「竹の節を一つ破ぬれば
余の節亦破るるが如し」
一人の勇気の行動が
皆の心に火をつける。
さあ破竹の快進撃を!
三三蔵祈雨事 P1472
『須梨槃特は三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ是れ偏に末代の今の世を表するなり』
【通解】
須梨槃特は、3年で14字すら暗誦できなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵を暗唱したけれども、無間地獄に堕ちた。
このことは、ひとえに末代の今の世のことを表しているのである。決して他人のことと思ってはならない。
〈寸鉄〉 2019年6月19日
何一つ無駄はなかったと分かるのが妙法の功徳—恩師。苦労即福徳の信心
愛知の勇者よ勝負はここからだ。恐れず拡大。列島の真ん中に栄光の大旗を
熊本・鹿児島・宮崎に未来開く先駆の使命あり!正義の勝ち鬨を満天下に
プラごみ削減へ初の国際枠組み合意—G20環境相英知の結集と実践の時だ
食中毒に注意。菌は付けない・増やさない・やっつける。手洗い・加熱入念に
☆ロータスラウンジ 第6回 信解品第四(上) 2019年6月11日
◇「無上宝聚 不求自得」——「生命」という無上の宝をだれもが平等に持っている
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第6回は、「信解品第四」(上)です(前回は5月14日付。原則、月1回掲載)。
■大要
「譬喩品第三」で「三車火宅の譬え」を聞いた声聞の代表が、釈尊に自分たちが領解したことを、「長者窮子の譬え」として述べます。
それでは、その内容を追ってみましょう。
●シーン1
「解空第一」といわれた「須菩提」、「論議第一」の「迦旃延」、「頭陀第一」の「迦葉」、「神通第一」の「目健連」の、声聞を代表する4人(四大声聞)が登場します。
4人は、"将来、阿耨多羅三藐三菩提(仏の完全な覚り)を得るだろう"と舎利弗に記別(仏となる保証)が授けられるのを聞き、未曽有の法に出合ったことで歓喜踊躍し、立ち上がって衣服を整えます。
そして、右肩を出し、右膝を地面に着け、合掌して釈尊に語ります。
「私たちは、教団のリーダーであり、年老いています。
すでに覚りを得ていて、これ以上、頑張る必要はないと思い、自ら進んで仏の完全な覚りを求めようとしていませんでした」と告白します。
しかし、「(成仏できないとされていた)声聞に授記するのを聞き、(自分たちも仏になれるのだと知り)歓喜しました。
無量の珍宝を求めずして得ることができました(偈文では『無上宝聚 不求自得』)」と喜びます。
発奮した4人は、「理解したことを、譬喩として語りたいと思います」と、感動のままに、有名な「長者窮子の譬え」を語りだします。
●シーン2
——まだ年若くして父親を捨て、出て行ってしまった子がいました。
その子は、10年、20年、50年と長い間、他国を渡り歩き、年を取り、困窮していました。
一方、父親は、子どもを探しまわりましたが、見つけられませんでした。仕方なく、ある都市に住み着き、大富豪になっていました。
父親は、子どもと離ればなれになっていることを人に話さず、常に一人で息子を思い、悩んでいました。
「金や銀などの財宝があふれんばかりにあるのに、私が死んだら財産は散り失せてしまう」
「わが子を見つけて譲ることができれば、何の憂慮もなくなるのに……」
◇ ◇ ◇
放浪していた息子が、偶然、父の邸宅の前にやってきました。
門の側に立った息子は、遠くに父親の姿を見ても気が付かず、ただその立派さに驚き、怯えてしまいます。
"王のようなすごい人だ。とても自分が衣食にありつけるところではない。ここにいたら、捕まって強制的に働かされるだろう"と、逃げ出します。
その時、父親は息子の姿を見て、すぐにわが子だと分かりました。父親は喜び、家来に命じて迎えに行かせます。
ところが息子は、罪もないのに捕まえられて、"これは殺されるのだ"と、恐怖のあまり意識を失ってしまいました。
父親は、息子の志が卑しくなっているので、"親子の名乗りをしても無理だろう"と思い、息子を解放しました。
◇ ◇ ◇
父は息子を導こうと、一計を案じます。
貧相な身なりの二人の使いをやり、「便所掃除の仕事があるよ。給料は2倍だ」と誘って、息子を雇います。
ある日、父親は、遠くに憔悴して働く息子を見つけます。
すると、自ら貧相な格好をして息子に近づき、話し掛け、親しくなりました。
父親は息子に語ります。
「いつまでも、ここで働きなさい。給料も増やしてあげよう。何でも言っていいんだよ。
私のことを父と思いなさい。私は君のことを息子のように扱い、"わが子"と呼ぶよ」
息子は喜びましたが、あくまでも自分は卑しい身分だと思い、便所掃除に20年間、励みました。
やがて父子の心は通じ合うようになり、信頼され、息子は自由に父の屋敷に出入りするようにまでなりました。
しかし、息子は、相変わらず粗末な小屋で生活していました。
父親は病気になり、死が近いことを悟りました。
そこで"わが子"に言います。
「私には多くの財宝があり、蔵にあふれている。その使い方を、お前はすべて理解しているから、この財産を管理しなさい。なぜなら、私とお前はまったく違いがないのだから。心して財産を失わないように」
"わが子"は財産の管理をすべて任されましたが、大切にし、財産の一分も自分のものとすることはありませんでした。
しばらくして、父親は"わが子"の心根がようやく立派になり、大きな志に立ったことを確信します。
そこで、父親は臨終の時、親族や国王・大臣らを集めて、告げます。
「諸君、この人物は、実はわが子である。私の実の息子である。家出をして50年間、放浪していたのだ。本当の名はこれこれで、私の名はこうだ。一生懸命に捜していたが、ここで、たまたま出会うことができた。今、私は、自分のすべての財産をわが子に譲る」
息子はこの真実を知って、「このすばらしい財産を、求めずして、おのずから手に入れることができた」と、このうえない歓喜につつまれました——。
●シーン3
譬喩を終え、声聞たちは釈尊に言います。
「譬えに出てきた、父親は仏、息子は私たちのことです」
「仏は常に、私たちを"仏子"と説いてこられたのに、小さな覚りで満足し、大乗の教えを求める志を起こさなかったのです」と悔います。
「今、仏になるための唯一の教えが説かれています。求める心はなかったけれど、今、大乗の教えを自然に得ることができた」と、喜びを語ります。
(次回「信解品第四」(下)では、「信解」の意味などについて紹介します)
『法華経の智慧』から 「永遠向上」の心、「不退」の決意
限りなき生命の「向上」——その心を、鳩摩羅什は「信解」と訳しました。法華経の第四章「信解品」のタイトルです。「信解」とは、やさしく言えば「心から納得する」ということです。だれもが納得できることが大切です。法華経はそういう信仰を説いている。断じて盲信ではないのです。
◇
「永遠向上」の心を教えているのです。「不退」の決意をうながしているのです。「進まざる」は「退転」です。仏法は、つねに向上です。前へ、前へと進むのです。「永遠成長」です。それでこそ「永遠青春」です。生命は三世永遠なのです。
◇
無上の宝聚(宝の集まり)とは、法華経の教えとも言えるし、仏界とも言える。また、仏界を具えた自分自身の生命とも言えるでしょう。
だれもが、この「生命」という無上の宝を平等に持っている。いちばん大切なものを「求めずして、おのずから得て」いるのです。それを自覚できるか、否か。それを最も深く自覚させるのが法華経なのです。
(普及版〈上〉「信解品」)
◇四大声聞 菩薩の道に目覚め「真の声聞」に
「信解品」に登場する四大声聞は、釈尊の十大弟子で、それぞれ、ずば抜けた才能の持ち主です。
ところが法華経以外の諸経において、声聞たちは、釈尊から"成仏できない"と呵責されていました。
それは、部分的な教えに満足し、大乗の教えを求めようとしなかったからです。
厳しき責めは、成仏への軌道へ導こうとする仏の慈悲だったのです。
そのことに気付いた迦葉は、「我らは今、真の声聞になることができました」(法華経235ページ、趣意)と語ります。
それは、自分だけのために法を求める生き方から、一切衆生の成仏のために法を求め、法を衆生に語る、菩薩の道に目覚めたことを表しています。
さらに、"私たちを導いてくださった仏の恩には、報いようがない"と語ります。
報恩に生き抜く師弟の道こそ、成仏の直道にほかならないのです。