2019年6月25日火曜日

2019.06.25 わが友に贈る

正義の四国の同志よ
広宣流布の「志」は
志国に燦然と輝けり!
今再び栄光の暁鐘を
高らかに打ち鳴らそう!

一念三千法門 P416
『法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し、譬えば春夏田を作るに早晩あれども一年の中には必ず之を納む、法華の行者も上中下根あれども必ず一生の中に証得す』

【通解】
法華経の行者は如説修行するならば、必ず一生のうちに一人も残らず成仏することができる。
例えば、春、夏に田を作るのに、早稲・晩稲の違いがあっても、一年のうちには必ず収穫するようなものである。
法華経の行者も上根・中根・下根があっても必ず一生のうちに証得する。

〈寸鉄〉 2019年6月25日
自分が託された舞台で日本一を目指せ—戸田先生青年よ限界に挑み歴史を
旭日の千葉が総力の攻勢師子となって走り抜け!民衆勝利の万歳を共々に
新潟・長野頑張れ。今こそ励ましと希望の対話を拡大!人間共和の建設必ず
団地部の日。地域貢献の先駆者が本領発揮。共生新時代の模範を断固頼む
ゲームを始める年齢が早い程、思春期の依存傾向高いと。大人が自覚深く

☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「誓願の人生」 2019年6月18日
◇広布の大願に立てば勇気・智慧・力が湧く
師弟の誓願に生きる人は晴れやかです。自身の小さな願いにとらわれていては、せっかく持っている生命の底力を発揮させないままで終わってしまいます。自分自身の可能性を開き、人生に意味を与えるカギこそ誓願です。池田先生はつづっています。「広宣流布こそ、御本仏の誓願である。この仏と同じ誓願に立って、祈り、行動する時、わが生命に『仏の勇気』『仏の智慧』『仏の力』が無限に湧いてくる。これこそが、不可能を可能にする源泉だ。これほど価値ある誇り高い生き方はない」(『勝利の人間学』)。広布の誓願という地涌の使命に目覚め、人間革命の自分史をつづりゆこう。

◇師弟といっても弟子で決まる
●御文
『よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』(華果成就御書、900ページ)

●通解
良い弟子をもつならば、師弟は共に成仏し、悪い弟子を養うならば、師弟は共に地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば、何事も成就することはできない。

師と弟子が誓願を同じくして戦うからこそ、不可能を可能にし、大願も成就することができるのです。
本抄は、弘安元年(1278年)4月、日蓮大聖人が57歳の時、身延で著され、清澄寺で修学された時の兄弟子で、後に門下となった浄顕房と義浄房に与えられました。
本抄で"妙法を弘通する功徳が、必ず師匠にかえっていく"と仰せです。師弟は弟子で決まるのです。
例えば、「開目抄」の有名な一節、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)は、「よき弟子」との共戦勝利の原理を示されていると拝せるでしょう。
一方、「佐渡御書」では、「日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべし」(同961ページ)と、迫害を恐れて大聖人の弘教を非難する、「あしき弟子」の姿を戒められています。
師匠がいかに偉大であっても、師の心を分かろうとしない弟子であれば、師匠をおとしめることになります。
弟子が勝利してこそ、広布の大願もかない、師匠の偉大さも宣揚できるのです。
師と共に——戦う一念のギアを、がっちりとかみ合わせることで、偉大な力を発揮していくことができます。
師のために——報恩の祈りに仏界の生命が涌現します。
さあ、真正の弟子の道を朗らかに進みゆこう。

◇苦難を雄々しく勝ち越えよ
●御文
『願くは我が弟子等・大願ををこせ』(上野殿御返事、1561ページ)

●通解
願わくは、わが弟子たちよ、大願を起こしなさい。

今こそ、弟子たちよ、大願を起こすのだ!
門下の勝利を願う、日蓮大聖人の熱き思いが込められた御文です。
本抄は、弘安2年(1279年)11月6日、日蓮大聖人が58歳の時、駿河国・上野郷の地頭であった南条時光に与えられたお手紙です。
追伸に「あつわらの事の・ありがたさに申す御返事なり」とある通り、「熱原の法難」の渦中に、時光が農民信徒のために奔走したことへの御礼です。
私たちは広布の大願を立て、それを成し遂げるために戦うからこそ、第六天の魔王の働きが強くなり、さまざまな難が襲ってくるのです。その時、大聖人が大難を勝ち越えて示されたように、難に雄々しく立ち向かってこそ、仏の境涯を開くことができます。大願に生きる勇者の道こそ、成仏への直道なのです。
ところが、大変な時、苦しい時には、目の前のことだけにとらわれて、本来の目的を見失ってしまいがちです。だからこそ、「大願ををこせ」と、本来の大願に立ち返ることを教えられているのです。
大事なことは、自らが大願を起こすことです。それは、「だれかに言われたから」「なんとなく」ではなく、「私の誓い」「私の人間革命の挑戦」と、広布の闘争を自分自身の戦いにすることです。
自らの戦いになってこそ、境涯革命、人間革命の歯車が回転を始めるのです。

◇コラム 四弘誓願
菩薩が発心して最初に起こす四つの願いを「四弘誓願」といいます。衆生無辺誓願度(一切衆生をすべて覚りの彼岸に渡すと誓うこと)、煩悩無量誓願断(一切の煩悩を断つと誓うこと)、法門無尽誓願知(仏の教えをすべて学び知ると誓うこと)、仏道無上誓願成(仏道において無上の覚りを成就すると誓うこと。無上菩提誓願証ともいう)の四つです。
御書には「第一衆生無辺誓願度の願・成就せずば第四の無上菩提誓願証の願も成就すべからず」(522ページ)とあります。
一切衆生の成仏のために戦うことで、仏の境涯を開くことができるのです。大きな願いに生きるからこそ、境涯も大きく広げていくことができるのです。
池田先生は「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。だからこそ——この誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる。この誓いを貫く時、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく湧き出でてくる。この誓いに徹し切る時、どんな悩みも変毒為薬し、宿命をも使命へと転じていける」とつづっています。
誓願の炎を燃やし、勇敢に広布拡大に打って出ましょう。