2019年2月15日金曜日

2019.02.15 わが友に贈る

一つの種が実を結べば
いくつもの種をつける。
後継の青年こそ希望!
一人を大切に育むことが
永遠の流れを開く鍵だ。

四条金吾殿御返事 P1151
『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利衰毀誉称譏苦楽なり』

【通解】
賢人は八風といって八種の風に侵されないのを賢人というのである。
八風とは、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)である。

〈寸鉄〉 2019年2月15日
各地でにぎやかに座談会体験や決意、喝采あり。皆が輝く触発の会座に!
未入会家族に感謝の言葉を。真心込めて。身近な人の理解こそ広布の土台
勇気は人を繁栄へと導く—哲人。今こそ殻破れ!強盛な祈りで大胆に前進
入浴時の血圧変動に注意脱衣所の暖房、水分補給、長湯は控えるなど対策を
乾燥続き火災多発。可燃物の整理、火の元の始末…指さし確認でがっちり

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 立正安国論(上) 2019年2月9日
◇勇気凜々と正義を語り抜こう!
◇生命尊厳を社会の原理に
今月から2回にわたり、「立正安国論」を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「創価学会は、『立正安国の旗』を掲げて、どこまでも、民衆の幸福と世界の平和のために、現実社会の変革に挑戦しゆく使命を貫きます。そこに、『人間のための宗教』の精髄があるからです。それは、仏教の根本精神でもあります。また、日蓮大聖人直結の実践の証です。そして、これこそが創価の師弟の魂にほかなりません」
大聖人の民衆救済の御精神を学び、自他共の幸福を築く対話を広げていきましょう。(拝読範囲は、御書17ページ冒頭〜26ページ12行目です)

◇本抄について
本書は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が、時の最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。客(時頼を想定)と主人(大聖人を想定)の問答形式で記されています。
「立正安国(正を立て国を安んず)」とは、人々が正法を信受し、仏法の思想が社会の基本原理として確立することによって(立正)、社会の繁栄と世界の平和を築く(安国)との意味です。
本書の御執筆当時、飢饉、疫病に加え、大地震などの自然災害が相次ぎ、民衆は苦悩の底にありました。
問答の中で主人は、災難の根本原因が、生命尊厳の法華経を否定する「謗法」にあると明かします。
そして、このままでは、三災七難のうちまだ起きていない「自界叛逆難(内乱)」「他国侵逼難(他国からの侵略)」が必ず起こると警告し、一刻も早く「実乗の一善」(妙法)に帰依するよう、客に促します。
最後に、客は謗法の教えを捨てて正法に帰依することを誓います。この言葉が本書全体の結論となっています。

◇御文�
『悲いかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり、傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』(24ページ2行目〜4行目)

◇通解
悲しいことには、この数十年の間に、百千万の人が法然の魔の働きにたぶらかされて、多くの人が仏の教えに迷ってしまった。謗法の教えを好んで、正法を忘れている。どうして善神が怒りを起こさないだろうか。円満の法を捨てて、偏頗な教えを好んでいる。どうして悪鬼が便りを得ないでいるだろうか。(災難を根絶するには)あのような万の祈りを行うよりも、この一凶である法然の謗法を禁ずることが最も大事である。

◇御文�
『予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや』(26ページ4行目〜5行目)

◇通解
私は(あなたが言われるように)取るに足りない身ではあるけれども、かたじけなくも大乗の教えを学んでいる。青バエは驥(1日に1000里を走るという名馬)の尾に付いて万里を渡り、緑のつる草は松の枝先に掛かって千尋の高さにまで伸びることができる。仏弟子である私は、唯一の仏(である釈尊)の子として生まれて、諸経の王である法華経に仕えている。どうして仏法が衰微するのを見て、哀惜の心情を起こさないでいられるだろうか。

◇解説
大聖人は、法華経こそ最も勝れた経典であるとし、その肝要であり、万人成仏の法である南無妙法蓮華経を弘められました。
しかし、本書が著された当時、特に隆盛を誇っていたのは、法然の念仏でした。法然は、法華経を捨てよ、閉じよ、閣け、抛て(捨閉閣抛)とし、念仏を称えることで、来世は西方極楽浄土に生まれると説きました。
法華経という生命の尊厳性を説いた大法を「捨閉閣抛」することで、人心は諦めや現実逃避で覆われ、世相も荒廃を極めていたのです。
ゆえに、御文�では、災難を止めるためには、まず正法誹謗の「一凶」である念仏を禁じよと断言されているのです。
一凶との戦いは、私たち個人の次元で拝せば、生命の根源的な無知である「元品の無明」との戦いであるといえます。「元品の無明」は、無力感や無関心、自己卑下など、さまざまな形で表れます。これらを打ち破る力こそ、妙法への「信の一字」(御書751ページ)です。
さらに、私たちが対話によって人々の無明を打ち払い、正法を社会に確立することが、立正安国への直道になります。
念仏を破折する主人に対して、客は"卑しい身分でありながら、世間で称賛される法然聖人を批判している"と非難します。その答えが御文�です。
小さなハエも、名馬の尾につかまれば、万里を走ることができる——こうした譬えを通し、主人は、「諸経の王」である法華経を持つ誇りを述べます。そして、真実の仏法者として"正法の衰退を見過ごすことはできない"との真情を語ります。
人間の真価は、身分や地位では決まりません。いかなる法を持ち、いかなる生き方をするかで決まるのです。
私たちでいえば、学会員として、広宣流布の師匠と共に前進していくことで、自分では想像もしなかったような幸福境涯が築かれていきます。
行学の実践を根本に、誉れの創価の大道を朗らかに歩んでいきましょう。

★池田先生の講義から
大事なのは民衆です。民衆が根本です。民衆が平和で安穏に暮らせる社会をつくらなければならない。
そのためにこそ、「生命尊厳」「人間尊敬」の思想を厳然と確立することです。
一人一人の生命は限りなく尊極である。「生命軽視」「人間蔑視」の風潮を断じてはびこらせない。どこまでも「一人を大切にする社会」「万人の幸福を実現する社会」を築く。それが二十一世紀の立正安国の実践です。(『御書と青年』)
◇ ◆ ◇
友のためにと思って、仏法の正義を語った言葉が、反発を受けることもある。しかし、その心は必ず伝わる。
大事なことは、その対話に強く深い「祈り」を込めていくことです。「祈り」のこもった言葉は、必ず相手の生命の内奥の「仏性」に届きます。(中略)
勇気凜々と、わが信念を叫んでこそ、青年です。相手がどうあれ、立正安国という最極の正義の対話の実践です。自信満々と朗らかに語りきっていけば、勝利です。(同)

研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社)
○…『御書と青年』(同)
○…『御書と師弟』第2巻(同)