2019年6月30日日曜日

2019.06.30 わが友に贈る

「極楽百年の修業は穢土
の一日の功徳に及ばず」
広布に尽くし抜く人に
無量の功徳は燦然!
諸天も諸仏も大賛嘆!

百六箇抄 P856
『法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し』

【通解】
法は、自然に弘まるものではなく、弘める人がいて、はじめて弘まるのです。ゆえに弘める人も弘まる法もともに尊いのです。

〈寸鉄〉 2019年6月30日
学生部結成記念日。戦う知性の叫びで庶民を守り抜け!先駆の誇り赤々と
愛知が総決起。火の玉となって語り捲れ。堅塁の魂で歴史に輝く金星掴め
茨城、群馬、栃木よ敢然と進め。北関東が動けば時代は変わる。勝利開け
一瞬一瞬の積み重ねが広布の力。出会い一つ、電話一本も心込め。今を全力
気象庁、土砂災害の危険性を5段階で示す地図を公表。地域や家庭で確認

☆御書と歩む� 第75回 わが地域を人間共和の宝土に
『法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し』(南条殿御返事、1578ページ)

◇通解
法が妙であるがゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人がいる所も尊い。

◇同志への指針
「宝の人」がいる所、「宝の絆」が結ばれる。団地部をはじめ地域本部の宝友の奮闘が、地涌の生命の歓喜踊躍する宝土を築いている。
経文通りの悪口罵詈も耐え忍び、大誠実で地域に尽くしてきた陰徳が、深き信頼の陽報と輝いているのだ。
生老病死の苦悩も、妙法の常楽我浄の大功力で打開し、「我此土安穏」の人間共和の連帯を一段と広げゆこう!

☆広布史アルバム 第3回 神奈川
◇壮大なるロマンに生きよ
1995年(平成7年)3月8日、横浜平和講堂で行われた「本部幹部会」「神奈川栄光躍進総会」。スピーチを終えた池田先生は会場のピアノに向かった。「熱原の三烈士」「荒城の月」。鍵盤から生まれる旋律が力強く、時に優しく響く。続いて「さくらさくら」や"大楠公"の曲を披露した。
演奏後、先生は「皆さん、ありがとう。本当にありがとう」と。力いっぱいの拍手で応える神奈川の友の顔は、ひときわ輝いた。
先生と神奈川の絆は永遠である。79年(昭和54年)5月3日、会長辞任直後の本部総会を創価大学で終え、先生が真っ先に向かったのも神奈川だった。
神奈川栄光躍進総会の席上、先生は当時を振り返りつつ、万感の思いを語った。

新たな戦いの指揮を、神奈川のこの地から私は厳然と始めたのである。
文化会館に着いた五月の三日、そして四日、五日。山下公園と会館近くの道に、何千、何万という学会員が自然に集まってこられた。そして会館にいる私の方に向かって歓声で迎え、手を振り呼び掛けておられた、あの姿。神奈川の同志の皆さまであった。毎日、毎日、たくさんの同志が集ってこられた。
私は皆さまのことを祈った。
「よし、こういう同志がいるのであれば、私はこの方々のために戦おう! 学会員のために、もう一度、立とう!」
あの光景を、私は一生、忘れない。

今、私たちは、広宣流布という壮大なるロマンに生きている。「全人類の幸福」と「世界の平和」を実現するために、日々、戦っている。
観念論ではなく、それを実現するための深き哲学を民衆がもっている。すごいことなのである。このような団体は、ほかにないのではないだろうか。
この大闘争の途上に、多くの苦労があるのは当然である。しかし現実がどれほど苦しくとも、それを乗り越えていくところに仏道修行がある。境涯が開けていく。道が開けていく。

先生が「正義」「共戦」の揮毫を認めてから40年。新たな「創価の勝利」へ、神奈川の友は今再び、決然と立ち上がる。

◇池田先生から贈られた和歌
1998年(平成10年)1月、池田先生は神奈川の全同志の健闘を心からたたえ、「旭日の 昇り輝く 神奈川は 大聖人の 魂あるかな」とともに、下記の和歌を贈った。

勝ち誇れ
広布に捧げし
  幾山河
神奈川勝ちたり
  諸天も叫ばむ

☆伝統の夏季フリー研修 7月29日から8月4日まで 全国16会場で
学会伝統の「夏季フリー研修」が7月29日から8月4日まで、全国16の会館・研修道場等で実施される(一覧を別掲)。
自由なスケジュールで各会場を訪問し、勤行・唱題のほか、敷地内の見学や散策が楽しめる。期間中、各会場では、午前11時からと午後1時半からの2回、勤行会が行われる。また、実施会場ごとに、来館記念のしおりやスタンプ、記念撮影用の看板等が用意されている。
本年後半の活動に向けて英気を養いつつ、各地の広布史に触れ、語らいを広げる絶好の機会となろう。

【実施期間】
7月29日(月)から8月4日(日)まで。開館時間は、午前10時から午後4時まで。
【参加方法】
�参加希望者は、壮年部の本部長に申し込み、本部長が署名・押印した全国共通の「フリー研修参加証」を受け取ってください。
�1枚の「参加証」で家族も参加できます(未入会家族も含む)。また、期間中であれば、実施会場の会館・研修道場等を何カ所でも訪問できます。
�交通機関や宿泊等の手配は、各自で行ってください。
※別表の連絡先は、期間中のみの対応となります。
※函館研修道場(北海道)、長野青年研修道場(霧ケ峰)では、夏季フリー研修のほかに、「研修道場自由見学会」が実施されています。また、沖縄研修道場は工事のため、夏季フリー研修は行わず、「研修道場自由見学会」のみ実施します。詳しくは、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」(www.sokanet.jp)をご確認ください。
〈函館研修道場〉
自由見学会の実施期間は、5月1日から10月31日まで。開館時間は、午前10時から午後4時まで。休館日は毎週火・水曜。ただし、夏季フリー研修の期間中は休館しません。
〈長野青年研修道場〉
自由見学会の実施期間は、4月26日から11月18日まで。開館時間は、午前10時から午後4時まで。休館日は毎週火・水・木曜。ただし、夏季フリー研修の期間中は休館しません。
〈沖縄研修道場〉
自由見学会の実施期間は、年末年始を除く、通年。開館時間は、午前10時から午後4時まで。休館日は毎週火曜。年末年始の休館期間については直接、研修道場にお問い合わせください。(住所 沖縄県国頭郡恩納村字谷茶1172/電話 098—982—3030)

2019年6月29日土曜日

2019.06.29 わが友に贈る

若々しい誓いに燃える
東北の勇敢の友よ!
「松栄れば柏悦ぶ」との
麗しき異体同心の団結で
幸の連帯を築きゆこう!

頼基陳状 P1162
『頼基が良観房を蚊蚋蝦蟆の法師なりと申すとも経文分明に候はば御とがめあるべからず』

【通解】
頼基殿(四条金吾)が、極楽寺良観を「蚊」「アブ」「ガマ」法師と言っても、経文に明らかならば、仏法上のお咎めはない。

〈寸鉄〉 2019年6月29日
戦いは、真剣でなくては悔いが残る—恩師。師子は戦う。大いなる歴史を
兵庫が一瀉千里の攻勢!最後まで攻め抜いた方が勝つ。逆転劇をここから
奈良、和歌山の友が気迫の拡大!燃える関西魂。民衆勝利の決定打を頼む
創価の青年こそ「平和の防波堤」—識者。共生の世紀へ、社会変革の主役と
手足口病、大流行の兆し。タオルの共用は注意。小まめな手洗い・嗽で撃退

☆愛する沖縄を幸の楽土に 糸満 座間味の友を訪ねて 2019年6月23日
◇今いる場所で紡ぐ平和の未来
きょう6月23日は「慰霊の日」。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月に始まり、多くの人命が奪われた沖縄戦において日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日であり、鎮魂の祈りをささげる日である。沖縄戦最後の激戦地といわれる糸満市、そして米軍が最初に上陸した慶良間列島の一つ、座間味島を訪ねた。

梅雨の時季とはいえ、沖縄を訪れる観光客の足が途絶えることはない。糸満市の摩文仁の丘を望む平和祈念公園にも、外国人や修学旅行生の姿が目に付く。
県外の中高生だろうか。沖縄県平和祈念資料館に、少し、はしゃいだ様子で入館してきた。しかし沖縄戦の展示を見学するにつれ、言葉数が少なくなる。目にうっすらと涙を浮かべる生徒も。館内に掲示されたアンケートには、こんな言葉がつづられていた。
「ここに来るまで、戦争がこんなにも、おそろしいとは思いませんでした」
公園内には、沖縄戦の犠牲者を追悼する石碑「平和の礎」が、波のうねりのように建てられている。そこに刻印された犠牲者の名前の数は24万1566人(令和元年6月現在)。日本人だけではない。アメリカ、イギリス、台湾、北朝鮮、韓国の人々の名もある。
今月15日、この一つ一つの石碑を、水にぬらしたタオルで懸命に磨く子どもたちの姿があった。糸満市の子ども会である。「慰霊の日」を前に、遺族や地元住民が清掃を行っているのだという。共に汗を流す大人たちの中の一人に、藤田学さん(支部長)がいた。糸満市子ども会育成連絡協議会の副会長を、14年間にわたり務めている。
「この礎には、糸満生まれの妻の祖父や、親族の名前も刻まれているんです」
学さんは山形出身。東京で恵美子さん(支部婦人部長)と結婚し、1991年(平成3年)に糸満へ。2人の子宝にも恵まれる。次女の病や不登校、経済苦などを乗り越えて2人の娘は創価大学に進学・卒業。一家を支えてくれた地域の方々の恩に少しでも報いたいと、夫妻して子ども会や自治会の役員、小学校PTA役員などを歴任してきた。
沖縄戦の歴史も重ねて学んだ。ガマ(洞窟)を利用した自然壕に子どもたちを案内し、平和学習をすることも。戦争の悲惨さを、平和の尊さを、繰り返し伝えること。地域の人々を友情と信頼で結ぶこと。それが"最も苦しんだ沖縄を、最も幸福な楽土に"と願う池田大作先生の弟子として、「私が糸満で果たすべき使命だと決めたんです」。
長年にわたる取り組みが評価され、学さんは先月、市から青少年育成功労者として表彰を受けた。
◆◇◆
平和祈念公園から程近い自宅で長年、洋裁業を営む上原トヨ子さん(婦人部副本部長)には、"会ったことのない姉"がいる。沖縄戦で亡くなったと、生前の母から聞いていた。姉の面影を伝える写真は一枚も残っていない。「母も戦争の記憶をあまり語ろうとはしませんでした」。戦後生まれのトヨ子さんにとって、姉をはじめ8人の親族の名前が刻まれた「平和の礎」は、肉親の"生きた証し"に触れ、偲ぶ縁でもある。
トヨ子さんが両親と共に学会に入会したのは1959年(昭和34年)。第3代会長に就任間もない池田先生がアメリカ施政下の沖縄を訪問し、沖縄支部が結成される前年のことだった。
沖縄の服装学院を経て、洋裁師として修業を積もうと上京。数々の師弟の原点を刻む。71年(同46年)5月3日に日本武道館で行われ、池田先生も出席した鼓笛祭では、衣装部門の一人として裏方に徹した。師を間近に見ることはかなわずとも、世界平和を誓う"民衆の祭典"に心は震えた。
沖縄返還を目前に控えた72年(同47年)2月、池田先生に直接、帰郷を報告する機会にも恵まれた。うんうんと耳を傾け、「頑張るんだよ」と語ってくれた師の笑顔は今も忘れない。
糸満の地で、トヨ子さんは夫・勇さん(故人)と二人三脚で地域貢献に奔走した。勇さんは自治会の会長を20年以上務め、トヨ子さんも市商工会の婦人部長や女性部副部長などを歴任。数々の表彰を受けた。
昨年10月、勇さんが70歳で霊山に旅立つまで、二人して語り合ってきた夢がある。「ここを広宣流布の模範の地域にしよう」
長年、広布の会場として提供している自宅から同志や友人の笑い声が途切れる日はない。トヨ子さんの3人の子どもも、その孫も皆、創価後継の道を歩む。平和の誓いのバトンは、確かに受け継がれている。

◇始まりの地から
那覇市から西へ約40キロの東シナ海に、大小30あまりの島々が点在している。
慶良間列島である。
そのうちの一つ、座間味島の港の一角に、ひっそりとたたずむ細長い石碑がある。フェリーから続々と降りてくる観光客の中で、目を留める人は少ない。碑には「太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩之地 昭和二十年三月二六日午前九時上陸」と刻まれている。ここは、米軍が本島攻略の足掛かりとして上陸した島だった。当時、座間味村では迫り来る米軍を前に、170人以上の住民が強制集団死に追い込まれたという。
悲しみの歴史を今に伝える自然豊かなこの島が、慶良間諸島国立公園として環境省に指定されたのは2014年(平成26年)3月。座間味村への観光客は年々増加し、年間で10万人を超える。海外からの観光客のうち、欧米系外国人が約4割を占めるのも特徴だ。
宮里哲村長は言う。
「4度5度と訪れてくださるヘビーリピーターも少なくありません。島の住民との交流を通して、ファンになってくださるんです」
座間味の魅力は、透き通るほどの青い海と、おいしい食の数々、そして人の温かさだ。「座間味の学会員の方々は皆、島を大切にしていこうとする思いがとても強く、面倒見もいい人ばかり。かくいう私も幼い頃は、島の学会員の"おじい・おばあ"に、かわいがってもらったものです。県外から移住してきた人も同じ思いで島の発展に尽くしてくださる姿に、感謝は尽きません」(宮里村長)
大阪出身の大原伸恵さん(副白ゆり長)は、愛知出身の夫・芳夫さんと共にカフェを営む。スムージーからサンドイッチのパンや鶏ハムまで自家製だ。最初の一口で、おいしさに目を丸くするお客さんの表情こそ「私たちの幸せです」。英語が堪能な芳夫さんと、いつも笑顔の伸恵さんとの語らいを求め、一日に2度も買いに来る観光客や、毎年のように足を運んでくれる外国人もいるという。
芳夫さんは未入会だが、毎月の座談会には伸恵さんと3人の子どもたちと一緒に参加。池田先生の著作も学ぶ。「学会の人たちは、身近な人の悩みを共有し、祈り、励まし合うだけではなく、世界の幸福にも尽くしている。そこに僕は胸を打たれ、共感します」。今いる場所で目の前の一人と心を結び、希望を紡ぐことで、平和への取り組みに連なりたいと願っている。
座間味に初の「地区」が誕生したのは、2000年(平成12年)。初代地区部長を務めたのは、小嶺幸春さん(故人)である。当時の心境を、幸春さんは本紙にこう語っている。
「座間味島に広布の灯がともって四十年余。『いつの日か、地区に』というのが皆の願いでした」(2000年10月16日付沖縄版)
沖縄戦で米軍が座間味島に上陸したその日、島の小学校では卒業式が行われる予定だった。当時、幸春さんは小学6年生。晴れの門出の舞台は、嵐のような銃撃によって打ち砕かれた。大切な友も失った。戦後、幸春さんは信心と出合う。
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」——この小説『人間革命』の冒頭の一節が沖縄で書き起こされた誇りを胸に、対話に走った。
14年(同26年)、地区部長の後任を託された照屋学さんは、幸春さんと共に訪問激励に歩いた日々を覚えている。「とにかく池田先生のことを語る人でした。座間味の広布史も、たくさん教えてもらいました」
学さんは今、妻・智由紀さん(地区婦人部長)と共に島中を駆ける毎日だ。長女・叶笑さん(小学4年)も座談会で司会を元気に務めるなど、未来っ子として伸び伸びと育つ。
夫妻が営む商店から港は目と鼻の先。米軍上陸の歴史をとどめる碑も見える。沖縄地上戦が始まったこの島から、今度は平和の波を広げよう——これが照屋さん夫妻の誓いであり、地区の同志の心である。

2019年6月28日金曜日

2019.06.28 わが友に贈る

課題が困難であるほど
達成した喜びも大きい。
「よし楽しもう!」との
"心のバネ"を発揮し
挑戦と成長の人生を!

南条殿御返事 P1529
『日は赫赫たり月は明明たり法華経の文字はかくかく めいめいたり めいめい かくかくたり、あきらかなる鏡にかををうかべ、すめる水に月のうかべるがごとし』

【通解】
日が赫々と照り、月が明々と輝くように、法華経の文字も赫々明々、明々赫々と照り輝いている。明鏡に顔を映し、澄んだ水に月の影を浮かべているようなものである。

〈寸鉄〉 2019年6月28日
「題目は大音声なり」御書強盛な祈りと確信溢れる声で友の"心の扉"開け
鳥取・島根が勇戦。大誠実で対話広げる人間王者!栄光の夜明けを山光から
佐賀・長崎・大分よ時は今先駆の闘魂燃やし痛快に勝ち捲れ!鉄壁の団結で
千の意見よりも一回の経験を—偉人。行動が青年の特権。後継の証し残せ
核兵器と気候変動の脅威が人類最大の課題—博士垣根越えた市民の連帯を

☆広布史アルバム 第2回 埼玉
◇一人立つ師子となれ
壇上には、縦11・7メートル、横14・4メートルの巨大なパネルが掲げられていた。
そこには「鉄桶の団結」の大文字——あの日、あの時、埼玉の同志は、いかに歓喜し、勇気づけられたことだろう。
「埼玉の日」の淵源となった1973年(昭和48年)9月12日、上尾市の運動公園体育館で行われた埼玉県幹部総会である。
池田先生は、この埼玉の"永遠の原点"を振り返りつつ、後に「鉄桶の団結」の使命に言及している。

広布の拡大は、常に「一人への励まし」から始まる。そして団結もまた、「一人への励まし」が原点だ。一人また一人が師子となって、真剣に立ち上がり、偉大なる目標へ、一日また一日を勝って勝って勝ちまくるなかで、互いの生命の麗しき勇気と正義の絆が強く結ばれていくものだ。そこにこそ、「鉄桶の団結」の埼玉が生まれてきたことを忘れまい。

鉄桶とは団結が固く、隙がないという意味である。
大聖人は「畷(水田のあぜ)は堅固であっても、蟻の穴があれば、必ず最後は、湛えた水が溜まることはない」(御書1308ページ、通解)と教えられた。
「一人くらいは」という油断と慢心から、破綻が始まる。一人を大切にし、「もう一歩」と前進し続ける所は、団結もより強固になり、それまでの労苦と困難を、すべて勝利と福徳に変えていくことができる。
我らは、この世で最も美しく強い「異体同心」の団結で、一日一日、勢いを増し、粘り勝っていくのだ。

信心の団結がある限り、絶対に行き詰まりはない。勝利の力は無限に湧き上がる。
大埼玉は「鉄桶の団結」を誇りとして、新たな広布の大道を勝ち開く。

◇池田先生から贈られた和歌
15年前の2004年(平成16年)1月、埼玉池田研修道場が落成。池田先生は落成を記念し、「埼玉が 勝ちて 創価の 大勝が 輝き光らむ 日本の果てまで」「埼玉の 一人ももれなく 幸福に 舞いゆけ勝ちゆけ 愉快な舞台で」とともに、下記の和歌を贈った。

偉大なる
大埼玉よ
  勝ち抜けや
 歴史を残せ
  歴史を勝ち取れ

2019年6月27日木曜日

2019.06.27 わが友に贈る

民衆凱歌の歴史光る
三代城・北海道よ!
勇猛精進の信心で
誉れの天地の隅々に
希望の声を轟かせよう!

上野殿御返事 P1566
『女子は門をひらく男子は家をつぐ日本国を知つても子なくは誰にかつがすべき、財を大千にみてても子なくば誰にかゆづるべき』

【通解】
女子は他家に嫁ぎ門を開き、男子は家を継ぐものである。日本国を治める身となっても、子供がなければだれに継がせたらいいのか。

〈寸鉄〉 2019年6月27日
御書「思い切って強強に申したりき」。語り抜く時は今!対話に悔い残すな
香川、高知、愛媛、徳島が力走。反転攻勢の原点の地から勝利の突破口開け
立正安国こそ沖縄健児の大使命。さあ誓いの7月へ更なる拡大の快進撃を
未来会の日。勝ってこそ真の獅子!師弟の絆抱き締め創価正義を満天下に
よく笑う子供ほど才能は開花—脳科学者。親は子の鑑。笑顔の振る舞いを

☆広布史アルバム 第1回 兵庫 2019年6月18日
◇頼もしき全学会の心臓
新連載「広布史アルバム」では、写真と共に各地の広布史などを紹介していく。

阪神・淡路大震災から9カ月が経過した1995年(平成7年)10月17日。色鮮やかな万国旗が並ぶ「21世紀兵庫希望総会」「SGI総会」が兵庫池田文化会館で開催された。
「兵庫総会」の名称に「希望」の二字を加えるよう提案したのは、池田先生である。兵庫で「SGI総会」の開催を提案したのも、先生である。
先生は長編詩「『希望の港』に人間主義の賛歌」で、兵庫の友の「不屈の心」をたたえた。

いま 新世紀へ
新たなスクラムを 組み
威風も堂々と 進みゆく
不屈の兵庫の友よ!

苦難を悠々と乗り越えた
偉大な友よ!
永遠の友よ!
この広布の鉄鋼の同志がいれば
大兵庫は 否 大関西は
微動だにしない!

世界五十七カ国・地域から
一千人の共戦の友を迎えた
堂々たる晴れの兵庫希望総会

誰もが刮目し
誰もが歓呼した
兵庫は勝った!
勝ちに勝ったと!

いかなる戦にも臆さぬ
頼もしき連戦連勝の軌跡よ!
兵庫が勝つことが
関西の勝利であり
創価の勝利であると
断固 決めたる地涌の友よ!

これこそ
全学会の模範と
全学会の心臓なるか
大聖人は賛嘆し 期待する

私は 祈る
わが兵庫の 信頼する友よ
強い人生を!
負けない人生を!
賢い人生を!
愉快な人生を!
価値ある人生を!

けなげなる兵庫 そして
わが愛する全関西の同志の
御健勝を祈りつつ——

◇池田先生から贈られた和歌
1995年(平成7年)3月27日、池田先生は、阪神・淡路大震災の救援活動に奔走する兵庫男子部に、「見も知らぬ さまよい疲れる 人々を 抱きかかえたる 尊き君らよ」「恙なく 無事安穏の 操縦を 若き英雄 嘆かず指揮とれ」とともに、下記の和歌を贈った。

沈黙を
破りて轟く
  歌声の
 指揮をぞ頼まむ
  池田門下と

2019年6月26日水曜日

2019.06.26 わが友に贈る

「金は・やへば
真金となる」御聖訓。
広布の大道を歩む中で
生命は強く鍛えられる。
壁を破る拡大を今こそ!

十字御書 P1492
『わざわいは口より出でて身をやぶるさいわいは心よりいでて我をかざる』

【通解】
災いは口から出て身を破る。幸いは心から出て自身を飾る。

〈寸鉄〉 2019年6月26日
国連憲章の調印記念日。平和を民衆は希求。対話で人々結ぶ我らの使命大
希望の港・神戸の勇者よ先陣切って勝ち上がれ!皆が自身の最高記録綴れ
石川・富山よ底力発揮を。庶民の力は偉大!勇敢な拡大で栄光の大旗掲げよ
「国際麻薬乱用撲滅デー」麻薬容認の風潮、若者の間に。根絶への叫び強く
雨の日は車の事故が4倍早めの減速等、心して。絶対に無理せず安全第一

☆勇気の旗高く 池田先生と奈良 2019年6月17日
◇万葉の都に勝利の春を
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は奈良県を掲載する。

◇仏教の淵源の地
万葉の古都・奈良。池田先生は、「奈良は、我が国における仏教の淵源の地であり、その意味からも、正法を永久的に打ち立てるべき重要な拠点である」と指摘する。
先生が初めて奈良を訪れたのは、小学校の修学旅行だった。2度目は1956年(昭和31年)、「大阪の戦い」のさなか、青年たちと奈良の若草山に登っている。その時の模様を、先生は随筆につづった。

一九五六年(昭和三十一年)の四月二日のことである。あの大阪の法戦に奔走するなかにつくった、一時の"忙中の閑"であった。わずか二十分ほどであったが、青年と共に花と緑の絨毯に横になり、春霞の大空を見つめながら、呼吸した。
さらに、その五年後、堂々たる創価の宣言となった、奈良支部の結成大会も、若葉のまばゆい五月であった。
こうしたことから、私には、奈良といえば、「春」の印象が強いようである。

若草山は、毎年一月十五日(現在は1月の第4土曜日)に山焼きが行われ、寒風のもと、一面の焼け野となる。
しかし、春が来ると、全山、生き返ったかのように、若芽が伸び、見る見る鮮やかな若草色に染め上げられていく。
まさに、「妙とは蘇生の義」(御書947ページ)の法理を証明するかのごとく。

宿命の氷壁に閉ざされたかのような冬の人生も、わが心の空に太陽が昇る限り、冷酷な壁をとかすことができる。誰でも、わが「人生の春」「幸福の春」を勝ち取り、謳歌する権利がある。そのために宗教があり、信仰があるのだ。

◇「声」を武器に
1997年5月20日、池田先生は前年に開館した奈良国際友好会館へ。館内には奈良広布の歩みを紹介するパネルが展示されていた。
先生の指揮で童謡「春が来た」を合唱した奈良の幹部会(69年9月)。高熱を押して先生が出席した奈良本部での指導会(同年12月)。先生と6500人の同志の記念撮影(72年11月)。第1回奈良青年平和文化祭(85年4月)——一つ一つのパネルを丹念に観賞した先生は、「懐かしいね」「戦ってきた人を私は絶対、忘れない」と語った。
2日後の22日、同会館で行われた奈良代表者会議。先生は「今こそ、"理想の奈良"を、皆さまの力でつくってほしい」と期待しつつ、リーダーの在り方を指導した。

「仏法は勝負」である。人生も、健康も、仕事も、全部、「勝負」である。「戦い」である。
「戦」という字は、もともと「戰」と書く。中に、「口」という字が二つある。
口を使って、戦うのである。ミサイルのごとく、語りに語り、声を武器に戦うのである。指導者が、どう口を使うか。指導者に、どんな迫力があるか。どう鋭く頭を使うか。それで、すべて決まる。
「声仏事を為す」(御書708ページ)である。言うべきことを、きちんと言い切っていかなければ、後輩が苦しむ。会員が、かわいそうである。「真実」を明快にしゃべれない幹部は臆病者である。
リーダーは、皆が安心して前進できるよう、温かい配慮をお願いしたい。
心豊かに、後輩を大切にし、たたえ、伸び伸びと活躍できるようにしてあげてほしい。会員を叱ったり、命令する資格などない。そんな時代ではない。
自分自身が人格を磨き、皆に「安心」を与え、皆の「力」を引き出せる幹部に成長するべきである。

「友には優しく」。そして「悪に怒りの炎を」と言い残しておきたい。
仏敵との戦いには、火を吐くような「怒り」がなければならない。口先だけ、格好だけで魔に勝てるわけがない。そんな意気地なしは、学会の幹部にはいらない。
必要なのは「戦おう!」という気概である。師子王の心である。その心をもった人間が、最後には勝つ。

◇御書根本の前進
先生はまた、恩師・戸田先生が、青年リーダーに対して「疲れ切った時にこそ、御書を拝読していけ!」と語り、行き詰まりを打破するよう訴えたことを紹介。御書根本の前進の重要性を強調した。

私も、若き日より、奈良の地涌の友と、いつも御書を一緒に拝しながら戦ってきた。
たとえば、「各各我が弟子となのらん人人は一人もをく(臆)しをもはるべからず」(910ページ)——おのおの日蓮の弟子と名乗る人々は、一人も臆する心を起こしてはならない。
また、「種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし」(232ページ)——さまざまな大難が起ころうとも、智者に日蓮の立てる義が破られないかぎり、(迫害者の言に)したがうことはない。そのほかの(教義を破られる以外の)大難は、風の前の塵である——と。
どちらも、奈良の同志とともに心肝に染めてきた御聖訓である。私は、この御書の通り、何ものも恐れぬ「勇気の信心」で、奈良が進んでほしいのである。

妙法の功徳は「煩悩即菩提」である。
妙法流布に戦っていけば、「悩み」は全部「幸福」に変わる。「疲れ」は「元気」に変わる。「貧乏」は「裕福」に変わる。
これが「妙法」である。「不可思議の法」である。
しかも、妙法の功徳は永遠である。「永遠の希望」であり、「永遠の光」であり、「永遠の力」である。
この一生で仏の境涯を固めれば、生々世々、永遠にわたって、自由自在の境涯に生まれる。頭もよく、姿もよく、お金もあり、人にも尊敬され、人をも自在に救っていける「最高峰の人生」となるのである。

詩情と歴史薫る奈良の天地を「私の心の憧れ」とたたえる池田先生。その地で奮闘する友への万感の思いを、随筆につづった。

我らの万葉の緑野は、地涌の菩薩が敢然と躍り出る、新しき民衆の文化の大地である。
そして、「人間讃歌」の平和の世紀へ、新しき旅立ちの天地である。そこでは、嵐に打ち勝った勇者の凱歌が、常に響いている。

この地から新時代の「友情のシルクロード」をと、壮麗なる奈良国際友好会館も、歴史の都に、平和と文化の宝光を放っている。
さあ、同志よ! 民衆の心と心を結びながら、人間勝利の「ルネサンスの春」を!
明るい、明るい空が、創価の「永遠の都」の上に、晴れ晴れと広がっている。

2019年6月25日火曜日

2019.06.25 わが友に贈る

正義の四国の同志よ
広宣流布の「志」は
志国に燦然と輝けり!
今再び栄光の暁鐘を
高らかに打ち鳴らそう!

一念三千法門 P416
『法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し、譬えば春夏田を作るに早晩あれども一年の中には必ず之を納む、法華の行者も上中下根あれども必ず一生の中に証得す』

【通解】
法華経の行者は如説修行するならば、必ず一生のうちに一人も残らず成仏することができる。
例えば、春、夏に田を作るのに、早稲・晩稲の違いがあっても、一年のうちには必ず収穫するようなものである。
法華経の行者も上根・中根・下根があっても必ず一生のうちに証得する。

〈寸鉄〉 2019年6月25日
自分が託された舞台で日本一を目指せ—戸田先生青年よ限界に挑み歴史を
旭日の千葉が総力の攻勢師子となって走り抜け!民衆勝利の万歳を共々に
新潟・長野頑張れ。今こそ励ましと希望の対話を拡大!人間共和の建設必ず
団地部の日。地域貢献の先駆者が本領発揮。共生新時代の模範を断固頼む
ゲームを始める年齢が早い程、思春期の依存傾向高いと。大人が自覚深く

☆御聖訓に学ぶ勝利の要諦 テーマ「誓願の人生」 2019年6月18日
◇広布の大願に立てば勇気・智慧・力が湧く
師弟の誓願に生きる人は晴れやかです。自身の小さな願いにとらわれていては、せっかく持っている生命の底力を発揮させないままで終わってしまいます。自分自身の可能性を開き、人生に意味を与えるカギこそ誓願です。池田先生はつづっています。「広宣流布こそ、御本仏の誓願である。この仏と同じ誓願に立って、祈り、行動する時、わが生命に『仏の勇気』『仏の智慧』『仏の力』が無限に湧いてくる。これこそが、不可能を可能にする源泉だ。これほど価値ある誇り高い生き方はない」(『勝利の人間学』)。広布の誓願という地涌の使命に目覚め、人間革命の自分史をつづりゆこう。

◇師弟といっても弟子で決まる
●御文
『よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』(華果成就御書、900ページ)

●通解
良い弟子をもつならば、師弟は共に成仏し、悪い弟子を養うならば、師弟は共に地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば、何事も成就することはできない。

師と弟子が誓願を同じくして戦うからこそ、不可能を可能にし、大願も成就することができるのです。
本抄は、弘安元年(1278年)4月、日蓮大聖人が57歳の時、身延で著され、清澄寺で修学された時の兄弟子で、後に門下となった浄顕房と義浄房に与えられました。
本抄で"妙法を弘通する功徳が、必ず師匠にかえっていく"と仰せです。師弟は弟子で決まるのです。
例えば、「開目抄」の有名な一節、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)は、「よき弟子」との共戦勝利の原理を示されていると拝せるでしょう。
一方、「佐渡御書」では、「日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべし」(同961ページ)と、迫害を恐れて大聖人の弘教を非難する、「あしき弟子」の姿を戒められています。
師匠がいかに偉大であっても、師の心を分かろうとしない弟子であれば、師匠をおとしめることになります。
弟子が勝利してこそ、広布の大願もかない、師匠の偉大さも宣揚できるのです。
師と共に——戦う一念のギアを、がっちりとかみ合わせることで、偉大な力を発揮していくことができます。
師のために——報恩の祈りに仏界の生命が涌現します。
さあ、真正の弟子の道を朗らかに進みゆこう。

◇苦難を雄々しく勝ち越えよ
●御文
『願くは我が弟子等・大願ををこせ』(上野殿御返事、1561ページ)

●通解
願わくは、わが弟子たちよ、大願を起こしなさい。

今こそ、弟子たちよ、大願を起こすのだ!
門下の勝利を願う、日蓮大聖人の熱き思いが込められた御文です。
本抄は、弘安2年(1279年)11月6日、日蓮大聖人が58歳の時、駿河国・上野郷の地頭であった南条時光に与えられたお手紙です。
追伸に「あつわらの事の・ありがたさに申す御返事なり」とある通り、「熱原の法難」の渦中に、時光が農民信徒のために奔走したことへの御礼です。
私たちは広布の大願を立て、それを成し遂げるために戦うからこそ、第六天の魔王の働きが強くなり、さまざまな難が襲ってくるのです。その時、大聖人が大難を勝ち越えて示されたように、難に雄々しく立ち向かってこそ、仏の境涯を開くことができます。大願に生きる勇者の道こそ、成仏への直道なのです。
ところが、大変な時、苦しい時には、目の前のことだけにとらわれて、本来の目的を見失ってしまいがちです。だからこそ、「大願ををこせ」と、本来の大願に立ち返ることを教えられているのです。
大事なことは、自らが大願を起こすことです。それは、「だれかに言われたから」「なんとなく」ではなく、「私の誓い」「私の人間革命の挑戦」と、広布の闘争を自分自身の戦いにすることです。
自らの戦いになってこそ、境涯革命、人間革命の歯車が回転を始めるのです。

◇コラム 四弘誓願
菩薩が発心して最初に起こす四つの願いを「四弘誓願」といいます。衆生無辺誓願度(一切衆生をすべて覚りの彼岸に渡すと誓うこと)、煩悩無量誓願断(一切の煩悩を断つと誓うこと)、法門無尽誓願知(仏の教えをすべて学び知ると誓うこと)、仏道無上誓願成(仏道において無上の覚りを成就すると誓うこと。無上菩提誓願証ともいう)の四つです。
御書には「第一衆生無辺誓願度の願・成就せずば第四の無上菩提誓願証の願も成就すべからず」(522ページ)とあります。
一切衆生の成仏のために戦うことで、仏の境涯を開くことができるのです。大きな願いに生きるからこそ、境涯も大きく広げていくことができるのです。
池田先生は「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。だからこそ——この誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる。この誓いを貫く時、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく湧き出でてくる。この誓いに徹し切る時、どんな悩みも変毒為薬し、宿命をも使命へと転じていける」とつづっています。
誓願の炎を燃やし、勇敢に広布拡大に打って出ましょう。

2019年6月24日月曜日

2019.06.24 わが友に贈る

◇今週のことば
人のつながりは
幾重にも広がる。
勇気の一声で心を開き
大きく友情を結ぼう!
境涯も連帯も広々と。
2019年6月24日

御義口伝 P708
『南無妙法蓮華経の南無とは梵語妙法蓮華経は漢語なり梵漢共時に南無妙法蓮華経と云うなり』

【通解】
南無妙法蓮華経の「南無」とは梵語、「妙法蓮華経」は漢語である。梵語と漢語が一体となって南無妙法蓮華経というのである。

〈寸鉄〉 2019年6月24日
広布は「劇よりも大きなこの世の劇」牧口先生。壁破るドラマを同志と共に
愛知、三重、岐阜の友よ堅塁の地から拡大の波動を!勝利の一番星と輝け
宮城、山形、福島が勇戦。東北健児が立てば日本は変わる。不屈の前進を今
沈黙せず汝の使命を果たせ—箴言。青年なら一の暴論には十の正論で反撃
緊急地震速報が最大25秒早く。命守る重要な情報。各家庭での備えも忘れず

☆随筆「人間革命」光あれ 広布誓願の大生命 2019年6月20日
合言葉は「前進また前進!」
「地涌」とは希望を点す大光なり
勇者たれ!——道を開く力は勇気

はじめに、この十八日夜、新潟・山形両県など各地を襲った激しい地震に際し、心よりお見舞い申し上げます。
夜中の突然の災難に、どれほど恐ろしい思いをされたことでしょう。一日も早く、平穏な生活が戻るよう、深く祈らずにいられません。
日蓮大聖人は、佐渡の地で、「わざは(禍)ひも転じて幸となるべし」(御書一一二四ページ)との大確信を示されました。
新潟出身の牧口常三郎先生も、苦難の中、「変毒為薬」の妙法の功力を、何度もご家族に強調されていました。
一番大変な時、"困難を乗り越える力"を厳然と開いていけるのが私たちの信心です。
私も妻も、一段と「立正安国」の誓いを強くし、皆様の無事安穏を強盛に祈念してまいります。

◇創価家族の底力
梅雨の晴れ間が広がった先週十三日、街路樹の緑もまぶしい都心の街を車で回った。
ふと見上げると、空の「青」がビルの窓に映り込んでいた。天空に青、地上にも青。ああ青春の色、希望の色だ——私は思わずカメラを向けた。
希望は人生の宝なり。
希望は社会の光なり。
希望は勝利の力なり。
ドイツの大詩人シラーは「希望」を歌った。
「希望は人に生をあたへ」「まばゆい光りで青年を鼓舞し/老年とともに埋もれもしない」
この詩歌さながらに、民衆の心に希望の灯を明々と点し続けているのが、創価家族である。
男女青年部は、まさにまばゆい光を放ち、尊き多宝の父母たちも青春の誓いのままに、奮闘の汗を流してくれている。
広宣流布の大誓願に生き抜く地涌の菩薩の群像にこそ、決して埋もれることのない、どこまでも燃え広がりゆく希望の炎があるのだ。

◇清き蓮華の如く
各地から蓮華の花便りが届く季節となった。
法華経の会座に大地より躍り出でた地涌の菩薩は「如蓮華在水」、すなわち最も深い泥水の中でも最も清らかな花を咲かせる蓮華に譬えられる。
苦悩渦巻く現実生活にあって、仕事で悪戦苦闘する友も、経済苦に挑む友もいる。病と闘う友も、家族を失った友もいる。子育てに追われる友も、介護に尽くす友もいる。
皆、それぞれに言い知れぬ悩みを抱え、多忙を極める中で、それでも、広宣流布のため、立正安国のためにと労を惜しまず奔走する日々である。
牧口先生が大切にしておられた「御義口伝」の一節がある。戦時中の弾圧で押収された御書に線が引かれていた。
それは、すなわち「煩悩の淤泥の中に真如の仏あり我等衆生の事なり」(七四〇ページ)と。
泥沼の如き社会に、あえて打って出る立正安国の大闘争こそ、自他共に「真如の仏」の大生命を馥郁と開花させゆく希望の道なのである。

◇共戦の弟子の道
全ては、日蓮大聖人がお見通しであられる。
門下の四条金吾と日眼女の夫妻を「陰徳あれば陽報あり」(御書一一八〇ページ)と賞讃されたように冥の照覧は絶対である。
日本中、世界中の創価の陣列には、この四条金吾夫妻を彷彿とさせる陰徳陽報の同志がいる。
私は、その尊き「負けじ魂」の宝友たちの顔を心に浮かべつつ、金吾夫妻への御聖訓を拝するのが常である。
大聖人は言われた。
「返す返す今に忘れぬ事は頸切れんとせし時殿はとも(供)して馬の口に付きて・な(泣)きかな(悲)しみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん」(同一一七三ページ)
竜の口の法難で馬に乗せられて処刑場に向かう際に、馬の口に取りすがって泣き悲しんでくれたことを、永遠に忘れない——との仰せである。
その上で、大聖人は、世間が過ごしにくいなどと嘆いて、人に聞かせてはならないと諭され、さらなる仏道修行へと導く大激励をされている。
「中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ね(根)もよ(吉)かりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」「心の財をつませ給うべし」(同ページ)等々——。
皆、凡夫であるから、愚痴をこぼす時もある。感情に流されたり、つい調子に乗って失敗したりする場合もある。
だからこそ、御本仏は何としても愛弟子を最後まで勝ち切らせたいと、油断や慢心を厳しく細やかに戒めておられる。
「人の振舞」を大事にし、いやまして「心の財」を積むよう御指南してくださっているのだ。
わが門下よ、師弟不二の「共戦」の誉れの上に、いよいよ師弟不二の「勝利」を満天下に示し切っていくのだ、と。
どこまでも弟子の勝利を願い信じる大慈大悲が拝されてならない。

◇破邪の師子吼を
あの「大阪の戦い」の渦中、破竹の勢いで広布拡大を成し遂げた関西の同志に、私は波瀾万丈のナポレオンの人生を通して語った。
妙法流布に生き抜く、我らの「前進また前進」こそが人類の平和を築きゆく希望なのだ、と。
人間として最も崇高な使命に目覚めた民衆の大前進は、「魔競はずは正法と知るべからず」(同一〇八七ページ)との御金言に寸分違わず、三障四魔の嵐を呼び起こした。
この時、関西入りされた恩師・戸田城聖先生は、大阪・中之島の中央公会堂で師子吼された。
——いかに学会を憎もうと、陥れようと、誰人が騒ごうと、我らは師子王だ。野良犬を恐れて何としようぞ!——と。
魔を断ち切る、正義と大確信の叫び、邪悪を許さぬ烈火の怒り……恩師の声が今も蘇る。同志がどんなに安堵し、希望と勇気を抱いたことか。
これが、広布の陣頭指揮を執る大将軍の気概であらねばならない。

◇難所を越えゆけ
本年はナポレオン誕生二百五十年——。
ナポレオンの"アルプス越え"は世界史上に名高いが、日本では一ノ谷の合戦における源義経の"鵯越"の奇襲戦が思い浮かぶ。六甲山地に抱かれた、現在の兵庫県神戸市域が舞台である。
"あんな場所から攻めるのは不可能"と誰もが怖じ気づく難所。しかし義経は鹿が通ると聞いて言った。ならば馬が通れぬはずはない、と。
道はある。自分が先陣を切ろう!——この決断と率先の行動が突破口を開いたのだ。
「勇気があれば、道はいつでも拓ける」とは、アメリカの哲人エマソンがナポレオンの人生から導き出した教訓である。
勝つと一念を定めた人間ほど強いものはない。
我らには「なにの兵法よりも法華経の兵法を」(御書一一九二ページ)と教えられた常勝不敗の将軍学がある。かつて、この御指南を胸に、兵庫の播磨・加古川へ、姫路、西宮等へと駆けたことも忘れられない。恐れなき勇者の信心に、勝利への勢いは必ず加速していくのだ。

◇異体同心で勝つ
戸田先生が逝去された翌年——つまり六十年前の六月、私は"大関西の電源地なり"と信頼してやまない尼崎にいた。
関西の総支部幹部会に出席し、恩師なき学会への心ない中傷が続く中、歯を食いしばって戦ってきた同志に、戸田先生からの記別を伝えた。
「関西は広宣流布の牙城である。錦州城だ」
いついかなる時にも、私には常勝の同志がいる。私と共に逆境をはね返してきた、難攻不落の「金の城」の戦友がいる。
「立正安国」という大理想への我らの建設は、誰もが波濤を越えて、自他共の勝利と幸福へ至る高き橋を築く戦いだ。
私は五十一年前、明石・淡路、また北兵庫の豊岡の友のもとへ飛び込んでいった。「広宣流布に生きる人生が、どれほど素晴らしく、偉大な名誉であり、福運であるか」——この大歓喜を全同志が味わってほしかった。
そのために、「自他彼此の心なく水魚の思を成して」(同一三三七ページ)進むのだ。「異体同心」で勝ちまくるのだ! これが我らの大兵庫であり、不二の常勝関西である。

◇永遠の功徳の花
一九九〇年の六月、懐かしい東兵庫を走り、丹波の関西墓園を初訪問した折、道すがら、野の花を摘んで花束をつくり、歓迎してくれた高等部の乙女がいた。
私は妻と感謝を込め、
「れんげ草
  香り千年
   功徳千年
   父に母に友に
     よろしく」
と記し、贈った。
「れんげ草」には、「因果倶時」の蓮華の意義を留めたのである。
今、立派な女性リーダーとして、ご家族、地域の友と元気に功徳の花を咲かせている様子を、先日もうれしく伺った。
妙法は「末法一万年の衆生まで成仏せしむる」(同七二〇ページ)究極の希望の極理である。
我らは「前進また前進」「希望また希望」を合言葉に、威風も堂々と舞いゆこう!
一切を断固と勝ち切って、「人間革命」即「立正安国」の希望の物語を世界へ、未来へ、光らせゆこうではないか!

2019年6月23日日曜日

2019.06.23 わが友に贈る

今日の努力と挑戦が
未来の自分を輝かせる。
「さあ、やろう!」と
すがすがしい決意に燃え
人間革命の歴史を共に!

日女御前御返事 P1243
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉る』

【通解】
ここに日蓮は、どういう不思議であろうか、竜樹、天親等、天台、妙楽等でさえ顕されなかった大曼陀羅を、末法に入って二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕し申し上げたのである。

〈寸鉄〉 2019年6月23日
沖縄「慰霊の日」。人々の心に平和の砦を。不戦のスクラム拡大へ誓い新た
兵庫が怒濤の追い上げ。猛然と攻め抜け。「まさかが実現」の逆転劇を必ず
京都、滋賀、福井の躍進が常勝の決定打!大関西の新しき伝統築く勝ち戦を
「広布は私がやる」との気概で進め—恩師。師子は率先。そこに創価の魂
雨の自転車走行、75%が危険感じた経験。傘差し運転は厳禁。規則を順守

☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生 第19回 東京校 1994〜96年度
民衆のために苦労と忍耐を!
大事なことは"戦いきろう!"との情熱が燃えているかだ。

富士が見えるぞ
武蔵野の
渓流清き 鳳雛の
平和をめざすは
何のため
輝く友の 道拓く
未来に羽ばたけ
君と僕

熱戦の余韻冷めやらぬ阪神甲子園球場。
誇らしげな球児たちの歌声に、スタンドに駆け付けた応援団らも声を重ねる。その"凱歌"の響きは、球場の銀傘を揺るがし、大空にこだましていった——。
1994年8月10日。創価高校の硬式野球部は、2年ぶり3度目の出場で「甲子園初勝利」を果たした。
テレビやラジオから流れる校歌「草木は萌ゆる」に、声をからして応援した全国の人々は、胸を熱くした。
同部が初めて甲子園の土を踏んだのは、83年夏。大会屈指の好投手を擁するも、初戦突破はならなかった。2度目の夏(92年)は、1回戦で強豪と対戦。接戦の末、1点差で涙をのんだ。
"甲子園で我らの校歌を"——この思いは、野球部だけでなく、在校生や卒業生、保護者らの悲願にもなっていた。
初勝利のその日、創立者・池田先生は、北海道に向かう機内で吉報を耳にした。窓の外には、大きなV字形の雲が浮かんでいた。
先生は詠んだ。
「日輪に 白雲までも Vサイン 何と不思議な 優勝サインよ」
憧れの舞台に、7番ショートで先発出場した片桐哲郎さん(高校25期)。「校歌斉唱の場面は夢見心地で、あまりよく覚えてないんです。宿舎で録画した映像を見た時に、実感が湧いてきました」
画面には、涙して歌う多くの観客が映し出されていた。片桐さんはその光景を心に焼き付ける。
"もう一度、校歌を!"
続く2回戦で、片桐さんはホームランを放ち、チームの勝利に貢献。ベスト16という歴史を飾った。
同部はその後も、破竹の勢いで勝ち進む。
94年、秋の都大会と明治神宮大会で初優勝。95年、春のセンバツ甲子園に初出場し、春の都大会で初優勝。夏の西東京大会を制し、再び甲子園に戻ってきた創価ナインは2度、校歌を歌い、ベスト8に輝く。
片桐さんは卒業後、創価大学、社会人野球を経て、学園の教員に。硬式野球部の若き監督として、2007年には母校を春夏通算8度目の甲子園へと導いた。
「勝利を待っていてくれる人が、日本中、世界中にいる。これほど幸せな学校はありません。生徒たちには、日本一を目指す真剣勝負の青春の中で、池田先生との生涯の原点を築いてほしい」

◇勇気の人たれ
「皆の力で、朗らかに、伸び伸びと、21世紀への長い長い伝統をつくっていきましょう」
創立30周年が2年後に迫った1995年、池田先生は新時代の学園建設に臨む生徒らにエールを送った。
東京校の「栄光祭」や関西校の「健康祭」など、学園には創立者との思い出深き歴史がある。その意義を踏まえ、新たに「栄光の日」(7月17日)、「情熱の日」(10月10日)、「英知の日」(11月18日)を定め、東西両校で記念の行事を行うこととなった。
先生は、これらの第1回の式典に、真心のメッセージを寄せた。
「『栄光』とは、いったい、何か? それは、有名になることでもなければ、人気や流行に乗ることでもない。いかなる困難にあおうとも、揺るぎない信念で、民衆のために苦労し、民衆のために忍耐し、民衆のために戦い続ける人こそ、真実の『栄光』の人であると、私は思う」
「一時の勝ち負けよりも大事なことは、何か。それは、『がんばろう! 戦いきろう!』という熱き"情熱"が、わが胸に赤々と燃えているかどうかです」
「まことの『英知』の人とは、すなわち『勇気』の人である」
学園生は"1期生"の気概で、初めての行事に取り組み、草創からの先生のスピーチを真剣に学び深めていった。
高校26期の松藤慎一朗さんは、当時3年生。学園生への指針を収めた『創立者とともに』を常に持ち歩き、各地から集った栄光寮の仲間と夢や理想を語り合った。
"語学を磨いて世界へ"との先生の期待に触れ、創大を卒業後、大手飲食チェーンに就職。思うようにいかない現実に辞めようかと悩んだ日が幾度もあった。そんな時、松藤さんを支えたのは『創立者とともに』に収録された先生の詩だった。
「希望に燃えて 怒濤に向い たとい貧しき 身なりとも 人が笑おが あざけよが じっとこらえて 今に見ろ……」
就職から5年、希望していた海外事業部に配属。その後、精力的な働きぶりが買われ、海外展開を主軸とする新しい会社の設立に携わる。現在、アジア60店舗を管轄するインドネシアの現地法人の代表取締役に。親会社の最高執行責任者(COO)も務める。
英知・栄光・情熱——学園で若き翼を鍛えた鳳雛たちが今、使命の大空へ、力強く羽ばたいている。

◇勝利者の条件
第27回卒業式(97年3月16日)が行われた創価学園・池田中央体育館。
卒業生の席は、鮮やかな紺色に染まっている。全員が、そろいのガウンに身を包んでいた。
これは、池田先生の提案によるもの。この年から、門出を迎えた小学生(えんじ色)と高校生(紺色)にガウンが、中学生には桜のコサージュが贈られることに。
衣装や社会的地位の違いを全て覆い隠すガウンは、学問の前では、皆、平等であることを示す「学問の民主主義」の象徴である。
卒業式に出席した先生は、その意義に触れて訴えた。
「わが学園生は、牧口先生が、厳寒の牢獄にあっても、最後までカントの哲学書を探究されていたごとく、一生涯、学問を愛し続けていただきたい。私も、今でも勉強を続けている。自分で自分を鍛えている。皆さんも全員が、それぞれの道で、『博士』の存在となって英知を光らせていただきたい」
石川由紀さん(高校27期)もこの日、紺色のガウンに袖を通した一人。学園時代、池田先生が環境開発国際会議に寄せた論文に感動し、学問への情熱を燃え上がらせた。
そこには、人類は「万物の尊厳性を守る"保護者"」であり、「地球生態系の創造的調和をもたらす"調整者"とならなければならない」との視座が示されていた。
"将来、先生の構想の一端を担える人材に"との志を抱き、創大の工学部(当時)に進学。だが、勉学や部活動など目まぐるしい毎日に、心身のバランスを崩してしまう。創立者や友人の激励により、何とか研究の道に進むも、博士号取得の寸前で体調は限界に。やむなく博士課程を満期退学した。
環境調査会社で働いた後に結婚し、茨城県・東海村へ。同じく学園出身で研究者の夫を支え、子育てに奮闘する中、青春の誓いを果たせていない悔しさが日に日に募っていった。
ある日、石川さんは一念発起する。幼い2人の娘を育てながら、論文の執筆を開始。家族や周囲の応援もあり、2年間の苦闘の末、ついに念願の博士号を取得する。現在は、つくば市にある研究機関に勤務。一昨年からは、大学の非常勤研究員も務めている。
家事や育児、仕事に追われながらも、"青春の誓いの道"を懸命に歩む石川さん。その胸には、池田先生から贈られた卒業指針が深く刻まれている。
「君よ! 思うようにいかぬ一日一日も 忍耐で乗り越えよ! ここに勝利者の条件があることを忘れまい」

◎金曜日の夜から強行軍で兵庫に行き、足の悪い叔母の足となり、楽しくF活動ができました。功徳で購入できた新車が大いにやきうに立ちました。

2019.06.22 わが友に贈る

師弟源流の北陸よ!
「声も惜まず」
正義の大言論戦を!
誓いに生き抜く人には
無量無辺の力が湧く。

四条金吾殿御返事 P1143
『ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経ととなへ給へ』

【通解】
ただ女房と酒をのみかわして、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。

〈寸鉄〉 2019年6月22日
今いる場所こそ「よきところ」御書。使命の地で信頼の賢者に。誠実一路で
大九州の心臓部・福岡が奮闘。勇気と団結で競り勝て!先駆の凱旋断じて
広島、岡山、山口の同志が開拓魂で拡大!新たな歴史刻むのは今。語り捲れ
奄美の日。広布の理想郷を築く勇者の陣列。勝利島から希望の波を世界へ
公明が「防災・減災」に光を当て、政治の争点に—識者。命守る実績で輝け

☆勇気の旗高く 池田先生と岐阜 2019年6月14日
◇知恵豊かな「勝利王」たれ
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は岐阜県を掲載する。

◇「破邪顕正」の初陣
池田先生の岐阜初訪問は、1953年(昭和28年)12月13日。戸田先生の命を受け、戦時中、軍部政府に迎合し、「神本仏迹論」なる邪義を唱えた極悪坊主を破折するためである。先生は、中部の同志に贈った長編詩「新しき大中部の太陽よ 勝ち昇れ!」で詠んでいる。

あれは
昭和二十八年の師走——
二十五歳の私は
中部の大地に勇み立った。

岐阜駅から
ボンネットバスで
美濃へと向かった。
そこには 戦時中
「神本仏迹」の邪義を唱え
牧口常三郎先生と
戸田城聖先生の
殉難の発端をなした
傲慢きわまる
老獪な悪侶らがいた。

殉教の牧口先生の偉大さを
訴え抜きながら
私は この坊主を叱咤した。
金儲けなど考えるな!
正法正義の師弟に
懺悔し謝罪せよ!

初代と二代を苦しめ抜いた
邪宗門の魔僧の悪行に
三代の私が
ここ中部で
最後の止めを刺したのである。

「破邪顕正」の遠征が
中部での初陣となった。
まず「破邪」である。
邪悪を打ち破ってこそ
「顕正」がなされる。
師匠の正義を宣揚できるのだ。
30年前の1989年(平成元年)4月19日、岐阜平和講堂で行われた第16回本部幹部会において、先生は「岐阜」の名の由来と意義を語った。

「岐阜」という名には、天下をも包みゆくような広がりがあり、気宇壮大な響きを感じる。ご存じのように、この地名は、古代中国の王・周の文王(紀元前十一世紀ごろ)が"「岐山」に起って天下を定めた"との故事、また孔子の生誕地「曲阜」にちなんで、名づけられたといわれる。

岐阜の「岐」には、知恵がついていく、生い育っていく、との字義がある。「阜」にも、大きくする、豊かにする、盛んにする、との意味がある。
まさに「岐阜」の皆さま方こそ、全員が知恵豊かな「勝利王」であることを、私は確信してやまない。

◇人間としての栄冠
2003年(平成15年)2月の随筆で、フランスの文豪・デュマを通して、池田先生は岐阜の深き使命について訴えた。

「皆は一人のために。一人は皆のために」
代表作の一つ『三銃士』のなかで、主人公たちが団結を誓う名文句である。
「皆は一人のために」——いわば、一人を大切にする人間主義の心といえようか。
「一人は皆のために」——友のために一人立ち、献身しゆく責任感であろうか。
この両方の心が生き生きと脈動する、真正の人間王者の団体が、わが創価学会だ。
この模範の「人間の都」をさらに堅固にし、さらに強めていかねばならない。
日本の中心たる中部にあって、威武堂々、その民衆大行進の最前線を進むのが、我らの岐阜の使命である。

五十年前(一九五三年)の師走、私は名古屋に続き、岐阜に第一歩を印した。
以来、訪問は二十回にも及ぶが、いつも岐阜の空は澄み渡り、麗しき「飛山濃水」の国土が最高の装いで迎えてくれていた気がする。
岐阜で行った第一回中部青年平和文化祭(八二年)も、「曇りのち雨」の予報を覆して、青い空が不屈の五段円塔を祝福した。
高山の友との出会い(六七年)も、乗鞍や穂高の秀峰が見守っていた。
今、ここには待望の二十一世紀研修道場が完成し、白川郷の合掌造りを思わせる高山文化会館からは、"愛郷"の友の歓声が響いている。
また、七二年(昭和四十七年)の三月十二日、四千二百人の岐阜の友と記念撮影をした日も、清々しい空の彼方に、くっきりと雪の伊吹山が見えた。
会場の県民体育館(当時)には、開館したばかりの「岐阜本部」の巨大な絵が、満開の桜に包まれて描かれ、その下には県花のレンゲ草の花壇が設けられていた。
撮影の合間には、「春の小川」の大合唱となった。私はピアノも弾いた。岐阜の友が喜んでくださるなら、何でもしたかった。
皆、あの「言論問題」で、驕れる権力の罵倒に激怒しながら、悔し涙を流しながら、必死に耐えてきたからだ。

悪と戦わずして、善の勝利はない。善の拡大なくして、幸福の拡大もない。勇気をもって戦う生命こそ、人間としての栄冠なのだ!
これは、中部の同志と共に半世紀、来る日も来る日も、広宣流布の戦場を勝ち越えてきた私の結論である。
わが岐阜の同志よ! 正義と幸福の炎を燃やしながら、人生の凱旋門へと続く「この道」を、夫婦と共に、親子と共に、そして同志と共に、朗らかに、堂々と、勝ち進んでくれたまえ!

日本一の和楽の団結
岐阜県の南西部で、東軍・徳川家康と、西軍・石田三成が激突した「関ケ原の戦い」。この天下分け目の決戦から400年後の2000年6月、先生は随筆「『関ケ原決戦』四百年」をつづった。

「関ケ原の決戦」の勝敗は、わずか一日で決した。
勝者・家康は、二百六十余年続く江戸幕府を開き、敗軍の将・三成は処刑になる。
戦いは厳しい。人生の戦いであれ、広布の戦いであれ、断固として、勝たねばならない。

「真の団結」は、中心者が、どこまで同志を尊敬できるか、どこまで、同志のもてる力を発揮させることができるか、で決まるといってよいだろう。
ゆえに、輝く勝利は、御聖訓にある「異体同心」という厳たる団結にある。
そして、勝利の堅塁は、輝く人材の陣列の強化のなかにあるのである。

戦は「勢い」で決する。誰でもない、リーダー自身の「勢い」で決まる。
まさに「軍には大将軍を魂とす」(御書1219ページ)である。

2002年の随筆で、先生は岐阜の同志に「日本一」の団結を呼び掛けた。

わが正義の学会は、「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり」(御書1023ページ)との御聖訓通り、全世界に、この大聖人の法門を広宣流布している。
「正義の大道」を、たゆみなく勝利の前進で、歩み、戦いゆくことは、何と素晴らしき喜びであろうか。

創価学会は、この濁世にあって、大聖人の未来記を、寸分違わず実現し、証明してきた。
そして、その誓願の炎が、明々と燃えあがる模範の山河こそ、わが岐阜なのである。忍耐の持続の彼方に、栄光があり、勝利があるからだ。

広宣流布の歴史を着実に進めてきた天下の岐阜よ!
天下にそびゆる、広宣流布の栄光城よ! いついつまでも勝ちゆけ!
そして、日本一の楽しき同志の和楽の団結を示してくれ給え!

2019年6月21日金曜日

2019.06.21 わが友に贈る

御聖訓「此の事に
あはん為なりけり」
広布請願の大闘争を
ここから! 私から!
最高の自分史を綴ろう!

顕謗法抄 P445
『大酒なる者此の地獄の苦免れがたきか』

【通解】
大酒飲みの者は、此の地獄の苦しみを免れ難いのではないだろうか。

〈寸鉄〉 2019年6月21日
「人生は強気でいけ」恩師勝つための信心。確信の祈りと行動で障魔は退散
本陣・東京が激闘。師子奮迅の勢いで勇敢に進め。民衆の底力示し凱歌を!
常勝の天地・大阪の友が総立ち。圧倒的拡大を!勝利の旋風を巻き起こせ
認知症の予防、「人に会う」ことが脳の機能鍛える—研究。賢く皆で協力
官庁を装った封書等、巧妙な手口の架空請求が増加。慌てず即相談・通報

☆私がつくる平和の文化 第6回 平和構築の主体者
◇インタビュー 戸田記念国際平和研究所所長 ケビン・クレメンツ博士
「私がつくる平和の文化」第6回のテーマは「平和構築の主体者」。インタビューは、ニュージーランド出身で、世界的な平和学者として活躍する戸田記念国際平和研究所所長のケビン・クレメンツ博士です。今年3月に同国で起きたモスク襲撃事件の経験などを踏まえ、私たちが寛容と共生の社会を築くために必要な視点について語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)

——今年3月にクライストチャーチで起きたモスク襲撃事件は、世界に大きな衝撃を与えました。

博士 "こんな悲劇が平和なニュージーランドで起きるなんて、信じられない"というのが、多くの人たちの思いでした。今回の事件で尊い命を奪われた51人は、そのほとんどが平和な暮らしを求めてニュージーランドに移住したイスラム教徒でした。
この事件を通して私たちは、"移民に対して、本当に差別や偏見を抱いていなかっただろうか。現実には差別があったのに、見過ごしていたのではないか"と、反省を迫られたのです。
若き女性リーダーであるアーダーン首相は、直ちに法律を改正して銃規制をより厳しくするとともに、"暴力による報復に走ることなく団結しよう"と人々に呼び掛けました。
私が教えているオタゴ大学の学生たちは、寛容の精神を表明しようと「安全な場所」というポスターを作りました。一人一人の違いや共通性を認め合う"安全で平和な場所"の大切さを皆で考えたいと願ったからです。ポスターは移民の人にも分かるようアラビア語も併記。これに賛同した個人やお店が、次々とポスターを張り出してくれました。
私も、寛容な人、差別を傍観しない人を育てるには、そのための教育が重要だと考えました。そこでまず、幼稚園の先生たちに、異なる民族や宗教の子どもたちに尊敬をもって接するよう講習会を開催しました。これには、難民問題に取り組む私の妻も協力してくれました。
今、ニュージーランドでは、小さな差別も許さない社会をつくっていこう、「平和の文化」を築いていこう、という挑戦が始まっています。
 
——SNSやメディアの役割も問われる事件でした。

博士 今回の事件では、容疑者が、銃を乱射する様子をフェイスブックで生中継したことにも衝撃が走りました。
SNSには、過激で暴力的な情報もあふれており、多くの若者がその影響を受けています。大事なことは、そうしたメディアの情報をうのみにせず、「本当かな?」と疑ってみること。あくまで自分の価値観や道徳観に照らして、立ち止まって考える習慣を身に付けることです。
メディアは、ある集団に対して、悪いイメージをつくりがちです。そこから差別が始まります。しかし、一人一人を尊厳をもった個人として見れば、その個性、かけがえのなさに気付き、それが私たち自身をも豊かにするのです。
 
——クレメンツ博士の学問の師匠であったエリース・ボールディング博士は、「平和の文化」の理念の提唱者でした。

博士 彼女は、平和構築における「女性の役割」を重視していました。なぜなら女性は、「自分たちの安全は他者との平等な関係性の中にある」ことを知っているからです。家庭、友人関係、職場においても、本当の意味の「安全」とは、人との関係性の中にしかない。それを理解し、より安全で平和な関係を築くことが「平和の文化」です。 今、戦争の悲惨さや脅威が青年に受け継がれていないために、若い人たちは、軍事力などのハードパワーに頼れば自分たちの「安全」が守られると誤解しています。 
博士は、「平和の文化」とは「耳を傾ける文化」とも表現していました。対立する人間同士が相手の意見にも耳を傾け、「対話」を通して問題解決への道を開くには、両者が安心して心を開き、対話できる環境を整えることが大事だと訴えていたのです。
私も博士の後継者として、皆が安心して自由に対話できる場をつくろうと日々努力を続けています。

◇正義を貫く「勇気」を
——平和を築くために、私たちに必要なことは?

博士 どこまでも人間を信じ抜くことです。それは出会う人たちに尊敬を持つことから始まります。相手に恐怖や不信を抱けば、相手もそれを感じます。反対に、相手に愛情や尊敬の念を抱けば、相手もそれを感じるものです。
「平和の文化」とは、恐れや憎しみを愛に、非寛容を慈悲に、悲観主義を希望に変えていくことです。それが、個人の人間関係も、さらに社会や政治における関係をも変えていくことになるのです。
私は池田SGI会長と啓発に満ちた対話を重ね、対談集も編みました。池田会長の平和行動の根底に「人間への信頼と慈愛」があることに、深い共感を寄せています。
私の父も、生涯を懸けて平和のために行動しました。父は亡くなる直前、私の娘から、幸せに生きる秘訣を問われ、「愛と勇気と希望が必要だよ」と答えました。とりわけ「勇気」だと。
生き抜くこと自体が勇気。人を育てるのも勇気。権力が間違った方向に進もうとする時に、それに反対するのも勇気。勇気のない人間に平和を築くことはできない、と語っていました。創価学会の歴史を見ても、牧口初代会長、戸田第2代会長が軍部政府に反対したのは、正義を貫く勇気があったからだと思います。
ボールディング博士は言いました。「平和の文化を構築するには、自分が築きたいと思う世界——人間の平等が守られ、戦争と武器のない世界——を想像することが大事」と。その実現のためには、世界市民の意識に立つ民衆が行動することです。「平和の文化」を自らの生き方とする一人一人が、平和構築の主体者だからです。

ケビン・クレメンツ 1946年、ニュージーランド生まれ。オタゴ大学国立平和紛争研究所の所長をはじめ、国際平和研究学会(IPRA)の事務局長などを歴任。ニュージーランド、オーストラリア、イギリスなど、各国政府の政策顧問も務めた。2017年7月から現職。

◇「みんな語り部になれるんよ」
誰でも平和構築の主体者になれる——そんな思いを長年伝え続ける広島の夫妻を取材しました。

「私は被爆者でも、広島生まれでもありません。でも広島の心、平和を願う心は、語り継ぐことができると思っています」
そう語るのは品川俊子さん。夫・正則さんと共に、原爆資料館や慰霊碑などの解説をする「ヒロシマ・ピース・ボランティア」として活躍する。
品川さんは、終戦後の1945年(昭和20年)10月、中国・北京で生まれた。翌年、家族で日本へ引き揚げ、父の実家のある広島で暮らした。
20歳の頃、品川さんの生き方を決定づける出来事があった。大阪に住む叔母から被爆体験を聞いたことだ。叔母は出産を間近に控え、爆心地に近い実家に里帰りしていた。
8月6日午前8時15分。閃光と熱線。すさまじい爆風。2階建ての実家は瞬く間に押しつぶされた。気が付くと、祖母は大きな梁の下敷きに。そこに猛烈な勢いで炎が迫っていた。祖母は叫んだ。「福ちゃん(叔母)、お願いじゃけえ、早う逃げんさい! いい子を産むんよ!」と。その直後、誰かが叔母を強引にその場から連れ出した——。
"母を見捨てて逃げた"と自分を責め続け、叔母はその後、生涯、広島の地を踏むことはなかった。叔母は声を絞り出すようにして言った。「あなたのおばあちゃんは、人に尽くす優しい人だった。その人が生きたまま焼かれた……。広島には、あなたのおばあちゃんのような人が何百、何千といたことを絶対に忘れないでほしいんよ」
品川さんはこの時、生涯、平和に尽くそうと誓った。
以来、3人の育児に奮闘しつつ、創価学会女性平和委員会の一員として反戦出版や、核兵器廃絶の展示に携わり、「被爆体験を聞く会」の開催にも貢献。2004年、夫・正則さんの定年を機に、二人で半年間の研修を受け、ピース・ボランティアになった。
品川さんは修学旅行の子どもたちに必ず言っていることがある。「みんなも平和の語り部になれるんよ」
ある日、奈良の小学生から、うれしい手紙が届いた。
"おじいちゃんに広島での話をしたら、おじいちゃんも戦争に行った時の話を初めてしてくれました。私も語り部になります"
海外から訪れる人とも一期一会の出会いを大切にし、交流を深める中、被爆者と共にアメリカやイギリス、イタリアなどで講演する機会も得た。昨年8月にはモンゴルで品川さんの祖母の話を題材とした絵本が出版された。
正則さんは被爆70年の2015年にピース・ボランティアの代表幹事を務めた。
「目の前の"一人"を大切にすることから平和は生まれる」——そう固く信じ、品川さん夫妻は、世界へ、未来へ、広島の心を伝え続ける。

★池田先生の指針から
誰もが、平和を望んでいる。
どんな人にも、他者を慈しみ、大切にする心が具わっている。
ほんの少しの勇気が、友を守る力となる。
何気ない言葉でも、人生を変える時がある。
大事なことは、誰の心にもある良心と勇気を一人、また一人と呼び覚まし、地域を、社会を、そして人類全体を包み込んでいくことではないだろうか。

池田大作

(「随筆 我らの勝利の大道」から)

2019年6月20日木曜日

2019.06.20 わが友に贈る

模範の楽土を築きゆく
気高き沖縄の友よ。
誠実な対話に勇み舞え!
世界が憧れる幸福島から
歓喜の波動を広げよう!

崇峻天皇御書 P1174
『周公旦と申せし人は沐する時は三度握り食する時は三度はき給いき、たしかにきこしめせ我ばし恨みさせ給うな仏法と申すは是にて候ぞ』

【通解】
周公旦という人は(客人が来れば)沐浴して髪を洗っている時でも三度、水を絞り落とした。また食事中でも三度、吐いて食事を中断した(客人を待たせなかった)。しっかりお聞きなさい。(日蓮の言うことを聞かずに失敗しても)私を恨まないようにしなさい。仏法というのは、このことをいうのである。

〈寸鉄〉 2019年6月20日
会長の哲学には誰も置き去りにせぬ慈悲が—学長社会を照らす希望の大光
激戦の埼玉が気迫と執念の大攻勢。鉄桶の団結で壁破れ!勝利の旗を断固
神奈川よ一気呵成に攻め上がれ。勝ってこそ正義。共戦の友と歴史を創れ!
不得意なものに挑む中で自分の価値が発揮—先師勇敢に語り敵をも味方に
地球上の核弾頭数4%減「絶対悪」との思潮を時代精神に。民衆の連帯拡大

☆みんなで学ぶ教学 第25回 仏法西還
◇創価学会が世界広布を実現
創価の励ましの連帯は、今や世界各地に広がり、題目の声が途切れることなく地球を包む時代を迎えました。今回の「みんなで学ぶ教学」では、日蓮大聖人の未来記(未来を予見して記したもの)である「仏法西還」をテーマに学びます。

◇人類を救う道を開く
——聖教新聞を読むと、世界各地で学会員が活躍していることを実感します。

そうですね。現在、192カ国・地域に大聖人の仏法は広がりました。
世界広宣流布については、釈尊が説いた最高峰の経典である法華経に、次の呼び掛けがあります。
「私(=釈尊)が亡くなって後、『後の五百歳』に正法を全世界に広宣流布して、断絶させてはならない」(法華経601ページ、趣意)
広宣流布、つまり正法である法華経を全世界に弘めていくことが、釈尊の未来記(=予言)でした。その実現のために戦い抜かれたのが、日蓮大聖人です。
大聖人は、末法の御本仏として、万人の成仏を実現する正法、つまり法華経の肝心である南無妙法蓮華経を弘められることで、全人類の救済の道を開かれたのです。

——大聖人お一人から世界へ。すごい広がりですね。

大聖人は、世界広宣流布について「顕仏未来記」などで示されています。「顕仏未来記」とは「仏の未来記を顕す」という意味です。
「月は西から出て東を照らし、太陽は東から出て西を照らします。仏法も同じです。正法・像法時代には西から東に伝わり、末法には東から西へ伝わるのです」(御書508ページ、通解)
この御文では、釈尊の仏法が「月」に、大聖人の仏法が「太陽」に譬えられています。
末法以前は、インドで誕生した釈尊の仏法が、中国、韓・朝鮮半島、そして日本へと、次第に東方へと伝えられてきました。これを「仏法東漸」といいます。
それに対して、"末法には、東国・日本で誕生した大聖人の仏法が、やがてはインドに還り、全世界を照らしていくであろう"——。この大聖人の予言が「仏法西還」です。

◇闇を照らす"太陽"
——「月」と「太陽」に譬えられた意味は何でしょうか?

大聖人は「諫暁八幡抄」で、「太陽の仏法」は、「月の仏法」に比べて、"明るく""長い期間にわたって""法華経を誹謗する人(より生命が濁っている人)さえも"照らしていくと仰せになっています(同589ページ)。
生命根源の深い闇をも破る明るさをもつ大聖人の「太陽の仏法」は、未来永遠にわたってあらゆる人を救済できる教えなのです。
池田先生は語っています。
「太陽の仏法は、万人の生命を等しく照らし、一人一人の生命を妙法の福田に変えていくのです。そして社会に、世界に、妙法の人華を爛漫と咲き薫らせていくのです。人間革命、立正安国、世界広宣流布こそ、太陽の仏法が目指すものです。
法華経の心を説く太陽の仏法は、一人一人が自発・能動で開く宗教です。一人一人が太陽になる仏法です」

◇仏の未来記が現実に
——「太陽の仏法」に込められた、深い意義が分かりました。

妙法が弘まっていく様相について、大聖人は「諸法実相抄」の中で次のように仰せです。
「はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのです。未来もまたそうでしょう。これが地涌の義ではないでしょうか。そればかりか広宣流布のときには、日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは、大地を的とするように確かなことです」(同1360ページ、通解)
大聖人が示された「地涌の義」を実践してきたのが創価学会です。
第2代会長・戸田先生は「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」と詠まれました。
この恩師の心を受け継いだ池田先生は、1961年(昭和36年)、アジアを歴訪。香港、インドをはじめ、アジア各地に広宣流布の第一歩をしるしたのです。ここから東洋広布の歴史は始まり、今日、インドでは、20万人を超える地涌の陣列が広がっています。

——まさに、「未来記」が実現したのですね。

「仏法西還」は、大聖人が末法の弟子たちに与えられた御遺命でもあります。
大聖人の時代から700年、誰も成すことができなかった「仏法西還」を創価学会が現実のものとし、世界広布の時代を開いた——この厳然たる事実こそ、学会が大聖人直結の仏意仏勅の教団である証しにほかならないのです。

◇放課後メモ
「仏法西還」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…小説『新・人間革命』第3巻「仏法西還」の章(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第1巻60ページ(同)
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻121ページ(同)

2019年6月19日水曜日

2019.06.19 わが友に贈る

「竹の節を一つ破ぬれば
余の節亦破るるが如し」
一人の勇気の行動が
皆の心に火をつける。
さあ破竹の快進撃を!

三三蔵祈雨事 P1472
『須梨槃特は三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ是れ偏に末代の今の世を表するなり』

【通解】
須梨槃特は、3年で14字すら暗誦できなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵を暗唱したけれども、無間地獄に堕ちた。
このことは、ひとえに末代の今の世のことを表しているのである。決して他人のことと思ってはならない。

〈寸鉄〉 2019年6月19日
何一つ無駄はなかったと分かるのが妙法の功徳—恩師。苦労即福徳の信心
愛知の勇者よ勝負はここからだ。恐れず拡大。列島の真ん中に栄光の大旗を
熊本・鹿児島・宮崎に未来開く先駆の使命あり!正義の勝ち鬨を満天下に
プラごみ削減へ初の国際枠組み合意—G20環境相英知の結集と実践の時だ
食中毒に注意。菌は付けない・増やさない・やっつける。手洗い・加熱入念に

☆ロータスラウンジ 第6回 信解品第四(上) 2019年6月11日
◇「無上宝聚 不求自得」——「生命」という無上の宝をだれもが平等に持っている
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第6回は、「信解品第四」(上)です(前回は5月14日付。原則、月1回掲載)。

■大要
「譬喩品第三」で「三車火宅の譬え」を聞いた声聞の代表が、釈尊に自分たちが領解したことを、「長者窮子の譬え」として述べます。
それでは、その内容を追ってみましょう。

●シーン1
「解空第一」といわれた「須菩提」、「論議第一」の「迦旃延」、「頭陀第一」の「迦葉」、「神通第一」の「目健連」の、声聞を代表する4人(四大声聞)が登場します。
4人は、"将来、阿耨多羅三藐三菩提(仏の完全な覚り)を得るだろう"と舎利弗に記別(仏となる保証)が授けられるのを聞き、未曽有の法に出合ったことで歓喜踊躍し、立ち上がって衣服を整えます。
そして、右肩を出し、右膝を地面に着け、合掌して釈尊に語ります。
「私たちは、教団のリーダーであり、年老いています。
すでに覚りを得ていて、これ以上、頑張る必要はないと思い、自ら進んで仏の完全な覚りを求めようとしていませんでした」と告白します。
しかし、「(成仏できないとされていた)声聞に授記するのを聞き、(自分たちも仏になれるのだと知り)歓喜しました。
無量の珍宝を求めずして得ることができました(偈文では『無上宝聚 不求自得』)」と喜びます。
発奮した4人は、「理解したことを、譬喩として語りたいと思います」と、感動のままに、有名な「長者窮子の譬え」を語りだします。

●シーン2
——まだ年若くして父親を捨て、出て行ってしまった子がいました。
その子は、10年、20年、50年と長い間、他国を渡り歩き、年を取り、困窮していました。
一方、父親は、子どもを探しまわりましたが、見つけられませんでした。仕方なく、ある都市に住み着き、大富豪になっていました。
父親は、子どもと離ればなれになっていることを人に話さず、常に一人で息子を思い、悩んでいました。
「金や銀などの財宝があふれんばかりにあるのに、私が死んだら財産は散り失せてしまう」
「わが子を見つけて譲ることができれば、何の憂慮もなくなるのに……」
◇ ◇ ◇
放浪していた息子が、偶然、父の邸宅の前にやってきました。
門の側に立った息子は、遠くに父親の姿を見ても気が付かず、ただその立派さに驚き、怯えてしまいます。
"王のようなすごい人だ。とても自分が衣食にありつけるところではない。ここにいたら、捕まって強制的に働かされるだろう"と、逃げ出します。
その時、父親は息子の姿を見て、すぐにわが子だと分かりました。父親は喜び、家来に命じて迎えに行かせます。
ところが息子は、罪もないのに捕まえられて、"これは殺されるのだ"と、恐怖のあまり意識を失ってしまいました。
父親は、息子の志が卑しくなっているので、"親子の名乗りをしても無理だろう"と思い、息子を解放しました。
◇ ◇ ◇
父は息子を導こうと、一計を案じます。
貧相な身なりの二人の使いをやり、「便所掃除の仕事があるよ。給料は2倍だ」と誘って、息子を雇います。
ある日、父親は、遠くに憔悴して働く息子を見つけます。
すると、自ら貧相な格好をして息子に近づき、話し掛け、親しくなりました。
父親は息子に語ります。
「いつまでも、ここで働きなさい。給料も増やしてあげよう。何でも言っていいんだよ。
私のことを父と思いなさい。私は君のことを息子のように扱い、"わが子"と呼ぶよ」
息子は喜びましたが、あくまでも自分は卑しい身分だと思い、便所掃除に20年間、励みました。
やがて父子の心は通じ合うようになり、信頼され、息子は自由に父の屋敷に出入りするようにまでなりました。
しかし、息子は、相変わらず粗末な小屋で生活していました。
父親は病気になり、死が近いことを悟りました。
そこで"わが子"に言います。
「私には多くの財宝があり、蔵にあふれている。その使い方を、お前はすべて理解しているから、この財産を管理しなさい。なぜなら、私とお前はまったく違いがないのだから。心して財産を失わないように」
"わが子"は財産の管理をすべて任されましたが、大切にし、財産の一分も自分のものとすることはありませんでした。
しばらくして、父親は"わが子"の心根がようやく立派になり、大きな志に立ったことを確信します。
そこで、父親は臨終の時、親族や国王・大臣らを集めて、告げます。
「諸君、この人物は、実はわが子である。私の実の息子である。家出をして50年間、放浪していたのだ。本当の名はこれこれで、私の名はこうだ。一生懸命に捜していたが、ここで、たまたま出会うことができた。今、私は、自分のすべての財産をわが子に譲る」
息子はこの真実を知って、「このすばらしい財産を、求めずして、おのずから手に入れることができた」と、このうえない歓喜につつまれました——。

●シーン3
譬喩を終え、声聞たちは釈尊に言います。
「譬えに出てきた、父親は仏、息子は私たちのことです」
「仏は常に、私たちを"仏子"と説いてこられたのに、小さな覚りで満足し、大乗の教えを求める志を起こさなかったのです」と悔います。
「今、仏になるための唯一の教えが説かれています。求める心はなかったけれど、今、大乗の教えを自然に得ることができた」と、喜びを語ります。
(次回「信解品第四」(下)では、「信解」の意味などについて紹介します)

『法華経の智慧』から 「永遠向上」の心、「不退」の決意
限りなき生命の「向上」——その心を、鳩摩羅什は「信解」と訳しました。法華経の第四章「信解品」のタイトルです。「信解」とは、やさしく言えば「心から納得する」ということです。だれもが納得できることが大切です。法華経はそういう信仰を説いている。断じて盲信ではないのです。

「永遠向上」の心を教えているのです。「不退」の決意をうながしているのです。「進まざる」は「退転」です。仏法は、つねに向上です。前へ、前へと進むのです。「永遠成長」です。それでこそ「永遠青春」です。生命は三世永遠なのです。

無上の宝聚(宝の集まり)とは、法華経の教えとも言えるし、仏界とも言える。また、仏界を具えた自分自身の生命とも言えるでしょう。
だれもが、この「生命」という無上の宝を平等に持っている。いちばん大切なものを「求めずして、おのずから得て」いるのです。それを自覚できるか、否か。それを最も深く自覚させるのが法華経なのです。
(普及版〈上〉「信解品」)

◇四大声聞 菩薩の道に目覚め「真の声聞」に
「信解品」に登場する四大声聞は、釈尊の十大弟子で、それぞれ、ずば抜けた才能の持ち主です。
ところが法華経以外の諸経において、声聞たちは、釈尊から"成仏できない"と呵責されていました。
それは、部分的な教えに満足し、大乗の教えを求めようとしなかったからです。
厳しき責めは、成仏への軌道へ導こうとする仏の慈悲だったのです。
そのことに気付いた迦葉は、「我らは今、真の声聞になることができました」(法華経235ページ、趣意)と語ります。
それは、自分だけのために法を求める生き方から、一切衆生の成仏のために法を求め、法を衆生に語る、菩薩の道に目覚めたことを表しています。
さらに、"私たちを導いてくださった仏の恩には、報いようがない"と語ります。
報恩に生き抜く師弟の道こそ、成仏の直道にほかならないのです。

2019年6月18日火曜日

2019.06.18 わが友に贈る

激しい気温変化に注意。
早めに就寝するなど
体調管理に努めよう!
疲れをためず
一日一日を価値的に!

上野殿御消息 P1528
『法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり』

【通解】
法華経を持つ人は、父と母との恩を報じているのである。自分の心には父母の恩を報じているとは思わなくても、この経の力によって報じているのである。

〈寸鉄〉 2019年6月18日
師子は吠えてこそ師子—恩師。破邪顕正の言論を鋭く。青年が先陣切れ!
兵庫が乾坤一擲の激闘。破竹の勢いで大逆転へ!常勝の新時代を勝ち開け
北海道婦人部の日。開拓と勝利の人生は愉快。幸の対話を三代城から拡大
気候変動は文明存続への最大の危機—識者。我ら全員が環境守る主体者に
傘の先端が刺さりそうになった等の危険、4割が経験と。配慮の心忘れず

☆親子で学ぶ仏教 ココロの宝箱 平和を築いたアショーカ王 2019年5月26日
むかしむかしのインドのお話です。
アショーカという王さまがいました。戦争が好きで、つぎつぎと他国を攻めました。
ある時、カリンガという国を攻めほろぼすと、「もうこれで、わしに、はむかう者はだれもおるまい」と高笑いしました。
すると、家臣のひとりが、からだをふるわせて叫びました。
「このいくさで10万人の民のいのちをうばい、15万人をほりょにしました。さあ、よくごらんください。すっかりかわりはてた、このまちのようすを!」
「なんだと? いくさに勝ったというのに、うれしくはないのか?」
アショーカは、ふしぎに思い、あたりを見回しました。
目にとびこんできたのは、やけおちた家々、息絶えた人々のなきがら、泣き叫ぶ小さなこどもたち……。
「ああ、なんというむごたらしさよ。わしは、とりかえしのつかないことをしてしまった」
アショーカは、今までの行いを悔いあらため、それからというもの、仏の教えを真剣に学びだしました。やがて、武力ではなく、仏さまの教えにもとづいて、国をおさめたいと思うようになりました。
「もう二度と戦争などするものか」
アショーカは、ひとのいのちを大切にする国づくりをしようと、きめました。
臣下たちを集めると、そのための仕事をつぎつぎと指示しました。
井戸ほりを命じられた臣下は、「これで、のどをカラカラにして倒れる人も、へるだろう」と、うれしそうに目を細めました。
また、ある臣下は、「一日も早く病気の人のもとに、とどきますように」と、こころをこめて薬草を植えました。
そのほかにも、病院を建てたり、日よけの街路樹をふやしたり、休憩所をつくったりなど、人々が健康で幸せにくらせるまちへ、どんどん整えました。
また、まわりの国々とは、けっして争わず、友好の輪を広げました。
こうして、アショーカは、仏を敬い、平和を築いた王さまとして、いつまでも人々のこころの中で輝きつづけたのでした。

◇おうちの方へ
この説話のもとになったアショーカ王は、紀元前3世紀のインドに実在した人物です。
当初は残虐な王で、カリンガ国(現在のインド・オリッサ地方)を征服した際には、10万人の命が奪われ、15万人が捕虜になったといわれています。
しかし、アショーカ王はこの惨状を見て心を改め、武力による征服をやめました。以来、仏法を深く敬い、法(ダルマ)による施策を実行したのです。
戦争の放棄や平和主義の政治、数々の福祉政策や平和外交を行い、仏教以外の諸宗教にも寛容の姿勢を貫きました。また、仏典結集を助け、仏教の保護者であったともされています。
日蓮大聖人は、「月氏国にアショーカ王という王がおられた。初めは悪王であったが、後に仏法に帰依して、さまざまな供養をした」(御書1544ページ、趣意)と仰せです。
正しい法を根本に、平和のために尽力したアショーカ王は、今でも世界中から「王の中の王」と、たたえられています。

2019年6月17日月曜日

2019.06.17 わが友に贈る

◇今週のことば
「まいをも・まいぬべし」
楽しく躍動の座談会を!
一人一人が尊き主役だ。
勢いと団結をいやまして
希望の拡大へ舞いゆけ!
2019年6月17日

聖愚問答抄上 P492
『浄蔵浄眼は父の妙荘厳王外道の法に著して仏法に背き給いしかども二人の太子は父の命に背いて雲雷音王仏の御弟子となり終に父を導いて沙羅樹王仏と申す仏になし申されける』

【通解】
浄蔵・浄眼は、父の妙荘厳王が外道の法に執着して仏法に背かれていた。けれどもこの二人の王子は、父の命に背いて雲雷音王仏の御弟子となり、ついに父を導いて沙羅樹王仏という仏に成したのである。

〈寸鉄〉 2019年6月17日
社会変革に進む学会から平和の扉は開くと確信—教授。胸張り対話の道を
茨城の日。あの地この地に友情の花を。敢闘精神たぎらせ民衆凱歌を必ず
青年によって偉大な事業は成し遂げられる—恩師君の熱と力で歴史を築け
多忙な時こそ情報管理をしっかり。携帯電話・書類の置き忘れや紛失に注意
生きがいを持つ人は健康状態も良好—調査。広布に生き抜く多宝会を見よ

☆ふるさとを照らす誉れの長者 団地部 2019年6月13日
団地部は今月25日に「部の日」を迎える。淵源となった1978年同日の第1回「団地部大会」で池田先生は、「団地の団は、団結にも通ずる」と述べ、"最も理想的な人間の協調の社会をつくり上げる主体者に"と期待を寄せた。師の言葉のままに"人間共和"の連帯を広げる団地部の友を紹介する。

北海道・札幌市 青葉団地
●「幸せ」と言える人を増やす
「できた、できた!」
「これは家で使える!」
札幌市厚別区の青葉団地の集会所から、にぎやかな声が響く。中では20人ほどの高齢者がチラシを使って小物入れを作っている最中だ。教えているのは同団地に住む保田雅子さん(区副婦人部長)。得意の折り紙を生かし、集会所に笑顔を広げる。
この集いの名は、いきいきサロン「ハッピーかい(会)」。「幸せかい?」との問い掛けの意味を込め、2011年6月に保田さんが中心となって設立した。東日本大震災が発生して間もない頃である。当時、自治会長だった夫の清さん(副本部長)と共に、地域の交流を深められるサロンにしようと誓った。
月1回、"楽笑体操"や脳トレ、ランチなどを楽しむほか、手芸や料理など住民の特技を生かした内容も企画。それらの講師を担う住民のことを、親しみを込めて"先生"と呼び合う。
「この団地の47%が75歳以上の高齢者です。それだけ"人生の達人"が多い。互いに尊敬しながら、皆さんの知恵や経験を生かせるよう心掛けています」
"相手の良さを最大限に引き出せる人に"——この思いで約30年、自治会の育成部や福祉部で青少年や高齢者と関わってきた。
困っている人がいれば放っておけない。ある日、サロンに参加した住民から、「足が悪くて買い物に行けない」との悩みを聞いた。その声から生まれたのが、一昨年から始まった"買い物バスツアー"である。
社会福祉法人の協力を得て、デイサービスの送迎車両の空き時間にマイクロバスなどを運行し、住民を乗せてスーパーや薬局へ。買い物を補助するボランティアもいるおかげで安心して買い物ができる。ツアーで初めて顔を合わせる住民も少なくない。「商品を目で見て選べて友達もできる」と評判だ。"買い物弱者"を救う対策として、メディアでも注目を集めた。
「地域の方々の協力があってこそ。感謝を忘れず、皆さんの喜びのためにお役に立てれば」と保田さん。
「幸せかい?」との問いに、「幸せです!」と言える人を増やしていく——その先に、自他共の本当の幸せがあると確信している。

さいたま市 加茂川団地
●壮年が立てば地域に活力が
さいたま市西区の加茂川団地に住む秋山茂夫さん(創価長〈ブロック長〉)は言う。「以前の僕は、内気で、口べたで、引っ込み思案で……」
すると、同じ団地で30年来の付き合いがある小林清さん(副本部長兼地区部長)が、その通りとばかりに、うなずいた。
今でこそ自治会の福祉部長として地域のために奔走するが、「昔は"影の薄い人"だった」と秋山さん。22歳の時に創価学会に入会した理由も、内気な自分を変えたかったからだという。「でも学会活動から遠ざかっていたので、結局四十数年、相も変わらずで」
トラック運転手の会社を定年退職した頃から、訪問してくれる壮年部の先輩と会う機会が増えた。先の小林さんもその一人。コミュニケーションが苦手な秋山さんを包み込むように、温かく励まし続けてくれた。
秋山さんは壮年部指導集『黄金柱の誉れ』を読み、池田先生の指導に触れた。
「自身が住んでいる地域を愛し、地域に貢献し、そこを栄えさせ、常寂光土としていくのは、仏法者の責任であり、使命である」
福祉部長の任を引き受けたのは5年前。「題目を唱え始めると、"挑戦しよう"っていう気持ちが湧き上がってくるんです」
朝夕の一日2回、健康増進のために始めたラジオ体操は住民に大好評。毎朝50人以上が参加し、終了後も夏の団地祭に向けた盆踊りの練習や、おしゃべりが始まる。また、さいたま市主催の講習会で学んだ健康体操を月4回、秋山さんが講師となって住民に教えている。別の講師を招いて絵画や手芸、料理教室を開催するなど、積極的に住民交流の場を提供してきた。
「内気な自分を克服できたのは、信心と同志のおかげ。皆さんに喜んでもらえることが生きがいですね」
朝のラジオ体操に参加している団地内の婦人が、地域に尽くす秋山さんの姿から仏法への理解を深め、一昨年、入会した。彼女は昨年の教学部任用試験にも合格し、広布に生きる喜びをかみ締める。
一人の壮年が立ち上がれば、地域が変わり、周囲に活力と安心を与えることができる。"創価の黄金柱"の使命は大きい。

2019年6月16日日曜日

2019.06.16 わが友に贈る

誠実と真剣の人の前には
必ず道が開かれる。
「誰か」ではなく「私」
「いつか」ではなく「今」
不撓不屈の歩みを!

阿仏房御書 P1304
『今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり』

【通解】
今、阿仏上人の一身は、地・水・火・風・空の五大である。この五大は題目の五字である。それゆえに阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である。

〈寸鉄〉 2019年6月16日
闘争せよ!その中で自分自身を鍛えよ—戸田先生燃え立つ心で最激戦地へ
御書「題目の功徳は大海のごとし」。大確信の祈り貫け。そこに諸天も感応
きょう父の日。広布・社会を支える壮年部に感謝。さあ歴戦の勇者の出番!
中途半端に終わった事は未練の記憶として残る—心理学。時逃さず全力で
高速道路の事故、雨天時は晴天時の4倍と。焦りは禁物。車間距離も保ち

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 異体同心事 2019年6月8日
皆が輝く信心の団結を!
広布の師匠と心を合わせ

今月は、「異体同心事」を学びます。
池田先生は、本抄を拝してつづっています。
「正義の陣営が異体同心の団結で臨めば、最後には絶対に勝てるのです。広宣流布の師匠と心を合わせて、法華経の兵法で戦えば必ず勝てる! 勇気ある信心を貫けば、必ず正義を宣揚できる! 異体を同心とする善の団結を築けば、いかなる悪をも打ち破れる! これが『絶対勝利の信心』の極意です」
学会の根本精神である「異体同心」の信心を刻み、師と共に、同志と共に、広布の勝利の峰を登攀していきましょう!(拝読範囲は本抄全編です)

◇本抄について
本抄は、御執筆の年月や宛先が不明であり、前半と後半は、もとは別の書であったともいわれています。
本抄前半には、駿河(静岡県中央部)で活躍されていた日興上人(伯耆房)のお名前や、「あつわら(熱原)の者ども」と記されています。
この地では日興上人を中心に弘教が進んだことで、日蓮大聖人の門下に対して危機感を募らせた勢力による弾圧が起こり、やがて「熱原の法難」へと発展しました。
こうしたことから、本抄は熱原に不穏な動きが出てきた、文永年間の末から建治年間にかけて、駿河に住む門下に送られたお手紙であると推察されます。
悪侶と悪しき権力者とが結託し、迫害を加えてくる状況下と考えられ、本抄では、その大難を乗り越える要諦として「異体同心」の団結を教えられていると拝されます。

◇御文
『一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』(御書1463ページ4行目〜6行目)

◇通解
一人の心であっても二つの異なる心があれば、その心が食い違ってしまい、何事も成就しません。また、百人や千人であっても、心が一つであれば、必ず物事を成就することができます。
日本国の人々は、多勢であっても「体同異心」なので、何事も成就することは難しいのです。
日蓮の一門は「異体同心」なので、人数は少ないけれども大事を成し遂げて、必ず法華経は広まるだろうと思っています。
悪は多くても一善に勝つことはありません。

◇解説
日蓮大聖人は掲げた御文の直前の箇所で、"異体同心であれば万事を成就できる"と仰せです。
「異体」とは、人々の個性や特質が異なることであり、「同心」とは、目的や志が同じことを表します。つまり、「異体同心」とは、個人を最大に尊重しつつ、皆が同じ目的に向かって団結することです。
大聖人はその例として、周の武王の八百諸侯が団結し、殷の紂王の七十万騎を破った古代中国の故事を挙げられます。
そして、掲げた御文の冒頭、一人の心の中に、迷いや葛藤があれば何も成し遂げられないが、大勢が心を一つにすれば、どんなことも成就できる、と重ねて「同心」の大切さを示されます。
もちろん、人間である以上、性格は異なり、意見が食い違うこともあります。しかし大事なことは、「広宣流布」へ「同心」となり、同志と共に仲良く進むことです。
"広布のために団結しよう"との祈りと努力は、自らの境涯を開き、信心をさらに深めていきます。異体同心を目指す中に、広宣流布の前進も、自身の人間革命もあるのです。
続く御文で大聖人は、大聖人門下を迫害する人々は、いわば「反法華経」という点は同じでも、目指す理想がない「体同異心」の人々であり、結局は何も実現できないと述べられます。
対して大聖人門下は、「万人成仏」「立正安国」という理想を掲げ、皆が心一つに弘教に励んでいる。ゆえに、少数でも必ず広宣流布の大事を成し遂げられるのであり、迫害者ら悪しき勢力がどれだけ束になっても、妙法の力を現す「一善」の陣列を破ることはできない、と御断言です。
今、大聖人直結で世界広布にまい進する創価学会こそ、民衆の幸福と世界平和を切り開く「一善」のスクラムです。
私たちはその使命を胸に、師匠の大願に心を合わせ、異体同心の団結で勝ち進んでいきましょう。

★池田先生の講義から
どこまでも師と心を合わせる「師弟不二」の精神がなければ、本当の「異体同心」の団結は実現できません。
また、どこまでも和合僧を大切にして、「異体同心」を実現する努力がなければ、本当の不二の弟子であるとは言えない。
「師弟不二」の実践と「異体同心」の団結があれば、必ず広宣流布を成就することができる、というのが蓮祖大聖人の御聖訓です。
一切の勝利は、「異体同心」の組織を構築できるかどうかにある。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
◇ ◆ ◇
悪の勢力は、互いの利害で野合することはあっても、結局は離反します。真に「同心」たらしめるか否かは、民衆の幸福を願う「志ざし」があるかないかです。目的観の深さが、揺るがぬ異体同心の団結を築くのです。
いかに強大な権力をもって迫害を加えようとも、広布を目指す正義の連帯である「一善」を破壊することはできません。強き信心の団結を貫き通せば、いかなる障魔をも打ち破り、絶対に勝利していけるのです。(2018年11月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)

研さんのために
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻(聖教新聞社)
○…2018年11月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」(同)

2019年6月15日土曜日

2019.06.15 わが友に贈る

広宣流布とは
人に会うことだ。
人間革命とは
自分が変わることだ。
さあ人生の挑戦劇を!

可延定業書 P985
『されば日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり、今女人の御身として病を身にうけさせ給う心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし』

【通解】
日蓮が母のことを祈ったところ、現身に病を治しただけではなく、4年の寿命を延ばしました。あなたは今、女性の身で病気になられた。試みに法華経の信心を奮い起こしてご覧なさい。

〈寸鉄〉 2019年6月15日
「仏の如く互に敬うべし」御書。桜梅桃李の奮闘を讃え前進。全員が主役と
栃木婦人部の日。大関東を牽引する太陽の連帯。正義の声で地域を照らせ
男女青年部の「部長」が対話に先駆。青春の金字塔を!君の勇気に皆が続く
ごみ処理施設で充電池の発火事故増。分別せぬ事が因。回収箱の活用徹底
週末は広い範囲で荒れた天気の予報。無冠の友よ無理せず無事故最優先で

☆御書と歩む� 第74回 チームワークが発展の力
『一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず』(異体同心事、1463ページ)

◇通解
一人の心であっても二つの心があれば、その心と心が違って何事も成就することはない。百人や千人であっても、一つの心であれば、必ず物事を成就するのである。

◇同志への指針
広布の勢いは、異体同心の団結で決まる。学会の重層的な大発展も、「水魚の思」で心一つに支え合ってきたからだ。なかんずく、経験豊かで地域・社会に根を張った副役職の宝友が光っている。
誓願の題目で結ばれた信心のチームワークから、歓喜と福運が広がり、勝利のリズムが刻まれる。皆が「桜梅桃李」の持ち味を発揮し、万事を成じていこう!

☆6月度座談会拝読御書 呵責謗法滅罪抄
強盛なる大信力・大行力で勝て
師弟一体の祈りで不可能を可能に!

◇拝読御文
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』1132ページ10行目〜11行目

◇本抄について
本抄は文永10年(1273年)、日蓮大聖人が流罪地の佐渡から、鎌倉の四条金吾に送られたお手紙であると考えられています。
当時、鎌倉の門下たちは、幕府から激しい迫害を受けていました。そうした大変な状況にあって、門下が亡き母の追善のために、ご供養を届けられたことへの御礼です。
冒頭、大聖人は法華経のゆえに難に遭うことを「心ばかりは悦び入って候いき」(御書1125ページ)と、大確信を示されます。さらに、法華経弘通のゆえに大難を受けるのだから、無量劫にわたって積み重ねた重罪があったとしても、それを一生の内に消すことができ、所願満足の人生を歩めるとの宿命転換の原理を教えられます。
続いて、"女性門下たちが、大聖人の弟子となったことを悔いているのではないか"と心配していたが、強盛な信心を貫いていると聞き、感涙が抑えられないとつづられます。
釈尊が「妙法蓮華経の五字」を、上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩に託されたのは、正法・像法ではなく、末法の弘通のためであることを示されます。
さらに、数々の災難は妙法流布の瑞相であり、大聖人こそ「一切衆生の慈悲の父母」(同1131ページ)であり、その大聖人を迫害することは、非道であると断言されます。
最後に、鎌倉の人々より百千万億倍も大聖人を憎んでいる佐渡の地にあって、今日まで命を永らえてきたのは、門下のご供養のおかげであり、法華経の文字が弟子の身に入り替わって助けてくださったのであろうかと述べられます。
そして、どのような乱世であっても、門下の一人一人を法華経・諸天善神が助けるよう、強盛に祈っていると仰せになり、本抄を結ばれています。

◇ありがたい師匠
「世の乱れ」と仰せの通り、本抄を著される前年には「自界叛逆難」が、北条一門の内乱(二月騒動)として現実となるなど、世情は騒然としていました。
権力による非道な弾圧は、日蓮大聖人だけでなく、門下にも及びます。
その苦境を知られた大聖人は、御自身が佐渡流罪という大難の渦中にあって、"諸天善神よ、弟子たちを守れ!"と、強盛に祈られたのです。
大聖人の大慈悲と、苦難に立ち向かう勇気に、弟子たちも信心に奮い立ち、師弟一体の祈りを開始したことでしょう。
仏法の精神は、この師弟の麗しい人間ドラマに如実に表れています。
弟子の戦いを、全部分かってくださっている師匠がいる。
乗り越えられる、勝ち越えられると信じ、温かく励まし、祈ってくださっている師匠がいる。
弟子の幸福と勝利を願う師匠の存在が、どれほどありがたいことでしょうか。
この真心を感じた弟子が、報恩の誓いを胸に、師弟一体で祈るからこそ、一切の障魔を勝ち越えていくことができるのです。
師弟に生き抜く人生に行き詰まりはありません。
師弟の精神によって、一人一人の生命の底力を発揮させていくことができるのです。
池田先生は教えられています。
「師弟が力を合わせて祈る時、広宣流布への大きなうねりが巻き起こります。仏勅の使命のわが地域に、共々に創価の師弟の勝利劇を綴っていこうではありませんか!」

◇叶うまで貫く
日蓮大聖人は、佐渡に捕らわれの身であり、現実に門下を助けようと思っても、できないことです。
それでも大聖人は"断じて門下を守るのだ!"との、確信の祈りを貫かれます。
その祈りは、決して何かにすがるような、弱々しい祈りではありません。
では、本抄で仰せの「強盛に申す」とは、どのような祈りでしょうか?
"濡れた木をこすって火をいだすような""カラカラに乾いた土から水を得るような"思いで祈っていくことだと仰せです。
普通に考えれば、どちらも不可能なことに思えます。では、不可能だといって、諦めてしまっていいのでしょうか。
諦めてしまえば、その時点で、可能性はゼロになってしまいます。
たとえ濡れた木でも、粘り強くこすり合わせていけば、その熱で乾き、火がつくこともあるでしょう。
カラカラに乾いた土地であっても、掘り続けていけば、水が湧いてくることもあります。
不可能を可能にする祈りの出発点は、不可能と思ってしまう自身の心を打ち破るところにあるのです。
大事なことは、小さな自身の境涯で、できないと決め付けずに、不屈の信念で、叶うまで祈り続けることです。
妙法は、宇宙と生命を貫く法です。自身の一念の変革は、かならず大宇宙へと波動を起こし、不可能を可能にしていけるのです。自身の生命を揺さぶる強盛な祈りが大切なのです。

◇十羅刹の守り
日蓮大聖人は門下に、「法華経・十羅刹・助け給へ」と、強盛に祈っていると仰せです。
「法華経」とは「御本尊」のことであり、「十羅刹」とは、法華経の陀羅尼品第26に登場する10人の羅刹女(鬼女)のことです。
十羅刹女は、法華経の会座で、諸天善神として正法を持つ人を守る誓いを立てます。
"法華経を読誦し受持する行者を守り、思い苦しんでいることを取り除きたいのです。もし、行者の短所を探して、付け込もうとしても、そうはさせません"
"私の頭の上に上ることはあっても、法師を悩ますことはさせません。夢の中であってもさせません"
"法華経の行者を悩まし、乱れさせれば、その者の頭は七つに割れるでしょう"
法華経には、この十羅刹だけでなく、さまざまな諸天善神も登場します。
妙法を受持し、広宣流布に励む人は、その信心によって必ず諸天に守られていくのです。守られるといっても、その力は、自分自身の信心の厚薄によることを忘れてはなりません。
十羅刹女は、もともとは悪鬼です。しかし、法華経によって、広宣流布の行者を守る善鬼に変えていけます。一切を味方に変えていくことができるのです。
諸天をも揺り動かす確信の祈りの大切さを、大聖人は、"弟子を必ず守る""いかなる難事があっても、必ず成就する"との、自ら門下を思い、祈る御心情を通して、教えてくださっているのです。

★池田先生の指針から/悪鬼・魔民も強い味方に
あの"まさかが実現"の大阪の戦いで、関西の宝友と心肝に染めた御聖訓に「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書1132ページ)とあります。
御本仏のこの御一念に直結し、我らは、いかなる災難にも、いかなる試練にも、わが友を一人一人護りに護り、強盛なる大信力・大行力で無窮の大仏力・大法力を湧現しながら、断固として不可能を可能にしていくのであります。(本紙5月4日付、本部幹部会へのメッセージ)
◇ ◆ ◇
私たちが拝する御本尊は、十界互具の大曼荼羅であられる。御本尊には、十界の衆生の代表が納まり、南無妙法蓮華経の光に照らされています。
御本尊も十界、私たちの生命も十界です。そして、社会も十界の生命で成り立っている。
御本尊に題目を唱えると、三世十方の仏菩薩が、私たちと同じく合掌します。また、全宇宙の無数の諸天善神が、絶対に従います。十界の生命を揺り動かすのですから、悪鬼・魔民さえも強い味方となって、妙法を護り広げる働きをすることは間違いないのです。(『御書と師弟』第2巻「題目の大音」)
◇ ◆ ◇
戸田先生はよく、佐渡流罪の折の大聖人の御心を偲ばれておりました。「必ず門下を勝たせなければならない。一人も残らず弟子を幸福にしなければならない」——この炎のように燃え立つ御心であられたと拝察されていたのです。
師匠の大恩は、弟子たちの想像も及びません。
「日蓮が一門」には、御本仏の慈悲と正義の大生命が、すみずみにまで漲っている。その和合僧団そのものが、主師親の三徳を具えた御本仏の人法一箇の大生命なのです。
広宣流布を実現しゆく「日蓮が一門」——その正統中の正統こそが、学会であります。(『御書と師弟』第2巻「日蓮が一門(上)」)

参考文献
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社刊)

2019年6月14日金曜日

2019.06.14 わが友に贈る

ブロック長・白ゆり長の
尊き労苦を諸天が賛嘆!
ブロックが発展すれば
学会は永遠に盤石だ。
笑顔輝くスクラムを!

四恩抄 P936
『日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず只法華経を弘めんとする失によりて妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち螻蟻をも殺さざれども悪名一天に弥れ』

【通解】
日蓮はそうした妻子を持たず、魚や鳥をも食べず、ただ法華経を弘めようとしているだけで、それを失にされて、妻子を持たずして犯僧の名が国中に満ち、ケラや蟻さえも殺さないのに悪名は天下にはびこってしまった。

〈寸鉄〉 2019年6月14日
責任者が自分の足で歩け—恩師。幹部が同志と心結び最強の団結で勇躍!
「ちかいし願やぶるべからず」御書。誓いは果たしてこそ。目標へ一直線
女子部「華冠G」結成日。信心根本に美を紡ぐ創造の日々。負けない青春を
軌道に乗れず悩む"六月病"が増加と。励ましは温かく耳を傾けることから
温暖化対策の政府戦略に公明の提案が多く反映。先進技術等で環境を守れ

☆南米の名門・ベネズエラ中央大学が池田先生に「名誉博士号」 池田先生の謝辞 2019年6月12日
◇教育という究極の聖業が懸ける 勇気・智慧・創造の希望の橋
一、東洋の金言に「道のとを(遠)きに心ざしのあらわるるにや」とあります。
はるか1万4千キロ離れたカラカスの天地より、先生方が、どれほど深く篤い志で、万難を排し、ご来学くださったか。私は感無量であります。
本当にようこそ、お越しくださいました。
本日ここに、ラテンアメリカ最高峰の歴史と伝統を誇る貴・ベネズエラ中央大学から、栄えある名誉博士号を授与いただきました。
ありがたくも、今この時に賜りました知性の宝冠を、私は何よりもまず、愛する祖国の平和と繁栄を祈り、熱誠の貢献を貫いているベネズエラの尊き宝友と分かち合わせていただきたいのであります。
ベネズエラSGIのサラス理事長も同行されており、これほどうれしいことはありません。
先生方、誠に誠にありがとうございます(大拍手)。
ベネズエラ最古の名門であられる貴大学は、1721年、日本でいえば江戸時代の享保年間に創立され、明後2021年に300周年という大佳節を迎えられます。
2021年は、わが創価大学にとりましても創立50周年であります。
きょうは、最優秀の留学生をはじめ創大生、短大生の代表も参列してくれております。
幾世紀の風雪を厳然と越えてこられた大先輩の学城を仰ぎ見つつ、教育という究極の聖業が懸けゆく三つの高く光る希望の「橋」を共々に確認し合いたいと思うのであります。

◇学は不幸を倒す
一、第一に、艱難を勝ち越えゆく「勇気の橋」であります。貴大学はモットーに「闇を打ち破る学府」と掲げておられます。
創立以来、各分野に卓越した人材を綺羅星のごとく送り出して、まさしく時代の闇を打ち破りながら、貴国の誕生と独立、さらに躍進の原動力となってこられました。
内戦や動乱、さらに1900年の大地震など打ち続く試練や危機に際しても、「教育の光」を勇敢に灯し、社会と民衆を照らしてこられた足跡は不滅であります。
その精神を現代に生き生きと蘇らせて、不撓不屈の「勇気の橋」を懸けておられるのが、貴大学初の女性総長として活躍されるガルシア=アロチャ・マルケス総長であり、本日、ここにお迎えした英邁な先生方なのであります(大拍手)。
日本が第2次世界大戦の敗戦を迎えた時、私は17歳でした。混迷を極める戦後社会にあって、座右の銘と決めて部屋に飾った二つの言葉があります。
一つは「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」、一つは「艱難に勝る教育なし」であります。そして、その後、永遠の師匠と仰ぐ戸田城聖先生にお仕えする中で、この座右の銘そのままに疾風怒濤の青春を生き抜いてきました。
恩師から徹底して薫陶されたことも、"一番大変な時にこそ一番偉大な勇気を奮い起こして戦うのだ。そうした勇者を育てるのが、真の人間教育だ"ということであります。
私自身、愛する創価同窓生たちに「学は不幸を倒す力」であり、「学は無限の希望」であると、強く訴えてきました。
いかなる艱難にも、いよいよ喜び勇んで立ち向かう賢者の連帯で、私たちは怒濤逆巻く社会と世界に「勇気」即「希望」の橋を築き上げていきたいと思うのであります。

◇「小さな声」を聴く崇高な理念と行動
一、第二は、民衆を結び高めゆく「智慧の橋」であります。
貴大学の校歌には、「大地に立つ農民」「大海原の船乗り」など、けなげに生きる庶民への深い愛情が謳われております。
そして「母校は 民衆の声を救い出す 開かれた議会である」と高らかに宣言されているのであります。
民衆の「小さな声」に耳を傾け、人々の幸福のために尽くされゆく、貴大学の崇高な理念と行動は、創価の教育思想と強く響き合うものです。 
貴大学の気高き先人たちが、時に命を賭して、学問の自由を守り通し、社会を改革していかれたように、創価教育の父・牧口常三郎先生も、日本の軍部政府の弾圧と対峙し、獄中において正義の信念に殉じました。今月は、この牧口先生の生誕148周年に当たっており、貴大学からの最高の栄誉を、私は先師に謹んで捧げさせていただくものであります。
この先師が訴え続けた根幹こそ、「子どもの幸福」のための教育であります。とともに「民衆の幸福」のための人道的競争なのであります。
残念ながら今、国際社会は至るところで亀裂が生じ、分断を深めております。だからこそ、何にもまして「子どもの幸福」「民衆の幸福」という一切の原点に立ち返って、そのために智慧を出し合い、大同団結をしていくべきではないでしょうか。
貴大学の誉れの卒業生で、国民的作家のエロイ・ブランコが学生たちに呼び掛けた詩に、私は魂を揺さぶられました。
「なすべきことは より良い人間になること」
「そして いつか他者を照らすことだ」
「仲間に与える人間になってほしい 仲間の幸福のために戦い 決して孤立しないでほしい」と。
この詩のごとく、若き世界市民たちが力を合わせて、地球民族の「仲間の幸福」のために、民衆を結び高めゆく「智慧の橋」を広げてくれることを、私は願ってやみません。

◇独創的音楽教育 エル・システマ
一、第三は、平和な未来を開きゆく「創造の橋」であります。
貴大学の立つ首都カラカスには、「永遠の春の都」との異名があると伺いました。何と麗しく、希望に満ちた響きでしょうか。
「冬は必ず春となる」——これは、私と妻が心から信頼する、ベネズエラの母たちの合言葉です。
大宇宙の慈悲のリズムのように、人間の生命にも、試練の冬を凱歌の春に転じゆく力が秘められています。その一人一人の力を解き放っていくところに、人間教育の真髄があるといえましょう。
貴大学に学んだ巨匠ロムロ・ガジェゴスの小説では、教育の力を体現する主人公の一人について、こうつづられています。
「彼の果たすべき本当の使命とは、力ずくで悪を根絶することではなく、大地と人々に備わる慈悲心の隠れた源をあちこちに見出すことだった」(寺尾隆吉訳、ロムロ・ガジェゴス著『ドニャ・バルバラ』現代企画室)と。
ユネスコの「世界遺産」にも登録されている貴大学の国際色豊かな芸術のキャンパスには、多彩な価値や文化への開かれた精神が光り、生命の歓喜の春を広げゆく創造的知性が脈打っております。
貴国が生んだ独創的音楽教育「エル・システマ」は、若人を貧困から救うべく、就学前の幼児から20代の青年まで、音楽の知識や技術を無償で授け、自尊心や協調性、さらに未来への希望を育みゆく世界の先駆的挑戦であります。
ベネズエラSGIの集いにおいても、この音楽教育から誕生した「シモン・ボリバル交響楽団」が見事な演奏をしてくださり、感謝に堪えません。
暴力や破壊の衝動が渦巻く時代だからこそ、人間主義の対話と平和の文化を基調として、明るい和楽の未来を開く「創造の橋」を一段と堅固にしていきたいと、私は願う一人であります。
ともあれ、最も苦労した民衆こそが、最も幸福に輝く権利がある。いな断じて、そうあらしめねばならない。ここに、先師・恩師から私が受け継ぎ、後継の青年たちに託す断固たる誓いがあります。
貴大学の紋章には、知性を表す本やペンなどとともに、平和を象徴するオリーブと、勝利の象徴のヤシの枝が描かれております。
私も名誉ある貴大学の一員として、尊敬する先生方とご一緒に、この紋章さながらの「平和」と「勝利」のために、終生、道を開き、橋を懸けていく決心であります。
最後に、敬愛してやまない貴国の平和と安穏、そして貴大学の永遠無窮の栄光を心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
ムーチャス・グラシアス!(スペイン語で「大変にありがとうございました!」)(大拍手)。

2019年6月13日木曜日

2019.06.13 わが友に贈る

完璧な人間などいない。
だから人生は面白い。
無限に成長できるのだ。
その力を引き出す信心を
私たちは持っている!

聖人御難事 P1190
『よからんは不思議わるからんは一定とをもへ』

【通解】
善い結果になるのが不思議であり、悪い結果になるのが当然と考えなさい。

〈寸鉄〉 2019年6月13日
突破口を開く青年がいる限り学会は永遠に盤石—恩師。底力の見せ所は今
青森の日。どんな戦いも"2倍"の心意気で前進!壁破る対話で歴史を築け
言葉は人と人を結び付ける—文豪。爽やかな挨拶、励ましの声を地域社会に
陸上100メートルで日本新。「まだ速いタイムは出る」選手。我らは"拡大の新記録"へ
公明党は一貫して子育て支援をリード—特任教授未来の宝守る環境整備を

☆四季の励まし 永遠に輝く「幸福の城」を 2019年6月9日
◇偉大なる愛知が立つ!
何事も
漫然とした歩みでは前進はない。
地域広布の実現のためには、
まず、未来展望を広げ、
必ず、こうすると決めることだ。
それに向かって、
年ごと、月ごとの具体的な
挑戦目標を明らかにしていくのだ。
その目標のもとに、
皆が今日の課題に勇んで挑み、
一日一日を
勝利していくことである。

御義口伝には、
「妙法蓮華経」の五字を
人間の体に即して説かれている。
「経」とは「足」にあたる。
いわば広布のために行動してこそ、
真の妙法の実践となるのだ。
学会活動は、動けば動くほど、
身も軽くなる。
心も晴れやかになる。
功徳もある。仏になれる。

常に祈りから出発するのだ。
祈って戦った人は、
聡明になる。福運がつく。
人の見ていないところで、
表面に出ないところで、
100%頑張れる人が、
偉大な人である。
だれが見ていなくとも、
戦った足跡は、
わが生命に厳然と残る。
御本尊が全てお見通しなのである。

世界広布は、
決して遠くにあるのではない。
自分の足元にあるのだ。
ゆえに今、ここで勝つことが勝利だ。
わが青春に、
悔いがあってはならない。
わが人生に、
敗北があっては断じてならない。
この一生に、絶対の崩れざる
「幸福の城」を築かねばならない。
幸福は、
戦い抜いた人の心にあるのだ。

青々とした新緑の先に、天下の名城が堂々とそびえる。1995年(平成7年)5月、愛知を訪れた池田大作先生が、名古屋城の天守をカメラに収めた。
愛知は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という天下人を生んだ天地。第2代会長・戸田城聖先生は折に触れ、英傑の生き方を青年たちに語ってきた。「信長は、人のやらないことを、先へ先へと実行した。常に新しいものを取り入れ、自分から試していた」。池田先生は、この言葉を紹介し、「信心は『行動』にあらわれる」と強調した。
師弟の月・7月へ。立正安国という大理想を胸に、新たな拡大に挑みゆこう。

2019年6月12日水曜日

2019.06.12 わが友に贈る

相手の悩みに寄り添い
共に祈り抜いていく。
これが励ましの根本だ。
満々たる生命力で
抜苦与楽の実践を!

兵衛志殿御返事 P1093
『両火房を御信用ある人はいみじきと御らむあるか、なごへの一門の善光寺長楽寺大仏殿立てさせ給いて其の一門のならせ給う事をみよ』

【通解】
両火房を信用している人が栄えているとお思いになりますが、名越の一門が善光寺・長楽寺・大仏殿を建てられて、その後、その一門がどうなったかをみてみなさい。

〈寸鉄〉 2019年6月12日
ベネズエラの名門大から名誉博士号。平和創出の"池田哲学"を世界が希求
墨田女性の日。庶民の都照らす婦女の希望の連帯さあ勝利の門開く拡大を
うまく使えば時間はいつも十分ある—文豪。会議・会合は要点絞り価値的に
きょう「日記の日」。日々悔いなく挑戦!その連続闘争が不滅の自分史綴る
「王は民を親とし」御書。民衆に尽くす真の政治家は誰か—青年が鋭く叫べ

☆御書と歩む� 第73回 師弟不二の太陽と光れ
『ゆめかまぼろしか尼ごぜんの御すがたをば・みまいらせ候はねども心をば・これに・とどめをぼへ候へ』(国府尼御前御書、1325ページ)

◇通解
(あなた〈国府尼御前〉は、佐渡からこの身延まで、大事な夫を御使いとして遣わされた)夢か、幻か。尼御前のお姿は見ることはできないが、心はここにおられると思われる。

◇同志への指針
いずこにあろうと、師弟は不二である。けなげな女性門下の心は、いつでも御本仏に直結しているのだ。
"婦人部の日""華陽姉妹の日"、おめでとう! まさに妙法の当体として、太陽のごとく明るく、蓮華のごとく清らかに、自他共の生命を輝かせているのが、広宣の母であり、華陽の乙女ではないか。
仲良く朗らかに、いかなる闇も晴らしてくれ給え!

2019年6月11日火曜日

2019.06.11 わが友に贈る

一番大変なところへ!
一番大変な人に勇気を!
これが創価の心意気だ。
金剛不壊の団結で
栄光の峰へ挑み抜こう!

秋元殿御返事 P1070
『若し法師に親近せば速かに菩提の道を得ん是の師に随順して学ばば恒沙の仏を見奉る事を得ん』

【通解】
もし法師に親近するならば、速やかに悟りの道を得るであろう。この師に従って学ぶならば、恒河の沙の数ほどの仏にお会いできよう。

〈寸鉄〉 2019年6月11日
「顔貌に色を調へて閑に言上すべし」御書。誠実と確信の声で相手の心掴め
東京・板橋師弟の日。果敢に正義を拡大!新時代の勝利は錦州城の友ありて
勇気の大善人一人いれば大事を成就—牧口先生。私こそ突破口開く主役と
「虹は嵐の後に出るから美しい」詩人。今日も全力で。それが黄金の歴史に
出生率低下で人口減少が加速と。今こそ皆を人材に。一段と青年に激励を

☆新時代を築く 太陽の心で今日も前進! 2019年6月1日
今月6日は、先師・牧口常三郎先生の生誕の日。今年は148周年となる。
わが学会の無上の誇りは平和の殉教の先師を創立の父と仰ぎ、正義の志を烈々と受け継いでいることだ。
前後して女子部(4日)と婦人部(10日)の記念日が続き、学会家族の希望あふれる月間が展開される。
若き日から女性の教育に尽くし、何より母たちの幸福を願って死身弘法された先生も、笑顔で見守ってくださっているに違いない。
御本仏は、「日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へ」(御書1418ページ)と言われた。
大聖人が大難を恐れず貫かれた「立正安国の対話」を現代に蘇らせ、まさに「多くの人」に会っていかれたのが、牧口先生である。
「健康のためには活動が第一」と、足取り軽やかな先生であった。戦時下で交通事情の厳しい中、九州へも幾たびとなく向かわれた。その途次には兵庫へ訪問を重ね、一人また一人と仏縁を結ばれている。草創の神戸の支部も、先師が手づくりで築かれたのである。
先生は「菩薩行をせねば仏にはなれぬ」と教えられた。立正安国に挑む我らの菩薩行は、どこまでも偉大な先師と共に仏の道を歩むのだ。
* * *
大聖人は、伴侶を失い、信仰のゆえに人から怨まれながらも、毅然と広宣流布に生き抜く女性を「さながら不軽菩薩の如し」(同1419ページ)と讃えられた。さらに法華経の記別である「一切衆生喜見仏(一切衆生が喜んで仰ぎ見る仏)」とは、貴女にこそふさわしい名前であるとまで仰せである。
これは、そのまま創価の母、華陽の乙女へのご賞讃と拝されてならない。
68年前、アジアで戦乱が打ち続く中、平和への誓いと祈りを込めて、婦人部、女子部は結成された。
来る日も来る日も、創価の女性は民衆の大地を勇み走って、どの人にも仏の生命があると「不軽の対話」を勇敢に誠実に重ねてきた。
どんな苦労にも負けず、どんな宿命も打開できると、「煩悩即菩提」の勇気の光を明々と放っている。
そして今や、まさしく世界中が喜んで仰ぎ見る「幸と平和のスクラム」が輝き広がっているのだ。
* * *
わが後継の高等部は結成55周年を迎える(7日)。正義の走者たちが成長する「従藍而青」の晴れ姿を、牧口先生も、どれほどお喜びか。
先生は「年齢はどうあれ、一日一日、進歩する人が、青年である」と強調された。
さあ、今日も、太陽の心で若々しく前進だ!
人と会い、友と語り、境涯を開きながら「立正安国」即「福運安穏」の勝利劇を!

☆御書と歩む� 第72回 誇り高く「立正安国」の対話を
『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』(立正安国論、31ページ)

◇通解
あなたは、一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。

◇同志への指針
我らの大願は「立正安国」の実現だ。その出発は、自他共の幸福を築く「真剣な祈り」である。その実践は、足元からの「誠実な対話」である。我らが祈り、動き、語った分、幸の仏縁が広がる。
「この世から悲惨の二字をなくすのだ!」——恩師が熱願された平和安穏の楽土へ、勇気凜々と朗らかに、友情と信頼のスクラムを結び築いていこう!

☆虹を懸ける 池田先生とインド�=完 2019年5月26日
◇"目標の山"を越えゆけ!
大聖哲はいわれた
「一は万が母」と
「万」の多数も
「一」から始まる
苛烈な太陽の
光を防いで
木陰の安息を
約束する菩提樹
その千枝万葉も
一根より生ずる
社会に深く
根を張った
智慧の一人の重みは
千人 いな万人にも
匹敵する

池田先生は1992年のインド訪問の折、長編詩「月氏の曙 地涌の讃歌」を詠み贈った(2月8日)。
12日間の滞在中、先生は、ベンカタラマン大統領、シャルマ副大統領、インディア・インタナショナル・センターのカラン・シン会長、ガンジー記念館のパンディ副議長、ラダクリシュナン館長らと会談。また、非暴力デリー会議から最高特別会員称号が、国際科学文化・意識センターからはグローバル意識開拓賞が贈られている。
先生はそうした激務の中、寸暇を惜しんで同志の激励に心を尽くした。その励ましは、一人一人の胸中に信心の確信を打ち込み、広宣流布へ行動を促していった。
ディネーシュ・バトナガルさん(副壮年部長)は当時、創価班の一員として、整理・誘導などの任に当たっていた。
ある日、先生一行が宿泊するホテルのロビーで、先生から「ご苦労さま!」とねぎらいの言葉を掛けられた。
さらに先生は、バトナガルさんの目をじっと見つめて「何があっても、明るく朗らかに」と。
「ほんの一瞬の出来事でしたが、先生の真剣なまなざしと力強い声は、今も鮮やかに胸に刻まれています」
元来、気が弱く、ささいなことですぐに思い詰めてしまう性格だったが、先生の言葉を支えに、その後の苦難を乗り越えていく。
それから10年余りが過ぎ、男子部から壮年部に進出。支部長の任命を受けた。しかしその直後、不況のあおりを受け、リストラに遭ってしまう。
初めは思い悩んだものの、「今は"蔵の財"ではなく、"心の財"を積む時だ」と一念を定め、学会活動に徹した。
訪問・激励に歩く中、同じように仕事をなくした同志が大勢いることを知る。
バトナガルさんは、その一人一人の名前を紙に書き出し、仏前に掲げた。人数は全部で15人。最後に自分の名前を書いた。
毎日、メンバー宅を訪ねては、一緒に唱題し「法華経の兵法で勝とう!」と誓い合った。
やがて、次々と就職が決まり、ついに名前を挙げた全員が新たな仕事を見つけた。
共に苦境を勝ち越えた同志は現在、その多くが広布の最前線で活躍する。
「振り返れば、失職したことにも深い意味がありました。仕事や経済苦で悩む人に心から寄り添えるようになれたからです」
何があっても、明るく朗らかに——師がまいた一つの"励ましの種子"が、幾つもの"勝利の大輪"を咲かせている。

◇一人立て
日蓮大聖人の御聖誕770年の節を刻んだ92年2月16日。翌日の午前中にインドをたつ池田先生にとって、メンバーとじっくり時間を共にできる最後の日である。
この日、インド創価学会(BSG)の同志が待望していた、先生のインド文化会館初訪問が実現。各地の代表が集い、勤行会が開かれた。
スピーチは冒頭、即席の質問会に。先生は、ユーモアを交えながら一つ一つ丁寧に応答。そして、参加者に呼び掛けた。
「唱題はあらゆる苦しみを、すべて希望の前進へのエネルギーへと転じていく。わかってみれば、悩みは、幸福に不可欠の糧でさえある。ゆえに、みずから目標の山をつくり、山をめざし、山を乗り越えていくのが、真の信仰者なのである」
「一人が本当の信心に立ち上がれば、一家も一族も、先祖も、皆、必ず救いきっていける。その一人になることである。その一人を大切に育てることである」
ミヌ・サリーンさん(圏婦人部長)はこの日、白蓮グループとして、先生を会館で出迎えた。
「実は当日、電気の不具合で会場の冷房が効かなくなってしまいました。先生はそうした中でも、勤行会を延長されるなど、最後まで渾身の指導を続けてくださったのです」
女子部時代に師弟の原点を刻んだサリーンさんが苦難に直面したのは、それから14年後のこと。職場を解雇されたショックで、夫がうつ状態になってしまったのである。
2人目の子を身ごもっていたサリーンさんは、不安にさいなまれる夫を支えながら、「経済革命」「家族の健康」「無事出産」を懸けて、懸命に祈り続けた。やがて、その姿を見ていた10歳の長女が、唱題を実践するように。夫も少しずつ、落ち着きを取り戻していった。
サリーンさんはその後、元気な女の子を出産。夫も再就職を果たし、壮年部のリーダーに。長女は女子部の本部長を務め、次女は未来部の人材グループではつらつと活動。信心継承の模範を示している。

◇青年の時代
BSGのビシェーシュ・グプタ議長も、あの日の勤行会に参加した一人である。
「池田先生が入場した途端、場内の雰囲気が一変しました。師匠の慈愛に包まれた勤行会は終始、笑いが絶えず、参加者は皆、広布への決意を深くしました。その後、インドでは折伏・弘教や個人指導にも熱が入り、広布の大河の流れは一段と開かれていきました」
94年夏、研修会で日本へ。その折、先生から直接託された「これからは青年の時代だよ。アジアの夜明けの時代だ」との一言を心に刻んでいる。
男子部本部長を務めていた2008年にリーマン・ショックが吹き荒れ、仕事を失った時も、グプタさんは信心根本に立ち上がった。"今こそ"との思いで、教学研さんに励み、先生の著作も読破していった。
何度も読んだのは、小説『人間革命』。弟子・山本伸一が、恩師の願業である75万世帯を達成し、人々を根底から蘇生させ、社会を変革しゆくストーリーに感動した。
「この師弟不二の物語は、どこの国であっても実現できるはずだと決意し、まず自身の宿命転換に挑戦していきました」
失業から数カ月後には、新たな就職を勝ち取ったグプタさん。14年、BSGの議長に就任。後継の青年たちに師弟の精神を語り伝える日々だ。
——インド広布の重要な指針が示された1992年の勤行会で、先生は述べている。
「私たちは、法華経の霊山会での『広宣流布』という久遠の誓いを、ともに果たすために生まれた。みずから願って、それぞれの使命の舞台に躍り出てきたのである」
「年ごとに、希望あふれるインドである。決して、あせることなく、着実に、また確実に、悠久のガンジスの流れのごとく、一千年先、二千年先を見つめて、堂々と進んでいただきたい」

92年当時、約1500人だったインドの地涌の陣列は、池田先生が再訪する97年には、約4000人まで拡大する。
そのうねりは年々、勢いを増し、先生の初訪問(61年)から58星霜となる本年、久遠の誓いに立ち上がった同志のスクラムは、20万人を超えて大きく広がっている。

2019年6月10日月曜日

2019.06.10 わが友に贈る

新聞休刊日

千日尼御前御返事 P1311
『但法華経計りこそ女人成仏悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す』

【通解】
ただ法華経だけが女人成仏の経であり、悲母の恩を報じる真実の「報恩の経」であると見きわめました。そこで(私は)悲母の恩を報じるために、この経の題目を一切の女人に唱えさせようと願ったのです。

☆勇気の旗高く 池田先生と兵庫(下) 2019年6月6日
◇信心とは「無限の希望」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は「池田先生と兵庫(下)」を掲載する。

◇蘇生の勝利劇
1995年(平成7年)1月17日未明に起きた阪神・淡路大震災。発災直後、池田先生は兵庫の幹部に、心からのお見舞いを伝えた。そして「リーダーが嘆いていてはいけない」「最前線で激励するのだ」と伝言を。ハワイでの学術講演への出発を即座に延期し、激励の手を打ち続けた。

海外への出発を、これ以上、変更できない講演のギリギリ直前まで延期した私は、被災地域の支援を全力で指揮していった。
そしてまた、海外での行事を終えると、すぐに、愛する関西に直行したのである。
わが勇気の同志たちは、被災の現場で決然と立ち上がった。自ら被災され、怪我を負いながら、人びとの励ましに奔走した友も数知れない。
学会の九つの会館では、被災者を受け入れ、近隣の友のために尽くし抜いた。
究極の心の力である「勇気」を、被災地・阪神と淡路の皆様方は、厳然と発揮し、いち早く奮闘していかれたのだ。
それに呼応して、全国の同志たちも、すぐさま支援の行動を開始した。

膨大な物資の「量」も、生活にこまやかに配慮した「質」も、鉄道・道路が壊れ、ライフラインも破壊された街の奥の奥まで物資を届ける迅速な「行動」も、みな被災者の方々の必要に即応するために生まれた。
組織があったから動いたのではない。苦しんでいる方々の痛みを共にし、行動せずにはいられぬ「同苦の心」が、同志の胸に燃えていたからこそ、真心のネットワークがフル回転で働いたのだ。
大苦難の中の魂が、人間共和の光源となって、目覚めていったのである。

「妙とは蘇生の義」(御書947ページ)との法理のままに、わが同志の勝利劇は、枚挙にいとまがない。兵庫の皆様は、歴史に残る蘇生の戦いを示し抜いてくださった。
「わざはひ(禍)も転じて幸となるべし」(同1124ページ)
我らに絶望は断じてない。
日蓮仏法の信仰は、永遠の希望の光源であるからだ。
常勝関西の皆様は、この希望の大哲理を、厳然と証明してくださった。
今も、世界の被災地の人びとが、「神戸を見よ!」「兵庫に続け!」「関西の如く!」と勇気づけられている。

◇挑戦と応戦
ハワイ訪問を終えた先生は真っすぐに関西へ。全ての犠牲者の冥福を祈念し、渾身の励ましを重ねた。
震災9カ月となる10月17日には、兵庫池田文化会館での「21世紀兵庫希望総会」に出席。当初、この集いの名称は「兵庫総会」だった。しかし先生は、そこに「希望」の二字を加えるよう提案。「復興に向けて、懸命に立ち上がろうとしている。この『兵庫の心』を世界に伝えてもらうのです」。先生は、兵庫の不屈の魂をたたえ、語った。

日蓮大聖人の仏法は、「無限の希望」の哲学である。
どんな人生も、行きづまりを感じることはある。また、今、日本も、世界も、行きづまっている。多くの人々も行きづまっている。
希望を生み出す不滅の哲学がないからである。
しかし、私たちには絶対に行きづまりがない。どんな状況にあろうと、限りなく「希望」をわき立たせ、「希望」を実現していける。

大切なのは「信心」である。「心」である。社会的地位や名声があろうとも、「心」が違ってしまえば、幸福の軌道から外れてしまう。
大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同1360ページ)と仰せである。
「日蓮と同意」の人生が最高の正義の人生であり、幸福の人生である。大聖人は、「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(同ページ)と仰せである。

私どもは「無限の希望」の源泉である題目を楽しく唱えきって、堂々と、行きづまりなき、この人生をともに生き抜いてまいりたい。

この年(95年)は、歴史学者トインビー博士の没後20年に当たっていた。先生は兵庫希望総会のスピーチで、博士との対談に言及している。

目先のことではない。自分の死後、二百年、三百年先をどうするか。そのために今、何をなすべきか。博士も私も、ただ、その思いしかなかった。私たちは語り合った。
「困難な環境にどのように対応するかが、文明創造のバネとなる」と。
博士の歴史観の一つの結論は、「挑戦と応戦」の理論である。"自然をはじめとする環境が人間に試練を与える時、その挑戦に屈服せず、雄々しく応戦しゆく、たくましき社会から、新しい文明が生み出される"という洞察であった。

兵庫は、大震災の大試練を乗り越え立ち上がってこられた。その不屈の精神は、やがて日本をリードし、21世紀の文明の大きな核となっていくことを、私は確信してやまない。

◇人生は「戦い」
2000年(平成12年)2月29日、池田先生は最も被害が甚大だった地域の一つである長田区の長田文化会館へ。懇談的にスピーチした。

人生は戦いです。幸福になるための戦いです。
しかし、何も困難がないことが幸福ではない。
仏法は「煩悩即菩提」と説く。日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(同1143ページ)と仰せである。
だれでも、苦しみや、悩みがある。災難にあう。最も大きなものは死である。これは運命であり、どうしようもない人間の業ともいえる。
しかし妙法を唱え、広布へ戦う人は、自身が妙法の当体となる。いかなる苦難も、災難をも悠々と乗りきっていける力を、毅然たる自分自身を、築くことができる。
そして死後も、その生命は大宇宙に溶け込み、妙法のリズムと合致して、幸福の軌道を進んでいける。
妙法は、生き抜く活力である。「年は・わか(若)うなり」(同1135ページ)と仰せのごとく、生き生きと、人生の総仕上げを飾っていただきたい。柿の実が真っ赤に熟すように。荘厳に輝く夕陽のように。
「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同788ページ)である。
どうか朗らかに! 朗らかな人には、だれもかなわない。そして忍耐をもって生き抜いていただきたい。

◇不撓不屈の魂
2000年1月、兵庫池田文化会館の隣に「関西国際文化センター」が完成。先生は同年6月の随筆で、「神戸の街のメーンストリートに、肩を並べる二つの城は、いかなる人生の困難にも屈しない、民衆の"不撓不屈の魂のシンボル"である」と同センターへの訪問を述懐し、兵庫の使命を訴えた。

嵐を呼ぶ、混沌の社会のなかにあって、我らの進みゆく道には、迷路はない。道につまずいたり、壁に突き当たったりする愚か者もいない。
我らは、力強い、正義の声が光る、喉をもっている。信心強き、天の叫びをもっている。我らの魂は、いつも幸せである。
倦怠の人を見下ろし、常に身動きもできぬ、哲学なき弱々しい人生を下に見ながら、断固として、崩れざる隊列を組み、昇りゆく太陽とともに、戦い、勝ち抜いていく、「仏の軍勢」である。

兵庫の君たちよ。
兵庫の我らよ。
勇壮な思いで、鷲のごとく飛び、獅子のごとく走り、生命の光彩に満ちあふれた、「勝利の兵庫」を創作するのだ。

平和の緑の季節から、戦いの情熱の初夏へ。
わが兵庫の創価の闘士よ!
夢に見た「勝利の花」「栄光の花」を咲かせるのだ!
我らの関西は、永遠の「幸福の花の都」を築くのだ!

2019年6月9日日曜日

2019.06.09 わが友に贈る

◇今週のことば
地涌の生命は
常に開拓と挑戦だ。
「仏種は縁に依って起る」
古い友人を大切に
新しき絆を広げよう!
2019年6月9日

兵衛志殿御返事 P1093
『念仏者等にたぼらかされて日蓮を怨ませ給いしかば我が身といい其の一門皆ほろびさせ給う』

【通解】
(北条重時殿は)念仏者らにたぶらかされて日蓮を怨まれたので、わが身といい、その一門といい、皆、滅んでしまわれたのである。

〈寸鉄〉 2019年6月9日
「せめ返し・せめをとし」御書。戦いは勢いのある方が勝つ。さあ激戦地へ
兵庫・西宮婦人部の日。希望拡大の新記録を今!太陽の母こそ常勝の光源
私たちの運命を決めるのは民衆の結合した声だ—夫人。今こそ勇敢に進め
各地で梅雨入り。激しい雨も。河川の増水や土砂災害に警戒。備え怠らず
参院歳費自主返納の議員立法、今国会で成立へ。公明が抜本的な改革更に

☆勇気の旗高く 池田先生と兵庫(上) 2019年6月4日
◇世界の憧れ常勝の模範
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は「池田先生と兵庫(上)」を掲載する。

◇人権闘争の舞台
1957年(昭和32年)7月3日、事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕された池田先生は、2週間に及ぶ獄中闘争を経て、17日に出獄。その日、開かれた大阪大会で"最後は、信心しきったものが必ず勝つ!"と師子吼を轟かせた。7月を「師弟の月」「関西の月」と呼ぶゆえんである。
兵庫の同志にとって忘れ得ぬ歴史が、62年(同37年)1月24日、先生が出席して尼崎市体育会館で行われた「関西男子部幹部会」である。84回にわたった「大阪事件」の判決を、翌25日に控えていた。

兵庫は、私が人権闘争の歴史を刻んだ舞台である。
一九六二年(昭和三十七年)の一月二十四日、関西男子部の幹部会が開催された。
私が無実の選挙違反容疑で逮捕された、あの"大阪事件"の裁判の判決前夜であった。
会場は、忘れ得ぬ尼崎市体育会館。
私は、一万二千の若き弟子を前に、厳然と宣言した。
「次の世代にバトンを渡すまで、なんで自分の生命が惜しいものか。善良な市民を苦しめている権力とは、断固、一生涯戦う!」と。
翌日、無罪判決が下った。日本の潮となりて高鳴りゆく創価の行進を狙う、権力の魔性を打ち破った朝であった。あの日の覚悟のままに、私は走り抜いてきた。正義の電流を全世界に広げ抜いてきた。
「不可能を可能にする」仏法勝負の大闘争で!
偉大な「常勝関西」の戦友と共に!

◇大誠実の対話を
「常勝関西が、永遠に『常勝』であるためには、兵庫が要である」——池田先生は2004年6月の随筆で、その偉大な広布の足跡をたたえ、兵庫の使命に言及した。

兵庫の使命は大きい。
関西の勝利が全国の勝利へと深く連動しているように、兵庫の勝利は、必ず関西の常勝へと、大きくつながっていくのだ。
昭和三十一年、あの「"まさか"が実現」と、世間を驚かせた大勝利を飾ったあと、私は、兵庫と大阪にまたがる伊丹空港から、東京へ凱旋した。その翌年には、東灘区にある御影公会堂で、神戸の大会など、意気軒昂の会合を開催した。
戸田先生が逝去された直後に行われた教学試験で、灘区の会場へ、激励に駆けつけたことも懐かしい。常勝の心臓部・尼崎では、節目、節目に、広布の盤石な布石をした。

海光る淡路島にも渡り、明石総支部の友と合同の記念撮影会にも臨んだ。緑深き丹波や但馬、豊岡などにも、私は友のために、人間を結びゆくために走りに走った。
また、六甲の風薫る北区にも、文化の都・宝塚にも、車を走らせた。
昭和五十三年には、「臨終只今」の思いに突き動かされるように、神戸市の須磨区、垂水区を通って、加古川、姫路へも懸命に走った。
常勝関西の"西の砦"である西播、播州、そして播磨の友の活躍も、よく伺っている。兵庫のいずこの地にも、同志の笑顔が輝き、勝利の決意が光っている。

昭和四十一年九月、神戸で行った九千人の大撮影会も、生涯、忘れることはできない。"雨の関西文化祭"の二週間ほど前であった。
何グループにも分かれて、撮影台に並ぶ。九千人ともなれば、撮影は二十数回にも及んだであろうか。
焦点は、同志一人ひとりである。私と一対一の、師弟の歴史を、決意の原点を、どれだけ一人ひとりの同志につくり、生命に残してあげられるかである。
私は真剣であった。その一回一回、その一瞬一瞬、渾身の励ましを送り続けた。
この記念撮影から何十年たっても、「あの出会いが人生の支えになった」「いかなる困難にも負けまいという原点になった」等々の話を伺うたびに、わが胸は嬉しさでいっぱいになる。
友情の対話も同じだ。ただ時間をかければいいのではない。一回一回、瞬間瞬間の出会いを大切にする、その大誠実が相手の心をつかむのだ。

◇逆境に打ち勝つ
「父は兵庫に赴かん」と湊川の決戦に臨む父・楠木正成は、「御供仕えん」と討ち死にを覚悟する長子・正行に、生きて戦うよう諭す——恩師・戸田先生が格別に愛し、幾たびも青年に歌わせた"大楠公"。池田先生もまた、この曲を愛し、"早く生い立て"と、後継の友の成長を願い、師弟の魂をピアノの旋律に託してきた。

この"大楠公"の曲を弾く私の胸には、いつも兵庫の友が光っている。父である戸田先生と、弟子である私たちとの、歴史の一頁を響かせていく歌であった。
広宣流布への大戦闘、慈折広布の法戦の大勝利のために、私たちが先生と共によく歌った、懐かしき歌である。

いかなる困難にも、"なにくそ! 負けへん!"と生き抜き、戦い抜いてこられた、尊きわが同志よ!
皆様の生きる勇気の光が、自らを照らし、さらに人びとの希望となったのだ!

わが兵庫の偉大な弟子よ、断じて負けるな! 生き抜く仲間のため、亡くなりし方々のためにも、勇敢に尊い人生を勝ち飾ってくれ給え!
「常勝」とは、苦難に屈せず、逆境に打ち勝ち続ける生命に輝く栄冠であるからだ。

◇関西魂の電源地
池田先生の無数の励ましを胸に、新たな広布の歴史を開いてきた兵庫の同志。師から贈られた長編詩「常勝の詩 大兵庫に勝鬨を!」を心に抱き、勝利の頂へ駆け上る。

忘れもしない
昭和四十一年の九月十八日
甲子園球場に
繰り広げられた
あの大雨の中の文化祭!
日本の友が
世界の友が大喝采した
創価の大文化運動である。

この日
兵庫から世界へ
不可能を可能にする
「関西魂」が
発信されたのだ。

ここ兵庫こそ
世界が憧れる
「カンサイ・スピリット」の
電源地と
永遠に刻まれ
残されたのだ。

兵庫が勝てば
関西が勝つ!
関西が勝てば
世界が勝つ!

ゆえに
あなたよ!
兵庫のあなたたちよ!

日本中
そして
世界中の模範となりて
わが友のために
断じて負けるな!
断じて勝ちゆけ!

2019年6月8日土曜日

2019.06.08 わが友に贈る

目の前の一人を大切に
誠実一路で語り抜こう!
心からの対話の一波は
納得と共感の万波へと
幾重にも広がっていく!

佐渡御書 P957
『外道悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云』

【通解】
外道や悪人は、如来の正法を破ることはできない。必ず、仏弟子らが仏法を破るのである。師子身中の虫が師子を内から食うとはこのことである。

〈寸鉄〉 2019年6月8日
SGIは人間的な価値観を復興させ社会に貢献—元総長。自他共の幸福へ
「百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかく」御書。地域照らす太陽に
目を内部に向ければ未発見の千もの領域がある—哲人。君の可能性は無限
無料レジ袋を一律禁止へ—環境相。プラごみ削減目指し。我らも足元から
はしか感染、既に昨年の倍。未接種の人などは確認を。妊婦ら守る為にも

☆本紙創刊68周年を記念 無冠の友へのメッセージ 2019年5月28日
◇人間革命の大叙事詩を綴れ 希望は「勇気の一歩」から
来る日、来る朝、読者のもとへ"幸の便り"を届ける「無冠の友」。その尊い一歩一歩が、地域に希望の薫風を広げゆく。ここでは、本紙配達員の機関紙「無冠」の創刊記念日特集に掲載された、池田先生のメッセージを紹介する。

さあ朗らかに、今日も前へ! 今日も、かけがえのない友のもとへ!
いかなる試練があろうとも、祈り切り、歩み続ける中でこそ、新しき「人間革命」の大叙事詩は綴られる。
その先頭走者こそ、わが尊き配達員の皆さまです。
聖教新聞の創刊68周年を祝し、大切な大切な全国の「無冠の友」に、私は心からの感謝と敬意と賞讃を捧げます。日々の気高い配達、本当に本当にありがとうございます!

私と妻が出会いを重ねた、敬愛するアメリカ公民権運動の母、ローザ・パークスさんは、友に呼び掛けています。
「未来の世界がどうなるかは、私たちが今どのように生きるかにかかっています」。そして、世界をより良くするために、「やるべきことは、まだまだたくさんあります」と。(高橋朋子訳『ローザ・パークスの青春対話』潮出版社)
未来は今ここから始まる。勇気の一歩から希望が生まれる。
さながら太陽の運行のごとく、たゆまず誠実に積み重ねられる「無冠」の一歩また一歩から、我らの地域を、さらに未来の世界を、より良くする回転が広がっていることを、私は確信してやみません。

今年の年頭に創刊2万号を迎えた聖教新聞は、2万5千号、さらに3万号へと旅立ちました。それは世界宗教として飛翔する創価学会の誉れの大長征を刻む日記文書であります。
わが師・戸田城聖先生が第2代会長に就任した後、創刊まもない聖教新聞の編集室は東京・新宿区の市ケ谷ビルに置かれました。同じビルの中には、先生が全身全霊で友に励ましを送られた学会本部の分室が設けられていました。その信心への大確信、平和への大情熱が、聖教を通してそのまま日本中に脈動していったのです。
先生の不二の分身として、私も創刊号から筆を執り続けてきました。執筆を通して宝友たち一人一人と対話し、命を通わせていきたいとの願いは、今もいささかも変わりません。
「無冠の友」の真心で一軒一軒に配られた聖教新聞は、一人一人の心田に幸福の種を蒔き、勝利の花を咲かせていきます。人間主義の仏法を現代に蘇らせ、民衆に智慧の光を送ります。
思えば日蓮大聖人は、留難の佐渡から門下に手紙を送られ、「此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ」(御書961ページ)と仰せです。大難の中、師匠からのお手紙を拝して、心と心を一つに、同志は励まし合って、いかなる障魔にも負けない異体同心の団結を築き上げていったのです。
当時も、御本仏の御心を一人一人に伝え届ける方々がいました。今、その聖業を担う福運は計り知れません。先日も、大聖人御聖誕の千葉県の花見川区では、聖教新聞の1万号をお母さんが、そして2万号を娘さんが配達されたという、感動の無冠のリレー体験を合掌して伺いました。

言葉は、一人から万人へ広がり、世界の希望と輝きます。聖教新聞と各国の機関紙誌は、「広布」即「平和」の拡大の原動力となってきました。
かつて、北欧ノルウェーの婦人部のリーダーの方は、夫が当初、信心に反対で、子どもの入会も認めませんでした。
転機は"セイキョウ"でした。夫の転勤先のタイの地で、その方は英語版機関誌「セイキョウ・タイムズ」を糧に信心に励みました。すると、ある日、突然、夫が「僕も信心をやるよ」と言うではありませんか。実は、机上にあった"セイキョウ"を読んで、夫は仏法への理解を深めていたのです。
やがて、長女も成長して女子部のリーダー、さらに今では、北欧広布の指導者として指揮を執り、ご一家は美しい大輪の福徳の花を薫らせています。
ノルウェーといえば、戸田先生のもとで劇作家イプセンの名作『人形の家』を学んだことを思い出します。社会の実相を鋭く見つめた彼は「人間精神の革命」を志向していました。
イプセンは晩年、故郷の人々に、こうあいさつします。
「私は最後までペンを執りますし、それを手放すつもりはありません」。そして、「共感する人」とともに「反対する人」にも取り巻かれているからこそ、「統一のとれた考えが、より高い目標、より大きな宿題へと前進することができるのです。これが私の希望と、そして信念です」。こう高らかに宣言したのです。(原千代海編訳『イプセンの手紙』未来社)
我らもまた、自他共の幸福のため、大理想へ邁進したい。
勇気ある言葉を武器に! 真実の言論を光と放ち! 励ましの詩を翼にして!

世界広布の言論城・世界聖教会館は、今秋の完成に向け、建設が順調に進んでいます。聖教新聞に掲載される「輝く無冠の友」の記念撮影を、毎回、妻と最敬礼して拝見しつつ、尊き皆さまに健康あれ、幸福あれ、無事安穏であれと祈る毎日です。
この3月、世界聖教会館の定礎式では、世界各地の石などとともに配達員名簿のCD(コンパクトディスク)が定礎箱に納められ、埋納されました。皆さま一人一人の芳名は、広布史に永遠です。
いよいよ春。花も咲き、人も咲く。未来が咲く。万物が躍動する季節です。
「無冠の友」の皆さまとご一家が、福徳の花を万朶と咲き薫らせていかれることを祈念してやみません。
春風に乗って、いよいよ希望の大前進を!
私とともに!

2019年6月7日金曜日

2019.06.07 わが友に贈る

一度や二度で諦めたら
敗れる壁も破れない。

「強盛の信心
弥弥 悦びをなすべし」
逆境こそ躍進の好機だ!

報恩抄 P293
『仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』

【通解】
仏法を学ぶ人は、父母の恩、師匠の恩、国土・社会の恩を忘れてはならない。
この大恩に報いるためには、必ず、仏法の奥底を学び、修行して、智者とならなければならない。

〈寸鉄〉 2019年6月7日
「常にかたりあわせて」御書。地区の隅々に励ましを!絆強め勝利へ前進
高等部結成の日。広布後継の正義の走者。学び鍛え使命の大空へ羽ばたけ
言葉は"精神の顔"である—哲人。真剣、誠実、大情熱の対話で心を結ぼう
南アジア、今世紀末に猛暑で生存不可能に—研究国境超えた行動の連帯を
公明は地域と国繋ぐ"接着剤"—教授。3千人が底力発揮し期待に応えよ

☆四季の励まし 誓願に生きる人生は幸福 2019年5月26日
誓願に生き抜く人生は、
最も幸福な人生である。
いかなる苦難の烈風にも負けず、
誠実に誓いを果たし抜く人は、
真の勇者であり、勝利者である。
創価の師弟には、
誇り高き大願がある。

世界の広宣流布は、
仏法の究極の大願である。
言い換えれば、
この世界から
「悲惨」の二字をなくし、
人類の幸福なる恒久平和を
実現することであるのだ。
一宗教の繁栄が目的ではない。
全民衆の幸福が根本の目的である。
「人間」のために、
仏法はあるからだ。

仏と同じ誓いに立てば、
仏と同じ智慧が湧く。
仏と同じ力が出る。
仏と同じ戦いができる。
これほど強い、
これほど誇り高い人生は、
どこにもない。

我らは、
この広宣流布大誓堂を中心に、
それぞれの使命の舞台で、
自行化他の題目の師子吼を、
いやまして勇気凜々と響かせ、
ありとあらゆる邪悪に打ち勝ち、
わが地涌の眷属の威光勢力を
無限に増してゆくのだ。

いざ、広宣流布へ、
前進また前進! 闘争また闘争!
これが、
創価学会の永遠の誓願である。
そこに民衆の平和勢力は
堂々と築かれる。
いかに社会の混迷が深まろうと、
民衆が立ち上がれば、
希望は開ける。
永遠の平和の基盤を築くチャンスは
「今」である。

威風堂々とそびえ立つ広宣流布大誓堂(東京・信濃町)。「創価学会常住御本尊記念日」の今月19日、池田大作先生が車中から撮影した。
大誓堂に御安置されている創価学会常住御本尊には「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と認められ、仏意仏勅の教団である学会の使命が、厳然と刻印されている。全国・全世界の地涌の同志がここに集い、誓願の題目を唱え、それぞれの地で新たな挑戦を開始してきた。
かつて池田先生は、こう呼び掛けた。「我らには誓願の題目がある。祈り、涌現した仏の命で、人と会い、人と語る。その一切が仏縁となる」と。
さあ、広布誓願の題目を朗々と唱えながら、平和と友情のスクラムを大きく広げよう!

☆勇気の旗高く 池田先生と秋田 2019年5月24日
◇日本海の雄、ここにあり!
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は秋田県を掲載する。

◇「一人」を大切に
「戦う秋田」「創価の大道を歩む秋田」——そのルーツは池田先生が若き日、支部幹事として指揮した蒲田支部にある。先生は「学会精神の息吹を、満々と呼吸して伸びてきたことが、秋田の誇りだ」とたたえている。
1954年(昭和29年)7月、戸田先生が秋田の地を初訪問。その2年後の56年(同31年)には、"日本海広布"の先陣を切る秋田支部が誕生した。
そして翌57年(同32年)4月、勢いを増す秋田支部は全国3位の弘教を達成。ある地区の折伏は1300世帯を超え、"弘教日本一"を成し遂げたのである。
「日本海の雄・秋田、ここにあり!」——全国の同志を驚嘆させた拡大であった。
翌5月、池田先生は秋田を初訪問し、歓喜に沸く支部総会に出席。当時、「上野—秋田」間は急行でも、片道12時間ほどかかった時代である。
先生は2003年(平成15年)3月の随筆で、秋田広布の誉れ高き伝統をつづった。

草創期の秋田の同志には、小さく納まってしまう発想はなかった。
自身の限界を破って、打って出た。雪が降ろうが、風が吹こうが、断固として、前へ、前へ、前へ!
まさに、破竹の勢いがあった。勇気の行動があった。ゆえに喜びの爆発があった。
「広宣流布こそわが人生」と思い定めた、崇高な使命感が燃えていた。
仏法を求める人が、不幸に呻吟する人がいれば、近隣はもちろん、秋田中、東北中、いな、日本中に飛び出していくかのような勢いであった。

日蓮大聖人は、「道のとを(遠)きに心ざしのあらわるるにや」(御書1223ページ)と仰せであられる。
「友を思う真心」「仏法を求める志」の前では、道の遠さも、また、不便さも決して障害ではない。
「よし、行こう」と勇気を奮って決意した時、心は物理的な距離を超え、もう相手に向かって走っている。
遠くて、滅多に会えない場合もある。だが、その分、一期一会の思いで、心血を注げば、思い出は無限となる。
今は電話やメールも活用できる。
大事なのは「会おう」「語ろう」という深き一念だ。
それは、自分が縁を結んだ「一人」を、絶対に大切にしようという真剣さといってもよいだろう。
この「真剣」の二字に、慈愛も、信頼も、連帯も、勝利も、すべて収まっている。
人生もまた同じだ。「これだけは石にかじりついてもやる!」という執念で、一日、一日を勝ち取る以外に、偉大な歴史は残せない。

◇自分自身のため
1977年(昭和52年)ごろ、秋田では第1次宗門事件の嵐が吹き荒れた。"東の秋田""西の大分"といわれるほど邪悪な僧らの謀略に苦しめられた地で、秋田の同志は懸命に耐えた。
そして迫害の嵐を乗り越え、師弟勝利の雄叫びが轟いたのが82年(同57年)1月の「雪の秋田指導」である。
「それは忘れえぬ 決して忘れることのできぬ 私の胸中の歴史の一コマであった」と池田先生は述懐する。
秋田指導3日目の1月12日に行われた県幹部会(当時の秋田文化会館)の席上、先生は"人生の最も深い思い出とは何か"に言及した。

人生それぞれ、さまざまな思い出があるものだ。
しかし、生命の奥深く、因果の理法で刻まれた、広宣流布への活動ほど素晴らしきものはない。それは皆さまの実感している通りである。
普通の思い出は年とともに薄らぐが、信心修行の思い出は、意識するにせよ、無意識のなかにせよ、永遠に無上道の思い出として残っていくものである。
ゆえに、広宣流布へのすべての活動は、所詮は自分自身のためであることを自覚されたい。

◇仏縁の拡大こそ
池田先生は、折々に「雪の秋田指導」に触れながら、同志を鼓舞してきた。
99年(平成11年)8月の随筆では、後継の秋田青年部に"強くなれ! 強くあれ!"と呼び掛けた。

仏法は勝負である。勝つか負けるか、中途半端はない。
断じて戦ってきたから、学会はすべてに勝ってきたのである。
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(御書1282ページ)である。
臆病では、人生は勝てない。法戦も勝てない。
正義が負けたら、永遠に人類史は暗闇となる。
「正義によって立て! 汝の力二倍せん」と、ある詩人は叫んだ。
秋田の同志も戦ってきた。ありとあらゆる中傷非難の歴戦を乗り越え、勝ち越え、栄光の自分史を築き上げた。

強くなれ! 強くあれ!
それが、勝利者の実像であるからだ。
さあ、偉大なる秋田の青年たちよ! 団結せよ! 立ち上がれ! 断固として、勝利を勝ち取れ!
君たちのあとに、日本国中の青年が立ち上がるだろう!

2002年(同14年)1月の随筆では、"仏縁の拡大こそが広宣流布の拡大"であると強調した。

人生は、弱気では決して勝てない。勇気ある信心が勝利なのだ。執念が勇気ある信心を涌出する。
ゆえに、強盛な信心こそ、尽きることなき智慧と福徳の源泉となるのだ。
学会がここまで発展したのは、なぜか。
それは、学会員が、いかなる人生の苦悩や苦境にも、絶対にあきらめず、乗り越えてきたからである。
そして、逆境のなかで苦闘している人びとのもとへ、真っ先に駆けつけ、勇敢に励まし続けてきたからである。
この精神がある限り、学会は永遠に昇りゆく太陽のごとく、無数の人間の威光勢力を輝かせていけるのだ。

「仏縁」の拡大が、広宣流布の拡大である。
雪の秋田指導の折、私は、広布の土台たる、強い支部の建設を訴えた。
「支部に、勇気ある同志が何百人と賑やかに集うようになれば、一千万の連帯が必ず築ける。そうなれば、広布の基盤は、盤石のなかの盤石である」と。
さあ! 新しき前進のこの年も、変わらずにわが大道を歩みながら、多くの人と会い、多くの友と会おう。
また多くの人と語り、多くの友と語ろう。この快活な人間と人間との「対話」の大波が、「人間主義の世紀」であり、「創価の世紀」である、と謳い上げよう!

1994年(同6年)4月、池田先生は5・18「秋田の日」を記念し、一首の和歌を贈った。
「立ちあがれ 秋田の名誉 忘るるな 断固悔いなく 歴史築けや」
秋田の名誉——それは、草創期の"日本一"の拡大であり、迫害の嵐を師弟して勝ち越えた歴史そのものである。
今再び、秋田の友は"日本海の雄"の誇りに燃えて、新たな広布の大道を勝ち開く。

2019年6月6日木曜日

2019.06.06 わが友に贈る

リーダーは
草の根をかき分けて
悩める友に励ましを!
スピードは慈悲に通ず。
安心の絆を幾重にも!

聖愚問答抄上 P491
『知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす』

【通解】
(聖人は)恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一とする。世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫と名づけ、知らない者を畜生というのである。

〈寸鉄〉 2019年6月6日
牧口先生の生誕日。立正安国の対話に歩み抜いた先師。我らも勇み語ろう
関東婦人部の日。限界を破る拡大へ更に!母たちの敢闘精神こそ勝利の光
青年よ誠実であれ。策や要領ではいけない—恩師君の大情熱で新時代開け
5月の熱中症搬送、昨年の1・6倍。記録的暑さ。空調活用や水分補給賢く
中高年ひきこもりの訪問相談、東京都が開始。公明が推進。悩める声に即応

☆アメリカ創価大学 第15回卒業式への池田先生のメッセージ 2019年5月27日
「対話の力」で変革と創造の連帯を
自分自身が未来を創る新しい理想を掲げ挑戦!
ゴルバチョフ氏と語り合った信念
「世界を正しくする人は不屈の楽観主義を持て」

一、黎明を告げる旭日のように、鮮烈に「希望の光」を放ちゆく卒業生の皆さん、誇り高き新出発、誠におめでとう!
ご家族、またご友人方も、見違えるように大成長を遂げた皆さんの晴れ姿をどれほどうれしく見守っておられることでしょうか。
宝の俊英たちを、常に温かく励まし、支えてくださった、教員・職員をはじめ、すべての方々に、厚く御礼を申し上げます。
ご多忙の中、祝福に駆け付けてくださった、多くのご来賓の先生方、誠にありがとうございます。
人類の平和と幸福に貢献しゆく、若き世界市民のリーダーとして巣立ちゆく誉れの15期生、大学院新教育プログラム4期生の皆さんの門出にあたり、新時代に要請される「三つの力」について、確認し合いたいと思います。

◇女性が開いた和平交渉の道
一、第一は、「変革と創造を呼び醒ます対話の力」です。
本日の式典には、光栄にも、アフリカの偉大な平和運動家で、ノーベル平和賞を受賞されたリーマ・ボウイー先生を、再びお迎えすることができました。
1989年から14年間に及んだリベリアの内戦において、女性の力を結集して非暴力の抵抗運動をリードし、紛争の終結に貢献を果たされた勇気と信念の指導者です。
ボウイー先生が平和構築者(ピースビルダー)としての行動を開始されたのは、今の皆さんと同じ年代と伺っております。
非暴力の"武器"として掲げられたのは「対話」であります。悲嘆に暮れる女性たちの声に徹して耳を傾け、体験を分かち合い、共に涙をぬぐいながら、自らの悩みを超越して、平和へと立ち上がる希望の連帯を広げていかれたのです。
この対話運動により、やがて幾千の母たちが自分自身の力に目覚めていきました。宗教を超えて手を携え、一緒に歌を歌い、「平和を!」と声を上げていくスクラムに、兵士や政府の役人も、「ありがとう、お母さん。未来はあなたたちにかかっている」と感謝をささげるように変わります。そして、遂に和平交渉の道が開かれていったのです。
ボウイー先生が喝破された通り、「自分で状況を変えることができる」と気付いた人々の情熱は、誰も消すことができません。
対話とは、人間の善性を信じ抜き、互いに触発し合い、忍耐強く引き出していく挑戦にほかならないでしょう。
皆さんには、多様性の輝く創価のキャンパスで鍛えた「対話の力」があります。この力をいよいよ、生き生きと発揮して、ボウイー先生を大いなる希望のモデルとしながら、自らの足元から変革と創造の連帯を広げていっていただきたいのであります。

◇歴史も人生も「現実」との戦い
一、第二は、「いかなる逆境にも、理想を掲げ抜く力」であります。
冷戦終結の立役者である元ソ連大統領のゴルバチョフ氏は、アメリカ創価大学の開学にメッセージを寄せ、心から祝福してくださった一人でもあります。
氏と私は、「世界を正しくしようとする人は、楽観主義であれ!」と語り合いました。
歴史も人生も、「理想」と「現実」のせめぎ合いです。新たな理想を掲げれば、必ず多くの困難が立ちはだかるものです。だからこそ、不屈の楽観主義と遠大な展望を持たねばなりません。
日本の軍部政府の投獄を耐え抜き、第2次世界大戦直後、「人間革命」の哲学、そしてまた「地球民族主義」という理念を提唱した、私の恩師である戸田城聖先生は、どんな苦難にあっても悠然と語られていました。「百年後、二百年後のために、今、戦うのだ。二百年先には、創価の道の正しさを歴史が証明する。後世の人類が必ず証明するよ」と。
"現実は厳しい"と下を向くのではなく、"自分はこうしてみせる""こういう未来を創ろう"と胸を張って前を向く勇気——これが創価の魂です。
わが卒業生の皆さんは、まずは10年先、20年先を目指し、強く朗らかに進み抜いていただきたいのです。

◇"感謝の人"は限りなく成長
一、最後に申し上げたいのは、「陰の労苦に光を当て、感謝する力」です。
わが恩師は、若き日、アインシュタイン博士の講演を、直接聞いた歴史を宝としていました。
このアインシュタイン博士の忘れ得ぬ言葉があります。「私は1日に100回、自分に言い聞かせます。私の精神的ならびに物質的な生活は、今も昔も他者の労働の上に成り立っているということを。そして自分が受けてきたことや、今も受け続けている恩恵と同じ分だけ返せるように尽力しなければならないということを」(志村忠夫監修・翻訳『アインシュタイン 希望の言葉』ワニブックス)
陰で支えてくれている方々の苦労への深き感謝がある限り、進むべき道も、価値基準も明確になり、自らの人間としての成長も、前進も決して止まりません。
この究極の人間学に、SUAの誇る教育理念があります。
ボウイー氏と共に、ノーベル平和賞を受賞された、リベリアのサーリーフ元大統領も、リーダーとして成長する方法の一つは、庶民の苦悩を自らの苦とする立場に身を置くことである、と語られていました。
SUAの本部棟は、「ファウンダーズホール」と、ファウンダー(創立者)の複数形の表現となっています。まさに、皆さん自身であり、さらに皆さんを支えてくださったご家族、ご友人、そして全世界の真心の宝友の方々です。
皆さん一人一人の成長が、世界の友の喜びであり、創価の勝利です。SUAの発展と躍進こそ、民衆への報恩であり、人類の未来の希望なのであります。
私は、皆さんが若き創立者として、SUAの新たな伝統を、見事に築いてくれたことに、心から感謝しております。
どうか、これからも、後に限りなく続く後輩たちのために、SUAを勝ち栄えさせていってください。
一、今月末で、アメリカの民衆詩人ホイットマンは生誕200年を迎えます。
ホイットマンが弟子に語った言葉を結びに贈り、メッセージといたします。
「僕は、納得のいく結果がでるまでは、挑戦、挑戦、そしてさらに挑戦する。そのうえで、必要なら、一からだってやり直すのだ」
わが夢であり、わが生命であり、21世紀の太陽である一人一人に、健康あれ! 栄光あれ! 勝利あれ!(大拍手)

2019年6月5日水曜日

2019.06.05 わが友に贈る

多忙であればあるほど
唱題根本を心掛けよう。
題目を唱え抜く人は
絶対に行き詰まらない。
強盛の大信力で前へ!

経王殿御返事 P1124
『いかなる処にて遊びたはふるともつつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし』

【通解】
たとえ、どのようなところに遊びたわむれていても、災難あるはずはない。悠々と遊行して畏れないことは師子王のようであろう。

〈寸鉄〉 2019年6月5日
学会が社会に打って出るのは功徳を広げるため—恩師。幸送る対話、今日も
正・副役職の金剛の団結で力が倍加。情報を共有し異体同心で勝利劇綴れ
福井の日。師弟共戦で進む常勝の勇者。今こそ愛する郷土のルネサンスを
国連「世界環境デー」。衣服の軽装化等、"できること"から地球守る一歩
AEDの使用が1分遅れるごとに救命率10%低下と。設置場所を再度確認

☆中国・広州 廖承志・池田思想学術シンポジウムへの池田先生のメッセージ 2019年5月25日
◇"地球益"の時代へ人道の連帯を
一、今回のシンポジウムのテーマは、"新時代に向かう中日友好"と伺いました。この響きそれ自体の中に、共存共栄の希望の新時代を開かんとの、先生方の強い意志を、私は感じてなりません。「平和友好条約」締結から40周年となった昨年は、両国の首相の相互訪問が実現しました。
さらに、来月には、習近平国家主席も来日される予定となっています。多くの方々の努力が重なり合っての近年の両国関係の改善は、平和友好を願い行動してきた一人として、何よりの喜びであります。
「晴れの日も 雨にもかわらぬ 友誼かな」——どんなことがあっても、中国とは友好を貫いていかなければならない。それは、45年前の5月に、ここ広東の大地に訪中の第一歩を印した時も、そしてこれからも、私の一貫した信念であります。
広州から北京に着いた深夜、自ら空港に出迎えてくださり、この初訪中の間、私どもの受け入れの全責任を担ってくださったのが、広東に所縁深き廖仲�先生の子息であり、中日友好協会の会長であられた廖承志先生でした。幾重にも感謝は尽きません。
最初の挨拶の折、廖先生が力を込めて語っておられた言葉が、今も耳朶に響いております。すなわち、両国人民の友好は「いかなる力も阻むことのできない歴史の潮流である」との言であります。
この廖先生の気高き志を受け継がれる先生方とご一緒に、私は報恩の思いを胸に、友好の潮流をさらに育み、広げ、未来へ滔々と流れ通わせていきたい。
そのために、ここでは、3点、所感を述べさせていただきます。

1400年前の"留学生"交流
一、第一に、「"開かれた学びの心"こそ、友好の力である」という点であります。
貴国が誇る李白・王維ら文人と日本の遣唐留学生であった阿倍仲麻呂との香しい親交に象徴されるように、いにしえより両国の交流の歩みに光彩を放ってきたのが、"相互の学び"の伝統ではないでしょうか。
両国の留学生交流の歴史は、1400年前にまでさかのぼります。日本は貴国に使節を派遣するなどして、文化や国際情勢等々、万般にわたって学び続けてきました。私たちが、中国を"文化大恩の国"として尊敬し、感謝する所以でもあります。
清朝末期から、日本も中国の多くの留学生を迎え入れました。
多い時には1万人もの留学生が来日していたといわれております。その中に、近代中国の大文豪・魯迅先生も、青雲の志に燃える若き周恩来総理も、そして、廖承志先生もおられたのであります。両国友好の黎明期、こうした留学生たちがもたらした恩恵は、計り知れません。
「柔道の父」としても名高い教育者の嘉納治五郎先生は、広東をはじめ中国各地からの留学生のために弘文学院を創立しました。「創価教育」の創始者である牧口常三郎先生は、若き日、この学院で、中国の未来を担う向学の青年たちに地理学を教えました。
日本語が不慣れな留学生たちが体系的に学べるようにと、書き込みができる手づくりの教材を配布するなど工夫を凝らし、心を尽くして薫陶したのです。魯迅青年の在学期間とも、2カ月ほど重なっております。
この先師の心を体して、私自身、貴国をはじめ各国からの留学生を、国の代表であるとともに、両国そして世界の未来の平和をつくりゆく使者であると思って迎えさせていただきました。近年、両国の関係の困難な時期にあっても、その打開のために、創価大学に学ばれた程永華前駐日大使をはじめ、留学経験者の方々が陰に陽に奮闘され、見事に改善してくださったことは、ご存じの通りであります。
ともあれ、両国の新しい時代を築いていくにあたり、互いに真摯に学び合い、その「恩」を大切にする。この麗しき"開かれた学びの姿勢"の伝統をさらに育みながら、世界の模範としていきたいと、私は願っております。
一、第二に、「教育交流を通して友誼の絆を万代に」という点であります。
未来を開き、新しい時代をつくるといっても、その主体は、どこまでいっても「人間」です。
日中関係の基本指針として、私が繰り返し青年たちと確認し合ってきたことがあります。それは、民衆という「大海」が確かであれば、政治や経済といった「船」は進むことができる、ということです。まさに、この民衆と民衆の心の絆こそ、普遍的、恒久的な紐帯でありましょう。
ある意味、政治や経済次元の関係は、天候のように変化が絶えません。だからこそ私は、文化・教育を通じて、両国の民衆が交流する友誼の海原を開くことに力を注いできました。
一人一人の心に築かれた目に見えない絆こそ、表層の状況が変動した時にも、平和と友好の正しい航路へ軌道修正していく根源の力になると信ずるからです。
それは、一つの世代から次の世代へ、さらにその次の世代へと、受け継がれていかねばならぬ建設作業になります。
青年こそ未来をつくる力であり、その青年をつくるのが教育であります。そして、青年の連帯こそ平和をつくる力であり、その連帯をつくるのが教育の交流ではないでしょうか。
文化相を務められた作家の王蒙先生は、私との対談の中で「現実の生活に、いかなる試練やトラブルがあったとしても、新たな人々が現れ成長していきさえすれば、また、国家が正常に、積極的かつ確実に教育事業を発展させていきさえすれば、私は未来に希望を抱ける理由を見出すことができる」と強調されておりました。本日お集まりの先生方と力を合わせて、平和と共生の世界市民を育み、結び合う人間教育の潮流を、さらに強めていきたいと望むものです。

若者の創造力を変革の原動力に
一、第三に、「持続可能な未来の建設へ、両国が人類連帯の先頭に」と申し上げたい。
広東に生を享けられた先見の大指導者・孫文先生は、喝破されました。「人類は相互扶助を原則とするのである。社会、国家は相互扶助の形態であり、道徳、仁義は相互扶助の機能である。人類はこの原則にしたがえば繁栄するが、この原則にしたがわなければ滅亡する」(伊地智善継・山口一郎監修『孫文選集第2巻』社会思想社)と。
この鋭い警鐘は、時とともに色あせるどころか、輝きをいや増しております。
今、地球社会はかつてない危機の様相を呈しています。例えば、気候変動の問題は、国境を越えて世界各地で深刻な被害をもたらしており、中国でも日本でも、打開に向けて多くの取り組みが行われているところです。
習近平国家主席は、人類の未来を開く重要な視点として、「人類運命共同体」という価値観を提唱されております。さまざまな危機の出現によって、現在の国際社会のあり方が揺るがされている時こそ、社会のありようを見つめ直し、必要な変革をなす好機でもありましょう。
今こそ、運命共同体の意識に立ち、若い世代の情熱と創造力を原動力としながら、両国が「地球益」「人類益」に向けた「行動の連帯」を進めていくべき時であると思うのです。
牧口先生は、中国の若き英才たちにも講義した『人生地理学』の中で、"他の犠牲の上に自らの繁栄を追求する"競争からの脱却を果たし、国家の目的を「人道的競争」へと向け直すべきだと訴えました。
人類的課題が山積している現代世界において、「国益」から「人類益」へ、さらに「分断」から「融合」への流れは、まさしく時代の要請といえましょう。
教育も、国家のために働く人間から、人類の幸福と世界の繁栄と平和のために働く人間の育成と連帯に尽くすことが求められております。これからの両国が、まさに「人道」を基軸としながら、共々に生命尊厳と恒久平和の時代を開拓していく旗手となることを、深く念じてやみません。
一、結びに、廖承志先生が未来への思いを込めて、日本の友好人士に贈られた一詩を、あらためて生命に刻みつつ、私のメッセージとさせていただきます。
「暖かき春風 地に満ちて、梅香りしあと 桜咲く。霜も寒さも 恐るるなし、心に永遠の 友誼あり」
謝謝!(中国語で「ありがとうございました!」)(大拍手)

2019年6月4日火曜日

2019.06.04 わが友に贈る

今の悩みは全て
同じ悩みを持った友を
励ますため!
宿命は使命の異名なり。
確信の祈りで進むのだ!

法華経題目抄 P941
『この経に値いたてまつる事をば三千年に一度華さく優曇華無量無辺劫に一度値うなる一眼の亀にもたとへたり』

【通解】
この法華経に値うことを三千年に一度花の咲く優曇華や、無量無辺劫に一度栴檀の浮木に値う一眼の亀にもたとえている。

〈寸鉄〉 2019年6月4日
会長は民主と自由の旗掲げる詩人—教授。弟子の手で民衆勝利の叙事詩を
「世界池田華陽会の日」。師との共戦で綴った10年未来の門開く青春に栄冠
"大覚悟"で向かった時に魔は退散—恩師。必ず勝つと決め苦難の壁を破れ
新社会人、厳しさより丁寧な指導求めると。時代に即した人材育成が必須
最善の政治は真っ正直である事—政治家。公明は正々堂々、実績で勝負だ

☆勇気の旗高く 池田先生と富山 2019年5月21日
◇大幸運の人材山脈
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は富山県を掲載する。

◇一対一の対話こそ
池田先生が富山の地を初訪問したのは、1957年(昭和32年)10月27日である。
先生は高岡駅近くの学会員宅で開催された指導会へ。その後、富山市内での指導会にも足を運んだ。
富山をはじめ北陸は古来、念仏信仰の根強い土地柄である。その環境の中で、同志は妙法の旗を高々と掲げ、幸福の連帯を幾重にも広げてきたのである。
先生は2003年(平成15年)4月の随筆で、富山の同志の奮闘をたたえた。

生命の芯の強い富山の同志に、私は頭が下がる思いであった。私は呼びかけた。
「きょうは何でも聞いてください!」
指導会は即座に質問会となった。同志の手は、いっせいにあがった。
この日の夕方には富山市内に移動し、小さな幼稚園を会場に指導会を行った。ここでも、質問が相次いだ。
対話である。対話こそ、一対一の人間と人間との魂を触発させ、そして結合しゆく、平凡のように見えて最も重要な方程式である。
指導会が終わる頃に、私は御書の一節を引いて語った。
——「仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なり」(御書383ページ)との御聖訓があります。わが胸中に功徳善根を輝かせていくのが、信仰の目的です。仏は、外にいるのでなくして、自分自身の生命の中に生きているのだ。それを、涌現するための信仰なのです——。

「富山といえば、大地を赤や黄に彩る、あの『チューリップ畑』が目に浮かぶ」と、池田先生は述懐している。
チューリップは「富山県の花」。球根出荷量で日本一を誇る。先生は、チューリップの品種改良に取り組んできた友の言葉に触れながら、富山への万感の思いをつづった。

「チューリップの成長には休みがありません」
「年中無休で世話をしなければ、決して良い花をつけないことが分かりました」
「チューリップは、こまめに通ってあげればあげるほど、こちらの思いに応えてくれます。耳があるのではないかと思うほど、人の足音を聞いて育つ植物なのです」
この話は、私の胸から一生離れない。粘り強く励ましの春風を友に贈る富山の同志の姿と二重写しになっている。白雪を冠にし鎧にして輝く、毅然たる三千メートル級の高山が連なる立山連峰と同じく、北陸の人材連峰の栄光と勝利を、私は絶対に祈らずにはいられない。
新世紀の富山よ、そして、新世紀の北陸よ、万歳!  
一人ももれなく、健康であれ、幸福であれ!
私は、まばゆき異体同心の北陸に、大幸運の人材山脈が輝きゆくことをば、一生涯、祈りに祈っていきたい。

◇苦難に負けるな!
1984年(昭和59年)8月24日、池田先生は富山文化会館で行われた北陸青年部の勤行会に出席。誉れ高き「北陸青年部の日」の淵源だ。
この時、若き友は2日後に控えた「第1回北陸平和文化祭」に向けて、日夜、懸命に準備に当たる最中であった。
先生は2001年(平成13年)7月の随筆で「皆、文化祭に向けて奮闘中の青年たちである。出演者も、運営の役員もいた。日焼けした顔が"青春の勲章"のようにまぶしかった」と回想しつつ、次のように述べた。

恩師は、よく言われた。
「どんなに辛いこと、苦しいこと、悲しいことがあっても、時がたてば、"なぜ、あんなものに苦しんだのだろうか"と思うものだ」
私は、この教えを通し、青年たちに指導した。
"現在、どれほどの苦難に直面していても、絶対に挫けてはならない。諦めてはならない。断じて、断じて負けてはならない!"と。 
苦労しながら戦った分だけ偉大な自分を創造できる。
途中がどんなに苦しく、辛くとも、粘り抜いて、今日を勝て! そして、最後を勝て! 勝てば、いっさいの労苦は黄金の宝に変わる。

広宣流布の多様な活動も、社会改革の正義の闘争もそうだ。かのタゴールも、人間が人生から学びうる最大の教訓について、こう述べている。
それは、「この世には苦しみがあるということではなく、苦しみを活用するかどうかはわれわれ次第であり、苦しみは喜びに変わるということである」(「サーダナ」美田稔訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)と。

◇人生の究極は歓喜
1982年(昭和57年)9月11日、富山文化会館で開かれた富山県記念支部長会。席上、池田先生は「歓びたまえ! 歓びたまえ! 歓喜こそ生命の肝心なり、人生の目的なり」とのトルストイの言葉を引用しつつ、あるべき人生の究極の姿に言及した。

人生は、さまざまである。喜びもあれば、悲しみも、また、楽しみも苦しみもある。
だが、人間の本来の究極の一念というものは、歓喜でなければならない。歓喜に彩られた人生こそ、人間の元来の願いであり、最高、究極のものでなければならないという意味である。

日蓮大聖人は法華経五百弟子品の「貧なる人此の珠を見て其の心大いに歓喜す」の文をうけ「此の文は始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788ページ)と仰せである。まったく大聖人の仏法は、人生道にあって、完璧にして不変の法と道を示されている。

大聖人は、御本尊に南無妙法蓮華経と唱えることそれ自体が「歓喜の中の大歓喜」の人生となると仰せなのである。煩悩即菩提の原理のうえから、苦悩もそして悲しみも、すべてを歓喜の生命の中に包みながら、強靱なる大歓喜の人生を送れるのであると明示してくださった。

この支部長会の最後に、池田先生は"富山出身の誇りを持ち、所願満足の人生を勝ち開け"と呼び掛けた。

富山の方々は、これまで大変ななかを本当によく戦ってこられた。よく耐えてこられた。耐えることが信心の一つである。
ともあれ、皆さまの心情を思うとき、私はこれからも全力をあげて「富山がんばれ!」と申し上げながら、惜しみなく応援していくつもりである。
ご長寿であっていただきたい。所願満足の人生であっていただきたい。生活のうえに、勝利を飾っていただきたい。そして、いずこの地にあっても、「私は富山の出身である」との誇りを持って、後世の人たちの先鞭をつけたといわれる一人ひとりであっていただきたいのである。

2019年6月3日月曜日

2019.06.03 わが友に贈る

◇今週のことば
動けば境涯が広まる。
語れば仏縁が深まる。
「屡 談話を致さん」
足取り軽く友のもとへ
明朗闊達に勝利道を!
2019年6月3日

光日房御書 P931
『法華経を信ずる人はかまへてかまへて法華経のかたきををそれさせ給へ、念仏者と持斎と真言師と一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をばいかに法華経をよむとも法華経のかたきとしろしめすべし、かたきをしらねばかたきにたぼらかされ候ぞ』

【通解】
法華経を信ずる人は、用心に用心を重ねて、法華経の敵を恐れていきなさい。
念仏者と持斎と真言師とそのほかいっさいの南無妙法蓮華経と唱えない者は、どんなに法華経を読んでも法華経の敵であると知っていきなさい。
なにが仏道修行の敵であるかを知らなければ敵にだまされてしまう。

〈寸鉄〉 2019年6月3日
「人の心かたければ神のまほり必ずつよし」御書。深く祈り強気で勝ち進め
行動しなければ本当の信心は起こり得ない—牧口先生。幹部率先で範示せ
「幸福とは他人のために生きること」文豪。立正安国の道ゆく活動は醍醐味
環境月間。節電・節水など意識して工夫。一人一人の意識変革で地球を守れ
障がい者は貴重な戦力—農家8割が評価。皆が輝く時代へ。公明の貢献大

☆勇気の旗高く 池田先生と大分 2019年5月20日
◇声も惜しまず正義を叫べ
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は大分県を掲載する。

◇闘魂の継承
池田先生が大分を初めて訪れたのは、1959年(昭和34年)4月。今年で60周年の佳節を迎えた。
先生は訪問のたび、同志に渾身の励ましを送ってきた。
中でも、81年(同56年)12月8日から始まった激励行は、大分広布史に燦然と光を放っている。
77年(同52年)頃から顕在化した第1次宗門事件。大分はその一つの"発火点"であり、同志は最も早くから悪辣な坊主の迫害を受けてきた。
先生は到着した日の夜、事件の渦中での心境をつづった原稿を、信頼する弟子に託した。師弟の反転攻勢への誓いが炎となって燃え上がった。

封筒には、私の二種類の原稿が入っていた。
一つは、私が第三代会長を辞任した一九七九年(昭和五十四年)の四月二十四日の夜、聖教新聞社で記者会見した直後に、心境を綴ったものであった。
もう一つは、宗門事件が公然化してきた、忘れ得ぬ一九七七年の十二月四日、九州・宮崎の宿舎で書いた一文である。この時も、私は、日蓮仏法に違背する無数の邪悪と、大攻防戦を繰り返してきたのであった。
私は、憤怒の叫びを原稿に叩きつけるように書いた。
「宗門問題起こる。
心針に刺されたる如く辛く痛し」
「広宣流布のために、僧俗一致して前進せむとする私達の訴えを、何故、踏みにじり、理不盡の攻撃をなすのか」
「大折伏に血みどろになりて、三類の強敵と戦い、疲れたる佛子に、何故、かかる迫害を、くりかえし来るのか、私には、到底理解しがたき事なり」
「尊くして 愛する佛子の悲しみと怒りと、侘しさと辛き思いを知り、断腸の日々なりき。此の火蓋、大分より起れり……」
(中略)これが、私の心の中に決意深く描かれた真実正義の絵画であった。
九州の弟子たちよ、断じて仏子を守れ!
邪悪と戦い、断固と勝ちゆく、わが闘魂を受け継いでくれ給え!

◇青年こそ希望
5日間の滞在中、先生は約1万人に会っている。行事や会合ばかりではない。"まだ何かできることはないか"と、色紙や揮毫、歌や詩を贈り、烈風に耐え抜いた同志の奮闘をたたえた。
さらに先生は、宗門事件における大分青年部の退転者がごくわずかだったことを聞き、後継の若人に新しい指標となる長編詩を発表した(12月10日)。「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」である。この詩をもとに作られた歌「青年よ広布の山を登れ」は、今や日本中、世界中で歌われている。

私は、祈る思いで謳った。
「今 君達が存在するその場所で/断じて勝たねばならない!」「信心の二字だけは/決して敗れてはならない!」と。
仏法は「勝負」である。仏と魔の戦いであり、正義と邪悪との攻防戦である。
ゆえに青年には、明快に、魔を魔と見破り、邪悪を打ち砕きながら、民衆をリードし、安心させゆく、強い強い使命があることを訴えたい。

先生は、21世紀を眼前にした99年(平成11年)3月、長編詩に加筆。当時の真情を随筆につづっている。

十八年の時を経て、私は、長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」に加筆し、新たに創り上げた。
全国の青年部、なかんずく「先駆」の使命を受け継ぐ九州青年部に、今再び、わが生命を注ぐのだと、胸中にほとばしる叫びを刻みつけた。
「私は 君達を信ずる!
君達に期待する!
それしか広宣流布は
できないからだ!」
「声も惜しまず!
獅子の如くに
吼えゆくことだ!」
「御聖訓のままに
生きる我らは
その証明として
障魔の風は
当然のことである
これこそ
我が学会の
誉れというべきである」
「詮ずる所は
不幸と幸福
邪悪と正義
魔と仏との戦いが
仏法の真髄である!」
「信仰とは
何ものをも
恐れぬことだ!
自己を果てしなく
勝利者にしゆくことだ!
法と人と社会を結ぶ
偉大なる人間を
つくりゆく行動だ!」
——新しき勝利の歴史を開くのは、青年しかいない。「先駆」こそ、青年の誉れの使命である。「先駆」とは、燃えたぎる真剣と情熱の心である。

先駆者とは、一人立つ勇者のことである。真っ先に悪を攻め、撃破しゆく人である。
そして先駆者とは、最悪の状況のなかでも、決然と勝利への活路を開き、連続勝利の歴史を織りなす「挑戦王」の異名である。ゆえに、眼前の課題に全力を尽くせ!
一日一日が勝負だ。一瞬一瞬が戦いだ。

◇堅固な民衆城を
大分の同志には、師と共に歌った忘れ得ぬ曲がある。「荒城の月」。長編詩を発表した2日後、先生は宗門事件の嵐が吹き荒れた竹田へ。岡城址に集った友と一緒に盤石な"民衆城"を築きゆく誓いを歌に込め、この歌を大合唱した。その時の様子を後年、こう振り返っている。

歴史上、岡城の堅固さは「一人萬卒を制するといひしはかゝる所の事ならん」と称えられた。
広布の勇者が「一人立つ」ならば、千人、万人にも匹敵する百戦不撓の「平和の城」となる。

城は「民衆を守る」ものだ。それは民衆が安心して暮らせる拠点であり、地域社会であろう。
まさに「立正安国」とは、崩れざる民衆城を築く戦いだ。わが地域の繁栄を願って仏縁を広げる一人ひとりの誠実な行動が、この城を盤石に固めているのである。

「師弟の大分」の"民衆城"は、90年(平成2年)に勃発した第2次宗門事件に、微動だにしなかった。92年(同4年)2、3月、先生は10年ぶりに大分へ。「大分は完全に勝利した!」「完璧に勝った!」「本当に福徳豊かな勝利の笑顔、充実の笑顔を拝見できた。これで私も勝った」と力強く宣言した。

理屈や観念、感情だけではない。「勝った」という事実こそが「現証」である。
その意味で、大分の皆さまの幸の前進の姿は、創価学会の正義の、何よりも雄弁な「現証」である。私は最大にたたえたい。

悪い人間には、だまされない。このこと自体が、「勝利」である。厳然たる「現証」である。
「現証」によって正法を証明し、広宣流布を前進させた功徳は計り知れない。皆さま方は、三世にわたって、その功徳につつまれ、永遠の幸福の旅路を悠々と楽しんでいかれるにちがいない。

いちばん苦しんだところが、いちばん勝利する。それでこそ全体の勝利につながる。大分の前進は日本、世界の前進である。

きょう20日は「大分の日」。51年前の同日、先生を迎えて記念撮影会が行われた歴史の日だ。大分の同志は、誇り高き師弟の絆を胸に、今ここから創価勝利の暁鐘を高らかに打ち鳴らす。

2019年6月2日日曜日

2019.06.02 わが友に贈る

「私は勝った!」と
胸を張れる一日に!
挑戦の人は朗らかだ。
幸福拡大の新記録を
愉快に打ち立てよう!

日女御前御返事 P1243
『是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり』

【通解】
これは、決して日蓮が勝手に作り出したものではなく、(法華経で涌現した)多宝塔の中の釈尊や、十方分身の諸仏を、あたかも版木で摺るように、
そのまま写し顕したのが、この御本尊である。

〈寸鉄〉 2019年6月2日
最も行きづらい所に真っ先に行け—恩師。今日も勇敢に!一点突破の劇を
東京・豊島女性の日。快活な対話で勝利の歴史を!師と共に進む誉れを胸に
人の印象は会う瞬間で決まる—心理学者。故に生命力満々と。笑顔忘れず
夏にかけて脳梗塞リスクは上昇。水分補給や睡眠等をしっかり。賢く予防
南海地震の死者想定が減—避難意識の向上等が因と。自助は基本。対策益々

☆虹を懸ける 池田先生とインド� 2019年5月17日
◇振る舞いで光る"人格の王者"に
インド・ニューデリーの町は小雨が乾いた大地を潤し、爽やかな空気に包まれていた。
午後2時20分過ぎ。インディラ・ガンジー国際空港の滑走路に、池田先生を乗せた飛行機が滑り込む。1992年2月6日。13年ぶりの訪印である。
空港では、招へい元であるインド文化関係評議会(ICCR)やガンジー記念館、インド文化国際アカデミー、国際文化開発協会(ICDO)の代表らが先生一行を歓迎した。
振り返れば、前回の訪問時(79年)、各地から集ったメンバーは約40人だった。それから13年、BSG(インド創価学会)は法人登録され、初の会館もオープンした。地涌の陣列は、約1500人となっていた。
当時を知るBSGのオオウチ名誉副議長は言う。
「活動では、教学研さんや小説『人間革命』などの著作の読了に力を注いできました。92年の訪問では、多くのメンバーが先生との出会いを果たし、それまで学んできた師弟の精神や学会指導が、一人一人の血肉となっていきました。あの時を境に、インド広布の勢いはさらに加速していきました」

◇平和の夜明け
中でも、最も多くの同志が先生との絆を結んだ行事が、2月8日に行われた第2回文化祭である。当日は、出演者や役員に加え、友人、家族など約3000人が集い、歴史的な祭典となった。
「悠久の大地に平和の夜明け」とのテーマを掲げた文化祭では、各地方の伝統舞踊や打楽器の演奏、日本語と英語によるコーラス、モダンダンス、伝統的な武術舞踊を基調にした組み体操など、多様性に富んだ躍動の舞台が繰り広げられた。
来賓席で鑑賞した池田先生は、演目が終わるたびに喝采を送る。最後にマイクを握り、メンバーをたたえた。
「13年ぶりに、ついに訪れることのできたインドで、このような絢爛たる文化祭を拝見させていただき、私の人生にとって、これほどの感動はない。美しい詩があり、深き哲学があった。悠遠な調べがあり、希望のハーモニーがあった。そして、お一人お一人の瞳が、限りなく輝いていた。満点の文化祭であった」
プラディープ・カンドゥーリーさん(壮年部長)は、デリーの壮年・男子部の一員として、力強いドラムのリズムに合わせて踊る「バングラ・ダンス」を披露した。
「先生は客席で体を揺らし、私たちと一緒に踊ってくださいました」
カンドゥーリーさんは88年、大学の友人に誘われ、BSGの座談会へ。仏法の哲理に魅了され、人生の目的を求めて入会した。
「先生と出会って、"信心の実証を示していこう"と固く決意しました。生活の中で、学会指導を実践していくうちに、先生への尊敬の念が日に日に強くなっていきました」
エンジニアとして働いていた電子部品を扱う会社では、"信頼第一"を心掛けた。会社の発展を祈り、誠実に仕事に励む中、若くして昇進を勝ち取り、重要な業務も任されるように。私生活では念願の結婚も果たし、娘はアメリカ創価大学を卒業。家族そろって広布にまい進する。

スダ・クマールさん(圏婦人部長)も、あの日の文化祭を原点にしている一人。古典舞踊「カタック」の副責任者として奮闘した。
入会は88年。夫が事業の失敗を繰り返し、家族に手を上げることもあった。ただただ幸せになりたい一心で、信心を始めた。
前年の91年、文化祭に向けて準備を進めていた時だった。友達と遊んでいた息子が、誤って家の屋根から転落し、生死をさまよう大けがを負う。クマールさんは婦人部の先輩たちから激励を受け、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)との一節を抱き締め、一心不乱に回復を祈った。
その後、一命を取り留めた息子は、後遺症もなく退院。文化祭では出演者としてステージに立った。
さらには夫も、観客として会場に。家族3人が先生のもとに集えたことは、クマールさんにとって"勝利の瞬間"でもあった。「立ち上がって拍手を送ってくださる先生のお姿を見た時、"苦労を全部分かってくださっていたのだ"との感動が込み上げました」
92年の滞在中、先生はホテルのロビーでクマールさんたちに、朗らかに進んでくださいと、励ましの声を掛けている。そして「お体を大切に。ご家族にもよろしく」と。
それまで、"苦しい生活は全て夫が原因"と決め付けていたクマールさん。だが、師との出会いを機に、自らが一人立ち、一家和楽の実現とインド広布に尽くすことを決意。現在まで、経済苦や家庭不和、子どもの病も全て乗り越え、"幸福勝利の人生"を晴れ晴れと歩んでいる。
——先生は文化祭のスピーチで、御書の「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174ページ)の一節を拝し、メンバーに呼び掛けた。
「どうか、インドの皆さまは、さらに仏法の『人間主義』『文化主義』『平和主義』の旗を高く掲げ、お一人お一人が偉大なる"人格の王者"となっていただきたい」
師の指針は、良き市民として社会に貢献しゆく同志の心に深く強く刻まれた。

◇永遠の幸福の道
文化祭の翌日(2月9日)、インド広布31周年を記念するBSGの総会が開かれた。
席上、青年文化祭の開催や学生部・高等部・未来部の発足など、新たな展望が次々と示され、メンバーの瞳は決意と喜びに輝いた。
この日、民族衣装を身にまとった池田先生は、同志の奮闘を最大に称賛。スピーチの冒頭では、「妙法で結ばれた親子の縁は、生死を超えて永遠の希望につつまれる」と述べ、日蓮大聖人が子どもを亡くした門下に送った激励の一文を紹介し、こう言葉を継いだ。
「亡くなった息子さんの成仏は、絶対に間違いありません。そして、いつも、あなたと一緒ですよ。一緒に、『永遠の幸福の道』を歩んでいるのですよ。——大聖人の御慈愛が、染み入るように伝わってくる。
ともに幸福へ、ともに成仏へ——妙法の世界は何があっても、永遠に希望、永遠に繁栄の世界なのである」
会場にいたP・R・サティーシュさん(副壮年部長)は、先生の指導に胸を熱くさせながら聞き入っていた。
「総会では、表彰が行われ、一人の婦人に賞が贈られました。彼女に向かい、先生は立ち上がって胸に手を当てられ、深々と一礼されたのです。その方は、先生の訪問直前に、男子部のリーダーだった息子さんを事故で亡くされていました。私が最もお世話になった男子部の先輩でもあったのです」
サティーシュさんは大学1年だった86年に入会。信心に励み始めた頃、学会の師弟について、御本尊への確信について、一つ一つ丁寧に教えてくれたのが、その先輩だった。後輩たちから兄のように慕われ、誰よりも、先生のインド再訪を待ちわびていた人だった。
先輩はインド南部の町からニューデリーに向かう途中、交通事故に巻き込まれた。事故直後には、けがを負った運転手や同乗者を気遣い、病院に着くまで励まし続けた。その後、容体が急変し、息を引き取った。
先生は、広布の途上で逝いたこの男子部リーダーをたたえ、植樹を提案する。後日植えられたその木は「インド広宣流布青年英雄の木」として、インド文化会館の敷地に青々とした葉を広げている。
この92年の出会いを原点とし、亡き先輩の分も広布の最前線を走り続けるサティーシュさん。
仕事に失敗し、新規事業に挑戦した時も、男子部や壮年部のリーダーとして各地を駆け巡る時も、常に先生の指導に学びながら、自らの実践と照らし合わせてきた。
現在は副壮年部長、南インドの方面長として"先生の心"を語り広げる日々だ。

2019年6月1日土曜日

2019.06.01 わが友に贈る

栄光をつかむ鍵は
「自らが変わる」
「最後まで諦めない」
「喜び勇んで進む」
共に躍進の歴史を!

立正安国論 P24
『辛きことを蓼の葉に習い臭きことを溷厠に忘る善言を聞いて悪言と思い謗者を指して聖人と謂い正師を疑つて悪侶に擬す』

【通解】
辛い蓼の葉を食べる虫は辛いことに慣れており、厠に長くいると臭いことを忘れてしまうと言われている。
ためになる言葉を聞いてひどい発言と思い、謗法の者を指して聖人と言い、正しい師を疑って悪い僧のように思い込む。

〈寸鉄〉 2019年6月1日
創価の女性の月が開始!世界一麗しき婦女一体の連帯。勇気の対話、今日も
「風大なれば波大なり」御書。苦難は境涯革命の好機。青年よ大胆に挑め
他人を幸福にするのに比例し自らの幸福も増す—思想家。我らは希望の光
中学生の"隠れ不登校"は5人に1人と。寄り添う心常に。変化を見逃すな
公明の地道な取り組みが政治の信頼性を高める—識者。大衆に尽くし抜け

第百蓮華巻頭言 2019年6月号 母の祈りを栄光凱歌の翼に
恩師・戸田城聖先生が「学会は人材をもって城となす」と、東北の青葉城址で宣言されて六十五星霜−−
今や、日本中、世界中、創価の人材城がそびえ立った。
最大最強の建設の力は、いずこにあるか。無名無冠にして、最も尊貴なる広布の母たちの祈りであり、励ましである。
「勇気」即「慈悲」のたゆまぬ奮闘にはかならない。
御本仏・日蓮大聖人は、経典を引かれ、仰せである。
「一切衆生は、無明の卵の中にいて智慧の嘴はない。
仏母の鳥は、娑婆世界の古巣に舞い戻り、無明の殻を叩き破って一切衆生の鳥を巣立ちさせ、法性真如という成仏の大空へ飛び立たせるのである」(P1443、趣意)
母鳥は命懸けで卵を温め孵化して、雛鳥たちを飛翔させる。仏の大慈大悲は、その本然の母性に誓えられる。
まさに、この�仏母″の振る舞いを体現し、地涌の人材群を育んできたのが、わが学会婦人部ではないか!
自らも現実の試練に挑み、あえて苦しみ渦巻く地域に社会に分け入る。そして、どんな宿命に悩む友も必ず転換できると呼び掛け、自他共の生命を「南無妙法蓮華経の唱への母」(同P)によって温め、解き放っているのだ。
歴史を振り返れば、世の賢人たちは人間の不幸の根源的な打開を希求してきた。創価の母たち女性たちの確信と慈愛の声には、その元凶たる分厚い「無明」の殻さえ悠然と打ち破る無量の福智があるのだ。
なかんずく、この婆婆世界を変革しゆく「立正安国」の対話は、一人一人の胸奥の仏性を呼び覚まし、平和な国土へ、人類の境涯までも高めゆく挑戦といってよい。
大開西の錦州城を一緒に築いてきた兵庫広布の母たちと、私が語り合った「幸福常勝の哲学」がある。
第一に、徹して一人の友の幸せを願い、大切にする心。
第二に、目標を最後まで、喜び勇んで、やり通す執念。
第三に、「負けたらあかん」の異体同心の団結である。
尊き母たちの祈りに断じて応え、創価の人材城から、栄光凱歌の翼を威風堂々と広げゆこうではないか!

気高くも
 母の舞あり
  創価城
 勝ちて捧げむ
  幸の白ゆり

6月のオススメVOD
★勝利への指針
●池田先生のスピーチ
「永遠勝利のための信仰」
「逆境を乗り越える信心」
「信念に生きる強い女性に」

【池田先生のスピーチ】
�2002年11月の本部幹部会のスピーチ「永遠勝利のための信仰」(写真)では、何のために信仰するのかとの問いに、人生を勝利するためであると答え、仏法上の勝利は三世永遠の勝利につながると指導。「一人なれども心のつよき故なるべし」との信念で、大難を乗り越えられた日蓮大聖人のご生涯を通し、あらゆる試練を断じて勝ち抜こうと激励する(番組コード=AC02、6分)。

�「逆境を乗り越える信心」は、2003年3月の本部幹部会を収録したもの。四条金吾は主君・同僚から迫害を受け、親族も信心反対、加えて子どもの病気と、数々の宿命の嵐に遭う中、大聖人の励ましによって、最後まで信心を貫き、勝利した。その生き方をたたえつつ、現実社会で格闘する同志に「負けじ魂」で戦うことの大切さを強調する(AD01、8分)。

�「信念に生きる強い女性に」は1999年5月の本部幹部会でのスピーチ。周恩来総理夫人であり、人民の母と慕われた�穎超氏を、信念に生きる女性に育てた母・楊振徳氏のエピソードを紹介。生涯を革命にささげ、母への誓いを貫いた尊い人生を通し、信念に生き抜く創価の同志に期待を寄せる(AG05、10分)。

★今月の記念日
●6・30「学生部結成記念日」 一騎当千の師子たれ! 池田先生と学生部

【広布史】
1957年6月30日に開催された学生部結成大会。それは「夕張炭労事件」「大阪事件」という障魔の嵐が襲いかかり、若き池田先生が一切の攻防戦の矢面に立つ中での結成だった。緊迫した一日一日を追うとともに、結成大会の貴重な音声や、池田先生の折々のスピーチを通し、学生部に託された深き使命に迫る(CA22、13分)。

★前進の要諦
●ナポレオン・ボナパルト 「わが栄光はわが不撓不屈にあり」

【よくわかる創価学会 偉人に見る創価の哲学】
60回に及ぶ戦闘を戦い抜いたとされる英雄ナポレオン。その評価は、民衆のために多くの改革を成し遂げた政治家としての側面にも及ぶ。"勝利を決定づけるのは数ではなく、必ず勝つとの強き一念である"との信念など、現代にも通用する「勝利の要諦」を、ナポレオンの生涯から学ぶ(DF03、12分)。