多宝・宝寿・錦宝会の皆様
心も若々しく健康で!
自信と学会の
大勝利を祈り勝て!
上野殿御返事 P1561
『とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ』
◇四季の語らい
仏法は「自身の成長」と「生活の向上」のためにある。どこまでも「現実」の人生に根ざしている。そして家庭に、地域に、社会に、「和楽」を広げるための智慧の源泉である。
◇今日のことば365
立派な人は
泣く事を知る
叱責することを知る
じっと忍ぶことを知る
人の悩みを知る
☆新時代第21回本部幹部会でのスピーチ
いかなる組織であれ、柱となる人間が立派になれば、後輩も皆、立派に育つ。
要は、自分だ。師子王のごとき自分自身であるかどうかだ。
若き日より私は、汚れのない、きれいな心で御本尊に仕え、広布の師に仕えるのが学会の姿であると信じ、戸田先生のために戦ってきた。
師への尊敬と法恩を忘れてしまえば、その一念に狂いが生じる。
学会は信心の世界である。大聖人直結の世界である。
"遊び" "威張り" "腐敗"がはびこる世界とは正反対の、峻厳なる師弟の世界でなければならない。
師弟ある限り、学会は崩れない。
皆で、素晴らしい学会を創ろう!
皆が「師と同じ心」で進む。それが三代の師弟の心であり、願いである。大聖人、釈尊の心に連なる。それが「慢心」を打ち破る力となる。
このように厳しいことを申し上げるのも、学会が仏法の世界だからである。
世間の立場や仕事の肩書などは、信心の位とは関係ない。信心強き人が、最も尊貴なのである。
ゆえに創価のリーダーは、広布へ戦う友に尽くすのである。それができる人が、偉大な人である。できない人には、創価の指導者の資格はない。
★実践
仏法も行動のなかにある。
正義は受難のなかにある。
幸福は"戦い続ける不屈さ"のなかにある。