◇今週のことば
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
声が仏の仕事を為す。
誇りと自信をもって
希望の大哲学を語れ!
2020年2月17日
同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさずかはるかはる天にのぼて申し候と仏説き給う、此の事ははや天もしろしめしぬらん、たのもししたのもしし』
【通解】
人の身には、同生と同名という二人の使いを、天は、その人が生まれたときからつけておられ、(この二人の神は)影が身に随うように、寸時も離れず、その人の大罪・小罪・大功徳・小功徳を少しもおとさず、かわるがわる天に昇って報告していると、仏は説いておられます。このこと(=日眼女が夫の四条金吾を佐渡までつかわせたこと)は、すでに天も知っていることでありましょう。まことに、頼もしいことです。
名字の言 飛行機が飛べるようになったのは、なぜ? 2020年2月17日
上空に小さく見えるジェット機。なぜ、あんなに重そうな"機械"が空を飛べるのか不思議に思うことがある。ライト兄弟の有人動力飛行から117年。考えてみれば、人類史のほとんどで、人は空を飛べないのが"常識"だった▼有史以来、多くの人が空に挑んでは失敗し、嘲笑された。ライト兄弟の"成功"に対しても、飛行距離の短さや目撃証人の少なさから、当時の科学者やマスコミは"機械が空を飛ぶことは科学的に不可能"と冷淡だったという▼こうした歴史を踏まえ、神戸大学の中屋敷均教授は、理論的に飛行が可能だったから人が飛行機を造ったのではない、と強調する。「『分からないこと』を含んだまま、人は飛んだのだ」「人は飛べるから飛んだのではない。飛びたいから、飛んだのである」(『科学と非科学』講談社現代新書)▼先人の飽くなき努力を思うとともに、不可能を可能にする人の共通点に気付く。それは、困難の壁を前にしたとき、"突破できるかどうか"ではなく、"突破するにはどうするか"と考えていること。その胸には、やむにやまれぬ情熱が燃えている▼広布の道もまた、創価の師弟が誓願の祈りで、不可能を可能にしてきた歴史。まず"壁を破る"と決めて祈り、ダイナミックに行動しよう。(文)
寸鉄 2020年2月17日
本当の決意込めた題目を—戸田先生。壁破る秘訣ここに。必ず勝つと決め
男子部大学校・白蓮Gが各地で入卒式。新しい力の台頭。共に拡大に挑戦
農漁光部の日。食を支え、命を守る同志に最敬礼。健康・長寿・大福徳を祈る
流感と同様の対策が新型肺炎の感染防ぐ—専門家手洗い等励行。小事から
東京五輪を復興五輪に—期待の声高まる。東北と共に不撓不屈の心を発信
☆2月度「御書講義」の参考 諸法実相抄
◇人を救う使命に立てば勇気も湧くし力も出る
2月度の「御書講義」では「諸法実相抄」を学びます。拝読範囲は「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし……釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり」(御書1360ページ6行目〜13行目、編年体御書549ページ6行目〜13行目)です。ここでは、学習の参考として、本抄の背景と大意、さらに理解を深めるための解説を掲載します。
◇背景と大意
本抄は、文永10年(1273年)5月、流罪地・佐渡で著され、最蓮房に与えられたお手紙とされています。
また、最蓮房については、天台宗の学僧でしたが、何かの理由で佐渡に流され、そこで日蓮大聖人と出会い、弟子になったと伝えられています。
追申に「日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」(御書1362ページ)と記されているように、大聖人の仏法の肝要の法門が示されているのが本抄です。
はじめに、法華経方便品第2に説かれる「諸法実相」の法理に関して、"地獄界から仏界までの十界のあらゆる衆生と、その衆生の住む世界"(諸法)が、そのまま、ことごとく「妙法蓮華経」(実相)の姿であることが述べられています。
続いて、末法にあって、地涌の菩薩の上首(リーダー)である上行菩薩が弘通すべき妙法を、大聖人が弘め、御本尊を顕したことが示され、御自身が「地涌の菩薩のさきがけ」(同1359ページ)であると述べられます。
更に、大聖人と同じ心に立って、自行化他にわたる唱題の実践に励む人は皆、地涌の菩薩であり、「二人・三人」と妙法が弘まっていく「地涌の義」によって、必ず広宣流布が実現することは間違いないとの確信を示され、どこまでも法華経に身を任せていくよう促されます。
最後に「信・行・学」が仏道修行の根本であることを述べられ、信心強盛に行学の二道に励んでいくよう勧められて本抄を結ばれています。
◇参考1 地涌の菩薩
「地涌の菩薩」とは、どういう菩薩なのでしょうか。
法華経の従地涌出品第15で、突然、地から涌出した無数の立派な菩薩のことです。
涌出品で、説法の場に居た無数の菩薩が、"仏の滅後に、娑婆世界で法華経を弘通したい"と、釈尊に請います。
しかし釈尊は、"止めなさい。あなたたちに、この法華経を護持させるわけにはいかない"と、その願いを退けました。
そして"この娑婆世界には、私の滅後に法華経を説く、無量の菩薩がいる"と、末法に弘通を託すべき本物の弟子である菩薩がいることを宣言します。
そして、大地から立派な姿で涌出した菩薩が、「地涌の菩薩」です。
それぞれが六万恒河沙という無量の眷属(仲間)を率いています。
これらの無数の地涌の菩薩の上首(リーダー)が上行・無辺行・浄行・安立行という四菩薩です。
「地涌の菩薩」とは、仏滅後、なかんずく末法に妙法流布の使命を担い、この世に出現した尊い存在なのです。
◇参考2 難問答に巧み
なぜ釈尊は、他の菩薩に、滅後の弘通を託さなかったのでしょう。
それは、仏の滅後に法華経を受持することが、難事中の難事だからです。ゆえに釈尊は、自ら教化してきた直弟子の「地涌の菩薩」に末法悪世の弘通を託したのです。
法華経には「地涌の菩薩」の特質が記されています。「志が固い」「偉大な忍耐力がある」「蓮華が泥水に染まらずに咲くように、濁世にあって世俗に染まらない」「種々の法を説いて畏れる心がない」「難問答に巧みである」……。
悪世末法にあって、本抄に説かれるように「地涌の義」を現実にできるのは、これらの特質を具えた「地涌の菩薩」だからです。
法華経で妙法流布を託された通りに、末法の初めに出現して、南無妙法蓮華経を万人に説き、御本尊を顕され、不惜身命で弘通されたのが、末法の御本仏である日蓮大聖人です。
この意義から、大聖人御自身こそ「地涌の菩薩」、なかんずく上行菩薩に当たります。
さらに「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せの通り、大聖人と同心で戦う同志も「地涌の菩薩」なのです。
◇参考3 仏と師弟不二
仏の願いは、「令法久住」、つまり未来永遠にわたって妙法が伝えられるようにすることです。
池田先生は語っています。
「仏という『一人』から『全民衆』への正法広宣流布を担うのは、いかなる国土であってもつねに『地涌の菩薩』なのです。
それはなぜか。『地涌の菩薩』とは、内証の境涯が『仏』と同じでありながら、しかも、どこまでも『菩薩』として行動していくからです。いわば『菩薩仏』です。
境涯が『仏』と師弟不二でなければ、正法を正しく弘めることはできない。しかも現実の濁世で、世間のなかへ、人間群のなかへと同化して入っていかなければ広宣流布はできない。この両方の条件を満たしているのが『地涌の菩薩』なのです」(『法華経の智慧』普及版<下>)
「地涌の菩薩」として、三世にわたる師弟の宿縁を自覚した時、宿命を使命と輝かせることができます。
どこまでも民衆の中に入って、目の前の一人に同苦し、救わんと奮闘する生命に、仏界が涌現するのです。
◇池田先生の指針から
1、同じ心で戦う人
日蓮大聖人は仰せです。
——このたび、信心をしたからには、いかなることがあろうとも、「法華経の行者」として生き抜き、「日蓮が一門」との最高の誉れの人生を歩み通していきなさい、と。
私たちは、ひとたび決めたこの道を、誇り高く厳然と進んできました。
そして「日蓮と同意」、すなわち大聖人と同じ心で広宣流布に戦う人は「地涌の菩薩」であり、「釈尊久遠の弟子」にほかなりません。
私どもも、何ものも断ち切ることのできない、永遠の生命の絆で結ばれた宿縁の師弟として、共に広宣流布の誓いに生き抜く同志であります。
まさに創価学会は、「日蓮と同意」のままに、大聖人の御遺命である広宣流布実現へ、不惜の行動を貫いてきました。
しかも、妙法五字を弘める地涌の大使命にあっては、「男女はきらふべからず」(御書1360ページ)と仰せのごとく、男女の分け隔てなど、いかなる差別もなく、万人が平等に尊い地涌の活躍の舞台を現出してきたのです。
2、なんと偉大な誓願
「時」をいえば悪世末法、その「国土」をいえば娑婆世界が、地涌の菩薩の使命の舞台です。一番大変な条件を選んで、一番苦しんでいる民衆のために"今ここで戦う"と立ち上がったのです。
仏法は「願兼於業」を説きます。
人々を救うために自ら願って困難なところに生まれたのであると、受動的な人生から、自発能動の人生に転換するのです。自らの誓願で「宿業を使命に変える」のです。
久遠の使命の自覚によって、新たな自分に生まれ変わる。自身の発迹顕本をして、本当の自分の力を解き放つのです。
地涌の生命に目覚めた人に、何も恐れはありません。多くの人を救う使命に立てば、勇気も湧くし、力も出る。
なんと不思議な宿縁でしょうか。
なんと偉大な誓願でしょうか。
◇ ◇ ◇
地涌の使命は、あまりにも大きい。あまりにも崇高です。民族や人種、国籍や性別など一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命——人類共通のルーツに基づく使命といってもよい。それに気づくことを「地涌」というのです。
いかなる人も尊極の生命の当体です。互いに励まし合い、尊敬し合いながら、今この地上に生きる仲間として、自他共の無限の可能性を開き、幸福と平和という価値を創造する底力がある。偉大な使命があるのです。
その使命に生きることを誓って現実社会に躍り出たのが、私たちなのです。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第17巻)
2020年2月17日月曜日
2020年2月16日日曜日
2020.02.16 わが友に贈る
「折伏」とは
幸福への最極の道。
世界平和の最短距離だ。
慈悲を勇気に代えて
朗らかに挑み抜こう!
開目抄下 P235
『我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし』
【通解】
わが弟子に朝に夕に教えてきたが、難にあって疑いを起こし、みな退転してしまったようである。愚かな者の習いは、約束したことをまことの時には忘れてしまうという事であろう。
名字の言 知ってますか?「がん哲学外来」 2020年2月16日
多くのがん患者が、そこを訪れると笑顔になるという。医学的な治療ではなく、「対話」によって患者や家族を支援する交流の場「がん哲学外来」。今、各地で開かれ、注目を集めている▼この活動のモットーは「偉大なるお節介」を焼くこと。担当医は、時に自分の時間や用事より優先してでも、心を込めて利用者に寄り添う。意識を集中して相手の話をじっくり聴き、一緒に使命や希望を見いだしていく。それこそが「偉大なるお節介」▼逆に、一方的にしゃべったり、自分の思いを押し付けたりすると、相手は心を閉ざしてしまいがち。それでは「余計なお節介」になる(樋野興夫著『がん哲学外来へようこそ』)▼多宝会の先輩が、励ましの秘訣を教えてくれた。一つは「あえて暇そうにすること」。誰しも、忙しそうにしている人に心を開いての会話はしづらい。次に「相手の話を最後まで聴く。そして話が一区切りついたと思っても、しばらく待つこと」。一番言いたいことや本音は、語り終えた後に出てくることが多いからという▼悩んでいる友は、具体的な助言以上に、気持ちを受け止めてほしいと願っているもの。だからこそ忍耐強く耳を傾け、真剣に寄り添うよう努める——人を励まし、共に成長するために、その姿勢を貫きたい。(実)
寸鉄 2020年2月16日
日蓮と同じく—この法華弘通の魂は学会に脈々。大聖人御聖誕日に心新た
千葉の日。さあ皆で勇敢に拡大へ!新時代の勝利の旭日を有縁の天地から
広宣流布といっても要は人材の城をつくることだ—恩師。励まし、幾重にも
職場で挫折克服した人ほど仕事でやりがい感じる—調査。苦難は宝と前へ
ヘルプマークの認知度が向上。見掛けたら配慮を。その善意が共助社会の力
☆明日を照らす テーマ:仏法は勝負 2020年2月11日
「御書を拝することは、御本仏の魂に直接、触れることだ。仏の生命を湧き出し、いかなる試練も必ず乗り越えていける。教学は、希望の大光なり。教学は、励ましの泉なり。教学は、破邪顕正の剣なり」(『池田大作先生が贈る 青春勝利の大道』)
新連載「明日を照らす」では、日蓮大聖人の御聖訓を拝しながら、私たちの正しき人生の航路を示す光源となる仏法の法理を学んでいきます。初回のテーマは「仏法は勝負」。日々のあらゆる局面を勝ち越えるための、勇気と智慧を胸に刻んでいきましょう。
◇御文
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり』(四条金吾殿御返事、1165ページ)
◇"必ず勝つ"と一念を定め
【通解】そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を根本としている。故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。
"正しい仏法は必ず勝つ"との日蓮大聖人の御確信が込められた一節です。
本抄を頂いた四条金吾は、幕府の有力な一族である江間氏に仕えた武士です。
極楽寺良観の信奉者であった主君・江間氏を折伏したため不興をかった金吾は、建治3年(1277年)には、同僚の讒言を信じた江間氏から"法華経の信仰をやめなければ所領を没収する"と迫られました。
金吾はこれを敢然と拒否し、不退転の決意を大聖人に報告します。そうした中、苦境の弟子を励ます書信に認められたのが、この御文です。
当時の中世武家社会では主従関係が重んじられ、武士たちの命運を左右するのは、主君による「賞罰」でした。よって、王法(世法)においては"賞罰を根本としている"と仰せられていると拝されます。
ところが、大聖人は、"仏法においては勝負こそが第一である"と仰せになりました。これは、主君による弾圧という苦難を「賞罰」という世間の表面的な次元から捉えるのではなく、信心の眼で仏と魔との「勝負」として捉え、"絶対に負けてはならない"と励まされているのです。
渾身の激励を受けた金吾は、その後、主君の信頼を勝ち取り、以前の3倍の所領を与えられたのでした。
ある意味で、人生は困難の連続であるからこそ、信心を根本に一つ一つの課題を勝ち越えることで自身が鍛えられ、幸福をつかんでいけるのです。
何よりもまず、奥底の一念を"断じて勝つ"と定めることが勝利の因となることは間違いありません。
◇御文
『師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(経王殿御返事、1124ページ)
◇弛まず全力を尽くす
【通解】師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時にも、その飛びかかる勢いは、全く同じである。
師子王はどんな相手にも全力で挑み、打ち破ると仰せです。
本抄を頂いた門下には病を抱える子どもがいました。日蓮大聖人は、仏の大生命力を師子王の振る舞いに譬えられ、病魔を打ち破るための、強盛な信心や確信の祈りについてつづられています。
ある年頭、池田先生はこの御文を拝して語りました。
「小事が大事である。広布の活動のうえでも、仕事のうえでも、家庭も人生も、すべて油断なく、知恵をしぼり、努力を重ねて、堂々たる栄光の一年を勝ち取っていただきたい」
地道な日々の"勝利"なくして、人生の"大勝利"はつかめません。努力を怠っていながら、立派な成果を求めるのは夢物語にすぎないのです。
"これくらいなら"と手を抜く油断や、"誰も気付かないだろう"といった慢心に敗北の原因が潜んでいます。
信心の眼で見れば、最も注意すべきは環境ではなく、自身の心の隙だといえます。
ゆえに、小さなこと、簡単に思えることを軽んじることなく、全魂を傾けて挑戦していくことが肝要です。
本抄で示されたように、どんな小さなことも御本尊に強盛に祈念する——そうすれば諸天善神の働きで必ず守られていきます。また、仏界の生命を開いて、どんな苦難にも勇気を奮い起こして挑んでいくことができるのです。
一日一日を焦らず、弛まず勝ちゆく先に、自身の幸福境涯が築かれることを確信して前進していきましょう。
幸福への最極の道。
世界平和の最短距離だ。
慈悲を勇気に代えて
朗らかに挑み抜こう!
開目抄下 P235
『我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし』
【通解】
わが弟子に朝に夕に教えてきたが、難にあって疑いを起こし、みな退転してしまったようである。愚かな者の習いは、約束したことをまことの時には忘れてしまうという事であろう。
名字の言 知ってますか?「がん哲学外来」 2020年2月16日
多くのがん患者が、そこを訪れると笑顔になるという。医学的な治療ではなく、「対話」によって患者や家族を支援する交流の場「がん哲学外来」。今、各地で開かれ、注目を集めている▼この活動のモットーは「偉大なるお節介」を焼くこと。担当医は、時に自分の時間や用事より優先してでも、心を込めて利用者に寄り添う。意識を集中して相手の話をじっくり聴き、一緒に使命や希望を見いだしていく。それこそが「偉大なるお節介」▼逆に、一方的にしゃべったり、自分の思いを押し付けたりすると、相手は心を閉ざしてしまいがち。それでは「余計なお節介」になる(樋野興夫著『がん哲学外来へようこそ』)▼多宝会の先輩が、励ましの秘訣を教えてくれた。一つは「あえて暇そうにすること」。誰しも、忙しそうにしている人に心を開いての会話はしづらい。次に「相手の話を最後まで聴く。そして話が一区切りついたと思っても、しばらく待つこと」。一番言いたいことや本音は、語り終えた後に出てくることが多いからという▼悩んでいる友は、具体的な助言以上に、気持ちを受け止めてほしいと願っているもの。だからこそ忍耐強く耳を傾け、真剣に寄り添うよう努める——人を励まし、共に成長するために、その姿勢を貫きたい。(実)
寸鉄 2020年2月16日
日蓮と同じく—この法華弘通の魂は学会に脈々。大聖人御聖誕日に心新た
千葉の日。さあ皆で勇敢に拡大へ!新時代の勝利の旭日を有縁の天地から
広宣流布といっても要は人材の城をつくることだ—恩師。励まし、幾重にも
職場で挫折克服した人ほど仕事でやりがい感じる—調査。苦難は宝と前へ
ヘルプマークの認知度が向上。見掛けたら配慮を。その善意が共助社会の力
☆明日を照らす テーマ:仏法は勝負 2020年2月11日
「御書を拝することは、御本仏の魂に直接、触れることだ。仏の生命を湧き出し、いかなる試練も必ず乗り越えていける。教学は、希望の大光なり。教学は、励ましの泉なり。教学は、破邪顕正の剣なり」(『池田大作先生が贈る 青春勝利の大道』)
新連載「明日を照らす」では、日蓮大聖人の御聖訓を拝しながら、私たちの正しき人生の航路を示す光源となる仏法の法理を学んでいきます。初回のテーマは「仏法は勝負」。日々のあらゆる局面を勝ち越えるための、勇気と智慧を胸に刻んでいきましょう。
◇御文
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり』(四条金吾殿御返事、1165ページ)
◇"必ず勝つ"と一念を定め
【通解】そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を根本としている。故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。
"正しい仏法は必ず勝つ"との日蓮大聖人の御確信が込められた一節です。
本抄を頂いた四条金吾は、幕府の有力な一族である江間氏に仕えた武士です。
極楽寺良観の信奉者であった主君・江間氏を折伏したため不興をかった金吾は、建治3年(1277年)には、同僚の讒言を信じた江間氏から"法華経の信仰をやめなければ所領を没収する"と迫られました。
金吾はこれを敢然と拒否し、不退転の決意を大聖人に報告します。そうした中、苦境の弟子を励ます書信に認められたのが、この御文です。
当時の中世武家社会では主従関係が重んじられ、武士たちの命運を左右するのは、主君による「賞罰」でした。よって、王法(世法)においては"賞罰を根本としている"と仰せられていると拝されます。
ところが、大聖人は、"仏法においては勝負こそが第一である"と仰せになりました。これは、主君による弾圧という苦難を「賞罰」という世間の表面的な次元から捉えるのではなく、信心の眼で仏と魔との「勝負」として捉え、"絶対に負けてはならない"と励まされているのです。
渾身の激励を受けた金吾は、その後、主君の信頼を勝ち取り、以前の3倍の所領を与えられたのでした。
ある意味で、人生は困難の連続であるからこそ、信心を根本に一つ一つの課題を勝ち越えることで自身が鍛えられ、幸福をつかんでいけるのです。
何よりもまず、奥底の一念を"断じて勝つ"と定めることが勝利の因となることは間違いありません。
◇御文
『師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(経王殿御返事、1124ページ)
◇弛まず全力を尽くす
【通解】師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時にも、その飛びかかる勢いは、全く同じである。
師子王はどんな相手にも全力で挑み、打ち破ると仰せです。
本抄を頂いた門下には病を抱える子どもがいました。日蓮大聖人は、仏の大生命力を師子王の振る舞いに譬えられ、病魔を打ち破るための、強盛な信心や確信の祈りについてつづられています。
ある年頭、池田先生はこの御文を拝して語りました。
「小事が大事である。広布の活動のうえでも、仕事のうえでも、家庭も人生も、すべて油断なく、知恵をしぼり、努力を重ねて、堂々たる栄光の一年を勝ち取っていただきたい」
地道な日々の"勝利"なくして、人生の"大勝利"はつかめません。努力を怠っていながら、立派な成果を求めるのは夢物語にすぎないのです。
"これくらいなら"と手を抜く油断や、"誰も気付かないだろう"といった慢心に敗北の原因が潜んでいます。
信心の眼で見れば、最も注意すべきは環境ではなく、自身の心の隙だといえます。
ゆえに、小さなこと、簡単に思えることを軽んじることなく、全魂を傾けて挑戦していくことが肝要です。
本抄で示されたように、どんな小さなことも御本尊に強盛に祈念する——そうすれば諸天善神の働きで必ず守られていきます。また、仏界の生命を開いて、どんな苦難にも勇気を奮い起こして挑んでいくことができるのです。
一日一日を焦らず、弛まず勝ちゆく先に、自身の幸福境涯が築かれることを確信して前進していきましょう。
2020年2月15日土曜日
2020.02.15 わが友に贈る
令和の「二月闘争」も
いよいよ後半戦。
自ら定めた誓いを胸に
「強盛の大信力を致して」
悔いなき一日一日を!
顕仏未来記 P507
『爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん』
【通解】
しかしながら、如来滅後五五百歳において、四味・三教への邪な執心を捨てて実大乗教である法華経に帰依するならば、諸天善神ならびに地湧千界等の菩薩が必ず法華経の行者を守護するであろう。
名字の言 名将・野村克也氏の指導者論とは 2020年2月15日
名捕手として一時代を築き、監督としてもヤクルトスワローズを3度の日本一に導いた名将・野村克也氏。先日、84歳で亡くなった▼こうした実績もさることながら、氏が未来へ残した最大のものは「人材」であろう。教え子たちは今、球界を代表する指導者に。訃報に接した彼らが「野球のイロハを教えてもらった」と口々に感謝を語る姿が印象的だった▼野村氏が指導者として心掛けていたのは「つねに自分がレベルアップしていくこと」。「組織はリーダーの器以上には大きくならない」との信念で"この指導方法でいいのか"と自身に問い続けた。氏がこだわった「考える野球」は、選手に触発を与え、彼らの可能性を次々と開花させた(『野村再生工場』KADOKAWA)。氏の哲学は、教え子たちの手でさらに輝いていくに違いない▼人材育成で問われるのは、常に"育てる側"の姿勢であろう。相手の可能性を引き出すためには、"自身を磨き続ける"以外にない。自分の生命が澄んだ"鏡"のようになれば、必ず相手の長所も見えてくる▼その"鏡"を磨く確かな実践が信心といえよう。広宣流布の運動も、未来へ限りない人材の流れを創る絶えざる挑戦である。自分が成長した分だけ、広布のフィールドは広がっていく。(差)
寸鉄 2020年2月15日
難に負けない信心が永遠の幸福の城を築く—戸田先生。逆境こそ成長の時
「当に仏を敬うが如く」が最上第一の相伝。皆に使命。幹部は心して走れ
正義を守ること、これが人の務め—文豪。若師子よ破邪顕正の闘魂燃やせ
高齢者運転の死亡事故、最多要因は「操作の誤り」と。絶対に無事故第一で
四国で春一番。季節の変わり目は体調管理賢く。リズム正しい生活が根本
☆心に御書を 第20回 病は永遠の幸福への転機
〈御文〉
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしと・おもへば種種の大難・雨のごとくふり雲のごとくに・わき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』(四条金吾殿御書、1112ページ)
〈通解〉
日蓮は、この業障(餓鬼道に堕ちる悪業)を消し果てて、未来は霊山浄土へ行くことができると思っているから、種々の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、法華経のゆえであるので、苦をも苦とは思わない。
〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は、度重なる大難も悠然と勝ち越える姿を示してくださった。
妙法には、重き宿業を軽く受けて消滅させる大功力がある。病も、自身と家族が永遠に幸福になるための転機なのだ。一番大変な時に、一番大きく境涯を変えられる。
広布誓願の題目の師子吼で、断固と変毒為薬し、偉大な使命の勝利劇に転じゆくのだ!
☆対話のツボ 【問い】偏った考えに陥りたくない 2020年2月11日
新連載「対話のツボ」では、日蓮仏法を語るうえで、信仰の大切さをより深めていくポイントを取り上げていきます。
【問い】偏った考えに陥りたくない
宗教に抵抗があるという人から、こんな言葉を聞いたことがあります。
"宗教を信じることで本来の自分を失い、自由が束縛されるなど、望まない自身に変わってしまうのではないか不安だ"と。
また宗教に対して、"信者を狂信的にさせ、家庭や社会からも隔絶してしまう"といった偏頗なイメージを抱いている人も少なくありません。
しかし、日蓮大聖人の仏法は、各人の生き方や自由を束縛するものではありません。
私たち創価学会員は、どこまでも自発性の発露で信仰に励み、それぞれの課題に挑戦しています。また、信仰で磨いた人間性を発揮し、豊かな人間関係を育む場として、家庭や社会を大切にしています。
こうした信仰の実践を通して、本来の自分らしさが存分に生かされる智慧が湧き、思ってもみなかった充実した人生を歩んでいけるのです。
信仰の歓喜と宗教的使命感の自覚のもと、互いの個性や違いを尊重することで、多様な会員同士の団結も生まれます。仏法を学んだり、他者の信仰体験を聞いたりすることで、「考えが偏る」どころか、視野が広がり、幸福の土台を築く必要性を実感するでしょう。
その豊かな幸福の土台こそ日蓮大聖人の仏法です。よって、この仏法を持つことを安易に「偏った考えに陥る」と評するのは、「どの宗教も同じ」という宗教観をうのみにしているにすぎません。
現代に生きる、本当に勝れた宗教にこそ目を開いてほしいと念願します。
いよいよ後半戦。
自ら定めた誓いを胸に
「強盛の大信力を致して」
悔いなき一日一日を!
顕仏未来記 P507
『爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん』
【通解】
しかしながら、如来滅後五五百歳において、四味・三教への邪な執心を捨てて実大乗教である法華経に帰依するならば、諸天善神ならびに地湧千界等の菩薩が必ず法華経の行者を守護するであろう。
名字の言 名将・野村克也氏の指導者論とは 2020年2月15日
名捕手として一時代を築き、監督としてもヤクルトスワローズを3度の日本一に導いた名将・野村克也氏。先日、84歳で亡くなった▼こうした実績もさることながら、氏が未来へ残した最大のものは「人材」であろう。教え子たちは今、球界を代表する指導者に。訃報に接した彼らが「野球のイロハを教えてもらった」と口々に感謝を語る姿が印象的だった▼野村氏が指導者として心掛けていたのは「つねに自分がレベルアップしていくこと」。「組織はリーダーの器以上には大きくならない」との信念で"この指導方法でいいのか"と自身に問い続けた。氏がこだわった「考える野球」は、選手に触発を与え、彼らの可能性を次々と開花させた(『野村再生工場』KADOKAWA)。氏の哲学は、教え子たちの手でさらに輝いていくに違いない▼人材育成で問われるのは、常に"育てる側"の姿勢であろう。相手の可能性を引き出すためには、"自身を磨き続ける"以外にない。自分の生命が澄んだ"鏡"のようになれば、必ず相手の長所も見えてくる▼その"鏡"を磨く確かな実践が信心といえよう。広宣流布の運動も、未来へ限りない人材の流れを創る絶えざる挑戦である。自分が成長した分だけ、広布のフィールドは広がっていく。(差)
寸鉄 2020年2月15日
難に負けない信心が永遠の幸福の城を築く—戸田先生。逆境こそ成長の時
「当に仏を敬うが如く」が最上第一の相伝。皆に使命。幹部は心して走れ
正義を守ること、これが人の務め—文豪。若師子よ破邪顕正の闘魂燃やせ
高齢者運転の死亡事故、最多要因は「操作の誤り」と。絶対に無事故第一で
四国で春一番。季節の変わり目は体調管理賢く。リズム正しい生活が根本
☆心に御書を 第20回 病は永遠の幸福への転機
〈御文〉
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしと・おもへば種種の大難・雨のごとくふり雲のごとくに・わき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』(四条金吾殿御書、1112ページ)
〈通解〉
日蓮は、この業障(餓鬼道に堕ちる悪業)を消し果てて、未来は霊山浄土へ行くことができると思っているから、種々の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、法華経のゆえであるので、苦をも苦とは思わない。
〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は、度重なる大難も悠然と勝ち越える姿を示してくださった。
妙法には、重き宿業を軽く受けて消滅させる大功力がある。病も、自身と家族が永遠に幸福になるための転機なのだ。一番大変な時に、一番大きく境涯を変えられる。
広布誓願の題目の師子吼で、断固と変毒為薬し、偉大な使命の勝利劇に転じゆくのだ!
☆対話のツボ 【問い】偏った考えに陥りたくない 2020年2月11日
新連載「対話のツボ」では、日蓮仏法を語るうえで、信仰の大切さをより深めていくポイントを取り上げていきます。
【問い】偏った考えに陥りたくない
宗教に抵抗があるという人から、こんな言葉を聞いたことがあります。
"宗教を信じることで本来の自分を失い、自由が束縛されるなど、望まない自身に変わってしまうのではないか不安だ"と。
また宗教に対して、"信者を狂信的にさせ、家庭や社会からも隔絶してしまう"といった偏頗なイメージを抱いている人も少なくありません。
しかし、日蓮大聖人の仏法は、各人の生き方や自由を束縛するものではありません。
私たち創価学会員は、どこまでも自発性の発露で信仰に励み、それぞれの課題に挑戦しています。また、信仰で磨いた人間性を発揮し、豊かな人間関係を育む場として、家庭や社会を大切にしています。
こうした信仰の実践を通して、本来の自分らしさが存分に生かされる智慧が湧き、思ってもみなかった充実した人生を歩んでいけるのです。
信仰の歓喜と宗教的使命感の自覚のもと、互いの個性や違いを尊重することで、多様な会員同士の団結も生まれます。仏法を学んだり、他者の信仰体験を聞いたりすることで、「考えが偏る」どころか、視野が広がり、幸福の土台を築く必要性を実感するでしょう。
その豊かな幸福の土台こそ日蓮大聖人の仏法です。よって、この仏法を持つことを安易に「偏った考えに陥る」と評するのは、「どの宗教も同じ」という宗教観をうのみにしているにすぎません。
現代に生きる、本当に勝れた宗教にこそ目を開いてほしいと念願します。
2020年2月14日金曜日
2020.02.14 わが友に贈る
生命の輝きは
「声」に表れる。
皆をパッと明るくする
豊かな声を響かせよう!
幸福を願う心を込めて!
唱法華題目 P7
『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』
【通解】
悪知識というのは、甘い言葉で語りかけ、いつわり、こび、言葉巧みに、愚かな人の心を取って、善心(仏道修行に励もうとする心)を破るということである。
名字の言 NHKラジオ「うたのおばさん」が生み出した名曲 2020年2月14日
「めだかの学校」「ぞうさん」「とんぼのめがね」——今も歌い継がれるこれらの童謡はNHKのラジオ番組から生まれた▼日曜を除く午前8時45分から15分間、1949年から15年にわたり放送された「うたのおばさん」。作詞・作曲家らと共に多くの名曲を生み出したのが、番組ディレクターの武井照子さんだ▼番組を通して出会った人々の中でも、特に詩人のまど・みちお氏の言葉が忘れられないという。「自分の目で見て、感じたことを言葉にするしか、出来ないのですよ」。控えめに語る詩人に、武井さんは自らを省みてハッとした。「当たり前のことなのだが、今それが出来なくなっている」と。「まどさんの詩を読むと、難しい言葉はないし、すっと体に入ってくる」「平明で易しい言葉なのに、天地を感じる」(『あの日を刻むマイク』集英社)▼感じたことを率直に語る——簡単なようで、これほど難しいことはないかもしれない。私たちの対話にも通じよう。あれこれ思い悩んだ時には、今、自分が感じていることをそのまま伝える方が相手の心に届くものだ▼池田先生は「見栄を張ったり、無理に飾る必要はない。どこまでも自分らしく、わが信念を誠心誠意、語っていくのだ」と。きょうも心を結ぶ対話を、繕わず、ありのままの言葉で。(誼)
寸鉄 2020年2月14日
我らの座談会は語らいの花咲く生命のオアシス。全幹部が総力で励ましを
岡山の日。希望の春呼ぶ勇気の対話拡大。友の心に師弟共戦の炎は赤々と
新入会者が各地で誕生。皆、尊極な地涌の菩薩だ。共に学び動き共に成長!
花粉飛散、例年より早く。先手先手の予防で症状が緩和と。賢く健康第一で
南極で18・3度、観測史上の最高気温。事実直視し気候変動対策を加速せよ
☆信行錬磨の春季フリー研修 3月25日から29日まで全国15会場で実施
伝統の「春季フリー研修」が3月25日から29日まで、全国15の会館・研修道場等で実施される。
自由なスケジュールで各会場を訪問することができ、勤行・唱題のほか、敷地内の見学や散策などが楽しめる。
期間中、各会場では、午前11時からと午後1時半からの2回、勤行会が行われる。また、実施会場ごとに、来館記念のスタンプやしおり、記念撮影用の看板等が用意されている。
各地の広布史に触れ、幸と希望の語らいを広げる絶好の機会となろう。
【実施会場・連絡先・所在地・主要交通機関】
東京戸田記念講堂
電話 03-5567-1711
東京都豊島区巣鴨2-10-21
JR山手線または都営地下鉄三田線の巣鴨駅下車、徒歩3分
大田池田文化会館
電話 03-5741-7211
東京都大田区下丸子4-22-1
東急多摩川線の下丸子駅または鵜の木駅下車、徒歩10分
神奈川文化会館
電話 045-640-4500
神奈川県横浜市中区山下町7-1
みなとみらい線の元町・中華街駅下車、1番出口から徒歩3分
埼玉文化会館
電話 048-862-7111
埼玉県さいたま市桜区西堀5-14-10
JR埼京線の中浦和駅下車、徒歩20分。またはJR武蔵野線の西浦和駅下車、徒歩15分
関西文化会館
電話 06-6766-3055
大阪府大阪市天王寺区餌差町10-44
JR大阪環状線、地下鉄、近鉄各線の鶴橋駅または近鉄の大阪上本町駅下車、徒歩10分
京都国際文化会館
電話 075-253-1900
京都府京都市中京区八町目532(東堀川通竹屋町下ル)
地下鉄東西線の二条城前駅下車、2番出口から北へ徒歩7分
兵庫池田文化会館
関西国際文化センター
電話 078-265-0700
兵庫県神戸市中央区浜辺通6-3-16
JR三ノ宮駅、阪急・阪神の神戸三宮駅、地下鉄の三宮駅下車、徒歩12分
東北文化会館
電話 022-783-9406
宮城県仙台市宮城野区苦竹3-2-1
JR仙石線の苦竹駅下車、徒歩15分。またはJR仙台駅からタクシーで約15分
新潟池田文化会館
電話 025-257-1400
新潟県新潟市中央区長潟2-26-1
JR新潟駅南口から南部営業所行きバス(S6長潟線)で「北谷内」下車、徒歩10分
北陸研修道場
電話 0767-66-2911
石川県七尾市中島町小牧セ部1
のと鉄道の能登中島駅からタクシーで10分
広島池田平和記念会館
電話 082-506-4111
広島県広島市東区光町1-15-39
JR広島駅から徒歩8分
四国研修道場
電話 087-869-9111(四国池田文化会館直通)
香川県高松市庵治町157-1
JR高松駅から「ことでんバス」庵治温泉行きで「舟かくし」下車、徒歩1分
福岡研修道場
電話 092-327-1131
福岡県糸島市志摩師吉1423-1
JR筑前前原駅からタクシーで約15分
宮崎研修道場
電話 0985-55-4141
宮崎県宮崎市大字加江田字松添7351-2
宮崎空港からタクシーで15分。またはJR日南線の子供の国駅下車、徒歩5分
沖縄研修道場
電話 098-982-3030
沖縄県国頭郡恩納村字谷茶1172
那覇市内から名護行きバス(名護西線)で「谷茶の丘」下車、徒歩10分
※上記の連絡先は、期間中のみの対応となります。
【実施期間】
3月25日(水)から29日(日)まで。開館時間は、午前10時から午後4時まで。
【参加方法】
�参加希望者は、壮年部の本部長に申し込み、本部長が署名・押印した全国共通の「フリー研修参加証」を受け取ってください。
�1枚の「参加証」で家族も参加できます(未入会家族も含む)。また、期間中であれば、実施会場の会館・研修道場等を何カ所でも訪問できます。
�交通機関や宿泊等の手配は、各自で行ってください。
※沖縄研修道場では、春季フリー研修のほかに、「研修道場自由見学会」が実施されています。
〈沖縄研修道場〉
自由見学会の実施期間は、年末年始を除く通年。開館時間は、午前10時から午後4時まで。休館日は毎週火曜。年末年始の休館期間については直接、研修道場にお問い合わせください。
※なお、函館研修道場(北海道)、長野青年研修道場(霧ケ峰)での「研修道場自由見学会」は、春季は実施しません。詳しくは、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」(www.sokanet.jp)でご確認ください。
「声」に表れる。
皆をパッと明るくする
豊かな声を響かせよう!
幸福を願う心を込めて!
唱法華題目 P7
『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』
【通解】
悪知識というのは、甘い言葉で語りかけ、いつわり、こび、言葉巧みに、愚かな人の心を取って、善心(仏道修行に励もうとする心)を破るということである。
名字の言 NHKラジオ「うたのおばさん」が生み出した名曲 2020年2月14日
「めだかの学校」「ぞうさん」「とんぼのめがね」——今も歌い継がれるこれらの童謡はNHKのラジオ番組から生まれた▼日曜を除く午前8時45分から15分間、1949年から15年にわたり放送された「うたのおばさん」。作詞・作曲家らと共に多くの名曲を生み出したのが、番組ディレクターの武井照子さんだ▼番組を通して出会った人々の中でも、特に詩人のまど・みちお氏の言葉が忘れられないという。「自分の目で見て、感じたことを言葉にするしか、出来ないのですよ」。控えめに語る詩人に、武井さんは自らを省みてハッとした。「当たり前のことなのだが、今それが出来なくなっている」と。「まどさんの詩を読むと、難しい言葉はないし、すっと体に入ってくる」「平明で易しい言葉なのに、天地を感じる」(『あの日を刻むマイク』集英社)▼感じたことを率直に語る——簡単なようで、これほど難しいことはないかもしれない。私たちの対話にも通じよう。あれこれ思い悩んだ時には、今、自分が感じていることをそのまま伝える方が相手の心に届くものだ▼池田先生は「見栄を張ったり、無理に飾る必要はない。どこまでも自分らしく、わが信念を誠心誠意、語っていくのだ」と。きょうも心を結ぶ対話を、繕わず、ありのままの言葉で。(誼)
寸鉄 2020年2月14日
我らの座談会は語らいの花咲く生命のオアシス。全幹部が総力で励ましを
岡山の日。希望の春呼ぶ勇気の対話拡大。友の心に師弟共戦の炎は赤々と
新入会者が各地で誕生。皆、尊極な地涌の菩薩だ。共に学び動き共に成長!
花粉飛散、例年より早く。先手先手の予防で症状が緩和と。賢く健康第一で
南極で18・3度、観測史上の最高気温。事実直視し気候変動対策を加速せよ
☆信行錬磨の春季フリー研修 3月25日から29日まで全国15会場で実施
伝統の「春季フリー研修」が3月25日から29日まで、全国15の会館・研修道場等で実施される。
自由なスケジュールで各会場を訪問することができ、勤行・唱題のほか、敷地内の見学や散策などが楽しめる。
期間中、各会場では、午前11時からと午後1時半からの2回、勤行会が行われる。また、実施会場ごとに、来館記念のスタンプやしおり、記念撮影用の看板等が用意されている。
各地の広布史に触れ、幸と希望の語らいを広げる絶好の機会となろう。
【実施会場・連絡先・所在地・主要交通機関】
東京戸田記念講堂
電話 03-5567-1711
東京都豊島区巣鴨2-10-21
JR山手線または都営地下鉄三田線の巣鴨駅下車、徒歩3分
大田池田文化会館
電話 03-5741-7211
東京都大田区下丸子4-22-1
東急多摩川線の下丸子駅または鵜の木駅下車、徒歩10分
神奈川文化会館
電話 045-640-4500
神奈川県横浜市中区山下町7-1
みなとみらい線の元町・中華街駅下車、1番出口から徒歩3分
埼玉文化会館
電話 048-862-7111
埼玉県さいたま市桜区西堀5-14-10
JR埼京線の中浦和駅下車、徒歩20分。またはJR武蔵野線の西浦和駅下車、徒歩15分
関西文化会館
電話 06-6766-3055
大阪府大阪市天王寺区餌差町10-44
JR大阪環状線、地下鉄、近鉄各線の鶴橋駅または近鉄の大阪上本町駅下車、徒歩10分
京都国際文化会館
電話 075-253-1900
京都府京都市中京区八町目532(東堀川通竹屋町下ル)
地下鉄東西線の二条城前駅下車、2番出口から北へ徒歩7分
兵庫池田文化会館
関西国際文化センター
電話 078-265-0700
兵庫県神戸市中央区浜辺通6-3-16
JR三ノ宮駅、阪急・阪神の神戸三宮駅、地下鉄の三宮駅下車、徒歩12分
東北文化会館
電話 022-783-9406
宮城県仙台市宮城野区苦竹3-2-1
JR仙石線の苦竹駅下車、徒歩15分。またはJR仙台駅からタクシーで約15分
新潟池田文化会館
電話 025-257-1400
新潟県新潟市中央区長潟2-26-1
JR新潟駅南口から南部営業所行きバス(S6長潟線)で「北谷内」下車、徒歩10分
北陸研修道場
電話 0767-66-2911
石川県七尾市中島町小牧セ部1
のと鉄道の能登中島駅からタクシーで10分
広島池田平和記念会館
電話 082-506-4111
広島県広島市東区光町1-15-39
JR広島駅から徒歩8分
四国研修道場
電話 087-869-9111(四国池田文化会館直通)
香川県高松市庵治町157-1
JR高松駅から「ことでんバス」庵治温泉行きで「舟かくし」下車、徒歩1分
福岡研修道場
電話 092-327-1131
福岡県糸島市志摩師吉1423-1
JR筑前前原駅からタクシーで約15分
宮崎研修道場
電話 0985-55-4141
宮崎県宮崎市大字加江田字松添7351-2
宮崎空港からタクシーで15分。またはJR日南線の子供の国駅下車、徒歩5分
沖縄研修道場
電話 098-982-3030
沖縄県国頭郡恩納村字谷茶1172
那覇市内から名護行きバス(名護西線)で「谷茶の丘」下車、徒歩10分
※上記の連絡先は、期間中のみの対応となります。
【実施期間】
3月25日(水)から29日(日)まで。開館時間は、午前10時から午後4時まで。
【参加方法】
�参加希望者は、壮年部の本部長に申し込み、本部長が署名・押印した全国共通の「フリー研修参加証」を受け取ってください。
�1枚の「参加証」で家族も参加できます(未入会家族も含む)。また、期間中であれば、実施会場の会館・研修道場等を何カ所でも訪問できます。
�交通機関や宿泊等の手配は、各自で行ってください。
※沖縄研修道場では、春季フリー研修のほかに、「研修道場自由見学会」が実施されています。
〈沖縄研修道場〉
自由見学会の実施期間は、年末年始を除く通年。開館時間は、午前10時から午後4時まで。休館日は毎週火曜。年末年始の休館期間については直接、研修道場にお問い合わせください。
※なお、函館研修道場(北海道)、長野青年研修道場(霧ケ峰)での「研修道場自由見学会」は、春季は実施しません。詳しくは、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」(www.sokanet.jp)でご確認ください。
2020年2月13日木曜日
2020.02.13 わが友に贈る
わが地区・ブロックを
世界一の人材城に!
強き祈りを根本に
真心あふれる励ましを!
一人残らず使命の人だ。
曾谷殿御返事 P1064
『飢渇は大貪よりをこりやくびやうはぐちよりをこり合戦は瞋恚よりをこる』
【通解】
飢渇は大貪欲の心から起こり、疫病は愚癡の心から起こり、戦争は瞋恚の心から起こる。
名字の言 "ミスター・ラグビー"平尾誠二さん。母校の監督の教えとは? 2020年2月13日
"ミスター・ラグビー"と称された平尾誠二さんが選手だった当時の伏見工高ラグビー部は、ほぼ無敵だった。ある試合でのこと。手を抜いても大差をつけて前半を終えたハーフタイムで、監督は選手たちを厳しく戒め、こんな話をした▼今ある力を10とする。それを出し切れば地力は10・001くらいになる。次の試合でそれを出し切れば10・002になる。力は全てを発揮してこそ増えていく。逆に余力を残せば減っていく、と(『プロフェッショナル100人の流儀』致知出版社)▼ある婦人部リーダーは病の影響で握力がひどく低下した。懸命なリハビリの割にわずかな握力しか戻らない。「ここまで来れば十分だよ」との友の励ましに感謝しつつも、彼女はよしとしなかった▼彼女の本当の目標は、最低限の日常生活を取り戻すことより遥か先。再びペンを持ち、同志に手紙を書くことだった。再び車のハンドルを握り、同志の激励に走ることだった。そしてついに病気になる前よりも強い握力をつけた。支えてきた友は握手した際、「痛い痛い!」と言いながら、うれし涙を流した▼人生の勝負は突き詰めれば、自分自身の弱さとの戦いである。うまずたゆまず、諦めず、一歩一歩と向上の道を歩む中に人間革命と絶対勝利の直道がある。(城)
寸鉄 2020年2月13日
『新・人間革命』は価値創造を促す目覚めの書—識者。研鑽し、向上の道を
東京・葛飾の日。仲良き連帯で対話拡大。愛する地域を人間共和の模範に
「病ある人仏になるべき」御書。変毒為薬の妙法だ。題目の師子吼は最高の剣
4人に1人が特殊詐欺の電話を経験と。在宅でも留守電が有効。油断せず
話したくなる相手、1位は「話を否定しない」と。聞き上手こそ心結ぶ一歩
☆忘れ得ぬ瞬間 創大生・短大生に創立者が贈った言葉 ウラル国立大学「名誉博士号」授与式 2020年2月2日
<2006年1月23日、ロシアの名門・ウラル国立大学(現・ウラル連邦大学)から、池田先生に対する「名誉博士号」の授与式が、創価大学の本部棟で行われた。
1920年に創立された同大学は、ロシアの作家ゴーリキーが、その設立に深く関わっている。
先生は式典で、自身も若き日に愛読した文豪の言葉を数多く引用し、創大生、短大生にエールを送った>
◇「知恵」と「誠実」で進みゆけ
貴大学の壮麗な本館には、意義深き胸像が厳かに設置されていることは有名です。
それは、20世紀のロシア文学の巨星と輝くゴーリキー、その人です。
私も、青春時代、名作『どん底』『母』、そして『私の大学』などを愛読し、鮮烈な感動を覚えた一人です。
32年前、吹き荒れる無理解な反対と圧迫のなか、私は、貴国へ"第一歩"をしるしました。<1974年9月8日>
「宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか!」という悪意の批判も浴びました。
そのとき、私は、はっきりと、こう申し上げた。
「そこに人間がいるから、行くのです!」
今、私の胸には、文豪ゴーリキーの壮大なる呼びかけが響いてまいります。
すなわち、「人間をおもうよろこび——ひとびとがそれを味うことはじつに稀なのだが、これこそ地上最大のよろこびなのである」(『追憶』湯浅芳子訳、岩波文庫)と。
原点は人間です。
この地上には、さまざまな学問があり、思想があり、主義主張がある。
しかし、すべては人間がつくったものです。その根本の人間を思う心を謳い上げた忘れ得ぬ言葉です。
さらに文豪は喝破しました。
「(われわれは)人間が真に世界を変革する力として自分自身を自覚する時代に生きている」(「ソヴェト文学について」石山正三・和久利誓一訳、『定本ゴーリキー選集』5所収、青木書店)
つまり、人間こそが、真に世界を変える原動力である。その自覚をもって生きる時代が来たというゴーリキーの"人間讃歌"であります。
これは、文豪と同時代を生きた、創価教育の父である牧口初代会長の信念とも深く共鳴していました。
1921年、厳寒の1月、ゴーリキーは、貴大学の学生たちに語りかけています。
"青年よ、知恵と誠実さを身につけよ!"
この「誠実」があまりに欠落した日本になってしまった。こう憂える人は多い。私も心を痛めています。
頭がいいとか、学歴が高いとか、そういう面だけがもてはやされて、その知識を何のために使うのかという目的を教えない。そこに、根本の狂いがあるのです。
人を苦しみから救っていく。また、自分も幸福になり、他者の幸福にも尽くしていく。そうしたともに生きゆく知恵を呼び起こすための知識です。
いわば、「知識」とは、無限の「知恵の水」を汲み上げるポンプとも言えるのではないでしょうか。
さらに文豪は、青年に万感の期待を込めて訴えました。
「精神の自由と思想を守る勇気ある闘士となって、この英知の殿堂から巣立つために学びゆけ!」
この熱き獅子の叫びを、私はそのまま、わが愛する創大生、短大生に伝えたい。頼むよ!
◇師弟の道を歩む
<式典には、ウラル国立大学のウラジーミル・トレチャコフ総長が出席。池田先生は、「学生第一」に徹し、「創立の精神」を守り抜いてきたトレチャコフ総長の逸話を紹介しつつ、「師弟の道」を歩むことこそが一流の人生であると訴えた>
トレチャコフ総長は、ご自身が貴大学に入学した若き日、教職員も、先輩方も、「新入生こそ最重要人物である」という「人間味あふれる真心の波」をもって歓迎してくれたと、振り返っておられます。
総長は、その青春の原点を宝とされながら、誉れある貴大学の「学生第一の伝統」を厳護し、さらに発展させてこられたのです。
時代が激しく揺れ動いているからこそ、「創立の精神」を高らかに掲げ、「良き伝統」をつねに活性化していくところが勝つ。
わが創価大学も、そうでなければならない。
思えばゴーリキーも、「驕り高ぶった者」が、その懲罰として、皆から見捨てられ、追い払われ、居場所がなくなる姿を、その作品に描いておりました。
傲慢の末路には、敗北が待っている。
だからこそ、学問でも、芸術でも、人生でも、一流の次元においては、「師弟の道」を謙虚に歩みぬくことが求められるのであります。
総長は、貴大学の名誉博士であられる大学者クラソフスキー先生を、師匠と仰いでこられました。
貴大学で制定された学術賞が最初に贈られたのは、総長とクラソフスキー先生との、画期的な共同研究に対してでした。まことに神々しい歴史です。
今もなお、総長は、いささかも変わらない心で師匠を大切にしておられる。師の偉大さを、誠心誠意、宣揚しておられる。
「師弟」と言っても、「弟子」で決まる。
すばらしき師弟の勝利と栄光に、私たちは最大の敬意を表したいと思います。
◇「何のため」を問う
<「何のために、学ぶのか」——先生は、この問いに対する、文豪の力強い答えを示しつつ、学生たちの勝利と栄光を願い、スピーチを結んだ>
ゴーリキーには、「人間」と題する、私の大好きな詩があります。暗記するほど、何度も読みました。
そこには、いかなる虚偽や嫉妬にも断じて負けないで、真実と正義に生きぬく「人間の尊厳」が、誇り高く謳い上げられています。
この詩のなかで、ゴーリキーは、勇壮に宣言しました。
「英知を持って生まれしは、古きもの、窮屈なもの、汚れたもの、悪しきものすべてを倒し、崩し、踏み潰すため。そして、英知によって解き放たれた、自由と美と尊敬という揺るがぬ基盤の上に、新しきものを創造するためなり!」
英知を磨くのは、何のためか。
何のために、学ぶのか。
何のために、学問はあるのか。
「何のため」という問いに、重要な意義があります。
それは、悪と戦い、滅するためである。そして、新たな創造のためであるというのです。
本日の式典に参加してくださった先生方、いつもいつも、創価大学の建設のために、ありがとうございます。
また、学生の皆さんが、一人ももれなく、健康で、長寿で、成功者となり、社会のために尽くし、人によっては歴史に残る人物になるようにと、何十年もの間、願い続けてきたことも、この席をお借りし、伝えさせていただきます。
世界一の人材城に!
強き祈りを根本に
真心あふれる励ましを!
一人残らず使命の人だ。
曾谷殿御返事 P1064
『飢渇は大貪よりをこりやくびやうはぐちよりをこり合戦は瞋恚よりをこる』
【通解】
飢渇は大貪欲の心から起こり、疫病は愚癡の心から起こり、戦争は瞋恚の心から起こる。
名字の言 "ミスター・ラグビー"平尾誠二さん。母校の監督の教えとは? 2020年2月13日
"ミスター・ラグビー"と称された平尾誠二さんが選手だった当時の伏見工高ラグビー部は、ほぼ無敵だった。ある試合でのこと。手を抜いても大差をつけて前半を終えたハーフタイムで、監督は選手たちを厳しく戒め、こんな話をした▼今ある力を10とする。それを出し切れば地力は10・001くらいになる。次の試合でそれを出し切れば10・002になる。力は全てを発揮してこそ増えていく。逆に余力を残せば減っていく、と(『プロフェッショナル100人の流儀』致知出版社)▼ある婦人部リーダーは病の影響で握力がひどく低下した。懸命なリハビリの割にわずかな握力しか戻らない。「ここまで来れば十分だよ」との友の励ましに感謝しつつも、彼女はよしとしなかった▼彼女の本当の目標は、最低限の日常生活を取り戻すことより遥か先。再びペンを持ち、同志に手紙を書くことだった。再び車のハンドルを握り、同志の激励に走ることだった。そしてついに病気になる前よりも強い握力をつけた。支えてきた友は握手した際、「痛い痛い!」と言いながら、うれし涙を流した▼人生の勝負は突き詰めれば、自分自身の弱さとの戦いである。うまずたゆまず、諦めず、一歩一歩と向上の道を歩む中に人間革命と絶対勝利の直道がある。(城)
寸鉄 2020年2月13日
『新・人間革命』は価値創造を促す目覚めの書—識者。研鑽し、向上の道を
東京・葛飾の日。仲良き連帯で対話拡大。愛する地域を人間共和の模範に
「病ある人仏になるべき」御書。変毒為薬の妙法だ。題目の師子吼は最高の剣
4人に1人が特殊詐欺の電話を経験と。在宅でも留守電が有効。油断せず
話したくなる相手、1位は「話を否定しない」と。聞き上手こそ心結ぶ一歩
☆忘れ得ぬ瞬間 創大生・短大生に創立者が贈った言葉 ウラル国立大学「名誉博士号」授与式 2020年2月2日
<2006年1月23日、ロシアの名門・ウラル国立大学(現・ウラル連邦大学)から、池田先生に対する「名誉博士号」の授与式が、創価大学の本部棟で行われた。
1920年に創立された同大学は、ロシアの作家ゴーリキーが、その設立に深く関わっている。
先生は式典で、自身も若き日に愛読した文豪の言葉を数多く引用し、創大生、短大生にエールを送った>
◇「知恵」と「誠実」で進みゆけ
貴大学の壮麗な本館には、意義深き胸像が厳かに設置されていることは有名です。
それは、20世紀のロシア文学の巨星と輝くゴーリキー、その人です。
私も、青春時代、名作『どん底』『母』、そして『私の大学』などを愛読し、鮮烈な感動を覚えた一人です。
32年前、吹き荒れる無理解な反対と圧迫のなか、私は、貴国へ"第一歩"をしるしました。<1974年9月8日>
「宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか!」という悪意の批判も浴びました。
そのとき、私は、はっきりと、こう申し上げた。
「そこに人間がいるから、行くのです!」
今、私の胸には、文豪ゴーリキーの壮大なる呼びかけが響いてまいります。
すなわち、「人間をおもうよろこび——ひとびとがそれを味うことはじつに稀なのだが、これこそ地上最大のよろこびなのである」(『追憶』湯浅芳子訳、岩波文庫)と。
原点は人間です。
この地上には、さまざまな学問があり、思想があり、主義主張がある。
しかし、すべては人間がつくったものです。その根本の人間を思う心を謳い上げた忘れ得ぬ言葉です。
さらに文豪は喝破しました。
「(われわれは)人間が真に世界を変革する力として自分自身を自覚する時代に生きている」(「ソヴェト文学について」石山正三・和久利誓一訳、『定本ゴーリキー選集』5所収、青木書店)
つまり、人間こそが、真に世界を変える原動力である。その自覚をもって生きる時代が来たというゴーリキーの"人間讃歌"であります。
これは、文豪と同時代を生きた、創価教育の父である牧口初代会長の信念とも深く共鳴していました。
1921年、厳寒の1月、ゴーリキーは、貴大学の学生たちに語りかけています。
"青年よ、知恵と誠実さを身につけよ!"
この「誠実」があまりに欠落した日本になってしまった。こう憂える人は多い。私も心を痛めています。
頭がいいとか、学歴が高いとか、そういう面だけがもてはやされて、その知識を何のために使うのかという目的を教えない。そこに、根本の狂いがあるのです。
人を苦しみから救っていく。また、自分も幸福になり、他者の幸福にも尽くしていく。そうしたともに生きゆく知恵を呼び起こすための知識です。
いわば、「知識」とは、無限の「知恵の水」を汲み上げるポンプとも言えるのではないでしょうか。
さらに文豪は、青年に万感の期待を込めて訴えました。
「精神の自由と思想を守る勇気ある闘士となって、この英知の殿堂から巣立つために学びゆけ!」
この熱き獅子の叫びを、私はそのまま、わが愛する創大生、短大生に伝えたい。頼むよ!
◇師弟の道を歩む
<式典には、ウラル国立大学のウラジーミル・トレチャコフ総長が出席。池田先生は、「学生第一」に徹し、「創立の精神」を守り抜いてきたトレチャコフ総長の逸話を紹介しつつ、「師弟の道」を歩むことこそが一流の人生であると訴えた>
トレチャコフ総長は、ご自身が貴大学に入学した若き日、教職員も、先輩方も、「新入生こそ最重要人物である」という「人間味あふれる真心の波」をもって歓迎してくれたと、振り返っておられます。
総長は、その青春の原点を宝とされながら、誉れある貴大学の「学生第一の伝統」を厳護し、さらに発展させてこられたのです。
時代が激しく揺れ動いているからこそ、「創立の精神」を高らかに掲げ、「良き伝統」をつねに活性化していくところが勝つ。
わが創価大学も、そうでなければならない。
思えばゴーリキーも、「驕り高ぶった者」が、その懲罰として、皆から見捨てられ、追い払われ、居場所がなくなる姿を、その作品に描いておりました。
傲慢の末路には、敗北が待っている。
だからこそ、学問でも、芸術でも、人生でも、一流の次元においては、「師弟の道」を謙虚に歩みぬくことが求められるのであります。
総長は、貴大学の名誉博士であられる大学者クラソフスキー先生を、師匠と仰いでこられました。
貴大学で制定された学術賞が最初に贈られたのは、総長とクラソフスキー先生との、画期的な共同研究に対してでした。まことに神々しい歴史です。
今もなお、総長は、いささかも変わらない心で師匠を大切にしておられる。師の偉大さを、誠心誠意、宣揚しておられる。
「師弟」と言っても、「弟子」で決まる。
すばらしき師弟の勝利と栄光に、私たちは最大の敬意を表したいと思います。
◇「何のため」を問う
<「何のために、学ぶのか」——先生は、この問いに対する、文豪の力強い答えを示しつつ、学生たちの勝利と栄光を願い、スピーチを結んだ>
ゴーリキーには、「人間」と題する、私の大好きな詩があります。暗記するほど、何度も読みました。
そこには、いかなる虚偽や嫉妬にも断じて負けないで、真実と正義に生きぬく「人間の尊厳」が、誇り高く謳い上げられています。
この詩のなかで、ゴーリキーは、勇壮に宣言しました。
「英知を持って生まれしは、古きもの、窮屈なもの、汚れたもの、悪しきものすべてを倒し、崩し、踏み潰すため。そして、英知によって解き放たれた、自由と美と尊敬という揺るがぬ基盤の上に、新しきものを創造するためなり!」
英知を磨くのは、何のためか。
何のために、学ぶのか。
何のために、学問はあるのか。
「何のため」という問いに、重要な意義があります。
それは、悪と戦い、滅するためである。そして、新たな創造のためであるというのです。
本日の式典に参加してくださった先生方、いつもいつも、創価大学の建設のために、ありがとうございます。
また、学生の皆さんが、一人ももれなく、健康で、長寿で、成功者となり、社会のために尽くし、人によっては歴史に残る人物になるようにと、何十年もの間、願い続けてきたことも、この席をお借りし、伝えさせていただきます。
2020年2月12日水曜日
2020.02.12 わが友に贈る
「一華を見て春を推せよ」
寒風に咲き誇る一輪は
皆に希望と歓喜を送る。
さあ凜として一人立ち
友情の花園を広げよう!
上野殿御返事 P1565
『しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし、国王一人の太子のごとしいかでか位につかざらんとおぼしめし候へ』
【通解】
しばらく苦しみが続いたとしても、最後には必ず楽しい境涯になる。たとえば、国王のたった一人の王子のようなものである。どうして国王の位につかないことがあるだろうかと、確信していきなさい。
名字の言 下積み時代の長かった作家・浅田次郎氏のこだわり 2020年2月12日
新人賞の落選は30回、初めて本を出版したのは39歳の時。ベストセラー作家の浅田次郎氏も、長い下積み時代を経験した▼今、氏は複数の文学賞の選考委員を務める。一つの賞につき、多くの応募作を読まねばならず、その労力は並大抵ではない。だが、氏は「この仕事には気合が入る。一行もおろそかにしてはならぬと思う」と。なぜなら「(新人賞を)三十回も落ちたのは何かのまちがいだったと、今でも信じているから」(『つばさよつばさ』集英社文庫)▼仮に氏が"とんとん拍子"で大成していれば、こうした思いは生まれなかったかもしれない。書き手の奮闘に思いをはせつつ、応募作に真剣勝負で向き合う。氏の作品にもまた、日々を懸命に生きる人々への温かなまなざしがある▼苦悩を味わった人でなければ、見えないものや気付かないことがある。池田先生は「自分が苦労した人は、他人の苦労も分かってあげられる。自分が努力したからこそ、他人の努力の尊さが分かるのである」と。悩みとの戦いは、自分自身のためであり、誰かを勇気づけるためでもある▼"自分を分かってくれる人がいる"と思えば、人は何度でも立ち上がれる。広布の労苦を無上の誇りとし、励まし合いながら、共に人間蘇生のドラマをつづろう。(値)
寸鉄 2020年2月12日
創価の人間主義こそ平和建設に欠かせない—市議我らの真心の振舞で拡大
「志有らん人人は互に之を語れ」御書。決意語らう座談会から壁破る前進を
友の為に悩むことは仏の悩みに通ず—恩師。毅然と地涌の使命に生き抜け
各国で偽ニュース対策に本腰。拡散で悪意は蔓延。送信前に必ず情報源確認
傲慢は常に没落の寸前に現れる—哲人。信者激減の宗門。民衆蔑視の末路
☆現代と仏法 第18回 「経済に不可欠な要素」
神戸学院大学教授 中村亨さん
経済学が専門の私は一昨年、研究で英国を訪れ、アダム・スミスが人生の大半を過ごしたカーコーディやグラスゴーなどに滞在しました。そして、なぜスミスが大著『国富論』『道徳感情論』を世に送り出すことができたのかを思索しました。
経済学の礎は、言うまでもなくスミスが築いたものです。しかし、スミスの「自己利益」や「利己心」のみが強調され、"自己利益の追求は、神の見えざる手に導かれるかのように社会全体の利益にもなる"との概念が経済学の中心に据えられてしまったのは、彼の両著を誤読したことから起こったものでしょう。
スミスは道徳・哲学の教授であり、彼が本当に重視したのは自己利益などではなく、シンパシー(共感)でした。
人を思いやる心——それが個々人に脈打ってこそ社会は発展していけると訴えたのです。
◇格差社会の原因は自己利益の追求
近年、彼のそうした観点に注目する学者もいます。ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センも、その一人。センは、人間は他者の窮状に共感する心を持つとし、自己利益のみを追求する人間像を「合理的な愚か者」と批判しました。
最新の経済学は、さまざまな相手と"対等な契約関係"を結ぶことを考察し、首尾よく回る経済・社会を立案しています。しかし、現実には、世界の富裕層1%の持つ資産が残り99%の資産の合計を上回るという深刻な格差社会と持続不可能な環境悪化を招きました。
それは、スミスが指摘したような共感がないために、自己利益のみが優先され、"対等な契約関係"を結べないところ、すなわち"人の共感に頼るしかない領域"でほころびが出ていることが原因ではないでしょうか。
考えてみると、現代社会を揺るがす難問の多くは、ここに集中します。
環境問題の根源的な困難さは、資源を乱費する現在の世代と、温室効果や資源不足といった損失を被る将来世代との間で対等な契約を結べないところにあります。無力な幼児と虐待する親、学校でいじめに遭う子どもといじめる側との関係も同じでしょう。
もし、ここに「相手がどう思うか」「自分がその人の立場なら」と思いをはせ、少しでも共感する心が芽生えれば、一人一人の行動も変わり、結果は違うものになるはずです。社会がうまく回るためには、良い制度やシステムが大切なのはもちろんですが、それとともに、一人一人の共感の心を、いかに高めていけるかが不可欠なのです。
◇徹底して相手に寄り添う同苦の心
日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758ページ)と仰せの通り、あらゆる人々の苦悩に同苦するところに仏法の魂があると教えられています。ここでいう同苦とは、上から見下ろす哀れみでもなければ、表面的な同情でもありません。徹底して相手に寄り添い、共に悩み、相手が自分の力で立ち上がっていけるよう、関わり続けていく挑戦です。
また、法華経には「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」(法華経130ページ)という言葉があります。"一切衆生を自分と同じ境涯にまで高めたい"というのが仏の誓願であり、そこに私たちの使命もあることを示されているのです。
◇仏法の思想に世界を変えるヒント
こうした仏法の思想には、人々を思いやる"共感の心"があり、誰も置き去りにしない"真に対等な世界"を築くヒントがあるのではないでしょうか。その思想を自らの生き方とする創価のスクラムは、創立90周年を迎える今、世界192カ国・地域に広がりました。まだまだ世界の人口から見れば、その数は少ないかもしれませんが、こうした生き方が広がっていけば、世界は変わると思えてなりません。
寒風に咲き誇る一輪は
皆に希望と歓喜を送る。
さあ凜として一人立ち
友情の花園を広げよう!
上野殿御返事 P1565
『しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし、国王一人の太子のごとしいかでか位につかざらんとおぼしめし候へ』
【通解】
しばらく苦しみが続いたとしても、最後には必ず楽しい境涯になる。たとえば、国王のたった一人の王子のようなものである。どうして国王の位につかないことがあるだろうかと、確信していきなさい。
名字の言 下積み時代の長かった作家・浅田次郎氏のこだわり 2020年2月12日
新人賞の落選は30回、初めて本を出版したのは39歳の時。ベストセラー作家の浅田次郎氏も、長い下積み時代を経験した▼今、氏は複数の文学賞の選考委員を務める。一つの賞につき、多くの応募作を読まねばならず、その労力は並大抵ではない。だが、氏は「この仕事には気合が入る。一行もおろそかにしてはならぬと思う」と。なぜなら「(新人賞を)三十回も落ちたのは何かのまちがいだったと、今でも信じているから」(『つばさよつばさ』集英社文庫)▼仮に氏が"とんとん拍子"で大成していれば、こうした思いは生まれなかったかもしれない。書き手の奮闘に思いをはせつつ、応募作に真剣勝負で向き合う。氏の作品にもまた、日々を懸命に生きる人々への温かなまなざしがある▼苦悩を味わった人でなければ、見えないものや気付かないことがある。池田先生は「自分が苦労した人は、他人の苦労も分かってあげられる。自分が努力したからこそ、他人の努力の尊さが分かるのである」と。悩みとの戦いは、自分自身のためであり、誰かを勇気づけるためでもある▼"自分を分かってくれる人がいる"と思えば、人は何度でも立ち上がれる。広布の労苦を無上の誇りとし、励まし合いながら、共に人間蘇生のドラマをつづろう。(値)
寸鉄 2020年2月12日
創価の人間主義こそ平和建設に欠かせない—市議我らの真心の振舞で拡大
「志有らん人人は互に之を語れ」御書。決意語らう座談会から壁破る前進を
友の為に悩むことは仏の悩みに通ず—恩師。毅然と地涌の使命に生き抜け
各国で偽ニュース対策に本腰。拡散で悪意は蔓延。送信前に必ず情報源確認
傲慢は常に没落の寸前に現れる—哲人。信者激減の宗門。民衆蔑視の末路
☆現代と仏法 第18回 「経済に不可欠な要素」
神戸学院大学教授 中村亨さん
経済学が専門の私は一昨年、研究で英国を訪れ、アダム・スミスが人生の大半を過ごしたカーコーディやグラスゴーなどに滞在しました。そして、なぜスミスが大著『国富論』『道徳感情論』を世に送り出すことができたのかを思索しました。
経済学の礎は、言うまでもなくスミスが築いたものです。しかし、スミスの「自己利益」や「利己心」のみが強調され、"自己利益の追求は、神の見えざる手に導かれるかのように社会全体の利益にもなる"との概念が経済学の中心に据えられてしまったのは、彼の両著を誤読したことから起こったものでしょう。
スミスは道徳・哲学の教授であり、彼が本当に重視したのは自己利益などではなく、シンパシー(共感)でした。
人を思いやる心——それが個々人に脈打ってこそ社会は発展していけると訴えたのです。
◇格差社会の原因は自己利益の追求
近年、彼のそうした観点に注目する学者もいます。ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センも、その一人。センは、人間は他者の窮状に共感する心を持つとし、自己利益のみを追求する人間像を「合理的な愚か者」と批判しました。
最新の経済学は、さまざまな相手と"対等な契約関係"を結ぶことを考察し、首尾よく回る経済・社会を立案しています。しかし、現実には、世界の富裕層1%の持つ資産が残り99%の資産の合計を上回るという深刻な格差社会と持続不可能な環境悪化を招きました。
それは、スミスが指摘したような共感がないために、自己利益のみが優先され、"対等な契約関係"を結べないところ、すなわち"人の共感に頼るしかない領域"でほころびが出ていることが原因ではないでしょうか。
考えてみると、現代社会を揺るがす難問の多くは、ここに集中します。
環境問題の根源的な困難さは、資源を乱費する現在の世代と、温室効果や資源不足といった損失を被る将来世代との間で対等な契約を結べないところにあります。無力な幼児と虐待する親、学校でいじめに遭う子どもといじめる側との関係も同じでしょう。
もし、ここに「相手がどう思うか」「自分がその人の立場なら」と思いをはせ、少しでも共感する心が芽生えれば、一人一人の行動も変わり、結果は違うものになるはずです。社会がうまく回るためには、良い制度やシステムが大切なのはもちろんですが、それとともに、一人一人の共感の心を、いかに高めていけるかが不可欠なのです。
◇徹底して相手に寄り添う同苦の心
日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758ページ)と仰せの通り、あらゆる人々の苦悩に同苦するところに仏法の魂があると教えられています。ここでいう同苦とは、上から見下ろす哀れみでもなければ、表面的な同情でもありません。徹底して相手に寄り添い、共に悩み、相手が自分の力で立ち上がっていけるよう、関わり続けていく挑戦です。
また、法華経には「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」(法華経130ページ)という言葉があります。"一切衆生を自分と同じ境涯にまで高めたい"というのが仏の誓願であり、そこに私たちの使命もあることを示されているのです。
◇仏法の思想に世界を変えるヒント
こうした仏法の思想には、人々を思いやる"共感の心"があり、誰も置き去りにしない"真に対等な世界"を築くヒントがあるのではないでしょうか。その思想を自らの生き方とする創価のスクラムは、創立90周年を迎える今、世界192カ国・地域に広がりました。まだまだ世界の人口から見れば、その数は少ないかもしれませんが、こうした生き方が広がっていけば、世界は変わると思えてなりません。
2020年2月11日火曜日
2020.02.11 わが友に贈る
会合の参加者を
「仏の如く互に敬うべし」
真心で迎えよう!
笑顔あふれる集いから
和楽の前進は始まる。
種種御振舞御書 P917
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』
【通解】
釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである。
名字の言 生け花の醍醐味とは? 2020年2月11日
友人夫妻の自宅を訪ねるたび、居間に季節の花が飾られている。先日は凜としたスイセンが迎えてくれた。夫人は生け花をたしなんでいるという▼華道は草木に「命」を見るという。みずみずしい若葉や花だけではない。虫食い葉や枯れ枝も全て、"命が現れた姿"と捉えて用い、美を見いだす心が大事だと彼女は教えてくれた。「草木の命を支えているのは『根』です。目には見えない『根』の力をどう見せるかが、生け花の醍醐味なんです」▼根源、根幹、根本……何らかの"おおもと"を意味する熟語には、「根」の字を含むものが多い。フランスの作家サン=テグジュペリの『星の王子さま』(岩波書店)にある「かんじんなことは、目に見えないんだよ」(内藤濯訳)との一節が思い浮かぶ▼仏法では人間の一身を草木に例える。頭から足までが茎、手足が枝、毛は葉。そして根とは「心法」、すなわち心の働きであると説く。日蓮大聖人は「法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し」(御書827ページ)と仰せだ。妙法を信じ行じることとは、生命の大地に強く豊かな心の根を張って、生活の上に勝利と幸福の花を咲かせていく営みといえよう▼心は見えない。だがその心で人生は決まる。「ただ心こそ大切なれ」(同1192ページ)である。(之)
寸鉄 2020年2月11日
戸田先生の生誕120周年。不二の弟子ありて師の夢は実現。連なる誇り胸に
国際部結成の日。学会が飛躍する今こそ使命大。世界広布の原動力たれ!
法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべし—御書。臆さず堂々と語れ
創造的活動に人生の本質—詩人。昨日よりも今日。挑戦また挑戦が創価の魂
免疫力を高める鍵は運動・睡眠・食事。聡明に健康管理を。根本は深き祈り
☆随筆「人間革命」光あれ 恩師の生誕百二十周年 2020年2月7日
◇いざ往かん 師弟共戦の広布旅
青年の歌声こそ、希望の暁鐘である。
いかなる吹雪の闇夜も越え、新たな黎明を決然と告げゆく響きなのだ。
この一月、欧州の青年たちが届けてくれた、素晴らしい歌声を聴いた。
ドイツのフランクフルトに三十五カ国の代表が集った欧州広布サミットの際、男女青年部の友が披露した新しい愛唱歌「トーチベアラーズ(松明を持つ人)」である。
「私たちは正義の松明を持つ人 正義のために立つ」「勇気の松明を持つ人 光り輝くために戦う」「自由の松明を持つ人 全人類のために」と、誇り高く謳われている。
作詞に当たり、青年たちは、恩師・戸田城聖先生が法難を戦い越える中で作られた「同志の歌」を学び合ったという。
「旗持つ若人」よ「競うて来たれ」という恩師の熱願に呼応して、一人ひとりが「仏法の人間主義の旗」「広布大願の松明」を持つ若人たらんとの決意を込めたのだ。
その心を戸田先生に届ける思いで、私は何度も何度も聴いた。
一九〇〇年(明治三十三年)に戸田先生が誕生されてより、この二月十一日で満百二十年——。
先生が呼び出された地涌の陣列は、今、地球を大きく包み始めた。
恩師が願ってやまなかった人類史の平和と人道の黎明を、若き創価の世界市民の歌声が告げてくれているのである。
◇足元から突破口
「いざ往かん
月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて」
この和歌を、戸田先生が詠まれたのは、一九五二年(昭和二十七年)の一月であった。
さらに、「地球民族主義」という先見を提唱されたのは、翌二月。男女合同の青年部研究発表会の席上である。
朝鮮戦争(韓国戦争)の痛ましい悲劇が打ち続く中で、アジアと世界の民衆の苦悩を、いかに打開するか、妙法流布と人類共生の未来を見つめて、先生の頭脳はフル回転していたのだ。
青年に遠大なビジョンを示されながら、日々、先生が精魂を注がれたのは、目の前の一人を救うことであった。
つまり一対一の励ましであり、折伏である。
御本仏は——
「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦」(御書五八七ページ)
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦」(同七五八ページ)と仰せである。
この大聖人のお心を体し、現実に渦巻く病苦や経済苦、家庭不和など、あらゆる庶民の苦悩に、先生は真っ向から挑まれた。人類の「宿命転換」も、一人の「人間革命」から始まるからだ。
当時、先生は弟子たちに語られた。
「みなさんは、幸福になりなさい」
そして「信心と折伏をもって、戸田の一門として通しなさい」と。
しかし、折伏は難事中の難事である。
先生が願業とされた七十五万世帯への道のりはあまりにも遠かった。
直弟子として二十四歳の私は、ただただ報恩の一念で一人立った。
宿縁深き地元の蒲田支部の同志と、拡大の突破口を開く「二月闘争」を開始したのである。
◇伝統の二月 まず一人立とう 一人を励まそう 心のギア合わせ
蒲田支部の私たちは、祈りに祈った。歩きに歩いた。語りに語った。
学会歌を一緒に口ずさみながら、もう一人、あと一軒と、対話に向かったことも思い出深い。
御義口伝には、「妙法蓮華経」の五字を人間の身に配して、「足は経なり」(同七一六ページ)と明かされている。法のため、友のために「自ら動く」こと、「足を運ぶ」ことから、妙法の福徳は大きく広がる。
わが同志は、日々の生活を必死にやりくりしながら、勝利の実証を示さんと奮闘した。無理解な悪口を浴びても、相手の幸福を祈り、仏縁を忍耐強く育み広げていった。
何とけなげな、何と尊い方々であるか。
折伏ができずに悩む。それは、まさに「仏の悩み」そのものではないか。
「いまだこりず候」(同一〇五六ページ)と、皆で励まし合った。一日また一日、勇気と誠実の対話に挑み抜き、"戸田先生に勝利の報告を!"と走り切った。そして当時、どの支部も破れなかった壁を破り、一カ月で二百一世帯という弘教を成し遂げたのである。
師匠の大願に、弟子が「心のギア」をがっちりとかみ合わせ、異体同心で戦えば、計り知れない仏の力と功徳が出る。必ず勝利できるのだ。
この信心の極意を全学会に示したのが、二月闘争であるといってよい。
激戦の中、私は、一生涯、いな永遠に、共戦の友の人生の勝利を祈り続けることを誓った。
その方々の地涌の家族と眷属が、日本はもとよりアメリカをはじめ世界へ広がり、広布後継の道を歩まれていることは、何よりの喜びである。
アメリカでは先月、フロリダ、ニューヨーク、ロサンゼルスで婦人部の研修会や幹部会が明るく賑やかに行われた。その笑顔満開の映像を、妻と共に嬉しく拝見した。
そこには、結成四十五周年を迎えた「SGI」発足の原点の地であるグアムからも、代表が勇んで参加されていた。懐かしい歴代の全米婦人部長と女子部長たちも、元気に集われていた。
「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(同一一三五ページ)の素晴らしいスクラムに、妻は拍手を送り続けていた。
◇二人の「巌窟王」
二月闘争の渦中に恩師が教えてくださった「地球民族主義」は、私の対話を貫く信条である。
それは、人種差別撤廃へ生涯を懸けたネルソン・マンデラ氏との語らいでも共鳴を広げた。
思えば、この"人権の巌窟王"が獄窓二十七年半もの苦難を耐え抜き、出獄されたのは、三十年前(一九九〇年)の二月十一日である。
奇しくも戸田先生の生誕九十周年の日であり、先生の小説『人間革命』で、自らをモデルとした作中人物を"妙法の巌窟王"の意義から「巌九十翁」と命名されたことが、私には偲ばれた。
この年の秋、初来日したマンデラ氏を青年たちと歓迎したことは、忘れ得ぬ思い出である。五年後、新生・南アフリカ共和国の大統領として再び来日した折も、再会を喜び合った。
マンデラ氏は、獄中で看守など何人もの迫害者を対話によって友人に変えながら、「反アパルトヘイト」(人種差別撤廃)の勝利へ、たゆまぬ波を起こしていかれた。
その力の源泉は、どこにあったのか。
どんな人間にも「けっして消えない良識の核があるということ、心に触れる何かがあれば、その核が人間を変えてくれるものだ」——この人間信頼の確信がカギとなったと氏は回想されている。
法華経に説かれる不軽菩薩が「人を敬う」振る舞いに徹し抜いたのも、「万人に仏性あり」との揺るがぬ大確信に立っていたからである。
今、不軽菩薩さながら創価の若人が、生命の尊厳と平等の連帯を、地球社会に組み広げている。
戸田先生とご一緒に、マンデラ氏も、巌窟王の笑みで見守っておられるように思えてならない。
◇地球に何か善を
中国の周恩来総理をはじめ世界の指導者と対話を重ねる中で、「ああ戸田先生と同世代の方だ」と不思議な感慨を覚えたことが、幾たびかある。
アメリカの大実業家・アーマンド・ハマー氏もそうであった。
ハマー氏と親しくお会いしたのは、マンデラ氏釈放のニュースに沸く一九九〇年二月、ロサンゼルスであった。当時、氏は九十一歳であられた。
東西冷戦終結へ道筋をつくったレーガン=ゴルバチョフの米ソ首脳会談を実現させた、立役者の一人である。
この首脳会談の舞台裏については、四カ月後、創価大学にお迎えした折、語ってくださった。
氏の行動を支えてきたのは、「この豊かな地球に自分の力でさらに何かを加え、すべての人々とともに、人生の"美しさ"と"歓び"を分かち合いたい」という願いだ。
ハマー氏ら、私が縁を結んだ恩師と同世代の巨人たちが最晩年、揃って未来への希望を託してくださったのが、わが創価学会であり、SGIなのである。
◇不二の命で前進
恩師と拝した忘れ得ぬ御聖訓に、「仏の寿命・百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩」(御書九三八ページ)とある。
学会は恩師が"命より大切な組織"と留め遺された仏勅の教団である。生誕百二十年の師の御命は、創価の和合僧に厳然と脈打っている。不二の我らが大法弘通慈折広宣流布の大願へ、異体同心の団結で進む中で、無限の智慧と力が満々と漲りわたるのだ。
「伝統の二月」、寒風にも凜然と先駆けの梅花がほころび始めた。
さあ、誓いの友と勇気に燃えて前進だ。妙法の大功力を社会に世界に薫らせ、歓喜の「春の曲」を奏でようではないか!
「仏の如く互に敬うべし」
真心で迎えよう!
笑顔あふれる集いから
和楽の前進は始まる。
種種御振舞御書 P917
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』
【通解】
釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである。
名字の言 生け花の醍醐味とは? 2020年2月11日
友人夫妻の自宅を訪ねるたび、居間に季節の花が飾られている。先日は凜としたスイセンが迎えてくれた。夫人は生け花をたしなんでいるという▼華道は草木に「命」を見るという。みずみずしい若葉や花だけではない。虫食い葉や枯れ枝も全て、"命が現れた姿"と捉えて用い、美を見いだす心が大事だと彼女は教えてくれた。「草木の命を支えているのは『根』です。目には見えない『根』の力をどう見せるかが、生け花の醍醐味なんです」▼根源、根幹、根本……何らかの"おおもと"を意味する熟語には、「根」の字を含むものが多い。フランスの作家サン=テグジュペリの『星の王子さま』(岩波書店)にある「かんじんなことは、目に見えないんだよ」(内藤濯訳)との一節が思い浮かぶ▼仏法では人間の一身を草木に例える。頭から足までが茎、手足が枝、毛は葉。そして根とは「心法」、すなわち心の働きであると説く。日蓮大聖人は「法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し」(御書827ページ)と仰せだ。妙法を信じ行じることとは、生命の大地に強く豊かな心の根を張って、生活の上に勝利と幸福の花を咲かせていく営みといえよう▼心は見えない。だがその心で人生は決まる。「ただ心こそ大切なれ」(同1192ページ)である。(之)
寸鉄 2020年2月11日
戸田先生の生誕120周年。不二の弟子ありて師の夢は実現。連なる誇り胸に
国際部結成の日。学会が飛躍する今こそ使命大。世界広布の原動力たれ!
法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべし—御書。臆さず堂々と語れ
創造的活動に人生の本質—詩人。昨日よりも今日。挑戦また挑戦が創価の魂
免疫力を高める鍵は運動・睡眠・食事。聡明に健康管理を。根本は深き祈り
☆随筆「人間革命」光あれ 恩師の生誕百二十周年 2020年2月7日
◇いざ往かん 師弟共戦の広布旅
青年の歌声こそ、希望の暁鐘である。
いかなる吹雪の闇夜も越え、新たな黎明を決然と告げゆく響きなのだ。
この一月、欧州の青年たちが届けてくれた、素晴らしい歌声を聴いた。
ドイツのフランクフルトに三十五カ国の代表が集った欧州広布サミットの際、男女青年部の友が披露した新しい愛唱歌「トーチベアラーズ(松明を持つ人)」である。
「私たちは正義の松明を持つ人 正義のために立つ」「勇気の松明を持つ人 光り輝くために戦う」「自由の松明を持つ人 全人類のために」と、誇り高く謳われている。
作詞に当たり、青年たちは、恩師・戸田城聖先生が法難を戦い越える中で作られた「同志の歌」を学び合ったという。
「旗持つ若人」よ「競うて来たれ」という恩師の熱願に呼応して、一人ひとりが「仏法の人間主義の旗」「広布大願の松明」を持つ若人たらんとの決意を込めたのだ。
その心を戸田先生に届ける思いで、私は何度も何度も聴いた。
一九〇〇年(明治三十三年)に戸田先生が誕生されてより、この二月十一日で満百二十年——。
先生が呼び出された地涌の陣列は、今、地球を大きく包み始めた。
恩師が願ってやまなかった人類史の平和と人道の黎明を、若き創価の世界市民の歌声が告げてくれているのである。
◇足元から突破口
「いざ往かん
月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて」
この和歌を、戸田先生が詠まれたのは、一九五二年(昭和二十七年)の一月であった。
さらに、「地球民族主義」という先見を提唱されたのは、翌二月。男女合同の青年部研究発表会の席上である。
朝鮮戦争(韓国戦争)の痛ましい悲劇が打ち続く中で、アジアと世界の民衆の苦悩を、いかに打開するか、妙法流布と人類共生の未来を見つめて、先生の頭脳はフル回転していたのだ。
青年に遠大なビジョンを示されながら、日々、先生が精魂を注がれたのは、目の前の一人を救うことであった。
つまり一対一の励ましであり、折伏である。
御本仏は——
「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦」(御書五八七ページ)
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦」(同七五八ページ)と仰せである。
この大聖人のお心を体し、現実に渦巻く病苦や経済苦、家庭不和など、あらゆる庶民の苦悩に、先生は真っ向から挑まれた。人類の「宿命転換」も、一人の「人間革命」から始まるからだ。
当時、先生は弟子たちに語られた。
「みなさんは、幸福になりなさい」
そして「信心と折伏をもって、戸田の一門として通しなさい」と。
しかし、折伏は難事中の難事である。
先生が願業とされた七十五万世帯への道のりはあまりにも遠かった。
直弟子として二十四歳の私は、ただただ報恩の一念で一人立った。
宿縁深き地元の蒲田支部の同志と、拡大の突破口を開く「二月闘争」を開始したのである。
◇伝統の二月 まず一人立とう 一人を励まそう 心のギア合わせ
蒲田支部の私たちは、祈りに祈った。歩きに歩いた。語りに語った。
学会歌を一緒に口ずさみながら、もう一人、あと一軒と、対話に向かったことも思い出深い。
御義口伝には、「妙法蓮華経」の五字を人間の身に配して、「足は経なり」(同七一六ページ)と明かされている。法のため、友のために「自ら動く」こと、「足を運ぶ」ことから、妙法の福徳は大きく広がる。
わが同志は、日々の生活を必死にやりくりしながら、勝利の実証を示さんと奮闘した。無理解な悪口を浴びても、相手の幸福を祈り、仏縁を忍耐強く育み広げていった。
何とけなげな、何と尊い方々であるか。
折伏ができずに悩む。それは、まさに「仏の悩み」そのものではないか。
「いまだこりず候」(同一〇五六ページ)と、皆で励まし合った。一日また一日、勇気と誠実の対話に挑み抜き、"戸田先生に勝利の報告を!"と走り切った。そして当時、どの支部も破れなかった壁を破り、一カ月で二百一世帯という弘教を成し遂げたのである。
師匠の大願に、弟子が「心のギア」をがっちりとかみ合わせ、異体同心で戦えば、計り知れない仏の力と功徳が出る。必ず勝利できるのだ。
この信心の極意を全学会に示したのが、二月闘争であるといってよい。
激戦の中、私は、一生涯、いな永遠に、共戦の友の人生の勝利を祈り続けることを誓った。
その方々の地涌の家族と眷属が、日本はもとよりアメリカをはじめ世界へ広がり、広布後継の道を歩まれていることは、何よりの喜びである。
アメリカでは先月、フロリダ、ニューヨーク、ロサンゼルスで婦人部の研修会や幹部会が明るく賑やかに行われた。その笑顔満開の映像を、妻と共に嬉しく拝見した。
そこには、結成四十五周年を迎えた「SGI」発足の原点の地であるグアムからも、代表が勇んで参加されていた。懐かしい歴代の全米婦人部長と女子部長たちも、元気に集われていた。
「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(同一一三五ページ)の素晴らしいスクラムに、妻は拍手を送り続けていた。
◇二人の「巌窟王」
二月闘争の渦中に恩師が教えてくださった「地球民族主義」は、私の対話を貫く信条である。
それは、人種差別撤廃へ生涯を懸けたネルソン・マンデラ氏との語らいでも共鳴を広げた。
思えば、この"人権の巌窟王"が獄窓二十七年半もの苦難を耐え抜き、出獄されたのは、三十年前(一九九〇年)の二月十一日である。
奇しくも戸田先生の生誕九十周年の日であり、先生の小説『人間革命』で、自らをモデルとした作中人物を"妙法の巌窟王"の意義から「巌九十翁」と命名されたことが、私には偲ばれた。
この年の秋、初来日したマンデラ氏を青年たちと歓迎したことは、忘れ得ぬ思い出である。五年後、新生・南アフリカ共和国の大統領として再び来日した折も、再会を喜び合った。
マンデラ氏は、獄中で看守など何人もの迫害者を対話によって友人に変えながら、「反アパルトヘイト」(人種差別撤廃)の勝利へ、たゆまぬ波を起こしていかれた。
その力の源泉は、どこにあったのか。
どんな人間にも「けっして消えない良識の核があるということ、心に触れる何かがあれば、その核が人間を変えてくれるものだ」——この人間信頼の確信がカギとなったと氏は回想されている。
法華経に説かれる不軽菩薩が「人を敬う」振る舞いに徹し抜いたのも、「万人に仏性あり」との揺るがぬ大確信に立っていたからである。
今、不軽菩薩さながら創価の若人が、生命の尊厳と平等の連帯を、地球社会に組み広げている。
戸田先生とご一緒に、マンデラ氏も、巌窟王の笑みで見守っておられるように思えてならない。
◇地球に何か善を
中国の周恩来総理をはじめ世界の指導者と対話を重ねる中で、「ああ戸田先生と同世代の方だ」と不思議な感慨を覚えたことが、幾たびかある。
アメリカの大実業家・アーマンド・ハマー氏もそうであった。
ハマー氏と親しくお会いしたのは、マンデラ氏釈放のニュースに沸く一九九〇年二月、ロサンゼルスであった。当時、氏は九十一歳であられた。
東西冷戦終結へ道筋をつくったレーガン=ゴルバチョフの米ソ首脳会談を実現させた、立役者の一人である。
この首脳会談の舞台裏については、四カ月後、創価大学にお迎えした折、語ってくださった。
氏の行動を支えてきたのは、「この豊かな地球に自分の力でさらに何かを加え、すべての人々とともに、人生の"美しさ"と"歓び"を分かち合いたい」という願いだ。
ハマー氏ら、私が縁を結んだ恩師と同世代の巨人たちが最晩年、揃って未来への希望を託してくださったのが、わが創価学会であり、SGIなのである。
◇不二の命で前進
恩師と拝した忘れ得ぬ御聖訓に、「仏の寿命・百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩」(御書九三八ページ)とある。
学会は恩師が"命より大切な組織"と留め遺された仏勅の教団である。生誕百二十年の師の御命は、創価の和合僧に厳然と脈打っている。不二の我らが大法弘通慈折広宣流布の大願へ、異体同心の団結で進む中で、無限の智慧と力が満々と漲りわたるのだ。
「伝統の二月」、寒風にも凜然と先駆けの梅花がほころび始めた。
さあ、誓いの友と勇気に燃えて前進だ。妙法の大功力を社会に世界に薫らせ、歓喜の「春の曲」を奏でようではないか!
2020年2月10日月曜日
2020.02.10 わが友に贈る
新聞休刊日
佐渡御勘気抄 P891
『いたづらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金をかふるにあらずや、各各なげかせ給うべからず』
【通解】
むなしく朽ちるであろうこの身を法華経のために捧げることは、ちょうど石を金に替えるようなものではないか。あなた方は嘆いてはならない。
◇社説 2020・2・9 11日は「恩師の生誕120周年」
座談会から「二月闘争」の勝利を
ほのかに漂う磯の香り。潮騒が時折、心地よく耳に響く。石川県の最西端に位置する加賀市塩屋町。古くは、日本海を往来した「北前船」の寄港地として、大いに活況を呈した。
1900年(明治33年)2月11日、創価学会第2代会長の戸田城聖先生は、この地(当時は塩屋村)で生まれた。
幼年期に、一家で新天地を求めて北海道・厚田村(当時)に移住。その後、苦学に苦学を重ねて尋常小学校准教員の検定試験に合格し、夕張の真谷地に赴任した。大志を抱いた戸田青年は19歳で上京。牧口常三郎先生と、運命的な師弟の出会いを結ぶことになる。
度重なる病魔や経済苦、妻子との死別……戸田先生の青春時代は、悪戦苦闘の連続だった。特に、家族の死に相次いで直面して以来、「絶えず道を求めてきた」と真実の信仰を希求し、牧口先生に続いて日蓮仏法に帰依した。
戸田先生は後年、草創期を振り返りつつ、"座談会が何といっても中心だ。私もそこから立ち上がったんだから"と語っている。少人数の座談会が、戸田先生にとっても原点だったといえよう。
思えば、19歳の池田大作先生が初めて戸田先生と出会ったのも、大田区内の座談会(1947年8月14日)。「201世帯」の金字塔を樹立した蒲田支部の「二月闘争」(52年2月)でも、やはり小単位の座談会が連日各地で活発に開催され、爆発的な拡大の原動力となった。
一人と会い、一人と語らい、一人と友情を結ぶ。心通う"少人数の集い"を大事にする。これが、学会創立以来の伝統であり、未来永遠に変わらぬ広布伸展の方程式であろう。
人間関係の希薄化や孤立化が憂慮される現代社会にあって、創価の座談会運動の意義は、時とともに、いやまして希望の光彩を放つ。今、国内外の数多くの識者が高い評価を寄せている。
ジャーナリストの田原総一朗氏も、その一人。"学会を発展せしめている要因は、座談会にある"と洞察する。氏は実際、何度も足を運び、取材を重ねた上で、「座談会に出ると気持ちが前向きになる」「何でも話せる。心から信頼できる相手がいる。これが大きい」とも。
恩師の生誕120周年に迎える今年の「二月闘争」も中盤戦に入る。
"戸田先生の誕生月を広布拡大でお祝いしよう!"——若き池田先生の師子奮迅の激闘と、それに呼応した草創の友の「壁を破る」戦いに学び、各人が「令和初の二月闘争」を勝ち飾りたい。
生命を潤すオアシスであり、歓喜が歓喜を呼ぶ座談会で、勝利のリズムを刻みながら——。
☆世界写真紀行 パラグアイ川の夕日 93年、池田先生は大河のほとりに立った 2020年2月4日
◇真面目な人が最後に勝つ
南米パラグアイの首都アスンシオンは「森と水の都」とうたわれる。
その近郊を滔々と流れる南米有数の大河・パラグアイ川は、ひときわ美しい。
パラグアイ広布の礎を築いたのは戦後、移住した日系人である。
彼らは、原生林から木を切り出し、自分たちで家を建てるところから始めなければならなかった。
その大半のメンバーは移住地に渡ってから学会に入会。皆、貧しかった。病と闘う友も多かった。
それでも、御本尊を抱き締めるように祈り、仏法を語り歩いた。彼らにとって、創価の哲学は、唯一の希望の光だった。
草創のパラグアイ広布に生き抜いたマツタロウ・ナガサワさんの思いを、長女のユウコ・クリタさん(総合婦人部長)は、こう述懐している。
「私が13歳の時に一家で移住しました。財産も、保障もなく、あるのは苦労ばかり……。わが家の生活は、父が折伏を受け、家族で入会してから、少しずつ、良い方向に変化していきました」
父は、子どもたちに「勇気の信心」さえあれば、道は開けることを教えた。口数は決して多くなかったが、真面目に信心に励む父の背中は、子どもたちの心に刻まれた。
こうした草創の同志の奮闘があり、広布の水かさは増していった。皆が功徳を受け、その歓喜が友から友へと広がったのである。
池田先生が、この地を訪問したのは、1993年2月のこと。
滞在期間は2月20日から23日までの4日間だった。
先生は、過密な日程の合間をぬって、何度もパラグアイ川のほとりに立ち、カメラを向けた。パラグアイ総会(2月21日)の席上、その心情を語っている。
「私はパラグアイ川を金色に染めながら地平線に沈みゆく荘厳な夕日を見た。
いじらしいほど真面目に信心を貫いているパラグアイの皆さま方が、その太陽のごとく、堂々たる勝利の人生を飾りゆかれることは、絶対に間違いない」
「信仰という、最高に赫々たる太陽を燃やしながら、『私は勝った』と言いきれる一生を、生き抜いていただきたい」
総会には、ナガサワさんをはじめ草創のメンバーの姿があった。"堂々たる勝利の人生は、間違いない"——師の言葉に皆、目頭を熱くした。
ナガサワさんが50年前にアスンシオンで始めた小さな食料品店は、やがてスーパーマーケットに拡充。地域の人気店として、住民から広く親しまれている。
2002年、ナガサワさんは79歳で尊い生涯を閉じた。亡くなったその日は、パラグアイ川に沈みゆく夕日が美しかったという。茜色に染まる空を見つめて、ユウコさんは亡き父に語り掛けた。
「お父さん、パラグアイに連れてきてくれて、ありがとう。私たちは、パラグアイに連れてきてもらったことを、誇りに思います。こんなに素晴らしい場所はありません。ここが、私たちの故郷です」
ナガサワさん一家は、全員が広布のリーダーとして活躍し、その孫たちも、広布後継の道を歩んでいる。
御書には「大木の下の小木、大河のほとりの草は、大木が受ける雨の恵みを直接、身に受けず、大河の水を直接、得ることはないけれども、(自然のうちに)伝わる露を得、水気を得て、栄えていく」(1170ページ、通解)と仰せである。
広布に生きる人は、生命力の「大樹」であり、「大河」の存在である。
「一人立つ信心」がある限り、必ずや、一家を照らし、地域社会をも潤していける。ここに、広宣流布の不変の原理があろう。
来る日も来る日も、人のため、地域のために、尽くし抜いた広布の足跡は、荘厳な夕日のごとく、永遠に色あせることはない。
父母から子や孫、ひ孫へ——滔々と流れるパラグアイ川と共に、後継の人材の大河が築かれている。
佐渡御勘気抄 P891
『いたづらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金をかふるにあらずや、各各なげかせ給うべからず』
【通解】
むなしく朽ちるであろうこの身を法華経のために捧げることは、ちょうど石を金に替えるようなものではないか。あなた方は嘆いてはならない。
◇社説 2020・2・9 11日は「恩師の生誕120周年」
座談会から「二月闘争」の勝利を
ほのかに漂う磯の香り。潮騒が時折、心地よく耳に響く。石川県の最西端に位置する加賀市塩屋町。古くは、日本海を往来した「北前船」の寄港地として、大いに活況を呈した。
1900年(明治33年)2月11日、創価学会第2代会長の戸田城聖先生は、この地(当時は塩屋村)で生まれた。
幼年期に、一家で新天地を求めて北海道・厚田村(当時)に移住。その後、苦学に苦学を重ねて尋常小学校准教員の検定試験に合格し、夕張の真谷地に赴任した。大志を抱いた戸田青年は19歳で上京。牧口常三郎先生と、運命的な師弟の出会いを結ぶことになる。
度重なる病魔や経済苦、妻子との死別……戸田先生の青春時代は、悪戦苦闘の連続だった。特に、家族の死に相次いで直面して以来、「絶えず道を求めてきた」と真実の信仰を希求し、牧口先生に続いて日蓮仏法に帰依した。
戸田先生は後年、草創期を振り返りつつ、"座談会が何といっても中心だ。私もそこから立ち上がったんだから"と語っている。少人数の座談会が、戸田先生にとっても原点だったといえよう。
思えば、19歳の池田大作先生が初めて戸田先生と出会ったのも、大田区内の座談会(1947年8月14日)。「201世帯」の金字塔を樹立した蒲田支部の「二月闘争」(52年2月)でも、やはり小単位の座談会が連日各地で活発に開催され、爆発的な拡大の原動力となった。
一人と会い、一人と語らい、一人と友情を結ぶ。心通う"少人数の集い"を大事にする。これが、学会創立以来の伝統であり、未来永遠に変わらぬ広布伸展の方程式であろう。
人間関係の希薄化や孤立化が憂慮される現代社会にあって、創価の座談会運動の意義は、時とともに、いやまして希望の光彩を放つ。今、国内外の数多くの識者が高い評価を寄せている。
ジャーナリストの田原総一朗氏も、その一人。"学会を発展せしめている要因は、座談会にある"と洞察する。氏は実際、何度も足を運び、取材を重ねた上で、「座談会に出ると気持ちが前向きになる」「何でも話せる。心から信頼できる相手がいる。これが大きい」とも。
恩師の生誕120周年に迎える今年の「二月闘争」も中盤戦に入る。
"戸田先生の誕生月を広布拡大でお祝いしよう!"——若き池田先生の師子奮迅の激闘と、それに呼応した草創の友の「壁を破る」戦いに学び、各人が「令和初の二月闘争」を勝ち飾りたい。
生命を潤すオアシスであり、歓喜が歓喜を呼ぶ座談会で、勝利のリズムを刻みながら——。
☆世界写真紀行 パラグアイ川の夕日 93年、池田先生は大河のほとりに立った 2020年2月4日
◇真面目な人が最後に勝つ
南米パラグアイの首都アスンシオンは「森と水の都」とうたわれる。
その近郊を滔々と流れる南米有数の大河・パラグアイ川は、ひときわ美しい。
パラグアイ広布の礎を築いたのは戦後、移住した日系人である。
彼らは、原生林から木を切り出し、自分たちで家を建てるところから始めなければならなかった。
その大半のメンバーは移住地に渡ってから学会に入会。皆、貧しかった。病と闘う友も多かった。
それでも、御本尊を抱き締めるように祈り、仏法を語り歩いた。彼らにとって、創価の哲学は、唯一の希望の光だった。
草創のパラグアイ広布に生き抜いたマツタロウ・ナガサワさんの思いを、長女のユウコ・クリタさん(総合婦人部長)は、こう述懐している。
「私が13歳の時に一家で移住しました。財産も、保障もなく、あるのは苦労ばかり……。わが家の生活は、父が折伏を受け、家族で入会してから、少しずつ、良い方向に変化していきました」
父は、子どもたちに「勇気の信心」さえあれば、道は開けることを教えた。口数は決して多くなかったが、真面目に信心に励む父の背中は、子どもたちの心に刻まれた。
こうした草創の同志の奮闘があり、広布の水かさは増していった。皆が功徳を受け、その歓喜が友から友へと広がったのである。
池田先生が、この地を訪問したのは、1993年2月のこと。
滞在期間は2月20日から23日までの4日間だった。
先生は、過密な日程の合間をぬって、何度もパラグアイ川のほとりに立ち、カメラを向けた。パラグアイ総会(2月21日)の席上、その心情を語っている。
「私はパラグアイ川を金色に染めながら地平線に沈みゆく荘厳な夕日を見た。
いじらしいほど真面目に信心を貫いているパラグアイの皆さま方が、その太陽のごとく、堂々たる勝利の人生を飾りゆかれることは、絶対に間違いない」
「信仰という、最高に赫々たる太陽を燃やしながら、『私は勝った』と言いきれる一生を、生き抜いていただきたい」
総会には、ナガサワさんをはじめ草創のメンバーの姿があった。"堂々たる勝利の人生は、間違いない"——師の言葉に皆、目頭を熱くした。
ナガサワさんが50年前にアスンシオンで始めた小さな食料品店は、やがてスーパーマーケットに拡充。地域の人気店として、住民から広く親しまれている。
2002年、ナガサワさんは79歳で尊い生涯を閉じた。亡くなったその日は、パラグアイ川に沈みゆく夕日が美しかったという。茜色に染まる空を見つめて、ユウコさんは亡き父に語り掛けた。
「お父さん、パラグアイに連れてきてくれて、ありがとう。私たちは、パラグアイに連れてきてもらったことを、誇りに思います。こんなに素晴らしい場所はありません。ここが、私たちの故郷です」
ナガサワさん一家は、全員が広布のリーダーとして活躍し、その孫たちも、広布後継の道を歩んでいる。
御書には「大木の下の小木、大河のほとりの草は、大木が受ける雨の恵みを直接、身に受けず、大河の水を直接、得ることはないけれども、(自然のうちに)伝わる露を得、水気を得て、栄えていく」(1170ページ、通解)と仰せである。
広布に生きる人は、生命力の「大樹」であり、「大河」の存在である。
「一人立つ信心」がある限り、必ずや、一家を照らし、地域社会をも潤していける。ここに、広宣流布の不変の原理があろう。
来る日も来る日も、人のため、地域のために、尽くし抜いた広布の足跡は、荘厳な夕日のごとく、永遠に色あせることはない。
父母から子や孫、ひ孫へ——滔々と流れるパラグアイ川と共に、後継の人材の大河が築かれている。
2020年2月9日日曜日
2020.02.09 わが友に贈る
我らの信仰体験こそ
社会の希望の光だ。
「屢談話を致さん」
対話の花咲く座談会から
広布と人生の春を!
最蓮房御返事 P1343
『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ』
【通解】
私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都となるであろう。私たちの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺の霊鷲山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復されるのである。
名字の言 子母沢寬の小説『大道』と戸田先生 2020年2月9日
江戸時代の初期、土佐藩で執政に就いた野中兼山は、新田開発や産業振興などで民の暮らしを豊かにした。しかし策略によって失脚し、汚名を着せられた▼子母沢寛の小説『大道』は、野中を描いた作品で、週刊誌で発表された。子母沢は北海道厚田村(当時)の出身。感銘を受けた同郷の戸田城聖先生は、単行本として世に出したいと伝え、1940年、大道書房を設立した▼『大道』は短編ながら印象深い場面が多い。小説は、野中の言葉で終わる。「俺は人間の大道を歩いてきた。命がけで真面目に信念の上を歩き、誠実の上を歩いて来た」「大道を歩いて来たものは強い」。戸田先生の「不惜身命」の信念と重なる。先生が出版を強く望んだのもうなずけよう▼道にもいろいろある。本道と枝道、正道と邪道、王道と覇道……。牧口常三郎先生と共に軍部政府の弾圧に抗して獄中闘争を貫き、戦後ただ一人、創価学会の再建に立った戸田先生には、我こそ大道を征くとの自負があった。その心を継いだ池田先生によって、世界広布の大道は今、洋々と開ける▼11日は戸田先生の生誕120周年。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」――畜生道の地球を、平和と共生の菩薩道の地球に変えたいとの恩師の叫びに応えることが、私たちの進むべき道である。(芯)
寸鉄 2020年2月9日
何のために―この目的観で人生の価値は決まる。勇み自他共の幸福のため
たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給う―御書。語った分、功徳は大
民音の日。人々結ぶ文化交流で平和世紀を!推進委員の皆様の献身に感謝
運動不足で死亡リスクは増加と。今日も友の元へ。学会活動に心身共の健康
急ハンドル、急加速など雪道や凍結路では「急」が付く運転は禁物。用心を
☆勇気の旗高く 池田先生が徳島の友に贈る指針 わが胸の信念を語れ!
◇反転攻勢の烽火
<本年は、池田先生の徳島初訪問から60周年。1960年(昭和35年)12月6日、先生は大阪から船で小松島の港に入り、徳島支部の結成大会に出席した。以来、60星霜――。徳島の同志は、苦難を乗り越えるたびに、師弟の絆を強めてきた。第1次宗門事件の余燼がくすぶる81年(同56年)11月には、先生は悪侶に苦しめられてきた徳島を訪れ、反転攻勢の烽火を上げた>
この信仰だけは、勇気をもってやり抜いてください。信心の根本は、御本尊と自分との関係につきます。枝葉のことに紛動されることなく、決して負けないで、勇気ある信心をしてください。勇気のなかに一切が含まれてきます。福運も慈愛も無事故・安全も含まれてきます。
人生には行き詰まりがある。その行き詰まりを全部打開するのが題目なんです。御本尊に祈ることです。生老病死の問題も、子どもの将来も、考えればきりがないでしょう。その中で、題目だけは生涯、永遠に行き詰まりがない。だから信心しかないのです。
徳島ここにあり、というものを日本中に示したいですね。徳島に行ってみたいな、徳島は生き生きしているな、徳島の人に会ってみたいな、と言われること自体が、依正不二で、皆さんの勝利なのです。大福運を積んでいる証拠なのです。その意味で、私は、徳島を応援したいのです。
◇開拓は一人から
<73年(同48年)に行われた徳島県幹部総会。池田先生は、新たな開拓が常に「一人」から始まることを強調した>
しょせん、新しきものの建設や開拓というものは、小さくとも大きくとも、全面的に個人の力に負うものであります。あくまでも、個人が原点である。集団というものは、それを応用し実用化していくことしかできません。
昔から、新しい真理や法則というものの発見は、全て、ただ一人の個人に負っています。当然それは、数多くの人々の努力の結晶とか、伝統とか、構築というものの歴史的背景はあると思いますが、背景は背景としましても、例えば、万有引力の法則は、ニュートン一人の発見であった。相対性原理は、かのアインシュタイン一人の発見であります。皆が寄ってたかって、つくりあげたものではない。
このように、新しいなんらかの創造というものは、常に個人の手によっている。皆さん方も「これだけ大勢いるからだれかがなんとかやる」というのでは、自分自身の"本有無作の当体の生命の輝き"にはならない。自分というものをどうするかが問題です。組織は手段といってよい。あくまでも自分が原点である。そこに仏道修行の、また人間の最高の生きがいの核心というものがあるのです。
◇開かれた心
<徳島は、日本で初めてベートーベンの「第九」(歓喜の歌)が演奏されたといわれる地。第1次世界大戦で捕虜となったドイツ兵が、徳島の収容所で演奏した。先生はその背景に、徳島の人々の「開かれた心」があったと洞察する>
なぜ、この徳島で日本最初の「第九」の演奏が行われたのか?
その理由として、第九を演奏した「板東俘虜収容所」の松江豊寿所長が立派な人格者であったこと、また人々のドイツ文化を愛する心が深く強かったことなど、さまざまな理由が挙げられている。
そのうえで、ただ一点、歴史上、私が強調しておきたいのは、その背景に徳島の人々の「開かれた心」があったということである。
徳島の清らかな心の庶民は、異国の捕虜に対しても傲慢に見下すことはなかった。反対に、臆病に敬遠することもなかった。そして、捕虜の人々の進んだ生活技術や教養を、謙虚に素直に学ぼうとしたという。よい意味の好奇心、探求心をもっていた。
エンジンなどの機械の技術、ジャガイモ、トマトなどの野菜の栽培、サッカーなどのスポーツ等々、徳島の純朴な村人たちはドイツの捕虜から生き生きと学んだ。
捕虜たちは、どこに行っても、村の子どもたちから、ドイツ語で「グーテン・モルゲン(おはよう)!」と声をかけられたと回想している。すごいことである。
こうした麗しい触れ合いのなかから、あの「第九」の演奏会も、自然な盛り上がりのなかで実現していったと考えられる。
ドイツの捕虜の一人は、この徳島の民衆との交流の喜びを、ゲーテの大作『ファウスト』の一節に託して書き残している。
「はやくも村人のどよめきが聞こえてくる、
ここは民衆のほんとの天国だ。
大人も子供も大満足で、歓声がしきり、
ここでこそ私も人間、私は人間でいられるぞ!」(山下肇訳『ゲーテ全集』3所収、潮出版社)
これが徳島の人々である。まさに人格に「徳」が輝いておられる。徳島が、また四国が、どれほど素晴らしき理想の天地であることか――。
◇歓喜の連鎖を
<池田先生は随筆の中で、「歓喜の歌」を高らかに歌いつつ前進する徳島の友に、万感の期待を寄せた>
本来、「第九」は、天界の喜びの花々に包まれて誕生したわけでは、決してない。
当時の社会を見れば、ナポレオン戦争が終わったあとの、反動的な権力政治が自由を圧迫した暗黒時代であった。自由を愛する共和主義者として知られたベートーベンには、常時、警察の監視がついていたし、一度などは、実際に留置されたこともあったようだ。
彼自身も、病苦やスランプや親族の悩みに悶えていた。
「喜びは、苦悩の大木にみのる果実」(アンドレ・モロワ著、辻昶・横山正二訳『ヴィクトール・ユゴーの生涯』新潮社)とは、文豪ユゴーの名言である。
ベートーベンは、懊悩の溶鉱炉から、永遠なる歓喜の宝光を輝かせていく。
今こそ、重き苦悩の雲を吹き払え! 鉄の鎖を断ち切れ!
断固として、夜明けの光を、新しき希望の歌声を!
彼は叫んだ。
――もっと快い、もっと歓びに満ちたものを歌い出そうではないか!
苦悩を突き抜けて歓喜へ!
「わが心は本来、仏なり!」「我ら広布の大使命に生まれたり!」と自覚することこそ、無上最高の喜びである。
それを、大聖人は、「歓喜の中の大歓喜」(御書788ページ)と仰せである。
「煩悩即菩提」である。試練に負けず、勇気をもって苦難に打ち勝つ、その時、自分らしい「歓喜の歌」が、わが生命の青空に轟き渡るのだ。
ベートーベンは、「心より来る! 願わくは更に心へと赴かんことを!」(原田義人訳『ベートーヴェンの言葉』創元社)と祈った。
「歓喜」もまた、心の奥からあふれ出し、心から心へ、友から友へ、飛び火していく。
歓喜は、勇気の火花であり、雄々しき戦いの閃光である。
わが胸の信念を語れ! 正義と真実を叫び抜け! 自由の炎で邪悪な壁を焼き尽くせ!
文豪ロマン・ロランは「フランス大革命は『歓喜』から発した」(「第九交響曲」蛯原徳夫・北沢方邦訳『ロマン・ロラン全集』25所収、みすず書房)と洞察した。
我らの妙法の広宣流布は、生命の「歓喜の中の大歓喜」に発して、全人類待望の「人間革命の世紀」「人間勝利の世紀」の無上の扉を開いていく行動である。
自分が存在するその場所で、断固として、正義の旗、栄光の旗を打ち立てながら!
徳島、万歳!
社会の希望の光だ。
「屢談話を致さん」
対話の花咲く座談会から
広布と人生の春を!
最蓮房御返事 P1343
『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ』
【通解】
私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都となるであろう。私たちの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺の霊鷲山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復されるのである。
名字の言 子母沢寬の小説『大道』と戸田先生 2020年2月9日
江戸時代の初期、土佐藩で執政に就いた野中兼山は、新田開発や産業振興などで民の暮らしを豊かにした。しかし策略によって失脚し、汚名を着せられた▼子母沢寛の小説『大道』は、野中を描いた作品で、週刊誌で発表された。子母沢は北海道厚田村(当時)の出身。感銘を受けた同郷の戸田城聖先生は、単行本として世に出したいと伝え、1940年、大道書房を設立した▼『大道』は短編ながら印象深い場面が多い。小説は、野中の言葉で終わる。「俺は人間の大道を歩いてきた。命がけで真面目に信念の上を歩き、誠実の上を歩いて来た」「大道を歩いて来たものは強い」。戸田先生の「不惜身命」の信念と重なる。先生が出版を強く望んだのもうなずけよう▼道にもいろいろある。本道と枝道、正道と邪道、王道と覇道……。牧口常三郎先生と共に軍部政府の弾圧に抗して獄中闘争を貫き、戦後ただ一人、創価学会の再建に立った戸田先生には、我こそ大道を征くとの自負があった。その心を継いだ池田先生によって、世界広布の大道は今、洋々と開ける▼11日は戸田先生の生誕120周年。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」――畜生道の地球を、平和と共生の菩薩道の地球に変えたいとの恩師の叫びに応えることが、私たちの進むべき道である。(芯)
寸鉄 2020年2月9日
何のために―この目的観で人生の価値は決まる。勇み自他共の幸福のため
たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給う―御書。語った分、功徳は大
民音の日。人々結ぶ文化交流で平和世紀を!推進委員の皆様の献身に感謝
運動不足で死亡リスクは増加と。今日も友の元へ。学会活動に心身共の健康
急ハンドル、急加速など雪道や凍結路では「急」が付く運転は禁物。用心を
☆勇気の旗高く 池田先生が徳島の友に贈る指針 わが胸の信念を語れ!
◇反転攻勢の烽火
<本年は、池田先生の徳島初訪問から60周年。1960年(昭和35年)12月6日、先生は大阪から船で小松島の港に入り、徳島支部の結成大会に出席した。以来、60星霜――。徳島の同志は、苦難を乗り越えるたびに、師弟の絆を強めてきた。第1次宗門事件の余燼がくすぶる81年(同56年)11月には、先生は悪侶に苦しめられてきた徳島を訪れ、反転攻勢の烽火を上げた>
この信仰だけは、勇気をもってやり抜いてください。信心の根本は、御本尊と自分との関係につきます。枝葉のことに紛動されることなく、決して負けないで、勇気ある信心をしてください。勇気のなかに一切が含まれてきます。福運も慈愛も無事故・安全も含まれてきます。
人生には行き詰まりがある。その行き詰まりを全部打開するのが題目なんです。御本尊に祈ることです。生老病死の問題も、子どもの将来も、考えればきりがないでしょう。その中で、題目だけは生涯、永遠に行き詰まりがない。だから信心しかないのです。
徳島ここにあり、というものを日本中に示したいですね。徳島に行ってみたいな、徳島は生き生きしているな、徳島の人に会ってみたいな、と言われること自体が、依正不二で、皆さんの勝利なのです。大福運を積んでいる証拠なのです。その意味で、私は、徳島を応援したいのです。
◇開拓は一人から
<73年(同48年)に行われた徳島県幹部総会。池田先生は、新たな開拓が常に「一人」から始まることを強調した>
しょせん、新しきものの建設や開拓というものは、小さくとも大きくとも、全面的に個人の力に負うものであります。あくまでも、個人が原点である。集団というものは、それを応用し実用化していくことしかできません。
昔から、新しい真理や法則というものの発見は、全て、ただ一人の個人に負っています。当然それは、数多くの人々の努力の結晶とか、伝統とか、構築というものの歴史的背景はあると思いますが、背景は背景としましても、例えば、万有引力の法則は、ニュートン一人の発見であった。相対性原理は、かのアインシュタイン一人の発見であります。皆が寄ってたかって、つくりあげたものではない。
このように、新しいなんらかの創造というものは、常に個人の手によっている。皆さん方も「これだけ大勢いるからだれかがなんとかやる」というのでは、自分自身の"本有無作の当体の生命の輝き"にはならない。自分というものをどうするかが問題です。組織は手段といってよい。あくまでも自分が原点である。そこに仏道修行の、また人間の最高の生きがいの核心というものがあるのです。
◇開かれた心
<徳島は、日本で初めてベートーベンの「第九」(歓喜の歌)が演奏されたといわれる地。第1次世界大戦で捕虜となったドイツ兵が、徳島の収容所で演奏した。先生はその背景に、徳島の人々の「開かれた心」があったと洞察する>
なぜ、この徳島で日本最初の「第九」の演奏が行われたのか?
その理由として、第九を演奏した「板東俘虜収容所」の松江豊寿所長が立派な人格者であったこと、また人々のドイツ文化を愛する心が深く強かったことなど、さまざまな理由が挙げられている。
そのうえで、ただ一点、歴史上、私が強調しておきたいのは、その背景に徳島の人々の「開かれた心」があったということである。
徳島の清らかな心の庶民は、異国の捕虜に対しても傲慢に見下すことはなかった。反対に、臆病に敬遠することもなかった。そして、捕虜の人々の進んだ生活技術や教養を、謙虚に素直に学ぼうとしたという。よい意味の好奇心、探求心をもっていた。
エンジンなどの機械の技術、ジャガイモ、トマトなどの野菜の栽培、サッカーなどのスポーツ等々、徳島の純朴な村人たちはドイツの捕虜から生き生きと学んだ。
捕虜たちは、どこに行っても、村の子どもたちから、ドイツ語で「グーテン・モルゲン(おはよう)!」と声をかけられたと回想している。すごいことである。
こうした麗しい触れ合いのなかから、あの「第九」の演奏会も、自然な盛り上がりのなかで実現していったと考えられる。
ドイツの捕虜の一人は、この徳島の民衆との交流の喜びを、ゲーテの大作『ファウスト』の一節に託して書き残している。
「はやくも村人のどよめきが聞こえてくる、
ここは民衆のほんとの天国だ。
大人も子供も大満足で、歓声がしきり、
ここでこそ私も人間、私は人間でいられるぞ!」(山下肇訳『ゲーテ全集』3所収、潮出版社)
これが徳島の人々である。まさに人格に「徳」が輝いておられる。徳島が、また四国が、どれほど素晴らしき理想の天地であることか――。
◇歓喜の連鎖を
<池田先生は随筆の中で、「歓喜の歌」を高らかに歌いつつ前進する徳島の友に、万感の期待を寄せた>
本来、「第九」は、天界の喜びの花々に包まれて誕生したわけでは、決してない。
当時の社会を見れば、ナポレオン戦争が終わったあとの、反動的な権力政治が自由を圧迫した暗黒時代であった。自由を愛する共和主義者として知られたベートーベンには、常時、警察の監視がついていたし、一度などは、実際に留置されたこともあったようだ。
彼自身も、病苦やスランプや親族の悩みに悶えていた。
「喜びは、苦悩の大木にみのる果実」(アンドレ・モロワ著、辻昶・横山正二訳『ヴィクトール・ユゴーの生涯』新潮社)とは、文豪ユゴーの名言である。
ベートーベンは、懊悩の溶鉱炉から、永遠なる歓喜の宝光を輝かせていく。
今こそ、重き苦悩の雲を吹き払え! 鉄の鎖を断ち切れ!
断固として、夜明けの光を、新しき希望の歌声を!
彼は叫んだ。
――もっと快い、もっと歓びに満ちたものを歌い出そうではないか!
苦悩を突き抜けて歓喜へ!
「わが心は本来、仏なり!」「我ら広布の大使命に生まれたり!」と自覚することこそ、無上最高の喜びである。
それを、大聖人は、「歓喜の中の大歓喜」(御書788ページ)と仰せである。
「煩悩即菩提」である。試練に負けず、勇気をもって苦難に打ち勝つ、その時、自分らしい「歓喜の歌」が、わが生命の青空に轟き渡るのだ。
ベートーベンは、「心より来る! 願わくは更に心へと赴かんことを!」(原田義人訳『ベートーヴェンの言葉』創元社)と祈った。
「歓喜」もまた、心の奥からあふれ出し、心から心へ、友から友へ、飛び火していく。
歓喜は、勇気の火花であり、雄々しき戦いの閃光である。
わが胸の信念を語れ! 正義と真実を叫び抜け! 自由の炎で邪悪な壁を焼き尽くせ!
文豪ロマン・ロランは「フランス大革命は『歓喜』から発した」(「第九交響曲」蛯原徳夫・北沢方邦訳『ロマン・ロラン全集』25所収、みすず書房)と洞察した。
我らの妙法の広宣流布は、生命の「歓喜の中の大歓喜」に発して、全人類待望の「人間革命の世紀」「人間勝利の世紀」の無上の扉を開いていく行動である。
自分が存在するその場所で、断固として、正義の旗、栄光の旗を打ち立てながら!
徳島、万歳!
2020年2月8日土曜日
2020.02.08 わが友に贈る
宝の未来部を大切に。
「応援しているよ!」
との励ましの声こそ
大樹と育ちゆく滋養。
成長を信じ抜こう!
教行証御書 P1282
『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』
【通解】
日蓮の弟子等は、臆病であってはならない。
名字の言 森繁久彌さんの舞台での痛恨の思い出 2020年2月8日
ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」で主役を演じた俳優の森繁久彌さんには、痛恨の思い出があった。地方公演でのこと。客席の前列に座った少女がずっと下を向き、居眠りしている様子。不快になった森繁さんたちは、彼女のそばでわざと声を張り上げ、床を強く踏み鳴らし、"起きろ"と言わんばかりの芝居をした▼芝居が全て終わった時、やっと顔を上げた少女。その両目は閉じられていた。居眠りに見えたのは、盲目ゆえに、神経を耳に集めて聞き入っていたから。"なぜ気付けなかったんだ"。森繁さんは自らを恥じ、心で泣いた(『人師は遭い難し』)▼ある地区の座談会。いつも来ている女子部員の姿がない。"あら?"。気になった地区婦人部長が、座談会を終えた足で女子部員が暮らすアパートへ。すると部屋で一人、ふさぎ込んでいた。仕事で失敗し、苦しかったという▼地区婦人部長は懸命に激励した。女子部員は「すぐに駆け付けてくれた真心がうれしくて」と涙。そして笑顔を取り戻した▼友が発する言葉、しぐさ、表情、行動……。その小さな変化に大きな意味が隠されていることがある。だからこそ、絶えず一人一人の幸福を祈り、心のアンテナを広く張り、励ましを送りたい。皆が人材、皆が宝なのだから。(誠)
寸鉄 2020年2月8日
腹を据えよ。何があっても戦うとの心が一番大事—恩師。まずは祈りから
きょう沖縄の日。模範の友好広げる広宣の同志よ勇気の対話で勝利の舞を
偉大な精神は偉大な精神で形成—詩人。広布の組織は己磨く善知識の集い
"脱プラ"の取組が拡大。エコバッグ、マイボトル等、できることから実践
各地でひったくり頻発。鞄は建物側、自転車には防犯網を。絶対無事故で
☆心に御書を 第19回 苦難に揺るがぬ大境涯を
〈御文〉
『今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(御義口伝、750ページ)
〈通解〉
今、日蓮と門下が妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。
〈池田先生が贈る指針〉
若き日、日記に書き留めた一節である。男子部大学校や白蓮グループなどで奮闘する尊き後継の若人に贈りたい。
青春時代の鍛錬は一生の財宝だ。なかんずく、どんな苦難にも揺るがない仏の大境涯を築きゆけるのが仏道修行である。
創価の道を最高の同志と恐れなく! 無上の充実と永遠の福徳を勝ち開いてくれ給え!
☆2月度座談会拝読御書 諸法実相抄
拝読御文
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』(御書全集1361ページ11行目〜13行目)
◇[池田先生の指針から] 自らの全力を尽くす
信・行・学の大道を、喜び勇んで前進したい。そのなかで、新しい人材を育てていきたい。折伏は、難事中の難事である。たとえ、思うような結果がすぐには出なくとも、くよくよする必要は、まったくない。
戸田先生は、厳然と断言なされていた。
「苦しみにあえぐ民衆を、永遠に根本から救うことは、平凡な動機などでは考えられぬ大事業だ。これ以上の大事業がどこにあるのか!」
最極の仏の聖業を成し遂げていく誇りに燃えて、伸び伸びと、また朗らかに、そして自信に満ち満ちて、「幸福」と「希望」と「平和」の対話を、幾重にも広げてまいりたい。
(『池田大作全集』第100巻所収、婦人部代表幹部協議会でのスピーチ)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
牧口先生は、この「諸法実相抄」の「行学の二道」が示された御書のページに、二重丸を付けられていました。
戸田先生も、御書全集の「発刊の辞」で「創価学会は初代会長牧口常三郎先生之を創設して以来、此の金言を遵奉して純真強盛な信心に基き、行学の二道を励むと共に如説の折伏行に邁進して来たが、剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」と、つづられています。
学会に、大聖人の峻厳なる精神が流れ通ってきたのは、ひとえに「行学の二道」に邁進してきたからです。
◇ ◇ ◇
自行化他にわたる行学の実践こそ仏法の魂です。
宗教とは、自分だけが信仰すればいいというものではありません。自分だけが覚り、あとの人のことは知らないという、自分勝手な仏などいない。仏の智慧は、どこまでも全民衆を幸福に導くためのものだからです。
牧口先生・戸田先生の獄中での行学の実践こそ、創価学会が大聖人直結である、明確なる証です。わが学会は、この御文の通りに永遠に「実践の教学」の団体です。
「行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」とも仰せです。「信」は、行学という具体的な実践に現れます。
「力あらば」とは、力があるとか、ないとかなどではありません。「力の限り」という意味です。自らの全力を尽くすのです。
教学が苦手だからと、臆する必要もない。自分が御書を拝し感動したこと、仏法を実践して学んだことでよいのです。「信心は楽しい」「願いは絶対に叶う信心です」等と、一言でもいいから、語っていくことです。(『信仰の基本「信行学」』)
◇「信心は楽しい」と一言でも語ろう
◇[キーワード1]行学錬磨で前進
信心の実践にあっては、信行学が基本です。
その中でも御本尊を信じる「信」がその根本です。「信」が大事であるといっても、形として目で見ることはできません。だからこそ「信」を日々、強く、深くしていく具体的な修行が大切なのです。
大聖人は本抄で、"行学の二道の実践がなければ信心ではない"と、具体的な修行の大切さを訴えています。
行学といっても、信心の発露として現れるものです。
その上で、自行化他にわたる唱題行、そして教学の研さんに励む中で、身をもって妙法の偉大さ、正しさを知り、信心を深化していくことができます。
さらに、信が深まれば、"もっと唱題に励みたい""教学を学びたい""あの人に信心の話をしよう"と、行学実践の勢いが増します。
このように、信から行学の実践が生まれ、その修行によって信が深まり、深まった信によって修行への情熱がわくのです。
信行学という基本に徹する時、私たちは信心を常に磨き輝かせていくことができるのです。それは常に人間革命し、成長していく姿に他なりません。
行学錬磨に励む人は、日々、前進の人です。ゆえに、あらゆる障魔を打ち破り、明るく朗らかに、輝いていくことができるのです。
◇[キーワード2]大聖人直結の生き方
今回拝する「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」は、本抄の末尾の一節で、門下に弘教の実践を促している箇所です。
「力あらば」とは、私たちの信心の実践で拝せば、力の限り、全力を尽くすという意味です。随力演説であり、随力弘通です。一人一人が持てる力を奮って語りに語っていくのです。
"そんな力は私にはない"と思う人もいるでしょう。大聖人は他の御書で、「師子王の心を取り出して」(1190ページ)と仰せです。だれもが汲めども尽きぬ仏の智慧と力を具えています。生命から力を取り出すカギは、大聖人直結の信心です。
本抄の追伸で大聖人は、「日本国の男女を・みちびかんとおもへばなり」(御書1361ページ)と、民衆救済の慈悲心から筆を執られたと述べられます。
さらに「まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う」(同1362ページ)と仰せです。大聖人の弟子であることは、深き縁で結ばれているのです。
大聖人直結の信心とは、この師弟の宿縁に目覚め、大聖人と同じように慈悲の心で、妙法を自分の持てる力の限り、語り抜いていく菩薩の生き方に脈打つのです。
現代にあっては、全民衆の幸福と世界の平和を願い、広宣流布に邁進する学会の同志こそが、大聖人直結の生き方を貫いていることは間違いありません。
「応援しているよ!」
との励ましの声こそ
大樹と育ちゆく滋養。
成長を信じ抜こう!
教行証御書 P1282
『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』
【通解】
日蓮の弟子等は、臆病であってはならない。
名字の言 森繁久彌さんの舞台での痛恨の思い出 2020年2月8日
ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」で主役を演じた俳優の森繁久彌さんには、痛恨の思い出があった。地方公演でのこと。客席の前列に座った少女がずっと下を向き、居眠りしている様子。不快になった森繁さんたちは、彼女のそばでわざと声を張り上げ、床を強く踏み鳴らし、"起きろ"と言わんばかりの芝居をした▼芝居が全て終わった時、やっと顔を上げた少女。その両目は閉じられていた。居眠りに見えたのは、盲目ゆえに、神経を耳に集めて聞き入っていたから。"なぜ気付けなかったんだ"。森繁さんは自らを恥じ、心で泣いた(『人師は遭い難し』)▼ある地区の座談会。いつも来ている女子部員の姿がない。"あら?"。気になった地区婦人部長が、座談会を終えた足で女子部員が暮らすアパートへ。すると部屋で一人、ふさぎ込んでいた。仕事で失敗し、苦しかったという▼地区婦人部長は懸命に激励した。女子部員は「すぐに駆け付けてくれた真心がうれしくて」と涙。そして笑顔を取り戻した▼友が発する言葉、しぐさ、表情、行動……。その小さな変化に大きな意味が隠されていることがある。だからこそ、絶えず一人一人の幸福を祈り、心のアンテナを広く張り、励ましを送りたい。皆が人材、皆が宝なのだから。(誠)
寸鉄 2020年2月8日
腹を据えよ。何があっても戦うとの心が一番大事—恩師。まずは祈りから
きょう沖縄の日。模範の友好広げる広宣の同志よ勇気の対話で勝利の舞を
偉大な精神は偉大な精神で形成—詩人。広布の組織は己磨く善知識の集い
"脱プラ"の取組が拡大。エコバッグ、マイボトル等、できることから実践
各地でひったくり頻発。鞄は建物側、自転車には防犯網を。絶対無事故で
☆心に御書を 第19回 苦難に揺るがぬ大境涯を
〈御文〉
『今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(御義口伝、750ページ)
〈通解〉
今、日蓮と門下が妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。
〈池田先生が贈る指針〉
若き日、日記に書き留めた一節である。男子部大学校や白蓮グループなどで奮闘する尊き後継の若人に贈りたい。
青春時代の鍛錬は一生の財宝だ。なかんずく、どんな苦難にも揺るがない仏の大境涯を築きゆけるのが仏道修行である。
創価の道を最高の同志と恐れなく! 無上の充実と永遠の福徳を勝ち開いてくれ給え!
☆2月度座談会拝読御書 諸法実相抄
拝読御文
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』(御書全集1361ページ11行目〜13行目)
◇[池田先生の指針から] 自らの全力を尽くす
信・行・学の大道を、喜び勇んで前進したい。そのなかで、新しい人材を育てていきたい。折伏は、難事中の難事である。たとえ、思うような結果がすぐには出なくとも、くよくよする必要は、まったくない。
戸田先生は、厳然と断言なされていた。
「苦しみにあえぐ民衆を、永遠に根本から救うことは、平凡な動機などでは考えられぬ大事業だ。これ以上の大事業がどこにあるのか!」
最極の仏の聖業を成し遂げていく誇りに燃えて、伸び伸びと、また朗らかに、そして自信に満ち満ちて、「幸福」と「希望」と「平和」の対話を、幾重にも広げてまいりたい。
(『池田大作全集』第100巻所収、婦人部代表幹部協議会でのスピーチ)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
牧口先生は、この「諸法実相抄」の「行学の二道」が示された御書のページに、二重丸を付けられていました。
戸田先生も、御書全集の「発刊の辞」で「創価学会は初代会長牧口常三郎先生之を創設して以来、此の金言を遵奉して純真強盛な信心に基き、行学の二道を励むと共に如説の折伏行に邁進して来たが、剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」と、つづられています。
学会に、大聖人の峻厳なる精神が流れ通ってきたのは、ひとえに「行学の二道」に邁進してきたからです。
◇ ◇ ◇
自行化他にわたる行学の実践こそ仏法の魂です。
宗教とは、自分だけが信仰すればいいというものではありません。自分だけが覚り、あとの人のことは知らないという、自分勝手な仏などいない。仏の智慧は、どこまでも全民衆を幸福に導くためのものだからです。
牧口先生・戸田先生の獄中での行学の実践こそ、創価学会が大聖人直結である、明確なる証です。わが学会は、この御文の通りに永遠に「実践の教学」の団体です。
「行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」とも仰せです。「信」は、行学という具体的な実践に現れます。
「力あらば」とは、力があるとか、ないとかなどではありません。「力の限り」という意味です。自らの全力を尽くすのです。
教学が苦手だからと、臆する必要もない。自分が御書を拝し感動したこと、仏法を実践して学んだことでよいのです。「信心は楽しい」「願いは絶対に叶う信心です」等と、一言でもいいから、語っていくことです。(『信仰の基本「信行学」』)
◇「信心は楽しい」と一言でも語ろう
◇[キーワード1]行学錬磨で前進
信心の実践にあっては、信行学が基本です。
その中でも御本尊を信じる「信」がその根本です。「信」が大事であるといっても、形として目で見ることはできません。だからこそ「信」を日々、強く、深くしていく具体的な修行が大切なのです。
大聖人は本抄で、"行学の二道の実践がなければ信心ではない"と、具体的な修行の大切さを訴えています。
行学といっても、信心の発露として現れるものです。
その上で、自行化他にわたる唱題行、そして教学の研さんに励む中で、身をもって妙法の偉大さ、正しさを知り、信心を深化していくことができます。
さらに、信が深まれば、"もっと唱題に励みたい""教学を学びたい""あの人に信心の話をしよう"と、行学実践の勢いが増します。
このように、信から行学の実践が生まれ、その修行によって信が深まり、深まった信によって修行への情熱がわくのです。
信行学という基本に徹する時、私たちは信心を常に磨き輝かせていくことができるのです。それは常に人間革命し、成長していく姿に他なりません。
行学錬磨に励む人は、日々、前進の人です。ゆえに、あらゆる障魔を打ち破り、明るく朗らかに、輝いていくことができるのです。
◇[キーワード2]大聖人直結の生き方
今回拝する「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」は、本抄の末尾の一節で、門下に弘教の実践を促している箇所です。
「力あらば」とは、私たちの信心の実践で拝せば、力の限り、全力を尽くすという意味です。随力演説であり、随力弘通です。一人一人が持てる力を奮って語りに語っていくのです。
"そんな力は私にはない"と思う人もいるでしょう。大聖人は他の御書で、「師子王の心を取り出して」(1190ページ)と仰せです。だれもが汲めども尽きぬ仏の智慧と力を具えています。生命から力を取り出すカギは、大聖人直結の信心です。
本抄の追伸で大聖人は、「日本国の男女を・みちびかんとおもへばなり」(御書1361ページ)と、民衆救済の慈悲心から筆を執られたと述べられます。
さらに「まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う」(同1362ページ)と仰せです。大聖人の弟子であることは、深き縁で結ばれているのです。
大聖人直結の信心とは、この師弟の宿縁に目覚め、大聖人と同じように慈悲の心で、妙法を自分の持てる力の限り、語り抜いていく菩薩の生き方に脈打つのです。
現代にあっては、全民衆の幸福と世界の平和を願い、広宣流布に邁進する学会の同志こそが、大聖人直結の生き方を貫いていることは間違いありません。
2020年2月7日金曜日
2020.02.07 わが友に贈る
「いつも・たいせず
信ずるなり」御聖訓。
地道な実践を貫く人が
最後は必ず勝つ。
弛みなき前進の日々を!
立正安国論 P26
『蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』
【通解】
小さな青バエも駿馬の尾につかまって万里を行くことができ、葛は大きな松の木にかかって千尋に伸に伸びることができる。
名字の言 小よく大を制す——炎鵬の心意気 2020年2月7日
武道の世界では「小よく大を制す」という言葉が使われる。人気力士・炎鵬は、その代名詞であろう▼幕内力士の平均体重が160キロを超える中、最軽量の99キロの体から繰り出す多彩な技で相手を翻弄する。初場所では4場所連続の勝ち越しを決めた▼大学時代に世界相撲選手権・軽量級で2連覇。だが"自分の体格でプロは無理"と思い、一般就職するつもりだった。そんな彼の素質に注目していたのが横綱・白鵬である。角界入りした炎鵬は、"相撲人生を完全燃焼する"と決め、入門直後から横綱との、ぶつかり稽古を懇願。"横綱に向かっていけば強くなれる"と、何百回、何千回、倒されても挑み続けた。こうして磨き上げた"強さ"が今、土俵の上で発揮されている▼あえて厳しい環境に飛び込み、自らを磨く。この精神は我らの実践にも通じる。御書に「法華経の行者」を「求羅」という伝説上の虫に譬えた箇所が。「求羅」の身は極めて小さいが、風を受けると、それを食べて非常に大きくなる。この「求羅」を倍増させる風とは"大難"であると、日蓮大聖人は示されている▼大いなる目標に挑むことが、大いなる自分への一歩となる。困難の壁にも、思い切ってぶつかる心の強さから、不可能を可能にする勝利が開けていく。(差)
寸鉄 2020年2月7日
会長は仏教の最善の側面を高め人間主義を拡大—名誉教授。共生社会の光
男子部大学校生が対話に挑戦。"若さ"には無限の力が!情熱を込めて語れ
うんと苦労してこそ人間は偉大に—恩師。弱き心に祈り勝ち、境涯を開け
新成人の半数が「未来は明るくない」と。希望紡ぐ創価の青年運動の使命大
受験生はマスク着用を—大学、予備校が呼び掛け。健康第一で栄光の春へ!
☆心に御書を 第18回 折伏は報恩感謝の大道
〈御文〉
『日蓮は・うけがたくして人身をうけ・値いがたくして仏法に値い奉る、一切の仏法の中に法華経に値いまいらせて候、其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり』(千日尼御前御返事、1311ページ)
〈通解〉
日蓮は、受け難い人身を受け、値い難い仏法に値うことができた。一切の仏法の中でも法華経に値うことができたのである。その恩徳を考えてみれば、父母の恩、国主の恩、一切衆生の恩である。
〈池田先生が贈る指針〉
二月闘争で私は呼び掛けた——弘教の大波で、御本仏の御聖誕、恩師の誕生の月を飾ろう!と。 青年の一念に皆が呼応してくれた。
受けがたき人身を受け、値いがたき妙法を持った我らだ。宿命を使命に転じ、友の幸福を祈る。この地涌の歓喜を語り抜こう! ここに最極の報恩があり、仏法者の本懐があるからだ。
☆心大歓喜——紅燃ゆる志の天地・四国 四国教学部長 高橋浩之☆
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、高橋四国教学部長が登場。「乙御前御消息」の御文を拝し、広宣流布の闘志が赤々と燃える師弟求道の「志国」の誇りと使命について、つづってもらいます。
= 御文 =
『鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、法華経を信ずる人人は志あるも・なきも知られ候はざりしかども・御勘気を・かほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに・女人の御身として・かたがた御志ありし上・我と来り給いし事うつつならざる不思議なり』(乙御前御消息、1220ページ1行目〜3行目)
= 通解 =
(私が)鎌倉にいた時には、念仏者等はさておいて、法華経を信ずる人たちは、だれが信心があるのか、ないのか、分かりませんでした。
しかし、御勘気(幕府による処罰)を受けて佐渡の島まで流されると、問い訪れてくる人もなかったのに、あなたは女性の身で、さまざまに信心の御志を示されたうえ、自ら(佐渡まで)来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことです。
◇広布の闘志をたぎらせ師弟勝利の大叙事詩を
四国は、客船「さんふらわあ7」号で、障魔の波濤を越えて、師の待つ神奈川へと向かった"師弟求道の航海"から40周年の佳節を勝利で飾ることができました。紅のごとく燃ゆる"師を求める志"が、正義の「志国」の誇りであり、勝利の原点です。
今回拝する「乙御前御消息」は、再びの蒙古襲来が予期され、社会が騒然とする中、娘の乙御前と共に師弟の道を貫き通した母に、いよいよ強盛の信心に励むことを教えられた御書です。
「志あるも・なきも知られ候はざりしかども」(御書1220ページ)と仰せの通り、大聖人が鎌倉におられた時には、だれが信じる心を持っているのか分かりませんでした。しかし、大聖人が流罪され、門下にも迫害が及んだ大難の時、本物の信心かどうか、真正の弟子かどうかが明らかになったのです。
乙御前の母は女性でありながら、鎌倉から佐渡まで足を運ばれました。その志を「うつつならざる不思議なり」(同ページ)と、最大にたたえられたのです。
仏法を破壊しようとする障魔は、大聖人を流罪にすることで、師弟の絆を引き裂こうとしたとも言えます。
しかし、求道心に燃える乙御前の母の信心は、いささかも揺らぐことはありませんでした。私たち四国の同志と池田先生の師弟の絆も、だれも断ち切ることのできない三世の宿縁です。
計3度に及んだ"求道の航海"の翌年(=1981年<昭和56年>)、四国の青年部は、"池田先生の真実を示そう"と、先生の平和・文化・教育の行動を紹介する展示を開催することにしました。
識者との会見や行動をつぶさに調べ、分野別、年代別などに分類していきました。その資料は膨大な数になり、"一人の人間がここまでできるのか"と、師の偉大さを痛感しました。
手作りの展示は、同年10月3日から1カ月にわたって四国研修道場で開催され、6万1000人が観賞。真実の前では誹謗や中傷も無力で、"だれが何を言おうが、自分たちの師匠は池田先生しかない"と、皆が歓喜しました。
その直後の11月、先生が電撃的に四国を訪問。「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」と師子吼され、反転攻勢の火ぶたを切られたのです。さらに「桂冠詩人」の称号が贈られて最初の作品「紅の歌」を作ってくださったのです。
本抄で「問い訪う」(御書1220ページ)とは、師匠の元に足を運ぶことですが、それは「志をかさぬれば」(同1221ページ)と仰せの通り、どこまでも師匠を求め抜くことであり、わが心を師匠の心に合致させていくことでもあります。あの"行動展"で、師匠を求めたからこそ、師匠と弟子の心が合致することができたのです。
その後も先生は、"師の詩心を宣揚したい"との青年たちの熱き思いをくみ取られ、さまざまな提案等をしてくださいました。こうした師弟の共同作業の結晶である"桂冠詩人展"は、91年に始まり、多くの識者が訪れ、感動の声を寄せてくださっています。
忘れられないのは、池田先生と対談集を編まれたキルギス共和国が誇る文豪チンギス・アイトマートフ氏です。
氏は、先生が四国の同志に贈られた「純白の/心に大雪/思い出と/アジアの交流/果たせし嬉しさ」のお歌について、次のように語ってくださいました。
「雪は非常に不便だし、寒いし、また、この詩がつくられたのは、大雪のために飛行機が飛ばなくて、あやうく移動できなかった折のことと聞いております。私だったら早く溶ければいい、こんなのは邪魔だ、と思うでしょう。しかし、池田先生という詩人は、それを自然の永遠性の表れであると"本質"を見抜かれたんだと思います」
私もこのお歌で、心がパッと晴れ渡りました。先生の詩心は、あらゆる差異を超えて、人間をより強く、幸福にしていく力があるのです。
池田先生は、四国を「志国」「詩国」「師国」とたたえてくださっています。
広宣流布の闘志が真っ赤に燃える「志国」。人間讃歌をつづりゆく「詩国」。師弟共戦の歴史を開く「師国」——を築き上げることこそ、弟子の私たちの使命です。
「万葉の詩 ともどもに」と、師と共に、同志と共に、人間革命の勝利の大叙事詩をつづりゆきましょう。
★池田先生の指針から——
何事も勝つことである。
勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。
原点は四国である。
その前年、昭和55年の1月には、四国の千人の同志が、横浜にいる私のもとへ、はるばる船で駆けつけてくださった。これも、広布の歴史に永遠に残りゆく光景である。
四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
強き人には、"苦悩の烈風"さえも"歓喜の春風"に感じられる。
弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。
「友のために」「広宣流布のために」——悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。
(2001年1月、第1回四国総会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
信ずるなり」御聖訓。
地道な実践を貫く人が
最後は必ず勝つ。
弛みなき前進の日々を!
立正安国論 P26
『蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』
【通解】
小さな青バエも駿馬の尾につかまって万里を行くことができ、葛は大きな松の木にかかって千尋に伸に伸びることができる。
名字の言 小よく大を制す——炎鵬の心意気 2020年2月7日
武道の世界では「小よく大を制す」という言葉が使われる。人気力士・炎鵬は、その代名詞であろう▼幕内力士の平均体重が160キロを超える中、最軽量の99キロの体から繰り出す多彩な技で相手を翻弄する。初場所では4場所連続の勝ち越しを決めた▼大学時代に世界相撲選手権・軽量級で2連覇。だが"自分の体格でプロは無理"と思い、一般就職するつもりだった。そんな彼の素質に注目していたのが横綱・白鵬である。角界入りした炎鵬は、"相撲人生を完全燃焼する"と決め、入門直後から横綱との、ぶつかり稽古を懇願。"横綱に向かっていけば強くなれる"と、何百回、何千回、倒されても挑み続けた。こうして磨き上げた"強さ"が今、土俵の上で発揮されている▼あえて厳しい環境に飛び込み、自らを磨く。この精神は我らの実践にも通じる。御書に「法華経の行者」を「求羅」という伝説上の虫に譬えた箇所が。「求羅」の身は極めて小さいが、風を受けると、それを食べて非常に大きくなる。この「求羅」を倍増させる風とは"大難"であると、日蓮大聖人は示されている▼大いなる目標に挑むことが、大いなる自分への一歩となる。困難の壁にも、思い切ってぶつかる心の強さから、不可能を可能にする勝利が開けていく。(差)
寸鉄 2020年2月7日
会長は仏教の最善の側面を高め人間主義を拡大—名誉教授。共生社会の光
男子部大学校生が対話に挑戦。"若さ"には無限の力が!情熱を込めて語れ
うんと苦労してこそ人間は偉大に—恩師。弱き心に祈り勝ち、境涯を開け
新成人の半数が「未来は明るくない」と。希望紡ぐ創価の青年運動の使命大
受験生はマスク着用を—大学、予備校が呼び掛け。健康第一で栄光の春へ!
☆心に御書を 第18回 折伏は報恩感謝の大道
〈御文〉
『日蓮は・うけがたくして人身をうけ・値いがたくして仏法に値い奉る、一切の仏法の中に法華経に値いまいらせて候、其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり』(千日尼御前御返事、1311ページ)
〈通解〉
日蓮は、受け難い人身を受け、値い難い仏法に値うことができた。一切の仏法の中でも法華経に値うことができたのである。その恩徳を考えてみれば、父母の恩、国主の恩、一切衆生の恩である。
〈池田先生が贈る指針〉
二月闘争で私は呼び掛けた——弘教の大波で、御本仏の御聖誕、恩師の誕生の月を飾ろう!と。 青年の一念に皆が呼応してくれた。
受けがたき人身を受け、値いがたき妙法を持った我らだ。宿命を使命に転じ、友の幸福を祈る。この地涌の歓喜を語り抜こう! ここに最極の報恩があり、仏法者の本懐があるからだ。
☆心大歓喜——紅燃ゆる志の天地・四国 四国教学部長 高橋浩之☆
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、高橋四国教学部長が登場。「乙御前御消息」の御文を拝し、広宣流布の闘志が赤々と燃える師弟求道の「志国」の誇りと使命について、つづってもらいます。
= 御文 =
『鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、法華経を信ずる人人は志あるも・なきも知られ候はざりしかども・御勘気を・かほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに・女人の御身として・かたがた御志ありし上・我と来り給いし事うつつならざる不思議なり』(乙御前御消息、1220ページ1行目〜3行目)
= 通解 =
(私が)鎌倉にいた時には、念仏者等はさておいて、法華経を信ずる人たちは、だれが信心があるのか、ないのか、分かりませんでした。
しかし、御勘気(幕府による処罰)を受けて佐渡の島まで流されると、問い訪れてくる人もなかったのに、あなたは女性の身で、さまざまに信心の御志を示されたうえ、自ら(佐渡まで)来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことです。
◇広布の闘志をたぎらせ師弟勝利の大叙事詩を
四国は、客船「さんふらわあ7」号で、障魔の波濤を越えて、師の待つ神奈川へと向かった"師弟求道の航海"から40周年の佳節を勝利で飾ることができました。紅のごとく燃ゆる"師を求める志"が、正義の「志国」の誇りであり、勝利の原点です。
今回拝する「乙御前御消息」は、再びの蒙古襲来が予期され、社会が騒然とする中、娘の乙御前と共に師弟の道を貫き通した母に、いよいよ強盛の信心に励むことを教えられた御書です。
「志あるも・なきも知られ候はざりしかども」(御書1220ページ)と仰せの通り、大聖人が鎌倉におられた時には、だれが信じる心を持っているのか分かりませんでした。しかし、大聖人が流罪され、門下にも迫害が及んだ大難の時、本物の信心かどうか、真正の弟子かどうかが明らかになったのです。
乙御前の母は女性でありながら、鎌倉から佐渡まで足を運ばれました。その志を「うつつならざる不思議なり」(同ページ)と、最大にたたえられたのです。
仏法を破壊しようとする障魔は、大聖人を流罪にすることで、師弟の絆を引き裂こうとしたとも言えます。
しかし、求道心に燃える乙御前の母の信心は、いささかも揺らぐことはありませんでした。私たち四国の同志と池田先生の師弟の絆も、だれも断ち切ることのできない三世の宿縁です。
計3度に及んだ"求道の航海"の翌年(=1981年<昭和56年>)、四国の青年部は、"池田先生の真実を示そう"と、先生の平和・文化・教育の行動を紹介する展示を開催することにしました。
識者との会見や行動をつぶさに調べ、分野別、年代別などに分類していきました。その資料は膨大な数になり、"一人の人間がここまでできるのか"と、師の偉大さを痛感しました。
手作りの展示は、同年10月3日から1カ月にわたって四国研修道場で開催され、6万1000人が観賞。真実の前では誹謗や中傷も無力で、"だれが何を言おうが、自分たちの師匠は池田先生しかない"と、皆が歓喜しました。
その直後の11月、先生が電撃的に四国を訪問。「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」と師子吼され、反転攻勢の火ぶたを切られたのです。さらに「桂冠詩人」の称号が贈られて最初の作品「紅の歌」を作ってくださったのです。
本抄で「問い訪う」(御書1220ページ)とは、師匠の元に足を運ぶことですが、それは「志をかさぬれば」(同1221ページ)と仰せの通り、どこまでも師匠を求め抜くことであり、わが心を師匠の心に合致させていくことでもあります。あの"行動展"で、師匠を求めたからこそ、師匠と弟子の心が合致することができたのです。
その後も先生は、"師の詩心を宣揚したい"との青年たちの熱き思いをくみ取られ、さまざまな提案等をしてくださいました。こうした師弟の共同作業の結晶である"桂冠詩人展"は、91年に始まり、多くの識者が訪れ、感動の声を寄せてくださっています。
忘れられないのは、池田先生と対談集を編まれたキルギス共和国が誇る文豪チンギス・アイトマートフ氏です。
氏は、先生が四国の同志に贈られた「純白の/心に大雪/思い出と/アジアの交流/果たせし嬉しさ」のお歌について、次のように語ってくださいました。
「雪は非常に不便だし、寒いし、また、この詩がつくられたのは、大雪のために飛行機が飛ばなくて、あやうく移動できなかった折のことと聞いております。私だったら早く溶ければいい、こんなのは邪魔だ、と思うでしょう。しかし、池田先生という詩人は、それを自然の永遠性の表れであると"本質"を見抜かれたんだと思います」
私もこのお歌で、心がパッと晴れ渡りました。先生の詩心は、あらゆる差異を超えて、人間をより強く、幸福にしていく力があるのです。
池田先生は、四国を「志国」「詩国」「師国」とたたえてくださっています。
広宣流布の闘志が真っ赤に燃える「志国」。人間讃歌をつづりゆく「詩国」。師弟共戦の歴史を開く「師国」——を築き上げることこそ、弟子の私たちの使命です。
「万葉の詩 ともどもに」と、師と共に、同志と共に、人間革命の勝利の大叙事詩をつづりゆきましょう。
★池田先生の指針から——
何事も勝つことである。
勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。
原点は四国である。
その前年、昭和55年の1月には、四国の千人の同志が、横浜にいる私のもとへ、はるばる船で駆けつけてくださった。これも、広布の歴史に永遠に残りゆく光景である。
四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
強き人には、"苦悩の烈風"さえも"歓喜の春風"に感じられる。
弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。
「友のために」「広宣流布のために」——悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。
(2001年1月、第1回四国総会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
2020年2月6日木曜日
2020.02.06 わが友に贈る
仕事や体調等の理由で
会合に出られない人に
温かな声を掛けよう!
徹底して一人を大切に!
これが仏法の精神だ。
上野殿御返事 P1557
『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ』
【通解】
ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけが信ずるだけでなく、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい。
名字の言 子どもの絵が荷台に描かれたトラックを見たことがありますか? 2020年2月6日
車体の背面や側面に子どもが描いた絵を印刷したトラックを街でよく目にする。そんな車が並ぶ運送会社の従業員に話を聞くと「大切な家族を背負っていると思うと、運転も優しくなるなあ」と笑った▼この運送会社では、絵を施して以来、交通事故はゼロ、業績も上向きになったという。絵を見た後続車の運転手も、安全運転を意識するだろう。得意先も、無事故の会社に仕事を頼むに違いない。そう思えば合点がいく▼ある壮年部員は、息子が小学生の時に書いた絵日記を宝物にしている。あるページには「パパとごんぎょうをしました。みらいぶいん会にも行きました。楽しかったです。また行きたいです」とあった▼息子の無垢な心を力に、壮年は幾つもの試練を乗り越えてきた。大病も克服。失職した際も「心配するな」と言い、アルバイトを掛け持ちして息子の学費を工面。その後、好待遇での再就職を果たした▼池田先生は詠んだ。「子々孫々 末代までの 功徳をば 父たる あなたの 因果の土台で」。俗に「二八」(2月と8月)は商売が振るわないといわれる。仕事などで苦難の渦中の壮年もいるだろう。だが負けるまい。さまざまな試練に遭うほど、広布の父の心には"創価家族を守り抜く"との誓願の炎がいや増す。(代)
寸鉄 2020年2月5日
「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか」戸田先生。勇んで対話拡大へ
「師とをもひあわぬいのり」は叶わないと御書に。報恩の心が広布の原動力
ささやかな一言が人間を善く変えられる—詩人。出会い一つに真心込めて
付きまとわれた等、怖い目に遭った児童は70人に1人。保護者が意識強く
SNSを長く使う人ほど孤独を感じやすい—調査会って語るが心結ぶ基本
☆SGI発足45周年 当時から現在、そして未来を語る
1975年1月26日、アメリカ・グアムの国際貿易センタービルに、世界51カ国・地域の代表158人が集い、第1回「世界平和会議」が開かれた。
席上、世界平和の建設を目指す国際的機構として「SGI(創価学会インタナショナル)」が発足。池田先生がSGI会長に就任した。
この日の参加者は皆、"後世に残る重大な記録"として、署名を行うことになっていた。ペンを手にした先生は、国籍を記す欄に「世界」と。恩師・戸田城聖先生の「地球民族主義」という言葉を胸に、"世界を祖国とし、世界の人々のために尽くし抜く"との誓いが込められていた。
◇"平和の種"を蒔く尊い一生を共に!
この日、池田先生は訴えた。
「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
出席した各国のリーダーは"広布の開拓者"との誇りに燃え、わが使命の地に平和を広げゆくことを誓った。
この原点から45星霜——先生の不惜身命の闘争と、師と心一つに"良き市民"として自他共の幸福を開く友の奮闘によって、創価の人間主義の連帯は、192カ国・地域へと発展した。
ここでは、第1回「世界平和会議」の運営に携わったアメリカSGIの友、グアム準州議会のジュディ・ウォンパット元議長、そしてグアム青年部の代表の声を紹介する。
〈当時を語る〉世界平和会議の事務局長 ジェリー・ホールさん
◇後世に輝く重要な一歩
45年前の1月、私は第1回「世界平和会議」の事務局長を担い、代表で「平和宣言」を読み上げさせていただきました。直接、池田先生のスピーチを聞き、"世界広布が現実のものとなっている"と確信したことを鮮明に覚えています。
しかし当時は、会議を円滑に進めることに集中していたので、この一歩がこれほど後世に輝く歴史になるとは考えもしませんでした。この時の自分自身は、"小さな一歩が踏み出された"くらいに感じていたのかもしれません。しかし後で振り返った時に、ここから歴史がつくられていったのだと痛感させられます。
だからこそ、今の青年部の皆さんには、いかなる広布の戦いも、皆さんが今感じているより、ずっと大きく重要な意義があり、その価値は後になって必ず分かる時が訪れるということを訴えたいのです。
SGI発足の会合の後、各国に戻っていった友は、死身弘法の精神で妙法流布に駆け巡り、師との誓願を果たそうと"平和の種"を蒔き続けました。その結果、今日の192カ国・地域に広がる堂々たる創価の連帯が構築されたのです。こうした点から、池田先生は、「世界平和会議」の参加者に"平和は必ず実現できる!"との"確信の種"を蒔いてくださったと思えてなりません。
私自身、人類の平和と幸福のために戦う師匠と同じ方向を向いて、生涯、広布に生き抜いてまいります。
〈現在を語る〉グアム準州議会 ジュディ・ウォンパット元議長
◇学会の地域貢献に共感
これまで私たちは、島の教育者や異なる宗教組織の代表らを交え、「平和の文化」の促進を巡るフォーラムを開催したり、グアム大学で「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展や「ガンジー・キング・イケダ——平和建設の遺産」展を行ったりするなど、地元SGIの方々と協力しながら、島の人々と共生の哲学を共有してきました。
こうした活動を通して、異文化間の相互理解を進め、地域に貢献しようと尽力するSGIメンバーに対して、多くの人々が共感を寄せています。"グアムのSGIの運動こそ、太平洋地域全体の平和への出発点だ"と語る島民もいます。
私たちグアムの島民は、長年にわたり、戦争と侵略の歴史に耐え抜いてきました。苦難を経験してきたからこそ、島民一人一人が幸せに暮らしていけるような社会を構築したいと、強く念願します。
グアムは、小さな島かもしれません。しかし、個人の幸福と平和をつくる哲理を地域社会に確立していけば、その影響力は、世界に波動を起こしていけると確信しています。
〈未来を語る〉地元グアムの男子部本部長 パトリック・サラスさん
◇原点胸に弟子の陣列を
SGIが結成された第1回「世界平和会議」で、池田先生は、「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼び掛けられました。
グアムでは、皆がこの原点をわが指針と定め、生命尊厳の仏法哲学を根幹とした人生を歩もうと、努力を重ねています。
毎月の青年部座談会や御書学習会を通して、信心の素晴らしさを心に刻みながら、友人との対話に挑戦。また7年前からは、不戦の誓いを次代に継承させるとの意義を込めて、地域住民や行政関係者らと共に「ラッテ平和祭」を共催するなど、信頼の輪を広げる取り組みを続けています。
意義深き本年、グアム青年部は、「6000人の青年の拡大」を目指す、アメリカSGIの戦いをけん引するとの決意で、新任のベラ・ファゴタ女子部本部長と心一つに、弘教に励んでいます。
明年初頭には、SGI発足の集いが行われた国際貿易センタービルのほど近い地に、待望の新「グアム会館」が完成予定です。
同会館の建設のつち音が鳴り響く今、私たちは"世界平和の電源地"で広布に走る誇りを胸に、各部一体で師の万感の期待に応えゆく、弟子の陣列を築いてまいります。
会合に出られない人に
温かな声を掛けよう!
徹底して一人を大切に!
これが仏法の精神だ。
上野殿御返事 P1557
『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ』
【通解】
ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけが信ずるだけでなく、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい。
名字の言 子どもの絵が荷台に描かれたトラックを見たことがありますか? 2020年2月6日
車体の背面や側面に子どもが描いた絵を印刷したトラックを街でよく目にする。そんな車が並ぶ運送会社の従業員に話を聞くと「大切な家族を背負っていると思うと、運転も優しくなるなあ」と笑った▼この運送会社では、絵を施して以来、交通事故はゼロ、業績も上向きになったという。絵を見た後続車の運転手も、安全運転を意識するだろう。得意先も、無事故の会社に仕事を頼むに違いない。そう思えば合点がいく▼ある壮年部員は、息子が小学生の時に書いた絵日記を宝物にしている。あるページには「パパとごんぎょうをしました。みらいぶいん会にも行きました。楽しかったです。また行きたいです」とあった▼息子の無垢な心を力に、壮年は幾つもの試練を乗り越えてきた。大病も克服。失職した際も「心配するな」と言い、アルバイトを掛け持ちして息子の学費を工面。その後、好待遇での再就職を果たした▼池田先生は詠んだ。「子々孫々 末代までの 功徳をば 父たる あなたの 因果の土台で」。俗に「二八」(2月と8月)は商売が振るわないといわれる。仕事などで苦難の渦中の壮年もいるだろう。だが負けるまい。さまざまな試練に遭うほど、広布の父の心には"創価家族を守り抜く"との誓願の炎がいや増す。(代)
寸鉄 2020年2月5日
「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか」戸田先生。勇んで対話拡大へ
「師とをもひあわぬいのり」は叶わないと御書に。報恩の心が広布の原動力
ささやかな一言が人間を善く変えられる—詩人。出会い一つに真心込めて
付きまとわれた等、怖い目に遭った児童は70人に1人。保護者が意識強く
SNSを長く使う人ほど孤独を感じやすい—調査会って語るが心結ぶ基本
☆SGI発足45周年 当時から現在、そして未来を語る
1975年1月26日、アメリカ・グアムの国際貿易センタービルに、世界51カ国・地域の代表158人が集い、第1回「世界平和会議」が開かれた。
席上、世界平和の建設を目指す国際的機構として「SGI(創価学会インタナショナル)」が発足。池田先生がSGI会長に就任した。
この日の参加者は皆、"後世に残る重大な記録"として、署名を行うことになっていた。ペンを手にした先生は、国籍を記す欄に「世界」と。恩師・戸田城聖先生の「地球民族主義」という言葉を胸に、"世界を祖国とし、世界の人々のために尽くし抜く"との誓いが込められていた。
◇"平和の種"を蒔く尊い一生を共に!
この日、池田先生は訴えた。
「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
出席した各国のリーダーは"広布の開拓者"との誇りに燃え、わが使命の地に平和を広げゆくことを誓った。
この原点から45星霜——先生の不惜身命の闘争と、師と心一つに"良き市民"として自他共の幸福を開く友の奮闘によって、創価の人間主義の連帯は、192カ国・地域へと発展した。
ここでは、第1回「世界平和会議」の運営に携わったアメリカSGIの友、グアム準州議会のジュディ・ウォンパット元議長、そしてグアム青年部の代表の声を紹介する。
〈当時を語る〉世界平和会議の事務局長 ジェリー・ホールさん
◇後世に輝く重要な一歩
45年前の1月、私は第1回「世界平和会議」の事務局長を担い、代表で「平和宣言」を読み上げさせていただきました。直接、池田先生のスピーチを聞き、"世界広布が現実のものとなっている"と確信したことを鮮明に覚えています。
しかし当時は、会議を円滑に進めることに集中していたので、この一歩がこれほど後世に輝く歴史になるとは考えもしませんでした。この時の自分自身は、"小さな一歩が踏み出された"くらいに感じていたのかもしれません。しかし後で振り返った時に、ここから歴史がつくられていったのだと痛感させられます。
だからこそ、今の青年部の皆さんには、いかなる広布の戦いも、皆さんが今感じているより、ずっと大きく重要な意義があり、その価値は後になって必ず分かる時が訪れるということを訴えたいのです。
SGI発足の会合の後、各国に戻っていった友は、死身弘法の精神で妙法流布に駆け巡り、師との誓願を果たそうと"平和の種"を蒔き続けました。その結果、今日の192カ国・地域に広がる堂々たる創価の連帯が構築されたのです。こうした点から、池田先生は、「世界平和会議」の参加者に"平和は必ず実現できる!"との"確信の種"を蒔いてくださったと思えてなりません。
私自身、人類の平和と幸福のために戦う師匠と同じ方向を向いて、生涯、広布に生き抜いてまいります。
〈現在を語る〉グアム準州議会 ジュディ・ウォンパット元議長
◇学会の地域貢献に共感
これまで私たちは、島の教育者や異なる宗教組織の代表らを交え、「平和の文化」の促進を巡るフォーラムを開催したり、グアム大学で「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展や「ガンジー・キング・イケダ——平和建設の遺産」展を行ったりするなど、地元SGIの方々と協力しながら、島の人々と共生の哲学を共有してきました。
こうした活動を通して、異文化間の相互理解を進め、地域に貢献しようと尽力するSGIメンバーに対して、多くの人々が共感を寄せています。"グアムのSGIの運動こそ、太平洋地域全体の平和への出発点だ"と語る島民もいます。
私たちグアムの島民は、長年にわたり、戦争と侵略の歴史に耐え抜いてきました。苦難を経験してきたからこそ、島民一人一人が幸せに暮らしていけるような社会を構築したいと、強く念願します。
グアムは、小さな島かもしれません。しかし、個人の幸福と平和をつくる哲理を地域社会に確立していけば、その影響力は、世界に波動を起こしていけると確信しています。
〈未来を語る〉地元グアムの男子部本部長 パトリック・サラスさん
◇原点胸に弟子の陣列を
SGIが結成された第1回「世界平和会議」で、池田先生は、「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼び掛けられました。
グアムでは、皆がこの原点をわが指針と定め、生命尊厳の仏法哲学を根幹とした人生を歩もうと、努力を重ねています。
毎月の青年部座談会や御書学習会を通して、信心の素晴らしさを心に刻みながら、友人との対話に挑戦。また7年前からは、不戦の誓いを次代に継承させるとの意義を込めて、地域住民や行政関係者らと共に「ラッテ平和祭」を共催するなど、信頼の輪を広げる取り組みを続けています。
意義深き本年、グアム青年部は、「6000人の青年の拡大」を目指す、アメリカSGIの戦いをけん引するとの決意で、新任のベラ・ファゴタ女子部本部長と心一つに、弘教に励んでいます。
明年初頭には、SGI発足の集いが行われた国際貿易センタービルのほど近い地に、待望の新「グアム会館」が完成予定です。
同会館の建設のつち音が鳴り響く今、私たちは"世界平和の電源地"で広布に走る誇りを胸に、各部一体で師の万感の期待に応えゆく、弟子の陣列を築いてまいります。
2020年2月5日水曜日
2020.02.05 わが友に贈る
冬の厳しさを知る人が
春の喜びを味わえる。
試練に立ち向かう君よ
断じて負けるな!
絶対勝利の信心なれば!
上野殿御返事 P1574
『人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし』
【通解】
人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである。仏に成りやすい道というのは特別なことではない。干ばつの時に喉の渇いた者に水を与え、寒さに凍えた者に火を与えるようにすることである。
名字の言 『宮本武蔵』に描いた吉川英治の求道の精神 2020年2月5日
ファンにとって吉報だろう。来館者の減少などを理由に昨春、閉館した「吉川英治記念館」の再開が、このほど決まった▼同館が立つのは東京・青梅市にある吉川英治氏の自宅跡。代表作の一つ『宮本武蔵』(講談社)の「はしがき」(旧序抄)の結びには、「昭和二四・二月 於、吉野村」と記されている。青梅市の旧地名だ。同館を所有・運営していた財団法人が市に寄付したことで、文豪ゆかりの遺産が引き継がれる。本年9月に再オープンの予定だという▼池田先生は1987年、同館を訪問している。氏が書きとどめた「我以外皆我師」との言葉に触れた感慨を後年、つづった。「『生涯求道』ともいうべき深き探求の心を感じとった」と▼作中に描かれた武蔵は剣術を究めようとする孤高の人ではなかった。時に農民と共に鍬を振るい、書や絵にも親しんだ。市井の人々や楽器の構造一つからも何かを学び取ろうとした。「どこまで自分を人間として高めうるか」との求道心で、あらゆるものを師と捉えた。宿敵・佐々木小次郎が自らの武を誇り、どこか他人を侮る姿に描かれたのとは対照的である▼青梅市の花は「梅」。花言葉の一つは「澄んだ心」という。青年のようなみずみずしい心で謙虚に自身を磨く人は、"生涯前進"の輝きに満ちている。(之)
寸鉄 2020年2月5日
「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか」戸田先生。勇んで対話拡大へ
「師とをもひあわぬいのり」は叶わないと御書に。報恩の心が広布の原動力
ささやかな一言が人間を善く変えられる—詩人。出会い一つに真心込めて
付きまとわれた等、怖い目に遭った児童は70人に1人。保護者が意識強く
SNSを長く使う人ほど孤独を感じやすい—調査会って語るが心結ぶ基本
☆四季の励まし 「生命の力」に限界なし 2020年2月2日
冬は、鍛えの季節である。
試練に負けないで
力をつける時だ。
草花や木々たちも、
動物や昆虫たちも、
凍てつく
寒さに耐えながら、
春を迎えるために、
一生懸命に
準備をしている。
未来に、どのような
才能の芽を伸ばし、
そして勝利の花を
咲かせていくか。
そのための芽生えは、
自分自身の心の中にある。
「自分には無理だ」などと
決めつけては
絶対にいけない。
生命には
宇宙大の力がある。
それを引き出すのが
妙法である。
「必ずできる!」と
固く心に決めるのだ。
一心不乱の祈りと行動が、
限界の壁をつき破る。
苦労しているから、
人に寄り添える。
悲哀に負けないから、
嘆きの友を励ませる。
悩める人を
幸福にするために、
自らが悩みを乗り越え、
勝利の実証を!——
これが広布に生きる
師弟の誓願である。
「自分のことを
思ってくれる人がいる」
——その手応えが、
苦悩の人の生命空間を、
すっと広げてくれる。
他人や世界と
"共にある"という
実感があれば、
必ず
立ち上がることができる。
それが
生命のもっている力だ。
強盛な祈りで立ち上がれ!
題目は師子吼だ。
滾々と勇気が湧き、
満々と生命力が漲る。
さあ、いよいよ、
これからだ!
人間の中へ、
民衆の中へ、
勇んで飛び込み、
大誠実の力で、
我らは勝利していくのだ。
春の喜びを味わえる。
試練に立ち向かう君よ
断じて負けるな!
絶対勝利の信心なれば!
上野殿御返事 P1574
『人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし』
【通解】
人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである。仏に成りやすい道というのは特別なことではない。干ばつの時に喉の渇いた者に水を与え、寒さに凍えた者に火を与えるようにすることである。
名字の言 『宮本武蔵』に描いた吉川英治の求道の精神 2020年2月5日
ファンにとって吉報だろう。来館者の減少などを理由に昨春、閉館した「吉川英治記念館」の再開が、このほど決まった▼同館が立つのは東京・青梅市にある吉川英治氏の自宅跡。代表作の一つ『宮本武蔵』(講談社)の「はしがき」(旧序抄)の結びには、「昭和二四・二月 於、吉野村」と記されている。青梅市の旧地名だ。同館を所有・運営していた財団法人が市に寄付したことで、文豪ゆかりの遺産が引き継がれる。本年9月に再オープンの予定だという▼池田先生は1987年、同館を訪問している。氏が書きとどめた「我以外皆我師」との言葉に触れた感慨を後年、つづった。「『生涯求道』ともいうべき深き探求の心を感じとった」と▼作中に描かれた武蔵は剣術を究めようとする孤高の人ではなかった。時に農民と共に鍬を振るい、書や絵にも親しんだ。市井の人々や楽器の構造一つからも何かを学び取ろうとした。「どこまで自分を人間として高めうるか」との求道心で、あらゆるものを師と捉えた。宿敵・佐々木小次郎が自らの武を誇り、どこか他人を侮る姿に描かれたのとは対照的である▼青梅市の花は「梅」。花言葉の一つは「澄んだ心」という。青年のようなみずみずしい心で謙虚に自身を磨く人は、"生涯前進"の輝きに満ちている。(之)
寸鉄 2020年2月5日
「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか」戸田先生。勇んで対話拡大へ
「師とをもひあわぬいのり」は叶わないと御書に。報恩の心が広布の原動力
ささやかな一言が人間を善く変えられる—詩人。出会い一つに真心込めて
付きまとわれた等、怖い目に遭った児童は70人に1人。保護者が意識強く
SNSを長く使う人ほど孤独を感じやすい—調査会って語るが心結ぶ基本
☆四季の励まし 「生命の力」に限界なし 2020年2月2日
冬は、鍛えの季節である。
試練に負けないで
力をつける時だ。
草花や木々たちも、
動物や昆虫たちも、
凍てつく
寒さに耐えながら、
春を迎えるために、
一生懸命に
準備をしている。
未来に、どのような
才能の芽を伸ばし、
そして勝利の花を
咲かせていくか。
そのための芽生えは、
自分自身の心の中にある。
「自分には無理だ」などと
決めつけては
絶対にいけない。
生命には
宇宙大の力がある。
それを引き出すのが
妙法である。
「必ずできる!」と
固く心に決めるのだ。
一心不乱の祈りと行動が、
限界の壁をつき破る。
苦労しているから、
人に寄り添える。
悲哀に負けないから、
嘆きの友を励ませる。
悩める人を
幸福にするために、
自らが悩みを乗り越え、
勝利の実証を!——
これが広布に生きる
師弟の誓願である。
「自分のことを
思ってくれる人がいる」
——その手応えが、
苦悩の人の生命空間を、
すっと広げてくれる。
他人や世界と
"共にある"という
実感があれば、
必ず
立ち上がることができる。
それが
生命のもっている力だ。
強盛な祈りで立ち上がれ!
題目は師子吼だ。
滾々と勇気が湧き、
満々と生命力が漲る。
さあ、いよいよ、
これからだ!
人間の中へ、
民衆の中へ、
勇んで飛び込み、
大誠実の力で、
我らは勝利していくのだ。
2020年2月4日火曜日
2020.02.04 わが友に贈る
信用を築く根本は
約束を必ず守ること。
時間に遅れないこと。
「小事」が「大事」。
誠実一路の道を歩もう!
白米一俵御書 P1597
『法華経はしからず月こそ心よ花こそ心よと申す法門なり』
【通解】
法華経はそうではなく、「月がそのまま心、花がそのまま心」という法門なのである。
名字の言 巨匠たちが語るジャズの真髄とは? 2020年2月4日
ジャズの巨匠アート・ブレイキー氏がかつて、民音の招聘に応え、日本で公演したことがある。その折、音楽教室を開催し、学会の音楽隊・鼓笛隊にドラムの打ち方などを指導した。「形式や、型で打つのではない。心で打つのだ!」と▼ジャズの最大の特徴は「即興」にある。自らが発する音に他の奏者が反応し、他の奏者の音に自分も応えていく。その一音一音は奏者の心に湧き上がるもの。ゆえに一流のジャズ奏者であればあるほど、「心で演奏する」ことを強調するのだ▼ブレイキー氏とバンドを組んでいたウェイン・ショーター氏は語る。「自己を全面的にさらけ出し、心と心、本質と本質でぶつかり合う——それがジャズなのです」。いわばジャズは「楽器を通した対話」の芸術だ。心が響き合うほどにハーモニーは美しく研ぎ澄まされ、人の胸を打つ▼実際の対話も、共鳴し、高め合うところに醍醐味がある。小説『新・人間革命』第26巻「法旗」の章に「対話——それは、人間の心の扉を開く魂の打ち合いであり、良心の共鳴音を生み出すことができる生命の音楽である」とある▼「令和」に入り、初の「伝統の2月」。「令和」の英訳「ビューティフル・ハーモニー」のように、心を結ぶ"対話のハーモニー"をあの地この地で奏でよう。(澪)
寸鉄 2020年2月4日
個人主義の仏はいない—牧口先生。徹底して一人を励ます実践が広布の要
「東洋哲学研究所の日」。仏法の智慧で文明間・宗教間の架橋を—使命深く
中野の日。大東京に光る妙法の人材山脈。絶対できる!弾む心で対話拡大
「力は活動を止めた瞬間に消える」思想家。人生の栄冠は進み続ける人に
iPS細胞の活用で再生医療の発展加速と。価値ある生き方の探求も更に
☆第45回SGI提言� 日本で「気候変動と防災」の国連会合を
気候変動を巡る問題に焦点を当て日本で国連の防災会合を
◇災害の発生件数が10年で5倍に増加
第三の提案は、気候変動と防災に関するものです。
気候変動を巡って取り組みが迫られているのは、温室効果ガスの削減だけではありません。異常気象による被害の拡大を防止するための対応が待ったなしとなっています。
先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)でも、この二つの課題を中心に討議が進められました。
COP25に寄せてNGOのオックスファムが発表した報告によると、気候変動による災害の発生件数は過去10年間で5倍にまで増加しているといいます。
世界全体でみると、地震などの災害や紛争よりも、気候変動が原因で避難した人数が圧倒的に多い状況が生じているのです。
そこで私は、「気候変動と防災」に関するテーマに特に焦点を当てた国連の会合を日本で行うことを提唱したい。
国連防災機関では、各国の政府代表や市民社会の代表などが参加する「防災グローバル・プラットフォーム会合(防災GP会合)」を、2007年から開催してきました。
2年ごとに会合を重ねる中で、2015年には仙台で行われた第3回「国連防災世界会議」をもってその開催に代えられたほか、昨年5月にスイスのジュネーブで会合が行われた際には、182カ国から4000人が参加して討議が進められました。
今後は3年ごとに開催される予定となっており、2022年に行われる防災GP会合を日本で開催して、異常気象による被害の拡大防止と復興の課題について集中的に討議していってはどうかと思うのです。
5年前の国連防災世界会議で採択された仙台防災枠組(※注5)では、災害の被災者を2030年までに大幅に減少させるなどの目標が打ち出されました。
これまで積み上げてきた各国の経験を生かしながら、異常気象による災害についても早急に対策を強化していくことが求められるのではないでしょうか。
すでにインフラ(社会基盤)の整備については、インドの呼び掛けで「災害に強いインフラのための連合」が昨年9月に発足しています。
これまで重点が置かれてきた地震などの災害への対応だけでなく、気候変動の影響にも強いインフラの構築を目指すグローバルな枠組みで、技術支援や能力開発に関する国際的な連携を進めるものです。
異常気象による被害が相次ぐ日本もこの連合に参加しており、インドをはじめ他の加盟国と協力しながら、防災GP会合でこの分野における国際指針のとりまとめをリードしていくことを提案したい。
また、防災GP会合の中心議題の一つとして、気候変動と防災に関する自治体の役割をテーマに取り上げ、その連携を大きく広げる機会にしていくべきだと思います。
現在、国連防災機関が「災害に強い都市の構築」を目指して進めるキャンペーンには、世界の4300を超える自治体が参加しています。そのなかには、モンゴルやバングラデシュのように、すべての市町村がキャンペーンに参加している国も出てきました。
キャンペーンが始まってから本年で10年になりますが、今後は異常気象への対応に特に重点を置く形で自治体間の連携を進めることが大切になると思います。
世界の人口の4割は海岸線から100キロ以内に住んでおり、その地域では気候変動の影響によるリスクが高まっています。
日本でも人口の多くが沿岸地域で暮らしています。中国や韓国をはじめ、アジアの沿岸地域の自治体と、「気候変動と防災」という共通課題を巡って互いの経験から学び、災害リスクを軽減するための相乗効果をアジア全体で生み出していくべきだと考えるのです。
本年6月には、アジア太平洋防災閣僚級会議がオーストラリアで行われます。会議を通じて自治体間の連携に関する議論を深め、2022年の防災GP会合でその世界的な展開につなげることを目指していってはどうでしょうか。
誰も置き去りにしない社会へレジリエンスの強化を推進
◇障がいのある人を取り巻く状況
加えて、次回の防災GP会合の開催にあたって呼び掛けたいのは、気候変動で深刻な影響を受ける人々を置き去りにしないための社会づくりについて、重点的に討議を行うことです。
男女平等と社会的包摂の促進を掲げた昨年のジュネーブでの会合では、登壇者の半数と参加者の4割を女性が占めたほか、120人以上の障がいのある人が参加しました。
SDGsのアドボケート(推進者)の一人で、会合に出席した南アフリカ共和国のエドワード・ンドプ氏は、災害時の社会的包摂への思いをこう述べました。
「障がい者は世界人口の15%を占める最大のマイノリティー(社会的な少数派)ですが、一貫して存在が忘れられてきました」
「(災害時に)障がい者を物理的に置き去りにしてしまう行為と、日常生活において排除が障がい者にもたらす極めて現実的な影響とは、つながりがあるのです」と。
脊髄性筋萎縮症を2歳の頃から患ってきたンドプ氏は、災害が起きた時に最も危険にさらされる人々に対する「社会的な態度の再構築」が必要となると訴えていたのです。
私は、防災と復興を支えるレジリエンス(困難を乗り越える力)の強化といっても、この一点を外してはならないと思います。
普段の生活の中で「共に生きる」というつながりを幾重にも育む土壌があってこそ、災害発生時から復興への歩みに至るまで、多くの人々の生命と尊厳を守る力を生み出し続けることができるからです。
また、ジュネーブ会合での災害とジェンダーを巡る討議でも、"目に映らない存在にされてきた人々"を"目に見える存在"にすることが大切になるとの指摘がありました。
日常生活において女性が置かれている状況は、社会的な慣習や差別意識などによって当たり前のように見なされることが多いために、本当に助けが必要な時に置き去りにされる恐れが強いことが懸念されます。
例えば、異常気象の影響で避難が必要になった時、女性は家を出るのが最後になることが多いといわれます。男性が離れた場所で働いている場合には、子どもたちや高齢者や病気の家族の世話をする必要があるため、家を出るのが遅れがちになるからです。
しかしその一方で、災害が起きた時に、地域で多くの人々を支える大きな力となってきたのは女性たちにほかなりませんでした。
◇昼間の星々の譬え
この点に関し、UNウィメン(国連女性機関)も、次のように留意を促しています。
被災直後から発揮されるリーダーシップや、地域でのレジリエンスの構築に果たす中心的役割など、防災における女性たちの実質的な貢献とともに、潜在的な貢献は、大きな可能性を持つ社会資産であるにもかかわらず、あまり注目されてこなかった——と。
明らかに存在するのに見過ごされがちになるという構造的な問題について考える時、私は大乗仏教の経典に出てくる"昼間の星々"の譬えを思い起こします。
天空には常に多くの星々が存在し、それぞれが輝きを放っているはずなのに、昼間は太陽の光があるために、星々の存在に意識が向かなくなることを示唆したものです。
日常生活においても災害時においても、地域での支え合いや助け合いの要の存在となってきたのは、女性たちであります。
地震などの災害に加えて、異常気象への対応策を考える上でも、あらゆる段階で女性の声を反映させることが、地域のレジリエンスの生命線になるのではないでしょうか。
本年は、ジェンダー平等の指針を明確に打ち出した第4回世界女性会議の「北京行動綱領」が採択されて25周年にあたります。
そこには、こう記されています。
「女性の地位向上及び女性と男性の平等の達成は、人権の問題であり、社会正義のための条件であって、女性の問題として切り離して見るべきではない。それは、持続可能で公正な、開発された社会を築くための唯一の道である」と。
このジェンダー平等の精神は、防災においても絶対に欠かせないものです。
その意味から言えば、災害にしても、気候変動に伴う異常気象にしても、インフラ整備などのハード面での防災だけでは、レジリエンスの強化を図ることはできない。
ジェンダー平等はもとより、日常生活の中で置き去りにされがちであった人々の存在を、地域社会におけるレジリエンスの同心円の中核に据えていくことが、強く求められると訴えたいのです。
私どもSGIも、信仰を基盤にした団体(FBO)として、災害時における緊急支援や、被災地の復興を後押しする活動に取り組む一方で、防災GP会合をはじめとする国際会議に継続して参加してきました。
2017年のメキシコでの防災GP会合では、「FBOによる地域主導の防災——仙台防災枠組の実践」と題するシンポジウムを行ったほか、キリスト教やイスラム教などさまざまな宗教的背景を持つFBOと協力して共同声明をまとめ、昨年のジュネーブ会合でも引き続いて共同声明を発表してきました。
また2018年3月に、他のFBOの4団体と連携して「持続可能な開発のためのアジア太平洋FBO連合(APFC)」を結成し、同年7月にモンゴルで開催されたアジア防災閣僚級会議に共同声明を提出しました。
そこには、私たち5団体の共通の決意を込めて、こう記しています。
「FBOの使命の根幹にあるのは、社会的な弱者を生む根本原因に対処する意志であり、社会の片隅に置かれた人々に希望と幸福をもたらすことである」
「信仰を基盤にした団体は、防災とレジリエンスの構築と人道的な行動を地域で進める上で重要な役割を果たしている」と。
今後も、この精神を他のFBOと共有しながら、すべての人々の尊厳を守るための社会的包摂のビジョンを掲げて、レジリエンスの強化を後押ししていきたいと思います。
☆第45回SGI提言� 「教育のための国際連帯税」を創設
「教育のための国際連帯税」を創設し人道危機下の子どもたちを支援
◇紛争や災害での心の傷を癒やす
最後に第四の提案として述べたいのは、紛争や災害などの影響で教育の機会を失った子どもたちへの支援強化です。
持続可能な地球社会を目指すといっても、次代を担う子どもたちの人権と未来を守ることが要石となると考えるからです。
本年9月に発効30周年を迎える、子どもの権利条約は、今や国連の加盟国数よりも多い196カ国・地域が参加する、世界で最も普遍的な人権条約となりました。
教育の権利の保障も明記される中、条約の発効時には約20%に及んでいた、小学校に通う機会を得られていない子どもの割合は、今では10%以下にまで減少しました。
しかしその前進の一方で、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちの多くが深刻な状況に直面しています。
例えば、紛争が続く中東のイエメンでは240万人の子どもたちが学校に通うことができず、学校施設も攻撃を受けてひどく損傷していたり、軍事拠点や避難場所に使用されたりしている所が数多くあります。
また、気候変動の影響による災害が続くバングラデシュでは、多くの家族が貧困や避難生活に追い込まれる中で、子どもたちの健康が危ぶまれているほか、教育の機会が失われている状態が広がっています。
世界では、こうした紛争や災害の影響で教育の機会を失った子どもや若者の数は1億400万人にも及んでいますが、人道支援の資金の中で教育に配分されるのは2%ほどにとどまってきました。
食糧や医薬品などの物資の支援と比べて、"人命には直接関わらない"といった理由で、緊急事態が起きた直後の期間のみならず、復興に向けた歩みが始まった時期以降も、後回しにされがちになってきたからです。
しかし、ユニセフ(国連児童基金)が強調するように、子どもたちにとって学校の存在は、日常を取り戻すための大切な空間にほかなりません。学校で友だちと一緒の時間を過ごすことは、紛争や災害で受けた心の傷を癒やすための手助けにもなります。
こうした問題を踏まえて、4年前の世界人道サミットで設立をみたのが、ユニセフが主導するECW(教育を後回しにはできない)基金でした。
緊急時の教育に特化した初めての基金であり、現在まで、人道危機に巻き込まれた190万人以上の子どもや若者たちに教育の機会を提供する道を開いてきました。
緊急時の教育支援は、人道危機が長期化した場合の教育支援とともに、子どもたちが安心と希望を取り戻し、将来の夢を思い描いて前に進むためのかけがえのない基盤となるだけでなく、地域や社会にとっても平和と安定をもたらす源泉となるものです。
ECW基金のヤスミン・シェリフ事務局長は、こう述べています。
「もし、その社会の市民と難民の人々が、読み書きができず、論理的な思考ができず、教師や弁護士や医師もいない場合、どうやって社会経済的に発展可能な社会を築くことができるというのでしょうか」
「教育は、平和と寛容と相互尊重を促進するための鍵です。女の子と男の子が教育に平等にアクセスできた場合には、暴力や紛争が発生する確率は37%も減るのです」と。
◇「失われた世代」を生み出さない
国連のSDGsで"すべての子どもたちに質の高い教育を"との目標が掲げられる中、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちが、「失われた世代」として置き去りになるようなことは、決してあってはならない。
ECW基金が設立された2016年の時点での推計では、人道危機に見舞われた7500万人の子どもたちに基礎教育を提供するには毎年85億ドル、1人あたりで年間113ドルが必要になると見込まれていました。
現在、その対象人数は1億400万人に及び、必要額も増えているものの、世界全体の1年間の軍事費である1兆8220億ドルのほんの一部に相当する資金を国際的な支援などで確保できれば、厳しい状況にある多くの子どもたちが、希望の人生を歩み出すきっかけを得られるのです。
その意味で私は、誰もが尊厳をもって安心して生きられる持続可能な地球社会を築くための挑戦の一環として、ECW基金の資金基盤の強化を図り、緊急時の教育支援を力強く進めていくことを呼び掛けたい。
かつて私は2009年の提言で、国連が当時進めていた「ミレニアム開発目標」の達成を後押しするために、国際連帯税などの革新的資金調達メカニズムの導入を促進することを提唱したことがあります。
SDGsの推進において、その必要性はさらに増しており、「教育のための国際連帯税」の創設をはじめ、資金基盤を強化するための方策を検討すべきではないでしょうか。
これまで連帯税としては、フランスなどの国々が導入している航空券連帯税(※注6)があり、エイズや結核やマラリアの感染症で苦しむ途上国の人々を支援するための国際的な資金に充てられてきました。
また5年前からは、発育阻害に苦しむ子どもたちを支援する国連の「ユニットライフ」の枠組みが進められています。
日本も昨年、開発のための革新的資金調達メカニズムのあり方を討議するリーディング・グループの議長国を務める中、7月に行われたG7(主要7カ国)開発大臣会合で、国際連帯税を含む革新的資金調達を活用する必要性について言及しました。
これまで日本は、内戦が続く中東のシリアで、ユニセフと連携して約10万人の小学生のために教科書を配布し、約6万2000人の子どもたちに文房具と学校用のカバンを支給してきました。またアフガニスタンでも、支援が不足しがちだった地域で70校の学校を建設し、約5万人の子どもたちが学習にふさわしい環境で授業を受けられるようになっています。
私は、教育分野の支援において豊かな実績を持つ日本が、「教育のための国際連帯税」をはじめ、さまざまなプランを検討する議論をリードしながら、ECW基金の資金基盤を強化するための枠組みづくりで積極的な役割を担うことを強く呼び掛けたいのです。
避難した先で教育の機会を得ることが、子どもと家族の心にどれだけ希望を灯すのか。
その一つの例を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が紹介しています。
——中米のニカラグアで2人の子どもと暮らしていたある母親は、情勢不安が続く中、葛藤を抱きながら隣国コスタリカへの避難を決めた。「学校を辞めさせ、避難することは苦しい決断でした。でも、これ以上危険な目にあわせるわけにはいかなかった」と。
学校に在学証明書を取りに行くのも危険な中、小さなカバン一つで避難しなければならなかったため、子どもたちは避難先で学校に通うことができるだろうかと胸を痛めていたところ、コスタリカではすべての子どもに無償の初等教育が保障されていた。
特に、避難民がいるコスタリカ北部の小学校の多くでは、公的な書類がなくても入学でき、避難で学習が遅れてしまった子どものために補習などのシステムまで用意されていた。
そのおかげで、2人の子どもたちも教育の機会を取り戻すことができた。
14歳の兄は、「今一番うれしいことは勉強できること。将来はお医者さんになりたい」と目を輝かせ、10歳の妹と手をつないで元気に学校へ通うようになった。
学校の教員も、「故郷を離れなければならなかった子どもたちが、学校を家のように感じられるようになれば」との思いで迎え入れている——と。(UNHCR駐日事務所のウェブサイトを引用・参照)
人道危機によって教育の機会を失った1億400万人という膨大な数字の奥には、一人一人の子どもの存在があり、人生の物語があります。
この子どもたちにも同様に教育の機会が確保されれば、彼らが生きる希望を取り戻し、夢に向かって進むための足場となるに違いないと訴えたいのです。
「創価教育学体系」に脈打つ牧口会長と戸田会長の精神
◇ランプの絵柄に込められた思い
私どもSGIも、社会的な活動の三つの柱として、平和や文化とともに教育に力を入れ、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント(内発的な力の開花)」の取り組みを、世界192カ国・地域で進めてきました。
その精神の源流を象徴するような絵柄が、ともに教育者だった牧口初代会長と戸田第2代会長の師弟の絆によって、今から90年前(1930年11月18日)に発刊された『創価教育学体系』の扉に描かれています。
ランプの先に灯された火が光を放つ姿をイラストにしたもので、その絵柄はケースにも描かれ、本の表紙にも刻印されていました。
社会が大きな混乱や脅威で覆われた時、その嵐に容赦なくさらされ、激しい波に特に翻弄されるのは、常に子どもたちです。
その状況に胸を痛めた牧口会長は、小学校という教育の最前線に立ち続け、子どもたちの心に希望を灯すことに最大の情熱を注ぐ一方で、幸福な人生を切り開く力を養うための人間教育のあり方を探求し、『創価教育学体系』という大著に結晶させていったのです。
牧口会長は30代の頃、日露戦争の最中にあって、日本で立ち後れていた女性教育の普及のために力を注いだ経験がありました。しかも、戦争で父親が亡くなったり、傷病を負ったりしたことで経済的に困窮する家庭が増える中で、授業料の全額免除や半額免除の制度まで設けていました。
また40代には、貧困家庭のために特別に開設された小学校で校長を務め、病気の子どもの家に見舞いに行って自ら世話をしたほか、食事が満足にできない子どもたちのために学校給食を実施していたのです。
いずれも、牧口会長自身が家庭的な事情で十分に教育を受けられなかった時期があり、その辛さが身に染みていたからこその行動だったのではないかと思えてなりません。
そして50代の時には、関東大震災(1923年)で罹災したために転校を余儀なくされた子どもたちを受け入れ、学校として学用品を用意したほか、教え子たちの置かれた状況が心配で、かつて校長を務めた小学校のある地域にまで足を運んでいたのです。
弟子である戸田会長も、戦時体制下の1940年以降の時期に、子どもたちのために35冊に及ぶ学習雑誌を発刊していました。
軍部政府の思想統制が強まる中で牧口会長とともに投獄され、牧口会長が獄中で生涯を閉じた後も、子どもたちの幸福を願う思いは消えることはなかった。
2年に及ぶ獄中生活にも屈することなく、出獄をした翌月に終戦を迎えた時、即座に立ち上げたのも子どもたちのための通信教育でした。戦後の混乱で十分に機能しない学校が多い中で、教育の機会を途切れさせないために率先して道を開こうとしたのです。
このように牧口会長と戸田会長の胸中には、"いかなる状況に置かれた子どもたちにも、教育の光を灯し続けたい"との信念が脈打っていました。創価学会の創立の原点でもある『創価教育学体系』の扉に描かれたランプの灯火には、そうした二人の先師の誓いと行動が込められている気がしてならないのです。
ランプの姿がいみじくも物語るように、教育の光は誰かの支えがなければ途切れてしまうものです。情熱を注ぎ続ける人々の存在があり、その人々を支える社会があってこそ輝き続けるものにほかなりません。
私も先師の思いを受け継いで、東京と関西の創価学園や創価大学をはじめ、アメリカ創価大学やブラジル創価学園などの教育機関を創立するとともに、各国の教育者との対話を重ねながら、子どもたちの尊厳と未来を支える「教育のための社会」を建設する挑戦を半世紀以上にわたって続けてきました。
今後もSGIは、「教育のための社会」の重要性を訴える意識啓発に努めるとともに、気候変動をはじめとする地球的な課題に取り組む連帯を広げるために、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」を力強く推進していきたいと思います。
約束を必ず守ること。
時間に遅れないこと。
「小事」が「大事」。
誠実一路の道を歩もう!
白米一俵御書 P1597
『法華経はしからず月こそ心よ花こそ心よと申す法門なり』
【通解】
法華経はそうではなく、「月がそのまま心、花がそのまま心」という法門なのである。
名字の言 巨匠たちが語るジャズの真髄とは? 2020年2月4日
ジャズの巨匠アート・ブレイキー氏がかつて、民音の招聘に応え、日本で公演したことがある。その折、音楽教室を開催し、学会の音楽隊・鼓笛隊にドラムの打ち方などを指導した。「形式や、型で打つのではない。心で打つのだ!」と▼ジャズの最大の特徴は「即興」にある。自らが発する音に他の奏者が反応し、他の奏者の音に自分も応えていく。その一音一音は奏者の心に湧き上がるもの。ゆえに一流のジャズ奏者であればあるほど、「心で演奏する」ことを強調するのだ▼ブレイキー氏とバンドを組んでいたウェイン・ショーター氏は語る。「自己を全面的にさらけ出し、心と心、本質と本質でぶつかり合う——それがジャズなのです」。いわばジャズは「楽器を通した対話」の芸術だ。心が響き合うほどにハーモニーは美しく研ぎ澄まされ、人の胸を打つ▼実際の対話も、共鳴し、高め合うところに醍醐味がある。小説『新・人間革命』第26巻「法旗」の章に「対話——それは、人間の心の扉を開く魂の打ち合いであり、良心の共鳴音を生み出すことができる生命の音楽である」とある▼「令和」に入り、初の「伝統の2月」。「令和」の英訳「ビューティフル・ハーモニー」のように、心を結ぶ"対話のハーモニー"をあの地この地で奏でよう。(澪)
寸鉄 2020年2月4日
個人主義の仏はいない—牧口先生。徹底して一人を励ます実践が広布の要
「東洋哲学研究所の日」。仏法の智慧で文明間・宗教間の架橋を—使命深く
中野の日。大東京に光る妙法の人材山脈。絶対できる!弾む心で対話拡大
「力は活動を止めた瞬間に消える」思想家。人生の栄冠は進み続ける人に
iPS細胞の活用で再生医療の発展加速と。価値ある生き方の探求も更に
☆第45回SGI提言� 日本で「気候変動と防災」の国連会合を
気候変動を巡る問題に焦点を当て日本で国連の防災会合を
◇災害の発生件数が10年で5倍に増加
第三の提案は、気候変動と防災に関するものです。
気候変動を巡って取り組みが迫られているのは、温室効果ガスの削減だけではありません。異常気象による被害の拡大を防止するための対応が待ったなしとなっています。
先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)でも、この二つの課題を中心に討議が進められました。
COP25に寄せてNGOのオックスファムが発表した報告によると、気候変動による災害の発生件数は過去10年間で5倍にまで増加しているといいます。
世界全体でみると、地震などの災害や紛争よりも、気候変動が原因で避難した人数が圧倒的に多い状況が生じているのです。
そこで私は、「気候変動と防災」に関するテーマに特に焦点を当てた国連の会合を日本で行うことを提唱したい。
国連防災機関では、各国の政府代表や市民社会の代表などが参加する「防災グローバル・プラットフォーム会合(防災GP会合)」を、2007年から開催してきました。
2年ごとに会合を重ねる中で、2015年には仙台で行われた第3回「国連防災世界会議」をもってその開催に代えられたほか、昨年5月にスイスのジュネーブで会合が行われた際には、182カ国から4000人が参加して討議が進められました。
今後は3年ごとに開催される予定となっており、2022年に行われる防災GP会合を日本で開催して、異常気象による被害の拡大防止と復興の課題について集中的に討議していってはどうかと思うのです。
5年前の国連防災世界会議で採択された仙台防災枠組(※注5)では、災害の被災者を2030年までに大幅に減少させるなどの目標が打ち出されました。
これまで積み上げてきた各国の経験を生かしながら、異常気象による災害についても早急に対策を強化していくことが求められるのではないでしょうか。
すでにインフラ(社会基盤)の整備については、インドの呼び掛けで「災害に強いインフラのための連合」が昨年9月に発足しています。
これまで重点が置かれてきた地震などの災害への対応だけでなく、気候変動の影響にも強いインフラの構築を目指すグローバルな枠組みで、技術支援や能力開発に関する国際的な連携を進めるものです。
異常気象による被害が相次ぐ日本もこの連合に参加しており、インドをはじめ他の加盟国と協力しながら、防災GP会合でこの分野における国際指針のとりまとめをリードしていくことを提案したい。
また、防災GP会合の中心議題の一つとして、気候変動と防災に関する自治体の役割をテーマに取り上げ、その連携を大きく広げる機会にしていくべきだと思います。
現在、国連防災機関が「災害に強い都市の構築」を目指して進めるキャンペーンには、世界の4300を超える自治体が参加しています。そのなかには、モンゴルやバングラデシュのように、すべての市町村がキャンペーンに参加している国も出てきました。
キャンペーンが始まってから本年で10年になりますが、今後は異常気象への対応に特に重点を置く形で自治体間の連携を進めることが大切になると思います。
世界の人口の4割は海岸線から100キロ以内に住んでおり、その地域では気候変動の影響によるリスクが高まっています。
日本でも人口の多くが沿岸地域で暮らしています。中国や韓国をはじめ、アジアの沿岸地域の自治体と、「気候変動と防災」という共通課題を巡って互いの経験から学び、災害リスクを軽減するための相乗効果をアジア全体で生み出していくべきだと考えるのです。
本年6月には、アジア太平洋防災閣僚級会議がオーストラリアで行われます。会議を通じて自治体間の連携に関する議論を深め、2022年の防災GP会合でその世界的な展開につなげることを目指していってはどうでしょうか。
誰も置き去りにしない社会へレジリエンスの強化を推進
◇障がいのある人を取り巻く状況
加えて、次回の防災GP会合の開催にあたって呼び掛けたいのは、気候変動で深刻な影響を受ける人々を置き去りにしないための社会づくりについて、重点的に討議を行うことです。
男女平等と社会的包摂の促進を掲げた昨年のジュネーブでの会合では、登壇者の半数と参加者の4割を女性が占めたほか、120人以上の障がいのある人が参加しました。
SDGsのアドボケート(推進者)の一人で、会合に出席した南アフリカ共和国のエドワード・ンドプ氏は、災害時の社会的包摂への思いをこう述べました。
「障がい者は世界人口の15%を占める最大のマイノリティー(社会的な少数派)ですが、一貫して存在が忘れられてきました」
「(災害時に)障がい者を物理的に置き去りにしてしまう行為と、日常生活において排除が障がい者にもたらす極めて現実的な影響とは、つながりがあるのです」と。
脊髄性筋萎縮症を2歳の頃から患ってきたンドプ氏は、災害が起きた時に最も危険にさらされる人々に対する「社会的な態度の再構築」が必要となると訴えていたのです。
私は、防災と復興を支えるレジリエンス(困難を乗り越える力)の強化といっても、この一点を外してはならないと思います。
普段の生活の中で「共に生きる」というつながりを幾重にも育む土壌があってこそ、災害発生時から復興への歩みに至るまで、多くの人々の生命と尊厳を守る力を生み出し続けることができるからです。
また、ジュネーブ会合での災害とジェンダーを巡る討議でも、"目に映らない存在にされてきた人々"を"目に見える存在"にすることが大切になるとの指摘がありました。
日常生活において女性が置かれている状況は、社会的な慣習や差別意識などによって当たり前のように見なされることが多いために、本当に助けが必要な時に置き去りにされる恐れが強いことが懸念されます。
例えば、異常気象の影響で避難が必要になった時、女性は家を出るのが最後になることが多いといわれます。男性が離れた場所で働いている場合には、子どもたちや高齢者や病気の家族の世話をする必要があるため、家を出るのが遅れがちになるからです。
しかしその一方で、災害が起きた時に、地域で多くの人々を支える大きな力となってきたのは女性たちにほかなりませんでした。
◇昼間の星々の譬え
この点に関し、UNウィメン(国連女性機関)も、次のように留意を促しています。
被災直後から発揮されるリーダーシップや、地域でのレジリエンスの構築に果たす中心的役割など、防災における女性たちの実質的な貢献とともに、潜在的な貢献は、大きな可能性を持つ社会資産であるにもかかわらず、あまり注目されてこなかった——と。
明らかに存在するのに見過ごされがちになるという構造的な問題について考える時、私は大乗仏教の経典に出てくる"昼間の星々"の譬えを思い起こします。
天空には常に多くの星々が存在し、それぞれが輝きを放っているはずなのに、昼間は太陽の光があるために、星々の存在に意識が向かなくなることを示唆したものです。
日常生活においても災害時においても、地域での支え合いや助け合いの要の存在となってきたのは、女性たちであります。
地震などの災害に加えて、異常気象への対応策を考える上でも、あらゆる段階で女性の声を反映させることが、地域のレジリエンスの生命線になるのではないでしょうか。
本年は、ジェンダー平等の指針を明確に打ち出した第4回世界女性会議の「北京行動綱領」が採択されて25周年にあたります。
そこには、こう記されています。
「女性の地位向上及び女性と男性の平等の達成は、人権の問題であり、社会正義のための条件であって、女性の問題として切り離して見るべきではない。それは、持続可能で公正な、開発された社会を築くための唯一の道である」と。
このジェンダー平等の精神は、防災においても絶対に欠かせないものです。
その意味から言えば、災害にしても、気候変動に伴う異常気象にしても、インフラ整備などのハード面での防災だけでは、レジリエンスの強化を図ることはできない。
ジェンダー平等はもとより、日常生活の中で置き去りにされがちであった人々の存在を、地域社会におけるレジリエンスの同心円の中核に据えていくことが、強く求められると訴えたいのです。
私どもSGIも、信仰を基盤にした団体(FBO)として、災害時における緊急支援や、被災地の復興を後押しする活動に取り組む一方で、防災GP会合をはじめとする国際会議に継続して参加してきました。
2017年のメキシコでの防災GP会合では、「FBOによる地域主導の防災——仙台防災枠組の実践」と題するシンポジウムを行ったほか、キリスト教やイスラム教などさまざまな宗教的背景を持つFBOと協力して共同声明をまとめ、昨年のジュネーブ会合でも引き続いて共同声明を発表してきました。
また2018年3月に、他のFBOの4団体と連携して「持続可能な開発のためのアジア太平洋FBO連合(APFC)」を結成し、同年7月にモンゴルで開催されたアジア防災閣僚級会議に共同声明を提出しました。
そこには、私たち5団体の共通の決意を込めて、こう記しています。
「FBOの使命の根幹にあるのは、社会的な弱者を生む根本原因に対処する意志であり、社会の片隅に置かれた人々に希望と幸福をもたらすことである」
「信仰を基盤にした団体は、防災とレジリエンスの構築と人道的な行動を地域で進める上で重要な役割を果たしている」と。
今後も、この精神を他のFBOと共有しながら、すべての人々の尊厳を守るための社会的包摂のビジョンを掲げて、レジリエンスの強化を後押ししていきたいと思います。
☆第45回SGI提言� 「教育のための国際連帯税」を創設
「教育のための国際連帯税」を創設し人道危機下の子どもたちを支援
◇紛争や災害での心の傷を癒やす
最後に第四の提案として述べたいのは、紛争や災害などの影響で教育の機会を失った子どもたちへの支援強化です。
持続可能な地球社会を目指すといっても、次代を担う子どもたちの人権と未来を守ることが要石となると考えるからです。
本年9月に発効30周年を迎える、子どもの権利条約は、今や国連の加盟国数よりも多い196カ国・地域が参加する、世界で最も普遍的な人権条約となりました。
教育の権利の保障も明記される中、条約の発効時には約20%に及んでいた、小学校に通う機会を得られていない子どもの割合は、今では10%以下にまで減少しました。
しかしその前進の一方で、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちの多くが深刻な状況に直面しています。
例えば、紛争が続く中東のイエメンでは240万人の子どもたちが学校に通うことができず、学校施設も攻撃を受けてひどく損傷していたり、軍事拠点や避難場所に使用されたりしている所が数多くあります。
また、気候変動の影響による災害が続くバングラデシュでは、多くの家族が貧困や避難生活に追い込まれる中で、子どもたちの健康が危ぶまれているほか、教育の機会が失われている状態が広がっています。
世界では、こうした紛争や災害の影響で教育の機会を失った子どもや若者の数は1億400万人にも及んでいますが、人道支援の資金の中で教育に配分されるのは2%ほどにとどまってきました。
食糧や医薬品などの物資の支援と比べて、"人命には直接関わらない"といった理由で、緊急事態が起きた直後の期間のみならず、復興に向けた歩みが始まった時期以降も、後回しにされがちになってきたからです。
しかし、ユニセフ(国連児童基金)が強調するように、子どもたちにとって学校の存在は、日常を取り戻すための大切な空間にほかなりません。学校で友だちと一緒の時間を過ごすことは、紛争や災害で受けた心の傷を癒やすための手助けにもなります。
こうした問題を踏まえて、4年前の世界人道サミットで設立をみたのが、ユニセフが主導するECW(教育を後回しにはできない)基金でした。
緊急時の教育に特化した初めての基金であり、現在まで、人道危機に巻き込まれた190万人以上の子どもや若者たちに教育の機会を提供する道を開いてきました。
緊急時の教育支援は、人道危機が長期化した場合の教育支援とともに、子どもたちが安心と希望を取り戻し、将来の夢を思い描いて前に進むためのかけがえのない基盤となるだけでなく、地域や社会にとっても平和と安定をもたらす源泉となるものです。
ECW基金のヤスミン・シェリフ事務局長は、こう述べています。
「もし、その社会の市民と難民の人々が、読み書きができず、論理的な思考ができず、教師や弁護士や医師もいない場合、どうやって社会経済的に発展可能な社会を築くことができるというのでしょうか」
「教育は、平和と寛容と相互尊重を促進するための鍵です。女の子と男の子が教育に平等にアクセスできた場合には、暴力や紛争が発生する確率は37%も減るのです」と。
◇「失われた世代」を生み出さない
国連のSDGsで"すべての子どもたちに質の高い教育を"との目標が掲げられる中、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちが、「失われた世代」として置き去りになるようなことは、決してあってはならない。
ECW基金が設立された2016年の時点での推計では、人道危機に見舞われた7500万人の子どもたちに基礎教育を提供するには毎年85億ドル、1人あたりで年間113ドルが必要になると見込まれていました。
現在、その対象人数は1億400万人に及び、必要額も増えているものの、世界全体の1年間の軍事費である1兆8220億ドルのほんの一部に相当する資金を国際的な支援などで確保できれば、厳しい状況にある多くの子どもたちが、希望の人生を歩み出すきっかけを得られるのです。
その意味で私は、誰もが尊厳をもって安心して生きられる持続可能な地球社会を築くための挑戦の一環として、ECW基金の資金基盤の強化を図り、緊急時の教育支援を力強く進めていくことを呼び掛けたい。
かつて私は2009年の提言で、国連が当時進めていた「ミレニアム開発目標」の達成を後押しするために、国際連帯税などの革新的資金調達メカニズムの導入を促進することを提唱したことがあります。
SDGsの推進において、その必要性はさらに増しており、「教育のための国際連帯税」の創設をはじめ、資金基盤を強化するための方策を検討すべきではないでしょうか。
これまで連帯税としては、フランスなどの国々が導入している航空券連帯税(※注6)があり、エイズや結核やマラリアの感染症で苦しむ途上国の人々を支援するための国際的な資金に充てられてきました。
また5年前からは、発育阻害に苦しむ子どもたちを支援する国連の「ユニットライフ」の枠組みが進められています。
日本も昨年、開発のための革新的資金調達メカニズムのあり方を討議するリーディング・グループの議長国を務める中、7月に行われたG7(主要7カ国)開発大臣会合で、国際連帯税を含む革新的資金調達を活用する必要性について言及しました。
これまで日本は、内戦が続く中東のシリアで、ユニセフと連携して約10万人の小学生のために教科書を配布し、約6万2000人の子どもたちに文房具と学校用のカバンを支給してきました。またアフガニスタンでも、支援が不足しがちだった地域で70校の学校を建設し、約5万人の子どもたちが学習にふさわしい環境で授業を受けられるようになっています。
私は、教育分野の支援において豊かな実績を持つ日本が、「教育のための国際連帯税」をはじめ、さまざまなプランを検討する議論をリードしながら、ECW基金の資金基盤を強化するための枠組みづくりで積極的な役割を担うことを強く呼び掛けたいのです。
避難した先で教育の機会を得ることが、子どもと家族の心にどれだけ希望を灯すのか。
その一つの例を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が紹介しています。
——中米のニカラグアで2人の子どもと暮らしていたある母親は、情勢不安が続く中、葛藤を抱きながら隣国コスタリカへの避難を決めた。「学校を辞めさせ、避難することは苦しい決断でした。でも、これ以上危険な目にあわせるわけにはいかなかった」と。
学校に在学証明書を取りに行くのも危険な中、小さなカバン一つで避難しなければならなかったため、子どもたちは避難先で学校に通うことができるだろうかと胸を痛めていたところ、コスタリカではすべての子どもに無償の初等教育が保障されていた。
特に、避難民がいるコスタリカ北部の小学校の多くでは、公的な書類がなくても入学でき、避難で学習が遅れてしまった子どものために補習などのシステムまで用意されていた。
そのおかげで、2人の子どもたちも教育の機会を取り戻すことができた。
14歳の兄は、「今一番うれしいことは勉強できること。将来はお医者さんになりたい」と目を輝かせ、10歳の妹と手をつないで元気に学校へ通うようになった。
学校の教員も、「故郷を離れなければならなかった子どもたちが、学校を家のように感じられるようになれば」との思いで迎え入れている——と。(UNHCR駐日事務所のウェブサイトを引用・参照)
人道危機によって教育の機会を失った1億400万人という膨大な数字の奥には、一人一人の子どもの存在があり、人生の物語があります。
この子どもたちにも同様に教育の機会が確保されれば、彼らが生きる希望を取り戻し、夢に向かって進むための足場となるに違いないと訴えたいのです。
「創価教育学体系」に脈打つ牧口会長と戸田会長の精神
◇ランプの絵柄に込められた思い
私どもSGIも、社会的な活動の三つの柱として、平和や文化とともに教育に力を入れ、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント(内発的な力の開花)」の取り組みを、世界192カ国・地域で進めてきました。
その精神の源流を象徴するような絵柄が、ともに教育者だった牧口初代会長と戸田第2代会長の師弟の絆によって、今から90年前(1930年11月18日)に発刊された『創価教育学体系』の扉に描かれています。
ランプの先に灯された火が光を放つ姿をイラストにしたもので、その絵柄はケースにも描かれ、本の表紙にも刻印されていました。
社会が大きな混乱や脅威で覆われた時、その嵐に容赦なくさらされ、激しい波に特に翻弄されるのは、常に子どもたちです。
その状況に胸を痛めた牧口会長は、小学校という教育の最前線に立ち続け、子どもたちの心に希望を灯すことに最大の情熱を注ぐ一方で、幸福な人生を切り開く力を養うための人間教育のあり方を探求し、『創価教育学体系』という大著に結晶させていったのです。
牧口会長は30代の頃、日露戦争の最中にあって、日本で立ち後れていた女性教育の普及のために力を注いだ経験がありました。しかも、戦争で父親が亡くなったり、傷病を負ったりしたことで経済的に困窮する家庭が増える中で、授業料の全額免除や半額免除の制度まで設けていました。
また40代には、貧困家庭のために特別に開設された小学校で校長を務め、病気の子どもの家に見舞いに行って自ら世話をしたほか、食事が満足にできない子どもたちのために学校給食を実施していたのです。
いずれも、牧口会長自身が家庭的な事情で十分に教育を受けられなかった時期があり、その辛さが身に染みていたからこその行動だったのではないかと思えてなりません。
そして50代の時には、関東大震災(1923年)で罹災したために転校を余儀なくされた子どもたちを受け入れ、学校として学用品を用意したほか、教え子たちの置かれた状況が心配で、かつて校長を務めた小学校のある地域にまで足を運んでいたのです。
弟子である戸田会長も、戦時体制下の1940年以降の時期に、子どもたちのために35冊に及ぶ学習雑誌を発刊していました。
軍部政府の思想統制が強まる中で牧口会長とともに投獄され、牧口会長が獄中で生涯を閉じた後も、子どもたちの幸福を願う思いは消えることはなかった。
2年に及ぶ獄中生活にも屈することなく、出獄をした翌月に終戦を迎えた時、即座に立ち上げたのも子どもたちのための通信教育でした。戦後の混乱で十分に機能しない学校が多い中で、教育の機会を途切れさせないために率先して道を開こうとしたのです。
このように牧口会長と戸田会長の胸中には、"いかなる状況に置かれた子どもたちにも、教育の光を灯し続けたい"との信念が脈打っていました。創価学会の創立の原点でもある『創価教育学体系』の扉に描かれたランプの灯火には、そうした二人の先師の誓いと行動が込められている気がしてならないのです。
ランプの姿がいみじくも物語るように、教育の光は誰かの支えがなければ途切れてしまうものです。情熱を注ぎ続ける人々の存在があり、その人々を支える社会があってこそ輝き続けるものにほかなりません。
私も先師の思いを受け継いで、東京と関西の創価学園や創価大学をはじめ、アメリカ創価大学やブラジル創価学園などの教育機関を創立するとともに、各国の教育者との対話を重ねながら、子どもたちの尊厳と未来を支える「教育のための社会」を建設する挑戦を半世紀以上にわたって続けてきました。
今後もSGIは、「教育のための社会」の重要性を訴える意識啓発に努めるとともに、気候変動をはじめとする地球的な課題に取り組む連帯を広げるために、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」を力強く推進していきたいと思います。
2020年2月3日月曜日
2020.02.03 わが友に贈る
◇今週のことば
新しい人に光を当て
新しい力を引き出そう。
「ほむれば弥功徳まさる」
真心の励ましの波動を!
人材を育む真の人材たれ
2020年2月3日
上野殿御返事 P1537
『欲界第六天の魔王無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆阿闍世六大臣等の身に入りかはりしかば形は人なれども力は第六天の力なり』
【通解】
欲界の第六天の魔王が量り知れないほどの眷属を引き連れて打ち下り、摩竭提国の提婆達多や阿闍世王や六大臣等の身に入り替わったので、形は人間であっても力は第六天の魔王の力であった。
名字の言 小さな目標達成の積み重ね——心理学の「スモールステップの原理」とは? 2020年2月3日
男子部の小単位の集いに参加した時のこと。一人の大学校生が「唱題と読書がなかなかできなくて……」と不安顔。先輩が言った。「まず、"これならできる"という目標を決め、挑戦してみよう」▼1週間後の集い。「朝晩5分ずつ唱題を実践し、小説『人間革命』を毎日2ページ読みました!」と大学校生。"一歩前進"の報告に、拍手と笑顔が広がった▼その後、少しずつ目標を上げていった彼は、1年間で100万遍の題目を唱え、小説『人間革命』全12巻を読了。さらに友人に弘教を実らせた。「毎週の"できた!"という喜びが自信になりました。次もみんなに報告しようと思うと、頑張り抜くことができたんです」▼心理学には「スモールステップの原理」という考え方がある。高い目標を目指すために、小さな目標を段階的に達成していくことが重要というもの。それによって意欲が高まり、行動が持続する。臨床心理士の黒澤礼子さんは本紙で「ちょっと努力したら越えられそうな小さな目標を設定して、上手にできたら褒める(スモールステップ)といった地道な努力が大切」と語った▼広布拡大の挑戦は、人と比べるものではない。"昨日の自分"を越えたかどうか。一人一人の"きょうの一歩"を皆でたたえ合い、朗らかに前進しよう。(叶)
寸鉄 2020年2月3日
さあ勇敢に楽しく戦おうじゃないか—戸田先生。痛快なる拡大の劇を皆と
「法華経は随自意なり」御書。相手を思う誠意は通じる。堂々と語り抜け
笑顔忘れぬ人は本番にも強いと。受験本番。鳳雛よ悔いなく。実力出し切れ
防災地図の認知度は3割—調査。地域に潜む危険を知る。これ命守る一歩
金融機関4割にサイバー攻撃が。不審なメールは開かない等、警戒我らも
☆第45回SGI提言� 「核兵器禁止条約」の本年中の発効を
◇核兵器禁止条約を早期に発効し被爆地で「民衆フォーラム」を開催
続いて、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」の建設に向けて、4項目の具体的な提案を行いたい。
第一の提案は、核兵器禁止条約に関するものです。
広島と長崎への原爆投下から75年にあたる本年中に、核兵器禁止条約を何としても発効に導き、"核時代と決別する出発年"としていくことを強く呼び掛けたい。
2017年7月の採択以来、これまで80カ国が署名し、35カ国が批准を終えました。条約発効に必要となる「50カ国の批准」を早期に実現するために、参加国の拡大の勢いを増していくことが求められます。
こうした中、アメリカとロシアの間で核軍縮の礎石となってきた中距離核戦力(INF)全廃条約(※注4)が失効するなど、核軍拡競争が、今再び激化しようとしています。
国連軍縮研究所のレナタ・ドゥワン所長が「核兵器が使われるリスクは第2次世界大戦後で最も高い」と警告するような状況に直面しており、核兵器禁止条約の発効をもって明確な楔を打ち込むことが急務であると思えてなりません。
◇世界の方向性を形づくる国際規範
現在のところ、核兵器禁止条約には核保有国や核依存国は加わっていませんが、発効によって打ち立てられる"いかなる場合も核兵器の使用を禁止する"との規定には、非常に大きな歴史的意義があります。
そこには何より、広島と長崎の被爆者をはじめ、核開発や核実験による被害を受けた世界のヒバクシャが抱き続けてきた"二度と同じ苦しみを誰にも経験させたくない"との誓いが凝縮されています。
その上、国連のグテーレス事務総長が核兵器の完全な廃絶は「国連のDNA」であると強調しているように、1946年に初開催された国連総会での第1号決議で核兵器の廃絶が掲げられて以来、核問題の解決を求める決議が何度も積み重ねられる中で、ついに実現をみたのが核兵器禁止条約だったからです。
また、核兵器禁止条約への署名と批准の広がりは、50年前(1970年3月)に発効した核拡散防止条約(NPT)と比べても、さほど変わるものではありません。
NPTの発効時の署名国は97カ国で、批准国は47カ国にすぎませんでした。
それでも、NPTを通じて"核兵器の拡散は許されない"との規範意識が次第に定着していく中で、核兵器の保有を検討していた国の多くが非核の道を選び取ったほか、南アフリカ共和国のように、一時は核兵器を開発して保有しながらも自発的に廃棄を果たし、NPTの枠組みに加わった国まで現れました。
核兵器の拡散防止も、NPTが発効するまでは「理想」の段階にとどまっていた。しかし、ひとたび条約が発効し、批准国が拡大することで、世界のあり方を大きく規定する「現実」へと変わっていったのです。
このように、最初の段階で締約国が十分な広がりを見せていなかったとしても、条約の発効には世界の新しい方向性を明確に形づくる影響力があるといえましょう。
新たな国際規範を設けることの意義について論じた興味深い考察があります。
核兵器禁止条約に先駆けて、核廃絶を実現するための草案としてモデル核兵器条約を97年に起草した、メラフ・ダータン氏とユルゲン・シェフラン氏は、論考の中でこう述べています。
「国際法と国際関係との領域の区分が、理想と現実とのギャップを示しているとすれば、モデル核兵器条約は理想を形にしたもので、NPTは現実を表しているといえよう」
「核兵器禁止条約は、この理想と現実の両方を体現したものだ。核兵器国の署名がまだないために理想ともいえるが、条約が存在するという点において現実である」と。
その上で両氏は、「条約への反対や軍縮への抵抗が実際にあるとしても、規範の価値とその発展を打ち消すものではない」と強調していますが、私も深く同意するものです。
今後の焦点となるのは、条約の発効によって打ち立てられる"いかなる場合も核兵器の使用を禁止する"との規定に対し、どの国であろうと揺るがすことのできない重みを帯びさせることではないでしょうか。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営団体の一つである「ノルウェー・ピープルズエイド」の昨年の報告書によると、核兵器禁止条約を支持する国々は135カ国にのぼるといいます。
加えて各国の自治体の間でも、条約の支持を表明する動きが広がっています。
2年前に始まった「ICANシティーズ・アピール」には、核保有国のアメリカ、イギリス、フランスをはじめ、核依存国のドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア、スペイン、ノルウェー、カナダ、日本、オーストラリアのほか、スイスの自治体が加わっています。
その中には、核保有国の首都であるワシントンDCやパリに加え、核依存国の首都であるベルリン、オスロ、キャンベラも含まれているのです。
また昨年10月には、すべての国に核兵器禁止条約への加盟を求める「ヒバクシャ国際署名」が国連に提出されました。
広島と長崎の被爆者の呼び掛けで4年前に始まった活動で、創価学会平和委員会も運営団体として参画してきましたが、核保有国や核依存国を含む多くの国から1051万人の署名が寄せられたのです。
このようにさまざまな形で表れているグローバルな民意を、さらに力強く結集する中で、"核兵器の禁止の規範化"を大きく前に進めることが重要ではないでしょうか。
◇どの国の民衆にも惨害を起こさない
そこで提案したいのは、核兵器禁止条約の発効後に行われる第1回締約国会合を受ける形で、世界のヒバクシャをはじめ、条約を支持する各国の自治体やNGO(非政府組織)の代表らが参加しての「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を、広島か長崎で開催することです。
「核なき世界を選択する民衆フォーラム」の開催を提案したのは、"どの国の民衆にも核兵器の惨害を起こしてはならない"との共通認識に基づく議論を民衆自身の手で喚起することが、核兵器の禁止を「グローバルな人類の規範」として根付かせるために欠かせないと考えるからです。
唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器の非人道性を巡る国際的な議論をさらに深めるための努力を重ね、核保有国と非保有国の橋渡しの役割を担うことを切に望むものです。
過去70年以上にわたって厚い壁に覆われ続けていた、核兵器禁止条約の交渉開始への突破口を開いたのは、2013年から3回にわたって開催されてきた「核兵器の人道的影響に関する国際会議」でした。
そこでの議論を通じて浮かび上がったのが、次のような重要な観点です。
�いかなる国も国際機関も、核爆発によって引き起こされた直接的被害に適切に対処し、被害者を救援するのは困難であること。
�核爆発の影響は国境内に押しとどめることは不可能で、深刻で長期的な被害をもたらし、人類の生存さえ脅かしかねないこと。
�核爆発による間接的な影響で社会・経済開発が阻害され、環境も悪化するために、貧しく弱い立場に置かれた人々が最も深刻な被害を受けること。
このように、「核兵器で守ろうとする国家の安全」ではなく、「核兵器の使用によって被害を受ける人間」の側から問題の所在が明らかにされていく中で、核兵器禁止条約の交渉開始のうねりが高まっていったのです。
◇人権法の中核をなす「生命に対する権利」
核兵器禁止条約の採択後も、2018年10月に国連の自由権規約委員会が、"核兵器の威嚇と使用は「生命に対する権利」の尊重と相容れない"と明記した一般的意見を採択するという動きがありました。
「生命に対する権利」は、市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)において、緊急事態であっても例外なく守られなければならない"逸脱できない権利"として位置付けられており、国際人権法の中でも際立って重要とされているものです。
国際人権法の中核をなす権利との関係において、核兵器の威嚇と使用の重大な問題性が明確に指摘されたことの意義は、誠に大きいと思えてなりません。
私の師である戸田第2代会長が1957年9月に発表した「原水爆禁止宣言」で何よりの立脚点にしていたのも、世界の民衆の生存の権利を守る重要性にほかなりませんでした。
核兵器禁止条約の第1回締約国会合の開催を受ける形で、「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を行い、この「生命に対する権利」に特に焦点を当てながら、人権の観点から核兵器の非人道性を浮き彫りにする議論を深めていってはどうかと思うのです。
◇母と子が安心して暮らせる世界を!
また、民衆フォーラムの開催を通して、核兵器の禁止によって築きたい世界の姿について、互いの思いを分かち合う場にしていくことを呼び掛けたい。
核兵器禁止条約の制定にあたって、これまで核問題とは結びつけられてこなかったジェンダーの視座が盛り込まれたのも、長らく見過ごされてきた被害の実相を浮かび上がらせた女性の声がきっかけでした。
2014年12月に行われた第3回の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」で、メアリー・オルソンさんが、核兵器使用による放射線の有害性が男性よりも女性に顕著に表れる事実を明確に示したことを機に議論が深まる中で、核兵器禁止条約の前文に次の一文が明記されるようになったのです。
「女性及び男性の双方による平等、十分かつ効果的な参加は、持続可能な平和及び安全を促進し及び達成することにとり不可欠な要素であることを認識し、女性の核軍縮への効果的な参加を支援しかつ強化することを約束する」と。
これは、核兵器の禁止を通して目指すべき世界のビジョンの輪郭を、ジェンダーの視座から照らし出したものといえましょう。
創価学会が長年にわたって発刊してきた広島と長崎の被爆証言集にも、多くの女性たちの体験が収録されています。
このうち4年前に発刊した『女性たちのヒロシマ』では、14人の女性による証言を通し、被爆の影響による後遺症などへの不安を抱える中で、結婚や出産をはじめ、女性であるがゆえに強く受けてきた偏見や苦しみが綴られています。
しかし、そのメッセージは"同じ悲劇を誰にも経験させたくない"との被爆者としての強い実感にとどまるものではありません。
副題が「笑顔かがやく未来(あした)へ」となっているように、"母と子が安心して平和に暮らせる世界を共に築きたい"との誓いが脈打っているのです。
核兵器禁止条約の普遍性を高めるためには、「人間としての実感」に根差した思いを多くの人々の間で分かち合うことが、重要な意味を持ってくるのではないでしょうか。
平和や軍縮に関心を持つ人だけでなく、ジェンダーや人権の問題、さらには家族や子どもたちの未来に思いを馳せる人たちをはじめ、国や立場の違いを超えた多くの民衆の支持が結集されてこそ、核兵器禁止条約は「グローバルな人類の規範」としての力を宿していくに違いないと確信するのです。
☆第45回SGI提言� 保有5カ国による核軍縮交渉を開始
◇新STARTの延長を基盤に保有5カ国で核軍縮条約を
◇NPT再検討会議で実現すべき合意
次に第二の提案として、核軍縮を本格的に進めるための方策について述べたい。
具体的には、4月から5月にかけてニューヨークの国連本部で行われるNPT再検討会議で、「多国間の核軍縮交渉の開始」についての合意と、「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を最終文書に盛り込むことを呼び掛けたいと思います。
一つ目の合意については、アメリカとロシアとの新戦略兵器削減条約(新START)の延長を確保した上で、多国間の核軍縮交渉の道を開くことが肝要となると考えます。
新STARTは、両国の戦略核弾頭を1550発にまで削減するとともに、大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射弾道ミサイルなどの配備数を700基にまで削減する枠組みで、明年2月に期限を迎えます。
5年間の延長が可能となっていますが、協議は難航しており、INF全廃条約に続いて新STARTの枠組みまで失われることになれば、およそ半世紀ぶりに両国が核戦力の運用において"相互の制約を一切受けない状態"が生じることになります。
この空白状態によって生じる恐れがあるのは、核軍拡競争の再燃だけではありません。
今後、小型の核弾頭や超音速兵器の開発が加速することで、局地的な攻撃において核兵器を使用することの検討さえ現実味を帯びかねないとの懸念の声も上がっています。
ゆえに、新STARTの5年延長を確保することがまずもって必要であり、NPT再検討会議での議論を通して、核兵器の近代化に対するモラトリアム(自発的停止)の流れを生み出すことが急務だと訴えたい。その上で、「次回の2025年の再検討会議までに、多国間の核軍縮交渉を開始する」との合意を図るべきではないでしょうか。
50年にわたるNPTの歴史で、核軍縮の枠組みができたのはアメリカとロシアとの2国間だけであり、多国間の枠組みに基づく核軍縮は一度も実現していません。
NPTはすべての核兵器国が核軍縮という目標を共有し、完遂を誓約している唯一の法的拘束力のある条約であることを、今一度、再検討会議の場で確認し合い、目に見える形での行動を起こす必要があります。
具体的な進め方については、さまざまなアプローチがあるでしょうが、私はここで一つの試案を提示しておきたい。
それは、「新STARTの5年延長」を土台にした上で、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国による新たな核軍縮条約づくりを目指し、まずは核軍縮の検証体制に関する対話に着手するという案です。
これまでアメリカとロシアが実際に行ってきた検証での経験や、多くの国が参加して5年前から継続的に行われてきた「核軍縮検証のための国際パートナーシップ」での議論も踏まえながら、5カ国で核軍縮を実施するための課題について議論を進めていく。
その上で、対話を通じて得られた信頼醸成を追い風にして、核兵器の削減数についての交渉を本格的に開始することが望ましいのではないかと思います。
◇共通の安全保障の精神を顧みる
多国間の核軍縮の機運を高めるために重要な鍵を握ると考えるのは、冷戦終結の道を開く後押しとなった「共通の安全保障」の精神を顧みることです。
1982年6月に行われた国連の第2回軍縮特別総会に寄せて、スウェーデンのパルメ首相らによる委員会が打ち出したもので、"核戦争に勝者はない"との認識に基づいて、次のような意識転換が促されていました。
「諸国家はもはや、他国を犠牲にして安全性を追求することはできない。すなわち相互協力によってしか、安全は得られない」(『共通の安全保障』森治樹監訳、日本放送出版協会)と。
私もその時、第2回軍縮特別総会に向けた提言で、「膨大な核戦力が対峙している以上、いかに軍事力を増強させようと、とうてい真の平和は保ちえない」と訴えていただけに、深く共感できる考え方でした。
その前年(81年)、アメリカとソ連の関係が厳しさを増す中で、レーガン大統領は対決姿勢を鮮明にし、ヨーロッパでの限定核戦争もあり得るとまで発言していました。
当時の心境について、レーガン大統領はこう記しています。
「われわれの政策は、力と現実主義に基づいたものでなければならない。私が望んだのは力を通じての平和であって、一片の紙切れを通じての平和ではなかった」(『わがアメリカンドリーム』尾崎浩訳、読売新聞社)と。
しかし、欧米諸国の市民による反核運動の高まりがあり、核兵器の使用がもたらす壊滅的な被害に対する認識も深めるにつれて、レーガン大統領は"核戦争を起こしてはならない"との思いを強めていった。
また、核兵器で対峙するソ連の人々がどんな気持ちを抱いているかについて思いを馳せる中で、ソ連のチェルネンコ書記長に手紙を送った時のことを回想し、こう綴っていました。
「チェルネンコへの手紙の中で私は、直接的、かつ内密に交信することはわれわれ双方にとって利益があると思っている、と述べた。そして俳優時代になじんだ感情移入のテクニックを使うように努めた」「そしてソ連国内の一部の人は、わがアメリカを本当に恐れているようだと私は理解している、と続けた」(同)
こうした想起を通して、相手側の不安と自国側の不安とが"鏡映し"であることを実感したレーガン大統領が、ソ連との対話を模索する中で実現したのが、85年11月にジュネーブで行われたゴルバチョフ書記長との首脳会談だったのです。
同じく核問題の解決の必要性を強く認識していたゴルバチョフ書記長と、胸襟を開いた対話を続けた結果、両首脳による共同声明として世界に発信されたのが、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との有名なメッセージでした。
そこには「共通の安全保障」に通じる考え方が脈打っており、それが87年12月のINF全廃条約の締結へとつながり、冷戦を終結させる原動力ともなっていったのです。
時を経て再び、核兵器を巡る緊張が高まり、"新冷戦"とまで呼ばれる状況に世界が直面する今、「共通の安全保障」の精神を呼び覚ますことが大切ではないでしょうか。
ゆえに私は、NPT発効50周年を迎えるにあたり、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との宣言を、NPTの締約国の総意として今回の再検討会議の最終文書に明記することを提案したい。
国連が2018年5月に発表した軍縮アジェンダでも、「人類を救うための軍縮」との視座が打ち出されていました。作成に携わった国連の中満泉・軍縮担当上級代表は、その発表翌日に行ったスピーチで、軍縮と安全保障との関係について、こう述べています。
「軍縮は、国際平和と安全保障の原動力であり、国家の安全保障を確保するための有用な手段である」
「軍縮はユートピア的な理想ではなく、紛争を予防し、いついかなる時、場所であれ、紛争が起こった際に、その影響を緩和するための具体的な追求である」と。
自国の安全保障を確保するための「有用な手段」として核軍縮の交渉を進め、他の国々が感じてきた脅威や不安を取り除くことで、自国が他国から感じてきた脅威や不安を取り除いていく——。
NPT第6条が求める核軍縮の誠実な履行を、こうした互いが勝者となる"ウィンウィンの関係"を基盤として、今こそ力強く推進していくべきであると訴えたいのです。
◇核運用におけるAI導入やサイバー攻撃の禁止が急務
◇新技術の発達が兵器に及ぼす影響
また私がもう一つ、NPT再検討会議で目指すべき合意として特に求めたいのは、「核関連システムに対するサイバー攻撃」や「核兵器の運用におけるAI導入」の危険性に対する共通認識を深め、禁止のルールづくりのための協議を開始することです。
インターネットなどのサイバー空間やAIに関する新技術は、社会に多くの恩恵をもたらしてきた一方で、それを軍事的な目的に利用しようとする動きが進んでいます。
昨年3月、こうした新技術に伴う問題を巡る会議がベルリンで行われました。
EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)の国々をはじめ、ロシア、中国、インド、日本、ブラジルの政府代表が参加した会議で焦点となったのは、ロボット兵器の通称で呼ばれる自律型致死兵器システム(LAWS)の問題に加えて、新技術の発達が核兵器などの多くの兵器に及ぼす影響についてでした。
その上で、ドイツとオランダとスウェーデンの外相による政治宣言として、「技術的に進化した軍事能力がいかにして戦争の性格を変え、世界の安全保障に影響を与えるかについて、共通の理解を構築する必要がある」(IDN—InDepthNews 2019年3月17日配信)との問題提起がされていたのです。
核兵器に安全保障を依存してきた国などからも懸念が示されるほど、新技術の発達のスピードは速く、私は、緊急性が増す核兵器と新技術を巡る討議をNPTの枠組みで早急に開始することを提案したい。
1995年にNPTの無期限延長が決まった時、条約の再検討では、過去の合意の達成状況の精査だけでなく、将来において進展が図られるべき分野と、そのための手段を特定する重要性が提起されていました。
核兵器と新技術の問題は、緊急性と被害の甚大さを踏まえると、まさに最優先で取り上げるべき分野ではないかと思うのです。
まずサイバー攻撃に関して言えば、核兵器の指揮統制だけでなく、早期警戒、通信、運搬など多岐にわたるシステムに危険が及ぶ恐れがあります。
いずれかのシステムに対して、サイバー攻撃が実行されることになれば、単なる不正侵入にとどまらず、最悪の場合、核兵器の発射や爆発を引き起こす事態を招きかねません。
この問題に関し、国連のグテーレス事務総長も警鐘を鳴らしていました。
「国連憲章を含め、国際法がサイバー空間にも適用されるというコンセンサスはすでに存在しています。しかし、実際に国際法がどのように適用されるのか、また、国家が法律の枠内で悪意ある、または敵対的な行為にいかに対応できるのかについては、コンセンサスはありません」(国連広報センターのウェブサイト)と。
その基盤をつくる意味でも、「核関連システムに対するサイバー攻撃」の禁止をNPTの枠組みを通して早急に確立し、核リスクの低減を図るべきではないでしょうか。
◇不安や猜疑心を強める危険
同じく、「核兵器の運用におけるAI導入」も、多くの危険を引き寄せかねないものです。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が昨年5月に発表した報告書では、その問題点を詳しく分析しています。
それによると、核保有国にとってのAI導入のメリットは、人間の場合には避けられない疲労や恐怖を排除できることに加え、深海や極地といった厳しい生存環境や危険が伴う場所での任務を無人の装置で代替できることなどが挙げられるといいます。
しかし、AIへの依存度を強めれば強めるほど、核兵器の運用を不安定にする要素が増え、かえって核使用のリスクを高める方向に働きかねないと警告しているのです。
そこでは、従来の核抑止論の基盤をなしてきた相手の出方に関する心理学的な認知が通用しなくなることが指摘されています。
AIが主要な役割を担うようになれば、状況判断の過程がブラックボックス化して、相手の出方がますます読めなくなり、不安や猜疑心がさらに募る状態を招くからです。
報告書は、こう記しています。
「冷戦中、アメリカとソ連は互いの戦略システムと行動を研究するために多大な時間と努力を費やし、国防関係の代表は、必ずしも生産的というわけではなかったにせよ、頻繁に会っていた」と。
心理学的な認知といっても、直接の出会いを重ねる実体験が伴っていたからこそ、相手の出方をある程度予測できる関係を築くことができていたのではないでしょうか。
また冷戦時代、誤った情報や装置の誤作動で、他国から核ミサイルの発射があったとの警報が出る事態が何度も起きました。
その時に、危機を未然に防いだのは、監視画面に表示された情報をうのみにせず、情勢的にそれはあり得ないとの健全な懐疑心を働かせて、対抗措置としての核攻撃の中止を進言した人々の存在だったのです。
まして現在は、サイバー攻撃による「ハッキング」や「なりすまし」の危険にもさらされており、AIの導入が進めば、誤った情報に対してだけでなく、偽の情報に対する脆弱性も増すことになりかねません。
もちろん、AIへの依存度がどれだけ強まったとしても、核兵器の発射の最終判断は、人間の手を離れることはまずないでしょう。
しかし、AIの導入競争が核保有国の間で進むことが、深刻なジレンマをもたらす危険性に目を向ける必要があります。
AIの導入は自国が優位に立つための"軍事行動のスピード化"につながるかもしれませんが、一方でそれは、1962年のキューバ危機の際にケネディ大統領やフルシチョフ書記長が直面したようなジレンマを、少しの猶予も許さずに迫るものとなるからです。
世界を震撼させた危機の教訓を顧みて、ケネディ大統領はこう述べました。
「核保有国は、相手国に対して、屈辱的な退却か核戦争かを強いるような対決を避けなければなりません」(『英和対訳ケネディ大統領演説集』長谷川潔訳注、南雲堂)と。
そのジレンマがどれほど薄氷を踏むものだったのか、悔恨がにじみ出ている言葉ですが、それでも当時の両首脳には"13日間"という熟議を重ねる時間がありました。
ところが、スピード化の競争が進めば、相手に先を越されることへのプレッシャーが一層強まって、熟議に基づく判断の介在する余地がそれだけ失われることになります。
この点、SIPRIの報告書でも、「より速く、より賢く、より正確で、より多目的な兵器を探求することは、不安定な軍拡競争をもたらす可能性がある」と指摘しています。
核兵器とAIとの結びつきは先制攻撃を促す方向に働くことはあっても、核戦争を止める力にはなりえないと強く訴えたいのです。
NPTの前文に刻まれているように、核戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払うことが、条約を貫く精神だったはずです。
その一点を全締約国の共通の土台としながら、サイバー攻撃やAIの導入を巡る協議を今後進める中で、核兵器に安全保障を依存し続けることの意味についても問い直していくことが、肝要ではないでしょうか。
新しい人に光を当て
新しい力を引き出そう。
「ほむれば弥功徳まさる」
真心の励ましの波動を!
人材を育む真の人材たれ
2020年2月3日
上野殿御返事 P1537
『欲界第六天の魔王無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆阿闍世六大臣等の身に入りかはりしかば形は人なれども力は第六天の力なり』
【通解】
欲界の第六天の魔王が量り知れないほどの眷属を引き連れて打ち下り、摩竭提国の提婆達多や阿闍世王や六大臣等の身に入り替わったので、形は人間であっても力は第六天の魔王の力であった。
名字の言 小さな目標達成の積み重ね——心理学の「スモールステップの原理」とは? 2020年2月3日
男子部の小単位の集いに参加した時のこと。一人の大学校生が「唱題と読書がなかなかできなくて……」と不安顔。先輩が言った。「まず、"これならできる"という目標を決め、挑戦してみよう」▼1週間後の集い。「朝晩5分ずつ唱題を実践し、小説『人間革命』を毎日2ページ読みました!」と大学校生。"一歩前進"の報告に、拍手と笑顔が広がった▼その後、少しずつ目標を上げていった彼は、1年間で100万遍の題目を唱え、小説『人間革命』全12巻を読了。さらに友人に弘教を実らせた。「毎週の"できた!"という喜びが自信になりました。次もみんなに報告しようと思うと、頑張り抜くことができたんです」▼心理学には「スモールステップの原理」という考え方がある。高い目標を目指すために、小さな目標を段階的に達成していくことが重要というもの。それによって意欲が高まり、行動が持続する。臨床心理士の黒澤礼子さんは本紙で「ちょっと努力したら越えられそうな小さな目標を設定して、上手にできたら褒める(スモールステップ)といった地道な努力が大切」と語った▼広布拡大の挑戦は、人と比べるものではない。"昨日の自分"を越えたかどうか。一人一人の"きょうの一歩"を皆でたたえ合い、朗らかに前進しよう。(叶)
寸鉄 2020年2月3日
さあ勇敢に楽しく戦おうじゃないか—戸田先生。痛快なる拡大の劇を皆と
「法華経は随自意なり」御書。相手を思う誠意は通じる。堂々と語り抜け
笑顔忘れぬ人は本番にも強いと。受験本番。鳳雛よ悔いなく。実力出し切れ
防災地図の認知度は3割—調査。地域に潜む危険を知る。これ命守る一歩
金融機関4割にサイバー攻撃が。不審なメールは開かない等、警戒我らも
☆第45回SGI提言� 「核兵器禁止条約」の本年中の発効を
◇核兵器禁止条約を早期に発効し被爆地で「民衆フォーラム」を開催
続いて、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」の建設に向けて、4項目の具体的な提案を行いたい。
第一の提案は、核兵器禁止条約に関するものです。
広島と長崎への原爆投下から75年にあたる本年中に、核兵器禁止条約を何としても発効に導き、"核時代と決別する出発年"としていくことを強く呼び掛けたい。
2017年7月の採択以来、これまで80カ国が署名し、35カ国が批准を終えました。条約発効に必要となる「50カ国の批准」を早期に実現するために、参加国の拡大の勢いを増していくことが求められます。
こうした中、アメリカとロシアの間で核軍縮の礎石となってきた中距離核戦力(INF)全廃条約(※注4)が失効するなど、核軍拡競争が、今再び激化しようとしています。
国連軍縮研究所のレナタ・ドゥワン所長が「核兵器が使われるリスクは第2次世界大戦後で最も高い」と警告するような状況に直面しており、核兵器禁止条約の発効をもって明確な楔を打ち込むことが急務であると思えてなりません。
◇世界の方向性を形づくる国際規範
現在のところ、核兵器禁止条約には核保有国や核依存国は加わっていませんが、発効によって打ち立てられる"いかなる場合も核兵器の使用を禁止する"との規定には、非常に大きな歴史的意義があります。
そこには何より、広島と長崎の被爆者をはじめ、核開発や核実験による被害を受けた世界のヒバクシャが抱き続けてきた"二度と同じ苦しみを誰にも経験させたくない"との誓いが凝縮されています。
その上、国連のグテーレス事務総長が核兵器の完全な廃絶は「国連のDNA」であると強調しているように、1946年に初開催された国連総会での第1号決議で核兵器の廃絶が掲げられて以来、核問題の解決を求める決議が何度も積み重ねられる中で、ついに実現をみたのが核兵器禁止条約だったからです。
また、核兵器禁止条約への署名と批准の広がりは、50年前(1970年3月)に発効した核拡散防止条約(NPT)と比べても、さほど変わるものではありません。
NPTの発効時の署名国は97カ国で、批准国は47カ国にすぎませんでした。
それでも、NPTを通じて"核兵器の拡散は許されない"との規範意識が次第に定着していく中で、核兵器の保有を検討していた国の多くが非核の道を選び取ったほか、南アフリカ共和国のように、一時は核兵器を開発して保有しながらも自発的に廃棄を果たし、NPTの枠組みに加わった国まで現れました。
核兵器の拡散防止も、NPTが発効するまでは「理想」の段階にとどまっていた。しかし、ひとたび条約が発効し、批准国が拡大することで、世界のあり方を大きく規定する「現実」へと変わっていったのです。
このように、最初の段階で締約国が十分な広がりを見せていなかったとしても、条約の発効には世界の新しい方向性を明確に形づくる影響力があるといえましょう。
新たな国際規範を設けることの意義について論じた興味深い考察があります。
核兵器禁止条約に先駆けて、核廃絶を実現するための草案としてモデル核兵器条約を97年に起草した、メラフ・ダータン氏とユルゲン・シェフラン氏は、論考の中でこう述べています。
「国際法と国際関係との領域の区分が、理想と現実とのギャップを示しているとすれば、モデル核兵器条約は理想を形にしたもので、NPTは現実を表しているといえよう」
「核兵器禁止条約は、この理想と現実の両方を体現したものだ。核兵器国の署名がまだないために理想ともいえるが、条約が存在するという点において現実である」と。
その上で両氏は、「条約への反対や軍縮への抵抗が実際にあるとしても、規範の価値とその発展を打ち消すものではない」と強調していますが、私も深く同意するものです。
今後の焦点となるのは、条約の発効によって打ち立てられる"いかなる場合も核兵器の使用を禁止する"との規定に対し、どの国であろうと揺るがすことのできない重みを帯びさせることではないでしょうか。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営団体の一つである「ノルウェー・ピープルズエイド」の昨年の報告書によると、核兵器禁止条約を支持する国々は135カ国にのぼるといいます。
加えて各国の自治体の間でも、条約の支持を表明する動きが広がっています。
2年前に始まった「ICANシティーズ・アピール」には、核保有国のアメリカ、イギリス、フランスをはじめ、核依存国のドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア、スペイン、ノルウェー、カナダ、日本、オーストラリアのほか、スイスの自治体が加わっています。
その中には、核保有国の首都であるワシントンDCやパリに加え、核依存国の首都であるベルリン、オスロ、キャンベラも含まれているのです。
また昨年10月には、すべての国に核兵器禁止条約への加盟を求める「ヒバクシャ国際署名」が国連に提出されました。
広島と長崎の被爆者の呼び掛けで4年前に始まった活動で、創価学会平和委員会も運営団体として参画してきましたが、核保有国や核依存国を含む多くの国から1051万人の署名が寄せられたのです。
このようにさまざまな形で表れているグローバルな民意を、さらに力強く結集する中で、"核兵器の禁止の規範化"を大きく前に進めることが重要ではないでしょうか。
◇どの国の民衆にも惨害を起こさない
そこで提案したいのは、核兵器禁止条約の発効後に行われる第1回締約国会合を受ける形で、世界のヒバクシャをはじめ、条約を支持する各国の自治体やNGO(非政府組織)の代表らが参加しての「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を、広島か長崎で開催することです。
「核なき世界を選択する民衆フォーラム」の開催を提案したのは、"どの国の民衆にも核兵器の惨害を起こしてはならない"との共通認識に基づく議論を民衆自身の手で喚起することが、核兵器の禁止を「グローバルな人類の規範」として根付かせるために欠かせないと考えるからです。
唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器の非人道性を巡る国際的な議論をさらに深めるための努力を重ね、核保有国と非保有国の橋渡しの役割を担うことを切に望むものです。
過去70年以上にわたって厚い壁に覆われ続けていた、核兵器禁止条約の交渉開始への突破口を開いたのは、2013年から3回にわたって開催されてきた「核兵器の人道的影響に関する国際会議」でした。
そこでの議論を通じて浮かび上がったのが、次のような重要な観点です。
�いかなる国も国際機関も、核爆発によって引き起こされた直接的被害に適切に対処し、被害者を救援するのは困難であること。
�核爆発の影響は国境内に押しとどめることは不可能で、深刻で長期的な被害をもたらし、人類の生存さえ脅かしかねないこと。
�核爆発による間接的な影響で社会・経済開発が阻害され、環境も悪化するために、貧しく弱い立場に置かれた人々が最も深刻な被害を受けること。
このように、「核兵器で守ろうとする国家の安全」ではなく、「核兵器の使用によって被害を受ける人間」の側から問題の所在が明らかにされていく中で、核兵器禁止条約の交渉開始のうねりが高まっていったのです。
◇人権法の中核をなす「生命に対する権利」
核兵器禁止条約の採択後も、2018年10月に国連の自由権規約委員会が、"核兵器の威嚇と使用は「生命に対する権利」の尊重と相容れない"と明記した一般的意見を採択するという動きがありました。
「生命に対する権利」は、市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)において、緊急事態であっても例外なく守られなければならない"逸脱できない権利"として位置付けられており、国際人権法の中でも際立って重要とされているものです。
国際人権法の中核をなす権利との関係において、核兵器の威嚇と使用の重大な問題性が明確に指摘されたことの意義は、誠に大きいと思えてなりません。
私の師である戸田第2代会長が1957年9月に発表した「原水爆禁止宣言」で何よりの立脚点にしていたのも、世界の民衆の生存の権利を守る重要性にほかなりませんでした。
核兵器禁止条約の第1回締約国会合の開催を受ける形で、「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を行い、この「生命に対する権利」に特に焦点を当てながら、人権の観点から核兵器の非人道性を浮き彫りにする議論を深めていってはどうかと思うのです。
◇母と子が安心して暮らせる世界を!
また、民衆フォーラムの開催を通して、核兵器の禁止によって築きたい世界の姿について、互いの思いを分かち合う場にしていくことを呼び掛けたい。
核兵器禁止条約の制定にあたって、これまで核問題とは結びつけられてこなかったジェンダーの視座が盛り込まれたのも、長らく見過ごされてきた被害の実相を浮かび上がらせた女性の声がきっかけでした。
2014年12月に行われた第3回の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」で、メアリー・オルソンさんが、核兵器使用による放射線の有害性が男性よりも女性に顕著に表れる事実を明確に示したことを機に議論が深まる中で、核兵器禁止条約の前文に次の一文が明記されるようになったのです。
「女性及び男性の双方による平等、十分かつ効果的な参加は、持続可能な平和及び安全を促進し及び達成することにとり不可欠な要素であることを認識し、女性の核軍縮への効果的な参加を支援しかつ強化することを約束する」と。
これは、核兵器の禁止を通して目指すべき世界のビジョンの輪郭を、ジェンダーの視座から照らし出したものといえましょう。
創価学会が長年にわたって発刊してきた広島と長崎の被爆証言集にも、多くの女性たちの体験が収録されています。
このうち4年前に発刊した『女性たちのヒロシマ』では、14人の女性による証言を通し、被爆の影響による後遺症などへの不安を抱える中で、結婚や出産をはじめ、女性であるがゆえに強く受けてきた偏見や苦しみが綴られています。
しかし、そのメッセージは"同じ悲劇を誰にも経験させたくない"との被爆者としての強い実感にとどまるものではありません。
副題が「笑顔かがやく未来(あした)へ」となっているように、"母と子が安心して平和に暮らせる世界を共に築きたい"との誓いが脈打っているのです。
核兵器禁止条約の普遍性を高めるためには、「人間としての実感」に根差した思いを多くの人々の間で分かち合うことが、重要な意味を持ってくるのではないでしょうか。
平和や軍縮に関心を持つ人だけでなく、ジェンダーや人権の問題、さらには家族や子どもたちの未来に思いを馳せる人たちをはじめ、国や立場の違いを超えた多くの民衆の支持が結集されてこそ、核兵器禁止条約は「グローバルな人類の規範」としての力を宿していくに違いないと確信するのです。
☆第45回SGI提言� 保有5カ国による核軍縮交渉を開始
◇新STARTの延長を基盤に保有5カ国で核軍縮条約を
◇NPT再検討会議で実現すべき合意
次に第二の提案として、核軍縮を本格的に進めるための方策について述べたい。
具体的には、4月から5月にかけてニューヨークの国連本部で行われるNPT再検討会議で、「多国間の核軍縮交渉の開始」についての合意と、「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を最終文書に盛り込むことを呼び掛けたいと思います。
一つ目の合意については、アメリカとロシアとの新戦略兵器削減条約(新START)の延長を確保した上で、多国間の核軍縮交渉の道を開くことが肝要となると考えます。
新STARTは、両国の戦略核弾頭を1550発にまで削減するとともに、大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射弾道ミサイルなどの配備数を700基にまで削減する枠組みで、明年2月に期限を迎えます。
5年間の延長が可能となっていますが、協議は難航しており、INF全廃条約に続いて新STARTの枠組みまで失われることになれば、およそ半世紀ぶりに両国が核戦力の運用において"相互の制約を一切受けない状態"が生じることになります。
この空白状態によって生じる恐れがあるのは、核軍拡競争の再燃だけではありません。
今後、小型の核弾頭や超音速兵器の開発が加速することで、局地的な攻撃において核兵器を使用することの検討さえ現実味を帯びかねないとの懸念の声も上がっています。
ゆえに、新STARTの5年延長を確保することがまずもって必要であり、NPT再検討会議での議論を通して、核兵器の近代化に対するモラトリアム(自発的停止)の流れを生み出すことが急務だと訴えたい。その上で、「次回の2025年の再検討会議までに、多国間の核軍縮交渉を開始する」との合意を図るべきではないでしょうか。
50年にわたるNPTの歴史で、核軍縮の枠組みができたのはアメリカとロシアとの2国間だけであり、多国間の枠組みに基づく核軍縮は一度も実現していません。
NPTはすべての核兵器国が核軍縮という目標を共有し、完遂を誓約している唯一の法的拘束力のある条約であることを、今一度、再検討会議の場で確認し合い、目に見える形での行動を起こす必要があります。
具体的な進め方については、さまざまなアプローチがあるでしょうが、私はここで一つの試案を提示しておきたい。
それは、「新STARTの5年延長」を土台にした上で、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国による新たな核軍縮条約づくりを目指し、まずは核軍縮の検証体制に関する対話に着手するという案です。
これまでアメリカとロシアが実際に行ってきた検証での経験や、多くの国が参加して5年前から継続的に行われてきた「核軍縮検証のための国際パートナーシップ」での議論も踏まえながら、5カ国で核軍縮を実施するための課題について議論を進めていく。
その上で、対話を通じて得られた信頼醸成を追い風にして、核兵器の削減数についての交渉を本格的に開始することが望ましいのではないかと思います。
◇共通の安全保障の精神を顧みる
多国間の核軍縮の機運を高めるために重要な鍵を握ると考えるのは、冷戦終結の道を開く後押しとなった「共通の安全保障」の精神を顧みることです。
1982年6月に行われた国連の第2回軍縮特別総会に寄せて、スウェーデンのパルメ首相らによる委員会が打ち出したもので、"核戦争に勝者はない"との認識に基づいて、次のような意識転換が促されていました。
「諸国家はもはや、他国を犠牲にして安全性を追求することはできない。すなわち相互協力によってしか、安全は得られない」(『共通の安全保障』森治樹監訳、日本放送出版協会)と。
私もその時、第2回軍縮特別総会に向けた提言で、「膨大な核戦力が対峙している以上、いかに軍事力を増強させようと、とうてい真の平和は保ちえない」と訴えていただけに、深く共感できる考え方でした。
その前年(81年)、アメリカとソ連の関係が厳しさを増す中で、レーガン大統領は対決姿勢を鮮明にし、ヨーロッパでの限定核戦争もあり得るとまで発言していました。
当時の心境について、レーガン大統領はこう記しています。
「われわれの政策は、力と現実主義に基づいたものでなければならない。私が望んだのは力を通じての平和であって、一片の紙切れを通じての平和ではなかった」(『わがアメリカンドリーム』尾崎浩訳、読売新聞社)と。
しかし、欧米諸国の市民による反核運動の高まりがあり、核兵器の使用がもたらす壊滅的な被害に対する認識も深めるにつれて、レーガン大統領は"核戦争を起こしてはならない"との思いを強めていった。
また、核兵器で対峙するソ連の人々がどんな気持ちを抱いているかについて思いを馳せる中で、ソ連のチェルネンコ書記長に手紙を送った時のことを回想し、こう綴っていました。
「チェルネンコへの手紙の中で私は、直接的、かつ内密に交信することはわれわれ双方にとって利益があると思っている、と述べた。そして俳優時代になじんだ感情移入のテクニックを使うように努めた」「そしてソ連国内の一部の人は、わがアメリカを本当に恐れているようだと私は理解している、と続けた」(同)
こうした想起を通して、相手側の不安と自国側の不安とが"鏡映し"であることを実感したレーガン大統領が、ソ連との対話を模索する中で実現したのが、85年11月にジュネーブで行われたゴルバチョフ書記長との首脳会談だったのです。
同じく核問題の解決の必要性を強く認識していたゴルバチョフ書記長と、胸襟を開いた対話を続けた結果、両首脳による共同声明として世界に発信されたのが、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との有名なメッセージでした。
そこには「共通の安全保障」に通じる考え方が脈打っており、それが87年12月のINF全廃条約の締結へとつながり、冷戦を終結させる原動力ともなっていったのです。
時を経て再び、核兵器を巡る緊張が高まり、"新冷戦"とまで呼ばれる状況に世界が直面する今、「共通の安全保障」の精神を呼び覚ますことが大切ではないでしょうか。
ゆえに私は、NPT発効50周年を迎えるにあたり、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との宣言を、NPTの締約国の総意として今回の再検討会議の最終文書に明記することを提案したい。
国連が2018年5月に発表した軍縮アジェンダでも、「人類を救うための軍縮」との視座が打ち出されていました。作成に携わった国連の中満泉・軍縮担当上級代表は、その発表翌日に行ったスピーチで、軍縮と安全保障との関係について、こう述べています。
「軍縮は、国際平和と安全保障の原動力であり、国家の安全保障を確保するための有用な手段である」
「軍縮はユートピア的な理想ではなく、紛争を予防し、いついかなる時、場所であれ、紛争が起こった際に、その影響を緩和するための具体的な追求である」と。
自国の安全保障を確保するための「有用な手段」として核軍縮の交渉を進め、他の国々が感じてきた脅威や不安を取り除くことで、自国が他国から感じてきた脅威や不安を取り除いていく——。
NPT第6条が求める核軍縮の誠実な履行を、こうした互いが勝者となる"ウィンウィンの関係"を基盤として、今こそ力強く推進していくべきであると訴えたいのです。
◇核運用におけるAI導入やサイバー攻撃の禁止が急務
◇新技術の発達が兵器に及ぼす影響
また私がもう一つ、NPT再検討会議で目指すべき合意として特に求めたいのは、「核関連システムに対するサイバー攻撃」や「核兵器の運用におけるAI導入」の危険性に対する共通認識を深め、禁止のルールづくりのための協議を開始することです。
インターネットなどのサイバー空間やAIに関する新技術は、社会に多くの恩恵をもたらしてきた一方で、それを軍事的な目的に利用しようとする動きが進んでいます。
昨年3月、こうした新技術に伴う問題を巡る会議がベルリンで行われました。
EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)の国々をはじめ、ロシア、中国、インド、日本、ブラジルの政府代表が参加した会議で焦点となったのは、ロボット兵器の通称で呼ばれる自律型致死兵器システム(LAWS)の問題に加えて、新技術の発達が核兵器などの多くの兵器に及ぼす影響についてでした。
その上で、ドイツとオランダとスウェーデンの外相による政治宣言として、「技術的に進化した軍事能力がいかにして戦争の性格を変え、世界の安全保障に影響を与えるかについて、共通の理解を構築する必要がある」(IDN—InDepthNews 2019年3月17日配信)との問題提起がされていたのです。
核兵器に安全保障を依存してきた国などからも懸念が示されるほど、新技術の発達のスピードは速く、私は、緊急性が増す核兵器と新技術を巡る討議をNPTの枠組みで早急に開始することを提案したい。
1995年にNPTの無期限延長が決まった時、条約の再検討では、過去の合意の達成状況の精査だけでなく、将来において進展が図られるべき分野と、そのための手段を特定する重要性が提起されていました。
核兵器と新技術の問題は、緊急性と被害の甚大さを踏まえると、まさに最優先で取り上げるべき分野ではないかと思うのです。
まずサイバー攻撃に関して言えば、核兵器の指揮統制だけでなく、早期警戒、通信、運搬など多岐にわたるシステムに危険が及ぶ恐れがあります。
いずれかのシステムに対して、サイバー攻撃が実行されることになれば、単なる不正侵入にとどまらず、最悪の場合、核兵器の発射や爆発を引き起こす事態を招きかねません。
この問題に関し、国連のグテーレス事務総長も警鐘を鳴らしていました。
「国連憲章を含め、国際法がサイバー空間にも適用されるというコンセンサスはすでに存在しています。しかし、実際に国際法がどのように適用されるのか、また、国家が法律の枠内で悪意ある、または敵対的な行為にいかに対応できるのかについては、コンセンサスはありません」(国連広報センターのウェブサイト)と。
その基盤をつくる意味でも、「核関連システムに対するサイバー攻撃」の禁止をNPTの枠組みを通して早急に確立し、核リスクの低減を図るべきではないでしょうか。
◇不安や猜疑心を強める危険
同じく、「核兵器の運用におけるAI導入」も、多くの危険を引き寄せかねないものです。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が昨年5月に発表した報告書では、その問題点を詳しく分析しています。
それによると、核保有国にとってのAI導入のメリットは、人間の場合には避けられない疲労や恐怖を排除できることに加え、深海や極地といった厳しい生存環境や危険が伴う場所での任務を無人の装置で代替できることなどが挙げられるといいます。
しかし、AIへの依存度を強めれば強めるほど、核兵器の運用を不安定にする要素が増え、かえって核使用のリスクを高める方向に働きかねないと警告しているのです。
そこでは、従来の核抑止論の基盤をなしてきた相手の出方に関する心理学的な認知が通用しなくなることが指摘されています。
AIが主要な役割を担うようになれば、状況判断の過程がブラックボックス化して、相手の出方がますます読めなくなり、不安や猜疑心がさらに募る状態を招くからです。
報告書は、こう記しています。
「冷戦中、アメリカとソ連は互いの戦略システムと行動を研究するために多大な時間と努力を費やし、国防関係の代表は、必ずしも生産的というわけではなかったにせよ、頻繁に会っていた」と。
心理学的な認知といっても、直接の出会いを重ねる実体験が伴っていたからこそ、相手の出方をある程度予測できる関係を築くことができていたのではないでしょうか。
また冷戦時代、誤った情報や装置の誤作動で、他国から核ミサイルの発射があったとの警報が出る事態が何度も起きました。
その時に、危機を未然に防いだのは、監視画面に表示された情報をうのみにせず、情勢的にそれはあり得ないとの健全な懐疑心を働かせて、対抗措置としての核攻撃の中止を進言した人々の存在だったのです。
まして現在は、サイバー攻撃による「ハッキング」や「なりすまし」の危険にもさらされており、AIの導入が進めば、誤った情報に対してだけでなく、偽の情報に対する脆弱性も増すことになりかねません。
もちろん、AIへの依存度がどれだけ強まったとしても、核兵器の発射の最終判断は、人間の手を離れることはまずないでしょう。
しかし、AIの導入競争が核保有国の間で進むことが、深刻なジレンマをもたらす危険性に目を向ける必要があります。
AIの導入は自国が優位に立つための"軍事行動のスピード化"につながるかもしれませんが、一方でそれは、1962年のキューバ危機の際にケネディ大統領やフルシチョフ書記長が直面したようなジレンマを、少しの猶予も許さずに迫るものとなるからです。
世界を震撼させた危機の教訓を顧みて、ケネディ大統領はこう述べました。
「核保有国は、相手国に対して、屈辱的な退却か核戦争かを強いるような対決を避けなければなりません」(『英和対訳ケネディ大統領演説集』長谷川潔訳注、南雲堂)と。
そのジレンマがどれほど薄氷を踏むものだったのか、悔恨がにじみ出ている言葉ですが、それでも当時の両首脳には"13日間"という熟議を重ねる時間がありました。
ところが、スピード化の競争が進めば、相手に先を越されることへのプレッシャーが一層強まって、熟議に基づく判断の介在する余地がそれだけ失われることになります。
この点、SIPRIの報告書でも、「より速く、より賢く、より正確で、より多目的な兵器を探求することは、不安定な軍拡競争をもたらす可能性がある」と指摘しています。
核兵器とAIとの結びつきは先制攻撃を促す方向に働くことはあっても、核戦争を止める力にはなりえないと強く訴えたいのです。
NPTの前文に刻まれているように、核戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払うことが、条約を貫く精神だったはずです。
その一点を全締約国の共通の土台としながら、サイバー攻撃やAIの導入を巡る協議を今後進める中で、核兵器に安全保障を依存し続けることの意味についても問い直していくことが、肝要ではないでしょうか。
2020年2月2日日曜日
2020.02.02 わが友に贈る
あらゆる人々と
縁を結びゆく中で
人格が磨かれていく。
その積み重ねが
揺るがぬ自己を築く。
五人所破抄 P1613
『西天の仏法東漸の時既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し』
【通解】
インドの仏法が次第に東方につたわった時、すでに梵語を翻訳して中国・日本に伝えられたのと同様に、日本の大聖人の金言も広宣流布する時には、また仮名文字を翻訳して、インド・中国に流通すべきである。
名字の言 日本人でアカデミー賞にノミネートされた特殊メークのプロフェッショナル 2020年2月2日
第92回アカデミー賞の「メーキャップ&ヘアスタイリング部門」で先日、カズ・ヒロ(辻一弘)氏が4回目のノミネートを果たした。今月の授賞式で、2度目の受賞に期待が高まる▼独創的な特殊メークを武器に、米国の映画界で活躍してきた氏。近年は肖像美術の創作活動に力を注ぎつつ、欧州や日本など各地で特殊メークの講習会を開いては、自ら実演して見せる▼"秘密にするべき技術を、なぜ惜しげもなく見せてしまうのか"と驚かれることも多い。だが、氏は語る。「技術を秘密にして、それに凝り固まってしがみついていたら、自分の成長はそこで止まってしまう」「知識を分け合ってお互いに成長していくことが大事」と(『顔に魅せられた人生』宝島社)▼万事、"従来のやり方"を繰り返していれば、失敗は少ないかもしれないが、新たな発見も発展も望めまい。守るべきものは守りつつ、変革すべきことは断行する。意見の異なる人とも対話を恐れず、切磋琢磨する。挑戦また挑戦、前進また前進——その積み重ねこそが確かな成長の軌道だ▼池田先生は「成長の止まった人間は、人に触発を与えることはできない。人を育てるには、まず自分が戦うことだ」と。人材育成も地域の発展も、大胆な"私自身の挑戦"から始まる。(誼)
寸鉄 2020年2月2日
ここで戦い、ここで勝つ—これ「本有常住」の仏法の生き方。今を悔いなく
まず"私はこうする"と決め切るのだ—戸田先生歴史開く率先の一人たれ
「御書を心肝に」が学会の魂。教授登用・教授講座が全国で。生涯求道の人と
新型肺炎、WHOが緊急事態宣言。呉々も冷静に。手洗い・咳エチケットを
レジ袋、年450億枚を国内で使用。1人が毎日1枚換算。意識改革から
☆「二月闘争」特集 報恩の一念が壁を破る
「令和」の時代に入り、初となる「伝統の2月」を迎える。1952年(昭和27年)2月、池田先生は東京・蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、当時の支部の限界を打ち破る「201世帯」の弘教を達成し、広宣流布の突破口を開いた。「新時代の二月闘争」の開幕に当たり、池田先生の指針を通して、勝利の要諦を学ぶ。
◇わが胸に、友の心に広布への情熱の炎を!
<1951年(昭和26年)5月3日、戸田城聖先生が学会の第2代会長に就任。「75万世帯の弘教」を宣言した。しかし、広布は遅々として進まず、翌52年(同27年)1月、戸田先生は池田先生を蒲田支部の支部幹事に任命。大田区の集会所で行われた蒲田支部の緊急組長会で、池田先生が最初に訴えたことは「報恩」の一念だった>
「二月闘争」の発火点。それは、1月29日、第一線のリーダーたちが集った緊急組長会であった。私は、寒風を突いて参加してくれた130人の同志と心一つに誓い合った。
——2月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、戸田先生の誕生の月でもある。
大聖人が御出現され、戸田先生が広宣流布に一人立たれたゆえに、私たちは妙法に巡りあうことができた。その御恩返しのために、2月を折伏の美事な勝利をもって飾ろう!——との一点で心を合わせたのである。
「報恩」の一念に徹する時、人間は人間として、最も美しく、強くなれる。
私は心に期していた。
——戸田先生は、戦前、ただ一人、牧口先生直結の「師弟の道」を歩まれた。いついかなる時も、「牧口先生! 牧口先生!」と叫び続けていかれた。
戸田先生が広布の大師匠として立たれた今、いったい誰が「戸田先生! 戸田先生!」と叫び抜いて、真実の「師弟不二の道」を示すのか。
「人能く道を弘む」とは、中国の孔子の至言である(『論語』)。
弘める人なくして、道はない。すべては人で決まる。
この「二月闘争」を起点に、創価の師弟に流れ通う「絶対勝利の血脈」を、学会総体にみなぎらせるのだ——。
御聖訓には「よき師と・よき檀那(=弟子)と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(御書550ページ)と説かれる。
「師弟不二ならば、一切を勝利できる」——これが、仏法の要諦であり、学会精神の真髄である。
◇「新しい力」を信じて
<池田先生は現在の「ブロック」に当たる「組」に焦点を当て、明確な目標を掲げた>
当時、どんなに頑張っても、1支部で「月に100世帯」ほどの折伏が限界だと、皆が思い込んでいた。
しかし、私たちは、今でいえば最前線のブロックに光を当て、「組で2世帯」という折伏目標を掲げた。
そして、私は具体的に
一、祈りから始めよう
一、近隣を大切にしよう
一、体験を語ろう
と呼びかけた。
——いずれも、私自身が実践してきたことである。
戦いの第一歩は、明確な目標を決めることだ。
目標が漠然としていては、誰もが"自分の挑戦課題"として受け止めることができない。ゆえに結局は、真剣になれないものである。
また、目標を押しつけてはいけない。皆が「よし、やろう!」と納得できるようにすべきである。
それには、中心者自身が、自分の責任で、たとえ一人になっても、掲げた目標は断じて達成するとの、決意を定めることだ。その決定した心に燃え盛る情熱の炎が、皆の胸に、広布に戦う心を燃え上がらせていくのである。
<24歳の池田先生は、率先して同志の輪の中に入り、目の前の「一人」に励ましを送り続けた>
「新しい人」だからこそ、「新しい力」を発揮できる——これが私の変わらざる確信である。
1952年、蒲田支部で私が広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」も、「新しい人」を見つけ、眼前の友の「新しい力」を信じて、励まし抜く戦いであった。
仏法では、「一身一念法界に遍し」(御書247ページ)と説かれる。
一人の「一身一念」は、家族にも友人にも、職場にも地域にも、さらには国土、世界にまでも波動を起こしていけるのだ。
「一人」から始まる。
「一人」から変わる。
「一人」から開ける。
ゆえに、まず一人と「会う」ことだ。「語る」ことだ。そして「一緒に行動する」のだ。
「少子化」の時代であるからこそ、むしろ一人の青年を大事にできる。さらに今度は、その一人から、次の新しい青年を呼んでいくのだ。
そして「従藍而青」と示されている通りに、「自分以上の人材」を澎湃と育て上げるのだ。この精神で学会は進んできたからこそ、今がある。
当時の蒲田の支部幹部では、私が一番若かった。人を集めて偉ぶって指導しても、誰が信用するか。自分が足を運び、顔を合わせ、寒風の中を一緒に歩く以外にない。
一回の座談会、一軒の個人指導、一通の激励の手紙……すべてが私の主戦場と思って真剣に取り組んだ。
折伏が進まないメンバーがいれば、私自身の対話の姿を見せた。また私一人で話さず、同席した友にも、どんどん体験や教学の基本を語ってもらった。その中で、皆が自信と確信を深めていったのだ。
◇異体同心の団結が要
<「二月闘争」は、「異体同心の団結」が広布拡大の推進力であることを示した戦いでもあった>
私は、皆が持ち味を発揮し、尊敬し合って団結できるよう、人知れず心を砕き、指揮を執っていった。
とくに青年には、生活に根ざした体験を持つ壮年・婦人の先輩方と一緒に折伏に取り組むように訴えた。共に動き、共に走った。悩める友がいると聞けば、対話の輪ができた。抜苦与楽の座談会が毎日のように開かれたのである。
ある時、入会まもない婦人部の方が意を決して知人の折伏に行くということで、私が付き添ったことがあった。道すがら緊張のあまり、足もすくんでいる様子であった。
私は「学会歌を歌って、楽しく行きましょう!」と申し上げた。最初はか細い声であったが、何回も「同志の歌」を共に口ずさんでいくうちに、みるみる元気になっていった。
結局、その日の対話は実らなかった。しかし、それを機に発奮し、地方の友人たちへの折伏を次々に結実させていったのである。
副役職の方々をはじめ、中心者を支える先輩・同志は、「異体同心」の要だ。
私は、蒲田支部の「二月闘争」の時も、さらに文京支部の「大前進」の折も、正役職ではなかった。副役職の支部幹事であり、支部長代理であった。しかし、「必ず日本一の支部長にします!」と、真剣に守り抜き、誠実に支え切った。
心臓部は目に見えない。それでいて皆に力を送る。自分は脚光を浴びなくとも、友をもり立てて、目覚ましい躍進を成し遂げていく人は、最も気高き陰徳を積んでいるのである。
厳寒に負けじと、紅梅が鮮やかに咲き誇る。さあ、我らも希望の春へ!(池田先生撮影。2011年2月、都内)
厳寒に負けじと、紅梅が鮮やかに咲き誇る。さあ、我らも希望の春へ!(池田先生撮影。2011年2月、都内)
<日本一の弘教を達成した蒲田支部は、その後も壁を破り続けた>
もしも、この「二月闘争」の目覚ましい勝利が、その時だけで終わっていれば、本当の意味で「壁を破った」とは言えなかった。
しかし、蒲田支部は、その後も200世帯を突破し続けた。「三月闘争」も勝った。「四月闘争」も勝った。
そして、戸田先生の会長就任1周年の5月には、大歓喜の勢いで初めて300世帯に到達し、11月には、2月から倍増となる400世帯を突破したのである。
この蒲田の大躍進に負けじと、他の支部も次々に壁を破った。神奈川を地盤にした鶴見支部もやがて月間300世帯へ飛躍し、さらにほとんどの支部も悠々と100世帯、150世帯を超えるようになっていった。そこには、東北の仙台支部と関西の大阪支部も、新たな力として隆々と台頭してきたのである。
なお、勢いに乗り遅れた文京支部が、支部長代理となった私と共に、「前進!」を合言葉に、最強の組織へと一変したのは、この翌年のことであった。
ともあれ、青年の私は、「二月闘争」を起点として、全学会の前進・勝利の方程式を作った。
表面的な方法論ではない。学会は「一人立つ信心」そして「師弟共戦の信心」で勝つ、という永遠の軌道を固めたのである。
縁を結びゆく中で
人格が磨かれていく。
その積み重ねが
揺るがぬ自己を築く。
五人所破抄 P1613
『西天の仏法東漸の時既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し』
【通解】
インドの仏法が次第に東方につたわった時、すでに梵語を翻訳して中国・日本に伝えられたのと同様に、日本の大聖人の金言も広宣流布する時には、また仮名文字を翻訳して、インド・中国に流通すべきである。
名字の言 日本人でアカデミー賞にノミネートされた特殊メークのプロフェッショナル 2020年2月2日
第92回アカデミー賞の「メーキャップ&ヘアスタイリング部門」で先日、カズ・ヒロ(辻一弘)氏が4回目のノミネートを果たした。今月の授賞式で、2度目の受賞に期待が高まる▼独創的な特殊メークを武器に、米国の映画界で活躍してきた氏。近年は肖像美術の創作活動に力を注ぎつつ、欧州や日本など各地で特殊メークの講習会を開いては、自ら実演して見せる▼"秘密にするべき技術を、なぜ惜しげもなく見せてしまうのか"と驚かれることも多い。だが、氏は語る。「技術を秘密にして、それに凝り固まってしがみついていたら、自分の成長はそこで止まってしまう」「知識を分け合ってお互いに成長していくことが大事」と(『顔に魅せられた人生』宝島社)▼万事、"従来のやり方"を繰り返していれば、失敗は少ないかもしれないが、新たな発見も発展も望めまい。守るべきものは守りつつ、変革すべきことは断行する。意見の異なる人とも対話を恐れず、切磋琢磨する。挑戦また挑戦、前進また前進——その積み重ねこそが確かな成長の軌道だ▼池田先生は「成長の止まった人間は、人に触発を与えることはできない。人を育てるには、まず自分が戦うことだ」と。人材育成も地域の発展も、大胆な"私自身の挑戦"から始まる。(誼)
寸鉄 2020年2月2日
ここで戦い、ここで勝つ—これ「本有常住」の仏法の生き方。今を悔いなく
まず"私はこうする"と決め切るのだ—戸田先生歴史開く率先の一人たれ
「御書を心肝に」が学会の魂。教授登用・教授講座が全国で。生涯求道の人と
新型肺炎、WHOが緊急事態宣言。呉々も冷静に。手洗い・咳エチケットを
レジ袋、年450億枚を国内で使用。1人が毎日1枚換算。意識改革から
☆「二月闘争」特集 報恩の一念が壁を破る
「令和」の時代に入り、初となる「伝統の2月」を迎える。1952年(昭和27年)2月、池田先生は東京・蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、当時の支部の限界を打ち破る「201世帯」の弘教を達成し、広宣流布の突破口を開いた。「新時代の二月闘争」の開幕に当たり、池田先生の指針を通して、勝利の要諦を学ぶ。
◇わが胸に、友の心に広布への情熱の炎を!
<1951年(昭和26年)5月3日、戸田城聖先生が学会の第2代会長に就任。「75万世帯の弘教」を宣言した。しかし、広布は遅々として進まず、翌52年(同27年)1月、戸田先生は池田先生を蒲田支部の支部幹事に任命。大田区の集会所で行われた蒲田支部の緊急組長会で、池田先生が最初に訴えたことは「報恩」の一念だった>
「二月闘争」の発火点。それは、1月29日、第一線のリーダーたちが集った緊急組長会であった。私は、寒風を突いて参加してくれた130人の同志と心一つに誓い合った。
——2月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、戸田先生の誕生の月でもある。
大聖人が御出現され、戸田先生が広宣流布に一人立たれたゆえに、私たちは妙法に巡りあうことができた。その御恩返しのために、2月を折伏の美事な勝利をもって飾ろう!——との一点で心を合わせたのである。
「報恩」の一念に徹する時、人間は人間として、最も美しく、強くなれる。
私は心に期していた。
——戸田先生は、戦前、ただ一人、牧口先生直結の「師弟の道」を歩まれた。いついかなる時も、「牧口先生! 牧口先生!」と叫び続けていかれた。
戸田先生が広布の大師匠として立たれた今、いったい誰が「戸田先生! 戸田先生!」と叫び抜いて、真実の「師弟不二の道」を示すのか。
「人能く道を弘む」とは、中国の孔子の至言である(『論語』)。
弘める人なくして、道はない。すべては人で決まる。
この「二月闘争」を起点に、創価の師弟に流れ通う「絶対勝利の血脈」を、学会総体にみなぎらせるのだ——。
御聖訓には「よき師と・よき檀那(=弟子)と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(御書550ページ)と説かれる。
「師弟不二ならば、一切を勝利できる」——これが、仏法の要諦であり、学会精神の真髄である。
◇「新しい力」を信じて
<池田先生は現在の「ブロック」に当たる「組」に焦点を当て、明確な目標を掲げた>
当時、どんなに頑張っても、1支部で「月に100世帯」ほどの折伏が限界だと、皆が思い込んでいた。
しかし、私たちは、今でいえば最前線のブロックに光を当て、「組で2世帯」という折伏目標を掲げた。
そして、私は具体的に
一、祈りから始めよう
一、近隣を大切にしよう
一、体験を語ろう
と呼びかけた。
——いずれも、私自身が実践してきたことである。
戦いの第一歩は、明確な目標を決めることだ。
目標が漠然としていては、誰もが"自分の挑戦課題"として受け止めることができない。ゆえに結局は、真剣になれないものである。
また、目標を押しつけてはいけない。皆が「よし、やろう!」と納得できるようにすべきである。
それには、中心者自身が、自分の責任で、たとえ一人になっても、掲げた目標は断じて達成するとの、決意を定めることだ。その決定した心に燃え盛る情熱の炎が、皆の胸に、広布に戦う心を燃え上がらせていくのである。
<24歳の池田先生は、率先して同志の輪の中に入り、目の前の「一人」に励ましを送り続けた>
「新しい人」だからこそ、「新しい力」を発揮できる——これが私の変わらざる確信である。
1952年、蒲田支部で私が広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」も、「新しい人」を見つけ、眼前の友の「新しい力」を信じて、励まし抜く戦いであった。
仏法では、「一身一念法界に遍し」(御書247ページ)と説かれる。
一人の「一身一念」は、家族にも友人にも、職場にも地域にも、さらには国土、世界にまでも波動を起こしていけるのだ。
「一人」から始まる。
「一人」から変わる。
「一人」から開ける。
ゆえに、まず一人と「会う」ことだ。「語る」ことだ。そして「一緒に行動する」のだ。
「少子化」の時代であるからこそ、むしろ一人の青年を大事にできる。さらに今度は、その一人から、次の新しい青年を呼んでいくのだ。
そして「従藍而青」と示されている通りに、「自分以上の人材」を澎湃と育て上げるのだ。この精神で学会は進んできたからこそ、今がある。
当時の蒲田の支部幹部では、私が一番若かった。人を集めて偉ぶって指導しても、誰が信用するか。自分が足を運び、顔を合わせ、寒風の中を一緒に歩く以外にない。
一回の座談会、一軒の個人指導、一通の激励の手紙……すべてが私の主戦場と思って真剣に取り組んだ。
折伏が進まないメンバーがいれば、私自身の対話の姿を見せた。また私一人で話さず、同席した友にも、どんどん体験や教学の基本を語ってもらった。その中で、皆が自信と確信を深めていったのだ。
◇異体同心の団結が要
<「二月闘争」は、「異体同心の団結」が広布拡大の推進力であることを示した戦いでもあった>
私は、皆が持ち味を発揮し、尊敬し合って団結できるよう、人知れず心を砕き、指揮を執っていった。
とくに青年には、生活に根ざした体験を持つ壮年・婦人の先輩方と一緒に折伏に取り組むように訴えた。共に動き、共に走った。悩める友がいると聞けば、対話の輪ができた。抜苦与楽の座談会が毎日のように開かれたのである。
ある時、入会まもない婦人部の方が意を決して知人の折伏に行くということで、私が付き添ったことがあった。道すがら緊張のあまり、足もすくんでいる様子であった。
私は「学会歌を歌って、楽しく行きましょう!」と申し上げた。最初はか細い声であったが、何回も「同志の歌」を共に口ずさんでいくうちに、みるみる元気になっていった。
結局、その日の対話は実らなかった。しかし、それを機に発奮し、地方の友人たちへの折伏を次々に結実させていったのである。
副役職の方々をはじめ、中心者を支える先輩・同志は、「異体同心」の要だ。
私は、蒲田支部の「二月闘争」の時も、さらに文京支部の「大前進」の折も、正役職ではなかった。副役職の支部幹事であり、支部長代理であった。しかし、「必ず日本一の支部長にします!」と、真剣に守り抜き、誠実に支え切った。
心臓部は目に見えない。それでいて皆に力を送る。自分は脚光を浴びなくとも、友をもり立てて、目覚ましい躍進を成し遂げていく人は、最も気高き陰徳を積んでいるのである。
厳寒に負けじと、紅梅が鮮やかに咲き誇る。さあ、我らも希望の春へ!(池田先生撮影。2011年2月、都内)
厳寒に負けじと、紅梅が鮮やかに咲き誇る。さあ、我らも希望の春へ!(池田先生撮影。2011年2月、都内)
<日本一の弘教を達成した蒲田支部は、その後も壁を破り続けた>
もしも、この「二月闘争」の目覚ましい勝利が、その時だけで終わっていれば、本当の意味で「壁を破った」とは言えなかった。
しかし、蒲田支部は、その後も200世帯を突破し続けた。「三月闘争」も勝った。「四月闘争」も勝った。
そして、戸田先生の会長就任1周年の5月には、大歓喜の勢いで初めて300世帯に到達し、11月には、2月から倍増となる400世帯を突破したのである。
この蒲田の大躍進に負けじと、他の支部も次々に壁を破った。神奈川を地盤にした鶴見支部もやがて月間300世帯へ飛躍し、さらにほとんどの支部も悠々と100世帯、150世帯を超えるようになっていった。そこには、東北の仙台支部と関西の大阪支部も、新たな力として隆々と台頭してきたのである。
なお、勢いに乗り遅れた文京支部が、支部長代理となった私と共に、「前進!」を合言葉に、最強の組織へと一変したのは、この翌年のことであった。
ともあれ、青年の私は、「二月闘争」を起点として、全学会の前進・勝利の方程式を作った。
表面的な方法論ではない。学会は「一人立つ信心」そして「師弟共戦の信心」で勝つ、という永遠の軌道を固めたのである。
2020年2月1日土曜日
2020.02.01 わが友に贈る
我らの実践は下種仏法。
語る人も 聞く人も
功徳は無量無辺だ。
大確信で 生き生きと
心弾む語らいを!
生死一大事血脈抄 P1337
『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か』
【通解】
金は大火にも焼けず、大水にも流されず、朽ちることがない。鉄は水にも火にも耐えることができない。賢人は金、愚人は鉄のようである。あなたはまさに真金ではないか。法華経の金を持つ故だろうか。
名字の言 人生の出来事を「偶然」と捉えるか「必然」と捉えるか。 2020年2月1日
「信心して何か変わった?」と同志から質問された新会員の青年が、入会前と現在の自身の違いを語った。いわく、良い事があると、以前は"たまたま恵まれた"と思ったが、今は"祈りがかなった"と確信する。一方で、困難に直面した時は"運がない"と嘆いていたが、"題目で勝ち越える!"と奮起できるようになったとも▼良いことであれ悪いことであれ、身の回りで起きたことを「偶然」と受け流すか、「必然」の出来事と捉えて成長の糧とするか——ここに人生の勝負を決する鍵があろう。仏法に偶然はない▼ある婦人部員は、大病と闘う夫を力強く支えている。とはいえ入退院を繰り返し、病と闘う凄絶な姿に胸が締め付けられた。医師から病状の厳しさを聞き、弱気になることもあった▼しかし夫妻は、この生命の危機という「宿命」を、広布と人生の勝利に欠かせない「使命」に転じてみせると強盛に祈り、「試練と戦う意味」を深めていった。その後、夫は13時間にも及ぶ手術を乗り越え、元気に退院した▼これまでの夫妻の姿を目の当たりにしてきた友人は、感銘し、入会を決意した。苦難のないことが幸福なのではない。苦難を見下ろす強さを持つことが幸福なのだ。その信念の生き方が、周囲にも希望を広げていく。(白)
寸鉄 2020年2月1日
令和初の二月闘争が開幕皆が青年の気概で前進!誓願の祈りで日々勝利を
牙城会結成の日。創価の大城守る尊き奮闘光る。先駆の拡大へ師子よ挑め
悪書は毒薬であり精神を破壊—哲学者。忙しい時こそ色褪せぬ良書を開け
苦闘の同志よ負けるな。宿命を使命に変える願兼於業の姿が周囲の希望に
食品ロス対策、各企業で進む。持続可能な社会へわが家の食卓でも意識し
☆大白蓮華巻頭言 2020年2月号 歓喜の笑顔を世界へ未来へ
今、あらためて思い起こされる恩師の宣言がある。
「我々はこの世に楽しむために生まれてきたのだ」と。
戦後の苦悩渦巻く大混乱の時代の只中にありながら、戸田先生は、信心の力で一人一人が「生きていること、それ自体が楽しい」という人生を開いていけると断言された。そして「日本中、世界中の人をみんな楽しい笑顔にしようではないか」と呼び掛けられたのである。
夢物語のように聞いた人も少なくなかった。しかし、御聖訓に深く裏付けられた大確信の叫びであった。
日蓮大聖人は、苦難と戦う四条金吾夫妻に仰せである。「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く『衆生所遊楽』云云、此の文・あに自受法楽にあらずや」(1143ページ)
それは、富や名声など、儚く移ろう楽しみではない。 自らの生命の中から込み上げてくる大歓喜である。
大聖人は、「衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは ー閻浮提なり」「遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや」(同ページ)とも示された。
「一切衆生」がもれなく、「ー閻浮提」のいずこでも、題目を唱えれば、妙法の当体として必ず「遊楽」の境涯と国土を創造していけると、約束くださっている。
現実の苦しみは賢人・聖人も逃れることはできない。だからこそ、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて」(同ページ)題目を唱え、前進するのである。ここに、いかなる人生の宿命も社会の難題も、一つ一つ打開し、未来を照らしていく「絶対勝利」の道がある。
その何より雄弁な実証は、共戦の旅を勝ち越えた多宝の父母たちのいぶし銀の笑顔ではないだろうか。うれしいことに今、聖教新聞を通し、全世界へ発信されている。
修羅の命が噴出する時代なればこそ、一段と異体同心の結合を強め、我らは「歓喜の中の大歓喜」の妙法を人類へ伝え弘めゆこうではないか!「いよいよ強盛の信心をいたし給へ」(同ページ)との仰せのままに。
苦楽をば
分けあう縁の
我らかな
永遠に進まむ
遊楽道を
〈2020 広布史メモリアル〉 2月
◎「二月闘争」
1952年(昭和27年)2月、24歳の池田大作先生が蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、当時の支部の限界を打ち破る「201世帯」の弘教を達成。最前線の組織単位である「組」(現在のブロック)に焦点を当て、第2代会長・戸田城聖先生の誕生月を拡大の金字塔で荘厳した。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「驀進」、『新・人間革命』第3巻「平和の光」
◎2・8「沖縄の日」
74年2月8日、池田先生は沖縄広布20周年記念総会に参加。席上、「沖縄を幸福と平和建設の模範の島」にと力強く語った。※参考資料=『新・人間革命』第19巻「虹の舞」
◎2・11 戸田城聖先生の生誕120周年
戸田先生は、1900年2月11日、現在の石川県加賀市塩屋町で生まれた。苦学して北海道の小学校教員となった後、上京。初代会長・牧口常三郎先生に出会い、牧口先生と共に創価教育学会(現在の創価学会)を創立した。戦後、学会を再建し、51年5月3日、第2代会長に就任。57年12月、75万世帯の弘教を達成し、広布の永遠の基盤を築いた。本年で生誕120周年。※参考資料=『教学入門』『新会員の友のために——創価学会入門』
◎2・11「戸田記念国際平和研究所」設立
96年2月11日、戸田先生の生誕96周年を記念し、戸田記念国際平和研究所が発足。世界的な研究者らが、恒久平和への研究を進めている。
◎2・17「農漁光部の日」
77年2月17日、学会本部で開催された農村部(当時)の第1回勤行会を記念して「部の日」が制定された。同部はその後、農漁村部に発展。2011年に農漁光部となった。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」
◎2・18 池田先生とアフリカのマータイ博士との初会見15周年
05年2月18日、池田先生は、アフリカの女性として初のノーベル平和賞受賞者で、ケニアから広がった植樹運動「グリーンベルト運動」の指導者ワンガリ・マータイ博士と初会見した。※参考資料=『新・人間革命』第17巻「緑野」
◎2・22 池田先生の鳥取初訪問60周年
第3代会長に就任する2カ月ほど前の1960年2月22日、池田先生が鳥取を初訪問。本年で60周年となる。この日は現在、「鳥取広布原点の日」に。同23日には、「東洋の/広宣流布に/断固征け/日本海の/波は荒くも」との和歌を詠み贈った。※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」
語る人も 聞く人も
功徳は無量無辺だ。
大確信で 生き生きと
心弾む語らいを!
生死一大事血脈抄 P1337
『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か』
【通解】
金は大火にも焼けず、大水にも流されず、朽ちることがない。鉄は水にも火にも耐えることができない。賢人は金、愚人は鉄のようである。あなたはまさに真金ではないか。法華経の金を持つ故だろうか。
名字の言 人生の出来事を「偶然」と捉えるか「必然」と捉えるか。 2020年2月1日
「信心して何か変わった?」と同志から質問された新会員の青年が、入会前と現在の自身の違いを語った。いわく、良い事があると、以前は"たまたま恵まれた"と思ったが、今は"祈りがかなった"と確信する。一方で、困難に直面した時は"運がない"と嘆いていたが、"題目で勝ち越える!"と奮起できるようになったとも▼良いことであれ悪いことであれ、身の回りで起きたことを「偶然」と受け流すか、「必然」の出来事と捉えて成長の糧とするか——ここに人生の勝負を決する鍵があろう。仏法に偶然はない▼ある婦人部員は、大病と闘う夫を力強く支えている。とはいえ入退院を繰り返し、病と闘う凄絶な姿に胸が締め付けられた。医師から病状の厳しさを聞き、弱気になることもあった▼しかし夫妻は、この生命の危機という「宿命」を、広布と人生の勝利に欠かせない「使命」に転じてみせると強盛に祈り、「試練と戦う意味」を深めていった。その後、夫は13時間にも及ぶ手術を乗り越え、元気に退院した▼これまでの夫妻の姿を目の当たりにしてきた友人は、感銘し、入会を決意した。苦難のないことが幸福なのではない。苦難を見下ろす強さを持つことが幸福なのだ。その信念の生き方が、周囲にも希望を広げていく。(白)
寸鉄 2020年2月1日
令和初の二月闘争が開幕皆が青年の気概で前進!誓願の祈りで日々勝利を
牙城会結成の日。創価の大城守る尊き奮闘光る。先駆の拡大へ師子よ挑め
悪書は毒薬であり精神を破壊—哲学者。忙しい時こそ色褪せぬ良書を開け
苦闘の同志よ負けるな。宿命を使命に変える願兼於業の姿が周囲の希望に
食品ロス対策、各企業で進む。持続可能な社会へわが家の食卓でも意識し
☆大白蓮華巻頭言 2020年2月号 歓喜の笑顔を世界へ未来へ
今、あらためて思い起こされる恩師の宣言がある。
「我々はこの世に楽しむために生まれてきたのだ」と。
戦後の苦悩渦巻く大混乱の時代の只中にありながら、戸田先生は、信心の力で一人一人が「生きていること、それ自体が楽しい」という人生を開いていけると断言された。そして「日本中、世界中の人をみんな楽しい笑顔にしようではないか」と呼び掛けられたのである。
夢物語のように聞いた人も少なくなかった。しかし、御聖訓に深く裏付けられた大確信の叫びであった。
日蓮大聖人は、苦難と戦う四条金吾夫妻に仰せである。「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く『衆生所遊楽』云云、此の文・あに自受法楽にあらずや」(1143ページ)
それは、富や名声など、儚く移ろう楽しみではない。 自らの生命の中から込み上げてくる大歓喜である。
大聖人は、「衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは ー閻浮提なり」「遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや」(同ページ)とも示された。
「一切衆生」がもれなく、「ー閻浮提」のいずこでも、題目を唱えれば、妙法の当体として必ず「遊楽」の境涯と国土を創造していけると、約束くださっている。
現実の苦しみは賢人・聖人も逃れることはできない。だからこそ、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて」(同ページ)題目を唱え、前進するのである。ここに、いかなる人生の宿命も社会の難題も、一つ一つ打開し、未来を照らしていく「絶対勝利」の道がある。
その何より雄弁な実証は、共戦の旅を勝ち越えた多宝の父母たちのいぶし銀の笑顔ではないだろうか。うれしいことに今、聖教新聞を通し、全世界へ発信されている。
修羅の命が噴出する時代なればこそ、一段と異体同心の結合を強め、我らは「歓喜の中の大歓喜」の妙法を人類へ伝え弘めゆこうではないか!「いよいよ強盛の信心をいたし給へ」(同ページ)との仰せのままに。
苦楽をば
分けあう縁の
我らかな
永遠に進まむ
遊楽道を
〈2020 広布史メモリアル〉 2月
◎「二月闘争」
1952年(昭和27年)2月、24歳の池田大作先生が蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、当時の支部の限界を打ち破る「201世帯」の弘教を達成。最前線の組織単位である「組」(現在のブロック)に焦点を当て、第2代会長・戸田城聖先生の誕生月を拡大の金字塔で荘厳した。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「驀進」、『新・人間革命』第3巻「平和の光」
◎2・8「沖縄の日」
74年2月8日、池田先生は沖縄広布20周年記念総会に参加。席上、「沖縄を幸福と平和建設の模範の島」にと力強く語った。※参考資料=『新・人間革命』第19巻「虹の舞」
◎2・11 戸田城聖先生の生誕120周年
戸田先生は、1900年2月11日、現在の石川県加賀市塩屋町で生まれた。苦学して北海道の小学校教員となった後、上京。初代会長・牧口常三郎先生に出会い、牧口先生と共に創価教育学会(現在の創価学会)を創立した。戦後、学会を再建し、51年5月3日、第2代会長に就任。57年12月、75万世帯の弘教を達成し、広布の永遠の基盤を築いた。本年で生誕120周年。※参考資料=『教学入門』『新会員の友のために——創価学会入門』
◎2・11「戸田記念国際平和研究所」設立
96年2月11日、戸田先生の生誕96周年を記念し、戸田記念国際平和研究所が発足。世界的な研究者らが、恒久平和への研究を進めている。
◎2・17「農漁光部の日」
77年2月17日、学会本部で開催された農村部(当時)の第1回勤行会を記念して「部の日」が制定された。同部はその後、農漁村部に発展。2011年に農漁光部となった。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」
◎2・18 池田先生とアフリカのマータイ博士との初会見15周年
05年2月18日、池田先生は、アフリカの女性として初のノーベル平和賞受賞者で、ケニアから広がった植樹運動「グリーンベルト運動」の指導者ワンガリ・マータイ博士と初会見した。※参考資料=『新・人間革命』第17巻「緑野」
◎2・22 池田先生の鳥取初訪問60周年
第3代会長に就任する2カ月ほど前の1960年2月22日、池田先生が鳥取を初訪問。本年で60周年となる。この日は現在、「鳥取広布原点の日」に。同23日には、「東洋の/広宣流布に/断固征け/日本海の/波は荒くも」との和歌を詠み贈った。※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」
2020年1月31日金曜日
2020.01.31 わが友に贈る
受験シーズン本番。
受験生とその家族にも
こまやかな心配りを!
悔いなく挑戦できるよう
皆で大応援しよう!
松野殿御返事 P1386
『とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし』
【通解】
どんなことをしてみても、この身は、空しく、山野の土となってしまう。惜しんでも、どうしようもない。どんなに惜しんでも、惜しみ遂げることができない。人は、いくら長く生きたとしても、百年を過ぎることはない。その間のことは、ただ一睡の夢である。
名字の言 人間魚雷「回天」に乗った兄の手紙 2020年1月31日
戦地の兄が、当時5歳の弟・本井文昭さんに手紙を送った。<サビシガラナイデクダサイ>。勉学に励み、父母を大切に。そして末尾に記した。<イツデモニイサンハ、フミアキヲミテオリマスカラ>▼手紙を出した2日後、兄は人間魚雷「回天」に乗り、北太平洋で敵艦に向かった。享年19歳。本井さんは「優しい兄でした」と。手紙は山口県の回天記念館に寄贈された。同館の展示は戦争の惨禍に遭った家族の真実を伝えている▼戦後75年の今、広島・長崎・沖縄の青年部と未来部が被爆・戦争体験の聞き取りを行っている。最初は「戦争を知らない世代」の自分たちが、思いを受け止められるか不安もあった。だが一人一人の「記憶」に耳を傾け、「記録」する中で銘記した。"多くの犠牲があった。そして、生き抜いた人々のおかげで今の自分がある。平和を未来に「つなげる」ことが大切なんだ"▼過日の「SGIの日」記念提言で池田先生は、核兵器禁止条約の普遍性を高めるために、「『人間としての実感』に根差した思いを多くの人々の間で分かち合うことが、重要な意味を持ってくる」と指摘した▼私たちは地球という"家"で生活を営む"家族"。戦争には勝者も敗者もない。目の前の「一人」と語り、心を結んでいく。平和の未来は、そこから開ける。(子)
寸鉄 2020年1月31日
曖昧な的に放った矢が当たるわけがない—先師。祈りは明確に!誓い込め
男子部が拡大月間。折伏は最極の"仏の仕事"だ。後継よ自身の限界を破れ
打ち合わせは要点を定め価値的に。呼吸を合わせ幹部は最前線の友の元へ
2月は省エネ月間。一枚多く羽織る「ウォームビズ」等、無理なく賢く実践
福島の農産物輸出が過去最多。安全性や品質に信頼と。復興へ後押し更に
第45回SGI提言� 危機の回避だけでなく建設の挑戦を
利己主義や悲観主義を乗り越え大切なものを共に守る世界を
◇パリ協定の運用が今月からスタート
次に第二の柱として提起したいのは、危機感の共有だけでなく、建設的な行動を共に起こすことの重要性です。
そもそも地球温暖化に対する警鐘は1980年代から鳴らされてきたもので、気候変動枠組条約が採択されたのは、ブラジルのリオデジャネイロでの国連環境開発会議(地球サミット)が開催される直前の92年5月でした。
その後、先進国を対象にした温室効果ガスの排出量を削減する枠組みとして「京都議定書」が97年に採択され、新興国や途上国も含めた枠組みとして「パリ協定」が合意をみたのは2015年12月でした。
全地球的な枠組みが成立した背景には、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が積み上げてきた科学的検証を通じて、温暖化がもたらす影響への認識が広がってきたのに加えて、異常気象が各地で相次ぎ、"目に見える脅威"としての危機感が募ってきたことがあるといえましょう。
いよいよ今月から「パリ協定」の本格運用が始まりましたが、その前途には容易ならざる課題が立ちはだかっています。
IPCCの特別報告書によれば、温暖化が現在のペースで進むと、早ければ2030年に、世界の平均気温は「パリ協定」が抑えようとしている"1.5度の上昇幅"を突破する恐れがあり、各国の取り組みを即座に加速させねばならない状況があるからです。
事態を打開するためには、危機感の共有に加えて、多くの人々の積極的な行動を鼓舞するような、連帯の結集軸となるものを掲げる必要があるのではないでしょうか。
脅威を強調するだけでは、被害が直接及ばない限り、関心の輪が広がりにくい傾向がみられます。また、脅威を深刻に受け止めた場合でも、その規模の大きさを前にして"自分が何かをしたところで状況は変わらない"との無力感に陥る可能性があるからです。
◇ボールディング博士の問題提起
この点、課題の分野は異なりますが、平和学者のエリース・ボールディング博士が、私との対談の中で印象深いエピソードを紹介してくださったことを思い出します。
——博士が1960年代に軍縮に関する会議に出席した時、「もし完全な軍縮を達成することができたら、どのような世界になるのでしょうか」と質問したことがあった。
そこで返ってきた答えは、次のような思いもよらないものだった。
「私たちにはわからない。私たちの仕事は、軍縮が可能であることを説くことにあると思う」——と。
このような経験を踏まえて博士は、「平和な社会がどのような社会であるか」を具体的に思い描くことなくして、平和を求める運動を力強く結集するのは難しいのではないかと問題提起していたのです。(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集』第114巻所収)
非常に重要な観点であり、私どもSGIもICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)と共同制作し、2012年から世界90都市以上で行ってきた「核兵器なき世界への連帯」展を通し、「平和な社会」のビジョンを幅広く喚起することに力を入れてきました。
ともすれば核兵器の問題は人類の破滅のイメージと結びつくために、できれば直視したくないものとして受け止められがちです。
一方、この展示では、訪れた人々に"あなたにとって大切なものとは?"との問いを投げかけることから始まります。
その問いかけを通し、自分にとって大切なものだけでなく、他の人々にとって大切なものを守るには、どのような世界を築いていけばよいのかという「建設」への思いを共に育むことに主眼を置いてきたのです。
長らく不可能と言われてきた核兵器禁止条約が2017年に採択をみたのも、非人道性に対する懸念の高まりと相まって、核兵器の禁止を通して築かれる世界のビジョンの輪郭が浮かび上がる中で、連帯の裾野が大きく広がるようになったからだと私は考えます。
禁止条約で強調されているのは、核兵器のもたらす危険が「すべての人類の安全」に関わるとの警鐘だけではありません。
前文でその輪郭が示されているように、禁止条約の精神の基底には、核兵器の禁止を前に進めることは、そのまま、人権とジェンダー平等が守られる世界を築き、すべての人々と将来世代の健康を保護する世界への道を開き、地球環境を大切にする世界にもつながっていくとのビジョンが描かれています。
同様に、気候変動の問題に立ち向かう上でも、平均気温の上昇を抑えるという数値目標の追求だけでなく、問題解決を通して実現したい世界のビジョンを分かち合いながら、その建設に向かって意欲的な行動を共に起こすことが肝要ではないでしょうか。
こうした建設の挑戦の中に、自分たちが被害を受けなければ問題ないと考える"利己主義"でも、課題の困難さに圧倒されて行動をあきらめてしまう"悲観主義"でもない、第三の道があると訴えたいのです。
私どもSGIが、国連環境開発会議(地球サミット)が行われた1992年に開設したブラジルの「創価研究所——アマゾン環境研究センター」で、熱帯雨林の再生や生態系を保全する活動を続ける一方で、国連の「持続可能な開発のための教育の10年」を支援する一環として開催してきた展示に、「変革の種子」や「希望の種子」とのタイトルを付けてきたのは、ゆえなきことではありません。
誰もが今いる場所で、持続可能な地球社会の"建設者"となることができるのであり、一つ一つの行動が世界に尊厳の花を咲かせる「変革の種子」となり、「希望の種子」になるとの思いが込められています。
法華経が説く国土変革のドラマ
自分の足元から希望を灯す
◇娑婆即寂光の法理
脅威に対して建設的に向き合うこのアプローチは、仏法の思想に根差したものです。
釈尊の教えの精髄が説かれた法華経には、「娑婆即寂光」という法理があります。
「娑婆」とはサンスクリット語の"サハー(堪忍)"を漢語にしたもので、「娑婆世界」という言葉には、私たちが生きる世界は"さまざまな苦しみに満ちた世界"であるという釈尊の洞察が込められていました。
釈尊がこの洞察を土台にしつつも、「私は二十九歳で善を求めて出家した」(中村元『釈尊の生涯』平凡社)と宣言したように、それは厭世的な認識ではなく、根底には"人々が苦悩に沈むことなく幸福に生きるにはどうすれば良いのか"との真摯な問いが脈打っていました。
釈尊の評伝を思想的な観点からまとめあげた哲学者のカール・ヤスパースが、「仏陀が教えるのは認識体系ではなく、救済の道である」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と述べたのは、その本質を突いたものといえましょう。
そこを外して、苦しみに満ちた世界という認識だけが先行すると、世界との向き合い方は誤った方向に傾きかねない。「自分だけが苦しみから解放されれば良い」といった考えや、「社会の厳しい現実として諦めるほかない」との無力感に陥ったり、「誰かが解決してくれるのを待つしかない」といった受け身的な生き方に流される恐れがあるからです。
釈尊の本意は、娑婆世界は"堪え忍ぶしかない場所"ではなく、"人々が願ってやまない世界(寂光土)を実現する場所"であると説き明かすことにありました。
この法理が具体的なイメージをもって描かれているのが、法華経の見宝塔品です。そこでは、釈尊の説法を聞くために集まった大勢の人々がいた場所、すなわち娑婆世界の大地から、尊極の光を放つ巨大な宝塔が涌出したことをきっかけに、娑婆世界が寂光土へと変わっていく様子を人々が目の当たりにする場面が描かれています。
13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、この「娑婆即寂光」の法理の要諦について、「此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と説きました。
つまり、人々が願い求める理想の「寂光土」は、どこか別の場所にあるのでも、手の届かない遠い場所にあるのでもない。
自分たちが今いる場所をそのまま「寂光土」として輝かせていく行動を広げることに、法華経のメッセージの核心がある——と。
大聖人の時代の日本でも、戦乱に加えて、地震や台風などの災害や疫病が相次ぎ、多くの民衆が苦悩に沈んでいました。
さらに当時の社会では、自分の殻に閉じこもることで現実から目を背けさせる思想や、人間は非力な存在にすぎないとの諦観を説く思想が蔓延しており、それがまた人々から生きる気力を奪う悪循環を生んでいました。
その中にあって大聖人は、法華経で説かれる国土変革のドラマの起点となった宝塔の出現について、「見大宝塔とは我等が一身なり」(同740ページ)と述べ、苦しみに満ちた世界を照らした宝塔と同じ尊極の光が、自分にも他の人々にも具わっていることに目覚めることが、人間の限りない力を引き出す源泉になると説きました。
そして、一人一人が自らの生命を宝塔のように輝かせ、社会を希望で照らす行動を広げる中で、自分たちが望む世界を自らの手で建設することの重要性を訴えたのです。
◇ケニアから世界に広がった植樹運動
以前(2005年2月)、ケニアの環境運動家のワンガリ・マータイ博士と、自分の足元から新しい世界の建設に向けた希望を灯す挑戦について語り合ったことがあります。
たった7本の苗木の植樹から始まった「グリーンベルト運動」の思い出を振り返りながら、博士はこう述べていました。
「未来は未来にあるのではない。今、この時からしか、未来は生まれないのです。将来、何かを成し遂げたいなら、今、やらなければならないのです」と。
マータイ博士が春風のような笑顔をひときわ輝かせたのは、創価大学の学生たちが「グリーンベルト運動」の愛唱歌を博士の故郷のキクユ語で歌って歓迎した時でした。
「ここは私たちの大地
私たちの役割は
ここに木を植えること」
歌声に合わせて全身でリズムをとり、一緒に口ずさむ博士の姿を前にして、植樹運動がケニアからアフリカの国々に広がる原動力となった"建設の挑戦を進める喜び"がここにあると、感じられてなりませんでした。
思い返せば、博士と対談したのは、温室効果ガス削減の最初の枠組みとなった「京都議定書」の発効から2日後のことでした。
「京都議定書」の発効のような、歴史の年表に刻まれる出来事に比べると、マータイ博士がケニアで最初に始めた行動は目立たないものだったかもしれない。
しかし、博士が自分の足元で灯した希望の光は、歳月を経るごとに共感の輪を広げて、国連環境計画のキャンペーンなどの多くの植樹運動につながり、博士の逝去後も続けられる中で、現在まで150億本にものぼる植樹が世界で進められてきました。
また、昨年の国連の気候行動サミットでも、パキスタンやグアテマラなど多くの国が、合計で110億本以上の植樹を今後進めることを誓約したのです。
今も忘れ得ぬマータイ博士の言葉があります。
「私たちは、自らの小さな行いが、物事を良い方向に変えていることを知っています。もしこの行いを何百万倍にも拡大することができたなら、私たちは世界を良くすることができるのです」
"建設の挑戦を進める喜び"がどれだけの力を生み出すのかを、実感をもって訴えかける言葉ではないでしょうか。
SGIの「希望の種子」展では、このマータイ博士をはじめ、大気汚染の防止に取り組んだ未来学者のヘイゼル・ヘンダーソン博士など、自分の足元から行動の輪を広げた人々の挑戦を紹介してきました。
マータイ博士が行動を始めたきっかけは、故郷のシンボルとして大切に感じていたイチジクの木が経済開発のあおりで伐採されたのを知ったことでした。
また、ヘンダーソン博士が立ち上がった理由は、ニューヨークで深刻化していた大気汚染のために、幼い娘さんの肌がすすで汚れるようになったことでした。
いずれも、その原点には心に受けた強い痛みがあった。だからこそ博士たちは、「世界で欠けていてはならない大切なもの」が何かを、身に染みて感じたのだと思います。
二人は、その痛みを痛みのままで終わらせなかった。マータイ博士が"木々を植えることは貧困と飢えのサイクルを断ち切り、平和を育む"との思いを胸に植樹運動を広げ、ヘンダーソン博士が"きれいな空気を子どもたちのために取り戻したい"と願い、仲間と力を合わせて行動を起こしたように、自分たちが望む世界を現実にするための「建設」のエネルギーへと昇華させていったのです。
こうした数々の挑戦の物語を紹介する「希望の種子」展で最後に現れるのは、たくさんの葉をつけた1本の木のイラストを背景に"空白"が広がっているパネルです。
その"空白"は、一人一人が今いる場所で挑戦できることは何かを考え、その行動を「希望の種子」として世界に植えることを呼び掛けるメッセージとなっているのです。
◇国連創設75周年を記念する取り組み
折しも国連では、創設75周年を記念して、「UN75イニシアチブ」と題する取り組みが今月からスタートしました。これは、人類が直面する多くの課題を見据えながら、「どのようにすれば、より良い世界を建設できるのか」について対話と行動を喚起するための取り組みです。
さまざまな形で対話の場を設け、特に国際社会から置き去りにされがちだった人々に重点を置く形で、世界中の人々が抱いている希望や恐怖に耳を傾けるとともに、その経験から学ぶことが主眼となっています。
こうした対話を通じて、国連創設100周年にあたる2045年に向けたグローバルなビジョンを描き出し、実現に向けた協働的な行動を推進することが目指されているのです。
国連では、対話の中心課題の一つとして気候変動を挙げています。
この絶好の機会を逃すことなく、それぞれの人々が深刻な脅威や課題を前にして感じている思いを、より良い世界の建設に向けてのポジティブな挑戦を生み出す糧にすることが大切ではないでしょうか。
気候変動による被害を受けてきた人々をはじめ、多くの人々の思いを、一つ一つのピースとして持ち寄ることを通し、今後築いていきたい世界のビジョンについて、人間としての実感に根差したイメージを共に重ね合わせていく——。
その対話を通じた共同作業と、ビジョンに対する共感の広がりがあってこそ、温暖化防止の取り組みを勢いづかせながら、持続可能な地球社会への確かな軌道を敷くことができると確信するのです。
第45回SGI提言� SDGsの推進へ「行動の10年」を
2030年に向けてSDGsに取り組む
「行動の10年」を青年が推進
◇新しい国連の姿を示したサミット
第三の柱は、SDGsの達成期限である2030年に向けて国連が立ち上げた「行動の10年」の一環として、気候変動問題に焦点を当てた"青年行動の10年"ともいうべき運動を巻き起こしていくことです。
国連で昨年9月、ユース気候サミットが行われました。各国首脳による気候行動サミットに先駆けて開催されたものですが、新しい国連の姿を見る思いがしてなりませんでした。
そこには次の特徴があったからです。
�140カ国・地域以上から集った青年たちが、各国を代表する立場というよりも、同世代の一員として参加していたこと。
�さまざまな討議における議事進行の多くを、国連の関係者ではなく、青年たちが担ったこと。
�登壇者が順番にスピーチをすることが中心となっている国連の一般的な会議とは異なり、活発な議論が重視されたこと。
そして何といっても象徴的だったのは、国連のグテーレス事務総長が「キーノート・リスナー」を務めたことでした。
オープニング行事に出席した事務総長は、青年たちの声を真正面から受け止めながら、議論を支える役割を務めたのです。
かつて私は2006年に発表した国連提言で、「毎年の国連総会の開会前に、世界の青年の代表を招いた『プレ・ミーティング』を行い、青年たちの意見に各国の首脳が耳を傾ける機会を設けることを検討してみてはどうか」と提案したことがあります。
ユース気候サミットは、その先見的なモデルとなるものと思えてなりません。
加えて、世界的な動きとして注目されるのが「グローバル気候ストライキ」です。サミットが開催された時にも、温暖化防止の緊急行動を求める行進が185カ国で実施され、760万人以上が参加しました。
運動の発端となったのは、スウェーデンの高校生であるグレタ・トゥーンベリさんが、気候変動の対策強化を訴えて2年前の夏に始めたストライキでした。
その後、瞬く間に若い世代の間で共感を呼び起こす中で、あらゆる世代の人々が参加するようになったのです。
パリ協定の達成を目指すNGOの「ミッション2020」で議長を務め、サミットの開催に尽力したクリスティアナ・フィゲレス氏(気候変動枠組条約の前事務局長)は、青年たちが怒りを示しているのは明確な理由があるとして、こう述べていました。
「ストライキに参加している人々、特に青年たちは科学を理解し、気候変動が自分たちの人生に及ぼす影響を理解するとともに、気候変動の問題に対処することは可能であることを知っているからだ」と。
つまり、青年たちが変革を不可能と考えていないからこそ温暖化防止の遅れに怒りを示しているのであり、今後、この「怒り」と「楽観主義」が結びつく中で、より大きな力が生まれることに対して期待を寄せたのです。
創価学会の総本部を昨年2月に訪問されたフィゲレス氏は、「聖教新聞」への寄稿でも、困難視されていたパリ協定を合意に導いた自らの経験を振り返りながら、「楽観主義なしに勝利をもたらす道はない」と強調していました。
私も、青年たちの現実変革への思いが、不屈の楽観主義と相まった時の可能性は計り知れないものがあると思えてなりません。
青年の行動は、多くの人々や団体の行動を加速させる波動を広げています。
一つは、世界の大学の動きです。
大学で生じる温室効果ガスの排出量を実質ゼロにすることや、気候変動に関する研究に力を入れ、学内や地域で持続可能性に関する教育を強化することを約束する宣言に対し、賛同する大学が増えています。環境問題に取り組む多くの高等教育機関のネットワークがこれに加わり、所属する大学などは累計で1万6000以上に達しています。
もう一つは、各国の自治体の動きで、温室効果ガスの削減に意欲的に取り組む「世界気候エネルギー首長誓約」の輪が138カ国の1万以上の自治体に広がっています。
ユース気候サミットで登壇したアルゼンチンの学生のブルーノ・ロドリゲスさんは、「気候変動の問題で変化を起こす若者たちは、新たな集団意識を築きつつある」と述べましたが、まさに若い世代の息吹がプラスの連鎖を起こす源泉となってきているのです。
◇ペッチェイ博士の人生における転機
新しい時代への胎動を前にして脳裏に浮かぶのは、ローマクラブの創設者であるアウレリオ・ペッチェイ博士が述べていた、「公正で民主的な道理を働かせれば、若者たちの声を聞くのが筋なのである」(『未来のための一〇〇ページ』大来佐武郎監訳、読売新聞社)との言葉です。
ローマクラブは、「持続可能性」の概念を形づくる契機となった地球の有限性への警鐘を、半世紀ほど前に鳴らしたことで知られますが、その中心者だったペッチェイ博士が特に重視していたのが、「若い世代の想像力と行動組織にもっと活動の場を与えること」(同)でした。
博士とは1975年の出会い以来、5回にわたって対談しましたが、その必要性を強く訴えておられたことが忘れられません。
若者たちの声を聴くのは、オプションでもベターでもない。本当に世界のことを考えるならば、当然踏まえなければならない"道理"であり、外せない"筋"である——というのが、博士の信念だったのです。
企業の経営者だった博士が、「報われるところが大きく、刺激に富むもの」と感じていた仕事から離れ、ローマクラブを立ち上げる決意をしたのは、自らが手がけてきた仕事に対し、年々、次のような思いが去来するようになったからだったといいます。(『人類の使命』大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社。以下、同書を引用・参照)
「これらの個々の事業や計画にすべての努力を集中するのは、結果的に無意味な行動となるおそれがあるということを、私はしだいに悟るようになった。それらの個々の活動が進められるより広い母体——つまり世界の地球的状況——は、一貫して悪化の道をたどっていたからである」
ローマクラブはこの博士の危機感に基づいて68年に創設されましたが、最初の2年近くは成果をほとんど得られませんでした。
地球が直面する課題について懸命に訴えても、「あたかも他の惑星についての問題であるかのように思われるばかりであった」と。
活動の意義を称賛する人がいても、「それは自らの利害領域や日常活動の妨げとならない限りにおいてであった」というのです。
ローマクラブの名を世に知らしめた『成長の限界』(※注2)が発刊されたのは、活動開始から4年が経過した72年でした。
反響は大きく、地球の有限性への認識は広がったものの、内容が悲観的すぎるとの批判はやむことはありませんでした。
しかし、博士は決して意気消沈することはありませんでした。
「重要なことは、正しい方向に向かって速やかに真剣な第一歩を踏み出すことである」との揺るぎない確信があったからであり、人間が持つ限りない可能性への信頼をどこまでも手放さなかったからです。
ペッチェイ博士と初めてお会いしたのは、SGIの発足からまもない頃(75年5月)でした。
『成長の限界』が発刊された翌年(73年5月)にロンドンへ向かい、歴史家のアーノルド・J・トインビー博士との2年越し40時間に及ぶ対話を終えた時、"こうした対話を私の友人たちとも続けてほしい"と推薦をいただいた人物の一人がペッチェイ博士だったのです。
人間の内なる力の開花こそ
時代創造の波を広げる源泉
◇国籍は"世界"
再びヨーロッパを訪問する際にお会いできる機会があればと考え、連絡をとり合う中、ペッチェイ博士は、私どもがグアムで第1回「世界平和会議」を開催することを知り、メッセージを寄せてくださいました。
1975年1月26日、SGI発足の舞台となった「世界平和会議」で、私は参加者の署名簿の国籍欄に"世界"と記しました。
世界を「共同生活」を意識的に行う場と位置付け、各国の国民としてだけでなく「世界民」の自覚を併せ持つ重要性を訴えていた牧口初代会長、そして、世界のどの国の民衆も絶対に犠牲になってはならないとの思いで「地球民族主義」を提唱した戸田第2代会長の精神を、"世界"の二文字に凝縮させる形でSGIの原点として留めたいと考えたからです。
その4カ月後にペッチェイ博士とお会いした時、博士が手に携えていたのが、私が執筆した小説『人間革命』の英語版でした。
牧口・戸田両会長の二人の先師に始まる創価学会の歴史を綴った小説であり、博士がその際、私どもが進めてきた「人間革命」の運動——一人一人に具わる内なる力の開花を通して時代変革を目指す運動に対し、深い共感を寄せてくださったことは、何よりの後押しを得る思いがしてなりませんでした。
私との対談集の中でも、博士は述べていました。
「一人一人の人間には、これまで眠ったままに放置されてきた、しかし、この悪化しつつある人類の状態を是正するために発揮し、活用することのできる資質や能力が、本然的に備わっている」(『二十一世紀への警鐘』、『池田大作全集』第4巻所収)と。
時を経て今、世界の多くの青年たちが連帯して声を上げ、気候変動の問題に勇んで立ち向かおうとしている姿は、まさに博士が希望を託していた力が大きく開花し始めた姿ではないかと思えてなりません。
『成長の限界』の発刊当時に焦点となっていた公害や資源問題のように、局所的な対応で解決の糸口をつかむことができるものとは異なり、気候変動の原因は人々の生活や経済活動のあらゆる面に及んでいるだけに、状況の打開は決して容易ではありません。
現在、ローマクラブで共同会長を務めるサンドリン・ディクソン=デクレーブ氏が、昨年10月に欧州議会で紹介した「地球非常事態プラン」における緊急課題だけでも、低炭素エネルギーへの転換や再生可能エネルギーへの投資増大をはじめ、循環型経済への移行に関するものなど10項目が挙げられていました。
しかし、気候変動を巡る複雑で困難な状況も、受け止め方次第で、チャンスへと変えることができるのではないでしょうか。
対応すべき分野や場所が多岐にわたるという状況は、一方で、一人一人に具わる限りない力を発揮できる舞台が、それだけ多種多様な形で広がっていることでもあるからです。
SGIの代表も参加したユース気候サミットでは、その舞台の広がりを物語るような分科会が行われました。自然保護をはじめ、起業、金融、テクノロジー、芸術、スポーツ、ファッション、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、動画配信などの分野において、新しい発想で問題解決を前に進めようとするアプローチが多角的に模索されたのです。
◇青年に焦点当てた安保理の新決議を
その意味で私は、ユース気候サミットの直後に、国連で採択された「SDGサミット」の政治宣言の内容に注目しています。
2030年までの期間を「持続可能な開発に向けた行動と遂行の10年」と位置付けた上で、取り組みを進めるにあたって永続的にパートナーシップを築くべき対象の一つとして「青年」を挙げていたからです。
この政治宣言を受けて、グテーレス事務総長は国連として「行動の10年」を立ち上げ、グローバルな行動と地域レベルでの行動に加えて、青年たちを含む民衆レベルでの行動を広げることを呼び掛けました。
そこで私は、国連の「行動の10年」における民衆レベルでの取り組みの一つとして、青年を中心に気候変動問題の解決策を共に生み出す挑戦を力強く進めることを提唱したい。
気候変動問題に対して先頭に立って行動するグレタ・トゥーンベリさんも、先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)で、2030年までの10年間の意義に触れ、こう訴えていました。
「歴史上の偉大な変革は、すべて民衆から始まりました。待つ必要はありません。今この瞬間から変革を起こせるのです」と。
具体的には、今後もユース気候サミットを毎年開催する中で新しい国連の姿を定着させることに加えて、国連と市民社会が連携して"気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年"ともいうべき活動を幅広く展開してはどうでしょうか。
また、その方向性を決定づける礎として、平和と安全保障における青年の役割を強調した国連安全保障理事会の2250決議(※注3)に続く形で、気候変動の問題に関わる意思決定への青年の参画を主流化させるための安保理決議を採択することを提案したい。
9月には、国連創設75周年を記念するハイレベル会合の開催も予定されています。そこに世界の青年たちを重要なパートナーとして招くとともに、"青年行動の10年"の開始と安保理決議の採択をもって、国連の新章節を飾るべきではないでしょうか。
私どもも、青年部が2014年から進めてきた「SOKAグローバルアクション」を発展させる形で、本年から新たに「SOKAグローバルアクション2030」を始動しました。
その一環として、一人一人が日常生活の中で温室効果ガスの削減につながる行動を起こす「マイ・チャレンジ10」の活動をはじめ、草の根レベルで行動の連帯を広げる活動を進めることになっています。
気候変動の問題の解決をはじめ、SDGsの目標を達成する道は、決して平坦なものではないでしょう。
しかし、青年たちの連帯がある限り、乗り越えられない壁など決してないと、私は固く信じてやまないのです。
受験生とその家族にも
こまやかな心配りを!
悔いなく挑戦できるよう
皆で大応援しよう!
松野殿御返事 P1386
『とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし』
【通解】
どんなことをしてみても、この身は、空しく、山野の土となってしまう。惜しんでも、どうしようもない。どんなに惜しんでも、惜しみ遂げることができない。人は、いくら長く生きたとしても、百年を過ぎることはない。その間のことは、ただ一睡の夢である。
名字の言 人間魚雷「回天」に乗った兄の手紙 2020年1月31日
戦地の兄が、当時5歳の弟・本井文昭さんに手紙を送った。<サビシガラナイデクダサイ>。勉学に励み、父母を大切に。そして末尾に記した。<イツデモニイサンハ、フミアキヲミテオリマスカラ>▼手紙を出した2日後、兄は人間魚雷「回天」に乗り、北太平洋で敵艦に向かった。享年19歳。本井さんは「優しい兄でした」と。手紙は山口県の回天記念館に寄贈された。同館の展示は戦争の惨禍に遭った家族の真実を伝えている▼戦後75年の今、広島・長崎・沖縄の青年部と未来部が被爆・戦争体験の聞き取りを行っている。最初は「戦争を知らない世代」の自分たちが、思いを受け止められるか不安もあった。だが一人一人の「記憶」に耳を傾け、「記録」する中で銘記した。"多くの犠牲があった。そして、生き抜いた人々のおかげで今の自分がある。平和を未来に「つなげる」ことが大切なんだ"▼過日の「SGIの日」記念提言で池田先生は、核兵器禁止条約の普遍性を高めるために、「『人間としての実感』に根差した思いを多くの人々の間で分かち合うことが、重要な意味を持ってくる」と指摘した▼私たちは地球という"家"で生活を営む"家族"。戦争には勝者も敗者もない。目の前の「一人」と語り、心を結んでいく。平和の未来は、そこから開ける。(子)
寸鉄 2020年1月31日
曖昧な的に放った矢が当たるわけがない—先師。祈りは明確に!誓い込め
男子部が拡大月間。折伏は最極の"仏の仕事"だ。後継よ自身の限界を破れ
打ち合わせは要点を定め価値的に。呼吸を合わせ幹部は最前線の友の元へ
2月は省エネ月間。一枚多く羽織る「ウォームビズ」等、無理なく賢く実践
福島の農産物輸出が過去最多。安全性や品質に信頼と。復興へ後押し更に
第45回SGI提言� 危機の回避だけでなく建設の挑戦を
利己主義や悲観主義を乗り越え大切なものを共に守る世界を
◇パリ協定の運用が今月からスタート
次に第二の柱として提起したいのは、危機感の共有だけでなく、建設的な行動を共に起こすことの重要性です。
そもそも地球温暖化に対する警鐘は1980年代から鳴らされてきたもので、気候変動枠組条約が採択されたのは、ブラジルのリオデジャネイロでの国連環境開発会議(地球サミット)が開催される直前の92年5月でした。
その後、先進国を対象にした温室効果ガスの排出量を削減する枠組みとして「京都議定書」が97年に採択され、新興国や途上国も含めた枠組みとして「パリ協定」が合意をみたのは2015年12月でした。
全地球的な枠組みが成立した背景には、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が積み上げてきた科学的検証を通じて、温暖化がもたらす影響への認識が広がってきたのに加えて、異常気象が各地で相次ぎ、"目に見える脅威"としての危機感が募ってきたことがあるといえましょう。
いよいよ今月から「パリ協定」の本格運用が始まりましたが、その前途には容易ならざる課題が立ちはだかっています。
IPCCの特別報告書によれば、温暖化が現在のペースで進むと、早ければ2030年に、世界の平均気温は「パリ協定」が抑えようとしている"1.5度の上昇幅"を突破する恐れがあり、各国の取り組みを即座に加速させねばならない状況があるからです。
事態を打開するためには、危機感の共有に加えて、多くの人々の積極的な行動を鼓舞するような、連帯の結集軸となるものを掲げる必要があるのではないでしょうか。
脅威を強調するだけでは、被害が直接及ばない限り、関心の輪が広がりにくい傾向がみられます。また、脅威を深刻に受け止めた場合でも、その規模の大きさを前にして"自分が何かをしたところで状況は変わらない"との無力感に陥る可能性があるからです。
◇ボールディング博士の問題提起
この点、課題の分野は異なりますが、平和学者のエリース・ボールディング博士が、私との対談の中で印象深いエピソードを紹介してくださったことを思い出します。
——博士が1960年代に軍縮に関する会議に出席した時、「もし完全な軍縮を達成することができたら、どのような世界になるのでしょうか」と質問したことがあった。
そこで返ってきた答えは、次のような思いもよらないものだった。
「私たちにはわからない。私たちの仕事は、軍縮が可能であることを説くことにあると思う」——と。
このような経験を踏まえて博士は、「平和な社会がどのような社会であるか」を具体的に思い描くことなくして、平和を求める運動を力強く結集するのは難しいのではないかと問題提起していたのです。(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集』第114巻所収)
非常に重要な観点であり、私どもSGIもICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)と共同制作し、2012年から世界90都市以上で行ってきた「核兵器なき世界への連帯」展を通し、「平和な社会」のビジョンを幅広く喚起することに力を入れてきました。
ともすれば核兵器の問題は人類の破滅のイメージと結びつくために、できれば直視したくないものとして受け止められがちです。
一方、この展示では、訪れた人々に"あなたにとって大切なものとは?"との問いを投げかけることから始まります。
その問いかけを通し、自分にとって大切なものだけでなく、他の人々にとって大切なものを守るには、どのような世界を築いていけばよいのかという「建設」への思いを共に育むことに主眼を置いてきたのです。
長らく不可能と言われてきた核兵器禁止条約が2017年に採択をみたのも、非人道性に対する懸念の高まりと相まって、核兵器の禁止を通して築かれる世界のビジョンの輪郭が浮かび上がる中で、連帯の裾野が大きく広がるようになったからだと私は考えます。
禁止条約で強調されているのは、核兵器のもたらす危険が「すべての人類の安全」に関わるとの警鐘だけではありません。
前文でその輪郭が示されているように、禁止条約の精神の基底には、核兵器の禁止を前に進めることは、そのまま、人権とジェンダー平等が守られる世界を築き、すべての人々と将来世代の健康を保護する世界への道を開き、地球環境を大切にする世界にもつながっていくとのビジョンが描かれています。
同様に、気候変動の問題に立ち向かう上でも、平均気温の上昇を抑えるという数値目標の追求だけでなく、問題解決を通して実現したい世界のビジョンを分かち合いながら、その建設に向かって意欲的な行動を共に起こすことが肝要ではないでしょうか。
こうした建設の挑戦の中に、自分たちが被害を受けなければ問題ないと考える"利己主義"でも、課題の困難さに圧倒されて行動をあきらめてしまう"悲観主義"でもない、第三の道があると訴えたいのです。
私どもSGIが、国連環境開発会議(地球サミット)が行われた1992年に開設したブラジルの「創価研究所——アマゾン環境研究センター」で、熱帯雨林の再生や生態系を保全する活動を続ける一方で、国連の「持続可能な開発のための教育の10年」を支援する一環として開催してきた展示に、「変革の種子」や「希望の種子」とのタイトルを付けてきたのは、ゆえなきことではありません。
誰もが今いる場所で、持続可能な地球社会の"建設者"となることができるのであり、一つ一つの行動が世界に尊厳の花を咲かせる「変革の種子」となり、「希望の種子」になるとの思いが込められています。
法華経が説く国土変革のドラマ
自分の足元から希望を灯す
◇娑婆即寂光の法理
脅威に対して建設的に向き合うこのアプローチは、仏法の思想に根差したものです。
釈尊の教えの精髄が説かれた法華経には、「娑婆即寂光」という法理があります。
「娑婆」とはサンスクリット語の"サハー(堪忍)"を漢語にしたもので、「娑婆世界」という言葉には、私たちが生きる世界は"さまざまな苦しみに満ちた世界"であるという釈尊の洞察が込められていました。
釈尊がこの洞察を土台にしつつも、「私は二十九歳で善を求めて出家した」(中村元『釈尊の生涯』平凡社)と宣言したように、それは厭世的な認識ではなく、根底には"人々が苦悩に沈むことなく幸福に生きるにはどうすれば良いのか"との真摯な問いが脈打っていました。
釈尊の評伝を思想的な観点からまとめあげた哲学者のカール・ヤスパースが、「仏陀が教えるのは認識体系ではなく、救済の道である」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と述べたのは、その本質を突いたものといえましょう。
そこを外して、苦しみに満ちた世界という認識だけが先行すると、世界との向き合い方は誤った方向に傾きかねない。「自分だけが苦しみから解放されれば良い」といった考えや、「社会の厳しい現実として諦めるほかない」との無力感に陥ったり、「誰かが解決してくれるのを待つしかない」といった受け身的な生き方に流される恐れがあるからです。
釈尊の本意は、娑婆世界は"堪え忍ぶしかない場所"ではなく、"人々が願ってやまない世界(寂光土)を実現する場所"であると説き明かすことにありました。
この法理が具体的なイメージをもって描かれているのが、法華経の見宝塔品です。そこでは、釈尊の説法を聞くために集まった大勢の人々がいた場所、すなわち娑婆世界の大地から、尊極の光を放つ巨大な宝塔が涌出したことをきっかけに、娑婆世界が寂光土へと変わっていく様子を人々が目の当たりにする場面が描かれています。
13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、この「娑婆即寂光」の法理の要諦について、「此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と説きました。
つまり、人々が願い求める理想の「寂光土」は、どこか別の場所にあるのでも、手の届かない遠い場所にあるのでもない。
自分たちが今いる場所をそのまま「寂光土」として輝かせていく行動を広げることに、法華経のメッセージの核心がある——と。
大聖人の時代の日本でも、戦乱に加えて、地震や台風などの災害や疫病が相次ぎ、多くの民衆が苦悩に沈んでいました。
さらに当時の社会では、自分の殻に閉じこもることで現実から目を背けさせる思想や、人間は非力な存在にすぎないとの諦観を説く思想が蔓延しており、それがまた人々から生きる気力を奪う悪循環を生んでいました。
その中にあって大聖人は、法華経で説かれる国土変革のドラマの起点となった宝塔の出現について、「見大宝塔とは我等が一身なり」(同740ページ)と述べ、苦しみに満ちた世界を照らした宝塔と同じ尊極の光が、自分にも他の人々にも具わっていることに目覚めることが、人間の限りない力を引き出す源泉になると説きました。
そして、一人一人が自らの生命を宝塔のように輝かせ、社会を希望で照らす行動を広げる中で、自分たちが望む世界を自らの手で建設することの重要性を訴えたのです。
◇ケニアから世界に広がった植樹運動
以前(2005年2月)、ケニアの環境運動家のワンガリ・マータイ博士と、自分の足元から新しい世界の建設に向けた希望を灯す挑戦について語り合ったことがあります。
たった7本の苗木の植樹から始まった「グリーンベルト運動」の思い出を振り返りながら、博士はこう述べていました。
「未来は未来にあるのではない。今、この時からしか、未来は生まれないのです。将来、何かを成し遂げたいなら、今、やらなければならないのです」と。
マータイ博士が春風のような笑顔をひときわ輝かせたのは、創価大学の学生たちが「グリーンベルト運動」の愛唱歌を博士の故郷のキクユ語で歌って歓迎した時でした。
「ここは私たちの大地
私たちの役割は
ここに木を植えること」
歌声に合わせて全身でリズムをとり、一緒に口ずさむ博士の姿を前にして、植樹運動がケニアからアフリカの国々に広がる原動力となった"建設の挑戦を進める喜び"がここにあると、感じられてなりませんでした。
思い返せば、博士と対談したのは、温室効果ガス削減の最初の枠組みとなった「京都議定書」の発効から2日後のことでした。
「京都議定書」の発効のような、歴史の年表に刻まれる出来事に比べると、マータイ博士がケニアで最初に始めた行動は目立たないものだったかもしれない。
しかし、博士が自分の足元で灯した希望の光は、歳月を経るごとに共感の輪を広げて、国連環境計画のキャンペーンなどの多くの植樹運動につながり、博士の逝去後も続けられる中で、現在まで150億本にものぼる植樹が世界で進められてきました。
また、昨年の国連の気候行動サミットでも、パキスタンやグアテマラなど多くの国が、合計で110億本以上の植樹を今後進めることを誓約したのです。
今も忘れ得ぬマータイ博士の言葉があります。
「私たちは、自らの小さな行いが、物事を良い方向に変えていることを知っています。もしこの行いを何百万倍にも拡大することができたなら、私たちは世界を良くすることができるのです」
"建設の挑戦を進める喜び"がどれだけの力を生み出すのかを、実感をもって訴えかける言葉ではないでしょうか。
SGIの「希望の種子」展では、このマータイ博士をはじめ、大気汚染の防止に取り組んだ未来学者のヘイゼル・ヘンダーソン博士など、自分の足元から行動の輪を広げた人々の挑戦を紹介してきました。
マータイ博士が行動を始めたきっかけは、故郷のシンボルとして大切に感じていたイチジクの木が経済開発のあおりで伐採されたのを知ったことでした。
また、ヘンダーソン博士が立ち上がった理由は、ニューヨークで深刻化していた大気汚染のために、幼い娘さんの肌がすすで汚れるようになったことでした。
いずれも、その原点には心に受けた強い痛みがあった。だからこそ博士たちは、「世界で欠けていてはならない大切なもの」が何かを、身に染みて感じたのだと思います。
二人は、その痛みを痛みのままで終わらせなかった。マータイ博士が"木々を植えることは貧困と飢えのサイクルを断ち切り、平和を育む"との思いを胸に植樹運動を広げ、ヘンダーソン博士が"きれいな空気を子どもたちのために取り戻したい"と願い、仲間と力を合わせて行動を起こしたように、自分たちが望む世界を現実にするための「建設」のエネルギーへと昇華させていったのです。
こうした数々の挑戦の物語を紹介する「希望の種子」展で最後に現れるのは、たくさんの葉をつけた1本の木のイラストを背景に"空白"が広がっているパネルです。
その"空白"は、一人一人が今いる場所で挑戦できることは何かを考え、その行動を「希望の種子」として世界に植えることを呼び掛けるメッセージとなっているのです。
◇国連創設75周年を記念する取り組み
折しも国連では、創設75周年を記念して、「UN75イニシアチブ」と題する取り組みが今月からスタートしました。これは、人類が直面する多くの課題を見据えながら、「どのようにすれば、より良い世界を建設できるのか」について対話と行動を喚起するための取り組みです。
さまざまな形で対話の場を設け、特に国際社会から置き去りにされがちだった人々に重点を置く形で、世界中の人々が抱いている希望や恐怖に耳を傾けるとともに、その経験から学ぶことが主眼となっています。
こうした対話を通じて、国連創設100周年にあたる2045年に向けたグローバルなビジョンを描き出し、実現に向けた協働的な行動を推進することが目指されているのです。
国連では、対話の中心課題の一つとして気候変動を挙げています。
この絶好の機会を逃すことなく、それぞれの人々が深刻な脅威や課題を前にして感じている思いを、より良い世界の建設に向けてのポジティブな挑戦を生み出す糧にすることが大切ではないでしょうか。
気候変動による被害を受けてきた人々をはじめ、多くの人々の思いを、一つ一つのピースとして持ち寄ることを通し、今後築いていきたい世界のビジョンについて、人間としての実感に根差したイメージを共に重ね合わせていく——。
その対話を通じた共同作業と、ビジョンに対する共感の広がりがあってこそ、温暖化防止の取り組みを勢いづかせながら、持続可能な地球社会への確かな軌道を敷くことができると確信するのです。
第45回SGI提言� SDGsの推進へ「行動の10年」を
2030年に向けてSDGsに取り組む
「行動の10年」を青年が推進
◇新しい国連の姿を示したサミット
第三の柱は、SDGsの達成期限である2030年に向けて国連が立ち上げた「行動の10年」の一環として、気候変動問題に焦点を当てた"青年行動の10年"ともいうべき運動を巻き起こしていくことです。
国連で昨年9月、ユース気候サミットが行われました。各国首脳による気候行動サミットに先駆けて開催されたものですが、新しい国連の姿を見る思いがしてなりませんでした。
そこには次の特徴があったからです。
�140カ国・地域以上から集った青年たちが、各国を代表する立場というよりも、同世代の一員として参加していたこと。
�さまざまな討議における議事進行の多くを、国連の関係者ではなく、青年たちが担ったこと。
�登壇者が順番にスピーチをすることが中心となっている国連の一般的な会議とは異なり、活発な議論が重視されたこと。
そして何といっても象徴的だったのは、国連のグテーレス事務総長が「キーノート・リスナー」を務めたことでした。
オープニング行事に出席した事務総長は、青年たちの声を真正面から受け止めながら、議論を支える役割を務めたのです。
かつて私は2006年に発表した国連提言で、「毎年の国連総会の開会前に、世界の青年の代表を招いた『プレ・ミーティング』を行い、青年たちの意見に各国の首脳が耳を傾ける機会を設けることを検討してみてはどうか」と提案したことがあります。
ユース気候サミットは、その先見的なモデルとなるものと思えてなりません。
加えて、世界的な動きとして注目されるのが「グローバル気候ストライキ」です。サミットが開催された時にも、温暖化防止の緊急行動を求める行進が185カ国で実施され、760万人以上が参加しました。
運動の発端となったのは、スウェーデンの高校生であるグレタ・トゥーンベリさんが、気候変動の対策強化を訴えて2年前の夏に始めたストライキでした。
その後、瞬く間に若い世代の間で共感を呼び起こす中で、あらゆる世代の人々が参加するようになったのです。
パリ協定の達成を目指すNGOの「ミッション2020」で議長を務め、サミットの開催に尽力したクリスティアナ・フィゲレス氏(気候変動枠組条約の前事務局長)は、青年たちが怒りを示しているのは明確な理由があるとして、こう述べていました。
「ストライキに参加している人々、特に青年たちは科学を理解し、気候変動が自分たちの人生に及ぼす影響を理解するとともに、気候変動の問題に対処することは可能であることを知っているからだ」と。
つまり、青年たちが変革を不可能と考えていないからこそ温暖化防止の遅れに怒りを示しているのであり、今後、この「怒り」と「楽観主義」が結びつく中で、より大きな力が生まれることに対して期待を寄せたのです。
創価学会の総本部を昨年2月に訪問されたフィゲレス氏は、「聖教新聞」への寄稿でも、困難視されていたパリ協定を合意に導いた自らの経験を振り返りながら、「楽観主義なしに勝利をもたらす道はない」と強調していました。
私も、青年たちの現実変革への思いが、不屈の楽観主義と相まった時の可能性は計り知れないものがあると思えてなりません。
青年の行動は、多くの人々や団体の行動を加速させる波動を広げています。
一つは、世界の大学の動きです。
大学で生じる温室効果ガスの排出量を実質ゼロにすることや、気候変動に関する研究に力を入れ、学内や地域で持続可能性に関する教育を強化することを約束する宣言に対し、賛同する大学が増えています。環境問題に取り組む多くの高等教育機関のネットワークがこれに加わり、所属する大学などは累計で1万6000以上に達しています。
もう一つは、各国の自治体の動きで、温室効果ガスの削減に意欲的に取り組む「世界気候エネルギー首長誓約」の輪が138カ国の1万以上の自治体に広がっています。
ユース気候サミットで登壇したアルゼンチンの学生のブルーノ・ロドリゲスさんは、「気候変動の問題で変化を起こす若者たちは、新たな集団意識を築きつつある」と述べましたが、まさに若い世代の息吹がプラスの連鎖を起こす源泉となってきているのです。
◇ペッチェイ博士の人生における転機
新しい時代への胎動を前にして脳裏に浮かぶのは、ローマクラブの創設者であるアウレリオ・ペッチェイ博士が述べていた、「公正で民主的な道理を働かせれば、若者たちの声を聞くのが筋なのである」(『未来のための一〇〇ページ』大来佐武郎監訳、読売新聞社)との言葉です。
ローマクラブは、「持続可能性」の概念を形づくる契機となった地球の有限性への警鐘を、半世紀ほど前に鳴らしたことで知られますが、その中心者だったペッチェイ博士が特に重視していたのが、「若い世代の想像力と行動組織にもっと活動の場を与えること」(同)でした。
博士とは1975年の出会い以来、5回にわたって対談しましたが、その必要性を強く訴えておられたことが忘れられません。
若者たちの声を聴くのは、オプションでもベターでもない。本当に世界のことを考えるならば、当然踏まえなければならない"道理"であり、外せない"筋"である——というのが、博士の信念だったのです。
企業の経営者だった博士が、「報われるところが大きく、刺激に富むもの」と感じていた仕事から離れ、ローマクラブを立ち上げる決意をしたのは、自らが手がけてきた仕事に対し、年々、次のような思いが去来するようになったからだったといいます。(『人類の使命』大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社。以下、同書を引用・参照)
「これらの個々の事業や計画にすべての努力を集中するのは、結果的に無意味な行動となるおそれがあるということを、私はしだいに悟るようになった。それらの個々の活動が進められるより広い母体——つまり世界の地球的状況——は、一貫して悪化の道をたどっていたからである」
ローマクラブはこの博士の危機感に基づいて68年に創設されましたが、最初の2年近くは成果をほとんど得られませんでした。
地球が直面する課題について懸命に訴えても、「あたかも他の惑星についての問題であるかのように思われるばかりであった」と。
活動の意義を称賛する人がいても、「それは自らの利害領域や日常活動の妨げとならない限りにおいてであった」というのです。
ローマクラブの名を世に知らしめた『成長の限界』(※注2)が発刊されたのは、活動開始から4年が経過した72年でした。
反響は大きく、地球の有限性への認識は広がったものの、内容が悲観的すぎるとの批判はやむことはありませんでした。
しかし、博士は決して意気消沈することはありませんでした。
「重要なことは、正しい方向に向かって速やかに真剣な第一歩を踏み出すことである」との揺るぎない確信があったからであり、人間が持つ限りない可能性への信頼をどこまでも手放さなかったからです。
ペッチェイ博士と初めてお会いしたのは、SGIの発足からまもない頃(75年5月)でした。
『成長の限界』が発刊された翌年(73年5月)にロンドンへ向かい、歴史家のアーノルド・J・トインビー博士との2年越し40時間に及ぶ対話を終えた時、"こうした対話を私の友人たちとも続けてほしい"と推薦をいただいた人物の一人がペッチェイ博士だったのです。
人間の内なる力の開花こそ
時代創造の波を広げる源泉
◇国籍は"世界"
再びヨーロッパを訪問する際にお会いできる機会があればと考え、連絡をとり合う中、ペッチェイ博士は、私どもがグアムで第1回「世界平和会議」を開催することを知り、メッセージを寄せてくださいました。
1975年1月26日、SGI発足の舞台となった「世界平和会議」で、私は参加者の署名簿の国籍欄に"世界"と記しました。
世界を「共同生活」を意識的に行う場と位置付け、各国の国民としてだけでなく「世界民」の自覚を併せ持つ重要性を訴えていた牧口初代会長、そして、世界のどの国の民衆も絶対に犠牲になってはならないとの思いで「地球民族主義」を提唱した戸田第2代会長の精神を、"世界"の二文字に凝縮させる形でSGIの原点として留めたいと考えたからです。
その4カ月後にペッチェイ博士とお会いした時、博士が手に携えていたのが、私が執筆した小説『人間革命』の英語版でした。
牧口・戸田両会長の二人の先師に始まる創価学会の歴史を綴った小説であり、博士がその際、私どもが進めてきた「人間革命」の運動——一人一人に具わる内なる力の開花を通して時代変革を目指す運動に対し、深い共感を寄せてくださったことは、何よりの後押しを得る思いがしてなりませんでした。
私との対談集の中でも、博士は述べていました。
「一人一人の人間には、これまで眠ったままに放置されてきた、しかし、この悪化しつつある人類の状態を是正するために発揮し、活用することのできる資質や能力が、本然的に備わっている」(『二十一世紀への警鐘』、『池田大作全集』第4巻所収)と。
時を経て今、世界の多くの青年たちが連帯して声を上げ、気候変動の問題に勇んで立ち向かおうとしている姿は、まさに博士が希望を託していた力が大きく開花し始めた姿ではないかと思えてなりません。
『成長の限界』の発刊当時に焦点となっていた公害や資源問題のように、局所的な対応で解決の糸口をつかむことができるものとは異なり、気候変動の原因は人々の生活や経済活動のあらゆる面に及んでいるだけに、状況の打開は決して容易ではありません。
現在、ローマクラブで共同会長を務めるサンドリン・ディクソン=デクレーブ氏が、昨年10月に欧州議会で紹介した「地球非常事態プラン」における緊急課題だけでも、低炭素エネルギーへの転換や再生可能エネルギーへの投資増大をはじめ、循環型経済への移行に関するものなど10項目が挙げられていました。
しかし、気候変動を巡る複雑で困難な状況も、受け止め方次第で、チャンスへと変えることができるのではないでしょうか。
対応すべき分野や場所が多岐にわたるという状況は、一方で、一人一人に具わる限りない力を発揮できる舞台が、それだけ多種多様な形で広がっていることでもあるからです。
SGIの代表も参加したユース気候サミットでは、その舞台の広がりを物語るような分科会が行われました。自然保護をはじめ、起業、金融、テクノロジー、芸術、スポーツ、ファッション、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、動画配信などの分野において、新しい発想で問題解決を前に進めようとするアプローチが多角的に模索されたのです。
◇青年に焦点当てた安保理の新決議を
その意味で私は、ユース気候サミットの直後に、国連で採択された「SDGサミット」の政治宣言の内容に注目しています。
2030年までの期間を「持続可能な開発に向けた行動と遂行の10年」と位置付けた上で、取り組みを進めるにあたって永続的にパートナーシップを築くべき対象の一つとして「青年」を挙げていたからです。
この政治宣言を受けて、グテーレス事務総長は国連として「行動の10年」を立ち上げ、グローバルな行動と地域レベルでの行動に加えて、青年たちを含む民衆レベルでの行動を広げることを呼び掛けました。
そこで私は、国連の「行動の10年」における民衆レベルでの取り組みの一つとして、青年を中心に気候変動問題の解決策を共に生み出す挑戦を力強く進めることを提唱したい。
気候変動問題に対して先頭に立って行動するグレタ・トゥーンベリさんも、先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)で、2030年までの10年間の意義に触れ、こう訴えていました。
「歴史上の偉大な変革は、すべて民衆から始まりました。待つ必要はありません。今この瞬間から変革を起こせるのです」と。
具体的には、今後もユース気候サミットを毎年開催する中で新しい国連の姿を定着させることに加えて、国連と市民社会が連携して"気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年"ともいうべき活動を幅広く展開してはどうでしょうか。
また、その方向性を決定づける礎として、平和と安全保障における青年の役割を強調した国連安全保障理事会の2250決議(※注3)に続く形で、気候変動の問題に関わる意思決定への青年の参画を主流化させるための安保理決議を採択することを提案したい。
9月には、国連創設75周年を記念するハイレベル会合の開催も予定されています。そこに世界の青年たちを重要なパートナーとして招くとともに、"青年行動の10年"の開始と安保理決議の採択をもって、国連の新章節を飾るべきではないでしょうか。
私どもも、青年部が2014年から進めてきた「SOKAグローバルアクション」を発展させる形で、本年から新たに「SOKAグローバルアクション2030」を始動しました。
その一環として、一人一人が日常生活の中で温室効果ガスの削減につながる行動を起こす「マイ・チャレンジ10」の活動をはじめ、草の根レベルで行動の連帯を広げる活動を進めることになっています。
気候変動の問題の解決をはじめ、SDGsの目標を達成する道は、決して平坦なものではないでしょう。
しかし、青年たちの連帯がある限り、乗り越えられない壁など決してないと、私は固く信じてやまないのです。
2020年1月30日木曜日
2020.01.30 わが友に贈る
一対一の語らいこそ
広布伸展の原動力だ。
地道な訪問・激励で
友の話をじっくり聞く
抜苦与楽の実践を!
守護国家論 P71
『夫れ三悪の生を受くること大地微塵より多く人間の生を受くるは爪上の土より少し、乃至四十余年の諸経に値うことは大地微塵よりも多く法華涅槃に値うことは爪上の土より少し』
【通解】
そもそも三悪道の身に生まれることは大地の微小な塵よりも多く、人間の身として生まれることは爪の上の土よりも少ない。更に四十余年の爾前の諸経にあうことは大地の微小な塵よりも多く、法華経・涅槃経にあうことは爪の上の土よりも少ないのである。
名字の言 やっぱり苦労はしたもん勝ち——沖永良部島の広布の母の言葉 2020年1月30日
「この人の語らいは、まさに芸術」と評判の婦人が、鹿児島県の沖永良部島で活躍している。入会61年目。125世帯に弘教を実らせた"対話の名手"である▼実は生来の口べた。だから、とことん相手の話を聞いた。いつしか"心の声"まで感じられるようになったという。交通事故で顔に傷を負った時は「この傷は笑顔じわよ」と明るさに磨きをかけた。夫を病気で失ったが、「悩んでいる人に一層、同苦できるようになれた」と励ましの対話を続けた▼旧習の壁にぶつかるなど、言葉にできないつらさも、ずいぶん味わった。そのたびに負けずに頑張り抜いたゆえか、人柄に芯の強さ、朗らかさがにじむ。人生は平たんな道を歩むより、苦難の山坂に挑んだ方が、どれほど豊かなものになるか。深く考えさせられた▼山本周五郎の小説『虚空遍歴』にこうある。「芸というものは……あらゆる障害、圧迫、非難、嘲笑をあびせられて、それらを突き抜け、押しやぶり、たたかいながら育つものだ」。人生万般に通じるだろう▼先の婦人に若い世代への助言を求めると、「やっぱり苦労はしたもん勝ち。だって人を励ます"心の引き出し"が増えるでしょ」と。こうした宝の先輩が広布の庭にはたくさんいる。ありがたくもあり、誇らしくも思う。(誠)
寸鉄 2020年1月30日
会長の著作には困難乗り越える幸福の方程式が—元大臣。人生凱歌の源泉
御書「此の経を信ずる者は宿縁多幸なり」。偉大な妙法に出合った喜び胸に
一人立つ時にのみ、人は勝利を手にする—哲人。自分から拡大の波起こせ
夫婦で力を合わせ歩む姿が子の生き方の手本に—教育者。これ信心継承も
未婚ひとり親支援進めた公明を高く評価—教授。生活者目線の政策さらに
☆きょう1月26日は「SGIの日」 池田先生が記念提言を発表
きょう26日の第45回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、SGI会長である池田大作先生は「人類共生の時代へ 建設の鼓動」と題する記念提言を発表した。
提言ではまず、気候変動の影響で異常気象による被害が各地で相次いでいる事態について言及。困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないための視座として、仏法の人間観や牧口常三郎初代会長の思想に触れながら、21世紀の国連に強く求められる役割は「弱者の側に立つ」ことにあると強調している。
その上で、危機感の共有だけでなく、建設的な行動を共に起こす重要性を指摘し、国連のSDGs(持続可能な開発目標)の達成期限である2030年に向けて、"気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年"の意義を込めた活動を各地で幅広く展開することを呼び掛けている。
続いて、広島と長崎への原爆投下から75年にあたる本年中に核兵器禁止条約を発効させることを強く訴えるとともに、禁止条約の第1回締約国会合の開催を受ける形で、「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を行うことを提案。
加えて、核拡散防止条約(NPT)の再検討会議で、「多国間の核軍縮交渉の開始」と「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を最終文書に盛り込むことを呼び掛けている。
また、「気候変動と防災」をテーマにした国連の「防災グローバル・プラットフォーム会合」を2022年に日本で行い、異常気象に伴う課題を集中的に討議することを提唱。
最後に、紛争や災害の影響で教育の機会を失った子どもたちへの支援を強化するために「教育のための国際連帯税」の創設を提案している。
第45回SGI提言� 世界各地で相次ぐ異常気象の被害
◇気候変動の問題に立ち向かうグローバルな連帯の拡大を
創価学会の創立90周年とSGI(創価学会インタナショナル)の発足45周年を記念し、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」を築くための提言を行いたいと思います。
最初に述べておきたいのは、年頭以来、緊張が続くアメリカとイランの対立を巡る情勢についてです。
両国の間で現在続けられている自制を今後も最大限に維持しながら、国際法の遵守と外交努力を通じて事態の悪化を何としても防ぐことを強く求めたい。そして、国連や他の国々による仲介も得ながら、緊張緩和への道を開いていくことを切に望むものです。
世界では今、異常気象による深刻な被害が相次いでいます。
昨年もヨーロッパやインドが記録的な熱波に見舞われたほか、各地で猛烈な台風や集中豪雨による水害が発生し、オーストラリアで起きた大規模な森林火災の被害は今も続いています。
このまま温暖化が進むとさらに被害が拡大するとの懸念が高まる中、昨年9月に国連で気候行動サミットが行われました。
国連加盟国の3分の1にあたる65カ国が、温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにするとの方針を表明しましたが、そうした挑戦を全地球的な規模に広げることが急務となっています。
気候変動は、単なる環境問題にとどまるものではありません。
地球上に生きるすべての人々と将来の世代への脅威という意味で、核兵器の問題と同様に"人類の命運を握る根本課題"にほかならないものです。
そして何より、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が強調するように、「私たちの時代を決定づける問題」(国連広報センターのウェブサイト)としての重みを持つものといえましょう。
実際、気候変動の影響は貧困や飢餓の根絶をはじめとする国連のSDGs(持続可能な開発目標)の取り組みを土台から崩しかねないものとなっています。
そこで焦点となるのは、負の連鎖に歯止めをかけることだけではありません。
気候変動の問題は、誰もが無縁ではないものであるがゆえに、問題の解決を図るための挑戦が、これまでにないグローバルな行動の連帯を生み出す触媒となる可能性があり、その成否に「私たちの時代を決定づける問題」の要諦があると訴えたいのです。
気候行動サミットと相前後して、若い世代を中心に時代変革を求める動きが広がったのに加えて、各国の自治体をはじめ、大学や企業が意欲的な取り組みを加速させようとしています。
国際社会を挙げて平均気温の上昇幅を1・5度以内に抑えることを目指す「パリ協定」(※注1)の本格運用も、今月から始まりました。
その推進を軸に気候変動の問題に立ち向かう連帯を広げる中で、SDGsのすべての分野を前進させるプラスの連鎖を巻き起こすことに、創設75周年を迎える国連の重要な使命もあるのではないでしょうか。
そこで今回は、グローバルな行動の連帯を強固に築くために必要となる視座について、三つの角度から論じたいと思います。
第45回SGI提言� 困難を抱える人々を置き去りにしない
多くの人命と尊厳を脅かす
温暖化と異常気象の被害
◇海面上昇の影響で水没の危機に直面
第一の柱は、困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないことです。
近年、災害の被害が拡大する中、大半は異常気象によるものとなっています。
日本でも昨年、台風15号や台風19号によって各地が猛烈な暴風雨に見舞われ、大規模な浸水被害や停電と断水による日常生活の寸断が起きましたが、気候変動の影響は先進国か途上国かを問わず広範囲に及んでいます。
その中で世界的な傾向として懸念されるのは、国連が留意を促しているように、その影響が、貧困に苦しむ人々や社会的に弱い立場にある人々をはじめ、女性や子どもと高齢者に強く出ていることです。
そうした人々にとって、異常気象の被害を避けることは難しく、生活の立て直しも容易ではないだけに、十分な支援を続けることが求められます。
また、気候変動が招く悲劇として深刻なのは、住み慣れた場所からの移動を余儀なくされる人々が増加していることです。
中でも憂慮されるのが、太平洋の島嶼国の人々が直面する危機です。
海面上昇による土地の水没が原因であるために、一時的な避難では終わらず、帰郷できなくなる可能性が高くなるからです。
私が創立した戸田記念国際平和研究所では、この太平洋の島嶼国における気候変動の影響に焦点を当てた研究プロジェクトを、2年前から進めてきました。
そこで特に浮き彫りになったのは、島嶼国で暮らす人々にとって「土地とのつながり」には特別な意味があり、その土地の喪失は自分自身の根源的なアイデンティティーを失うことに等しいという点でした。
他の島などに移住して"物理的な安全"が確保できたとしても、自分の島で暮らすことで得てきた"存在論的な安心感"は失われたままとなってしまう。ゆえに、気候変動の問題を考える際には、こうした抜きがたい痛みが生じていることを十分に踏まえなければならない——というのが、研究プロジェクトの重要なメッセージだったのです。
「土地とのつながり」を失う悲しみは、これまでも地震や津波のように避けることが難しい巨大災害によって、しばしば引き起こされてきたものでした。
それは、家族や知人を突然亡くした辛さとともに耐えがたいものであり、私も東日本大震災の翌年(2012年)に発表した提言で、その深い悲しみを社会で受け止めることが欠かせないと強調した点でもありました。
「樫の木を植えて、すぐその葉かげに憩おうとしてもそれは無理だ」(『人間の土地』堀口大學訳、『世界文学全集』77所収、講談社)との作家のサン=テグジュペリの含蓄のある言葉に寄せながら、自分の生きてきた証しが刻まれた場所や、日々の生活の息づかいが染みこんだ家を失うことの心痛は計り知れないものがある、と。
ともすれば気候変動に伴う被害を巡って、数字のデータで表されるような経済的損失の大きさに目が向けられがちですが、その陰で埋もれてきた"多くの人々が抱える痛み"への眼差しを、問題解決に向けた連帯の基軸に据えることが大切ではないでしょうか。
マクロ的な数値の陰で一人一人が直面している窮状が埋もれてしまう構造は、近年、エスカレートする貿易摩擦の問題においても当てはまるのではないかと思います。
自国の経済の回復を図るために、関税の引き上げや輸入制限などを行う政策は、「近隣窮乏化政策」と呼ばれます。しかし、グローバル化で相互依存が深まる世界において、その応酬が続くことは、「自国窮乏化」ともいうべき状態へと、知らず知らずに陥ってしまう危険性もあるのではないでしょうか。
実際、貿易摩擦の影響で多くの中小企業が業績悪化に陥ったり、雇用調整の圧力が強まって仕事を失う人々も出てきています。
貿易収支のような経済指標の改善は重要な課題だとしても、自国の人々を含め、多くの国で弱い立場にある人々に困難をもたらす状況が続くことは、世界中に不安を広げる結果を招くと思えてなりません。
昨年の国連総会でグテーレス事務総長も、深刻な脅威に直面する場所を訪れた時に出会った人々——南太平洋で海面上昇のために暮らしが押し流されることを心配する家族や、学校と家に戻ることを夢見る中東の若い難民、アフリカで生活の再建に苦労するエボラ出血熱の生存者などの姿を挙げながら、次のような警告を発していました。
「極めて多くの人々が、踏みつけられ、道をふさがれ、取り残されるのではないかという恐怖を感じています」(国連広報センターのウェブサイト)と。
私も同じ懸念を抱いており、グローバルな課題といっても、一人一人の生命と生活と尊厳が脅かされている状況にこそ、真っ先に目を向ける必要があると訴えたいのです。
◇牧口初代会長が警鐘を鳴らした他者を顧みない競争の弊害
『人生地理学』で提起された問題
気候変動も貿易摩擦も、経済と社会のあり方に深く関わる問題といえますが、この古くて新しい問題について考える時に思い起こされるのは、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が20世紀初頭に著した『人生地理学』で提起していた視点です。
牧口会長は、武力による戦争が「臨時的」に引き起こされるものであるのに対し、経済的競争は「平常的」に行われる特性があると指摘した上で、こう論じていました。
「彼(=武力による戦争)が遽然として惨劇の演ぜらるるが故に意識的に経過するに反して、此(=経済的競争)は徐々として緩慢に行わるるが故に無意識的に経過するにあり」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社。注<=>を補い、現代表記に改めた。以下同じ)
牧口会長が強調したかったのは、戦争の残酷さは明白な形で現れるために多くの人々に意識され、交渉や仲裁によって被害の拡大を食い止める余地が残されているが、経済的競争はそうではないという点です。
つまり、経済的競争は自然的な淘汰に半ば一任されるような形で無意識的に休むことなく続けられるために、社会における日常的な様相と化してしまう。そのために、人々を苦しめる状況や非人道的な事態が生じても往々にして見過ごされることになる、と。
当時、世界では帝国主義や植民地主義の嵐が吹き荒れ、他国の犠牲の上に自国の繁栄を追い求める風潮が広がっていました。
こうした風潮が当たり前のようになってしまえば、"ある程度の犠牲が生じてもやむを得ない"とか"一部で被害が出ても自分たちには関係がない"といった受け止めが社会に沈殿することになりかねない。
その結果、弱肉強食的な競争が歯止めなく進む恐れがあり、牧口会長は「終局の惨劇においては却って遙かに烈甚なるにあり」(同)と警鐘を鳴らしましたが、その危険性は、当時とは比べものにならないほどグローバル化が進んだ21世紀の世界において、格段に増しているのではないでしょうか。
もとより牧口会長は、社会の営みにおける競争の価値そのものは否定しておらず、切磋琢磨があってこそ新しい活力や創造性は豊かに育まれると考えていました。あくまで問題視したのは、世界を生存競争の場としか見ずに、自分たちだけで生きているかのような感覚で振る舞い続け、その結果に無頓着でいることだったのです。
◇「共同生活」を意識的に行う
牧口会長の思想の基盤には、世界は「共同生活」の舞台にほかならないとの認識がありました。
その世界観の核となった実感を、牧口会長は『人生地理学』の緒論で、自らの経験を通して、こう述べています。
——子どもが生まれて母乳が得られなかった時、粗悪な脱脂粉乳に悩まされたが、医師の薦めでスイス産の乳製品にたどりつくことができ、ことなきを得た。スイスのジュラ山麓で働く牧童に感謝する思いだった。また、乳児が着ている綿着を見ると、インドで綿花栽培のために炎天下で働く人の姿が思い浮かぶ。
平凡な一人の乳児も、その命は生まれた時から世界につながっていたのだ——と。(趣意。同全集第1巻)
出会ったこともない世界の人々への尽きせぬ感謝の思いが示すように、牧口会長は「共同生活」という言葉を世界のあるべき姿としてではなく、見落とされがちな世界の現実(実相)として位置付けていました。
世界は本来、多くの人々の営みが重なり合い、影響を与え合う中で成り立っているにもかかわらず、その実相が見失われる形で競争が続けられることになれば、深刻な脅威や社会で生じた歪みの中で苦しんでいる人々の存在が目に映らなくなってしまう。
だからこそ、「共同生活」を意識的に行うことが重要となるのであり、「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」(同全集第2巻)生き方を社会の基調にする必要があるというのが、牧口会長の主張の眼目だったのです。
経済発展と温暖化防止についても両立の余地がないわけではないと思います。
2014年からの3年間は世界経済の成長率が3%を超えていたものの、温室効果ガスである二酸化炭素の排出量は、ほぼ横ばいの状態が続きました。
その後、残念ながら排出量は再び増加に転じましたが、再生可能エネルギーの導入やエネルギー効率の改善のような「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」方法を意欲的に選び取る中で、経済と社会の新しいあり方を追求していくべきではないでしょうか。
私は、この「共同生活」を意識的に行う上での土台となるのは、深刻な脅威にさらされているのは自分たちと変わらない人々であるとの認識を持つことだと考えます。
この点、経済的競争と深く関わる貧困の問題について、マクロ的な視座からではなく、人々の置かれた状況を踏まえて実証的な研究を進めてきた経済学者に、マサチューセッツ工科大学のアビジット・バナジー教授とエスター・デュフロ教授がいます。
両教授は、ハーバード大学のマイケル・クレマー教授と共に昨年のノーベル経済学賞を受賞しており、『貧乏人の経済学』(山形浩生訳、みすず書房)と題する著作の中で、次のような点を強調していました。
世界の最貧困層と呼ばれる人々も、「ほとんどあらゆる点でわたしたちみんなと何も変わらない」のであり、他の人々と比べて合理性の面で劣るわけではない、と。
一方で豊かな国の人々は、安全な水や医療のような「眼に見えないあと押し」に囲まれて生活しているのに、「ただそれがシステムにしっかり埋めこまれているため、気がついていないだけ」であると指摘しました。
また、貧しい人々の状況について「そうでない人よりもリスクの多い暮らしを送るにとどまりません。同じ規模の不運でも、受ける被害はずっと大きいのです」と述べ、人々を紋切り型で判断せず、置かれた状況に目を向ける必要があると訴えていたのです。
苦悩に沈む人を一人のままにしない釈尊が貫いた「同苦」の精神
◇不幸の淵から共に立ち上がる
人々と向き合うにあたって、階層や集団などの社会的なカテゴリーにとらわれず、今どのような状態にあるのかを最優先して見つめる眼差しは、私どもが信奉する仏法においても強調されていたものでした。
釈尊の言葉に、「身を禀けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間のあいだではこの区別は存在しない。人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)とあります。
その趣旨は、人間には本来、区別はないのに、社会でつくられた分類に応じて名前が付けられてきたのにすぎないことを、浮き彫りにする点にありました。
実際、釈尊は重い病気を患った人に対して、自ら看病したり、励ましの言葉をかけていましたが、そこには相手の社会的立場の区別はなかった。
その対象は、通りがかった場所で目にした修行僧から、かつて釈尊の命を狙ったことのある阿闍世王までさまざまでした。
しかし、そこには共通点がありました。修行僧が仲間たちから見放されて一人で病床に臥せっていたのと同じように、阿闍世王も深刻な難病にかかって誰も近づかないような状態に陥っていたからです。
釈尊は修行僧に対し、汚れていた体を洗い、新しい衣類を用意して着替えさせました。
また阿闍世王に対して、釈尊は自身が余命いくばくもないことを感じていたにもかかわらず、あえて阿闍世王と会う時間をつくり、法を説くことで病状の回復を後押ししたのです。
私はこうした釈尊の振る舞いに、"苦しんでいる人を決して一人のままにしない""困難を一人で抱えたままの状態にしない"という、仏法の「同苦」の精神の源流を見る思いがしてなりません。
仏法の視座から見れば、「弱者」という存在も初めからあるのではなく、社会でつくられ、固定化されてしまうものにすぎない。
たとえ、「弱者」と呼ばれる状態に陥ったとしても、困難を分かち合う人々の輪が広がれば、状況を好転させる道を開くことができる。同じ貧困や病気に直面しても、周囲の支えがあることで生の実感は大きく変わるというのが、仏法の思想の核をなしています。
牧口会長の言う「共同生活」を意識的に行う生き方も、困難を抱えた人々を置き去りにしないことが基盤になると思うのです。
◇国連の使命は「弱者の側に立つ」中に
2008年に世界を激震させた金融危機が起きた時、国連で事務次長などを歴任したアンワルル・チョウドリ氏との対談で焦点となったのも、経済的に厳しい状況にある国々や、社会的に弱い立場にある人々への支援を最優先にすることの重要性でした。
その際、チョウドリ氏は、気候変動をはじめ、金融の極端な逼迫や商品価格の急激な変動といった外的ショックを緩和するためのグローバルなセーフティーネット(安全網)を設ける必要性を訴えていました。
私もまったく同感であり、21世紀の国連に強く求められる役割は「弱者の側に立つ」ことにあるとの点で意見が一致したのです。
チョウドリ氏は、国連で2001年に新設された「後発開発途上国ならびに内陸開発途上国、小島嶼開発途上国のための高等代表事務所」で初代の高等代表に就任し、国際社会から置き去りにされがちだった国の人々のために行動してきた経験を持つ方でした。
その氏が、「一番嬉しかったのは、最も弱い立場にある国々の状況が大きく改善したことを知るときでした」(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)と述懐されていたことに、私は深い感銘と共感を覚えました。
なぜなら、創価学会も草創期に"貧乏人と病人の集まり"と揶揄されてきた歴史があり、社会から見捨てられてきた名もなき人々が互いに励まし合い、不幸の淵から共に立ち上がってきたという出自を、何よりの誉れとしてきたからです。
どれだけ冷笑されても、「私は、やるべきことをやっていきます。それは、貧乏人と病人、悩み苦しんでいる人々を救うことです。そのために、声を大にして叫ぶのです」(『戸田城聖全集』第4巻)と信念の行動を貫いたのが、牧口初代会長と共に創価学会の民衆運動を立ち上げた戸田城聖第2代会長でした。
◇ハマーショルドが第九に託した思い
その戸田会長が熱願としていたのが、地球上から"悲惨"の二字をなくすことでした。それは、第2次世界大戦で多くの国の民衆が戦火に見舞われ、塗炭の苦しみを味わった悲劇を繰り返してはならないとの思いに発したものでした。
それだけに、二度に及んだ世界大戦の痛切な反省に基づいて創設された国連に限りない期待を寄せ、"世界の希望の砦"として守り育てていかねばならないと訴えていたのです。
私が60年前に第3代会長に就任した時、世界平和への行動を本格的に開始するにあたって、最初の一歩としてアメリカに向かい、国連本部に足を運んだのも、師の思いを受け継いでのことにほかなりません。
以来、私どもは国連に対する支援を社会的な活動の大きな柱に据えて、志を同じくする人々や多くのNGO(非政府組織)との連帯を強めながら、地球的な課題の解決を前進させるための行動を続けてきました。
国連の歴史を繙くと、私が1960年にニューヨークを訪れた直後の国連デー(10月24日)に、当時のダグ・ハマーショルド事務総長の提案で、ベートーベンの交響曲第九番の全楽章の演奏が国連本部で行われたことが記されています。
それまで国連で"第九"が演奏される時は最後の第四楽章のみの演奏が恒例となっていましたが、国連デーの15周年を記念して、全楽章を通しての演奏が行われたのです。
席上、ハマーショルド事務総長は次のようにスピーチしました。
「交響曲第九番が始まると、我々は激しい対立と陰鬱な脅威に満ちたドラマに入っていく。しかしベートーベンは我々をその先へと誘い、第四楽章の冒頭で我々は、最終盤における統合に向けた橋渡しとして、さまざまな主題が繰り返されるのを再び耳にする」と。
その上で、楽曲の展開を人類の歴史になぞらえつつ、「最初の三つの楽章の後に、いつの日か、第四楽章が続いて現れることになるとの信念を、我々は決して失うことはないだろう」との希望を述べたのです。
ハマーショルド事務総長のこの信条は、牧口会長が『人生地理学』で示していた時代展望と響き合うものでもありました。
20世紀の初頭に牧口会長が危惧を呈していた、多くの人々の犠牲の上に自らの安全と繁栄を追い求めるような「軍事的競争」や「政治的競争」や「経済的競争」は、残念ながら今なお世界から消え去ってはいません。しかし"第九"の第四楽章での合唱が「おお友よ、こんな調べではなく!」と始まるように、従来の競争のあり方を転換させるアプローチを生み出すことが必ずできるはずです。
牧口会長はその骨格を、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」(前掲『牧口常三郎全集』第2巻)との理念に基づく人道的競争として提起していましたが、気候変動の問題に立ち向かうグローバルな行動の連帯を広げることで、人類史の新たな地平を開くパラダイムシフト(基本軸の転換)を推し進めるべきであると、私は強く呼び掛けたいのです。
そして、その挑戦の主旋律となるのが、「困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしない」との思いではないでしょうか。
その主旋律をあらゆる場所で力強く響かせていく中でこそ、気候変動という未曽有の危機も、時代の潮流を転換させるチャンスに変えることができるに違いないと信じるのです。
広布伸展の原動力だ。
地道な訪問・激励で
友の話をじっくり聞く
抜苦与楽の実践を!
守護国家論 P71
『夫れ三悪の生を受くること大地微塵より多く人間の生を受くるは爪上の土より少し、乃至四十余年の諸経に値うことは大地微塵よりも多く法華涅槃に値うことは爪上の土より少し』
【通解】
そもそも三悪道の身に生まれることは大地の微小な塵よりも多く、人間の身として生まれることは爪の上の土よりも少ない。更に四十余年の爾前の諸経にあうことは大地の微小な塵よりも多く、法華経・涅槃経にあうことは爪の上の土よりも少ないのである。
名字の言 やっぱり苦労はしたもん勝ち——沖永良部島の広布の母の言葉 2020年1月30日
「この人の語らいは、まさに芸術」と評判の婦人が、鹿児島県の沖永良部島で活躍している。入会61年目。125世帯に弘教を実らせた"対話の名手"である▼実は生来の口べた。だから、とことん相手の話を聞いた。いつしか"心の声"まで感じられるようになったという。交通事故で顔に傷を負った時は「この傷は笑顔じわよ」と明るさに磨きをかけた。夫を病気で失ったが、「悩んでいる人に一層、同苦できるようになれた」と励ましの対話を続けた▼旧習の壁にぶつかるなど、言葉にできないつらさも、ずいぶん味わった。そのたびに負けずに頑張り抜いたゆえか、人柄に芯の強さ、朗らかさがにじむ。人生は平たんな道を歩むより、苦難の山坂に挑んだ方が、どれほど豊かなものになるか。深く考えさせられた▼山本周五郎の小説『虚空遍歴』にこうある。「芸というものは……あらゆる障害、圧迫、非難、嘲笑をあびせられて、それらを突き抜け、押しやぶり、たたかいながら育つものだ」。人生万般に通じるだろう▼先の婦人に若い世代への助言を求めると、「やっぱり苦労はしたもん勝ち。だって人を励ます"心の引き出し"が増えるでしょ」と。こうした宝の先輩が広布の庭にはたくさんいる。ありがたくもあり、誇らしくも思う。(誠)
寸鉄 2020年1月30日
会長の著作には困難乗り越える幸福の方程式が—元大臣。人生凱歌の源泉
御書「此の経を信ずる者は宿縁多幸なり」。偉大な妙法に出合った喜び胸に
一人立つ時にのみ、人は勝利を手にする—哲人。自分から拡大の波起こせ
夫婦で力を合わせ歩む姿が子の生き方の手本に—教育者。これ信心継承も
未婚ひとり親支援進めた公明を高く評価—教授。生活者目線の政策さらに
☆きょう1月26日は「SGIの日」 池田先生が記念提言を発表
きょう26日の第45回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、SGI会長である池田大作先生は「人類共生の時代へ 建設の鼓動」と題する記念提言を発表した。
提言ではまず、気候変動の影響で異常気象による被害が各地で相次いでいる事態について言及。困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないための視座として、仏法の人間観や牧口常三郎初代会長の思想に触れながら、21世紀の国連に強く求められる役割は「弱者の側に立つ」ことにあると強調している。
その上で、危機感の共有だけでなく、建設的な行動を共に起こす重要性を指摘し、国連のSDGs(持続可能な開発目標)の達成期限である2030年に向けて、"気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年"の意義を込めた活動を各地で幅広く展開することを呼び掛けている。
続いて、広島と長崎への原爆投下から75年にあたる本年中に核兵器禁止条約を発効させることを強く訴えるとともに、禁止条約の第1回締約国会合の開催を受ける形で、「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を行うことを提案。
加えて、核拡散防止条約(NPT)の再検討会議で、「多国間の核軍縮交渉の開始」と「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を最終文書に盛り込むことを呼び掛けている。
また、「気候変動と防災」をテーマにした国連の「防災グローバル・プラットフォーム会合」を2022年に日本で行い、異常気象に伴う課題を集中的に討議することを提唱。
最後に、紛争や災害の影響で教育の機会を失った子どもたちへの支援を強化するために「教育のための国際連帯税」の創設を提案している。
第45回SGI提言� 世界各地で相次ぐ異常気象の被害
◇気候変動の問題に立ち向かうグローバルな連帯の拡大を
創価学会の創立90周年とSGI(創価学会インタナショナル)の発足45周年を記念し、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」を築くための提言を行いたいと思います。
最初に述べておきたいのは、年頭以来、緊張が続くアメリカとイランの対立を巡る情勢についてです。
両国の間で現在続けられている自制を今後も最大限に維持しながら、国際法の遵守と外交努力を通じて事態の悪化を何としても防ぐことを強く求めたい。そして、国連や他の国々による仲介も得ながら、緊張緩和への道を開いていくことを切に望むものです。
世界では今、異常気象による深刻な被害が相次いでいます。
昨年もヨーロッパやインドが記録的な熱波に見舞われたほか、各地で猛烈な台風や集中豪雨による水害が発生し、オーストラリアで起きた大規模な森林火災の被害は今も続いています。
このまま温暖化が進むとさらに被害が拡大するとの懸念が高まる中、昨年9月に国連で気候行動サミットが行われました。
国連加盟国の3分の1にあたる65カ国が、温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにするとの方針を表明しましたが、そうした挑戦を全地球的な規模に広げることが急務となっています。
気候変動は、単なる環境問題にとどまるものではありません。
地球上に生きるすべての人々と将来の世代への脅威という意味で、核兵器の問題と同様に"人類の命運を握る根本課題"にほかならないものです。
そして何より、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が強調するように、「私たちの時代を決定づける問題」(国連広報センターのウェブサイト)としての重みを持つものといえましょう。
実際、気候変動の影響は貧困や飢餓の根絶をはじめとする国連のSDGs(持続可能な開発目標)の取り組みを土台から崩しかねないものとなっています。
そこで焦点となるのは、負の連鎖に歯止めをかけることだけではありません。
気候変動の問題は、誰もが無縁ではないものであるがゆえに、問題の解決を図るための挑戦が、これまでにないグローバルな行動の連帯を生み出す触媒となる可能性があり、その成否に「私たちの時代を決定づける問題」の要諦があると訴えたいのです。
気候行動サミットと相前後して、若い世代を中心に時代変革を求める動きが広がったのに加えて、各国の自治体をはじめ、大学や企業が意欲的な取り組みを加速させようとしています。
国際社会を挙げて平均気温の上昇幅を1・5度以内に抑えることを目指す「パリ協定」(※注1)の本格運用も、今月から始まりました。
その推進を軸に気候変動の問題に立ち向かう連帯を広げる中で、SDGsのすべての分野を前進させるプラスの連鎖を巻き起こすことに、創設75周年を迎える国連の重要な使命もあるのではないでしょうか。
そこで今回は、グローバルな行動の連帯を強固に築くために必要となる視座について、三つの角度から論じたいと思います。
第45回SGI提言� 困難を抱える人々を置き去りにしない
多くの人命と尊厳を脅かす
温暖化と異常気象の被害
◇海面上昇の影響で水没の危機に直面
第一の柱は、困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしないことです。
近年、災害の被害が拡大する中、大半は異常気象によるものとなっています。
日本でも昨年、台風15号や台風19号によって各地が猛烈な暴風雨に見舞われ、大規模な浸水被害や停電と断水による日常生活の寸断が起きましたが、気候変動の影響は先進国か途上国かを問わず広範囲に及んでいます。
その中で世界的な傾向として懸念されるのは、国連が留意を促しているように、その影響が、貧困に苦しむ人々や社会的に弱い立場にある人々をはじめ、女性や子どもと高齢者に強く出ていることです。
そうした人々にとって、異常気象の被害を避けることは難しく、生活の立て直しも容易ではないだけに、十分な支援を続けることが求められます。
また、気候変動が招く悲劇として深刻なのは、住み慣れた場所からの移動を余儀なくされる人々が増加していることです。
中でも憂慮されるのが、太平洋の島嶼国の人々が直面する危機です。
海面上昇による土地の水没が原因であるために、一時的な避難では終わらず、帰郷できなくなる可能性が高くなるからです。
私が創立した戸田記念国際平和研究所では、この太平洋の島嶼国における気候変動の影響に焦点を当てた研究プロジェクトを、2年前から進めてきました。
そこで特に浮き彫りになったのは、島嶼国で暮らす人々にとって「土地とのつながり」には特別な意味があり、その土地の喪失は自分自身の根源的なアイデンティティーを失うことに等しいという点でした。
他の島などに移住して"物理的な安全"が確保できたとしても、自分の島で暮らすことで得てきた"存在論的な安心感"は失われたままとなってしまう。ゆえに、気候変動の問題を考える際には、こうした抜きがたい痛みが生じていることを十分に踏まえなければならない——というのが、研究プロジェクトの重要なメッセージだったのです。
「土地とのつながり」を失う悲しみは、これまでも地震や津波のように避けることが難しい巨大災害によって、しばしば引き起こされてきたものでした。
それは、家族や知人を突然亡くした辛さとともに耐えがたいものであり、私も東日本大震災の翌年(2012年)に発表した提言で、その深い悲しみを社会で受け止めることが欠かせないと強調した点でもありました。
「樫の木を植えて、すぐその葉かげに憩おうとしてもそれは無理だ」(『人間の土地』堀口大學訳、『世界文学全集』77所収、講談社)との作家のサン=テグジュペリの含蓄のある言葉に寄せながら、自分の生きてきた証しが刻まれた場所や、日々の生活の息づかいが染みこんだ家を失うことの心痛は計り知れないものがある、と。
ともすれば気候変動に伴う被害を巡って、数字のデータで表されるような経済的損失の大きさに目が向けられがちですが、その陰で埋もれてきた"多くの人々が抱える痛み"への眼差しを、問題解決に向けた連帯の基軸に据えることが大切ではないでしょうか。
マクロ的な数値の陰で一人一人が直面している窮状が埋もれてしまう構造は、近年、エスカレートする貿易摩擦の問題においても当てはまるのではないかと思います。
自国の経済の回復を図るために、関税の引き上げや輸入制限などを行う政策は、「近隣窮乏化政策」と呼ばれます。しかし、グローバル化で相互依存が深まる世界において、その応酬が続くことは、「自国窮乏化」ともいうべき状態へと、知らず知らずに陥ってしまう危険性もあるのではないでしょうか。
実際、貿易摩擦の影響で多くの中小企業が業績悪化に陥ったり、雇用調整の圧力が強まって仕事を失う人々も出てきています。
貿易収支のような経済指標の改善は重要な課題だとしても、自国の人々を含め、多くの国で弱い立場にある人々に困難をもたらす状況が続くことは、世界中に不安を広げる結果を招くと思えてなりません。
昨年の国連総会でグテーレス事務総長も、深刻な脅威に直面する場所を訪れた時に出会った人々——南太平洋で海面上昇のために暮らしが押し流されることを心配する家族や、学校と家に戻ることを夢見る中東の若い難民、アフリカで生活の再建に苦労するエボラ出血熱の生存者などの姿を挙げながら、次のような警告を発していました。
「極めて多くの人々が、踏みつけられ、道をふさがれ、取り残されるのではないかという恐怖を感じています」(国連広報センターのウェブサイト)と。
私も同じ懸念を抱いており、グローバルな課題といっても、一人一人の生命と生活と尊厳が脅かされている状況にこそ、真っ先に目を向ける必要があると訴えたいのです。
◇牧口初代会長が警鐘を鳴らした他者を顧みない競争の弊害
『人生地理学』で提起された問題
気候変動も貿易摩擦も、経済と社会のあり方に深く関わる問題といえますが、この古くて新しい問題について考える時に思い起こされるのは、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が20世紀初頭に著した『人生地理学』で提起していた視点です。
牧口会長は、武力による戦争が「臨時的」に引き起こされるものであるのに対し、経済的競争は「平常的」に行われる特性があると指摘した上で、こう論じていました。
「彼(=武力による戦争)が遽然として惨劇の演ぜらるるが故に意識的に経過するに反して、此(=経済的競争)は徐々として緩慢に行わるるが故に無意識的に経過するにあり」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社。注<=>を補い、現代表記に改めた。以下同じ)
牧口会長が強調したかったのは、戦争の残酷さは明白な形で現れるために多くの人々に意識され、交渉や仲裁によって被害の拡大を食い止める余地が残されているが、経済的競争はそうではないという点です。
つまり、経済的競争は自然的な淘汰に半ば一任されるような形で無意識的に休むことなく続けられるために、社会における日常的な様相と化してしまう。そのために、人々を苦しめる状況や非人道的な事態が生じても往々にして見過ごされることになる、と。
当時、世界では帝国主義や植民地主義の嵐が吹き荒れ、他国の犠牲の上に自国の繁栄を追い求める風潮が広がっていました。
こうした風潮が当たり前のようになってしまえば、"ある程度の犠牲が生じてもやむを得ない"とか"一部で被害が出ても自分たちには関係がない"といった受け止めが社会に沈殿することになりかねない。
その結果、弱肉強食的な競争が歯止めなく進む恐れがあり、牧口会長は「終局の惨劇においては却って遙かに烈甚なるにあり」(同)と警鐘を鳴らしましたが、その危険性は、当時とは比べものにならないほどグローバル化が進んだ21世紀の世界において、格段に増しているのではないでしょうか。
もとより牧口会長は、社会の営みにおける競争の価値そのものは否定しておらず、切磋琢磨があってこそ新しい活力や創造性は豊かに育まれると考えていました。あくまで問題視したのは、世界を生存競争の場としか見ずに、自分たちだけで生きているかのような感覚で振る舞い続け、その結果に無頓着でいることだったのです。
◇「共同生活」を意識的に行う
牧口会長の思想の基盤には、世界は「共同生活」の舞台にほかならないとの認識がありました。
その世界観の核となった実感を、牧口会長は『人生地理学』の緒論で、自らの経験を通して、こう述べています。
——子どもが生まれて母乳が得られなかった時、粗悪な脱脂粉乳に悩まされたが、医師の薦めでスイス産の乳製品にたどりつくことができ、ことなきを得た。スイスのジュラ山麓で働く牧童に感謝する思いだった。また、乳児が着ている綿着を見ると、インドで綿花栽培のために炎天下で働く人の姿が思い浮かぶ。
平凡な一人の乳児も、その命は生まれた時から世界につながっていたのだ——と。(趣意。同全集第1巻)
出会ったこともない世界の人々への尽きせぬ感謝の思いが示すように、牧口会長は「共同生活」という言葉を世界のあるべき姿としてではなく、見落とされがちな世界の現実(実相)として位置付けていました。
世界は本来、多くの人々の営みが重なり合い、影響を与え合う中で成り立っているにもかかわらず、その実相が見失われる形で競争が続けられることになれば、深刻な脅威や社会で生じた歪みの中で苦しんでいる人々の存在が目に映らなくなってしまう。
だからこそ、「共同生活」を意識的に行うことが重要となるのであり、「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」(同全集第2巻)生き方を社会の基調にする必要があるというのが、牧口会長の主張の眼目だったのです。
経済発展と温暖化防止についても両立の余地がないわけではないと思います。
2014年からの3年間は世界経済の成長率が3%を超えていたものの、温室効果ガスである二酸化炭素の排出量は、ほぼ横ばいの状態が続きました。
その後、残念ながら排出量は再び増加に転じましたが、再生可能エネルギーの導入やエネルギー効率の改善のような「自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとする」方法を意欲的に選び取る中で、経済と社会の新しいあり方を追求していくべきではないでしょうか。
私は、この「共同生活」を意識的に行う上での土台となるのは、深刻な脅威にさらされているのは自分たちと変わらない人々であるとの認識を持つことだと考えます。
この点、経済的競争と深く関わる貧困の問題について、マクロ的な視座からではなく、人々の置かれた状況を踏まえて実証的な研究を進めてきた経済学者に、マサチューセッツ工科大学のアビジット・バナジー教授とエスター・デュフロ教授がいます。
両教授は、ハーバード大学のマイケル・クレマー教授と共に昨年のノーベル経済学賞を受賞しており、『貧乏人の経済学』(山形浩生訳、みすず書房)と題する著作の中で、次のような点を強調していました。
世界の最貧困層と呼ばれる人々も、「ほとんどあらゆる点でわたしたちみんなと何も変わらない」のであり、他の人々と比べて合理性の面で劣るわけではない、と。
一方で豊かな国の人々は、安全な水や医療のような「眼に見えないあと押し」に囲まれて生活しているのに、「ただそれがシステムにしっかり埋めこまれているため、気がついていないだけ」であると指摘しました。
また、貧しい人々の状況について「そうでない人よりもリスクの多い暮らしを送るにとどまりません。同じ規模の不運でも、受ける被害はずっと大きいのです」と述べ、人々を紋切り型で判断せず、置かれた状況に目を向ける必要があると訴えていたのです。
苦悩に沈む人を一人のままにしない釈尊が貫いた「同苦」の精神
◇不幸の淵から共に立ち上がる
人々と向き合うにあたって、階層や集団などの社会的なカテゴリーにとらわれず、今どのような状態にあるのかを最優先して見つめる眼差しは、私どもが信奉する仏法においても強調されていたものでした。
釈尊の言葉に、「身を禀けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間のあいだではこの区別は存在しない。人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)とあります。
その趣旨は、人間には本来、区別はないのに、社会でつくられた分類に応じて名前が付けられてきたのにすぎないことを、浮き彫りにする点にありました。
実際、釈尊は重い病気を患った人に対して、自ら看病したり、励ましの言葉をかけていましたが、そこには相手の社会的立場の区別はなかった。
その対象は、通りがかった場所で目にした修行僧から、かつて釈尊の命を狙ったことのある阿闍世王までさまざまでした。
しかし、そこには共通点がありました。修行僧が仲間たちから見放されて一人で病床に臥せっていたのと同じように、阿闍世王も深刻な難病にかかって誰も近づかないような状態に陥っていたからです。
釈尊は修行僧に対し、汚れていた体を洗い、新しい衣類を用意して着替えさせました。
また阿闍世王に対して、釈尊は自身が余命いくばくもないことを感じていたにもかかわらず、あえて阿闍世王と会う時間をつくり、法を説くことで病状の回復を後押ししたのです。
私はこうした釈尊の振る舞いに、"苦しんでいる人を決して一人のままにしない""困難を一人で抱えたままの状態にしない"という、仏法の「同苦」の精神の源流を見る思いがしてなりません。
仏法の視座から見れば、「弱者」という存在も初めからあるのではなく、社会でつくられ、固定化されてしまうものにすぎない。
たとえ、「弱者」と呼ばれる状態に陥ったとしても、困難を分かち合う人々の輪が広がれば、状況を好転させる道を開くことができる。同じ貧困や病気に直面しても、周囲の支えがあることで生の実感は大きく変わるというのが、仏法の思想の核をなしています。
牧口会長の言う「共同生活」を意識的に行う生き方も、困難を抱えた人々を置き去りにしないことが基盤になると思うのです。
◇国連の使命は「弱者の側に立つ」中に
2008年に世界を激震させた金融危機が起きた時、国連で事務次長などを歴任したアンワルル・チョウドリ氏との対談で焦点となったのも、経済的に厳しい状況にある国々や、社会的に弱い立場にある人々への支援を最優先にすることの重要性でした。
その際、チョウドリ氏は、気候変動をはじめ、金融の極端な逼迫や商品価格の急激な変動といった外的ショックを緩和するためのグローバルなセーフティーネット(安全網)を設ける必要性を訴えていました。
私もまったく同感であり、21世紀の国連に強く求められる役割は「弱者の側に立つ」ことにあるとの点で意見が一致したのです。
チョウドリ氏は、国連で2001年に新設された「後発開発途上国ならびに内陸開発途上国、小島嶼開発途上国のための高等代表事務所」で初代の高等代表に就任し、国際社会から置き去りにされがちだった国の人々のために行動してきた経験を持つ方でした。
その氏が、「一番嬉しかったのは、最も弱い立場にある国々の状況が大きく改善したことを知るときでした」(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)と述懐されていたことに、私は深い感銘と共感を覚えました。
なぜなら、創価学会も草創期に"貧乏人と病人の集まり"と揶揄されてきた歴史があり、社会から見捨てられてきた名もなき人々が互いに励まし合い、不幸の淵から共に立ち上がってきたという出自を、何よりの誉れとしてきたからです。
どれだけ冷笑されても、「私は、やるべきことをやっていきます。それは、貧乏人と病人、悩み苦しんでいる人々を救うことです。そのために、声を大にして叫ぶのです」(『戸田城聖全集』第4巻)と信念の行動を貫いたのが、牧口初代会長と共に創価学会の民衆運動を立ち上げた戸田城聖第2代会長でした。
◇ハマーショルドが第九に託した思い
その戸田会長が熱願としていたのが、地球上から"悲惨"の二字をなくすことでした。それは、第2次世界大戦で多くの国の民衆が戦火に見舞われ、塗炭の苦しみを味わった悲劇を繰り返してはならないとの思いに発したものでした。
それだけに、二度に及んだ世界大戦の痛切な反省に基づいて創設された国連に限りない期待を寄せ、"世界の希望の砦"として守り育てていかねばならないと訴えていたのです。
私が60年前に第3代会長に就任した時、世界平和への行動を本格的に開始するにあたって、最初の一歩としてアメリカに向かい、国連本部に足を運んだのも、師の思いを受け継いでのことにほかなりません。
以来、私どもは国連に対する支援を社会的な活動の大きな柱に据えて、志を同じくする人々や多くのNGO(非政府組織)との連帯を強めながら、地球的な課題の解決を前進させるための行動を続けてきました。
国連の歴史を繙くと、私が1960年にニューヨークを訪れた直後の国連デー(10月24日)に、当時のダグ・ハマーショルド事務総長の提案で、ベートーベンの交響曲第九番の全楽章の演奏が国連本部で行われたことが記されています。
それまで国連で"第九"が演奏される時は最後の第四楽章のみの演奏が恒例となっていましたが、国連デーの15周年を記念して、全楽章を通しての演奏が行われたのです。
席上、ハマーショルド事務総長は次のようにスピーチしました。
「交響曲第九番が始まると、我々は激しい対立と陰鬱な脅威に満ちたドラマに入っていく。しかしベートーベンは我々をその先へと誘い、第四楽章の冒頭で我々は、最終盤における統合に向けた橋渡しとして、さまざまな主題が繰り返されるのを再び耳にする」と。
その上で、楽曲の展開を人類の歴史になぞらえつつ、「最初の三つの楽章の後に、いつの日か、第四楽章が続いて現れることになるとの信念を、我々は決して失うことはないだろう」との希望を述べたのです。
ハマーショルド事務総長のこの信条は、牧口会長が『人生地理学』で示していた時代展望と響き合うものでもありました。
20世紀の初頭に牧口会長が危惧を呈していた、多くの人々の犠牲の上に自らの安全と繁栄を追い求めるような「軍事的競争」や「政治的競争」や「経済的競争」は、残念ながら今なお世界から消え去ってはいません。しかし"第九"の第四楽章での合唱が「おお友よ、こんな調べではなく!」と始まるように、従来の競争のあり方を転換させるアプローチを生み出すことが必ずできるはずです。
牧口会長はその骨格を、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」(前掲『牧口常三郎全集』第2巻)との理念に基づく人道的競争として提起していましたが、気候変動の問題に立ち向かうグローバルな行動の連帯を広げることで、人類史の新たな地平を開くパラダイムシフト(基本軸の転換)を推し進めるべきであると、私は強く呼び掛けたいのです。
そして、その挑戦の主旋律となるのが、「困難な状況に陥った人々を誰も置き去りにしない」との思いではないでしょうか。
その主旋律をあらゆる場所で力強く響かせていく中でこそ、気候変動という未曽有の危機も、時代の潮流を転換させるチャンスに変えることができるに違いないと信じるのです。
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