2014年4月30日水曜日

2014.04.30 わが友に贈る

何があっても負けない!
全てを成長のバネに!
我らの信心は
不屈の楽観主義だ。
大生命力で進め!

曾谷殿御返事 P1056
『法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし』

◇希望の明日へ
芸術とは、つきつめていえば、"人間とは何か"という飽くなき探求ともなっていく。その意味で芸術論は人間論である。また人間論は精神の哲学ともなり、その精神論は必然的に文化論への道をたどる。そして文化論は即平和論に結びつく。平和なくして文化はなく、文化の力が平和を支えるからである。こうした意味から、芸術を語ることは人間の平和と幸福を語ることになる。さらに、幸福は価値創造にあり、より高い価値の創造をめざして生きるなかに、人間の魂は"水遠なるもの"に目覚めていく。芸術は人間性の秘奥を開くカギともいえよう。
平1・5・17

☆「無冠の友」へのメッセージ
◇新たな人生の勝利劇へ!
桜花の舞から、風薫る新緑へ——生きとし生けるものが、みずみずしく輝きわたる季節です。青年詩人シェリーは「我が言葉を人類へ!」と高き理想を広めました。
毎日毎朝、仏法の人間主義の「智慧の言葉」「希望の言葉」「勇気の言葉」を、あの家へこの家へと、届けてくださっているのが、「無冠の友」の皆さまです。
皆さま方のおかげで、聖教新聞は、創刊63年の記念日を晴れ晴れと迎えることができました。本年はまた、広宣流布に励む同志の躍動の姿を紙面につづる通信員制度が発足して60周年です。この美事な大発展を、恩師・戸田城聖先生も、どれほどお喜びであられるでしょうか。
ひとえに、無冠の友の皆さまの尊き奮闘ありてこそと、私は最大の敬意と感謝をもって讃えたいのです。
配達には、ご苦労が絶えません。新聞配達の経験を持つ私自身、痛いほど分かります。ことに今年は、山梨県や埼玉県、群馬県など首都圏でも2月に2度も記録的な大雪に見舞われました。どれほど大変な思いをなされたことか。あらためて、雪深き北国をはじめ、敢然と配達に挑み続けてくださる全国各地の無冠の友の皆さま方に、感謝の思いを強くするものであります。
また、3月から4月にかけては年度替わりで、何やかやと多忙な中での配達となり、そのうえに消費税率の変更に伴う料金の改定など、集金の方々にも、ご苦労をおかけします。すべてが無事故で推進されるよう、何とぞ、よろしくお願い申し上げます。

日蓮大聖人は、『かかる所なれば訪(とぶら)う人も希なるに加様に度度音信せさせ給ふ事不思議の中の不思議なり』(P1381、「松野殿御返事」)と仰せになられました。仏法のために、労苦をいとわずに、足を運び続ける志が、いかに偉大であるか。無冠の皆さま方は、山間地の広い配達区域のほか、離島に至るまで、全国の津々浦々で、毎日たゆまず大事な「広宣流布の音信」を届けてくださっています。
御本仏は、必ずや「不思議の中の不思議」と賞讃してくださるでありましょう。
皆さま方は、配達とともに、自らの地域にあって折伏・弘教、聖教拡大にも先駆しておられます。その功徳善根は、永遠に無量無辺であることは、絶対に間違いありません。

聖教新聞は、「平和」と「文化」と「教育」の連帯を広げ、未来の人材を育む言論です。
今春、わが創価大学を最優秀の成績で卒業した俊英がおります。その晴れ姿を笑顔で見守られるご両親が、長年、お二人とも無冠の友として貢献してくださっていることを私は感銘深く伺いました。
ご両親は、配達の際に創価大学の記事を目にするたびに「わが子をここで学ばせたい」と願っておられたようです。ご子息は、その父と母の祈りに応えて、自ら創価大学に進学し、模範の学生として大いに学び抜いてくれました。今、さらに最高峰の学究の道を頼もしくまい進しています。「配達の功徳は計り知れません」と語られるご家族の希望のチームワークが、私は何よりもうれしいのです。
広宣流布のための一切の「陰徳」は、必ずや無限の福徳の「陽報」となって、わが身の一生成仏のみならず、一家眷属までも、晴れ晴れと照らし、包んでいくのであります。

無冠の友の皆さま方の真心のご献身にお応えするためにも、聖教新聞の紙面も、5月8日付から、更なる刷新を予定しています。最終面も毎日カラーになるほか、女性や家庭、そして青年に光を当てたページなど、ますます充実させていきます。
新聞を手に取った方々の喜びを、わが喜びとする——そうした無冠の友の皆さま方に、ますます喜びを広げていただけるよう、私も小説 『新・人間革命』 をはじめ、一段と執筆に力を入れていく決心です。

今、 『赤毛のアン』 の物語に新たな光が当たっております。この名作を著したカナダの作家モンゴメリが引いた、美しい詩があります。
「朝ごとに、ものみな新たにはじまり 朝ごとに、世界は新しくなる」
「一日」の始まりに、誰よりも早く広宣流布を担い立ち、朝日と一緒に力強く行動されゆく皆さまは、日々、新たな人生の勝利劇を誰よりも深く刻んでおられる方々です。
使命深き皆さまなればこそ、断じて無事故の配達であってください。
配達という真剣勝負の戦いに臨むために、夜はできるだけ早く休まれるよう、また疲れをためないよう、強盛な祈りとともに、聡明に油断なく、万全の備えをお願いします。
どうか、これからも永遠に崩れぬ自他共の幸福のため、末法万年にわたる世界広宣流布のため、「無冠の道」という最高無上の「常楽我浄の道」を、健康で朗らかに前進していかれますことを、心からお祈り申し上げ、私のメッセージといたします。
最も大切な無冠の友の皆さまに、私と妻は、ひたぶるに題目を送り続けてまいります。
新時代を開く不二の同志の皆さま、万歳! お元気で!

2014.04.29 わが友に贈る

新時代の建設は
近隣との友好から!
わが地域の安穏と
発展を真剣に祈り
信頼の絆を広げよう!

祈祷抄 P1351
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』

◇希望の明日へ
写真は身近な生活のなかで育まれる芸術である。また受動的態度に陥りやすいテレビ時代の今日において、写真は、より深く人間性を追究し表現していく一つの道となっている。
平1・3・4

2014.04.28 わが友に贈る

創価青年大会へ
挑みゆく友を
皆で支え励まそう!
若き人材の成長が
未来を開く力だ!

聖人知三世事 P974
『日蓮は一閻浮提第一の聖人なり』

◇今週のことば
立宗の大精神は
創価学会に脈々と!
「大願とは法華弘通なり」
自らの地涌の眷属を
勇んで呼び起こせ!
2014年04月28日

◇希望の明日へ
芸術は、文化の華。その美しさは、何の注釈もなしに人々の心を開き、近づけあう。芸術は、人間の光。生命の輝きこそが、創造の源泉となる。芸術は、時代の鑑。偉大な芸術が興るところ、文明の興隆がもたらされる。
昭63・9・24

☆名誉会長と共に新時代を開く第16回 友情は「人間の心の宝」
我ら創価家族の集いは、世界一、明るく、にぎやかだ。
入学、進級をされた未来部の皆さん! 新しい舞台で、希望に燃えて前進しよう!

今、桜前線が列島を北上しています。新生・東北の "福光桜" も開花し、いよいよ北海道も桜満開の時を迎えます。生命の躍動する季節です。
今年も、創価大学では「周桜」をはじめ、たくさんの桜が、冬を勝ち越えて、美しく咲き薫りました。この「周桜」は、中国の人民の指導者・周恩来総理と私たちとの友情の証しとして、植樹した桜です。毎年、多くの友人たちが世界から見に訪れます。
良き友情は「人間の心の宝」です。「青春勝利の力」です。「世界平和の希望」です。どうか、皆さんも、自らが太陽と輝いて、友情の花を、楽しく、賢く、咲き誇らせていってください。

私たちの大切な同志であり、世界的な音楽家であるアメリカのウェイン・ショーターさんは呼びかけています。
「予想外のことや、知らないことにも真っ正面から立ち向かおう」と。
これから、皆さんの前にも、「むずかしいな」「大変だな」と思うようなことも、次々に現れてくることでしょう。その時に、「よし、やってみよう!」と立ち向かう「師子王の心」を持つことが大事です。その勇気の源泉が、題目なのです。勉強にも、読書にも、スポーツにも、そして親孝行にも、勇んで挑戦し、自分らしく朗らかに、勝利の道を進んでいこう!
一切を託しゆく、わが後継の未来部の成長を、私は、いつも真剣に祈っています。

2014年4月27日日曜日

2014.04.27 わが友に贈る

「断じて勝つ!」との
深き決意と行動が
新たな歴史を創る。
誰かではなく
自分が立ち上がれ!

妙心尼御前御返事 P1477
『このまんだらを身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく子ををやのあいするがごとくいをの水をたのむがごとく草木のあめをねがうごとくとりの木をたのむがごとく一切の仏神等のあつまりまほり昼夜にかげのごとくまほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし』

◇希望の明日へ
最高の仏典には「諸天撃天鼓」(法華経如来寿量品第十六)、すなわち天上の人々が「天の鼓」を撃ち鳴らす姿が説かれている。一次元からいえば、これは最高の幸福にはずむ喜びの心を表現している。幸福の時、うれしい時、心の底から音楽があふれてくる。また自然も宇宙も喜びの名曲を奏でてくれる。また仏法では、教えを耳で聞く大切さを強調している。音は生命の深いところに、まっすぐに働きかける力をもっている。ゆえに、美しき調べは、人類に満足と平和を贈る。
平4・11・12

◎今日から田舎の田植えに行ってきます!(^^)!

2014年4月26日土曜日

2014.04.26 わが友に贈る

黄金週間がスタート。
友人との交流など
有意義な歴史を!
家族の絆を強める
価値ある日々を!

顕謗法抄 P445
『大酒なる者此の地獄の苦免れがたきか』

◇希望の明日へ
音楽は、つねに現代を呼吸するものである。未来へ、また未来へと刻々と移りゆく世相と人心を鋭敏に映し出し、先取りもしながら、時代にマッチした、"新しい音律、音声"を創造していかねばならない。
平4・6・20

☆通信員大会へのメッセージ
世界広布新時代の希望の春を飾る、晴れやかな通信員大会、誠に誠に、おめでとうございます!
おかげさまで、我らの聖教新聞が誇る世界一の通信員制度も、発足60周年という大きな佳節を迎えることができました。
常に広宣流布の新しき大道を、言論の正義の聖火を掲げて、明々と照らしてくださる、尊き尊き全国通信員の皆さん方に、私は最大の感謝と敬愛を込めて、お祝いのメッセージを送らせていただきます。いつもいつも、本当にありがとうございます!
日蓮大聖人は「御義口伝」に、『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり』(P763)と仰せであります。
この御文を拝されつつ、わが師・戸田城聖先生は断言されました。
「聖教新聞には、幸福への道が書いてある。仏法の眼から、社会の現象を、どうとらえていけばよいのかも書いてある。このような新聞は、他にはないのです」と。
人類の幸福と平和の進路を、明鏡の如く正しく明らかに示し切っていくのが、聖教新聞の大使命であります。その誉れ高き、最前線にして最優秀の「言論の賢者」こそ、最も信頼する、わが通信員の皆さん方なのです。
寒風の日も、炎暑の日も、仕事や家事や活動のスケジュールを必死にやりくりしながら、友のもとへ、同志の集いへと走り、人間勝利の劇を写真に収め、書き留め、記事に仕上げていく——。
その人知れぬ偉大な奮闘を、私は誰よりも分かっていると自負しております。
創刊当時より、私自身が、通信員と一体不二の心で聖教新聞を創り上げてきたからです。
1954年(昭和29年)の1月27日、歴史的な第1回通信員会議の席上、戸田先生は烈々と「本当の闘争人たれ!」と叫ばれました。
60年という節目には「新生」の意義があります。
ゆえに私は、不思議にも今この時を、通信員として迎えられた宿縁深き皆さんと共々に、いやまして「本当の闘争人」の誇りと情熱と勇気を燃え上がらせ、新たな聖教新聞の新生の大前進を開始したいと思うのであります。
御聖訓には、『仏の御心はこの文字に備れり』(P1122、「四条金吾殿御返事」)と記されております。
法華経に、そして御書に漲る民衆救済への仏の熱願は、悪世末法の真っただ中で、広宣流布という大聖業を成しゆく聖教新聞の獅子の文字に、脈々と流れ通っております。
通信員の皆さん方の一本の記事、一枚の写真こそ、まさに「仏の御心」を紙面に刻んでくださっているのであります。
何やかやとご苦労は多いでしょうが、一人一人の生命に『仏を敬うが如く』光を当てていかれる皆さん方の陰徳陽報の大福運は計り知れません。
たとえ通信員の皆さんのことを取材し、宣揚する人はいなくとも、その分、三世十方の仏菩薩が一切を御照覧です。
無量無数の諸天が、皆さんを最大に賞讃し、守りに護ります。
因果の理法の上から、皆さんの生命の日記が、黄金の文字で輝き渡っていくことは、絶対に間違いないのであります。
今、社会では、インターネットなどを通じて膨大な情報があふれているからこそ、実際の現場で何が起こっているのかを把握する「現場力」が、鋭く問われています。地域での活躍や学会活動に徹しながら、取材・執筆を続ける通信員の皆さん方は、戦いながら書き、書きながら戦う、まさに、創価が誇る「現場力」のパイオニアです。
その「現場力」に裏打ちされた確信あふれる「通信員魂」は、あのブラジル文学アタイデ総裁の信念とも重なります。
すなわち、民衆運動を破壊する勢力に抵抗する最も有効な手段は、"言論"であると。
なかんずく、草の根の民衆に根差した通信員の言論ほど強いものはありません。
人類が渇望する生命哲学を実践し、人間主義の正義と平和のペンを揮い続ける私たちは、何ものをも恐れぬ勇気と、何ものにも屈せぬ忍耐があります。
そして、何ものにも壊されぬ同志の不滅の連帯があります。
これからも、私たちは、いかなる嵐にも胸を張り、真実の民衆凱歌の大叙事詩を高らかに謳い上げ、悠然と綴り抜いていこうではありませんか!
最後に、民衆の中で、民衆とともに歩むジャーナリストでもあった、アメリカの大詩人・ホイットマンの言葉を贈ります。
「さらに勇気を、わたしの兄弟、わたしの姉妹よ、歩みを止めるな——何が起ころうと」(酒本雅之訳 『草の葉』)
わが三世永遠の「言論の戦友」、万歳!
誉れの「広宣の宝友」に、栄光あれ!
大切な大切な皆さんのご健康と、ご家族の幸福勝利を祈りつつ。

2014年4月25日金曜日

2014.04.25 わが友に贈る

行事の運営に携わる
役員の皆様に感謝!
歓喜あふれる集いは
陰の支えあればこそ。
その福徳は無量なり!

四条金吾殿御返事 P1143
『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ』

◇希望の明日へ
歌は民衆の心意気である。歌を歌うと勇気がわく。希望がはずむ。創価学会の力強い前進も、つねに、この民衆の歌声、希望の歌声とともにあった。
平4・4・26

☆世界広布新時代第5回本部幹部会へのメッセージ
日本全国、そして全世界の創価家族と共に、勝利、勝利、大勝利の「5月3日」を迎えることができ、これほど嬉しいことはありません。
牧口先生も、戸田先生も、広宣流布に走りゆく全同志の奮闘を、どれほど喜んでくださっていることか。
世界広布の新時代を牽引されゆく、宿縁深き五大州、60カ国・地域のSGIのリーダーの皆さん方、本当にようこそお越しくださいました。全員の尊い署名簿も、御宝前にお供えして、題目を唱えました。
皆で、あらためて、熱烈に歓迎申し上げようではありませんか!
また、人間主義の機関紙・聖教新聞を、雨の日も風の日も、配達してくださっている、陰の大功労者であられる「無冠の友」の皆さん!
いつもいつも、ありがとうございます。ここで重ねて、大拍手をお送りしたいのであります。
きょうは、簡潔に一点、「創価の世界市民よ、生命の喜びの凱歌を高らかに!」と申し上げたい。
人間の真実の喜び、人生の究極の喜びとは、何か?
「御義口伝」には、明快に示されております。
すなわち──
『自他共に智慧と慈悲があることを、「喜び」というのである。
所詮、今、末法において、日蓮大聖人とその門下が、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、必ず無作三身の仏(本来ありのままの仏)の生命を開き、現していけることを、「喜び」というのである』(P761、通解)と記されております。
仏法の広大無辺の境涯から見れば、自分だけの名聞名利の喜びなど、ちっぽけな、はかない幻に過ぎません。
どんなに苦しい試練であれ、どんなに厳しい宿命であれ、妙法を唱えて、断じて負けない。断じて屈しない。悲しみも嘆きも、勝ち越えて、苦悩の友を励まし包みながら、智慧と慈悲の世界を創り、広げていく。
ここに、我らの尽きることのない喜びの連帯があります。
この「歓喜の中の大歓喜」の生命を、元初の太陽の如く、いやまして自他共に光り輝かせていく出発の日が、5月の3日なのであります。
60年前の5月3日、戸田先生は両国の旧・国技館で行われた総会の席上、師子吼(ししく)されました。
──「学会精神」とは何か? 「日蓮大聖人の時代に還ること」である。そして、それは、大聖人の御心を心として、妙法を一人一人に受持させ、断固として皆を幸福にしていくことである──と叫ばれたのです。
この御本仏に直結する「5月3日」の学会精神の誓いを、私たちは、未来永遠に流れ通わせてまいりたい。
これから全国各地で行われる「創価青年大会」も、私は最大の楽しみとして見守っております。
思えば、この60年前の5月に、私の手作りで誕生したのが、広布の楽雄・音楽隊です。発足時は16人。それが今や、日本一の楽団に大発展を遂げました。平和の天使・鼓笛隊と共々に、世界中ヘスクラムを広げ、希望と勇気の妙音を奏でてくれています。本当に、ありがとう!
人生は、どこまでいっても、行き詰まりとの戦いです。
大聖人は、『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(P1448、「三沢抄」)と仰せになられました。
難が競い起こったならば、いよいよ強盛の信心を奮い起こして、挑み立つ。そして、一つ一つ行き詰まりを、喜び勇んで打開しながら、一歩また一歩と、粘り強く仏の境涯を開いていく。
これが、私たちの「発迹顕本」です。
ともあれ、これからも、我らの世界広布の前進は、決して止まらない。
なぜか? ──それは、幸福を求め、平和を願う友が待っているからです。仏法の生命尊厳の哲理を、世界の民衆が渇仰してやまないからです。
さあ、誇りも高き創価の世界市民は、一人一人を誠実に励ましながら、わが地域に、わが社会に、我らの地球に、「生命の喜びの凱歌」を勇気凜々と響かせていこうではありませんか!
終わりに、5月3日「創価学会母の日」に寄せて、日本と世界の偉大な婦人部の方々へ、心からの感謝を捧げたい。
そして、人類の太陽である創価の母たちが、ますます健康で、ご長寿で、常楽我浄の生命の旅であられることを、心よりお祈り申し上げ、私のメッセージといたします。
皆、お体を大切に!
輝き光る5月3日の創価家族、万歳!

2014.04.24 わが友に贈る

歩きながらの
メールや電話は
注意力が散漫に!
思わぬ事故に
遭わないよう用心!

四信五品抄 P342
『請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや』

◇希望の明日へ
音楽の力は偉大である。音楽のない社会は砂漠である。たとえば、世界の政冶家、指導者が集まる国際会議でも、開会前には必ず、心を潤し、和らげる名曲に、ともに耳を傾けてはどうかと提案したい。そうすれば、会議も、もっと効果があがり、平和、協力への一致が容易になるであろう。
平4・10・30

☆千葉日報特別寄稿 子どもは「未来の太陽」
フランスの文豪ユゴーは叫んだ。「子どもの本当の名前は何か?」「それは『未来』である!」と。ゆえに、「子ども」を育てることは「未来」を育てることといってよい。
私が「社会のための教育」から「教育のための社会」への転換を訴えてきたのも、「人間をつくること」にこそ、現代の行き詰まりを打開しゆく希望を見出すからである。
私は、世界の識者や指導者との語らいの折に、必ずといってよいほど、ご両親からの影響を伺うように心がけてきた。人間にとって、最初にして最大の教育環境は、家庭である。それぞれの方々に、一生の支えとしている父母の思い出がある。そこには、万巻の書にも勝る、生きた教訓が光っているものだ。
現在、私と対談を連載している、世界的な心臓外科医で、ヨーロッパ科学芸術アカデミーの会長であるウンガー博士は、亡き父母を偲びながら語っておられた。「父から学んだのは、今のような乱れた時代にあっては、『正しく語る』『正義を語る』ことが大事だということです」「母から学んだのは、『恐れない』ということです。母は、どんな問題に突き当たっても『こんなことは何でもない!』『解決策は必ずある!』というのが常でした」
今の社会には、青少年を狙った凶悪な「犯罪」や、悪質化する「いじめ」の間題など、子どもの心をしぼませたり、傷つけたりする悪条件が、あまりにも多すぎる。
哲学者のルソーは、教育書『エミール』で、「家庭生活の魅力は悪習にたいする最良の解毒剤である」と洞察した。何ものにも負けない「強さ」と「正しさ」と「賢さ」を育む源泉こそ、心豊かな家庭教育であろう。
人間教育は、尊極な「生命」を対象とする技術であり、芸術である。
それは、固定化した「知識」ではあるまい。子どもと関わる真剣さ、そして子どもを思いやる慈愛から、生き生きと湧き出ずる「智慧」ではないだろうか。千葉県では、教育委員会などが中心となり、「心すくすく・心豊かに」を合言葉として、心の教育推進キャンペーンを行っておられると伺った。
私のよく知る千葉県のあるお母さんは、忙しい毎日の中にあっても、三人のお子さんを家から送り、出す時、必ず笑顔で、目を見ながら「行ってらっしゃい!」と声をかけることを心がけてきたという。帰宅した時も、目を見て「お帰りなさいー」と笑顔で迎える。
ちょっとした工夫であり努力であったが、持続は力である。自然のうちに、心と心が通い合うリズムができ、子どもの微妙な変化をキャッチできる機会ともなったようだ。
以前、東京の女性教育者が小学五年生を対象に行ったアンケートの結果は、まことに興味深い。
親から「かけてほしい言葉」の第一位は、何か。「よくがんばったね!」である。第二位は「頭いいね、さすがだね!」。第三位は「ありがとう!」であった。反対に、「かけてほしくない言葉」の第一位は「バカだね」「やっぱりダメだ」「できっこない」などの否定的な言葉である。第二位は「もっと勉強しなさい」。第三位は、いやみであった。
「ほめる言葉」「感謝の言葉」「励ましの言葉」が絶えない家庭は、やはり希望と自信と活力に弾んでいる。「声」の力は、計り知れない。これからは、ますます、若い人たちを「ほめて伸ばす」時代であると、私は実感する一人である。青少年に接する時は、八割から九割は「ほめる」「励ます」。あとの一割から二割で「指導する」「注意する」——大人たちには、それくらいの大らかさが求められているのではないだろうか。
アイルランドの詩人イェーツは言った。「教育とは『桶を満たす』ことではなく、『火を点す』ことである」今や、頭脳を満たす情報は氾濫している。だからこそ、大事なことは、心に「火を点す」ことである。「やる気にさせる」ことである。"やればできる""自分にもできる"と「自信を持たせる」ことである。
「何のために」学ぶのかを深く自覚できれば、若き才能の芽は急速に伸びていくものだ。子どもたちの心に、この前進のエネルギーを点火するためには、何よりもまず、親自身の心が燃えて前進していなければなるまい。「心」を燃え上がらせるものは「心」であるからだ。
私が共に二冊の対談集を発刊した、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長も述懐されていた。「親自身が子どもを育てることを通じて成長していく場合に、家族は絆を強め安定します」と。
最新の研究では、「子育て」を経験することによって、母親の脳それ自体が、より賢く変化していくことが、科学的にも解明されているという。私自身、子どもの頃を振り返ってみると、やかましく躾や教育をされた記憶はない。母は、いい学校へ行けとか、出世しろ、偉くなれなどとは、一言も言わなかった。家業の海苔の仕事場で、友だちとにぎやかに遊んでいても、怒られたり、いやな顔を見ることはなかった。
母は、海苔の養殖をはじめ家事の万般を担い、真冬でも早朝から深夜まで、小さな体で愚凝一つこぼさずに働き通していた。戦前、戦中と、リュウマチの父を支え、四人の息子を次々に軍隊に奪われながらも、強く朗らかに生き抜く母であった。疎開のため、ようやく作ったばかりの家も空襲で全焼してしまった。かろうじて運び出せた唯一の家財道具は、妹の雛人形のみであった。皆が落胆するなかで、明るく「このお雛様が飾れるような家に、きっと住めるようになるよ!」と言った母の一言に、どれだけ救われたことか。
この母から「人さまには迷惑をかけるな」「嘘はつくな」ということだけは、繰り返し諭された、母のこの素朴な戒めは、私の心の奥底に深く植えつけられた。そして時とともに、「人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない」という哲学、「真実は最大の弁明なり」という信念へ結実していった。
ともあれ、心の中に尊い宝となって、いつまでも輝き続ける価値観を、親から確かに継承した人生は、いかなる財産を相続した富豪よりも幸福であると思う。
私の人生の師は、よく「世界、社会に貢献させることを目標において、わが子を愛していきなさい」と言われていた。
それには、親が率先して、人びとのため、社会のために、行動に打って出ることだろう。その後ろ姿を、子どもはじっと見つめているからだ。
アメリカの女性の未来学者であるヘンダーソン博士も回想しておられた。「母はボランティア活動にも熱心で、保育所で小さな子どもの面倒を見たり、近所の寝たきりになったお年寄りの食事を運んだりしていました。そんな母の生き方から、人を愛することの大切さや物事の考え方を学んだのです」
あのアメリカ公民権運動の指導者であるキング博士は、父親から「頑固な牡牛のような勇気」を受け継いだといわれる。
幼き日、キング少年が父と一緒に買い物に出たときのことである。空いている白人用の席に座っていると、店員に後ろの席へ移れと強要された。父親は、理不尽な要求を断固と拒否して、息子にこう語ったという。「もう、こんな人種差別はたくさんだ!わが息子よ、こうした世の中を変えていくのだ」
やがて、キング博士が、この父の心を心とし、命を賭して非暴力の戦いを貫き、人種差別のない時代を開いていったことは、不滅の歴史である。
子育てには、決められた形はない。各家庭ごとに違いがあり、特色があって、当然であろう。しかし、良書を読むことの大切さは、いくら強調しても、し過ぎることはあるまい。
中国に「書香の家」という美しい言葉がある。すなわち、書物の香りに満ちた環境を指す。
とりわけ、お子さんが幼い時、親が読み聞かせをしてあげることは、何ものにも代え難い精神の薫陶となる。
私が対話を重ねた、イギリスの大歴史学者アーノルド・トインビー博士も、お母さんの読み聞かせが、その使命の生涯を決定づけた。博士が五、六歳の頃、お母さんは、毎晩、ベッドに寝かせつけてくれながら、イギリスの歴史を、はじめから全部、楽しく話してくれたという。その面白さに、博士の幼い心は躍動した。「二十世紀最大の歴史家」と讃えられる博士の魂の揺藍が、ここにある。親が一生懸命に読み語る童話や名作、胸躍る偉人や歴史の物語は、どんなテレビやインターネットよりも鮮烈に、名画の如き映像を子どもの心のキャンパスに描き出していくに違いない。
今、房総は、百花繚乱の春を迎え始めている。幸い、千葉県には、まだまだ身近に、海や山や森など、豊かな自然が光っている。この懐の深い太自然の息吹を親子で呼吸しながら、子どもたちの心を広げていけることは、素晴らしいことだ。
千葉県ゆかりの大先哲は、弟子夫妻に子どもが誕生したことを寿ぎ、その生命の尊さを「全宇宙と等しい価値をもつ無上の宝珠」に譬えられた。まさしく、子どもの生命は、宇宙大の尊厳と可能性を秘めた最極の宝である。どの子も、その宝の生命を、思う存分に輝かせ切っていけるように、私たちは瀞しみなく励ましを贈っていきたい。
ユゴーは叫んだ。「我々の目の前にいる子どもたちを教育していこう。そうすれば、新しき世紀は赫々と光り輝くであろう。子どもの中に燃える炎こそ、未来の太陽なのである」敬愛する千葉の天地に、「未来の太陽」よ、輝きわたれ!そして、教育の世紀の「希望の春」よ、来たれ!と、私は心から祈りたい。

千葉日報 2006-03-16

2014年4月23日水曜日

2014.04.23 わが友に贈る

リーダーは
友の報告や相談に
電光石火で応えよ!
誠実と真剣さは
スピードに表れる。

波木井三郎殿御返事 P1373
『法華経の心は当位即妙不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり』

◇希望の明日へ
歌は人に歌われてこそ歌である。皆が歌いやすい。時代のセンスもある。歌って、聴いて、胸が弾む。それでこそ"民衆の歌"である。民衆の、にぎやかな歌声があるところ、自由があり、躍動がある。音楽に強制はない。文化に暴力はない。すべて人間性である。すべて開花である。それは、わが創価学会の世界でもある。
平3・12・23

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第25回 高知�おもてなしの心の清き流れ
私の妻がよく知る高知市の母に、保育園の園長先生がいます。もう35年以上も前になりますが、この保育園に立ち寄り、そのご苦労を伺う機会がありました。
もともとの出発は、市から"農地を使って保育園を設立してもらえないか" と依頼されたことでした。農家に嫁いで、ようやく農作業にも慣れた頃のことです。
困惑したものの、「地域の皆さんに喜んでもらえるなら」とお受けしました。そして、地のにじむような努力を重ねて、娘さんと一緒に、"子どもの希望の城"の保育園を築いてこられたのです。
「一人一人の成長を願い、地道にかかわっていくならば、必ず子どもは大きく育つ」と。
保育園の体育館を地域に開放したり、老人福祉施設とのほほえましい世代間交流なども行ってきました。
亡くなった最愛のご主人と息子さんの分までもと、故郷の喜びを誉れとし、地域に寄り添って生き抜いてきたのです。
今では卒園生が父母となり、二世代目の子どもたちも入園して、明るい笑い声が地域に響いています。
「地域のお役に立てることに感謝、感謝です」と、婦人は笑顔で語っていました。

望々と
 太平洋の
  広さより
 慈愛の広き
  高知の人たれ

高知には、山清く、川清く、海清く、何ものにも代え難い自然の美が備わっています。
日本三大美林の一つと称される魚梁瀬(やなせ)杉、日本を代表する清流・四万十川、その源流域の津野町や檮原町(ゆすはらちょう)等に広がる四国カルストの美景、また室戸岬などへ延びる長い海岸線から望む太平洋の大景観があります。
さらに、高知には、「おもてなし」という心の美が光っています。
全国の県庁で唯一「おもてなし課」があるように、訪れた人々を真心で迎えるホスピタリティーの精神が、高知に満ちているのです。
「おもてなし」には、目に見える「モノ」と、心を表す「コト」があり、とくに心のこもった「コト」のサービスが重要であると言われます。心は目には見えません。しかし相手を思う心は、必ず心に通じていくものです。
「おもてなし」の語源の一つは「裏表なし」とされます。そこに、親切や誠実という「志」が、高知の伝統の心として清らかに流れているように感じるのは、私一人ではないでしょう。

高知には、自然と人間、人間と人間が共生し育んできた、豊かな農があり、食があり、文化があります。
高知出身の近代日本の科学者・寺田寅彦博士は、大好きだった祖母の姿で最も懐かしく思い起こすのは、糸車を廻している姿だと綴っています。婦人たちは糸車を廻し手織機で織物を織るのを誇りと楽しみとしていました。そこには、どんな娯楽も敵わない「物を作り出すことの喜び」があったからです。
地味であってもよい、愛する人のため、愛する郷土のために、何か価値あるものを作り出そうと努める女性の働きに、どれほど皆が支えられてきたことか。それが、どれほど尊く気高い振る舞いであることか。
今、そうした祖父母や父母たちの志を受け継いで、高知のさらなる繁栄を志す若い世代が、仲良くスクラムを組んで、立ち上がっています。
「ああ紅の 朝明けて」「ああ暁鐘を 打て 鳴らせ」と高らかに歌い、新しい志国の夜明けを目ざしながら!
高知の県民歌には、未来に進む土佐の凛とした心意気が表れています。
「築き興さん 弥栄(いやさか)の土佐
光りはもゆる 光はみつる」
「高知」——その名も「高き知恵」の大地は、希望の光り輝く大地「光地」でもあります。そしてまた、幸福の心薫る大地「幸地」でもあるのです。
この憧れの南国高知の天地に、平和の光あれ、勝利の幸あれと、私も妻も祈る毎日です。

晴れ晴れと
 幸福(さち)の太陽
  我が胸に

2014年4月22日火曜日

2014.04.22 わが友に贈る

きょうも一軒
きょうも一人と
地道な訪問激励を!
一対一の語らいから
広布の流れは大河に!

種種御振舞御書 P925
『されば鹿は味ある故に人に殺され亀は油ある故に命を害せらる女人はみめ形よければ嫉む者多し、国を治る者は他国の恐れあり財有る者は命危し法華経を持つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主此の経を持つ人をば強に嫉み候なり』

◇希望の明日へ
音楽、文化には人間性の精髄がある。平和がある。また自然と宇宙を照らし、幼児から老人まで万人をつつむ慈愛の光がある。壮麗にして、無窮なる銀河や月天、太陽、何万光年も離れた星々。音楽はそれら宇宙の大生命体との"生命の語らい"ともいえよう。無限の価値をもった「魂の宝石」である。
平3・2・28

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第25回 高知�おもてなしの心の清き流れ

太陽は
 昇り照らして
  つくりゆく
 いのち輝く
  黄金の世界を

春は、いのちの喜びを歌います。
試練の冬を耐え抜き、勝ち越えた、誇り高き生命の讃歌が響きわたる季節です。
古来、和歌では「春」と「張る」(芽が出る)は掛詞として詠われてきました。
地より湧き出ずるように芽を出し、茎を伸ばし、葉を広げ、さらに蕾を膨らませ、花を開かせていく。その草花の生長の様子は「充実した生命の歓喜に踊って居る」姿にも譬えられます。まるで、華やかで明るく、いのちの張りにも凛々しき高知の「よさこい鳴子踊り」のように!

平安の歌人・紀貫之は、有名な 『土佐日記』 で「この人々ぞ、志ある人なりける。この人々の深き志はこの海にも劣らざるべし」と、心通う人たちのことを感嘆しておりました。
海よりも深い志に生きる人々の「志の国」すなわち「志国」こそ、四国であり、高知です。
高知には、「いごっそう」の丈夫たち、そして「はちきん」の母たち、女性たちの強き志が輝いています。
佐川町が生んだ「日本植物学の父」牧野富太郎博士は、妻と共に、苦難の連続のなか、「私は決して負けまい」という決心と、いのちへの「思い遣り」の心で、大きな志を果たしていきました。
南国土佐には、「ひとりで泣かんでえい」「一緒に笑おうや」と、苦楽を分かち合う、"ぬくい"絆があります。
江戸っ子とも相通ずる、人情味あふれる高知の友が、私は大好きです。

志し
 強く正しき
  志国かな
 一人ももれなく
  幸福長者に

高知からは、幕末の志士・坂本龍馬をはじめ近代日本の夜明けを開いた人材が陸続と誕生し、志高く立ち上がりました。
民権を提唱した思想家・中江兆民は、「志のある人」が大切にすべきこととして、「造命」という言葉を挙げております。たえまない努力に徹していくならば、変えられないものはない。自分の運命は、自分の力で、断固として造り、開いていくのだという信念です。
わが人生の師匠・戸田城聖先生は、身をなげうって偉大な志に戦った高知の先駆者たちを、深く敬愛しておりました。
恩師にお供して、私が初めて高知に伺ったのは、1955年(昭和30年)です。高知城を仰ぎ見つめ、恩師を囲みながら、皆で「新たな平和革命のうねりを」と決意し合いました。
以来、信頼する高知の友人と共々に、日本と世界の新しい夜明けを目ざし、民衆運動のスクラムを広げて、まもなく60年になります。

ああ四国
 思い出多き
  四国かな
 あの顔あの人
  いかに忘れじ

雄大な太平洋を望む高知の広い天地を、南国の陽光を浴びながら、黒潮の香りのする風に吹かれながら、車と列車を乗り継ぎ、駆け巡ったことは、今も忘れられません。
友人たちと一緒に、高知市で鏡川のほとりや龍馬像が見守る桂浜を散策したこと、"土佐のまほろば(優れた良い所)"南国市や、清流で名高い四万十市を訪れたこと、さらに土佐清水市で眩い太平洋を見つめつつ懇談したことも、一つ一つ蘇ります。
優しい波音が響く足摺の空のもと、帰路につく友人たちの姿が見えなくなるまで見送った光景も胸に焼きついております。
そうしたなかで語り合ってきたことは、家族を愛し、友を愛し、地域を愛して、自分らしく貢献していく人生を! ということでした。
真実の幸福は、どこか遠くにあるのではない。身近なところで、一人一人を大切にして、自分で築くものであるからです。
高知の各地に、長い歳月、地域に根を張って皆に尽くし、皆から慕われる、元気で知恵ある宝の存在がおられます。
「この方あればこそ、この地の幸あり」と讃えられる父たち、母たちです。
幡多(はた)郡で、「地域の友の幸せのために、体当たりで尽くしていこう」と奔走した夫妻がおります。
「まず動く」ことを心がけ、悩める友がいれば、険しい山道もいとわず、海風すさぶ断崖の道も恐れず、激励に駆けつけました。
つらい時には、太平洋の彼方に赫々と太陽が昇り、大海原を金色に染めゆく光景を励みにして、「断じて負けない! あの雄々しい波のごとく、あの不屈の巌(いわお)のごとく生きちゃる!」と立ち上がってきたのです。

悲しみを
 越えゆき 満開
  笑顔かな

人材の揺籃・高知には、いずこにもまして、女性の生命の大いなる躍動があります。
江戸末期、土佐の坂本乙女は、明治維新の立役者となった弟・龍馬を薫陶しました。
さらに乙女は、よく語っていたとされます。
「一体男のする事で女に出来ぬものは何一つない」
「いづれは男女同様の仕事をする時がくる」
そうした先見の女性たちの勇気ある活動が、今日、目標となっている男女共同参画社会への道を開いてきました。
この乙女が「肚を作れ」——覚悟を決めよと激励して育てたと言われるのが、児童福祉の先駆者となった岡上菊栄さんです。
「愛」と「理解」を「人間教育の最も優秀な武器」として、痛ましい境遇に置かれた孤児、子どもたちに「明るき人生観」を贈り続けました。
晩年、皆から「おばあちゃん」と敬愛された彼女の人生を象徴する言葉は、「心の人になりよ」です。
「心」を育むのは「心」です。自らの心を燃やして、わが子、わが友、わが故郷に、前へ前へと進む希望や生きる喜びを贈り広げる「太陽の心」ほど、尊い光はないでしょう。
宿毛(すくも)出身の女性歌人・北見志保子さんは、母たちの神々しいまでの「いつくしむ心」を、敬い謳い上げておられます。

2014年4月21日月曜日

2014.04.21 わが友に贈る

ヤング壮年部は
新時代の創価の柱!
情熱の炎を燃やし
自らが拡大の先頭に!
青年の気概で進め!

同生同名御書 P1115
『心ざし大地よりもあつし地神定めてしりぬらん虚空よりもたかし梵天帝釈もしらせ給いぬらん』

◇今週のことば
「日蓮が一門は
師子の吼るなり」
これが学会精神だ。
正義を堂々と語れ!
臆さず朗らかに!
2014年04月21日

◇希望の明日へ
創価学会の運動は一次元においては、壮大な音楽連動ともいえる。民音は当然として、音楽隊、鼓笛隊、合唱団、各種の音楽祭や合唱祭など、民衆の次元で、幅広く推進している。また世界的にも交流を進めている。音楽は世界の言葉である。本来、仏法と音楽の関係は深い。仏典には、妙音が奏でられる場面が多くある。たとえば「帝釈天が諸の眷属を率いて千二百の音楽を奏し」等と説かれている。その他、「生命の深層の表現」 である音楽は、生命の変革を教えた仏法と不可分の関係にある。
平2・5・9

☆随筆 民衆凱歌の大行進 No.4「正義の言論魂」
百花繚乱の春。生き生きと伸びゆく若葉も、まばゆい輝きを放っている。
長く厳しい冬を勝ち越えた北国の友からも、嬉しい花便りをいただく。
4月から5月へ、心躍り生命の弾む季節である。
「エラン・ビタール」(生命の飛躍)──これは私が青春時代に愛読した、フランスの哲学者ベルクソンの有名な言葉である。
私が戸田城聖先生に初めてお会いした座談会に誘われた時、「生命哲学」の話があると聞いて、ベルクソンの哲学を学ぶ集いかと思ったことも、懐かしい。
清新なる息吹で前へ! 「生命の飛躍」を体現したような躍動は、就職や進学など、新たな出発を切ったフレッシュな友の姿そのものでもあるだろう。
新しき希望の門は、常に我らの前に開かれている。
わが創価の青年は、若々しい活力を発揮して、自分らしく新たな価値の創造に挑んでいただきたい。
とりわけ挨拶が大事だ。明るい、ハキハキとした挨拶の声が響くだけで、新鮮な薫風が広がる。張りのある声一つで、空気がパッと変わる。私も、新入社員の頃から、元気な挨拶を心掛けたものである。
嬉しいことに、総本部をはじめ各地の会館を訪問された内外の方々から、創価班や牙城会、白蓮グループなどの友の清々しい挨拶と誠実な振る舞いへの感謝も、多数寄せられている。

御聖訓に『梵音声と申すは仏の第一の相なり』(P1122、「四条金吾殿御返事」)と仰せである。
衆生を救いゆくために仏が具える特性の第一は、「声」なのだ。それは何か特別な声ではない。相手を思いやる深く強い慈愛の声といえまいか。その真剣にして確信あふれる響きが、人びとを励まし、救う力を持つのである。
『声仏事を為す』(P708、「御義口伝」)である。広宣流布のため、我らは、今日も堂々と、正義を師子吼する!
この「声の力」を文字・活字に込めて、一人また一人と、日本全国そして全世界の幾百千万の友の心に伝え続けているのが、わが聖教新聞といってよい。
尊き尊き「無冠の友」が配達してくださる聖教を手に取れば、希望あふれる見出しや笑顔光る写真が目に飛び込んでくる。同志の多彩な活躍や不屈の体験の記事がある。そこから「さあ、一日の出発だ!」とスイッチが入るという人も、多くおられるであろう。
「精神を覚醒させることは、ただ生きた言葉だけがなしうることである」
これは、牧口常三郎先生も敬愛されていた、デンマークの大教育者クリステン・コルの言葉である。
毎朝、友の心に「希望の挨拶」を!
日々、読者のもとへ「勇気の旭日」を!
そして、すべての人に「幸福・勝利の智慧」「平和への英知」の花束を!
4月20日は、創価の言論城たる聖教新聞の創刊63周年の記念日である。
聖教新聞を常に支えてくださっている新聞長をはじめ全国の同志の皆様、そして愛読者の皆様方に、心から感謝を申し上げたい。

晴ればれと
 無冠の友の
  幸の舞

聖教新聞の重要な柱は、信仰体験である。今や各国SGIの機関紙誌に載った世界の友の体験が、どんどん聖教本紙にも翻訳紹介される時代になった。
いずこにいても、わが同志は感動と誓いを共有し、人間主義の言論のスクラムで結ばれているのだ。
先日、聖教の「声」の欄に掲載された、秋田の婦人からの投稿に、妻が感銘していた。
今年で入会50年。ご一家の誇りは「皆が聖教新聞の配達員を経験していること」。亡くなられた母上に始まり、ご本人と、姉、弟、さらに息子さんたちも配達に携わってこられた。家族が集まれば、「聖教を一人でも多くの人に読んでもらいたいね」と、夢を語り合っておられるそうだ。
この婦人は先月の「新生・東北総会」を荘厳しようと、年頭から聖教の拡大に先駆。近隣を回り、対話を重ねられた。初めて聖教を購読された友も多かった。聖教を通して学会理解を深め、自ら進んで入会された壮年もいたという。
その秋田の婦人のもとに、聖教の販売店を通じて、同じ東北・福島の婦人から便りが届いた。
掲載された「声」の欄の記事を見て、「実は、私も今年で入会50周年。 『無冠の友』 として聖教を配達しています」との心からの共鳴を伝えるものであった。
聖教を心の広場として、なんと麗しい信頼と連帯が織り成されていることか。
今回、共に新たな鼎談集を発刊した、米国のデューイ協会元会長のガリソン博士は語ってくださった。
「センセーショナルな報道や暗いニュースが多い世の中にあって、聖教新聞は、人と人とを結びつけ、そして人々の善性を引き出しておられる。素晴らしいことです」
世界の知性と手を携え、善と希望のネットワークを広げゆく聖教の使命は、いやまして大きい。

九州・宮崎の出身で、戦前、創価教育学会の顧問を務め、外交官また言論のリーダーとして活躍された秋月左都夫氏の逸話がある。
秋月氏が新聞記者を志す青年に質問をした。
「記者として一番大切なことは何か?」
青年が即答できずにいると、秋月氏は拳で机を叩いて一言、「ジャスティース(正義)!!」と叫ばれたというのである。
わが聖教新聞は、生命尊厳の哲理を高らかに掲げた、誇り高き正義の言論城である。その正義は、そのまま民衆の幸福と世界の平和に直結している。
"広布の使命完遂のために聖教新聞は働くのだ"と、戸田先生は、訴えておられた。そして勇んで執筆に臨まれる雄姿は、私のまぶたに焼き付いて離れない。
弟子の私もまた、恩師の「聖教魂」を受け継いだ。
今年は、私が1964年(昭和39年)の12月2日、沖縄の地で小説 『人間革命』 の執筆を開始して50年となる。聖教連載は 『新・人間革命』 と合わせて、6800回を超えた。
私が古稀を迎えた1998年(平成10年)1月、当初「随筆 新・人間革命」と題して始めた、この随筆の執筆も17年目に入り、先月11日付の掲載で通算700回を数えた。
執筆は戦いだ。聖教の誇りである、全国の通信員の方々も、私と共に真剣勝負の心で、広宣流布の言論戦を担ってくださっている。
1980年(昭和55年)の4月、私は、中国の作家・巴金先生を、未来部の友と一緒に静岡研修道場にお迎えした。文化大革命の迫害を耐え抜き、勝ち越えられたペンの闘士である。以来、何度もお会いし、文学観、人生観等を縦横に語り合ったものだ。
巴金先生がペンを握り、文字を綴る時、信念とされていたのは「心を読者に献げること」であった。
わが言論は、読者の期待に合致しているだろうか。社会の進歩に対して貢献しているだろうか──と。
そして「人はすべて絶えず前進するものであり、人類社会はすべて不断に発展するものである」と、巴金先生は訴えておられた。
聖教もまた、常に前進、前進である。自ら前進するから、人びとに前進の力を送ることができるのだ。
わが聖教よ! 常に新しく! 常に挑戦の心で! 常に勇気凜々と!
広宣流布の大舞台で新風を巻き起こせ!
私もいやまして「正義の言論魂」を燃やし抜いていく決意である。
ギリシャの哲人ソクラテスは問いかけている。
「自分も前より良い人間となり、友達をもますます善い人間にしてつきあえるという考えより、なお楽しいことが、またとあり得ると君は思うか」と。
その通りだ! 聖教と共に、我らは今日も、この「人間革命」の対話の正道を、そして「立正安国」の言論の大道を爽快に切り開いていこうではないか!

天空に
 虹を架けゆく
  今日の筆

2014年4月20日日曜日

2014.04.20 わが友に贈る

わが使命の天地で
勝ち輝くことが
世界広布の前進だ!
ゆえに今日もまた
勇気と忍耐の挑戦を!

最蓮房御返事 P1343
『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ』

◇希望の明日へ
全宇宙が、生命の音楽を奏でている。星々も、地球も、花も樹々も、人間もまた大地も大海も、それぞれが自らの歌をうたっている。これが仏法の、また科学の世界においても証明されつつある、この世界の実相である。仏法では「耳根得道」とも説いている。耳から入る音こそ、生命のもっとも深みに届き、深層を揺さぶり、変革する力をもっている。一般的にも美しい音律をつねに耳から心へと入れれば、心の世界が浄化されていく。悪しき傾向性をも洗い流してくれる"清水"でもある。
平2・5・9

☆随筆 民衆凱歌の大行進No.1 「師弟の道」一筋に
いやまして
 凱歌の行進
  創価かな

「生きる」とは、どんなことがあっても、前へ前へ戦い進んでいくことだ。
何も決心せず、戦わなければ、気楽かもしれない。しかし、わびしく悔いを残す人生で終わってしまう。
戦い進む人には、晴ればれと勝利が待っている。
日蓮大聖人は、過酷な流罪の大難も悠然と勝ち越えてこられた御境涯を、こう仰せになられた。
『召し返されて後又経文の如く弥よ申しつよる』(P1413、「妙法比丘尼御返事」)
この烈々たる御本仏の大生命に連なって、広宣流布の誓願に邁進しゆくのが、我ら創価の人生である。
新時代の幕は上がった。
今、日本、そして世界のあの友も、この友も、自分のいる場所から"いよいよこれからだ!"と、勇んで前進を開始している。
それは、法華経に地涌の菩薩が「同時に涌出せり」(創価学会版法華経P452)と説かれたような壮大な絵巻ではあるまいか。
我らが行くところ向かうところ、生命の偉大な創造性を発揮し、人間の勝利を広げるのだ。幸福と正義と平和の花を咲かせるのだ。
この一年も、「民衆凱歌の大行進」を、全世界の同志と共に痛快に飾りゆこう!

恩師・戸田城聖先生は、金剛不壊なる民衆の組織を築き、一切の戦いに勝利しゆくために、繰り返し私たち弟子に教えられた。
「団結第一でいけ!」
それは、『異体同心なれば万事を成し』(P1463、「異体同心事」)との、大聖人の御指南通りの大行進であった。
この正道を貫いてきたからこそ、創価学会は一切の嵐を越えて世界的な発展を遂げることができたのだ。
人類史を顧みれば、何と多くの内紛、内乱、内戦等が渦巻いていることか。
「立正安国論」で喝破された「自界叛逆の難」の様相と見ることもできよう。
この悲劇の流転の中で、我ら創価の民衆の大スクラムは、奇跡の中の奇跡といっても過言ではあるまい。
異体同心の団結こそが、広宣流布の命脈である。
一家にあっては和楽を!
人と人の間には友情を!
地域には信頼と友好を!
人類社会の中には、平和への民衆の連帯を!
心を合わせて仲良く進むのだ。団結のあるところに勝利があり、幸福がある。
年頭、イタリアでは31力国のリーダーが集い、新時代第1回「欧州広布サミット」が行われた。
第1次世界大戦の悲劇の勃発から100年──。後継の青年たちも「ヨーロッパは一つ」を合言葉に、誠に麗しい団結で人類融合の平和の未来へ前進している。こんな頼もしいことはない。

人間の絆は国を超え、民族を超え、時代を超える。
インドのマハトマ・ガンジーが非暴力の民衆運動への絶対の確信を固めていく上で、「私の師」と仰いだのは、ロシアの文豪トルストイであった。
若きガンジーは、南アフリカでインド系住民の人権闘争を推進する中で、トルストイの非暴力抵抗の信念と行動に学んだ。そして、仏教などインドに脈打つ不殺生の思想を現代に蘇らせ、不屈の民衆運動へと展開していったのだ。
戦う場所は離れていても心はつながる。ガンジーが南アから手紙を送り、深い共鳴を伝えると、トルストイは大変喜び、交信は3度に及んだのである。
トルストイは逝去の2カ月前に認めた手紙で、ガンジーの活動を、「それは地上におけるこんにちのあらゆる活動のうちでもっとも重要なもの」と賞讃した。
ガンジーがトルストイと直接会うことは一度もなかった。しかし、生涯をかけた自らの実践で、その言葉を証明し抜いたのである。
トルストイが亡くなって20余年が過ぎたある年。スイスで講演会に臨んだガンジーは、質問に答えて明言した。「トルストイは私の一生の師です」と。
ガンジーの非暴力運動は、その後、アメリカのキング博士の公民権運動や南アのマンデラ元大統領のアパルトヘイト(人種隔離)撤廃運動へもつながった。
非暴力の魂──この人類の宝が、国境や言語の壁を超えて輝き広がりゆく底流には、師弟という精神の道があったといえまいか。
今、私が対談を重ねているサイフェルト博士(オーストリア元文部次官・声楽家)が語られていた。
「(自身の師匠である)ヴァムザー先生の写真を見るたびに"あなただったら、どう思いますか"と心の中で話し掛けて、行動するようにしているのです」
私も、戸田先生ならば、どのように手を打たれ、友を、どう励まされるか──常にその一念で戦ってきた。
25歳の1月の日記にも自らに問いかけていた。
「恥なき師弟の道を、歩みきったか、否か」と。
私の胸には、いつも恩師がいる。会長就任の時も、世界への一歩を踏み出した時も、非難の嵐の中でも、わが生命の奥には師匠が厳然といらっしゃった。
「御義口伝」に、『師弟が感応し、仏の生命を自身の中に顕現して、 「如我等無異」 の文の如く、わが身仏なりと悟る。これが悟仏知見である』(P717、通解)と仰せである。
師である仏と、弟子である衆生が一体不二で誓願を立てて戦う──そこに仏法の師弟の真髄がある。
師を求め、師の心に迫りながら、弟子が広宣流布の誓願の題目を唱え、戦いを起こす。その弟子の生命には、師と同じ力と智慧が脈々と涌現してくるのだ。
30年前(1984年)の2月、私は逸る心でブラジルに飛んだ。18年ぶりの訪問だった。どうしても果たしたい約束があった。
その前年、鹿児島・霧島の研修道場でブラジルの男女青年部など代表38人と記念撮影をした折のこと、母国の全同志の心を代弁するかのように、「先生、ブラジルに来てください!」と必死の声が上がった。
私は即答した。「必ず行くよ! 広宣流布は私の生涯の使命だからね」
友は、この時の私の言葉を、わが誓いとしてくれた。
「私たちも生涯、広宣流布に生き抜こう!」と。
以来、「ブラジル霧島会」として、皆が広布と社会のリーダーヘと成長し、青春の誓いのまま走り抜いてきたのだ。ご家族も広布の庭で活躍されている。
昨年10月、広島での本部幹部会の折に、ブラジル鼓笛隊16人が美事な記念演奏をしてくれた。その中の3人が、この霧島会メンバーの娘さんであった。
乙女たちは清々しく語っていた。
「今度は私たちがブラジルに平和の種を植え、希望と幸福の花園を広げていきます!」
師弟の誓いが受け継がれてこそ、広宣流布の大河も滔々と流れ通っていく。
今月、「創価班・牙城会・白蓮グループ大会」の意義を込めて行われた本部幹部会でも、韓国、タイの青年の代表と共に、ブラジル創価班の凛々しき若人が活動報告してくれた。
新しい時代は、青年のものだ。いよいよ、君たち、貴女たちの本舞台である。

学会の運動に深い関心を寄せてくださっていた、ブラジルの文豪アマード氏は高らかに謳い上げられた。
「民衆というものは、世界のいずれの港、いずれの波止場の近くにいても、いずれの空のもとにあっても同じなのだ。善良で強く、寛大で理解があり、自由と美と勇気を愛する」
民衆ほど、強いものはない。尊いものはない。
その民衆の手で、社会の繁栄と幸福を築いていく聖業こそ広宣流布だ。
地球上のいずこであれ、「民衆の王者」たる、学会の同志の心は変わらない。
さあ「伝統の2月」──大いに祈り、動き、語ろう!
いやまして団結第一で、新たな栄光の歴史を創っていこうではないか!

晴ればれと
 今日も正義の
  民衆は
 師弟不二なる
  勝利の道ゆく

◎きょうから「希望の明日へ」は"音楽"です

2014年4月19日土曜日

2014.04.19 わが友に贈る

「随喜する声を
聞いて随喜し」
わが体験を語ろう!
喜びと確信の言葉が
友の心を動かす!

上野殿御返事 P1565
『しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし、国王一人の太子のごとしいかでか位につかざらんとおぼしめし候へ』

◇希望の明日へ
二十一世紀は、"詩の心"が復活する世紀と見る。そうならねば、人々の心は窒息してしまうであろう。ますます肥大化し、人類を圧迫する科学や政治、経済の歪み。管理機構。このままでは、人間はその重圧に耐えられない。詩は、人間の精神をかぎりなく広げる。豊かにする。音楽のように、国境を超え、距離を超えて、人間の心を結ぶ。詩の世界には、差別などない。だからこそ私は、詩を大事にするのである。
平3・5・28

☆勝利の人間学 第50回 報恩こそ勝利の源泉
◇親孝行は人間性の真髄
今の自分があるのは、誰のおかげか。その恩を知り、恩に報いようと生きることこそ、正しき生命の道である。勝利の人生の道だ。
知恩・報恩の根本は、「親孝行」である。
御聖訓には、『先づ此の父と母との恩を報ずべし』(P1527、「上野殿御消息」)と仰せである。
戸田先生は、青年に訴えられた。
「衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである」
ゆえに、先生は親不孝を許されなかった。
難しいことではない。笑顔を見せるだけでもいい。親を喜ばせ、安心させてあげるのだ。その優しく温かな心を、友に広げ、全人類へと広げていく──この「人間革命」の振る舞いから、世界広宣流布の新時代も、大きく清々しく開かれゆくことを銘記されたい。

◇恩を知れば無限の力が
わが恩師・戸田先生は「不知恩になるな」と言われ、厳しく戒められた。忘恩の人間の末路は、どんなに正当化しようが哀れである。恩師は、愛する弟子を、だれ一人も不幸な敗北者にはしたくなかったからだ。
戸田先生は、戦時中、師匠である牧口先生とご一緒に、正義なるがゆえに、軍部政府の弾圧を受け投獄された。そのことを振り返り "牧口先生の慈悲の広大無辺は、牢獄まで連れていってくださった" と感謝されている。
この崇高なる創価の師弟の真髄に、私は感動し、あとに続いた。
いかなる苦難にも負けず、勇敢に大法を弘通することこそ、師恩に報いる究極である。
報恩の一念に徹する時、人間は最も尊く、最も強くなる。最も偉大な力を発揮できる。
「報恩に生き抜く」という学会精神を、諸君も厳然と受け継いでいってもらいたい。

2014年4月18日金曜日

2014.04.17 わが友に贈る

会合の参加者を
「仏を敬うが如く」
真心で迎えよう!
誠実の振る舞いから
歓喜の波動は広がる!

妙法尼御前御返事 P1403
『百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる』

◇希望の明日へ
分断から結合へと転じゆく力−−それは、ひとえに詩心の復権にあろう。詩心は、人間と社会と宇宙を結びゆく心であり、"詩心の復権"はそのまま"人間の復権"にほかならないと確信する。
平2・7・26

☆名誉会長と共に新時代を開く第15回 桜梅桃李、自分らしく咲け
人生の新しい一歩を踏み出した新入生や新社会人を、皆で応援したい。戸惑いや不安も多いでしょう。私も一人一人のもとへ行き、励ましたい気持ちでいっぱいです。
若いのだから、失敗を恐れず、へこたれないで進もう!
桜梅桃李、自分らしく輝けばいい。あせる必要はない。必ず咲く時が来る。声高らかに題目をあげ、自らの使命の花を咲かせていくのです。

若き日、私は日記に恩師の法華経講義の感動を記した。
「ああ、甚深無量なる、法華経の玄理に、遇いし身の福運を知る。戸田先生こそ、人類の師であらん」「吾れ、弱冠二十にして、最高に栄光ある青春の生きゆく道を知る」と。
日蓮大聖人は『ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし』(P1360、「諸法実相抄」)と仰せになられた。
妙法という究極の正義の法則に則って、学会と共に、同志と共に生き抜いていく──これほど、永遠性の生き甲斐があり、宇宙大の充実がある世界は絶対にありません。
戸田先生は、新たな責任を担わんとする私に「苦難の道を歩みゆけ」と言われた。
広宣流布のための苦難は、無上の誉れである。
広宣流布のために勝ち越えられない苦難はない。
全ての苦難は、必ず功徳と栄光に変わります。
私は毎日、全同志の幸福を祈り、一切を見守っている。安心して、誇り高く、使命の舞台に躍り出てもらいたい。どこに行っても、信念と朗らかさを持って、張り切って戦い進んでくれたまえ!
皆、健康第一で!
わが掌中の珠たる君よ! 爛漫の青年桜のように、大きく堂々と勝ちまくれ!

2014年4月17日木曜日

2014.04.18 わが友に贈る

病気と闘う友
看病・介護で支える
家族に真心の励ましを!
労苦に寄り添う中に
前進への希望は輝く。

佐渡御書 P957
『正法は一字一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず』

◇希望の明日へ
調和をもたらすのが、詩人の天職である。世界の、あらゆる複雑性、表面の抗争、対立、亀裂−−それらのただなかに身を置きながら、なおかつ一歩深く、また高い次元から、人類共通の"永遠なる魂"を開示していく。分断された人間と人間、人間と社会、人間と自然・宇宙を再び結びつけていく、それが、詩心である。人間性の精華である。その体現者が真の詩人である。
平3・5・28

☆特別寄稿 「大九州は 『光の賛歌』 のふるさと」
芸術の生彩とは "生命の光" なり──北原白秋先生の洞祭です。この大詩人にとって、愛する故郷・柳川こそ創造の光の源でした。
麗しき「水の都」たる福岡県に溢れる光の躍動は、印象派を育んだフランスのセーヌ川やノルマンディ海岸の水辺と響き合います。
白秋先生は、日本美術と印象派の縁にも、鋭く注目していました。
本年は、パリでの「第1回印象派展」から140年。国際都市・福岡はフランスとの交流も深く、国宝「金印」をはじめ文化の宝を擁する福岡市博物館での開催は大きな意義があります。
ご関係の皆様方に、心より感謝甲し上げます。

今回、出展されている「ブージヴァルのダンス」はルノワールの最高傑作の一つであり、ボストン美術館の所蔵品の代表作です。
昨秋、日本の美術愛好家が同美術館へ、この大作を求めて足を運ばれました。ところが「日本へ貸し出している」と言われて驚き、帰国してから東京展で心ゆくまで鑑賞されたと伺っています。
世界の37の美術館から出展された名品群が織り成す「光の賛歌」は「生きる喜びの賛歌」です。
ルノワールは、人生には「暗く気の滅入るような側面」が多いからこそ、絵画は「美しく、見ていて楽しいものであるべきだ」と考え、芸術の力で生活に晴れやかな生命の色彩をもたらそうと願いました。生を尊ぶその眼には、お母さんが赤ちゃんの抱き方を発見することは、ニュートンの万有引力の発見と同様に素晴らしい偉業と映ったのです。
晩年、リウマチに苦しみ、手足が不自由になっても、手首に絵筆を括りつけ、健康的な生命の美を描いた不屈の光跡は、使命に生き抜いた人生の名画です。

印象派の画家たちは、従来の室内の制作から、明るい陽光のもとへ打って出て絵筆を振るいました。
万物が美しい。問題は「それを見ることができるかどうかだ」と語ったのは、中心的存在のピサロです。
浮世絵にも学んだシスレーは、身近な地域の自然や働く人々の美を引き出し、郷土の賛歌を描きました。
ブーダンは若き弟子のモネと戸外で一緒に活写して薫陶し、そのモネも多くの画友を激励しております。
印象派の師弟や仲間は、互いに励まし合う創造の息吹の中で、悪意の揶揄にも屈せず、新しい美の潮流を毅然と高めていきました。
まさに「人間の連帯の賛歌」といえましょう。
それは、九州の伝統工芸の技が命の絆によって切磋琢磨され、師から弟子へ継承されてきた歴史と、何と共鳴することでしょうか。
19世紀後半、印象派の画家が活躍したパリ万博では、九州の誇る博多人形や有田焼、唐津焼、薩摩焼等の工芸美術品も光彩を放ちました。
パリ万博といえば、博多生まれの川上音二郎と貞奴たちが「勇気」を合言葉に演劇と舞を繰り広げて、大喝采を博したことも、忘れ得ぬ文化の交流史です。

「光の賛歌」は、「冬は必ず春となる」という「希望の賛歌」でもあります。
1879年、大寒波でセーヌ川も凍りました。当時、モネは経済苦と最愛の妻を失う悲しみのどん底にありました。その中で、セーヌ川の氷が溶けゆく風景を描きつつ、自身の試練の冬を乗り越える魂の光を、力の限り放っていったのです。
天地も人情も豊かな九州には、人と自然、人と人が心を通わせて、共に希望の光を見出す"ふるさとの水辺"が広がっています。
最晩年、郷土の福岡日日新聞(西日本新聞の前身)から贈られた文化賞を誉れとされた白秋先生は「最高の世界に輝く光は、実は、人間の中にひそむ光と同じ」と語られました。
この新春の展示を通し、愛する福岡そして九州に「生命の光の賛歌」が、いやまして朗らかに奏でられれば、これほどの喜びはありません。
−2014年1月19日付西日本新聞より−

2014年4月16日水曜日

2014.04.16 わが友に贈る

「鉄は炎打てば
剣となる」
青年よ困難に挑め!
苦闘を越えてこそ
人間は真に偉大となる。

佐渡御書 P961
『日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし』

◇希望の明日へ
詩人とは、単に書斎で詩語をつないでいるだけの人ではない。まして世に迎合し、安易な言葉を売って生きるだけの人ではない。真の詩人とは、何より、魂の自由のために全生命を捧げて戦う革命児であろう。信念の人格をもって、民衆のため、人類のために先陣を切って走る戦士である。
平2・6・26

☆創価大学・女子短大入学式へのメッセージ
これほど爛漫の桜花に彩られ、これほど世界からの祝賀に包まれ、これほど未来へ決意あふれる入学式が、いずこにあるでしょうか。
晴れの新入生の皆さん、誠におめでとう!
「桜の城」と輝く、わが創価大学、わが創価女子短期大学に、ようこそ!
29カ国・地域から、勇躍、集ってくれた尊き留学生の皆さんを、詩情豊かな日本の春の盛りに歓迎できたことも、嬉しい限りです。
新たに開設された国際教養学部にも、誉れの俊英を迎えることができ、希望はいやまして大きく広がっています。新入生の皆さんを送り出してくださった、ご家族の方々に、心から御礼を申し上げます。
本日は、創価大学の兄の大学である、台湾の中国文化大学より、私が敬愛してやまない林彩梅元学長ご一家、さらに諸先生方が祝福に駆けつけてくださいました。これほどの光栄はございません。私たちは今一度、万雷の大拍手でお迎えしようではありませんか!

桜も満開の皆さんの門出に際し、私は3点のエールを贈ります。
第一に、「たゆむ心なく学びの根を張れ」と申し上げたい。
今や、わが創価のキャンパスには、若き創造的生命の探究に、最大に応えゆく勉学の環境が整いました。学園・創大1期生である馬場学長、田代理事長をはじめとする、教職員の方々も、私の心を心として、全力で皆さんの薫陶とサポートに当たってくれます。
この春、私が新しい対談の連載を開始した、香港中文大学の元学長で、世界的な経済学者である劉遵義博士も、発展を続ける創価大学に深い信頼を寄せてくださり、「良い学生は良い教師を引き付け、良い教師は良い学生を引き付けます。最高の教師と最高の学生を持つことは、お互いを高め合います」と力説されていました。
どうか、新入生の皆さんは、この学舎で自信満々と向学の魂を光らせて、最高峰の学問練磨の青春を飾っていってください。
多感な学生時代には、さまざまな試練や葛藤もあるでしょう、しかし、いついかなる時も、「学ぶ」「学び続ける」「学び抜く」という執念だけは、断じて手放さないでいただきたい。
中国文化大学の偉大な創立者であられる張其�博士は、こう励ましを贈っておられました。
「決して落胆したり、失望したりする必要はない。最も苦しい時こそ、思考と修養を深め、新たな活力と新たな生命を獲得し、のちの大事業の基礎を築くことができる」と。
私の恩師・戸田城聖先生も全く同じ教えでした。
悩みながら、もがきながら、それでも断固と挑戦をやめない。たとえ失敗しても、へこたれずに努力したことが、全部、自分自身の揺るぎない根っことなる。その根が深ければ深いほど、時とともに大樹と育って、偉大な価値を、社会に世界に創造していくことができるのです。

第二に申し上げたいことは、「誇り高く勝利の花を咲かせよ」ということです。
「桜梅桃李」という生命の法理があります。桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李として、それぞれに美しき花を精一杯に咲かせていきます。それと同じように、一人一人が、最も尊厳な生命を自分らしく個性豊かに光り輝かせていくことを促しているのです。
本日、皆さんを温かく見守ってくださっている林彩梅先生は、青春時代、桜咲く日本へ留学され、言葉の壁も超えて、徹底した研究を積み重ね、見事に商学の博士号を勝ち取られました。
そして、ご自身が学問の師匠から受けた恩を忘れず、その報恩の心を込めて学生たちを慈しまれてきました。台湾初の女性の学長として、まさに「桜梅桃李」の多彩な人材の花園を築き上げてこられたのです。
かつて私は、林彩梅先生に漢詩を捧げました。「品学兼備にして 異彩を放ちたる 霜をしのぎ 雪と闘う一枝の梅」──。
すなわち、気品みなぎる人格と学問を共に備え、優れた光彩を放たれている。その高貴な生命は、すべての困難を乗り越え、勝ち越えて、風雪にも凜と咲き誇る、美しく香しき梅の如し、と。
「恩に報いる人生ほど幸福な人生はありません」とは、林先生の気高き哲学です。
新入生の皆さんも、一人一人が自分にしか咲かせられない生命の花を持っています。そのかけがえのない花を、思う存分に開花させていくために、皆さんは、今、ここに集い合ったのです。
これから4年間、また2年間、苦労はむしろ誇りとして、良き学友と励まし合い、力をつけ、智慧を深め、真の「教養の花」「学識の花」「人格の花」「勝利の花」を咲かせ切ってください。そして父上、母上をはじめ、皆さんの成長を何よりの楽しみとしている方々に、毅然と、ご恩返しをしていただきたいのであります。
きょうは、このことを、私は林彩梅先生とご一緒に皆さんにお願いします。

第三に、頼もしき創価の世界市民である皆さん方へ「朗らかに平和の種を広げゆけ」と託したい。
40年前の4月、私はアメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)からお招きをいただいて、講演を行い、21世紀を「生命の世紀」にと展望し、呼びかけました。
──人間は「才能ある畜生」であってはならない。未曽有の転換期に立つ青年が、若き建設者、開拓者たれ!
知性的であるのみならず、精神的、さらに生命的にも、人間として偉大な跳躍を遂げようではないか! と。
その人類の跳躍の連帯を開くために、私は、創価大学の創立者として、全世界と対話を続けてきました。UCLAを第1回として、世界の大学・学術機関での講演も、モスクワ大学、北京大学、フランス学士院、ハーバード大学など、32回を数えます。
間もなく、アメリカの著名な教育哲学者であるヒックマン博士とガリソン博士と私の鼎談集 『人間教育への新しき潮流──デューイと創価教育』 が、日本とアメリカの双方で発刊されます。
その中で、私たちは、20世紀の悲劇を絶対に繰り返さないために、世界の諸大学は、今こそ学生の国際交流を広範かつ持続的に断行すべきであると強く一致しました。
両博士は、創価教育こそ、グローバル化の世紀に要請される「価値創造の教育」であると期待を寄せてくださり、「他の文化を学ぶこと」は即「平和の種を蒔くこと」であると強調されています。
今、創価大学は、世界47カ国・地域148大学と学術交流を結び、わがキャンパスには45カ国・地域の留学生を迎えています。皆さんの在学中に、創大の国際交流は一段と拡充していくでしょう。
どうか、世界の英才と朗らかに学び合い、新たな地球文明をリードしゆく、スケールの大きな創造的生命へと跳躍してください。
できることならば、青年時代、語学を学べず悔しい思いをした私の分まで、皆さんは語学力を磨いて、創価の平和・文化・教育のスクラムを、さらに自在に広げていっていただきたいのであります。
終わりに、きょうより、共々に黄金の歴史を創りゆく皆さんへ、

わが命
 創大城に
  厳とあり
 君の未来の
  勝利を見つめて
と贈り、私のお祝いのメッセージといたします。
新入生、万歳!
留学生、万歳!
皆、健康第一で、勇気と希望と充実の一日一日を、忍耐強く、勝ち進んでいってください。本当におめでとう!

2014年4月15日火曜日

2014.04.15 わが友に贈る

要領だけでは
真の力はつかない。
労苦を惜しまず
努力を貫き通す人が
最後に必ず勝つ!

経王殿御返事 P1124
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや』

◇希望の明日へ
物質文明のコンクリートに囲まれて、縮こまり、窒息しそうになっている人間の心が、じつはどれほど広大なひろがりをもっていることか。一人一人は、大自然とも対話できる心の世界のすばらしさに目覚めなければならない。そのためには、詩心が大切な使命をもつのである。
『主婦と生活』 昭64・1月号

☆創価学園入学式へのメッセージ
凜々しき新入生の皆さん、希望あふれる入学式、本当におめでとうございます!
今年も、天下の英才を、わが創価学園に迎えることができ、これほどうれしいことはありません。
ご家族の皆さま方、大切な大切なお子さまを、この学園に送り出していただき、誠に誠にありがとうございます。教員の先生方、職員の方々、私たちの宝であり、人類の宝である学園生の健やかな成長のために、新年度も、全力の薫陶と励ましを、どうか、よろしくお願いいたします。

私は、日本全国また世界の多くの道を歩いてきました。忘れ得ぬ道もたくさんあります。その中でも、いずこにもまして、いつも私の心に光り輝いている二つの道があります。それは、わが学園生が闊歩しゆく、"武蔵野の哲学者の道"と"交野の一本道"です。
きょうは、この道を、新入生の皆さん方と肩を並べて、弾む心で語らい歩みゆくような思いで、3点にわたって、お祝いのメッセージを贈ります。

第一に、「心は大きく 『平和の道』 を開きゆけ」と申し上げたい。
今から100年前の1914年に、ヨーロッパで第1次世界大戦が始まりました。
2度の世界大戦をはじめ、悲惨な戦争が続き、あまりにも多くの尊い生命が奪われ、民衆は苦しみ続けてきました。
今年2014年から始まる新たな100年は、何としても「平和の100年」にしていきたい——これが、私と世界の友人たちの一致した願いであり、決意です。
この世界平和の悲願に挑みゆく、希望の人材を育む学舎こそ、わが創価学園です。
先日、ノーベル平和賞受賞者で、中米コスタリカの大統領を務められたアリアス博士が、ご夫妻で学園を訪問されました。
そして、学園生との出会いを「平和への使命感、そして負けじ魂にあふれた青年たちと、感動的な思い出を刻むことができました」と、それはそれは喜んでくださったのであります。
学園は、いかなる暴力も否定し、いじめを絶対に許しません。きょうから、新入生の皆さんは、友情と平和の価値を創造する、この学園で、心を大きく広げ、世界を呼吸しながら、良き学友たちと仲良く朗らかに前進していってください。
皆さんが、互いに切磋琢磨して「英知」と「人格」と「体力」を鍛えゆく一日また一日が、そのまま、人類が共に生きる「平和の100年」の新しき道につながります。その誇りに胸を張って、世界と自在に対話できる語学の力も、大いに磨いていっていただきたいのであります。

そこで、第二に申し上げたいのは、「一歩また一歩と 『学びの道』 を進め」ということです。
100年前の1914年、世界の激動の年に、今でいう中学校を卒業されたのが、私の師匠の戸田城聖先生でありました。最優秀の成績で、周りからも進学を勧められましたが、家計を支えるために断念し、いったん働き始めなければなりませんでした。
そんな困難の中にあっても、今の皆さんと同じ年代の戸田青年は、「一点の光明求めて、いざ進まん」と意気軒高でした。
逆境の中で、時間をつくり出しては、猛然たる気迫で学んでいったのです。
どんな時でも、どんな場所でも、心一つで勉強はできる。学ぶことは人間の権利であり、なかんずく青年の特権である。愚痴や文句を言う前に、学べ、学べ、学び抜け! これが、戸田先生の断固たる信念でした。
私は、この戸田先生に10年間、徹底して訓練を受けました。
どんなに忙しくても、真剣に勉強していなければ、また良書を読んでいなければ、先生の前には立てなかった。それくらい厳しい"戸田大学"の研鑽だったのです。
学は栄光の源泉です。学は賢者の法則です。学は無限の希望です。学園は、本物の学びの伝統が結晶した知性の錬磨の場です。喜び勇んで思い切り学んでいただきたい。
焦ることはありません。大事なのは、今、目の前にある課題にベストを尽くして、一点突破していくことです。「いざ進まん」と学ぶ情熱を燃え上がらせて、一歩また一歩と挑戦し抜いていくことです。そこから、希望の未来は大きく輝き広がるのです。

そして第三に、「『青春勝利の道』を忍耐強く朗らかに」と申し上げたい。
私は、ブルガリア科学アカデミーの会員で、東欧を代表する芸術史家のジュロヴァ博士と新たな対談を進めております。
博士のご両親は、戦争中、平和と正義のために勇敢に戦い抜いた闘士でありました。その父君が愛娘である博士に、人生にとって大切なこととして打ち込まれたのは「試練に対して忍耐強く生きること」という指針です。
試練なくして偉大になった人はおりません。皆さんも、試練に勇敢に立ち向かい、忍耐強く勝ち越えることこそ、青春の最大の誉れとしていただきたいのであります。

今、日本有数のブルガリア語の名通訳として活躍する学園出身の女性がおります。この女性は、ジュロヴァ博士が教授を務める名門ソフィア大学で、創価大学の第1号の交換留学生として学びに学んでいる最中、病気になり入院してしまいました。しかし、ジュロヴァ博士に温かく応援していただきながら、この試練にも負けず、見事に哲学博士号を勝ち取ったのです。
きょうは、それぞれに試練と戦いながら、後輩の道を開き、社会で貢献している卒業生の方々が、新入生の祝福に駆け付けてくれました。本当にありがとう!
学園生には、ご家族や先生方、先華や友人など、たくさんの力強い味方が日本中、世界中にいます。私の心も、皆さんの歩む道にいつも一緒についております。
さあ、これから共々に、負けじ魂のスクラムも固く、愉快に堂々と勝ち進もう!
愛する皆さんの晴れの門出に──

全世界
 舞台と学べや
  学園生
 努力の道を
  悔いなく楽しく

と贈ります。
3年後、皆さんが卒業する2017年は、わが創価学園の創立50周年です。
その皆さんの晴れ姿を、私は何よりの楽しみとし、生きがいとしながら、毎日毎日、学園生の健康と成長と勝利を、祈りに祈り抜いてまいります。
お父さんやお母さんに心配をかけない、明るく賢い親孝行の皆さんであってください。みんな、元気で!

2014年4月14日月曜日

2014.04.14 わが友に贈る

新聞休刊日

三沢抄 P148
『此の法門出現せば正法像法に論師人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光巧匠の後に拙を知るなるべし、此の時には正像の寺堂の仏像僧等の霊験は皆きへうせて但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候、各各はかかる法門にちぎり有る人なればたのもしとをぼすべし』

◇希望の明日へ
偉大な文学は感傷でも自己満足でも観念でもない。人間と社会の生きた現実に根ざし、現実との格闘から生まれてくるものである。
昭63・10・9

☆創価小学校入学式 創立者のメッセージ
新1年生のみなさん、桜の舞いゆく入学式おめでとうございます!
私がつくった創価小学校に、よく来てくれました。本当にうれしい! ご家族のみなさまにも、心からお祝いを申し上げます。
40年前、私は、童話 『少年とさくら』 の中で、"良い種は良い苗になる。良い苗はかならずりっぱな木になって、みごとな花をさかせる。人間もおなじである"と書きました。
うれしいことに、創価小で学んだお兄さん、お姉さんたちは、みなそうなってくれています。
今、一番みずみずしい良い苗であるみなさんも、かならず大樹となる人たちです。
その願いをこめて、きょうはみなさんと三つの約束をしたいと思います。

一つめは「ねばり強く負けない人に」ということです。
桜は、寒い冬を耐えぬいて、春にきれいな花をいっぱい咲かせます。
みなさんも、どんなにくるしいことや、つらいことがあっても、「ぜったいに負けないぞ!」とねばり強く努力をつづければ、かならず大きな夢をかなえていけるのです。

二つめは、「 『ありがとう!』 と言える人に」です。
元気にあいさつのできる人はさわやかです。朝は「おはよう!」と明るくスタートをしましょう。
そして、みなさんをおうえんしてくれる、お父さんやお母さん、また親切にしてくれた人たちには、「ありがとう!」「ありがとうございます!」ときちんとお礼が言える人になってください。

そして三つめは「よい本をたくさん読む人に」です。
創価小学校には、たくさん読書をして「心の栄養」をつける、良き伝統があります。
本を読めば、タイムマシンにのったように、昔の偉人ともお話ができます。ロケットにのったように、宇宙をたんけんしたり、世界じゅうを旅をしたりできます。
よい本は、みなさんの心の世界を、どこまでも広げ、ゆたかにしてくれるのです。

さあ、きょうから、まちにまった学校生活のはじまりです。夜は早く寝て、通学もがんばってください。
みなさんの6年間が、健康で、最高の宝の日々となるよう、私はいつも祈り、見守っています。
わが創価小学校、万歳!
わが命の新入生、万歳!

◎再通知 まだの方は、登録変更を宜しくお願いします(^O^)
電話番号:070-6635-2380
アドレス:minnielovelove@willcom.com

2014年4月13日日曜日

2014.04.13 わが友に贈る

友情を広げる春。
新しい友を大切に
新しい仏縁を結ぼう!
胸襟を開いた対話で
幸福のスクラムを拡大!

一生成仏抄 P383
『仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり』

◇今週のことば
「病ある人 仏になる」
病気との闘いは
仏の境涯を開く力だ。
大苦ありて大悟あり。
題目の師子吼で勝て!
2014年04月13日

◇希望の明日へ
詩人のまなざしは、心に向けられている。物でさえも単に物とは見ない。時に、詩人は、草木と語り、星々と対話し、太陽とあいさつを交わす。万物を友として、そこに生命を見いだし、吹き込み、変転する現実世界の事象を貫く大宇宙の不変なる法則を見詰める。またあるときは、人間のつくり上げた制度やイデオロギーの囲いを突きぬけて、一個の人間に秘められたかぎりない可能性の輝きを見る。そして、時には、万人を結び合う、見えざる生命の紐帯を覚知する−−私は、この豊饒なる精神の泉を詩心と呼ぶ。詩心は、人間の想像力と創造力の源泉である。それは、この地上に夢と希望と勇気とを育み、調和と融合をもたらし、だれも侵すことのできない力をもって、内面世界を、荒れ地から沃野へと転じゆく。今、二十一世紀を目前にして、人類は大きな岐路に立っている。物質主義の津波のなかにあって、その波に没し去ってしまうのか、それとも、人間の復権の時代をつくるのかという選択が迫られているのである。私は、この人間の復権の源泉こそ、詩心にあると訴えたい。そして、それを成し遂げていくことが、詩心に課せられた仕事にはかならないであろう。
昭63・9・28

☆名誉会長と共に新時代を開く 第13回 幸福の太陽はわが胸中に
桜花の春、恩師・戸田先生の巌のごとき雄姿が、懐かしく胸に浮かぶ。
戦争の時代に、命がけで正義の信念を貫かれた先生である。
今、創価の平和の連帯に、世界から大きな期待と賞讃が寄せられている。恩師が、どれほど喜ばれることか。
戸田先生は市ケ谷にあった学会本部の分室等で、毎日のように個人指導をされた。
八方ふさがりの苦境の友にも、渾身の力を振り絞り、絶対勝利の信心の大確信を打ち込んでいかれた。
一人が力だ。一人が宝だ。かけがえのない一人一人に勇気と希望を送るのだ。
先生は言われた。「私は、一本の旗をもって、たった一人で、濁流の中に立っているみたいなものだよ。少しでも油断すると、旗と一緒に、濁流に流されてしまうのだ」
一回の出会い、一回の励ましが、真剣勝負である。
苦しんでいる人を救うのが本当の宗教である。学会は不幸な人の味方なのだ。いかに迫害されても、その人たちのために戦うことこそ、最高に誉れ高き偉業ではないか。

世界が仏法を求めている。学会のありのままを語ればいい。真実に勝るものはない。
御聖訓には仰せである。『百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、灯を入れれば明るくなる』(P1403通解、「妙法尼御前御返事」)
幸福の太陽は、わが胸中にある。大変な時ほど題目を唱え抜き、いかなる苦難の闇も朗らかに打ち破って、友に励ましの陽光を、思う存分に注いでほしい。
各部一体で、青年を育て、未来部を応援し、功徳の花、喜びの花、人材の花を爛漫と咲かせていこう。報恩の心で!

2014年4月12日土曜日

2014.04.12 わが友に贈る

御聖訓「ほむれば
弥功徳まさる」。
信心の偉大さを
堂々と語ろう!
そこに尊き福徳は輝く。

大悪大善御書 P1300
『大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし』

◇希望の明日へ
高貴に謳いあげた優れた詩は、時の風化を超え、はるかな未来へと、謳い継がれ、伝えられていく。物体は、時間の経過とともに消え去る運命にあるが、麗しき"心の世界"は、永遠に変わることなく、心の美の旋律を奏でていく。詩が永遠であれば、その詩に謳われた人生、人間、歴史も、みな永遠であろう。
昭63・7・10

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜第1回 ロサンゼルスの道
それは、どこまでも続く、夢と希望の道です。
はるか太平洋の彼方から、快活に押し寄せる白波。宇宙の果てまで突き抜けるような青空──。
人々が憩うビーチも、緑と茶色の山々も、さっそうと駆け抜ける車の車体も、全てが明るく照り輝いています。
この太陽の讃歌にあふれる道は、私がアメリカ西海岸のカリフォルニア州ロサンゼルスを訪れた際に、いつも通る道です。潮風を切って走る車の中で、私は思わずカメラのシャッターを押しました。
私にとってアメリカは、恩師・戸田城聖先生に託された「夢」の第一歩をしるした国です(1960年10月)。以来、54カ国・地域を訪問し、友と語り、平和の種を蒔き続けてきました。
恩師には、壮大で崇高な「夢」がありました。それは、「この世から 『悲惨』 の二字をなくす」という、「世界広宣流布」の夢です。
いつの旅でも、どこの国を訪れても、私の胸には、恩師の言葉が響いていました。
「大作、世界へ行くんだ。私に代わって!」
私の世界への旅は、師の夢をかなえる「後継の旅」です。世界広布の夢を広げる「平和の旅」です。
そして今、君と私の夢を開く「新たな師弟の旅」が始まります。
さあ、一緒に旅に出よう! 心に大きな「未来の翼」を広げて!

「夢を描くこと」そして「夢に挑戦すること」は、人間ならではの権利であり、なかんずく青年ならではの特権でしょう。
ロサンゼルスは、人々が夢を追って集い来た自由の天地です。
カリフォルニア州には、「ゴールデン・ステート(黄金の州)」という呼び名もあります。かつて、この地で金が採れたため、多くの人が一気に入植し、街を発展させていったからです。「カリフォルニアの過去がアメリカの未来だ」とも言われています。
今も昔も、「フロンティア・スピリット(開拓者精神)」にあふれる人たちが住む「夢の舞台」——世界都市・ロサンゼルスは、まさにその中心です。
ロサンゼルスを、私はこれまで何度も訪れてきました。この地は私にとって「黄金の人材」が輝きわたる希望の都なのです。
40年前の春、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で講演をした時のことを、私は懐かしく思い起こします。
1974年の4月1日。時差のある日本では、戸田先生の祥月命日である4月2日のことでした。
青春時代、私は、お仕えする戸田先生の事業を支えるため、大学に行くことを断念しました。しかし、先生は、「最優秀の教育を授けたい」と、最初は日曜日ごと、やがて平日の朝も使って、万般の学問の個人教授を続けてくださったのです。
この「戸田大学」の卒業生の誇りも高く、師から教えていただいた生命尊厳の哲理を、若き知性に伝えたい──講演は、師匠の夢の実現であり、師匠を宣揚する言論の戦いでした。
私は、仏法の生命観を通して、「21世紀を生命の世紀に」と提唱しました。
進取の気性に富む英才たちは、私の講演を実に真剣に聴いてくれました。終了後には、多くの学生が壇上の私の前に駆け寄ってきました。
仏法の人間主義の哲学を、世界の若き知性が求めている。この姿を戸田先生がご覧になったら、どれほど喜ばれるだろうか──私は、汗を拭うのも忘れ、一人また一人と固い握手を交わしました。
この時を第1回として、恩師の心を携えながら、私が、海外の大学・学術機関から招へいを受けて行った講演は、32回を数えます。

「人生というのは、夢を見るためにあるのよ。それをつかむ勇気と意志を持っているかどうかなのよ!」
これは、私の忘れ得ぬ友人である、ロサンゼルスのトム・ブラッドレー市長のお母さんの言葉です。
ブラッドレー市長も、私が講演したUCLAに学んだ一人です。全米屈指の大都市ロサンゼルスで、アフリカ系アメリカ人として初めて市長になった方です。
最初の出会いは、講演の翌年の1975年の1月。高層ビル群を一望する市庁舎でした。
部屋に入ると、長身のブラッドレー市長が、満面の笑みで迎えてくださいました。
穏やかな語り口。飾らない率直さ。どこまでも謙虚な立ち振る舞いに、幾多の苦難に磨き抜かれた人格が輝いていました。
ブラッドレー市長の祖父は、かつて奴隷の境遇にあった方です。父親は貧しい小作農で、その息子である市長も、小さい時から綿花畑で働かねばなりませんでした。市長が未来部の皆さんと同じ年代のころは、まだまだ人種差別が色濃く残っていました。
大学進学は夢のまた夢でした。市長は学校の教員に、「大学など行けるはずがない、仕事をした方がいい」と言われたそうです。
それでも、あきらめませんでした。「人生は夢を見るためにある」──お母さんの言葉が、市長を支える信念となっていたのです。
努力に努力を重ねて、ついにUCLAへの進学を果たしました。その後、21年間、ロサンゼルス警察で働きます。さらに市議会議員を務め、市長に立候補して、2度目の挑戦で当選したのです。
市長は、もともと警察官になることを希望していたわけではありません。周囲の勧めもあり、とにかく試験を受けてみたそうです。そこから道が開かれました。
目の前の課題に、一生懸命、取り組む。 "何事も、とにかくやってみよう" と挑戦する。たとえ夢がはっきりと見えていなくたって、かまいません。
努力は絶対、無駄にはならない。ベストを尽くす一歩一歩が、必ず夢に向かって前進する栄光の道となるのです。
その道の途中では、迷うこともあるでしょう。でも、焦る必要はありません。遠回りしたとしても、新しい発見をするチャンスととらえて、周りの景色を楽しめばよい。そのうちに、もっとすばらしい道が見つかったり、新たな夢の目的地が見えたりすることもある。
大事なのは、失敗を恐れない勇気を持つことです。「いつか必ず夢をかなえてみせる」という不屈の意志を持ち続けることです。
大きな夢だけが、夢ではありません。みんなが日ごろ目標にして願っていること、頑張っていることを、思い浮かべてみてごらん。
「成績を上げたい」
「部活でレギュラーになりたい」
「海外に留学したい」
「友達と仲良くなりたい」
「家族の病気が治ってほしい」
どれも、大切な「夢」です。
夢の "種" は身の回りにあふれている。だから毎日、真剣に祈って、夢を見つける努力をしよう。夢をかなえる挑戦をしよう。
皆さんが将来、ロサンゼルスを訪れる時に、まずロサンゼルス国際空港に降り立つでしょう。その国際線ターミナルの名は、「トム・ブラッドレー国際ターミナル」です。ブラッドレー市長の胸像が立っています。市長は今も変わらず、世界中の人々を、あの満面の笑みで迎えているのです。
皆さんの心にも、きっと「さあ、夢を見よう!」と呼びかけてくれるに違いありません。

アメリカ公民権運動の母ローザ・パークスさんも、私がロサンゼルスでお会いした大切な宝の友人です。
「私には夢がある」という演説で有名な指導者マーチン・ルーサー・キング博士と共に、人種差別撤廃のために戦った女性です。
何の罪もなく、ただ黒人だというだけで差別され、いじめられました。公共のバスの中でさえ、自由に座ることを許されなかった社会で、勇気に燃えて、正義の声をあげ、歴史を大きく変えたのです。
パークスさんは、未来を担う少女に、こう語りかけています。
「あなたも、自分自身を信じることによって希望の灯火(ともしび)を燃やし続けることができるのです。あなたが、自分自身と未来に対し、希望をいだき続けるならば、きっと、世界をもっと住みやすい場所にすることができるはずです」
たとえ君が、あなたが、壁に突き当たり、窮屈な思いをしていても、夢を世界に広げれば、そこに希望は生まれる。希望がある限り、夢の道は永遠に続いていきます。
世界をもっと良い場所に!──この夢に生きたパークスさんは、アメリカ創価大学(SUA)にも大きな期待を寄せ、励ましの手紙を送ってくださいました。
ロサンゼルス近郊のオレンジ郡にあるSUAは、平和のために闘う世界中の人たちの夢の結実です。各国から最優秀の若き世界市民が集い、平和への夢の大道を歩んでくれています。
私の心も、日々、この希望の光に満ちたキャンパスで向学と使命の青春に生きる学生たちと共にあります。世界中で奮闘する卒業生と共にあるのです。
これから、皆さんの中から、また皆さんの仲間から、SUAに進んでくれる英才が、たくさん出ることを、私は楽しみにしています。

青春の道は、日差しが爽やかな快晴の日もあれば、荒れ狂う嵐の日だってある。
その試練の時に、力となるのは、共に支え合って前進していく善き友の存在です。
日蓮大聖人は、『仏になるみちは善知識にはすぎず』(P1468、「三三蔵祈雨事」)と仰せになられました。
仏になる道においては、何よりも善き友の存在が重要であると説かれているのです。
大いなる夢を掲げて、善き友と励まし合って歩むならば、決して行き詰まりません。
皆さんには、未来部の担当者という、どんな時も善き味方となって、一緒に祈り、相談に乗ってくれて、真心から応援してくれる先輩方もついています。
私が青春時代に愛読した一人にアメリカの民衆詩人ホイットマンがいます。彼の詩集 『草の葉』 にある「大道の歌」には、高らかに詠われています。
「出かけよう、道はぼくらの前にある」
青春の理想へ、人生の勝利へと続く大道は、今、皆さんの目の前に開けています。
それは、果てしない理想の高みへと通ずる使命の道です。
どんなに険しい峰が立ちはだかったって、絶対に大丈夫です。
皆さんには──
可能性を無限に発揮しゆく「夢の翼」があるからです。
何ものにも負けない「希望の翼」があるからです。
そして、世界に羽ばたく「未来の翼」があるからです。

2014年4月11日金曜日

2014.04.11 わが友に贈る

団結こそ拡大の力!
壮婦も一体となって
青年の弘教の応援を!
「異体同心なれば
万事を成し」だ。

三世諸仏総勘文教相廃立 P564
『心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う』

◇希望の明日へ
真の詩人にとって、名聞名利は一顧の価値すらもない。まったく無用のものである。詩とは、現世的な利害などはるかに超越したものであり、広大無辺にしてかぎりなく崇高な人間性の発露にはかならない。
昭63・1・20

☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜第1回 喜劇王チャップリン
虹は、天からのおくりものです。
雨がふった後、空に、赤・だいだい・黄・緑・青・あい・むらさきの7色のきれいな光をはなちながら、大きな橋のようにかかります。
はじめて見た時は、みなさんもおどろいたり、わくわくしたことでしょう。
私も、世界のあの地この地で、友と虹を見た思い出があります。
私が世界で最初に訪れたアメリカのハワイは、虹がよく見られる島です。ここには、「雨がふるから虹も出る」という、ことわざもあります。いいことは、困難を乗り越えてこそ、やってくるという意味です。
虹は「希望」です。雨にも嵐にも負けない希望です。
世界の偉人たちは、困難の嵐を乗り越えて、使命の大空に「希望の虹」をかけてきました。これから、みなさんといっしよに学んでいきましょう。

昨年の5月、イギリスから、一通の手紙をいただきました。送り主は、女優のキエラ・チャップリンさん。「喜劇の王様」とよばれた、チャーリー・チャップリンのお孫さんです。
みなさんは、チャップリンは、どんな人か知っていますか?
チョビひげに、てっぺんが丸い黒ぼうし、だぶだぶのズボンに、ぶかっこうなくつをはいて、ステッキをふりながら歩く。きどらない、ほほえましい紳士の姿で、世界中の人たちに笑いと感動を届けた、20世紀の名優です。
作った映画の数は、80本をこえます。今年は、チャップリンが映画デビューしてから100周年になります。
私も大ファンです。人間を愛し、勇敢に信念をつらぬいて生きたチャップリンのことを、折々に、世界の友に語ってきました。
お孫さんも、そのことを「祖父が知れば、とても誇りに思うと確信します」と喜んでくれました。
じつは、私たちの少年部歌のタイトル「Be Brave!」(勇気を出して!)」は、チャップリンの「街の灯」という映画にでてくる、はげましの言葉でもあります。

チャーリー・チャップリンは、1889年4月16日、イギリスの首都ロンドンで生まれました。
お父さんのチャールズと、お母さんのハナは、二人とも歌が上手で、劇場の舞台に出ていました。お金持ちとはいえませんでしたが、4歳年上の兄シドニーと家族4人で楽しく暮らしていました。
しかし、お父さんはお酒ばかり飲んで、そのうち家を出て行ってしまい、お母さんが一人、働いて兄弟を育てました。その無理が、体をいためつけたのでしょう。
チャップリンが5歳になった時のことです。お母さんは舞台で歌を歌っていると、とつぜん声が出なくなってしまいました。
お客さんがおこって、大さわぎになりました。こまりはてた劇場の支配人は、かわりに息子を出してはどうか、と言ったのです。
お母さんのためならばと、チャップリンは勇気を出して、舞台に立ち、歌を歌いました。そのかわいらしさにお客さんは、大喜び。これが彼の初舞台になりました。

お母さんの声は元に戻らず、歌の仕事がなくなって、生活はどんどん苦しくなりました。
しかし、どんなにびんぼうでも、お母さんは明るく、やさしかった。服を作ってくれた。子どもの前で、おどったり、身ぶり手ぶりのパントマイムやおしばいも見せてくれました。
それが、のちに、チャップリンが俳優になって、かつやくするための、大きな力になったのです。
どこの家でも、お母さんは太陽です。わが家も、私が小学2年生の時、父が病気でたおれ、生活が大変になりました。けれども、母は「うちは、びんぼうのよこづなだよ」と朗らかに笑っていました。その声が、家族を明るく勇気づけてくれたのです。
チャップリンのお母さんは、その後、重い病気になって入院してしまいました。彼はお兄さんと、まずしい子どものためのしせつへ入り、11歳のころから、印刷工場で働くなど、いろんな仕事をしなければなりませんでした。
でも、チャップリンは負けなかった。どんな大変な時も、 "自分は世界一の俳優になるんだ" という夢をあきらめず、努力をかさねた。その負けない心の中には、あざやかな「希望の虹」がかがやいていたのです。
やがて舞台に出るようになったチャップリンは、才能がみとめられ、アメリカに渡り、映画俳優となって大成功をおさめました。
しかし、どんなに有名になっても、チャップリンはお母さんへの感謝を忘れませんでした。
「わたしがこの世界でまがりなりにも成功できたとすれば、それはすべて母のおかげです」と。

やがて、ドイツではヒトラーという人物が、大げさな演説で人気を得て、権力をうばい取りました。そのころは世界中で景気が悪くなり、仕事のない人もあふれていて、人々の不安につけこんでいったのです。
しかし、チャップリンは、ヒトラーのインチキを見やぶり、戦争を起こすのではないかと感じていました。
みんなを目覚めさせなければ——彼は正義の行動を決意します。
1939年の9月1日、ヒトラーは強力な軍隊で領土を広げ、第2次世界大戦が始まりました。
当時、私は11歳。今の皆さんと同じ年代でした。
ヒトラーが起こした戦争は、あっという間にヨーロッパ中に広がり、たくさんの命がうばわれました。
チャップリンは、映画を武器に平和への戦いを開始しました。
この映画「独裁者」で、チャップリンはヒトラーと同じチョビひげ姿で登場します。そして最後にヒトラーとはまったくちがう誠実な言葉で、 "独裁者の言いなりになってはいけない!" と演説をするのです。
「絶望してはいけません」
「あなた方は、人生を自由で、美しくまたすばらしい冒険にあふれたものにする力を持っています。ですから、民主主義の名の元にみんなの力を集め、ひとつの世界を作ろうではありませんか」
そして、この大演説は、一人の女性に呼びかけて終わります。
「人間の魂には翼を与えられていたけれども、いまやっとはじめて空を舞いはじめた。にじの中へ、光の中へと」
「ハナ! 顔を上げて!」
そうです。10年前に亡くなったお母さんの「ハナ」という名を、映画のヒロインにつけたのです。
「お母さん」を心にもっている人は強い。負けない。「お母さんのために」とがんばれば、必ず正しい道、勝利の道を進んでいけます。
どうか、みんなも、お母さんを大切に、お父さんも大切にして、親孝行していってください。
そして、勉強やスポーツ、自分の目標に挑戦して、自分らしく「希望の虹」をかけていってください。
その虹が21世紀の大空にかかるのを楽しみにしています。
私にとって、一番の「希望の虹」は、少年少女部のみなさんです。
来月また、語り合いましょう!

2014年4月10日木曜日

2014.04.10 わが友に贈る

目立たなくとも
広布に尽くす友に
最大の感謝と賞讃を!
尊き陰の支えありて
創価の民衆城は永遠!

善無畏三蔵抄 P883
『日輪東方の空に出でさせ給へば南浮の空皆明かなり大光を備へ給へる故なり』

◇希望の明日へ
本来、科学の探究も、信仰の求道も、この宇宙と社会と人間のすべてを"開かれた心"で見つめ、喜びの名曲を奏でゆくものである。
平5・6・16

☆勝利の人間学 第49回 社会で聡明に輝く人たれ
◇元気に朝を勝ちゆこう
戸田先生は、新社会人を励まされた。
「青年は、朝寝坊では負ける。朝が勝負だ。朝の生き生きとした息吹のなかで、活力を沸き立たせていけ! そこに成長がある」と。
私も、先生の会社に勤め始めて、毎朝、始業の30分前には出勤し、職場を掃除して、元気いっぱいの挨拶で先輩たちを迎えた。
もちろん、仕事によって一律には言えない。ただ夜は工夫して、なるべく早く休み、朗々たる朝の勤行・唱題でスタートすることだ。
朝に勝て! そして生命力を満々と漲らせ、職場で光り、周囲を明るく照らしていこう。

◇職場は人間修行の道場
御聖訓には『御みやづかいを法華経とをぼしめせ』(P1295)と仰せである。
信仰は観念ではない。人間が生き生きと働き、生活を豊かにし、職場を発展させていく。その営みのすべてが、仏法である。
「信心」は即「生活」であり、「仏法」は即「社会」なのである。
「信心は一人前、仕事は三人前」——皆さんの先輩方は、この心意気で仕事に挑み、歯を食いしばって、職場で実証を示してきた。だからこそ、今日の創価学会がある。
職場は、自分自身を磨き鍛える人間修行の道場なりと決め、「三倍の努力」を心がけていただきたい。

◇信用を築け、青年ならば
青年が勝ち取るべき第一のものは、信用だ。
青春時代は、未完成が当然である。見栄を張ったり、取り繕ったりする必要はない。
自分らしく眼前の仕事に全力で取り組む。約束をしたことは誠実に守る。失敗しても、そこから学び、また挑戦する。地道であっても、忍耐強く創意工夫を重ねていくことだ。
そうした姿に、信用は必ず築かれる。
仏法は「人の振舞」である。明るい挨拶、清々しい礼儀、賢い体調管理など、基本が大事だ。聡明にチームワークを創り広げながら、「さすが」と言われる一流の次元へ、日々、若き黄金の生命を高めていってくれ給え!

2014年4月9日水曜日

2014.04.09 わが友に贈る

リーダーは
勇んで友のもとへ!
満々たる生命力で
わが地域の隅々に
歓喜の波動を送れ!

報恩抄 P329
『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか』

◇希望の明日へ
現代の人々は、詩と科学とを対極にあるものと見ている。また両者の近代の歩みが、そうした傾向を助長してきた面があることも事実である。しかし本来、偉大な科学には、大いなる詩がある。偉大な詩には、人間理性の最高の英知が輝いているものである。両者は互いに互いを豊かにしうる関係にある。なかでも、具体的な一人の人間において、詩的側面と科学的側面を分離することはできない。できたとしたら、おそろしく貧しい人間になってしまうであろう。
平2・8・22

☆大白蓮華巻頭言 2014年4月「多宝」の賢者よ 永遠に前へ!
万物は流転する。あらゆるものが流れる川のように変化しつつ、瞬時も止まらない。その転変の中で、自他共の生命を、希望へ、幸福へ、平和へ、無限に前進せしめていく究極の力が、我らの信仰である。
名作 『大地』 の作者パール・バックは、敬慕する母が晩年の闘病中に語った言葉を書き留めている。
「私の精神はまっすぐに進んで行くことを覚えていておくれ」「喜んで、凱旋するように死ぬよ」と。
生老病死は誰人(たれびと)も避けられぬ根本の命題である。特に空前の高齢社会は「老い」の期間が長くなり、これまでにない課題に直面している。だからこそ、多宝会・宝寿会・錦宝会の皆様を中心に、我ら創価家族の新たな挑戦と開拓の使命は、一段と大きい。
どんな財産も権力も、「老い」そして「死」という峻厳な現実の前には、儚(はかな)い幻と消え去ってしまう。鋭く問われるのは、いかなる哲学を持ち、いかなる人生を生きてきたのか。この一点であろう。
御義口伝には、『自身法性の大地を生死生死と転(め)ぐり行くなり』(P724)と仰せになられた。
妙法は、永遠不滅の大法則である。なれば、妙法を唱え、広宣流布に生き抜く私たちの生命もまた、永遠不滅であり、金剛不壊である。生の時も、死の時も、私たち自身が南無妙法蓮華経の当体として、「法性の大地」すなわち「常楽我浄の大地」の上を、必ず必ず悠然と進んでいくことができるのだ。
ゆえに、何があっても、断じて恐れることはない。

日蓮大聖人は、齢(よわい)90の老いたる姑を真心込めて介護し、その安らかな臨終を慈愛深く看取った富木常忍の夫人を最大に労い、讃えてくださっている。
看病の辛労もあったのであろう、夫人は自らも大病との戦いが続いた。しかし負けなかった。
大聖人は、『我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき』(P976「富木尼御前御返事」)と励まされた。
長年、信心してきたのに、なぜ自分が病気になるのか、なぜ家族の介護が必要になるのか、などと、思い歎く必要は全くない。一切が「転重軽受」(重きを転じて軽く受く)であり、「変毒為薬」できる。
一つ一つ力を合わせ、信心で勝ち越えていく中で、家族が共に仏になる道が深く大きく開かれるのだ。
あの岡城址で一緒に「荒城の月」を歌った大分の多宝会の母は、多くの友人の幸せを願う宝友帳を抱えて、今も元気いっぱいに対話を重ねている。
「広宣流布のために生まれてきた私です。辛いことも、悲しいことも、すべてが使命とわかれば、感謝の涙が溢れてなりません。心の財で勝ちます」と。
わが学会員が、確信に満ちて、生命の宝塔を輝かせながら、大歓喜の人生を総仕上げしゆく姿こそ、長命を寿ぐ幸齢社会への何よりの光明であろう。
恩師・戸田城聖先生は、「烈風の中を、にっこり笑って、最後の日まで戦え!」と叫ばれた。
「多宝」の賢者のわが友よ、永遠に希望に燃えて、一緒に前へ前へ、進みゆこうではないか!

生き生きと
 誓願の旅
  三世まで
 常楽我浄の
  道を楽しく

2014年4月8日火曜日

2014.04.08 わが友に贈る

決意と出発の新年度。
変化の時期だからこそ
体調管理を万全に。
交通事故にも注意を。
信心即生活の日々たれ!

日厳尼御前御返事 P1262
『叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず』

◇希望の明日へ
永遠なる生命に包括されて宇宙法界を遊戯する"本有の生死"−−この"永遠の視座"に立脚するとき、初めて、現代医学のはらむ数々の難問に、生命・心の深き次元からの智慧の光を放つことができるであろう。その智慧は、慈悲に転じて、妙法の医師の心を勇気と情熱で燃やしつつ、人類救済の菩薩道へと向かっていくのである。
平1・10・3

☆名誉会長と共に新時代を開く第14回 御書を拝して大境涯を開け
アメリカでも青年部の教学運動が目覚ましい。尊き地涌の菩薩の使命に燃えている。
韓国・台湾では、壮年・婦人も青年と一体で教学試験に挑み、異体同心の団結が麗しい。アジア、南米、オセアニアで、さらに欧州やアフリカの友も、幸福と平和と希望の哲理を探究している。
「女子部は教学で立て」との恩師の指針を、全世界の華陽の友が実践している。
すごい時代だ。最高に尊い。うれしいことである。
御書を学べば、あらゆる難を乗り越える大確信がほとばしる。冬は必ず春となる! 不屈の勇気が湧いてくる。

戸田先生はリーダーに、よく語られた。
「疲れた時にこそ、御書を拝読していけ! たとえ一行でも、二行でもよい。御書を拝して、自らの境涯を、もう一歩、開くのだ」
戦後、師と共に苦境を乗り越えた青春の日々。私は日記に御書を記した。
『法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼう(金棒)たるべし』(P1124「経王殿御返事」)
──法華経という剣は、勇気ある信心の人が用いてこそ役に立つのであり、これこそ「鬼に金棒」なのである──
病との闘いも続いたが、その中で、教学を学び、弘教に励んだ。友人と会う約束を反故(ほご)にされたり、座談会に新来者を迎えられなかったり、それでも奮起して挑戦した。仏道修行こそが、真の人生の価値を生むからだ。
「煩悩即菩提」「変毒為薬」の法理のごとく、広布に戦えば、悩みは全部、成長の因に変わる。疲れは充実と喜びに変わる。これが「妙法」である。その功徳は永遠である。

2014年4月7日月曜日

2014.04.07 わが友に贈る

「悪知識を捨てて
善友に親近せよ」
良き同志・先輩を
持つことが幸福の道!
共に励まし進もう!

法華経題目抄 P940
『たとひさとりなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者なりたとひさとりあるとも信心なき者は誹謗闡提の者なり』

◇今週のことば
新入生・新社会人と共に
フレッシュに出発だ。
勝利の力は朝にあり。
朗々たる勤行唱題で
きょうも勝ち戦を!
2014年04月07日

◇希望の明日へ
仏法では仏のことを「医王」「大医王」と呼び、たたえている。ここに表れているように、本来、仏法の目的は、心身両面の生命の安穏にあり救済にある。「生命の医師」こそ仏法者の使命にほかならない。その点では医学の目的と、まったく矛盾しない。事実、釈尊の時代にも、名医・耆婆大臣をはじめ、多くの医師が仏法を根本に懸命に医療活動に従事していた。また、いわゆる"仏教医学"も後に発展した。こうした意味から、仏法者と医師とは、生命の尊厳を守り、実現するための、同志ともいえよう。そのうえで、どちらかといえば、仏法は人間の深奥の"心"の側から生命全体の救済へと向かう。医学の方は身体の側から、あるいは病理として表面に現れた心理現象の面から、生命の治癒へと向かう。そういう傾向性の違いがある。両者が手を携えて、人類の幸福と安穏へ、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える。慈悲の内容)の共闘を行っていくべきである。
平1・3・22

◎2カ月ぶりに再開します。
この間、仕事が超多忙で休日は殆ど"仕事漬け"
また、頑張ります(^O^)