2014年4月25日金曜日

2014.04.24 わが友に贈る

歩きながらの
メールや電話は
注意力が散漫に!
思わぬ事故に
遭わないよう用心!

四信五品抄 P342
『請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや』

◇希望の明日へ
音楽の力は偉大である。音楽のない社会は砂漠である。たとえば、世界の政冶家、指導者が集まる国際会議でも、開会前には必ず、心を潤し、和らげる名曲に、ともに耳を傾けてはどうかと提案したい。そうすれば、会議も、もっと効果があがり、平和、協力への一致が容易になるであろう。
平4・10・30

☆千葉日報特別寄稿 子どもは「未来の太陽」
フランスの文豪ユゴーは叫んだ。「子どもの本当の名前は何か?」「それは『未来』である!」と。ゆえに、「子ども」を育てることは「未来」を育てることといってよい。
私が「社会のための教育」から「教育のための社会」への転換を訴えてきたのも、「人間をつくること」にこそ、現代の行き詰まりを打開しゆく希望を見出すからである。
私は、世界の識者や指導者との語らいの折に、必ずといってよいほど、ご両親からの影響を伺うように心がけてきた。人間にとって、最初にして最大の教育環境は、家庭である。それぞれの方々に、一生の支えとしている父母の思い出がある。そこには、万巻の書にも勝る、生きた教訓が光っているものだ。
現在、私と対談を連載している、世界的な心臓外科医で、ヨーロッパ科学芸術アカデミーの会長であるウンガー博士は、亡き父母を偲びながら語っておられた。「父から学んだのは、今のような乱れた時代にあっては、『正しく語る』『正義を語る』ことが大事だということです」「母から学んだのは、『恐れない』ということです。母は、どんな問題に突き当たっても『こんなことは何でもない!』『解決策は必ずある!』というのが常でした」
今の社会には、青少年を狙った凶悪な「犯罪」や、悪質化する「いじめ」の間題など、子どもの心をしぼませたり、傷つけたりする悪条件が、あまりにも多すぎる。
哲学者のルソーは、教育書『エミール』で、「家庭生活の魅力は悪習にたいする最良の解毒剤である」と洞察した。何ものにも負けない「強さ」と「正しさ」と「賢さ」を育む源泉こそ、心豊かな家庭教育であろう。
人間教育は、尊極な「生命」を対象とする技術であり、芸術である。
それは、固定化した「知識」ではあるまい。子どもと関わる真剣さ、そして子どもを思いやる慈愛から、生き生きと湧き出ずる「智慧」ではないだろうか。千葉県では、教育委員会などが中心となり、「心すくすく・心豊かに」を合言葉として、心の教育推進キャンペーンを行っておられると伺った。
私のよく知る千葉県のあるお母さんは、忙しい毎日の中にあっても、三人のお子さんを家から送り、出す時、必ず笑顔で、目を見ながら「行ってらっしゃい!」と声をかけることを心がけてきたという。帰宅した時も、目を見て「お帰りなさいー」と笑顔で迎える。
ちょっとした工夫であり努力であったが、持続は力である。自然のうちに、心と心が通い合うリズムができ、子どもの微妙な変化をキャッチできる機会ともなったようだ。
以前、東京の女性教育者が小学五年生を対象に行ったアンケートの結果は、まことに興味深い。
親から「かけてほしい言葉」の第一位は、何か。「よくがんばったね!」である。第二位は「頭いいね、さすがだね!」。第三位は「ありがとう!」であった。反対に、「かけてほしくない言葉」の第一位は「バカだね」「やっぱりダメだ」「できっこない」などの否定的な言葉である。第二位は「もっと勉強しなさい」。第三位は、いやみであった。
「ほめる言葉」「感謝の言葉」「励ましの言葉」が絶えない家庭は、やはり希望と自信と活力に弾んでいる。「声」の力は、計り知れない。これからは、ますます、若い人たちを「ほめて伸ばす」時代であると、私は実感する一人である。青少年に接する時は、八割から九割は「ほめる」「励ます」。あとの一割から二割で「指導する」「注意する」——大人たちには、それくらいの大らかさが求められているのではないだろうか。
アイルランドの詩人イェーツは言った。「教育とは『桶を満たす』ことではなく、『火を点す』ことである」今や、頭脳を満たす情報は氾濫している。だからこそ、大事なことは、心に「火を点す」ことである。「やる気にさせる」ことである。"やればできる""自分にもできる"と「自信を持たせる」ことである。
「何のために」学ぶのかを深く自覚できれば、若き才能の芽は急速に伸びていくものだ。子どもたちの心に、この前進のエネルギーを点火するためには、何よりもまず、親自身の心が燃えて前進していなければなるまい。「心」を燃え上がらせるものは「心」であるからだ。
私が共に二冊の対談集を発刊した、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長も述懐されていた。「親自身が子どもを育てることを通じて成長していく場合に、家族は絆を強め安定します」と。
最新の研究では、「子育て」を経験することによって、母親の脳それ自体が、より賢く変化していくことが、科学的にも解明されているという。私自身、子どもの頃を振り返ってみると、やかましく躾や教育をされた記憶はない。母は、いい学校へ行けとか、出世しろ、偉くなれなどとは、一言も言わなかった。家業の海苔の仕事場で、友だちとにぎやかに遊んでいても、怒られたり、いやな顔を見ることはなかった。
母は、海苔の養殖をはじめ家事の万般を担い、真冬でも早朝から深夜まで、小さな体で愚凝一つこぼさずに働き通していた。戦前、戦中と、リュウマチの父を支え、四人の息子を次々に軍隊に奪われながらも、強く朗らかに生き抜く母であった。疎開のため、ようやく作ったばかりの家も空襲で全焼してしまった。かろうじて運び出せた唯一の家財道具は、妹の雛人形のみであった。皆が落胆するなかで、明るく「このお雛様が飾れるような家に、きっと住めるようになるよ!」と言った母の一言に、どれだけ救われたことか。
この母から「人さまには迷惑をかけるな」「嘘はつくな」ということだけは、繰り返し諭された、母のこの素朴な戒めは、私の心の奥底に深く植えつけられた。そして時とともに、「人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない」という哲学、「真実は最大の弁明なり」という信念へ結実していった。
ともあれ、心の中に尊い宝となって、いつまでも輝き続ける価値観を、親から確かに継承した人生は、いかなる財産を相続した富豪よりも幸福であると思う。
私の人生の師は、よく「世界、社会に貢献させることを目標において、わが子を愛していきなさい」と言われていた。
それには、親が率先して、人びとのため、社会のために、行動に打って出ることだろう。その後ろ姿を、子どもはじっと見つめているからだ。
アメリカの女性の未来学者であるヘンダーソン博士も回想しておられた。「母はボランティア活動にも熱心で、保育所で小さな子どもの面倒を見たり、近所の寝たきりになったお年寄りの食事を運んだりしていました。そんな母の生き方から、人を愛することの大切さや物事の考え方を学んだのです」
あのアメリカ公民権運動の指導者であるキング博士は、父親から「頑固な牡牛のような勇気」を受け継いだといわれる。
幼き日、キング少年が父と一緒に買い物に出たときのことである。空いている白人用の席に座っていると、店員に後ろの席へ移れと強要された。父親は、理不尽な要求を断固と拒否して、息子にこう語ったという。「もう、こんな人種差別はたくさんだ!わが息子よ、こうした世の中を変えていくのだ」
やがて、キング博士が、この父の心を心とし、命を賭して非暴力の戦いを貫き、人種差別のない時代を開いていったことは、不滅の歴史である。
子育てには、決められた形はない。各家庭ごとに違いがあり、特色があって、当然であろう。しかし、良書を読むことの大切さは、いくら強調しても、し過ぎることはあるまい。
中国に「書香の家」という美しい言葉がある。すなわち、書物の香りに満ちた環境を指す。
とりわけ、お子さんが幼い時、親が読み聞かせをしてあげることは、何ものにも代え難い精神の薫陶となる。
私が対話を重ねた、イギリスの大歴史学者アーノルド・トインビー博士も、お母さんの読み聞かせが、その使命の生涯を決定づけた。博士が五、六歳の頃、お母さんは、毎晩、ベッドに寝かせつけてくれながら、イギリスの歴史を、はじめから全部、楽しく話してくれたという。その面白さに、博士の幼い心は躍動した。「二十世紀最大の歴史家」と讃えられる博士の魂の揺藍が、ここにある。親が一生懸命に読み語る童話や名作、胸躍る偉人や歴史の物語は、どんなテレビやインターネットよりも鮮烈に、名画の如き映像を子どもの心のキャンパスに描き出していくに違いない。
今、房総は、百花繚乱の春を迎え始めている。幸い、千葉県には、まだまだ身近に、海や山や森など、豊かな自然が光っている。この懐の深い太自然の息吹を親子で呼吸しながら、子どもたちの心を広げていけることは、素晴らしいことだ。
千葉県ゆかりの大先哲は、弟子夫妻に子どもが誕生したことを寿ぎ、その生命の尊さを「全宇宙と等しい価値をもつ無上の宝珠」に譬えられた。まさしく、子どもの生命は、宇宙大の尊厳と可能性を秘めた最極の宝である。どの子も、その宝の生命を、思う存分に輝かせ切っていけるように、私たちは瀞しみなく励ましを贈っていきたい。
ユゴーは叫んだ。「我々の目の前にいる子どもたちを教育していこう。そうすれば、新しき世紀は赫々と光り輝くであろう。子どもの中に燃える炎こそ、未来の太陽なのである」敬愛する千葉の天地に、「未来の太陽」よ、輝きわたれ!そして、教育の世紀の「希望の春」よ、来たれ!と、私は心から祈りたい。

千葉日報 2006-03-16