一度や二度で諦めたら
敗れる壁も破れない。
「強盛の信心
弥弥 悦びをなすべし」
逆境こそ躍進の好機だ!
報恩抄 P293
『仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』
【通解】
仏法を学ぶ人は、父母の恩、師匠の恩、国土・社会の恩を忘れてはならない。
この大恩に報いるためには、必ず、仏法の奥底を学び、修行して、智者とならなければならない。
〈寸鉄〉 2019年6月7日
「常にかたりあわせて」御書。地区の隅々に励ましを!絆強め勝利へ前進
高等部結成の日。広布後継の正義の走者。学び鍛え使命の大空へ羽ばたけ
言葉は"精神の顔"である—哲人。真剣、誠実、大情熱の対話で心を結ぼう
南アジア、今世紀末に猛暑で生存不可能に—研究国境超えた行動の連帯を
公明は地域と国繋ぐ"接着剤"—教授。3千人が底力発揮し期待に応えよ
☆四季の励まし 誓願に生きる人生は幸福 2019年5月26日
誓願に生き抜く人生は、
最も幸福な人生である。
いかなる苦難の烈風にも負けず、
誠実に誓いを果たし抜く人は、
真の勇者であり、勝利者である。
創価の師弟には、
誇り高き大願がある。
世界の広宣流布は、
仏法の究極の大願である。
言い換えれば、
この世界から
「悲惨」の二字をなくし、
人類の幸福なる恒久平和を
実現することであるのだ。
一宗教の繁栄が目的ではない。
全民衆の幸福が根本の目的である。
「人間」のために、
仏法はあるからだ。
仏と同じ誓いに立てば、
仏と同じ智慧が湧く。
仏と同じ力が出る。
仏と同じ戦いができる。
これほど強い、
これほど誇り高い人生は、
どこにもない。
我らは、
この広宣流布大誓堂を中心に、
それぞれの使命の舞台で、
自行化他の題目の師子吼を、
いやまして勇気凜々と響かせ、
ありとあらゆる邪悪に打ち勝ち、
わが地涌の眷属の威光勢力を
無限に増してゆくのだ。
いざ、広宣流布へ、
前進また前進! 闘争また闘争!
これが、
創価学会の永遠の誓願である。
そこに民衆の平和勢力は
堂々と築かれる。
いかに社会の混迷が深まろうと、
民衆が立ち上がれば、
希望は開ける。
永遠の平和の基盤を築くチャンスは
「今」である。
威風堂々とそびえ立つ広宣流布大誓堂(東京・信濃町)。「創価学会常住御本尊記念日」の今月19日、池田大作先生が車中から撮影した。
大誓堂に御安置されている創価学会常住御本尊には「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と認められ、仏意仏勅の教団である学会の使命が、厳然と刻印されている。全国・全世界の地涌の同志がここに集い、誓願の題目を唱え、それぞれの地で新たな挑戦を開始してきた。
かつて池田先生は、こう呼び掛けた。「我らには誓願の題目がある。祈り、涌現した仏の命で、人と会い、人と語る。その一切が仏縁となる」と。
さあ、広布誓願の題目を朗々と唱えながら、平和と友情のスクラムを大きく広げよう!
☆勇気の旗高く 池田先生と秋田 2019年5月24日
◇日本海の雄、ここにあり!
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は秋田県を掲載する。
◇「一人」を大切に
「戦う秋田」「創価の大道を歩む秋田」——そのルーツは池田先生が若き日、支部幹事として指揮した蒲田支部にある。先生は「学会精神の息吹を、満々と呼吸して伸びてきたことが、秋田の誇りだ」とたたえている。
1954年(昭和29年)7月、戸田先生が秋田の地を初訪問。その2年後の56年(同31年)には、"日本海広布"の先陣を切る秋田支部が誕生した。
そして翌57年(同32年)4月、勢いを増す秋田支部は全国3位の弘教を達成。ある地区の折伏は1300世帯を超え、"弘教日本一"を成し遂げたのである。
「日本海の雄・秋田、ここにあり!」——全国の同志を驚嘆させた拡大であった。
翌5月、池田先生は秋田を初訪問し、歓喜に沸く支部総会に出席。当時、「上野—秋田」間は急行でも、片道12時間ほどかかった時代である。
先生は2003年(平成15年)3月の随筆で、秋田広布の誉れ高き伝統をつづった。
草創期の秋田の同志には、小さく納まってしまう発想はなかった。
自身の限界を破って、打って出た。雪が降ろうが、風が吹こうが、断固として、前へ、前へ、前へ!
まさに、破竹の勢いがあった。勇気の行動があった。ゆえに喜びの爆発があった。
「広宣流布こそわが人生」と思い定めた、崇高な使命感が燃えていた。
仏法を求める人が、不幸に呻吟する人がいれば、近隣はもちろん、秋田中、東北中、いな、日本中に飛び出していくかのような勢いであった。
日蓮大聖人は、「道のとを(遠)きに心ざしのあらわるるにや」(御書1223ページ)と仰せであられる。
「友を思う真心」「仏法を求める志」の前では、道の遠さも、また、不便さも決して障害ではない。
「よし、行こう」と勇気を奮って決意した時、心は物理的な距離を超え、もう相手に向かって走っている。
遠くて、滅多に会えない場合もある。だが、その分、一期一会の思いで、心血を注げば、思い出は無限となる。
今は電話やメールも活用できる。
大事なのは「会おう」「語ろう」という深き一念だ。
それは、自分が縁を結んだ「一人」を、絶対に大切にしようという真剣さといってもよいだろう。
この「真剣」の二字に、慈愛も、信頼も、連帯も、勝利も、すべて収まっている。
人生もまた同じだ。「これだけは石にかじりついてもやる!」という執念で、一日、一日を勝ち取る以外に、偉大な歴史は残せない。
◇自分自身のため
1977年(昭和52年)ごろ、秋田では第1次宗門事件の嵐が吹き荒れた。"東の秋田""西の大分"といわれるほど邪悪な僧らの謀略に苦しめられた地で、秋田の同志は懸命に耐えた。
そして迫害の嵐を乗り越え、師弟勝利の雄叫びが轟いたのが82年(同57年)1月の「雪の秋田指導」である。
「それは忘れえぬ 決して忘れることのできぬ 私の胸中の歴史の一コマであった」と池田先生は述懐する。
秋田指導3日目の1月12日に行われた県幹部会(当時の秋田文化会館)の席上、先生は"人生の最も深い思い出とは何か"に言及した。
人生それぞれ、さまざまな思い出があるものだ。
しかし、生命の奥深く、因果の理法で刻まれた、広宣流布への活動ほど素晴らしきものはない。それは皆さまの実感している通りである。
普通の思い出は年とともに薄らぐが、信心修行の思い出は、意識するにせよ、無意識のなかにせよ、永遠に無上道の思い出として残っていくものである。
ゆえに、広宣流布へのすべての活動は、所詮は自分自身のためであることを自覚されたい。
◇仏縁の拡大こそ
池田先生は、折々に「雪の秋田指導」に触れながら、同志を鼓舞してきた。
99年(平成11年)8月の随筆では、後継の秋田青年部に"強くなれ! 強くあれ!"と呼び掛けた。
仏法は勝負である。勝つか負けるか、中途半端はない。
断じて戦ってきたから、学会はすべてに勝ってきたのである。
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(御書1282ページ)である。
臆病では、人生は勝てない。法戦も勝てない。
正義が負けたら、永遠に人類史は暗闇となる。
「正義によって立て! 汝の力二倍せん」と、ある詩人は叫んだ。
秋田の同志も戦ってきた。ありとあらゆる中傷非難の歴戦を乗り越え、勝ち越え、栄光の自分史を築き上げた。
強くなれ! 強くあれ!
それが、勝利者の実像であるからだ。
さあ、偉大なる秋田の青年たちよ! 団結せよ! 立ち上がれ! 断固として、勝利を勝ち取れ!
君たちのあとに、日本国中の青年が立ち上がるだろう!
2002年(同14年)1月の随筆では、"仏縁の拡大こそが広宣流布の拡大"であると強調した。
人生は、弱気では決して勝てない。勇気ある信心が勝利なのだ。執念が勇気ある信心を涌出する。
ゆえに、強盛な信心こそ、尽きることなき智慧と福徳の源泉となるのだ。
学会がここまで発展したのは、なぜか。
それは、学会員が、いかなる人生の苦悩や苦境にも、絶対にあきらめず、乗り越えてきたからである。
そして、逆境のなかで苦闘している人びとのもとへ、真っ先に駆けつけ、勇敢に励まし続けてきたからである。
この精神がある限り、学会は永遠に昇りゆく太陽のごとく、無数の人間の威光勢力を輝かせていけるのだ。
「仏縁」の拡大が、広宣流布の拡大である。
雪の秋田指導の折、私は、広布の土台たる、強い支部の建設を訴えた。
「支部に、勇気ある同志が何百人と賑やかに集うようになれば、一千万の連帯が必ず築ける。そうなれば、広布の基盤は、盤石のなかの盤石である」と。
さあ! 新しき前進のこの年も、変わらずにわが大道を歩みながら、多くの人と会い、多くの友と会おう。
また多くの人と語り、多くの友と語ろう。この快活な人間と人間との「対話」の大波が、「人間主義の世紀」であり、「創価の世紀」である、と謳い上げよう!
1994年(同6年)4月、池田先生は5・18「秋田の日」を記念し、一首の和歌を贈った。
「立ちあがれ 秋田の名誉 忘るるな 断固悔いなく 歴史築けや」
秋田の名誉——それは、草創期の"日本一"の拡大であり、迫害の嵐を師弟して勝ち越えた歴史そのものである。
今再び、秋田の友は"日本海の雄"の誇りに燃えて、新たな広布の大道を勝ち開く。