◇[コラム:"いま"を知る]無意識の偏見
「男なんだから」「女性らしく」——こうした言葉は、時に相手を型にはめて、抑圧してしまう。性別や出自など、属性だけで人を正しく把握できるわけはない。
けれども誰もが、生まれ育った環境や時代の制約を受け、"あるべき像"を心に抱いている。特に、自身が知らない対象には、先入観が肥大してしまいがちだ。問題なのは、自分では気付かないまま、偏った見方や思い込みに陥る「無意識の偏見」(アンコンシャス・バイアス)にとらわれ、誰かを傷つけていないかという点だ。
仏法では、ありのままの真実を見ることを「如実知見」と説く。どんな人にも具わる、尊極な生命への温かいまなざしといえる。その平等な生命観を育む実践こそ、胸襟を開いた対話だ。
目の前の一人の「心音」に耳を傾け、相手をより深く知っていく。その積み重ねを通して、偏見が払われ、相手の心に届く言葉が紡ぎ出されるのだ。
2022年3月28日月曜日
2022.03.28 わが友に贈る
◇今週のことば
「仏種は縁より起こる」
対話の春風さわやかに
幸の仏縁を結びゆこう。
草の根の絆を強く広く!
平和の希望ここにありと。
(新1953・全1467)
2022年3月28日
生死一大事血脈抄 P1337
『日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し』
【通解】
日蓮の弟子の中に異体異心の者があれば、それはたとえば、城の内部の者が城を破るようなものである。
名字の言 人間の心に宿る力 2022年3月28日
『人間をみつめて』は、精神科医の神谷美恵子氏が、ハンセン病療養所での診療体験を通して、生きることの本質を思索し記録した不朽の一書である▼偏見と差別を浴び、隔離され、尊厳を奪われた人々。その中でも、視力を失った患者たちが趣味や勉強のグループを作って活発に活動している姿に接して、氏は思った。苦しみをも建設的なものに転換する力が、人間の心には宿っている。一人では悩みの底に沈みかねない状況でも励まし合うことによって人は、他人を慰め、喜ばせることさえできるようになる——と▼鹿児島・徳之島の壮年は、35歳で学会に入会。島の広布に歩いた。ところが、入会40周年の一昨年、試練が襲う。長男をがんで亡くしたのだ▼やるせない思いが募った。無理もない。だが、同志がその気持ちにじっと耳を傾けてくれた。毎日のように声を掛けてくれる友もいた。創価家族の励ましが、凍えた心を温めた。"俺は息子の分まで島広布に生きる!"。壮年は生きる意味を見いだし、地区部長として、地区女性部長の長女と共に島を駆ける▼自分が一人を支える。支えられた一人が、また別の誰かの支えとなる。広宣流布とは、今いる場所で"励ましの連鎖"を広げることである。
寸鉄 2022年3月28日
団結がなければ戦には負ける—恩師。中心者と副役職が力合わせ皆で飛躍
「釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」御書。広布に生き抜く人生こそ最極(新2068・全1443)
私は永遠の青春を私自身に誓う—ドイツ哲人。信心に引退なし。若々しい心で!
春の熱中症に注意。気温に体慣れず、起こり易く。水分・塩分補給小まめに
各地で出発する新社会人おめでとう!「誠実」こそ信頼築く鍵。振舞で光れ
〈社説〉 2022・3・28 可能性に満ちた新社会人へ
◇失敗を恐れず無敵の人生を
桜花舞う春本番を迎え、来月1日からは、いよいよ新社会人がスタート台に立つ。
昨年行われた、新社会人への意識調査によると、「仕事・職場生活をする上での不安は?」との問いに、「仕事についていけるか」が65・7%、「私生活とのバランスが取れるか」が36・7%で調査開始から過去最高だった(リクルートマネジメント2021年新入社員意識調査)。また、自分の強みとする姿勢・態度として「協働」等を挙げる一方、「自発」「試行」は大事だと思いつつも、苦手と考える人が多かった。
今年の新社会人も、同様の不安を抱く人は少なくないだろう。しかし、その中で社会に踏み出した皆さんである。失敗を恐れず挑戦してみる。その先に大きな成長があることを確信してほしい。
一足先に社会人となった先輩たちも、さまざまな現実の壁に立ち向かいながら成長をしてきた。
埼玉のある学生部員は、職場での異動後、慣れない仕事に毎日終電近くまで悪戦苦闘した。そんな中、毎朝1時間の唱題に挑戦。祈りを根本に生活リズムをつくることができ、仕事が順調に進むようになったことを実感した。
また、東京の学生部員は、社会人1年目で大きな仕事を任されることに。そのプレッシャーにくじけそうになったが、自分が成長するチャンスだと決意し、唱題根本に人一倍の努力と挑戦で、見事やり遂げることができた。
池田先生は新社会人に対し、「思うようにいかない時も、くさってはならない。上手くいかない時も、自分らしくベストを尽くしていけば、必ず、そこから次の道が開かれる。(中略)すべてが勉強だ。どんなことも、自分の成長の力に変えてみせる! そう肚を決めた青年は、無敵である」と呼び掛けている。
新型コロナウイルスの感染拡大から2年が経過した。今春、新出発する友は、学生時代の生活の大半をオンライン中心で送った世代である。入学当初に想像していたキャンパスライフではなかったかもしれない。
しかし、その状況に耐えて前を向き、飛躍の時を迎えた友は、厳冬を乗り越えた桜のように美しい花を咲かせ、社会に新たな息吹をもたらすだろう。そんな可能性に満ちた新社会人たちの成長と活躍を皆で応援していきたい。
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第14回「3・16」 "広布の印綬"を君たちに託す!
【後継の指針】
一、生涯にわたって、仏勅のわが学会と共に生き抜いていくこと
二、広宣流布の全責任を担って立つこと
(「随筆 新・人間革命」〈創価の戴冠式「3・16」〉)
◇私の側から離れるな
「さあ、これで、私の仕事は終わった。私は、いつ死んでもいいと思っている。大作、あとはお前だ。頼むぞ!」
第2代会長・戸田先生は、力を込めて30歳の池田先生に言った。1958年(昭和33年)3月1日、大講堂落慶の式典が終わった後、移動中のエレベーターでのことである。
「はい!」
池田先生の声が響いた。恩師が後事を委ねる師弟の決定的瞬間だった。
大講堂の建物から、戸田先生は池田先生に体を支えられながら出た。すると式典後も、青年たちが広場で、音楽隊の演奏とともに学会歌を合唱していた。
師と弟子は、その輪に入っていった。池田先生が指揮を執り、音楽隊の学会歌の演奏に合わせ、青年たちは力いっぱい歌った。戸田先生は満足そうに、その光景を見つめた——。
衰弱の度を増していた戸田先生が倒れたのは、前年11月のことだった。その後、肝硬変症による危機を脱し、2月11日の誕生日には快気祝いを行う。その前日、愛弟子に広布の重大な構想を語った。「あと7年で、300万世帯までやれるか?」
池田先生は、満々たる決意を述べた。
「はい、成就いたします。ますます勇気が湧きます。私は、先生の弟子です」
3月からは、1カ月で20万人が集う大講堂落慶の祝賀行事が静岡で行われ、青年室長の池田先生が運営の全責任を担った。万全の準備を進める中、こう日記に記している。
「本部にて輸送会議……�本日で大講堂落慶式の準備完了�明日、バス会社、鉄道関係に書類を回すこと�役員人事も決定す これで、自分もほっとする。(戸田)先生も安心してくださるであろう」(『若き日の日記』、1958年2月24日)
しかし、2月末、戸田先生はいよいよ医師を何度も呼ばねばならない状況になった。病あつき中で、愛弟子に言明した。
「大作、絶対に、私の側から離れるな。いいか、四六時中、離れるな!」
池田先生は、恩師の分身のごとく添いながら、運営の陣頭指揮を執った。
【「若き日の日記」1958年(昭和33年)4月1日から】
われらは、更に、
自己の信心を磨くべきである。
自己の建設をなすべきである——
◇心と心で結ばれた日
「(戸田)先生の命は、燃え尽きんとしていた。死の方向へと進んでいた。それを知るは、先生ご自身と、真正の弟子である私だけであった」——祝賀行事の期間中、池田先生は恩師の体が心配でならなかった。
しかし、戸田先生のもとをどうしても離れなければならないタイミングがあった。「大阪事件」の裁判である。
3月5日、病に伏す戸田先生は、大阪へ向かおうとする池田先生へ、毅然として言った。「最後は勝つ。金は金だ」「真実は必ず明らかになる」
——その言葉通り、4年後の1月25日、84回にわたる公判を終え、無罪判決を勝ち取る。
3月16日という日に、時の首相が来訪することが決定すると、戸田先生は池田先生に言った。「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」「この3月16日の式典を、"広宣流布の印綬"を君たちに託す儀式にしようと思っているんだよ。この式典の全責任は、君がもつのだ」
開催の発表が青年部に知らされたのは式典の数日前。突然のことではあったが、青年たちは、師匠のもとに、馳せ参じる誇りに燃えた。
「3・16」に向けて、池田先生の発案で用意されたのは、恩師に乗ってもらう「車駕」だった。
戸田先生は、青年たちのために「豚汁」を手配した。人数分を準備するには、豚汁を入れる大量の四斗樽が必要となることを聞くと、恩師自ら、会場近くの酒屋に電話を入れた。青年たちは、「椀と箸を持参せよ」と事前に徹底された意味を、当日、初めて知るのである。
「車駕」は、師匠の体を気遣う"弟子の真心の結晶"であり、「豚汁」は、青年を励ましたいとの"師匠の慈愛の発露"にほかならなかった。師弟の心と心で結ばれた日が「3・16」だった。
3月16日午前、時の首相から戸田先生のもとに電話が入った。そこで急きょ、式典の欠席の意向と、代理を出すことが伝えられた。表向きは"外交上の問題"であったが、側近から横やりが入ったのが本当の理由だった。詫びを述べる首相に対し、戸田先生は怒りを震わせた。
「私に詫びよと言っているのではない。詫びるのは、青年たちにだ!」
戸田先生は、青年の期待を裏切ることに誰よりも心を痛めたのである。
そして意を決した。
「だれが来なくとも、青年と大儀式をやろうではないか!」
午後零時40分、男女青年部の精鋭6000人が集い、歴史的な"広宣流布の記念式典"が開幕した。司会である池田先生の、満々たる声が会場に響いた。
戸田先生は、自力で立ち上がることもできなかったが、渾身の師子吼を放った。
「われわれには、広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。それを今日、私は、君たち青年に託しておきたい」
創価学会が「宗教界の王者」であることを宣言し、青年部に広布の印綬を託したのである。
◇青年の伝統の節目に
3月16日以降、戸田先生が布団から起き上がることはほとんどなくなり、愛弟子と広布の未来を語り合う日々が続いた。この時、恩師は「うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」と、世界広布の理想を池田先生に委ねた。
祝賀行事が幕を閉じようとしていた3月29日には、戸田先生は宗門の腐敗について言及し、「一歩も退いてはならんぞ。……追撃の手をゆるめるな!」と、邪悪と戦い抜くことを示した。池田先生は、この遺言を青年部の厳訓としていくことを誓った。
恩師亡き後、歴史的な「3・16」の意義を深く理解し、正しく伝えることができたのは、池田先生以外にいなかった。
ある時には、式典当日の豚汁の調理で残った豚の皮を使い、ペンケースを作って、青年の代表に贈呈した。「"絶対に、亡き恩師の心を忘れるな、生涯、学べ、生涯、戦い続けよ"との思いをこめて」——池田先生はその心境を述べている。
1959年(昭和34年)3月16日には、青年にこう語った。
「毎年、3月16日を青年部の伝統ある節目にしていこう」「この日を、広宣流布への記念の節にしていこう。青々とした麦のような青年の季節たる3月に、師のもとに青年部が大結集したことに、不思議な意義があるんだよ」
第3代会長に就任する年の「3・16」には、次のように記した。
「この日を、永久の広布実現の日の、開幕とすべきなりと、青年部幹部に残す」「化儀の広布の大式典は、一日にして終了するものではない」(同、1960年3月16日)
「3・16」は、未来にわたる"後継の節"であり、"広布実現への開幕の日"——池田先生は、「3・16」を過去の歴史にしてはならないと、戦い続けた。そして、広布の上げ潮で「3・16」を迎え、「3・16」から新たな峰へと向かう"後継の不滅のリズム"を刻み残したのである。
61年(同36年)3月16日、池田先生は青年部の第1回音楽祭に出席。東西冷戦が激化する中、大国の武力でも権力でもなく、"学会員の前進"こそが世界に平和をもたらすただ一つの道であると強調した。そして、「3・16」記念式典後の戸田先生の言葉を引用し、呼び掛けた。
「我々は、戦おうじゃないか!」
広布の闘争は、不幸に覆われた社会の闇を、仏法の人間主義の光で照らし続けていく間断なき戦いだ。その後継の誓いに燃え、新たな飛躍のドラマをつづりゆく"目標点"また"出発点"となるのが、「3・16」なのである。
☆御書と未来へ 第9回 全民衆の幸福と安穏を
〈御文〉
『法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母六親、一切衆生をもたすけ給うべき御身なり。』〈土籠御書、新1639・全1213〉
〈通解〉
(あなたは)法華経一部を色心の二法にわたって読まれたのであるから、その功徳で父母、親族、一切衆生をも救済される御身である。
〈池田先生が贈る指針〉
艱難の時こそ「まことの時」である。苦境に負けず信力・行力を奮い起こせば、無窮の仏力・法力が涌現する。妙法の大功徳は生死を超えて、父母、親族はもとより一切衆生にまで及ぶと仰せである。
「広宣流布」即「立正安国」の大道を貫く我らは、全民衆の幸福と安穏を、いよいよ強盛に異体同心で祈り抜こう!
「仏種は縁より起こる」
対話の春風さわやかに
幸の仏縁を結びゆこう。
草の根の絆を強く広く!
平和の希望ここにありと。
(新1953・全1467)
2022年3月28日
生死一大事血脈抄 P1337
『日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し』
【通解】
日蓮の弟子の中に異体異心の者があれば、それはたとえば、城の内部の者が城を破るようなものである。
名字の言 人間の心に宿る力 2022年3月28日
『人間をみつめて』は、精神科医の神谷美恵子氏が、ハンセン病療養所での診療体験を通して、生きることの本質を思索し記録した不朽の一書である▼偏見と差別を浴び、隔離され、尊厳を奪われた人々。その中でも、視力を失った患者たちが趣味や勉強のグループを作って活発に活動している姿に接して、氏は思った。苦しみをも建設的なものに転換する力が、人間の心には宿っている。一人では悩みの底に沈みかねない状況でも励まし合うことによって人は、他人を慰め、喜ばせることさえできるようになる——と▼鹿児島・徳之島の壮年は、35歳で学会に入会。島の広布に歩いた。ところが、入会40周年の一昨年、試練が襲う。長男をがんで亡くしたのだ▼やるせない思いが募った。無理もない。だが、同志がその気持ちにじっと耳を傾けてくれた。毎日のように声を掛けてくれる友もいた。創価家族の励ましが、凍えた心を温めた。"俺は息子の分まで島広布に生きる!"。壮年は生きる意味を見いだし、地区部長として、地区女性部長の長女と共に島を駆ける▼自分が一人を支える。支えられた一人が、また別の誰かの支えとなる。広宣流布とは、今いる場所で"励ましの連鎖"を広げることである。
寸鉄 2022年3月28日
団結がなければ戦には負ける—恩師。中心者と副役職が力合わせ皆で飛躍
「釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」御書。広布に生き抜く人生こそ最極(新2068・全1443)
私は永遠の青春を私自身に誓う—ドイツ哲人。信心に引退なし。若々しい心で!
春の熱中症に注意。気温に体慣れず、起こり易く。水分・塩分補給小まめに
各地で出発する新社会人おめでとう!「誠実」こそ信頼築く鍵。振舞で光れ
〈社説〉 2022・3・28 可能性に満ちた新社会人へ
◇失敗を恐れず無敵の人生を
桜花舞う春本番を迎え、来月1日からは、いよいよ新社会人がスタート台に立つ。
昨年行われた、新社会人への意識調査によると、「仕事・職場生活をする上での不安は?」との問いに、「仕事についていけるか」が65・7%、「私生活とのバランスが取れるか」が36・7%で調査開始から過去最高だった(リクルートマネジメント2021年新入社員意識調査)。また、自分の強みとする姿勢・態度として「協働」等を挙げる一方、「自発」「試行」は大事だと思いつつも、苦手と考える人が多かった。
今年の新社会人も、同様の不安を抱く人は少なくないだろう。しかし、その中で社会に踏み出した皆さんである。失敗を恐れず挑戦してみる。その先に大きな成長があることを確信してほしい。
一足先に社会人となった先輩たちも、さまざまな現実の壁に立ち向かいながら成長をしてきた。
埼玉のある学生部員は、職場での異動後、慣れない仕事に毎日終電近くまで悪戦苦闘した。そんな中、毎朝1時間の唱題に挑戦。祈りを根本に生活リズムをつくることができ、仕事が順調に進むようになったことを実感した。
また、東京の学生部員は、社会人1年目で大きな仕事を任されることに。そのプレッシャーにくじけそうになったが、自分が成長するチャンスだと決意し、唱題根本に人一倍の努力と挑戦で、見事やり遂げることができた。
池田先生は新社会人に対し、「思うようにいかない時も、くさってはならない。上手くいかない時も、自分らしくベストを尽くしていけば、必ず、そこから次の道が開かれる。(中略)すべてが勉強だ。どんなことも、自分の成長の力に変えてみせる! そう肚を決めた青年は、無敵である」と呼び掛けている。
新型コロナウイルスの感染拡大から2年が経過した。今春、新出発する友は、学生時代の生活の大半をオンライン中心で送った世代である。入学当初に想像していたキャンパスライフではなかったかもしれない。
しかし、その状況に耐えて前を向き、飛躍の時を迎えた友は、厳冬を乗り越えた桜のように美しい花を咲かせ、社会に新たな息吹をもたらすだろう。そんな可能性に満ちた新社会人たちの成長と活躍を皆で応援していきたい。
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第14回「3・16」 "広布の印綬"を君たちに託す!
【後継の指針】
一、生涯にわたって、仏勅のわが学会と共に生き抜いていくこと
二、広宣流布の全責任を担って立つこと
(「随筆 新・人間革命」〈創価の戴冠式「3・16」〉)
◇私の側から離れるな
「さあ、これで、私の仕事は終わった。私は、いつ死んでもいいと思っている。大作、あとはお前だ。頼むぞ!」
第2代会長・戸田先生は、力を込めて30歳の池田先生に言った。1958年(昭和33年)3月1日、大講堂落慶の式典が終わった後、移動中のエレベーターでのことである。
「はい!」
池田先生の声が響いた。恩師が後事を委ねる師弟の決定的瞬間だった。
大講堂の建物から、戸田先生は池田先生に体を支えられながら出た。すると式典後も、青年たちが広場で、音楽隊の演奏とともに学会歌を合唱していた。
師と弟子は、その輪に入っていった。池田先生が指揮を執り、音楽隊の学会歌の演奏に合わせ、青年たちは力いっぱい歌った。戸田先生は満足そうに、その光景を見つめた——。
衰弱の度を増していた戸田先生が倒れたのは、前年11月のことだった。その後、肝硬変症による危機を脱し、2月11日の誕生日には快気祝いを行う。その前日、愛弟子に広布の重大な構想を語った。「あと7年で、300万世帯までやれるか?」
池田先生は、満々たる決意を述べた。
「はい、成就いたします。ますます勇気が湧きます。私は、先生の弟子です」
3月からは、1カ月で20万人が集う大講堂落慶の祝賀行事が静岡で行われ、青年室長の池田先生が運営の全責任を担った。万全の準備を進める中、こう日記に記している。
「本部にて輸送会議……�本日で大講堂落慶式の準備完了�明日、バス会社、鉄道関係に書類を回すこと�役員人事も決定す これで、自分もほっとする。(戸田)先生も安心してくださるであろう」(『若き日の日記』、1958年2月24日)
しかし、2月末、戸田先生はいよいよ医師を何度も呼ばねばならない状況になった。病あつき中で、愛弟子に言明した。
「大作、絶対に、私の側から離れるな。いいか、四六時中、離れるな!」
池田先生は、恩師の分身のごとく添いながら、運営の陣頭指揮を執った。
【「若き日の日記」1958年(昭和33年)4月1日から】
われらは、更に、
自己の信心を磨くべきである。
自己の建設をなすべきである——
◇心と心で結ばれた日
「(戸田)先生の命は、燃え尽きんとしていた。死の方向へと進んでいた。それを知るは、先生ご自身と、真正の弟子である私だけであった」——祝賀行事の期間中、池田先生は恩師の体が心配でならなかった。
しかし、戸田先生のもとをどうしても離れなければならないタイミングがあった。「大阪事件」の裁判である。
3月5日、病に伏す戸田先生は、大阪へ向かおうとする池田先生へ、毅然として言った。「最後は勝つ。金は金だ」「真実は必ず明らかになる」
——その言葉通り、4年後の1月25日、84回にわたる公判を終え、無罪判決を勝ち取る。
3月16日という日に、時の首相が来訪することが決定すると、戸田先生は池田先生に言った。「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」「この3月16日の式典を、"広宣流布の印綬"を君たちに託す儀式にしようと思っているんだよ。この式典の全責任は、君がもつのだ」
開催の発表が青年部に知らされたのは式典の数日前。突然のことではあったが、青年たちは、師匠のもとに、馳せ参じる誇りに燃えた。
「3・16」に向けて、池田先生の発案で用意されたのは、恩師に乗ってもらう「車駕」だった。
戸田先生は、青年たちのために「豚汁」を手配した。人数分を準備するには、豚汁を入れる大量の四斗樽が必要となることを聞くと、恩師自ら、会場近くの酒屋に電話を入れた。青年たちは、「椀と箸を持参せよ」と事前に徹底された意味を、当日、初めて知るのである。
「車駕」は、師匠の体を気遣う"弟子の真心の結晶"であり、「豚汁」は、青年を励ましたいとの"師匠の慈愛の発露"にほかならなかった。師弟の心と心で結ばれた日が「3・16」だった。
3月16日午前、時の首相から戸田先生のもとに電話が入った。そこで急きょ、式典の欠席の意向と、代理を出すことが伝えられた。表向きは"外交上の問題"であったが、側近から横やりが入ったのが本当の理由だった。詫びを述べる首相に対し、戸田先生は怒りを震わせた。
「私に詫びよと言っているのではない。詫びるのは、青年たちにだ!」
戸田先生は、青年の期待を裏切ることに誰よりも心を痛めたのである。
そして意を決した。
「だれが来なくとも、青年と大儀式をやろうではないか!」
午後零時40分、男女青年部の精鋭6000人が集い、歴史的な"広宣流布の記念式典"が開幕した。司会である池田先生の、満々たる声が会場に響いた。
戸田先生は、自力で立ち上がることもできなかったが、渾身の師子吼を放った。
「われわれには、広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。それを今日、私は、君たち青年に託しておきたい」
創価学会が「宗教界の王者」であることを宣言し、青年部に広布の印綬を託したのである。
◇青年の伝統の節目に
3月16日以降、戸田先生が布団から起き上がることはほとんどなくなり、愛弟子と広布の未来を語り合う日々が続いた。この時、恩師は「うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」と、世界広布の理想を池田先生に委ねた。
祝賀行事が幕を閉じようとしていた3月29日には、戸田先生は宗門の腐敗について言及し、「一歩も退いてはならんぞ。……追撃の手をゆるめるな!」と、邪悪と戦い抜くことを示した。池田先生は、この遺言を青年部の厳訓としていくことを誓った。
恩師亡き後、歴史的な「3・16」の意義を深く理解し、正しく伝えることができたのは、池田先生以外にいなかった。
ある時には、式典当日の豚汁の調理で残った豚の皮を使い、ペンケースを作って、青年の代表に贈呈した。「"絶対に、亡き恩師の心を忘れるな、生涯、学べ、生涯、戦い続けよ"との思いをこめて」——池田先生はその心境を述べている。
1959年(昭和34年)3月16日には、青年にこう語った。
「毎年、3月16日を青年部の伝統ある節目にしていこう」「この日を、広宣流布への記念の節にしていこう。青々とした麦のような青年の季節たる3月に、師のもとに青年部が大結集したことに、不思議な意義があるんだよ」
第3代会長に就任する年の「3・16」には、次のように記した。
「この日を、永久の広布実現の日の、開幕とすべきなりと、青年部幹部に残す」「化儀の広布の大式典は、一日にして終了するものではない」(同、1960年3月16日)
「3・16」は、未来にわたる"後継の節"であり、"広布実現への開幕の日"——池田先生は、「3・16」を過去の歴史にしてはならないと、戦い続けた。そして、広布の上げ潮で「3・16」を迎え、「3・16」から新たな峰へと向かう"後継の不滅のリズム"を刻み残したのである。
61年(同36年)3月16日、池田先生は青年部の第1回音楽祭に出席。東西冷戦が激化する中、大国の武力でも権力でもなく、"学会員の前進"こそが世界に平和をもたらすただ一つの道であると強調した。そして、「3・16」記念式典後の戸田先生の言葉を引用し、呼び掛けた。
「我々は、戦おうじゃないか!」
広布の闘争は、不幸に覆われた社会の闇を、仏法の人間主義の光で照らし続けていく間断なき戦いだ。その後継の誓いに燃え、新たな飛躍のドラマをつづりゆく"目標点"また"出発点"となるのが、「3・16」なのである。
☆御書と未来へ 第9回 全民衆の幸福と安穏を
〈御文〉
『法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母六親、一切衆生をもたすけ給うべき御身なり。』〈土籠御書、新1639・全1213〉
〈通解〉
(あなたは)法華経一部を色心の二法にわたって読まれたのであるから、その功徳で父母、親族、一切衆生をも救済される御身である。
〈池田先生が贈る指針〉
艱難の時こそ「まことの時」である。苦境に負けず信力・行力を奮い起こせば、無窮の仏力・法力が涌現する。妙法の大功徳は生死を超えて、父母、親族はもとより一切衆生にまで及ぶと仰せである。
「広宣流布」即「立正安国」の大道を貫く我らは、全民衆の幸福と安穏を、いよいよ強盛に異体同心で祈り抜こう!
2022年3月27日日曜日
2022.03.27 わが友に贈る
信心継承の要諦は
「家族で一緒に勤行する」
「学会の庭で育てる」
「わが子を信じ抜く祈り」
後継の宝にエールを!
崇峻天皇御書 P1170
『たとひ上は御信用なき様に候へどもとの其の内にをはして其の御恩のかげにて法華経をやしなひまいらせ給い候へば偏に上の御祈とぞなり候らん、大木の下の小木大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといへども露をつたへいきをえてさかうる事に候』
【通解】
たとえ主君は法華経を信仰していないようであっても、その御恩のおかげで法華経を供養しておられるのであるから、その功徳はひとえに主君の病気平癒のための祈りとなるでしょう。
大木の下の小さな木や、大河のほとりの草は、直接雨にあたることがなく、直接水を得ることがなくても、自然に露を伝え、水気を得て栄えるのである。あなたと御主君との関係も、このとおりです。
名字の言 今春、新天地に赴く友へ 2022年3月27日
書棚にある1冊の本をめくっていると、中に手作りのしおりが挟んであった。それは数十年前の大学の卒業式当日、母校を巣立つ卒業生全員に在校生から贈られたものだった▼1枚のしおりを目にした瞬間、心は卒業の"あの日"に返った。そして、各地で出会った人々との思い出が走馬灯のように浮かんだ▼山梨県に住む多宝会の友に、ある日、1人の男性から電話があった。男性は、かつて友が夫妻して東京で支部長・婦人部長(当時)を務めていた時、同じ地域で学会活動に励んだ、当時の男子部部長だった。「聖教新聞に懐かしい笑顔を見つけ、あまりにうれしくて」とのこと▼山梨へ転居して以来、その男性とは久しぶりの会話だった。しかし、広布の苦楽を共にした同志との語らいは、空白の数十年を瞬時に埋めた。友と男性は、それぞれの地で信心の成長を刻むことを約束した▼池田先生は語る。「各地にその(=広布拡大)思い出をもっている人は幸せである。どこにも、心許せる同志がいるし、それが無量無辺の福徳を積んでいる証でもあるからだ」と。これまで暮らした地で創価の友と奮闘の日々を重ね、そして今春、新天地に赴く友もいるだろう。師の言葉をそのまま、はなむけに贈りたい。
寸鉄 2022年3月27日
「一念三千も『信』の一字より起こり」御書。どんな時も題目。活路は開く!(新1011・全725)
「華陽カレッジ」が各地で賑やかに!信心とは希望朗らかに負けない青春を
創価の平和活動こそ宗教のあるべき模範—アメリカ博士。共生哲学を地域へ世界へ
今日から絵本週間。良書は心の"ごちそう"。親子で豊かな情操育む好機に
増加する大麻摘発。7割が20代以下と。未来奪う魔物に家庭でも警鐘強く
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:冬は必ず春に
◇御文
『ただ一えんにおもい切れ。よからんは不思議、わるからんは一定とおもえ。』(聖人御難事、新1620・全1190)
◇通解
ただいちずに思い切りなさい。良いことがあるのは不思議であり、悪いことがあるのが当然と考えなさい。
◇覚悟を決めて立ち向かう 妻の病、多額の借金
北海道砂川市。佐藤法広さん(61)=大空知総県副総県長(大空知北県総合長兼任)=と妻・初江さん=中空知栄光圏女性部長=は、この地で生まれ育った。郷土を舞台に、二人三脚で演じてきた波乱の人生ドラマとは——。
◇
「おやじの代から、ここで塗装業を営んできました」
法広さんの言葉に、腕一本で勝負してきた誇りがにじむ。
高校を卒業後、父親の塗装店で働き始めた。22歳で初江さんを入会に導き、結婚。初江さんが長女の妊娠中、子宮筋腫を患うも、夫婦して祈り、乗り越える中で信心の確信を深めた。4人の子宝にも恵まれた。
法広さんが34歳の時、自宅兼店舗を構えて独立した。決して裕福なわけではなかったが、家の中は、いつも子どもたちの笑い声があふれ、にぎやかな毎日だった。
学会では、夫婦で地域の中心者となり、雨の日も雪の日も、友を励まして回った。
ところが、初江さんが41歳の時、子宮がんが見つかる。
初江さんは「"がん"という病名にショックを受けました。まさか、でした」と振り返る。「でも、"絶対に乗り越えてみせる"と祈りが定まった時、不安は消えていきました」
手術で子宮を全て摘出。検査の結果、転移もないと分かった。
安堵したのもつかの間。翌年の春先、法広さんの仕事の取引先が相次いで倒産した。多額の借金を背負うことになった。
法広さんは唇をかむ。「妻が病魔を乗り越えたと思ったら、今度は経済苦。なぜなんだと。せっかく長女が創価大学に合格したのに、入学金が用意できない。生活すらままならない。どうすればいいんだと悩みました」
幸い、長女の進学は奨学金などで何とかめどが立った。
その後、寝る間を惜しんで働き、資金繰りしながら、夫婦で懸命に祈ったが、仕入れ先などへの支払いが滞るように。二人で頭を下げて回った。
子どもたちは育ち盛りだったが、食費から何から、切り詰めた。光熱費すら払えない時もあった。しかし、宿命の嵐は容赦なかった。
2007年(平成19年)、支部婦人部長(当時)だった初江さんに、乳がんが見つかったのだ。すでにリンパ節にも転移していた。
「これでもか」と妻を襲う病魔のしぶとさに、たじろぐ法広さん。見かねた学会の先輩が叱咤した。
「治るに決まってるべや。あんたの心がやられてんだぞ。戦ってんのは、奥さんだべや!」
法広さんは「戦いに挑む前に、『もうダメだ』と心が引いていた。それを見抜かれたんです」と語る。この時に拝した御聖訓が、「よからんは不思議、わるからんは一定とおもえ」(新1620・全1190)との一節だった。
「心に響きました。もとより人生は、苦難の連続。そう腹が決まると、燃えました。"この信心で全て乗り越えてみせるぞ!"って」
夫婦で「今こそ、信心の偉大さの証明を」と一念を定め、猛然と祈った。広布に戦う中で、初江さんは手術と抗がん剤治療に挑んでいった。法広さんも、変わらず信頼してくれる顧客や仕入れ先への恩返しの思いで、自らの仕事に一段と力を注いだ。
厳冬のような人生に、希望の春の陽光が徐々に差し始める。
5年後、治療を終えた初江さんは「寛解」の診断を受けることができた。そして、法広さんの仕事も軌道に乗り、10年以上かけて借金を完済した。
子どもたちも、長女に続いて次女と次男が創価大学を卒業。長男は社会で奮闘するなど、それぞれが使命の人生行路へ進んでいくことができた。
「池田先生と同志の皆さまの励ましによって、勝てました」と初江さん。法広さんも、うなずきながら話してくれた。
「『ただいちずに思い切りなさい』と仰せの通り、信心に"いちず"になること。それしかないんです。覚悟を決めて立ち向かう。人生はその連続です」
初江さんは、生活苦の渦中にいた当時を「何を食べて、どう暮らしていたのか、全く思い出せないんです。よく生きていけたなって」と振り返る。
「地域の同志の祈りや、諸天の働きのような周囲の支え。創価学会にいたから、乗り越えられたんだと思います」
人生は順風の日ばかりではない。逆風どころか、嵐に直面することさえある。
その時に、どうするか。法広さんは確信を込めて語る。
「大変な時にこそ、信心を疑わずに貫けるかどうかです。『よからんは不思議、わるからんは一定』(新1620・全1190)なんだと心を定めて、ぶれずに信心を貫く。すると、困難を乗り越える生命力が、ふつふつと湧いてくるんです」
初江さんが言葉を継ぐ。
「御本尊と池田先生、そして学会を疑わないこと。その心根が、『よからん』の人生を開いていくんだと思います」
池田先生は語っている。
「魔を打ち破って成仏を遂げるか、魔に負けて迷妄の人生を送るか。人生における仏法の意義は、究極するところ、この根本的な勝負に勝つことにあるのです」
「それぞれの使命の人生には"苦難"が必ずあります。
しかし、心さえたしかであれば、信心さえ揺るがなければ、乗り越えられない困難はありません。打ち勝てない試練はありません。
人間にはもともと、計り知れない力が具わっています。
それが久遠元初自受用身の力だ。だから、戦えば戦うほど、自分自身の力が引き出せる。
信心は、その秘宝を引き出す力です」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
置かれた環境を嘆くのでも、目の前の状況に流されるのでもない。
ただ、心を定めて信心で挑んでいく。その先に、必ず勝利の春が訪れることを、佐藤さん夫妻の朗らかな笑顔は、教えてくれている。
[教学コンパス]
飛行機の巨体が空に浮かび上がるのは、離陸時の加速によって受ける強烈な向かい風を、翼で揚力に変えているから。実は着陸時にも、向かい風を捉えて機体のバランスを取りながら、滑走路を目指すという。それは人生にも通じよう。行く手を阻むような「向かい風」も、自分次第で、大いなる飛躍の力にしていける。本企画の取材で体験談を伺うたび、その確信をますます強くする。
日蓮大聖人は「大風吹けば求羅は倍増するなり」(新1545・全1136)と仰せだ。「求羅」という想像上の虫は、大風に吹かれるほど、その身が大きくなるという。試練の逆風も宿命の暴風も、全て自身の境涯を大きく開く好機としていけるのが、創価の希望の哲学にほかならない。池田先生は「障魔が競うのは、必ず勝てるという瑞相だ」と。苦難の「向かい風」にあえて挑んでこそ、いかなる困難にも負けない自分自身へと、飛躍を遂げることができる。そのための不屈のエンジンが、御本尊への透徹した「信」である。
「家族で一緒に勤行する」
「学会の庭で育てる」
「わが子を信じ抜く祈り」
後継の宝にエールを!
崇峻天皇御書 P1170
『たとひ上は御信用なき様に候へどもとの其の内にをはして其の御恩のかげにて法華経をやしなひまいらせ給い候へば偏に上の御祈とぞなり候らん、大木の下の小木大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといへども露をつたへいきをえてさかうる事に候』
【通解】
たとえ主君は法華経を信仰していないようであっても、その御恩のおかげで法華経を供養しておられるのであるから、その功徳はひとえに主君の病気平癒のための祈りとなるでしょう。
大木の下の小さな木や、大河のほとりの草は、直接雨にあたることがなく、直接水を得ることがなくても、自然に露を伝え、水気を得て栄えるのである。あなたと御主君との関係も、このとおりです。
名字の言 今春、新天地に赴く友へ 2022年3月27日
書棚にある1冊の本をめくっていると、中に手作りのしおりが挟んであった。それは数十年前の大学の卒業式当日、母校を巣立つ卒業生全員に在校生から贈られたものだった▼1枚のしおりを目にした瞬間、心は卒業の"あの日"に返った。そして、各地で出会った人々との思い出が走馬灯のように浮かんだ▼山梨県に住む多宝会の友に、ある日、1人の男性から電話があった。男性は、かつて友が夫妻して東京で支部長・婦人部長(当時)を務めていた時、同じ地域で学会活動に励んだ、当時の男子部部長だった。「聖教新聞に懐かしい笑顔を見つけ、あまりにうれしくて」とのこと▼山梨へ転居して以来、その男性とは久しぶりの会話だった。しかし、広布の苦楽を共にした同志との語らいは、空白の数十年を瞬時に埋めた。友と男性は、それぞれの地で信心の成長を刻むことを約束した▼池田先生は語る。「各地にその(=広布拡大)思い出をもっている人は幸せである。どこにも、心許せる同志がいるし、それが無量無辺の福徳を積んでいる証でもあるからだ」と。これまで暮らした地で創価の友と奮闘の日々を重ね、そして今春、新天地に赴く友もいるだろう。師の言葉をそのまま、はなむけに贈りたい。
寸鉄 2022年3月27日
「一念三千も『信』の一字より起こり」御書。どんな時も題目。活路は開く!(新1011・全725)
「華陽カレッジ」が各地で賑やかに!信心とは希望朗らかに負けない青春を
創価の平和活動こそ宗教のあるべき模範—アメリカ博士。共生哲学を地域へ世界へ
今日から絵本週間。良書は心の"ごちそう"。親子で豊かな情操育む好機に
増加する大麻摘発。7割が20代以下と。未来奪う魔物に家庭でも警鐘強く
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:冬は必ず春に
◇御文
『ただ一えんにおもい切れ。よからんは不思議、わるからんは一定とおもえ。』(聖人御難事、新1620・全1190)
◇通解
ただいちずに思い切りなさい。良いことがあるのは不思議であり、悪いことがあるのが当然と考えなさい。
◇覚悟を決めて立ち向かう 妻の病、多額の借金
北海道砂川市。佐藤法広さん(61)=大空知総県副総県長(大空知北県総合長兼任)=と妻・初江さん=中空知栄光圏女性部長=は、この地で生まれ育った。郷土を舞台に、二人三脚で演じてきた波乱の人生ドラマとは——。
◇
「おやじの代から、ここで塗装業を営んできました」
法広さんの言葉に、腕一本で勝負してきた誇りがにじむ。
高校を卒業後、父親の塗装店で働き始めた。22歳で初江さんを入会に導き、結婚。初江さんが長女の妊娠中、子宮筋腫を患うも、夫婦して祈り、乗り越える中で信心の確信を深めた。4人の子宝にも恵まれた。
法広さんが34歳の時、自宅兼店舗を構えて独立した。決して裕福なわけではなかったが、家の中は、いつも子どもたちの笑い声があふれ、にぎやかな毎日だった。
学会では、夫婦で地域の中心者となり、雨の日も雪の日も、友を励まして回った。
ところが、初江さんが41歳の時、子宮がんが見つかる。
初江さんは「"がん"という病名にショックを受けました。まさか、でした」と振り返る。「でも、"絶対に乗り越えてみせる"と祈りが定まった時、不安は消えていきました」
手術で子宮を全て摘出。検査の結果、転移もないと分かった。
安堵したのもつかの間。翌年の春先、法広さんの仕事の取引先が相次いで倒産した。多額の借金を背負うことになった。
法広さんは唇をかむ。「妻が病魔を乗り越えたと思ったら、今度は経済苦。なぜなんだと。せっかく長女が創価大学に合格したのに、入学金が用意できない。生活すらままならない。どうすればいいんだと悩みました」
幸い、長女の進学は奨学金などで何とかめどが立った。
その後、寝る間を惜しんで働き、資金繰りしながら、夫婦で懸命に祈ったが、仕入れ先などへの支払いが滞るように。二人で頭を下げて回った。
子どもたちは育ち盛りだったが、食費から何から、切り詰めた。光熱費すら払えない時もあった。しかし、宿命の嵐は容赦なかった。
2007年(平成19年)、支部婦人部長(当時)だった初江さんに、乳がんが見つかったのだ。すでにリンパ節にも転移していた。
「これでもか」と妻を襲う病魔のしぶとさに、たじろぐ法広さん。見かねた学会の先輩が叱咤した。
「治るに決まってるべや。あんたの心がやられてんだぞ。戦ってんのは、奥さんだべや!」
法広さんは「戦いに挑む前に、『もうダメだ』と心が引いていた。それを見抜かれたんです」と語る。この時に拝した御聖訓が、「よからんは不思議、わるからんは一定とおもえ」(新1620・全1190)との一節だった。
「心に響きました。もとより人生は、苦難の連続。そう腹が決まると、燃えました。"この信心で全て乗り越えてみせるぞ!"って」
夫婦で「今こそ、信心の偉大さの証明を」と一念を定め、猛然と祈った。広布に戦う中で、初江さんは手術と抗がん剤治療に挑んでいった。法広さんも、変わらず信頼してくれる顧客や仕入れ先への恩返しの思いで、自らの仕事に一段と力を注いだ。
厳冬のような人生に、希望の春の陽光が徐々に差し始める。
5年後、治療を終えた初江さんは「寛解」の診断を受けることができた。そして、法広さんの仕事も軌道に乗り、10年以上かけて借金を完済した。
子どもたちも、長女に続いて次女と次男が創価大学を卒業。長男は社会で奮闘するなど、それぞれが使命の人生行路へ進んでいくことができた。
「池田先生と同志の皆さまの励ましによって、勝てました」と初江さん。法広さんも、うなずきながら話してくれた。
「『ただいちずに思い切りなさい』と仰せの通り、信心に"いちず"になること。それしかないんです。覚悟を決めて立ち向かう。人生はその連続です」
初江さんは、生活苦の渦中にいた当時を「何を食べて、どう暮らしていたのか、全く思い出せないんです。よく生きていけたなって」と振り返る。
「地域の同志の祈りや、諸天の働きのような周囲の支え。創価学会にいたから、乗り越えられたんだと思います」
人生は順風の日ばかりではない。逆風どころか、嵐に直面することさえある。
その時に、どうするか。法広さんは確信を込めて語る。
「大変な時にこそ、信心を疑わずに貫けるかどうかです。『よからんは不思議、わるからんは一定』(新1620・全1190)なんだと心を定めて、ぶれずに信心を貫く。すると、困難を乗り越える生命力が、ふつふつと湧いてくるんです」
初江さんが言葉を継ぐ。
「御本尊と池田先生、そして学会を疑わないこと。その心根が、『よからん』の人生を開いていくんだと思います」
池田先生は語っている。
「魔を打ち破って成仏を遂げるか、魔に負けて迷妄の人生を送るか。人生における仏法の意義は、究極するところ、この根本的な勝負に勝つことにあるのです」
「それぞれの使命の人生には"苦難"が必ずあります。
しかし、心さえたしかであれば、信心さえ揺るがなければ、乗り越えられない困難はありません。打ち勝てない試練はありません。
人間にはもともと、計り知れない力が具わっています。
それが久遠元初自受用身の力だ。だから、戦えば戦うほど、自分自身の力が引き出せる。
信心は、その秘宝を引き出す力です」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
置かれた環境を嘆くのでも、目の前の状況に流されるのでもない。
ただ、心を定めて信心で挑んでいく。その先に、必ず勝利の春が訪れることを、佐藤さん夫妻の朗らかな笑顔は、教えてくれている。
[教学コンパス]
飛行機の巨体が空に浮かび上がるのは、離陸時の加速によって受ける強烈な向かい風を、翼で揚力に変えているから。実は着陸時にも、向かい風を捉えて機体のバランスを取りながら、滑走路を目指すという。それは人生にも通じよう。行く手を阻むような「向かい風」も、自分次第で、大いなる飛躍の力にしていける。本企画の取材で体験談を伺うたび、その確信をますます強くする。
日蓮大聖人は「大風吹けば求羅は倍増するなり」(新1545・全1136)と仰せだ。「求羅」という想像上の虫は、大風に吹かれるほど、その身が大きくなるという。試練の逆風も宿命の暴風も、全て自身の境涯を大きく開く好機としていけるのが、創価の希望の哲学にほかならない。池田先生は「障魔が競うのは、必ず勝てるという瑞相だ」と。苦難の「向かい風」にあえて挑んでこそ、いかなる困難にも負けない自分自身へと、飛躍を遂げることができる。そのための不屈のエンジンが、御本尊への透徹した「信」である。
2022年3月26日土曜日
2022.03.26 わが友に贈る
誰にもその人にしか
果たせない使命がある。
"一人の百歩前進よりも
百人の一歩前進を"と
異体同心の歩みを!
如説修行抄 P502
『かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』
【通解】
敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。
名字の言 映画「ドライブ・マイ・カー」の台詞"平和の軸線" 2022年3月26日
広島の平和公園内にある原爆ドームと慰霊碑。その二つの建造物を結ぶ直線は"平和の軸線"と呼ばれる。この言葉が、日本作品として史上初めて、米アカデミー賞の4部門にノミネートされた映画「ドライブ・マイ・カー」で、台詞として用いられ、注目されている▼軸線を考案したのが、建築家の丹下健三氏。原爆ドームは当初、取り壊されることも検討された。氏は平和公園の設計に際し、慰霊碑の先にドームが見えるようにした。被爆した建物を、二度と核兵器を使用しないためのシンボルに変えたのである▼平和は訪れるものではなく、実践的に創り出すもの——これが氏の平和に対する態度だった。だからこそ、被爆の悲惨な記憶を継ぎ、人々がそれぞれに平和を希求し、祈ることを大切にした▼御書に「過去と未来と現在とは三つなりといえども、一念の心中の理なれば無分別なり」(新711・全562)と。過去と未来——両者を結ぶ"軸線"を描くのは、今を生きる私たちである。核兵器の廃絶も、どこか彼方にあるのではない。私たちの意志の線上にある▼縁する人と友好を育むことが、平和の"線"を描き出す。その線が幾重にも結ばれてこそ、世界平和という"面"が浮かび上がる。
寸鉄 2022年3月26日
広布の大行進に遅れるな—戸田先生。さあ5・3へ信心のギアを上げよう!
各地で男子部大学校生が大会。後輩を自分以上の人材に。先輩の奮闘光る
世界の運命を決めるのは個々の人間—作家。今こそ一対一の対話の波を!
春休み、子や孫と語らう好機。信仰の喜びを継承。妙法の大河も"一滴"から
1日の歩数多いほど疾病リスク減少と。足を動かす学会活動は健康の源泉
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第34回 妙荘厳王本事品第二十七
■大要
仏教以外の教えを信じる妙荘厳王を仏法に導いた、浄徳夫人と浄蔵・浄眼の二人の子の姿を通して、法華経を弘める功徳が述べられています。有名な妙荘厳王の物語です。それでは内容を追ってみましょう。
◇
その時、釈尊は人々に告げます。
「憙見という時代の光明荘厳という世界に、雲雷音宿王華智仏という仏がいた」
——その時代のことです。
妙荘厳王には、浄徳という夫人と、浄蔵と浄眼という、二人の子どもがいました。
その子どもたちは、菩薩道を修行して、大神通力、福徳、智慧を具え、菩薩の境涯を得ていました。
その時、雲雷音宿王華智仏は、妙荘厳王や人々を仏法に導きたいと願います。
そこで、浄蔵と浄眼の二人の子は、母の浄徳夫人に相談します。
「どうか母上も、仏のもとに行きましょう。私たちも、法華経の説法を聴きたいのです」
母は答えます。
「仏法以外の教えを信じている父上のもとへ行って、『一緒に、仏の説法を聴きに行きましょう』と言いなさい」
二人は嘆きます。
「私たちは、法王の子ども(仏弟子)であるのに、こんな邪見の家に生まれてしまった!」
母が励まします。
「あなたたちは、父上のことを思いやってあげなさい。そして、父上のために神変(神通変化)を現して見せてあげなさい。
父上がそれを見たら、きっと心が晴れ晴れとして、すばらしいと思われるでしょう。
そうすれば、皆で仏さまのもとへ行くことを許してくれるでしょう」
早速二人は、父のもとへ行きます。
空中に高く昇ったまま、自由自在に歩き回ったり、寝て見せたり、体から水を出し、火を出し、大空に満ちるような巨大な姿になったり、小さくなって見せたりします。
さらに、空中で消えたかと思うと、たちまち地上に現れ、水に飛び込むみたいに地面に飛び込み、あるいは水の上を大地を歩くように歩いて見せたりしました。
神変を目の当たりにした父は、大歓喜し、合掌して、子どもたちに言います。
「いったいお前たちは、だれを師匠にして、こんな力を得たのか。いったい、だれの弟子になったのか」
二人が答えます。
「今、広く法華経を説いておられる雲雷音宿王華智仏こそ、私たちの師匠です。私たちは、その弟子です」
父は言います。
「お前たちの師匠に、ぜひ、お会いしたい。一緒に行こう!」
二人の子どもは、空中から降りて、母のもとへ行き、合掌して伝えます。
「父上は、仏法を信じ、覚りを求める心を起こしました。どうか仏のもとへ行き、修行することを許してください」
母は言います。
「仏のもとで、修行することを許します。それは、仏に会うことが難しいからです」
そこで二人の子どもは、父と母に語ります。
「どうか一緒に、雲雷音宿王華智仏のもとへ行きましょう。仏に会うことができるのはまれなことであるのに、今、私たちは宿福深厚なので、仏法に巡り合うことができたのですから」
父である妙荘厳王は群臣を、母の浄徳夫人と子どもである二人の王子も、それぞれの眷属を引き連れて、共に仏のもとへ行きます。
その時、雲雷音宿王華智仏は、妙荘厳王のために法を説きます。
王は、すばらしい仏の説法に大歓悦して、夫人と共に大変に価値のある首飾りを、真心の供養としてささげます。すると、仏は大光明を放ちます。
それを見た王は、"仏の身は希有である"と思います。
その時、雲雷音宿王華智仏は、人々に告げます。
「この王は未来に成仏して、娑羅樹王仏となるだろう」
すぐに王は国を弟に譲り、一族と共に仏道に専念します。王は、その後、八万四千年にわたって法華経を修行します。
三昧(心を統一した境涯)を得た妙荘厳王は空に昇り、仏に言います。
「この二人の子は、私の善知識です。私を救いたいと思って、私の家に(子どもとして)生まれてきたのです」
その時、雲雷音宿王華智仏は、妙荘厳王に言います。
「その通りである。善知識は、大因縁である。
仏法に導いて、最高の覚りを得る心を起こさせてくれるのだ」
妙荘厳王は、空中から降りて、仏の無量百千万の功徳を賛嘆して、合掌して語ります。
「仏の法は、不可思議で妙なる功徳を具足し、成就しています。その教えと戒を行ずれば、安穏にして、快くなれます。
私は、今日よりは二度と、自分の心の言いなりにはなりません。二度と邪見、驕慢、怒り、諸悪の心を起こしません」
——ここまでが妙荘厳王にまつわる説話です。
釈尊は、人々に告げます。
「この話の真意は、なんであろうか。妙荘厳王は、どうして他の人のことであろうか。今の華徳菩薩である。浄徳夫人は光照荘厳相菩薩、二人の子どもは薬王菩薩、薬上菩薩である」
釈尊が妙荘厳王本事品を説く時、八万四千の人々は、汚れを離れて、真理を見る清らかな力を得ます。
【『法華経の智慧』から】 どれほど宿縁が深いか
人のせいにする愚痴の心がある分だけ、宿命転換は遅れる。「自分の宿命だ。自分の人生だ。まず自分が人間革命していこう」と決めて、苦しくとも、悲しくとも、御本尊に祈りきっていけば、必ず道は開ける。
◇
明るく、伸び伸びと、自分らしく活躍していけばいいのです。それが自体顕照です。自分の生命そのものを光らせていくのです。(中略)
他人をうらやんで生きるのは爾前の生き方です。「自分はこれで行くんだ」と決めて生きるのが法華経です。虚像ではなく、実像の自分で勝負していくのが信心です。それが「妙荘厳王」の意義なのです。
◇
今、世界広宣流布の真っただ中に生を受けたのがわれわれです。どれほど宿縁が深いか。どれほどの使命があるか。仏法に偶然はないのです。まさに「我れ等は宿福深厚にして、仏法に生まれ値えり」です。この厳粛な事実を自覚すれば、欣喜雀躍です。歓喜がほとばしり出る。(普及版〈下〉「妙荘厳王本事品」)
【コラム】 宿福深厚
"仏に巡り合うことは、3000年に1度開花する優曇華を見ることや、1000年に1度海上に浮かび上がる一眼の亀が浮木にあうことくらい難しい。しかし、宿福深厚(仏との宿縁が深く厚い)なので、正法と巡り合うことができた"——と、「妙荘厳王本事品」には記されています。
3000年、1000年という時間は、人間の寿命から比べれば、はるかに長い時間です。この一生で仏法に巡り合うことは、それほど難しく、希だということです。
今、仏法に巡り合い、妙法を受持できたことは、まさに宿縁の深さであり、使命の大きさのゆえといえます。それを思う時、自身の福運のありがたさに感謝と喜びがあふれてきます。
本年は、日蓮大聖人の御聖誕から800年——最高無二の哲学を持ち、希有の師匠と同じ時代に生きられる不思議さに思いをはせ、歓喜の前進を開始しましょう。
果たせない使命がある。
"一人の百歩前進よりも
百人の一歩前進を"と
異体同心の歩みを!
如説修行抄 P502
『かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』
【通解】
敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。
名字の言 映画「ドライブ・マイ・カー」の台詞"平和の軸線" 2022年3月26日
広島の平和公園内にある原爆ドームと慰霊碑。その二つの建造物を結ぶ直線は"平和の軸線"と呼ばれる。この言葉が、日本作品として史上初めて、米アカデミー賞の4部門にノミネートされた映画「ドライブ・マイ・カー」で、台詞として用いられ、注目されている▼軸線を考案したのが、建築家の丹下健三氏。原爆ドームは当初、取り壊されることも検討された。氏は平和公園の設計に際し、慰霊碑の先にドームが見えるようにした。被爆した建物を、二度と核兵器を使用しないためのシンボルに変えたのである▼平和は訪れるものではなく、実践的に創り出すもの——これが氏の平和に対する態度だった。だからこそ、被爆の悲惨な記憶を継ぎ、人々がそれぞれに平和を希求し、祈ることを大切にした▼御書に「過去と未来と現在とは三つなりといえども、一念の心中の理なれば無分別なり」(新711・全562)と。過去と未来——両者を結ぶ"軸線"を描くのは、今を生きる私たちである。核兵器の廃絶も、どこか彼方にあるのではない。私たちの意志の線上にある▼縁する人と友好を育むことが、平和の"線"を描き出す。その線が幾重にも結ばれてこそ、世界平和という"面"が浮かび上がる。
寸鉄 2022年3月26日
広布の大行進に遅れるな—戸田先生。さあ5・3へ信心のギアを上げよう!
各地で男子部大学校生が大会。後輩を自分以上の人材に。先輩の奮闘光る
世界の運命を決めるのは個々の人間—作家。今こそ一対一の対話の波を!
春休み、子や孫と語らう好機。信仰の喜びを継承。妙法の大河も"一滴"から
1日の歩数多いほど疾病リスク減少と。足を動かす学会活動は健康の源泉
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第34回 妙荘厳王本事品第二十七
■大要
仏教以外の教えを信じる妙荘厳王を仏法に導いた、浄徳夫人と浄蔵・浄眼の二人の子の姿を通して、法華経を弘める功徳が述べられています。有名な妙荘厳王の物語です。それでは内容を追ってみましょう。
◇
その時、釈尊は人々に告げます。
「憙見という時代の光明荘厳という世界に、雲雷音宿王華智仏という仏がいた」
——その時代のことです。
妙荘厳王には、浄徳という夫人と、浄蔵と浄眼という、二人の子どもがいました。
その子どもたちは、菩薩道を修行して、大神通力、福徳、智慧を具え、菩薩の境涯を得ていました。
その時、雲雷音宿王華智仏は、妙荘厳王や人々を仏法に導きたいと願います。
そこで、浄蔵と浄眼の二人の子は、母の浄徳夫人に相談します。
「どうか母上も、仏のもとに行きましょう。私たちも、法華経の説法を聴きたいのです」
母は答えます。
「仏法以外の教えを信じている父上のもとへ行って、『一緒に、仏の説法を聴きに行きましょう』と言いなさい」
二人は嘆きます。
「私たちは、法王の子ども(仏弟子)であるのに、こんな邪見の家に生まれてしまった!」
母が励まします。
「あなたたちは、父上のことを思いやってあげなさい。そして、父上のために神変(神通変化)を現して見せてあげなさい。
父上がそれを見たら、きっと心が晴れ晴れとして、すばらしいと思われるでしょう。
そうすれば、皆で仏さまのもとへ行くことを許してくれるでしょう」
早速二人は、父のもとへ行きます。
空中に高く昇ったまま、自由自在に歩き回ったり、寝て見せたり、体から水を出し、火を出し、大空に満ちるような巨大な姿になったり、小さくなって見せたりします。
さらに、空中で消えたかと思うと、たちまち地上に現れ、水に飛び込むみたいに地面に飛び込み、あるいは水の上を大地を歩くように歩いて見せたりしました。
神変を目の当たりにした父は、大歓喜し、合掌して、子どもたちに言います。
「いったいお前たちは、だれを師匠にして、こんな力を得たのか。いったい、だれの弟子になったのか」
二人が答えます。
「今、広く法華経を説いておられる雲雷音宿王華智仏こそ、私たちの師匠です。私たちは、その弟子です」
父は言います。
「お前たちの師匠に、ぜひ、お会いしたい。一緒に行こう!」
二人の子どもは、空中から降りて、母のもとへ行き、合掌して伝えます。
「父上は、仏法を信じ、覚りを求める心を起こしました。どうか仏のもとへ行き、修行することを許してください」
母は言います。
「仏のもとで、修行することを許します。それは、仏に会うことが難しいからです」
そこで二人の子どもは、父と母に語ります。
「どうか一緒に、雲雷音宿王華智仏のもとへ行きましょう。仏に会うことができるのはまれなことであるのに、今、私たちは宿福深厚なので、仏法に巡り合うことができたのですから」
父である妙荘厳王は群臣を、母の浄徳夫人と子どもである二人の王子も、それぞれの眷属を引き連れて、共に仏のもとへ行きます。
その時、雲雷音宿王華智仏は、妙荘厳王のために法を説きます。
王は、すばらしい仏の説法に大歓悦して、夫人と共に大変に価値のある首飾りを、真心の供養としてささげます。すると、仏は大光明を放ちます。
それを見た王は、"仏の身は希有である"と思います。
その時、雲雷音宿王華智仏は、人々に告げます。
「この王は未来に成仏して、娑羅樹王仏となるだろう」
すぐに王は国を弟に譲り、一族と共に仏道に専念します。王は、その後、八万四千年にわたって法華経を修行します。
三昧(心を統一した境涯)を得た妙荘厳王は空に昇り、仏に言います。
「この二人の子は、私の善知識です。私を救いたいと思って、私の家に(子どもとして)生まれてきたのです」
その時、雲雷音宿王華智仏は、妙荘厳王に言います。
「その通りである。善知識は、大因縁である。
仏法に導いて、最高の覚りを得る心を起こさせてくれるのだ」
妙荘厳王は、空中から降りて、仏の無量百千万の功徳を賛嘆して、合掌して語ります。
「仏の法は、不可思議で妙なる功徳を具足し、成就しています。その教えと戒を行ずれば、安穏にして、快くなれます。
私は、今日よりは二度と、自分の心の言いなりにはなりません。二度と邪見、驕慢、怒り、諸悪の心を起こしません」
——ここまでが妙荘厳王にまつわる説話です。
釈尊は、人々に告げます。
「この話の真意は、なんであろうか。妙荘厳王は、どうして他の人のことであろうか。今の華徳菩薩である。浄徳夫人は光照荘厳相菩薩、二人の子どもは薬王菩薩、薬上菩薩である」
釈尊が妙荘厳王本事品を説く時、八万四千の人々は、汚れを離れて、真理を見る清らかな力を得ます。
【『法華経の智慧』から】 どれほど宿縁が深いか
人のせいにする愚痴の心がある分だけ、宿命転換は遅れる。「自分の宿命だ。自分の人生だ。まず自分が人間革命していこう」と決めて、苦しくとも、悲しくとも、御本尊に祈りきっていけば、必ず道は開ける。
◇
明るく、伸び伸びと、自分らしく活躍していけばいいのです。それが自体顕照です。自分の生命そのものを光らせていくのです。(中略)
他人をうらやんで生きるのは爾前の生き方です。「自分はこれで行くんだ」と決めて生きるのが法華経です。虚像ではなく、実像の自分で勝負していくのが信心です。それが「妙荘厳王」の意義なのです。
◇
今、世界広宣流布の真っただ中に生を受けたのがわれわれです。どれほど宿縁が深いか。どれほどの使命があるか。仏法に偶然はないのです。まさに「我れ等は宿福深厚にして、仏法に生まれ値えり」です。この厳粛な事実を自覚すれば、欣喜雀躍です。歓喜がほとばしり出る。(普及版〈下〉「妙荘厳王本事品」)
【コラム】 宿福深厚
"仏に巡り合うことは、3000年に1度開花する優曇華を見ることや、1000年に1度海上に浮かび上がる一眼の亀が浮木にあうことくらい難しい。しかし、宿福深厚(仏との宿縁が深く厚い)なので、正法と巡り合うことができた"——と、「妙荘厳王本事品」には記されています。
3000年、1000年という時間は、人間の寿命から比べれば、はるかに長い時間です。この一生で仏法に巡り合うことは、それほど難しく、希だということです。
今、仏法に巡り合い、妙法を受持できたことは、まさに宿縁の深さであり、使命の大きさのゆえといえます。それを思う時、自身の福運のありがたさに感謝と喜びがあふれてきます。
本年は、日蓮大聖人の御聖誕から800年——最高無二の哲学を持ち、希有の師匠と同じ時代に生きられる不思議さに思いをはせ、歓喜の前進を開始しましょう。
2022年3月25日金曜日
2022.03.25 わが友に贈る
季節の変わり目だ。
一日の寒暖差に注意。
疲れをためないよう
賢明に体調を整えよう。
きょうも健康第一で!
御義口伝巻下 P784
『桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり』
【通解】
桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの当体を改めずに、そのままで無作三身と開きあらわしていくことが即ち無量義の「量」の意義である。
名字の言 名球会入りした野球選手が「最も尊敬する人」 2022年3月25日
プロ野球2022年の公式戦がいよいよ、きょう開幕する。好ゲームが展開されることを期待したい▼かつて、2000本安打を放って名球会入りした野球選手を取材したことがある。新しいバットを握ると、1ミリ以下のごくわずかな太さの違いでも、すぐに気付くという話を聞き、驚いた▼「最も尊敬する人は?」との質問に対し、彼が挙げたのは華やかなプロの先輩や有名人ではなく、用具職人、打撃投手、グラウンドの整備員、試合の記録を取るスコアラーなど陰で支えてくれる人たちだった。「この方々がいるからこそプレーができる。本当に大切な存在」と。一流選手の感性は鋭い。その根っこに、「感謝の心」があることを知り、深く感動した▼先日、新入会の夫妻が支部の集いで決意を語った。「皆さんの生き方に学び、二人で出発します!」。会合の役員、会場の提供者、本紙の配達員、励ましの対話に地道に歩く友……。学会には、称賛や見返りなど求めず、目立たないところで生き生きと使命を果たす友がたくさんいる。そうした姿に共感し、夫妻は入会を決めた▼陰の労苦を誇りとする心。そして、陰で奮闘する人を尊ぶ心。この心の絆を強めながら前進することが、広布の「生命線」である。
寸鉄 2022年3月25日
「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」御書。仏意仏勅の大闘争に勇躍邁進(新1790・全1359)
東京・江東「師弟勝利の原点の日」。報恩の魂は脈々。圧倒的拡大今こそ
妙法を持つ女性の輝く姿には百の説法も敵わぬ—恩師。地域を照らす太陽
巨大地震、早期避難で死者8割減も可能と。日頃から避難経路などを確認
公立小で教職員を増員—22年度予算。公明が主張。教育の充実に希望の未来
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第17回 勇気のランナー
〈チェコの陸上選手 エミール・ザトペック〉
ゴールに飛び込む前に諦めて 自分に疑いを抱いてはならない。
自身の最高峰を目指し、限界に挑む人の姿ほど、心を打つものはない。スポーツには、その感動を生み出す力がある。
陸上競技に、かつて10年以上にわたって長距離界のトップに君臨し、複数の種目で世界記録を18度も塗り替えた人物がいた。
チェコ(当時チェコスロバキア)のエミール・ザトペック(1922—2000年)である。
荒々しい呼吸で、後続をけん引するように走ることから、付いたあだ名は「人間機関車」。だが彼は、決して"機関車"や超人だったわけではない。専門家から見れば、その脚力はとても世界に通用するものではなかったという。
華々しい活躍を支えた「圧倒的な走力」——それは「圧倒的な練習量」によって磨かれた。
練習時には真っ先にグラウンドへ行き、いつも最後まで残るのがザトペックだった。速さと持久力を鍛えるため、短距離走を反復するトレーニングを実践。「人間、ゴールにとびこむまえに決してあきらめたり、自分に疑いを抱いてはならぬ」との信念で、常に全力を尽くすことを心掛けた。
その中で次々と自己ベストを更新。国内外の大会で優勝し、五輪ではロンドン(1948年)の1万メートルに続き、ヘルシンキ(52年)の5000メートル、1万メートル、マラソンの3種目で金メダルに輝く快挙を成し遂げたのである。
一方、中距離には「1マイル(約1609メートル)」という種目がある。この競技では長年、「4分」の記録の壁が立ちはだかっていた。
その壁を初めて破ったのが、ロジャー・バニスター(1929—2018年)。米ライフ誌が"過去1000年で最も功績を残した世界の100人"に選んだ唯一のアスリートであり、英オックスフォード大学に学んだ医学生である。
当時の陸上界では、人間の潜在能力と努力をもってしても「1マイル3分台」を出すのは無理というのが定説だった。それに疑問をもったバニスターは、医学の勉強に励みながら、科学的知見に基づいたトレーニングに取り組んだ。
"自分がもつ精神と身体のエネルギーを一滴残らず4分の間に解放する"——わずか数秒、コンマ数秒を削るため、人が一生かけて歩く以上の距離を1年で走った。
そして、その「時」は訪れた。
挑戦開始から1年以上が過ぎた1954年5月、ついにバニスターは競技会で「3分59秒4」というタイムをたたき出す。すると、その直後から"自分にもできる"と、3分台で走り切るランナーが次から次に現れた。
彼が壊した"4分の壁"——それは、幾多の中距離選手を打ちのめしてきた"諦めの壁"だった。
〈箱根駅伝の創設者・金栗四三〉
失敗は成功の基にして、雨降って地固まる日を待つのみだ。
偉大な栄光の陰には、必ずといっていいほど苦難や挫折のドラマがある。「日本のマラソン王」と呼ばれる金栗四三(1891—1983年)も、試練を味わい、乗り越えた一人であった。
金栗は1912年、日本人初のオリンピック選手としてストックホルム大会のマラソンに出場。国内予選会では大記録を出したものの、世界のスピードに圧倒された上、極度の緊張と猛暑などの悪条件により、途中棄権してしまう。
翌日、彼は悔しさをにじませながら、日記にこう決意を記した。
「しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え」
さらに「粉骨砕身してマラソンの技を磨き」とつづり、次大会での雪辱を固く心に期した。だが、選手としてのピークにあった4年後のベルリン五輪は第1次世界大戦の影響で中止に。それでも金栗は世界への夢を諦めず、同時に次代を担う後進の育成にも情熱を注いでいく。その中で生まれた一つが、今日に至る「箱根駅伝」である。
五輪の失敗を飛躍の力に変え、陸上のみならず、日本スポーツの夜明けを開く立役者の一人となった金栗。先日閉幕した北京冬季五輪・パラリンピックや昨年の東京五輪・パラリンピックにおける日本人選手の活躍、そして、新春の箱根路を駆けた創価大学をはじめとする学生ランナーたちの奮闘を思う時、いかなる事業にも、その礎には先駆者の労苦があることを忘れてはなるまい。
〈若き日の池田先生の誓い〉
妙法の青年革命児よ、真っしぐらに、進みゆけ。
山を越え、川を越え、谷を越えて。
"走れメロス"の如くに。
厳然と、師は見守っているぞ。
池田先生は、若き日の日記につづっている。
「妙法の青年革命児よ、白馬に乗って、真っしぐらに、進みゆけ。山を越え、川を越え、谷を越えて。"走れメロス"の如くに。厳然と、師は見守っているぞ」と。
書いた日は1956年(昭和31年)3月29日。"まさかが実現"の勝利を果たすことになる「大阪の戦い」の真っただ中であった。
『走れメロス』(太宰治著)は友のため、正義のために走り抜いた一人の青年の物語。先生は恩師の構想を師弟の誓願として、行く先々で同志を鼓舞しながら、広布の"限界の壁""不可能の壁"を決然と打ち破っていった。
さらに先生は、創価の若き「正義の走者」たちに、「勇気のランナー」たる先人たちの人生を通して励ましを送ってきた。
ザトペックを通しては——
「青春の道は、決して途中では決まらない。自分自身を信じ抜き、負けじ魂を燃やして、最後の最後まで走り抜く人に、栄冠は輝くのです」(2017年6月4日、高等部結成53周年記念大会へのメッセージ)
バニスターを通しては——
「勝負の世界は、"心の壁"との戦いです。(中略)最高の努力をするために、心を強める最高の祈りをするのです。限界まで努力したら、また祈って限界を突破する努力を重ねていくのです。大事なことは、具体的に、そして強盛に祈ることです。的を狙わずに弱々しく矢を放っても当たらない。何とかなるだろうでは、何ともなりません。『何としても!』という、ひたぶるな祈りこそが、実を結ぶ。全身全霊をかけた祈りが、御本尊に通じないわけがないのです」(「未来対話『夢の翼』」第6回)
金栗四三を通しては——
「転ぶことだってある。何度転んでも、また立ち上がる若人こそ勝利者だ。創価の不屈の負けじ魂は、自分だけではなく、一緒に走る仲間や、あとに続く後輩たちを励まし、明日へ希望を広げていける。ゆえに、目先のことに一喜一憂することなく、苦しい時ほど勇気に燃えて、前へ前へ進むことです」(18年11月17日、創価学園「英知の日」へのメッセージ)
きょう3月16日は「広宣流布記念の日」。後継の誓い新たに、弟子が走り出す日である。
一日の寒暖差に注意。
疲れをためないよう
賢明に体調を整えよう。
きょうも健康第一で!
御義口伝巻下 P784
『桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり』
【通解】
桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの当体を改めずに、そのままで無作三身と開きあらわしていくことが即ち無量義の「量」の意義である。
名字の言 名球会入りした野球選手が「最も尊敬する人」 2022年3月25日
プロ野球2022年の公式戦がいよいよ、きょう開幕する。好ゲームが展開されることを期待したい▼かつて、2000本安打を放って名球会入りした野球選手を取材したことがある。新しいバットを握ると、1ミリ以下のごくわずかな太さの違いでも、すぐに気付くという話を聞き、驚いた▼「最も尊敬する人は?」との質問に対し、彼が挙げたのは華やかなプロの先輩や有名人ではなく、用具職人、打撃投手、グラウンドの整備員、試合の記録を取るスコアラーなど陰で支えてくれる人たちだった。「この方々がいるからこそプレーができる。本当に大切な存在」と。一流選手の感性は鋭い。その根っこに、「感謝の心」があることを知り、深く感動した▼先日、新入会の夫妻が支部の集いで決意を語った。「皆さんの生き方に学び、二人で出発します!」。会合の役員、会場の提供者、本紙の配達員、励ましの対話に地道に歩く友……。学会には、称賛や見返りなど求めず、目立たないところで生き生きと使命を果たす友がたくさんいる。そうした姿に共感し、夫妻は入会を決めた▼陰の労苦を誇りとする心。そして、陰で奮闘する人を尊ぶ心。この心の絆を強めながら前進することが、広布の「生命線」である。
寸鉄 2022年3月25日
「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」御書。仏意仏勅の大闘争に勇躍邁進(新1790・全1359)
東京・江東「師弟勝利の原点の日」。報恩の魂は脈々。圧倒的拡大今こそ
妙法を持つ女性の輝く姿には百の説法も敵わぬ—恩師。地域を照らす太陽
巨大地震、早期避難で死者8割減も可能と。日頃から避難経路などを確認
公立小で教職員を増員—22年度予算。公明が主張。教育の充実に希望の未来
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第17回 勇気のランナー
〈チェコの陸上選手 エミール・ザトペック〉
ゴールに飛び込む前に諦めて 自分に疑いを抱いてはならない。
自身の最高峰を目指し、限界に挑む人の姿ほど、心を打つものはない。スポーツには、その感動を生み出す力がある。
陸上競技に、かつて10年以上にわたって長距離界のトップに君臨し、複数の種目で世界記録を18度も塗り替えた人物がいた。
チェコ(当時チェコスロバキア)のエミール・ザトペック(1922—2000年)である。
荒々しい呼吸で、後続をけん引するように走ることから、付いたあだ名は「人間機関車」。だが彼は、決して"機関車"や超人だったわけではない。専門家から見れば、その脚力はとても世界に通用するものではなかったという。
華々しい活躍を支えた「圧倒的な走力」——それは「圧倒的な練習量」によって磨かれた。
練習時には真っ先にグラウンドへ行き、いつも最後まで残るのがザトペックだった。速さと持久力を鍛えるため、短距離走を反復するトレーニングを実践。「人間、ゴールにとびこむまえに決してあきらめたり、自分に疑いを抱いてはならぬ」との信念で、常に全力を尽くすことを心掛けた。
その中で次々と自己ベストを更新。国内外の大会で優勝し、五輪ではロンドン(1948年)の1万メートルに続き、ヘルシンキ(52年)の5000メートル、1万メートル、マラソンの3種目で金メダルに輝く快挙を成し遂げたのである。
一方、中距離には「1マイル(約1609メートル)」という種目がある。この競技では長年、「4分」の記録の壁が立ちはだかっていた。
その壁を初めて破ったのが、ロジャー・バニスター(1929—2018年)。米ライフ誌が"過去1000年で最も功績を残した世界の100人"に選んだ唯一のアスリートであり、英オックスフォード大学に学んだ医学生である。
当時の陸上界では、人間の潜在能力と努力をもってしても「1マイル3分台」を出すのは無理というのが定説だった。それに疑問をもったバニスターは、医学の勉強に励みながら、科学的知見に基づいたトレーニングに取り組んだ。
"自分がもつ精神と身体のエネルギーを一滴残らず4分の間に解放する"——わずか数秒、コンマ数秒を削るため、人が一生かけて歩く以上の距離を1年で走った。
そして、その「時」は訪れた。
挑戦開始から1年以上が過ぎた1954年5月、ついにバニスターは競技会で「3分59秒4」というタイムをたたき出す。すると、その直後から"自分にもできる"と、3分台で走り切るランナーが次から次に現れた。
彼が壊した"4分の壁"——それは、幾多の中距離選手を打ちのめしてきた"諦めの壁"だった。
〈箱根駅伝の創設者・金栗四三〉
失敗は成功の基にして、雨降って地固まる日を待つのみだ。
偉大な栄光の陰には、必ずといっていいほど苦難や挫折のドラマがある。「日本のマラソン王」と呼ばれる金栗四三(1891—1983年)も、試練を味わい、乗り越えた一人であった。
金栗は1912年、日本人初のオリンピック選手としてストックホルム大会のマラソンに出場。国内予選会では大記録を出したものの、世界のスピードに圧倒された上、極度の緊張と猛暑などの悪条件により、途中棄権してしまう。
翌日、彼は悔しさをにじませながら、日記にこう決意を記した。
「しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え」
さらに「粉骨砕身してマラソンの技を磨き」とつづり、次大会での雪辱を固く心に期した。だが、選手としてのピークにあった4年後のベルリン五輪は第1次世界大戦の影響で中止に。それでも金栗は世界への夢を諦めず、同時に次代を担う後進の育成にも情熱を注いでいく。その中で生まれた一つが、今日に至る「箱根駅伝」である。
五輪の失敗を飛躍の力に変え、陸上のみならず、日本スポーツの夜明けを開く立役者の一人となった金栗。先日閉幕した北京冬季五輪・パラリンピックや昨年の東京五輪・パラリンピックにおける日本人選手の活躍、そして、新春の箱根路を駆けた創価大学をはじめとする学生ランナーたちの奮闘を思う時、いかなる事業にも、その礎には先駆者の労苦があることを忘れてはなるまい。
〈若き日の池田先生の誓い〉
妙法の青年革命児よ、真っしぐらに、進みゆけ。
山を越え、川を越え、谷を越えて。
"走れメロス"の如くに。
厳然と、師は見守っているぞ。
池田先生は、若き日の日記につづっている。
「妙法の青年革命児よ、白馬に乗って、真っしぐらに、進みゆけ。山を越え、川を越え、谷を越えて。"走れメロス"の如くに。厳然と、師は見守っているぞ」と。
書いた日は1956年(昭和31年)3月29日。"まさかが実現"の勝利を果たすことになる「大阪の戦い」の真っただ中であった。
『走れメロス』(太宰治著)は友のため、正義のために走り抜いた一人の青年の物語。先生は恩師の構想を師弟の誓願として、行く先々で同志を鼓舞しながら、広布の"限界の壁""不可能の壁"を決然と打ち破っていった。
さらに先生は、創価の若き「正義の走者」たちに、「勇気のランナー」たる先人たちの人生を通して励ましを送ってきた。
ザトペックを通しては——
「青春の道は、決して途中では決まらない。自分自身を信じ抜き、負けじ魂を燃やして、最後の最後まで走り抜く人に、栄冠は輝くのです」(2017年6月4日、高等部結成53周年記念大会へのメッセージ)
バニスターを通しては——
「勝負の世界は、"心の壁"との戦いです。(中略)最高の努力をするために、心を強める最高の祈りをするのです。限界まで努力したら、また祈って限界を突破する努力を重ねていくのです。大事なことは、具体的に、そして強盛に祈ることです。的を狙わずに弱々しく矢を放っても当たらない。何とかなるだろうでは、何ともなりません。『何としても!』という、ひたぶるな祈りこそが、実を結ぶ。全身全霊をかけた祈りが、御本尊に通じないわけがないのです」(「未来対話『夢の翼』」第6回)
金栗四三を通しては——
「転ぶことだってある。何度転んでも、また立ち上がる若人こそ勝利者だ。創価の不屈の負けじ魂は、自分だけではなく、一緒に走る仲間や、あとに続く後輩たちを励まし、明日へ希望を広げていける。ゆえに、目先のことに一喜一憂することなく、苦しい時ほど勇気に燃えて、前へ前へ進むことです」(18年11月17日、創価学園「英知の日」へのメッセージ)
きょう3月16日は「広宣流布記念の日」。後継の誓い新たに、弟子が走り出す日である。
2022年3月24日木曜日
2022.03.24 わが友に贈る
女性の連帯こそ
平和と希望の象徴だ。
誓春の道を歩む
池田華陽会の友を
皆で支え励まそう!
異体同心事 P1463
『異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は外典三千余巻に定りて候』
【通解】
異体同心であれば万事を成就し、同体異心であれば何事もかなうことはない。このことは外典三千余巻に定まっている。
名字の言 命名から50年の「青年桜」 2022年3月24日
東京でも20日に桜が開花。総本部の「青年桜」にも、淡い花びらが顔をのぞかせる▼この桜は樹齢80年以上ともいわれ、1953年秋に学会本部が信濃町に移転した時には既に植わっていた。名は「青年」だが、風格十分の老大木。戸田先生、池田先生のもと、幾多の風雪を越えて、学会が世界宗教へと開花した歴史を知る"生き証人"である▼後継の月・3月は青年の飛躍が頼もしい。一方、老境に入りながら、なお青年の心で師弟の誓いに生きる大先輩たちの姿に心打たれた。出席した都内の座談会で、85歳の壮年が、33年間本紙を購読した地域の友人を入会に導いた喜びを語っていた。49番目の折伏という▼壮年の原点は49年前の池田先生との記念撮影会。全員で将来の希望を書こうという師の提案に「実業家」と記した。私鉄沿線に小さな時計店を開業して59年。実業家とまではいかないが、店はサロンのように人々が相談に立ち寄る、地域のオアシスになった。「来年は原点から50年。50世帯目を目指します!」との決意に、老若男女が大拍手を送った▼青年桜は冬の寒さと、自らの老いとも戦い、今年も勝って咲いた。その姿が創価の歴戦の英雄たちと重なる。池田先生による命名から50年の春爛漫である。
寸鉄 2022年3月24日
年齢はどうあれ一日一日進歩する人が青年—牧口先生。若々しい心で前進
福井師弟原点の日。関西の北の砦と光る大人材城 新時代の常勝の共戦譜を
桜前線が北上中。生命が躍動する喜びの春。我らは語らいの花を爛漫と!
自転車の危険運転、取締強化へ—警察庁。携帯の操作厳禁。車両の意識で
日本のアレルギー対策を支えたのは公明—医師。命守る政策実現の柱たれ
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第19回 仙台
◇東北に光る「励ましの城」
雪舞うも
寒風あれども
宮城は
花の咲く日を
心に忘れじ
一番、苦労した人が、一番、幸福になる。
言い尽くせぬ苦難を耐え抜き、勝ち越えた人間と郷土こそが、永遠に輝きわたる希望と歓喜と勝利の春に包まれる——。
これが、私が敬愛してやまない東北の友と共有する悲願であり、確信であり、決心です。
仙台ゆかりの俳人・阿部みどり女は詠いました。
「風強く きりりと晴れて 雪の山」
私には、あの蔵王連峰のごとく「きりりと」胸を張る東北の宝友たちの負けじ魂が思われてなりません。
厳しい試練の冬の先には、桜梅桃李の花また花が咲き薫る東北の春が来ます。厳寒の冬を知るからこそ、春の慈愛の温かさがわかる。春の喜びを、命の限り謳い上げる。
その香しく、麗しき花園は、まさに私と妻の大切な大切な友人である東北の母たち、女性たちのスクラムそのものです。
あの日、犠牲になられた皆様方、さらに、その後、お亡くなりになったすべての方々のご冥福を祈らない日はありません。そして、亡き方々の分までもと、生きて、生きて、生き抜いてこられた尊き皆様方が、健康と安穏とご多幸の日々であられるように、強く強く祈念し続けております。
人を支え、人に支えられ、共々に、一歩一歩、前を向いて歩んでこられた東北の方々に、私は最敬礼せずにはいられません。東北に光る、人間として何よりも崇高な「心の財」は、限りない励ましとなって、世界、未来を照らしてくれています。
◇絶対の信頼
〈戸田先生と池田先生が仙台の青葉城址を訪れた折、戸田先生は「永遠に崩れぬ人材の城を」と。恩師から託された大志のまま、池田先生は東北中を駆け巡り、人材の城を築いてきた〉
少年時代に庄内地震(一八九四年)のなかを生き抜き、仙台の春を深く愛した哲学者・阿部次郎は語りました。
「一人の人が出来得る限りに於いて善くなることは、直ちに社会の全体をよくすることである」と。
本当に、その通りだと思います。
ですから、一人を大切にし、一人を励まして、一人を育てていくことは、最も地道でありながら、最も確実な社会の建設でありましょう。
わが創価教育の創始者・牧口常三郎先生も、東北の教育力に注目され、東北大学をはじめ、仙台や石巻の小中学校、高等女学校、学校診療所なども、丹念に視察しておりました。
弟子である戸田城聖先生も、幾たびとなく仙台の友人たちのもとへ足を運んでいます。寒い冬にも、病身を押して東北への旅路に就いたほど、先生の友を愛する思いは強かったのです。
仙台のラジオ局でインタビューを受けた際、「仙台の方々に望むことは」との問いに、「一日も早く幸福に」と答えておりました。
私も、師と仰ぐ戸田先生にお供して、よく仙台に伺いました。上野発の夜行列車で出発し、仙台発の夜行列車で帰京したことも懐かしい。「いざという時、絶対に信頼できるのが、東北の友である」と、恩師と私はいつも語り合ってきました。
◇共に希望の春を
〈東北随一の青葉城の石垣は、多くの石がほぼ隙間なく、絶妙に組み合わされている。同様に、一人ももれなく大切にする東北の心の絆こそ、励ましの希望の城である——池田先生は友の不屈の歩みをたたえてやまない〉
戸田先生が激励され、私もよく知る仙台の婦人は語っていました。石巻とも縁の深い方です。
「東北人の武器は粘り強さと、一歩も引かない責任感です。その力が、いよいよ一番必要な時代に入ったと思います」
この女性も、青春時代から、結核を患うなど病気との闘いの連続でした。結婚後も貧窮に苦しみ、姑との折り合いがうまくいかないこともあり、あらゆる悩みに翻弄されて、絶望していたといいます。
そのなかで「冬は必ず春となる」「わざはひ(禍)も転じて幸となるべし」との希望の哲学を学んでいきます。
私は、この婦人に和歌を贈りました。
「昇りゆく 朝日の幸を 身に受けて
君よ 舞いゆけ 劇の如くに」
婦人は、狭い四畳の自宅に友を招き、また、自ら友のもとを訪れて、一緒に悩んで泣いたり、笑いころげたりしながら、人のため、地域のために尽くす活動を積み重ねていきました。そして、病気や貧乏に負けていた心は、いつしか吹き飛んでいったのです。
婦人にとって最も嬉しいことは、励ました友が、皆、境涯を大きく開いて、立派になっていくことです。
東北には、こうした励ましの母たちが、何と尊く光っていることでしょうか。共に悩み、共に泣き、一緒に祈ってくれる。自らの体験を語り、絶対に乗り越えられると勇気を贈ってくれる——。
東北の温もりは、母たちの心の温もりです。
大震災の困難にあっても、地域の宝の女性たちありて、東北復興の「励ましの城」は築かれています。
〈池田先生は、それぞれの舞台で地域に貢献する東北の青年の姿を紹介。仙台出身の詩人の言葉に託し、東北の友への期待を重ねて呼び掛けた〉
希望の春は、英知と力を合わせて苦難に挑みゆく青年たちの心に、たくましく芽ばえています。
恩師も私も愛誦した、仙台生まれの詩人・土井晩翠は、繰り返し、若い世代を激励しました。
「正しく 強く 朗らかに」と。
仙台の古称は「千代」です。愛する大東北に、「正しく強く朗らかに」伸びゆく青年たちと共に、世界が"千代の希望"と仰ぎ見る「人材の城」がそびえ立つ日を、私は信じてやみません。
若々しく
また 仲の良き
東北城
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)
平和と希望の象徴だ。
誓春の道を歩む
池田華陽会の友を
皆で支え励まそう!
異体同心事 P1463
『異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は外典三千余巻に定りて候』
【通解】
異体同心であれば万事を成就し、同体異心であれば何事もかなうことはない。このことは外典三千余巻に定まっている。
名字の言 命名から50年の「青年桜」 2022年3月24日
東京でも20日に桜が開花。総本部の「青年桜」にも、淡い花びらが顔をのぞかせる▼この桜は樹齢80年以上ともいわれ、1953年秋に学会本部が信濃町に移転した時には既に植わっていた。名は「青年」だが、風格十分の老大木。戸田先生、池田先生のもと、幾多の風雪を越えて、学会が世界宗教へと開花した歴史を知る"生き証人"である▼後継の月・3月は青年の飛躍が頼もしい。一方、老境に入りながら、なお青年の心で師弟の誓いに生きる大先輩たちの姿に心打たれた。出席した都内の座談会で、85歳の壮年が、33年間本紙を購読した地域の友人を入会に導いた喜びを語っていた。49番目の折伏という▼壮年の原点は49年前の池田先生との記念撮影会。全員で将来の希望を書こうという師の提案に「実業家」と記した。私鉄沿線に小さな時計店を開業して59年。実業家とまではいかないが、店はサロンのように人々が相談に立ち寄る、地域のオアシスになった。「来年は原点から50年。50世帯目を目指します!」との決意に、老若男女が大拍手を送った▼青年桜は冬の寒さと、自らの老いとも戦い、今年も勝って咲いた。その姿が創価の歴戦の英雄たちと重なる。池田先生による命名から50年の春爛漫である。
寸鉄 2022年3月24日
年齢はどうあれ一日一日進歩する人が青年—牧口先生。若々しい心で前進
福井師弟原点の日。関西の北の砦と光る大人材城 新時代の常勝の共戦譜を
桜前線が北上中。生命が躍動する喜びの春。我らは語らいの花を爛漫と!
自転車の危険運転、取締強化へ—警察庁。携帯の操作厳禁。車両の意識で
日本のアレルギー対策を支えたのは公明—医師。命守る政策実現の柱たれ
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第19回 仙台
◇東北に光る「励ましの城」
雪舞うも
寒風あれども
宮城は
花の咲く日を
心に忘れじ
一番、苦労した人が、一番、幸福になる。
言い尽くせぬ苦難を耐え抜き、勝ち越えた人間と郷土こそが、永遠に輝きわたる希望と歓喜と勝利の春に包まれる——。
これが、私が敬愛してやまない東北の友と共有する悲願であり、確信であり、決心です。
仙台ゆかりの俳人・阿部みどり女は詠いました。
「風強く きりりと晴れて 雪の山」
私には、あの蔵王連峰のごとく「きりりと」胸を張る東北の宝友たちの負けじ魂が思われてなりません。
厳しい試練の冬の先には、桜梅桃李の花また花が咲き薫る東北の春が来ます。厳寒の冬を知るからこそ、春の慈愛の温かさがわかる。春の喜びを、命の限り謳い上げる。
その香しく、麗しき花園は、まさに私と妻の大切な大切な友人である東北の母たち、女性たちのスクラムそのものです。
あの日、犠牲になられた皆様方、さらに、その後、お亡くなりになったすべての方々のご冥福を祈らない日はありません。そして、亡き方々の分までもと、生きて、生きて、生き抜いてこられた尊き皆様方が、健康と安穏とご多幸の日々であられるように、強く強く祈念し続けております。
人を支え、人に支えられ、共々に、一歩一歩、前を向いて歩んでこられた東北の方々に、私は最敬礼せずにはいられません。東北に光る、人間として何よりも崇高な「心の財」は、限りない励ましとなって、世界、未来を照らしてくれています。
◇絶対の信頼
〈戸田先生と池田先生が仙台の青葉城址を訪れた折、戸田先生は「永遠に崩れぬ人材の城を」と。恩師から託された大志のまま、池田先生は東北中を駆け巡り、人材の城を築いてきた〉
少年時代に庄内地震(一八九四年)のなかを生き抜き、仙台の春を深く愛した哲学者・阿部次郎は語りました。
「一人の人が出来得る限りに於いて善くなることは、直ちに社会の全体をよくすることである」と。
本当に、その通りだと思います。
ですから、一人を大切にし、一人を励まして、一人を育てていくことは、最も地道でありながら、最も確実な社会の建設でありましょう。
わが創価教育の創始者・牧口常三郎先生も、東北の教育力に注目され、東北大学をはじめ、仙台や石巻の小中学校、高等女学校、学校診療所なども、丹念に視察しておりました。
弟子である戸田城聖先生も、幾たびとなく仙台の友人たちのもとへ足を運んでいます。寒い冬にも、病身を押して東北への旅路に就いたほど、先生の友を愛する思いは強かったのです。
仙台のラジオ局でインタビューを受けた際、「仙台の方々に望むことは」との問いに、「一日も早く幸福に」と答えておりました。
私も、師と仰ぐ戸田先生にお供して、よく仙台に伺いました。上野発の夜行列車で出発し、仙台発の夜行列車で帰京したことも懐かしい。「いざという時、絶対に信頼できるのが、東北の友である」と、恩師と私はいつも語り合ってきました。
◇共に希望の春を
〈東北随一の青葉城の石垣は、多くの石がほぼ隙間なく、絶妙に組み合わされている。同様に、一人ももれなく大切にする東北の心の絆こそ、励ましの希望の城である——池田先生は友の不屈の歩みをたたえてやまない〉
戸田先生が激励され、私もよく知る仙台の婦人は語っていました。石巻とも縁の深い方です。
「東北人の武器は粘り強さと、一歩も引かない責任感です。その力が、いよいよ一番必要な時代に入ったと思います」
この女性も、青春時代から、結核を患うなど病気との闘いの連続でした。結婚後も貧窮に苦しみ、姑との折り合いがうまくいかないこともあり、あらゆる悩みに翻弄されて、絶望していたといいます。
そのなかで「冬は必ず春となる」「わざはひ(禍)も転じて幸となるべし」との希望の哲学を学んでいきます。
私は、この婦人に和歌を贈りました。
「昇りゆく 朝日の幸を 身に受けて
君よ 舞いゆけ 劇の如くに」
婦人は、狭い四畳の自宅に友を招き、また、自ら友のもとを訪れて、一緒に悩んで泣いたり、笑いころげたりしながら、人のため、地域のために尽くす活動を積み重ねていきました。そして、病気や貧乏に負けていた心は、いつしか吹き飛んでいったのです。
婦人にとって最も嬉しいことは、励ました友が、皆、境涯を大きく開いて、立派になっていくことです。
東北には、こうした励ましの母たちが、何と尊く光っていることでしょうか。共に悩み、共に泣き、一緒に祈ってくれる。自らの体験を語り、絶対に乗り越えられると勇気を贈ってくれる——。
東北の温もりは、母たちの心の温もりです。
大震災の困難にあっても、地域の宝の女性たちありて、東北復興の「励ましの城」は築かれています。
〈池田先生は、それぞれの舞台で地域に貢献する東北の青年の姿を紹介。仙台出身の詩人の言葉に託し、東北の友への期待を重ねて呼び掛けた〉
希望の春は、英知と力を合わせて苦難に挑みゆく青年たちの心に、たくましく芽ばえています。
恩師も私も愛誦した、仙台生まれの詩人・土井晩翠は、繰り返し、若い世代を激励しました。
「正しく 強く 朗らかに」と。
仙台の古称は「千代」です。愛する大東北に、「正しく強く朗らかに」伸びゆく青年たちと共に、世界が"千代の希望"と仰ぎ見る「人材の城」がそびえ立つ日を、私は信じてやみません。
若々しく
また 仲の良き
東北城
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)
2022年3月23日水曜日
2022.03.23 わが友に贈る
「さいわいは心より
いでて我をかざる」
感謝の人は幸せ!
報恩の心に
無量の福運が輝く。
(新2037・全1492)
清澄寺大衆中 P895
『恩をしらぬ人となりて後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へ』
【通解】
恩を知らない人間となって、後生に悪道に堕ちられることがかわいそうでならない。
名字の言 東北の皆さまの無事と幸福を祈ります 2022年3月23日
選抜高校野球大会の熱戦が続いている。19日に行われた阪神甲子園球場での開会式は感染防止のため、大会初日に出場する6校が参加。他校は地元で事前に収録した行進の模様が、映像で紹介された▼多くの出場校の選手たちは、木々の緑まぶしい景色の中をりりしく行進する。その中で、福島・只見高校の野球部員は、背丈を超す雪の壁の間を一歩一歩、踏み締めるように歩いていた。豪雪という逆境の中を力強く進む彼らの雄姿が誇らしく見えた▼同じ日の本紙に、先日の地震で被災した東北の様子が掲載された。現地の友に聞くと、被害が出た一般道には通行規制がかかり、リーダーは迂回しながら、メンバーの激励に奔走しているという▼道路や水道、交通網といったインフラも、懸命な復旧作業が続く。日常生活を取り戻すには、散乱、破損した物品の片付けなど、まだ時間がかかるだろう。それでも「悲嘆せず、力強く前へ進んでいきましょう」と励まし合う同志の姿に、強靱な負けじ魂を見る思いである▼"自分たちの奮闘が、必ず誰かの希望になる"ということを、私たちは何度も何度も、東北の友に教わってきた。だからこそ、皆の無事と幸福を祈らずにはいられない。共戦の同志として。
寸鉄 2022年3月23日
「一人として仏にならざるはなし」御書。妙法の力は偉大。確信強く前へ!(新2157・全1573)
中部女性部の日。希望を広げる対話の花が満開!勝利の一番星を皆の手で
学会は人の幸福と社会を善くする為にある—牧口先生。勇気で仏縁を拡大
朝の思考が一日の感情を決める—専門家。祈りは具体的に。爽快な勤行を
寒暖差疲労に留意。軽い運動が解消に効果—医師 聡明な生活リズム心掛け
☆輝きの瞬間 3月の広布史
◇1966年3月5日 壮年部の結成記念日
3月は、広布の黄金柱・壮年部の結成月である。
1966年3月5日、学会本部(当時)で壮年部の結成式が行われた。池田先生は、「頼みとなるのは皆さんです。壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です」と語った。
日蓮大聖人の時代、在家の中心となって活躍したのは、四条金吾や富木常忍など、壮年信徒である。また、初代会長の牧口先生は57歳で入信。第2代会長の戸田先生が出獄し、広布に一人立ったのは45歳の時であった。両先生が広布の戦を開始したのは、壮年時代である。
壮年部の結成を祝して、先生は「大白蓮華」に「妙法の名将」と題する巻頭言を寄せた。そこでは、"妙法の名将"の資格として、�御本尊への絶対の確信�難事をも成し遂げゆく力�社会の全てに通暁した世雄�後輩を育成していく熱意�人間性豊かな包容力ある指導者�旺盛な責任感と計画性——が論じられた。
結成から3年後の69年3月16日、東京・日本武道館で第1回壮年部総会が開催された。席上、先生は烈々たる気迫で、47分間にわたる講演を行った。
その中で、"「3・16」は、我々こそが広布実現の決意を深く固めていく日である"と訴えた。「広宣流布記念の日」を節目として、壮年が立ち上がることを呼び掛けたのである。
この時の思いを、先生は後に述べている。
「広宣流布を荘厳する決定打を放つのは、わが壮年部だ。生涯をかけて師弟の道を貫き、『霊山一会儼然未散』の創価の世界を守り抜き、地涌の誓願を果たし切る存在なのだ」
3月の異称である「弥生」には「(草木が)いよいよ生い茂る」との意味がある。あの地この国に今、"いよいよ"との意気に燃え、青年の心で広布拡大に挑戦する壮年がいる。この黄金柱が林立しているがゆえに、学会は強い。いかなる烈風にも揺るがない。
◇1982年3月22日 関西青年平和文化祭
1979年4月24日、池田先生の第3代会長辞任が発表された日の夜、若き日の先生が恩師にささげた和歌が、大阪の緊急本部長会で読み上げられた。
「古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ」
"私たちの師匠は永遠に池田先生!"——師弟の絆を引き裂こうとする、卑劣な悪僧らへの、堂々たる関西の宣言だった。
反転攻勢が本格的に開始された81年秋、大阪を訪れた先生に、文化祭の開催に向けて、関西の青年が語った。
「『学会ここにあり、創価の師弟は健在なり!』と、満天下に示す舞台にいたします!」「10万人の青年がお待ちしております!」
迎えた82年3月。文化祭1日目の21日は、雨天のため中止となった。会場の大阪・長居陸上競技場(当時)の地元の同志は、ぞうきんやバケツを持って集まり、グラウンドや競技場周辺の水たまりを、懸命にかき出した。無事故・大成功へ向け、全員が心を一つにした。
翌22日、爽やかな青空が広がった。文化祭は鮮やかな人文字とファンファーレで開幕した。
関西の友は、会長辞任の烈風の中、弘教に挑み、新たな青年部員が数多く誕生していた。その不屈の折伏精神は、文化祭の冒頭、新会員1万人の行進となって結実した。皆、第1次宗門事件の渦中に入会した男女青年部員であった。
バックスタンドに描き出される人文字では、「大阪の戦い」や「大阪大会」など、先生と関西の歴史をたどる人間絵巻が繰り広げられていった。
そして、今も語り継がれる"不滅の六段円塔"。円塔が立ち上がると、「関西魂」との人文字が踊った。反転攻勢の文化祭の象徴となった。
関西の同志は草創期から少しも変わらない、師弟常勝の魂を、創価の人間主義を、全身全霊で表現した。その後、中部、宮城、埼玉、沖縄などでも文化の祭典が開催された。第1次宗門事件の鉄鎖を断ち切り、学会は21世紀へと大きく飛翔を開始したのである。
◇1977年3月11日〜13日 福島県訪問
「みちのく」に新生の春が告げられた——1977年3月11日、池田先生は、郡山市に完成したばかりの福島文化会館(当時)を訪問した。本年で45周年の佳節を迎える。
前年の76年末から続く強い寒波の影響により、東北地方の農家は苦境に立たされた。先生は自然環境の猛威によって、試練の渦中にあった友のもとへ駆け付けた。
11日に行われた開館記念勤行会で先生は、69年10月の福島総合本部幹部会で提案した「希望に燃えて前進する福島」「生活闘争に勝利の福島」「生命力豊かな信仰の福島」との3指針を確認。創価の同志には、克服できない苦境など絶対にないと訴えた。
翌12日に開かれた2回目の勤行会では、地理的にも、広布の未来展望の上からも、福島は限りない発展の可能性を秘めた国土であると強調。功徳と福運が咲き薫る理想郷の建設を、と呼び掛けた。
福島滞在の最終日となる13日には、東北6県の代表幹部会に出席。どんな困難にも負けない東北の同志の粘り強さをたたえた。
その後、「3・16」の意義を込めた福島県青年部の記念集会が行われた。先生は「次の広宣流布の流れは、青年につくってもらう以外にない。そして、さらに若い世代が、次のもっと大きな拡大の流れをつくる。その永続的な戦いが広宣流布なんです」と述べ、福島青年部に万感の期待を寄せた。
3日間の激励行で、先生は「創価之山桜」などの揮毫を認め、東北の友に贈った。後年、"桜"の字に込めた思いについて記した。
「いかなる試練や苦難の冬が続こうとも、我らは胸張り耐え抜いて、断固として咲き誇るのだ! 『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』(全1253・新1696)という希望の大哲理を社会へ、世界へ、未来へ示していくのだ!」
「ずってもはっても(何があっても)負げでたまっか!」——東北の友が積み重ねてきた軌跡は、人間の不屈の力を示す"希望の鑑"として、未来を照らし続ける。
◇1986年3月21日 白樺会の日
このほど、女性部の看護者の集いである「白樺会」が、これまでの女子部の「白樺グループ」と一体となって、新出発した。
同グループは、1969年6月6日に結成された。厳しい環境にあっても、凜として立つ、白樺の木の強く、美しいたたずまいが、看護に従事する女性たちに重なると、池田先生が命名した。
以来、白樺の友は、職場で、広布の舞台で、共に励まし合いながら、前進してきた。
第3代会長辞任の翌月の79年5月、白樺の友が先生のもとに駆け付けた。その時の様子が随筆に記されている。
「『先生!』『先生!』と、数人の"白樺"の乙女たちが駆け寄ってきた。そして、一人の友が、涙を浮かべながら言い放った。
『先生、お元気ですか!』
一途な声であった。一緒にいたメンバーたちも、祈るような真剣な顔でその様子を見つめていた。
『私は、元気だよ!』
そう答えると、皆の笑顔がほころんだ」
"白樺"は、どこまでも師弟直結を貫いてきた。
白樺グループ出身者が、婦人部でも活躍していくようになり、86年3月21日、待望の「白樺会」が発足した。その記念の集いがまさに開始する時、先生は会場後方から入場。大歓喜の中、先生の導師で勤行が始まった。会合中、先生は何度も「大事な人たちだ」と語り、日々の労苦を心からねぎらった。
5月には関西にも白樺会が結成され、その後、全国へと広がっていった。研修や健康対談など、白樺の友への師の激励は尽きない。
97年3月の結成記念の集いに、先生はメッセージを寄せた。
「大変なご苦労がいっぱいあることでしょうが、皆さま方の、ひとことひとこと、また、そして一つ一つの振る舞いが、一人の人間に生きる希望をどれほど与えているのか」
「私も、人々を救っていくという意味で、白樺会の一員になったつもりで、一日一日を戦ってまいります」
いでて我をかざる」
感謝の人は幸せ!
報恩の心に
無量の福運が輝く。
(新2037・全1492)
清澄寺大衆中 P895
『恩をしらぬ人となりて後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へ』
【通解】
恩を知らない人間となって、後生に悪道に堕ちられることがかわいそうでならない。
名字の言 東北の皆さまの無事と幸福を祈ります 2022年3月23日
選抜高校野球大会の熱戦が続いている。19日に行われた阪神甲子園球場での開会式は感染防止のため、大会初日に出場する6校が参加。他校は地元で事前に収録した行進の模様が、映像で紹介された▼多くの出場校の選手たちは、木々の緑まぶしい景色の中をりりしく行進する。その中で、福島・只見高校の野球部員は、背丈を超す雪の壁の間を一歩一歩、踏み締めるように歩いていた。豪雪という逆境の中を力強く進む彼らの雄姿が誇らしく見えた▼同じ日の本紙に、先日の地震で被災した東北の様子が掲載された。現地の友に聞くと、被害が出た一般道には通行規制がかかり、リーダーは迂回しながら、メンバーの激励に奔走しているという▼道路や水道、交通網といったインフラも、懸命な復旧作業が続く。日常生活を取り戻すには、散乱、破損した物品の片付けなど、まだ時間がかかるだろう。それでも「悲嘆せず、力強く前へ進んでいきましょう」と励まし合う同志の姿に、強靱な負けじ魂を見る思いである▼"自分たちの奮闘が、必ず誰かの希望になる"ということを、私たちは何度も何度も、東北の友に教わってきた。だからこそ、皆の無事と幸福を祈らずにはいられない。共戦の同志として。
寸鉄 2022年3月23日
「一人として仏にならざるはなし」御書。妙法の力は偉大。確信強く前へ!(新2157・全1573)
中部女性部の日。希望を広げる対話の花が満開!勝利の一番星を皆の手で
学会は人の幸福と社会を善くする為にある—牧口先生。勇気で仏縁を拡大
朝の思考が一日の感情を決める—専門家。祈りは具体的に。爽快な勤行を
寒暖差疲労に留意。軽い運動が解消に効果—医師 聡明な生活リズム心掛け
☆輝きの瞬間 3月の広布史
◇1966年3月5日 壮年部の結成記念日
3月は、広布の黄金柱・壮年部の結成月である。
1966年3月5日、学会本部(当時)で壮年部の結成式が行われた。池田先生は、「頼みとなるのは皆さんです。壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です」と語った。
日蓮大聖人の時代、在家の中心となって活躍したのは、四条金吾や富木常忍など、壮年信徒である。また、初代会長の牧口先生は57歳で入信。第2代会長の戸田先生が出獄し、広布に一人立ったのは45歳の時であった。両先生が広布の戦を開始したのは、壮年時代である。
壮年部の結成を祝して、先生は「大白蓮華」に「妙法の名将」と題する巻頭言を寄せた。そこでは、"妙法の名将"の資格として、�御本尊への絶対の確信�難事をも成し遂げゆく力�社会の全てに通暁した世雄�後輩を育成していく熱意�人間性豊かな包容力ある指導者�旺盛な責任感と計画性——が論じられた。
結成から3年後の69年3月16日、東京・日本武道館で第1回壮年部総会が開催された。席上、先生は烈々たる気迫で、47分間にわたる講演を行った。
その中で、"「3・16」は、我々こそが広布実現の決意を深く固めていく日である"と訴えた。「広宣流布記念の日」を節目として、壮年が立ち上がることを呼び掛けたのである。
この時の思いを、先生は後に述べている。
「広宣流布を荘厳する決定打を放つのは、わが壮年部だ。生涯をかけて師弟の道を貫き、『霊山一会儼然未散』の創価の世界を守り抜き、地涌の誓願を果たし切る存在なのだ」
3月の異称である「弥生」には「(草木が)いよいよ生い茂る」との意味がある。あの地この国に今、"いよいよ"との意気に燃え、青年の心で広布拡大に挑戦する壮年がいる。この黄金柱が林立しているがゆえに、学会は強い。いかなる烈風にも揺るがない。
◇1982年3月22日 関西青年平和文化祭
1979年4月24日、池田先生の第3代会長辞任が発表された日の夜、若き日の先生が恩師にささげた和歌が、大阪の緊急本部長会で読み上げられた。
「古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ」
"私たちの師匠は永遠に池田先生!"——師弟の絆を引き裂こうとする、卑劣な悪僧らへの、堂々たる関西の宣言だった。
反転攻勢が本格的に開始された81年秋、大阪を訪れた先生に、文化祭の開催に向けて、関西の青年が語った。
「『学会ここにあり、創価の師弟は健在なり!』と、満天下に示す舞台にいたします!」「10万人の青年がお待ちしております!」
迎えた82年3月。文化祭1日目の21日は、雨天のため中止となった。会場の大阪・長居陸上競技場(当時)の地元の同志は、ぞうきんやバケツを持って集まり、グラウンドや競技場周辺の水たまりを、懸命にかき出した。無事故・大成功へ向け、全員が心を一つにした。
翌22日、爽やかな青空が広がった。文化祭は鮮やかな人文字とファンファーレで開幕した。
関西の友は、会長辞任の烈風の中、弘教に挑み、新たな青年部員が数多く誕生していた。その不屈の折伏精神は、文化祭の冒頭、新会員1万人の行進となって結実した。皆、第1次宗門事件の渦中に入会した男女青年部員であった。
バックスタンドに描き出される人文字では、「大阪の戦い」や「大阪大会」など、先生と関西の歴史をたどる人間絵巻が繰り広げられていった。
そして、今も語り継がれる"不滅の六段円塔"。円塔が立ち上がると、「関西魂」との人文字が踊った。反転攻勢の文化祭の象徴となった。
関西の同志は草創期から少しも変わらない、師弟常勝の魂を、創価の人間主義を、全身全霊で表現した。その後、中部、宮城、埼玉、沖縄などでも文化の祭典が開催された。第1次宗門事件の鉄鎖を断ち切り、学会は21世紀へと大きく飛翔を開始したのである。
◇1977年3月11日〜13日 福島県訪問
「みちのく」に新生の春が告げられた——1977年3月11日、池田先生は、郡山市に完成したばかりの福島文化会館(当時)を訪問した。本年で45周年の佳節を迎える。
前年の76年末から続く強い寒波の影響により、東北地方の農家は苦境に立たされた。先生は自然環境の猛威によって、試練の渦中にあった友のもとへ駆け付けた。
11日に行われた開館記念勤行会で先生は、69年10月の福島総合本部幹部会で提案した「希望に燃えて前進する福島」「生活闘争に勝利の福島」「生命力豊かな信仰の福島」との3指針を確認。創価の同志には、克服できない苦境など絶対にないと訴えた。
翌12日に開かれた2回目の勤行会では、地理的にも、広布の未来展望の上からも、福島は限りない発展の可能性を秘めた国土であると強調。功徳と福運が咲き薫る理想郷の建設を、と呼び掛けた。
福島滞在の最終日となる13日には、東北6県の代表幹部会に出席。どんな困難にも負けない東北の同志の粘り強さをたたえた。
その後、「3・16」の意義を込めた福島県青年部の記念集会が行われた。先生は「次の広宣流布の流れは、青年につくってもらう以外にない。そして、さらに若い世代が、次のもっと大きな拡大の流れをつくる。その永続的な戦いが広宣流布なんです」と述べ、福島青年部に万感の期待を寄せた。
3日間の激励行で、先生は「創価之山桜」などの揮毫を認め、東北の友に贈った。後年、"桜"の字に込めた思いについて記した。
「いかなる試練や苦難の冬が続こうとも、我らは胸張り耐え抜いて、断固として咲き誇るのだ! 『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』(全1253・新1696)という希望の大哲理を社会へ、世界へ、未来へ示していくのだ!」
「ずってもはっても(何があっても)負げでたまっか!」——東北の友が積み重ねてきた軌跡は、人間の不屈の力を示す"希望の鑑"として、未来を照らし続ける。
◇1986年3月21日 白樺会の日
このほど、女性部の看護者の集いである「白樺会」が、これまでの女子部の「白樺グループ」と一体となって、新出発した。
同グループは、1969年6月6日に結成された。厳しい環境にあっても、凜として立つ、白樺の木の強く、美しいたたずまいが、看護に従事する女性たちに重なると、池田先生が命名した。
以来、白樺の友は、職場で、広布の舞台で、共に励まし合いながら、前進してきた。
第3代会長辞任の翌月の79年5月、白樺の友が先生のもとに駆け付けた。その時の様子が随筆に記されている。
「『先生!』『先生!』と、数人の"白樺"の乙女たちが駆け寄ってきた。そして、一人の友が、涙を浮かべながら言い放った。
『先生、お元気ですか!』
一途な声であった。一緒にいたメンバーたちも、祈るような真剣な顔でその様子を見つめていた。
『私は、元気だよ!』
そう答えると、皆の笑顔がほころんだ」
"白樺"は、どこまでも師弟直結を貫いてきた。
白樺グループ出身者が、婦人部でも活躍していくようになり、86年3月21日、待望の「白樺会」が発足した。その記念の集いがまさに開始する時、先生は会場後方から入場。大歓喜の中、先生の導師で勤行が始まった。会合中、先生は何度も「大事な人たちだ」と語り、日々の労苦を心からねぎらった。
5月には関西にも白樺会が結成され、その後、全国へと広がっていった。研修や健康対談など、白樺の友への師の激励は尽きない。
97年3月の結成記念の集いに、先生はメッセージを寄せた。
「大変なご苦労がいっぱいあることでしょうが、皆さま方の、ひとことひとこと、また、そして一つ一つの振る舞いが、一人の人間に生きる希望をどれほど与えているのか」
「私も、人々を救っていくという意味で、白樺会の一員になったつもりで、一日一日を戦ってまいります」
2022年3月22日火曜日
2022.03.22 わが友に贈る
自分だからこそ
語れる人がいる。
寄り添える人がいる。
地涌の使命を胸に
友に幸の声を届けよう!
御義口伝巻上 P716
『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』
【通解】
我らの頭は妙である。のどは法である。胸は蓮である。腹は華である。足は経である。この五尺の身が妙法蓮華経の五字の当体である。
名字の言 冬来りなば春遠からじ 2022年3月22日
作家の伊集院静さんがかつて、本紙でこんな話を紹介していた。北国では桜が咲き始めようかという時季に、どか雪が降ることがある。その摂理を知る一婦人がこう言った。「ドーンと最後の雪が降れば、ようやく春が来るんだべ。いい雪なんだ」▼71年間、美容師として活躍し続けてきた女性部員がいる。幾たびも、厳冬のような試練に見舞われた。亡夫が多額の借金をつくった時、御聖訓「いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給うべからず」(新1583・全1163)を何十回、何百回と拝読し、"負けてなるものか"と闘志を湧き立たせた。約10年かけて負債を完済し、美容室を守り抜いた▼大病を患った際、懸命に唱題を重ねると、"この病が私を強くしてくれる"と確信が込み上げた。見事に克服してからは、「困難にありがとう」「苦労にありがとう」が口ぐせになった▼感謝と喜びで100世帯以上に弘教してきた彼女は、今年91歳。青年さながらの笑顔で語る。「信心で悩みを乗り越えるとね、パーッと幸福境涯が開かれるの。ワクワクするわよ」▼冬来りなば春遠からじ——それを示してくれる先輩が、広布の庭のここかしこに輝いている。実に誇らしく、実にありがたい。
寸鉄 2022年3月22日
どんな大業も地道な努力の積み重ねに—戸田先生 今日も"自分に勝つ"一歩
関西男子部の日。圧巻の6段円塔40周年。若き力で新たな常勝の歴史開け
未来部担当者の尊き奮闘に感謝。創立100周年へ! 後継の鳳雛育む使命は大
広く衆生を利益すること滞り有るべからず—御書 勇気即慈悲。対話の渦を(新728・全574)
国連・世界水の日。自然環境の保護は待ったなし。"地球益"の為に足元から
☆栄光の共戦譜 第3回 1962年(昭和37年)「勝利の年」
◇多くの友をつくり、正義の拡大を
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第3回は、「勝利の年」と銘打たれた1962年(昭和37年)を掲載する。
◇「1・25」大阪事件の無罪判決
1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は、事実無根の選挙違反容疑で大阪府警に逮捕された。大阪事件である。背景には、民衆勢力として台頭する学会を陥れようとの、権力の謀略があった。
7月3日は、軍部政府の弾圧と戦い抜いて投獄された戸田先生が、45年(同20年)に出獄した日でもあった。
恩師は、大阪へと向かう愛弟子に言った。「お前が死ぬようなことになったら、私も、すぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」
池田先生は誓った——。"戸田先生の弟子らしく、私は、力の限り戦う"
17日に出獄した池田先生を待ち受けていたのは、4年半にわたる過酷な法廷闘争だった。58年(同33年)3月5日、池田先生は、裁判のために大阪に行くことを恩師に告げた。戸田先生は、衰弱する体を布団から起こし、毅然として言った。
「裁判は、容易ならざる戦いになるだろう」「しかし、最後は勝つ。金は金だ」「真実は必ず明らかになる。悠々と、堂々と、男らしく戦うんだ」
恩師の言葉通り、池田先生は84回の公判を経て、62年(同37年)1月25日、「大阪事件」の無罪判決を勝ち取る。それは、先生と共に戦い抜いた関西の同志の勝利であり、創価の勝利でもあった。
無罪判決の前夜、先生は兵庫で開催された関西の男子部幹部会に出席し、大阪事件のえん罪の構図と権力の魔性に言及。幹部会終了後、駆け寄ってきた青年たちに語った——一人一人が力をつけ成長することだ! 多くの友をつくり、正義の陣列を拡大することだ! そして広宣流布の戦いに勝って、世間をあっと言わせる時代を創ることだ!
この「戦い続ける心」こそ、「1・25」に刻まれた魂である。
◇「1・27」東洋学術研究所発足 「3・8」学芸部結成
1962年(昭和37年)は、東西冷戦の真っただ中であった。前年、「ベルリンの壁」が築かれ、この年の10月には「キューバ危機」が勃発。米ソの衝突は寸前で回避されたものの、世界が核兵器の脅威に怯えていた。
池田先生は、世界を不戦へと導くため、"文化交流"の潮流を広げゆくことを深く心に期した。
61年(同36年)のアジア訪問の際に提案し、62年1月27日に発足したのが「東洋学術研究所」(現・東洋哲学研究所〈東哲〉)である。学会が設立する文化・教育機関の先駆けとして、東洋をはじめ世界の思想・哲学・文化を多角的に研究する機関が誕生した。
以来、東哲は法華経を中心に、世界の宗教や思想、文化の研究を推進。環境問題、平和、人権、生命倫理など、地球的問題群の解決への道を探究し続けてきた。世界の学術機関等と交流を重ね、文明間・宗教間の対話を進めるとともに、「法華経写本シリーズ」の発刊等を通して、仏教の原典研究の発展に寄与している。
同年3月8日には、学術・芸術の担い手である「学芸部」(後の学術部、芸術部)の結成式が行われた。先生は、学術部には「唱題による知恵を根本として知識を活用してほしい」と訴え、芸術部へは「信心を根本に自らの職業で伸び伸びと活躍を」と激励した。
池田先生は、文化の重要性を述べている。「文化は固有性とともに共感性をもち、民族、国家、イデオロギーの壁を超えて、人間と人間の心を結ぶ"磁石"の働きをもっている」
師匠の手によって"文化の華"の種子が蒔かれてから60星霜——。平和の礎となる文化と友情のさらなる大輪を咲かせゆくことは後継の私たちの使命である。
◇「8・31」御義口伝講義を開始
「混迷せる現代思想の革命は、この大思想による以外ないと確信する」——池田先生の『御義口伝講義』の「序」の一文である。
1962年(昭和37年)7月、先生と学生部との懇談の折、"ぜひ御書講義を"と学生部から要請があった。先生は「よし、やろう!」「一緒に勉強していこう」と快諾。8月31日、学生部の代表への「御義口伝」講義がスタートした。
当時の学生の間には、いわゆる"60年安保"闘争の挫折に伴う喪失感が漂っていた。そうした状況の中で、先生は日蓮仏法が社会建設の哲理であることを示したのである。
先生の講義は、御書の拝し方といった教学の基本姿勢から、仏法の生命観まで縦横無尽に展開した。「私が、みんなに厳しく指導するのは、仏法の因果の理法が厳しいからです」——。講義は、厳粛な中にも深い慈愛がこもっていた。
翌年9月からは、1年にわたって、関西で「百六箇抄」の講義を実施。64年(同39年)11月、京大生・関西以西の代表への「御義口伝」講義を開始するとともに、12月には中部で「諸法実相抄」の講義を行っている。師匠の渾身の講義は、創価後継の精鋭たちを鍛える人間教育の場となったのである。
先生は、受講生たちに語った。
「私は、戸田先生から、十年間、徹底して、広宣流布の原理を教わった。師匠は原理、弟子は応用だ。今度は、将来、君たちが私の成したことを土台にして、何十倍も、何百倍も展開し、広宣流布の大道を開いていってほしい」
「御義口伝」に「普賢菩薩の威神の力」(新1085・全780)と。仏法は、創価の普賢菩薩たる学生部の力で広まる——これが広布の方程式である。
◆年表◆
1962年
〈1月24日〉
関西指導(〜25日。大阪、兵庫)
〈1月25日〉
大阪事件裁判の第84回公判で無罪判決(大阪地裁)
裁判は4年半に及ぶ
検察は控訴せず、無罪が確定
〈1月27日〉
東洋学術研究所(現・東洋哲学研究所)の発足式(東京)
東洋を中心に世界の文化、宗教、民族性を研究し、文明間の相互理解、人類の平和に寄与することを目指す
〈1月29日〉
中東・アジア訪問(〜2月12日。イラン、イラク、トルコ、ギリシャ、エジプト、パキスタン、タイ、香港)
バンコク(2月11日)、香港(12日)の支部結成を発表
〈3月8日〉
学芸部(後の学術部、芸術部)結成式(東京)
〈3月16日〉
第2回青年部音楽祭(東京)
〈4月17日〉
青年部主催による初の柔剣道大会(東京)
〈5月3日〉
第24回本部総会(東京)
海外から130人を超えるメンバーが参加
〈5月8日〉
東北本部幹部会(宮城)
〈6月15日〉
北海道地区部長会
〈6月18日〉
長野指導(〜19日)
〈6月20日〉
和歌山・九州指導(〜24日。和歌山、大分、福岡)
〈7月17日〉
沖縄指導(〜19日)
〈7月22日〉
第5回学生部総会(東京)
〈8月1日〉
第1回教育部全国大会(東京)
創価教育学の研究、教育体験を発表する雑誌出版を提案
翌9月に機関誌「灯台」が発刊される〈後に第三文明社から、教育雑誌として刊行〉
〈8月4日〉
富士吹奏楽団結成式(静岡)
〈8月31日〉
学生部の代表に「御義口伝」の講義を開始(東京)
〈9月13日〉
公明政治連盟第1回全国大会(東京)
"大衆と共に語り、大衆のために戦い、大衆のなかに死んでいく"政治家のあり方を語る。後の公明党の立党の精神となる
〈9月16日〉
九州指導(〜17日。熊本、大分)
〈9月23日〉
青年部第4回全国体育大会「若人の祭典」(神奈川)
〈10月6日〉
青年部主催の第1回関西音楽祭(兵庫)
〈10月14日〉
青年部の第1回文化祭(東京。15日、神奈川)
〈11月3日〉
教学部助師・講師昇格試験の会場で受験者を激励(東京)
〈11月27日〉
第31回本部幹部会で300万世帯の達成を発表(東京)
〈12月2日〉
第10回女子部総会(東京)
〈12月9日〉
第11回男子部総会(東京)
語れる人がいる。
寄り添える人がいる。
地涌の使命を胸に
友に幸の声を届けよう!
御義口伝巻上 P716
『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』
【通解】
我らの頭は妙である。のどは法である。胸は蓮である。腹は華である。足は経である。この五尺の身が妙法蓮華経の五字の当体である。
名字の言 冬来りなば春遠からじ 2022年3月22日
作家の伊集院静さんがかつて、本紙でこんな話を紹介していた。北国では桜が咲き始めようかという時季に、どか雪が降ることがある。その摂理を知る一婦人がこう言った。「ドーンと最後の雪が降れば、ようやく春が来るんだべ。いい雪なんだ」▼71年間、美容師として活躍し続けてきた女性部員がいる。幾たびも、厳冬のような試練に見舞われた。亡夫が多額の借金をつくった時、御聖訓「いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給うべからず」(新1583・全1163)を何十回、何百回と拝読し、"負けてなるものか"と闘志を湧き立たせた。約10年かけて負債を完済し、美容室を守り抜いた▼大病を患った際、懸命に唱題を重ねると、"この病が私を強くしてくれる"と確信が込み上げた。見事に克服してからは、「困難にありがとう」「苦労にありがとう」が口ぐせになった▼感謝と喜びで100世帯以上に弘教してきた彼女は、今年91歳。青年さながらの笑顔で語る。「信心で悩みを乗り越えるとね、パーッと幸福境涯が開かれるの。ワクワクするわよ」▼冬来りなば春遠からじ——それを示してくれる先輩が、広布の庭のここかしこに輝いている。実に誇らしく、実にありがたい。
寸鉄 2022年3月22日
どんな大業も地道な努力の積み重ねに—戸田先生 今日も"自分に勝つ"一歩
関西男子部の日。圧巻の6段円塔40周年。若き力で新たな常勝の歴史開け
未来部担当者の尊き奮闘に感謝。創立100周年へ! 後継の鳳雛育む使命は大
広く衆生を利益すること滞り有るべからず—御書 勇気即慈悲。対話の渦を(新728・全574)
国連・世界水の日。自然環境の保護は待ったなし。"地球益"の為に足元から
☆栄光の共戦譜 第3回 1962年(昭和37年)「勝利の年」
◇多くの友をつくり、正義の拡大を
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第3回は、「勝利の年」と銘打たれた1962年(昭和37年)を掲載する。
◇「1・25」大阪事件の無罪判決
1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は、事実無根の選挙違反容疑で大阪府警に逮捕された。大阪事件である。背景には、民衆勢力として台頭する学会を陥れようとの、権力の謀略があった。
7月3日は、軍部政府の弾圧と戦い抜いて投獄された戸田先生が、45年(同20年)に出獄した日でもあった。
恩師は、大阪へと向かう愛弟子に言った。「お前が死ぬようなことになったら、私も、すぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」
池田先生は誓った——。"戸田先生の弟子らしく、私は、力の限り戦う"
17日に出獄した池田先生を待ち受けていたのは、4年半にわたる過酷な法廷闘争だった。58年(同33年)3月5日、池田先生は、裁判のために大阪に行くことを恩師に告げた。戸田先生は、衰弱する体を布団から起こし、毅然として言った。
「裁判は、容易ならざる戦いになるだろう」「しかし、最後は勝つ。金は金だ」「真実は必ず明らかになる。悠々と、堂々と、男らしく戦うんだ」
恩師の言葉通り、池田先生は84回の公判を経て、62年(同37年)1月25日、「大阪事件」の無罪判決を勝ち取る。それは、先生と共に戦い抜いた関西の同志の勝利であり、創価の勝利でもあった。
無罪判決の前夜、先生は兵庫で開催された関西の男子部幹部会に出席し、大阪事件のえん罪の構図と権力の魔性に言及。幹部会終了後、駆け寄ってきた青年たちに語った——一人一人が力をつけ成長することだ! 多くの友をつくり、正義の陣列を拡大することだ! そして広宣流布の戦いに勝って、世間をあっと言わせる時代を創ることだ!
この「戦い続ける心」こそ、「1・25」に刻まれた魂である。
◇「1・27」東洋学術研究所発足 「3・8」学芸部結成
1962年(昭和37年)は、東西冷戦の真っただ中であった。前年、「ベルリンの壁」が築かれ、この年の10月には「キューバ危機」が勃発。米ソの衝突は寸前で回避されたものの、世界が核兵器の脅威に怯えていた。
池田先生は、世界を不戦へと導くため、"文化交流"の潮流を広げゆくことを深く心に期した。
61年(同36年)のアジア訪問の際に提案し、62年1月27日に発足したのが「東洋学術研究所」(現・東洋哲学研究所〈東哲〉)である。学会が設立する文化・教育機関の先駆けとして、東洋をはじめ世界の思想・哲学・文化を多角的に研究する機関が誕生した。
以来、東哲は法華経を中心に、世界の宗教や思想、文化の研究を推進。環境問題、平和、人権、生命倫理など、地球的問題群の解決への道を探究し続けてきた。世界の学術機関等と交流を重ね、文明間・宗教間の対話を進めるとともに、「法華経写本シリーズ」の発刊等を通して、仏教の原典研究の発展に寄与している。
同年3月8日には、学術・芸術の担い手である「学芸部」(後の学術部、芸術部)の結成式が行われた。先生は、学術部には「唱題による知恵を根本として知識を活用してほしい」と訴え、芸術部へは「信心を根本に自らの職業で伸び伸びと活躍を」と激励した。
池田先生は、文化の重要性を述べている。「文化は固有性とともに共感性をもち、民族、国家、イデオロギーの壁を超えて、人間と人間の心を結ぶ"磁石"の働きをもっている」
師匠の手によって"文化の華"の種子が蒔かれてから60星霜——。平和の礎となる文化と友情のさらなる大輪を咲かせゆくことは後継の私たちの使命である。
◇「8・31」御義口伝講義を開始
「混迷せる現代思想の革命は、この大思想による以外ないと確信する」——池田先生の『御義口伝講義』の「序」の一文である。
1962年(昭和37年)7月、先生と学生部との懇談の折、"ぜひ御書講義を"と学生部から要請があった。先生は「よし、やろう!」「一緒に勉強していこう」と快諾。8月31日、学生部の代表への「御義口伝」講義がスタートした。
当時の学生の間には、いわゆる"60年安保"闘争の挫折に伴う喪失感が漂っていた。そうした状況の中で、先生は日蓮仏法が社会建設の哲理であることを示したのである。
先生の講義は、御書の拝し方といった教学の基本姿勢から、仏法の生命観まで縦横無尽に展開した。「私が、みんなに厳しく指導するのは、仏法の因果の理法が厳しいからです」——。講義は、厳粛な中にも深い慈愛がこもっていた。
翌年9月からは、1年にわたって、関西で「百六箇抄」の講義を実施。64年(同39年)11月、京大生・関西以西の代表への「御義口伝」講義を開始するとともに、12月には中部で「諸法実相抄」の講義を行っている。師匠の渾身の講義は、創価後継の精鋭たちを鍛える人間教育の場となったのである。
先生は、受講生たちに語った。
「私は、戸田先生から、十年間、徹底して、広宣流布の原理を教わった。師匠は原理、弟子は応用だ。今度は、将来、君たちが私の成したことを土台にして、何十倍も、何百倍も展開し、広宣流布の大道を開いていってほしい」
「御義口伝」に「普賢菩薩の威神の力」(新1085・全780)と。仏法は、創価の普賢菩薩たる学生部の力で広まる——これが広布の方程式である。
◆年表◆
1962年
〈1月24日〉
関西指導(〜25日。大阪、兵庫)
〈1月25日〉
大阪事件裁判の第84回公判で無罪判決(大阪地裁)
裁判は4年半に及ぶ
検察は控訴せず、無罪が確定
〈1月27日〉
東洋学術研究所(現・東洋哲学研究所)の発足式(東京)
東洋を中心に世界の文化、宗教、民族性を研究し、文明間の相互理解、人類の平和に寄与することを目指す
〈1月29日〉
中東・アジア訪問(〜2月12日。イラン、イラク、トルコ、ギリシャ、エジプト、パキスタン、タイ、香港)
バンコク(2月11日)、香港(12日)の支部結成を発表
〈3月8日〉
学芸部(後の学術部、芸術部)結成式(東京)
〈3月16日〉
第2回青年部音楽祭(東京)
〈4月17日〉
青年部主催による初の柔剣道大会(東京)
〈5月3日〉
第24回本部総会(東京)
海外から130人を超えるメンバーが参加
〈5月8日〉
東北本部幹部会(宮城)
〈6月15日〉
北海道地区部長会
〈6月18日〉
長野指導(〜19日)
〈6月20日〉
和歌山・九州指導(〜24日。和歌山、大分、福岡)
〈7月17日〉
沖縄指導(〜19日)
〈7月22日〉
第5回学生部総会(東京)
〈8月1日〉
第1回教育部全国大会(東京)
創価教育学の研究、教育体験を発表する雑誌出版を提案
翌9月に機関誌「灯台」が発刊される〈後に第三文明社から、教育雑誌として刊行〉
〈8月4日〉
富士吹奏楽団結成式(静岡)
〈8月31日〉
学生部の代表に「御義口伝」の講義を開始(東京)
〈9月13日〉
公明政治連盟第1回全国大会(東京)
"大衆と共に語り、大衆のために戦い、大衆のなかに死んでいく"政治家のあり方を語る。後の公明党の立党の精神となる
〈9月16日〉
九州指導(〜17日。熊本、大分)
〈9月23日〉
青年部第4回全国体育大会「若人の祭典」(神奈川)
〈10月6日〉
青年部主催の第1回関西音楽祭(兵庫)
〈10月14日〉
青年部の第1回文化祭(東京。15日、神奈川)
〈11月3日〉
教学部助師・講師昇格試験の会場で受験者を激励(東京)
〈11月27日〉
第31回本部幹部会で300万世帯の達成を発表(東京)
〈12月2日〉
第10回女子部総会(東京)
〈12月9日〉
第11回男子部総会(東京)
2022年3月21日月曜日
2022.03.21 わが友に贈る
◇今週のことば
新入会の宝友を大切に。
進学・就職・転居など
新出発の同志へ応援を。
共に「人間革命」の春だ。
創価桜の道を足元から!
2022年3月21日
四条金吾殿御返事 P1180
『此の法門につきし人あまた候いしかどもをほやけわたくしの大難度度重なり候いしかば一年二年こそつき候いしが後後には皆或はをち或はかへり矢をいる、或は身はをちねども心をち或は心はをちねども身はをちぬ』
【通解】
この法門についた人は数多くいるけれども、公私ともに大難がたびたび重なってきたので、一年、二年はついてきたものの、後々には、皆、あるいは退転し、あるいは反逆の矢を射た。また、あるいは身は堕ちなくても心は堕ち、あるいは心は堕ちなくても身は堕ちてしまった。
名字の言 人類史に残る巨悪を為した人間。それは…… 2022年3月21日
ベルリン郊外のヴァンゼー湖畔で15人のナチス政権の高官が集まったのは80年前のことだった。会議のテーマは"ユダヤ人問題の最終的解決"。「ヴァンゼー会議」と呼ばれる、その会議以降、ホロコースト(大虐殺)が加速したとも指摘される▼会議の詳細な議事録が残されている。作成したのはアイヒマン。ナチス親衛隊の大将からユダヤ人の大量移送の計画・促進を命じられ、実行に移した人物である。戦後、国外に逃亡し、アルゼンチンに身を潜めていたが逮捕され、裁判にかけられる▼人類史に残る巨悪を為した人間——その実像は、考えることを放棄し、命令を淡々とこなす平凡な役人だった。彼はナチスに責任を押しつけ、言い訳に終始した。裁判を傍聴した哲学者のアーレントは「凡庸な悪」と論じた▼フランス文学者の鈴木道彦氏は、本紙で「凡庸さのもたらす悪を克服し、自分の属する民族の汚点をも正確に把握するには、ただ徹底して『考える』ほかに方法はない」と述べている。戦争の悲惨さを見つめ、"正義とは何か"を問い、考え続けることから、平和の芽は育まれよう▼差別も戦争も、人間の心から生まれる。その心を変革し、人間の善性を呼び覚ましていくことが、宗教の使命である。
寸鉄 2022年3月21日
春の彼岸。妙法の功徳を「回し向ける」事が回向。最高の追善は我らの題目
九州の日。"勝利の夏"へ火の国の勇者が総立ち!誇り高き先駆の対話拡大
東北青年部の日。不屈のみちのく魂は皆の希望!今こそ励ましの連帯固く
大学生の就職内定率が小幅改善と。未来創るのは若者。公明よ後押し更に
国際人種差別撤廃デー。万人尊敬の心を世界の潮流に。多様性輝く社会へ
〈社説〉 2022・3・21 あす関西青年平和文化祭40周年
◇師弟の信心が凝結した"青年の塔"
「その瞬間、人文字は、金地に深紅の字で、『関西魂』と描き出した。六段円塔は、雲一つない"常勝の空"に、人間と人間の勝鬨の太鼓を打ち鳴らしながら、そびえ立った」(「随筆 新・人間革命」)
1982年3月22日、第1回関西青年平和文化祭が、大阪・長居陸上競技場(当時)で行われた。
この年、創価学会は「青年の年」と掲げて前進。世界広布へ雄渾の指揮を執る池田先生と共に、全国の青年が勇んで立ち上がった。中でも関西は、"創価の師弟は健在なり"と満天下に示す!——その決然たる誓いに燃えていた。
大雨に見舞われた前日から一転し、晴天の下、10万人の若人が躍動した文化祭。オープニングを飾った新会員1万人の入場行進は、関西中に巻き起こった弘教の勢いを象徴した。現在の大阪女性部のリーダーも、この行進に参加した一人だ。そしてクライマックスは、至難とされた六段円塔だった。
関西文化会館には「六段円塔、立ちましたんやろか」という電話が相次いだ。誰もが固唾をのんで成功の時を待った。関西中の同志が、文化祭に携わる青年の成長を願い全力で応援した。激励のおにぎりを作り続けた婦人も、寒風の中での練習に石油ストーブを持って駆け付けた壮年もいた。異体同心の大連帯がそこにはあった。
あの日、そびえ立った六段円塔には、関西全同志の祈りと信心が凝結していた。それは、「大阪の戦い」以来受け継がれてきた"不可能を可能にする"闘魂の昇華であり、師に勝利を届けようとする一念の結晶だった。
この文化祭には、被爆都市である広島市と長崎市の市長も出席。平和の担い手としての青年たちのはつらつとした姿に、大きな期待を寄せた。その後、中部や埼玉などでも平和文化祭は開催され、創価の青年が立正安国の誓いを胸に、社会変革の人材として雄飛する機会ともなった。
当時の文化祭の出演者世代は、その後、各地の中核として21世紀の広布推進を担ってきた。今、次の世代に、師弟共戦の魂のたすきを確実につなぐことが重要だ。
「新しき時代の扉は青年によって開かれる」(小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章)
混迷深き時代に、平和で安穏な世界を築くため、使命の舞台に躍り出る青年と共に、スクラムも固く、皆が青年の心で進みたい。
☆栄光の共戦譜 第2回 1961年(昭和36年)「躍進の年(青年の年)」
◇広布の伸展は青年の飛躍とともに
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を一年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第2回は、「躍進の年(別名・青年の年)」と銘打たれた1961年(昭和36年)を掲載する。
◇1・28〜2・14 アジアへ平和旅
1961年(昭和36年)元日、学会本部で池田先生が新年のあいさつを行った後、戸田先生の和歌が紹介された。
「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」
翌日、池田先生は、恩師の墓前で、アジア訪問への決意を報告。そして1月28日、東洋広布を熱願した戸田先生の思いを実現するため、アジアへの平和旅に出発した。
2月14日までの18日間で、香港、セイロン(現・スリランカ)、インド、ビルマ(現・ミャンマー)、タイ、カンボジアの5カ国1地域を訪れる行程だった。当時、香港に10世帯の学会員がいたが、他の訪問地には、ほとんどいなかった。
1月28日、香港に降り立った先生は、早速、海外ではアジア初となる地区を結成。31日には、初めてインドの地を踏む。そして、幾万、幾十万の地涌の人材が誕生することを深く祈念する。さらに、ビルマを訪れ、この地で戦死した長兄をしのびつつ、日本人墓地で戦没者の追善法要を行い、恒久平和を誓う。
この訪問では、先生の"一対一"の激励行によって、アジア各地に平和の種が植えられていくとともに、重要な平和・文化構想も語られた。
「私は、必死になって、平和と文化の道を開こうとしているんです。私が東洋の哲学や民族、文化の研究機関をつくろうというのも、また、音楽の財団を設立しようというのも、そのためです」
その展望はやがて、東洋学術研究所(後の東洋哲学研究所)や民主音楽協会などの設立につながっていく。
日蓮大聖人は、"仏法西還"の未来記を御予言された。先生のアジア訪問は、仏の未来記を実現し、平和と文化の道を開く歴史的な第一歩となった。
◇10・4〜23 初の欧州訪問
池田先生が初の欧州訪問に旅立ったのは、1961年(昭和36年)10月4日。翌5日、デンマークのコペンハーゲンにその第一歩をしるした。東西冷戦の対立の溝が深まり、ドイツのベルリンが「壁」で分断された直後だった。
8日、先生は西ベルリン(当時)を訪れると、建造されたばかりの「ベルリンの壁」へ。「ブランデンブルク門」を仰ぎながら同行の友に語った。
「30年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう……」
先生の言葉は、単なる願望ではなかった。"分断の壁"を取り除き、平和のために戦おうとの、断固たる決意にほかならなかった。
その後、先生は民族やイデオロギーを超えて、世界の指導者と粘り強い対話を重ねながら、「平和」と「連帯」の潮流を広げていった。そして、28年後の89年(平成元年)11月、「ベルリンの壁」は、東西ベルリン市民の手によって壊されたのである。
61年の初の欧州訪問では、先生は20日間で、デンマーク、西ドイツ(当時)、オランダ、フランス、イギリス、スペイン、スイス、オーストリア、イタリアの9カ国を歴訪。パリの凱旋門、ウィンザー城、ベートーベンの墓碑、サン・ピエトロ大聖堂などの歴史的建造物も視察した。
2度の世界大戦をはじめ、絶えず戦火の舞台となってきた欧州に"ヒューマニズム"の種子をまく開道の旅路だった。
先生は古代ローマの遺跡を訪れた際、「ローマの 廃墟に立ちて 吾思う 妙法の国 とわにくずれじ」と詠んだ。
今、欧州では16万人を超える地涌の陣列が、仏法のヒューマニズムの輪を広げ、一人一人の心に、崩れざる"人間共和の永遠の都"の建設に挑んでいる。
◇11・5 男子部総会 11・12 女子部総会
「躍進の年」と銘打たれた1961年(昭和36年)5月3日、池田先生は男女青年部の幹部と懇談し、こう語った。
「青年の大飛躍の節にするために、今日を出発点として、今年を『青年の年』としたいと思うが、どうだろうか」
先生は自らが、"青年の一人"との思いで、青年部の真っただ中に入り、若人たちに激励を送り続けた。
11月5日、先生が「青年部の室長としての最後の仕事」と位置付けていた"10万結集"の男子部総会が開催された。
"10万結集"は、54年(同29年)に戸田先生が「国士訓」を発表し、「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう。かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と呼び掛けて以来、青年部の室長だった池田先生の大きな誓いであった。
恩師との誓いを果たし、男子部総会の会場となった東京・国立競技場で、先生は力説した。「諸君が、それぞれの立場で、全民衆の幸福のため、広宣流布のために、大仏法の正義を証明する、人生の勝利者になっていただきたい」
11月12日には、「原水爆禁止宣言」の発表の場である神奈川・三ツ沢の競技場で、8万5千人の女子部総会が行われ、「次の時代の女性指導者は、最高の哲学をもった皆さんである」と訴えた。
先生は、当時の総会を振り返りながら、「青年の魂とは何か。偉大な目標に挑む気概だ。自ら求めて、新たな戦いを起こす覇気と行動力だ」と述べている。
学会が飛躍する時、そこには必ず青年の躍進がある——。それは、戸田先生の弟子として、さらには第3代会長就任後も、池田先生が示してきた広布の不変の方程式である。
◆年表◆
1961年
<1月8日>
九州3総支部結成大会(福岡)
<1月28日>
アジア訪問(〜2月14日。香港、セイロン、インド、ビルマ、タイ、カンボジア)
香港でアジア初の地区を結成(28日)
仏法西還の意義をとどめ、インド・ブッダガヤで「東洋広布」の石碑を埋納(2月4日)
<2月19日>
東北方面の支部結成大会(〜23日。宮城、青森、秋田)
<3月8日>
関西3総支部合同幹部会(大阪)
<3月16日>
青年部第1回音楽祭(東京)
<4月2日>
戸田先生の四回忌法要(東京)
<4月3日>
上越指導(〜4日。群馬、新潟)
<4月12日>
関西・中部指導(〜16日。大阪、三重、愛知、岐阜)
<4月22日>
中国指導(〜24日。岡山、島根、広島)
<5月3日>
第23回本部総会(東京)
会長就任1年で61支部から139支部に発展・拡大
<5月7日>
九州・関西指導(〜11日。福岡、京都、奈良、兵庫)
<5月14日>
沖縄総支部結成大会
<5月17日>
東北3総支部合同結成大会(福島)
<5月19日>
言論部結成式
正義の言論を展開する使命を語る(東京)
<6月10日>
教育部の結成式が行われる(東京)
中部指導(〜12日。愛知)
<6月17日>
関西指導(〜18日。京都、大阪)
<6月27日>
第14回本部幹部会で200万世帯の達成を発表(東京)
<10月4日>
初の欧州訪問(〜23日。デンマーク、西ドイツ、オランダ、フランス、イギリス、スペイン、スイス、オーストリア、イタリア)
東西対立の象徴であるベルリンの壁を視察(8日)
<11月5日>
第10回男子部総会で、戸田先生の遺訓である「国士10万」の結集(東京・国立競技場)
<11月12日>
第9回女子部総会で8万5千人が結集(神奈川・三ツ沢の競技場)
<11月20日>
東北本部の落成入仏式。「新世紀の歌」が発表される(宮城)
<12月16日>
大阪事件裁判の第83回公判で最終陳述を行う(大阪)
新入会の宝友を大切に。
進学・就職・転居など
新出発の同志へ応援を。
共に「人間革命」の春だ。
創価桜の道を足元から!
2022年3月21日
四条金吾殿御返事 P1180
『此の法門につきし人あまた候いしかどもをほやけわたくしの大難度度重なり候いしかば一年二年こそつき候いしが後後には皆或はをち或はかへり矢をいる、或は身はをちねども心をち或は心はをちねども身はをちぬ』
【通解】
この法門についた人は数多くいるけれども、公私ともに大難がたびたび重なってきたので、一年、二年はついてきたものの、後々には、皆、あるいは退転し、あるいは反逆の矢を射た。また、あるいは身は堕ちなくても心は堕ち、あるいは心は堕ちなくても身は堕ちてしまった。
名字の言 人類史に残る巨悪を為した人間。それは…… 2022年3月21日
ベルリン郊外のヴァンゼー湖畔で15人のナチス政権の高官が集まったのは80年前のことだった。会議のテーマは"ユダヤ人問題の最終的解決"。「ヴァンゼー会議」と呼ばれる、その会議以降、ホロコースト(大虐殺)が加速したとも指摘される▼会議の詳細な議事録が残されている。作成したのはアイヒマン。ナチス親衛隊の大将からユダヤ人の大量移送の計画・促進を命じられ、実行に移した人物である。戦後、国外に逃亡し、アルゼンチンに身を潜めていたが逮捕され、裁判にかけられる▼人類史に残る巨悪を為した人間——その実像は、考えることを放棄し、命令を淡々とこなす平凡な役人だった。彼はナチスに責任を押しつけ、言い訳に終始した。裁判を傍聴した哲学者のアーレントは「凡庸な悪」と論じた▼フランス文学者の鈴木道彦氏は、本紙で「凡庸さのもたらす悪を克服し、自分の属する民族の汚点をも正確に把握するには、ただ徹底して『考える』ほかに方法はない」と述べている。戦争の悲惨さを見つめ、"正義とは何か"を問い、考え続けることから、平和の芽は育まれよう▼差別も戦争も、人間の心から生まれる。その心を変革し、人間の善性を呼び覚ましていくことが、宗教の使命である。
寸鉄 2022年3月21日
春の彼岸。妙法の功徳を「回し向ける」事が回向。最高の追善は我らの題目
九州の日。"勝利の夏"へ火の国の勇者が総立ち!誇り高き先駆の対話拡大
東北青年部の日。不屈のみちのく魂は皆の希望!今こそ励ましの連帯固く
大学生の就職内定率が小幅改善と。未来創るのは若者。公明よ後押し更に
国際人種差別撤廃デー。万人尊敬の心を世界の潮流に。多様性輝く社会へ
〈社説〉 2022・3・21 あす関西青年平和文化祭40周年
◇師弟の信心が凝結した"青年の塔"
「その瞬間、人文字は、金地に深紅の字で、『関西魂』と描き出した。六段円塔は、雲一つない"常勝の空"に、人間と人間の勝鬨の太鼓を打ち鳴らしながら、そびえ立った」(「随筆 新・人間革命」)
1982年3月22日、第1回関西青年平和文化祭が、大阪・長居陸上競技場(当時)で行われた。
この年、創価学会は「青年の年」と掲げて前進。世界広布へ雄渾の指揮を執る池田先生と共に、全国の青年が勇んで立ち上がった。中でも関西は、"創価の師弟は健在なり"と満天下に示す!——その決然たる誓いに燃えていた。
大雨に見舞われた前日から一転し、晴天の下、10万人の若人が躍動した文化祭。オープニングを飾った新会員1万人の入場行進は、関西中に巻き起こった弘教の勢いを象徴した。現在の大阪女性部のリーダーも、この行進に参加した一人だ。そしてクライマックスは、至難とされた六段円塔だった。
関西文化会館には「六段円塔、立ちましたんやろか」という電話が相次いだ。誰もが固唾をのんで成功の時を待った。関西中の同志が、文化祭に携わる青年の成長を願い全力で応援した。激励のおにぎりを作り続けた婦人も、寒風の中での練習に石油ストーブを持って駆け付けた壮年もいた。異体同心の大連帯がそこにはあった。
あの日、そびえ立った六段円塔には、関西全同志の祈りと信心が凝結していた。それは、「大阪の戦い」以来受け継がれてきた"不可能を可能にする"闘魂の昇華であり、師に勝利を届けようとする一念の結晶だった。
この文化祭には、被爆都市である広島市と長崎市の市長も出席。平和の担い手としての青年たちのはつらつとした姿に、大きな期待を寄せた。その後、中部や埼玉などでも平和文化祭は開催され、創価の青年が立正安国の誓いを胸に、社会変革の人材として雄飛する機会ともなった。
当時の文化祭の出演者世代は、その後、各地の中核として21世紀の広布推進を担ってきた。今、次の世代に、師弟共戦の魂のたすきを確実につなぐことが重要だ。
「新しき時代の扉は青年によって開かれる」(小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章)
混迷深き時代に、平和で安穏な世界を築くため、使命の舞台に躍り出る青年と共に、スクラムも固く、皆が青年の心で進みたい。
☆栄光の共戦譜 第2回 1961年(昭和36年)「躍進の年(青年の年)」
◇広布の伸展は青年の飛躍とともに
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を一年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第2回は、「躍進の年(別名・青年の年)」と銘打たれた1961年(昭和36年)を掲載する。
◇1・28〜2・14 アジアへ平和旅
1961年(昭和36年)元日、学会本部で池田先生が新年のあいさつを行った後、戸田先生の和歌が紹介された。
「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」
翌日、池田先生は、恩師の墓前で、アジア訪問への決意を報告。そして1月28日、東洋広布を熱願した戸田先生の思いを実現するため、アジアへの平和旅に出発した。
2月14日までの18日間で、香港、セイロン(現・スリランカ)、インド、ビルマ(現・ミャンマー)、タイ、カンボジアの5カ国1地域を訪れる行程だった。当時、香港に10世帯の学会員がいたが、他の訪問地には、ほとんどいなかった。
1月28日、香港に降り立った先生は、早速、海外ではアジア初となる地区を結成。31日には、初めてインドの地を踏む。そして、幾万、幾十万の地涌の人材が誕生することを深く祈念する。さらに、ビルマを訪れ、この地で戦死した長兄をしのびつつ、日本人墓地で戦没者の追善法要を行い、恒久平和を誓う。
この訪問では、先生の"一対一"の激励行によって、アジア各地に平和の種が植えられていくとともに、重要な平和・文化構想も語られた。
「私は、必死になって、平和と文化の道を開こうとしているんです。私が東洋の哲学や民族、文化の研究機関をつくろうというのも、また、音楽の財団を設立しようというのも、そのためです」
その展望はやがて、東洋学術研究所(後の東洋哲学研究所)や民主音楽協会などの設立につながっていく。
日蓮大聖人は、"仏法西還"の未来記を御予言された。先生のアジア訪問は、仏の未来記を実現し、平和と文化の道を開く歴史的な第一歩となった。
◇10・4〜23 初の欧州訪問
池田先生が初の欧州訪問に旅立ったのは、1961年(昭和36年)10月4日。翌5日、デンマークのコペンハーゲンにその第一歩をしるした。東西冷戦の対立の溝が深まり、ドイツのベルリンが「壁」で分断された直後だった。
8日、先生は西ベルリン(当時)を訪れると、建造されたばかりの「ベルリンの壁」へ。「ブランデンブルク門」を仰ぎながら同行の友に語った。
「30年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう……」
先生の言葉は、単なる願望ではなかった。"分断の壁"を取り除き、平和のために戦おうとの、断固たる決意にほかならなかった。
その後、先生は民族やイデオロギーを超えて、世界の指導者と粘り強い対話を重ねながら、「平和」と「連帯」の潮流を広げていった。そして、28年後の89年(平成元年)11月、「ベルリンの壁」は、東西ベルリン市民の手によって壊されたのである。
61年の初の欧州訪問では、先生は20日間で、デンマーク、西ドイツ(当時)、オランダ、フランス、イギリス、スペイン、スイス、オーストリア、イタリアの9カ国を歴訪。パリの凱旋門、ウィンザー城、ベートーベンの墓碑、サン・ピエトロ大聖堂などの歴史的建造物も視察した。
2度の世界大戦をはじめ、絶えず戦火の舞台となってきた欧州に"ヒューマニズム"の種子をまく開道の旅路だった。
先生は古代ローマの遺跡を訪れた際、「ローマの 廃墟に立ちて 吾思う 妙法の国 とわにくずれじ」と詠んだ。
今、欧州では16万人を超える地涌の陣列が、仏法のヒューマニズムの輪を広げ、一人一人の心に、崩れざる"人間共和の永遠の都"の建設に挑んでいる。
◇11・5 男子部総会 11・12 女子部総会
「躍進の年」と銘打たれた1961年(昭和36年)5月3日、池田先生は男女青年部の幹部と懇談し、こう語った。
「青年の大飛躍の節にするために、今日を出発点として、今年を『青年の年』としたいと思うが、どうだろうか」
先生は自らが、"青年の一人"との思いで、青年部の真っただ中に入り、若人たちに激励を送り続けた。
11月5日、先生が「青年部の室長としての最後の仕事」と位置付けていた"10万結集"の男子部総会が開催された。
"10万結集"は、54年(同29年)に戸田先生が「国士訓」を発表し、「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう。かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と呼び掛けて以来、青年部の室長だった池田先生の大きな誓いであった。
恩師との誓いを果たし、男子部総会の会場となった東京・国立競技場で、先生は力説した。「諸君が、それぞれの立場で、全民衆の幸福のため、広宣流布のために、大仏法の正義を証明する、人生の勝利者になっていただきたい」
11月12日には、「原水爆禁止宣言」の発表の場である神奈川・三ツ沢の競技場で、8万5千人の女子部総会が行われ、「次の時代の女性指導者は、最高の哲学をもった皆さんである」と訴えた。
先生は、当時の総会を振り返りながら、「青年の魂とは何か。偉大な目標に挑む気概だ。自ら求めて、新たな戦いを起こす覇気と行動力だ」と述べている。
学会が飛躍する時、そこには必ず青年の躍進がある——。それは、戸田先生の弟子として、さらには第3代会長就任後も、池田先生が示してきた広布の不変の方程式である。
◆年表◆
1961年
<1月8日>
九州3総支部結成大会(福岡)
<1月28日>
アジア訪問(〜2月14日。香港、セイロン、インド、ビルマ、タイ、カンボジア)
香港でアジア初の地区を結成(28日)
仏法西還の意義をとどめ、インド・ブッダガヤで「東洋広布」の石碑を埋納(2月4日)
<2月19日>
東北方面の支部結成大会(〜23日。宮城、青森、秋田)
<3月8日>
関西3総支部合同幹部会(大阪)
<3月16日>
青年部第1回音楽祭(東京)
<4月2日>
戸田先生の四回忌法要(東京)
<4月3日>
上越指導(〜4日。群馬、新潟)
<4月12日>
関西・中部指導(〜16日。大阪、三重、愛知、岐阜)
<4月22日>
中国指導(〜24日。岡山、島根、広島)
<5月3日>
第23回本部総会(東京)
会長就任1年で61支部から139支部に発展・拡大
<5月7日>
九州・関西指導(〜11日。福岡、京都、奈良、兵庫)
<5月14日>
沖縄総支部結成大会
<5月17日>
東北3総支部合同結成大会(福島)
<5月19日>
言論部結成式
正義の言論を展開する使命を語る(東京)
<6月10日>
教育部の結成式が行われる(東京)
中部指導(〜12日。愛知)
<6月17日>
関西指導(〜18日。京都、大阪)
<6月27日>
第14回本部幹部会で200万世帯の達成を発表(東京)
<10月4日>
初の欧州訪問(〜23日。デンマーク、西ドイツ、オランダ、フランス、イギリス、スペイン、スイス、オーストリア、イタリア)
東西対立の象徴であるベルリンの壁を視察(8日)
<11月5日>
第10回男子部総会で、戸田先生の遺訓である「国士10万」の結集(東京・国立競技場)
<11月12日>
第9回女子部総会で8万5千人が結集(神奈川・三ツ沢の競技場)
<11月20日>
東北本部の落成入仏式。「新世紀の歌」が発表される(宮城)
<12月16日>
大阪事件裁判の第83回公判で最終陳述を行う(大阪)
2022年3月20日日曜日
2022.03.20 わが友に贈る
真の「喜び」とは
「自他共に喜ぶことなり」
その第一歩は友の話を
聞くことにある。
座談の花を幾重にも!
(新1061・全761)
持妙法華問答抄 P465
『されば持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし、然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり其の子を賎しむるは即ち其の親を賎しむなり』
【通解】
それゆえ持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである。そうであれば、その人を毀るのはその法を毀ることである。その子を賎しむのは即ちその親を賎しむことである。
名字の言 幸せの形は変わっていく 2022年3月20日
認知症になった母、支える父を撮影したドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」——実の娘であり、監督でもある信友直子さんが広島の聖教文化講演会で語った。「現実を受け入れた時、多くの"贈り物"に気付けました」▼父は90代半ばで家事をするように。母は料理ができなくなっても、「夕飯は何が食べたい?」と尋ねる。多くのことを忘れても、母の心には家族への変わらぬ愛情があった。信友さんの「幸せの形は決まったものではなく、変わっていきます」との言葉が印象的だった▼山口県のある壮年部員は、かつて宗教に否定的だったが、先に信心した妻が明るくなっていく姿を見て入会。信心の姿勢など、全てを教わった。その妻が認知症を患い、要介護4になった▼妻は徐々に記憶を失っていく。しかし、信心で磨いた明るさは失わなかった。「また信心を教わった」と壮年。介護の合間を縫って活動に励み、短歌を詠むようにもなった。その一首に「側に居て くれるだけでも 我れ嬉しい 辛き介護も 妻ぞや居れば」と▼それまでの形とは違っても、妻と生きた時間に、壮年は深く感謝する。幸福とは、信心で築く「心の宝」であることを、夫妻の姿に教わった。
寸鉄 2022年3月20日
題目を日に日に身に染め生命に刻め—恩師。これ勝利の鉄則。朗々と出発
「一念三千は抜苦与楽なり」御書。激励の達人に。同志を想う心は必ず通ず(新1076・全773)
長崎の日。皆が平和建設の主人公。今こそ勇敢に希望と正義の哲理を語れ
北陸女性部の日。誓願に生き抜く人は強し!今日も励ましの陽光を地域へ
"自分は若い"と思う心が健康寿命を保つ—教授。青年の気概で溌剌と挑戦
☆創価学園卒業式への池田先生のメッセージ
◇"学び"と"負けじ"の希望博士に
一、晴れの卒業、誠におめでとう!
いつにもまして苦労や辛抱が多いなか、皆、本当によく頑張り通しました。卒業それ自体が、偉大な青春の勝利です。
辛労を尽くして守り支えてくださった、ご家族の方々、また教員の先生方、職員ならびにご関係の方々に、心から御礼とお祝いを申し上げます。
◇価値創造の青春の新時代へ
一、わが卒業生一人ひとりの尊き奮闘と見事な成長を喝采し、私は桜の花吹雪で皆さんを包みゆく思いを込めて、贈りたい言葉があります。
それは、私が若き日から敬愛してきた、スイスの大教育者ペスタロッチが自ら創立した学園の生徒たちの新たな出発の日に語りかけた励ましです。
すなわち、「諸君は強い力を持っている。諸君は、自らが考え、自らが信ずる以上に、この時代に必要な大なる力を持っている」(四本忠俊訳「学園講演集」、『ペスタロッチ全集第三巻』所収、玉川大学出版部)と——。
私も全く同じ信頼の心で皆さんを見つめています。世界に開かれた、この学園で、時代の試練に怯まず忍耐強く勉学を貫いた皆さんは、実は、自分が思っている百千万億倍もの大いなる力を蓄え、秘めているのです。
この力を、いよいよ磨き鍛え、そして、いよいよ発揮し価値創造していくのが、皆さんのこれからの青春の新時代です。ゆえに私は、信ずる君たちよ、"学び"と"負けじ"の「希望博士」たれと申し上げたい。
希望は人生の宝です。私にとって、かけがえのない希望は、学園であり、学園生の君たちです。いかに時代の闇が深くとも、学園生と共に、社会へ、世界へ、未来へ、幸福と平和への希望の光を広げゆくのが、私の人生です。
希望は、学びから生まれます。学び続ける努力の中で、輝きを放ちます。人類の直面する難題に立ち向かう君たちの学びこそ、希望の旭日なのです。
そして、何があっても絶対に屈しない、何度倒れようとも必ず立ち上がる、負けじ魂の創価の連帯たくましく、苦難に挑む21世紀の世界の友を、限りない希望と勇気でつないでいただきたいのであります。
一、創価教育100周年、さらに学園創立100周年の栄光の未来を託す皆さんに——
わが命
誉れの大樹の
学園生
天まで伸びゆけ
希望の柱と
と贈ります。
そして、卒業生とご家族に、健康の花、福徳の花、勝利の花よ、爛漫と咲き薫れ!と祈り、祝福のメッセージとします。
☆御書と未来へ 第8回 語ろう! 地涌の誇り高く
〈御文〉
『今、末法に入りぬ。地涌出現して弘通あるべきことなり。』(治病大小権実違目、新1330・全996)
〈通解〉
今は末法に入った。地涌の菩薩が出現して(本門の法華経を)弘通するはずである。
〈池田先生が贈る指針〉
日蓮大聖人の御聖誕満800年の今、男子部大学校生を先頭に、広宣の若人が澎湃と大法弘通に挑んでいる。地涌出現の使命も深き陣列だ。
慈折広布の対話に、勇気も誠実も英知も忍耐も全て含まれる。これほどの青春錬磨の修行はない。語った分、仏種が蒔かれ、信用が残る。
地涌の誇りに胸張り、真心と確信の声を!
「自他共に喜ぶことなり」
その第一歩は友の話を
聞くことにある。
座談の花を幾重にも!
(新1061・全761)
持妙法華問答抄 P465
『されば持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし、然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり其の子を賎しむるは即ち其の親を賎しむなり』
【通解】
それゆえ持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである。そうであれば、その人を毀るのはその法を毀ることである。その子を賎しむのは即ちその親を賎しむことである。
名字の言 幸せの形は変わっていく 2022年3月20日
認知症になった母、支える父を撮影したドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」——実の娘であり、監督でもある信友直子さんが広島の聖教文化講演会で語った。「現実を受け入れた時、多くの"贈り物"に気付けました」▼父は90代半ばで家事をするように。母は料理ができなくなっても、「夕飯は何が食べたい?」と尋ねる。多くのことを忘れても、母の心には家族への変わらぬ愛情があった。信友さんの「幸せの形は決まったものではなく、変わっていきます」との言葉が印象的だった▼山口県のある壮年部員は、かつて宗教に否定的だったが、先に信心した妻が明るくなっていく姿を見て入会。信心の姿勢など、全てを教わった。その妻が認知症を患い、要介護4になった▼妻は徐々に記憶を失っていく。しかし、信心で磨いた明るさは失わなかった。「また信心を教わった」と壮年。介護の合間を縫って活動に励み、短歌を詠むようにもなった。その一首に「側に居て くれるだけでも 我れ嬉しい 辛き介護も 妻ぞや居れば」と▼それまでの形とは違っても、妻と生きた時間に、壮年は深く感謝する。幸福とは、信心で築く「心の宝」であることを、夫妻の姿に教わった。
寸鉄 2022年3月20日
題目を日に日に身に染め生命に刻め—恩師。これ勝利の鉄則。朗々と出発
「一念三千は抜苦与楽なり」御書。激励の達人に。同志を想う心は必ず通ず(新1076・全773)
長崎の日。皆が平和建設の主人公。今こそ勇敢に希望と正義の哲理を語れ
北陸女性部の日。誓願に生き抜く人は強し!今日も励ましの陽光を地域へ
"自分は若い"と思う心が健康寿命を保つ—教授。青年の気概で溌剌と挑戦
☆創価学園卒業式への池田先生のメッセージ
◇"学び"と"負けじ"の希望博士に
一、晴れの卒業、誠におめでとう!
いつにもまして苦労や辛抱が多いなか、皆、本当によく頑張り通しました。卒業それ自体が、偉大な青春の勝利です。
辛労を尽くして守り支えてくださった、ご家族の方々、また教員の先生方、職員ならびにご関係の方々に、心から御礼とお祝いを申し上げます。
◇価値創造の青春の新時代へ
一、わが卒業生一人ひとりの尊き奮闘と見事な成長を喝采し、私は桜の花吹雪で皆さんを包みゆく思いを込めて、贈りたい言葉があります。
それは、私が若き日から敬愛してきた、スイスの大教育者ペスタロッチが自ら創立した学園の生徒たちの新たな出発の日に語りかけた励ましです。
すなわち、「諸君は強い力を持っている。諸君は、自らが考え、自らが信ずる以上に、この時代に必要な大なる力を持っている」(四本忠俊訳「学園講演集」、『ペスタロッチ全集第三巻』所収、玉川大学出版部)と——。
私も全く同じ信頼の心で皆さんを見つめています。世界に開かれた、この学園で、時代の試練に怯まず忍耐強く勉学を貫いた皆さんは、実は、自分が思っている百千万億倍もの大いなる力を蓄え、秘めているのです。
この力を、いよいよ磨き鍛え、そして、いよいよ発揮し価値創造していくのが、皆さんのこれからの青春の新時代です。ゆえに私は、信ずる君たちよ、"学び"と"負けじ"の「希望博士」たれと申し上げたい。
希望は人生の宝です。私にとって、かけがえのない希望は、学園であり、学園生の君たちです。いかに時代の闇が深くとも、学園生と共に、社会へ、世界へ、未来へ、幸福と平和への希望の光を広げゆくのが、私の人生です。
希望は、学びから生まれます。学び続ける努力の中で、輝きを放ちます。人類の直面する難題に立ち向かう君たちの学びこそ、希望の旭日なのです。
そして、何があっても絶対に屈しない、何度倒れようとも必ず立ち上がる、負けじ魂の創価の連帯たくましく、苦難に挑む21世紀の世界の友を、限りない希望と勇気でつないでいただきたいのであります。
一、創価教育100周年、さらに学園創立100周年の栄光の未来を託す皆さんに——
わが命
誉れの大樹の
学園生
天まで伸びゆけ
希望の柱と
と贈ります。
そして、卒業生とご家族に、健康の花、福徳の花、勝利の花よ、爛漫と咲き薫れ!と祈り、祝福のメッセージとします。
☆御書と未来へ 第8回 語ろう! 地涌の誇り高く
〈御文〉
『今、末法に入りぬ。地涌出現して弘通あるべきことなり。』(治病大小権実違目、新1330・全996)
〈通解〉
今は末法に入った。地涌の菩薩が出現して(本門の法華経を)弘通するはずである。
〈池田先生が贈る指針〉
日蓮大聖人の御聖誕満800年の今、男子部大学校生を先頭に、広宣の若人が澎湃と大法弘通に挑んでいる。地涌出現の使命も深き陣列だ。
慈折広布の対話に、勇気も誠実も英知も忍耐も全て含まれる。これほどの青春錬磨の修行はない。語った分、仏種が蒔かれ、信用が残る。
地涌の誇りに胸張り、真心と確信の声を!
2022年3月19日土曜日
2022.03.19 わが友に贈る
近隣の人々との絆こそ
幸福と繁栄の礎だ。
日頃の声掛けを大切に!
わが地区・ブロックから
安心のネットワークを!
御義口伝巻上 P724
『御義口伝に云く一門とは法華経の信心なり車とは法華経なり牛とは南無妙法蓮華経なり宅とは煩悩なり自身法性の大地を生死生死と転(め)ぐり行くなり』
【通解】
御義口伝には、次のように仰せである。一門とは法華経の信心のことであり、車とは法華経、大白牛車の牛とは南無妙法蓮華経である。また、宅とは煩悩を意味する。自身法性の大地とは、成仏という。永遠の生命を覚知した絶対の幸福境涯であり、生死生死と転り行くとは、その永遠の幸福境涯の上に立って、いっさいの生活をしていくことである。
名字の言 手塚治虫氏を訪ねた藤子不二雄 2022年3月19日
「藤子不二雄」の合作ペンネームで知られる藤本弘さんと安孫子素雄さん。漫画家を目指していた高校3年の時、2人で手塚治虫氏を訪ねた思い出を、安孫子さんがかつて、本紙インタビューで語っていた▼仕事中の氏から"待つ間、これでも見ていて"と数百ページもの原稿を渡された。それは2人が何度も読んだ作品だったが、見覚えのある場面が全くない。氏に聞くと、当初、描いた1000ページの大半を削って作品にした。それは本に載らなかった部分とのこと。氏の努力のすさまじさに衝撃を受け、本気で"漫画家になろう"と心を決めたという▼「文章は『氷山の一角』だ」と先輩に言われたことがある。書き手として、どれほど物事を深く強く感じ、思い、真剣に考えてきたかという豊かな体験に支えられてこそ、読むに値する文が書ける。水面下に心の格闘という大きな氷塊があってこそ、文として水面にその一角が現れるとの教えだった▼人の心を動かす力の根源は、目には見えない部分にあるのだろう。振る舞いや発言も、本質は当人の心根の表れである▼根を深く張るほどに、大樹は高く伸び、枝葉を広げて育つ。信心も、陰徳を積む地道な実践があってこそ、人生を開いていける。
寸鉄 2022年3月19日
「この身を法華経にかうるは、石に金をかえ」御書 大確信で宿命転換の劇を(新1227・全910)
福岡・筑紫総県の日。先駆の勇者が力走!対話の花咲く"桜前線"は我らから
東京「千代田の日」50周年 本陣に輝く誓願の人材城一騎当千の闘魂で前進!
マルチ商法被害の相談、20・30代が半数と。絶対に儲かる等の甘言に警戒
プラごみ削減へ国際協定創設へ—国連。一人一人が青き地球を守る主役と
〈社説〉 2022・3・19 3・21「白樺会の日」
◇声とまなざしに心を込めて
「『白樺の人』と聞くと/誰もが安心する」。池田先生の詩の一節である。明後21日は「白樺会の日」。1986年(昭和61年)のこの日、看護の仕事に携わる女性部の集い「白樺会」が結成された。
白樺の木は伐採後の荒れ地や山火事の後でも真っ先に姿を現し、他の植物が生い茂る環境へと一変させる。まさに人々の生命力を引き出し、「抜苦与楽」の慈悲の看護に徹する友の姿そのものである。
先月、新たに齋藤委員長が誕生し、これまでの女子部「白樺グループ」と一体となって新出発した。
齋藤委員長は語る。「白樺の勝利が全ての勝利につながります。強く温かい白樺姉妹の絆で"未来の宝"である皆さんと共に、"いのちこそ宝"の生命尊厳の世界を築いていきたいと思います」
少子高齢化や医療環境の変化に伴い、看護者に求められる役割は多様化している。依然として厳しい労働環境の中、白樺の友は生老病死を見つめ、目の前の一人の仏性を信じ、三世の生命に題目を送り続ける。自分自身も悩みを抱え、疲れ果て、投げ出したくなる時もある。それでも患者のもとへ向かうのは「命こそが尊極の宝だと知っているからです」と友は語る。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、素手で患者に触れることが難しくなった。フェースシールドとマスクで顔が覆われ、笑顔を見せることもままならない。だからこそと、友はその声に、そのまなざしに、唱題で蓄えた生命力と心を込める。
呼吸器内科で務める友も、その一人。一日中、防護服をまとい、吹き出る汗を拭う余裕すらなく、救命の場に立ち会う。ウイルスへの恐怖で泣きながら防護服を着る若い看護師を抱きかかえるように励まし、共に患者のもとへ。祈りを込めて接すると、顔をこわばらせていた患者も、いつしか笑顔に変わっていた。「病める人/心の傷ついている人を/私の使命感として/私は堕落させない」——池田先生の指針を胸に、白樺の使命に生き抜く。その姿に憧れて、彼女の長女は今春、看護学校の門をくぐる。
「一人の生命を守り、慈しむ心は、そのまま、強き"平和の心"となる」と先生はつづった。不安渦巻く時代にあって、目の前にいる人の心に希望の灯をともし、平和の心を広げる白樺の友へ、きょうも感謝の祈りをささげたい。
☆第8回本部幹部会・第2回青年部幹部会 池田先生の指針——広布と未来を開くのは青年
◇三代の魂 受け継ぐ陣列を
◇戸田先生「誠実であれ! 策や要領ではない」
皆さま方のお力によって、今、世界の広宣流布の新時代は、一日一日と、目覚ましく前進している。こんなに勢いよく発展している教団は、ほかにあるだろうか。大変なことである。
世界でも、数限りない人々が、創価学会のことを知り、共感を寄せている。各国の指導者も、多くの人々がSGIに理解を示してくださっている。そして、大きな波動が、年を経るごとに、世界中に広がっている。
末法において正法を弘める戦いは、有名な項羽と劉邦(沛公)の戦いにも勝ると日蓮大聖人は仰せである(全218・新95)。
また御聖訓にいわく。
「この20年あまりの間、ひととき、片時も心の安らかだったことはない。源頼朝が平家と戦った7年間でも、そのなかには暇はあったであろう」(全1514・新1848、通解)
どんなに激しい合戦も、合間に、しばし休息をとることはあった。だが、大聖人の広宣流布の大闘争には、一日、片時たりとも、心安らぐ時はなかった。熾烈な戦いの連続であった。
大聖人は、仏法の平和の大哲学で、全人類を救わんとする、壮大なスケールの闘争を続けられた。これこそ、世界の広宣流布をしゆく、大聖人の「戦う息吹」である。
この戦う魂を、牧口先生、戸田先生、そして私が、そのまま受け継いできた。大聖人の息吹で戦ってきたゆえに、学会はここまで世界的に発展したのである。
学会は、三代会長の時代までにおいて、一切の完璧な基盤ができ上がった。
三代の師弟は、大聖人直結の真の広宣流布の血脈を継承してきた。この偉大なる魂があるからこそ、何があっても、学会は微動だにしないのである。
本当に大聖人に直結し、広宣流布を進めてきた指導者は、牧口先生、戸田先生、私の三代の会長である。三代の会長は皆、牢に入り、命がけで戦ってきた。大聖人が仰せになられた三類の強敵、三障四魔と、敢然と戦ってきた。これが、法華経の行者の魂である。皆さまも、この創価の師弟を中心にして生きぬいてもらいたい。
本年(=2007年)は学会創立77周年。創価の三代の77年の戦いは、「師弟不二」であるがゆえに、「異体同心」であるがゆえに、勝ってきたのである。これからも、学会は勝たねばならない。そうでなければ、人類の平和な未来はないからである。
戦う「名誉」と「栄光」と「福運」は、無上の永遠なる価値である。どうか一緒に、広宣流布のために頑張っていただきたい。頼みます!
◇温かな励ましで
「捨つる命は 惜しまねど 旗持つ若人 何処にか」
これは、戸田先生が獄中で作詞された、「同志の歌」の一節である。
戦争中の法難の際、牧口先生を"大人"たちは裏切った。大人は、ずるい。その心は、利害であり、世間体だった。自己中心であり、保身だった。一方、青年は「信ずる」心が強い。そして「まっしぐら」である。
ゆえに、戦後ただ一人、広宣流布に立ち上がられた戸田先生は、「青年だ」「青年を待っているのだ」と、口癖のようにおっしゃっていた。
1947年(昭和22年)の8月14日。私は、戸田先生と初めてお会いした。当時、戸田先生は47歳。私は19歳であった。あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。以来、10年以上にわたって、先生のもとで厳しく訓練していただいた。先生は、ご自身より28歳も若い私に、広宣流布の命運をかけてくださった。未来の一切を託されたのである。
戸田先生は、創価の青年群の中心に、私を据えられた。縦横に青年の力を発揮させた。だから、学会は大発展してきた。
この戸田先生と私の「師弟」が起点となって、地涌の陣列が大きく拡大していった。その大発展の力こそ、「青年が大事だ」「青年を大切にしよう」との戸田先生の一念であった。
もちろん、青年には訓練が必要である。しかし、何よりも、"学会のため、地域のため、日本の平和、世界の平和のために働いてもらいたい。大きく伸びてもらいたい"——そういう祈りをもって青年を育てていくことだ。慈愛の心で、温かく励ましていくことだ。
きょうは、このことを改めて決議したいと思うが、どうだろうか。(=賛同の大拍手)
また、たとえ年配であっても、大事なことは、「心」が若々しいかどうかである。
牧口先生は70歳を超えても「われわれ、青年は」と言われた。信心をしている私の魂は、永遠に青年だ、との心意気である。全員が「青年の心」で進んでまいりたい。
学会は、青年を起用し、青年の活力で前進していく。その上で、青年部の皆さんは、壮年部・婦人部(当時)の先輩方の心をよく知り、実践していただきたい。勝手気ままになったり、いい気になるようなことがあってはならない。
それでは、親を大切にしないで、自分だけ自由奔放に生きるようなものだ。いよいよ、これからが大事である。
◇次の学会を頼む
結びに、戸田先生の遺言のご指導を青年部に捧げたい。
「世法で、また国法で、だれが一番、立派か。そんなことは問題ではない。仏法の上で、だれが一番、立派かということが大問題なのだ」
広宣流布の最前線で戦う、わが創価の同志が、一番、立派なのである。真剣な第一線の学会員こそが、一番、偉大なのである。これが戸田先生の思想である。
戸田先生は、「青年よ、誠実であれ! 策や要領ではいけない!」とおっしゃった。このとおりに私も進んできた。
さらに、こう遺言された。「青年の成長なくして広宣流布も、時代の未来も開けない」「次の学会を、青年部、よろしく頼むよ!」と。
今、青年部は、一番大事な時を迎えた。
上げ潮から、引き潮になり、また上げ潮になっていくように、時代は、大きく回転している。
わが創価学会は、ひと回りも、ふた回りも、大きな土台を持った「新しい段階」へと発展していく幕が開かれたのだ。若き青年部の君たちが大活躍していく、そのための舞台は、ほぼつくり終わり、その形が、ほぼ見えてきた。
あとは、この大劇場で、青年部の諸君が乱舞して、次の大きな学会を、世界平和の不滅の基盤となる学会を、いかなる嵐にも揺るがぬ勝利の学会をつくっていくのだ。青年部の諸君、頼むよ!
戸田先生は青年に烈々と叫ばれた。
「一番かわいい青年たちに、自分の思想を全部、託したい」
「師匠の話を全身で受け止めなさい!」
「次の時代は、君ら青年がやる以外にないのだから、しっかり頼むぞ!」
長時間ありがとう!
幸福と繁栄の礎だ。
日頃の声掛けを大切に!
わが地区・ブロックから
安心のネットワークを!
御義口伝巻上 P724
『御義口伝に云く一門とは法華経の信心なり車とは法華経なり牛とは南無妙法蓮華経なり宅とは煩悩なり自身法性の大地を生死生死と転(め)ぐり行くなり』
【通解】
御義口伝には、次のように仰せである。一門とは法華経の信心のことであり、車とは法華経、大白牛車の牛とは南無妙法蓮華経である。また、宅とは煩悩を意味する。自身法性の大地とは、成仏という。永遠の生命を覚知した絶対の幸福境涯であり、生死生死と転り行くとは、その永遠の幸福境涯の上に立って、いっさいの生活をしていくことである。
名字の言 手塚治虫氏を訪ねた藤子不二雄 2022年3月19日
「藤子不二雄」の合作ペンネームで知られる藤本弘さんと安孫子素雄さん。漫画家を目指していた高校3年の時、2人で手塚治虫氏を訪ねた思い出を、安孫子さんがかつて、本紙インタビューで語っていた▼仕事中の氏から"待つ間、これでも見ていて"と数百ページもの原稿を渡された。それは2人が何度も読んだ作品だったが、見覚えのある場面が全くない。氏に聞くと、当初、描いた1000ページの大半を削って作品にした。それは本に載らなかった部分とのこと。氏の努力のすさまじさに衝撃を受け、本気で"漫画家になろう"と心を決めたという▼「文章は『氷山の一角』だ」と先輩に言われたことがある。書き手として、どれほど物事を深く強く感じ、思い、真剣に考えてきたかという豊かな体験に支えられてこそ、読むに値する文が書ける。水面下に心の格闘という大きな氷塊があってこそ、文として水面にその一角が現れるとの教えだった▼人の心を動かす力の根源は、目には見えない部分にあるのだろう。振る舞いや発言も、本質は当人の心根の表れである▼根を深く張るほどに、大樹は高く伸び、枝葉を広げて育つ。信心も、陰徳を積む地道な実践があってこそ、人生を開いていける。
寸鉄 2022年3月19日
「この身を法華経にかうるは、石に金をかえ」御書 大確信で宿命転換の劇を(新1227・全910)
福岡・筑紫総県の日。先駆の勇者が力走!対話の花咲く"桜前線"は我らから
東京「千代田の日」50周年 本陣に輝く誓願の人材城一騎当千の闘魂で前進!
マルチ商法被害の相談、20・30代が半数と。絶対に儲かる等の甘言に警戒
プラごみ削減へ国際協定創設へ—国連。一人一人が青き地球を守る主役と
〈社説〉 2022・3・19 3・21「白樺会の日」
◇声とまなざしに心を込めて
「『白樺の人』と聞くと/誰もが安心する」。池田先生の詩の一節である。明後21日は「白樺会の日」。1986年(昭和61年)のこの日、看護の仕事に携わる女性部の集い「白樺会」が結成された。
白樺の木は伐採後の荒れ地や山火事の後でも真っ先に姿を現し、他の植物が生い茂る環境へと一変させる。まさに人々の生命力を引き出し、「抜苦与楽」の慈悲の看護に徹する友の姿そのものである。
先月、新たに齋藤委員長が誕生し、これまでの女子部「白樺グループ」と一体となって新出発した。
齋藤委員長は語る。「白樺の勝利が全ての勝利につながります。強く温かい白樺姉妹の絆で"未来の宝"である皆さんと共に、"いのちこそ宝"の生命尊厳の世界を築いていきたいと思います」
少子高齢化や医療環境の変化に伴い、看護者に求められる役割は多様化している。依然として厳しい労働環境の中、白樺の友は生老病死を見つめ、目の前の一人の仏性を信じ、三世の生命に題目を送り続ける。自分自身も悩みを抱え、疲れ果て、投げ出したくなる時もある。それでも患者のもとへ向かうのは「命こそが尊極の宝だと知っているからです」と友は語る。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、素手で患者に触れることが難しくなった。フェースシールドとマスクで顔が覆われ、笑顔を見せることもままならない。だからこそと、友はその声に、そのまなざしに、唱題で蓄えた生命力と心を込める。
呼吸器内科で務める友も、その一人。一日中、防護服をまとい、吹き出る汗を拭う余裕すらなく、救命の場に立ち会う。ウイルスへの恐怖で泣きながら防護服を着る若い看護師を抱きかかえるように励まし、共に患者のもとへ。祈りを込めて接すると、顔をこわばらせていた患者も、いつしか笑顔に変わっていた。「病める人/心の傷ついている人を/私の使命感として/私は堕落させない」——池田先生の指針を胸に、白樺の使命に生き抜く。その姿に憧れて、彼女の長女は今春、看護学校の門をくぐる。
「一人の生命を守り、慈しむ心は、そのまま、強き"平和の心"となる」と先生はつづった。不安渦巻く時代にあって、目の前にいる人の心に希望の灯をともし、平和の心を広げる白樺の友へ、きょうも感謝の祈りをささげたい。
☆第8回本部幹部会・第2回青年部幹部会 池田先生の指針——広布と未来を開くのは青年
◇三代の魂 受け継ぐ陣列を
◇戸田先生「誠実であれ! 策や要領ではない」
皆さま方のお力によって、今、世界の広宣流布の新時代は、一日一日と、目覚ましく前進している。こんなに勢いよく発展している教団は、ほかにあるだろうか。大変なことである。
世界でも、数限りない人々が、創価学会のことを知り、共感を寄せている。各国の指導者も、多くの人々がSGIに理解を示してくださっている。そして、大きな波動が、年を経るごとに、世界中に広がっている。
末法において正法を弘める戦いは、有名な項羽と劉邦(沛公)の戦いにも勝ると日蓮大聖人は仰せである(全218・新95)。
また御聖訓にいわく。
「この20年あまりの間、ひととき、片時も心の安らかだったことはない。源頼朝が平家と戦った7年間でも、そのなかには暇はあったであろう」(全1514・新1848、通解)
どんなに激しい合戦も、合間に、しばし休息をとることはあった。だが、大聖人の広宣流布の大闘争には、一日、片時たりとも、心安らぐ時はなかった。熾烈な戦いの連続であった。
大聖人は、仏法の平和の大哲学で、全人類を救わんとする、壮大なスケールの闘争を続けられた。これこそ、世界の広宣流布をしゆく、大聖人の「戦う息吹」である。
この戦う魂を、牧口先生、戸田先生、そして私が、そのまま受け継いできた。大聖人の息吹で戦ってきたゆえに、学会はここまで世界的に発展したのである。
学会は、三代会長の時代までにおいて、一切の完璧な基盤ができ上がった。
三代の師弟は、大聖人直結の真の広宣流布の血脈を継承してきた。この偉大なる魂があるからこそ、何があっても、学会は微動だにしないのである。
本当に大聖人に直結し、広宣流布を進めてきた指導者は、牧口先生、戸田先生、私の三代の会長である。三代の会長は皆、牢に入り、命がけで戦ってきた。大聖人が仰せになられた三類の強敵、三障四魔と、敢然と戦ってきた。これが、法華経の行者の魂である。皆さまも、この創価の師弟を中心にして生きぬいてもらいたい。
本年(=2007年)は学会創立77周年。創価の三代の77年の戦いは、「師弟不二」であるがゆえに、「異体同心」であるがゆえに、勝ってきたのである。これからも、学会は勝たねばならない。そうでなければ、人類の平和な未来はないからである。
戦う「名誉」と「栄光」と「福運」は、無上の永遠なる価値である。どうか一緒に、広宣流布のために頑張っていただきたい。頼みます!
◇温かな励ましで
「捨つる命は 惜しまねど 旗持つ若人 何処にか」
これは、戸田先生が獄中で作詞された、「同志の歌」の一節である。
戦争中の法難の際、牧口先生を"大人"たちは裏切った。大人は、ずるい。その心は、利害であり、世間体だった。自己中心であり、保身だった。一方、青年は「信ずる」心が強い。そして「まっしぐら」である。
ゆえに、戦後ただ一人、広宣流布に立ち上がられた戸田先生は、「青年だ」「青年を待っているのだ」と、口癖のようにおっしゃっていた。
1947年(昭和22年)の8月14日。私は、戸田先生と初めてお会いした。当時、戸田先生は47歳。私は19歳であった。あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。以来、10年以上にわたって、先生のもとで厳しく訓練していただいた。先生は、ご自身より28歳も若い私に、広宣流布の命運をかけてくださった。未来の一切を託されたのである。
戸田先生は、創価の青年群の中心に、私を据えられた。縦横に青年の力を発揮させた。だから、学会は大発展してきた。
この戸田先生と私の「師弟」が起点となって、地涌の陣列が大きく拡大していった。その大発展の力こそ、「青年が大事だ」「青年を大切にしよう」との戸田先生の一念であった。
もちろん、青年には訓練が必要である。しかし、何よりも、"学会のため、地域のため、日本の平和、世界の平和のために働いてもらいたい。大きく伸びてもらいたい"——そういう祈りをもって青年を育てていくことだ。慈愛の心で、温かく励ましていくことだ。
きょうは、このことを改めて決議したいと思うが、どうだろうか。(=賛同の大拍手)
また、たとえ年配であっても、大事なことは、「心」が若々しいかどうかである。
牧口先生は70歳を超えても「われわれ、青年は」と言われた。信心をしている私の魂は、永遠に青年だ、との心意気である。全員が「青年の心」で進んでまいりたい。
学会は、青年を起用し、青年の活力で前進していく。その上で、青年部の皆さんは、壮年部・婦人部(当時)の先輩方の心をよく知り、実践していただきたい。勝手気ままになったり、いい気になるようなことがあってはならない。
それでは、親を大切にしないで、自分だけ自由奔放に生きるようなものだ。いよいよ、これからが大事である。
◇次の学会を頼む
結びに、戸田先生の遺言のご指導を青年部に捧げたい。
「世法で、また国法で、だれが一番、立派か。そんなことは問題ではない。仏法の上で、だれが一番、立派かということが大問題なのだ」
広宣流布の最前線で戦う、わが創価の同志が、一番、立派なのである。真剣な第一線の学会員こそが、一番、偉大なのである。これが戸田先生の思想である。
戸田先生は、「青年よ、誠実であれ! 策や要領ではいけない!」とおっしゃった。このとおりに私も進んできた。
さらに、こう遺言された。「青年の成長なくして広宣流布も、時代の未来も開けない」「次の学会を、青年部、よろしく頼むよ!」と。
今、青年部は、一番大事な時を迎えた。
上げ潮から、引き潮になり、また上げ潮になっていくように、時代は、大きく回転している。
わが創価学会は、ひと回りも、ふた回りも、大きな土台を持った「新しい段階」へと発展していく幕が開かれたのだ。若き青年部の君たちが大活躍していく、そのための舞台は、ほぼつくり終わり、その形が、ほぼ見えてきた。
あとは、この大劇場で、青年部の諸君が乱舞して、次の大きな学会を、世界平和の不滅の基盤となる学会を、いかなる嵐にも揺るがぬ勝利の学会をつくっていくのだ。青年部の諸君、頼むよ!
戸田先生は青年に烈々と叫ばれた。
「一番かわいい青年たちに、自分の思想を全部、託したい」
「師匠の話を全身で受け止めなさい!」
「次の時代は、君ら青年がやる以外にないのだから、しっかり頼むぞ!」
長時間ありがとう!
2022年3月18日金曜日
2022.03.18 わが友に贈る
大きな地震の後の余震に
十分に警戒しよう!
家具類の転倒防止や
避難場所・安否連絡方法
の確認など備えを万全に。
御義口伝巻上 P725
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり』
【通解】
いま日蓮と弟子檀那が南無妙法蓮華経と信じ唱えるが故に、自ずから求めずして、これ以上ない大宝珠を得るのである。
名字の言 少女部員が描いたカラフルな魚 2022年3月18日
尾ひれは赤・黄・青の3色。頭部や胴部も、白やピンクや紫と多色多彩——この鮮やかな魚は、第36回「少年少女希望絵画展」(創価文化センター)で展示されている絵の中にいる▼タイトルは「カラフルなおさかなたち」。小学1年生の少女部員が描いたものだ。中心となる魚の周りにも彩り豊かな魚が泳いでいる。大人が描こうと思っても、こうした大胆な色使いは、なかなかできないだろう▼子どもの絵の素晴らしさは「汚れがなく、偏見もない『純粋さ』」にあると、世界的な絵本画家のワイルドスミス氏は語った。大人の芸術家は多くのものを見過ぎて、固定観念に縛られている。一方、子どもたちの感受性は豊かで発想も自由自在。全ての芸術家が子どもをうらやむのは「この純粋さに、あこがれるから」という▼御書に「浄土といい穢土というも、土に二つの隔てなし、ただ我らが心の善悪によると見えたり」(新317・全384)と。もっと子どものまなざしに学べたなら、世界はどれほど美しく変わるだろうか▼先の少女は絵の説明文に書いた。「みんなでなかよくいっしょにおよいでる。いろは、みんなちがうけれど、みんな生きものです」。差異にこだわり、いがみ合う大人への警句でもある。
寸鉄 2022年3月18日
創価の師弟に一生を懸けていけ—戸田先生。広宣流布即世界平和へ邁進!
福井県女性部の日。希望の清風を友へ、地域へ。対話の"春一番"は私から
東京・杉並の日。「創価の名門」は全てに勝つ。青年を先頭に模範の先陣を!
人の繋がりが希薄になった—54%。対面でも電話でも心通わす励まし更に
まん延防止等措置が全面解除へ。感染リスク低減の予防策を引き続き徹底
〈社説〉 2022・3・18 「彼岸」の意義を考える
◇妙法の祈りこそ幸福開く鍵
今月21日は「春分の日」。日本では、この時節は「春の彼岸会」があり、先祖供養や墓参などが行われる。
そもそも仏教では、迷いに満ちた現実世界を「此岸」に、そして仏道修行によって得られる覚りの境涯を「彼岸」に譬える。
日蓮大聖人の仏法では、成仏の根源の法である南無妙法蓮華経を唱え、妙法流布に生き抜くことで、この一生のうちに誰もが彼岸に至る、すなわち成仏の境涯を開くことができると教える。
さらに、その功徳は先祖や故人にまで回らし向けることができると説く。
ゆえに、私たちが日々、実践する自行化他の唱題行こそ、故人をも含めた、自他共の成仏を実現しゆく最高善の実践なのである。
こうした追善回向の本義の上から、大聖人が、死別の悲哀に沈む門下を励まされる御聖訓は、御書の随所に見られる。
夫を亡くした上野尼御前には、「故人は法華経の行者であったので、即身成仏は疑いありません。それでも、つい嘆いてしまうのが凡夫の習いですが、聖人ですら嘆くことはあるものです。何としても追善供養を心ゆくまで励まれるのがよいでしょう」(新1835・全1506、趣意)と仰せだ。
包み込むような言葉に、尼御前はどれほど安心し、心強く思っただろう。
その後、祈りを重ね、信心を深めていった尼御前は、子どもたちを広布の人材に育て上げ、一族の幸福の基盤を築く。
本紙連載の「いのちの賛歌」で取り上げてきた信仰体験でも、大切な人との死別を経験した同志の話がある。
もちろん、悲しみの様相は一様ではないが、深い悲哀を抱えながらも「亡き人の分まで」と祈り抜き、それぞれの「幸せ」を見いだしている姿には、多くの感動の声が寄せられている。
池田先生は語る。
「追善の祈りも、妙法の祈りであれば、立派な仏道修行になるのです。御本尊の前では、何も飾る必要はない。嬉しいときは嬉しいままに、悲しいときは悲しいままに、ありのままの自分で御本尊を拝していくことです」
「何があろうと唱題し抜いた人が、真の勝利を得るのです」
故人へと思いをはせる時節。何があっても妙法の祈りを貫く生き方こそ、故人のみならず、今を生きる私たちの幸福をも開く鍵であると、深く銘記したい。
☆第8回本部幹部会・第2回青年部幹部会への池田先生のメッセージ
一、ここ宿縁ふかき神奈川の天地で、1979年(昭和54年)の5月、私は「正義」「共戦」と認めました。この書を真っ先に見せたのは、誰であったか? それは、青年です。若き愛弟子たちです。
私は祈りを一つに、皆と勤行をし、語りかけました。
「苦難の時こそ、私は青年を育てる。青年と共に戦う。嵐の時代こそ、若き正義の力を信ずる以外にない。これが創価の師弟の心です」と。
その折の丈夫と乙女たちの誓いに燃えた瞳は、今も忘れません。
そして、今日ここに、「広宣流布」即「世界平和」への誓願を高らかに歌い上げた君たちの地球を結ぶ正義・共戦のスクラムを、私は心から讃えたい。
皆、本当にご苦労さま! また、青年の成長と勝利を祈り抜き、陰に陽に応援してくれている学会家族の皆さん、いつもいつもありがとう!(大拍手)
◇大法弘通の聖火を後継の君に
一、日蓮大聖人が御書に引かれた「貧女の一灯」という仏教説話があります。
祇園精舎にいる釈尊に、名だたる王や長者らが供養した多くの灯火は、一夜明けると全て消えていた。ところが、無名無冠の一人の女性が捧げた灯火だけは、須弥山を吹き抜けるような風にも決して消えずに、まばゆい光を放ち続けていたのである。
それは、なぜか。清らかな真心を尽くし、広く一切衆生を救いたいと、大きな誓いの心で灯された火であるからだ、というのであります。
思えば、聖教新聞の創刊第1号に躍動した見出しは、「聖火鶴見に炎上」でありました。この横浜の鶴見に輝き出た、草創の同志の生命の光彩であります。尊き創価の母たち女性たちが、不退の信心で今日まで灯し抜いてきた慈折広布の聖なる火こそ、いかなる烈風にも消えない「大福運の一灯」なりと、御本仏は御照覧くださるに違いありません。
そして、この大法弘通の聖火を誇り高く受け継ぎ、一人ひとりの心に語り伝えているのが、藍より青き後継の君たちです。それは、永遠に尽きない希望の光を友に贈る、不軽菩薩の人間尊敬の実践なのであります。
一、混迷が深まる危機の時代にあって、特に青年世代の間には、先の見えない不安や孤独感、無力感などが、重苦しく垂れ込めているでしょう。
だからこそ、創価の若人の勇気と誠実の声が、どれほど強く、どれほど明るく、どれほど温かく、友の生命を蘇生させることか、計り知れません。
大聖人は若き南条時光に、仏に成る道は特別なことではないとして、譬えば「寒さに凍えた人に火を与えることである」(新1918・全1574、通解)と教えられました。
御義口伝に示されているように、妙法を唱えゆくならば、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」という究極の智慧の炎を現して、薪を焼くがごとく、どんな青春の悩みも、どんな社会の難題も、必ずや新たな価値創造へのエネルギーに転ずることができる。そして、生老病死の苦悩の闇をも、自他共に明々と常楽我浄へ照らし晴らすことができるのであります。
◇妙法こそ人類を安穏に導く大良薬
一、御聖訓には、民衆に幾多の苦難が次々に襲いかかる「闘諍堅固の時」は、「法華経の大良薬をもってこの大難をば治すべし」(新694・全550)との一節があります。
妙法は、一切衆生すなわち全人類を分け隔てなく、「幸福」と「平和」へ導く大良薬なのであります。
戸田先生は「地球民族主義」の構想に、いずこの国の民衆も不幸の淵に追いやられることがあってはならないとの念願を込められました。どの国の民衆も、求めてやまないものは、「幸福」であり、「平和」であります。試練が大きければ大きいほど、創価の若き世界市民の熱と力をいやまして結集し、「我此土安穏」——地涌の我らが集い合った、この星を安穏にしていく師弟不二の祈りを強めながら、「立正安国の対話」を貫いていただきたい。
◇人間革命の勇舞を世界の友と
一、40年前、青年と21世紀の広布の山を登攀し始めた折に記した三つの書を、巡り来る「三月十六日」を前に、改めて君たちに贈ります。
「創価後継丈夫」
「青春幸乃瞳」
「生命光彩乃曲」
であります。
浅きを去って深きに就く「創価後継の丈夫」たちよ、そして「青春幸の瞳」光る華陽姉妹よ、世界192カ国・地域の異体同心の全宝友と共々に人間革命の勇舞を広げ、地球民族の心と心に「生命光彩」の平和の交響曲を奏でゆこうと申し上げ、私のメッセージといたします。
十分に警戒しよう!
家具類の転倒防止や
避難場所・安否連絡方法
の確認など備えを万全に。
御義口伝巻上 P725
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり』
【通解】
いま日蓮と弟子檀那が南無妙法蓮華経と信じ唱えるが故に、自ずから求めずして、これ以上ない大宝珠を得るのである。
名字の言 少女部員が描いたカラフルな魚 2022年3月18日
尾ひれは赤・黄・青の3色。頭部や胴部も、白やピンクや紫と多色多彩——この鮮やかな魚は、第36回「少年少女希望絵画展」(創価文化センター)で展示されている絵の中にいる▼タイトルは「カラフルなおさかなたち」。小学1年生の少女部員が描いたものだ。中心となる魚の周りにも彩り豊かな魚が泳いでいる。大人が描こうと思っても、こうした大胆な色使いは、なかなかできないだろう▼子どもの絵の素晴らしさは「汚れがなく、偏見もない『純粋さ』」にあると、世界的な絵本画家のワイルドスミス氏は語った。大人の芸術家は多くのものを見過ぎて、固定観念に縛られている。一方、子どもたちの感受性は豊かで発想も自由自在。全ての芸術家が子どもをうらやむのは「この純粋さに、あこがれるから」という▼御書に「浄土といい穢土というも、土に二つの隔てなし、ただ我らが心の善悪によると見えたり」(新317・全384)と。もっと子どものまなざしに学べたなら、世界はどれほど美しく変わるだろうか▼先の少女は絵の説明文に書いた。「みんなでなかよくいっしょにおよいでる。いろは、みんなちがうけれど、みんな生きものです」。差異にこだわり、いがみ合う大人への警句でもある。
寸鉄 2022年3月18日
創価の師弟に一生を懸けていけ—戸田先生。広宣流布即世界平和へ邁進!
福井県女性部の日。希望の清風を友へ、地域へ。対話の"春一番"は私から
東京・杉並の日。「創価の名門」は全てに勝つ。青年を先頭に模範の先陣を!
人の繋がりが希薄になった—54%。対面でも電話でも心通わす励まし更に
まん延防止等措置が全面解除へ。感染リスク低減の予防策を引き続き徹底
〈社説〉 2022・3・18 「彼岸」の意義を考える
◇妙法の祈りこそ幸福開く鍵
今月21日は「春分の日」。日本では、この時節は「春の彼岸会」があり、先祖供養や墓参などが行われる。
そもそも仏教では、迷いに満ちた現実世界を「此岸」に、そして仏道修行によって得られる覚りの境涯を「彼岸」に譬える。
日蓮大聖人の仏法では、成仏の根源の法である南無妙法蓮華経を唱え、妙法流布に生き抜くことで、この一生のうちに誰もが彼岸に至る、すなわち成仏の境涯を開くことができると教える。
さらに、その功徳は先祖や故人にまで回らし向けることができると説く。
ゆえに、私たちが日々、実践する自行化他の唱題行こそ、故人をも含めた、自他共の成仏を実現しゆく最高善の実践なのである。
こうした追善回向の本義の上から、大聖人が、死別の悲哀に沈む門下を励まされる御聖訓は、御書の随所に見られる。
夫を亡くした上野尼御前には、「故人は法華経の行者であったので、即身成仏は疑いありません。それでも、つい嘆いてしまうのが凡夫の習いですが、聖人ですら嘆くことはあるものです。何としても追善供養を心ゆくまで励まれるのがよいでしょう」(新1835・全1506、趣意)と仰せだ。
包み込むような言葉に、尼御前はどれほど安心し、心強く思っただろう。
その後、祈りを重ね、信心を深めていった尼御前は、子どもたちを広布の人材に育て上げ、一族の幸福の基盤を築く。
本紙連載の「いのちの賛歌」で取り上げてきた信仰体験でも、大切な人との死別を経験した同志の話がある。
もちろん、悲しみの様相は一様ではないが、深い悲哀を抱えながらも「亡き人の分まで」と祈り抜き、それぞれの「幸せ」を見いだしている姿には、多くの感動の声が寄せられている。
池田先生は語る。
「追善の祈りも、妙法の祈りであれば、立派な仏道修行になるのです。御本尊の前では、何も飾る必要はない。嬉しいときは嬉しいままに、悲しいときは悲しいままに、ありのままの自分で御本尊を拝していくことです」
「何があろうと唱題し抜いた人が、真の勝利を得るのです」
故人へと思いをはせる時節。何があっても妙法の祈りを貫く生き方こそ、故人のみならず、今を生きる私たちの幸福をも開く鍵であると、深く銘記したい。
☆第8回本部幹部会・第2回青年部幹部会への池田先生のメッセージ
一、ここ宿縁ふかき神奈川の天地で、1979年(昭和54年)の5月、私は「正義」「共戦」と認めました。この書を真っ先に見せたのは、誰であったか? それは、青年です。若き愛弟子たちです。
私は祈りを一つに、皆と勤行をし、語りかけました。
「苦難の時こそ、私は青年を育てる。青年と共に戦う。嵐の時代こそ、若き正義の力を信ずる以外にない。これが創価の師弟の心です」と。
その折の丈夫と乙女たちの誓いに燃えた瞳は、今も忘れません。
そして、今日ここに、「広宣流布」即「世界平和」への誓願を高らかに歌い上げた君たちの地球を結ぶ正義・共戦のスクラムを、私は心から讃えたい。
皆、本当にご苦労さま! また、青年の成長と勝利を祈り抜き、陰に陽に応援してくれている学会家族の皆さん、いつもいつもありがとう!(大拍手)
◇大法弘通の聖火を後継の君に
一、日蓮大聖人が御書に引かれた「貧女の一灯」という仏教説話があります。
祇園精舎にいる釈尊に、名だたる王や長者らが供養した多くの灯火は、一夜明けると全て消えていた。ところが、無名無冠の一人の女性が捧げた灯火だけは、須弥山を吹き抜けるような風にも決して消えずに、まばゆい光を放ち続けていたのである。
それは、なぜか。清らかな真心を尽くし、広く一切衆生を救いたいと、大きな誓いの心で灯された火であるからだ、というのであります。
思えば、聖教新聞の創刊第1号に躍動した見出しは、「聖火鶴見に炎上」でありました。この横浜の鶴見に輝き出た、草創の同志の生命の光彩であります。尊き創価の母たち女性たちが、不退の信心で今日まで灯し抜いてきた慈折広布の聖なる火こそ、いかなる烈風にも消えない「大福運の一灯」なりと、御本仏は御照覧くださるに違いありません。
そして、この大法弘通の聖火を誇り高く受け継ぎ、一人ひとりの心に語り伝えているのが、藍より青き後継の君たちです。それは、永遠に尽きない希望の光を友に贈る、不軽菩薩の人間尊敬の実践なのであります。
一、混迷が深まる危機の時代にあって、特に青年世代の間には、先の見えない不安や孤独感、無力感などが、重苦しく垂れ込めているでしょう。
だからこそ、創価の若人の勇気と誠実の声が、どれほど強く、どれほど明るく、どれほど温かく、友の生命を蘇生させることか、計り知れません。
大聖人は若き南条時光に、仏に成る道は特別なことではないとして、譬えば「寒さに凍えた人に火を与えることである」(新1918・全1574、通解)と教えられました。
御義口伝に示されているように、妙法を唱えゆくならば、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」という究極の智慧の炎を現して、薪を焼くがごとく、どんな青春の悩みも、どんな社会の難題も、必ずや新たな価値創造へのエネルギーに転ずることができる。そして、生老病死の苦悩の闇をも、自他共に明々と常楽我浄へ照らし晴らすことができるのであります。
◇妙法こそ人類を安穏に導く大良薬
一、御聖訓には、民衆に幾多の苦難が次々に襲いかかる「闘諍堅固の時」は、「法華経の大良薬をもってこの大難をば治すべし」(新694・全550)との一節があります。
妙法は、一切衆生すなわち全人類を分け隔てなく、「幸福」と「平和」へ導く大良薬なのであります。
戸田先生は「地球民族主義」の構想に、いずこの国の民衆も不幸の淵に追いやられることがあってはならないとの念願を込められました。どの国の民衆も、求めてやまないものは、「幸福」であり、「平和」であります。試練が大きければ大きいほど、創価の若き世界市民の熱と力をいやまして結集し、「我此土安穏」——地涌の我らが集い合った、この星を安穏にしていく師弟不二の祈りを強めながら、「立正安国の対話」を貫いていただきたい。
◇人間革命の勇舞を世界の友と
一、40年前、青年と21世紀の広布の山を登攀し始めた折に記した三つの書を、巡り来る「三月十六日」を前に、改めて君たちに贈ります。
「創価後継丈夫」
「青春幸乃瞳」
「生命光彩乃曲」
であります。
浅きを去って深きに就く「創価後継の丈夫」たちよ、そして「青春幸の瞳」光る華陽姉妹よ、世界192カ国・地域の異体同心の全宝友と共々に人間革命の勇舞を広げ、地球民族の心と心に「生命光彩」の平和の交響曲を奏でゆこうと申し上げ、私のメッセージといたします。
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