2014年4月17日木曜日

2014.04.18 わが友に贈る

病気と闘う友
看病・介護で支える
家族に真心の励ましを!
労苦に寄り添う中に
前進への希望は輝く。

佐渡御書 P957
『正法は一字一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず』

◇希望の明日へ
調和をもたらすのが、詩人の天職である。世界の、あらゆる複雑性、表面の抗争、対立、亀裂−−それらのただなかに身を置きながら、なおかつ一歩深く、また高い次元から、人類共通の"永遠なる魂"を開示していく。分断された人間と人間、人間と社会、人間と自然・宇宙を再び結びつけていく、それが、詩心である。人間性の精華である。その体現者が真の詩人である。
平3・5・28

☆特別寄稿 「大九州は 『光の賛歌』 のふるさと」
芸術の生彩とは "生命の光" なり──北原白秋先生の洞祭です。この大詩人にとって、愛する故郷・柳川こそ創造の光の源でした。
麗しき「水の都」たる福岡県に溢れる光の躍動は、印象派を育んだフランスのセーヌ川やノルマンディ海岸の水辺と響き合います。
白秋先生は、日本美術と印象派の縁にも、鋭く注目していました。
本年は、パリでの「第1回印象派展」から140年。国際都市・福岡はフランスとの交流も深く、国宝「金印」をはじめ文化の宝を擁する福岡市博物館での開催は大きな意義があります。
ご関係の皆様方に、心より感謝甲し上げます。

今回、出展されている「ブージヴァルのダンス」はルノワールの最高傑作の一つであり、ボストン美術館の所蔵品の代表作です。
昨秋、日本の美術愛好家が同美術館へ、この大作を求めて足を運ばれました。ところが「日本へ貸し出している」と言われて驚き、帰国してから東京展で心ゆくまで鑑賞されたと伺っています。
世界の37の美術館から出展された名品群が織り成す「光の賛歌」は「生きる喜びの賛歌」です。
ルノワールは、人生には「暗く気の滅入るような側面」が多いからこそ、絵画は「美しく、見ていて楽しいものであるべきだ」と考え、芸術の力で生活に晴れやかな生命の色彩をもたらそうと願いました。生を尊ぶその眼には、お母さんが赤ちゃんの抱き方を発見することは、ニュートンの万有引力の発見と同様に素晴らしい偉業と映ったのです。
晩年、リウマチに苦しみ、手足が不自由になっても、手首に絵筆を括りつけ、健康的な生命の美を描いた不屈の光跡は、使命に生き抜いた人生の名画です。

印象派の画家たちは、従来の室内の制作から、明るい陽光のもとへ打って出て絵筆を振るいました。
万物が美しい。問題は「それを見ることができるかどうかだ」と語ったのは、中心的存在のピサロです。
浮世絵にも学んだシスレーは、身近な地域の自然や働く人々の美を引き出し、郷土の賛歌を描きました。
ブーダンは若き弟子のモネと戸外で一緒に活写して薫陶し、そのモネも多くの画友を激励しております。
印象派の師弟や仲間は、互いに励まし合う創造の息吹の中で、悪意の揶揄にも屈せず、新しい美の潮流を毅然と高めていきました。
まさに「人間の連帯の賛歌」といえましょう。
それは、九州の伝統工芸の技が命の絆によって切磋琢磨され、師から弟子へ継承されてきた歴史と、何と共鳴することでしょうか。
19世紀後半、印象派の画家が活躍したパリ万博では、九州の誇る博多人形や有田焼、唐津焼、薩摩焼等の工芸美術品も光彩を放ちました。
パリ万博といえば、博多生まれの川上音二郎と貞奴たちが「勇気」を合言葉に演劇と舞を繰り広げて、大喝采を博したことも、忘れ得ぬ文化の交流史です。

「光の賛歌」は、「冬は必ず春となる」という「希望の賛歌」でもあります。
1879年、大寒波でセーヌ川も凍りました。当時、モネは経済苦と最愛の妻を失う悲しみのどん底にありました。その中で、セーヌ川の氷が溶けゆく風景を描きつつ、自身の試練の冬を乗り越える魂の光を、力の限り放っていったのです。
天地も人情も豊かな九州には、人と自然、人と人が心を通わせて、共に希望の光を見出す"ふるさとの水辺"が広がっています。
最晩年、郷土の福岡日日新聞(西日本新聞の前身)から贈られた文化賞を誉れとされた白秋先生は「最高の世界に輝く光は、実は、人間の中にひそむ光と同じ」と語られました。
この新春の展示を通し、愛する福岡そして九州に「生命の光の賛歌」が、いやまして朗らかに奏でられれば、これほどの喜びはありません。
−2014年1月19日付西日本新聞より−