リーダーは
勇んで友のもとへ!
満々たる生命力で
わが地域の隅々に
歓喜の波動を送れ!
報恩抄 P329
『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか』
◇希望の明日へ
現代の人々は、詩と科学とを対極にあるものと見ている。また両者の近代の歩みが、そうした傾向を助長してきた面があることも事実である。しかし本来、偉大な科学には、大いなる詩がある。偉大な詩には、人間理性の最高の英知が輝いているものである。両者は互いに互いを豊かにしうる関係にある。なかでも、具体的な一人の人間において、詩的側面と科学的側面を分離することはできない。できたとしたら、おそろしく貧しい人間になってしまうであろう。
平2・8・22
☆大白蓮華巻頭言 2014年4月「多宝」の賢者よ 永遠に前へ!
万物は流転する。あらゆるものが流れる川のように変化しつつ、瞬時も止まらない。その転変の中で、自他共の生命を、希望へ、幸福へ、平和へ、無限に前進せしめていく究極の力が、我らの信仰である。
名作 『大地』 の作者パール・バックは、敬慕する母が晩年の闘病中に語った言葉を書き留めている。
「私の精神はまっすぐに進んで行くことを覚えていておくれ」「喜んで、凱旋するように死ぬよ」と。
生老病死は誰人(たれびと)も避けられぬ根本の命題である。特に空前の高齢社会は「老い」の期間が長くなり、これまでにない課題に直面している。だからこそ、多宝会・宝寿会・錦宝会の皆様を中心に、我ら創価家族の新たな挑戦と開拓の使命は、一段と大きい。
どんな財産も権力も、「老い」そして「死」という峻厳な現実の前には、儚(はかな)い幻と消え去ってしまう。鋭く問われるのは、いかなる哲学を持ち、いかなる人生を生きてきたのか。この一点であろう。
御義口伝には、『自身法性の大地を生死生死と転(め)ぐり行くなり』(P724)と仰せになられた。
妙法は、永遠不滅の大法則である。なれば、妙法を唱え、広宣流布に生き抜く私たちの生命もまた、永遠不滅であり、金剛不壊である。生の時も、死の時も、私たち自身が南無妙法蓮華経の当体として、「法性の大地」すなわち「常楽我浄の大地」の上を、必ず必ず悠然と進んでいくことができるのだ。
ゆえに、何があっても、断じて恐れることはない。
日蓮大聖人は、齢(よわい)90の老いたる姑を真心込めて介護し、その安らかな臨終を慈愛深く看取った富木常忍の夫人を最大に労い、讃えてくださっている。
看病の辛労もあったのであろう、夫人は自らも大病との戦いが続いた。しかし負けなかった。
大聖人は、『我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき』(P976「富木尼御前御返事」)と励まされた。
長年、信心してきたのに、なぜ自分が病気になるのか、なぜ家族の介護が必要になるのか、などと、思い歎く必要は全くない。一切が「転重軽受」(重きを転じて軽く受く)であり、「変毒為薬」できる。
一つ一つ力を合わせ、信心で勝ち越えていく中で、家族が共に仏になる道が深く大きく開かれるのだ。
あの岡城址で一緒に「荒城の月」を歌った大分の多宝会の母は、多くの友人の幸せを願う宝友帳を抱えて、今も元気いっぱいに対話を重ねている。
「広宣流布のために生まれてきた私です。辛いことも、悲しいことも、すべてが使命とわかれば、感謝の涙が溢れてなりません。心の財で勝ちます」と。
わが学会員が、確信に満ちて、生命の宝塔を輝かせながら、大歓喜の人生を総仕上げしゆく姿こそ、長命を寿ぐ幸齢社会への何よりの光明であろう。
恩師・戸田城聖先生は、「烈風の中を、にっこり笑って、最後の日まで戦え!」と叫ばれた。
「多宝」の賢者のわが友よ、永遠に希望に燃えて、一緒に前へ前へ、進みゆこうではないか!
生き生きと
誓願の旅
三世まで
常楽我浄の
道を楽しく