2019年2月26日火曜日

2019.02.26 わが友に贈る

「法華の行者は
男女共に如来なり」
妙法に行き抜く人は
一人残らず尊貴なり!
異体同心で快進撃を!

種種御振舞御書 P917
『日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』

【通解】
日蓮が仏になるための第一の味方は、(大聖人を憎み、命をねらった)東条景信であり、僧侶では(権力と結託し、大聖人を陥れようとした)極楽寺良観、建長寺道隆、道阿弥陀仏であり、また(権力を発動して大聖人を迫害した)平左衛門尉、北条時宗殿である。
彼らがおられなかったならば、日蓮はどうして法華経の行者になれたであろうかと悦んでいる。

〈寸鉄〉 2019年2月26日
人生は何があっても強気でいけ—恩師。青年よ創価の後継らしく堂々進め
�明確な目標�強き祈り�勇敢な行動が勝利の要諦。月々日々に悔いなく
認知症予防に人との語らいが有効と。対話は価値の宝庫。多宝の友が証明
特殊詐欺被害1日当たり1億円。手口も多様化。自分は大丈夫との油断禁物
児童虐待通報・相談通話「189」無料化へ。公明が提言。命守る施策更に

☆地域を歩く 秋田・井川町 2019年2月21日
◇希望の春を確信して
日本が本格的な人口減少社会となって10年ほどが過ぎた。
全国最速で人口減少が進んでいることで知られる秋田県。その中で生じているさまざまな課題と向き合う学会員を訪ねようと、先週末、県都・秋田市から北に30分ほど車を走らせた。
井川町。県のほぼ中央に位置し、東側にある出羽丘陵から、干拓で有名な、西側の八郎潟の調整池へと流れる「井川」に沿って拓けてきた町である。稲作をはじめ、農業が町の基幹産業となってきた。
近年は、鉄道や高速道路などの交通も整備され、都市部で働きながら快適な生活環境を求める人々のベッドタウンとしての役割も担う。
井川町といえば、春を過ぎても、四季折々に桜が楽しめることで有名だ。町内の「日本国花苑」には、全国各地から集められた200種類2000本の桜の木が植えられている。
同町を舞台に活動する学会の支部名(井川さくら支部=筒井一義支部長、菅生裕己婦人部長)にも、「さくら」の名前が入っている。
だが、今は厳しい寒さが続く2月。町は雪で真っ白だ。
井川をさかのぼるように、町の中心部から、山間部へと車を走らせる。しばらくすると、ある集落に到着した。
「ここは、かつて20世帯100人ほどが暮らしていました。現在は、13世帯30人になりました。空き家も5軒あります」
二田一さん(副支部長)。祖父母の代から、この地で生計を立ててきた。

◇厳寒の冬を乗り越え 桜花の人生を共に
現在、父親から受け継いだ稲作をしながら、集落の町内会長や消防団の分団長を務める二田さん。地域への貢献を意識するようになったのは、町にある自動車関連会社に勤めていた20代の頃である。学会3世だったものの、それまでは父の酒乱や、それをどうすることもできない家族への反発もあり、信心に挑戦する意欲が湧かなかった。
やがて、二田さんは自らも酒におぼれた。揚げ句の果てに交通事故を3回も起こしてしまう。気付けば、自分を変えたい一心で、仏壇の前に座っていた。
以来、二田さんは、戸田先生の「信心は一人前、仕事は三人前」との指針を胸に、仕事と学会活動に走るようになった。集落や町の人々との関わりも深まり、さまざまな課題を抱える地域を「どう守ったらいいか」「どう発展させていけるか」と考えながら、行動に移した。
献身の姿に周囲の目は一変。二田さんは昨年、退職と同時に町内会長に推されて就任。とともに、消防団での長年の功労がたたえられ、表彰も受けた。
取材した日も、妻・勝美さん(支部副婦人部長)と一緒に、手際よく集落の雪かきをしていた二田さん。学会員としての誇りを胸に、地域の課題と向き合っていた。
「人口が減少する中で、『一人』の存在が大きくなっていると感じます。一人の行動が地域を変えていくのです」

「気付くと、いつも同志の皆さんに支えられています」
こう語るのは、井川町の浄水場で働く渡部一幸さん(男子部員)。井川町の清らかな水の水源を管理し、町民においしい水を届けている。
皆で一体となって青年部の人材の流れをつくる井川さくら支部の同志。どんな思いで育成に励んでいるのだろうか。
川村金高さん(県長)。施設長を務める特別養護老人ホームを含め、七つの事業を運営し、町の福祉を支えている。
川村さんは、高校でレスリングを始め、全国屈指の強豪校として知られる大学で活躍したものの、卒業後は進路に悩み、なかなか定職に就けずにいた。
福祉関係の仕事に就いたきっかけは、青年部時代に参加した1985年(昭和60年)の第1回「秋田青年平和合唱祭」。
練習に汗を流し、同志と励まし合いながら、合唱祭の成功と、自身の経験を生かせる就職を祈った。
そんな中、見つけたのが、利用者のリハビリ訓練を行う障がい者施設の仕事だった。
働き始めて3年目の27歳の時、川村さんは交通事故に遭い、2日間、意識不明に。同志が何度も集っては回復を祈ってくれ、危機を脱した。
以来、福祉に携わりながら、地域のつながりの希薄化や担い手不足を感じる一方で、支え合いの大切さ、周囲を幸福にすることで得る何ものにも代えがたい充実感を、より深くかみ締めてきた。
川村さんは熱く語る。
「私がそうだったように、今の青年部のメンバーにも、信心を通して、人に尽くす生き方を学んでほしいんです」
昨年、県長となった男鹿勇勝県では、本年、井川さくら支部の菅生弘一さん(ニュー・リーダー)をはじめ、6人の男子部大学校生が誕生した。
「清らかな水の流れとともに、この人材育成の流れが地域の誇りです」と胸を張る川村さん。新たな力を育む喜びを胸に、今日も訪問・激励に走る。

秋田広布のルーツ。
それは、池田先生が1952年(昭和27年)2月、東京・蒲田支部の支部幹事として、同志への激励を重ね、信頼と友情の金字塔を打ち立てた「二月闘争」にある。
当時、秋田の同志は蒲田支部に所属。その後、秋田各地で励ましの連帯が拡大していった。
井川町では、2000年(平成12年)に井川さくら支部が誕生した。
支部の同志が、地域に友好を大きく広げるきっかけとなったのが、05年(同17年)1月に開催した地域振興の催しである。
寒い中、会場を掃除したり、温かな豚汁を振る舞ったりするなど、皆で協力しながら行ったイベントは大成功。町内に喜びが広がった。
以来、支部では、健康セミナーなどを開きながら、地域に幸福のスクラムをつくり続けてきた。
そんな井川さくら支部には、広布の草創期以来、変わらぬ熱意ではつらつと活動する多宝の友も多い。
自転車店を営む遠藤幸雄さん(地区幹事)。「従業員がいないのに、社長、社長と呼ばれてますよ」と笑う。
1938年(昭和13年)、井川町生まれ。現在、81歳。
綿の打ち直しに歩いていた父親の自転車を修理したり、冬用のタイヤに交換したり、幼い頃から自転車に慣れ親しんできた。
中学卒業と同時に、自転車店に弟子入り。10年余りの修業の間、店主から信心を勧められ、56年(同31年)に入会した。
その後、社会や家族にさまざまな変化が起こった。
自動車の普及や少子高齢化で自転車人口が激減。さらに、スーパーやホームセンターなどで自転車を購入する人が増えた。最盛期は地域に5軒ほどあった自転車店は、やがて遠藤さんの店だけになった。
また、妻・キミさん(副白ゆり長)との間に生まれた長女が31歳の若さで亡くなるなど、宿命の嵐が襲った。
だが、遠藤さんの信心への確信は揺るがなかった。82年(同57年)の「雪の秋田指導」や「秋田青年平和合唱祭」を通し、池田先生から受けた励ましが胸に刻まれていた。
他には負けない修理など、アフターサービスの技能を磨いた。たとえ他店で購入した自転車であっても、とにかく顧客に喜んでもらうことを第一に、真心込めて対応した。
やがて、井川町だけでなく、周辺の地域からもわざわざ店を訪れる人が増えていった。
今や自転車店は、地域の人々が憩う場となっている。
そして自転車に関係なく、地域の人々の頼み事が持ち込まれるようになった。
遠藤さんのフットワークは、とても81歳とは思えないほど軽い。そんな姿を見て、周囲の同志はこう呼んでいる。
「生涯、青年ですね」と。

井川町で生まれた森本明子さん(支部副婦人部長)は61年(同36年)8月、家族と共に信心を始めた。当時、高校3年生だった。
入会直後の自身の病気や経済苦に始まり、68年(同43年)の結婚後は、仕事と子育ての両立や義父母の介護、娘の病など、苦難を挙げれば切りがない。
それでも心折れずに前進してこられたのは、池田先生の"宿命転換の祈りは必ずかなう"との確信の励ましがあったから。
森本さんは、地域振興の催しを機に、せっかく絆を結んだ町民と仲良くしていきたいと、本紙の購読推進で、時には月100部を達成するなど、友好拡大の実証を示してきた。
町内会や老人クラブ、同級会など、地域を舞台に、人生の春を謳歌する森本さん。
「広布の思い出は、不思議とみんな寒い時期だよね。二月闘争と聞くと、心が奮い立ちます。苦労に無駄はないねえ」
◇ 
御書に「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(1253ページ)とある。
厳寒を越えて、見事な花を咲かせる桜のように、必ず悩みや苦しみを勝ち越え、希望の春を迎えていける。
支部の同志一人一人に、その確信があふれていた。