2019年2月17日日曜日

2019.02.17 わが友に贈る

今の課題は何か。
朗々たる祈りの中で
日々の目標を明確に!
具体的な実践を重ね
勇猛果敢に勝ち進もう!

三三蔵祈雨事 P1472
『外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしがやうやくわかれて九十五種なり、其の中に多くの智者神通のものありしかども一人も生死をはなれず』

【通解】
外道というものは、仏の出世以前八百年から起こって、初めは二天・三仙のみであったが、次第に分かれて九十五種となった。その中に多くの智者や神通を得た者がいたけれども、一人も生死の迷いから離れてはいない。

〈寸鉄〉 2019年2月17日
幸福でたまらない境涯になるのが学会活動の功徳だ—恩師。今日も弛まず
農漁光部の日。仏法持ち食守る皆様こそ生命世紀の旗手。栄光と福徳あれ
こんな諸悪に黙っていられるか—詩人。これ青年の心。堂々と正義を叫べ
若者の半数が将来難聴に—警鐘。大音量で音楽を聴き過ぎと。見直し賢く
携帯電話の「ながら運転」での事故多し。少しだけが命取り。気を引き締め

☆ふるさとを照らす誉れの長者 地域部 2019年2月6日
池田先生はかつて、地域と関わる大切さについて語った。「地域に根を張り、人々のために尽くすことが、どれほど偉大なことか。地道な活動が、深き信頼を築いていく。わが地域を、希望輝く理想郷へと変革する力となる」と。ここでは、地域の発展と幸福のために奔走する地域部の代表を紹介する。

◇子どもたちが誇れる地域に/福岡市東区 田中友春さん
JR博多駅から国道3号を北上していくと、多々良川河口に架かる「名島橋」に差し掛かる。全長204メートル、全幅24メートルの道路橋だ。側面には7連のアーチが施され、白く輝く御影石が力強い美しさを感じさせる。
一日の車の往来は、約6万台。1933年(昭和8年)の完成以来、福岡都心部と北部九州地域を結ぶ"福岡の東玄関"として重要な役割を果たしてきた。
この名島橋が昨年5月、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として国の登録有形文化財に登録された。働き掛けたのは名島校区の自治協議会会長、自治会連合会会長などを務める田中友春さん(副区長)である。
「名島橋は長年、地域に愛されてきた心のふるさとのようなもの。私が会長になる前から先輩方が願ってきたことが結実し、感無量です」
田中さんの"地域デビュー"は11年前。「あなたのニコニコ顔なら大丈夫!」との住民の声に推された。当時は50代半ばのサラリーマン。自分に務まるのかと不安もあったが、地域活動の大先輩である三善隆之さん(副支部長)・道子さん(区婦人部主事)夫妻の支えが大きかった。
隆之さんは地元の自治会長や東福岡交通安全協会支部長などを歴任し、地域に根差して35年。道子さんは民生委員・児童委員を15年務め、公民館事業の一環として学会婦人部の友と開いた子どものための園芸教室は20年になる。今も、地元老人会で夫婦共に役職を担い、二人三脚で貢献の道を歩み続けている。
"地域の発展のために、愛する未来の宝のために"——そんな先輩の心と行動に、田中さんも続いた。どんなに多忙でも、仕事や地域、学会活動に全力。定年を過ぎた今も、運送会社で月に10日、深夜勤務に従事しながら、地域では11の役職を担う。手帳を開けば先々の予定までぎっしり。地元の公民館館長は「人徳も実行力もある田中さんをいつも頼りにしています」と。
田中さんは言う。「大変な分、やりがいも大きい。名島橋の登録有形文化財の登録も"子どもたちが誇れる町に"との思いの表れでもあります。登録記念の式典に参加してくれた生徒に『名島に生まれて良かった』と言ってもらえた時は、涙が出るほどうれしかった」
人間関係の希薄化が危惧される昨今。少子高齢化の進展などに伴い、地域行事への参加も高齢者に偏りやすい現状がある。
そうした課題と向き合う名島校区では、子どもたちと共に清掃活動をしたり、敬老の日には校区の80歳以上の高齢者全員に地元の小中学生が感謝の手紙を渡したりと、世代を結び、地域全体で子どもを育む取り組みを実施してきた。
また、毎年開催している夏祭りの実行委員会には必ず中学生を入れる。子どもたちの柔軟なアイデアから若者が喜ぶ催しを取り入れる中、10代、20代の参加者が年々増えている。
子どもたちを育てることが、地域の未来を育てることにつながる——この確信を力に、田中さんは人と人をつなぐ"懸け橋"となることを心に期している。

◇誰も置き去りにしない心で/新潟・長岡市 戸田芳子さん
ある人は言う。「彼女は地域の肝っ玉母さんです」と。またある人は親しみを込めて、「おもちゃのミニカーみたいに、みんなのために動き回る人」と。
新潟・長岡市の戸田芳子さん(総県副婦人部長)に寄せられる住民の声からは、その信頼の厚さがうかがえる。戸田さんは、同市宮内地区の民生委員・児童委員副会長、コミュニティ推進委員会理事、東宮内町内の老人会副会長など、数々の役職を受け持つ。小柄な体からほとばしるエネルギーと熱き"地域愛"は、約40年の貢献人生の中で育まれてきた。
入会は1971年(昭和46年)。長岡に嫁いで4年後のことだった。学会への偏見や誤解が多かった時代である。周囲から"村八分"同然の扱いも受けた。それでも「地域を大事にするんだぞ」と励ましてくれたのは、信心の厚い義父だった。いつも笑顔を絶やさず、町に尽くし抜く"地域貢献の大先輩"でもあった。
地道に行動を重ね、地域では「女性初」といわれるPTA副会長に選出。その後も、数々の地域役職を担い、信頼を広げてきた。
「悔し涙を流した時もありましたが、この地域のおかげで人の温かさも知ることができました。目配り、気配り、心配りを大切に、地域に恩返しがしたい」
今、130世帯ほどある東宮内町の約半数が65歳以上の高齢者。独り暮らしも多い。だからこそ日頃からの住民同士の連携が事故を未然に防ぐ鍵だという。
以前、「独り暮らしの方の住宅のカーテンが数日閉まったまま」との情報を受けた。日常との違いを敏感に察知した近隣住民からの声だった。戸田さんは素早く行政と連携し、地域包括支援センターの職員、不動産の担当者らと訪問。布団にくるまったまま"生きる気力"を失っていた高齢の婦人に寄り添い、救命することができた。
「私たちの活動は、地域の皆さんの協力と支えがあってこそ。本当に感謝しています。民生委員が住民と行政の"橋渡し"になることはできても、横のつながりが弱ければ、取り残される人も出てくる。だからこそ、他者との絆を大切にしていきたい」
毎月、宮内地区で開催している集い「ふれあい広場」には、60人以上の高齢者が参加する。「笑いヨガ」や子どもたちとの昼食会などを企画し、積極的に地域交流を図っている。
一方で住民の中には、障がい者や生活困窮者など、多岐にわたる状況から交流の場に足を運べない方も多い。だからこそ戸田さんは"誰も置き去りにしない"との心で、住民一人一人に寄り添い続ける。
「全て学会活動の中で学んだことの実践です。信頼し、支え合える地域づくりのために、私にできることは何でもやります!」
"使命に引退なし"と、その瞳は年を経るごとに、いっそう輝きを増す。