2014年4月22日火曜日

2014.04.22 わが友に贈る

きょうも一軒
きょうも一人と
地道な訪問激励を!
一対一の語らいから
広布の流れは大河に!

種種御振舞御書 P925
『されば鹿は味ある故に人に殺され亀は油ある故に命を害せらる女人はみめ形よければ嫉む者多し、国を治る者は他国の恐れあり財有る者は命危し法華経を持つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主此の経を持つ人をば強に嫉み候なり』

◇希望の明日へ
音楽、文化には人間性の精髄がある。平和がある。また自然と宇宙を照らし、幼児から老人まで万人をつつむ慈愛の光がある。壮麗にして、無窮なる銀河や月天、太陽、何万光年も離れた星々。音楽はそれら宇宙の大生命体との"生命の語らい"ともいえよう。無限の価値をもった「魂の宝石」である。
平3・2・28

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第25回 高知�おもてなしの心の清き流れ

太陽は
 昇り照らして
  つくりゆく
 いのち輝く
  黄金の世界を

春は、いのちの喜びを歌います。
試練の冬を耐え抜き、勝ち越えた、誇り高き生命の讃歌が響きわたる季節です。
古来、和歌では「春」と「張る」(芽が出る)は掛詞として詠われてきました。
地より湧き出ずるように芽を出し、茎を伸ばし、葉を広げ、さらに蕾を膨らませ、花を開かせていく。その草花の生長の様子は「充実した生命の歓喜に踊って居る」姿にも譬えられます。まるで、華やかで明るく、いのちの張りにも凛々しき高知の「よさこい鳴子踊り」のように!

平安の歌人・紀貫之は、有名な 『土佐日記』 で「この人々ぞ、志ある人なりける。この人々の深き志はこの海にも劣らざるべし」と、心通う人たちのことを感嘆しておりました。
海よりも深い志に生きる人々の「志の国」すなわち「志国」こそ、四国であり、高知です。
高知には、「いごっそう」の丈夫たち、そして「はちきん」の母たち、女性たちの強き志が輝いています。
佐川町が生んだ「日本植物学の父」牧野富太郎博士は、妻と共に、苦難の連続のなか、「私は決して負けまい」という決心と、いのちへの「思い遣り」の心で、大きな志を果たしていきました。
南国土佐には、「ひとりで泣かんでえい」「一緒に笑おうや」と、苦楽を分かち合う、"ぬくい"絆があります。
江戸っ子とも相通ずる、人情味あふれる高知の友が、私は大好きです。

志し
 強く正しき
  志国かな
 一人ももれなく
  幸福長者に

高知からは、幕末の志士・坂本龍馬をはじめ近代日本の夜明けを開いた人材が陸続と誕生し、志高く立ち上がりました。
民権を提唱した思想家・中江兆民は、「志のある人」が大切にすべきこととして、「造命」という言葉を挙げております。たえまない努力に徹していくならば、変えられないものはない。自分の運命は、自分の力で、断固として造り、開いていくのだという信念です。
わが人生の師匠・戸田城聖先生は、身をなげうって偉大な志に戦った高知の先駆者たちを、深く敬愛しておりました。
恩師にお供して、私が初めて高知に伺ったのは、1955年(昭和30年)です。高知城を仰ぎ見つめ、恩師を囲みながら、皆で「新たな平和革命のうねりを」と決意し合いました。
以来、信頼する高知の友人と共々に、日本と世界の新しい夜明けを目ざし、民衆運動のスクラムを広げて、まもなく60年になります。

ああ四国
 思い出多き
  四国かな
 あの顔あの人
  いかに忘れじ

雄大な太平洋を望む高知の広い天地を、南国の陽光を浴びながら、黒潮の香りのする風に吹かれながら、車と列車を乗り継ぎ、駆け巡ったことは、今も忘れられません。
友人たちと一緒に、高知市で鏡川のほとりや龍馬像が見守る桂浜を散策したこと、"土佐のまほろば(優れた良い所)"南国市や、清流で名高い四万十市を訪れたこと、さらに土佐清水市で眩い太平洋を見つめつつ懇談したことも、一つ一つ蘇ります。
優しい波音が響く足摺の空のもと、帰路につく友人たちの姿が見えなくなるまで見送った光景も胸に焼きついております。
そうしたなかで語り合ってきたことは、家族を愛し、友を愛し、地域を愛して、自分らしく貢献していく人生を! ということでした。
真実の幸福は、どこか遠くにあるのではない。身近なところで、一人一人を大切にして、自分で築くものであるからです。
高知の各地に、長い歳月、地域に根を張って皆に尽くし、皆から慕われる、元気で知恵ある宝の存在がおられます。
「この方あればこそ、この地の幸あり」と讃えられる父たち、母たちです。
幡多(はた)郡で、「地域の友の幸せのために、体当たりで尽くしていこう」と奔走した夫妻がおります。
「まず動く」ことを心がけ、悩める友がいれば、険しい山道もいとわず、海風すさぶ断崖の道も恐れず、激励に駆けつけました。
つらい時には、太平洋の彼方に赫々と太陽が昇り、大海原を金色に染めゆく光景を励みにして、「断じて負けない! あの雄々しい波のごとく、あの不屈の巌(いわお)のごとく生きちゃる!」と立ち上がってきたのです。

悲しみを
 越えゆき 満開
  笑顔かな

人材の揺籃・高知には、いずこにもまして、女性の生命の大いなる躍動があります。
江戸末期、土佐の坂本乙女は、明治維新の立役者となった弟・龍馬を薫陶しました。
さらに乙女は、よく語っていたとされます。
「一体男のする事で女に出来ぬものは何一つない」
「いづれは男女同様の仕事をする時がくる」
そうした先見の女性たちの勇気ある活動が、今日、目標となっている男女共同参画社会への道を開いてきました。
この乙女が「肚を作れ」——覚悟を決めよと激励して育てたと言われるのが、児童福祉の先駆者となった岡上菊栄さんです。
「愛」と「理解」を「人間教育の最も優秀な武器」として、痛ましい境遇に置かれた孤児、子どもたちに「明るき人生観」を贈り続けました。
晩年、皆から「おばあちゃん」と敬愛された彼女の人生を象徴する言葉は、「心の人になりよ」です。
「心」を育むのは「心」です。自らの心を燃やして、わが子、わが友、わが故郷に、前へ前へと進む希望や生きる喜びを贈り広げる「太陽の心」ほど、尊い光はないでしょう。
宿毛(すくも)出身の女性歌人・北見志保子さんは、母たちの神々しいまでの「いつくしむ心」を、敬い謳い上げておられます。